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2005年12月の日記
2005年12月24日(金)

 中四国ネットのラジオ番組に呼ばれて、西日本放送のスタジオから2時間の生放送。タイトルが「讃岐発 イブはやっぱりUDONだぜい」って、私は「イブぐらいうどんから離れさせてくれ」やけど(笑)。しかもうどんのルーツが空海なら、うどんは真言宗ちゃうか?

 本広監督も電話出演してくれて映画の爆弾情報も発表されて、夜8時に番組を終えて家内とアップタウンに行ったら、マスターとねえちゃんとごんとねえやんと牛乳屋さんとなおちゃんと細川と馬の助とヒワサさん(漢字知らん)という豪華メンバー(何が豪華かわからんけど)が揃ってて、建設的なバカ話で夜の12時まで長居した。明日から4日間、夏に行けなかった観光マネジメントの取材旅行で国内数カ所に出かけますので、日記も4日休みます。ほな。
2005年12月22日(木)

 今日は今年最後の授業。私の十八番(授業で「十八番」も変だけど)の「アイデア開発論」を、年末大サービスの懇親の実践ビジネスバージョンでお贈りして締めくくった。残務を終えて学科事務室に行ったら学生のネボウ阿Bと星野Oが子犬のような目で訴えてくるので年末大サービスでビリヤードのお相手をしてやって、5〜6年ぶりではあったが若いもんの芽を摘んだらいかんと思って彼らのプレーを温かく見守りながら、コテンコテンにやっつけてやった(笑)。

 夜は四国新聞社の生活文化部の忘年会。会場はこぢんまりとしたフロアにSWJOのジャズが予定されているのでピアノとドラムセットがあって、3〜4人で囲むテーブルが7つ8つあって、後ろはカウンターでイタリアンな料理が並んでいるという感じ。去年と同じく家内と2人で行ったのだが、文化関係の方々が数十人招待されていてどうも私らだけ場違いな感じがして居場所がない…と思っていたら、もう一人場違いな建築家の多田さん(笑)がいたので、3人で一番前の丸テーブルを占領して座った(めちゃめちゃずうずうしいやん)。

 司会進行は去年に続いて松浦さん(生活文化部の女傑)。俺、あんなおもろい進行役知らんわ。と思っていたら、ビンゴゲームの進行を担当した松浦さんの手下の若い男の子が、これまた珠玉のおもろい進行をやってのけて、何か人材豊富やなあ、あの部署。

 多田さんと建築関係の旬の話題をしていたら、あの「バトルロワイヤル」を書いた高見君があいさつに来ました。

田尾「あれって深いん? 浅いん?」
高見「浅いっすよ(笑)」

という暗号みたいな会話から、

田尾「今、何しよん?」
高見「引きこもり(笑)」

高見「田尾さんのあの視点って、何で勉強したんですか?」
田尾「都村さんに手法を教えてもろて訓練した」

 とか言っているうちにジャズが始まって声が聞こえなくなったので会話終了。何かここ数年、香川って才能あふれる若い人が結構出てるなあ。高見君をはじめ、本広監督や朝原監督やバイオリンの川井さんやアナウンサーの中野美奈子さんや、竹内さんの息子さんもハリウッドに認められるフィギュアの天才やし、ダッズの松本君も模型の凄腕やし。みんな、さらにビッグになってやー。ほんで香川を忘れんといてなー。
2005年12月21日(水)

 今日は11時10分からの授業なので、朝、例の本の取材を兼ねて朝食に山越に寄ってから大学に行こうと、8時前に家を出たのである。「山越は今さら取材せんでも原稿書けるやんか」「しかも土曜日に行ったばかりやないか」というツッコミが入るかもしれないが、私は店の基本データやメニューやそんなものを取材して原稿を書くタイプではないので、取材のパターンが普通の情報誌のライターとは違うのである。で、8時半頃山越に着いたら、あれ? 店が開いてない。えーと、営業時間は…9時からやないの!

