2005年05月の日記 |
2005年5月31日(火)
大学の研究日(担当授業がない日)を利用して、県の観光番組のロケに出発。私は「授業があるから講演お断り」いうのはたくさんあるが、基本的に「講演やロケがあるから休講」っちゅうのはやらんのだ。
午前8時過ぎに高松駅に集合して、RSKのクルーたちにレポーターのナチュラルウーマン(天然ボケという意味もある・笑)中村恵美さんを加えて6人で、ロケバスで出発した。本日のコースは、府中湖、八十場のところてん清水屋、四国霊場第79番札所天皇寺、うどん屋のてっちゃんと坂出山下、東山魁夷せとうち美術館という中讃北部めぐり。番組は私が案内するという形になっているが、紹介スポットの選定は観光スポットはたぶん県の担当部署、うどん屋の選定はたぶんRSK、というか石原Dに違いない(笑)。
八十場と山下でサインを求められた。いやー、久しぶりに中村さんのお宝サインを見ました。しかもイラスト付きでグレードアップ。見たい人はお店に行って下さい。あと、豊浜の上戸うどんにも中村さんのサインがあるはず。それにしても中村さんの天然ぶりは、西村知美級です。天皇寺で歩き遍路のおじさんといろいろ話をして次に向かう途中のロケバスの中での会話。
T本「88カ所全部歩いて回るのかー」 Y田「私なんか1キロ歩いたら足が吊りますよ」 田尾「たぶん慣れですねえ。僕、2年ぐらい前からウォーキングをするようになったんですけど、今はもう2キロぐらいの距離の所ならたいてい歩いていきますよ」 Y田「足、吊りません?」 田尾「全然」 中村「あの電車とかで吊り革持ってたら、おなか吊りますよね」 T本「聞いたことないわ! そんなん」 中村「えー、おなか吊らないんですか! 皆さん吊りません?」 Y田「吊らないよ」 中村「田尾さんは吊るでしょう?」 田尾「吊るかい!」 中村「ほんとにー? 私、みんな吊革持ったらおなか吊ると思ってた」 田尾「何か、変な筋がつながってるんちゃう?」 中村「何だー、私だけだったのかー。高校生の時からおなか吊り始めたんだけど。じゃ、あくびしたら首が吊るでしょう?」 T本「吊らんわ! どんなあくびしてんねん」 中村「えー! それとか、寝てたら急に首が吊るとか……」 T本「それ、ダンナが首締めてるんちゃうか?」
などという会話はオンエアされません。ちなみにこの番組、県はスポットを「紹介する」というメンタリティ、カメラや制作者は「良い絵を撮る」というメンタリティ、私はかつての商売柄「番組を見た人に行ってもらいたい」という意識があって、目的が三者三様のように思える。一見どれも同じようにつながってると思うかもしれないが、情報発信ビジネスを長年やって来た私に言わせれば、この“魂を込める方向”が違うというのは、発信された情報がどうしても「緩くなる」のである。私が「紹介」に迎合すればいいのだろうが、長年のクセはなかなか抜けなくて、いつも結構苦しんでいます(笑)。この番組はもう3年目に入るけど、鋭いやつにはしょっちゅう見抜かれて指摘される。15分の短い番組。6月の中旬頃、いつ放送だったっけ。
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2005年5月29日(日)
昨夜は所沢泊。今朝は所沢の駅周辺を散策した後、新宿経由で品川に降りて、昨日太田がお勧めしていた「アクアスタジアム」なる水族館へ行ったら、日曜日の午後2時頃で30分待ち。入り口から4列で50mくらい並んでる。ゴールデンウィークの山越の3分の1ぐらいの行列だ。すごいのかすごくないのかわかりにくい表現だが。
今年の4月にオープンしたばかりらしい。水族館部分は、魚種や魚の総数は海遊館の半分くらいらしいが、入った感じとしてはそうやなあ、海遊館の20分の1ぐらいの印象。もう館内ごった返していて、人混みをかき分けるのが大変で魚を見るどころでない。20分ぐらいでくるっと回って終了。イルカのプールやアシカのプールや3Dシアターや映像に合わせて座席が動くやつや室内コースターなんかのアトラクションがいくつかあったが、海遊館や沖縄の美ら海水族館を見た者としては、ああいうものを期待してはいけません、と。
出てきたら表の行列は10mくらいになっていた。オープン1カ月。どうでしょう、リピーター。東京ですから、一見さんだけでも長い間行けるような気もするけど。ちょっと定点観測したい物件ではあります。本日はあと羽田の第2ターミナルを視察して、サービスやデザインのいくつかのネタを仕入れて最終便で帰ってきた。高松空港にはここ3年で100回以上降りたけど、今までの中で一番「ドカン!」と着陸した。車輪、折れてないやろな(笑)。
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2005年5月28日(土)
昨日は講義のあと、日清冷凍食品のM宅さんとDが来て、宮武に行ってうどん食いながら極秘プロジェクトの密談。筒抜け会場やがな。とりあえず、事と次第によっては10月末の金、土、日あたりに爆弾企画が実施される可能性が非常に高いので、誰とは言わないが清水君と白川君と山下君と上戸君と長谷川君は心の準備をしておくように。ま、内容もわからんのでは準備のしようがないけど。
さて今日は会合のために朝から東京へ出発。所沢にいる長男に会うという家内も同行して、昼過ぎに羽田に着いて、家内が六本木ヒルズに寄るというので一緒に行く。テレ朝の横を歩いていたらイッセイミヤケのショップを見つけた家内がちょっと見てくると言うので、興味のない私は道ばたの石のベンチみたいなところで本を読みながら待っとくことにした。高松空港の本屋で「逆説の日本史」の文庫の9巻を見つけて買っていたので、2時間でも3時間でも時間はつぶせる。道の向かいのオープンカフェには外国人や六本木ならではと思われる人たちがたくさん座ってたり歩いてたりしているが、私は反対側の石のベンチで一人、本を読んでいた。30分以上経った頃、家内が帰って来て言った。
