2006年02月の日記 |
2006年2月25日(土)
息をひそめて気づかないふりをしていた中物原稿がとうとうひそめきれなくなって、今日から数日間、全ての仕事をストップしてそれにかかり切りになることになった。しかしほんまに数日止めたら大変なことになるのはわかっているので、ネコよりは役に立つごんの手を借りようと思って朝から電話をしたのである。
田尾「世の中にはな、才能を持ちながらそれを生かす場を与えられなくて、あたら才能を無駄にしている人材というのがたくさんおるわけや」 ごん「その切り出しで、これがロクな電話でないことは明らかですな」 田尾「きみの才能を有効利用することによって、世界中の多くの人々の中の私が救われることになるんやけど」 ごん「あんただけですか! で、何ですか?」 田尾「実は○○の○○を、ボランティア精神をいかんなく発揮していただいて…」 ごん「あいててて…腹が痛い…というか、私今日は朝から働いてるんですけど!」 田尾「あ、そ」
実はごんもこの仕事が非常に知的で難しいことをよく知っているのだ。結局私が一人で取り組んでいるんですが、今、「システムダイナミクス」と「PV=nRT」の方程式を調べておりまして、ま、後者は高校3年レベルの方程式だけどごんは高校3年の時は色のついたメガネかけてナナメにしゃがんでた頃だから絶対勉強してないはずだ。
今日は朝早くからこの仕事にかかりっきりで、午後3時頃からは煮詰まって煮詰まって第二書斎であるアップタウンのカウンターの隅に仕事場を移動して7時半まで、途中「ゴルゴ13」となんぼにも試合の進まん「風の大地」を読んだが正味4時間、むちゃくちゃ集中して働いて、やっと全体の10分の1ぐらい進んだ。店に一般客も何人か入ってきて(私は一般客ではないみたいですが)マスターがレコードをかけかけしていたが、6時半頃、どう聴いてもフィル・ウッズのサックスやぞ、みたいなのが耳に入ってきて、立てかけてあるジャケットを見たらサックスに聞いたことのない名前が書かれてある。あれー? そっくりさんかー? と思いながらマスターに「今かかってるの、フィル・ウッズにそっくりなんですけどジャケット見たら違う名前書いてある」言うたら、マスターが「それ、違う」いうて今かかっているレコードのジャケットを持ってきて、「フィル・ウッズじゃ」。わーい、何かうれしい(笑)。聞くと、出るところに出たら(どこや)1枚100万円するかもしれん貴重な一枚だそうです。
夜の8時前、一段落つけて(全然段落ついてないけど)牛乳屋さんと入れ替わりにアップタウンを出て家に帰って、メシ食って風呂入って再び仕事に取りかかる。S原から頼んでいた仕事が上がったとの電話があった。すまんのー、みんな手伝ってくれて。「みんな」の中にごんは入ってないけど。
ちなみにどうでもいいことですけど、昨日の午前10時45分頃、桜町の高松一高のそばで南こうせつにそっくりの顔をしたおばちゃんとすれ違いました。
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2006年2月23日(木)
久しぶりに日記の間が空いた…とか言っている状況ではなくなってきました。大学の大物の仕事が佳境に入ってきて身動きがとれん。この大物一本だけで、かかりっきりになっても1カ月はかかりそうな状況なんです。
さらに今、この大物の上に抱えている大学の仕事が、えーと、企画段階から取り組まないかん大物があとデータベースとイベント物2つとホームページの4つ。作業を伴う中物の仕事が2つ、単発の担当案件の小物が6つ。その上に会議と、さらに自分の授業の準備や整理や取材や作り物10数件。以上が全部3月中の仕事。
この上に大学外から頼まれている大物の書き物が3件、会合が2件、企画関係が5件。ここまではすでに受けちゃっている案件で、これらもすべて予定では3月中の仕事。この上にまだ返事をしていない依頼ごとが3つたまっていて、とうとう今日、その3件について全部お断りのメールを入れてしまいました。先方からの返事はまだですが、申し訳ありません、なにとぞ勘弁してください。それと、3月いっぱいは大学以外の用事、すみませんけどもう持ってこんとってください。30分で終わるような用事でも、とても受けられません。
ところがですね、そんな状態なのに会う人がみんな「そんなに忙しそうには見えんのやけど」と言うわけです。そらそうやろなあ。毎日、分刻みでどこかに行ったり人に会ったりしてるわけではないし、手帳も真っ黒になるくらいスケジュールで埋まっているわけでもない。空欄がパラパラある。企画ものや書き物を抱えていると、そうなるんです。目に見えるスケジュールであちこち走り回ってるんではなくて、頭の中で構想を練ったり組み立てを構成したりに追われてるわけで、そういうのを外から見ると、ボーッとしてるみたいに見えるんじゃ。時々峰山にも上がってるけど、歩きながら考え事をしとるんじゃ。そんな時に10分でも20分でも30分でも他事が入ってきたら、頭の中で構成していたものがブチッと切られて、何時間か前の状態に逆戻りするみたいな。所詮その程度の頭のデキなんで、勘弁してください。
よーし、だいぶ言い訳したぞ(笑)。以上の状況を踏まえて、今取り組んでいる大物の助っ人の3人、驚異的な能力を期待しとるよ。大学の小物の一つを担当しとる学生の今D、俺がよっけ修正せんでええようにしっかり原稿書けよ。このヤマを乗り切ったらちゃんと文章指導してやるから。
