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2005年01月の日記
2005年1月29日(土)

 某コンテストの審査員で岡山へ。司会の嘉門達夫さんと久しぶりに再開した。私が大学に勤めていることも、東京麺通団のプロデュースをしたこともご存じであったが、何より「笑いの文化人講座」の連載が終わったことを残念がっていた。「まあ一つの時代が終わったなあ」と、しみじみお話。けど嘉門さんの司会、おもろかったなあ。特に子どもをいじらせたらおもろいわ。

 当日の審査委員長のコラムニスト天野祐吉さんとは初対面。控え室でうどんのことを熱心に聞かれた。天野さんの「方言と県民性」の話もおもしろかった。今さら私ごときがいうのもなんだけど、やっぱりそれなりの人はおもしろいネタをたくさん持ってますねえ。特に、フィールドワークをたくさんやっている人の話は大変おもしろい。改めて、現場こそネタの宝庫であることを再認識である。「改めて」「再認識」はダブってるけど、ま、強調ということで。
2005年1月26日(水)

 先日、珍しくうどん以外のテーマで取材依頼があって東京からライターと編集者の方が来られたのだが、その方曰く、高松空港からうどんタクシーに乗ったそうです。

編集「うどんタクシーというのに乗りましてね」
田尾「それはまたいきなりおもろい体験しましたね」
編集「それでですね、私たち、『恐るべきさぬきうどん』を読み込んで、今日の取材場所がクレメントということで『恐るべき』に載ってた店の中で比較的近そうな“うどん棒本店”に行こうと思って、運転手さんに“うどん棒本店”に行きたいと言ったんですよ」
田尾「なるほど、あそこは伸びる麺の代表ですからね」
編集「そしたら運転手さんが“うどん棒? 知らないなあ”って言うから、“本に載っていたんですけど”と言ったら、“私の知らないうどん屋が載ってるようでは、その本も信用ならん”って(笑)。で、運転手さんの言うまま“さか枝”というところに連れて行かれたんですけど」

 あっはっは! すんません、私『恐るべきさぬきうどん』という信用ならん本を出してます。

 ここ数日、むちゃくちゃ頑張って講義もいろんな書き物もだいぶ進んで、大物2本以外、あと1本にまでこぎ着けました。後期の講義は今週いっぱいで終了。でも土日は休みなしで仕事ですから。
2005年1月25日(火)

 人材活用論の後期の最後の講義。最終回の今日は「情報発信プロジェクト」立ち上げシミュレーションの2回目であったが、作った組織に沿って学生たちに企画会議を進行させたところ、実に興味深い性行が現れて、急遽その分析で最終回を締めた。すなわち、目的を協議合意する段階で、ビジョンを掲げるところ、学生たちの議論がいきなり「どうあるべきか」論に突っ込んでいって、袋小路に入ったのである。詳しい議論経緯は再現しないが、要するに「どんなものを生み出したいか」「将来どんなふうになれば楽しいか」という話から入れば会議が活性化するのに(その段階の会議であるから)、彼らは「会議イコール議論を戦わす場」という固い先入観があるのか、あるいは学生の会議の悪習なのか、疑うことなく「べき論」に入っていって、「対立意見を論破する」ことが議論の目的になっていったのである。しかも論破するための論理が未熟なもんだから、袋小路に入ってしまう(笑)。

 こういう思考回路って、ネットの中によく見られますね。別に身構える必要はないのである。楽しい方に話を転がし、展開していく方が、新しいものが生み出される可能性が高いし、何とて話し合いが楽しくなるのである。そのあたりの彼らの頭の中の殻をちょっと壊して、さらに来期のプラクティカムにつながる考え方を提示して、講義を終了した。

 講義の片付けをしていたら、学科助手の真鍋と数人の学生が来た。
真鍋「田尾先生、これ」
田尾「何や」
真鍋「いい講義、ありがとうございました。そのお礼と、僕ら何回もうどんおごってもらったお礼と、先生の誕生日のお祝いで、みんなでカンパして、これ」
田尾「プレゼントか! おー、ネクタイやないか。お前らなー、金ないんやから無理するなよ。すまんのー。ありがとう」
 とか言っていたら、今度は堀川以下女子学生が、
堀川「田尾さん、うちらもこれ」
田尾「おー! きなこもちチロルやんか! しかも箱ごとか! というか、これ箱のフタ開いとるぞ」
中尾「授業中にな、うちらちょっと食べたから」
田尾「おっさんおっさん! いや、おっさんでないけど」

