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2003年11月の日記
2003年11月30日(日)

 朝9時過ぎ、かすが町市場集合。ロケの模様は長編になるので、長谷川君のたっての要望で今週中を目標に書き上げ、当ホームページで「web版ゲリラうどん通ごっこ」を始めることにした。
H谷川「言いましたね! 団長言いましたね!」
団長「どの口が言うたんや! この口か!」
 ま、ええ。世の中には達成できない目標もある。
 とにかく今日は大満足でした。ナマでいそべっちの「先生、知ってます」が聞けたし(もう爆笑)。うどん店は、かすが町市場、池上、やまうちを回りました。池上、行ったら知らない若い男の人が2人入ってて1人がうどんを伸ばして切ってました。何か笑っちゃうほど、以前と違ううどんになってました。あんまり書いたら「ゲリ通」の原稿になりそうなので、グッと我慢して書かない。今日は以上。睡眠不足なので寝る。

<本日お会いした主な方々>
 ごん、S原、H谷川、M村、M宅嬢、U原、ポン太(以上麺通団のようなもの)、池川さん、森脇さん(以上千趣会)、MBSの制作会社のディレクターと撮影スタッフ、電通の千趣会担当者、まるむし商店のいそべっち、やまうちの大将、香川洋二さん(市会議員)夫妻、他。

<本日のお食事>
朝…家でパン1枚
昼…かすが町市場で釜あげ、池上でしょうゆ小、やまうちであつあつ小、ひやひや小、エビ天、ゲソ天
夜…家で夕食
2003年11月29日(土)

 夕方5時、クレメントの喫茶で毎日放送の「ちちんぷいぷい」という番組の収録の打ち合わせ。実は千趣会の提供の関係で池川さんから頼まれた案件なのであるが、「いそべっちのなに集まってはりますのん?」というコーナーで、麺通団を紹介するという企画らしい。番組タイトルといいコーナータイトルといい、大阪ならではのコテコテタイトルであるが、明日来るというこの「いそべっち」、京阪神の方々は知ってると思いますが、あーた、あのマニアにはたまらない幻の爆笑コンビ「まるむし商店」の磯部さん。あの「校長先生」でんがな。私は20年近く前にマニアに大爆発した「まるむし商店」の大ファンなのである。今日はごんも交えて1時間半、打ち合わせというより雑談会で解散したが、明日がメチャメチャ楽しみですねん。
 7時から「まちラボ(まちづくりラボラトリー)」で勉強会の講師に呼ばれていたので、 クレメントからそのまま7時前に兵庫町商店街のTMOセンターへ。とても狭い会場ではあるが、いっぱいいっぱいの人が集まって、しかも知った顔が何人もいてやりにくいようで、かなりやりやすかった(笑)。一昨日の日記に書いた「世代間の価値観格差」の話から新しいものを生み出す手法(私の使っている発想の道具)と、その使い方みたいなのと、「目的は何だ?」という話を2時間ぐらいしゃべってきました。さらに懇親会で「琉球御殿」へ行って、とっておきの「コースコンテンツビジネス」の話など、午前1時半までしゃべってきました。ただでさえ声帯にポリープ持ちなのに、もう声、ガラガラです。明日の朝、早いのに。

<本日お会いした主な方々>
 池川さん、森脇さん(以上千趣会)、MBSの制作会社のディレクター、ごん、安藤(麺通団)、佐野さん、中井さん(FM香川)、小西さん(まちラボ)、永峰さん(香大講師)、昔の会社の手下数名、林さん(建築設計)他多数。

<本日のお食事>
朝…家で朝食
昼…家で昼食
夜…「琉球御殿」でいろんなもの
2003年11月28日(金)

 朝から「讃岐文化論」の講義が1本。夕方KSB「スーパーJチャンネル」に出演。久しぶりに「金曜日の定番スケジュール」に戻った。Jチャン最後の方のニュースで「高松冬のまつり」の案内があり、「会場に巨大なうどんオブジェが登場…」ときた。うわ…こんな話題のあとでこっちに振られたら何とコメントすればいいのだ…と思っていたら、追い打ちを掛けるように続けて「うどんの歌が作られ、真鍋県知事と増田高松市長も吹き込みを行った…」とのニュース。「こっちに振るな!」と願ってたら、ニュースのあと、多賀さんがすぐ天気予報に行った。さすが多賀さん、こんなニュースにコメントしろというような残酷なことはしないよな。天気予報も無事終わってエンディングのトーク。さて、何か振られたら来週の四国学院大学の学術祭で勝谷さんが来ることでも言うとこうか…と思って待っていたら、多賀さんが言った。
多賀「しかし先のニュースの中にあった、うどんの歌に知事と市長がレコーディングしたというの、どうですか田尾さん?」
 今ごろ振ってくるんかい! で、苦し紛れにとっさに出したコメントは、
団長「ま、人それぞれの讃岐うどんですから…」
 言うとくけど、生放送の打ち合わせなしのコメンテーターは端で見る以上に過酷なんぞ。
 夜、ビー・クォーターを飲んでウォーキングの途中で入船醤油に立ち寄る。奥さんが出てきて、「今ちょうど大豆に糀(こうじ)が出て来よるところやけど、見る?」というので見せてもらった。何か、初めて見たけど、何がどういうことなのかうまいこと説明できんけど何かすごい。本物志向の小さな醸造所(何が本物か説明できんけど)は、いずれもっと注目される時期が来るような気がするが、その時にどうプロモーションするか、今の私にはキーワードの語彙がない。もっと勉強しないと。

<本日お会いした主な方々>
漆原先生、末吉学長、真鍋助手、学生たくさん、多賀アナ(KSB)、本庄アナ(KSB)、畑嶋アナ(KSB)その他KSBの皆さん、岩井志麻子さん、入船醤油の奥さん、他。

<本日のお食事>
朝…家で朝食
昼…いきいきうどん香西店でかけ大、ちくわ天、エビ天
夜…家で食事
2003年11月27日(木)

 午前11時から「しごとプラザ(若者向けのハローワークみたいなもの)」で200人ぐらいの20代の人たちを前に講演をしてきた。四国学院大学の就職課経由で来た講演であるから、ま、大学の仕事みたいなもんである。本日はツカミのヨタ話なしで、前段で私が10年くらい前から感じていたこんな話をしてきた。
 10年くらい前(もっと前かもしれないが)、会社や団体やいろんな組織の中で「新人類」と呼ばれる、年輩の人から見た“常識の通用しない世代”の出現を始めとする「管理のやりにくさ」みたいなのを見聞きするようになり、自社や仕事先などで、それが原因で組織内問題が発生するという場面に何度も出くわしてきた。その時に私がふと考えたのは、これは戦争が原因ではないかということである。ただし、戦争論とかいう類の話ではない。
 1940年代から50年代は、戦争が終わって日本は「何もない」という時代であった(らしい。見てないので)。その頃に青春時代を過ごした人たちは、何もないという環境の中で人間としての価値観を形成した人たちである。1960年代あたりに青春時代を過ごした人たちは、復興期のみんながひたすら働いた、ひたすら走っていたという環境の中で自分の価値観を形成した人たちである。1970年代に青春時代を過ごした人たちは、新しいモノが次々に生まれてきたという時代に価値観を形成した人たちである。そして1980年代、90年代に青春時代を迎えた人たちは、周りにたいていのものがあるという時代に価値観を形成した人たち。そして2000年代、今青春時代を迎えている人たちは、爛熟、退廃の中で価値観を形成しつつある。
 この間、日本はわずか50年の間に、「何もない」から「何でもある」という時代まで、言い換えれば「底」から「頂点」にまで変化したのである。「それぞれの世代の価値観がどういうものであるか」が問題なのではない。問題は、この底から頂点までのこれ以上ない開きのある価値観を持ったそれぞれの世代が、今、社会の中、組織の中に「一緒にいる」ということである。歴史上これほどのモノがある時代はなかったのだから、これは有史以来初めての時代だろうと思う(今70歳代、80歳代の人たちは、一人で底から頂点を経験したという、人類史上稀な人たちであるとも言える。ちょっと大げさだけど)。
 で、先のいろんな社会の中、組織の中、あるいは家庭の中で起こっているコミュニケーションや人的マネジメントの問題は、このあまりにも価値観の違う世代が一緒にいるということが原因ではないか、と思っているのである。事例を挙げながら詳しく説明すると論文になってしまうのでそれは大学で発表しようと思うが、この近来稀なる構造を前提に事象を解いていくと、やってはいけないことまでやっている世代とか、やらなければならないことをやっていない世代とかが見えてきて、いろんな問題の原因が見えてきて、従って解決策も見えてくる。それならまず、そこからスタートしてみてはどうか…という話をしてきた。よくわからないかもしれないが、私の頭の中ではこの説はかなり体系的にまとまっている。2〜3週間くらいでまずは短めの論文にするので待ってね、というか、待っててもここには掲載できないと思うけど。ちなみに講演は、しごとプラザ所長の絶賛を頂きました。恐れ入ります。
 本日は明日の講義の準備を少々。企画にちょっと煮詰まったので「マイノリティ・リポート」も観てしまった。ごんからイマイチ評価を聞いていたので期待してなかった分、まあそれなりにおもしろかったし(笑)。
2003年11月26日(水)

 昼、研究事務室の前で突然、私を見つけた数人の学生に取り囲まれ…
ごん「オヤジ狩りですか!」
 いや……
重谷「せんせ、うどん食いに行きましょう」
田淵「行きましょう!」
前田「田尾さんのおごりで」
宮内「わー、先に食べに行かなくて良かった!」
団長「お前らなー!」
 いかに教え子といえど馴れ馴れしさにも限度がある。私は厳しい面もちで彼らに言った。
団長「谷川行くか?」
ごん「あんた、ダメです」
 私の車に重谷と宮内(よその学科のやつじゃ)、後ろの車は田淵以下4人の計7人で谷川米穀店に突撃した。宮内はこの大学に来るまで完璧な関東人で、初めての谷川に向かうおよそうどん屋があるとは思えない道中の景色にワクワクしている。
宮内「ほんとにこんなところにうどん屋があるんですか?」
団長「谷川はまだまだこんなもん違うぞ。谷川に比べたらこの辺は大都会じゃ」
重谷「川の中にありますからね」
団長「増水したら水没するから店に入れんようになる。おばちゃんら、水中メガネしてうどん打っちょるが」
宮内「ほんとですかー!」
 ほんとなわけないやろ。
 谷川に着いたら、店の外に20人くらいの行列があった。
団長「今日は平日やからこんなもんかな」
宮内「えー! もっとすごいんですか?」
重谷「土日は橋の上まで並びますよね」
団長「ゴールデンウィークになったら最後尾がこんぴらあたりまで来るから、こんぴらの参道に行ったら、参道に上がる行列か谷川でうどん食う行列か、ちゃんと確認して並ばんと大変なことになるぞ」
宮内「ほんとですかー!」
 ほんとなわけないやろ。ま、今日はこれくらいにしといてやるか。
 店内に入ると、おばちゃんが声をかけてきた。
おば「あらー、久しぶりやな田尾さん。冷たい小な?(今まではたいていうどん巡り客を何人か連れてきていたので、冷たい小を食べて次の店に行っていた)」
団長「ちゃう。今日はフルコースや。熱い小、熱い卵入り小、冷たい小といくけんな」
おば「今日はうちだけで終わるんな?」
団長「うん。貧乏な学生6人もついて来とるし」
おば「あらー、みんな田尾さんにおごってもらわないかんでー」
 ま、1玉110円やし、たまにはそれぐらいはええか、と思ったら、こいつら6人で32玉食いよった! なんぼ食うんじゃ! ちなみに宮内は熱い小、熱い玉子入り小、冷たい小、さらに冷たい小と4つ食って「なんか、みんながうどん巡りを楽しむわけがわかったような気がする」と言った。なかなかええコメントやね。
 食べ終わって表に出たら女性2人に声をかけられた。福山のタウン誌「ウインク」の取材班。コメントと写真を撮られました。
2003年11月25日(火)

