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2005年09月の日記
2005年9月29日(木)

 朝から「讃岐うどんワールド」のロケで直島へ。いつもの天然中村レポーターとカメラクルーとディレクターと県の担当の方と6人で、ベネッセハウス、家プロジェクト、山本うどん、007記念館、カフェまるや等を回って来ました。

 ベネッセハウスに入ったのは10数年ぶり。初めて行ったのはベネッセハウスがオープンして間もない頃、ある病院の院長夫人が知人たちを集めて行った「古沢巌バイオリンコンサート」で司会を頼まれた時だ。「何で私?」(笑)。およそハイソサエティな場に似つかわしくない、さらにクラシックとも全く接点のない私に何でそんな依頼が来たのかというと、その院長夫人曰く、「恐るべきさぬきうどん」の本を読んで「今度の司会はこの人しかいない!」と思ったからだそうだ。うーむ、理由を聞いてもよくわからん。

 結局「楽しい集いにしたい」と強く頼み込まれてお受けして、夜、チャーター船で直島に運ばれてハイソな方々が50人くらいだったかお集まりの前で小ネタを織り交ぜながら司会をして、さらにステージでバイオリニストの古沢巌さんも笑わして帰った記憶がある。

 ちなみにこの日、ベネッセハウスと家プロジェクトは相変わらずマスコミ取材に厳しくて、これが映ってはいけない、あれが映ってはいけないという制約だらけで、たぶんオンエアは資料映像と外観ばっかりになると思いますがご勘弁ください。

 続いてカフェまるやの隣にあるショップで、おばちゃん軍団にとっつかまる。

おば「あらー、あんた、テレビで見たんとそっくりやなあ」

 いや、そっくりと言われても、本人やし(笑)。

 高松に帰って夜、五右衛門(フェリー通りに近い方)で本日の撮影は終了しました。店長からの最新情報によると、まもなく五右衛門のカレーうどんがカップ麺になって発売されます。麺はゆで麺を真空パックしたみたいな、いわゆるLL(ロングライフ)麺だと思われますが、なんせルーは五右衛門のカレーうどんのルーですから。

 家に帰ったら、さすがに歩き過ぎて足首の奥の方が何か泡立って来とる。大丈夫かなあ、明日また取材に出かけないかんし。
2005年9月28日(水)

 午前中打ち合わせを一件終えて、授業計画作成のために高松市図書館に行く。だいぶ歩けるようになったが、まだ足首の芯のあたりに一歩ごとに小さい痛みがある。明日は直島のロケでかなり歩くことが予想されるので今日は無理しない方がいいのだが、迫り来る後期授業開始のため、ゆっくりしとる場合でないのだ。

 ところが、図書館に行ってみたら、必要とする資料関係は全部貸し出し禁止で、仕方なく細かい資料の数字をノートに写しにかかっていたら、ふと奥付を見たらこの辺の資料や白書関係を「官報販売所」なるところで売っているという表記を見つけたのである。電話して場所を聞いたら、高松高校のナナメ向かいのマコーズベーグルカフェの数軒北にあるというので、ワタクシ初めて官報販売所に入りました。

 いやー、専門資料があんなに並んでいるとは知りませんでした。特に各種白書やデータ集、資料集がかなり豊富です。あの狭い店で1時間近く過ごしました。しかもその官報販売所のご主人の奥さんが高校の時の同級生だったことまで判明して(笑)。

 私は文化系の人間であるが、データは大好きなのである。データを分析した評論みたいな本はいらない。素材のデータだけを手に入れて、いろんな切り口で独自に集計し直したり、ビジュアル(グラフ等)にして自分なりに傾向なんかを分析したりするのが好きなのである。そんなんをやってると、以前ここにも書いたように「香川県に来てこんぴらさんも栗林公園も屋島も小豆島も行かずに帰る人が10年来増え続けて、ついに2004年にはそういう人が260万人にも達した」とかいう興味深い傾向が発見されたりする。

 結構素人レベルでおもろいっすよ。観光マネジメントの資料を漁ってるんでそっち方面の話になりますが、初歩的な「観光客入り込み数」のデータだけでも、例えば四国4県で一番観光地のイメージの強い高知県が年間500万人くらいの入り込み数なのに、香川が800万人だったり、じゃ、沖縄なんかどれぐらいすごいんだろうと思ったら沖縄も500万人くらいだったり、別のところから「エジプトのピラミッド観光の客は年間150万人」という数字が出てきて目が点になったり、あのハワイが年間観光客入り込み数600万人台だったり、「世界の観光地ってそんなもんか?」と思ってラスベガスを調べたら年間3000万人と桁違いだったり。

 さらに調べると資料によって全然数字が違ってて、観光客入り込み数ってほんとに数えられるのか? という根本的な疑問に突き当たるし。ちなみに私は、毎年行われているある大きなイベントの観客動員数が、3〜4人の担当者によって「今年、何人にする?」と言って毎年決められているのを知っています(笑)。ま、一般の人には別にいいんですけどね。でも分析しようと思ったら、適当なデータをもとにしたらまるで的はずれな評論をしてしまうことになるから気をつけないと。

 官報販売所から出て歩いていたら、道ばたで全然知らんおばちゃんから声を掛けられました。

おば「あれ? あんたねんざはもう治ったんな?」

 どこから情報が漏れとんや!(笑)
2005年9月27日(火)

 今日は徳島の川島高校からの依頼で、朝10時50分から出張講義を2本やることになっているため、朝8時過ぎにボルボ13号で一路徳島に向けて出発した。

 現地までの所要時間がわからないのだが、まあ2時間もあれば大丈夫だろうと思って塩江を越えてどんどん南へ走って、脇町のインターから高速に乗って土成インターで下りて、さらに南に向かって吉野川を渡って突き当たって西に折れてしばらく走ったら川島高校の看板が出てて、時計を見たらまだ9時半やがな。で、めったに来ない場所なのでその辺を車で探索した後、10時20分頃に川島高校の正門を車で入ったら駐車スペースがいっぱいで、運動場の方にもう一つ駐車場の表示が出ていたのでそっちに入って、正門までえらい離れたところからまだ完治していない足をひきずって7〜8分かけて構内の控え室にたどりついたら、講師の先生方が10人くらいいた。配られた実施要項を見ると、徳島大学、徳島文理大学、四国大学、みんな徳島の大学の先生ばかりで、私だけ香川からである。

 7月に徳島の城北高校に呼ばれた時と同じパターンである。高校が大学の先生たちを招いて、生徒に大学の模擬授業みたいなのを受けさせるというプログラムである。

 どういう段取りになっているのかというと、多くの大学で今、学生募集活動の一環として「出張講義」というものをやっていて、「うちの大学ではこういう先生方がこういう内容の出張講義をやっています」という案内パンフレットみたいなのをいろんな高校に配布している。高校側も授業に工夫をするためか、送られてきた大学の出張講義コンテンツを見て大学に日時と先生を指定して申し込みが来るという、双方のニーズが合致してこういう模擬授業が行われているのである。たぶん。で、私は毎年こういう出張講義の依頼が数回ずつ、大学を通じて来るのである。

