2004年01月の日記 |
2004年1月31日(土)
去年から3カ月に1回のペースで香川県のPR番組(恥ずかしくてタイトルは言えない)に出ているのだが、本日はそれの今年度最終回のロケ(2月16日放送予定)。 ごん「“田尾和俊の讃岐うどんワールド”でしたっけ」 団長「言うな! 俺がつけたタイトルちゃうんやって!」 今回は西讃エリアのうどん屋と小ネタスポットを紹介することになった。紹介する店とうどん屋選び、並びに番組の構成は、RSKの石原Dが担当であるが、今回は石原Dが何やら忙しいとかで、四国東通のカメラクルーと私とレポーターの中村恵美さんでロケ地を回ることになった。しかも私は今晩大阪入りというスケジュール。今日はこんなことになりました。
6:20 起床。 7:00 スタッフがマンションの下まで迎えに来てくれて、1台の車で高松を出発。高速に乗って豊中インターで降りて観音寺へ。 8:00 観音寺のJA産直の店で撮影。 10:00 かなくま餅福田で撮影。あん餅入り雑煮うどんといなり2個を食う。 11:30 琴弾公園で撮影。 12:30 豊浜道の駅で撮影。 13:00 上戸うどんで撮影。かけ大とチクワ天とゲソ天を食う。清水屋で働いていて今度店を出す白川君が偶然居合わせた。大将が色紙を持ってきたのでサイン。中村さんも頼まれてサインをしたけど、中村さんのサイン、もうお宝です(笑)。上戸のお母さん、むちゃくちゃおもろい。ちなみにたぶん7日の土曜日の朝、例のdancyuの取材で勝谷さんが上戸に来ます。 14:30 再び道の駅で、中村さんと足湯に浸かって混浴(笑)で撮影。 15:50 再び上戸うどんで撮影。かけ小を食う。 16:30 帰り道、観音寺駅で降ろしてもらう。 16:59 特急に乗って岡山へ。 18:31 新幹線に乗って新大阪へ。 20:00 大阪麺通団に到着。かけ小とざる小とチクワ天を食って、パロマスと情報交換をする。ま、バカ話やけど。 21:30 なんばオリエンタルホテルにチェックイン。パソコン開けて、午前3時まで仕事。何しろ2月5日までに県に頼まれた市町の広報紙20紙もにアドバイスのコメントをつけないかんし、2月6日までに来期の講義のうち8科目もの授業計画を全部作って出さないかんのだ。とても間に合う気がしないけど、間に合わさないかん。 3:30 風呂入って就寝。明日は9時起き。
ふー。今日の食事はうどん5杯6玉と天ぷら3つと餅といなりかー。
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2004年1月29日(木)
観音寺に行く用事があって、ちょっと時間があったので琴平から高瀬の裏を抜ける道を通って小ネタを探しながら車を走らせた。途中でちょっと寄り道をしたら、山肌に高瀬の茶畑が見えてきた。 団長「高瀬の茶畑、山の木の間にチラッと見えたら何か巨大なアルマジロの背中か、巨大なまるむしの背中みたいに見えるんよなあ」 ごん「またそっち系の小ネタですか」 団長「県政だよりの連載に使うかなあ」 ごん「またしょーもないオチつけて?」 団長「失礼な! あれは常識を破った斬新な視点こそが狙いやないか。そやなあ、若い茶畑はさしずめ“茶畑ヤング”いうとこかなあ」 ごん「あっはっはっは!」
昔、RNCラジオで「はばたけヤング」という深夜番組があって、長寿番組だったから香川の今の30代、40代の人にはかなり知られているのだが、H谷川君に言うたら「知らん」言われた。「茶畑ヤング」、ごんにはバカウケしたんやけどなあ(失笑)。
さて、観音寺の用事は、つい最近オープンしたという「安並」といううどん屋。観音寺から山本町に向かう道の、川鶴のちょっと先にある。実はdancyuがまた讃岐うどん特集をするというので「次世代の讃岐うどん界を担う若手」という切り口を勧めたら採用になったらしく、その下見で来たのである。結果は、安並の若い大将が「まだ始めたばかりなので今回はご辞退を…」ということでボツになったのだが、ここの麺はもう、むちゃくちゃ私の好みです。詳しくは大将のGOが出てから書くしかないけど。
ちなみにdancyuの取材は2月6日、7日あたりに勝谷さんが5、6軒回ることになるようです。私も7日の午前中に1軒ぐらいは同行するかもしれん。
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2004年1月28日(水)
総本山善通寺の偉い人から「相談に乗って欲しい」という電話があって、大学のすぐ近くなので行ったら会議室に通されて、偉い人がたくさんいる中で2時間ぐらい、思いつきにしては斬新なアイデア(自分で言うか)を2つ提示してきた。ぶっつけの会議で目の前に提示されたテーマについて、2時間で問題を整理して解決案を出して意見交換をして方向を決めておよその実施プログラムまで決めるという、なかなか緊張感のあるひとときでした。
実は会議に向かう前に研究事務室にいた真鍋や学生に「今から善通寺総本山に行くんやけど、偉い人の前でぶっつけでアイデアを出すんや。お前ら一緒に行ったら俺の実践が見られるんやけどなあ。コケるかもしれんけど(笑)」と話していたのだが、結果、非常に興味を持ってくれて「さっそく取り組んでみよう」という話になった。あの現場での秒速2万回転の思考回路とプレゼンテーション手順は、教材になるなあ。いずれ講義で使おう(笑)。
夕方、橋本先生と高松市の方と「ボランティア・ワークショップ」の打ち合わせ。
行政や市民のいろんな会に出ていると、近年「ボランティア」に関する意見や要望をよく聞く。でもなあ、何かボランティア活動って変質してきてるように感じるんですよねえ。例えば「私たちはボランティアをしてあげているのに行政はお金の支援をしてくれない」「わざわざ来てあげたのに受け入れ側の対応が十分でない」とかいう話まで出てくる。ボランティアって、「自発的」で「無報酬」でなかったんでしたっけ。
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2004年1月27日(火)
団長の「大阪麺通団」行き、2月1日(日)に決定です。
そういうわけで火曜日と水曜日、香川で用事が入ってしまって行けなくなりました。すみません。土曜日、夕方まで香川県のPR番組のロケで西讃あたりをウロウロ回って、その足で大阪に入って、たぶん土曜の晩の大阪入りは遅くなるので翌日曜日、11:00の開店過ぎから店で邪魔にならんように(笑)何か手伝いながら、夜6時か7時頃までいる予定です。月曜日は大学の入試につき、日曜日中に帰らないかんので。よろしければどうぞ、大阪麺通団にお越し下さい。宮前くん福田くんもうどん、どんどんええの出すようになってますし、パロマスが天ぷら大爆発のパワーアップしてますので。いや、してるはずなので(笑)。
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2004年1月26日(月)