 同じことを長く続けている事柄を見つけたら、そこには必ず改革のチャンスがあるのである。わざわざ言うまでもなくそんなのは当たり前のことなのであるが、そこいら中で「同じことを続けてあがいている(同じことを続けているからあがくハメになるのであるが)」ところにまた「同じこと」で突っ込んでいくという事例が後を絶たない。そんな中、久しぶりに「違うこと」で突っ込んでいこうとしている連中が、大学の研究室に突っ込んできた(笑)。あいつら名刺も企画書も出してきたからたぶん公表してもええと思うんやけど、まあまだ伏せとくか。ええか? じゃ、さわりだけ。かつてのTJ Kagawa時代の優秀な私の部下で、今はそれぞれ退社して新しい道を歩んでいる連中4人がそろって大学に来たのである。
佐伯「佐伯です」
団長「おー」
百々「百々です」
団長「わかってるがな」
安西「安西です」
団長「いやー、久しぶりやのー」
和田「和田と申します」
団長「きみは初めてやね」
和田「いやいや社長! 顧問! いや田尾さん、僕ですよ! ずっと一緒に働いてましたやん! こないだ学園祭のうどん屋にも僕、来ましたし」
団長「最近なんか、こっちが知らんのに親しそうに話しかけてくるやつがようけおって困るんや。“僕、僕!”言うて金をせびりに来るやつ。最近流行の“ボクボク詐欺”いうやつか?」
和田「何ですかー! 違いますよ! 僕ですよ!」
 ええなあ和田は、会話文に他人の3倍も出られて。いじられキャラの特権やなあ。
 そういうわけで、彼らは今まさに新しいものを生み出そうとしている真っ最中。で、ある協力の依頼を持ってきたので、何とか協力しようと思っています。ついでにこっちも大学のプラクティカムの授業に協力してもらうかもしれんし。 ちなみに私は今、ビジネスに関してはフリーランスなので、私に可能な依頼であれば先に来たところの依頼を受ける。よって、今後他社からの同類の依頼は受けられませんので悪しからず。けど依頼内容を書いてないから、何が同類かわからんか(笑)。ちょっと香川県内のこの業界(どの業界か言えんが)、あと2年くらいの間に激変が起こるかもしれんな。
 さて、12月6日(土)に四国学院大学構内で行われる「四国学院大学公開学術祭2003」の概要が決まりました。第一部は10:30から12:00まで、公開学術講演会で勝谷誠彦さんが講演します。タイトルは今回の学術祭のテーマである「21世紀の地域創造と文化マネジメント」。革新的コラムニスト、「ザ情報ツウ」のニュースコメンテイター、「朝まで生テレビ」の新鋭、勝谷さんが地域と文化を語る(ほんまに語るんやろな・笑)とあっては、こっちがワクワクするがな。入場無料なので、友人ご家族親戚からそのへん歩いてる他人もお誘い合わせの上、ぜひご来場下さい。第二部13:00からの日韓国際学術セミナーでは韓国、アイルランドのパフォーマンスのあと、15:55から私が20分くらい話して、16:15から「キムチとうどんのコラボレーション」という試食会を開催します(笑)。こちらもぜひ。
2003年11月24日(月)

 毎日新聞になかなか興味深いコラムが載っていました。食に関する著書でも有名な方の連載コラムで、読んでいくと、著者は大工町のうどん店に入って「注文したのは手打ちのざるうどん」で、それを「生醤油で食べることにした」らしい。しばらくしたら「釜揚げのそれが出てきた」ので、それに「生醤油をかけて食べた」ところ、実にうまかったらしい。どこかなあ、ざるを頼んだら釜あげが出てくる店(笑)。しかも釜あげを醤油で食べさせるとは、ただ者ではないぞ。
 さらに違う店では、「釜揚げの手打ちうどんを桶に盛って、そこに車エビや野菜のてんぷらがつく」といううどんを食べたらしい。どこだ? 釜あげの麺を盛る店は。怪しい讃岐うどん(笑)がまたまた全国に発信されちゃいました。
 さて本日は朝から大学の学術祭用の講演原稿を作っていて(韓国語訳をするので、まず全部日本語で文字原稿にしないといけないらしい)、夕方、力尽きて昨日借りてきた「エグゼクティブ・デシジョン」を見ていたら、家族が「電気屋に行ってから、みんなで晩ごはん外食しよう」と言い出す。もう、今さっきセガールが落っこちてこれからいよいよ佳境に入るというのに…と未練たらたら言いながらDVDを止めて、家族でベスト電器に行って、みんなが何やら選んでいる時に私はテレビのコーナーへ行って、「薄いでかいテレビがよっけあるのー」と思いながら見ていたら、そのうちの1台のワイド画面テレビがサンプルで何か映画を流している。ちょっと見ていたら、あれ? というか、おいおい…おいおいおい!「エグゼクティブ・デシジョン」やってるやないか! なんでやねん! うちの家に隠しカメラついとんかい! ほんまにもー。山かつでトンカツ食ってきた。
2003年11月23日(日)

 こないだJRAからハガキが来て、何かと思って見たら「あんたはPAT(電話投票)に加入してるけどもう10カ月も使ってないで。1年間使わなんだら自動的に解約になるけん早よ馬券買うてね」という内容だった(笑)。
 もうそんなになるんかあ。テンポイントの顔をパソコンのアイコンに使ってるほど競馬はずっと見てきたしちょこちょこ馬券も買ってたけど、今年はほとんどレースも見てないし、2歳馬なんか名前も知らないというていたらく。で、あわててセッティングをして、昨日の四国新聞に今日のマイルチャンピオンシップの出走表が出てたのを引っ張り出して、「G1はとりあえずG1実績じゃ」という私のスタイルで、近走のG1実績(古馬G1実績のみ)の上位からデュランダル、ファインモーション、テレグノシスにわけのわからん外国馬を混ぜてバラバラ買ったら、当たっちゃいました(笑)。すんません、勝った話で。
 今日は、こないだ先送りにした原稿2本を書き上げて送ったので、ドキドキしてた池田も山口も一安心。私もプチ油断モードに入って、ごっつい久しぶりに夜の9時頃、ロッキー改めGEOに行ってビデオとDVD合わせて4本も借りてきた。何かわからんけど去年の封切り中に「ヒマがあったら見に行くか…」と思ってたらごんが「そんなに大したことはないですけどね」とか言うたので見ないまま今日に至った「マイノリティ・リポート」と、ジャケットに「最後はめでたしめでたしで終わる」みたいなことを書いていたので借りた「チェンジング・レーン」(私はハッピーエンドが大好きだ)と、ビデオの棚からアンソニー・ホプキンスが「ワシここにおりまっせー」とか訴えてきたように思ったので取ってしまった「9デイズ」いうやつと、何か昔、飛行機のパニックみたいなやつでおもしろかったのがあって、何ヶ月か前にタマルで「あ、これか」と思って「エアフォース・ワン」を買って見たら私が見たいのと違うやつやって、ごんに「あれ、何か誰か有名なやつが飛行機に乗ろうとして、早々と落ちて死んで“あれ? こいつもう終わり?”とかいうやつ…」言うたら「それ、エグゼクティブ・デシジョン」と言われたのがあったのでそれ借りて、計4本。全部返却期限1週間なんで、ボチボチ見るか。今日は「23日中」の予定の原稿と資料作りが残ってるし。何と言っても原稿優先やし。まず仕事を片づけてこその余暇だし。
ごん「どれ見たんか言いなさい!」
団長「夜中の0時半から、チェンジング・レーン見た…」
2003年11月22日(土)

 業務完了。実は木曜日から今日まで、四国学院大学の推薦入試があって、私は面接試験の面接官を担当していたのである。ま、それだけですけど(本当はもう一つ極秘任務も)。
 夜、某メディアから讃岐うどんに関する取材を2時間にわたって受ける。最後に「これからの讃岐うどんの課題は何だと思いますか?」と尋ねられた。課題と言われても具体的な現場のことはよくわからないので、大きなかたまりとして「若い者の芽を摘まないことですかねえ」と答えた。
 讃岐うどん界全体として今やるべきことというか、できることは、例えば時間軸でMECEに分けると3つある。それは、
(1)過去の編纂
(2)現在のプロモーション
(3)未来へのアクション
の3つである。

 まず「過去の編纂」は、そんなにゆっくりやっていてはいけないと思う。せいぜい5年計画で一応の完成を見るくらいのプランだろう。なぜなら、過去の記憶はどんどん失われていくからである。記録ではない。急ぎ編纂すべきは記憶である。記憶は人の頭の中にある。端的に言えば、記憶を持つ人間が亡くなっていくから急がれるのである。
 具体的には、高齢者を中心に中高年以上の人たちに、数年計画で全県的な規模でうどんに関する記憶のインタビュー調査をすればいいと思う。アンケートではなく、対面の聞き取りである。うどん業界に携わる人はもちろん、それ以外の県民からも「客」としての記憶を集めるのである。重要なのは聞き取りの後。聞き取り調査の最大の欠点は「しゃべってくれた人の内容が事実でない場合がある」ということであるから、これの検証、すり合わせ、再調査、再取材が不可欠になる。その編集、編纂作業をやらないといけない。10年ほど前、私はある団体の年史の編纂に携わったことがあるのだが、かつて団体の重要な役割を担っていた方々数十人からのインタビューを集めたところ、事実関係があちこちでずれてくるのである。何とか再検証を繰り返して整合性を整えたが、ふと思い立ってその団体の歴史の中で関わってきた他団体、他社の当時の方に話を聞いてみたら、いろんな背景はいきさつの認識がまるで違っていたことも何度も経験した。記憶違いだけではなく、人は概して過去のことは自分の関わる部分を美化して話す傾向があることも原因である。
 ちなみに、インタビューによる過去の検証の時に前述の欠点を補う方法として有効なのは、アルバムの写真を見せてもらうことである。当たり前のことであるが、写真は人の話よりかなり事実を伝えてくれる。しかしこれも放っておくと失われていく。もしできるなら、香川県中の家にあるアルバムを見せてもらい、そこから数少ないかもしれないがうどんに関する人や物や場所(店)や事が写っているものをすべて、思い出とともにスキャンさせてもらって編纂する。それくらいのことには取り組んでいかないと、「讃岐うどんの歴史」の編纂としてはあまりに情緒的にすぎないと思う。

 次に「現在のプロモーション」については、メディアが店やコースを紹介したり、イベントが行われたり、交通や宿泊にうどんを組み込んだり、うどん関連の商品が開発されたりと、いろんなところでいろんなことが行われているので、これは基本的に今の民間に任せておけばいいと思うが、一つだけ挙げるとすれば「センスの良いもの」をやるべきだということである。今のブームは何度も言ってきたように「若者文化」がベースにある。県外からうどん巡りに来る人たちの圧倒的多くは若者であり、若者のライフスタイルを持った30代、40代の人たちである。人気うどん店の大将に聞くまでもなく、それまでうどん業界にとって難攻不落のターゲットであった「若い女性」までが讃岐うどんを楽しみ始め、そばやラーメンや洋食に比べて「ダサイ」とされてきたうどんが、ここへきて「おしゃれ」とまではいかないが「イケてる」という局面に入りつつあるのである。かつての讃岐うどんを知っている人なら、信じられない、奇跡的なイメージの転換が行われようとしているそんな時に、それを過去に引き戻すような「ダサイ」ことをやっては、たぶん客が引くと思うのである。かといって、パステルカラーの世界やハイセンスのデザインの世界でもない、そのあたりの微妙なセンスが重要になってくる。難しいように思えるかもしれないが、たぶんうどん業界でも若い人たちはそのセンスを持っているから、彼らの世代にプロモーションを任せるのが一番いいのではないかと思う。

 「未来へのアクション」は、分野ごと、項目ごと、案件ごとに数多くのテーマがあると思うが、要するに「若い世代を育てること」に集約されると思う。それは「若い世代のうどんの作り手」だけでなく、「うどんの客」も「うどんのプロモーター」もすべてである。何がどうあっても、結局私らは彼らより先に死ぬのであるから、否応なしに若い世代が20年後、30年後の讃岐うどんの世界を担っていくことになるのである。そしたら、今、彼らをつぶすなということである。若い世代を鍛えるのと叩くのは全く意味が違うのである。ここ数年、いろんなところで古い価値観の世代が若い世代の試みに対して「生産性のない苦言」を呈する場面を見聞きするが、それは讃岐うどんの世界を守り育てるのではなく、自分を守っているだけではないかと思う。百歩譲って自分を守るのは当然だとしても、自分を守るために他人を引きずり降ろすような動きはうどん業界にとってプラスになるとは思えないのである。

