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2004年02月の日記
2004年2月25日(水)

 ちょっと依頼ごとがあって、久しぶりに木場さんとこ(フランス料理の「ボワ・エ・デュポン」)へ行って
2000円のランチを食べた。張り込んで3000円のを食べてもよかったのだが、ごんと一緒だったので2000円で十分だ。おごってやったし。

 木場さんとも私は長い知り合いである。タウン情報誌をやってた頃は、恐れ多くも天下のフランス料理の巨匠木場シェフに「タコ焼き特集」に出てもらって「私の好きなタコ焼き」を告白してもらったり、取材で店に行ったらそこに偶然フレンチの鉄人坂井宏行さん(木場さんの友だち)が来て、突然の取材をさせてもらったりと、いろんなお世話になってきたのだが、今回の依頼ごとも快諾を得ました。いつもすんません。

 さてと、ワタクシ、明後日からちょっと用事でしばらく留守にしますので、3月3日まで日記の更新はありません。
ごん「ま、遊びに行くようなもんですな」
団長「失礼な! 仕事じゃ!」
ごん「仕事ですか」
団長「仕事の一環やな」
ごん「一環?」
団長「ま、仕事の意味合いもあると…」
 言うときますけど、タウン情報全国ネットワークの行事ですからね。
2004年2月24日(火)

 高瀬の図書館長の坂田さんたちが研究室に来た。坂田さんは図書館長であるとともに高瀬のお寺の住職。何かここんとこ、お坊さん密度が高いぞ。3日に2日、お坊さん率67%だ。

 ちなみに以前坂田さんに「お坊さんの家もクリスマスにはケーキ食べたりするんですか?」と聞いたことがある。その時の坂田さんの答は、「食べるでー。どことは言わんけど、家(お寺)の前の木に飾り付けをしておけな(大きな)クリスマスツリーにしようとして檀家の人におこられたとこもあるで」って(笑)。坂田さんとこちゃうやろな。

 本日遅い昼食は清水屋で肉玉ぶっかけ(初めて)。15:10からの学部教授会は18:00過ぎまでかかった。大学教授になって約1年、教授会はほとんど出席してきたが、だんだん何事であるのかわかってきた。全体的にビジネスの世界では考えられないメンタリティがあちこちに、根強く残っています。でもまだわからないことの方が多いので、おとなしくしています(笑)。
2004年2月23日(月)

 千趣会の池川さんたちが研究室に来て、1時間半ほど重要なミーティング。
池川「田尾さんの研究室の手前の部屋、“ドイツ語研究室”って表札が出てますやん」
団長「出てますね」
池川「それでこの部屋の表札は“田尾研究室”って出てますやん」
団長「出てます」
池川「これって、普通の人が見たら“田尾さんを研究する部屋”みたいに思いません?」
 ま、大して重要なミーティングはしてなかったということだ。

 ちなみに昨日、またセシールの12カ月うどん通販企画のチラシが入っていて、冒頭に私の文体みたいな文章(私の文章よりちょっと横柄なテイスト)が入っていましたが、私ではありません(笑)。私の文章は表に出る時は必ず署名入りですから。
2004年2月22日(日)

 ごんと長谷川君を連れて、総本山善通寺の大会陽の「稲穂投げ」なる行事に参加してきた。一体何がどうなってこんなことになったかを説明していると長編になるのでかいつまんで箇条書きにすると、こういう経緯である。
・善通寺の大会陽では、神木を奪い合う「裸まつり」がメインイベントであったが、暴力沙汰が絶えないため、中止になった。
・代わりに何かやらないといけないということで、どうも「うどんを振る舞おう」という企画が出たらしく、そこで私が呼ばれた(連絡をもらった長寿院の住職さんは、うちの実家の法事にいつも来てくれるお坊さんで、総本山善通寺でも偉い人だ)。
・私はその会議の場で「うどん振る舞い」ではなく、総本山善通寺にふさわしい斬新かつ壮大な企画を2つ提案したら「ぜひ取り組もう」ということになって、「じゃ、その第一歩として稲穂投げに出てね」ということになった。
 というわけである。最後のところ、頭の中で話がつながらんだろうが、「壮大な企画」の部分はまだ秘密なので話をつなげるわけにはいかん。

