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2005年11月の日記
2005年11月30日(水)

 観光関係の講義をたくさん持っていると、フィールドワークが欠かせないのであるが、後期に開講する「四国瀬戸内観光論」の講義準備のために夏休みに四国と瀬戸内海沿岸地域をくまなくフィールドワークするつもりでいてほとんどできなかったわけは2つある。一つはねんざしちゃったこと。もう一つは、車にカーナビがついてないことであった。知らん土地をナビなしで走り回るのはどうも気乗りがせん。ところがごんがカーナビつけてうれしげに走りよんじゃ。

田尾「カーナビなんかつけとったら、人間の能力が退化していくんじゃ」
ごん「カーナビがなくて身動きできんより、私は退化しても便利な方を取ります」
田尾「あーん、カーナビ買いたい〜」

 カーナビ、買っちゃいました。それで今日、大学に行く時に初めて、行き先設定をしてみたわけです。行き先、四国学院大学。家を出発したら、おー、音声付きでナビゲーションしよるがな。

ナビ「およそ300m先、右方向です」

高速の入り口が近づいてきたら、

ナビ「その先、料金所です」

高速を下りて善通寺市内に入ったら、

ナビ「およそ300m先、右方向です」

交差点に近づいたら、

ナビ「その先、右方向です」

交差点に着くと、

ナビ「右です」

 わかっとるっちゅうに。俺は毎日のように通ってるんじゃ(というか、設定せんでもええんやけど)。とりあえず無事に「行き先設定」の操作を初体験して、朝からミーティングや講義や雑務をこなして、あたりがすっかり暗くなった頃、私は大学から自宅に向かって帰路についたのである。大学の駐車場で車のエンジンをかけると、カーナビが立ち上がった。ところが、駐車場を出てすぐの交差点にさしかかった時、カーナビがあらぬ方向の指示を出した。

ナビ「その先、左方向です」

 右やがな! 左に行ったら大学の正門に行くがな! と思った時、ハタと気がついた。行き先設定が「四国学院大学」になったままやがな。赤信号で止まって行き先を高松の自宅に直そうと思った時、信号が青に変わった。運転中は操作をしたらいかんと説明書に書いてある。どこかに止めてやり直すのもめんどくさいし、私はそのまま高松に向かって走り続けた。

ナビ「およそ300m先、右方向です」

 右に曲がったら大学に帰るがな!
 私はナビの指示を無視して左折する。すぐにぐり〜んはうす上吉田店の交差点にさしかかる。

ナビ「その先、左方向です」

 右じゃ! 左は大学に帰るんじゃ!
 私はそのまま交差点に入る。

ナビ「左です」

 右じゃ!
 無理矢理右に曲がっていきいきうどんの前を通って左にカーブすると、その先に高速の入り口が見えてきた。高速に乗ったらこっちのもんじゃ、と思った瞬間、高速の手前の交差点で、

ナビ「その先、左方向です」

 直進じゃ! すぐその先が高速の入り口じゃ! 左は大学方面じゃ! 
 ナビの制止を振り切って私は高速に乗った。ナビが黙った。さすがに交差点もない高速では手も足も出まい。途中、左から合流のアナウンスが数回あったが、それは理にかなった案内なので許してやる。約15分後、私は高松西インターで高速を下りて高松市内に入った。家までもう10分くらいだ…と思った瞬間、南バイパスの交差点で、

ナビ「左です」

 直進じゃ! ここから大学に帰ってどうする!
 産業道路をひたすら直進して家に向かう途中、信号のたびに

ナビ「左です」

 直進じゃ!

ナビ「左です」

 直進じゃ!
 家まであと3分。ミラクルタウンの交差点を右折しようとしたら、

ナビ「左です」

 右じゃ! 私は頭の中がヘトヘトになって、やっとのことでマンションの横にたどり着いたら、ナビが平然と言い放った。

ナビ「およそ300m先、左方向です」

 家通り越して向こうを曲がって大学に行け言うんか!
2005年11月29日(火)

 授業と会議の合間を縫って、兵庫県三木市の地域活性みたいなのを担当している方々が来られた。聞くと、2カ月くらい前に全国市長会で私が講演したのを聞いた市長に「田尾さんにアドバイスをもらってこい」みたいなことを言われたらしい。なんでも三木市に人をたくさん呼ぶ方法を考えろと言われているらしく、今売り出そうとしている「歴史街道」みたいなのを中心に、その歴史財産みたいなのがいくつかあるエリアの動員数を増やすにはどうしたらいいかと頭を悩ませているそうなのである。