 帰りに某メディアの取材担当の人に「ぜひ若手を応援する企画を展開していってください」とお願いして、私は餃子を食いに行きました。誘われたけん。
2003年11月21日(金)

 今日は朝から大学で大事な行事に関する大事な業務が…
ごん「ええから言うてくださいよ!」
団長「大学行事は言うてええことと悪いことの区別がまだようわからんのや」
ごん「何ですか。私にだけでも言うてくださいよ」
団長「実はこういう行事があって…」
ごん「そんなん、みんな知ってますがな」
団長「ほんまかー! けど明日終わるから、終わってから言うことにする」
 そういうわけで大事な業務が朝から夕方まであったので、KSB「スーパーJチャンネル」のレギュラーはお休みしました。
 業務を終えて研究事務室に行ったら学生に「何か、だいぶ髪が伸びましたねえ」と言われた。何か小忙しくてたぶん3カ月近く髪を切りに行っていないのだが、ゆっくり切りに行く暇もない…と思いながら帰りに高速の入り口に向かってたら美容室が見えたので、飛び込みで店の前の駐車スペースに車を止める。車を降りて店を見たら、ガラス張りの店内は明らかに私に場違いなおしゃれなデザインで、動いているスタッフも若い女の人がいっぱい。一瞬「あかん!」と思ったが、すでに向こうからこっちを見られているのがわかったので、思い切って店に入った。
店員「いらっしゃいませー!」
団長「すんません、かまんのですか?」
店員「いいですよー」
 若い女性スタッフの明るい応対が、私の中に少しの安心感と、さらに大きな場違い感を沸き上がらせる。案内されてイスに座ったら、この店のリーダーらしい若い男性の美容師が付いてくれた。
男性「今日はどうなさいますか?」
団長「このまま、1カ月ぐらい前の状態にしてくれたら…」
男性「そうですねえ…」
 もみあげや襟足や分け方やいろいろと事情聴取を受けた後、最近の流行やいろんな説明をしてくれた。要約すると、どうも私の頭を若々しく、おしゃれな方向に持って行きたがっている様子。私は何がどう似合うかよくわからんし、とにかく今より短くなったらいいので、とりあえず「お任せします」と答えた。そしたら、シャンプーしてカットして髪を流して、ブロウをしながら彼が言った。
男性「もみあげは長めに残しました。襟足も髪の量を減らす程度で長めに残してあります。こっちの方が若々しくておしゃれですよ。本当は襟足がもっと伸びてきた方がかっこよくなりますよ。何というか、例えは悪いかもしれませんけど、イタリアのマフィアみたいにかっこよくなると思います」
 言うとくが、年末頃には私はマフィアだ(笑)。
2003年11月20日(木)

 今日は朝から大学で大事な行事に関する大事な業務を終えたあと、昼から大学で早急に解決しなければいけないある問題を早急に解決した。午後3時、ある注目される企業の役員の方の訪問を受ける。ある有名な企業の著名なトップの方からある重要な案件について「田尾さんに相談しろ」と言われたらしく、それを聞いて私はそんな方が私ごときのことを知っていてくれたことに恐縮しながら1時間少々会談をした。今日は固有名詞も案件も書けないことばかりだ。私も物書きにおいては半プロであるから、書けないことはちゃんと寸止めする。
ごん「あの、寸止めっちゅうのはギリギリまで打ち込んで紙一枚のところで止めるみたいな話でしょ? メチャメチャ手前で止めてる…というか、全然打ち込んでませんやん」
団長「大人の判断とはそういうものだ」
 その間、某氏からある案件の依頼があり、後日返事ということにして、帰りに学科事務室で某氏とある重要案件の打合せをした。
ごん「だから何のことかわかりませんって!」
団長「大人の判断!」
 そして、学科助手の真鍋に「最近日記に真鍋が出て来んがー」言うて帰った。
真鍋「なんで俺だけ実名なんですか!」
団長「ま、ちょっと打ち込んでみたというか」
真鍋「打ち込みすぎです!」
団長「血ィ出たか?」
ごん「頭割れてますよ」
 さてと、明日は朝から大学の大変重要な行事の大変な役割があるから、原稿2本残したまま寝よっと(もうええっちゅうに)。

<本日のお食事>
朝…家で朝食。
昼…清水屋でかけ大とエビ天。
夜…家で夕食。

<本日お会いした主な方々>
大学のいろんな方々、ある注目される企業の役員の方、真鍋。
2003年11月19日(水)

 日経新聞高松支局で、3時間半にわたってうどんブームの仕掛けの取材を受ける。終了後、四国経済産業局の勉強会で50人くらいを前に、2時間くらい、うどんブームの仕掛けをベースにした「素材のポテンシャル」についての講義をする。終了後、島根県のいろんな方(下記)をお迎えして、3時間半にわたって讃岐家の2階でうどんブームの仕掛けをベースに観光振興や地域振興のお話をする。もううどんばっかり(笑)。そのつど、「私はブームを仕掛けるつもりで『ゲリラうどん通ごっこ』や『恐るべきさぬきうどん』や「讃岐うどん王選手権」やいろんなものを始めたのではない」というお断りから入らないかんし。ただ、いずれも「人(読者)を動かす」ための戦略としては少なからず計算して始めたわけで、その情報加工の手法はかなり興味を持って聞いていただけたようです。タウン情報時代からすーっとやってきた「誰を、どうしたいのか」から入る企画の出発点や、決めた対象者(「誰を」)が動くために必要な素材のポテンシャルの見極め、最も有効な情報発信の手法など、結構体系はちゃんとまとめてあるのよ。実践用に。それと大学の講義用に。
 しかしこれらを他のものに使えるように体系づけてまとめるのは結構大変。何しろこれらの手法を総称した「情報加工学」(私の専攻分野)は私が勝手につけた名前で、従って参考文献が皆無。従って大学の私の研究室の書棚には情報誌が5冊と上村さんからもらったマンガが5冊と、掃除用のマイペットと雑巾しか入っていない。時間が余ったらここでゼロから「情報加工学」のテキストやマニュアルや事例分析を作っているのである。何とか今年度中に、2冊ぐらいのベース冊子に作り上げる計画。まじめにやってますやろ?
 ほな、明日から大学の重要行事。早急に解決しないといけない問題も出てきたし、明日中という原稿が3本もたまってるし、そのうち2本はもう間に合わない覚悟だし。ドキッとした人が3人いるはずだけど、そのうちの一人は何とか原稿上げますのでご安心下さい。山口と池田は、ドキッとしたまま待っててね(笑)、というか、数日間の猶予をちょうだい。お願い。
ごん「あんた、またこんなところで業務連絡しよんですか!」
団長「だって…」
ごん「だってやない!」

<本日のお食事>
朝…家で朝食。
昼…歓で定食。
夜…讃岐家でかけ、ちくわ天、なめこおろし冷や。

<本日お会いした主な方々>
佐藤さん(日経新聞大阪本社)、府川さん(日経新聞高松支局長)、四国経済産業局の皆さん数十人、森山さん(島根県自治研修所)、飯国さん(出雲市産業振興部)、田畑さん(出雲農林振興センター)、佐川さん(島根県広瀬土木事務所)、稲田さん(木次町役場)、讃岐家の大将。
2003年11月18日(火)

 朝、タウン情報全国ネット本部で用事を済ませた後、三省堂書店に行って重松清さんの本を買う。
ごん「わかりやすいなー、あんた」
団長「ほっといてくれ」
 昼から埼京線で武蔵浦和に向かう。今日は武蔵浦和の駅前(西口を出てすぐ)にできた「ラーメンアカデミー」のプレ・オープン。ここに盛の大将の「はまんど」が、初の県外進出店として出ているのである。招待券を持ってなかったのだが、昨日パロマスに「田尾さんやから招待券なかっても楽勝楽勝。顔パスで入れるがな」と太鼓判を押されていたし、念のためにと午前中に盛の大将に「招待券ないけど入れる?」と聞いたら「受付で“はまんどに招待されてます”言うたら入れると思いますよ」と言われたので入り口に行って言うたら、ガードマンみたいな人に止められてあーだこうだと詰問されて、ほとんど不審者扱いされたがな。
 店に行ったら、大将おりました。当たり前やけど。息子もおりました。店は息子がやるそうだが、大将も今月いっぱいはここに入ってるらしい。ダシにトラブルがあって今日はちょっと薄目に出てたらしいが、少々のことは私らみたいなレベルの客には大丈夫。何たってあの「はまんどらーめん」は根本的に他のラーメンと差別化できているのだから、あとは「好みの世界」やと思う。本日緊急の用事ができたため、夕方東京麺通団に再訪する計画をキャンセル、最終の飛行機もキャンセルして一つ早い便で高松に帰ってきました。重松さんの一冊、もう読んでしもた。空港からこないだ買うたパット・メセニーを聴きながら帰ったが、こちらはちょっと好みに合わなかった。もうちょっと初期の頃のやつを買うべきやったかなあ、私には。

<本日のお食事>
朝…抜き。
昼…はまんどで、はまんど。
夜…家で夕食。

<本日お会いした主な方々>
タウン情報全国ネット本部の皆さん。盛の大将、息子。
2003年11月17日(月)

 朝一番の飛行機で羽田に着き、京急に乗って10時前、タウン情報全国ネットの用事で小田原へ向かうために品川駅の新幹線のホームに立っていたら、見知らぬばあちゃんに声をかけられた。ばあちゃんは自分の持っている切符を見せて、少し不自由なゆっくりとした口調で私に言った。
ばあ「こだまの…これは…どこで…乗ったら…岐阜…羽島に……」
 切符を見せてもらうと、私と同じこだまの同じ12号車の指定席券を持っている。
団長「ああ、これはここでいいですよ。この後ね、一つ来るけどそれは違うから乗らないで、その次に来た分がそうやけんな」
おば「ああ…ここで…いいんですね…」
団長「僕も同じのに乗るから、来たら一緒に乗ってあげますから」
と言って、ホームのイスが空いていなかったので12号車の後ろ側の乗車位置の近くへ案内して、「ここに並んでたらいいですよ」と言って、私は少し離れたところに立って新幹線を待っていた。しばらくしたらひかりが入ってきて、人が降りて、乗って、出発して、乗車位置の近くにはばあちゃんが一人立っていた。その時、私はさっき見せてもらった切符をふと思い出して、12号車の座席番号が「1番」とか書いていたような気がしたので、もしそうだったら12号車の前側の乗車位置の方が近いと思って、ばあちゃんの所へ行ってもう一回切符を見せてもらって、「1番D」という番号を確認して
団長「ごめんごめん、これ、あっちから乗った方が近いから、あっち行きましょう」
と言って、ばあちゃんを案内して前側の乗車位置に移動して、一緒にこだまを待っていたら、ばあちゃんが話し始めたのである。
ばあ「こんな…広い場所…どこにあったんだろう…ねえ(このホームを新設した敷地のことを言っているらしい)。私はね…40年…50年東京にいるんだけど…」
と言いながら、身の上話をし始めたのである。聞くと、蒲田に住んでいて今日はこれから娘の嫁ぎ先の岐阜羽島へ行くらしい。蒲田にビルを持っているとか言っていた。
ばあ「おたくは…お仕事は…何をしているんですか?…」
団長「大学に行きよんですけど、四国の香川で」
ばあ「四国ですか!(驚いていたので感嘆符を打ったが、ゆっくり話されるので感嘆符をつけるほどの口調ではない・笑)」
団長「で、東京にも手伝いに来てる会社があるので時々。今日は小田原まで行くんですよ」
 話しているうちにこだまが入ってきたので乗り込んで、もう一回切符の確認をしてあげて1番D席を指して「ここですよ」と言って、ばあちゃんが座るのを見届けてから私は7番の席に向かった。そしたら、東京から乗ってきてここで合流することになっていたタウン情報全国ネット本部のスタッフが、ホームからここまでの一部始終を見ていたらしくて、合流するなり私に言った。
堀川「田尾さん、おばあちゃんナンパしちゃだめですよ!」
団長「ちゃうわい! 案内してあげてたんや」
大西「ホームでも親しそうに話してたじゃないですか。絶対ナンパしてるってみんなで言ってたんですよ」
団長「俺はどんな守備範囲じゃ!」
 わーわー言いながら、列車は小田原に着いた。席を立とうとしたら、前の1番Dの席(通路側)からあのばあちゃんが何度も後ろを見ている。私はその横を通り、ポンとばあちゃんの肩を叩いて「気ぃつけてな」と言ってホームに降りようとしたら、ばあちゃんがたどたどしい足取りで追いかけてきて、何か私に渡そうとする。手を見たら、千円札を握っていた。私は笑いながら「何をしよんな、いらんいらん」と言って手を振って、ドアが閉まった。
竹内「田尾さん、おばあちゃんに何をしたんですか!」
団長「だから案内してあげただけやって!」
大西「案内したぐらいで追いかけて来てお金を渡そうとしたりしませんよ」
団長「何もしてないって!」
 ばあちゃん、そんなに喜んでくれたのか? そんなに親切にされたことがないんか? 千円札を出そうとしたばあちゃんの行動に何かすごくいろんなことが想像されて、ちょっとジンと来たのである。