 「稲穂投げ」というのは以前から裸まつりと併せて大会陽で開催されている行事で、お寺に献上された稲を一本ずつ、茎の部分に割り箸の添え木をして白い紙でていねいに巻いて、先の稲穂部分を垂らしたようなものを数千本作って祈祷を行った後、五重塔の2階部分に設けられた特設舞台から投げるという行事である。これを拾った人々は、その年の苗床作りの時にそのモミを混ぜてモミ蒔きをすると、豊作になると言われているそうだ。舞台からはモチや木札も一緒に投げる。要するに「とてもありがたい棟上げ」みたいなもんである。

 段取りもよくわからないまま13:00に社務所に集合した我々。長寿院さんから「稲穂の祈祷会にも出席してください」と言われて…。
団長「出席って、どうしたらいいんですか?」
長寿「ただ神妙にしていれば」
団長「神妙に?」
ごん「あんた、法事でも長寿院さん笑わしたりしよんちゃいます?」
団長「してないわ!」

 13:30から御影堂(みえいどう)というところで十数人のお坊さんによる祈祷が行われた後、14:10から五重塔までの200mくらいの回廊を行進だ。大会陽で出店もいっぱい出て数千人か数万人かわからん人がごった返す境内を、先頭は黒い着物姿にお鈴みたいなのを持った、ご詠歌軍団みたいなご婦人の一団。続いて紫の袈裟を着たお坊さん軍団。その真ん中に、橙色の袈裟を着たひときわ偉い人であろうお坊さんが、何か上杉謙信が川を渡る時みたいな、担ぎ棒のついた台みたいなのに座ってかつがれて進んでいく。そのお坊さん軍団の後ろに、我々がついて行進するのだ。善通寺の宮下市長もいた。
団長「稲穂投げって、やったことないんですけど…」
宮下「大丈夫大丈夫。ただ投げるだけやから(笑)」
 宮下市長はかつて自衛隊にいたそうだが、いつも論理的で決断が早く、きっとビジネスマンとしても成功していただろうと思わせる“男前”だ。

 五重塔に着いて、中の急な階段をクネクネと上がって顔を出すと、塔の2階のベランダみたいなところに出た。下を見ると、えらい数の人が塔を囲んで待ちかまえている。ごんと長谷川君が目を皿のようにして知り合いを捜すと、別府君発見。今度うどん屋を始める白川君発見。おお! 麺聖発見。14:30、いよいよ稲穂投げが始まった。私らはモチを投げる。どんどん投げる。20分ぐらいすると、我々は木札を渡され、特設舞台の一番前に呼ばれた。いきなりマイクで紹介される。
「今から麺通団の皆さんによる木札投げです。拾った人はうどんと交換してもらえます」

 ちょっと笑いました。会場からもちょっと笑いがあったような気がしました(笑)。下から「たおさーん! こっちー!」とか声もかけられて、失笑。終わって塔を降りて出たら、おばちゃんたちからいっぱい声をかけられて…。
ごん「おばちゃんには人気ありますからね」
団長「“には”って、キミ」
 終わってちょっと、「高いところから下の人に物を投げる」っちゅうのに何か申し訳ないという気持ちがあったことを告白しておきます。楽しんでくれたのならいいんですが。でも私も棟上げに行ったら、拾う方でむちゃくちゃ楽しかったもんなあ。オッケーか。
2004年2月20日(金)

 要するにこういうことだ。
 ファーストコンタクトはKSBの多賀さんから。

「テレ朝の人から頼まれたんですけど、『ラーメン刑事』という番組があって、今度香川ロケに来るらしいんですけどね、香川ならラーメンだけでなくてうどんだろうということで、田尾さんに一度讃岐うどんの話を聞きたいっていってるんですけど、連絡させてもいいです?」

 聞くと、神田正輝がラーメン好きの刑事で、全国各地でラーメン食ってたら事件が起こるというアゴの外れそうなワイドのドラマらしい。とりあえず私は「いいですよ」と返事をした。数日後、セカンドコンタクトはテレ朝の方から。