家内「何かええ感じのメンズのジャケットとパンツがあったんやけど、見に行く?」 田尾「ええわ。とりあえず着るもんあるし」 家内「今から夏も着られそうな感じやで」 田尾「夏は去年か一昨年買うたやつがあるけん、それ着るがな」 家内「そなん言わんと見に行こうで。かっこええのがあるけん」 田尾「今さらカッコする歳ちゃうがな」 家内「ええけん行こ」
しょうがないから行ってみたら、店のおねえさんが出てきた。 ねえ「さっきこちらから奥様と一緒に一生懸命手を振ってたんですけど、一心に本を読んでらっしゃいましたので気づかれなくて(笑)」 田尾「で、家内が拉致しに来たと。あんたらグルかい」 で、何やらベージュの軽い素材のジャケットとパンツを見せられて、例によって「ちょっと着てみろ」と言うのである。抵抗したのだが仕方なく着てみたら、まるでサイズを測ったかのように合いやがる。それを見たおねえさんが今度はTシャツを出してきて、このジャケット、パンツにはこのTシャツだと言う。仕方なくまた更衣室に入ってそのTシャツを着てジャケットを羽織ってみたら、ふーむ。 田尾「これ、裾を合わしてくれますか?」 裾を合わせてピンで留めてもらって、 田尾「すいません、裾の内側、テープか何かで貼ってくれます? そのまま履いていく。ほんであっちに脱いであるやつ全部、荷物になるから高松に送ってくれますか?」 家内「買うてそのまま着ていくん!」
結局、私は履いてきた靴と靴下とパンツ(下着)以外全部取っ替えて店を出ました。歩いて移動してたらテープが剥がれてきて、新宿の西口で家内に安全ピン4本で裾を留め直してもらってそこで解散。私は会議へ、家内は長男と合流するために池袋へ。私は会議終了後、勝谷誠彦さんらと一緒に勝谷さんお勧めの日本で一番うまいというモツ鍋屋で食事。そこへ家内と長男も合流してむちゃくちゃうまいもんいっぱい食べて解散して、太田浩介を呼んで東京麺通団で1時間ぐらい過ごした。
太田「それ、今日買うたやつ着とん? むちゃするわ」 田尾「見てみい、裾や安全ピンで留めとるだけや。4本。これ20本ぐらい留めよか」 太田「帰りに空港でチェック入るで」 田尾「あ、ほんまや。これ金属探知器で鳴るんやろか」 家内「あっはっは。そしたらあのゲートの横でピン全部外して、ゲートくぐってまた全部ピンをつけ直して(笑)」 田尾「今晩、針と糸で留め直す」
ちなみに太田は今、「交渉人真下正義」の映画に出ています。セリフもありますのでよろしければ見てやってください。
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2005年5月24日(火)
今日は福原じゃなかったのか。
阪神の福原がかわいそうなことになっていることは阪神ファンなら知っているが、データを調べてみるとさらにすごいことになっている。今年の最初の登板で勝って以来、7回先発してずーっと勝てていないのであるが、この間、福原が先発した時の阪神の成績は、
4/ 8 2-2 引き分け 4/14 1-8 負け 4/20 0-9 負け 4/26 1-6 負け 5/ 3 2-3 負け 5/10 0-3 負け 5/17 2-3 負け
とにかく福原が投げたら味方の援護がなくて、7試合で8点しか取ってくれてない。さらに、このデータから「福原が投げた回」だけを引っ張り出すと、何と47イニングで6点しか取ってくれてない。しかも驚くべきことに、ここのところ、福原が投げたら20イニング連続、味方の援護が0点なのである。そらええ加減イヤになるわなあ。楽天の岩隅も援護がなくてかわいそうだけど、それどころでないっちゅうに。
そういや去年は藪が今年の福原を上回る援護のなさで、開幕以来8試合で8点しか取ってくれなくてとうとう大リーグに行ってしまったが(ま、因果関係はないと思うけど)、それでも「20イニング連続援護なし」いうのはなかったぞ。これ、記録ちゃうかなあ。「連続イニング援護なし」いうデータ、ないんやろか。
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2005年5月23日(月)
先週の土曜日から「飽きっぽいサル」状態である。
以前から勝谷さんや牛乳屋さんにしょっちゅう言われていた案件であるが(全国区で世界区の勝谷さんと栗林区〜アップタウン区の牛乳屋さんが並ぶのもどうかと思うが)、とうとう携帯電話を買うハメになってしまったのである。
私は「電話機能しか使わない」という理由で頑なにPHSユーザーだったのであるが、昨年清水屋の大将までがPHSを捨てるという事態が起こり、さらにここへ来て周りからの圧力が日増しに強くなってきていた。ごんからは何かにつけて「PHSのくせに」と言われるし、ねっくからは「社長がPHS使いよる言うたら、まわりでウケますからね」言われるし、そうこうしているうちにあちこちから「PHSサービス停止」とか「PHS新規受付停止」のニュースが飛び込んできて、私は不安になって牛乳屋さんに聞いたのである。
田尾「PHS、もう終わるんですか?」 牛乳「終わるな」 田尾「えー! ということは、PHSで話してたら途中でプツ、と切れて一巻の終わりですか!」 牛乳「一巻の終わり」
牛乳屋さんに聞いたのが間違いだったが、それでも頑なにめんどくさがりの私は携帯電話に変えずにいたのである。ところが、こないだのパーティーの席上でもはや後に引けない事件が起こってしまった。トークショーの中でMacの話になった時、Macユーザーの私は同じマイナー仲間のPHSユーザーでもあることをしゃべりかけて、会場にドコモ四国の中澤社長がいるのを思い出して宣言してしまったのである。
田尾「中澤社長ー、もうすぐドコモに替えますからねー」
とりあえずドコモで買いました。発狂しそうな分厚い説明書がついてきました。さて、どうすりゃ。まずは携帯の番号が変わったことを主な方々にお伝えせないかん。どうやって伝えるか? 新しい電話から片っ端に相手にかけて、「この番号を登録しとって」言うていくか。しかしこの方法には難点が2つ。まず、相手に見たことのない不審な発信者番号が表示されるから、電話を取る時に不安感を与えてしまう。次に、長い間電話をしていない人もたくさんいるが、その人たちにかける時には久しぶりやのに「番号変わりました。ほな」ではいかんから、小ネタの一つも用意して電話せないかん。それが5人や10人ならいいけど、100人超えるとなると想像するだけでも恐ろしい。