 この日はもう一つ出来事が。小田原から帰ってホテルでちょっと仕事をして、用事があったので夜の9時半頃、東京麺通団へ行った。パロマスや八木さんや長沢くんと話してたら店に電話がかかってきて、パロマスが取ったら、勝谷さんからだった。さっきまで店にいたらしいが、パロマスが「田尾さん来てるで」と言ったら勝谷さんが「奥の席にさっきまで私といたグループがいるはずだけど、田尾さんをその人たちに会わせてくれ」とか言ったらしい。パロマスに連れられて奥の席に行ったら6、7人のグループがいた。パロマスの紹介で名刺交換をしていたら、『小説宝石』と『女性自身』の編集者の中に混じって、何と、直木賞作家の重松清さんがいたのである。
宝石「田尾さん、こちら作家の重松清さんです」
団長「あ、どうも、お世話になっています。いや、初対面なんでまだお世話になってないか…」
重松「あっはっは、さっそく小ネタを挟むんですね(笑)。日記はいつも見てます」
団長「えー?! メチャメチャ恥ずかしいですやん! もう更新せんとかないかん(笑)」
 何やら打ち合わせ中とお見受けしたのですぐに退散したのだが、有名な方に知っていただいているとは、まことに恐縮するばかりです。お会いした印象は、何というか、重厚な松のような存在感があって清々しいという感じ。
ごん「名前の漢字を言うてるだけですやん!」

 それにしても東京麺通団、どんどんすごいことになっています。夜の9時半に、行列ができていました。もう1週間以上、ずーっとこんな状態らしい。しょうゆうどんを食った。都会風に洗練されずに、粗雑に見えるようで勢いのある、我々が持って行きたかった製麺所型の田舎麺が、いい感じで出てます。後は好みとタイミング(笑)の問題だと思います。みなさん、ありがとうございます。

<本日お会いした主な方々>
タウン情報全国ネット本部の皆さん。八木さん、パロマス、長沢くん(以上東京麺通団)、重松清様(勝谷さんの日記にも書いていたので、ここに載せてもオッケーですよね)、『小説宝石』『週刊女性』の編集の皆さま。

<本日のお食事>
朝…丸山でかけ大とエビ天。
昼…小田原で寿司とか。
夜…東京麺通団でしょうゆ小とちくわ天
2003年11月16日(日)

 ごんを連れて11時半頃、本日の「田尾教授の芸術わからん講座」の会場であるACTへ行ったらまだ開いてなかったので、時間つぶしにヤマハへ行って、パット・メセニーとマイケル・ジャクソンのCD買うてしもたがな(どんな取り合わせや)。2時から講座、やってきました。芸術なんて全く語れないので、罪滅ぼしに「THEかがわ」用に発見した小ネタ物件2件を発表してきました。
ごん「いきなり翌日バラしてますやん!」
団長「ま、講座に来た15人にしか知られてないし」
 私とごんと人形作家の後藤さんがさらし者になるという本日の講座は長くても1時間半の予定だったのに、2時間もしゃべってきました。参加者の感想の中に「長い」というのが2枚(笑)。申し訳ございません。内容はここに再現するととんでもなく長くなるので乱暴に抜粋すると、
(1)芸術(絵画や彫刻や書や…)家は、作品ごとに「何をやっているのか」をもったいつけずに、ちょっとでいいから初歩から説明してくれんのだろうか。
(2)芸術を紹介する媒体や人は、作品ごとにでもジャンルごとにでも作家ごとにでもいいから、「これはどういうことなのか」「何をやっているのか」みたいなことを、芸術なんかに興味のない人に対してもうちょっと説明してくれんのだろうか。
(3)芸術家は何を求めているのか。お金か、名声か、自己満足か。私が「芸術家にお金が回るためにはどうしたらいいか」「美術館やギャラリーに人がもっと集まるようにするにはどうしたらいいか」とか考えるのは、芸術家にとっては余計なお世話なのか。
みたいなことを合わせたら30分ぐらい話し合って、正味1時間半分ぐらいはヨタ話(新ネタ満載)をしたという講座でした。かなり笑っていただけました(笑)。よかったよかった。
ごん「ほんまによかったんですか?」
 さてと、明日、明後日は東京。その間にやらないかんこと、山積み。今週中(今日の日曜日中)に片づけるはずだった案件のうち、あと原稿2本と提出書類2本残っとる。あと3時間で月曜日になる。どうしよう。

<本日お会いした主な方々>
大西さん、榊さん(以上ACT)、ごん、後藤朝子さん(人形作家)、佐伯、中井さん(FM香川)、小河さん(県職員)、別府君、他。

<本日のお食事>
朝…抜き。
昼…古川でかけそばとミニかき揚げ丼のセット。
夜…家で夕食。
2003年11月15日(土)

 昼前から県の広報「THEかがわ」のロケに行ったのだが(あの小ネタ集の連載ね)、いや、今回は想像をはるかに超えるすごいものを発見してしまった。あんなものが見られるとは思いませんでした。でも言わない。掲載前にネタをバラすわけにはいかないので。発表は12月末頃配布される1月号である。さらにもう一つ、某小ネタおば…いや、ねえさんからの情報でチェックしに行った1件も感動ものの物件。これは動画でないと伝わりにくいネタなので掲載はボツになるかもしれないが、もしボツになったらここで明かします。こちらもかなりの、おおっ!とか言うシロモノです。
 さて、今晩は私が旨いものをおごってもらう日であった。何のことかというと、4年前から私と都村さん(ご隠居)、安藤(麺通団知将A藤)の3人でトトカルチョをしているのだ。私は33年来の阪神ファン、都村さんは中日戦を見るためにCSに加入したというくらいの中日ファン、安藤はベタベタの巨人ファンということで、シーズン終了後、この3チームの順位が一番下のやつが一番上のやつにうまいもんをおごる(2着は自腹)というのをやっているのである。うまいもんと言ったって、そんじょそこらのうまいもんでは納得しないというとんでもないグルメが1名入っているから(ま、都村さんやけど)、店選びは大変である。
 過去の戦績は、
2000年…(おごられ役)安藤・巨人・1位
  (自腹)   都村・中日・2位
  (おごり役) 田尾・阪神・6位

2001年…(おごられ役)安藤・巨人・2位
  (自腹)   田尾・阪神・6位(屈辱の「ハンデあげましょうか?」に乗ってしまった)
  (おごり役) 都村・中日・5位

2002年…(おごられ役)安藤・巨人・1位
  (自腹)   都村・中日・3位
  (おごり役) 田尾・阪神・4位

 とにかく過去3回、安藤は全部タダメシを食っているわけだ。安藤曰く、「田尾さんがおるから最悪でも自腹で済むけんな」という失礼極まりない仕打ちに、私はずっと遭ってきたわけである。それが今年、

2002年…(おごられ役)田尾・阪神・1位
  (自腹)   都村・中日・2位
  (おごり役) 安藤・巨人・3位

という奇跡が起こったのである。
安藤「何で僕が田尾さんにおごらないかんのや。こんな日は絶対来んと思いよったのに。もし来てもその時は3人のうちの誰かが死んどって、トトカルチョ自体が成立せんと思いよったのに」
都村「だから言ってたでしょ。20年ぐらいに1回は、誰も説明できんようなことが起こるって」
 満を持して私がおごってもらう店を選定したその場所は、わっはっは! この秋屋島にオープンした完全会員制、完全予約制、昼と夜各一組しか受けないという超絶の大人の隠れ家、MENTERIE(マントゥール)である。実は私は縁あって、マスターから特別に会員として認めてもらったのだ。まあしかしわかりにくい場所にある。ところがですね、店はもう完璧な空間と言っても過言ではない。酒類はウイスキーとカクテルが主だと思うけど(私は酒はド素人なので表現に期待してはいけない)、すごいものが並んでいる(ほんまに表現力がないな)。ちょっとずつ何回も出てくる料理は、これまた見たこともないものばかりがとんでもなくうまい。若い頃からうまいものを食い過ぎてとうとう痛風が出てしまった都村さん(笑・いや、笑い事でないくらい痛いらしい)が「今までの中では一番いい」と言っただけで、そのレベルがわかろうというもの。
ごん「今まではどこへ行ったんですか?」
団長「そら書けんやろ(笑)」
 残念ながら、マスコミの取材には応じてくれません。一見さんも入れてくれません。どうしても行きたかったら、会員と一緒に行くしかありません。この話したらごんが「連れて行け」とうるさいので、どこかでセッティングするかな? たぶん20人ぐらいまでは入れるから、ちょっと集めますか。

<本日お会いした主な方々>
カメラマンの高橋さん、くみちゃん、編集者Y口、福田社長、都村さん、安藤、マントゥールのマスター夫妻。

<本日のお食事>
朝…食パン1枚。
昼…空港グランドホテルのレストランでショウガ焼き定食。
夜…マントゥールでごっつうまいもんを次々に。
2003年11月14日(金)

 9:30より、大学に琴平高校1年生30人を招いて模擬授業。しゃべり始めて30分ぐらい経った頃、
私「……とかいう、まあ君ら高校3年生半分ぐらいは理解できるやろ…え? 高校3年違うんか? 1年〜?!」
という事件があったが、ま、今日は持ち講義の「アイデア開発論」であったからすぐに修正が利いた。
ごん「あんたほんまに学習しまへんな!」
 引率の先生に「すごくおもしろかった」と言われました。ということは、やっぱり高校1年には厳しかったかもしれん。生徒の顔を見ながらしゃべってたら、半分ぐらいはかなり着いてきてたように見えたけど、ま、ええか。続いて11:10からは大学の「讃岐文化論」の講義。働いてますやろ?
 授業終わって学科事務室へ行ったら中尾店長、堀川、門脇の女子学生3人が弁当食ってた。
中尾「田尾さんなあ、うちら就職する時、紹介してくれるん?」
私「今のままでは推薦できん。紹介した会社に失礼じゃ」
中尾「あー、昨日うちら講義に出んかったから怒ってるんや」
堀川「絶対そうや」
私「ちゃうわい」
堀川「田尾さん、昨日の授業のビデオとかないん」
私「そんなもんないわ。何でや」
堀川「何か出た子らがおもっしょかった言うてたから」
門脇「田尾さん何でいつも黒い服着とん?」
私「色の服、よう合わさんのや。ほっといてくれ」
 私の使命は、4年までにこいつらを推薦できるようにすることだ(笑&ため息)。
 帰りに、定期を落として貧乏中というもう一人の堀川(男)が高松の円座まで帰るというので乗せて帰ってやった。途中で長楽に寄ってうどんもおごってやって。夕方KSBに出て、夜、いろんな書き物をして就寝。明後日芸術を語らないかんというのに、まだ準備できてないがな。