昼過ぎに大学の学科事務室に行ったら学生の阿部と前田と田淵が腹を空かした子犬のような目で見るので、車に乗せて「はまんど」へ行ってラーメンをおごってやる。帰りに11号線の西部ガーデンの手前あたりで、前を走っていた軽が「ドカン!」いうてその前の車に追突! 私は急ブレーキで追突を免れた。
どうも信号か何かで3台前、2台前の車が減速したのに、私の前の軽のおばちゃんが減速せずに突っ込んだようである。軽のフロントはボンネットがひしゃげてガバッと開いてしまい、その前の車は追突されてさらにその前の車にも追突。 私は車間を空けてたことが幸いして、1mぐらい手前で止まることができた。追突した軽のおばちゃんはしばらく車から出てこなかったが、やっと出てきたら放心状態。追突された車からも男の人が出てきたので命に別状はなかったみたいだけど、ほんまに交通事故だけはやりきれんものがある。改めて安全運転じゃ。
夜はKSBの加藤社長に誘われて、JTBの支店長とANAの支店長(いずれも初対面)と会食。話してたら何と、ANAの支店長は私と同い年で同じ関学の同じ経済学部、さらにJTBの支店長は私の一つ下で同じく関学出身。何や、みんな同じ時に同じキャンパスにおったんかい! けど香川に帰ってから関学出身者に会ったのって、詫間の町長とあと2人しかおらんのに、こんなところで2人も会うか。
で、しばし“記憶たどり大会”が繰り広げられた。私、公益企業論の縄田ゼミ。キリスト教学の林先生に苦しめられたことや、ジャネット・リンが宣教に来たことや、「嗚呼!花の応援団」の映画の二代目青田赤道役をやった井上君が同じ経済学部の同級にいたことや、いろんな話が出た。ところが、実は私は卒業式の記憶がないのである。しかも家でなんぼ探しても卒業証書が見つからん。俺、ほんまに卒業したんやろか(笑)。ま、選挙には出んからええか(笑)。でも会報の「ポプラ」は送って来よるし、寄付金のお願いもまだたまに来よるし、同窓会の案内もたまに来てるからなあ。
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2004年1月25日(日)
長男の行っている高校で、今日の昼12時に「三者面談」とやらがあるらしく、家内が私に行けと言うのである。まあ何か用事でもあるんだろうと思って支度して出かけようとしてふと「家内は?」と見たら、ふとんに入って寝よるやないか! まあええわ、面談は2年ぐらい行ってないし(というか、2年前に一回行っただけやけど)。 私「三者面談いうて、何するんや」 長男「何かこないだのセンター試験の結果を見て、受験の確認みたいな…」
長男は高校3年なんで、大学受験であるが、私はほったらかしである。今までにしたアドバイスは「先生が行け言うたところの一つ下を受けたら楽やぞ」だけである。
長男「どうでもええけど、しょーもないこと言うて先生笑わしたらいかんで」 私「失礼な。お父さんはな、分別のある社会人やぞ。だいたいもともとおもしろいことの一つも言えん真面目な…」 長男「はいはい」
高校に入って面談の部屋の前でちょっと待つ。先の面談者がまだやってるらしい。衝立の横のスペースに何やら本や資料やビデオをいっぱい置いてあったので、ちょっと入って見たら、何や、いろんな大学の学校案内や資料や大学紹介ビデオばかりだ。1、2分したら先の面談の生徒とその父親らしき人が出てきたようだったので、私もそっちへ行った。 私「ちょっとそこ見てきたけど、おもろそうな雑誌、全然置いてないぞ」 長男「そんなもんあるかい!」 いきなり前の生徒の親に声を立てて笑われたがな。
面談の部屋に入ると、男の先生と女の先生がいた。机の前に座ると、せんせいが長男に説明を始めた。 先生「田尾君、○○大学受ける言いよったけど、やめたんやな」 長男「はい。何か調べたら行きたい内容の学部がなかったんで」 先生「そうなー。残念やなあ。受けたらいいと思うんだけど。ご両親はそれ理解してくれたん?」 私「え? あ、私ですか? いや、子どもが大学どこ受けるとか、よう知らんので…。ま、どこでもええですわ」 先生はその国立の大学を受けさせたいらしく、それからいろいろと長男に話していたが、長男は受ける気はないみたいである。まあええわ。私が希望を言ったらたぶんそれは親の都合だろうし、自分の経験からも大学で人生が決まるなどということはかなり稀だと思うし。結局面談は小ネタをちょっとはさみながら10分くらいで終わりました。ま、はさんだのは私だけだけど(笑)。
私「ちょっとしか笑わさんかったやろが」 長男「いや、そういう問題ではなくて」
帰って、こないだ羽田で何となく買った「指輪物語・王の帰還」の上下巻の文庫を読む。もうすぐ公開やからね。しかしこの翻訳本、何でこんなに読みにくいんや。直訳に近いのか、文章にリズムや流れがなくて非常に読みにくい。文章を読む力が衰えてきたんか? というか、ほとんど本を読んでこなかったんだけど。私、子どもの頃からほんまに本を読んでないんです。「坊ちゃん」さえ読んでない。ちゃんと買って読んだのは、中学校の頃、モーリス・ルブランの「ルパンシリーズ」とコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズシリーズ」くらいです。
信じられないかもしれないが、中学生以後、フィクションでちゃんと読み切った本は、つい最近、一昨年から毎週東京に行くようになって道中に読む文庫を買い始めてから読んだ高村薫の「マークスの山」と宮部みゆきの「理由」と重松清の「ビタミンF」だけである。10年近く前、急性膵炎で入院した時に誰かが井上ひさしの文庫を持ってきてくれたのだが、それも10ページくらい読みかけてそのまま読んでない。ほんまに本を読んだことがないのである。だから、とにかく私は何をするにも「参考文献」がない状態でやっている。そういうわけで、いろんなところに雑文を書いたりテレビやラジオでしゃべったりしているからと言って、わたしにいろんな知識の過剰評価や期待をしてはいけない。してないと思うけど。よく見たり聞いたりするとすぐわかるが、私は自分で体験したり思ったりしたことしかネタを持っていないのである。 ごん「改めて言わんでもわかってますから」 私「あ、そ」
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2004年1月24日(土)
昨日の晩、アップタウンに行ったら小ネタ王の牛乳屋さんとくまさんがいたので「県の広報を続けることになってしもたんやけど、ネタどうしようか…」というテーマで語り合って何とか方向性が出て、ちょっと油断して「ウエス・モンゴメリーの“フルハウス”のCD買うたらとってもごきげんなライブやってた」みたいなことをポロッと漏らしたらマスターに12時過ぎまで「ウエスの一番ようできたギターはこれじゃ」とかいうてレコードを聴かされて、帰って寝たのが2時前だというのに、6時前に起きて朝8時スタートのゴルフに行くはめになったのである。行ったらすぐ後の組に旧知の県会議員と旧知の県のエライ人がいて、「追いかけてきたらいかんでー」とクギを刺してたんだけど、みんなうまいもんだから後ろからどんどん追いついて来てめちゃめちゃ忙しく回ったがな。こっちは3人やけど、日清冷凍食品のM宅さんと麺通団の松村と私というヘタクソトリオ。3人がやっとこさグリーンに乗せて、先に私がカップインして2人のパットを残して、後ろでうまい組がセカンドを待ってるもんだから急いでセルフカートに走って、カートを次のホールのティーグラウンドに走らせて降りたら、あいつらまだパットしよる。 私「お前らパターで何打打ちよんじゃー!」 松村「団長が打つ前にいろいろチェックしよるから、僕もチェックしながら打とうと思って」 私「お前はフォームのチェックせんでええ! 育毛チェックだけしよれ!」 ほんまに、ごんがいつも松村にひどいことばっかり言うもんだから、俺まで移ったやないか。 松村「いや、団長の方がいつもきついんですけど…」