 まあ全国各地によくある話である。私はいろいろ状況を聞きながら2時間くらい、いくつかの根本的な思い違いや戦略の方向の間違いを指摘したりして話をしたのだが、わざわざ遠くから来てくれたのでその主な内容をここで不特定少数(ま、15人くらいはこの日記を見てることが確認されてるから)の方々に公表するわけにはいかない。よって、大ネタは伏せて、小ネタを一部だけ公表しておきます。

田尾「三木市内にある街道とかお店とか史跡とかいろんな場所に、今より人が来るというのが目的でええんですね?」
担当「そうですね」
田尾「とにかく来る人が増えれば、誰が来てもいいですか? 例えば県外や市外からでなくてもいいですか?」
担当「というと?」
田尾「市内の人が市内のいろんな所に行き始めるというのでもかまいませんか?」
担当「はい」
田尾「じゃ、一銭もお金がかからずにできますよ」
担当「え?」
田尾「市役所の職員が全員、週末に家族や友達と一緒に市内のいろんな所に行けばいいんです。そしたら市内のいろんな所の動員数が毎週1000人くらい増えますよ」

 職員が全員、1年間ぐらい動けば、とりあえず間違いなく動員効果は出るし、すごい量の情報収集にもなる。同じような話で数年前、私はNHKの番組会議に呼ばれて「視聴者のニーズを調べるためにアンケート調査をやりたいが予算がない」みたいな話を受けて、「そんなんタダでできますよ。NHKの全職員が家族や知人に聞いて集めれば1000くらいのサンプル、すぐに集まりますよ」と言ったことがある。こういう話は担当の立場になったとたん、「自分が客になる」という一番簡単な方法が頭からスコーンと抜けることがよくあるのである。

 ちなみに、かつてタウン情報誌をやっていた時に私は、スタッフみんなに「昼飯は毎日違う店に行け」と指示を出したこともある。1年くらい続ければ、高松市内のほとんど全ての飲食店に社内の誰かが行って生の情報を持っている、という状況ができる。この「生の情報」っちゅうのが、いざというときに威力を発揮するのである。それを覚えていたのかどうか、当時のスタッフの笹木やW田、私が辞めた後もめちゃめちゃ新規の店を開拓してたらしい。笹木、ハズレの店にめちゃめちゃよっけ当たった言うてたけど(笑)。
2005年11月28日(月)

 朝から税務署の方が2人、家に来られました。会計士の先生も来られました。税務署の方は上司らしい男の人と担当らしい女の人の2人。

 まずは私がどんな仕事をしているかをいろいろ聞かれたので、根掘り葉掘り、笑いどころを織り交ぜながら紹介する。女の人はよく笑うのだが、上司らしい男の人はほとんど笑わないのでこっちもだんだん燃えてきて、何としても笑わすぞ! と必死で小ネタを繰り出していたら、数回笑った。よーし、ちっちゃなガッツポーズ。

税務「スケジュールは手帳とかで管理されているんですか?」
田尾「手帳と、パソコンの中に時間付きの細かいスケジュールのまとめが数年分あります」
税務「それ、見せてもらっていいですか?」
田尾「ええですよ」

 過去3年分の手帳と、パソコンの中のほとんど日記に近い詳しい行動データを見せると、

税務「このパソコンのデータ、いただけますか?」
田尾「いいですけど、アップルワークスですから開くかどうか…」
税務「アップルワークスですか…。じゃ、プリントアウトできますか?」
田尾「全部出したら150枚くらいになりますけど」
税務「じゃ、とりあえず参考に2003年の4,5,6月あたりを」
田尾「わっかりました。あの、中にところどころしょーもない小ネタまで書いてますけど」
税務「あ、いいですよ」

 とりあえず3カ月分をプリントアウトして、私は打ち合わせがあったので後を会計士の先生と家内に任せて出かけた。

 夕方、仕事を終えて家に帰ったらちょうど税務署の人が帰るところで、見送った後、会計士の先生と家内と3人でお茶を飲みながら一服した。2人ともヘトヘトになっていた。聞くと、私が外出してから昼食を挟んで5時間近く、税務署の方は私のスケジュールと膨大な領収書を1枚1枚突き合わせて延々と確認作業を行い、その横で会計士の先生と家内はじーっと作業を見ていて、質問されたらそれに答えて、質問されなかったらひたすら無言で座っているという過酷な時間を過ごしていたらしい。ご苦労様です。他人事やないけど(笑)。