<本日お会いした主な方々>
琴平高校1年生30人、学生たくさん、多賀さん、本庄さん、畑嶋さん、田島さん他(以上KSB)。

<本日のお食事>
朝…家で朝食
昼…長楽で大とかき揚げ、タコ天
夜…家で夕食
2003年11月13日(木)

 本日3コマ目はカルチュラル・マネジメント学科の「プラクティカム入門&ワークショップ」の授業。メイン担当は私と漆原先生で、漆原先生の専門であるスポーツマネジメントをテーマに、先日香川で開催された「スポレク」を題材にして1時間半の授業をやった。その中で、ちょっと10代の子の意識を知りたくて32人の学生(18歳・19歳)に採ったアンケートの一部の結果がこれ。

(1)スポレクのキャッチフレーズである「うどんツルツル! スポーツスルスル!!」は、イケていると思いますか?
・イケている… 2人
・まあ普通だ…21人
・イケてない… 9人

(2)スポレクのキャラクターである「オリピー」は、イケていると思いますか?
・イケている… 7人
・まあ普通だ…24人
・イケてない… 1人

(3)スポレクのテーマソングである「うどんロック」は、イケていると思いますか?
・イケている… 0人
・まあ普通だ… 0人
・イケてない…32人

 現物を知らない人には何のことだかわからないと思うが、私は詳しくコメントしない(笑)。ちなみに神野先生が「Udo'n Rock」というタイトルの「o」と「n」の間にあるアポストロフィについて、「ふつう何かを略する時にあれ使うやろ? でもこれ、ついてなくてもそのまま“うどん”のつづりやん。あのアポストロフィ、一体何を略してんねん」と突っ込んでいました(笑)。「クリスマスを“X'mas”と書くのもおかしい。“x”はそれだけでキリストのことなんやから、何も略してないんや。クリスマスを“X”の後にアポストロフィ入れて書くの、たぶん日本だけやで」だって。
 夜はモダンジャズ屋「アップタウン」で久しぶりのライブ。家から歩いてアップタウンに向かっていたら(25分ぐらいかかるが、良い運動になるし)、自転車で向こうからやってくる佐伯に出くわした。佐伯は私が前職のタウン誌にいた時の手下で、私の次の二代目編集長をした後、情報企画関連の事業部長をやって、去年の9月頃退職をして現在は企画会社を立ち上げて(立ち上がってるかどうか知らんが・笑)何やかややっている。
 私がタウン誌の編集長を10年くらい務めた確か36歳の時、10代、20代の若者文化(意識やライフスタイル)との間にちょっとズレを感じ始めて、これは手遅れになる前に早期発見段階で若いもんに編集長を譲らないかんということで、いやがる佐伯を二代目編集長に任命して(佐伯は当時確か20代後半)、私はタウン誌ではなく情報産業としての事業展開に取り組むことにしたのであるが、たぶん佐伯はそれからムチャクチャ研究したのだと思う。それまでの私の趣味がかなり出た「2Wayコミュニケーション」テイストのタウン誌から、「グルメ」「レジャー」「ファッション」の3本を柱とした今の情報誌の主流スタイルに転換して定着させたのは佐伯である。詳しく書くと長編になってしまうので書かないが、TJ Kagawaはあそこで、それまでの私の“職人技”の田舎タウン誌から“王道情報誌”に飛躍を始めたと言っても過言ではない(おかげで私がうどんを展開することができたとも言える)。
 その佐伯と暗い道ばたで20分近く立ち話をして、アップタウンに行った。実は2週間ほど前にマスターから「今度は聴いとった方がええぞ」とか言われてて、でも誰が来るのか聞いてなかったのであるが、行ってみたら高橋知己さんじゃないですか。他称“日本のコルトレーン”、日本で最も讃岐うどん好きのジャズサックス奏者(笑)。ベースが嶋友行さん、ドラムが小松伸之さん。どっちも東京のジャズ屋で聴いたことがある。でも、ピアノが清水くるみ…知らない女の人だ。
 実は私は東京の某ジャズ屋でピアノの女の人が気分ばかり先行して撫でるようなピアノを弾くのを聴いてがっかりしたことが何回もあって(ま、好みの問題でしょうけど)、女性のジャズピアノにはちょっと引いてしまうところがあった。しかも今日はサックスが高橋さん。高橋さんのブリバリのサックスの後ろで“撫で”られたらいかんやろ…と、ちょっと心配していたのである。そしたらあーた、演奏が始まってひっくり返りました!
牛乳「あの席、背中が壁やからひっくり返れんはずやで」
団長「あ、すんません。ひっくり返ってません」
 もう、指が立つようなすごいピアノの音! 大喝采でした。申し訳ございませんでした。清水くるみさん。ムチャクチャファンになりました。CDも買いました(笑)。
 もう一つ頭に残ったのは、2ステージ目の最初にちょっとテイストの変わった演奏をした後、横にいた牛乳屋さんがボソッと言った「何をすんねん…」の一言。同時にマスターがボソッと「ごっついことやりよったな」。ええなあ、何か私にわからんことがわかってるんやろなあ。

<本日お会いした主な方々>
漆原先生、神野先生、山本先生、真鍋助手(以上四国学院大学)、アップタウンのマスター、ねえちゃん、牛乳屋さん、なおちゃん姉妹、八木、大西、馬の助(以上アップタウンの人と常連客)、高橋知己さん、清水くるみさん、嶋友行さん、小松伸之さん(以上ジャズミュージシャン)、佐伯。

<本日のお食事>
朝…抜き
昼…「丸幸」であつあつ大とエビ天、ゲソ天
夜…家で夕食
2003年11月12日(水)

 朝から大学で推薦入試のチェックやら教授会やら講義準備やら。途中でちょっと抜けてなかむらでうどん食って、そこでRNCラジオの収録。夜は武林さんと山梨さんと3人で事業のミーティングをした後、寿司をおごってもらった。この前いつ食べたか記憶にないほど久しぶりの「回らない寿司」だ(笑)。ビジネスから政治、教育問題、果ては日本の伝統文化にまで及ぶおっさんの、いや大人の議論で夜10時半まで。いやー、最前線で戦うおっさんはヘタな若者より断然熱いぞ(笑)。今日は仕事いっぱいにつき、以上。

<本日お会いした主な方々>
橋本先生、山本先生、伊藤先生、ベドロー先生、真鍋助手(以上四国学院大学)、熊谷富由美アナ、チャリ(以上RNC)、武林さん(セントレディス社長)、山梨さん(ケイズコーポレーション社長)

<本日のお食事>
朝…家で朝食
昼…なかむらでかけ小、エビ天、しょうゆ小
夜…回らない寿司、悪いけど(笑)
2003年11月11日(火)

 株式会社ベンチャーリンクの方々の訪問を受け、うどんのリンクビジネスに関する取材というか聞き取りにお答えした。ここ数年の間に受けたうどんに関する取材の中でたぶん初めて、ビジネスのことを理解した方からの取材である。すごく簡単に象徴的に言えば、「店(会社)が黒字になれば倒産しない」というのが間違いであることを知っている人たちである。
 会話の中で同社のwebマガジン「FOOD21」の編集長の小野さんが「東京麺通団」へ行った感想を、居心地とか空気の緩やかさみたいな表現で話してくれた。あの店について、麺やダシやオプションといった単体のコンテンツより「緩やかさ」を一番に語ってくれたのは、こないだ発売された『週刊アスキー』のマンガに続いて2人目(わずか)です(笑)。東京といういろんな制約の中であちこちに妥協のある店ではありますが、1回行っただけでそこに気がついてくれるとはさすが(アスキーのマンガ描いてくれた人も)。店のスタッフたちはすでにひしひしと感じていますが、東京麺通団、近隣のおばちゃんとか高校生とかサラリーマンとか、オカマのおねえさん(おにいさんか)とかいろんな分野の親分さんとか、パロマスの言う「一番大事にしたい地域の人たち」に“居場所”としての心地よさが伝わりつつあるようで、“製麺所型の形”より“製麺所型の居場所”を持って行ったつもりの我々にとってはとてもうれしい限りです。もちろん少し遠くからわざわざ来ていただいているうどんファンの方々とか香川出身の方々とかにも、とても感謝しています。黒字でも倒産する危険があるけど(笑)、ご批判もちょっとずつ改善しながらやっていきますので。
 さてと、今日は羽田発16:20の飛行機で帰高。満席だった(高松発の朝のJAS便は最近、7:40発は空席があるけど次の8:40発は満席続きです)。後ろの方の席だったので機内の通路を歩いて席に向かっていたら、席に座っていたおばちゃん軍団の中から「田尾さんや。あのうどんの…」という声が。今まで機内で視線を浴びたことは何度もあるが、おばちゃんは声に出すんよなあ(笑)。

<本日お会いした主な方々>
タウン情報全国ネット本部の皆さん、ベンチャーリンク佐々木さん、木戸岡さん、中村さん、小野編集長、他。

<本日のお食事>
朝…ネット本部の近くの喫茶でモーニングセット
昼…ネット本部近くのうどん店「丸香」でかけうどん
夜…家で夕食
2003年11月10日(月)

 世のほんまに忙しい人のスケジュールに比べたら大したことはないんだろうけど、何はともあれ今週開始。
 高松7:40発の飛行機で羽田に。機中はちょっと原稿にかかる気分でなかったので文庫を少々。浅井信雄の『民族世界地図』という本である。これ、こないだ読んだ曾野綾子の『アラブのこころ』のいわば“チェーン・リーディング”というか、そんな言い方しないのか。読後の感想は「『ゴルゴ13』をもっかい読み返すか…」という、そんな感想を持つやつがいるとは浅井信雄も予想がつかなかっただろう。10:00にタウン情報全国ネット本部着。小池と役員会の準備をして、12:00に役員会場へ。13:00から17:00まで、タウン情報全国ネットの役員会の進行。本日の出席者は仙台の今野社長、松山の佐藤社長、大分の早水社長(社長でなかったっけ)、富山の山下社長。17:30から本部スタッフも交えて懇親会。21:00に角川書店へ行って、『東京ウォーカー』のうどん特集みたいなんの取材受けでうどんのサイトで知られる蓮見さんと対談。そこから東京麺通団に行くつもりだったけど書き物が残っていたので22:30にホテルに帰って2:00までパソコンに向かって、力尽きて寝た。
 タウン情報のビジネスは、というか情報のコンテンツホルダー側のビジネスは今、力技の時代は終焉を告げて、知恵を出さないと活路を見いだせないという局面に入っている。情報の「量」を持っていてもビジネスにならない、まさに「情報加工」の技術とセンスの有無が事業(というより会社自体)の生死に関わるほどに重要になっている。「そんなの、どこの業界でも同じだろう」と言うかもしれないが、コンテンツホルダービジネス(特にグルメ、レジャー系を中心としたデジタルコンテンツのデータベースビジネス)はついこの間まで(たぶん4〜5年前からつい去年あたりまで)、突然「量がビジネスになる時代」を迎え、突然「量がビジネスにならない時代」に突入したからあえて言うのである。あまりに急速な変化であったから、情報加工をやってこなかったところ、付加価値のある情報の何たるかを判断できないところが、新しい戦略を打ち出せないままに迷路に入って疲弊しつつある(低迷の理由を未だに景気のせいにするという、局面が変わったことに気づいてさえいないようなところもある)。タウン情報全国ネットのビジネスマンたちの集まる場は、情報産業の中の「ローカルコンテンツビジネス」の最先端の現場であるから、情報加工学(私が勝手につけた名称であるが)専攻の教授としては情報加工の技術がいかなる付加価値を生み出していかなる成果を挙げるか、また挙げないか、まさにダイナミックな実践の現場でもあるのである。何か最近、日記のテイストが変わってきたなあ。たまに織り込む小ネタが浮いてるもん(笑)。ま、いいか。もともと「素人の悪ノリが過ぎた悪文(いしかわじゅん氏がご指摘下さったそうです)」だもの(笑)。
 蓮見さんとの対談、ウォーカーの設定は「今年の東京の讃岐うどん」について…みたいなことだったが、私は最初辞退したんです。「東京の讃岐うどんはあまり食べ歩いてないので、どこがどうと聞かれても答えられなくて申し訳ない」ということと「東京麺通団があるから非常に答えにくい」という理由で。とりあえず行って知ってるところだけを対象に感想をしゃべってきましたけど、知らない店の方々には申し訳ありません。東京のうどんは蓮見さんがぶっちぎり詳しい。お任せです(笑)。