 今日は私は「アイデアを生み出す手法」のダイジェスト講義を、生徒を入れ替えて50分ずつ2回やることになっていた。控え室での説明で、川島高校の担当の先生から「うちの学校はご覧のように田舎にありますから、生徒もどちらかというと内気でおとなしくて反応が悪いかもしれませんが、いろいろ刺激を与えてやってください」みたいな話があった。時間が来て教室に案内される。よりによってねんざ中の私が一番遠い、しかも4階の教室やがな。

 教室に入るとすでに生徒は全員席に着いていた。担任の先生に紹介された後、時間が短いのでツカミもそこそこに本題に入り、目を丸くして聞き入る生徒に(ま、自信のオリジナルプログラムやからね)次々と目からウロコが落ちるアイデア創出法を繰り出して、あっという間に50分の授業を終えた。もちろんプログラムを全部披露するには時間がとても足りないので「続きを聞きたかったら四国学院に入学してきなさい」言うてね(笑)。

 しかし内気だと言われていたが、かなりみんな食いついてきてるやんか、と思いながら、10分の休憩時間に控え室に帰ってまた4階まで上がってくるのは足に負担がかかるのでそのまま教室に残っていたら、次のクラスの生徒たちがぞろぞろと入ってきた。そのうちの前の方に座っていた女子生徒2人がこっちを見て、何か話している。この日、私は紫の入ったストライプのシャツの上のボタンを一つ外して、その上に黒のサマースーツを着ていたのだが、それを見て何か言っているらしい…と思ったら、女子生徒がこっちに向かって言った。

生徒「せんせー」
田尾「何や」
生徒「手品するん」
田尾「何でや」
生徒「なんか手品師みたいな服やしー」

 どこが内気な生徒や!(笑)

 2コマ、無事講義を終了しました。講義後、担当の喜枝(きし)先生が「恐るべきさぬきうどん」で讃岐うどん巡りにはまっていることが判明し、先生のたっての要望で車で20分ぐらい離れたところにある怪しい鉄工所の中のうどん屋「三木」に同行して、うどんを食って本にサインしてきました。

三木の大将「田尾さん、若いんですねえ」
田尾「もう49ですよ」
大将「本読んだら、なんか年配のおじさんかと思ってましたよ」

 何か以前にも誰かから、本を読んで年配かと思っていたと言われたことがあるぞ。ちなみに喜枝先生、この三木のうどん屋の立ち上げに関わった張本人だそうだ。いろんなところでつながるなあ。
2005年9月26日(月)

 朝から研究室でいくつもの事務処理を片づけ、授業準備の追い込みにかかる。後期の授業は10月3日(月)から。もう後がない上に、明日は徳島で出張授業が連続2本あるし、木、金は連続でテレビと雑誌のロケがあるし、土曜日は講演があるし、その間に打ち合わせごとがいくつも入っていて、どうも授業開始前日の10月2日(日)は8月31日の小学生状態になることが今から予想される。清水さんの天気予報より当たると思う。

 あーあ、結局頼まれた本の原稿は3本とも全然手をつけられずに夏休みが終わったなあ(笑)。いや、(笑)をつけてる場合じゃないけど。なんでこうなったんやろ?

 ねんざがいかんのじゃ!

 いや、ねんざのせいではないと思う。

 気分転換に牛乳屋さんらとバカ話しよったんがいかんのじゃ。土曜日の夜、アップタウンに行ったら久しぶりに正義の人くまさんが帰ってきてて、まっちゃんや酔っぱらいの細川もいて、細川が「自転車って、飲酒で運転したら捕まるんで」とか振ってくるもんだから、また“ない話”が始まる。

田尾「軽車両やからな」
牛乳「押して帰ったらかまんのやろ?」
田尾「ということは、車も押して帰ったら飲酒しててもオッケーなん?」
牛乳「今度押して帰ってみるか(笑)」
田尾「たしか馬も“軽車両”やったですよね」
牛乳「ほな馬も酒飲んで乗ったら飲酒運転や。犬はかまんのか? 酒飲んで犬の散歩は」
田尾「散歩はオッケーですよ。けど酒飲んで、犬に乗って帰ったら捕まる(笑)」

 20分、無駄な時間が経過する。

田尾「牛乳屋さん、くまさんのこと“くま公”って言いますやん。くまさんのおらんとこで」
牛乳「おるとこでも言うがい。あんたも言うがな」
田尾「僕はちゃんと敬称を付けて“くま公さん”って言いますよ」
くま「それは敬称か!」
田尾「けど“公”って、えらい人を敬うみたいな言葉でしょ? “水戸光圀公”とか言いますやん。徳川家康公とか」
牛乳「ほんだら“ポリ公”とか、あれは敬称なんや」
田尾「先公とか、アメ公とかイタ公も」
ねえ「ズベ公も?」
牛乳「今時言わんなあ(笑)」
田尾「忠犬ハチ公はどうなんですかね」

 20分、無駄な時間が過ぎる。人生49年、牛乳屋さんらと知り合ってからたぶん20年、そのうち無駄話の時間を全部集めたら、丸々1年ぐらいになりそうな気がする。

 ねんざ、まだ普通には歩けません。全治3週間のところ、今日が11日目。午後、教授会で研究室から会議室まで歩いていくのに、いつもなら1分のところを5分かかった。けどまあ、悪化してるわけではない。ちょっとずつ。
2005年9月22日(木)

 朝からメシも食わずに会議用の資料を作って、午後1時からの学科協議会を目指して大学に向かう。高速を通ったら12時20分に善通寺インターを降りたので、チャチャッとうどんを食って行けると思ったのだが、なんせねんざ中なので車を降りて歩くのがつらい。この近くで最も歩く距離が短くてうどんが食える店を思い起こした結果、「白川の店の前の砂利のところの入り口の真ん前に車を横付けして、客が出てきて戸が開いた瞬間に運転席のドアを開けて転がり込んだら一歩も歩かずに注文する所にぶつかる」ということに気がついて12時30分に白川に行ったら、駐車場全部埋まってて店外のオープンスペースにまで客がおる。

 待ってる時間もないので仕方なく、何も食わずに大学に行って駐車場に車を止めて、いつもなら徒歩1分で到着する学科事務室まで5分以上もかけて足を引きずりながら事務室に入ったら、集中講義のシーズンで学生のO西真紀子(おもろい方のO西)とK脇理絵とK村聖美が昼飯を食っていた。

O西「あー! 田尾さんや!」
田尾「何か食いもんくれ」
O西「えー、食べてしもたわ。もうデザート食べよるもん。いる?」
田尾「何やそれ」
O西「グレープフルーツのゼリー」
田尾「ゼリーか。しかもお前の食べかけやし」
O西「むっちゃうまいんでー」
田尾「わかった。ちょっと貸せ」

