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2004年10月の日記
2004年10月31日(日)

 本日は大学祭の最終日。昨日ロケでサボったので今日は朝から大学に行って、カルチュラル・マネジメント学科のプラクティカムの一環でやっている「吹き矢」のコーナーで助手の真鍋と熱くなって腹筋が痛くなるぐらい吹き矢をやった(遊んどるがな)。中心が7点、その周りが5点、その周りが3点という同心円の的に5本の矢を打ち込む(吹く)というコーナーで、閉店間際の最後の挑戦で真鍋が4本を中心に打ち込むという準パーフェクトの33点をマークして、劇的に終了。最高時速150kmは出るというこのスポーツ吹き矢、ちょっとはまります(笑)。

 午後3時に終了して片付けしてたら、KSBスーパーJチャンネルで一緒に出てる金曜のメインキャスターの大倉君が、本庄さんの次に美しい女性を連れて登場(笑)。
大倉「えーっ! 終わったんですか!」
田尾「今終わったとこやがな」
大倉「あちゃー、やっぱり高速通って来るんだった」
 ま、高速通って間に合うように来たら、私が真鍋に打ちのめされるところを見られるとこやったが(笑)。

 夜、たけし軍団の太田浩介から電話がかかってくる。聞くと、本広克行監督の「踊る大捜査線」の番外編(ユースケ・サンタマリア主演)に出演することになったそうである。

太田「それでこないだ本広監督に初めて会うたんですよ」
田尾「ほうほう」
太田「でね、“僕、香川県出身です”言うたら田尾さんの話になって、本広監督が“田尾さん知ってるんですか?”って言うから“年に何回か、麻雀したりゴルフに行ったりしてます”言うたら、それからむちゃくちゃ話が弾んで。いやー、ありがとうございます!」
田尾「そなに礼言われるほどのこと、してないがな(笑)」
太田「でね、最近麻雀もゴルフもしてないでしょ? けど本広監督に言うてしもたから、そのうちやりましょう」
田尾「何や、後付けのアリバイ作りかい!」

 そういうわけです。台本によるとかなりよっけのシーンで出るらしいので、公開されたらまた見てやって下さい。
2004年10月30日(土)

 朝7時に「田尾和俊の讃岐うどんワールド(私が付けたタイトルでない)」のロケ出発。本日はあの桃のシャーベットのある「はんざんピーチハウス」「丸亀城」「猪熊弦一郎現代美術館」等をはさみ、うどん屋は飯山の木村と丸亀の渡辺に行って来ました。相方はおなじみ天然の中村恵美さん。

田尾「ここ(木村)はねえ、大きな声では言えんのですけど、ちょっとお気に入りなんですわ」
などと言いながら店に入ってうどんをもらって席に着いて、石原Dから「例の土瓶に入ったダシで小ネタ(あー! また固まった!)をやれ」との指令があったので中村さんとヤラセの一芝居(笑)。

中村「じゃ、私がお茶を入れますから」
(土瓶から湯飲みに注ぎ終わるのを見て)
田尾「先、飲んでください」
(中村さん、一口飲んで)
中村「あー! これダシじゃないですか!」

 すんません、ベタな芝居をしてしまいました。でも私は台本通り終えるのはイヤなので、ちょっと追加。

田尾「ここはね、油断したらいかんのです。(テーブルの上の醤油さしを取って)ほらこれ、醤油に見えるけど、これコーラやで」
中村「醤油です!」

 あと、「そのうどんにかかってるの、ネギに見えるけどビーズやで」とか「あそこにおる人、おっさんに見えるけどおばちゃんやで」とかいろいろ用意してたのだが、県の番組なのでグッと我慢して撮影を終えた。店の表に出ると、H谷川君がカメちゃんと一緒に来てて、スタッフみんなに差し入れをしてくれる。缶コーヒーとかが入った袋の中を見たら、1本だけ方向性の違う飲み物がある。ダイドーの復刻堂乳酸系飲料。明らかに俺用やがな。しかも銘柄の間違ってない私用のタバコと。さすが団員じゃ。

