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2004年07月の日記
2004年7月30日(金)

 KSB「スーパーJチャンネル」で天気予報の清水さんに聞いたら、日本列島を東から西に抜けた台風は36年前に1回あったそうだ。ちなみに台風が日本列島を縦断なのか横断なのか知らないがそういうコメントを聞いた時、ふと疑問に思ったことである。「横断」と「縦断」があって、「横切る」があるのに、「縦切る」はないのか。ということは、縦断することは「縦に横切る」と言うのか? ま、例によってどうでもええですけど。

 さて本日で前期の試験ウィークも終了し、学生は夏休みに入る。私はこの期間中に、後期に新しく担当に加わる講義3本(「観光政策論」「観光文化論」「人材活用論」)のプログラム(それぞれ90分×約14回)と 「カルチュラル・マネジメント概論」(90分×4回)のプログラムを作らないといけない。さらに受託研究事業の「香川の新しい観光マネジメント」の企画に、プラクティカム(ゼミみたいなもんかな)2本の企画進行がある。にもかかわらず内山さんに、当初の計画から1年半も遅れている「超麺通団2」の原稿を夏休み中に上げると豪語してしまったのである。

牛乳「またできもせん約束したんかい」
田尾「私はね、やる時はやるんです」
牛乳「できん方に1000点」
田尾「何かよくわからん単位ですが」

 ま、夏休み中いうてもいつの夏休みかは言うてないし(笑)。でも実は6月の時点で、すでに3分の1ぐらいは書き上げてるんです。

 実は大学生活1年半で、やりたい研究というかプロジェクトが3つほど見えてきたのであるが、そういうわけでいろんなものが平行して進んでいて、なかなかプロジェクトの準備に取りかかれないのである。「学生の教育」と「自分の教授としての研究(研究というより実践プロジェクトの方に意欲があるのですが)」と「学内政治(?)」のバランスというか優先順位が、経験が浅いためによくわからない。ま、新学科が一回りする4年間は、目の前に現れた大学での案件を、とりあえずなるべく全部こなしていくことにしよう。

 夜、ウォーキングでもしようかと思ったら、とうとう風が強くなってきたので中止。明日、オープンキャンパス、台風直撃か?
2004年7月29日(木)

 学生の川田がさっそく飯山のピーチハウスに行って桃のシャーベットを買って食べたらしい。

川田「むちゃくちゃうまいですね!」
田尾「そやろ」
川田「けどあそこ、桃のシャーベットと桃のアイスがありますよね。アイスの方は食べなかったんですけど、すごく気になってます」

 私も同じだ。さすがにいっぺんに2つは食べられんので(いや、食べられるけど)私もアイスをあきらめてシャーベットを買ったのだが、あのうまさに出会うとアイスの方も気になるのは当然。ということで本日、香川の新しい観光マネジメントの研究の打合せと現地取材を終えた後、再び行ってきたぞ。
 家族にも買って帰ろうと思ったが、ピーチハウスにはお持ち帰りの用意が何もない。聞いたら近くの桃の直売所にはあるかもしれないということで、ちょっと引き返してそっちへ行ったら、桃みたいなおねえさん(行ったらわかるが、ほんまに桃みたいなおねえさんだ・笑)が「保冷袋があるのでお持ち帰りできます」と言ったので、シャーベット6個、アイス4個を買った。えー、川田、好みの問題ではあるが、この「シャーベット6対アイス4」の比率がええとこやと思うぞ。俺の中では「7:3」でもええ。

 さて週末土曜日は四国学院大学のオープンキャンパス。要するに高校生が大学に来て、学内を見たり学部や学科や大学生活の説明を受けたりするイベントなのであるが、台風が来てるらしいやないの。今まで、日本列島を東から西に抜ける台風って、あったっけ?
2004年7月26日(月)

 怒濤の大阪麺通団「讃岐の若手四天王見参」イベントは、 人に言えない「お笑い天神祭事件(またおいしいところを清水屋の大将に持って行かれて悔しがるSIRAKAWA君・笑)」以外は滞りなく、無事終了いたしました。SIRAKAWA、上戸うどん、白川うどん、清水屋の各大将、パロマス、ごん、長谷川君、宮前店長以下大阪麺通団のスタッフ、ご苦労さんでした。それからわざわざイベントに来てくれたファンの皆さん、ありがとうございました。

