2004年12月の日記 |
2004年12月27日(月)
知人から「三好先生から反論されましたね〜」というメールが来たので四国新聞を見たら、香川大学の三好教授が「月曜随想」というコラムで「今月十二日付の四国新聞の論点香川で、田尾和俊氏は地産地消はおかしなことと揶揄していたが、そこには地産地消の大きな意義がいくつか抜けている」と書いていた。曰く、地産地消は食を考える習慣がつくこと、農家と消費者の信頼関係が広がっていく、食文化に関心を持つ、そういった意義が私の論点から抜けているとのご指摘であった。
私は何かとはっきり物を言う方(ほう)だし、まあ対して権威もない小僧っ子だから批判しやすいのか、いろんなところからご批判をいただくのであるが、「どこぞの先生とやら」みたいな卑怯な言い方をする人でなく、こう名指しでいただくと気持ちがいいです(笑)。と断った上で、ちょっと論点がずれているので解説しておきます。
私が書いたコラムを全文掲載してもいいのですが、長いので要点だけを書き出すと、私が書いたのは、
・地産地消の目的に「安全性の確保」を掲げている県があるが、それは「安全のために自県の農産物を食べましょう」という話になって、それを突き詰めたら「他県の野菜は危ない」というところに行き当たる。 ・地産地消の目的に「農業の経済的発展」を掲げている県があるが、それは「他県の野菜より自県の野菜を食べましょう」という話になって、それを突き詰めたら「自県の野菜が他県で売れなくなる」というところに行き当たる。経済的発展を目指すのなら、全国や海外にまで販路を広げるという戦略をとらないといけないが、狭い県内で消費を回そうというのはそれに逆行してしまう。 ・ということは、矛盾に行き当たらない目的は「地域を大切にする精神の醸成」くらいか。
という論旨である。で、「目的と手段は整合性がとれてないといけない」「だから地産地消運動の目的に安全性の確保や農業の経済的発展を大きく掲げたら、矛盾に行き当たりますよ」と言ったのである。要するに「目的は何か?」「やろうとしている手段は目的達成のために有効であるか?」という、論理的思考の練習問題である。
これだけでおわかりだと思いますが、この私のコラムを「地産地消はおかしなことと揶揄した(からかった)」ととるのは、全くの取り違えです。地産地消運動をからかったのではなく、ましてや「地産地消には意義がない」などとはどこにも書いておらず、論旨はただ一つ、目的に「安全性の確保」と「農業の経済的発展」を掲げたら矛盾に行き着く、ということを論理的に「断定」しているのです。
これは言い換えれば「“地域を大切にする精神の醸成”などを目標に掲げるなら矛盾には行き当たりませんよ」ということで、いわば三好先生の主張していることと同じ方向なんですけど(笑)。さらに文中で三好先生は「地産地消は、成長一辺倒の経済発展を見直し、地域の身の丈にあった社会構造を作る先駆けである」と書いていますが、経済的発展を目指さないのなら別に矛盾には行き当たらないのだから、それも私の言っている論理と同じですよ。繰り返すが私は、でも経済的発展を目的に掲げている県があるから「それは矛盾に行き当たりますよ」と書いているのである。ちなみに先生の挙げていらっしゃる「大きな意義」は私の論点から抜けているのではなく、読めばすぐわかると思うが、私のコラムの論旨にあまり関係のないことなのでいろいろ挙げていないだけである。
おそらく三好先生は私のコラムをよく読んでいらっしゃらなかったのだろうと思うが、でもこうやって書かれると、私の書いた原稿を読んでない人や忘れてる人には「田尾は地産地消運動を頭から否定している」というふうに刷り込まれていくんでしょうね。ま、ええけど(笑)。