 去年の秋頃だったか、学生の柘野がうまいもん見つけたいうてきなこもちのチロルチョコを買うてきて、一つくれたので食べて「むちゃくちゃうまいやんか!」とか私が言ってたのを覚えてたらしい。すまんのーみんな。ちょっと目頭が熱なったが(笑)。

堀川「けどな、もうコンビニにきなこチロル、どこ行ってもなくなってる」
真鍋「何か昔から田尾先生の好きなもん、どんどんなくなりますね」
田尾「ほんまやのー」
真鍋「なんかの悪いジンクスですかねえ」
田尾「あと、田渕が行こう言うた店が全部閉まっとるいうジンクスと」
田渕「俺ですか!」
2005年1月24日(月)

 本日、リクルートからの取材受けと、観光マネジメントの分析と打ち合わせ、某社との商品開発の打ち合わせ、原稿制作等。その中で、数軒のうどん店からの近況が報告されたのだが、聞くと、そのすべての店で、大将曰くあの「さぬきの夢2000」騒動以来、県外からの客が目に見えて落ちているらしい。

 うどん店に関しては、県内の客はわかっているのでさして影響がないだろうと思っていたのだが、うっかりしていた。県外からの客がたくさんいる店があるんだ。ブームの自然な収束が始まったということも考えられるが、大将のコメントによると、県外客から「粉は何を使っているのか?」という質問を聞くらしいから、これはもう、風評被害であろう。でも、カイワレ大根の風評被害の時は所轄機関をはじめとするいろんなところが濡れ衣を晴らそうと一生懸命動いたが、ASWのうどんはほったらかし。ほとんどどこもASWの濡れ衣を晴らすキャンペーンや施策に力を入れていない。どういうつもりかなあ。そういうつもりなんだろうけど。 ま、どこかの大臣を連れてきてASWのうどんを「うまいうまい」言うて食べてもらうというパフォーマンスはやめて欲しいけど(笑)。

 とりあえず私も聞き取り調査に行ってきますが、地域のマスコミの皆さん、もしできるなら「夢2000騒動」のその後の実地取材に行ってみてくれませんか? うどん店だけでなく、バスツアー関連も。何か大変なことになりつつあるかもしれませんから。ブームに乗れなかった組はほくそ笑んでいるかもしれませんが、香川県全体としては放っておくわけにいかんでしょう。
2005年1月22日(土)

 朝から、三木町の若手ビジネスマンの方々とお話をしてきた。ものすごく久しぶりに藤麺の藤井さん(以前会った時は社長でなかったけど、今は社長)とお会いした。最初会ったのはもう20年近く前、デザイナーの北浦さんと一緒に行って、今の藤麺のロゴを作った時。その次はほぼ時を同じくして、藤井さんに誘われて「讃岐うどん研究会」のパーティーみたいなのに行った時。その次は、藤麺が丸亀に讃岐うどんを洋風にアレンジした店をオープンした時。あの店、もうなくなったけどコンセプトがあまりにも斬新な“実験店”で、今日会って昔話をしながら「50年くらい早すぎましたね(笑)」と笑いました。チャレンジャーです。16名の参加で2時間半くらい、情報加工の実践例をもとにアイデア創出の手法の話をしてきましたが、少しでもお役に立てましたかどうか。

 午後はホームページのミーティングと情報発信研究のミーティング。さらに、ごんと「オーシャンズ12」を見に行くというハードスケジュールだ(笑)。情報分野を生業とする者としては、いち早く封切り映画をチェックするというのも大事な仕事だ、と言い訳をして、上映開始10数分後、ちょっと寝た。

ごん「そやから言うたやないですか! エイリアンVSプレデターの方がええって」
田尾「きみも前に俺を“エボリューション”に連れて行ったやないか」
ごん「そんな古いこと、いつまでも覚えとったらダメです」
田尾「牛乳屋さんに“むちゃくちゃおもろかった”って言うとこかな」
ごん「絶交されますよ」

 ジュリア・ロバーツが映画の中でジュリア・ロバーツになった瞬間、私の中ではアウト。ごんもあれでアウト。ちなみに予告であった「ナショナル・トレジャー」なる映画、あれはよさそうやった。
ごん「あれは牛乳屋さん誘って行かないかんですね」

