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2005年07月の日記
2005年7月31日(日)

 木曜日は雑誌の取材で「松岡」〜「谷川米穀店」〜「小縣家」の3軒をハシゴ。ダイエット中だというのに計4玉におでん3本も食ったがな。ま、食事制限でなくて運動で痩せているのでいいけど。

 雑誌社からの依頼は「こんぴらさんを中心におすすめ3軒の食べ歩き2時間コース」というもの。「おすすめの店」というだけならとても3軒には絞れないのだが、食べ歩きコースとなると私は選び方がちょっと変わる。すなわち、「タイプの違う店を、よりそれぞれが引き立つように並べる」という選び方になる、というか、そういう回り方をおすすめするのである。さらにうどん巡り初心者が対象となると、コントラストがさらに際だつような配置をどうしてもおすすめすることになる。

 ブームを演出した素朴な田舎麺の代表として「松岡」、同じくブームを演出した怪しくもおもしろいシチュエーションの製麺所型うどん店の代表として「谷米」、そして洗練された麺のすごさを見せつける一般店の代表として「小縣家」。この3軒を感動的に並べるとしたら、通ならわかると思うけど谷米の営業時間も考慮に入れて、この順番しかないでしょう。松岡で素朴なのにパアーっと広がるあのうまさを味わわせておいて、「次はどんなにうまいのか!」と期待させておいて谷米で予想外の方向からパンチを一発(笑)。クラクラさせておいて、しかし相手が「次はどんな怪しいうどん店が…」とそっちの方向に予想しているところへ、小縣家のあの洗練されたしかも「腰一徹」の麺と巨大なダイコンでガツンと。

 金曜日で大学の試験ウィークも終わって、土曜日は朝からオープンキャンパスでたくさん来てくれた高校生に学科の紹介ステージを盛況のうちに終え、そのまま夜は講演を1本こなして、日曜日、知将A藤と本広監督たちと集合して、爆笑の極秘会議を4時間にわたって行った。去年、四国学院大学を舞台に本広監督が指揮を執った「サマータイムマシンブルース」の試写会が土曜日に四国学院大学で行われ、本広監督はそのまま一泊して今日のミーティングとなったわけだ。ミーティング内容は大ネタでありながら爆笑小ネタが山盛りだが、内緒だ。ちなみにこのミーティング内容も大ネタだが、日記をサボっていたこの5日間の間になななんと、私を○○の○○に○○○す計画が某所で進行していることを知人から告げられて、目が点になっています。こっちも内容は書けん(笑)。
2005年7月26日(火)

 あんまり高校野球のことばかり書いていたら高校野球好きだとカンちがいされたらいかんので断っておくけど、私はあんまり高校野球ファンではないのよ。プロレスファンはミル・マスカラスでやめたけど、高校野球は徳島の池田高校(蔦監督の)が強かった頃までですかねえ。あの頃私、池田高校の校歌、覚えてたもん。母校の観音寺一高の文化祭のクラス対抗歌合戦で「池田高校の校歌」を歌ったクラスが先生に怒られたという話を聞いたけど、それくらい池田高校は人気があった。それと、何でかわからんけど桜美林高校の校歌の「あーあーあーオーベリンナー、諸手(もろて)をあげてー、イエスイエスイエスと、イエスイエスイエスとー叫ぼうよー」のところだけ覚えてる(笑)。

 さて、観音寺一高は香川大会準決勝で9回の表を終わって丸亀城西に8-3と5点差をつけられて、ほとんど関係者全員が「いい夢を見させてもらったぜ。さ、明日から仕事じゃ」と思っていたところへ9回の裏に何と5点を取って同点に追いついて、ほとんど関係者全員が「コラ明日も仕事にならんがー!」と座り直したら延長ですぐに1点取られて負けるという、どこかのジェットコースターみたいな、終わったと思ったら急に持ち上げられてまた落とされるという試合で、いい悪夢を見させてもらいました。結局丸亀城西は決勝も勝って優勝。城西のピッチャー、左腕で“球を置きに行くウィリアムス”みたいな球を投げます。

 本日は徳島の城北高校へ出張授業。「アイデア開発論(ちょっと文法的に正しくないタイトルですが)」で高校生の目からウロコを3枚くらい落としてきました。高校生に大学の授業のさわりをやるという出張授業や模擬授業は去年も数回やったのですが、今年は今日で私の担当は3回目。あと9月に2回入っている。大学がPRも兼ねていろんな高校に案内を出して、高校からのリクエストに応じて出かけていったり来てもらったりするというプログラムである。

 出張授業ではよく「高校生にもわかるように」とかお願いされるのだが、私は結構ガチンコで立ち向かう(ま、八百長の授業というのもないけど)。「子どもを相手にする時は子どもの目線で」とよく言われるが、彼らは多くの場合背伸びをしているので、高校生に向かう時に高校生のレベルに下りていったら、相手の方が意識が高くて逆にバカにされるという場面が多いことを、私はタウン情報時代の経験から感じているからである。同じように中学生を相手にする時も、私は中学生のレベルには下りていかない。大学生を相手にする時も、20代、30代を相手にする時も。ちなみにこないだはバドミントンで大学生とガチンコで立ち向かって肋骨折りましたが(笑)。
2005年7月24日(日)

 昼前、晴れて締切原稿を完了した私は、奇跡のベスト4入りを目指す観音寺一高の応援陣を充実させるために、まずごんに電話をした。

田尾「世紀の一戦が、いよいよ数時間後に迫ってきたぞ」
ごん「だから何で私が2日続けて観音寺一高見に行かないかんのですか! 私ゃ母校、徳島ですがな」
田尾「そやっての、中途半端に高校行っとるから青春できんのじゃ。とりあえず3時半頃また電話するから」

 続いて観音寺一高の後輩の麺通団知将A藤に電話をしたら「行く」との返事。続いて同じく後輩の麺通団員S原に電話をしたら、出ん。続いて久しぶりに猿人Jことイデザオに電話をしたら「嫁さんと2人で行きます」という返事。午後3時過ぎ、車でイデザオ夫妻を拾いに行く途中、再びごんに電話をしたら、何か急に水道の蛇口の調子が悪くなって部品を買いに行って直さないかんとか言うので今日は放免してやった。
 15:30、イデザオ夫妻を捕獲。