上がって風呂で議員のおっちゃんといろいろ話した後、松村とM宅さんと3人で小浜食堂まで遠征して中華そばといなりとおでん食って解散。その足で丸亀で福田社長らと打ち合わせ。夜、社長の奥さんも合流して食事をおごってもらって夜9時半に帰宅したらすぐに義理の弟(家内の弟)が来て、仕事の相談で夜12時過ぎまで。何か、むちゃくちゃいろんなことをしたぞ、今日は。
ちなみに本日電話があって、明日から来週の日曜まで、大阪麺通団にパロットのマスターが再び入ります。その間、私も出没しますが、日程は未定。1月27日(火)か28日(水)か、2月1日(日)が有力。
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2004年1月23日(金)
大学の講義を終えた後、県の広聴広報課へ。県政だより「THEかがわ」の私の連載を来年度も継続するかしないか、の話である。
去年の4月から、香川県全戸配布の県政だよりに連載を頼まれて、県内の小ネタ発見というテーマで笑いどころ満載の連載をやっているのだが(東京麺通団の店内に置いてあるカラーのあれです)、当初6回(半年)連載の予定が「読者の評判がすこぶる良い」ということらしくてさらに6回の延長を頼まれて、それがあと2回で終わるのである。まあ全編真面目な県政だよりの中に、おそらく県政だより始まって以来初めてだろう「お笑い」の要素が入った連載なのであるから、私が書こうが誰が書こうが、紙面のオアシスという意味合いでも相対的に評判がよくなるのは当たり前だろうけど(笑)。
実は去年の12月、編集を担当している羽野編集事務所の親分の羽野さんから「課長が来年もやってくれ言いよるし、俺も続けて欲しい。もう1年やってくれ」と言われたのだが、私はかたくなに「今年度で終わらせてください」と言い続けてきた。理由は、 第3位)来年度は大学の担当授業がむちゃくちゃ増えるので時間が取れるかどうか不安。 第2位)もうネタが続きそうにない。 第1位)2年もやるのはあまりにもおこがましい。 である。
県政だよりはA4判(サイズ表示はA4「版」ではなくてA4「判」なのでお間違いなく)20ページくらいの薄い冊子である。そこに今、私の「小さな満足の風景」という小ネタ発見お笑い文章の連載が、毎月2ページを割いて掲載されている。私は、この1冊の冊子の1割ものページ数というのが、多すぎると思うのである。しかもたった一人(私)の担当記名コラムである。これを2年も続けるのは、いかに読者の多くがおもしろがってくれているとはいえ、あまりにもおこがましいでしょう。これが民間の雑誌なら、人気ページはどんどんふくらましていけばいいと思うが、仮にも県民の方々に県政をお伝えする広報紙である。さすがに厚かましい私でも、2年は遠慮したいというのが本音なのである。
で、数日前、羽野さんからまた電話がかかってきたので本音を伝えて「課長にも言うとってください」と返事したら、今日、講義前に岡課長から電話がかかってきたので「電話では十分話ができんので、講義終わったらそっち行きますから」と言って切って、広聴広報課を訪ねたのである。
私「ちわーす」 課長「あ、田尾さん、ちょっと別の部屋へ行きましょう」 私「いや、そこでええですよ」 課長「いかんいかん。こういう大事な話はちゃんと別室で(笑)」 課長に連れられて何やら重々しい通路を通って別室へ向かう。 私「監禁されるんちゃうんでしょうね」 課長「ま、ちょっと監禁かな(笑)」 何やら仰々しい応接に通されて、私は先の理由をさんざん話して「降ろさせてくれ」と言ったが、課長は「ファンレターもいっぱい来とるし、ここでやめるわけにはいかん」と言いながらねばる。しまいに「副知事のとこへ行きましょう」となって、さらに奥の部屋に案内された。 私「ちょっと、まだ奥に行くんですか。帰れんようになるんちゃうでしょうね」 課長「大丈夫大丈夫。鉄格子の部屋はそのもう一つ奥やから…」
で、副知事にもさんざん理由を話したんだけど、やめさせてくれんのよ。 私「そういうわけで、県民に対するバランスも考えると、次は別の人が連載するのが絶対ええですよ。女性が連載するとか。だいたい今までに県政だよりで2年も連載した人、おらんでしょう」 副知事「田尾さんがそんな“前例”にこだわったらいかんがな」 私「あ、これは役所の得意技やったか(笑)」 副知事「とにかくな、今まで読まんと放られよった県政だよりを若い人もちょっとは読んでくれるようになってきたとこなんやから、せっかくのをここで止めたらいかん」 私「けど2年目に入ったら絶対、“何で田尾ばっかりにページを割くんや”いうて文句がいっぱい出てきますよ」 すると副知事が手帳を開いて言った。 副知事「坂本龍馬がこない言うとる。××××××××……。要するに“人が何と言おうと私はやる”っちゅうことやな。坂本龍馬が言うとるんやで、田尾さん」 私「岡さーん、副知事全然言うこときいてくれませんー」
どうももう1年、あれ続けることになりそうです。すんません。
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2004年1月22日(木)
大学で大山先生に頼まれて、「ホームキャンパス」とかいう地域のお年寄りとかを集めた大学内での特別講義みたいなやつ(らしい)の打ち合わせ。続いて学生課で、神野先生に頼まれた「リーダーズオリエンテーション」とやらのレクチャーの打ち合わせ。ちなみに明日の講義では、来年度の大学案内用に私の講義風景を撮影するらしい。
去年はいろんなところで「田尾さん、大学の広告塔みたいな存在やからいろんなこと頼まれるで。けどそういうものって、やってもやらなくても待遇は同じやから、何でも引き受けよったら割に合わんで」というような助言をいただいたのだが、以前にも言ったが私はできることはなるべくやってあげようと思っているのである。教授としては新米だからなるべく受けようというのもあるけど、ここは私の職場だし、勤めているところのためになることはなるべくやって、いい環境にしたいし、おもしろくもしたい。仲間の先生の役に立つこともやってあげたい。いいじゃないですか、割に合わなくても。自分のいるところは楽しく、成果が挙がるようにがんばるって。でも後ろ向きに足を引っぱる人たちや自分のためだけに言動する人たちには協力しない(笑)。