ごん「山越の営業時間も覚えてないんですか!」
H谷川「さすが団長、普通のライターとは違いますね」

 しかたなく予定を変更して宮武に行ったら、定休日やないの。

H谷川「だからええ加減に覚えてくださいよ!」

 宮武は水曜が定休日、と。白川は月曜休み、と。

 で、大学の近くの宮川でうどん食って大学に行って研究室でメールを見たら、H谷川君から爆弾情報が届いていた。なんと、確かな情報筋からの情報によると讃岐家(あのなめこおろしの名店)が年内で店を閉めると!

 授業を一つ終えて研究室に帰ったら、今度は団員D々からメールが入っていた。

「讃岐家が店を閉めるそうです」

 ほんまか、おい! 私は電話でH谷川君とごんに今晩の集合をかけた。午後、授業をもう一つ終えて、教授会に出て、その後5時半まで学生と制作作業をして残務を終えて高松に帰って夜8時、私と家内とH谷川君とかめちゃんとごんとねえやんの6人で讃岐家に行って、私はいきなり聞いた。

田尾「大将、店閉めるん?」
大将「はい。田尾さんにどやって連絡しょうかと思ってたんですけど、昨日別府さんから年末に店に来てくれるとかいう電話があったから店閉めるのを言うたら、早いなー! すぐに東京の違う人から“店閉めるんですか!”いうて電話がかかってきて。そしたら今、田尾さん来て(笑)」
田尾「大将、連絡網としてはベストのところから行ったわ(笑)。で、いつまで?」
大将「30日までです」

 閉める理由は客が詮索しても何の力にもなってあげられん。聞いたけど。けど大将、明るくてちょっと安心した。

大将「何にしますか?」
田尾「そんなん、店閉めるとなったら今まで注文したことのないもん食べるがな。大将、一番長い間作ったことのないんどれ?」

 私は讃岐家で一度も食べたことのない山菜うどんを注文し、それから1時間近く、カウンターを占領して6人で大将を相手にあれやこれや話した。大将、持病の腱鞘炎がかなりきついらしいが、力を振り絞って、30年付き合ってきた麺打ち台と包丁で、後から入ってくるお客さんのためにうどんを打つ。それを見ていたら、とても他人事のように「何とか店を続けてくれ」とは言えんがな。

 そうこうしているうちに、またお客さんが入ってきた。小つるさんやがな!

小つる「何にしようかなあ。最後やから食べたことないもん注文せないかんなあ」
大将「みんな同じこと言うんやなあ(笑)」
田尾「大将、これ“店閉める”言うたらみんなよっけ来るで」
ごん「どっかの洋服屋みたいにずーっと店じまいセールやったら?」
大将「それええな(笑)」

 最終日はみんな集まって、讃岐家の店にある食材全部食べ尽くすか。もしよかったら、皆さんお越しください。
2005年12月17日(土)

 実は今、西日本出版社の内山さんから「超麺通団V」を書いてくれと言われて、来年春の出版を目標に作業を進め……ようとしている人たちの足を止めているところである。頼まれてからもう半年以上が過ぎているが、今日と明日はその取材のために朝からカメラマン同行で、「麺通団がご案内する初心者のためのベストコース土曜日編と日曜日編」のロケで、ごんとH谷川君を捕獲して、ごんの車で高松駅からがもうに向かって出発したのである。

田尾「俺はやる時はやるんじゃ」
H谷川「今日までに10本ぐらい原稿書く言うてましたからね」
ごん「今どのへんまで行っとんですか?」
田尾「そやってな、すぐに進行状況とかを確認しようとするところがきみの悪いクセや。人の営みっちゅうのはな、目に見えるものだけで判断したらいかん。大事なのは魂じゃ」
H谷川「団長、新ネタですか」
田尾「確かに今日現在、原稿は1行目に差しかかったところやけど」
ごん「何も書いてないっちゅうことですな」
田尾「大事なのは書こうという強い意志。その魂を評価せないかん。結果なんて言うのは、その魂の積み重ねがただ表れただけに過ぎんという、そういうもんじゃ」
ごん「結果になって表れてませんが」
田尾「ま、魂が抜けてたというか…」