ではeメールでお知らせするか。しかしメールアドレスのわからない相手が半分以上おる。ホームページで番号をさらしてお伝えするわけにはいかん。まてよ、お知らせせんでもかかってくるのを待ってたらええんか? 番号知らんのやからかかってこんがな。けど牛乳屋さんが「用事がある人は家や大学や知り合いを伝ってどないしてでも連絡してくるって」とか言うとった。なるほど、そういうもんかもしれんな。ま、とりあえず主要な人には電話とeメールでお知らせしとくか。
さて、今度は今PHSに入っている電話帳のデータを新しい携帯に移さないかん。ドコモに聞いたら「PHSからは直接データを移せません」と言われた。何かPHSからパソコンにデータを取り込んでそこからドコモに移すという方法があるらしいが、めんどくさそうな上に、我が家の通信環境主任であるごんに「ごそっと整理して100人か200人くらいにしたい」言うたら「手入力の方がええんちゃいます?」言われた。これこそかかってくるのを待って登録していってもええんちゃうか? と思ったが、登録してないと、かかってきた時に名前でなくて番号だけしか表示されんから、今度はこっちが取る時に不安感を覚える。さらによく考えると、こっちからかける時に相手の番号がわからんがな。
ま、要するに素人が新しい携帯を前に原始的な葛藤をしてるわけです。忙しい合間を縫って、PHSと携帯を並べてサルのように番号を移し替えてます。10人くらい移し終えるたびに、「俺は一体何をやってるんだろう」と思って作業を中断して他ごとをやっています。今、「あ」から始めて「た」のKSBの多賀さんを入力したところで飽きて中断しています。気分転換に新しい携帯でねっくに電話をしたら出ないので切ったら、今、電話がかかってきた。
田尾「田尾でーす」 ねく「あ、社長ー。ひょっとしてこの番号、携帯買うたん?」 田尾「おー」 ねく「知らん番号の着信やけん、ワン切り詐欺かと思た。何や携帯買うたん。おもっしょなー」 田尾「お前があんまり言うけん買うたんじゃ!」 ねく「社長、近々東京来んの? またゴルフしよ?」 田尾「今週土曜日に行く」 ねく「あー、今週はいかんわ。今、練習場で教えてもらいよんや」 田尾「とうとうコーチについたんか。まあ立ちションスタイルのアドレスやからなあ。基本から直されるやろが」 ねく「もうまるっきり全部ダメや言われた。“いったいどこで何に習ったらこんなになるんですか”言われたけん“プロゴルファー猿で習た”言うたんやけど」 田尾「ちょっとおいしいな。けど基本から直したら、いっぺんガタガタになるぞ」 ねく「さっきからずーっと真横に球が飛びよるけん、恥ずかしいけんもう帰るわ」 田尾「恥ずかしいより危ないわ!」
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2005年5月20日(金)
朝、講義前に宮武にうどんを食べに行った。先月、大学に行ったら休みで途方に暮れて宮武に行って以来、約1カ月ぶりだ。 田尾「ちわーす」 大将「どしたんな、また学校休みやったんな」
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2005年5月18日(水)
昨日、CMSに申し込んでいた「デジタルパック」のセッティング完了。こないだ万馬券で勝ったバブリーなテレビ(42インチのプラズマ。あーあ、言うてしもた)で、ついにデジタル放送の画面が見られることになりました。大昔、「恐るべきさぬきうどん」に「ハイビジョンは要するに毛穴まで見えるテレビじゃ」というアバウトな話を書いたが、ほんまにすごいなあ。実感としては、たぶん実物を見るよりシャープに映っとる。ほんまに毛穴まで映るのかと思ってチャンネルを変えていたら、いきなり「徹子の部屋」の再放送で、あろうことか黒柳徹子と塩沢トキがアップで出てきてひっくり返ったが、すごいなあ。
ついでに、見られるチャンネル数が飛躍的に増えた。何がすごいって、今日のプロ野球の交流戦。CATVでセッティングされたチャンネルの途中に6つ並んでスポーツ系のチャンネルがあるのだが、全部違うカードが中継されている。要するに、全試合、生中継で見られるんですわ。チャンネルを進めていったら、野球だけでなく、ゴルフ、テニス、サッカー、女子の空手のナントカ選手権に、昔の映画、今の映画、時代劇、大昔の「夜のヒットスタジオ」にいろんなニュース番組、音楽番組、モンスーン番組にガラガラヘビ番組にアメリカンコミックに……。何かもうサル状態になって、気がついたら夜の12時を回っていた。
何と言いますか、地上波のバラエティ番組がバカみたいに見えてきて(笑)。明日の授業準備に夜中の2時までかかりました。本末転倒。けど講義で「放送メディア論」もやってるから、まあええか。
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2005年5月15日(日)
昨日の夜は延々日にちが変わって午前1時まで、某事務所でミーティングをやっていたのである。オバカゴルフの後である。何をやっていたかというと、本日15日に行われるあるパーティの進行打ち合わせ。私は例によってイロモノ担当ということで、あいさつや乾杯が終わったあとのアトラクションの進行担当に有無をいわさず就任さされていた。