余談であるが、あのコラムは私は「目的の再確認を 地産地消運動の落とし穴」というタイトルで原稿を送ったのだが、掲載されたのを見るとタイトルが「落とし穴 地産地消って何?」とかいうタイトルに変えられていた。これも頭から「地産地消批判」と間違ってとられる原因になったかもしれない。ちなみにそのコラムは、私の名前が大きく「田尾正俊」と間違って載せられたやつである。何か私、みんなに嵌められてるんかなあ(笑)。私は真面目なんでよくわからんですが、言ったことを曲解されたり言ってもないことで批判されるって、いっぱいあるんですかねえ、勝谷さん(笑)。
ごん「その振り方は“勝谷さんが真面目でない”ということですか?」 田尾「きみまで曲解するんか!」 ごん「“直解”ですけど(笑)」
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2004年12月25日(土)
朝9時にごんとH谷川君が迎えに来て、午後からのサイン会までの“ひとうどん”で山奥の八十八庵に行く。私はしっぽくうどん、ごんは八十八庵名物の打ち込みうどん、H谷川君は釜あげの醤油うどん。一口食べたら明らかに「さぬきの夢2000」の食感がある…と思ったら大将が出てきて「夢2000を100%で出しています」って。ゴワッとした伸びのない夢2000独特のあの麺は、醤油うどんにはちょっときついけど、しっぽくや打ち込みなら割といけますね。
12時過ぎに高松市美術館まで帰ってきて、1時からのサイン会待ちでコーヒー飲んでたら、内山さんから電話がかかってきて「そろそろお願いします」って。宮脇書店丸亀町本店に行ったら、どっしぇー! 商店街に面した店頭にテーブルが出て、後ろに手書きの派手なポップがいっぱい貼られてて、メチャメチャ恥ずかしいがな! もう、ごんやH谷川君が逃げんようにつかまえて、何とか1時間、サイン会やってきました。うどんファンから知人、さらにはかつての文化人講座の投稿者まで、たくさん来てくれました。皆さんわざわざすんません。たぶん、第一巻よりおもろいと思いますんで(笑)。
で、サイン会の後、店内を物色したら「小説宝石」が1冊だけあるのを発見して買って帰る。いったい連絡船のうどんを何の小説にしとんやと思って読んだら、いやいやいや、はっきり言いますが、あの小説を書けるんは世界中で勝谷さんだけです。司馬遼太郎でも東海林さだおでも無理です。例えが難解やったかな。とりあえず、東京麺通団のスタッフは必読じゃ。その他の東京のうどん屋さんは、何かに気が付いたらいかんので読まんでもよろし(笑)。
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2004年12月24日(金)
一昨日の夜、四国新聞生活文化部の忘年パーティーに呼ばれて行ったのだが、松浦さん、めちゃめちゃおもろいわ! 司会進行を担当した松浦さんは四国新聞の週間タブロイド紙の「オアシス」の編集長をやってて、今は生活文化部にいるのだが、もう爆弾じゃ(笑)。ここで進行を再現するわけにはいかないが、私は生まれてこの方、女性の司会進行でこんなに笑わせていただいたことはないと断言する。松浦さんはケーブルテレビにもレギュラーで出ていたが、くそー、あのテレビ、猫かぶってたのか(笑)。
今日は朝からFM香川で正月用の録音をして、勝谷さんが「小説宝石」に「連絡船のうどん」なる短編小説(ルポではない!)を書いているというので宮脇書店の茜町店へ行って、探しに探してもないので駅のくまざわ書店に行って、めちゃめちゃ探してもないので、ガックシと肩をカカトまで落として、とりあえず年内に仕上げないかん大物の仕事が2つもあるので家に帰る。明日はとっても気が重いイベントがあるし…。
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2004年12月23日(木)
12月の私のうどんカレンダーです。
1日(水)冨永 (同行者=真鍋、田渕、川田、瀬尾、大西、氷上、小野、野田) 学生軍団と車2台で突撃。定食メニューが登場していたが、うどんは相変わらず高いレベルで安心のうまさですなあ。