余談ですが、去年大学に来始めてすぐ、大学職員のK保君が昔私がやってた「笑いの文化人講座」の投稿者だったことが判明したのだが、今日研究室でふと資料を見ていたらもう一人、その名前に見覚えのある職員が1人発見されました。「笑いの文化人講座」をやってた当時、私は1000人以上の投稿者の本名やペンネームや出身地やいろんなことをかなり覚えていたのだが、本日発見されたその職員、どう見ても当時の投稿者と同じ名前、同じ字なのよ。助手の真鍋に聞いたら「たぶん30代か…」とか言ってたから、年齢も合うし。そうかー、文化人講座の当時の投稿人たちもあれから20年、社会のいろんなところで潜んで…いや、活躍してるはずだとは思っていたが、うちに2人もいるのか(笑)。いや、まだ確定はしてないけど。
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2004年1月21日(水)
香川県観光振興課が主催する「かがわ地域ブランドシンポジウム」にパネリストとして参加。ちょっとプログラムを抜き書きしますね。
<基調講演> 「地域ブランドのすすめ〜ブランド発想で地域経済を活性化しよう」(約40分) 電通消費者研究センター 四元正弘氏
<事例紹介> 「特産品ブランド成功事例に学ぶ〜宇都宮“餃子の街”(栃木県)」(約30分) 宇都宮市商工部次長 沼尾博行氏 「観光ブランド成功事例に学ぶ〜“北斎の街”小布施町(長野県)」(約30分) 株式会社小布施堂代表取締役副社長 市村良三氏
<パネルディスカッション> 「香川県地域イメージ調査報告」(約10分) 電通消費者研究センター 四元正弘氏 「調査報告に基づいてのディスカッション」(約50分) (コーディネーター) 電通消費者研究センター 四元正弘氏 (パネリスト) 四国学院大学教授・香川県情報発信アドバイザー 田尾和俊氏 「旅の図書館」館長・「観光文化」編集長 外川宇八氏 CAC-社会企業家研究ネットワーク代表・跡見学園女子大学兼任講師・お茶の水女子大学兼任講師 服部篤子氏
勝谷さんなんか、このタイトルとメンバーのラインナップと時間配分を見ただけで、おおよその内容の予測がつくだろうなあ(笑)。特筆すべきことは、特になし。いや、書こうと思えばあるけど、ちょっと長くなるから書かない。沼尾さん(この方は民間から登用されたそうです)と市村さんは実践経験があるだけに、講演時間30分は気の毒に思いました。今回のシンポジウムは実践より理論を優先したプログラムだったようで、大変な実践をやってこられたお二人には申し訳ない一日だったかもしれません。「地域ブランドを作る…」という、「街おこし」やら「活性化」といったものに概念と形から入るという手法は、どうも私の好みではないです。
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2004年1月20日(火)
神田の三省堂で、四国を紹介した旅行情報雑誌5誌と旅行ガイドブック7誌の計12冊を一挙購入。観光マネジメントの講義準備の中でちょっと必要になったからね。
まあ目的にもよるが、こういうのは「全部並べてみる」と、新しい発見に出くわすことが多い。ここは麺通団のホームページであるから、調査項目からうどんに関するデータだけを表面的に紹介しましょう。今出ている12冊の“香川県を紹介した全国発売の情報誌、ガイドブック”に紹介されているうどん店を全部抜き出したのが、このデータ。アホなことやるでしょ(笑)。
(全12誌中で、多く載っている店) 10誌…わら家 8誌…山越 7誌…山田家 6誌…がもう、なかむら、宮武、飯野屋 5誌…谷川米穀店、小縣家、竹清、 4誌…やまうち、香の香、狸屋、おか泉、松家、さか枝 *3誌以下割愛。
では次に、これを以下のように分類しますと、
(旅行情報雑誌5誌中で、多く載っている店) 5誌…山越 4誌…わら家、がもう、谷川米穀店 3誌…山田家、なかむら、宮武、飯野屋、小縣家、やまうち、香の香 2誌…竹清、狸屋、おか泉、渡辺、郷屋敷、赤坂、五右衛門、大円、田村、大山製粉、池上、橙家 *1誌は割愛。
(旅行ガイドブック7誌中で、多く載っている店) 6誌…わら家 4誌…山田家 3誌…川福、山越、なかむら、宮武、飯野屋、竹清、松家、さか枝 2誌…がもう、小縣家、狸屋、おか泉、かな泉、源芳、義経、讃岐の里、水車、おがわ、うどん棒、上原屋、谷川製麺所 *1誌は割愛。
これ、情報雑誌はおおむね若者向け、旅行ガイドブック(サイズが小さくて分厚いやつ)は全年齢型と言えるのだけど、ちょっと讃岐のうどん店に詳しい人が見たら、掲載店の傾向がちょっと違うのがわかると思う。実はそれぞれの本をどこのどんな人が企画編集して、誰が店をピックアップして、誰が書いたのか…とかを一緒に考察すると、結構謎解きができるんですね。
ちなみにこの12誌に掲載されているうどん店は、玉石混交(笑)で全部で124軒もありました。さらにちなみに、この12誌の中に私が頼まれて店選びをした本は1誌もありませんので。
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2004年1月19日(月)
久しぶりに朝一番でなくて10:55発のJASで東京に行くことになって空港に行ったら、その前の8:45発東京行きが欠航になっていた。空港でたまたま会った建築科の多田先生と「天気が悪くて降りて来んかったんかなあ」とか話してたら、待合室に放送局のカメラが来て「すみませーん、8:45発に乗る予定だった方はいらっしゃいませんかー」とか言って、何人かにカメラを向けてコメントを取っている。何のことかわからないまま、別にどうでもいいので飛行機に乗って羽田に着いて、東京麺通団に行って、それからタウン情報全国ネット本部に行って、夜の7時半頃ホテルに入って原稿にかかるためにパソコンを開けて、テレビをつけたら、ニュースで何やらJASのエンジンか何かに調子の悪いところが見つかってよっけ欠航してるみたいなことを言ってた。これかあ。
本日午前2時過ぎまでホテルで原稿と授業計画作成。途中、電通の人が、明後日出演する県のシンポジウムの資料をホテルに届けてくれる。「香川県地域イメージ調査」なる資料で、これをもとにパネルディスカッションでコメントすることになるらしい。ちょっと目を通したら、なんかちょっと無理やりの分析をしてるぞ…。当日、好意的なコメントができるかどうか心配やなあ(笑)。
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2004年1月18日(日)
RSK石原Dと打合せで午後1時前に北浜アリーへ行ったら、建物内の駐車スペースが一杯で、東側の駐車場へ行ったこれまた一杯の上に、見たら駐車枠でないところにも2台、3台と止めてある。その奥は…通路まで埋めて止めてある。そこへまだ車が入っていって無理やり止めようとしている。 「そこへ止めたらその奥の車が全部出られんようになるだろうが!」 というところへ止めようとしている。道ばたにも車がいっぱい。明らかに駐車禁止の路肩に止めてある車と車の間に、ヘタな縦列駐車でさらにねじ込もうとしているおねえちゃんの軽…。