 夕方5時、最後に行った渡辺は、奥さんがあの高瀬の渡辺の姪という一般店。これがもう、H谷川君の言う「讃岐のうどん屋の基本形」の「寡黙な大将と前に出てくるおばちゃん」の典型だ(笑)。奥さん、前に出てくるだけでなくてむちゃくちゃおもろい。しかも私の弟の同級生の妹とかで、私ら兄弟の昔のこと、よう知っとるがな。初対面やのにお互いタメ口で会話する我々。

田尾「ちょっとちょっと」
奥さん「何何?」
田尾「このメニューな」
奥さん「ふん」
田尾「かけうどん、きつねうどん、タコ天うどんと並んどんのに、その下、エビ天(大根おろし付き)いうて、“うどん”がついてないで」
奥さん「あらほんまや。これカッコ書きしたから文字が入らんかったんやな」
田尾「ほんでな、“エビ天(大根おろし付き)400円”やろ? メニューの裏見たら天ぷら単品の所に“エビ天150円”ってあるやん」
奥さん「ふんふん」
田尾「ということは、これ、大根おろしが250円みたいに見えるで(笑)」
奥さん「ほんまやなあ! さすがやなあ!」
田尾「あ、ここ、飲み物の所、“コカ・コーラー”って伸びとるがな(笑)」
奥さん「あっはっは! ほんまや!」

 撮影終了後、奥さんが「はい、コカ・コーラー」言うて伸ばしてサービスしてくれました。
2004年10月27日(水)

 12時40分に観光政策論の講義を終え、教室の片付け(ま、黒板消したりパソコンをしまったりAV機器をしまったり)を済ませ、ロータリーの講演5分前に会場に駆け込んで講演を終え、出発にちょっと手間取って、けど何とか14時50分に県民ホールに入って、1時間半の講演を終えました。講演タイトルは「讃岐うどんブームの仕掛けとメディアの役割」。やっぱりうどんかい(笑)。けど最初から「全国から参加者が集まるので讃岐うどんの話をして欲しい」と言われてたから仕方がない。「社会における図書館の役割と讃岐うどん」というタイトルよりはマシやろ (笑)。

 今日は非常に疲れました。けど明日は朝から打ち合わせが1件、昼から教授会、その後大学祭の準備。夜、家に帰って食事をして、明日の準備があるけど疲れたので夜8時半にちょっと仮眠を取ったら、起きたら朝の4時半だった。
牛乳「どこが仮眠じゃ!」

 もはや28日の朝です。二度寝をせずにそのまま起床。パソコン立ち上げて仕事の準備をして、新聞が来たのでちょっと読んでいたのだが、何かシャキッとしないので思い立ってビー・クォーターを飲んで朝の散歩に出かけた。早朝5時。外は真っ暗。片道45分かけて、サンポートの先の赤灯台まで歩きました。赤灯台のあたりで、東の屋島の向こうが白々と明けてきました。西の空を見ると、オレンジ色のほぼ満月の月が沈みかけていました。1時間半の散歩中、同じくウォーキングしている人7人と遭遇。同じような人、おりますがな。

 家に帰ったら家内に言われました。
家内「8時半に寝て4時半に起きて散歩って、今ごろからじいさんのサイクルになってどないすんな!」
2004年10月25日(月)

 朝からたかなんフットバスで大阪難波へ行くため、高松駅のバス乗り場で切符を買っていたら、窓口のおねえさんが「お名前をお願いできますか?」と言うので「田尾です」と言ったら「やっぱり」と言われた。その後の会話で、私はそれが奇跡的な偶然の出会いであることを知りました。

ねえ「主人が昔、大学で漫才やってて、田尾さんとご一緒したことがあるんです」

 と言ったところで次のお客さんが来たので私は脇によけて、「誰だろう……」と思ってちょっと思い出そうとしました。というか、すぐ思い出しました。学生漫才で一緒に何かやったといえば「グッシー&ロッキー」(以前この日記でロッキー君が亡くなったという悲しい話を書いた)か「パンプキンブラザーズ」のどっちかだ。お客さんが切符を買い終わったので、私はおねえさんに言った。
田尾「グッシー&ロッキー?」
ねえ「そうです」
田尾「ロッキー君は死んだんよなあ」
ねえ「そのロッキーの方です」
田尾「えーっ! ロッキー君の奥さん!」