<本日お会いした主な方々(復活)>
タウン情報全国ネット本部の皆さん、プレスアート(せんだいタウン情報)今野社長、SPC(タウン情報まつやま)佐藤社長、おおいたインフォーメーションハウス(シティ情報おおいた)早水さん、CAP(タウン情報とやま)山下社長、オールアバウト蓮見さん、東京ウォーカー大島さん、ライター安本さん他。

<本日のお食事(復活)>
朝…抜き
昼…抜き
夜…懇親会場の神田の「松竹梅」でいろんなもの
2003年11月9日(日)

 午後7時50分、締め切りぎりぎりの時間に紫雲中学体育館に投票に行って、「これ、もし7時59分に1000人ぐらいが投票に行ったら、どこで切られるんやろ…」とか言いながら帰ってきました。関連して、昨日のうどん学会からの帰りの車中での、ごんと私の会話。
団長「比例代表ってな、政党名を書くやん」
ごん「書きますわな」
団長「あれ、言うてみたら、どの政党を指示するかいうことやろ?」
ごん「そうですわな」
団長「それで、得票数に応じて当選人数が配分されるやん」
ごん「ドント方式とかいうやつでね」
団長「寒い順に1コずつ渡されて…」
ごん「そうそう、これがもまずに暖まるから便利で便利で…そら金鳥どんとやっちゅうねん!」
団長「アホな話について行けんから先に進めるよ」
ごん「あんたが振ったんや!」
団長「あれ、私ら政党を支持して1票入れたんやから、例えば政党が10議席分の票を獲得したら、別に名簿から10人の議員を当選させんでも、政党に10議席分の議決権をあげるだけでええんちゃうか?」
ごん「はあ?」
団長「議決権だけを政党に配分して、それの行使の仕方は政党に任す。各政党で協議して、代表(党首)が国会で議決の時に、株主総会で言うたら委任状を持ってるのと同じように行使する」
ごん「それ、目的は何なんですか?」
団長「政党(の政策)を支持したのに個人が議員になるという投票動機と成果物のズレが修正できる。小選挙区で落ちたのに比例代表で拾われるという理不尽なことがなくなる。議員の数が減る。以上。比例代表で議員になるやつの数は衆議院で180人、参議院で100人やから、いっぺんに280人減るぞ」
ごん「それ、党首が一人で議決権を何十も持ったら、権力が集中しません?」
団長「それはお前、党内部のことやから党でよく議論して議決権の行使方法を決めたらええないか。それでゴタゴタするようだったら、次の選挙の時に党の支持が減って議決権が減るだけやん」
ごん「そらまあそうかもしれんですけどねえ」
団長「議員が減るぶん、政策研究に有能なスタッフを抱えたり委託したりできるし」
 何やああでもない、こうでもないと話してたらごんのマンションに着いたので、とりあえず「俺ら、麺通団と思えん議論しよるなあ」ということで会話は終わったのだが、「頭数」の役割しか果たしてない国会議員がたくさんいるのなら、そんなんでええんちゃうかなあ…とか思ったりしてたわけです。
 さてと、今週は発狂的なスケジュールが控えている。次の日曜日までの1週間に、大学の講義が3本、会議が3本、取材受けが4本、会食が2件、イベント出演が1件、テレビ出演1本、原稿締切3本、提出書類作成3件、この上に処理しないといけない案件が10本以上…どうする?これ。…と言って、暗に日記を休んだ時の言い訳を先にしておく私。
2003年11月8日(土)

 午前8時、ごんを誘って「日本うどん学会全国大会」の準備を手伝いに善通寺へ向かう。
 実は朝、丸山でうどんを食ってからごんを拾って…と思っていたのだが、朝7時45分に丸山の前を通りかかったらすでに駐車場がいっぱいで(といっても3台しか入らんのやけど)さらに2台が駐車場待ちらしき待機をしていたので、そのまま通過してごんのマンションに行ったのである。だからもう朝から“うどんの口”になってて、我々は善通寺へ行く前にがもうへ突撃することにした。
団長「問題は、こんな早よから行ってがもうが開いてるかどうかや」
ごん「何時から開いとんですか?」
団長「知らん」
ごん「あんた団長でしょう!」
団長「たぶん8時半か9時頃やろ」
ごん「ま、でも開いてなくてもちょっと待ってたら大丈夫ですよね」
団長「開いてなくても中へ入って“あー、腹が減った団長だが”とか言うて待ってたらね」
ごん「脅迫してますがな!」
 我々は浜街道を通って北側から、五色台病院側からがもうに近づいた。そしたらあーた、向こうに見えるがもうは店頭のランプが回って車がすでに20台ぐらい集結しとるやないの。
団長「何があったんや! こんな田んぼの中のうどん屋にこんな早よから客が来て。うどんが何かブームになっとんか?」
ごん「はいはい、突っ込みにくいボケはもうええですから」
 行ったら別府君まで来てました。

 さて、本日は12時から日本うどん学会の理事会と総会。久しぶりに勝谷さんも来て(理事なので)建設的な意見が交換された後、1時半から一般聴衆を会場に入れて発表プログラムに入った。会場は「善通寺偕行社」という重要文化財の建物の中で、ここを修復再活用しようという運動をしている日本建築学会の有志の皆さんの計らいで、なかなか趣のある怪しい(笑)会場での開催となった。ま、建築科の多田さんに「田尾さん、ここで何かやってよ」と頼まれて私がうどん学会の会長の三宅先生に話を持っていったといういきさつなんだけど。この日、何たって学会であるから一般聴衆はほとんど来ないのでは…と覚悟していたのだが、フタを開ければ客席に100人はいたような気がする(ちなみに最後のうどんふるまいタイムでは250食ぐらい出たから、関係者を含めて200人ぐらいいたかもしれない)。
 プログラムは、まずは福田社長の基調講演から。最初はハラハラしたけど(笑)中盤から技術の話になったらさすが本職、「そこまでしゃべってええのか!」というような科学的なる製麺の秘密を披露し始めて、「87へえ」ぐらいの内容でまずまずのスタートを切った。続いて研究発表に入る。三宅先生が消費者行動調査のデータを発表した後、一般から会員になって発表を希望してきたという崎さんの番になった。タイトルは「うどんツアー社の軌跡」。
 実は崎さんは「恐るべきさぬきうどん」でうどんにハマって、私がタウン情報にいた頃にも何やらマニアックなレポートを送ってきたりしていた人物なのだが、何しろこんな聴衆の前で、しかも学会であるから大学教授や権威のある方々がいっぱいいる前での研究発表など初めてに違いないし…。私は「あがってしどろもどろにならないか…」とか「何かアブナイ発表にならないか…」とか、メチャメチャ心配していたのである。そしたらあーた、あの人、ほとんど講談師です(笑)。ムチャクチャおもろい! 口調といい、表情といい、次々繰り出す小ネタといい、私、涙を流して笑いました。「学会って、こんなのでいいのか!」と心配になるぐらい笑いました。いや、世の学会というものがどんなものか知らないのでほんとうにいいのか…とちょっと心配していたら、次なる研究発表者、東雲女子短期大学の森貞教授の「うどんとその効用」の発表。腹筋吊るぐらい笑いました。
ごん「お笑いの会ですか!」
団長「俺、講演と研究発表が絶対真面目やから、最後のシンポジウムで俺と勝谷さんで何とか会場を笑わさないかんと思ってたんや。それがまるで逆の展開で来たから、俺ら、真面目な話で締めなあかん思ってネタ繰り直したがな(笑)」
 シンポジウムは私と勝谷さんも入って、ウケも狙わずガチンコの話をしてきました。みんな一人で2時間でも3時間でもしゃべれるメンバーだけど、一人3〜5分ずつ、テーマ別に4回発言が回って来るという制約の中で。どうでしたか、みんなかなり楽しんでいただけたのではないかと。うどんふるまいタイムもおなじみ宮武讃岐製麺所の宮谷さんが手下を連れて手打ちのゆでたてをどんどん出して、相当うまいのが出ましたし。
<本日の主なご来場者>
偉い人組…勝谷さん、宮下市長(善通寺市長)、岡田さん(東大名誉教授・日本建築防災協会理事長)、菅組の社長、日本建築学会の皆さん、末吉先生(四国学院大学学長)、神野先生(四国学院大学)、その他いろんな大学の先生、他。
偉くない人組…ごん、長谷川君、別府君、麺聖、盛の大将、佐藤さん(さぬき市)他。
2003年11月7日(金)

 昼過ぎ、大学の研究室に上村さん(同じ学科の教授)とアムロンの宮本さんが尋ねてきて、ひとしきり「市場調査談義」をしました。その中のネタの一つがこれ。こないだ講義に使うために調べてて私が発見したデータである。興味のある人は、「香川県観光協会」のHPのトップページの上のバーにある「観光客動態調査」から入って、「観光客数推移グラフを見る」と「主要観光地客数推移表を見る」のデータを見ながら読んでください。
 まず、観光客数推移グラフを見ると、瀬戸大橋が開通した昭和63年の県外からの観光客数が1035万人。そこからだんだん減って平成14年には県外からの入り込み客数738万人。なるほど、7掛けになったのか。
 次に、主要観光地客数推移表を見ると、同じく昭和63年から平成14年にかけて、栗林公園は客数が4分の1に、屋島も4分の1に、琴平は半分に、小豆島は橋の影響がほとんどなかったこともあって8掛け強に。そしてこの4カ所の合計では昭和63年の約半分にまで減った、と。なるほど。
 以上でデータのページは終わりである。というか、え? 終わり? 分析はないの?
 このデータはいろんなところで(新聞とかシンポジウムとか懇談会とか)発表されて、そのつど「観光客が減っている」「屋島と栗林公園の客数が激減している」「何とか復活させなければ」という論評を聞いたが、それはデータの分析でも何でもなく、データの「紹介」である。では分析は?となると、私は聞いたことがないのである。このデータを持っておきながら、もったいないことおびただしい。
 なによりまず、総入り込み数(観光客数推移グラフ)と主要観光地客数のデータをなぜ別々にする。これを一緒にすると隠れていたメッセージが簡単に出てくるではないか。例えば総入り込み数と主要観光地4カ所の合計客数を並べてみる。数字を眺めていたのではわかりにくいからこれを折れ線グラフにしてみてください。昭和63年は総入り込み数1035万人、主要4カ所合計客数1088万人で、主要4カ所合計客数の方が上にいますわな(なぜ4カ所の合計が総入り込み数より多いのかというと、おそらく県外から来た1人が屋島と栗林公園に行ったら両方でカウントされて合計数が2人になるという計算になるのと、主要4カ所は県内客もカウントされているのではないかと思われる)。それがだんだん差が縮まって、4年後の平成4年にグラフの線が交差するではないですか。一体これが何を表しているのか。
 あのね、主要4カ所の合計が総入り込み数より少ないということは、「香川県に来たのに栗林公園も屋島も琴平も小豆島も行かずに帰る観光客が出てきた」ということですよ(正確にはグラフが交差する前から出ているはずだが)。それが平成14年の数字を見ると、総入り込み数738万人、4カ所の合計514万人。仮に4カ所合計が全員県外客だと甘々に見積もっても、その差224万人もが、香川に来て栗林公園も屋島も琴平も小豆島も行かずに帰ったのである。まさにその部分で何が起こっているのかを調べないと、せっかくのデータがほとんどゴミ箱行きなのである。
 グラフが交差した平成4年以降は讃岐うどん巡りブームと時期がピッタリ一致するから、香川に来てうどん屋を回ってそのまま帰るという県外客が増えたとも言えるし、もし高速道路で入ってきたら入り込み客としてカウントされるのなら、香川を通過している人が増えているのかもしれない。さらに、もしうどん巡り客の増加でこういうデータになっているのなら、彼らの動き方を調査するまでもなく、彼らは1日に何軒ものうどん屋を回ろうとしているのだから、そこに一カ所で1時間も2時間も時間を食う観光地を組み込ませようなどという戦略はたぶん的外れだということがわかる(だから私は「うどん巡りに組み込むなら“小ネタ”が最適である」と言っているのである)。こんなことは初歩的であるが、分析とはそういうことである。
 長くなったが、そういうデータや市場調査の“ほったらかし”について、あるいは「意識調査」みたいな情緒的な市場調査の前にやるべきベーシックで簡単なデータ調査の重要性について、1時間ぐらい話しました。だって、「香川ではうどん屋に押されてラーメン屋やそば屋は非常に少ない」とかよく言う人がいるけど、香川にラーメン屋が何軒あるかさえ、一般的に知られてないでしょ? 調べたらすぐに概数ぐらいわかるのに。そういや私がTJ Kagawaで「讃岐うどん全店制覇」を出した平成10年まで、うどん屋の数でさえ「3000軒ぐらい」とかいう実数の4倍もの数字が一人歩きしてたんだから。
 明日(今日か)11月8日は13:30から、善通寺市の偕行社(市民会館の裏)で第1回日本うどん学会がある。で、基調講演があって研究発表があって、14:30頃から(15:30になるかもしれない)のシンポジウムに、私と勝谷誠彦さんが出ます。終わったら会場でうどんを打ってみんなで食べます。けど入場料(講演、シンポジウム、うどん込みで)が2000円だったか、いりますのでよろしく。
2003年11月6日(木)