我々は少し離れたフェリー乗り場の横の県営の有料立体駐車場に車を止めて、そこから歩いてアリーに行った。駐車場から徒歩5分。
つまらんことだが、つまらんことではないが、私は違法駐車が大嫌いで、徒歩10分くらい離れていても絶対駐車場に車を止めて目的地に行く。ちょっと店の前に止めて5分で用事が済む、という時でも、駐車場を探して止める。路上に止めるのは、谷川米穀店でうどんを食う時だけである。 ごん「止めてるやん!」 団長「すんません」
ちょっとトーンが落ちたが、けど北浜アリーは徒歩たった5分のところに県営駐車場があるのである。わずか数分の徒歩と数百円の駐車料金をケチってそんな浅ましい真似をしたくはない、と思っているからである。
つまらんことだが、私は徒歩や自転車で移動している時でも、歩行者用信号が赤だったら止まって青になるのを待つ。車が全然通ってない狭い道でも待つ。半年くらい前から時々夜の10時、11時に家内とウォーキングに出たりしているのだが、夜中の誰もいない道でも、歩行者用信号が赤だったら止まって待つ。目の前の道をちょっと横切ったら向こうへ行ける時でも、横断歩道のあるところまで歩いていって渡る。別に誰が見ているわけでもないけど、一回信号を守ったり違法駐車をしなかったことで、自分の中に“徳”みたいなのが一つたまっていく気がして、それで私は自分の中に満足感が持てるのである。
それでもまだ時々、車を運転していて黄色の信号で交差点を横切ることがある。「しまった」と思う。100%はなかなかできないが、せめてこんな小さな事ぐらい死ぬまでかたくなに意識して行くつもりなのである。
アリーの「黒船屋」で石原Dと2時間半くらい話してたら、昔の知り合いのM島さんに久しぶりに会った。ごっつ久しぶりに会ったのにM島さんがいきなり出してきたのが競馬新聞。「今日の日経新春杯、何が来る?」って。俺、去年1年競馬ほとんど見てないがな。けどサービス精神旺盛な私はペンを出して、 団長「古馬のグレードレースはまず“格”やがな。こうやってチェックしていくと、第一観はこれとこれやな。二重丸はどれ? 3連勝中のシルクフェイマス? これ、条件戦を3連勝で格上挑戦やがな。こんなん、中学生と高校生のレースで勝ってきて、ここは大人のレースやで。こんなん典型的な危険な人気馬や。あかんあかん」
石原Dと別れて家に帰ったら午後3時過ぎ。原稿に取りかかりながら3時40分頃になって、「一応予想したから日経新春杯見てやるか」とテレビをつけて見てたら、シルクフェイマスがぶっちぎって4連勝してるし。
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2004年1月15日(木)
午後2時半、研究とミーティングが一段落したところで、次の講義までのわずかな時間に大学から清水屋へ歩いていって、遅い昼食をとる。天ぷらがゲソ天とエビ天1つずつしか残ってなかった。
団長「これ、一気に2つさらえたら後から来たお客さん、ガックリするやろなあ」 大将「かまんかまん、もうこんな時間やし」
で、エビ天はうどんに載せ、ゲソ天は小皿に取って醤油をかけて食ってたら、作業服来たおっちゃんが2人入ってきて「天ぷらないんか…」って、ほらー(笑)。食べ終わって大将と立ち話してたら、清水屋の大将も石持ち(結石)であることが判明した。あの痛さが理解できる人がいるのは実にうれしいということで、結石の痛さをともに慰め合うとともに必要以上に大げさに周りの人に吹聴する会「ストーンサークル」を結成しようと思うんやけど、どう? 「どう?」と言われても返事に困るか。
とか書いてたら、吉本のマネジャーから電話がかかってきました。 マネ「大丈夫ですかー!」 団長「何が?」 マネ「香川で噴火があったって!」 団長「えー! どこで?」 マネ「ニュースでやってましたよ」 団長「えーっ! …………えーっと、それ、山火事じゃないですか?」 マネ「山火事ですかぁ? 何かニュースで山が煙り上げてたのを横目でちらっと見ただけなんですけど…」 団長「直島が昨日から山火事だったんですよ」 マネ「山火事かあ…何か余震とかあったらたいへんだなあと思って電話したんだけど…」 一応しっかりしたマネジャーなんですけど(笑)。
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2004年1月13日(火)
午前2時半に就寝、5時半起床、6時20分に家を出て丸山でうどん食って7時40分の飛行機で羽田へ。10時にタウン情報全国ネット本部到着。午前中に会議の準備をして午後1時から全国ネットの役員会。4時半に終了して、5時に会場を出て本屋でちょっと物色して6時過ぎに羽田に着いて、6時55分の飛行機で高松へ。夜9時前に自宅に帰った。
どうでもいいことだけど、羽田発高松行き最終便はたいていいつもゲートから飛行機までバスに乗っていくのだが、バスの中のアナウンス(テープの声)が「ヤモウエズ(やむをえず)急停車するバワイ(ばあい)がありますので…」と言うのがとてもキモチワルイ。プロのナレーターが吹き込んでるんやろ? 誰も注意せんかったんやろか。
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2004年1月12日(月)
私に朗報である。他の人には別に朗報でも何でもない。でも心配してくれていた家族とタウン情報全国ネット本部のスタッフには朗報である。本日午前2時半、石が放出されました(笑)。詳細な描写をすると皆さんの頭の中にヤなものが想像されてもいけないので、描写しない。思い起こせば昨年9月頃以来、非常に清々しい朝を迎えました(笑)。ふー、あとは腎臓にまだ数個いらっしゃるらしい石が落ち着いた性格であることを願うばかりである。
団長「気が短いやつはカルシウム不足とか言うやろ?」 ごん「言いますね」 団長「ということは、カルシウムを十分摂ったら気の長い落ち着いたやつになるということやけど、そのカルシウムが石を作るとなると、俺は一体どうしたらええっちゅうねん!」 ごん「あんた、論理が途中でもつれてます」
ちなみに、「陣痛」と「痛風」と「結石」が人間の“3大痛み”だそうである。
団長「“足の小指をタンスの角にぶつけた時”はベスト3に入ってないんか」 ごん「全然ジャンルが違います」
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2004年1月11日(日)
昨日の夜の座談会は「讃岐うどん巡礼88カ所達成者パーティー」レポート(TJ Kagawaで掲載予定)用の座談会で、ごん、坂東(セーラー)、八木(同)と集合。ついでに過去4回の企画全体を振り返ってのコメントを録音した。その録音テープをライターが起こして短い文章にすることになっているのだが、例によって本に載せられない部分で盛り上がりました(笑)。キーワードは「元気でやってます」だが、この話、マニアにはウケるけど、さすがにこれを載せるにはごんの許可がいるわな(笑)。