4日(土)さか枝 (同行者=なし) 朝、家族爆睡中につき、散歩がてらに行きました。大将の息子さんかなあ、ほとんど初対面のような気がしますが、私を見つけてあいさつしてくれました。これまた相変わらずのゆる〜い製麺所型大衆セルフの空気が、“散歩がてら”にとても心地よい。
6日(月)上戸うどん (同行者=ごん、M宅さん) 日記にも書いた通り、要塞と化した店で太いやつを1杯。
10日(金)木村 (同行者=なし) 授業と会議の合間の昼食に大学からちょっと遠出。
11日(土)東京麺通団 (同行者=なし) ミーティング前にチェックも兼ねて1杯。麺に伸びが出てきてええ感じ。でも東京のうどん通の方の中には固い腰が好みの方もいらっしゃるようで、万人に受けるのは無理ですねえ。
12日(日)うえ松 (同行者=なし) 東京帰りに高松空港から直行。日記参照。
14日(火)はなまるうどん志度店 (同行者=なし) 大学の講義終了後、さぬき市の審議会に直行して、会議までわずかな時間しかなかったので手っ取り早く1杯(笑)。
同日夜、讃岐家 (同行者=ごん、H谷川君、盛の大将) 田尾「讃岐家に来たらこれやろ」 ごん「当然ですね」 田尾「鍋焼きうどん」 ごん「なめこおろしちゃうんですか!」 讃岐家の鍋焼きはうまいなあ(笑)。
15日(水)白川 (同行者=橋本先生、川田) 講義後の昼休み、学生の川田が「うどん食いに行きましょう」と言うので、一緒にいた橋本先生も道連れにして琴平のさらさやに行ったら臨時休業で、宮武に行ったら定休日で、白川へ。大将の山下君が、そばの練習をしてたぞ(笑)。
16日(木)はりや (同行者=家内) 久しぶりに行ったら、相変わらずのにぎわいぶり。見てたらほとんどの客が天ざる、イカざる、かしわざる……と、ざる系を食べている。はりやは天ぷらのざる系が大人気であるが、私はいつもの天ぷらうどん。はりやの麺は洗練超絶のうまさであるが、実はあの麺が熱いダシに浸かってちょっと“モチ伸び”し始めたやつが、私の特にお好みなの。
18日(土)山越 (同行者=なし) 講演の前の朝うどんを1杯。あの「道の駅」と化した庭で、大工さんが喫煙コーナーを建築中でした。例によって私はかまたまではなくてかけ。山越のかけのダシ、大好きですねん。
20日(月)中村 (同行者=なし) これまた久しぶりに丸亀の中村。“やお”の方じゃ(笑)。ほんまにここのうどんを食べると「麺の伸びとは何か」を思い知らされる。洗練された細麺の伸びのすごさに磨きがかかってる。
21日(火)香の香 (同行者=真鍋、川田、大西、柘野、門脇、篠崎) 講義後の昼休みに学生軍団と突入。うどんはうまいけど、篠崎(女子学生)がおもろすぎる(笑)。 真鍋「ダシ、うまいっすねえ!」 篠崎「うめえよ」 真鍋「これ、うどんのゆで汁を入れたらなんぼでも飲めますよ。何かこう、ゆで汁のうどんの白いやつがダシと合わさって、うまいっすよ」 篠崎「グルメじゃなあ」 篠崎のグルメはそういうことか(笑)。
23日(木)あたりや (同行者=家内) これまた久しぶり。はりや、山越、中村、香の香と行った後、あたりやのうどんを食べると、田舎うどんのすごさが際だつ。讃岐うどんのハイレベルのバリエーションを改めて知らされる。大げさでなく、何か幸せを感じました(笑)。
本日、家内がメガネを買うというのでEYE EYE ISUZUに行ったら飯間社長が出てきて、あれこれ話しているうちに私も2年ぶりにメガネを購入することになった。私は眼鏡屋に行っても自分で似合うメガネをよう探さんのであるが、さすが社長はあの山ほどあるラインナップの中から一発で私に合うメガネを選んでくる。レンズを入れるのに数日かかるので明後日のサイン会には間に合わないが、年明けのテレビは新しいメガネでスタートじゃ。
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2004年12月18日(土)