 コンビニで買ってきたと思われる食べかけのカップ入りのゼリーとちっちゃい透明のプラスチックのスプーンを取り上げて、ゼリーをすくってみたら、なかなかどうにもうまくすくえない。

田尾「おー、何か感じが違うのー。これ、なかなかすくえんが。やっぱりええもんはそう簡単にはすくえんのか」
O西「田尾さんそれスプーンの背中ですくいよる」

 なるほどー! 簡単にすくえるがー! って、あほやがな。長い夏休みの中の集中講義シーズンで、助手の真鍋や帽子を脱いでも帽子をかぶっとるみたいな頭になった源成や、三味線抱えて怪しい芸能方面にひた走るK田や真面目でさわやかなナンパ野郎の星野Oやますます世の中を悟りきっていくO谷や学科の両親を一人で背負うW宮やこんとん部長のアニキ福Dや、久しぶりに学生たちとご対面だ。

 しかし私から見ればほとんどサルだったこいつらも、もう3年の夏か。人間、指導者が良いとみんなそれなりにしっかりしていくんやなあ(笑)。ほとんど指導してないけど。私の授業の目的と内容はほとんど全部、延長線上のかなり近いところに実社会での実践がある。私の日常の学生とのコミュニケーションの目的のほとんどは、学生たちを明るく、気持ちをおおらかにすることにある。私の学生の将来に対するアドバイスのほとんどは、私の知る限りの選択肢を並べてやることにある。

 本当は私の持っているいろんな技術を伝授できればしたいのであるが、まだ講義以外の専門的な集中活動が動き始めてないということや、いろんな可能性が渦巻いている学生に対してどこまで専門的な一方向に導いていいのか、とか、自分の学生時代はどうだったのかを考えて迷ったりとか、何か自分の中で決められてないことがいくつかあって、「選択肢を並べる」段階から先へまだ突っ込んでいっていないというのが正直なところである。

 4年一回りする頃にはきっと固まると思う。それまでの学生、すまんのー。社会に出た後でも、必要が出てきた時は連絡してくれたらプロの技術を教えてやるから。ただし、その頃には俺の持ってる技術が通用せんようになってるかもしれんけど。

 学科協議会を終え、家に帰って包帯外してみたら、ちょっと歩いたせいか、またちょっとくるぶしが大きくなっていた。来週はもう逃げられん外出スケジュールが6件も密集。週末、絶対安静じゃ。
2005年9月21日(水)

 まだ完治してないので大きなことは言えんが、全治3週間と言われたねんざはかなりのスピードで回復しているのである。日曜日までは腫れが治まらんで、足首から足の指までがホビットの足状態であったのに、月曜日から次第に腫れは治まり、火曜日は時速100mくらいながらも松葉杖なしで家内と回転寿司に行って、その足でアップタウンに行ったのである。

牛乳「ようそんな状態で来るわ」
田尾「いや、何かみるみる回復しよるような気がするんですよ。今、食事に行って来たもん」
牛乳「どこ行ってきたん?」
田尾「ま、海鮮料理というか…」
牛乳「珍しいやん、そんなとこ」
田尾「ま、酢飯の上に海鮮料理が載って、こうお客さんの前に回ってくる…」
牛乳「どこが海鮮料理や!」
田尾「あれ? 回転料理って言いませんでした?」

 などと言いながら今日は病院に行って、ついにギュウギュウに巻いたテーピングを取って、伸縮包帯を巻く程度にまで回復したのである。その足で宮脇書店の本店に行って、わけあって「週刊世界遺産」をバックナンバーごといっぺんに50冊ぐらい買って帰って、まだ引っ張ってる授業計画の追い込みに入ろうとパソコンを立ち上げたら、昨日の夜3時半までかかって作り上げた資料のデータが、めちゃめちゃ細かく「保存」しながら書いていたのに500行ぐらい消滅していた。ガックシと肩をカカトまで落とす私。神はいったいどこまで私に試練を与えたら気が済むのか。ま、私、真言宗やけど。
2005年9月17日(土)

 家内が「病院に行った方がええ」と言うので、昼前に病院に連れて行ってもらう。「折れとるかもわからんから、レントゲン撮ってもらえ」と。「病院に行ったら松葉杖も貸してくれるし」と。

 今朝は昨日よりはマシだったが、もちろん歩けるまでには回復していないし、いすに座ってズルズル移動では狭い部屋ばかりの我が家では何かと行ききれないところが多くて、松葉杖が欲しいところではあったので、こないだ肋骨骨折で行った病院に行ったのである。そしたら、こないだと同じおじいさんの医者に当たった。レントゲンを撮って、フイルムを見ながらおじいさんが言った。

医者「前に同じとこ、やっとるなあ」

 レントゲンでそんなことがわかるんだ。右足のくるぶしあたりのねんざは、過去3回もやっているのだ。1回目は20年近く前、マンションの7階に住んでいた頃に、エレベーターを使わずに階段を駆け下りていてグジ! とやった記憶がある。

 2回目は15年くらい前、会社のテニス大会でK西と対戦中にグジ! とやったのは、「恐るべきさぬきうどん」にも小ネタ笑いどころを挟んで書いたとおり。あの時は治療院にも病院にも行かず、まだ完治してないのに足を引きずりながら牛乳屋さんらと阪神競馬場へ行ったりして、1カ月近く苦しんだ。

 3回目は11年前、あの大渇水の時に牛乳屋さんらと貯水率の激減した早明浦ダムを見に行って、ダムの上で

牛乳「おー! 水が全然ないわ!」
田尾「そっちはダムの下流側です!」

 とかやりながら、さらに上流に探検に行って清流の川辺に下りようとちょっと飛び降りた時にゴキン! とやったやつ。脂汗を流しながら帰りに長田に入って釜あげ大を食って、治療院でギブスはめて、完治してないのに松葉杖をついて東京出張や和歌山マリーナシティの取材に行って、完治に1カ月半くらいかかった。

 ちなみに一昨年、KSBのゴルフコンペに呼ばれてスタートホールのティーグラウンドで排水溝のくぼみに足をつっこんでグキ! とやってねんざしたままプレーしてベストスコアを出したのは、左足だ。

 で、レントゲン写真を見ながらおじいさん医者が続けた。

医者「これはいっぺん、骨折っとるな。もうひっついとるけどな」

 いつのやつや! 激痛度合いと完治に要した日数から行くと、早明浦のやつか! ま、とりあえず今回は骨に異常はないということで、しかし内出血でカカトの両側が紫色になった上に強力に何重にもテーピングをしてもらって、松葉杖を借りて家に帰った。