進行の問題の一つは、名のある人がたくさん参加するパーティーにありがちな「なるべく多くの人にあいさつをしてもらいたいが、頭からあいさつが何人も何人も続くとつらい。でもカットするのも気が引ける。どうしよう」ということで、結局こういう方法を採ることにしたのである。すなわち、あいさつは3人程度にして乾杯し、アトラクションで会場後方に応接室セットを置き、ここに人を招いて話を聞きながら本人紹介とアトラクションを一体化させた趣向にする、と。それでも一人ずつ、たくさんの人を招いていたら時間がいくらあっても足りないので、応接セットに数人ずつ呼んでさばいていく、と。それでも私が進行してたら絶対時間が延びるという懸念はあったが、とりあえず「話の流れを優先しながら巻き巻きでいく」という、「それは両立せんだろう?」という作戦で行くことになったのである。もう夜中の1時だったし。
パーティーは午後6時から。家を出発する前に、家内に晩ごはんの予定を聞かれたので、私は「パーティーで食べるからいらん」と言った。 家内「ほんまにちゃんと食べてくるんな?」 田尾「食べてくるがな。豪華なもん、バンバン出てくるがな」 家内「けど今まで、いつもほとんど食べてきてないやん」
確かに。20年来、いろんなパーティーに出席してきたが、私はどうも立食パーティーで腹一杯食べるのがヘタで、たいてい歓談中は一緒に行った人やあいさつに来た人たちとずーっと話をしていて、結局ほとんど食べずに帰って家で夜遅く食事をするということばかりやっていたのである。しかし今日は立食ではない。座席は決められていて、7〜8人で囲んだ丸テーブルに次々に食事が運ばれてきて、それをみんなで取り分けながら食べるという段取りらしいので、取りに行かなくてもいいからなんぼでも食べられる。
田尾「大丈夫や。今日は立食でないから食べられる」 家内「立食でない時も食べて帰らんかったことが何回もあるやん」 田尾「あれは“今日は食べるぞ”と決意して朝から何も食べんとおったら、腹が減って辛抱できんようになって、葛藤した挙げ句にパーティー前に外でうどん食うて会場に行ったからや」 家内「まあどっちにしてもアホやけど、ほな晩ごはんは用意せんとくで」
というわけで直前打ち合わせがあるというので午後4時に、うどんも食べずに会場に行って、6時にパーティーが始まったのである。で、席に着いてパーティーが始まって、乾杯が終わって食事がテーブルに運ばれ始めた時、私はアトラクションのスタンバイで応接セットそばに待機となった。15分後、アトラクション開始。応接セットステージに上がってあいさつをして、ゲストを次々に呼び出しながらトークショーを進めて、話の流れを優先しながら切るに切れんで、飛び入りもあって、勢いでどうにもならずになし崩しに30分もオーバーして、トークショーが終わったら直ちにパーティーはエンディングに突入。席に帰ったら、料理取り分けシステムのため出てきた料理は次のが出てきた時に随時下げられていて、最後に出てきたと思われる料理がちょっと残っているだけ。しかもそれは見るからに私の好みでなさそうなもので、結局二口くらい口にしたところでパーティーは終了した。夜の9時過ぎ。そのまま二次会に拉致されて行ったら、お酒とつまみだけの会。そのまま三次会に拉致されて行ったら、飲み物だけのカラオケ会。夜中12時終了。結局私が食べたのはパーティー終了間際の残り物二口と、二次会に並んでいたつまみのミックスビーンズみたいなんの中から選んで食ったジャイアントコーン20個ぐらい。
夜中1時前、家に帰って「何か食べるもんないん?」言うたら家内の目が点になって、私はカップヌードルを1個食って風呂入って寝た。あーあ、今日のパーティーの食事、何が出てたんやろ(笑)。
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2005年5月14日(土)
ねっくから連絡があった時から、な〜んかヤな予感がしてたのである。
高松一高時代に落研でナンチャンの1年後輩だって今東京で放送作家をやっている小西こと“ねっく”、逆や逆や、ねっくこと小西から2週間くらい前に「13日に高松に帰るけん、14日にゴルフしよー」と電話があって、ちょうど日にちが合ったので「ええよ」と返事してたら、一昨日(12日)にねっくから「グランドC.C.で10時半頃スタート」と連絡があったので「了解」と言って電話を切ったのである。一緒に回るメンバーは私とねっくと、2人の共通の友人である梶原と原の4人とのことであった。
実は電話を切った瞬間から、ちょっとだけ不安があったのである。あいつ、とにかくうっかり者なんだ。物忘れはするし携帯電話はしょっちゅういろんな所に忘れてくるし。
10年くらい前、私が東京に行った時に1日空いたので、ねっくと一緒に東京競馬場へ行ったことがある。で、一緒に馬を見て一緒に馬券を買ったのに、あいついきなりはぐれて最終レースまで全然顔を合わすことがなかったのである。お互い、携帯電話も持ってなかった時代である。で、最終レースが終わってゴール前のスタンドでずーっと待ってたら、客がほとんどいなくなった頃、向こうの方からねっくが何やら服の上から胸やら腰やらをせわしなく探りながら歩いてきて、何をブロックサインしよんかと思ったら、この日ずーっと外れていてやっと当たった最終レースの当たり馬券を落としとった。
そういうやつなので、ちょっとだけ不安はあったのであるが、しかしまああいつも東京でちゃんと仕事してるし、あれから10年も経ったらなんぼなんでも大人になってるはずだと思って改めて確かめることもなく今日になって、10時半グランドスタートなら10時に着いたら余裕、ということは9時20分に家を出発したらオッケーということで車に乗って9時40分頃、私はグランドC.C.に向かって長尾街道あたりを走っていたのである。そしたらねっくから電話がかかってきた。私は突然ヤな予感が沸き上がってきて、車を止めて電話に出た。