「そういうわけで今度脚本家が香川に行くんですが、どこかでお話をお伺いする時間が取れれば…」

 私はスケジュールの隙間を見つけて、時間を指定して返事した。数日後、サードコンタクトは脚本家の方から。

「すみません、今香川にいるんですが、ちょっとスケジュールが押しちゃって、お会いできなくなりました。東京に帰って脚本をまとめたら田尾さんにお送りしますので、それをご覧になっていただいて…」

 いや、脚本ができたあとなら私の用事はないのではないか? と思ったら、そこから話は予想外の展開を見せたのである。

田尾「あの、脚本を見ても私は何をすればいいんですか?」
脚本「とりあえずは田尾さんの出演のところだけ見ていただいて…」
田尾「え、えーっ! 出演って! 聞いてませんがな!」
脚本「え? 聞いてませんか? でもとりあえずご覧いただいて。後日お送りしますのでよろしくお願いします。じゃ」

 じゃ、ってあーた。『ラーメン刑事』に俺はいかんやろ。というか『ラーメン刑事』っちゅうのが……いかんやろ(笑)。どうなるこの話。ちなみにうちの家族に言うたら「メチャメチャ恥ずかしいけど、ネタとしてはオイシイな」って。どんな家族や!
2004年2月19日(木)

 東京で会合と情報収集。勝谷さんに連れて行かれた水道橋の立ち飲み屋のシステムには驚いた。ひっきりなしにお客さんが入ってきて大人気だ。10数坪の狭い店ではあるが、システム以上に感心したのは、たった一人で見事に店を仕切っている若い主人。結局「人」なんですねえ。あの主人なら、どこでうどんを習っても珠玉の職人になれると思います(笑)。

 本日は東京麺通団に近い新宿のヒルトン東京泊。急に宿泊が決まったのでインターネットサイトで探したら適当なところがここしかなかったのだが、チェックインしたら「本日はお部屋が混んでおりまして、お申し込みのシングルユースではなくて、同料金でスイートルームにお泊まりいただきますが、よろしいでしょうか?」って、めちゃめちゃよろしいがな。生まれて初めて、スイートルームなる部屋に泊まりました。案内されて部屋に入ったら、広いリビングルームと、広いベッドのある部屋。こら一応部屋両方とも使わないかんと思って(小市民やなあ)、まず広いリビングルームにある机の上でパソコンを開けてイスに座ったら、正面が部屋のドアだ。誰かが入ってきたらいきなりご対面だ。誰も入ってこんけど。

 で、原稿を書きかけたんだけど、部屋が広い上に正面にドアが見えて全然落ち着かんで、結局ベッドのある部屋の机に移動して夜中まで書き物をした。小市民。深夜0時過ぎ、夜食を食べに徒歩で東京麺通団へ。うどん場で臼杵が一人でがんばっていた。今出てる「東京一週間」に、臼杵がアップでうどんを取ってるところが載ってます。よろしければご覧になった上、店で「本見たで」と言ってやれば喜びます。特に若い女の子、よろしく(笑)。
2004年2月18日(水)

 大学で「ホームキャンパスアワー」なる行事に出て講演。大学と地域の皆さんの交流を図ろうという趣旨で、今回は地元の老人クラブの皆さん80人くらいを構内の教室に招いて、私が1時間半、講義をすることになった。いやー、よっけ拍手もらいました。「価値観の天と地ほど違う世代が同居する時代」の話を背景に、うどんの話をしてくれと言われてたのでそれもちょっと。私、年輩の方々に人気あります(笑)。特におばちゃんやおばあちゃんに。夕方のテレビ(17:00〜19:00)にほぼ毎週出てるせいだと思いますが、視聴者層が大変よくわかります。