田尾「ごんに電話したら、急に水道管がこわれて今から直さないかんけん行けん言うんや」
イデ「水道管とな!」
田尾「また新手の断り文句編み出してきたがー(笑)」
イデ「ごん、成長したなあ。今まで断り文句いうたら友達の結婚式か身内の不幸やったのに」
田尾「あいつ、今までによっけ友達結婚したし、よっけ身内の不幸があったからなあ(笑)。けど水道管はなかなか斬新な切り口やなあ(笑)」
イデ「そこへ来たか! いう感じですね。いかん、俺も見習わないかん(笑)」

ごん「だからほんまですって! これ今直しとかんかったら水が出ん。というか、水道管でなくて水道の蛇口ですけど」
田尾「そんなことはどうでもええ。おもろい方が事実になるんじゃ」
ごん「おっさんおっさん!」

 15:40、A藤に電話して間もなく迎えに行くことを告げて、15:45、A藤のマンションの前に到着。ところが、待てど暮らせど(暮らしてはいないが)A藤が出てこない。15:55、さすがにおかしい、家で何かあったのか? と思って電話したら、前に住んでいたマンションの前で待っていることが判明した。あいつ、引っ越ししとるがな! しかも俺、引っ越しした家に2回も行っとるがな!

イデ「もー! 電話せんかったら試合終了までここで待つとこやったやないですか!」

 結局、A藤を拾って球場に着いたのは16:30。スタンドに入ったら、観一はもう2点を取っていた。スタンドには昨日に続いて長船やミッチョなどの同級生組が何人か来ていた。息子が観一の野球部にいるらしいM宅嬢も来てて、A藤につかまって「ダイエット講義」を聞かされている。A藤、6月からダイエットの先生にお金払って指導を受け始めて、現在6キロ減で進行中らしく、まだお互いが確認できる状態であるが明らかに以前会った時より痩せている。それが知将だけあって、自分のダイエットレポートのノート(毎日の食事内容の写真から摂取カロリーから万歩計データから、しかもそれらをグラフにした推移データまでがぎっしり入ったノート)まで持ってきて、私ら車の中でさんざん話を聞かされたのに、スタンドまでノートを持ち込んでまたM宅さんに講義。もう、ホワイトボードにマトリックスを書きそうな勢いだ(笑)。

 試合は結局、6回まで毎回得点の7回コールド勝ち。ベスト4に入っちゃった(笑)。

長船「コールドっちゃ、あれか? “わしらまだ試合したいのに、もうやめ言うんか。つめたいのう”いうことか?」
田尾「冷たい“COLD”ちゃうわい!」

 などと言っていたら、朝電話して出んかったS原から電話がかかってきた。

S原「今起きたんですけど、何すかあ?」
田尾「いつまで寝よんじゃ!」
2005年7月23日(土)

 先週の木曜日の放課後、助手の真鍋と学生の重谷、福田、大西の4人に誘われて大学の体育館でバドミントンをするという事態になったのである。ま、何度も自慢するわけであるが私は軟式テニスでインタハイに出て1回勝った男であるから(笑)、バドミントンごときは2、3球打ったらすぐに感じがつかめて、真鍋ごときに負けるようなことはないと思っていたら、2、3球打ったら身体機能と心肺機能がついていかんことが判明して苦戦に陥って、そこへ真鍋が「ネット際にシャトルを落とす」という老人福祉精神に欠けた打球を放ったものだから、負けず嫌いの私は死ぬ思いでグッと踏み込んでこれをさばいた時、脇腹を痛めたのである。

 それが日を追うごとに治るどころかだんだん痛くなってきて、寝返りを打つのにも苦労するほどになってきて、仕方なくあれから9日目の今日の昼前、病院に行ってレントゲンを撮ってもらったら、フィルム2枚をながめながら老医師が言いました。

医師「あ、折れてますな」

 肋骨の上から9番目、折れてました(笑)。幅広の「リブバンド」とかいうやつをもらって、本日よりこれをきつく胸に巻いて生活しております。老医師によると「3週間ぐらいでひっつくやろ」とのことです。

 さて今日は朝から締切を4日過ぎた原稿で苦しんでいて(まだ間に合うのは知っている)、午後2時半、気分転換に午後3時開始予定の高校野球香川大会「観音寺一VS高松工芸」の試合を見に行くことにした。母校の観音寺一高は創立以来甲子園に出たことがない。今日はベスト16まできて、今日勝てばベスト8。高校野球はほとんど見ないので最近の力関係は全然知らないのだが、まあ今日負ければもう見られることもないので…くらいの感じで、ごんを強制連行して香川県営オリーブスタジアムへ行ったのである。

ごん「というか、私、観音寺一高を応援する理由が全くないんですけど!」
団長「青春にロジックを求めたらいかん」

 観音寺一高の先発投手は、見ると背番号3をつけたサウスポー。球はそれほど速くないが何かキレが良さそうで、打たれながらも要所を押さえてスクイズも外したりして、5回を終えて5-0でリードしていた。

ごん「背番号3いうことは、エースじゃないんですかね」
田尾「二番手ぐらいか? 左の軟投やから、阪神で言うたら下柳やな。ということは、そろそろ点を取られる頃や」

 と言っていたら、6回に2点取られた。

田尾「な、下柳。6回を2点なら上出来じゃ。あとは7回藤川でピシャリ、8回ウィリアムスで1点取られて、9回久保田で1アウト満塁でヒヤヒヤさせて0点に抑える」

 と言っていたら、7回に2番手の右投手が出てきた。

田尾「よーし! 藤川じゃ!」
ごん「岸上って書いてますやん!」

 結局試合は2番手の藤川こと岸上が9回まで抑え切って、とうとうベスト8に進出したがな。途中、観音寺から応援に来てた長船にバッタリ会ってまたバカ話をして、球場を後にした。長船によると、今年の観音寺一はわりとええらしい。明日はベスト4をかけた準々決勝。第4試合で三木高と対戦だ。今日の試合の感想。「応援のブラスバンドの選曲が古い」。

ごん「どんな感想ですか!」
田尾「お前なー、2005年のこの時代に“ラバウル小唄”やぞ! “宇宙戦艦ヤマト”に爆風スランプの“ランナー”に、山本リンダの“狙い撃ち”って、いつの時代のラインナップじゃ」