 ごんがバスを追い抜いて前に出た。
田尾「相変わらずひどい運転するのー」
ごん「制限速度ですよ! バスが遅いから前に出ただけやないですか」
田尾「きみの常に他の車の前に出ようという潜在的な悪魔の魂が、そういう結果を生んだんや」

 眠いので自分でも何を言ってるのかわからん。とにかくしゃべりながらテンションを上げて、朝8時半にがもうに着いて、カメラの安藤君と合流してバチバチ写真を撮って、たむらに行ってバチバチ写真を撮って山越に行ったら、みぞれ混じりの雨が降ってきたのである。西の空はもう雪空。今日から明日にかけてすごい寒気団が来ているとお天気の清水さんが言っていたことを思い出した私は、安藤君に指示を出した。

田尾「これ、今日もうあかんな。今日はこれぐらいにしといてやるか」
安藤「名誉ある撤退ですね」
ごん「というか、まだ10時半ですよ」
田尾「今からたちまちのうちに雪が積もって道路が凍結する。そうなったらお前、車、空回りやぞ。タコメーター振り切るぐらい踏み込んで、時速2センチやぞ」
ごん「帰りたいんでしょ? あんたさっきから撮影の指示もええかげんでしたからね。“とにかく余分目に撮っといて”って、どんな指示や」
田尾「まだ頭の中で全然整理できてないの」

 結局山越で写真撮った後、我々は名誉ある撤退を決議した。

安藤「明日はどうしましょ」
田尾「明日も中止。もう雪積もって凍結してワヤやってお天気の清水さんが言いよった」
ごん「お天気以前に、何の写真撮るか決めてからにしましょ!」

 山越で解散。私とごんとH谷川君は、せっかくやからお茶でも飲んで解散しようとK西君のやっている豊浜のILTカフェに行くことにして、高速に乗って豊浜に向かっていたら高瀬あたりで横なぐりの雪になって、こらいかんということで途中でインターを降りて2度目の名誉ある撤退をして昼前に家に帰った。

 昼から家で、ほんまに原稿に着手しました。一気に40文字×20行ぐらい書いていたら、来週の授業計画を整理してないことに気づいてもうそっちに気が飛んでどっちつかずになって、頭の中で白い私とヤリ持った黒い私が「優先順位はどっちじゃ!」「授業計画です」というやりとりをして、本日の原稿終了。外を見たらすっかり雪も上がって青空やがな。
2005年12月14日(水)

 昨日、授業の後でおもろい方のO西に「田尾さん、髪型が姉歯っぽい」と言われたのでしょうがない、今朝は姉歯度を下げるために、いつも六四あたりで分けていたのを「これが姉歯度の原因じゃ」と思って七三ぐらいにして行ったら、今日、証人喚問に出てきた姉歯元建築士、七三に分けて出てきてるやないの! こないだまで六四やったやんか! ま、どうでもええ話ですが。

 ちなみに大学でメールをチェックしたら、1年ぶりぐらいにタウン情報全国ネットの小爆弾O西からメールが来てたので何事かと思ったら、「東京でもウワサです」というタイトルで姉歯元建築士の写真が3枚送られてきていた。ほんまに、俺の周りの「O西」いうのは脳ミソつながっとんかい!

 今日は11:10から講義につき、朝、取材を兼ねて久しぶりに綾南の「たむら」に突撃した。朝一からおっちゃん、あのにこにこした笑顔でうどんを打っていました。

 久しぶりに行って食べると、たむらの良さが際だって素晴らしく感じられるなあ。麺もダシもかたくなに洗練されない、田舎うどんそのままです。思い起こすと「ゲリラうどん通ごっこ」の最初の頃、みんなで好きな店を言い合いっこしてた時に麺聖森村だけがたむらをイチオシしていた。私も食べに行ってたむらはもちろん好きな店に入っているのだが、今頃になって森村が押していた意味が本質的にわかってきたような気がするぞ。やっぱりあいつは真性のうどん食いじゃ。クセあるけど(笑)。