昨日は最後のKSBスーパーJチャンネル出演で、西日本出版社の内山さんができあがったばかりの「超麺通団2 団長の事件簿」を持ってきて、番組で紹介された。発売は12月25日、サイン会の日だそうです。番組の合間に休憩室で読んでたんですが、おもろいなあ(笑)。 ごん「自分で言いますか!」 田尾「いやー、きみメチャメチャしゃべってるし、おもろいがな」 ごん「皆さん、言うときますけど本でしゃべってるの、私じゃありませんからね」 田尾「自分のしゃべったことを忘れるようになってきたら、老人への第一歩やぞ」 身内の評価ではあるが、H谷川君曰く「第1巻よりはるかにおもろい」とのことです。
さて今日は朝から綾上町でほのぼのとしたクリスマス行事に呼ばれて1時間の講演。10時からの講演だったので、9時20分くらいに会場近くの山越に行って、かけ小とちくわ天を食べてから会場入り。お客さんの年齢構成が行ってみないとわからないという状態だったので、手探りでしゃべり始めて、なんとか1時間やってきました。探りとツカミで40分も行ってしまって、本編20分といういつも以上の脱線ぶりで申し訳ありませんでした。
講演終了後、うどんをごちそうになって、直ちに高松にとって返してクレメントの喫茶で十勝毎日新聞の方の取材を受ける。取材趣旨は「さぬきの夢2000」の話ではなく、地域の素材を使ったマーケティングに関する取材。近年取材を受けたマスコミの方々の多くは、自分の中で最初から結論があってそこに誘導するみたいな取材をしてくるのだが、今回の記者の方はテーマをしっかりと持ちながら柔軟にこっちの話を聞いて、また引き出してくれて、非常に気持ちのいい取材でした。
取材後、H谷川君とかめちゃんと合流して、できたばかりの「超麺通団2」を渡して夕方までバカ話をして解散。ふー、20日締切の原稿を2本抱えたままじゃ。
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2004年12月14日(火)
11:10〜12:40まで「人材活用論」の講義を終え、その足で高速を飛ばしてさぬき市の基本計画審議会へ。講義後、学生のK田から「これはもうほとんど経営学ですね」とのコメントをもらったが、経営“学”(学問)ではない。経営“実践”講義である。
私の「人材活用論」では経営の実践の仕組みをよく解説するのであるが、理由は、近年(といってもここ10年以上)の若い世代はそれ以前の若い世代に比べて「理で動く」という傾向が強くなっているように思うからである。つまり、いまやっていること、やらされていることが自分にどうつながってくるのか、あるいは会社の経営にどうつながって、ひいてはまた自分にどうつながってくるのか、という筋道を理解すれば、結構モチベーションが上がってやる気が出てくるという傾向が窺えるので、そこを学生の頭の中でつなげようとしているのである。
企業や団体の損益計算書、貸借対照表から、管理会計と税務会計、キャッシュフローとのずれ、利益予測や投資判断と給与・賞与の総額の決め方、適正な給与総額からその配分の考え方みたいなのを解いていくと、自分の給料の額の意味と、給料を上げるために自分は何をすればいいかが自分で判断できるようになる。その上で、この会社で頑張るか、転職するか、違う生き方を選択するかの判断をすれば、自己責任の人生を創造していくのに何かの役に立つような気がしているのである。「若い者のやる気がない」とか「命令通りに動かない」というのは、多分にこの「自分に関わってくる筋道」を説明し切れてないのではないかと思う。
かつて私が社長をやっていた時に、社員から「月給100万円を取るにはどうしたらいいんですか?」という質問を受けたことがある。私はそれに対し、「給与規定の成果配分の部分で、これだけの成果を挙げればこのルールに従うと100万円になる」「全社でこれくらいの利益が出るようになり、給与総額をこれくらい取れるようになれば、ものすごいベースアップで100万円を取ることができる」「役員や社長になって、会社の業績をここまで伸ばせば、100万円を超えることができる」などの可能性をいくつか挙げて説明した。どれも急に実現できるようなことではなかったが、短期的にしろ長期的にしろ、「理」がわかれば彼は自分なりに何かを判断して動けるようになるのである。これを「そんな夢みたいなことばっかり考えずに働け。目標を達成しろ」と言ったのでは、モチベーションが上がるとはとても思えないのである。
