2005年06月の日記 |
2005年6月30日(木)
27日に吉野川水系水利用連絡協議会の横田会長(四国地方整備局長)がついに、渇水の歴史史上初めて(笑)、例の聖域と言われた徳島県の「既得用水」をカットする削減案を提案したら、案の定徳島側(たぶん協議会の徳島側の参加者)から猛反対されたらしい。で、会長預かりとなって同じ提案を徳島県知事に持っていったら、知事から却下されたらしい。マスコミ報道によると。
これ、この報道だけを見たら「徳島で使っている水を少し減らしてくれませんか?」という提案に見えるけど、実は「海に流している水の量を少し抑えてくれませんか?」という提案です。たぶんほとんどの人が錯覚していると思うけど。
詳しい内容は忘れたけど1994年の異常渇水の時も、香川の知事が徳島の知事に水を回してくれないか(これも海に流している水を抑えて香川の生活用水にちょっと回してもらえないかというお願いだったと思う)と頼みに行ったら、徳島の知事(その後汚職か何かで逮捕された人)から「ダメ」と言われた。当時、全国から香川にポリタンクやペットボトルで「善意の水」みたいなのが送られてきていた最中に、ダメと言われたのである。「香川にはため池があるのだから、それが空っぽになったら考えてやらないこともない」とか「もともと徳島に流れていた水まで回すわけにはいかない」とかいろいろ理由は挙げられているが、要するに「香川に回すより海に流す」という返事ですね。 私ら、昔からみんなため池の水を飲んでるわけではないんですけど(笑)。それと都村さんの調査によると早明浦ダム完成後に決められた徳島の既得用水の量は、どこをどう調べても根拠が見当たらないらしいんですけど。
ま、いずれにしても水の配分の話は「感情」が優先していますから、「数字」や「論理」では現状はどうにもならないみたいですね。徳島が「ダメだ」と言うならみんなで苦しむしかないですか。
ところで、マスコミの渇水報道だけを見ていたら、早明浦ダムの貯水率が利水の全てみたいな錯覚に陥るから、多くの人は「貯水率ゼロ」になったら全てがアウトみたいに思っているかもしれないが、そういう人たちのために問題を一つ出します。先日の毎日新聞の香川版に載った渇水報道の最後にこんな内容の文がありました。 「94年の渇水の時に早明浦ダムの貯水率がゼロになっても、徳島の既得用水はカットされなかった」 要するに、早明浦ダムの水がなくなっても吉野川には既得用水分の水が流れていたということです。これの意味がわかりますか? 一度地図を見て、吉野川の水系全体と早明浦ダムと香川用水の位置関係を確認したら、たぶん多くの人が錯覚している事実がわかります。香川用水が「早明浦ダムから来ているのではない」ということも。
さて今日は朝から1コマ目の講義を終えた後、すぐさま大阪に飛んで(新幹線だから飛んでないけど)タウン情報全国ネットワークの新人研修の講師で1時間45分の講義。同時に激動のタウン情報誌の状況を情報収集した。香川では私のいたホットカプセル(TJ Kagawa発行)が会社解散したことが新聞報道されたが、ここ1、2年の間に全国各地でいくつかの老舗情報誌が休刊、廃刊していて、ちょっと激動っぽい印象を受ける。でもその一方では業績を伸ばして発展中のタウン情報誌もいくつもある。つまり総合すると、「環境が厳しくてどこも苦しい」のではなく、「情報ビジネスの付加価値の何たるかをとらえているかどうか」がカギのようです。絶望せずにがんばって下さい。戦略を間違えなければ活路は必ずあります。
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2005年6月26日(日)
早朝、 生活習慣病撲滅ウォーキング連続16日目で峰山に上がって下りてシャワーして、昼前に福岡に出発。夕方、博多の街研究の女王佐々木さんと大分の女傑宮崎さんと博多の食文化のゲリラ弓削くんと4人で4時間くらいの会談をした。まず4時頃博多駅について弓削くんと落ち合って1時間くらい話をして5時に集合場所の天神の居酒屋に行くと、女王様たちがすでに到着していた。宮崎さんは大分の情報誌のお局様(笑)で数年ぶりの再会、佐々木さんは福岡の情報誌の名物編集者から転身した地元の有名人で、私とはもう10年近くぶりになる。再会していきなりの会話。
佐々木「何、若作りして」 宮崎「カバンがダメよね」 佐々木「そうよねー。このへん(シャツのあたり)はいいのよ。でもカバンがダメ」 宮崎「せっかくクールビズなのに、カバンが普通のビジネスよ」