 状況は、お笑い見落とし事件が1件あったが、所得隠しみたいなのはない(当たり前じゃ)。ただし経費計上したものが仕事の経費か私用の支出かの判断で、多少の見解の相違が出てくるかもしれないという、よくある話の部分だけだそうだ。それがめちゃめちゃ細かいんよ。例えば高速道路の領収書。高松西から善通寺まで700円の領収書が、大学に行った通勤目的なのか、取材目的なのか。取材なら経費計上できるが、通勤ならできない。しかし、高速で善通寺に行ってうどん屋で取材してそのまま大学に行ったらどうなるのか。半分の350円が経費計上できるのか。

 実際に高速で善通寺に行って朝の8時に宮川で「早朝の宮川」の取材をして朝飯代わりにうどんを食って9時10分から授業をやったことはある。うどん代は領収書ももろてないから経費計上してないけど、あれは経費になるのか? みたいな話を、私のスケジュールデータと突き合わせてチェックするみたいな、たぶんそんな作業をしているのだと思う。今日はとりあえずさわりだけをやって、資料を税務署に持って帰って続きをチェックするらしい。大変やなあ。他人事やないけど(笑)。

 夜、家内がヘトヘトでメシを作る気力もないと言うのでDEARにスパゲティ食いに行って、その足でアップタウンに行ってマスターとねえちゃんと牛乳屋さんとちょっと酔っぱらったなおちゃんに状況報告。アップタウンも牛乳屋さんとこも税務署との折衝体験があるので、なかなかおもろい話が聞けました。帰ってメールをチェックしたら、日記を見た勝谷さんから(昨年税務署チェックが入ったらしい)なぐさめの(絶対おもしろがってる)税務署実体験メールが入っていた。
2005年11月26日(土)

 S伯から「あれは先に入れた硬貨から認識するから、先に10円を入れたらいかん」という指摘メールが来た。ほんまにみんな、細かいことよう知っとるなあ。とりあえず月曜日、もっかいリベンジじゃ。

 今日は久しぶりに早朝から峰山に登って、昼前に観音寺に向けて出発。NTTのOBの年に一回の会合とやらに呼ばれて、90人くらいのOBの方を前に1時間半くらい話をしてきた。私の4つ年上のイトコ(NTT関連会社勤務)に頼まれたものだが、実は私の父(6年前に70歳で死去)は電電公社に勤めていて、行ってみると父と一緒に働いていたというおじさんがやおばさんがたくさんいて、昔話をたくさん聞かされました。私の父はとても真面目だったのだが、たまに職場でおもろいことを言っていたらしいことが判明したりして、なかなか楽しい昔話でした。その足で詫間の実家に帰って母に会合の出席者名簿を見せたら、知ってる人が10数人もいて懐かしがっとりました。

 夜、晩飯食って家内とテレビで「税金の無駄遣いを暴く」みたいな番組を見てたらどんどん腹が立ってきて、これ以上見続けたら暴れそうになったのでテレビを消してアップタウンに行く(その行動もよくわからんが)。家内が「月曜日に税務署が来るけん、お茶菓子買うとかないかん」とか言ったら、牛乳屋さんからチェックが入った。

牛乳「税務署の人はお茶菓子たぶん食べへんで」
家内「何で?」
牛乳「接待受けたことになるとかいうて。お茶はええけどコーヒーはいかんとか言うやん」
田尾「そういや公務員は接待受けたらいかんとか、なんやどうでもええことで縛られとるみたいっすねえ。ほな無理矢理“飲めー!”いうてコーヒー飲ましたらえらいことになるんやろか」
家内「お茶菓子食べたらもっといかんの?」
牛乳「いかんいかん」
田尾「お茶だけかまんのか」
牛乳「ほなお茶の中にお茶菓子を溶かし込んで、それ飲んだら“あーあ! お茶菓子食べた!”いうて(笑)」