さぬき市の会議を18:00過ぎに終えて、高速を飛ばして高松に帰って19:00過ぎから秘密会議。会場は讃岐家の2階(うどん屋やがな)、メンバーはごんと長谷川君と盛の大将(お笑いやがな)。議題は、盛の大将の「はまんど」の将来構想について、という、公にはできない秘密会議だ。 田尾「ここは一つ、多角経営に乗り出して新しい商品を売り出すというのはどう?」 ごん「何ですか」 田尾「グリコと提携してですね、チョコレートの中にラーメンを入れた“はーまんどグリコ”とか」 大将「“アーモンドグリコ”やがな!」 田尾「あるいは、昔懐かしいキャンディにラーメン味をあしらった“はまんどキッス”」 大将「“アマンドキッス”やがな! 誰も知らんがな!」 田尾「河合楽器と提携して“はまんどオルガン”を売り出す」 ま、大した会議ではなかったということ。 ごん「ほとんどバカ話です」
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2004年12月13日(月)
本日は朝から夕方までかかって、県政だより「THEかがわ」連載用の香川県の“三角山”の探索&撮影である。香川県には、きれいな円錐形(円錐の先は丸いけど)の山がポコポコといっぱいある。香川県に住んでいる人は物心ついた時からの当たり前の風景なので何とも思ってないのだが、県外から来た人は必ずと言っていいほど、その山の形が印象に残るらしいのである。ちなみにいつ頃誰が選定したのかは知らないが、この円錐形の山を選んで「讃岐七富士」というのがあるらしい。でもその七富士以外にも円錐形の山やとんがった三角形の山がパラパラあるので、今回、香川県中の三角山を全部写真撮って来たろやないかい、というわけで、カメラマンと編集者同行で行ってきたわけである。
これがですね、来年1月末に掲載される分なんで詳しく書くわけにいかんのですが、掘り出し物の大発見の連発ですわ。詳しく書くわけにはいかんのだがちょっとだけ言うと、讃岐七富士の一つの九十九山(観音寺の有明浜の西端にある小さな山)。知ってる人はわかると思うが、有明浜側(南側)から見たら横っ腹が大きく削られてまことにキタナイ山であります。仁尾側(北側)から見ても何やらイガグリ頭みたいな、まことにダサイ形の山であります。東側の道路から見てもタダの山であります。ちなみに西側は海なので船を出さないと見られない。要するに周りのどこから見ても円錐形には見えず、イガグリ頭の横っ腹削られーの、あれを見たら10人中500人ぐらいが「何が七富士じゃ!」と思うに違いありません。
とーこーろーがー! あるところから九十九山を見た瞬間、息が止まりまっせ。海上から見るのではありません。陸上です。あれはおそらく、あの一点のビューポイントだけに限って言えば、香川県で一番美しい山です。 いやほんまに、詳しく書くわけにいかんのですが(もうええっちゅうに)、牛乳屋さん、くまさんとか誘ってちょっと写真撮りにドライブ行きましょう。あの山、びっくりしますよ。
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2004年12月12日(日)
ホテルで4時間半くらい寝て7時に起きて、8時45分羽田発の飛行機で高松へ。10時頃に高松空港に着いて、朝飯も食べてなかったので空港近くの「うえ松」で朝うどんを一杯。
店に入ったら、植松おさみさんがいた。しばらくぶりだったので、あれやこれやと1時間くらい話をして家に帰った。うえ松のうどん、植松さんは「まだ日によって出来に差があるんだけどねえ」と言ってましたが、今、香川でもトップクラスのすごくいいのが出てます。しかもダシは最後まで飲める!