 しかしそれにしても私ごときが偽装事件の真相を暴くつもりはさらさらないけど、ビジネスを知らないマスコミや評論家や議員さんたちが多くて、企業活動の何たるかがすごく歪めて伝えられているのだけはちょっとイヤになる。中には利益を追求すること自体が悪であるような評論や、経費節減自体が悪であるような評論まであるが、さすがにそれは違うぞ。売上を増やし、経費を節減して利益を出すのが企業活動の基本的な原則ですよ。問題は「違法性」でしょうが。企業活動が悪であるような洗脳をするのはどう考えても間違いです。利益を追求する企業活動が悪なのではなくて、違法な企業活動が悪なのですよ。

 「経費を落とせ」と指示したかどうか、なんて追及したってあまり意味がない。企業活動は、健全な企業でも社内にも取引先にも「経費を落とせ」と指示をするのです。問題は「法を犯しても経費を落とせ」としたかどうか、さらに、法を犯して経費を落としたかどうかでしょう。ま、後者はそれをやったから今こうなってるんで、今さら追及する点ではないけど。

 などと思いながら今日は授業2本と会議を終えた後、1月の学科内発表会に向けて発表ツールの制作作業を学生らと夜の11時頃までやった。途中、昼飯も食ってなかったので助手の真鍋と学生の福田、今田の4人で大学の近くの“針の穴場”、“市街地の秘境”驚愕の「ハトポッポ」なる店へ行って名物「どんカレー」
を腹がパンパンになるまで食った。あれはすごい。キャベツの可能性を思い知らされる。怪しさ大爆発! 営業時間も怪しい。夕方、よくわからない時間に開店し、閉店時間は「神野先生が帰るまで(爆笑)」。
2005年12月13日(火)

 会議を重ねるたびに仕事が増えていくぞ(笑)。

 2003年に開設されたカルチュラル・マネジメント学科では、学科長以下、日々学科充実のためにいろんなアイデアを出しては検討し、実践し、改善し…とヘタな民間企業以上に動いているのだが、新参者の私と上村先生はいずれも民間から来たということもあって、大学のいろんなルールや進め方は学科長にお任せしながら、企画や作り物で意見を出したり現場を担当したりという、いわば学科内の“産学連携”みたいな形で今、いろんな改革を進めているのである。

 で、私は本職として所属する組織の仕事は最優先でがんばるという性格なので、どんどん仕事が増えていくというわけです。私は「成果がやりがいを生む」と考えるタイプなので、やることが目的ではなく、やるからにはとにかく成果を挙げたい。だから、やみくもではなくてちゃんとマーケティングしてがんばる。今抱えている仕事や頼まれごとがいっぱいありますが、そういうわけで私にとっては大学の学科の仕事が最優先なので、その他の仕事については申し訳ありませんが優先順位をつけさせてください。

 と、他の仕事が遅れていることの言い訳をしておいて、と。今日はその忙しい合間を縫って、来客が予定されていたのである。先週だったか、研究室に電話がかかってきて、何か島根だったか鳥取だったか、何か地域おこしみたいな事例を調査しているみたいな先生だったかコンサルタントだったか、電話の内容はよくわからなかったのだがこちらに来て話を聞きたいとのことで、火曜日の夕方しか空いていないと言ったら、今日の夕方4時半に大学に来るというので待っていたのである。そしたら、5時になっても5時半になっても、誰も来ないし連絡もないの。

 4時半前に上村さんが研究室に来て、「何しよん?」と言うから「人を待ってる」と言って、「じゃ、来るまで」と言って学科の仕事の話をしていたら5時を過ぎて、私が「もうちょっと待ってみる」と言ったら「田尾さんはやさしいなあ。俺だったら約束の時間10分過ぎたら怒って帰ってるよ」と言われた。そうですよねえ。