 そういうわけで月曜日、税務署が来て調べられるらしいんですわ。何か、目立つと目をつけられるらしい(笑)。私、脱税しとらんし正直に申告しとるし(といっても会計士まかせやけど)、取材で食ったうどんも経費計上してないし、申告をお願いしてる会計士さんも一緒に来てくれるから別に心配はしてないんやけど、来るからには何か“おみやげ”を持って帰らないかんとか言うからきっと何かほじくり出されるんやろなあ。21世紀大賞もろた時にがもうで天ぷら1コサービスしてくれたん、申告してないけどまずかったかな(笑)。

 ちなみに、私は生まれてこの方、お金で不正やズルをしたことはただの一度もない。前の会社にいた時も、テレビやラジオやイベントに出た出演料も講演料も全部会社の売上や福利厚生で計上していたし(結婚式の司会のお礼まで会社に入れていた)、文化人講座からうどんの本まで、明らかに私の著作物の印税も全部会社の売上にして、一銭ももらっていない。計算すると、印税分だけでも3000万円くらいになる。にもかかわらず、私が会社を辞めた原因になった方々の中に、私が個人でお金を取っていたと言いふらしていた人がいたらしい。ま、別に何を言われてもええけど。
2005年11月24日(木)

 8時過ぎに大学に行ったわけです。ほんでちょっと肌寒いから研究室に入る前に温かい缶コーヒーを買おうと思って大学の自販機の前に行ったわけです。例の、こないだ1000円札を入れて110円の缶コーヒーを押したら100円玉が8枚と10円玉が9枚も出てきて1日ブルーになったという自販機。で、財布を見たら、100円玉が2枚と、10円玉が8枚も入っていたわけです。こないだの復讐で小銭の整理じゃ、と思って、100円玉1枚と10円玉を6枚入れて、110円の缶コーヒーを押して50円玉1枚のおつりを待っていたら、10円玉がチャリン、チャリン、チャリン、チャリン、チャリン…なめとんか!

今D「僕が買った時は50円玉が出てきましたよ」
田尾「俺だけに嫌がらせか! 自販機に誰か入っとんか!」

 ま、ええけど。さて今日の「アイデア開発論」は前半の講義の復習で、これまでに講義した3つのアイデアを出す道具を使って「クリスマスイベントのポスターのアイデアを出す」というのをやってみた。学生たち、道具(手法)を3つ使うだけでもう100ぐらいのアイデアがすぐに出るようになった…はず。前の方で熱心に聞いてる学生たちの目が違ってきたもん。

 で復習の後、前半のまとめということで今日は「目的と手段の整合性」という話をした。アイデアをたくさん出す。次に採用するアイデアを選ぶ。この選ぶ時の選考基準が「目的」である。「目的を達成するのに最も有効な手段(アイデア)を選ぶ」というのが、目的と手段の整合性をとるための合理的な方法だからである。でね、この例をいくつか挙げて説明していた時にふと思い出して、こないだ耳にした評論のことを事例に挙げたわけです。

 それは「分数の計算のできない大学生がたくさんいる。大学の質が低下している」という聞き飽きた話をもとに「今の大学教育は嘆かわしい。大学とは何かを考えなければならない」という結論で締めくくっている評論だそうである。大丈夫ですかぁ? それ、因果関係が破綻してますよ(笑)。

 あのー、分数の計算を教えるのは小学校や中学校や高校ですよ。つまり、分数の計算のできない大学生を生み出したのは、大学ではありませんよ。

 従って、このことで大学教育の現状を批判するのは見当違いである。大学を批判するとすれば、大学がそんなレベルの生徒を合格させることに対してであろうが、では小中高校が生み出した「分数の計算ができない生徒」は大学に行ってはいけないのか、という話にもなるから、これも単純に大学の姿勢を批判するわけにはいかない別の問題である。しかしまだこんな単純な因果関係もわからずにやみくもに大学批判をしている人がいるとは、そっちの方が嘆かわしいがな(笑)。
2005年11月22日(火)

 久々に日記が大きく飛びましたなあ。先週は通常の大学の講義の他に、警察学校での講義(あの校舎に入った民間人は私が3人目だと聞いた)や四国日販会での講演(久しぶりに会った宮脇書店の専務にえらい褒めてもらいました)、RSKラジオの2時間特番出演、KSBのゴルフ(多賀さんや中村君、本庄さんらも一緒)という小ネタ満載の1週間だったのだが、大学の講義以外のプロジェクトが忙しくてうなっているうちに、あっという間に1週間以上経ってしまったわけです。