私、例の六本木ヒルズのイッセイ・ミヤケで衝動買いしたベージュのパンツ(ちゃんと裾上げしてるし)にリキエルでこないだ買うたばっかりの白のTシャツに、イッセイ・ミヤケで一緒に勧められて買った大きめのチェックの半袖のシャツを着て、3年前にEYE EYE ISUZUでビビッと来て飯間社長に発注してもらったLAVAというイタリアのじいさんが手作りしたカバンを持って行っていました。
田尾「これ、イタリアのじいさんが作ったカバンやで!」 佐々木「イタリアでもそのシャツにそれはダメ。ほら、京都の××の肩からこう提げるバッグならいいのよ」 宮崎「そうそう、あれならいい」 弓削「久しぶりに会った早々、これですから(笑)」
都会って、こうやってみんな磨かれていくんだ(笑)。会談は情報ビジネスの話題から、現代の街と人の関わりの在り方、あるいはその仕掛けに至るまで有意義な情報交換の場となり、しかし私は一泊する余裕がなかったので高松に帰れる最終の21:08博多発の新幹線で夜中の0時過ぎに高松に帰ってきた。高松駅に着くなり、迎えに来てた家内が私を見て言った。
家内「その服装にそのカバンはいかんやろ」
俺、コーディネート能力、ゼロ。
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2005年6月25日(土)
生活習慣病撲滅ウォーキング連続15日目の今日は、朝から峰山へ出発。途中でごんのいるマンションの横を通るので、高脂血症部長のごんのためを思って電話をしてやったのである。
田尾「もしもしー」 ごん「いやです」 田尾「まだ要件言うてないやんか!」 ごん「休日のこんな朝早く、明らかに歩いている息づかいで電話がかかってきたら要件は一つしかない!」
休日の朝はテレビ見ながらまったりするのが一番というごんは、おかげで腹の回りもまったりしてきているのに危機感がない。私は無理に誘うこともせず、一人で1時間かけて峰山山頂の展望台まで上がったら、おっちゃんが一人休んでいた。見ると、数カ月前にごんと2人で上がってきた時にいた、年の頃なら70歳前後の「社会を斬るおっちゃん(笑)」だ。あの時も山頂で1時間近く、おっちゃんの社会評論に相づちを打ちながらヘトヘトになって帰ったのだが、おっちゃんはこっちのことを覚えてないようだ。私は「おはようございます」とあいさつをした。
おっ「雨が降らんのう」 田尾「降りませんねえ」 おっ「去年台風がなんぼでも来てワヤになったら、今年は雨が降らん。異常気象じゃ」 田尾「去年、2年分降ったみたいですね」 おっ「太平洋の高気圧が弱いけん、前線が上がって来られんのじゃ。太平洋で雨が降っりょるがい。これが今度お前、前線が明日は上がってくるんやけど、いっぺんに上がって日本海に抜けてしまうんじゃが。ほんまにどないなっとんじゃ」 田尾「そなんことになるんですかー(昨日テレビの天気予報で言うとったけど)」 おっ「おー。ほんだらもうどこっちゃに雲がないがい。早明浦のダムが今日で(貯水率)39.2パーセントやけんの、日に日に2ポイントずつ減っりょるけんの(うわ、パーセントとポイントを使い分けよる)。また知事が徳島に水を分けてくれ言うて頼みに行かないかんよになるわ」
再現してたら切りがないが、それからしばし水不足のうんちくが10分、20分。続いて話題は小泉改革から子どもの教育問題、大人のモラルの問題、健康問題へと発展し、ネタが切れてきたかな…と思ったら突然、おっちゃんはプライベートな話題に入ってきた。
おっ「おたくは何をしよんな」 田尾「3年前まで会社勤めしよったんですけど、無理しよったんでずーっと体調が悪うて、今度職場が変わって、健康を取り戻さないかん思て毎日歩っきょんです。休みの日は朝、ここに上がってきて、平日は晩に嫁さんとサンポートとか歩いていって」 おっ「奥さんと歩っきょんかい。そら仲がええな。わしやもう家庭内別居やが。定年で仕事辞めた時は“もうゆっくりしたらええがな”いうてやさしげに言いよったけど、やさしいのは1カ月じゃ。もうものも言わんがい。まあその前からあんまりもの言よらんかったけどな。もう20年も手ぇ触ったこともないわ。若い時は晩も一緒に寝よったけどな、そのうちふとんが別になる。その次に部屋が別になる。こうなったらもういかんな。わしはその次、ふとんが別になって部屋が別になって、階が別になったがい」
笑うとこか笑たらいかんとこかわからんがい(笑)。この話をごんにしたら、ごんが「その次に“敷地が別になる”いうのがありますけどね」と言ったが、経験者にしか出てこないコメントだ。結局話を切り上げるタイミングをつかめないままおっちゃんに1時間くらいつかまっていたら、たまたまごんから救いの電話がかかってきて山を下りた。
夜は新婚の知人宅に呼ばれて8人が集まって食事会。みんながシャンパンやワインを持ち寄って、私は八十川先生にもらったスプリングバンクの25年もののシングルモルトを持っていって、久しぶりにちょっとなめました。