 結局5時前に上村さんが帰って、それから1時間30分ぐらい、仕事しながら待ってたけど来ないので帰った。私は今、大学の研究室と家の仕事部屋と2カ所に資料を分散して持っているので、家に帰らないとできない仕事が半分くらいある。今日は家でする仕事がたくさんあったのだが、2時間ぐらいロスした。なんだかなあ。
2005年12月12日(月)

 昼から高松南高で、1年生300人くらいと父兄30人くらいを前に出張授業をやってきた。ほんと、誰も信用してくれんのだが、私は人前で一人でしゃべるのはとても苦手で、相方がいるバカ話なら大丈夫なのだが、講演みたいなのはいつも気が重いのである。じゃ、本職である授業はどうなのだと言われれば、初めて教壇に立った最初の数回はやっぱり気が重かったのであるが、数回やるうちに学生を“疑似相方”的に扱いながらしゃべるというスタイルを見つけて大丈夫になった。

 で、今日は講演の本題に入る前に前ふりで「学校の勉強が社会に出て何の役に立つんや」という、勉強があまり好きでない生徒の“永遠の開き直り的問いかけ”に対する私なりの答を話した。

 まず、「サイン、コサインを覚えて社会で使えるんか」「ゾウリムシの細胞を覚えて何に使うんや」「645年、大化の改新」を覚えて、そんなのどこで使う場面が来るんや」などという質問に対しては、「社会に出てサイン、コサインの問題に直面することは、特殊な職業以外はない」と答えた。学校の教科書で勉強した内容がそのまま社会に出て自分の前に出てくることは、クイズ大会に出た時以外はたぶんないぞ、と。ではなぜ勉強するのか?

 生物学的か生理学的か、そういう観点で正しいかどうかは知らないが、私の持っているイメージはこうである。

 頭の中に無数の「点」がある。例えばゾウリムシの細胞のパーツの名前を覚えたら、その無数にある点のうち、どこかの点と点が一つつながる。「いい国作ろう鎌倉幕府」と一つ覚えたら、違うどこかの点と点がつながる。あるいは部活でテニスのサーブの仕方を覚えたら、またどこかの点と点が一つつながる。三角形の合同の証明を一つ解いたら、どこかの点と点が5つぐらいつながる。解けなくても、解こうとしただけでどこかの点と点が一つぐらいはつながる。

 そして社会に出て行く。社会に出ると、家庭の中や会社の中や友達同士やいろんなところで、自分の前に正解のない問題や課題が次々に出てくる。それを自分で一つ一つ考えて、何らかの答を出さないといけない。その時のイメージは、頭の中のどこかの点(問題や課題の出発点)からスタートして、途中100コくらいの点を経由しながら、よりベターな一つの点(自分なりの答)に到達して行動するという感じである。

 その時、100コくらいの点をつないでいく時にその途中でいくつかの点と点がつながっているところがあれば、答に到達するのがちょっと早くなるではないか、ということである。さらにもう一つは、途中の点がいくつかつながってると、答に向かう道筋が途中で変な方向に行くことを、ちょっとずつ避けられるのではないか、ということである。だから、社会に出る前になるべくたくさんの、一つでも多くの頭の中の点をつないでた方がええんではないかと。ま、漠然とそういうイメージを私は持っているのである。

 余談であるが、以前テレビで島田紳助さんが「何で勉強するんや? とずっと思ってたけど、こないだ娘に“何で勉強するんや”と聞いたら“勉強したら人生の選択肢が増えるやん”と言われて目からウロコが落ちた」と言っていたのを見たことがあるが、20数年間、平社員から社長までやらせて頂いた私に言わせれば、それはちょっと違うところがあると思いますね。