 伝統もええけど、若者は進化せないかんぞ。

田尾「ほな、明日は4時試合開始やから」
ごん「だから何で私が観音寺一高の応援せないかんのですか!」
2005年7月22日(金)

 前期の授業終了。ふー。来週は試験ウィークで、8月からは夏休みの間に後期から新しく担当する授業2本の計画と取材、同じく後期担当するあと4つの授業のマイナーチェンジと整備、さらに本の原稿が3本(!)だ。「原稿3本」じゃなくて「本3冊」だ(笑)。(笑)がすでに「できるもんか」という気持ちを表しているが(笑)。

 昨日の夜は西日本出版社の内山さんが来て、その「本」の1冊の打ち合わせ。今晩はテレビ終了後、内山さん(大阪人)と千趣会の池川さん(大阪人)と編集者の永野さん(京都人)が高松に来て、佐伯(香川人)も交えてもう1冊の打ち合わせ。この大阪密度の濃さから、勢い怪しい大阪の話に突入した。弓(和弓)で的を打って当たったらおねえさんが「あた〜り〜」言うてくれる的屋がまだあるという話から、現役の遊郭みたいなのとお好み焼き屋や電気屋が並んでいるゾーンの話や現役のチンドン屋の話や。古い町並みの紹介文に「タイムスリップしたよう」と書く安物のライターがひれ伏すような、“現役タイムスリップ”の実話が次々に飛び出す。けど、そこで出した私の大学時代の体験談は、大阪人をちょっと驚かせました。

 私が大学生の時だから1970年代中盤の、ある日の夕方のこと。用事があって鶴橋から近鉄に乗って生駒方面に向かっていた時、鶴橋の次の今里だったか、その次の布施だったか、大きなバッグを持った明らかにサラリーマンの格好をした男の人が同じ車両に乗ってきて、電車が動き出したらそのバッグを開けて中から何やら衣装を取り出し、スーツを脱いでネクタイを外してカッターシャツを脱いで、着替え始めたのである。そして1駅を過ぎた頃そのサラリーマンは着替え終わって、山伏になっていた!

 私は先に降りたので、その先、山伏がどこまで行ったのか知らない。楽しいなあ、大阪は(笑)。
2005年7月21日(木)

 新聞に書いてしまった極秘プロジェクト、四国新聞を取ってない方々から「何のプロジェクトや」というお問い合わせを頂いたので、説明するのも面倒なので新聞に出した原稿をつけておきます。ま、こんなお遊び企画です。

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四天王のお遊び企画
「平成こんとん食堂」

 一年くらい前から善通寺のいろんな方々に何度か提案していた話が今、若きお笑いチャレンジャーたちの“ノリ”を得て密かに進行中である。もうここでバラしちゃうけど。

 昔々、空海が中国からうどんの原型を讃岐に伝えて、これが讃岐うどんの起源になったという説がある。最初は「うどん」ではなくて「こんとん」と呼ばれていて(麺の形ではなく、餃子の皮みたいなものだったとか、お菓子の一種だったとか言われている)、それが「おんどん」になり「うんどん」になり、「うどん」になったと言われている。見たわけではないが、ま、私が唱えた説ではないのでお許し頂くとして、とにかくそう言われているのである。

 一方、昨年奈良県にお住まいの伝承料理研究家の奥村先生にお話を伺ったところ、空海が日本に伝えたこの食べ物は実は「こんとん」と「はくたく」の二つの系統に分かれていって、このうち「こんとん」は「ワンタン」に進化し、「はくたく」が切り麺となって「ほうとう」に進化したのだという。「こんとん」は中国読みでは「ワンタン」なのだそうである。とすると、うどんは切り麺だから「はくたく」の系統ではないかという話である。

 十数年前、NHKの番組でうどん研究で有名な大阪の小島先生が讃岐うどんの起源と言われる「こんとん」の再現を試みて、一緒に出ていた私も食べさせてもらったことがある。その後、これまたNHKの番組でうどんを紹介した時、綾南町の方々が「こんとん」を再現していて、これも食べさせてもらった。いずれも今のうどん生地を小さい薄い丸い、平べったい団子状に延ばしてゆでたもので、前者はすまし汁に入れて、後者は塩をふっただけで食べた。

 などという背景をもとに、私は最初「こんとんの再現プロジェクト」をちゃんと演出してやろうかと思っていたのである。ところが前述のように、讃岐うどんの起源としての「こんとん」は「はくたく説」も含めてどうもこれだ、と確定するのが難しい。というか、見た人もいないし文献も見当たらないからちょっと無理か。しかし空海。そして「こんとん」…。何とかおもしろいことはできないかと頭の中をぐるぐる回していた五月のある日、ハタと考えついたのがこれである。「平成のこんとん」創作プロジェクト(笑)。空海が伝えたであろう「こんとん」は再現しない。「こんとん」を伝えたと言われる空海の意志を継いで(どんな意志かわからんが)、平成の時代に新しい「こんとん」を創出するというプロジェクトである。

 空海であるから善通寺発信であること、平成の新しい「こんとん」を生み出すのであるから若手で取り組むこと、お遊び企画であるからノリのいいお笑い系のスタッフで取り組むこと、という条件を勝手に決めて、プロジェクトチームは善通寺のお笑い系若手うどん屋大将とその仲間たちで結成することにした。メンバーは、善通寺市の清水屋の大将清水睦夫くん(趣味・書けない)、同じく善通寺市の白川うどんの大将山下輝雄くん(趣味・アームレスリング)、山本町のSIRAKAWAの大将白川陽一くん(好きなお菓子・ポテチ)、上戸うどんの大将上戸輝行くん(奥さんきれい)の若手四天王に、揚げ物担当として琴平町のあのゲソ天の藤原屋の藤原紹宏くん(趣味・野球。店で天ぷらを揚げた後、野球でフライを上げに行く)と、仲間入り希望の他一名(特技・キレの悪いギャグ)。これをサポートする事務方は麺通団メンバーと四国学院大学の有志学生たちである。「平成のこんとん」は今、「ゆでこんとん」「焼きこんとん」「揚げこんとん」の三方向で先月から研究試作を進めていて、先日は白川くんがむちゃくちゃうまい「焼きこんとん」を編み出した。さらに試作を進めて十月二十八日から三日間、四国学院大学大学祭のデモンストレーションコーナー「平成こんとん食堂」で発表しますので、ぜひお越し下さい。
(四国学院大学カルチュラル・マネジメント学科教授)