 ま、好き嫌いの話ですから聞き流してください(笑)。ちなみに今ごろ気が付いたのだが、こないだ私、誕生日だったらしい。49才になりました。来月東京に行くことになってネットで飛行機の予約をしてたら、JALの会員ページのデータの中の私の年齢が48才から49才に変わってました。JALはすごいなあ。俺の誕生日、ちゃんと覚えてる。

ごん「自動的に変わるようになってるんです!」
2005年1月20日(木)

 ここ1週間、何やら原稿を頼まれて断り切れずに受けていたら、月末までに上げないかん原稿が6本にもなってしまった。その上に苦しみ中の大物2本があるのに。とりあえず研究室で授業までの合間に1本上げて、昼休みに学科事務室に行ったら、例によって女子学生軍団が弁当を食っていた。その中に、ひときわ異彩を放つ弁当を食っているO西を発見。

田尾「O西、それ何や! ご飯がビショビショやないか!」
O西「あ、これ? お茶漬け」
田尾「弁当がお茶漬けか!」

 おかずの容器はちゃんとあって、もう一つの容器に入ったご飯に永谷園のお茶づけ海苔みたいなんをかけてお湯をかけて、お茶漬けやんか! ま、発想が自由なんはええけど(笑)。私の昼食は、真鍋と川田、氷上、それにお茶漬けを食ったばかりなのに「行く」言うのでO西も連れて白川へ。真鍋が「うまい」言うのでカレーうどんの大を食べてきました。講義のあと、彫刻家のO島さんが来て、それから若手教授たちで夜9時くらいまでミーティングをして帰宅。講義準備はあるし原稿はあるし来期の準備が始まってきたし、ムチャクチャ忙しいでー。
2005年1月18日(火)

 いよいよ後期の授業もあと2週になって、今週から担当科目6つのまとめに入った。今日は「人材活用論」のエンディングで、組織作りの実践練習を行った。受講している30人くらいのカルチュラル・マネジメント学科の学生全員で「情報発信プロジェクト」を立ち上げるという事業計画である。

(1)事業の名称を私が提示
(2)事業の目的を列挙する
(3)複数の目的の優先順位をつける
(4)その目的を達成するための最も有効な手段を、事業内容に落とし込んでいく
(5)事業内容をもとに組織を作る
(6)組織の部署ごとに担当責任者を決めていく
(7)部署ごとのスタッフを決める
(8)会議体系を作り、会議に従って事業内容の詳細を決める

 ポイントは(2)(3)。ここを先に決めておくと、事業内容や組織を作る時、迷ったりどっちとも判断が付かない時に「目的に対してどちらが有効か」という非常にシンプルな物差しとなって合理的に物事が決まっていくということを、受講学生はこれまでの講義でかなり認識している。あのヤンチャなうちの学科の学生がよくここまで来てくれたものだと、ちょっと感心したのだが、感心はこれだけではなかった。

 組織図ができて部署ごとに担当責任者を決めていく作業中。この事業計画は、来期実際に私のプラクティカムで取り組む可能性が高く、みんなに「これは仮の話でなくて、ほんまにやるんぞ」と念を押し、さらにこれまでの講義の中でさんざん「リーダーの責任と権限」の話をして、「リーダーは成果を挙げられなかったら責任を取る」「リーダーは担当部署の目的達成のために、あらゆる困難やスタッフの文句をさばかなければならない」とかいう大変さを実例を交えながら講義してきて、やるとなったらそれが降りかかってくることを改めて念押ししたにもかかわらず、各部署ではなく、事業全体の統括責任者のポストに3人も立候補してきたのである。さらに各部署のリーダーに立候補してきたのも5人。

 いやー、よくここまで来た(笑・涙)。実践で使えるかどうかはあとの話である。たぶん全員、即戦力にはならないと思うけど(プロの成果物を目指すのだから当然であるが)、あと1年目標で、ちょっとおもしろいものを生み出しますから。えらい先の話ですが、香川県内をはじめとするいろんな企業の経営陣の皆さま、彼らが能力アップして成果を挙げて、皆さまの会社の入社試験にお伺いしましたら、ぜひ目をかけてやって、もしお目にかないましたらご採用の程、よろしくお願い申し上げます。デキの悪いやつは推薦いたしませんので(笑)。ま、えらい先の話ですが。
2005年1月15日(土)