ねっく「社長(ねっくは私のことをまだ社長と呼ぶ)今どこ?」 田尾「今? 長尾街道の、三木町の手前」 ねっく「俺、社長にどこって言いましたっけ」 田尾「グランド」 ねっく「あーやっぱり。すんませーん。ロイヤルですわ」 田尾「お前なー! 俺こないだ電話もろた時から何か不安やったんや」 ねっく「何か、ロイヤルとグランドって似てるやん」 田尾「似てないわ! カタカナ4ついうだけやんか! お前、今からロイヤルに行ったらスタート間に合わんかもしれんぞ」 ねっく「俺も間に合わんかもしれん」 田尾「お前ロイヤルにおるん違うんか」 ねっく「いや、グランドにおる。それがね、来て受付で“梶原と原いうの、予約入ってますか?”いうて聞いたら、何か確認したあと“梶谷さんと原西さんというのは入ってますけど”って言われて。ようそんな紛らわしい人がおったもんやわ。ほんで言い間違ってそんな名前で入ってるんかもしれんと思ってちょっと待ってたんやけど、ふと不安になって“田尾いうのも一緒に入ってますか?”いうて聞いたら“田尾さんというのはいらっしゃいません”言われて、これは違うぞと思って梶原に電話したら、原さんも一緒にロイヤルにおるって」 田尾「お前のこと、ちょっとでも油断したのが間違いやったわ。遅れるかもわからんいうて連絡しとけ」 結局、ロイヤル10時35分頃スタートで、私は10時32分にロイヤルに到着した。フロントでエントリーしたらおねえさんに「ほんまに田尾さんや! 予約に名前があったから、ほんまに来るんやろか思って待ってたんですよー」とか言われたので、ギリギリに来て失礼なやつやと思われたらいかんのでちょっと先に到着してたねっくを指差して「こいつのせいでグランドに行きかけてて遅れたんです」と言って、おねえさんに笑われながらロッカーにバッグを放り込んで35分にティーグラウンドにたどり着いた。スコア? ゴルフはスコアやない。キャディーさんをどれだけ笑わすかじゃ。
本日一番の収穫は、ねっくから出た「安田大サーカスの真ん中のやつと阪神の鳥谷は似ている」という指摘。中継で鳥谷がアップになるたびに「何やろ……」と思っていた引っかかりが解けた。私もお返しに「映画のTAXIに出てくる大きい黒人の相棒は北陽の虻川に似ている」という指摘を発表した。ちなみに1カ月くらい前、牛乳屋さんが「ソフトバンク・インベストメントの北尾CEOはルー大柴に似ている」という説を発表したが、それに笑福亭松之助を足したら完璧。あと、うちの大学の副学長の神野先生はジェームス・ブラウンと松崎しげるを足した顔です(笑)。
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2005年5月11日(水)
数日前から左右の腕に力が入らないのである。押したり握ったりはどうもないのだが、引く時に肘から手首にかけてキューッと張って力が入らないのである。指を引っかけて車のドアを開ける時とか、机の引き出しを手前に引く時とか。で、晩にアップタウンに行って腕の調子をいろいろ探っていたら、明らかに、右手は中指で引くと力が入らない。左手は人差し指で引くと力が入らないことが判明した。
田尾「ゴルゴ13と同じ病気ですよ」 牛乳「知らんがな」 田尾「けどゴルゴ13は左手はしびれませんからね。僕の方が危険が大きい」 牛乳「誰に狙われとんや!」
原因を探ろうと思い出してみると、昨日の夜の9時過ぎから何か腕に違和感が出てきて、それからだんだん症状が明らかになってきたのである。
田尾「昨日の夜ですねえ、ある人物がうちに来て、離婚の相談を持ちかけてきていろいろ相談に乗ってたら旧に腕がおかしくなってきた」 牛乳「精神的なもんやな。けど他人の離婚話で精神的に負荷がかかるというのもなあ」
と言ったところで、ハッと気がついた。あれかあ! だいたい他人の離婚話に私みたいなのがアドバイスできるはずがないということで、私は話の途中で離婚問題に非常に詳しいというか自ら身をもってフィールドワークを実践したある男に電話をしたのである。 ある男「なんすかあ? こんな時間に」 田尾「もうきみしかいない! という相談事なんやけどな、この話には非常に重要な前提がある。この前提をしっかりと頭に置いた上で答えてほしいというわけや」 ある男「何すか?」 田尾「非常に重要な前提やぞ。私にとって、特にきみに話をする時にはとても重要な前提じゃ」 ある男「だから何なんですか」 田尾「これは俺の話でない、という前提や」 ある男「そんなもん、大した前提でないやないですか。大丈夫ですよ、何でも言うてください」 田尾「実はな、今、離婚の相談を受けよんや」 ある男「やっぱりね。あんたんとこ、うすうす仮面の夫婦でないかと思ってたんですよ」 田尾「俺の話やないって言うたやろが!」 ある男「まあまあまあまあ、みんな最初はそう言うて相談してくるんですよ」 田尾「今言うたとこやないか! 俺の話やないって!」 と言っていたら向こうで聞いていた家内が、私がこの件でご、いや、ある男に電話をしていることに気づいて近づいてきて、電話している私のすぐそばで、 家内「○○ちゃ〜ん! たすけて〜! 大変なんや〜(笑)」 田尾「うちの話やないっちゅうに!」 ある男(電話のそばにいるらしいもう一人のある人物に向かって)「今、田尾さんとこ、離婚話が持ち上がって大変らしいぞ」 田尾「こらー!」
腕のしびれが治らんかったら、お前のせいやぞ。
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2005年5月7日(土)
本日は「ゴールデンウィークが終わったと思った後ろに2日くっついていた休みの、この土日はゴールデンウィークに入るのか? バナナはおやつに入るのか? という感じの土曜日に仏生山がどないなっているか調査」と称したレジャーの日で、昼から家内と仏生山に行ったのである。2日連続で仏生山に行ったのはわけがある。
仏生山の「歴史街道」と名づけられた(名づけられてるのか?)直線道路は、北浜アリーのいくつかの店舗を設計した方などの手によるカフェを一つの契機として町並み再生プロジェクトが始まっているらしい。「古い倉庫や民家、建物を再利用したカフェ」をツカミにしたまちづくりは今、香川県内では高松市の「北浜アリー」に続いて引田の「風の港」とここ、仏生山の歴史街道の3つが進んでいる。いや、たぶん町全体として進んでいるのではなくて有志が進めているのだと思うけど。で、ちょっと様子を見てこようかな、と昨日は9人で車で仏生山に入ったのであるが、観光マネジメントの実地調査としては公共交通機関で行った場合の状況も抑えておかなければいろんな可能性を探れないということで、なるべく間を置かず印象の強いうちにと、今日は瓦町からことでんと徒歩で行ってみたのである。