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2005年6月22日(水)
ここ数カ月、四国新聞の「一日一言」がちょっと切れ味を増した感じがしてて私にはええ感じなのだが(時々気の抜けたみたいなのもあるけど)、今日の渇水ネタは「お!」と思いました。香川の水不足の原因の一つである「人災」の部分にチクッと突っ込んで来た。
香川の水不足についてはこれまで、香川県は雨が少ない、ため池でカバーしてきたが水需要の増加もあってとても足りない、その後早明浦ダムと香川用水ができて水不足は大きく解消された、それでも晴天が続くと早明浦ダムの貯水率が下がって渇水が起こる、香川はため池を埋めたり節水意識が不十分だったりして対策が甘い……という流れの論調が主流で、そういう報道しか流れてこないから、少なくとも私の知る限りほとんどの県民が渇水についてはそういうことだと思っている。
ところが10年近く前、当時マッキンゼーから独立した経営コンサルタントだった都村さんが、詳細な調査データを集めて香川の渇水の大きな「人災」の部分を指摘したのである。指摘の骨子は「早明浦ダムの水は徳島の水と香川の水に分けられ、さらにそれぞれ所轄官庁ごとに分けられ、そのうちの一部は水がかなり余っている(海に流している)。しかし香川の生活用水用の水が不足しても、余っている他の所轄の水は回してくれない。この配分を柔軟に行えば、香川の水不足はほとんど解消する」というもの。この提言は確か当時四国新聞でも都村さんのコラムで掲載されたと思う。さらに著書「なんしょんな!香川」でも紹介されたし、KSBの深夜放送で都村さんが自分でお金を集めて始めた番組でも紹介された。するとどうなったか。
結論から言うと、この指摘と提言はほとんど無視されたんですね。というか、非難の声まで上がったんです。その非難の声はほぼ全て、データとその分析に対する論理的な反論ではなく、「節水意識も十分でないのに身勝手なことを言うな」とか「香川用水の恩恵に対する敬意が足りない」みたいな。私の印象では、何かタブーに触れたみたいな反応でした(笑)。せめて「水は余っていない」という論理的なデータでも出してくれれば議論になるのですが、このテーマを議論することさえ許されないような印象で。何か同じような話が「平和」や「人権」などの分野でありますが。
ちなみに私はそのテレビ番組で都村さんの聞き手役を仰せつかっていたのであるが、親会社から「出るな」と言われて、ただの聞き手だったのに1カ月で番組を降りました(笑)。以来、水不足のニュースは何度も何度もありましたが、水の配分の話題は私は見たことがない。県外の人は知らないと思いますが、香川県では天気予報の最後に「早明浦ダムの貯水率は現在○パーセントです」というのが定番のように放送されています。全国ニュースで最後に「株と為替の動きです」と言うのと同じです。それほど水不足については敏感な香川のマスコミですが、早明浦ダムの水の配分問題は、私は寡聞にして見たことも聞いたこともない。ま、あまりニュースを見ないので気づいてないだけかもしれませんが。
ところが今日の「一日一言」、水の配分のテーマをチクッと突いてきた。朝、読んだ瞬間、私は「うわ、やった」と思いました。もちろん短い文章なんで深くは突っ込んでないけど、私だけがそう思ったのかもしれないが、すごく気を遣って言葉を選びながら、わかる人にはメチャメチャわかる指摘をしてる。水の配分については、私は自分で確認もしてないので現状に問題があるのか、あるいは合理的な理由があって妥当な配分をしているのかよくわからないけど、この一日一言子、価値観が新しくて素直で、デキると思う。筆者がもし若手なら(若手だと知ってるけど・笑)、一読者のお願いですが、読者の皆さまも関係者も彼を古い価値観でつぶさないようにお願いします。私はファンです。
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2005年6月18日(土)
今日は朝からKSBでもらったマンシングウェアのゴルフ用のポロシャツを着てゴルフ用のズボンをはいてゴルフ用のベルトをして、もうゴルフを知らない人までが見たら「ゴルフですか?」と言いそうなあからさまなゴルフの格好をしてごんと2人でがもうに行ったら、ガモムスが私を見て「ゴルフですか?」と言ったのである。
田尾「あのな、人を見かけで判断したらいかん」 ガモ「ゴルフちゃうんですか」 田尾「今からゴルフ」 ごん「見かけのままや!」