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(H谷川君のツッコミ)「論点香川」のコラムにこんなお笑いメンバーの紹介の仕方、ええんですか!
2005年7月20日(水)

 前半戦の最後7試合で3回完封負けという、暗雲立ちこめる終わり方をした阪神(笑)。前半最終戦の今日、また福原、援護なしの完封負けだ。今シーズン、阪神の完封負けはここまで6試合あるが、ご覧下さい。

4/20 福原 0-9 (巨人)
5/10 福原 0-3 (ロッテ)
5/31 杉山 0-2 (ソフトバンク)
7/13 福原 0-1 (ヤクルト)
7/17 安藤 0-1 (広島)
7/20 福原 0-1 (横浜)

 この“福原密度”の濃さ(笑)。しかも福原は2試合連続援護なしで、こないだ記録したばかりの「20イニング連続援護なし」に迫る「15イニング連続援護なし」で継続中。誠に遺憾、気の毒としか言いようがない。ちなみに「遺憾です」というのは本来「お気の毒様です」という意味で、不祥事を起こした政治家や社長が「誠に遺憾であります」とか言ってるのはちっとも謝ってることにならないのであるが(以前勝谷さんも指摘してたように思うが)、マスコミは全然指摘しない。ま、いいけど。

 7連勝の中日が5ゲーム差に迫ってきたけど、“屈折した真の阪神ファン”は2位とのゲーム差より、巨人とのゲーム差13を見て安心している(笑)。もちろん優勝以上の喜びはないが、正調阪神ファンにとって永遠の敵は巨人なのである。

 昔、ルーズソックスが激流行していた時に「TJ Kagawa」で「女子高校生のルーズソックス着用率・都市間比較調査」をやったことがある。その時の結果は、

東京 49%(水道橋駅前で登下校時に400人調査)
広島 70%(パルコ前で400人調査)
高松 89%(瓦町駅前で400人調査)
大阪 14%(梅田で400人調査)

 パーセンテージは正確に覚えてないが、だいたいこんな結果になった。で、「中途半端な田舎都市ほど着用率が高い」という分析をしたが、どうにも理解不能だったのが大阪の異常な低さ。そこで大阪のトレンドウォッチャーとして当時特異な才能を持っていた企画会社の小田さん(若くして故人となったが)に分析してもらったら、「大阪の子は、潜在意識の中に東京文化圏に対する意地がある。“東京で流行ったものはマネしない”という意地がこの結果になっているとしか思えない」との回答を得た。正調阪神ファンの底に流れるものと同じである。

 未だに記憶に残る甲子園の高校野球の「星稜VS箕島」のあの延長の名勝負。延長12回の表に星稜が1点を取った裏、2アウトランナーなしから箕島が同点ホームランで追いつき、さらに延長16回表にまた星稜が1点を勝ち越したその裏、2アウトランナーなしから箕島の最後のバッターがファーストファールフライを打ち上げて「万事休す!」と誰もが思った瞬間、星稜のファーストが人工芝の切れ目に足を引っかけて転倒して打球がファールになって、その後バッターが奇跡の同点ホームランを打って、ついに延長18回の裏に箕島がサヨナラ勝ちをした、あの名勝負。あの時、阪神ファンの間では、こういう話が語られていたのである。

 何であんな所(ファースト横のファールグラウンド)に人工芝を張ってあったのか。それは、当時の巨人のホームグラウンドであった後楽園球場が人工芝になって、阪神が巨人対策としてそこに一部だけ人工芝を張って練習していたからである。ということは、巨人が後楽園を人工芝にしなければ、あそこに人工芝部分ができることはなかった。つまり、星稜が負けたのは巨人のせいだ(笑)。

 楽しいなあ、阪神ファンは(笑)。 
2005年7月18日(月)

 ちょっと油断していたら、20日締め切りの原稿2本が迫ってきていた。朝から原稿の構想に取りかかったがなかなか進まず、気分転換に夕方5時半から峰山に登ることにする。また薄暗くなってから墓地にさしかかったらいかんので(笑)、今日は展望台までの最短距離の登山道(ちょっと急な獣道)を上がることにした。

 ビー・クォーター飲んで家から約20分で登り口に入り、土と木の根っ子と石や岩ばかりの急な道を、汗だくで息が上がって足の筋肉には乳酸が満杯状態で死にそうになりながら、一歩ずつ一歩ずつ(ま、たいてい一歩ずつだが)。10分くらい登ったところでどうにも足が上がらなくなって数分休憩し、また気力と体力を振り絞って登り始めて数分、もう少しで最後のやや平坦な道に出る…と思った瞬間、上の方でガサッという音がした! こんな登山道にサイクリング部隊がいるはずがない(おるか!)と思いながら近づいていくと(ま、一本道なので近づかざるを得ないが)、帽子をかぶったおっちゃんが一人、犬を連れて立っていた。「誰もいないこんな時間にこんな急な山道を、犬と一緒に上がってきたんか!」と思って「お疲れさまです」と声をかけて通り過ぎようとした時、あれ? どこかで見た顔やぞ? あー!

田尾「真鍋知事やないですか!」
知事「あら田尾さん」
田尾「知事が時々ここを登ってるいうのは聞いたことあるんですけど」
知事「田尾さんもよう来るんですか?」
田尾「ここ1カ月ぐらい、ダイエットで(笑)」

 ちょっと立ち話をして、「ほな、上まで行って来ます」言うて、私は知事を後にして展望台まで一気に上がって、汗だくになって息を整えながら瀬戸内海と高松市街地の景色を見ていた。しばらくすると下からサクサクという軽快な足音とともに、誰かかが展望台に上がってきた。まさか知事があそこからこんなに早く来られるはずはない…と思っていたら、知事が現れたやないの。

田尾「早いですねえ!」
知事「いや、田尾さんも早い。僕はたいてい登りよる人を追い抜くんですけど、田尾さん追いつけなんだ(笑)」
田尾「痩せないかんので必死で歩いてましたから(笑)。医者に脂肪肝や言われましたから」
知事「脂肪肝はお酒やめたら治りますよ」
田尾「僕、酒飲まんのです」
知事「飲まんのですか。あらー」