 朝から子どもをセンター試験会場に送っていく。昨日の晩、試験を翌日に控えた子どもらが何やら針葉樹林がどうしたとか関東地方の地質がどうしたとか言っていたので「シラス台地は、掘ったらちっちゃいイリコみたいなんがなんぼでも出てくるんぞ」とアドバイスしたことの、せめてもの罪滅ぼしだ。

 送って帰って午前9時過ぎから、本日は観光情報発信研究の現地調査に出発。メンバーはごん、笹木、S原、N村という、昨年来の研究チームメンバーだ。メンバーを見たらとても仕事とは思えないのだが、ちゃんとお金も発生する仕事である。今日のテーマは「瀬戸内海の多島美をどう楽しむか」である。

 瀬戸内海は美しい。ごんなんか、仙台の松島に行って来て改めて瀬戸内海の美しさを再認識して帰ってきて以来、はっきり言って「瀬戸内海サポーター」である。ことあるごとに「瀬戸内海は素晴らしい」と言っている。精神的に行き詰まった時、瀬戸内海を眺めると心が洗われるそうである。ここへ来て瀬戸内海を眺める回数が激増しているらしい。
ごん「私が最近行き詰まってるみたいやないですか!」

 そこで我々はこう考えたのである。「瀬戸内海は美しい。だからその美しい瀬戸内海を紹介しよう」というやり方は、これまでいろんな情報発信媒体で行われてきた。でもこれから、今まで以上の何か成果を目指そうと思ったら、その次の何かを探さないといけない。で、「瀬戸内海は美しい。だからその美しい瀬戸内海を紹介しよう。そして、その美しい瀬戸内海をどう楽しむかを提案しよう」というところに突っ込んでいってみるか、と。今日はその可能性の調査ですわ。オバカメンバーですが、アンテナの感度をものすごくアップして、本当は丸一日かける予定だったのだが、ごんがよこしまな理由で夕方までは付き合えん言うので5時間くらいの探索をしたのである。途中「ごんの高所恐怖症の真実」事件があって腹筋吊るほど笑ったが、おもしろさが非常に文字で表現しにくいネタであるので「笑える文字」が生み出せるまでお待ちください。
2005年1月13日(木)

 先週がヤマだった仕事が依然重くのしかかり中で、頭の中が袋小路に入って、仕方なく2日連続で気分転換に夜、家内とアップタウン詣で。アップタウンのダブルヘッダーだ。違うな、2連戦だ。昔、阪神が高知の安芸のキャンプに来てた時、弘田が1日に2回うどんを食べたら高知の新聞に「弘田、うどんのダブルヘッダー」という見出しの記事が載ったそうだが、あまり関係ない話ですね。

 こないだ学科助手の真鍋がラーメン食ったあと「さくらももこの“もものかんづめ”がおもしろかったですよ」とか言うので、別の資料を探しに行くついでに宮脇書店に行った。で、ウロウロしてたらベストセラーによく出てくる小林よしのりの「新ゴーマニズム宣言」の文庫が並んでいたので、つい7巻全部買って昨日から読み始めました。「ゴルゴ13」より読むのに時間がかかる(笑)。読んでたら、内容以外のことで一つわかりました。昨年暮れの日記で書いた「言ったことを曲解されたり言ってもないことで批判されるって、いっぱいあるんですかねえ」という疑問、中央の言論界ではムチャクチャあるらしい。田舎のぬるい世界でずっと過ごしてきた私が無知だっただけか。

 そういえば私はネットの中のいろんな中傷合戦はほとんど見ないから知らないのだが、時々仲間から知らされるところによると、私と会ったこともない人たちが伝聞だけを根拠に、あるいは本や新聞や雑誌やこの日記で書いたことを勝手に曲解して田尾批判、中傷していることがあるらしい。ま、ええか。後ろめたいことは過去にさかのぼっても何もやってないし、狭いエリアとはいえ、大衆に意見を書いたらそういう理不尽な目に遭うことも覚悟せないかんということか(笑)。一つ一つ反撃したり内容によっては法的手段をとったりしてもいいのだが、今のところ私の人生の優先順位はそんなことではないので、言われたりされたりしたことを覚えておくだけにしとこう。

 講義が始まってまたしゃべり始めたら、2年前から持ち続けている声帯のちっちゃいポリープが、やっぱりうっとおしい。切るかなあ…という話は去年から思っているのだが、簡単な手術らしいが切ったら1週間ぐらいしゃべらずに入院することになると医者から聞いた。けど入院したら絶対ごんや牛乳屋さんやあのへんが来るし(笑)。筆談でボケツッコミせないかんし。