数えてみたら、今年に入って4回目のゴルフ。例年に比べて2倍以上のハイペースだが、いつもの阪神のペナントレースと同じ、もう止まる。年内にあと1回あるかないかだ。今日のメンバーは私とごんと日清冷凍食品のM宅嬢。例によってスコアは大したテーマではない。
キャディー「よろしくお願いします」 ごん・M宅「よろしくお願いします」 田尾「すんません、(M宅嬢を指して)今日はこの人、ずっとレディースから打ちますから」 M宅「レディースです!」
などという軽いジャブからスタートして、ずーっとオバカトークの大サービス。
M宅「前来た時、レディースのティーグラウンドに行ったらヘビがとぐろ巻いて待ってるんですよ! もう息が止まりそうになった」 田尾「そんな時はシッポ持って“ヘビの5番で行きまーす”言うて打つんや」 ごん「シャフト、しなりが効いてますからね」 田尾「バンカーからはマムシウエッジで。あいつ頭三角で大きいからちょうどええ」
みたいな、よっけしゃべりすぎて何しゃべってたかほとんど忘れたが、ごんとコンビで終わるまでずっとキャディーさんを笑わし続けてヘトヘトになった。普通ゴルフから上がったら腰が痛いとか足が痛いとか言うけど、アゴがだるいいうゴルフはなかなかないやろ。
さて、夜は清水屋に次代の讃岐うどん界を担う怪しい仲間たち10数人が集まって、第1回極秘会議を開催した。2時間足らずの会議は実に大きな進展を見せて終了。プロジェクトの概要は、7月中旬に新聞等で発表する。
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2005年6月17日(金)
「高松で最も健康意識の高いアップタウンの常連客」改め「生活習慣病撲滅委員会」の会長に勝手に就任した私は、ここのところ猛ペースで頑張っているのである。
6月11日(土)16:00より峰山ウォーキング1時間30分 6月12日(日)9:00より屋島山上ウォーキング2時間 6月13日(月)19:30よりサンポート方面ウォーキング1時間30分 6月14日(火)23:00より栗林公園方面ウォーキング1時間 6月15日(水)19:00よりサンポート方面ウォーキング1時間20分
F田社長が毎日1時間のウォーキングを3カ月続けて、体重を5キロ落とした上に高かった血糖値を完璧に安全圏に落としたと言うのでさっそく実践してみたら、血糖値は測ってないけど5日間で体重が1.5キロ落ちた(ちゃんとメシ食いながら)。なんたって、昨日はサイズが合わなくなって1年くらいお蔵入りしていたシャツを着て授業をしたのである。で、昨日の晩、授業や会議で疲れて早く寝てウォーキングができなかったため、今日は何と朝5時に起きて、5時半から峰山へ早朝ウォーキングに行ったのである。もうほとんど高齢者の行動パターンだ(笑)。
いやー、たまには知らない時間帯に動いてみるもんやなあ。早朝からよっけウォーキングしよる。中高年から高齢者まで、おじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも、約1時間歩いている間に30人以上が歩いて山に登っていた。追い抜いたりすれ違ったりした人だけだから、たぶん早朝に峰山に登っている人は100人以上いると思われる。その中で私はたぶん、かなりの「若者」だ(笑)。私は会う人会う人に「おはようございます」と声をかけながら汗だくで登った。向こうからあいさつしてくれる人もたくさんいる。
しかしあの見知らぬ人たちとの連帯感は何なんだろうなあ。登って、降りてくる間にすれ違う人に「おはようございます」と声をかけるのは全然ためらいがない。ところが、降りてきて石清尾神社の横を通って国道に出た途端、道で会った明らかにウォーキングをしていない人には「おはようございます」の一言が出ない。出んよなあ普通。昼間、町中ですれ違う見知らぬ人にいちいち「こんにちは」とか言わんよなあ。6時半頃、ウォーキングの帰りにコンビニから出てきた若いサラリーマンっぽいにいちゃんに突然「おはようございます」言うたら、相手目が点になるよなあ。何か心理分析してもいいけど、おもろいオチもなさそうだからせんとこ。
この「ウォーキング強化週間」の間に行った店。 「一富士」 私の中で世界一の一膳めし屋。数年ぶりに行って、メシ、汁、おかずにサケの焼いたのとジャガイモの炊いたやつ。むちゃうまい。おばちゃんに「瀬戸内海放送の先生やな。久しぶりやな」って言われた。瀬戸内海放送に出ている四国学院大学の先生やけど、ま、ええか。 「竹清」 これまた数年ぶり。おばちゃんがサービスで「もちの天ぷら(!)」をくれた。 「鯉丹後」 私の中で世界一、世界二、世界三のラーメン屋。むちゃうまい。おでんのスジはゼラチンみたいな部分だけを串に刺したもので、むちゃうまい。