 週末、土曜日の早朝6時に高松発。ごんの運転で、私と長谷川君と福田社長が乗って大阪に向かい、車中でバカ話をしていたら大阪で高速の出口を通りすぎて危うく和歌山まで行ってしまうところであったが、何とか持ち直して宅配便のターミナルで昨日送ったSIRAKAWAと上戸の生地を受け取り、9時前に白川君とパロマスたちが待つ大阪麺通団入り。それから夜11時まで営業し、12時頃ホテルに帰って2時頃までパソコンに向かって仕事をして、翌日曜日は朝9時前に店に入ってポップやら何やらの準備をして夜11時にイベントを終え、ホテルに帰って午前1時半頃まで仕事をして2時頃寝て、翌朝7時前に起きて、7時半発のバスに乗って3時間少々揺られて高松に着いて、昼からさぬき市の諮問委員会に出て、夜、無事我が家に帰還した。小ネタも数々あったが、まとめるヒマがない。ちょっと休ませて。
2004年7月23日(金)

 今日もキャンパスで映画のロケをやっている。講義の教室に向かおうとしたら現場の若いスタッフらしき人が、今度はえらい低姿勢で「すみません、ここちょっと入りますので…。すみません、どうもすみません」と誘導されました。地方の学生か東京のスタッフかの差ではなく、人間の差でしたか?(笑)。

 前期最後の授業を終え、研究室で日経の記者から2時間ほど取材を受け、KSBに向かう。本来なら今日はKSBの番組を休んで、明日の朝からの「大阪麺通団」の若手大将イベントのために今晩中に大阪に行く予定だったのであるが、岩井志麻子おば…いや、ねえさんが3週も続けて韓国なのかベトナムなのか、本人曰く「夜の親善大使(笑)」で番組を休むため、ゲスト2人誰もいないというのは番組的にもつらいということで、今週もテレビに出て明日早朝に高松を出発するというスケジュールになったのである。7月24日(土)午前11時、「大阪麺通団」開店より、お笑いSIRAKAWA君のうどんで特別週末イベントスタートです。お近くの方はどうぞお越し下さい。24、25日とも、私は「大阪麺通団」の店とその周辺にいます。ということは、日記の更新はありません(笑)。勝谷さん曰く、一歩外に出ればただのメモ帳と化すのが私のパソコンです。
2004年7月22日(木)

 こないだから四国学院大学で某映画のロケやってます。監督は去年お会いした若手の某ヒット映画を飛ばした某さんです。授業終わって研究室のある棟から駐車場に向かって出ようとしたら現場の若いもんに「ここ、(画面に)入りますから出ないでください」と言われて、仕方なく反対側から出て遠回りで歩いてたら今度はロケを手伝ってるうちの学生に「すみません、ここから先は何かカメラに入ってしまうのでダメなんです」と言われて、さらに遠回りをして駐車場への道を歩いてたらまた違う若いもんに「ここ、ダメです」って止められて、俺、学校から出られんのかと思った(笑)。ちなみに上記3人の対応の違い、わかりますか?

答え「うちの学生だけ“すみません”と言った」

 さて、明日で前期の授業が終了し、来週は1週間、試験ウィークである。私は「マーケティング論」「観光マネジメント概論」「放送メディア論」「アイデア開発論」の4科目、今期は試験なしのレポート提出とした。いずれも一見簡単そうに見えて実は深いというレポートテーマを提示したのであるが、すでに出てきた3科目のレポートを見ていると、おそらく高校まではあまり必死で勉強してなかったと思われる、成績もあまり良くなかったと思われる学生の方がレポート内容に発想力や展開力が見られたりするという、なかなか興味深い傾向が現れている。これからいろいろ分析してみる予定であるが、たぶん必死で勉強してきた学生の多くは、基礎能力はあるが、それを展開する時に頭の中に壁ができているみたいである。一方、あまり勉強してこなかった学生の多くは頭の中に妙な壁がないみたいで、そのため道具を与えると結構自分で展開していくのだが、今度は基礎能力が不足しているためにそれを論理的にまとめられないという欠陥(笑)も露呈している。これを踏まえて、後期と来期の講義プログラムを改良していかないかん。いろんなことがわかっておもしろいけど、むずかしいなあ。
2004年7月19日(日)