 昼からはずーっと、尻が腐るんではないかと思うくらいイスに座り続けてデスクワークをして、辛抱たまらんようになって夜の9時、家内に車に乗せてもらって一緒にアップタウンに行った(行くか!)。すでにこの日記で牛乳屋さんにもマスターにもねんざ情報は伝わっていたが、さらに詳しい情報を小ネタも交えながら報告して、しばらくしたらねえちゃんも帰ってきたのでまた報告して、11時になろうとしていたのでもう帰ろうかと思っていたらしんちゃんが来たので軽く報告して立ち上がったら、あれ? 何か痛みがちょっと減って調子がええぞ。

 何か、急激に回復している感じ。全治3週間もかからんのちゃうか? えーと、先生何て言ってたっけ? 確か「若ければ何とかかんとか…」。「気のせいじゃ」という天の声がする。
2005年9月16日(金)

 テーピングしている右足首が腫れて、朝から吐きそうに痛い。横になってても痛いので起きてキャスター付きのいすに座って室内をズルズルと移動しながら新聞を取って、メシを食う気力も減退していたので一昨日日清冷凍食品で調達した名店シリーズのめちゃめちゃうまい冷凍うどんの中から「ねんざにはアームレスリング男のうどんじゃ」という理由で「白川のきつねうどん」を選んで家内に作ってもらって食っていたら、勝谷さんから電話があったのでねんざの報告をして、さてこのあとのスケジュールをどう修正するか…と思っていたら、日記を見た県の広聴広報課の増田さんから電話がかかってきた。20日に予定しているRSKの番組ロケは、広聴広報課がスポンサーの「田尾和俊の讃岐うどんワールド」のロケなのよ。

 事情を話したらRSKと掛け合って日程変更してくれて、ロケが9日間後ろに延びた。全治3週間のうちの2週間過ぎた頃だ。ま、治療院の先生に「若ければもっと早く完治する」言われたし(もうええっちゅうに)。とりあえず来週いっぱいが勝負やな。絶対安静に、デスクワークしかしないでおれるかどうかじゃ。

 夕方のKSBスーパーJチャンネルは、家内に送り迎えしてもらって出ました。足を引きずりながら行ったらまずそこにいたスタイリストの片山さんが「どうしたんですか?」と聞いてきたので、とりあえず世相をめちゃ斬りするおっさんの話から入らなんだら何で山道を急いで下りてたのかの説明がつかんので一部始終を話したら、向かいの部屋で聞いていた岩井さんが「ねんざですかー」と言ってきたのでまた説明していたらその横の部屋から中村君が出てきて「どしたんですか?」と言うので一部始終を話したら本庄さんが来て、ADさんが来て、まっちゃんが来て、甲斐さんが来て(くるぶし突っつくなっちゅうに)、みんなに「ねんざです」いうて説明して、時間が来て足を引きずりながらスタジオに入る時にカメラの人たちみんなにねんざの説明をして、席に着いたらお天気の清水さんが「つらそうですねえ」と言ってきたのでねんざの説明をして、誰かが一緒に聞いていたらもう私の代わりに一部始終全部話せるぐらい同じことを立て続けに10回ぐらい説明して、番組前半の出演が終わって休憩ソファに帰ったら、多賀さんが来ていたのである。

多賀「どうしたんですか?」

 もう世相めちゃ斬りおっさんの話はせん。

 夕方には痛みはかなり治まってきました。今日の地獄耳。VTRで新人女子アナウンサーがレポートしているのをモニターで見ていた本庄さんが小声で「かわいいなあ」と一言(笑)。本庄さん、みんな「本庄さんはどんどんきれいになってきたなー」言うてまっせ。
2005年9月15日(木)

 今日の話は、いかに長いつきあいのごんと言えども最後までオチは読めまい。

 朝9時15分、私は英明高校の応接室にいた。9時30分の模擬授業(というかほとんど講演みたいなもんだが)の直前、お茶を飲みながら教頭先生と話をしていたら、教頭先生が行った言葉に私は目が点になったのである。

教頭「今日は講演の前に私が田尾先生のプロフィールを紹介させて頂くんですが…」
(あれ? プロフィールを送った記憶はないけど、どこかで調べたんかな? ま、多少間違ってても全然気にせんけど)
教頭「私の住んでいるマンションに田尾先生のお友達がいらっしゃるので、その方にいろいろお伺いしまして」
田尾「え? 誰ですか?」
教頭「○○さんという方ですが、田尾先生のお友達だとか」
田尾「ごんやがな!」

 ほんまにもー。ないことないこと言うとんちゃうんか。

 教頭先生は今日の講演に際して、会場が体育館になって高いステージがないとか音響が少し悪いかもしれないとか事前にいろいろ気を遣ってくれていたが、中でもすごく心配されていたのが、生徒の講演を聴く態度のことだった。何でも以前やった講演会では生徒の私語がかなり多かったらしく、今日もおそらく態度が悪いのではないかと、さかんに私に恐縮そうに断ってきたのである。

教頭「もし騒がしかったら叱りつけてやってもかまいませんから」

 そう言われたので私は、準備していた話の内容や進め方を頭の中で白紙に戻して、出たとこ勝負で生徒の様子や反応を見ながら話し方を決めることにしたのである。

 会場の体育館に入ると、500人くらいの生徒がパイプイスに整然と座っていた。まず教頭先生が私を紹介。ごんがいらんことを言うてるに違いない部分を上手にカットして無難に紹介されるあたりは、さすがにごんと違って大人だ(笑)。演台に立って、雰囲気を見て今日はお笑いのツカミをやらずにいきなり真面目な、しかし興味を引きそうな高校生のライフスタイルに関する事例でガシッと入ったら、10数人の生徒がこっちを見据えてかなりしっかり着いて来ている様子だったので、今日はこの感じで行こうと決めて、事例や問いかけを交えながらとうとう最後まで、ほとんど笑いどころなしに講演を終えた。

 私語はほとんどなし。寝てるやつもいたが、ここ数ヶ月の講演の中ではかなり手応えのある出来でした。自分で言うけど(笑)。

 さて、これは今日の話の本題ではない。事件は夕方、午後6時半に起こったのである。

 講演を終えて昼飯も食わずにデスクワークに突入して夕方4時半、さすがに少し疲れたのでまた峰山にウォーキングに出かけることにしたのである。早朝ウォーキングに比べて夕方や夜のウォーキングは、私だけかもしれないが体がほぐれてて調子がいい。家を出て40分くらいで峰山公園に着き、そのまま展望台方面に向かった。今日はあとの時間に追われていないので世相を斬るじいさんに出くわしても立ち話くらいはできるぞ…と思っている時に限ってじいさんに会わないのよね(笑)。そのまま歩き続けて展望台に到着したが、世相じいさんがいる様子はない。夕方5時半、軽い汗をかいて私は三層になっている展望台の二層目に上がった。するとそこに、初めて見るおっちゃんが一人、休んでいた。