 ちょっと絶句しました。それから少しだけ、思い出話をして私はバスに乗り込みました。グッシー&ロッキーのこと、こないだ書き上げた「超麺通団2 団長の事件簿」にもちょっとだけ書いています。

 難波で大阪麺通団に立ち寄ってしょうゆの小とかけの小を食べて店長の宮前と話して、会合に向かう。会場でM先生と話してたら、M先生が「田尾先生、明後日は全国図書館大会で記念講演ですね」と言うので「そうですわー。まだ話す内容決めてない……」と言ったところでハッと気づいた。おそるおそる手帳を見ると……どどど、どっしぇー! 手帳の水曜日の欄。
11:10〜12:40 観光政策論(講義)
13:00〜13:30 善通寺市ロータリークラブ講演
15:10〜16:40 パウワウ発表会
 あわてて家に電話をして家内に確かめてもらったら、
14:50     香川県県民ホール入り
15:10〜16:40 全国図書館大会記念講演

 うわっちゃー! ダブルブッキング! しかも明後日の話! しかも善通寺市から高松の香川県県民ホールまで、高速使ってもヘタしたら1時間かかる。ロータリーの講演で後を引っぱったら、図書館大会に間に合わなくなる恐れがある。図書館大会は全国から2000人ぐらいが来るらしいし、もうパンフレットも出回っているし新聞でも大きく告知されているので、こいつは絶対飛ばせない。

 カルチュラル・マネジメント学科長の橋本先生に電話しました。図書館大会は半年ぐらい前に依頼が来た時、平日で講義があるからと一旦は断ったのだが、先方の担当者と橋本先生が知り合いで、大学とも関連があるということで橋本先生経由でもう一回依頼が来て講演を受けることにしたもの。ロータリークラブの講演は、同クラブメンバーの橋本先生から依頼が来たもの。パウワウ発表会は大学の授業の一項目で、橋本先生がメイン担当で仕切っているもの。もう全部橋本先生絡みなので、先生に相談するしかない。相談の結果、ロータリーの講演も明後日のことで急に代わりがいないということで、ロータリー講演後ただちに高松に向かって図書館大会の講演をし、パウワウは橋本先生に任せて私は欠席させてもらうということで、何とか調整がついた。ふー、M先生、よう図書館大会の話題を出してくれました(笑)。くわばらくわばら。

 夜、大阪から帰宅。講演2本と授業2本の準備せないかん。しかも4日後に迫った大学祭の準備もせないかん。
2004年10月24日(日)

 牛乳屋さんが朝6時に牛乳屋さんちを出発して、6時5分頃うちのマンションに来て私を拾って、6時15分頃くまさんちに行ってくまさん夫婦を拾って、今日は延々片道3時間半、島根の足立美術館に行くのである。牛乳屋さんは牛乳屋さんだから朝早いのはお手のもの。私も早朝峰山登山でならした男であるから全く苦にならない。
 朝6時5分、電話が鳴った。
牛乳「牛乳屋でーす」
田尾「あ、牛乳屋さん、もう来たん?」
牛乳「マンションの下でおるでー」
田尾「ほな、着替えて顔洗てハミガキしてすぐ下ります」
牛乳「今起きたんかい!」

 朝4時50分に、目覚ましで一度起きたのである。早すぎる目覚ましセットは「二度寝」を誘う。
牛乳「そんな言い訳はどうでもええんじゃ」
 とにかく新聞を読む間もないあわただしい出発であったが、出だしから詳細に小ネタを、あー! また固まった!

 強制再起動しました。まず“小”を打って変換して、“ネタ”を変換して、と。

 えーと、出だしから詳細に小ネタを繰り出していたら500行ぐらい行きそうなので、一本ネタは「超麺通団3(ほんまに出るんか?2)」に収録することにして粗筋だけなぞると、島根に入って足立美術館に行って、出雲そば屋に行って、鳥取の境港に行って「水木しげるロード」をうろうろして、境港の市場で何か鮮魚祭りみたいなのをやってたので行ってタラバガニを買って、弓ヶ浜を見て、蒜山のSAで天ぷらとおこわを買って帰ってきました。
 足立美術館は外観は何の変哲もないというか、もっと言えばショボイ(笑)部類に入るかもしれないのだが、中に入ったら目が点になります。何か、世界中にある日本庭園のナンバーワン評価を2年連続獲得したという、息が止まるような庭園がお待ちしております。私ゃ、勢いで写真集まで買ってしまいました。水木しげるロードには「なんか妖怪?」というポスターがありました。あいたたた(笑)。境港ということで「さかい、妖怪、日本海」というポスターもありました。あいててて(笑)。
2004年10月21日(木)