 それから瀬戸内海の眺望のことや峰山の登山道のことやいろいろ話をしていたのだが、知事、峰山のハイキングコースから獣道までめちゃめちゃ詳しい。中腹から尾根まで、ほとんどあらゆる所を歩いたらしい。山道をかき分けてどんどん進んでいって道がなくなったことも何度もあるらしい(笑)。もうプロのトザンヤー、違うな、サンポヤー、ケモノミチャー、違うな、ハイキンガー、あ、ハイカーでええんか。

 今度は知事が先に下山を始めて、私はまだ足に力が回復してなかったのでしばらく休憩して、帰りはゆるい車道を通って下り始めた。西の空を見ると、今日は夕焼けもなかなかのものだ。30分くらい下りると景色が開けて、眼下に高松市内が広がった。おー、もうちらほらとネオンがつき始めている。あかんがな! 薄暗い中、お墓エリアに差しかかるがな!
2005年7月16日(土)

 母校の観音寺一高の同窓会仁尾支部の総会で講演を頼まれて、行ったら同級生のススム(仁尾でみかん農園をやっている。私の中では日本で一番うまいみかんを作る)が来とった。夜6時半から1時間くらいの講演の後の懇親会で久しぶりにススムと話す。

スス「わっしゃ同窓会やいっぺんも来たことなかったんじゃ」
田尾「初めてか」
スス「おー。案内が来たの見てのー、嫁はんが“田尾が来る”言うて見せるきん来たんじゃが」
田尾「すまんのー、わざわざ」
スス「お前、今日はええ話したぞ」
田尾「ほんまかー」
スス「長船にも言うてやらい」

 と言ってススムが長船(同級生。観音寺在住の遊び仲間の親分)に電話をしたら、観音寺で飲んでいるので出てこいという話になって、夜9時半頃観音寺の料理屋で口の悪い親友が3人集合。すっかりできあがっていた長船は、カウンターの中の女将さんを巻き込んで絶好調だ。

長船「(私を指差して)おかあさん(女将さん)、これ知っとるやろ? 田尾」
女将「テレビでな、時々見る」
長船「今は大学の先生やきんな。(ススムを指差して)こいつは知らんわな」
女将「こちらは初めてかな?」
長船「こいつ、お百姓さん」
スス「どんな紹介の仕方じゃ!」
長船「田尾はプロフェッサーやきんな。プロフェッサー。こいつはファーマー(爆笑)」

 口が悪いけどみんな親友だ(笑)。

スス「わっしゃもう、早よリタイアしたいが。リタイアの条件はほとんど全部揃とんやけどの、ゼニだけが揃とらんのじゃが」
女将「みんなそうやな(笑)」
長船「お前は中学校出た時にもうリタイアしとるがい」
スス「何でじゃ」
田尾「ススムお前、子どもがしまいついとんやったらもうええやんか。俺や、今年から2人が大学やぞ。すぐに文無しになるが」
女将「田尾さんお子さんは男? 女?」
田尾「上が男で5月生まれ。下が女で3月3日生まれ」
女将「それうまいことできたなあ」
田尾「うちの父ちゃん、もう死んだけど昭和3年3月30日生まれ」
長船「うちの嫁はん、昭和33年3月3日生まれや」
女将「まあ、3ばっかりや(笑)」
スス「わっしゃ親どころか、嫁はんの誕生日も知らんが」
長船「お前自分の誕生日も知らんやないか」
スス「わし、なんぼになったんかも知らんがい」
田尾「みんな49か50じゃ」
長船「田尾、いかんいかん。こいつ6つ以上よう数えんきん。指が足らんきん(笑)。おかあさん、こいつな、そこらのおっさんが年金もらいよるいうの聞いてこないだ役場に行って“わしにも年金くれ”言うて、“あんたまだ早い”言われたんやで(爆笑)。ほんだら“何でや、みんなもらいよるがい”言うて(笑)」

 高校の2年3組の時の仲間。親分長船の周りにはススムやテツやポン吉や、みんな名の知れた大学を出て四国に帰って相変わらずバカ話をする仲間のままでいる。私は高松にいるのでそうそう彼らと会う機会もないのだが、もし観音寺周辺にいたらネタが10倍ぐらい増えていたに違いない。帰り際に長船が、東京にいる息子(長船の)に電話をした。

長船「今のー、お前の尊敬する田尾のおっちゃんと、ススムのおっちゃんがおるんや。どっちと話する? おー、ちょっと替わるわ。田尾、俺の息子や」
スス「わしでないんかい!」
田尾「ま、ススムでなくて俺を取ったんは賢明な選択や。何しよんや。もう卒業か?」
息子「いや、あと1年半ぐらい」
田尾「え? まだ3年か」
息子「4年ですけど、ちょっと(笑)」
田尾「何や、5年制の大学か」
長船「詫間電波かい!(笑)。ええけん何かちょっとアドバイスしてやってくれ」
田尾「アドバイスかー。上を見て頑張るより下を見て安心した方が楽やぞ」
息子「あっはっは」
田尾「若いうちの苦労は、年取ってこたえるとか」
長船「なんちゅうアドバイスや!」
2005年7月12日(火)

 午後6時、微妙な時間に家に帰った。何が微妙かというとですねー。

 私のウォーキングコースは、大きく分けると「峰山に上がる」か「平地を歩く」かどちらかなのであるが、基本的に「土日の朝とか明るいうちに歩ける時は峰山、夜歩く時は高松市内のサンポート方面とか栗林公園方面とか郷東川方面の平地」というパターン。峰山の方が負荷がかかる(頂上の展望台まで緩い上り坂を歩き続けて1時間)のでより効果的なのだが、なぜ夜はダメかというと、怖いんだもん(笑)。だって、上り坂にかかったあたりから約10分間、ずーっと横が墓地なんだぞ。

 で、今日は夕方6時。何が微妙かというと、展望台に着く頃には7時になってまだ明るいが、帰り道、どんどん下りてきて7時半を過ぎたあたりから墓地にさしかかるのだ。もし頂上で疲れて一服しようものなら、帰りの墓地あたりで8時頃になって、怖いがな。