 年の頃なら60代中盤か後半。「じいさん」と言ってもいいのだが、峰山に上がってくるじいさんだからみんなかなり元気な老人で、「おっちゃん」と言った方が感じがつかめる(ちなみに世相じいさんは70代だと思われる)。私はとりあえず「こんちわー」とあいさつをした。

おっ「あーこんにちわ。どちらから来られたんですか?」
田尾「西宝町です。その下の、ここまでだいたい1時間くらいで上がってくるんです」
おっ「そらちょうどええなあ」

 まあ普通に話のできるおっちゃんだったので、私は少し話を続けた。

田尾「今日は空気が澄んでてええですねえ。島も全部、岡山まで見えてますよ」
おっ「ここはよう来るんな?」
田尾「はあ、最近よう来てます」
おっ「私はほとんど毎日や」

 と切り出したかと思ったら、こっちが相づちを打っていたらおっちゃん、自分の過去をめちゃめちゃ語り始めた。何でも子どもの頃に里子に出されて漁師の手伝いをしていて、子供心に「こんなことで終わるわけにはいかん」と思いながらがんばっていたら軍人さんが通りかかって、おっちゃん(子どもの時の)を見るなり「お前はただ者ではない目をしとる」と言われて、その軍人さんの紹介か何かで船に乗る仕事に就いて、その仕事をしながら親方に勉強を教え込まれたという。

田尾「何の勉強を教わったんですか?(話が長くなるのがわかっているのに合いの手を入れる私)」
おっ「そらもうな、何から何まで。人間とはなんぞや、政治とはなんぞや。ある時に親方に“経済とはなんぞや?”言われてな、私が“経済とは、人間である”言うたら“よし”言われてな」

 あいたたた(笑)。というか、何かちょっと話が怪しくなってきたぞ。

 それからもうおっちゃんの話は、どんどんすごいことになっていった。おっちゃんはそこで勉強したことをもとに、若い頃に本を書いたそうだ。「日本は遠からず犯罪大国になる」とかいう内容の、本人曰く当時は過激な内容の意見書だったらしいが、出版社に持ち込んだらあまりに先進的な内容で理解されず、ところが知り合いの人の紹介でアメリカの大学の名誉教授にそれを読んでもらったら「日本に恐ろしい才能の若者がいる」と絶賛されて英語版で、それもおっちゃん曰く「キングスイングリッシュ」で翻訳されて本になって、その話を聞きつけた人から「日本語で読みたい」という問合せがあって日本語で本にしたら、それを読んだ若者から「弟子にしてください」とか言われて、実は今も高校生や大学生からおっちゃんの話を聞きたいという声や、おっちゃんの話を聞いたり本を読んだりした若者から、おっちゃん曰く「小生、これほど素晴らしい考え方に出会ったのは初めてであります」という感激のお便りが来るらしい(どんな言葉遣いの若者や)。ほんまかなあ(笑)。しかしそれほどの話題の本なら、聞いたことのある本かもしれない。

田尾「その本は本屋に行ったらあるんですか?」
おっ「本屋のの、出版のナニは悪どいことばっかりしよるからな。本作っても“一冊も売れなんだ”言うてみたり」
 何か言うてることがよくわからんが、要するに本屋では売ってないらしい。自費出版か、なーんか出版以前の話かもしれんなあ。

 おっちゃんはとにかくそれから政治のこと、経済のこと、日本のことをとめどなく話し始めた。要約すると、おっちゃんの話は次の2点に集約される。

(1)現在の日本の政治や経済や社会はほぼ全て、数十年前におっちゃんが言っていた通りになっているらしい(笑)。しかし当時はおっちゃんの意見は先進的すぎて、誰もおっちゃんの言っていることが理解できなかったらしい。
(2)今の日本は「なっとらん」らしい。論理的で具体的な話は全くなかったが、とにかく「なっとらん」らしい(笑)。

 ちなみにおっちゃんは、今回の選挙の自民党の大勝は、数カ月前に中国で反日デモがあった時に確信していたそうだ。あの時に日本の若者がみんな怒って、今回自民党に投票したそうだ。どう話を聞いても因果関係がよくわからなかったが(笑)。

 展望台の上で、あっという間に30分が経った。おっちゃんは、あの世相を斬るじいさんが赤子同然に思えるほどの、何か悪い宗教がかかったみたいな、めちゃめちゃ世相を斬る、いや、世相をめちゃめちゃな斬り方するじいさんだった。恐るべし、峰山!

 ふと街を見下ろすと、もう少しずつ明かりがともり始めていた。時間を確認すると6時17分。日が短くなっているのだ。まずい。車道を歩いて帰っていると完璧に暗い状態でお墓ゾーンにさしかかる。おっちゃんのおかげでとんでもない時間を食ってしまった。私はわずかな話のスキに「すんません、そろそろ帰らな日が暮れそうなんで」と割り込んだ。

おっ「あ、どうもすいませんな。気をつけて」

 あの話の勢いから、このすごく普通に丁寧なあいさつが出てくるのもよくわからん。ほんまはすごい人なのかどうなのか、少し謎を残したまま、私は展望台を下りて帰路についた。どうする? 車道を帰ると夜道にお墓ゾーン。急斜面の山道に突撃すると、薄暗くなればとても怖いがわずか15分で下まで下りられる。数十秒葛藤した私は、意を決して山道に突入することにした。たぶん、暗くなる前に抜けて下りられる。

 私は軽い駆け足で下り坂の山道を下り始めた。すっかり体が軽くなったせいで膝にさして負担もかからずに駆け足で下りられる。石と岩と土の山道を何度も蛇行しながら10数分、茂みの間から下にある老人ホームの建物が見えてきた。よーし、まだ明るいうちに抜けられた、と思った瞬間、右足がグジ! と音を立てました。

 えーと、ねんざでおます(笑)。家内に電話をして、車で迎えに来てもらいました。そのまま家内がぎっくり腰でお世話になった原野治療院に行きました。先生が出てきて、靴下を脱いだら、右のくるぶしがまるで小太りじいさん、あ、「小太りじいさん」はごんか、コブ取りじいさんのコブのように3倍くらいに腫れ上がってて、アイシングしてテープと包帯でギュウギュウに固定されました。

田尾「これ、全治どれぐらいですか?」
先生「全治3週間」

 肋骨が完治したと思ったらこれじゃ。伊藤先生、22日の学科協議会、行けるかどうかわからんー。というかその前に20日のRSKの番組ロケ(終日直島)、どうしよう。というか、講義用の取材旅行も絶対行けんから講義計画を修正せないかん。ウォーキングは厳禁やから体重の踊り場が2フロアぐらい上がるかもしれん。けど徳島の出張授業は杖ついてでも行かないかんし。一縷の望みは先生の言った「ま、若ければもっと早く完治するかもしれません」の一言だ。

家内「一縷の望みもないな」
2005年9月14日(水)