ことでんの電車はほぼ15分おきに出ているから、時間を気にすることはない、まずまずのアクセスである。瓦町から電車でわずか10数分、午後2時頃に仏生山の駅で降りて、駅前にある町の案内地図を見て歴史街道の入り口方面に向かって歩いていたら、いきなりかつて「恐るべきさぬきうどん」に書いた“町の家”こと宮武(琴平の宮武ではありません。念のために)を発見したので、たまらず突入。作り置きタイムであったが、もとよりそのつもりであるから全く問題なし。あまりの久しぶりに段取りを全く忘れていたが、セルフでかけ小にキツネを載せて食べた。ええなあ、このゆる〜い空気とゆる〜いうどん。
“安心の作り置き”。これは讃岐うどんの原風景である。「打ち立てのうまさこそ讃岐うどんだ」「強い腰があるのが讃岐うどんだ」などという評価は、ブームが始まる前、ほんの15年か20年前にはほとんどなかったのである。今や東京でも讃岐うどんの評価評論をする人がずいぶん増えてきているようだが、その多くが麺のクオリティやダシの洗練度、メニューの進化度、接客の完璧度などを絶対的基準とした都会的A級グルメの視点で讃岐うどんが語られているように、この“安心の作り置きテイスト”が讃岐うどんの原風景であることを知る人はほとんどいないようである。東京麺通団もそっちの視点からよく叩かれているが(笑)、そっちにいくと讃岐うどんをわかっている人からまた叩かれるので、どっちかに頭を下げてやっていくしかない。どっちに行くかと言えば、もとより製麺所型、原風景型の店で行く覚悟であったから「A級グルメ派」の方々に頭を下げるしかありません。すんません。でも「作り置き優先」ではありませんので。
さて、久しぶりの宮武を後にして東へ200mくらい歩いて右に折れると、800mくらいの直線道路、歴史街道である。突き当たりに神社。神社の裏に大きな池と仏生山公園と法然寺。我々は街道をずーっと歩いて神社に登って向こう側に降りて法然寺に行って、また街道に帰ってきて「山の屋」という、例の北浜アリーを手がけた方による家具屋さんを改装したおしゃれなカフェでお茶を飲んで(私はクリームソーダ飲んだけど)、もう1軒のさらにおしゃれなカフェは昨日行ったのでその次にある堅焼きシュークリームで知られる「ひぐち」に入ってシュークリームとコーヒーゼリーを買った。ガラスケースの上には堅焼きシュークリームがあと2つしか残っていなかったので注文すると、 店員「こちら、賞味期限が30分となっていますけど、よろしいですか?」 田尾「あー、そうや。こないだテレビでそんなん言うとった」 注文すると、若きご主人がシューを持って奥に入っていった。奥でシューにクリームを入れている。 家内「あ、今からシューを入れるんや」 店員「はい。当店ではお客様の顔を見てからクリームを入れるようにしていますので」 田尾「顔見て“こいつ食いそうやなー”思ったらクリーム1.5倍入れるとか」 店員「いや、そういう意味ではなくて(笑)」
しばらくしたら、たぶんご主人のお母さんが、たぶんご主人のお子さん(たぶんまだ幼稚園ぐらい)を連れて出てきた。私はこの店は初めてだったのだがお母さんとご主人はテレビで私を知っているらしく、ちょっとあいさつをして話していたら、お子さんがこっちを見てたので相手をする。 お子「かたつむり捕ってきたん、見る?」 田尾「おー、見せてくれ」 子どもが奥へ走っていって、牛乳か何かの紙パックを半分に切った箱状のものを持ってきた。 田尾「おー、引っ込んどるのー。これ、水かけたら出てくるぞ」 お子「エビも捕った」 田尾「どこや」 子どもに案内されるまま表に出ると、看板の裏に置いてあったプラスチック容器に、水と一緒に入れられた川エビが1匹と、エビの横にヤゴのような生物が1匹。 田尾「どこで捕ってきたんや」 お子「ドブ」 田尾「ドブかい! この横のやつ、何かわかるか?」 お子「わからん」 田尾「こいつ、大きんなったら何になると思う?」 お子「わからん」 と言っていたら、家内がシュークリームを買い終えて出てきた。ご主人とお母さんも出てきた。 家内「また何、子どもてがいよん。はいはい、帰るで」 主人「おっちゃんのー、それ大きんなったらトンボになると思うぞー。ほなのー、バイバイ」 私は子どもに手を振って、ご主人とお母さんに会釈して帰った。でもあれ、ちょっとだけ、トンボにならん可能性もあると思う。たぶんヤゴやったと思うんやけど(笑)。とりあえず仏生山、歴史街道の素材は予想以上によさそうやから、みんなが覚悟して腹くくったらちょっと化けるかも。でも、腹くくらんかったら化けん。それはどこの街でも同じだけど。
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2005年5月6日(金)
本日は「ゴールデンウィークの間の中途半端な金曜日のうどん屋とかがどないなことになっているか調査」と称したレジャーの日で、私と笹木と和Dとナカムーと、わけあって正体を明かせない男1名の合わせて5人が四国学院大学に集結、そこで助手の真鍋をはじめとする学生10人くらいと合流して、朝の10時頃から、まずはやまうち、谷川米穀店と2軒続けてうどん屋を攻めた。平日の朝で雨ということでどちらもさほど行列もなくうどんにありつけたが、聞くと両店とも、今年のゴールデンウィークは去年より客が多いかもしれないという感想。谷川はおばちゃんの話によると、昨日は11時に店を開けたら12時にはとんでもない行列になっていて、本日のうどん玉の製造能力を超えて客が並んでいたために12時で行列の後ろの方に「今日はここまで」のストップをかけて、そこまでの客をさばくのに13:30までかかったそう。相変わらず“観光地”である。