 私がこうやって更新しているということは、とりあえず私は台風の被害は受けていないということである。しかし数十年来「香川は渇水以外、災害のほとんどない県だ」と聞かされてきたのに、こんなことになってしまった。家内の実家は海のそばにあるのだが、家内は台風接近のたびに実家のじいちゃん(漁師)に「絶対外に出たらいかんで!」と電話をしていた。でも、電話するたびに「見回りに行こ思いよったんやが」とか言っていて、家内が必死で止めていた。おそらく非常に多くの人が、特に人生経験の長い、自分は達者だと思っている人の多くが、「ワシは大丈夫」と思っているのではないか……と思ってしまいました。

 ちなみにおなじみのうどん屋の中で一番えらい目に遭っているのが、豊浜の西の端、前が海、後ろが山の「上戸うどん」である。台風のたびに店内に水や土砂が流れ込み、何度も営業停止を余儀なくされている。もし機会があったらぜひ、励ましの言葉ももちろんですが、できるだけ食べに行って売上に貢献してあげてください。よろしくお願いします。麺通団員は、食べに行ったらいつもより天ぷら一個多めに取ること(笑)。

 さて、先週から私の身辺に奇妙な現象が続いているのである。「解決できない問題はない」というのが私のモットーであるが、さすがに一人では解決の糸口もつかめない現象であるので、とうとう私は意を決して、ごんに電話をしたのである。

ごん「何ですか」
田尾「これはもう怪奇現象としか思えんのや」
ごん「だから何なんですか」
田尾「 先週からや。パソコンで原稿書いててな、“小ネタ”いうて書いて変換キー押したら画面が固まるんや。調子よーに原稿書いてても、文章の中に“小ネタ”が出てきて変換した途端に、フリーズする。何回やっても“小ネタ”で固まる。何やこれ? きみが何かしよんちゃうんか!」
ごん「やってませんよ!」
田尾「ほな何や」
ごん「たぶんそれね、パソコンの中の“小ネタ”の変換のところが壊れたんですよ」
田尾「どういうことや」
ごん「あんた原稿に“小ネタ”を使いすぎたんですよ。で、人が一生のうちに使う“小ネタ”の文字を使い果たした。だからパソコンが“あんた使いすぎ! もうやめなさい!”って言いよんですわ」
田尾「“小ネタ”、要領オーバーしたんか!」
ごん「ま、そういうことですな。“(笑)”とかもそろそろ危ないんちゃいます? “何とかー”も」
田尾「なんとかー! あ、“なんとかー”変換、“何とかー”。おー、“何とかー”はまだ大丈夫じゃ。待てよ、ほな“ごん”の方が使いすぎてヤバイんちゃうか?」
ごん「それひらがなですやん! 変換せんでええ文字は大丈夫ですよ」
田尾「ふー、“ごん”が使えんようになったら俺、文章書けんようになるとこやった」
ごん「いやそれ、何か間違ってます」

 何のことかようわからんが、とにかく今、私は“小ネタ”を“こ”で変換して“ねた”で変換するという二度手間を余儀なくされている。いや、きっと簡単な方法があるんやろけど(笑)。あ! あ、“(笑)”はまだOKじゃ。もし締切原稿が遅れたら、この二度手間のせいだと思っていただきたい。違うけど。
2004年10月17日(日)

 朝8時30分に家を出発して30分ぐらい歩いてアップタウン前に集合。ことでん瓦町から電車に乗って高松築港で降り、朝10時25分発のフェリーで直島に行った。メンバーは私、牛乳屋さん、くまさん、新開の4人。牛乳屋さんらはまあハイキング気分であるが、私はメモ帳を持って観光マネジメントの現地取材である。