田尾「いちいちツッコミをボードに書いて出しよったんではテンポが悪いしなあ」
ごん「よく使うボケやツッコミをあらかじめ紙に書いといてですね、話の展開に応じて適当なセリフをサッ、サッと出すいうのはどうですか?」
田尾「あのなあ、きみなら“なんでやねん!”“んなアホな!”“ちゃいますって!”の3つぐらいのボキャブラリーしかないからええけど、俺は常に斬新なツッコミを心がけてるから、50枚も100枚も作っとかないかんやないか」
ごん「私は100枚ではききませんよ!」
家内「ごんと牛乳屋さんに入院先を知らせんかったらええやん!」

 もし入院したら、ごんと牛乳屋さんには絶対黙っとく。
2005年1月11日(火)

 授業再開の私の最初の講義は「人材活用論」である。私のような、ここまでの人生の大半を「使われる側」で過ごしてきた者が、あるいはそのうち15年くらいは中間管理職から経営側に入って多少なりとも「使う側」の経験をしてきたがそれも常に「使われる側」との兼任で、さらにうまく使えたのかどうかもわからない者が、「人材活用」について体系立てた「論」を偉そうに教えるのはとても恥ずかしいので、今年の講義はここまで「人のマネジメントの基本的な仕組みやルール」を提示して、あとは価値観の大きく異なる世代が同居しているという現在の特異な環境の中で何が変わりつつあるか、そぐわなくなってきているかを示唆するという感じでやってきた。

 人材を有効に活用するにはどうすればよいか、という問いに対して、私は「これが正しい」という答を持っていない。たぶん、あらゆる組織に通用する1つの答なんてないのである。「人は何で動くか」という問い一つにしても、お金、地位、やりがい、信頼といった挙げられるそれらしい要素はすべて、当然の事ながらその組織ごとに使う上でメリットとデメリットを持っている。だから私には、それぞれのメリットやデメリットを一般的な話として提示するくらいしかできないのである。

 前の日記で書いた「会社を辞める5人」のうち2人の知人は、多くの人が「安定しててええなあ」と言う公務員である。別の一人は東京のそれなりの企業に勤めていて、辞めて田舎に帰るという。ところがもう一人は九州の田舎にいる友人で、辞めて東京へ行くという。これだけでも、「何が良い、悪い」という一元的な答がない、ということがすぐにわかる。だから相談を受けても、私にはアドバイスはできません(笑)。特に片側(やめる側)の話を聞いただけでは。ただ、そういういろんな話を聞いていると、香川や九州や東京の企業や組織の中にいる人たちの考え方の傾向を知る事例として、興味深いのである。東京の友人の場合なんか、香川とは比較にならないくらい世代間のせめぎ合いと決断が“激しい(笑)”んだもの(それにしても何かすごいやろ? わずかの間にこんなラインナップからパタパタと連絡来たんだから)。

 「置き去りの世代」と書いたが、社会においては置き去りの感があるが、組織の中では「置き去り」というより「ただ使われる」世代という感じもする。またいろいろ考察して、用語も適当なものを探そうと思う。

 年明け講義の初日、昼休みに学生8人もにたかられて(笑)はまんどでラーメンです。大将、正月から何かダジャレ言いよったけど、覚えてないくらいのネタじゃ。
 
2005年1月10日(月)

 明日から授業再開。今年は近年まれに見る非常に不健康な年末年始であった。理由はこないだも書いたが、頭の中で整理のつかない仕事を抱えたままモヤモヤと苦しみ続けて、大した外出もせず運動もせず、でも食うものは食って、この間、金曜日に家からムッシュまで30分ぐらい歩いて髪を切りに行ったのと、今日の夜、青春ゴルフに打ちっ放しに行ったのが唯2回の運動らしい運動であったというありさまだからである。結局この3連休はほとんど明日からの授業準備に費やし、先週末がヤマだと言っていた仕事は全然片づいてません。

 固有名詞は出せないが、この2週間くらいの間に私の知っている人が何と5人も、今年度内に会社を辞めるという話を聞いた。しかもそのすべてが、それなりに優秀な20代、30代、40代の人材である。しかもそのすべてが、聞いた範囲では「会社の古い体質に耐えられなくなった」みたいな理由である。