 夕方からは善通寺市の観光関係に携わる方々(市の方や観光協会の方や)と座談会。「知ってもらうための情報発信」と「来てもらうための情報発信」では、発信する情報の内容や見せ方が変わってくる…という話を中心に、いくつかのアイデアを披露してきました。出席者の方々はその視点の違いをとてもよくわかってくれたみたいで、かなり気持ちのいい前向きな2時間になって満足。いずれ大学のプラクティカムの授業と連動させて、ちょっと善通寺をおもしろくしようと思います。

 本日、清水屋でかけ大、ゲソ天、エビ天。またかい。
2004年2月17日(火)

 カーサの東京ロケを終えてそのまま東京に居残って、タウン情報全国ネット本部へ。就業規則の整備ミーティングに臨もうとしたら、小池から愕然とする報告を受けた。私がタウン情報の現役時代からの仲間で宇都宮市の「タウン情報もんみや」の社長である橋本さんが、50代の若さで心筋梗塞で急死したというのだ。

 私は橋本さんとは毎年全国ネットの理事会等で何度も会い、今年1月21日にも県のシンポジウムに来ていた宇都宮市役所の方と橋本さんの話題で話をしたばかり。小池に至ってはつい先日、2月10日の理事会で会って話をしたばかりである。告別式は21日(土)。合掌。

 夜、高松に帰って来る。明日、大学で講演とホテルで会合。明後日はまた東京。
2004年2月16日(月)

 15日(日)、16日(月)の2日間でうどん屋13軒、屋台1軒を食べ歩く。さらにマガジンハウスのスタジオでスチール写真撮影を2時間。カーサの西村さんからもらった「屋久島原産ガジュツ主成分」の「恵命我神散S」なる胃腸薬を3袋も飲んでがんばったのだが、ホテルに帰って見ると明らかに腹が出てきた。何が「うどんダイエット」じゃ!
ごん「ただの食べ過ぎです!」

 今回の東京うどん食べ歩きの大収穫は、根津の「根の津」と高円寺の「さぬきや」。麺がむちゃくちゃ素晴らしい上に、メニューがどれも料理として非常に素晴らしい。そのまま香川に持ってきても、一般店のトップクラス。東京の讃岐うどん(の一部)、恐るべしである。
ごん「それって、東京麺通団より上なんですか?」
団長「上である」
ごん「おっさんおっさん!」
 だってめちゃめちゃうまかったもん(笑)。ま、東京麺通団はコンセプトが「製麺所型ゆるい空間うどん店」なんで、また違う土俵ということで。すんません、がんばります。

(取材語録)
・犬養さん、某店のちょっと変な感じのダシを「タヌキみたいな味」とコメントする。すごい感覚と表現力。私もそのダシ飲んで同感。タヌキ食べたことないけど。
・勝谷さん、西村さんの「次の店はセルフだけどうまい」という説明を受けて「ヘルスなのに根の津よりうまいの?」と発言する。どんなうどん屋や!
2004年2月14日(土)

 朝から編集者Y口が迎えに来て、さぬき市へ「THEかがわ」のロケに出発。終わったのにまた始まる「小さな満足の風景」の4月号は、ロケ現場はさぬき市であるがネタはさぬき市ではない。でも掲載前なのでどこか言わない(こんなんばっかりや)。ちなみにY口情報によると、THEかがわ1月号に掲載した“飛行機が突っ込んでくるビューポイント”に今、見物客の車が列を作っているそうだ。
団長「機長、緊張するがな」
Y口「しませんって! いや、着陸直前だから緊張してますね」

 昼からは橋本先生(四国学院大学カルチュラル・マネジメント学科長。私の親分です)と一緒に第2回の県のボランティアワークショップの講師を4時前まで。夜6時からは県の観光振興課からアドバイス依頼を受けて、1時間少々話してきました。以前、決まった後で持ってきたアドバイス依頼に私が「それはやること自体に賛成できないから、やると決めた後で持ってこられてもアドバイスできない」と返した案件で、案の定、やってみたら困ったことになったと言って再びアドバイス依頼が来たのである。結局、事この期に及んではこれしかないだろうという対策を一つ提示したが、はたしてどこまで決断できるのかなあ。