 今度のプロジェクトは相変わらずおもしろ系ですが、少々アカデミックです。学生軍団の主力メンバーは、ナンパ男星野O、ネボウ阿B、リクツ屋今D、ちっちゃいO野、天然K村、インパクト源成、それに助手の真鍋。来年の3月にその全貌が世に出ます。プロ組はダッズの松本君と笹木、W田あたり、心の準備しといてね。とりあえず今めちゃめちゃ忙しいのでまた連絡する。ほな。
2005年11月13日(日)

 佐伯(元TJ Kagawaの二代目編集長)が結婚するという大惨事、いや大賛事になって、昼から屋島のオーベルジュ・ド・オオイシのガーデンパーティー形式の結婚披露寄り合いに行ってきた。FM香川の最高のパーソナリティと私が絶賛する井川君が手下を連れてめちゃめちゃおもろい若手漫才トークをやった後、私と「相互褒め称え条約」を結んでいる同じくFM香川の中井さんの2人で元若手トークをやるハメになって、微妙にかみ合わない(笑)熟年トークをタイムオーバーでダラダラとやって、私は佐伯の結婚の会だというのにいつもの調子で暖かい祝福の言葉もなく、「むかつきシール」の話でよっけしゃべって、みなさんすんませんでした。中井さんがちゃんと祝福で締めてくれてよかった。

 佐伯の結婚パーティーということで、久しぶりに旧ホットカプセル組がたくさん集合して、ほとんど同窓会じゃ。みんなそれぞれ第二か第三かわからんが新しい人生を歩み始めて、痩せたやつもいれば太ったやつもおるし、ヒゲが増えたやつもいれば髪が減ったやつもおるし、けどみんな一時より精神的に健康そうでちょっと安心しました。お互い苦難はまだまだあるだろうけど、がんばろうな、みんな。佐伯も奥さんもおめでとう。あとは松村か…。
2005年11月12日(土)

 夜、善通寺の居酒屋で「平成こんとん食堂」の打ち上げをやった。参加者は社会人側が、大学の先生組で私と銀河鉄道の上村さん、麺通団はごんとH谷川君、うどん屋の大将組が清水屋の清水君、白川うどんの山下君、SIRAKAWAの白川君、上戸うどんの上戸君、天ぷら屋の大将組は藤原屋の藤原君、日清冷凍食品からM宅さん、服部君、D々。以上12人。

 学生側は助手の真鍋(学生でないけど)、男子学生がリーダー福D、2年組は中野、岡坂、横山、合田、河上、川口、1年の斉藤軍団の斉藤、川本、篠原、竹田、女子学生が0西、白川君が「ミキティ」と命名した野田、1年の松井。以上15人。合計27人。誰か抜けとるかもしれん。

 ちょっと狭かったので詰め詰めで来た順に適当に座ったら、奥の方に社会人組、手前の方に学生組という配置になって、あちこちで話が弾んで3時間近く、途中で学生数人が社会人組の方に来たりして、ごんは早速しょーもない話で学生の篠原を手なずけたりして、夜10時頃解散した。

 実は最初、打ち上げも授業の一環だと思って、社会人と学生をバラバラに混ぜて座らせようかと思っていたのである。混ぜて座るとたぶん、最初は話が弾まないことが予想される。けど、学生たちに無理矢理にでも話題を切り出して社会人と話をするということをやらせたかったのである。気の合った学生同士で話が盛り上がってコミュニケーションを促進して友達関係が強くなるというのも学生にとって悪くはないのだが、私は学生に、とにかく機会があれば社会人と話をさせたいのである。

 まず、学生同士の会話は、内容も考え方も展開も、話し方もつなぎ方も気の使い方も全て、社会に出て通用しないレベルのものが大半である。だけど多くの学生はそれに気がついていない。だからそこにちょっとだけ突っ込ませてやりたいという思いがある。さらに今日の社会人組はみんな、学生のすぐ上の世代の20代、30代、40代だから、こいつら(学生たち)が社会に出たら一番多くコミュニケーションを取らなければいけないだろう先輩たちである。さらに、今日のうどん屋の大将たちはいろんな経験を積みながらプロの職人としての生き様を持っている。日清組や麺通団組はサラリーマンとして、会社人として、多くの悩みと苦労と成功を経てきている。しかもみんな、説教臭くないキャラでありながら心が熱いという、ええやつばかりなのである。語るやつが数人おるけど(笑)。