 勉強して選択肢が増えるのは、イメージで言えば「80点以上取った子だけ」である。例えば野球で80点を取った子は「野球」という職業の選択肢ができ(80点では無理か)、がんばって勉強もして英語でも80点取ったら「英語」という職業の選択肢がもう一つ増える。けど、野球で50点の子ががんばって60点になっても、たぶん60点では残念ながら「野球」という職業の選択肢はないし、国語も50点や60点では「国語的」な職業の選択肢は発生しないと思う。総合力としての60点でも、大した選択肢は増えない。ビジネスの世界は今の学校の勉強の50点や60点で選択肢が増えるほど大甘の世界ではないのである。

 「学校の60点」は「社会の10点」くらいのイメージである。「学校の100点」は「社会の30点」くらいではないか。みんなそれを、社会に出て実践の中で60点や70点や100点にして、通用するようになっていく(選択肢が増えていく)のである。その時に、点がたくさんつながっている方が、飲み込みが早く、応用が早く、よりよさそうな答に向かうことができるのではないか、というのが私の持っているイメージである。

 「何で勉強せないかんのや」という開き直りを投げつけてくる子のほとんどは、この選択肢以前の、学校の50点、60点以下の子なのである。だから、大多数のその子たちには「何で勉強せないかんや」の問に対して「選択肢が増える」ではどうも答にならない。その辺の感覚が、たぶんビジネスの世界の現場を実際に体験していないからわからないのだろうと思う。島田紳助さんは社会に出てものすごく勉強して、頭の中の点をいっぱいつなげていろんな科目(分野)で「社会の100点」を取ったから選択肢が増えたのだと思いますよ。

 ちなみに島田紳助さん、私と同い年。あと、明石家さんま、桂小枝、江川卓、掛布雅之、具志堅用高、中野浩一、千代の富士、浅田美代子、アグネス・チャン、桑田佳祐、西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ、松山千春、上沼恵美子、メル・ギブソン、ビル・ゲイツ。
2005年12月11日(日)

 土日、情報収集と資料収集と会議の日程で東京に行って帰ってきました。で、土曜の昼、会議までの時間を使って初めて靖国神社に行ってきました。2002年から2年間、毎週のように東京に行っていたのに、靖国神社には一度も行ったことがなかったのである。

 地下鉄の九段下から地上に上がって神社に向かい、デカイ鳥居をくぐってまっすぐ、大村益次郎の銅像の下を通って、手を洗うところでひしゃくで水をすくって左手を洗って右手を洗って左手に水を受けてその水で口をすすいで、立て札に書いてある文を読んでいたら、突然わけもなく涙が出てきて、参拝客がたくさんいる中を私は一人で涙をぼろぼろ流しながら神門をくぐって拝殿の前で財布を開けて、とても小銭を出す気になれず、かといって1万円札はきついので千円札を入れて、深々と二拝して二拍手して深々と一拝して拝殿を後にした。

 そのまま流れで「遊就館」に入ったら、いきなりゼロ戦や大砲や戦車の展示。見ていたら涙が止まった。お金を払って2階に上がったら、時代に沿って鎧甲や刀が展示されていて、だんだん時代が帰ってきて幕末から日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦へとパネル説明や展示や映像が続いていて、最後に第二次世界大戦(太平洋戦争と呼べばいいのか大東亜戦争なのか勉強してないのでよくわからんが)で亡くなった人たちの膨大な数の写真と手紙が並べられていて、手紙を読み始めたらまた涙があふれてきたので、下に下りて人間魚雷や大砲の弾やいろんな展示を見ていたらまた涙が止まった。

 何だったんかなあ。拝殿の辺りには何かいて、展示の所にはいなくて写真と手紙のところにはいたんかなあ。論理の部分は不勉強でよくわからないが、情緒の部分でこの日感じたままを言えば、最近時々言われている「分祀」というのは、何か日本人の魂の根幹の部分でとんでもない間違いというか冒涜のような気がした。何かの理由でどうしても何かを分けなければいけないなら、分けるのは魂ではなくて「展示」の方ではないかと、靖国初心者として感じたわけです。とても浅い感想ですけど。ちょっと勉強してみるか。