 そのままアップタウンでマスターと話してたら「ラグタイムピアノ」の話になって、何曲か名盤を聞かせてもらってたら牛乳屋さんとくまさんが来て、ごんが来て、新開が来て、小ネタを繰り出しながら10時までクダを巻いて帰宅。本日のアップタウンでの収穫小ネタ。ポーランドの和名表記は「波蘭」。明日から「カーサ・ブルータス」のうどんロケ、地獄の東京編です。
2004年2月13日(金)

 朝9:30から大学で会合。昼までに後期の成績表を作成して提出し、12:30から大学の就職委員会に出席。14:00からまた別の会合があって16:00に高松に帰って、家でちょっと007のDVD見てたらうっかり時間が経って、KSBスーパーJチャンネルの生放送に本番30秒前にスタジオに入ったがな。

 19:10に帰宅。突貫工事で本日締め切りの原稿を書き上げた。福岡で去年創刊された「epi」というグルメ情報誌の連載原稿。うどんをはじめとしてこれまで庶民のB級食事しかしてこなかった私にグルメの連載をしろと言ってきたのは、かつて私と同じタウン情報誌に携わっていて今では福岡のグルメ界では有名人になっちゃったらしい弓削さん。私とはタウン情報時代の知り合いなもんだから断れんかった(笑)。で、さんざん私のグルメ感覚の貧困さを説明した結果、「お子様の味覚を持つ男」というタイトルで連載することになったのである。今回、やっつけで(失礼)ネタが浮かばなかったので「回転寿司のポーランド人」の話をバラしてしまいました。
ごん「それだけでは何のことかわかりませんよ。私は知ってますけどね」
 去年、ごんと一緒にやってたラジオ番組でちょっと話しただけの小ネタですが、発売前なので先にここで書いちゃうわけにはいかない。でも福岡の人以外は読めない。ま、取り寄せてまで読むほどのネタではないですけど。
2004年2月12日(木)

 本日午後からさぬき市の総合計画審議会に出席して、午後6時15分にさぬき市役所を出て五色台の休暇村へ。学生部長の神野先生に頼まれて、夜7時半から大学のサークルのリーダーズオリエンテーション合宿のレクチャーをやることになったのである。また合宿かい。

 もう真っ暗になった山の中を車で五色台山頂へ。恐ろしい根来寺を過ぎて闇の五色台スカイラインに入り、休暇村に到着。案内されて部屋に入ったら、70〜80人の学生が席に着いて待っていた。1時間ぐらい、「目的は何だ」「誰を、どうしたいのか」という話をして8時半くらいに終わって、さて、と思ったら神野先生が「田尾さん、すぐ帰らないかん?」と言うので「いや、ちょっとなら」と言ったら、「話をしたい言う学生が何人もいるから、部屋に集まって30分ぐらい…」と言われて10畳くらいの部屋に入って、酒やつまみが出たけど私は車なのでお茶を飲みながら部屋に来た学生にサークルへのアドバイスや就職のことを話しながら、「サインください」「名刺ください」言われながら…。君らなあ、俺しょっちゅう大学でおるがな(笑)。

 で、気がついたら夜の11時半やがな! 再び真っ暗な山を下りて、12時に家に帰りました。ふー、明日締め切りの原稿1本。まだ構想も練ってない。でも明日は朝から夜7時までスケジュールがびっしり。
2004年2月11日(水)

 10日、11日と、一泊二日でカルチュラル・マネジメント学科の年度末コンボケーション(1年間の授業の総まとめ発表会みたいなもの)の合宿。会場は喜代美山荘花樹海って…うちのマンションから徒歩10分やがな。花樹海から見下ろす高松市街地や瀬戸内海の抜群の眺望にみんなが見とれる中、目の前に自分ちのマンションを見下ろす私は、京都から香川に転校してきたらいきなり修学旅行で京都に行った小学生の気持ちだ。

 初日のプログラムを終えて夜中、学科の橋本先生、神野先生、上村先生、助手の真鍋と私の5人で部屋で「カルチュラル・マネジメント学科はどこへ行くのか」というテーマで議論が白熱して、しまいに寺山修司が乗り移った上村さんが「このコップの中にさ、核があるんだよ」とか「ニワトリを抱えて崖から飛ぶんだよ」とか言い出して、とうとう明け方近い4時半になってやっと寝たのである。
田尾「明日6時半起きやで。真鍋、6時半に絶対起こせよ」
真鍋「あ…いや…はい、わかりました」