 島内はちょっとだけバスであとは全部徒歩で、たぶん5時間ぐらいは歩いてました。家プロジェクトも全部見てきました。一部始終は長い一本ネタになるので書かないけど、一つだけ。

 たぶんこの時期だけだと思うけど、直島発17:00のフェリーで帰ってくる途中、素晴らしい夕日が見られます。まず、瀬戸内海の西の海の上に、でっかい真っ赤な卵の黄身みたいな夕日があって、船が進むに連れ、左から大槌島が目の前に近づいてきます。ご存じない方のために解説すると、この大槌島というのは三つの角が40度、40度、100度の見事な二等辺三角形の島(紙に書いてみたらいかに三角かがわかります)で、こいつが瀬戸内海にポコッと出ているわけです。直島から高松に向かう航路はかなり大槌島に接近するので、目の前に逆光の真っ黒い三角の島が、左からずーっと寄ってくる。その右の真っ赤な巨大な黄身の夕日が、だんだんだんだん黒い三角に近づいてきて、三角の島の右の横っ腹に当たって、島の後ろに消えていき、しばらくすると今度は三角の島の左から出てくるんです。

 甲板の上でくつろいでいた客が、夕日と三角の島が近づいていくのを見た瞬間、みんなカメラを取り出しました。外国人の客はあわててバッグからビデオを撮りだして撮影し始めました。これ、私が今まで見た夕日の中で第一位です。

牛乳「“真っ赤な黄身”いうのはおかしいな。赤いんやから“赤身”やろ」
田尾「そらマグロです!」
2004年10月16日(土)

 本日は「THEかがわ」のロケ。コーナータイトル「まゆげオヤジ」の撮影である。午前11時くらいに現地に到着したら、日光の方向と角度もバッチリで、ド迫力の「まゆげオヤジ」が出現していた。何のことかわからんと思うが、小山丸ごとをオヤジの頭に見立てると、そこに巨大な、濃いまゆげが浮かび上がっているのである。

 「まゆげオヤジ」の麓で農作業をしているおばちゃんがいたので、立ち話をする。
おば「何がでっきょんな」
田尾「あれ、写真撮りに来たん。何か、大きいまゆげみたいやろ?」
おば「あらまあ、ほんまや! 私や何十年もここにおるのに、そななこと思ったこともなかったがな」

 何かに成功した人の話で、よく「ハッとひらめいた」とか「偶然見つけた」とかいうコメントがあって、それを読んでまるでラッキーのように思っている人がたくさんいるが、たぶんそれはラッキーではない。そういう人は、いつも必死で考えていたからひらめいたのであり、いつも必死で探していたから見つけたのである。製麺所のうどん屋も、ずーっと昔からあって多くの人が行っていたはずだし、多くの人が知っていたのであるが、私はいつも必死でおもしろいものを探していたから、あれが「おもしろい」ということを見つけたのである。
2004年10月15日(金)