うどん屋2軒のあとは瀬戸大橋記念公園の中の東山魁夷せとうち美術館に突撃して、絵画を見ずに喫茶でお茶を飲んで美術館を後にする。なんちゅう客や! とお怒りになられる識者の方々がおられるであろうが、我々は「観光マネジメント」という観点から素材を観察して回っているのであるから、いいのである。絵画はリピーターをあまり呼ばないが、喫茶はリピーターを呼ぶ素材であるから、そのポテンシャルを見極めることの方が私らにとっては大事なのである。もちろん、情報発信する時も「東山魁夷の絵の素晴らしさ」はメインではない。美術館に行って何ができるか、何をしに行くのか、がポイントである。このあたり、我々のうどんに対するアプローチと同じスタンスである。で、どうだったのかというと、皆さまに何をどうお勧めしたらいいのかまだ確信が持てないのでうまく言えん。
とりあえず手放しでお勧めしたいのは、次に向かった高松空港の滑走路の東端。去年、県政だより「THEかがわ」で紹介した、飛行機が突っ込んでくるベストビューポイントである。現地到着が13:50。13:55分頃に1機降りてくるはずだから、ベストの時間である。はたして小高い所に上がると、もうはるか東に着陸態勢に入った飛行機の影が見えていた。 田尾「おー、来よるぞ」 真鍋「えー! どこですか?」 田尾「あの向こう。ちょっと黒っぽい雲がある、その雲の右上あたり」 真鍋「…………あ! 見えた!」 O西「どこどこ?」 S崎「あー! 見えたー!」 笹木「おー! 来よる来よる!」 私は去年の取材も含めて数回見ているのだが、他のメンバーは全員初めてとあって、もう興奮してはしゃぎ回っている。機影はピカッと光った後、だんだん大きくなってきて、光が2つに分かれて機体がはっきり見えてくる。 O西「うわー! すごいすごい!」 S崎「やっべー! マジやっべー!」 田尾「見よれ、すぐに巨大になって突っ込んでくるぞ」 飛行機は少し揺れながら、真っ正面にこっちに向かってきたかと思う間もなく、轟音とともに一気に巨大になって突っ込んできて、思わずよけたら頭上をかすめた巨大な飛行機がすぐ後方に白煙を上げて着陸した。全員、一瞬ぼう然となって、すぐに興奮が戻ってきた。 真鍋「すげえ!」 笹木「ここ、すごいポイントですねえ!」 13:55に1機着陸、続いて立て続けに14:10に2機目が着陸。見に行くならこの時間帯がベストです。
着陸ウォッチングを終えた我々は、次に高松市は仏生山の歴史街道にあるデザイナーズカフェで一服した後、市内で解散して私は真鍋とO西、S崎、K田を見学で同行してKSBの「スーパーJチャンネル」に生出演して、無理言うて番組最後のエンドロールみたいな所に学生ら4人を出してもらって番組を終えた。学生たちの感想は「むちゃくちゃおもろい一日」だったそうです。そらそうやろ(笑)。
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2005年5月4日(水)
本日は毎年恒例の「ゴールデンウィークのうどん屋がどないなことになっているか調査」に出発。私の「さぬきパスタ論」という恥ずかしいネーミング(私がつけたのではない)の科目を履修している学生にも「GW中に有名うどん屋を中心にどないなことになっているか調査をしてこい」という課題を出しているので、先生も行っとかなんだら学生の分析力をチェックできんというわけでもある。でもまあ、大した分析は期待していない。讃岐うどんブームを語る人はたくさんいるが、讃岐うどんブームの今をフィールドワークしている人となるとたぶん世界中で10人もいないだろうから、見て回るだけでも十分である。ちなみにその10人のうち9人までが学者や評論家や業界の人たちではなく、おそらく麺聖や別府くんやH谷川君といった“素人さん”であるところが、プロとして情けない。
そういうわけでこの貴重なるフィールドワークの価値を少しでも多くの若者に体験させてやろうという親心から、ごんに招集をかけたのである。 ごん「で、私の車で、あんたが助手席で」 田尾「アホーウ! ゴールデンウィークのうどん屋の何たるかを見に行くっちゅうのは、讃岐うどんに携わる者として、あるいは讃岐うどんの周辺に関わる者として、こら必修科目やないか。しかもゴールデンウィークは1年に1回しか来んのやから、今日がいかに大事な日かわかるやろ?」 ごん「はいはい、そこまではちゃんとわかってますよ」 田尾「その1年に1回の大事な日に車の運転をさせていただけることの栄誉がわからんか?」 ごん「そこ、因果関係がブッツリと切れてますが…」
論理が破綻した時はさっさと引くのが私のモットーだ。午前10時半頃、我々は高松を出発した。とりあえず最初は、有名うどん店の状況調査である。まず向かったのは「がもう」。このゴールデンウィークの最中、南や西からの通常ルートでがもうに入るのはあまりにも無謀だと読んで、我々はわざわざ五色台の有料道路を通って北から、五色台病院のあたりから店に向かうという万全のコースを取った。ところが、病院の先の信号を北に曲がった途端、信じられない光景が目に飛び込んできたのである。 田尾「あれ? 客が一人も見えんぞ」 ごん「誰もいませんね」 田尾「どういうことや。去年はそこの道まで行列が来とったんぞ。ブームが去ったんか?」 ごん「去るにしても極端な……あー! 思い出しました! ガモムスが4日は休みやいうて何かに書いとった」 田尾「早よ言え!」 ほんまに、有料道路代260円もムダにした。 ごん「それ、私が払ったんですけど」
我々は気を取り直して、飯山のなかむらに向かうことにした。がもうを通過中、明らかにうどんを目当てに来たと思われる県外ナンバーの車が数台、がもうの駐車場に入って、一瞬躊躇して引き返すのを見た。 田尾「県内の、しかも団長が休みを知らずに来たなどということが知れ渡ったらいかんから、我々はもとよりなかむらに向かうつもりで、通り道であるここを今通過しているということにするぞ」 ごん「もちろんです。私ら、がもうに来るつもりは全然なかったですからね」