さて、達成者パーティーで「第4回で終了か?」と思わせるような素振りを私が見せたが、「讃岐うどん巡礼88カ所」企画はとりあえず、私は卒業することに決めた。 すなわち、もし第5回があっても私は関わらないのでご報告します。常連の方々には寂しいかもしれないが、この企画のスタート時からの趣旨は、
(1)多様な讃岐うどんの世界の、店やメニューやおっちゃんやおばちゃんや客のいろんな在り方を体験してもらいたい。讃岐うどんはその多様性こそが現状の存在意義であるから、一面を見て讃岐うどん全体を語るのではなく、企画を通じて讃岐うどんの多面を認識して語り広げ、語り継ぐうどんファンが一人でも多く生まれたらうれしい。 (2)企画を通じてうどんファンのコミュニケーションが広がってくれたらうれしい。
の2つであった。その結果、(1)の「多様性の体験」については、4回を通じて「多様性の基本形」は十分伝えられたと思うのである。「人、物、店(場所)、事」の要素のうち、「物(メニュー)と店」である。いろんな形態の店、人気店の何たるか、新しい店の息吹き、そして多様なメニューの存在の基本的な在り方は、およそなぞることができたと思うし、あとはみんなの興味のままにみんなで遊んでくれればいいと、そういう意味で企画は趣旨をほぼ全うしたというわけである。
余談であるが、第1回から書いていたように本企画はこういう趣旨であったから、4回のうち、88カ所の店選びにおいて私としては不本意な回が1回ある。
(第1回)近年の讃岐うどんブームの原動力である製麺所型店を中心に、一般店、大衆セルフ、製麺所型店の3つのカテゴリーの代表的なスタイルの店を選んだ。 (第2回)讃岐うどんのメニューの多様性を主眼に店を選んだ。 (第3回)ファン投票による人気店を中心に店を選んだ。 (第4回)第3回までに一度も出ていない店の中で、特徴のある店を中心に選んだ。
もうおわかりだと思うが、趣旨に沿わない選び方をしたのは「第3回」である。今だから言うが、この時はいろんな声に妥協してしまったのである。趣旨の伝わらない人たちからの「何であの店が入ってるんだ」とか「あの店が入ってないんだ」とかいう声や、あるいは第1回、第2回で取材拒否というか「企画に乗らない」と言うので外した店が、企画の人気が出てきたことから逆恨みしたりする声とか(笑)、いろんな少数意見に妥協してしまった回であった。
もう一つの「コミュニケーションの促進」については、第3回、第4回の達成者について、かなり顔ぶれが似てきたので、このコミュニティが成熟しつつあるという感じを持ったから、卒業の時期だと思ったのである。うどん屋の「人」についても、秀のおばちゃんをはじめ何人もの“有名人”を発掘することができたし(笑)。併せて、スポンサードしてくれたキリン、味の素の2社も“卒業”ということなので、ここが切りだという結論になったのである。一部から「新たなスポンサーを募って続ける」という声もあったようだが、それは企画趣旨も「イベントの転換期」もわかっていない、単にお金を目的とする行為にしか映らないので、私は乗らない。もしどこかが「讃岐うどん巡礼88カ所」によく似た企画を始めた場合は、私は関わってないと思ってください。
もしやるなら、全く違う企画で新たに始めるべきだと思います。そういうわけで、また何か新しいものをプロモーションする可能性はありますので、その時はまた一緒に遊びましょう。皆さん、どうもありがとうございました。
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2003年1月10日(土)
10:00〜12:00 某社より、うどんの商品企画に関するアドバイスを求められて、たぶん今までどこもやったことのない、かなり斬新な企画を一つ提案しました。さっそく調査に入るそうですが、どうなることやら。
15:30〜17:30 某社の某君より、うどんのあるイベントに関するアドバイスを求められて、たぶん今までどこもやったことのない、かなり斬新な方向性を伝えました。さっそく検討に入るかどうかわからんけど、どうなることやら。
「アイデアは訓練で出るようになる」というのが私の持論である。この2つの案件どちらも、大学の私の「アイデア開発論」の中の“アイデアを出す道具”を使って、前者は1時間ぐらいで参加者と一緒に考えながら生み出したもの。後者も同じ手法を使ってたどり着いた一つの解答である。今回使ったのは、四国新聞の「論点香川」にも書いた「分解する・類似品を並べる・組み替える」という道具(手法)であるが、威力抜群である。ショボイかすごいかは差は出るけど、たぶん誰でもアイデアは出るようになるのよ。
そういうわけで、先の2つの提案は、アイデア段階は終わり、実施できるかどうかの調査段階に前進しました。それをクリアすれば、次が物作りで言えば「試作」。その次に「製作(制作)」。それで初めて、評価にさらされる段階にたどり着く。その間、人間やお金のマネジメントがずっとつきまとうというわけで、結構大変やろ? アイデアを実現するって。もし実現したらまた話題をまくと思いますが、どうなることやら(笑)。
本日夜は座談会。その内容は、ちょっとお知らせものがあるので整理して明日。
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2004年1月9日(金)
朝9時に病院に行ったら、駐車場が異常に混んでいる。5階か6階建ての駐車場の、いつもはこの時間(過去何回も来たことがあるもんで)2階か3階に止められるのに今日は一杯で、どんどん上に上がっていったらとうとう屋上に止めるはめになった。車を止めて階段を下りて病院の受付ロビーに行ったら案の定、むちゃくちゃよっけの人がおる。人で一杯のイスの間を通ってカウンターに向かっていたら、後ろの方で小さな声で「あ、田尾さんや…」いう声がする。やだなあ…。視線を感じながら受付を終えて、腎臓結石につき泌尿器科へ向かおうとしたら、今度は違うおばちゃんが声をかけてきた。 おば「田尾さんやな」 私「あ、はい」 おば「まあ、テレビで見るより若いがな」 私「あ、すんません(笑)」 おば「今日はどしたんな?」 私「何か石が降りてきたみたいで…」 おば「あらあら」 私「ちょっと上、行ってきます」 長話しとる場合でないので会釈して2階に上がって泌尿器科に行ったら、待合いのイス席はこれまた超満員。受付で看護婦さんに症状を聞かれて「いや、昨日の夕方からちょっと…」と言いかけたら、イスに座っていたおじいさんがわざわざ立ち上がって私の横に来て、 おじ「あんた、あれやな? テレビの…」 としゃべり掛けてきた。じいさん、さすがにそれは無神経過ぎるやろ? こっちは病状を説明してるところで、看護婦さんがそれをメモしながら聴いてるやろ?
ただちに尿検査用の採尿を指示されて検査室の前へ行ったら、ここは何と、イス席は満席で受付には行列までできとるやないか! 何や、今日はうどんでも出してるんか!