 夜8時、アップタウンにて。
 先週の日曜日の朝6時45分頃、立て続けに私からごんと牛乳屋さんに電話が入っていたことが、ごんと牛乳屋さんを惑わしていたらしいのである。どっちも電話に出なかったので切ったのであるが、ごんは寝ていたらしい。牛乳屋さんは寝ていて電話に起きて見たら私からだったので、また寝たらしい。
田尾「出てくださいよ! 緊急の電話かもしれんやないですか!」
牛乳「あのあとかけ直したら、もう“電波の届かないところにいます”になっとったが。ほんで何やったんや?」
田尾「話せば長いんですけど、ええですか?」
牛乳「ほなもうええ」
田尾「言わして下さいよ。あのね、先週の土曜日の晩の9時頃、原稿に追われてるのに煮詰まってしもて、ちょっと気分転換に寝すべってゴルゴ13読みよったら、寝てしもたんですよ」
牛乳「あんたゴルゴ13は“睡眠薬”やんか。今まで何回同じことしよんや」
田尾「ゴルゴ13が事故で記憶を失ったとこまでは覚えとんやけど、あと全然覚えてない」
牛乳「あんたが記憶失っとるがな」
田尾「いや、そんなことはええんです。ほんで気がついたら朝の4時で、さて原稿書こうかと思てパソコン立ち上げたんやけど、なかなか頭が起きんで、そのうち新聞が来て、そうこうしよるうちに6時が過ぎて、ふとビー・クォーター飲んで峰山に歩いて登ろうと思ってね、それでお供にいかがなものかと思って電話したんですよ」
牛乳「出んでよかったわ!」
ごん「ほんまに、一般市民の生活サイクルを全く無視してますよね」
田尾「俺はな、きみが清々しい高松の朝を知らんまま死んでいくのが忍びんから電話してやったんぞ」
ごん「あんたが一人で登るん寂しいだけでしょ!」
田尾「まあええけど。ほんでね、40分ぐらいかけて峰山の上の芝生広場に着いたんですけど、何か“もっと行け”みたいな天の声があって、さらに歩いてその先のT字路の、右へ行ったらアスレチックのあるあの角まで来て、何を思ったか左に曲がって、どんどんどんどん歩いて行ったら“この先車は入れません”いう所に出て、けどその先は山道を歩いていったら古墳があるいうから、獣道みたいなところを入っていったんですよ」
牛乳「朝の早よから一人で」
田尾「低い雑木とか笹とかをかき分けながら行ってたら、もうそこいら中にクモの巣が張っとるから、その辺に落ちてた木の枝を拾って、小枝をちぎって一本の杖みたいなん作って、それでクモの巣を払いながら、どんどん奥に入っていったんですよ」
牛乳「朝の早よから」
田尾「たぶん7時半か8時頃ですわ。こんなとこ誰もおれへん。というか、クモの巣いっぱいやからしばらく誰も通ってないと思いますけどね。そしたらね、何か怪しいもん、発見したんですよ」
牛乳「お、話が展開したな」
田尾「あのね、かなりデカいビニール袋が2つ、雑木林の藪の中にあるんですよ。こげ茶色の、ビニール袋というか、あの工事用のブルーシートがこげ茶になったみたいな材質の大きな袋が2つ。しかも口の所は強力なガムテープにみたいなんで何重にも厳重に縛ってあるんです」
牛乳「中、見たんかい」
田尾「厳重に縛ってあるから見られませんがな。しかもこげ茶で、破れそうにない袋ですよ。僕ね、持ってた棒でおそるおそる突いてみたんですよ。そしたら、落ち葉や生ゴミっぽい軽いものではなくて、かといって石や金属みたいに固くない、なんか冷凍の肉みたいな感触のもんに“ゴツ”いうて当たったんです」
牛乳「ひええー! で、中見たんかい」
田尾「見られますかいな! 怖いがな! 僕、そのままもう一つの袋をよう突っつかんで、早足で山を下りてきた」
ねえ「長(私)ー! それは確認しないとだめですよー!」
牛乳「今から行ってこい」
田尾「夜ですよ! メチャメチャ怖いがな!」
 何か知らんけど、峰山の古墳の近くの雑木林の藪の中に今、頑丈に口を縛った怪しいビニール袋が2つあります。一つの大きさは、折り畳んだ人間が2人分くらいです。
牛乳「その例えがすでにあるものを想定してるやないか!」
2004年10月14日(木)

 昼前、学科事務室に行ったら、またよっけ女子学生(やんちゃな2年軍団)がたむろしていた。
O西「あー、田尾さんやー」
N尾「田尾さんやー」
H上「田尾さんやー」
H川「田尾さんやー」
T野「田尾さんやー」
K村「田尾さんやー」
O西「田尾さんやー」
N尾「田尾さんやー」
0西「田尾さんやー」
N尾「田尾さんやー」
O西「田尾さんやー」
辻田先生「田尾さん大人気ですねー」
田尾「ちゃいますよ。こいつらしょっちゅう会いよんのに、昨日も授業で2科目続けて一緒やったのに、会うたびにこれやがな。ほとんどうわごと言いよるだけや。見てん、K村やキムチラーメン食いながらこっちも見んと言いよるがな。O西や天井見ながらまだ言いよる」
O西「田尾さんやー……(言いながらこっち見て)あ、田尾さんやー」
田尾「さっきから言いよるやないか!」
O西「田尾さんなー、うちお土産買うて来たけん」
 と言って、O西が小さい袋を出してきた。このやんちゃな2年女子軍団は、こないだまで授業で橋本先生と韓国に行っていたのだが、O西がその時のお土産だと言って出してきたので袋から出したら、何重もになったビニールのプチプチに何かが包まれていた。
田尾「おー、こんだけあったらしばらく遊べるな」
O西「それプチプチの方やん! お土産はその中や!」
 わかっとるがな。で、開けたらバケモノみたいな顔をしたやつが大口を開けたみたいな灰皿と、キセルが入っていた。
O西「な? おもっしょいやろ?」
田尾「ほんまになー。涙が出るぐらいうれしいわ。けどの、O西、このキセルっちゅうのはきざみタバコを吸う時に使うんじゃ。マイルドセブン・スペシャルライトではお前、こなにせないかんやろが」
と言って、キセルの先にマイルドセブンを差して立てる。女子軍団爆笑。
O西「けど(火が)つくんちゃうん?」
田尾「こんなもん、キセルの口を吸いながらこやって………お! ついたが。吸えるが」
女子軍団「あっはっは! 田尾さんこれからそれで吸おー(爆笑)」
真鍋「田尾先生、それ、結構マヌケですよ(笑)」
田尾「わかっとるわい! 誰がするか」