こんなん食べながら1.5キロ減じゃ。明日は「生活習慣病撲滅委員会」高脂血症部長のごんたちと、趣向を変えたウォーキング。何をするかは言えないが、たぶん私はウォーキングだが、ごんはランニングになると思われる(笑)。
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2005年6月12日(日)
私と牛乳屋さんは今、「高松で最も健康意識の高いアップタウンの常連客」としてアップタウンの常連客の間で有名なのである。
田尾「牛乳屋さん、今から行きましょう」 牛乳「ええで」 田尾「第一案は、歩いて石清尾神社に集合して峰山に上がる。第二案は、今からお互いに歩いて家を出て、鉢合わせしたところから高松市内を歩く。第三案は、車で屋島の上に上がって、屋島山上を端から端まで歩く」 牛乳「屋島がええな」 田尾「ほな、最近老化の激しいごんも誘ってみますわ」
と言って朝の8時、ごんに電話したのである。 田尾「そういうわけで屋島行くぞ」 ごん「いや、ちょっと今日は……」 田尾「さるお方もご同行されるんやぞ」 ごん「誰ですか」 田尾「さる著名なお方じゃ。誰とは言えんけど、最近肝臓のデキが悪いと指摘されてアップタウンで野菜ジュースばっかり飲んどる……」 ごん「あんたらは老化! 不摂生の老化! 私はそんな堕落したおっさんじゃありませんから」 田尾「きみ、高脂血症を宣告されとるやないか。高脂血症いうたら血がほとんど脂やろが。それ、ライター近づけたら血が燃えるぞ」 ごん「そうそう、医者から“なるべく火気のあるところへは近づかんように”って…何でやねん!」
そういうわけで、堕落したごんを置き去りにして、私と牛乳屋さんは朝の9時前、車で屋島の山上に到着したのである。景気づけに売店のおばちゃんと話をして、「屋島、よーに宣伝してよー」とか言われて、それから約1時間半、北嶺の先から南嶺までくまなく歩いて汗だくの散歩を完了した。屋島山上、午前11時頃の時点で、ものすごく大ざっぱな目分量ですが1000人くらいの客がいました。昨年度の屋島の観光客動員数は55万人くらい。ピークは瀬戸大橋開通年(1988年)の213万人。4分の1か。
健康志向に目覚めた我々の思う理想的な環境は、麓に広い駐車場と風呂のあるトレッキング基地があって、そこから屋島に上がるトレッキングコースがいくつかあって、基地まで車で行って山に登って上を散歩して降りて風呂に入ってくつろいで車で帰るという半日コース。屋島第一健康ランドが理想的なトレッキング基地なんだけど、ちょっと高いのと、トレッキングコースがついてない。どこか民間の店か施設、やりませんかね。客はたぶんトレッキングファンと健康指向者に限定されますけど(笑)。
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2005年6月9日(木) 車検から帰ってきた車にETCカードを入れたら、いつもは「ETCカードを確認しました」という音声が出るのに「ETCカードを確認して下さい」という反抗的な音声が出る。何回入れ直しても「ETCカードを確認して下さい」という音声が出る。向きを反対にして入れても同じ音声が出る。車検で部品もよっけ交換して高い金払ったのに、ETCを故障させとるやないか! と思って、ゲートでバーが上がらなかったらまた恥ずかしい目に遭うからチケット側のゲートから高速に乗って大学へ。大学からの帰りにヨシイモータースに寄って「ETCカードがおかしなことになっとる」と言って見てもらったら、しばらくして整備の人が来て言った。
整備「田尾さん、カードが裏になって入ってました」
ま、よくあることだ。私のメカ対応力を侮ってはいけない。一昨日も、新しく買った携帯電話のせめてカメラ機能でも使ってやるかと思って撮った風景写真を引っ張り出せなくて数週間ほったらかしにしていたのをD々くんに発掘してもらったばかりだ。
今日は1限目からマーケティング論の前期8回目の講義。流れからたまたまうどんの話になったので(また言うとくけど、私は「さぬきパスタ論」以外はうどんの講義をやっていない)、ちょっと練習問題を振ってみた。
<問題> かつて、10数年前まで、讃岐うどんの情報は「讃岐うどんの歴史」「讃岐うどんの文化」「讃岐うどんの技術」等を中心に発信されていた。その後、私は「ゲリラうどん通ごっこ」や「恐るべきさぬきうどん」で、讃岐うどんの歴史や文化や技術に基本的に触れずに、針の穴場のお笑い探訪記として「讃岐うどんのおもしろさ」「讃岐うどんの楽しさ」「讃岐うどんの怪しさ」そして「讃岐うどんの遊び方」を情報発信した。前者の情報発信は、讃岐うどん巡りブームを起こさなかった。私がやった後者の情報発信は、讃岐うどん巡りブームを起こした。では、どちらの情報発信がより優れているか?