 ビー・クォーター飲んで10分くらい葛藤した私は、しかし10キロ減という目標が見えてきたこともあって、意を決して峰山コースに出発したのである。一心不乱に、たぶん時速7キロくらいのハイペースで登山を開始した私は、汗だくになりながら1時間歩いて7時10分、山頂の展望台に到着した。今日は雨のあとで風も吹いてガスが飛んで、夕日が沈みかけた瀬戸内海の眺望もなかなかのもの。しかし長居はできない。早よ山を下りないと、墓地のあたりで薄暗くなってしまう。5分くらいの休憩で、私は山を下り始めた。空はまだ明るいのだが、山道の木が茂ったあたりにさしかかるとさすがにちょっと薄暗くなる。少し早足になって木立を抜けようとしたその時、突然後ろから大きな声がした。

「歩行者ー!」

 ビクッとしたら、続いて「歩行者!」「歩行者!」「歩行者ー!」という声とともに、私の横をヘルメットかぶった6〜7人の自転車軍団が追い抜いていった。何じゃ今のは! しばらくすると、カーブの向こうに消えた自転車軍団からまた声が聞こえてきた。

「車ー!」
「車!」
「車!」

 しばらくして、私の前方から車が上がってきた。なるほどー。そういうことか。あの自転車軍団はどこかのサイクリング部みたいな軍団で、安全のため、先頭が車や歩行者を発見すると後続に声で知らせているのに違いない。しかし歩いている方にしたら、音もなく後ろから近づいてきて突然「歩行者!」言われるんやから、息が止まりそうになる。しかも続けて何人もに追い抜かれるたびに「歩行者!」「歩行者!」言われるもんだから、歩いてる方が実に気まずいのよ。

 気を取り直して10分くらい歩いたら、峰山公園に差しかかった。7時に駐車場が閉まることもあって、さすがにこの時間になると誰もいない。道を歩いているのも私だけ。ヘビが出てこないかと注意しながら歩いていたら、突然後ろから大声がした。

「歩行者ー!」
「歩行者ー!」
「歩行者!」
「歩行者ー!」

 まだおったんかい! 今度も6〜7人のヘルメットサイクリング部隊。びっくりするんじゃ! ほんまに。空を見るともうすっかり日は落ちて、予想外に山の夕暮れは早い。再び早足になって山道を下る。小さな池の横を通ると、ジャバ! ビクッとしたら、どうやらデカいカエルがこっちの足音に驚いて飛び込んだらしい。お前よりこっちが驚いとるんじゃ! と心の中でツッコミを入れながら息を整えていたら、いつの間に近づいてきたのか後ろで

「歩行者!」
「歩行者!」
「オーケー!」
「確認ー!」

 こっちは確認しとらんっちゅうねん! というか、何組おるんじゃ! と思う間もなく次の軍団が下りてきてまた

「歩行者ー!」
「歩行者ー!」
「歩行者!」
「歩行者ー!」
「歩行者!」

 もうええけん。俺、歩行者やから、もうええけんこらえてくれ。計4組。総勢20数人がサイクリングか何かで峰山に上がって、下りてきていたらしい。もうビクつくのにも慣れて、私は黙々と山道を下り続けた。
「ワウ!ワウ!ワオ〜ン」
山のどこかで野犬まで吠え始めた。山の間からちょっと視野が開けたら、向こうに見える高松市街はもうネオンや灯りがともり始めていた。夕暮れから、夜に入りかけた頃、ついに墓地エリアに差しかかった。民家も見えるが、道には人っ子一人歩いていない。墓石の下からどなたもお出になりませんように…と祈りながら、夕闇迫る墓地の横をひたすら地面を見つめつつ、私は歩きに歩いた。ところが、10分近く歩き続けてついに墓地エリアを抜けると思った瞬間!

「歩行者!」
「歩行者!」
「歩行者!」

 5組目の軍団が通過した。飛び上がったやんか! もう峰山は朝しか行かん!
2005年7月11日(月)

 こないだからちらつかせている「極秘プロジェクト」って何や、という声が私の周りからちらちら聞こえてくるのであるが、ま、大したことないお遊び企画であるとだけ言っておいて、情報を抑えている理由を書いておきます。実は、悪意を持って妨害されるのがイヤなんです。

 2000年の3月下旬、3月25日にTJ Kagawaの4月号が発売されたばかりのある日のことである。この年の4月号は、あの「第1回讃岐うどん巡礼88カ所」企画のスタートの号で、綴じ込みのうどん88カ所マップがついた特別号であった。そこへ、会社に「社長(私)と話がしたい」という電話がかかってきたのである。私が電話を替わると、先方は丸亀の某料理屋であると名乗った。電話の内容はこうである。

「おたくが今月の本で“讃岐うどん巡礼88カ所”とかいう企画をしているが、その企画については私が知的所有権を持っている。どうしてくれるのか。直ちに本を回収して企画をやめるか、それができないのなら何らかの誠意を見せてほしい」

 その口調は、明らかに恐喝まがいであった。「讃岐うどん巡礼88カ所」企画は1999年の5月頃に私と知将A藤とキリンビールのK部長と3人で晩飯を食ってた時に雑談の中から出てきた企画で、確かそれまでどこも同じことをやったところはなく、というか根本的にみんなでおもしろがるというお遊び企画であったため、知的所有権等には頭も行っていなかったのである。もし何か法的なものに違反しているのであれば私はいつでも法に従うという生き様であるので、とりあえずどういう所有権なのかを尋ねると、先方はその権利証みたいなものをFAXで送るから、それを見てどうしてくれるのか返事しろと言った。

 送られてきた書面を見ると、それは通常の商標登録証とは全然違う、何か手書きでアイデアだけを書いたものに聞いたことのない知的所有権の協会みたいな所の認証が入った紙だった。さらに認証されたという日付を見ると、明らかにTJ Kagawaで企画の告知をした後に申請したものである。あまりにうさんくさいので、私はすぐに先方に電話を入れ、「法的なことはよくわからないので、弁護士に相談して判断してもらいます。もし私どもの企画がそちらの知的所有権を侵害しているという判断が出れば、判断に則ってきちんと対処いたしますので」と返事して、知人の弁護士に相談に行った。そしたら弁護士はその権利証みたいなのを見てちょっと調べて言った。

弁護士「こんな協会はありませんね。というか、この程度の思いつきレベルのものを所有権で囲えるという事例はありません。日付等を見ても、おそらくこれは悪意を持った恐喝の一種でしょう。私が先方に行って話をつけてきます」