 何が情けないと言って、朝飯を食っていたのである。朝飯を食ってて最後に梅干しを口に入れたのである。この梅干し、こないだ家内が買ってきた蜂蜜入りのふっくらしたやつなのだが、食事の途中でかじったらことのほかうまくて、二口ぐらいかじって最後に種に実が半分くらいついた状態で残っていたのを、最後に口に入れたのである。で、口の中で種と実を分離させようとしていたら、突然ヌルッとすべって種がノドに滑り落ちたのである。
 梅干しの種を飲み込んだがな! 小学生の時以来、おそらく40年近くぶりの出来事に、何が起こったのか理解するまでにロイヤルトゥルーンからの中継ぐらいのタイムラグがあったがな。しかしこれは、何かの反射神経が衰えて来たんかなあ。

 などと言ってたら、こないだアップタウンで天敵H田とスモモの種論争になったことを思い出した。ねえちゃんがどこかからめちゃめちゃうまいというスモモをゲットしてきたとかで、もらって一口食べて「うまーい」とか言ってたら、H田が「あんまり種をなめよったら、種の周りはちょっと酸っぱいで」と言ったので、私は指を立ててチッチッチ、と言ったのである。
田尾「ちゃうねん、俺はスモモを食べる時、種が最後になれへんねん」
H田「何で何で?」
田尾「スモモはな、最初実を半分かじるやろ? これがうまかったらとても幸せや。さらに残りの実をかじるやろ? これがまたうまいから幸せや。ところがそうやると、最後にちょっと酸っぱい種が残る。せっかくうまいスモモ食べたのに、最後に小さな不幸で終わるっちゅうのは割に合わんやないか。そやからまず、実を半分食べて幸せになって、次に残りを口に入れて口の中で種を分離させて、先に種の周りを食べて、ここで小さな不幸をはさんでおいて、種を出した後、最後に残りの半分の実を食べて幸せで終わる。これがベストや」
H田「はいはい、もう好きなように食べて」

 などと言っていたら、以前から我々が冗談で言っていた「種なしビワ」がついに千葉県で開発されたらしい。次、種なしスモモ、よろしくお願いします。ちなみに昔、文化人講座で「世の中で“種なし”が喜ばれないのは人間だけではあるまいか」という投稿があったが、何のことだかよくわからない(笑)。

 さて本日は朝から「THEかがわ」の連載用の県内小ネタ探検に出た。集合時間の9:00にちょっと遅れた原因は、集合場所に向かう途中のバイパスで私の車の前に右の車線から三菱のライトバンが割り込んできたのでいつもより広目に車間を取って(笑)ゆっくり走っていたら、ライトバンが左折して前が空いたのでスピードを上げようと思ったらまた左の車線から三菱のパジェロが割り込んできて、またいつもより広目に車間を取ってゆっくり走っていたからだ。夕方までかかって取材を終えた今日の収穫は、善通寺とこんぴらの間あたりから確認される、全長数キロはあろうかという巨大な「ちょっと困ったイノブタ(笑)」の発見。それと飯山の産直スポット「ピーチハウス」の桃のシャーベットがむちゃくちゃうまいこと。私の中では今、産直系アイスの王者です。
2004年7月15日(木)

 何が悔しいと言って、もう1週間ぐらい前から「そろそろ来週あたり来るぞ」「いよいよ明後日ぐらいか?」と心待ちにしていて、昨日の夜の段階で「よし、間違いなく明日じゃ!」とまで確認していたのに、今日、車で大学に着いてふとメーターを見たら走行距離が「88891」だった時ほど体中の骨が抜けたことはない。学校のたった3キロ手前で「88888」だったのだ。
ごん「ほんまにどうでもええ話です」
田尾「お前なー、次、あと11111キロも走らな99999が来んのぞ。それまで運転してて何の楽しみがあるっちゅうねん」
ごん「あの、他に人生の楽しみを見つけてください」

 さてと、ごんの話につき合っとる場合ではない。昨日の続きである。そういうわけで、私は案内されるままにN井さんに着いて行ったのである。
田尾「どこ行くんですか」
N井「シガーバー言うんやけどな」
田尾「シガーバー? ジガーバーとちゃうんですか? サントリーの」
N井「シガーバーや」
田尾「それ、タバコが出てくるバーですか?」
 私は冗談のつもりでそう言ったのである。ところが、N井さんは当たり前のように言った。
N井「そうなんや」