 朝6時半、私は異様な声で目を覚ました。
「さっさと起きた方が身のためだぜ!」
 誰や誰や、誰の声や。目を開けて周りを見たら、全員いびきをかいて爆睡しとる。と思ったら、さらに声が続いた。
「さっさと起きた方が身のためだぜ! さっさと起きた方が身のためだぜ! さっさと起きた方が身のためだぜ! さっさと起きた方が身のためだぜ!」
 誰や! ……と思ったら死んだように寝ていた真鍋が動いて、手を伸ばして何かを止めてまた寝た。真鍋の携帯の目覚ましかい!

 結局、睡眠時間2時間で翌日のプログラムに突入した。昼2時前に全プログラム終了。全員解散して、大半が大学のバスで善通寺に向けて出発するのを後に、私は車で3分で自宅マンションに着いて、2時半から家で爆睡したのでした。
2004年2月9日(月)

 猛ツアーから帰ってきました。
 2月7日(土)の10:30過ぎに善通寺の白川で勝谷さんらと合流してdancyuの撮影を終え、12:00に善通寺を出て高松に帰って支度をして13:30から橋本先生と一緒に県のボランティアのワークショップをやって、15:45に終わって16:22のマリンライナーに乗って、岡山から17:30頃の新幹線に乗って18:20頃に新大阪に着いて、そのままタクシーに乗って19:00に集合場所のうどん屋へ到着。勝谷さんとフードジャーナリストの犬養裕美子さんとカーサ・ブルータスの西村さん(女)と山田さん(女・酒飲み)の5人で、讃岐うどん覆面調査ツアーを開始。 各店でみんなで4〜5メニューを注文して回し食いしながら感想を言い合って犬養さんがメモを取るという、実に怪しい集団だ。

7日…大阪で夜に3軒。
8日…朝から大阪で2軒、神戸で2軒。山田さんを置いてそのまま新幹線で博多に入り、夜2軒。
9日…朝から博多で3軒。

 結局12軒回りました。感想はカーサ・ブルータスに犬養さんがまとめて載せるから先には書かない。小ネタだけちょっとね。

 某店で、店名に大きく「讃岐」とうたいながら勝谷さん曰く「うどん粉ではない何かを溶いて細長い型に流し込んで固めたのではないか」というような(私も同感)珍妙なる物体に出会った。あれをうどんと認めれば、もはやうどんは「細長い物体」としか定義できなくなる。店内に「麦が違う、水が違う、塩が違う」とかいううんちくが掲げられてあったが、許されるなら「が」を「と」に書き直したいところです(笑)。

 某店内に大きく掲示された貼り紙の一つ。
「釜あげうどんでお時間をいただく為、お急ぎのお客様は、お気軽に申しつけ下さいませ。(釜上げうどんではありません)」
 誰か、意味を解読してくれ(笑)。ちなみにこの店の貼り紙には「かまあげ」「釜上げ」「釜揚げ」の3つがテキトーに使われていた。違うのか?

 地元では名のあるらしい数店で、生卵がそのまま載った、あるいは生卵が別についた「釜玉」が運ばれてきた。“運ばれてきた”ために釜あげ麺がちょっと冷めてる上に、そこから生卵をつぶして混ぜないといけないもんだから、食べたらとてもキモチワルかった。ちなみに某店でキモチワルイ釜玉を食べた勝谷さん、トイレでほんまに吐きました。

 いやー、想像以上の厳しいツアーでした(笑)。でも大阪の茨木市の「唐庵」は素晴らしかった。あそこは、はっきり言って香川に持ってきてもトップクラスの一般店です。今週末は同じメンバーで東京の讃岐うどん調査ツアーです。
2004年2月5日(木)