 ま、何人かはちょっと社会人と絡めたからええとするか。また機会は何度もあるやろ。

H谷川「学生が一人、“ごんさんおもろいわー!”言うてましたけど、ええんですか?」
田尾「学生はまだ免疫がないからなー。ごんごときのギャグに引っかかってしまうんじゃ。あとでよーに言うて聞かしとかないかん」

 途中、上村さんが白川君の考え方を根掘り葉掘り聞いて、うどんに対する気構えに「感動したよ!」と言っていた。

H谷川「表向きはお笑いですけど、みんな熱いですからね」
田尾「上村さんも免疫がないから(笑)」
2005年11月11日(金)

 11月11日の11時11分11秒に私は423教室で「観光文化論」の出席を取っていたのだが、ま、それだけのことである。

 次の日曜の四国新聞の「論点香川」は私の番で、今週の月曜日が原稿の締め切りだったので締め切りを守って新聞社に入稿をして4日後の今日、新聞を見て「ありゃー」と思ったのである。今回の原稿は、

「アートの島として人気急上昇中の直島の去年1年間の入り込み数は10万人くらいで、凋落ぶりの激しい栗林公園や屋島でも50万人以上だから、観光客急増のイメージがあるにもかかわらず直島は意外と少ない。その理由は推測するに、船でしか行けないという島のアクセスの構造的なハンデと、もう一つ、アートはグルメやレジャーに比べると人を動かしにくいという素材的な特性にある。よって、観光行政はアートに大きな動員増の期待を掛けない方がいい。またアート(芸術文化)行政は観光客動員を目的の上位に掲げない方がいい」

という内容を書いた。そしたら今朝の新聞に、

「香川大学が観光立県を目指す香川への地域貢献を目指してツーリズムコースを設置する。直島や坂出の東山魁夷美術館などのアートを切り口にした観光芸術論などの講義を開講する予定」

という記事が載ったのである。私の記事は明後日の日曜掲載。今日このニュースが出て日曜日に私の原稿が載ったら、何か私がこのニュースを見て少量の水を差したように取られそう(笑)。再度言うときますが、私、このニュースを知らずに先に原稿書いて入稿してますからね。ま、別に言い訳するような内容ではないですけど。

 授業を終えて夕方KSBの「スーパーJチャンネル」に出て7時前に終わって、今日から家内が3日間、大学で兵庫県に行っている娘の所へ行っているので、KSBからそのままアップタウンに行こうと思って東に走っていて途中でふと「いっぺん家に帰ってもうちょっとだらしない服に着替えてから行こう」と思って引き返していたら、途中からな〜んか怪しい車があとをつけてきて、マンションの駐車場に入ったらその怪しい車から怪しい男が降りてきてこっちへ走ってくるのでちょっと身構えたら、情報誌時代に仕事で時々会っていたデザイナーの松本君だった。俺の周りの松本君、4人や(笑)。

久しぶりに会って、「ほな茶でも飲みに行くか?」いうことになって、共通の仲間である麺通団員のS原も呼んで、3人で車を走らせながら「おしゃれなカフェでも行こう」ということになったのだが、我々3人の誰もおしゃれなカフェを知らなかったので、これまた我々共通の仲間であるケーキ屋のモンシェールに電話をして、店閉店してるのに開けさせてケーキと紅茶飲みながら話が弾んで、気がついたら日付が変わって午前2時半! 弾みすぎじゃ!

 松本君はサラリーマンからデザイナーに転身して、そのうち趣味の何か模型とかジオラマ作りが高じて、同じ模型好きの有名タレントにもかわいがられるようになって、ついには最近、大きな声では言えんが世界的にすごいところからあるものの制作依頼が来て、やっと嫁さんに面目が立ちつつあるというプロフィールだ(そんな紹介でええかな)。人生とは予測もつかん。ただ、真面目にがんばっていれば道が開ける(こともある)という、学生に紹介したい一つの事例であろう。真面目にがんばっていたかどうかは知らんけど(笑)。S原いわく、「今日は久しぶりに真面目な話をたっぷりしましたわー」だそうです。睡眠時間減ったけど、ええ一日でした。
2005年11月9日(水)

 日清冷凍食品のM宅さんが昨日大学に研究室にやってきて、讃岐うどん界を震撼させる大ニュースを報告してきたのである。

M宅「山越の奥さんがね、痩せとんですよ」
田尾「えーーーーっ!!!!」

 というわけで今日、大学に行く前に朝の早よから久しぶりに山越に行ってきました。店に入るといつものようにおばちゃんが何人も働いていて、奥には山さんがさわやかな笑顔でうどんをゆでていて、見渡しても奥さんが見当たらない。あれー? いつも奥さんがいるはずの陣地あたりを見ても違うおばさんが……あーっ! 違うおばさんでない! 