 先日ここで書いた「置き去りの世代」だ。古い体質の企業や組織の経営陣(者)の多くは、意識してか無意識かの違いはあれ、「自分が生きているうちの自分のこと」を最優先に考えている。従って、社会の中だけでなく、会社や組織の中においても、古い体質の所には20代〜40代のスタッフの将来を最優先に考えてくれる人は今、ほとんどいないと思った方がいい。この点、様々な別の弊害はあるが同族会社の方が、トップが「自分の息子の将来」を考える分、経営戦略に20代〜40代の将来を意識した少し長期的な判断が現れるということも言える。

 この辺りの考察は論文になるのでここでは長々と書けないが、この世代は今、構造的に“将来のことを考えてくれる人がいない”世代にされてしまっているので、結局やる気のある者は「若い経営者のところへ行く」か、「10年後、20年後のビジョンを持った経営者のところへ行く」か「自分でやる」しかないという話になるのである。そうでなければ「我慢する」か。田舎でビジネスの世界を眺めていると、世代間の問題は年金問題よりこうした問題の方が大きいという印象である。おそらく都会ではもう少しこの世代間の構造改革が進んでいると思うが。

 かくいう私ももちろん優先順位は「自分のこと」であるが、できれば2割、3割、気持ちとしては半分くらい、授業中は9割以上、20代の彼らの将来のことを優先したいと、自分に言い聞かせているわけです。ま、自分はメシ食えて、少しだけ精神的に健康になれるものが維持できればいい。若い者の芽を摘むような「自分のこと」は、やらないようにしなくちゃ。

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2005年1月6日(木)

 気分転換に本日夜9時半、家内と本年の初アップタウンに行って、師匠と牛乳屋さんと初バカ話をして帰ってきて、風呂入ってパソコンに向かって、ただ今午前2時半。連日何やってんだか(笑)。抱えてる仕事3つがどうもうまく整理できんで、引き続きうなり中です。

 去年の12月、岩井志麻子さんから「エンディングを考えずに連載小説を書き始める」という話を聞いて、私と全く正反対なのにちょっと驚いて、ちょっと感心して、ちょっとうらやましいな、と思ったわけです。私は小説は書かないが、文章も企画書も、オチまで頭の中で組み立ててから書き始めるという性分なんで、それが頭の中で整理できて決まらないと、1行目がスタートしない。だからうなるのである。しょうがないけど、多分もう直らんやろなあ。今日はもう寝よ。
2005年1月5日(水)

 もうかれこれ15年くらい、年賀状も暑中見舞いも書いてないので、皆様方にはどうもすみません。私は書くとなったら一人一人違うメッセージというかネタを書かないと気が済まない性格で、かつては一枚一枚違うメッセージで年賀状を書いていたのですが、そのうち仕事柄もらう名刺がどんどん増えていって、とうとう手に負えなくなって断筆宣言をしたわけです。宣言してないけど。

 旧年中はいろいろとお騒がせしましたが、全国で活躍されている方に比べればおとなしいものかもしれません。でも狭いローカルでは、ほんの少し正論や本音を吐いただけであちこちからアレルギー反応が出てきて、地方というのは都会よりはるかに“変わること”に対する抵抗が大きいのだなあと、改めて思ったここ数年でした。

 特に思ったことは、20代〜40代くらいの世代がいろんな議論から置き去りにされているということです。大ざっぱに言えば、「高齢者に優しく」「弱者に優しく」「子供たちに優しく」という話がどこでも大手を振って、その他の意見を押さえ込んでしまう。もちろん私も高齢者や弱者や子供たちを無視するわけではありませんが、これから社会を担っていく20代や30代の人たち、あるいはまだ担っていかないといけない私も含めた40代の人たちのための現実的な(建設的な)意見を、ついぞ聞いたことがないのです。特に地方では。聞いたことがないどころか、彼らのための選択肢を提示するだけで、少なからずアレルギー反応が出てくるという印象を持たされました。

 だから私はあえて、主にその世代の将来のことを意識して、小ネタを仕掛けたり、いろんな発言をしたりしてきました。この世代のことをほったらかして、高齢者や子供たちを優先するのは、必ずどこかに無理が出てきます。20代〜40代、この世代の活力は、高齢者や弱者や子供たちを支える必要条件だと私は思っています。そのために今年も引き続き頑張っていこうかな、と。でもテイストはお笑い系で、と。

 年末年始、中くらいの急ぎの仕事を3つ抱えてうなっております。まだ全然終わっていません。ただ今、午前3時。今週いっぱいがヤマです。
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