 何かちょっと油断しとったらすぐ日が経つ。もう明日金曜日かい。
 今週は前半、大学の一般入試があって、昨日終わって本日に至る。ここ、6日連続、昼飯うどんです。

1/31(土)かなくま餅福田(観音寺市)…雑煮うどん
     上戸うどん  (豊浜町)……かけ大、かけ小、チクワ天、ゲソ天
     大阪麺通団  (大阪市難波)あつかけ小、ざる小、チクワ天
2/ 1(日)大阪麺通団  (大阪市難波)あつかけ小、ゲソ天
2/ 2(月)木村     (飯山町)……かけ大、チクワ天、エビ天
2/ 3(火)清水屋    (善通寺市)…かけ大、ゲソ天、エビ天、いなり1個
2/ 4(水)宮川     (善通寺市)…かけ大、チクワ天
2/ 5(木)安並     (観音寺市)…かけ大、チクワ天、エビ天

 おおー、並べてみると傾向がわかるなあ。俺、かけにチクワとゲソとエビばっかりやん。ちなみに今年のうどん歴を調べてみると、

1/ 1(木)東京麺通団  (東京都新宿)あつかけ小、チクワ天、おにぎり1個
1/ 7(水)いきいきうどん(善通寺市)…かけ大、チクワ天、エビ天
1/13(火)丸山     (高松市)……かけ大、エビ天
1/19(月)東京麺通団  (東京都新宿)あつかけ小、チクワ天
1/23(金)木村     (飯山町)……かけ大、チクワ天、エビ天
1/29(木)安並     (観音寺市)…かけ小、つけ小、チクワ天

 うわー、チクワとエビばっかりや。
 ま、こんなもんです。だいたい週1、2回で、この6日間が異常なペース。さらにこの週末、土、日、月とカーサ・ブルータスの取材で勝谷さんらと一緒に大阪、神戸で6軒、福岡で4軒の猛ツアーです。ちなみに勝谷さんはその前にdancyuの取材で香川で5軒。金、土、日、月でうどん屋15軒やがな(笑)。dancyuの取材ツアーは私は大学の会議やワークショップがあって同行できませんが、たぶん土曜日の午前10時半頃、善通寺の白川で一軒だけ合流します。

 いうてたらタウン情報全国ネット本部のO西から「耳かきのこと書いてくださいよー」というメール。実は1月19日、20日に本部に行ってた時、本部のスタッフが20日が私の誕生日というのを覚えてくれてて、19日の終業後、ケーキを出してきたのである(実は本部スタッフ8人の内3人もが1月生まれで、合同ケーキだったらしいのだが)。で、ローソクを吹き消せと言うので吹いたらほっぺたパンパン(ちょっとたるみ気味)の写真を堀Kに撮られた後、O西からプレゼントとしてもらったのが、耳かきだったのである。

 これがなあ、むちゃくちゃええ感じなのよ。全長13.5センチ、先は極細のピアノ線みたいなのをらせん状にだんだん広く巻いた、わかりやすく言えば、これに布をかぶせて巨大化させたら、ゴルチエがデザインして「フィフス・エレメント」の映画に使いそうなスカートになるという感じの…
ごん「ややこしさが倍増してます!」
とにかく何かのデザインの賞をもらったという耳かきである。これまでは椿のお母さん(誰や)にもらったヒダのついた細い小さいスチールの耳かきが“耳かきの革命”だと思っていたのだが、超えちゃったね。

 ちなみに本部の小池が「田尾さんの日記に私が出る時、全部“打ち合わせ”で終わりなんですよ。もっとちゃんとネタになることをやらないといけないなあ、と反省しましたよ」って。
ごん「いや、それ、正しい社会人として方向が間違ってると思いますけど」
 明るいのはええことや。
2004年2月1日(日)