田尾「痩せてるー!(笑)」
奥さん「痩せたやろ? みんな“病気違うん?”言うんよ」
田尾「どしたんですか」
奥さん「一日6食食べよったんを4食にしたら痩せたんよ(笑)」
田尾「昨日M宅さんが“1日8食を4食にしたらしい”言うてましたよ」
奥さん「まー、そなに話が大きなっとんな!」
田尾「ほんまに、びっくりしてもう授業休講にして見に来たんやがな(笑)」

 久しぶりに来た山越は相変わらず元気で楽しくて、かけ大にチクワ天を取って朝からいい気分で授業2本をこなして、夕方は清水屋でH谷川君らと「こんとん食堂」の精算作業をやって、大学に帰って夕方6時頃まで残務とミーティングをやって本日の業務を終了しました。

 「平成こんとん食堂」は4時間営業の3日間で、延べ2000人もお客さんが来てくれました。しかもそのうち半分くらいが学生以外の外から来てくれたお客さん。学生主催で「身内の“学芸会”はしない」というカルチュラル・マネジメント学科のプラクティカムの目的は、期待以上の成果を上げることができました。みなさん本当にありがとうございました。ちなみに「平成の創作こんとん」プロジェクトは今後、さらに“こんとん仲間”を増やしながら、新作の開発からいろんな県内イベントへの出没、店でのメニュー化、おみやげ商品化などを目標に、またごぞごぞやっていく計画です。みんなで遊びましょう。

 H谷川君から日付ミスの指摘。11月1日の日記で書いたラジオ特番のお知らせは、18日でなくて19日(土)の間違いでした。ほんまに、白川の定休日は覚えんわ日付は間違うわ、(笑)。
2005年11月7日(月)

 マーケティングやマネジメントや人材活用の講義を持っていると、つくづく「ビジネスの現場に24年間もいてよかったなあ」と思うわけである。さらに幸いにも平社員から小さい会社ながらも社長まで経験させて頂いて、その間、苦労も成功もトラブル(暴力団から暴力的右翼、エセ同和まで相手をさせて頂きました)も裏切り(笑)も経験させて頂いて、振り返れば私のこれまでの人生において全てありがたいことであったとつくづく思うわけである。

 しかしビジネスの世界は実に動きが速い。講義する立場になってもビジネスの現場にはなるべく多く立ち会っていなければ、すぐにセオリーが現実に通用しなくなってしまう。だから、こういう機会はなるべく出かけていくのである。朝からJRで松山へ。松山商工会議所の経営革新セミナーとやらに呼ばれて2時間ほど、私の「アイデア開発論」と「マーケティング論」の一部をダイジェストでお話しし、その後、対面アドバイスの時間に私との個別相談を希望してきた6人の受講者の方々と、2時間半にわたっていろいろお話しした。

 中には公務員を辞めてビジネスを始めたが何度やってもうまくいかないという、人生相談みたいな相談を持ちかけてきた方もいらっしゃったが、新聞で扱われるような大きな経済や大きな企業の話ばかりでなく、こういう経済の末端でビジネスに苦闘している方々の話を直接聞くのもまた、マーケティングやマネジメントの貴重なフィールドワークになる。

 夜の9時半頃、高松に帰る。帰りの電車の中でパソコン開けて仕事をしながら、今治を過ぎたあたりで一段落したので、駅で買った小林よしのりの「新ゴーマニズム宣言」を読んでたらものすごく強い気持ちになって、会社を辞めて以来私に対して憶測でいわれのない中傷をする5人の人間(うち2人は会ったこともない)にここで反撃をしてやろうか(笑)という勢いで日記に向かったが、夜中に書くと必要以上に熱くなるので抑えておこう。すんません、私は自分でいうのもなんですが温厚で後ろめたいことは何もやってきてないつもりなんですが、許せん人が5人おります(笑)。うー、書き始めんうちに寝よっと。
2005年11月6日(日)