 ま、そんなことはどうでもいいのだが、マイルドセブンシリーズ、数ヶ月前に全部のシリーズのデザインが一新されて変わってしまったのだが、私が吸っている「スペシャルライト」だけ、旧デザインのままなのである。どう考えても消える前兆としか思えない。ほんまに、私の好みのものはほんまにしょっちゅう消える。かつて、スポーツドリンクの中で一番好きだったダイドーの「スポーツエネルギーの青ビン」がスポーツドリンク全盛の中、いち早く消えた。私の中で乳酸菌飲料系の王者だった「森永コーラス」も消えて、当時の面影もないニューバージョンになってしまった。「イカ番頭」と最高のコンビネーションを誇った微炭酸系飲料の最高峰、ダイドーの「アクアレモンライト」が早々と消えた。そしてついに珍味風味系センベイ菓子の皇帝、高松市本町のコンビニの「イカ番頭」の販売量の8割を私が占めていたと確信する「イカ番頭」の製造が止まった。カモイの「ゆでピー」も消えた。「スラムダンクバー」も一瞬で消えた。

なお「何なそれ」
田尾「スラムダンクバーやがな。ソーダとバニラでできたアイス」
なお「そんなんどこでも売っとるがな」
田尾「ちゃうねん! あのソーダの味と、ソーダとバニラの量と配置のバランス! いまだにあれを超えるバニラ&ソーダ系アイスは出現してない!」
なお「そなに力入れんでも(笑)」

 マイルドセブン・スペシャルライト、消えるんやろか……。
2004年10月12日(水)

 本日夜8時半、大変なあることがついに終わったのである。しかし終わったことがバレると、あるものが攻めてくるので、終わったことを知られるわけにはいかないのである。
田尾「まさに武田信玄が死んだ状態ですわ。死んだんやけど、死んだことがわかったら敵が攻めてくるから黙っとかないかんという……」
牛乳「なんのこっちゃ」
田尾「実はね、「×××××(××××××××?)」の××が終わったんですよ」
ねえ「わー、長すごーい」
牛乳「ウソやろー。あれ終わらんもんやったんちゃうん?」
田尾「私はね、やる時はやるんです」
牛乳「1年以上前からずーっと“やる時”やったやないかい!」

 読者の立場に立ってみると、意味のわからない文章を続けられるとちっともおもしろくないのである。実は、催促され続けてもう2年近くになる、その間ずーっとプレッシャーになってしばしば本業の妨げにもなっていた原稿が終わったのである。で、あまりにも大きな重しが取れたので、喜びのあまり夜の9時にアップタウンに終了報告に行ったのである。

田尾「実はね、「超麺通団2(ほんまに出るんか?)」の原稿が終わったんですよ」
ねえ「わー、長すごーい」
牛乳「ウソやろー。あれ終わらんもんやったんちゃうん?」
田尾「私はね、やる時はやるんです」
牛乳「1年以上前からずーっと“やる時”やったやないかい!」
田尾「まあ、確かにここ1年くらいの間に、“今何抱えとんや?”“超麺通団2”いう会話を100回ぐらいしましたけどね」
牛乳「超麺通団2は出版界のサグラダ・ファミリアやと思いよったのになあ(笑)」
田尾「200年も完成せんのですか!」