 頼もしいなあ(笑)。数日後、弁護士の方は先方と直接会って、あっという間にカタをつけてくれました。料理はうまいのかどうか知らないが心根は最低のその店、名前は伏せておくが今も平然と営業をしている。私は基本的にかなり無邪気に人を信用するタイプなのだが、私らのビジネスではなくお遊びまで付け入ろうとする悪意が世の中にあるということは、忘れてはいない。そういうことがあったので、いろんな防衛体制(笑)が整うまで発表を控えているのである。あー、書いててまた腹が立ってきた。

 夜、久しぶりに映画を見に行こうと思って、9時半頃の上映開始に先立って家内と8時頃にアップタウンに行ったら、健康志向中の牛乳屋さんが野菜ジュースを飲んでいた。

田尾「9時半から“宇宙戦争”見に行こう思いよんですけど、あれどんなんです?」
牛乳「あれ行くんかい。私はもう見てきたけど」
田尾「ちょっと、その口振りはハズレっぽいやないですか」
牛乳「ハズレとは言うとらんけどな。なんせスピルバーグやからな」
田尾「そうですよね、スピルバーグですからね。ジョーズですよ。未知との遭遇にインディージョーンズにETですからね。もう当たりばっかりですよ」
牛乳「今まではな」
田尾「どうなんですか! そこいらの三流B級映画よりおもろいんでしょ?」
牛乳「あんた、スピルバーグをバカにしたらいかんがな」
田尾「トレマーズとどっち?」
牛乳「ギク…」
田尾「そんなもんでギクですか!」

 それから例によって“ない話”に突入。

田尾「スターウォーズのR2D2にも人が入っとんですね」
W部「ほんまですか!」
牛乳「ほな、あの頭がぐるぐる回るんはどないしよんかな」
田尾「そらもう、オーディションで頭がぐるぐる回るやつを選んでるんですよ」
牛乳「C3POは頭ちぎれたりするやんか」
田尾「オーディションの面接で“頭ちぎれるシーンがありますが大丈夫ですか?”いうて聞かれてますよ」
牛乳「スターウォーズに出られるとなったら、そんなもん我慢できるわな」
W部「できるかい!」

 バカ話を約1時間。レイトショーで「宇宙戦争」見てきました(笑)。
2005年7月10日(日)

 今日は夜が遅くなることが予想されるため、早朝から峰山に上がって(もうええっちゅうに)、10時に豊浜町役場へ。旧知の建築家の多田さんに強引に誘われて、何かまちづくりのシンポジウムにパネリストで参加するハメ、いや、参加させていただくことになりました。

 午前中は雨の中、豊浜町内を車でいろいろ案内されたあと、うどん屋で昼食をとって、午後1時半からシンポジウム開始。3時頃からパネルディスカッションに入って、まちづくりについての所見を求められたので、私はいきなり悪役を買って出て、かねてから思っていたことを言った。

 これまで10年以上にわたっていろんな所の「まちづくり」とやらの会やシンポジウムに呼ばれてきたが、今までただの一度も、まちづくりの“具体的な”目的や目標を見たことがない。「目標」と称して掲げられたもののほとんどが「豊かな○○を目指す」とか「いきいきとした○○」とか「活力ある」とか「人にやさしい」とか「住みよいまちづくり」とか、情緒的で抽象的なものばかり。そういうのは「目標」とも「目的」とも言わない。ただのスローガンである。会社で言えば「経営理念」だ。

 例えば食品会社でよく「豊かな食文化を通じて社会に貢献する」みたいな経営理念が掲げられている。しかし、その理念を「目標」として戦略を立てると、「豊かな食文化を実現するために最も有効な手段は何か?」「社会に貢献するために最も有効な手段は何か?」というあまりに漠然とした戦略設定になって、何をすればいいのかわけがわからなくなる。そもそも「豊かな食文化」も「社会に貢献」も、具体的に何を指すのか定義さえないのだから、戦略の立てようがないのである。
 従ってこの仮の食品会社では、経営理念の元で「利益を上げる」という具体的な「目標」を掲げる。目標がそういう具体的なものになると、「利益を上げるために最も有効な手段は何か?」という具体的な戦略論に入っていける。その時、「利益を上げるためなら何をしてもいいのか?」というモラルハザードに陥らないようにするため、戦略ごとに「経営理念」に照らし合わせてチェックするのである。経営理念と目標はそういう関係だと私は思っている。

 しかし私がこれまで目にしてきた「まちづくり」なる活動は、ほとんど例外なく「経営理念」だけで活動しようとしている。具体的な目標がないのである。例えば、「豊かな」とは、何をもって豊かとするのか? どうなったら「豊かになった」とするのか? どういう状態になったら「いきいきとした街」と呼ぶのか? 何がどうなったら「活力ある街になった」と判断するのか? 「住みよい」とはどういう状態なのか? 誰にとって住みよい街を目指すのか? 高齢者に住みよい街と、働き盛りの30代40代にとって住みよい街と、子どもにとって住みよい街と、「生活する」という現実を考えるだけでもたぶんそれぞれ違うと思うが、一体何を目指すのか? 「きれいな街」になったら、働く場もない貧乏な場所でも「住みよい街になった」とするのか? 

 あるいはそれ以前に、何のために「まちづくり」なるものをしなければならないのか? 何に困っているのか? それは本当に困っているのか? あるいはその「まちづくり」とやらは、自分が生きているうちに自分がもっといい目をするというのが目的なのか? それとも自分が死んだあとの子孫にいい目をしてもらうためにやるのか? もし子孫のためなら、今自分たちの考えている「いい街」は、はたしてまだ見ぬ子孫も「いい街」だと言ってくれるのか? そういうところからちょっと考え直してみた方がいいのではないかと思う。

 情緒的な目標を掲げたら、目標が達成されたかどうかを判断する物差しがなくなる。あるいは具体的な目標がないと、戦略(目標を達成するのに最も有効な手段)さえ出てこないというのがビジネスの世界では常識なのであるが、そんな基本的なことがまるで抜けているのである。

 余談ですが、シンポジウム参加のお土産にと、若手の農家の青年から「めちゃめちゃうまい」と言ってナスを一箱もらいました。シンポジウム後の懇親会で彼にお礼を言ったあと、こんな話をしました。