 昨日、一瞬油断する時間が空いたので遊ゼミのあと夜の11時前にアップタウンに行ったら、日本で最後に衣替えをする男・しんちゃん(冬でも半袖・短パンOK。国会議員を目指して焼き肉屋を経営中・笑)と、酔っぱらって凶暴になったなおちゃんと、女の子なのに「馬の助」と呼ばれる博物館学芸員の馬の助(本名知らん)と、うちの家内がいたのである。何か政治の話をしてたら軍隊の話になって…。

しん「テレビで討論みたいなのを見よったらな、共産党とかぜんぜんあかんわ。自衛隊廃止! 言うとって“外国が攻めてきたらどうするんや”言われたら“みんなで力を合わせて…”やって(笑)。何の力を合わせてどうするんやっちゅうねん(笑)」

 もう100回以上聞いた不毛の論争というか論争にもなってない話であるが、要するに「軍隊必要派」は「軍隊不要派」から「戦争をするようになるやんか!」と突っ込まれ、それに対して「文民がコントロールして、軍隊が暴走せんようにするんじゃ」と反論し、逆に「軍隊不要派」は「外国が攻めてきたらどうするんじゃ!」と突っ込まれ、それに対して「攻めてこない…」とか「話し合いで…」とか答にならないような回答で、つまり軍隊なしで国民を守ろうとしたら「解」がないということを露呈するのである。

 私はずーっと前から、「軍隊不要派」のあまりに明白なこの論理の破綻を解消する「解」が、一つだけあると思っている。つまり、日本は絶対に戦争をしないように軍隊を放棄する。「じゃ、攻めてこられたらどうするんだ」という突っ込みに対して、「その時は、いつ来るかわからない世界平和のために、我々は戦わずして死ぬ」と言えば論理が成立するのである。

 なぜそう言わないのか、不思議で仕方がないのである。死にたくない国民にこびているんですかね。こびて論理が破綻するより、整合性の取れる論理を吐いた方が支持する人も多くなると思うし、言ってる自分も心中に矛盾を抱えなくてすむ分、精神が非常に健康になると思うんですが。

 などと言っているうちに何と、アップタウンで午前1時半を回った。私のアップタウン夜更かし新記録かもしれん。明日は松山で2時間もセミナーの講師だというのに、全然準備できてないぞ。
2005年11月1日(火)

 隙間なく仕事が埋まっていた昨日、そのうちの一件が緊急の仕事になって、おそらく実働20時間くらいかかりそうな仕事を金曜日の朝までに仕上げないといけなくなって、昨日の晩も夜8時頃家に帰ってメシ食って風呂入って授業準備をした後、その仕事を午前2時頃までして2時半頃寝て6時過ぎに起きて8時に大学に行って、さすがにちょっと甘いものが欲しくなって大学の自販機でめったに買わない缶コーヒーを買おうとして1000円札を入れて110円のボタンを押したら、おつりにおよそ考え得る最大枚数の100円玉が8枚と10円玉が9枚出てきて朝からテンションうなぎ下がりだ。内側に開くおつり受けのカバーが、小銭いっぱいで押し込めんのだもの。一瞬「うわ、誰かおつり取り忘れとる…」と思ったもん。

 研究室に入って授業の直前確認をしようとしたら、パソコンの電源コードとマウスを家に忘れてきてた。腕時計も忘れてきてた。ま、ええか。何とかなるわ。

 今日は朝から授業が2本。昼から緊急の仕事をちょっとして、学生からのインタビューを受けて、警察学校の谷さんが訪問してきて、RSKの石原Dからラジオ番組の相談電話がかかってきて、兵庫県三木市からまちづくり関係の相談依頼が来て、こんとん食堂の事業収支の整理をして、夜は東京麺通団の山中店長や福田社長や監査役の中條さんらとミーティングをして、9時半頃家に帰って午前2時まで仕事をした。もう今日は寝させてくれ。ま、自分で寝たらええんやけど。

 H谷川君からこないだ「テレビやラジオに出る時は前もって言うてくださいよ」と言われたので報告すると、11月18日(土)の夜18:00から20:00まで、中四国ネットのラジオ(岡山はRSKラジオ、香川はRNCラジオ)で何か麺の特番みたいなのがあるらしくて、香川からは私とごんが出る予定です。
 
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