 朝起きて諸々の仕事をして、さてと、今日は1時から高松南高で「進路指導講話」なる講演であるから、昨日の晩にまとめた講演内容をちょっと確認して、念のために講演依頼書を見直して…私は愕然とした。
 普通、「進路指導講話」と聞いたら高校3年生ですわな。高校3年生が食いついてくる話となると、背伸びの度合いを換算すると大学でやってる講義を少し砕いて、もっとわかりやすい事例と小ネタを織り込みながら引っぱっていったらOKだろうということで、昨日の晩、まとめたわけである。そしたら講演依頼書に、こう書いてあった。
「対象者 本校1年生全員(約330名)、PTA本部役員、理事」
 い、い、いちねんせい〜?!
ごん「そんな基本的なことを確認してなかったんですか!」
団長「何か、ずっと忙しくて…」
 高校3年生は、高校生である。高校2年生も高校生であるが、高校1年生はそのメンタリティでカテゴライズすると、私の中では「中学生」なのである。あかん、中学生に私の「アイデア開発論」は、砕いてもかなり厳しいかもしれん。私、午前中をかけてあわてて作り直しました。
 しかし何がやりにくいと言って、中学校や高校でやる講演ほどやりにくいものはない。理由はただ一つ。会場に、生徒と親と先生が一緒に聞いているからである。概して、先生に評判のいい話は生徒に響かない。親に評判のいい話も生徒に響かない。そして、生徒に響く話は、親や先生がハラハラする。時にはクレームを付けることもあるらしい。しかも、聞かせる対象は生徒なのだが、講演の評価は先生や親がする。生徒に感想とかを書かせても、結局先生や親が評価する。どこの学校で話をしても、構造的にそうなっているのである。それを全部クリアできるような話(3者すべてに響く内容の話)を用意しようとするので、とても苦労するのである。冒頭から探りを入れながら、約1時間半しゃべってきた。講演の途中で、体育館の壁に貼られた講演タイトルの紙がはがれて落ちるというアクシデント(笑)があったが、ま、それも小ネタということで。
 講演後、今度は経済産業局へ。再来週、経済産業局の勉強会だったか研修だったかで2時間ぐらい話をすることになっているので、その事前打ち合わせに。一応「大学の用事によってドタキャンになる可能性もゼロではない」という合意の元の予定ですけど。すんませんねえ、こんなんばっかりで。
2003年11月5日(水)

 学科の研究事務室で講義準備をしていたら漆原先生が来て「田尾さんがホームページで書いてる日記を見た知り合いから“おもしろい日記がある”ってメールが来ましたよ」って。うわ、ここ視聴率20人ぐらいやと思とったら、21人やがな。
 個性派揃いのカルチュラル・マネジメント学科の教授陣にあって、スポーツマネジメントの第一人者の漆原先生は専門のダイエット学をひっさげて「特命リサーチ200X」や「あるある大辞典」や「2時ドキッ!」やいろんなテレビに出演しているさわやかなスポーツマン教授である。声はええし滑舌はええし腹は出てないし(笑)。で、その漆原先生が開発した脂肪燃焼促進のダイエット飲料「ビー・クォーター」が何やらすごいのである。こいつを飲んで15分経ったら脂肪燃焼準備完了。そこから運動をすると、通常の数倍の勢いで脂肪が燃焼して、まず体脂肪率が落ちてきて、引き続き体重も落ちるというシロモノである。話を聞いた時には「まあよくあるダイエット飲料か」と思っていたのだが、今年の初夏のある日、私はFM香川の中井さんから「うちのダンナが漆原先生のビー・クォーターで体脂肪率が10%落ちて体重が7キロ痩せた」と聞いてひっくり返ったのである。
牛乳屋「ほんまやな」
団長「すんません、ひっくり返ってません」
 中井さんのダンナは、私が「世の中で何があってもこの人が痩せるはずがない!」と信じている数人のうちの一人である(すんません、話にインパクトを持たせるためにちょっと大げさに言いました)。しかも医者なのでええかげんなことを言うとは思えない。私は翌日大学の学科研究室で、「世の中で何があってもこいつが痩せるはずがない!」と信じているもう一人の真鍋(学科助手)に言った。
団長「あのな、すごいもんがあるらしいぞ。ダイエット飲料でな、ビー・クォーターいうんや」
真鍋「これですか?」
団長「何でお前が持っとんや!」
真鍋「漆原先生のやつでしょ? 学生みんな知ってますよ。僕も1カ月ぐらい前から飲んでますけど、体脂肪率、もう落ちてますよ」
団長「ほんまかー!」
 始めなしゃーないやろ。8月から始めました。飲んだら運動せないかんから、夜、ビー・クォーター飲んで嫁さんと2人で1時間散歩。これが、汗のかき方が尋常でない。ムチャクチャ脂肪が燃焼している。ま、燃えているところを見たわけではないけど。3日続けて夜の10時、11時、12時頃、サンポートの赤灯台まで歩いて行った。私ら、夜中のサンポートの赤灯台付近にどんな人がいるか、高松で一番詳しい夫婦である(笑)。
 いずれにしろ、運動せないかんというところが実によい。「飲んだだけで痩せる」とかいうのは何か不健康なダイエットに思えて仕方がない私には、非常によい。運動するようになっただけでも実によい。本当は食事の前に飲んで運動するのが最も効果的らしいのだが、生活パターンからなかなかそうはできないのが残念。しかもヨタ話にも書いたけど9月にねんざしてしまってしばらくビー・クォーターを休むことになってしまったのも残念。でもこれから挽回します。今までモニターした人はほぼ100%、成果が現れているというので、私が成果が現れない第1号になるわけにいかないからね。
 本日は実りのある学科協議会を18:30まで。しかしここで大変なことが起こった。11月20日から22日まで、大学のA級重要行事である推薦入試が行われるのだが、そこで私が重要な役割を担うことになったのである。ところが私はその期間、20日は「さぬき市市民会議」のコーディネーター、21日はKSBのテレビ、22日は北九州市での講演が入っていた。でも当然、大学行事が最優先である。その日の晩、全部にキャンセルを入れました。特に北九州の講演、連絡先もわからず、仕方なく一度来たはずのメールを探し出してメールでキャンセルを入れました。担当の人、ちゃんと見てくれるかなあ。
 今年、私が講演の依頼をほとんどお断りしているのはそういう理由からである。こんな重要行事だけでなく、新米教授にとっては小さいことでも大学最優先、という心構えで取り組んでいるので、先に講演依頼を受けるとこういう事が起こる可能性がある。だから講演依頼はお断りするか、「ドタキャンの可能性を含んでもOKなら…」という条件付きで受けるしかないのである。ちなみに明日の高松南高の講演は、大学の出張授業の一環なのでドタキャンの可能性はなし。家に帰ってネタを考えて、夜中までかかってまとめて、寝ました。
2003年11月4日(火)

 朝7時40分発のJASで東京へ。10時前にタウン情報全国ネット本部に到着。今日は来週の全国ネット取締役会の準備をせないかんのである。ただ、去年までと違って今年は手下の小池や伊庭野が頼もしく成長したので、私の作業は著しく軽減されて…
団長「議事次第は整理できたか?」
小池「これからです」
団長「10月度の決算は出とるの?」
伊庭「これからです」
 軽減されてないやないか!
大西「田尾さんメガネ変えた?」
田尾「ま、ちょっとね。さすが女の人は細かいところに気がつくのー」
大西「何か目がはみ出てる感じがしたから」
田尾「ほっといてくれ!」
 いや、まさかとは思うがもし関係者が見てたらいかんので、タウン情報全国ネットの皆さん、本部のみんなは非常によくやってくれていますからご安心下さい(笑)。
 この日は東京日帰りである。帰りに東京麺通団に寄ってパロマスとガラエンタープライズ代表の重野さん(男前。現在私とパロマスで重野さんを「男前のお笑い」に洗脳改造中)と建設的なお話をしてきた。
 さてと、タウン情報全国ネットの話が出るたびに未だに「田尾さんは本職は何なんですか?」とか聞かれることがあるのでちょっと整理しておくことにする。別にせんでもええけど、何かあちこちでデマが飛び交っているらしいので、一応まあ本人から正しいところを書いておこう、と。もしどこかでデマを聞いたら「それ違うで」とか言うとってください。
 私は今、本職は四国学院大学社会学部カルチュラル・マネジメント学科の専任教授である。この学科は今年新設されたため1年生しかおらず、従って今年は担当科目が少ないので、空いた時間を使って「カルチュラル・マネジメント」のまさに実践であるタウン情報全国ネットの現場と麺通団ビジネスの現場を手伝いながら、来期以降の科目講義のプランニングをしているという毎日なのである。その大ざっぱないきさつは、こうである。

 昨年の1月、私は旧職の株式会社ホットカプセル(TJ Kagawaの発行会社)の社長を辞めて退職することを決意し(理由はまだ書かない)、辞意を伝えて1月末に「3月末付けを持って退職」が受理された。その後、株式会社タウン情報全国ネットワークからお声がかかって副社長就任(任期2年)を頼まれ、ほぼ時期を同じくして、四国学院大学から「新学科設立の準備をしているのだが、申請が受理されたら教授陣に加わってくれないか」という打診があったのだが、このいきさつが実に奇跡的なのである。書くかなあ(笑)。もう1年半も経ったから書いてもええか。