 今日は11時に日清冷凍食品に行って打ち合わせをした後、昼から同社で「発想力開発」と「マーケティング」の講義を90分ずつやってその足で夕方詫間の実家に行ってイチジクをしこたま調達して、そのまま夜は東京麺通団から店長の山中とパロマスが現地勉強のために香川に帰ってきてるので福田社長らを交えて飲食ミーティング、と。その上、講義計画やら何やらが残っているためウォーキングスペースはここしかない、ということで、早朝6時半に家を出発して峰山山頂に向かったのである。ようやるわ。

 タイムスケジュールは往復1時間30分で、8時には帰ってこられるように展望台まで行かずに引き返すつもりで、ゆるい車道を登り始めた。早朝はさわやかですなあ。ビー・クォーターを飲んでるのでそれでもしっかり汗をかきながら30分くらい歩くと、峰山公園の芝生広場が近づいてきた。峰山公園の手前を道なりに右に行くと展望台方面、左の細い坂道に入ると古墳方面。一昨日は世相じいさんを避けて左に行ったらピンポイントでじいさんに出くわしたが、いつもは展望台で出くわす。さて、今日はどっちに行くか。

 いや、いつも避けてるわけではないのだが、今日はスケジュールが詰まっているので長居どころかわずかなロスも許されないという状況であるため、「出くわしてはいけない度」100%なのだ。しかしいかに年寄りが早起きといえどさすがにこんな早朝、しかも今までこんなに朝早い時間に出くわしたことはないということもあって別に心配することもないとは思ったのだが、まあ念には念を入れて、クネクネと上っていく車道をあと3回曲がったら峰山公園というあたりで「古墳方面か、いや、展望台方面か」と考えながら一つカーブを曲がったら、道の横のブロックに腰掛けているじいさんが目に飛び込んできた。

世相「今日は早いのー」

 世相じいさんやがな! まだ分岐点の手前やがな!

田尾「うぃーっす。展望台行ってきまーす」
世相「がんばるのー。あんたほんま、痩せたわ」
田尾「ありがとございます」

 申し訳ないと思いながらさすがに今日は立ち話もするわけにいかんので帽子を取ってあいさつだけして、私は通り過ぎた。後ろの方からしばらく「朝は展望台は気持ちええでー」とか「あんたよう続っきょるわ」とか声がかかったが、その都度ちょっと振り向いて手を挙げて、言うたからには行かないかんと思って展望台まで行って、帰りの時間を縮めるために反対側の急な山道の方を下りて家に帰った。年寄りの早起きを侮っていた。というか、世相じいさん、峰山に住んどんちゃうか?(笑)

 帰って講義資料を整理して、今日の全ての仕事をこなして夜10時頃家に帰った。明日は朝から英明高校の3年生500人くらいを相手に模擬授業。午前2時までかかって何とか準備を終えて、寝た。
2005年9月12日(月)

 数日前に「ごんがドラえもん体型に向かって大変なことになっている」と書いたらごんから「どんな肥満体かと思われるじゃないですか!」というクレームが来たので訂正しておきます。ごんはまだドラえもんよりは軽いです。

ごん「ちゃんと170cm、70kgいうて書いといてくださいよ」
田尾「誰が70kgや」
ごん「いや、私が」
田尾「きみが70kgやったら俺、地球の重力測り直すわ」

 ま、測ってみろと言われたらよう測らんけど。ちなみに「ごんが漢字に弱い」というのも、事実としては今から20年くらい前に一介のヤンキーだったごんが編集室に遊びに来たので仕事をさせたところ、「寄席」という漢字を「寄度」と書いた、という一件があるだけであるが、なぜか我々の間ではすっかりそういうイメージが定着しているのである。

田尾「なんでそんなイメージになったんかのー?」
ごん「あんたが書くからです!」

 さて今日は朝から、こないだうちのブランクを取り戻すべく連続峰山ウォーキングに出かけた。今日は仕事が混んでいるし、午後からはびっしりミーティングが入っているので長居はできない。ということは、山上で世相を斬るじいさんにつかまるわけにはいかんぞ(笑)。

 漆原先生の助言に従って「ゆるやか登りコース」を40分少々かけて峰山公園の手前にさしかかった時、私はコースを大きく左に取った。昨日は峰山公園の中でじいさんにつかまったし、いつもは右の奥の展望台でつかまるということで、展望台とは逆の左の方、古墳のある方に向かって歩き始めたのである。こっちならじいさんはいないだろうと。

 桜並木の上り坂をしばらく歩いていくと、公衆トイレのところに人がいるのが見えた。横に軽トラが止まっていて、作業服を着たおっちゃんが2人、話しながらトイレの掃除をしている。私は「おはようございますー」と言って横を通って石段を上がろうとしたら、すぐ上の休憩所でまた人の声がしている。何か、掃除のおっちゃんとは違うみたいやぞ……。と思ったら、話の内容が聞き取れ始めた。

「小川じゅんやいうのはようがんばったのー」

 まさか……。おそるおそる上がってみると、うわっちゃー! 世相じいさんがもう一人のおっちゃんと、早朝から世相を斬っりょるがー!

田尾「ちわーす」
世相「お、がんばっとるのー。そんだけがんばったら痩せるわ」
田尾「は、ありがとございます」

 と言ったら、もう一人のおっちゃんが私を見て言った。

おっ「あれ? あんた、雑誌に載っとるな。あれ、何やったかいな。官報みたいな」
田尾「あ、県の広報にちょっと」
世相「何な、雑誌に載っとんかい」
おっ「何言いよったかいな。あー、田尾さんやな」
世相「ほーかい! あんた雑誌に載っりょんかい」

 世相じいさんとはもう峰山で7〜8回つかまって話をしているのだが、「大学で先生しよります」ぐらいしか言うてないのだ。私は早々に「展望台行ってきます」言うて進路を右にとって2人を後にした。いや、用事がなければ一緒に世相を斬ってもよかったのだが、今日は勘弁してください(笑)。

 家に帰ってシャワーして大学に行って研究室でうなって、それからびっしりミーティングに入って、ミーティングが終わって駐車場から車を出してすぐの交差点でちっちゃい自転車が体にめり込むように乗って走っている学生課のK野くんを目撃しながら高松に帰った。帰ってテレビをつけたらどこも自民党の大勝の話題で持ちきりだったけど、庶民の多くは21-2で阪神が勝った試合を翌日の新聞で見てるのと同じようなメンタリティだったりして(笑)。
2005年9月11日(日)

 金曜日、KSBスーパーJチャンネルの合間に岩井さんらと台風カトリーナの話になって、日本の台風も女性の名前を付けたら、とりあえず大被害をもたらすような台風は「大型で邪悪な台風“志麻子”やな」という結論に達したのである。カトリーナって、世界史の女王の名前の時に習った「カトリーヌ(フランス語)」「エカテリーナ(ロシア語)」「キャサリン(英語)」の一連かと思ったら、「K」で始まる違う名前なのね。