家に帰ったら、詫間の実家の母ちゃんから電話がかかってきた。 母「あんた、名前変えたん?」 私「何で?」 母「今日の新聞に“田尾和俊”でなしに“田尾正俊”いうて出とるがな」 私「なんとな!」 見たら、今日掲載の私のコラムの名前が大きく間違ってる(笑)。ま、ええか。どうせ世間ではその程度の扱いやし(笑)。ちなみに数年前、私の父が亡くなった時に新聞の「おくやみ」のページに載ったのだが、葬式の日に新聞を見た母が「あれ、私が死んどるがな!」と言うので見たら、新聞に「田尾和俊氏のご母堂様がご逝去」と書かれていた。たぶん父の名前が「光美(みつよし)」だったので女だと思ったのだろう。どうも我が家は新聞と相性が悪いらしい。担当の方、うちは家族全員「ま、ええか」という性格なのでご心配なく(笑)。
ついでに関連ネタを一つ。10年くらい前、私がタウン誌の社長をやっていた時に社員のお父さんが亡くなって、社員総出で葬式に行った。自宅での葬儀だったので家に上がって、私は出焼香をすることになっていたので、祭壇のある部屋で親戚の方々をはじめとする多くの方々と一緒に座っていたのだが、お葬式が始まってしばらくして出焼香が始まって、司会の方が低い厳かな声で名前を読み上げ始め、親戚の方々の出焼香が終わって来賓の名前が呼ばれ始めた時、そろそろ呼ばれるか…と思っていたら「株式会社、ホットカプセル、代表取締役……」と来たので立ち上がりかけたところへ「たじり、かずよし様」と言われてひっくり返ったことがある。いや、ひっくり返ってはないけど。M村ー! お前、自分の会社の社長の名前を何て書いたんじゃ! 「田尾」が「田尻」になって、「和俊」がどないなったんかわからんけど「かずよし」になって。ま、ええか(笑)。
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2004年12月11日(土)
東京麺通団のミーティングで東京へ。先月末の29日に別の用事で東京に行った時は、例の第2旅客ターミナルのオープン2日前だったのだが、今日はオープン直後…と思って降り立ったら、JALはターミナルが変わってなくて、何か今までとほぼ同じ風景でした。でもわざわざ第2ターミナルに見学に行く暇もないので、そのまま品川のホテルにチェックインして、すぐさま神田に出て書店を物色して、新宿に出て東京麺通団でかけ小と半熟卵天と新作の「いりこめし」を食べて、ミーティングをして、勝谷さんの案内で何かゴールデン街の路地の中にある沖縄料理とお酒の店へ行って、進められるままに焼酎を飲んで真っ赤になって、めちゃめちゃうまいソーキそばの大を食べて、ホテルに帰って午前2時頃まで仕事して寝た。
この沖縄料理の店は沖縄出身の女将さんがやってる狭い小さい店で、半年ぐらい前に初めて勝谷さんに連れて行かれたのであるが、何か、出てくる小料理がみんなうまい。ただしゴーヤーは除く。ま、私がゴーヤー、ダメなだけなんですが(笑)。中でも目からウロコが3枚ぐらい落ちたのは、そのソーキそば。2年くらい前に沖縄で現地の通に紹介されたソーキそばを初めて食べて何か口に合わなくて、以来私の中でソーキそばは、たぶんもう食べることはないだろうと思っていたのだが、だまされたと思って食えと言われて、このうまいソーキそばに当たったのである。というか、麺は店で打ってるわけではないので、スープがうまいということであろう。
焼酎をなめながら、元徳島のタウン誌「あわわ」の社長の住友さんの話題が出たので、久しぶりに店から住友さんに電話をして話した。住友さん、ついこのあいだ「あわわのあはは」という本を出版したばかり。無一文からタウン誌を起こし、全国有数の優良経営タウン誌に育て上げ、住民運動を手がけ、タウン誌をリタイアするまでの話を書いた本。書店でお目に止まればぜひご一読を。 東京麺通団は、がんばっています。現在、社員スタッフのラインナップは、 うどん職人…山中(店長)、長沢、臼杵、知久平、宮前(大阪から東京入り)、和田(見習い) 料理担当マスター…パロマス 以上7人にアルバイト軍団を加えて、全員がキャラの立った職人ばかり。メニューもずいぶん増えました。酒と肴もかなりすごいことになっています。引き続き、新年を控えてメニューの味と人間のキャラをさらに向上させるべく、いろいろ作戦を開始しますのでお楽しみに。