これまでの講義をまじめに聞いて理解していれば答は一発で出てくるのだが、私はそれほど期待していなかった。そしたら、学生から正解が出たのである。
<答> どちらが優れているかは、目的によって違ってくる。
情報発信方策に限らず、こんなものは「目的」を決めなければ優劣はつけられない。「目的」が手段の良し悪しの判断基準になるのである。「人を呼ぶ」という目的を掲げれば、後者が優れている。「讃岐うどんの何たるかを知らしめる」という目的なら、前者の方が明らかに優れている。
三木町の白山の「桜の木に植え替え事業」も、地産地消運動も、それこそ郵政民営化も憲法改正も対中国韓国問題も、やろうとしている手段が良いか悪いかは目的によってまるで変わってくる。当たり前である。「目的」が「選考基準」なのである。目的を議論し、目的の一本化、もしくは優先順位をつけることが最初のステップである。ビジネスをちゃんとやってる人には常識である。正解者、若宮。あと、発言はしなかったがかなりの学生が正解っぽい反応を見せた。ちょっと手応えです(笑)。
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2005年6月8日(水)
W田から「田尾さんの新しい携帯の番号、まだ僕の所に連絡来てないんですけど」という申し出があったが、PHSからの電話帳データ移し替えプロジェクトは今、「み」のところで止まったまますでに2週間が経とうとしている。もう、めんどくさいっちゅうねん。というか、何かそれなりに支障なく仕事が進んでるし。とりあえずキミ、「わ」やから最後や。年内には移し替え終わると思うし。
W田「というか、今教えてくれたらそれで済みますやん!」 田尾「人間、割り込みするようになったら終わりやぞ」 W田「これ割り込みですか!」
本日は朝一から観光マネジメント概論と放送メディア論の熱血講義を連続で終えて、昼休みに日清冷凍食品経由でM宅嬢(「嬢」は無理があるとの指摘をもらったが、本人の身の安全のため誰が指摘したかは言えない)と松井うどんへ。ネットの中ではすでにヘビーな讃岐うどんファンが話題にしているらしいが、あの松井うどんである。
実は4月の初め、知将A藤から「松井うどんがオープンしました。本広監督の弟夫婦がやっています」という内容の(本当はもっと長い丸秘微笑エピソード付きの)メールが来て、さらにA藤と私の共通の知人である地元有名某酒店の社長からの丸秘爆笑エピソード付きのレポートが来てて、機会があったら早よ行かないかんと思っていたところだったのである。「踊る大捜査戦」や「交渉人真下正義」の監督でおなじみの本広監督はA藤や地元有名某酒店社長と友人で、私も一昨年、例のうどん映画のための情報収集に来た本広監督から2回ほど取材を受けた仲であるが、監督が1回目の取材で四国学院大学に来た時に、弟さん(現松井うどん大将)も同席していたらしい。
A藤や某社長からの事前情報としては、 (1)かけうどんがない。 (2)上戸より太い。 (3)西から行ったら看板が全然見えない。 (4)ここには書けない丸秘微笑エピソードと丸秘爆笑エピソードがある。 といったところであるが、今日初めて行ってみたら、西側からも見える看板が出てて、黄色いパイロットランプみたいなのも回っていた。
なかなかおもしろい方向性の麺です。私の中で進行中の極秘プロジェクトに、かなりでかいヒントをもらいました。プロジェクトに入ってもらおうか(笑)。ちなみに、太いです。上戸より太いかどうかは断定できんけど、釜あげを頼んで私はうどんを1本ずつ食べました。ふと前を見たら、M宅嬢は3本いっぺんに食べてました。さすが「おっさんの音でうどんを食べるおばさん」とは私のコメントではなくて「天の声」。
大学からの帰り、実家に寄ったら母ちゃんがめちゃめちゃ香ばしくてうまいお茶を飲んでいたので、一袋もらって帰った。名物かまどが出している「そば茶」です。
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2005年6月6日(月)
今日は研究日につき担当授業はないのであるが、フェスタ・プラクティカムの重要な渉外業務のために朝から某企業に出かける。家を出て高松西インターから高速に乗ろうとしていつものようにETCのゲートに入りかけたところで、うわっちゃっちゃっ! 代車やがな! 先週末に車検に出して代車に乗ってたのをうっかり忘れてて、バックミラーで後ろを見たら車が全然来てなかったのでちょっとバックして(バックしたらいかんのやけど)発券機のゲートに入り直して高速に乗った。
CDもカセットもないので仕方なく浜村淳の熱弁を聞きながら一路善通寺方面へ。本当は高速でなくて下の道を通ってがもうでうどん食って行こうと思っていたのだが、時間が微妙だったので高速に乗ったわけである。道中時計をちらちら見ながら、「がもうに寄ってても間に合ったかなあ…」とか未練タラタラで善通寺インターを降りてゲートをくぐろうとして、うわっちゃっちゃー! 代車やがな!