 賢明な皆さまには説明の必要もないだろうが、真鍋や田渕もいるので説明しておくと、あ、田渕が「僕、“田淵”でなくて“田渕”です」と言ってきたので訂正しておくが、サグラダ・ファミリア(Sagrada Famiria)っちゅうのはスペインのバルセロナで120年ぐらい前から建築中の大聖堂で、完成が100年後か200年後かいつになるかわからんというシロモノである。詳しくは自分で調べてくれ。ちなみに私は最初、何かのCMで「サグラダ・ファミリア」という名前を聞いて「桜田さん一家が家を建てているのか?」と思っていた。また金持ちの日本人がスペインくんだりでバブリーなことをしよんか……と。

牛乳「2年かかったけど、2年も原稿書きよったわけではないわな」
田尾「ま、2年の内訳は、構想1年11カ月と1週間、執筆3週間という感じですかね」
牛乳「ま、見よったらそんな感じやわな。ほんで、何で原稿終わったことを隠さないかんのや」
田尾「いや、今年に入って本の執筆の依頼が2つ来てましてね、2つとも“超麺通団2を2年近く引っぱってるので、それが終わるまではとても受けられん”いうて断っとんですよ。終わったのがバレたら、あいつらが攻めてくる」

 原稿終わったので、あとは校正と修正だけだ。この校正と修正が大変な時間、かかるんよなあ(笑)。
2004年10月7日(木)

 また1週間あいた。何人おるか知らんけど、読者の皆さんすんません。10月1日から後期の授業も始まっておりまして、一昨日は「まちづくりフォーラム」とやらにもパネリストで出てまして、締切原稿は抱えたままで、ますます多忙なのに学生らが昼飯に行きましょうと言うので「忙しいけん行かん」言うたら「みんなではまんど行こう言うてるんですけど」言うから、「しゃーないのー、ほな行くわ」言うて(笑)。

 私と学科助手の真鍋、学生の前田、川田、田淵、星野尾、池田の7人で、田淵がどうしてもと言うから「はまんど」へ行ったのである。そしたら定休日やないの。
真鍋「田淵のせいや」
田尾「次、どこ行くんや?」
 結局高瀬の渡辺に行くか、金蔵寺の香の香に行くかということになって、多数決を取ったら3対3になって最後に田淵が「渡辺」に1票入れて渡辺に行ったら、定休日だったのである。仕方なく次の香の香に行ったら、定休日だったのである。
真鍋「田淵のせいや」
池田「田淵さんのせいですね」
田尾「田淵もこんなことで単位落とすことになろうとはなあ」
田淵「これ授業ですか!」

 久しぶりに善通寺のジャンボ高木に行きました。そしたら田淵が、あのジャンボの釜あげを20分で2杯目食うたらタダいうやつをやると言い出したのである。私らは善良な一般市民として釜あげ大とおにぎり2個とおでん2本(それでも食い過ぎじゃ)を食べたのだが、まるでそれがおやつのように思える田淵の挑戦。あいつ、テーブルの上に水のコップを8つ並べて準備完了で食べ始めました。ジャンボ2杯目にかかって半分ぐらい食べた頃、私は授業の時間が迫ってきたので後ろ髪を引かれる思いで真鍋と池田を連れて途中退場。
田尾「先帰るけど、ちゃんと結果を報告せえよ」
田淵「大丈夫です。もし食い逃げ達成したら、貼り紙に田尾先生のことも書いとってかまいませんか?」
田尾「好きなように書いとけ。えーと、帰りにタバコ買わないかんのやけど、この辺にコンビニあったかのー」
真鍋「コンビニは、ちょっとないですね」
田淵「自販機ならありますよ」
田尾「あかん、お前が言うとこ行ったら、自販機定休日かもわからん」
田淵「何でですか!」
田尾「ええから早よ残り食いよれ。ほな」

 などと言いながら学校に帰って授業を終えたら、店に残ってたやつから池田にメールが入った。
池田「田淵さん、3杯食ってまだ平気らしいですよ」
田尾「単位、回復してやるか(笑)」
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