ちなみに東京麺通団の年末年始の休みの予定が決まりましたのでお知らせします。 12月は28日(火)午後4時にて終了。 1月5日(水)午前10時、新年営業開始。 その間にスタッフは香川で最新の讃岐うどんの技術と情報を小ネタを仕入れてまいります。
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2004年12月10日(金)
本日学科協議会につき、「KSBスーパーJチャンネル」の出演を休みました。来週は出るけど、レギュラーで一緒に出ている岩井志麻子さんは今日が今年の最後の出演とかで、ということは、先週がコンビの今年最後だったのか。
昨日、学科研究事務室で真鍋らと話してたら、何の拍子か暗黒舞踏(舞踊でも演劇でもない)の話になって、「しょうがない、ビデオ持ってきてやる」ということになって、今日の昼、時間が空いたので研究事務室でビデオ鑑賞となった。持ってきたビデオは、大駱駝艦が1989年に京都南座で公演した「海印の馬」。私は南座まで行って生で見て息が止まって、同年10月に香川芸術フェスティバルに招聘して高松で公演してもらったら観客の中で失神者が出たという作品である。
何を隠そう、私は暗黒舞踏に関しては香川県ではちょっとしたマニアである(笑)。きっかけは1987年に香川芸術フェスティバルの委員になって、「何か香川で見たことのない演し物を探してきてくれ」と言われていろいろ探していて暗黒舞踏に行き着いたことからである。で、私が担当で招聘した暗黒舞踏の公演は4つ。
1987年 大駱駝艦「羅生門」の公演を招聘。 1988年 白虎社 「ひばりと寝ジャカ」の公演を招聘。 1989年 大駱駝艦「怪談 海印の馬」の公演を招聘。 1990年 金沢舞踏館「鉱物王子」の公演を招聘。
4年連続で暗黒舞踏公演を主催した県は、おそらくないのではないかと思う。いや、自慢してええのかどうかわからんけど(笑)。ちなみに翌年は桂勘のストリートパフォーマンスが行われ、これらが一つの契機になったのかどうか知らないが、その後香川県内で大野一雄を始め数回の舞踏公演が行われ、ついには山海塾の「卵熱」の公演まで行われたという、ある意味すごい県なのである、香川は。そういうわけで、私は舞踏の作品をビデオで10本ぐらい持ってますねん。で、学生数人と「海印の馬」を見たのであるが、真鍋と池田がちょっとハマったかもしれん(笑)。
今週は月曜日の昼に上戸うどんに突撃。台風で裏山が崩れてしばらく営業できなかったという上戸は、行くと店の周りにうずたかく土のうが積まれ、道路から店が見えないという“要塞”状態になっていた。でもお客さんは帰ってきてくれているそうで、何とか一安心である。引き続き皆さま、折に触れ応援をよろしくお願いします。
一つ前の日記で書いてる「とっても気が重いイベント」とは、12月25日13:00より約1時間、高松市丸亀町の宮脇書店本店で行われる、「超麺通団2 団長の事件簿」の発売記念サイン会です。とても恥ずかしいので、ごんと長谷川君を矢面に立てることにしています。
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2004年12月5日(日)
何だかここ数日、書き物が次から次から襲ってきて、一つあげては頭の中を切り替えて、また一つあげては切り替えて、歳のせいか切り替えに時間がかかるようになって、仕方なく気分転換にものすごく久しぶりに郷東のGEOにビデオを借りに行ったら店内のレイアウトがすっかり変わっていて、レンタルビデオコーナーが2階に上がっていて、上がったら並びも変わっていて気が動転したのか、3本借りて1階に下りてカウンターに出したら「お客様、ケースは置いて中身だけ持ってきていただければいいですから」と言われるという大失態を犯して、這々の体で家に帰って1本目の「ミニミニ大作戦」を見たらいきなりサザーランドのおっちゃんが出てきて、あれー? あ! これ見たやつやがな!