さて、続いてなかむら。土器川の堤をなかむらに差しかかると、そこは春市の様相であった。道には車があふれ、店の方を見ると、店からこっちの家の手前まで、数百人の行列! 日傘を差して並んでいる人もいっぱいいる。その様子をカメラに収めて次に宮武に行くと、これまた店から少し離れた駐車場の辺りまで行列! とても食べに寄っている場合ではない状況につき、そのまま谷川米穀店に向かっていたら、おそらくまんのう公園行きの車であろう大渋滞に出くわし、これは谷川に行き着く頃には営業時間が終わっていると踏んだ我々は途中で引き返して山越に向かうことにした。32号線バイパスを走って綾歌あたりにさしかかると、今度はレオマ行きと思われる車も一緒になって、反対車線は向こう(高松側)から大渋滞が続いている。がもうから時計の逆回りでなかむら、山越コースを取った我々は大正解であった。時計回りにコースを組んでいたらこの渋滞に巻き込まれて、たぶんまだ1軒目にも到達できていなかった。
で、山越ですわ。はっきり言って、クリビツテンギョウ! です。 ごん「今時誰がそんな用語を使いますか!」 田尾「高田純次は使うと思う」 ごん「高田純次は使いますね」 正直、昨日行った石清尾八幡の春市より客が多い。行列は店を出て小学校を通過するほど。目分量で行列の数を数えたら、たぶん1000人は並んでます。駐車場は第一も第二も第三も満杯で、道の左車線は路上縦列駐車がずーっと先の峠まで。ごんが車のメーターを0にして路上駐車の横を通過しながら測ったら、何と1kmにわたって路上駐車の車の列です! ごん「一番先の車、ここに止めて1kmも歩いて引き返して、あの1000人の列に並ぶんですか!」 田尾「というか、ここに止めたら山越に引き返すより次の店の方が近いんちゃうか?(笑)」 止まっている車の9割が県外ナンバーである。徳島、愛媛、高知、岡山、広島、島根、鳥取、山口、北九州、大分、熊本、姫路、神戸、なにわ、泉、京都、滋賀、愛知、岐阜、尾張小牧、三河、豊橋、松本、長野、富山、川崎、埼玉、大宮、八王子、所沢……すげえ。
しかしどこが「ブームに陰り」じゃ。現場を見ずに「ブームは去るもの」という先入観で評論してはいけない。少なくとも人気店に関してはこういう状況である。明後日は学生も連れて調査の第2弾を決行する。雨らしいけど。大行列を何軒も見ていたら腹が減ってきたので、ゴールデンウィークのまっただ中にあって、うどんのメッカの中讃のまっただ中にいて、麺通団の団長と団員にとって最もふさわしい昼食は何かということをごんと検討した結果、綾南のドンドン餃子でごんは天津飯、私はヤキメシと餃子を食ってきました。
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2005年5月3日(火)
気が付いたら10日も日記をほったらかしていたが、23日(土)と24日(日)はイベントやパーティーの出席、25日(月)26日(火)は授業準備と企画ものの打合せ等、27日(水)28日は授業と会議でびっしりの上に、ベドローさんの英語の授業に出るという勤勉ぶりを見せていたのである。
28日(木)、朝一番の講義を終えて黒板を消していたらU川、O西(お笑いでない方)の真面目な女子学生が教室に残っていたので「どしたんや」ときいたら「次の授業もここやから」と言うので「何の授業や」と言ったら「言語コミュニケーション。ベドロー先生」と言った。アイルランド出身のベドロー先生は同じ学科の先生で、ショーン・コネリーみたいな顔と声をしている。去年、私が「英語、全然ダメなんです」と言ったら「じゃあ私の授業を受けたらいい(笑)」と言っていたのを、私はその時思い出したのである。しかもこの日は13:30分の来客まで予定がないときている。 田尾「ほな俺も受けようかな」 O西「先生が授業受けるんですか!」 田尾「俺、英語しゃべれんしな」 O西「でも先生が授業受けるって、聞いたことないですよ」 田尾「大丈夫や。今日俺ネクタイ締めてきてないし、学生に紛れたらわかれへん」
私は一度研究室に帰ってパソコンや資料を置き、再び教室に入った。教室はすでに30人くらいの学生がいたが、私を見て学生が、 I田「あれ? 今日、英語、田尾先生がやるんですか?」 田尾「学生のふりして授業受けるんじゃ」 I田「ほんまですか! うわ、おもろ(笑)」 しばらくしてベドロー先生が入ってきて、すぐさま私に ベド「タオセンセイ、キョウハセイトデスカー?」 いきなりバレてるやん。とりあえずAグループ、Bグループに分かれて、ベドロー先生が黒板に書いた例文に従って「あいさつと自己紹介」の簡単な英会話をやりました。 田尾「You'll go first.」 学生「えーと(黒板の例文を見て)Sorry,I don't know your name yet.」 田尾「ほんまか? おい! あ、Really?」 学生「あ、すんません、知ってますけど。黒板に書いてるんで……」 田尾「まあええわ。My name is Kazutoshi Tao.」 田渕(学生)より先に英会話できるようにならないかんからな。
さて、29日からのゴールデンウィークは旅行にも行かずに原稿やら企画ものに没頭中。今日は朝、香西のじいちゃん(家内の父ちゃん・漁師)が「カニが獲れた」といって持ってきた。それがあーた、甲羅の大きさ(左右)が25センチという巨大なワタリガニ。じいちゃんの漁師生活史上でも最大級の収穫らしい。ひとしきりカニの話をして、紙の上にカニを置いて、横にタバコの箱を置いて写真を撮って、私は11時から打ち合わせがあったので出かけて、帰りに県庁のそばで牛乳屋さんにバッタリ会ったのでうどん食いに行って石清尾八幡の春市をちょっと見てアップタウンでアイスコーヒー飲んで、15:00頃家に帰ってドアを開けたら、家中にカニのにおいが充満してて、見ると家内がサルのようになってカニを食っていた。 田尾「カニクイザルみたいやぞ」 家内「カニ食べる時はみんなサルになるんや」 ま、確かにサルになるが……。
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