 知っている人には何を今さらだろうが、私はそんな店があるとは初耳である。連れて行かれたのは何と、タバコが出てくるという「シガーバー」とやらであった。テナントビルのエレベーターで4階に上がって店に入ると、薄暗いサロンのような店内に三対のソファとガラステーブル。奥のソファに一人、何やらくゆらせながら何かを飲んでいるお客さんが一人。壁は何やらウィスキーと飛行機の模型で埋められている。マスターが来てちょっとおしゃれなデザインのメニューを見せてくれた。見ると、1ページ目から写真入りの葉巻のメニューがズラッと並んでるやないの。値段を見ると、一番上に書かれてあるのは、1本4000円!
 マスターがメニューをめくりながらこの銘柄はどうだとかいろいろと説明してくれたが、何がどうなのかよくわからない。とりあえずマスターが言った「初めてならいい物を吸った方がいいですよ」という言葉に説得力を感じて、しかもN井さんがおごってくれるというので、一番上の4000円のやつの一つ下の3000円のやつを頼んだ。ここしか落とし所はないやろ(笑)。

マス「カットはどうされますか?」
田尾「どんなんがあるんですか?」
マス「ここをスパッと切ってしまうフラットカットというのが普通なんですが、あるいはここにこういう穴を開けるみたいな感じで、吸い口が小さいパンチカットもありますね」
田尾「何かね、刑事コロンボの中でとんがった爪切りみたいなんで三角みたいにバチンと切ってたのを見たことあるんですけど」
マス「ブイカットですね。うちにはちょっとブイカットのカッターが…」
田尾「じゃ、その穴のちっちゃいやつで」

 ハイセンスの趣味人テイストの店におよそふさわしくない会話で注文を終えた私。しかし飲み物は言うとくが、都村さんに教えてもらったスプリングバンクの20何年物のストレートだ。ま、これとマッカランしか知らんのやけど(笑)。マスターがカウンターの向こうへ行って、葉巻の準備を始めた。

田尾「僕、素人バレバレですよね」
N井「かまんかまん。ここのマスター知り合いやから。知り合いやけど、私も来るのは初めてやし」
田尾「ほな、葉巻が出てくるまでに、マイルドセブン吸うてもええですかね」
N井「かまんかまん、何でもオッケーや」
田尾「けどマイルドセブンはシガレットですからね」
N井「そやなあ。レットがついてるからなあ」
田尾「レットがついてるようでは、まだまだですねえ。“おむつが取れてから出直してこい”みたいなもんですね。“レットが取れてから出直してこい”とか(笑)」

 ま、冗談とは言えさすがに3000円の葉巻の前にマイルドセブンはいかんやろと思って待ってたら、マスターが葉巻を持って来た。すでに火のついた状態で、葉巻を置く溝のついた灰皿というか高そうな葉巻台に乗せて、何というか、恐れ多くも「葉巻様」状態である。説明によると、この「コイーバ」という銘柄はキューバ産の最高級葉巻で、カストロ首相が愛飲していて、当時は市販されていなくてカストロが外国の要人などを迎えた時に振る舞っていたシロモノだそうである。それを1本1時間ぐらいかけて吸うらしい。吸ったら、ほんまにうまい! けどこれも嫌煙家には抹殺したい文化なんだろうなあ(笑)。
 それから約1時間、私とN井さんは葉巻をくゆらせながら酒をナメながら話をしながら過ごした。途中で奥にいたお客さんが声をかけてきた。

お客「あの、香川の方ですか?」
田尾「はい」
お客「うどんの…」
田尾「何でこんな所でバレるんですか!」
2004年7月14日(水)