田尾「帰ってこのナスを食べてめちゃめちゃうまかったとするやん。そしたら俺、またこのナスを買おうと思うやん。ところが、どこで買うたらええかわからん。農産物のPR戦略って、ほとんどがそうなんや。家電製品も車も食品も何もかも、たいていの商品のPR戦略は、消費者に“どこで買えるか情報”がくっついてる。けど農産物ってその情報がほとんど流れてないやろ? このナス、どこで買えるんや?」

 彼は自分のナスがどこで買えるか、具体的な店の名前を知らなかった。当面の納入先はJAかもしれないが、納めたナスをJAの人が食べるのではない。客が買って食べるのだから、客に情報を提供しないといけない。方法はいくつもある。「自分の作ったナスの売上を伸ばす」という具体的な目的を決めれば、戦略はきっと具体的に出てくるのである。
2005年7月9日(土)

 助手の真鍋から「最近日記がダイエットレポートみたいになってますよ」とか言われたのであるが、まあ真鍋ごときの意見だからとほったらかしにしていたら、木曜日に香川に来た勝谷さんからも同じようなことを言われたのでは仕方がない。しばらくレポートは休んで、1カ月後くらいに突然10キロ減ぐらいで再登場することにしよう。

 今日は夜が遅くなることが確定的なので早朝に峰山に登って(レポートしとるがな)、昼から日清冷凍食品で発想力開発とマーケティングの講義を特に笑いどころもなく1時間半ずつ、計3時間少々。さすがにちょっと声が枯れかけた。いや、「ここは笑うとこやで」みたいな所は数カ所あったのだが、あとで聞いたら「一応勉強会なので笑っていいのかどうかわからずに笑いをかみ殺してた」という人が何人かいたらしい。講演や講義、やるたびに私も勉強になります。何の勉強や。

 夜は山本町のお笑い白川くんの店(SIRAKAWA)に極秘メンバーが集合して、極秘プロジェクトの3回目の寄り合いを開催した。申し訳ないが(誰にや)、まだ内容は書けない。7月17日(日)の四国新聞の「論点香川」で概要をバラすので、その後は日記で小ネタも解禁することにする。「パン屋さん事件」とか「細切り○○○○事件」とか、天むすに続く衝撃の新作おむすび「ガモむす」事件とか(笑)。事件ではないか。何か本筋の話より脇道の小ネタの方が充実してるプロジェクトですが(笑)。

2005年7月4日(月)
 今日は終日雨の中のロケ。高松駅からロケバスで満濃池に行って、雨の満濃池と雨のほたる見公園。雨のかりん亭でヤーコンうどん2杯も食って、雨の仲南町のひまわり畑から雨の四国ニュージーランド村でずぶぬれのヒツジにエサをやってバター作って、雨の道の駅経由で最後は雨のやまうちうどんでひやひやと湯だめを食べて、生活習慣病撲滅月間にうどん4杯だ。

 道中、大きな小ネタ(どっちや)もなく、小さな小ネタとしては道の駅にあった中讃エリアの「グリーンツーリズム」と題したカラーパンフレットに、いきなり「Green Toorism」と書いてあったことかな。中を開くとちょっとカッコつけてさらに大きく「Green Toorism」の文字。ツーリズムってツアー(Tour)だから「Tourism」だと思うんですが、何か造語なんかな(笑)。

 帰ったら、麺通団の知将A藤からメールが来てた。無断要約転載すると、何でも6月から管理栄養士なる方とダイエットアドバイス契約なるものを締結して、厳しいカロリー管理の元、1カ月で3.5キロ減量したらしい。目標は9月まで3カ月で15キロ減というから、楽天がオールスターまでに5割を目標にするぐらい大変なものだ。

A藤「全部勝っても5割にならんがな!」

 ちなみにA藤によると「食事量を減したのでビタミンが不足して口内炎になりました(笑)」って。しかしお互いに歳やなあ(笑)。苦労するなあ。俺、今日うどん4玉食ったから夜中の11時前から歩きに出て、ものすごい早足で1時間20分歩いて帰って体重測ったら、ついにスタートから24日目で5キロ減じゃ! 標準体重まであと6キロ。A藤のメールに「今度会ったら僕とはわからんよ」と書いてあったが、言うとくけど俺も9月になったら俺とはわからんよ。待てよ? ということは、お互い誰だかわからんようになるんか。何で本人であることを確認したらええんや(笑)。
2005年7月3日(日)

 バブルの時代に皮下脂肪もバブルになったお父さん方に朗報です。生活習慣病撲滅ウォーキング22日目の今日、スタートから体重が4.5キロ落ちました。それもちゃんとメシ食いながら。金曜日はお笑い助手真鍋とお笑い学生大西、福田、前田、重谷を連れて中華食ったし、土曜日は丸亀のやす坊で肉ごぼううどん食ったし、その晩は遊ゼミで野菜料理に焼き魚に刺身にトウモロコシに黄粉と砂糖をまぶしたデカイわらびもちも食ったのに、今日の夜、ウォーキングから帰って体重測ったらこれです。………病気やろか。

 確かに食事は少し量を抑えて炭水化物と脂も少し減らしたが、理論は非常にシンプル。バカ食いせずに、運動する。それを継続する。ま、当たり前やけど、やってみると改めて納得するなあ。

今日は朝から講演を一本。「第31回全国身体障害者福祉医療講習会・第11回補聴器キーパーソン全国会議」という、誰が見ても「何で俺?」という特別講演だ。しかも2日間にわたるプログラムを見ると、
講演1 香川県の障害福祉について
講演2 障害者のための活動団体の紹介
講演3 口蓋裂と耳鼻咽喉科疾患
講演4 補聴器専門講座
講演5 身体障害者福祉法の診断書作成
講演6 耳鼻咽喉科医の「新生児聴覚検査」における役割とその限界
特別講演 讃岐うどんブームのプロモーション

 何じゃ、最後のは(笑)。主催者の方に聞くと「全国から来られますので、香川らしい講演ということで讃岐うどんをテーマに。たぶん皆さん、固い内容続きで頭が凝り固まってますので、最後にほぐしていただいて(笑)」って。とりあえず前半はデータも交えながら小ネタを繰り出してドッカンドッカン笑っていただきまして、後半はブームの背景にある世代間の価値観の落差を指摘して、ぐっとつかんでビシッと終わりました。

 明日は香川県の観光PR番組のロケ。私にとっては観光マネジメントのフィールドワークの意味合いもある。メモ持って、RSKの中村さんと仲南町周辺を徘徊します。
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