 10:00に大阪麺通団に入り、麺とダシと天ぷらのチェックをしながら開店を待つ。本日は司令官パロマス、うどん打ち福田かーくん、天ぷら担当は中国人のバイトの女の子、李(り)ーちゃんだ。マスターは李ーちゃんに天ぷらの細かい指導をしている。私は李ーちゃんに言った。
団長「日本語は大丈夫?」
李「はい、大丈夫」
団長「マスターの日本語はわかる?」
李「あー、少しわかる(笑)」
 無理もないわな。あれ理解するのは、もう一つ言語をマスターするようなもんやからな。
 さて、11:00に開店したら今日は日曜日ということもあってすぐに行列ができて、私は厨房では邪魔になるしフロアに出ても邪魔になるし、結局レジの横の狭い狭いスペースに入って、目の前に並んだ天ぷらをいじりながら、うどんをもらってトレイを持って流れてきたお客さんに天ぷらをお勧めする係になった。マスターがフロアに出てきて、2人で客いじりをしながらスタッフに指示を飛ばす。

団長「チクワ天が減ってきたで」
パロ「あいよー、李ーちゃん、チクワ揚げてやー! チクワピンチー。チクピンやー」
団長「そんなんで通じるんかい!」
パロ「通じるでー」
団長「アナゴ天があと1つしかないで」
パロ「李ーちゃん、アナゴあと一つー。イーシャンテンやー」
団長「イーシャンテン!」
パロ「はいなー。ちゃんと中国の子には中国語も使うでー」
団長「麻雀やがな! というか、イーシャンテンはあと1つでテンパイのことやで」
パロ「あー、そやなー。こら違うなー。李ーちゃん、少牌や少牌ー」

 わーわー言うてるうちに午後1時になったが、行列が途切れる気配がない。ところがここで、私は別件の取材受けが入って外出することになった。すんません、わざわざ来てくれた皆さん。夕方までびっしり店にいる予定だったのですが、結局午後1時から4時前まで、店を開けてしまいました。しかも4時頃帰ってきたら店に元文化人(TJ Kagawaで連載していた「笑いの文化人講座」の名物投稿者)のやばっさんと新次郎がやってきて、つのる打ち合わせがあってまた外出してしまいました。

 この日の東京のメインレースでウインラディウスの単勝で大儲けしたというやばっさんにコーヒーをおごってもらって…。
ごん「あんた、仮にも教授が元読者におごってもらって、情けないと思わんのですか!」
団長「俺はそういうやつなの」
 で、5時半頃帰ってきたら、向かいの大人気ラーメン店「山桜桃(ゆすら)」の女将さん(代表取締役です)と息子(店長かな)が来て、名刺交換して話し込んで、何とラーメンをごちそうになった。これがあーた、私とパロマスに醤油ラーメンと豚骨ラーメンを出してくれたのだが、むちゃくちゃうまいんです。麺は縮れ細めの昔食べた中華そばテイストで、私の好みにドンピシャ。さらに豚骨のスープが、一口すすったら口から脳の真ん中にズーン!と来るうまさ。さらに醤油のスープがもう、すすったら口の中から脳の真ん中に来て、そこで花火のようにパーンと弾けるのである。
パロ「何やようけ言うたなあ。ようけ言うたけど、味のことは全然表現しとらんなあ」
団長「ま、表現のしようのないうまさということで」

 ちなみに息子さんは5年ほど前、「恐るべきさぬきうどん」にハマってバイクでさぬきのうどん屋を100軒ぐらい回ったらしい。息子と女将さんと、あのラーメンと、私、もうすっかりファンです(笑)。

 この日はマスターは東京へ、私は高松へ、共に新幹線で帰るということで19:00過ぎに大阪麺通団を後にした。なんばパークスから南海へ行くエスカレーターでの会話。

団長「このエスカレーター、3列あるやん」
パロ「3列あるなあ」
団長「これ、朝からずっと2つがなんばパークスに行く“上り”で、1つが“下り”やけど、夜になったら2つが下りで1つが登りになるやん」
パロ「なるなあ。まあ夜は帰る人が多いきん切り替えるんやろなあ」
団長「これ、エスカレーターに乗っとる時に切り替わったら、そいつ上りよったのに途中で下りていくんやろか」
パロ「そやなあ。それつらいでー。ずーっと上がりよってもうあと1段で上がりきる、いう時に切り替わったら、そのまま下まで下がってしまうがな」
団長「いや、それは一歩歩いて上がったらええがな」
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