 せっかく「最後の通信になるかもしれん」という、更新延滞の最高の言い訳を振ったのに、一週間も経たないうちに書いてしまうとは何か損した気分だ(笑)。

 さて、今日は講義後そのまま岡山へ行く用事があったことと、岡山ではわずかながら酒を口にすることが予想されたため、いつもは車で通っている大学へ初めてJRで行くことにしたのである。そのスケジュールを組むのに昨日の晩、往生した。満たすべき条件は2つ。
(1)朝9:10からの講義にどうしても必要な資料をコピーするため、大学には8:00頃到着したい。
(2)15:30に岡山駅から徒歩約10分の会社に到着しなければいけない。
 で、作り上げた行程表はこれ。
5:30 起床。
6:30 自宅出発。
6:37 高徳線で昭和町駅発。
6:40 高松着。
6:47 予讃線に乗り換えて高松発。
7:28 多度津着。
7:33 土讃線に乗り換えて多度津発。
7:42 善通寺着。徒歩で大学へ。
7:55 大学着。
(準備及び講義)
13:28 土讃線で善通寺発。
13:50 坂出着。
14:06 マリンライナーに乗り換えて坂出発。
14:47 岡山着。徒歩で目的地へ。
15:00過ぎ 到着。

 これだけの行程を組むのに時刻表と戦って戦って、1時間近くかかった。麺通団員Dなら2分で組めるところだ。で、とにかく早起きして電車に乗り、坂出あたりから長らく見たことのなかった電車通学の高校生の知性の感じられない粗野で下品な会話を聞きながら善通寺に着いて、朝から汗をかきながら大学に着いて研究室の前に来て、息が止まったのである。
「研究室のカギ、忘れた」

 もー! 車のカギに一緒に付けてたから丸ごと全部家に置いてきたやないの! 自分の研究室に入れんやないの! とりあえず学科事務室に行ったら、時間が早すぎて真鍋は来てなくて事務室は閉まってる。というか、大学構内に人っ子一人見当たらない。しょうがない、自分のカギで学科事務室を開けて中に入ってどこかに研究室のスペアキーがないか探すか…と思ってドアの前に立ってポケットに手を入れて…
「だからカギ全部忘れてきたんやって!」

 しょうがない。総務課に行ってみるか。と思ってまたキャンパスをずーっと歩いて総務課に行ったら、やっぱりまだ早すぎて誰も来てない。あきらめて引き返そうとしたら、2階で音がした。上がってみたら、救世主がいました。たまたま早く来たというMさんが何やら片付けをやっていた。あいさつをして、おそるおそる要件を切り出す私。
田尾「すんません…。つかぬ事を伺いますが、研究室の…」
M「カギ忘れたんですか?」
田尾「なぜそれを!」
 聞いたら時々カギ忘れる先生、いるそうで(笑)。

 無事研究室に入り、準備を済ませて講義を2つ終えて、計画通り15:00過ぎに岡山に行って、某社の会長と常務と会談。続いて某社のスタッフと某大学の教授が合流して岡山と香川のいろんな情報交換をして夜の9時頃解散。その後、某社の常務のN井さんが「ちょっとおもろいとこ、行く?」と切り出したので、高松行きマリンライナーは夜中の0時になってもあるから、ま、1軒ならと思って着いて行ったら、これがですね、高松には1軒もないという全くの初体験スポットだったのです。(以下次号)
2004年7月9日(金)

 どないなっとんだ、この2日間。昨日、今日と連続して夕方、豪雨豪雷の天変地異である。特に昨日は、地球もいよいよかと思わせるようなすごいものを見た。

 昨日、阿部にヘキサゴンして善通寺から高松に向かって車で帰っていた時である。
 何やら急に暗くなってきたので丸亀の方向の空を見ると、見たことのない黒い、雲のような煙のような大きなかたまりが、形を変えながら空から下りてきていた。「何じゃ、あれは?!」と思っていたら、その悪魔みたいなかたまりはだんだん大きくなって上空を覆い始めた……と思った途端、飯野山の横あたりで突然ものすごい雨粒となって叩きつけてきたのである。

 私、あの鉄板の厚いボルボ13号に乗ってたんですよ。それがあーた、「ボルボの天井はトタン板か!」と思うようなものすごい音がし始めて、トタン板でなければ「ギンナンが降ってきたんか!」みたいな、ガンガンいう音がし始めて、道路を見たら明らかにデカイ粒の雨がバシバシ降ってきた。10分ぐらいずーっと、もう豪雨を超えた“激雨”。どうも私の車、あの悪魔の雲と同じスピードで同じ方向に走ってたみたい(笑)。で、額坂を越えたわけです。すると、坂の向こう(高松側)の空がですね…。

 ちょっと雨足が弱まって“豪雨”になった私の真上上空は、真っ黒のじゅうたんみたいな雲です。その真っ黒い雲がずーっと東に延びてるんですが、その先で、高松上空なのか三木町上空なのかさぬき市上空なのかわからんけどとにかく東の上空で、真横一直線に切れて、その先は完璧に青空。うまく表現できんが、要するに空に一本線を引いて、向こうが青空、こっちが真っ黒、という、みたこともない光景です。あー、何でカメラ積んでなかったんやろ! 