しかしどこで見たのか全く思い出せん。映画館でもないしテレビでもないし、借りた覚えは絶対にないし……と思いながら必死で記憶をたどったら、思い出しました。台風のグアムで、どこにも出られんで部屋のビデオで見たんや。ほんまにもー。
で、本日夜9時に3つめの書き物を終え、あと1つ。火曜日の夜6時からの大学開放講座の資料作りに取りかかったところである。
大学開放講座は先週の火曜日と明後日の火曜日の2回、学外の希望者15人くらいを対象に「発想力開発」をテーマに、アイデアが30分で1000ぐらい出るようになるという、例の私の授業プログラムのダイジェスト講義である。先週はごんや長谷川君やSIRAKAWAの白川君、日清冷凍食品のM宅さん一味も来て、前半の講義を超特急で行った。終了後、ごんに「内容、詰め込みすぎです」とダメ出しをくらったが、1時間半の講義2回で最後まで行かないかんからぶっ飛ばして行かないかん。ゆとり教育を受けてるやつらにはついて来られんかもしれんが、 俺らは詰め込み教育の世代やから大丈夫じゃ(笑)。
講義の途中、まず「誰を、どうしたいのか」という目的を持つことの事例説明で、私が「ゲリラうどん通ごっこ」を始めたのはブームを起こすことが目的ではなくて「私のやっていたタウン情報誌の読者をおもしろがらせる」のが目的で、目的をそう定めると必然的に戦略(店選びや見せ方や)が決まってくるという話をしたら、みんなちょっと驚いていた。
多くの人がカンちがいをしているようなのだが、私は講演でも質問を受けても、一貫してそういう目的で始めたということを話している。講演で便宜上「讃岐うどんブームの仕掛け」みたいなタイトルが付くことがあるが、すべて基本的に内容は同じである。聞いた人はおわかりだと思うが、ブームが起こる過程で私が何をしたか、何をしていないか、私以外の個人や媒体が何をして、それらがどういう影響を与えたか、そういう話をあるがままにしているわけである。何かで成果を挙げた人で、よく後付けですべて自分の手柄みたいに話す人がいるが、私は後付けの分析は「これは後付けです(笑)」と断って話をする。そうしないと、聞き手に正しい情報が伝わらないし、勉強しようと聞きに来ている人にウソをつくことになってしまうからね。
そういうわけで今週もまだまだ多忙。22日の授業終了まで多忙。25日にはとっても気が重いイベントも控えている(笑)。ごんと長谷川君、昼の1時から2時までじゃ。ちゃんと空けとくように。
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2004年12月2日(木)
だいぶ前の話になるけど、うどんのことを書いていたらほったらかしになってたので注釈を一つ。西岡からニューヨークタイムスの記事で私が香川大学の教授になっとる(「Kagawa university professor」という表現になっていた)という指摘をもらって日記で紹介したが、何かあれ、オッケーらしいぞ。11月22日に大学で学長に会ったら、学長が「田尾さん、あれ“香川県の大学の教授”という意味でええんちゃうかなあ?」って。「香川大学」なら「university」の「u」が大文字になるので、小文字ということは「香川県の大学」という意味になるらしい。さらに27日にニューヨークから帰国してきた「さぬきプロジェクト」の伊藤さんという女性からも、同じ指摘を頂いた。どうもそうらしいな。
田尾「さすがニューヨークタイムスは信頼できる新聞や」 ごん「手のひら返してますやん!」 田尾「ほんまにもー、西岡、あいつもう10年以上ニューヨークにおるんぞ」 ごん「ま、西岡さんですからね」
さてと、夜、家内と25分歩いてアップタウンに行って牛乳屋さんらと話してたら、重大なる疑問に直面した。私がコーヒーを飲んでて、家内がマスターに紅茶の入れ方をご教示いただいてその紅茶がテーブルに出てきた時のこと。
牛乳「コーヒーに砂糖もミルクも入れんかったら“ブラック”言うやろ?」 田尾「言いますね。最近私、ブラックで飲んでますしね」 牛乳「ほな紅茶は、砂糖もミルクもレモンも入れんやつ、“ブラウン”って言うんかな」 田尾「おー! それは盲点! このネタ、たぶん東海林さだおも絡んでいってませんよ。ということは、牛乳に砂糖入れんやつは“ホワイト”ですか!」 牛乳「今度言うてみるかな。“牛乳。ホワイトでね”とか」 田尾「これ、解明せないかんですねえ!」
解明せんでもええけど。
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