早々に採尿して泌尿器科に戻って、わずかに空いてるイスに座ってうつむいて、「絶対顔を上げんぞ」と誓って持っていった文庫本を読み始めたら、前の席の男の人がちらちらと後ろを見てくる。私はうつむいたまま、文庫本を手で隠しながら読み始めた。だって、離れてる人には「こんなわずかな時間にも読書をする田尾さん」と映ってたかもしれないが、読んでる本、爆笑問題のお笑い本だもん。
順番を待っている間、診察室からずっと先生の大きな声が聞こえてきていた。お年寄りの患者が多いので、きっと大きな声ではっきりと状況を伝えるクセがついているに違いない。順番が来て入ったら、私の時も大きな声。たぶん私の病状、待合室中に聞こえてます(笑)。とりあえず、予想通り腎臓結石で、エコーの結果まだ数個の石が腎臓にいらっしゃることが確認されました。破砕処置が必要なほどの大きさではないらしいのですが、来週、改めて精密検査ですねん。ちなみに行く病院病院で先生から何回も何回も説明を受けて、私、腎臓結石については今、ちょっとした医者並みに語れますのでよろしく。何がよろしくかわからんけど。
結局待ち時間が長かったため12時過ぎに病院を出て、1時から4時半くらいまで会議に一つ出て、5時前から7時までKSBスーパーJチャンネルに出て、その後何と「論点香川」の原稿まで書き上げて、何か病院に行ったのにえらいよっけ仕事が片づいたがな。けど、来週の授業計画を2つ作らないかんの忘れてた。3連休、また苦しまないかん…。ふー。
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2004年1月8日(木)
朝7時に起きて論文の続きを書いて、大急ぎで朝食を食べて9時にクレメントで日清冷凍食品の正岡本部長と三宅さんと会談してカフェオレおごってもらって、10時半に麺通団員の長谷川君と合流して、さらに羽野編集事務所の山口君とカメラマンの高橋さんとくみちゃんも合流して、県民ホール前で県政だより「THEかがわ」の撮影。12時半に大学に到着し、3時まで論文の続きを書いて3時10分からプラクティカムの授業に出て、5時に大学を出て6時前に家について論文の続きを書いて、10時についに論文を書き終えた。資料挿入なしの約1万7000字、書き下ろしです。「書き下ろし」とは言わんのか(笑)。 ちなみに、おそらく四国学院大学の論集始まって以来初めての、(笑)の入った論文です。だって漆原先生に「論集用の論文って、(笑)とか入ってもええんですか?」と聞いたら「オッケーオッケー」って言ったもん。よし、これで漆原先生に責任振った、と(笑)。 でもなあ、夕方からやっぱり石が、ズキン、ズキンと来始めたのよ。明日、病院行くかなあ。これから15日までに、佐伯に頼まれた原稿、四国新聞の「論点香川」の原稿、「THEかがわ」の原稿、タウン情報全国ネットの事業企画書に会議が4本、授業が2本、テレビ1本に雑用山ほど、その上に1月中に本1冊書いてくれ言われとんやけど、病院に行って「入院」とか言われたらどうしよう。ま、言われたら入院するか。
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2004年1月7日(水)
年明け初めての大学。駐車場に車を置いて研究事務室方面に歩いていたら、向こうから歩いてくる男子学生の重谷と川田に出会った。年明け初めての学生にはなにかめでたいお言葉を掛けてやらないかんと思いながら近づいたら、やつらがあいさつしてきた。 重谷・川田「あ、先生、明けましておめでとうございます」 私「年明け初めて会うた学生がお前らかー」
ごん「どこがありがたいお言葉ですか!」 いやいや、ま、愛情の裏返しということで。研究事務室に行ったら中尾、堀川ら女子学生が弁当食いながらこっちを見て、 中尾「あー田尾さんやー」 堀川「田尾さんやー」 言うてまた弁当を食い始めた。うちの学生は、みんなええやつばっかりやなあ(笑)。
そんな全然新年らしくない、生ぬるいいつもの光景の中で連絡物や書類を改めていたら、助手の真鍋が何やら袋を出してきた。 真鍋「これ、僕らから田尾先生にプレゼントなんですけど」 私「何や。俺、何かええことしたか?」 真鍋「いや、去年僕らのせいで資料を作り直してた時に、先生、カッターでネクタイの先を飛ばしたから、新しいネクタイを…」 私「そんなことでネクタイ買うてきたんか! どこのや。ポール・スミスやんか! 高いんちゃうんか」 真鍋「いや、何とか、大丈夫です」 そんなもん気にせんでええのに…と思いながらも、ありがたく受け取りました。本日、夜の6時半頃まで学科協議会。帰って夜中まで、昨日が締め切りの論集用の論文を必死で書く。あかん、何かちょっと、また次の石が降りてきそうな感じ…。
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2004年1月6日(火)
ホテルで7時起床。5時間ぐらいしか寝てないがな。おそるおそる全身に意識を伸ばしていったら、奥の方にちょっとだけ、まだ痛みの芯があるような気がしたので、これまで数十年間がんばってきた体にたまには褒美をやらないかんと思って意を決して受話器を取り、朝食のルームサービスを頼んだ(笑)。7、8年前、福岡のグランドハイアットで頼んで以来、生まれて2回目のルームサービスだ。
福岡の時は、チャイムが鳴ってドアを開けたらウェイターの兄ちゃんがワゴンみたいなのに朝食を載せて立っていて、何しろ初めてだったのでワゴンの上の朝食を取ろうとして「あ、これはそのままお部屋にお通ししますので」と言われちゃったんだぞ。 ごん「メチャメチャ恥ずかしいことやってますやん」
メニューは「京の朝粥」。木の小さなおひつみたいなのに茶碗に2杯半ぐらいの量のおかゆが入っている。おかずは椀物でダイコンと高野豆腐と白菜と甲子豆の煮物、鮭の切り身を焼いた物、昆布の佃煮、出し巻き卵、漬物盛り合わせ、ちりめんじゃこを何かで絡めて山椒を振ったみたいな物、赤だし、梅干し2個。まずおひつから茶碗にお粥をついで、ふと見ると用途不明の徳利みたいなのがお膳に載っている。大円のぶっかけのダシを入れている背の低い徳利みたいなやつ。醤油かと思ったが、持ってみると熱い。小皿の上にちょっと垂らしてみたら、半透明の茶色の、ドロッとした液体が出てきた。なめると、何かダシっぽい味がする。たぶんこうだろうと思ってお粥にかけて食べたけど、うまかった。オッケーやろ? お粥にかけて。
9:30にタウン情報全国ネット本部へ。小池からいろんな報告を受けた後、伊庭野が札幌みやげで買って帰ってきたお菓子を2種類出してくれた。マシュマロっぽい食感のチョコレートと、ピーナッツとキャラメル生地を絡めたみたいなのが白い変わった食感の台菓子に載ったビスケット状のお菓子(想像できんやろなあ)。これがあーた、うまいがな。ここの事務所は全国のタウン情報誌が集まるだけでなく、結構うまいもんも集まるんよ。ま、小ネタ好きのスタッフが旅行先で時々買ってくるんだけど。おかげで観光マネジメントにおける「お土産の進化」のネタも着々と集まっています。
今日は帰る前にTBSラジオの収録があるので、千代田線で赤坂に出て、16:00にTBSの1階フロアで沼野マネージャーと待ち合わせ。9階に上がると、ラジオのスタジオがいっぱい並んでいて、案内されるままについて行ってたら、爆笑問題がラジオの収録をしていた。私はその2つ隣で、柳井さんという女性パーソナリティーを相手に10数分の収録。今日いきなり放送だそうです。
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2004年1月5日(月)
実は1月1日に福田社長がどうしても行くと言うから東京麺通団から歩いて花園神社に初詣に行ったのが、信じられないかもしれないが、記憶では私の人生における“初”初詣だったのである。行ったらすでに50mもの行列ができていて、順番が来ても何しろ“初”初詣だから段取りがわからんで、前の人のやり方を見て(初めてのセルフのうどん屋行った時みたいや)何やら上の方に大きな鈴のついたロープみたいなんを揺らして…賽銭は8円投げてきた。