 さて、土曜日の四国学院大学オープンキャンパスで司会進行をして今年2回目のオープンキャンパスを終え、その日の夜の打ち上げで伝説の「酒を飲みながらだんだん壊れていく神野先生(笑)」をナマで見させてもらった翌日の今日、久しぶりに朝から峰山に上がって来ました。

 最近ウォーキングにもすっかり慣れて険しい登山道コースに挑戦し始め、ついには平坦なところでちょっと走り始めたと書いていたら、漆原先生に「歳いって走ってたら死にますよ(笑)」と言われて何やらデータをもらった。聞くと、中高年がスポーツで突然死する原因の第一位がジョギング、さらにゴルフも危ないらしい。

田尾「ゴルフですか!」
漆原「ゴルフのどのシーンだと思います?」
田尾「えー? ドライバーショット? いや、斜面に打ち込んで走って行く時かなあ」
漆原「それがですね、パットの時」
田尾「えー? パットって、全然動いてませんやん」
漆原「最終ホールとかのプレッシャーのかかったパットの時、心臓にすごい負担がかかってるみたいですよ」

 それを聞いて一安心。スコアでなくて同伴者とキャディーさんをいかに笑わすかが私のゴルフだから、プレッシャーとは無縁だ。昔、大阪の梅田の場外馬券売り場で万馬券を当てたおばあさんが倒れて救急車で運ばれるのを目の当たりにしたことがあるが、ま、何事も歳を考えてほどほどにせないかん。

 ということで、今日は比較的緩やかだけど遠回りのコースを通って1時間くらいで山頂の展望台に上がり、景色を眺めながら15分ぐらい休んで下り始めて、途中で普段は立ち寄らない芝生広場にふと入ったら、例の世相を斬るじいさんが木陰のベンチにいたのである。「ちわーす」いうて挨拶したら「あんた、見るからに痩せたなあ」と言われて、そこから30分近くつかまっちゃった(笑)。

 話を切り上げるタイミングがつかめないまま、世相じいさんが「今日は選挙に行ってから上がってきたんじゃ」と言ったので、「うわっちゃー、選挙に話に突入したらまだ30分はいくぞ…」と思っていたところへ、もう一人のじいさんが来て、私は「ほな、下りて選挙行ってきますわ」と言ってその場を後にした。そこから20分ぐらいかけてお墓の横を通って山を下りてごんのマンションの前を通りかかったら、ごんがまさに車を出そうとしているところに出くわす。

ごん「今から選挙行ってきますんで」

 一介のヤンキーだったごんもまっとうな大人になったなあ(笑)。投票用紙の政党名、漢字間違うなよ。
2005年9月7日(水)

 日曜日の朝に牛乳屋さんらと峰山に上がって以来、丸4日近くウォーキングも運動もしていない。「アウトドアが獅子舞だけ」という米男よりはマシかもしれんが、フィールドワークもないデスクワークばっかりの数日間はストレスがたまる。いや、たまらんけど(笑)。今日は朝起きたら台風のあとでガスも水蒸気も飛んで、ベランダから見る屋島と女木島がくっきりといつもより近く見える。撮影日和やなあ。撮影せんけど。

 今から20年くらい前のタウン情報時代の若かりし頃、空撮のためにセスナで香川県上空を1カ月の間に5回ぐらい飛んだことがある。なかなかワイルドだったっすよ。セスナの後部座席に、右に私、左にカメラマンのI井さんが座って上空に上がるわけです。で、撮影ポイントに来たら、I井さんが左の窓を開けてカメラを構える。水平飛行してますから、カメラは横(水平方向)を向いてますわな。そこで私がI井さんの腰に抱きついて上半身をしっかりつかまえる。その瞬間、突然セスナがゴォーっと上昇しながら左に90度近く傾く! 左の窓が地上(真下)を向く! 私はI井さんにしっかり抱きついて止める! I井さんが地上の写真を撮る! 飛行機が1回旋回したあと水平飛行に戻る。

 これを何回も何回も繰り返すわけです。吐きまっせ。私は吐かんけど。

 で、この撮影の最初の日、雲一つか二つか三つぐらいしかない好天なので「今日行くぞ」言うて上がってみたら、地上の緑が薄青く霞んでいたのである。

I井「あかん。ガスや」

 空気中のガスで地上が霞んでしまっている。鮮やかな写真が欲しかったので結局撮影を断念して降りてきたのだが、私はこの時初めて、飛ぶ前に周りの山を見て緑色の加減で空気中のガスや水蒸気の状態を確認するということを知った。

 ところが、空気のクリアな日って、香川県クラスでも年間にほとんどないんですね。秋でもそうそうない。雨のあとでも今度は水蒸気が上がってきてかすむ。その時は撮影の締め切りが近づいてきてもうあと1週間しかないという日に台風が来て、台風明けにガスが飛んでスコーンとガスが抜けて絶好の撮影日和が出現した。最後のチャンスだということで、まだ風が強いのに飛び立って何とか撮影を終えて空港に着陸態勢に入ったら、横風で飛行機がナナメになったまま、左の車輪が着いて右の車輪が着いてガクン!ガクン!いうて着陸して、地上に待機していたスタッフが拍手してくれたことがあった。怖いわ!

 そういうわけであの時セスナで空に上がって初めて知ったのだが、香川県は1年間のほとんどの日、地上に住んでいる人たちはガスっぽい霞んだ空気に包まれています。地上にいたらほとんど気づきません。そのガスっぽい空気は、上空何百メートルだったか、セスナで飛ぶよりちょっと高いあたりできれいに分かれて、その上はスコーンとクリアな空気の層になっています。

 ついでに言うとあの時、番の州の四国電力の火力発電所の煙突から出てくる煙と川之江の製紙工場の煙突から何本も上がってくる煙が上空何百メートルかで真横に広がり、それがつながって香川県を覆っていました。その覆われた下に、おそらく車の排気ガスやいろんなガスや煙が充満しているという感じです。今はどうなっているか知りませんが、機会があったら一度セスナかヘリで上がってみてください。四国航空に申し込んだら飛べるはずです。

 ちなみに番の州の三菱化学の工場からしょっちゅう大きな煙が上がっていますが、あれは煙ではなくて、大量のコークスを一気に水で冷やした時に出る水蒸気です。私、あそこの工場の20年史(三菱化成時代)を書いた時にさんざん取材して知ってますので(笑)。

2005年9月6日(火)
 朝から台風の影響下ではあるが、我が家(マンションですけど)周辺は雨というより風の方が強い。朝から仕事部屋にこもって資料やらネットやらと格闘しながら観光マネジメント関連の講義構成に取り組んで、昼1時過ぎ、ふと昼飯に「はりや」に行こうと思い立ったのである。

私は基本的に、うどん屋にはラッシュ時間を避けて行くタイプであるが、はりやはいつ行ってもお客さんが並んでいる。一度だけ、閉店間際の午後2時頃行ったら並ばずに食べられたことがあったが、それもあの一回限りである。しかし今日はあーた、千載一遇のチャンスやろ。平日の、もう1時半の、しかも台風! というか、店開いとんか?