 日曜日の今日は朝から明治神宮へ行って、観光開発の視点からの「圧倒的な人工の自然」の撮影と体感。それから浅草に行って、観光商品コンテンツの比較サンプルとしてあの雷門から本堂に向かう80軒以上ある仲見世の全ての店の情報収集。ついでに「あげまんじゅう」を食って、周辺エリアで串に刺したわらびもちを食って、串に刺した「玉こん」を食って、天丼を食って、浅草を後にしてあと数カ所を回って資料収集して最終の飛行機で帰ってきました。

 ちなみに金曜日の夕方、KSBでいつものように岩井志麻子さんと一緒に出て、土曜日の朝、高松空港の本屋で東京行きの時間を待ってたら、東京に帰る岩井さんとバッタリ会った。

田尾「あ! 岩井さんや」
岩井「あらー、同じ飛行機?」

 岩井さん、本を物色していたのでじゃましたらいかんと思って、

田尾「ほな、気をつけて。事故に遭わんように」
岩井「同じ飛行機じゃ!」
2005年12月9日(金)

 レギュラーの授業の上に大学のいろんな委員会や学生指導や企画や原稿や、ものすごくものすごく仕事が重なってきて、すっかり煮詰まってしまったので気分転換とネタ集めを兼ねて久しぶりに家内とアップタウンに行ったら、牛乳屋さんと新開とごんとねえやんがまったりとくつろいでいたのである。

ごん「今日は一段と髪型が姉歯っぽいですなあ」
田尾「きみに言われとないわ!」

 近年、髪の毛が目に見えて力弱くなってきたと思っているところへ、1カ月くらい前にムッシュ(美容室)のムッシュから「ええシャンプーがあるんや」と勧められて「ハーブマジック」なるシャンプーを使い始めたら、目に見えて髪の毛の立ち方が変わってきて、明らかに髪のボリュームが出始めたのはいいのだが、それがかえって姉歯度を高めることになるとは。ちなみに先週から牛乳屋さんも使い始めました。手遅れかもしれんけど。

 先週日曜日はH谷川君とごんと3人で取材を兼ねて久しぶりのうどん屋巡り。寒い日の朝一のなかむらの釜かけ、やっぱりむちゃくちゃうまいわ。この日はH谷川君とごんが腹筋つるくらい笑った「オペレーションSSJ」計画の大ネタがあったのだが、口が耳まで裂けたら言ってしまいそうだが裂けてないので言えない。えーと、小ネタを一つ。

 ワークショップの授業で、1年生に基本的な文章表現を教えるために「大学生協の食堂を取材して、見出しと400字くらいの紹介文を作れ」という課題を出したのである。で、取材を終えて原稿に取りかかる前に基本的なレクチャーをしようと思って、とりあえず学科事務室にあったタウン情報誌数冊の中から店の紹介をしている記事を適当に3つくらい、文章も読まずにピックアップしてコピーしてみんなに配って、解説を始めたのである。

 ポイントは全く初歩的なもので、基本的な紹介文の構成、伝えたいことの優先順位付け、文章にリズムを出すための句読点の付け方、同じくリズムを出すための体言止めと用言止めのバランスの解説をしようとして、私はみんなの前で配った記事を読み始めたのである。そしたらいきなり、

田尾「あれ? これは誤字じゃ。……ありゃ? ここは日本語としておかしいのー。……これ、最初の書き出しと同じ内容がまた出てきとるが。……これはいかん、一文の中に同じ言葉が2回も出てきとる…」

 見本にしようと思っていたのに、校正大会やがな!

田尾「そういうわけで、こういう文章を書いたらいかん」

 がんばれよー、タウン情報誌。というか、けどそれでもやっていってるということは、読者も文章ほとんど読んでないということか。あるいは読んでるけど文章のおかしいのに気づいてないのか? あと、しょっちゅう誤字が出てくるのはテレビのバラエティ番組なんかのスーパー文字。みんながんばれよー。

 明日は朝から資料集めと会議で東京です。日曜日も東京です。従ってまた日記、止まります。モバイル環境から見放されたMac使いなもんで。
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