 しかし驚愕はこの後であった。まず、黒い空から稲妻が落ち始めた。これがもう、30秒に1本ぐらいのペースで、雲の中から地上に向かってビカビカ!と線になって落ちてくるのである。車の進行方向の高松市、あるいは生島の球場あたりに何本も何本も、とにかく15分ぐらいの間に30本以上の真下に落ちてくる稲妻を見た。続いてふと空に目をやると…。

 俺ね、特撮の映画かと思いましたよ。
 さっきの真横一直線に切れた真っ黒い雲の先が「ぞわっ」と動いたかと思うと、下に下り始めたのである。竜巻は下から上に行くが、「上から下りてくるねじれてない竜巻」みたいなものを想像していただければ近いかと。その黒いやつはみるみるうちに一本の束のようになって、地上につながったのである。たぶんつながったあそこは“超豪激雨”である。 あー、何でビデオ積んでなかったんや!
ごん「あんた、家にビデオカメラないやないですか」

 とにかく善通寺から高松まで約50分、私は天変地異を見ました。檀紙の交差点を左折して産業道路に入ったら、あの数十本の稲妻のどれか1本が落ちたのか、1つ目の信号が消えていました。途中、突然の激雨の中を自転車で下校する高校生を見ましたが、彼はあまりの激雨に、あきらめてゆっくり自転車をこいでいました(笑)。

 金曜日も夕方、百本ぐらい稲妻が走りました。これ書いてる今、土曜日の昼前、飛行機でも落ちたんかと思うような雷がうなっています。皆さん、これが最後の通信になるかもしれません(笑)。
2004年7月8日(木)

 水曜日の次は木曜日、と。
 更新が滞った理由は安Zだけが知っている。途中2回プチ油断モードをはさみながら、イシノアラシも脱覆面する怒濤の追い込みで、緊急の大物原稿をやっつけていたのである。ま、例によって自分で緊急にしたのだが。

 関係ないけど30年ぐらい前、有馬記念で4歳(今で言う3歳)のイシノアラシが13頭立ての7番人気で勝った時、スポーツ新聞でいろんな人がさんざん理屈を並べて予想をしていた中で阿佐田哲也だけが「よくわからないが、イシノアラシが勝つような気がする」という1行だけ書いていたのをいまだに覚えている。阿佐田哲也はすごかったなあ。

 さて昨日、学科研究事務室に立ち寄ったら例によって学生10数人がたむろしながら助手の真鍋をいじめていたのだが(笑)、ふと見るとホワイトボードの横に高さ2m強の笹が立てかけられ、短冊が20枚ぐらい吊られている。聞くと、7月9日(金)に七夕パーティーがあるそうで、それの小道具とのこと。吊られている短冊を見ると、何やら「車を買いたい」とか何とか、要するに学生たちが願い事を書いていたわけだが、しばらく見ていた私は一言言った。
田尾「つまらんのー」
真鍋「そうですかー…」
田尾「七夕…笹…短冊と来たら何の疑問もなく“願い事”と行くようでは、カルチュラル・マネジメント学科として情けない。ここは“願い事を書かない”という方向に行かないかんやろ。ちょっと紙とマジック貸せ」
 私はA4の紙をタテに半分に切って一回り大きい短冊にして、数人の学生の見守る中、太い文字で書いた。

「阿部に、ヘキサゴン」

田尾「ヘキサゴンするのは阿部しかおらんやろ」
真鍋「というか、前の日記の伏せ字が何にもなってないんですけど…」
 あと「動け大西」他、数枚の作品を書いて笹に吊って、私は事務室をあとにした。学生には非常にためになる実践演習のひとときであった。
ごん「ためにねえ…」
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