ダメです。今度は後ろから2台続いて来ている。バーまで10メートルくらいのところで私は車を端に寄せ、後続車に謝りながら先に行ってもらって、料金所のおっちゃんの方を見て「バックしてもええ?」みたいなジェスチャーをして、後続が切れたことを確認してちょっと下がっておっちゃんがおる方のゲートに入り直した。
田尾「すんません、代車になってるの忘れてあっちに入ろうとしてしまいました」 おっ「代車なー、そらうっかりするわなー。あら、田尾さんやないの」 田尾「は、すんませんどうも。今週、何回かこっちのゲート通りますから」
ボルボ、車検が今混んでいて木曜日か金曜日までかかるらしい。ファックスで来た見積を見たら、目が飛び出るくらいの金額になっていた。笹木ー、俺の車検代でお前の車が買えるぞ。しかもエアコンつけて。ま、笹木の車は「どこで見つけたんや!」いうくらい安い外車の中古車やけど(笑)。
夕方からは今度はフィールド・プラクティカムの重要な渉外業務のために別の某企業へ。ミーティングの後、居酒屋で食事会になだれ込んだ。一昨日(土)の夜は遊ゼミで、割烹「遊」に10人くらいの文化人たちが集まって食事と討論会、昨日の夜は放送局の親睦で10数人が集まって焼き肉屋へ、そして今日は居酒屋で6人。3日連続で夜の会食というのは、私をイメージだけで知っている皆さんは信じられないだろうが、社会人になって以来記憶にない。たぶん初めてです。しかもこの3日間の御同席者はなかなか刺激的な皆さんばかりで、声帯にポリープができるくらいしゃべりました。
田尾「けどきみらがあんまり言うから、誰と会うたとかあんまり書かんようになったが」 W田「ダメですよダメですよ。あんまり書いたら。田尾さんの日記、結構業界の人とか見てていろいろ詮索してますからね」 田尾「センサク・ムアンスリンいうボクサーがおったな」 W田「知りませんがな!」 S木「田尾さんの日記見て上司にご注進してる人とかもいますからね」 田尾「何じゃそら。そんなことするヒマがあったら働け(笑)」
私、自分でいうのも何ですが無邪気に人を信用するタチなんで、そんなんほとんど気にしてなかったんですけどねえ。いろいろ勉強になります。見習うつもりはないけど(笑)。
突然ですが「福原データ」に続いてデータを一つ。競馬のG气戟[スは障害を除いて全部で確か21ありますが、猛威をふるうサンデーサイレンスの産駒はそのうち19のG氓勝っています。しかしサンデー産駒が出てきて10年、未だに勝っていないG氓ェ2つある。それは「NHKマイルカップ」と「安田記念」です。これ、どちらも東京競馬場の1600mなんですけどね。昨日の安田記念もサンデー産駒、3着にも入りませんでしたねえ。
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2005年6月1日(水)
さて、今日は休講だ。 ごん「いきなりやってますやん!」 田尾「健康診断じゃ。講演ちゃうし」
去年も一昨年も受けなかったのだが、今日は大学に来て初めての教職員の健康診断。私は10時過ぎから、視力、聴力、眼底、採血、血圧、検尿、問診、心電図、胸部レントゲン、腹部エコー、バリウム飲んで胃の検査、診察というメニューで、9時10分からの「観光マネジメント概論」も11時10分からの「放送メディア論」もその時間に引っかかるので、2つとも休講にすることにした。後日補講実施である。 保健館に行ったら待合いスペースは先生や職員で満員。みんな静かに待っている奥の方に助手の真鍋を発見したので、あいさつ代わりに声をかけてやる。
田尾「真鍋も受けよんか」 真鍋「はい」 田尾「真鍋、腹部エコーって、エコーが届かんのちゃうか?」 真鍋「そうそう、脂肪の層が厚くて霞がかかったみたいにしか見えん……って、何でですか!」