 しかしうちからはりやまでは車で10分かからない。もし行って閉まってても、牛乳屋さんが1時間かけて谷川米穀店に行って臨時休業だった時に比べたら大したダメージではない。もし開いてたら、これは久しぶりにゆっくり食べられる。ローリスク、ハイリターンやがな。というか、行って客が俺だけやったら大将とサシで話せないかんから、こら新作のネタも2つ3つ用意しとかないかんが…とか思いながら車を出して、5分ぐらい走って店に近づいたのである。そしたら、駐車場に車がいっぱいおるやないの。

「おー、やっとるやっとる!」というか、台風やのにみんな来とるのー、と思いながら店の前に車を回したら、店外の行列はなく、戸に「本日は終了しました」の貼り紙!
「えー! 駐車場に車よっけおったのに、あれ何の車や?」
と思って見たら、すりガラスの窓に人の背中がびっしり並んで見えた。店内、立ち待ち客でいっぱいやがな! すごいなあ。台風の中、2時前に玉切れ終了やがな。

 帰りにちょっとGEOに寄ったら、今まで見たこともないような出方で新作コーナーはカラッポでした。旧作ブロックもものすごく借りられてる。台風やからみんな外に出ない、家でビデオ見るしかないっちゅうわけか? けどうどんは台風でも外で食うんか(笑)。

 夜中、仕事をしながらケーブルテレビで高潮中継を見ていました。ホテルクレメントの上あたりの固定カメラからフェリー乗り場あたりをずーっと無音でライブで映してるだけの画面なのだが、夜中の12時前から1時間半くらいつけっぱなしにしていたら(満潮は12時33分)、潮が岸壁を越えてフェリー乗り場の建物をだんだん囲み始めて、そのうちとうとう車道にあふれ始めてあれよあれよという間に県民ホールの前の片側2車線の道路が海水で冠水した。高潮って、あんなふうに来るんだ。街の状況はわからないが、大丈夫だったんだろうか。去年ほどではないと思うが。本日、午前4時就寝。
2005年9月4日(日)

 計画通り朝7時半、峰山の麓にあるごんのマンションの前に私と牛乳屋さんとアップタウンのねえちゃんの3人が集合して、今日は健康志向仲間の楽しい峰山早朝ハイキングだ。しかし集合場所はごんのマンションの前なのに、ごんは爆睡中で不参加だ。亀井さんは郵政民営化に反対してホリエモンに乗り込まれて大変だが、ごんは体脂肪民営化に反対して今、ドラえもん体型に向かって大変なことになっている。

 今日は、急坂が続くが途中の眺めがいい登山コースを上がって、展望台で知らんおっちゃんたちに梨をもらったりしながら、2時間半くらいかけて山上をぶらぶらして、朝10時頃に家に帰った。ひとレジャーを終えたのにまだ10時だ。それから締め切りのある仕事に取りかかって、何と翌朝4時頃まで微眠微休で仕事をしましたがな。我ながら今日はがんばったな、と。明日も用事がいっぱいあるぞ、と。台風来てるぞ、と。
2005年9月3日(土)

 久しぶりに都村長生さんのQ&Aの聞き取り。いつものように都村さんちに迎えに行って、近くのレストランでカセットの録音機を前に1時間ほど話を聞いてきた。今回「長生塾」のHPに来ていた質問は、例の郵政民営化と選挙に関する質問です。4〜5日で整理してアップするのでお楽しみに。

 夕方はごんの車に乗って詫間の実家に行ってイチジクをたらふく食って、その足でSIRAKAWAに集合し、「こんとん」の第4回だったか5回だったかの試作とPR用の商品撮影を行った。今回の収穫は、清水屋の大将が考案してきた新作焼きこんとん(正確には清水屋の大将の奥さんが考案したらしい)。一見タコス風だが、皮の“コシ”と具材の斬新さが高評価を得て、スタメン入りを果たした。商品名は、今回のプロジェクトが縁でSIRAKAWAでバイトを始めた学生のO西が命名した、「こんとんのタコス」で「コンタコス」。

白川「それ、ドンタコスのパクリじゃないですか!」

 実は今日の夜は高松で遊ゼミ(四国新聞の明石さんが主宰の、マスコミ人や文化人たちのうまいもんを食いながらダベる会)がある日で、私はこのこんとん試作会があるので「今日は欠席」と伝えたら、明石さんに「遅れてもええからそのこんとんとやらを持って来い」と言われたので、撮影を終えてすっかり冷え切ったゆでこんとん8枚、揚げこんとん5コ、焼きこんとん4コと「コンタコス」4コを持って行ったら、「もう冷えて時間が経ちすぎて食べられるかどうかわからん」と言ったのに20人くらい集まっていた遊ゼミメンバーが次々に試食を始めて、ほとんど食っちまいました。酷評が飛んでくると思っていたのに、なんか好評で(笑)。すんません皆さん、本番までにさらにうまいのに仕上げますから。
2005年9月2日(金)

 KSBに行ったらディレクターのまっちゃん(全国の「松本」君の90%は「まっちゃん」と呼ばれていると私はにらんでいる)が「夜、炭水化物を摂らないようにしたら2カ月で8キロ痩せた」と言う。何か近年私の周りでダイエットの成功者が目に見えて増えているぞ。

 数日前はボルボのディーラーに行ったら、担当のK氏が明らかに目に見えて痩せていたので「痩せましたねー!」と言ったら「糖尿で栄養が全部流れて痩せた」って。そら病気やがな! みたいな話もあったが、夜、家内とアップタウンに行ったら、ダイエットブームに挑戦するがごとくドラえもん体型をかたくなに維持するごんがいて、マスターの焼いた魚とねえちゃんの作ったおにぎりとサトイモの炊いたんを一心不乱に一人で食っていたのである。

田尾「幸せそうやのー」
ごん「ほっといてください。これでも最近ちょっと体重が減り気味なんですから」」
田尾「不規則な時間にメシ食いよったら、体が“いつメシが入ってくるかわからん”いうて防衛体制に入って、痩せんようになるんぞ」
ごん「ま、よく言いますわな」
田尾「たぶんキミの細胞は防衛体制が慢性化しとるね。体に脂肪を蓄える体制や。入ってきた脂肪は絶対出さない体制。完全に守りに入っとる。言うてみたら、既得権にしがみついた守旧派の体脂肪や。もはやその状態を脱するには、はっきり言って“体脂肪の民営化”しかない!」
ごん「お、タイムリーなネタで来ましたね」
田尾「ちょっとええ感じ?」
ごん「どっかのスポーツジムのキャッチコピーで使える(笑)。ま、何のことか意味はようわかりませんけど」

 幸せそうやろ? 私ら(笑)。夏休みの宿題まだ終わってないけど。
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