ごん「あんた、全然ダメですね。そんなことやから日本の伝統が失われていくんですよ。しかも賽銭8円て…」 団長「すまんけど、日本の伝統はきみが継承してくれ」
で、これまで初詣も厄払いも何もやってこなかった私が初めて神様の前で何かをやったということで、福田社長が「今年は何かええことが起こるで」と言っていたのだが、いきなり正月明けの今日、起こりました。東京へ着いた途端、石が降りてきたがな。
団長「腎臓結石の石や」 ごん「悪いことが起こってますがな!」
何か最近、石の降下サイクルが短くなってるし。で、しばらく我慢しながらいろいろ要件を片づけていたのだが、どんどん痛みが増してきてこれ以上痛くなったら近寄ってきたやつを殴りそうなぐらい痛くなってきたので、午後3時、ついに脂汗流しながら近くの日大病院に転がり込んだ。エコーで見てもらったら「左の腎臓が腫れてますから、やっぱり石でしょう」と言われて、処方箋もらって向かいの薬局で薬もらって出てきたら心配した吉本の沼野マネージャーが来て、痛み止めがかすかに効いてきた感じがしたのでとりあえず一緒にメシ食って、本日の予定は全部キャンセルしてホテルに早々にチェックインしてうなりながら横になった。
結局夜の11時頃、薄い血尿が出たあと、すーっと痛みが引いていきました。毎回だいたい同じパターンやからあわてることはないけど、ほんまにたまりませんで。それから夜中の2時前までホテルで大学の論集用の原稿を書いてて、途中で力尽きて就寝。山本先生、明日の締め切りに絶対間に合いません(笑)。
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2004年1月4日(日)
昼12:30、ごんと松村が来宅。同時に高松に帰っている太田(たけし軍団)も来宅し、モチ食いながら雑談を少々。
太田(太田浩介)は数年前までたけし軍団の野球部のレギュラーで、正月番組では「たけし軍団対名球会」とか「たけし軍団対ヤクルトスワローズ」とかに1番センターで出場していたのだが、以来、ドラマに出たりCMに出たり、うどんファンにはおなじみの全国ネットうどん特番で讃岐うどん88カ所の早回りをしたり、いろんな所で活躍を目にするようになって実にうれしい限りである。ちなみに北野武監督の「座頭市」にもセリフ付きで出演しているので、ビデオで見てね。
で、何でこのメンバーが集合したかというと、正月に東京麺通団で会った時に「1月4日に高松で麻雀をする」という約束をしてしまったからだ。結局昼の2時から雀荘へ行って、夜の10時半までやってしまいました。成績は、書いたらごんが落ち込んでしまうので書かない。 ごん「言うてますやん!」 けど私は本当のところ、休み明けまでに書かないといけない原稿と企画書が丸ごと残っていて麻雀なんかやっとる場合ではないんだ。 ごん「だからもうええですって!」
付録で「太田語録」を一つ。喫茶店で太田とレジのおねえちゃんの会話。 太田「領収書をお願いします」 レジ「はい。宛名は何とお書きしましょうか?」 太田「“将軍様”でお願いします」 レジ「は?」 太田「あ、“上様”でお願いします」
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2004年1月3日(土)
今日昼からラジオの生放送に出演することは、12月29日の夜中に上村さんに飲みに誘われて出ていった時にたまたま来てたディレクターの女の子から聞いて知ったのである。しかも番組中で私が人生相談に答えるというコーナーがあることは、大晦日に長谷川君から「番組の宣伝で団長が“人生相談に答える”って言ってましたよ」と聞いて初めて知ったのである。 団長「俺の知らんところで、俺のことが勝手に決まっていきよるがー」 ごん「ひどい話ですね」 団長「そういうわけで、きみも出演ね」 ごん「ひどい話です!」
そういうわけでお供にごんを連れて、RNCラジオの昼の生ワイド、準備も何もなしの行き当たりばったりで、12:00〜16:00の4時間生放送に出てきました。メインパーソナリティーは上村さんと伊達典子アナウンサー。久しぶりにニタちゃん(仁多田まゆみアナウンサー)にも会ったし、レポーターの宮宇地美穂ちゃんもスタジオに来たし、なかなかおもろかったです。けど、休み明けまでに書かないといけない原稿と企画書が丸ごと残っていて、ラジオに出てる場合ではないんだ。 ごん「もうええっちゅうに」
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2004年1月2日(金)
爆睡明け。昼から家族で詫間の実家に行って、夜帰ってくる。実は休み明けまでに書かないといけない原稿と企画書が丸ごと残っていて、日記を書いている場合ではないのよ。
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2004年1月1日(木)
12月31日午後5時前、私とごん、松村、長谷川君、別府君の5人は羽田空港に降り立った。本来は午後3時には東京麺通団に登場しているはずだったのだが、マネージャーの八木さんがあれからバイトを呼び戻してくれたおかげで大晦日の東京麺通団は夜の9時頃まで結構スタッフが揃っちゃって、私らはほとんどすることがないのではないかという事態になっていたため、遅い飛行機で来たのである。私は空港からさっそく店に電話を入れてと。
バイトの女の子「はい、東京麺通団です」 団長「田尾ですー。八木さん、今電話に出られる状態?」 バイト「あ、今うどんのところに入ってます」 団長「じゃ、いい。呼ばなくていい。6時頃、役立たずが5人行く言うといて」 バイト「わかりましたー(笑)」
というわけで、6時に店に入りました。うどん打ちは店長山中くんとワイルド臼杵。我々は充実のバイト陣の中に入って、ごんが天ぷら揚げ場、私がその横で天ぷらとか売り係、松村は洗い場担当、長谷川君と別府君はフロア担当。いやー、働きました。天ぷら売り場は私とごんがバカ話ばかりして、恐れ多くもお客様をいじらせていただきました。 ごん「いらっしゃいませー」 団長「はいどうぞー」 ごん「揚げたてですからねー。かき揚げと卵、ゲソは今揚がったばっかりですよー」 団長「ということは、この辺のナスとかカボチャとかレンコンはちょっと前に揚がったやつですからねー」 ごん「ダメですやん!」 団長「今日はかき揚げとゲソとかしわ天はむちゃくちゃでかいです! いつもより大きめに揚げてます!」 お客「ほんとだー! すごーい!」 ごん「大晦日の大サービスですからね」 団長「正月明けたらシュ〜と小さくなりますからね」 ごん「だからあんた全然ダメですって!」
こんな調子で夜は全開。お客さんも夜中の2時頃までずーっと切れ目なく来てくれてほぼ満席状態。12時にはクラッカーでお客さんたちと一緒に新年を祝って、樽酒を振る舞わせていただきました。さすがに午前2時を過ぎるとお客さんは減りましたが、さすが新宿、ずーっと朝まで途切れることがない。そして元旦の朝を迎え、昼を過ぎて午後3時に閉店。この間の我々の勤務状況は、以下の通りでした。
(団長) 12月31日 19:00〜21:00 ちょっと店を抜けて、長谷川君と別府君を連れて渋谷へ。視察を兼ねて将八でうどんを食って、せっかく来たので渋谷から新宿まで50分ぐらいかけて歩いて帰る。 1月1日 5:00〜 8:00 近所のサウナで風呂に入って約2時間微眠。8時に店に帰ってきたら「朝まで生テレビ」明けの勝谷さんが来てたので雑談。 10:00〜11:00 太田(たけし軍団)が店に来て、福田社長、ごん、松村と一緒に店内でバカ話。 11:30〜12:30 福田社長、ごんと3人で近所の花園神社に初詣。 (ごん、松村、別府君) 店内で微眠微休。 (長谷川君) ついに不眠不休。
ご来店いただいた皆さん、どうもありがとうございました。
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