ま、軽くつかんだところで身長測って(縮んでなかった)体重測って(去年より2キロぐらい痩せてた。ま、ビークオーター飲んであんだけ歩いてたからな)胸部レントゲン、視力、聴力、心電図……と進んで、採血に入ったら、いきなり採血のおばさん、あ、看護婦さんが話しかけてきた。 おば「あらまあ、テレビでしか見たことない人がこんなに近くで見られるがな。私、田尾さんに会うたらいっぺん言うとかないかんと思いよったんや」 田尾「何ですか」 おば「××(某うどん屋)な、私もうあそこのおうどんが一番好きやったんやけど、打つ人が替わったやろ? ちょっといかんようになったわな。前はもうな、そら繊細なおうどんがちゅるちゅるーいうてな、もう私やあのおうどんが一番でもうしょっちゅう行っきょったのにな、打つ人が替わったやろ? ちゃんと教えてもらいよるはずやのに、違うな。ほんまに前はちゅるちゅるーいうてな、そらおいしかったんやけどな。あれ、なんぼ教えてもやっぱり違うんやな」 田尾「はあ」 おば「どう思うな? 田尾さんは。な、だいぶ違うやろ? もうなー、私や前の××が一番やったんやけどな。あれは田尾さん、言うとかないかんわ」 と言ってたら隣で採血していたおば…いや看護婦さんも話に入ってきて、 おばB「そうなー、打つ人が違たらいかんのな」 おばA「そらなあ、やっぱり加減が違うんやろな。な? 田尾さん××だいぶ変わったやろ? あれは田尾さん言うとかな」 田尾「そやなあ。けどそれでも××は他の普通のうどん屋と比べたらやっぱりうまいと……」 おばA「まあおいしいけどな。私は前のおうどんがな。ちゅるちゅるーって、あれが一番でなんたらかんたら……」 もうすごい勢いで大阪のおばちゃんみたいにしゃべり続けて、 おばA「いやーようけ言うてすっきりしたわー(笑)」 と言った時、もう一人の看護婦さんが入ってきたのを見たおば…、いや看護婦Aさんが、 おば…いや看護婦A「田尾さんや。これ、田尾さん」 おばC「あら、田尾さんや」 田尾「もうさっきから血は抜かれるわうどんで怒られるわ(笑)」
続いて腹部エコーのところで10数人が詰まって待ち時間が長かったので、パイプイスに座って並んだまま、乗立先生や逢坂先生ら、これまで話したことのなかった先生と話ができた。逢坂さんって、なおちゃんの友達の逢坂さんかなあ。 数十分後、やっと順番が来て腹部エコーに入ったら、エコーで見られながら医者に言われた。 医者「脂肪肝気味ですねー。脂肪でエコーが届きにくい」 俺かい!
健康診断は昼の1時頃終わりました。1時半からフェスタ・プラクティカムのミーティング(授業)。3時過ぎに終わって残務処理をして夕方高松に帰ってそのまま夜の7時頃、食事会に。メンバー6人の、私には似合わないおしゃれなシャンパンパーティーです。会場は屋島の「オーベルジュ・ド・オオイシ」。これまではあの屋島の麓の細い道の山側に店があったのだが、今度道をはさんだ海側にむちゃくちゃおしゃれな地中海風の宿泊施設が増設されたばかり。目の前は海で、向こうに女木島とサンポート。まずはテラスでシャンパンを前にくつろいでいたら、見事な夕日が女木島の向こうに沈んでいくという素晴らしい光景が見られた。夜の7時頃から10時過ぎまで、ビュッフェ方式で次々に出てくるフランス料理と数種類のシャンパンを楽しみながら(でも私はお酒苦手なので水ばっかり飲んで)、世界平和から007まで会話を楽しんで帰りました。高松とは思えない素晴らしいデザインとロケーションの店です。これは高松まつりの花火大会、ここから見たら最高やろなーと思って聞いたら、もうその日は宿泊も予約でいっぱいだそうです。ほんまにみんな、よう知っとるなあ。
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