 退職願が受理された直後の2月某日、四国新聞のAさんから電話があった。内容は「4月から四国新聞の客員論説員になって『論点香川』のコラムを書いてくれんか?」という話である。そのやりとりをしているうちに、来年度のことなので話の行きがかり上、私は3月いっぱいでホットカプセルを退職することをAさんに言ったのである。「まだ他人に言うたらいかんで」とクギを刺して。
 ここからはAさんに聞いた話。その翌日、Aさんはある懇親会に出ていた。その席で、隣に座っていた四国学院大学のB先生がさらにその隣にいた人と話をしているのがチラリと聞こえてきた。内容は「新学科設立の申請の準備をしているのだが、学外からの教授候補を探している。誰かいないか」というもの。Aさんは話に割り込み、B先生に言った。
A「それやったら田尾がおるやん」
B「田尾さんは非常勤講師の候補には考えとるけど、会社の社長やん。専任教授は無理やわ」
そこでAさん、私から「他人に言うたらいかん」と言われているのでグッと飲み込んで、B先生にこう言ったらしい。
A「田尾は私が責任を持って会社を辞めさせる」
 どんな言い方や!(笑)
 ま、Aさんから聞いた話だからね。いずれにしてもそのいきさつが本当なら、ほんま奇跡的なタイミングの連続だとしか言いようがない。後日、私はAさんから連絡を受けて、B先生を交えて会談をした。内容はその新学科の専任教授の件。しかしこの時点ではまだ新学科が承認されるかどうかは未定で、教授の話は「もし申請が通って来期(2003年度)から設立することになれば」ということであった。
 実はこの頃、私は長いホットカプセル勤務で心身共に限界近くまで酷使してきたので、1年ぐらい休養して、それから今後のことを考えようと思っていたのであるが、この大学教授の話は「何かやるなら今までと畑違いのことをやりたい」という漠然とした私の思いと、もしやることになっても1年先の話であるから当面の休養も取れるということで、私はB先生に「じゃ、承認されたらやるという方向で考えます」と返事したのである。
 それとほぼ同じ時期に、今度はタウン情報全国ネットから「ホットカプセルを辞めるのならタウン情報全国ネットの社長をやってくれないか」という打診が来た。こちらは6月(株主総会で役員改選をやる時)からだという。タウン情報全国ネットは、TJ Kagawaが加盟しているネットワークで、私はそれまで15年以上会合やら事業やらに参加していたので、みんな気心知れた先輩たち、仲間たちばかりである。そこで、「今年は少し休養するつもりなので社長はさすがに辞退したい。でも手伝いなら、できるだけさせてもらいます」と返事した。加えて「今、大学の話が来ているので、もし新学科が決まったら来年4月から大学に行くことになる。だから来年4月からは状況によっては手伝えなくなるかもしれない」と伝えた。結局、6月からタウン情報全国ネットの副社長としてやる、任期は本来2年であるが大学の状況がどうなるかわからないので1年契約とする、ということで話がまとまった。
 そうこうしているうちに10月末、四国学院大学の新学科「カルチュラル・マネジメント学科」の2003年度からの新設が認可され、私は2003年4月からの大学教授が内定した。で、タウン情報全国ネットの社長に「来年3月で副社長を降ろしてください」と報告したら「とにかく大学の空いた時間だけでもいいからもう1年手伝ってくれ」と言われて、ちょっと考えさせてもらうことにして、年末から年始にかけて、大学での新学科のコンセプトや私の担当をいろいろ聞いているうち、カルチュラル・マネジメントの概念や私の専攻となる「情報加工学」はタウン情報全国ネットの実践とまさに合致し、講義プラン構築にも非常に役立つことがわかったので、今年4月から本職大学教授となり、合間で今後の講義準備を兼ねてタウン情報全国ネットに関わるという今のスタイルになったのである。
 けど来年(2004年)4月からは学科は1年生と2年生が揃って大学の講義が一挙に増えるので、タウン情報全国ネットとの関わりは激減する。でもネット本部では事務局長の小池以下が頼もしく成長しているので(もうええっちゅうに)、ネット業務は安心して引き継げる、ということで冒頭とつながるわけである。以上のいきさつにより、以下のことをご報告申し上げます(笑)。
・私は大学教授の話が来たから会社を辞めた、というのはウソである。
・私が社員を引き連れて辞めた、というのはウソである。
・私が新しい雑誌を創刊する、というのもウソである。
・去年、一部で私が知事選に出るという噂が流れたそうだが、ウソである(この話は一本ネタになるような事件がいくつかあるけど、今は書けない・笑)。
 あー、かなり端折ったけど長かった。日記か?これ(笑)。
2003年11月3日(月)

 今日は朝から県庁に出向いて、観光振興課から何か香川県のブランド戦略みたいなのにアドバイスをするというおこがましい仕事をやってきた。ま、4月から香川県の情報発信アドバイザーを任命されているので、その業務の一環ということで。詳しいことは書けないが、一言で言えば、担当者にはいかんともしがたいことだろうから申し訳ないが、「決まってから持ってこられてもどうしようもない」っちゅうことだ。4月以降、数十件のアドバイス依頼に答えてきたが、そのほとんどが「こういうことをやるのですが、何かアドバイスを」という、すでにやることが決まっていてやり方についてのアドバイスを求められるというものばかり。そしてそのほとんどが、やること自体から考え直した方が…というものばかり。きっついなあ。詳しいことは書けんけど。
 さて、最新スケジュールにも書いたが、11月16日(日)午後2時から、なんと私が芸術に関するトークショーをやるハメになってしまった。はっきり言って私は、ピカソの何がすごいのか全然わからない男である。しかも私の母ちゃんは、丸亀に猪熊弦一郎美術館が建設されていた時、猪熊画伯の作品が書かれた外壁を見て、市役所に「もう子どもが落書きしとる!」いうて電話をしたその人である。
 なぜこんなことになったのか。実は2年前、四国新聞の明石さんの呼びかけで「アーツカウンシル高松(正式名称・高松芸術文化市民協議会、通称・ACT)」というNPO法人が立ち上げられ、
明石「田尾、お前も理事の」
団長「え? 何ですかそれ」
とか言うてたら理事名簿に私の名前が入ってたといういきさつがあって、そのACTで、またまた明石さんの呼びかけで、毎週日曜日に事務所に隣接されたスタジオで50週ぶっ続けで何かアートをやろうという「50 Drops of Arts」なる企画を計画し、
明石「田尾、お前も何かやるんぞ」
団長「え? 何ですかそれ」
とか言うてたら先月、四国新聞にいきなり「50 Drops of Arts」の記事が出て、スケジュール表の中に身に覚えのない「田尾教授の芸術わからん講座」なるコンテンツが入っていたのである。
団長「何ですか、あのタイトル」
明石「お前、何やるかわからんから“わからん講座”にした」
団長「何やるかわからんというより…やるかどうかもまだ…」
明石「やるのはもう決まっとる。新聞にも出たぞ」
団長「あんたが書いたんや!」
という、まるで私がごんにするようなことが私の身に降りかかってきたという話なのである。それがずっと忙しくてほったらかしにしていたらとうとう2週間後に迫ってきて、いくら何でも何をするかの案ぐらいはそろそろ考えないとえらいことになるということで、朝、県庁に行く前に人形作家の後藤朝子さんに電話して「何をするか何も決めてないけどとにかく相方してなー」言うて、さらに困った時のツッコミ役にごんを任命して、昼から打合せと称してメシ食ってお茶飲んで、4時頃までかかって何とか、何をするかおぼろげな形にまでこぎ着けたのである。けど、ほんまにおぼろげなんよなあ。どうしよう16日。観客5人くらいやったら、みんなでお茶飲んでバカ話して帰れるんやけど(笑)。
2003年11月2日(日)

 朝8時、カルチュラル・マネジメント学科プレハブ前に集合。大学祭最終日は、あいにくの雨天で始まった。空を見上げながら、私とごんと学科助手の真鍋。
ごん「ま、皆さんの日頃の行いが悪かったということですな」
団長「いや、それは違うな(山さん風に)」
ごん「何が?」
団長「こういうものはちゃんと論理的に検証してから言わないかん。ええか? 昨日は非常に天気がよかったな?」
真鍋「よかったですね」
団長「一昨日も天気がよかった」
真鍋「よかったです」
団長「でも今日は雨」
真鍋「雨ですね」
団長「さて、最初にごんが提示した“日頃の行いが天気を左右する” という前提は、言い換えれば“今日の天気は昨日までの行いが決める”ということになる。ここまではええな?」
真鍋「論理に全くスキがありません」
団長「ここで問題になるのは、“昨日までの行い”というのは、いつから昨日までの行いかということじゃ」
真鍋「何かややこしくなってきましたね」
団長「別にややこしくはない。ええか? まず仮に“昨日までの行い”が1週間前から昨日までだとしよう。振り返ると、私と真鍋はここ1週間、変わらず毎日大学祭に真面目に取り組んできた。その結果、1日目、2日目が好天に恵まれたとすると、今日の雨の説明がつかん」
真鍋「なるほど。説明がつきません」
団長「ということは、これは1日ごとに、その日の行いが翌日の天気を左右するのではないか、と考えるしかない。一昨々日、我々はよい行いをしたので、一昨日は晴れた。一昨日も我々はよい行いをしたので昨日も晴れた。ところが昨日も我々は真面目に取り組んだのに今日、雨になったということは、昨日、何か我々のよい行いを上回るような、非常に悪い行いがあったということである」
真鍋「そういうことになります」
団長「一昨々日と一昨日にはなかったけど昨日だけあったことは何や?」
真鍋「えーと、昨日だけごんさんが来ました」
団長「ほら、今日の雨はお前のせいや。論理的に一分の隙もない」
ごん「長々と屁理屈こねて、それが結論ですか!」
 しかしこの日、10時の開店を過ぎた頃から我々のよい行いパワーが盛り返して、雨は上がったのである(もうええっちゅうに)。学生たちも3日目とあってオペレーションもちょっと改善され、宮谷さんも大活躍、ごんも女子学生に「ごん」呼ばわりされながらよく働き、本日助っ人に入った長谷川君も女子学生に「若い麺通団」呼ばわりされながらダイコンとタマゴを買いに走った。いやー、3日間を通じて予想以上のデキ。よくできました。私、帰って泥のように寝ました。明日、朝から県庁にアドバイザーの仕事しに行かないかん。

<3日間にお越しいただいた著名なお客さん>
麺聖森村、別府君、団員D々君、中井さん(FM香川)、和田(元ホットカプセルの手下)、宮宇地アナ(RNC)、清水屋の大将、清水屋から独立して今度うどん屋を出す準備中の白川君、他。
2003年11月1日(土)

 ごんがどうしても言いたいことがあるというので、寛大な私は自分の日記に他人が書き込むという常識では考えられない要望にお応えするのである。
(ごん)
 いや皆さん、普通、人にものを頼む時って、電話とかメールとかでお伺いをしますわね、普通。というか、人として常識ですわね。それがね、私、3日前にたまたまこのページ見たんですわ。そしたら何やおっさん、私に「大学祭に手伝いに来い」とか書いてますやん。私、思わずメガネ外して目ェこすりましたがな!
 けどね、まあここまでは百歩譲ってエエとしましょ。普通はエエことないんですよ。当たり前ですけど。けど昔、おっさんがタウン誌にうどんの連載してた時なんか、本が発売されて読んでたらイベントとかの案内にいきなり「ごんも出演する」とか書いてあって、私、本で初めてイベントに出ることを知ったりしてましたからね。しかも月刊誌で。
 それにしても普通、こんなんに書いたら後で電話ぐらい来ますわね。だって「手伝いに来てくれ」ったって、いつどこへ行ったらええかも書いてないし。いや、確かに電話来ましたよ。今朝6時10分。おっさんから。何てかかって来た思います? 「行くぞ。7時にそっち行くけん、準備してマンションの下に降りといてね」って。どう思います? 人として。いや、牛ですけど。

 いやー、今日は一日中よい天気でみんな一生懸命がんばって、用意したうどん生地を全部打って完売しました。よかったよかった。
ごん「それだけかい!」
 いやほんと、ごんが宮谷さんとあうんのコンビで大変よく働いてくれてとても助かりました。学生も中尾店長以下よく切り盛りしてくれたし、うどん打ち本信拓也・うどん切り森松慎也のコンビも昨日とは見違えるように上達してかなりうまいうどんを出してくれたし。けどこいつら、バカです(笑)。客が途切れてヒマになった時、「ストライーク、ボール」とかいう声が聞こえるので見てみたら、森松がTシャツを乳首が浮き出るみたいに張って胸を突きだして、そこへ本信がうどんの切れ端を丸めてぶつけよる。一球ごとに当たった位置によって森松が「ストライーク!」「ボール!」「ボール!」…そのうち乳首に直撃したら「ボ〜ル〜。」「あ〜ボ〜ル〜…」
団長「お前らアホかー(笑)」
 夕方頃、ローテーションで他の子がうどん打ち担当になって、ふとあいつらは? と思って見たら、2人がテントの隅で並んでしゃがんで、鼻にコヨリみたいなのを入れている…。何をやっているのかと思っていたら、しばらくして2人同時に「ハックショーイ! フィーバー!」。
団長「お前らアホかー!」
 私らもたいがいバカバカしいことやってきたけど、こいつらの発想力にはついていけん(笑)。バカバカしいと同時に、俺らの時代は終わったなあ…としみじみ(笑)。うどん店、あと1日です。
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