今日は大学で委員会と打ち合わせが一つずつあって、昼からあのうどん王グループの塩田先生に頼まれて飯山中学校に進路講話に行ってきた。体育館で新2年生150人くらいと先生方とPTAの方々50人くらいを前に、「アイデア開発論」のダイジェストを1時間。壇上で話しながら、中学生なのにものすごく話に食いついてきている生徒がたくさんいるのが伝わってきました。大学生になるまでまだ5年もあるけど、続きが聞いて手法を身につけたかったら、四国学院大学のカルチュラル・マネジメント学科に来なさい。おっちゃん、それまで生きてて教授やってたら、みっちり教えてあげます。
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2006年2月16日(木)
アップタウンの上級者席(何が上級者かわからんが)には小さなテレビが無音でついているのである。そこで見慣れないオリンピック競技が映っていた。スノーボードでクネクネした斜面のコースを4人くらいがすべって、どうやらタイムを競っているらしい。何ですかあれは? いや、変な競技だというのではない。素人の私が違和感を持つ理由はただ一点、あのユニフォームである。
およそスピードを競う競技はすべて、私ら素人に言わせれば「そこまでするのか」と思うくらい科学の粋を集めた素材のユニフォームで風圧を避け、動きやすさを追及し、100分の1秒を詰めるためにものすごい努力をしてオリンピックやいろんな大会に臨んでいるのである。水泳選手は産毛まで剃るというし。もちろんスキーもスケートもボブスレーも、スピードを競う競技はすべてストイックなくらい科学技術と人的努力を結集してその場に臨んでいるはずである。でも、スノーボードのあの競技はスピードを競うのに風圧なんかどうでもいいみたいなあのダボダボのユニフォーム。あれ、レジャーなんですか?
なんだかなあ。素人なんで詳しいことは何も知りませんが、ハーフパイプでは競技後に礼儀としてみっともない姿を見せる選手がいたし、スノーボードって、オリンピック競技として何か基本的なところが間に合ってないように見えて仕方がないんですが。
ちなみに長年のスキーヤーである正義とマナーの人・牛乳屋さんが、「ゲレンデでスノーボードをする連中のマナーはひどい」と怒っておりました。レジャーとしても何かが間に合ってないんか?
気を取り直して牛乳屋さんらと恒例の「ない話」に突入。今日はマユゲの話から展開です。
牛乳「床屋に行ったら顔剃りでマユゲも整えてくれるけど、美容院ばっかり行きよったらマユゲ、野放し状態になるやろ」 田尾「家でカミソリでやるわけにもいかんしなあ」 牛乳「あんなもん、自分でやりよったらゾリ…あーっ! とかいうて(笑)」 田尾「もうマユゲ剃ってしもて書いたらどうですかね。大昔の貴族ってえらい上の方にマユゲがあったりしますやん。あれ、あんなとこにマユゲが生えてたんですかね」 牛乳「剃って書いとるで、あの位置は」 田尾「何であんな上の方に書くんですか? マユゲが上の方にある方が偉いとか」 牛乳「偉い貴族は前髪まで剃って、本来髪があるところにマユゲ書いて(笑)」 田尾「しまいにツルッパゲにして後頭部あたりにマユゲ書くやつが出てきて、そのうち背中にマユゲ書いとるやつも出てきて、一周回ってアゴにマユゲ書いとるやつとか」 牛乳「やめんか!」 田尾「けどほんま、何なんでしょうね」 牛乳「あれはたぶん、貴族の中の流行やったんやな。ちょっと上の方にマユゲ書いてみたら何か雅(みやび)な感じがして。それ見たやつが“お、それ雅やん”言うて」 田尾「ミヤビヤーンですね」 牛乳「トレビアーン、ミヤビヤーン」 田尾「これ、いけますか?」
ま、いけんと思うけど。今日からいよいよ大学の仕事の大物原稿に着手。朝から構想を練りながら2時間近く1行も出ず。苦しみの始まりじゃ。
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2006年2月13日(月)
後期授業の成績付けで昨夜から今朝にかけてレポートを100人分くらい読んで、午後から、年度内にどうしても行かなければならない取材旅行の日程を決める。物理的に不可能直前の仕事を3つも抱えたまま1週間の取材旅行に行くのは日程的自殺行為なのだが、それもS木、和Dという信頼できる強力な助っ人あってのことだ。
土曜日の午前中のミーティング。
田尾「そういうわけで、君らが協力を申し出てくれたことで事態は一気に好転したぞ」 和D「というか私、何を申し出たのかよくわからんのですけど。S木さんから何か“今日時間ある?”言われてついて来ただけで…」 田尾「行間を読まんかい。S木が“時間ある?”言うたら“ははーん、これは田尾さんが仕事で大変な量の編集物を抱えていて、しかも予算がないからボランティア精神をいかんなく発揮して協力せよということなんやな”と、普通考えるやろ」 和D「普通考えませんって!」
しかしさすがは和D。コーヒーおごってやると言ったら「田尾さんのためなら、例え火のそば水のそば(飛び込まんのかい!)」という申し出を頂いて、早速来週から新規プロジェクトの作業にはいることになったのである。水曜日はプロジェクトの学生チームとのミーティング。こちらはリーダーが阿B、星野Oという、味方にしたら怖いメンバーだ(笑)。さあ、あと2つの仕事をとりあえずほったらかしといて一気に行くぞ。
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2006年2月10日(金)
大学でのミーティングと雑務を終え、高松に帰る途中にものすごく久しぶりに坂出の三島製麺に寄ってうどんといなり食いながらばあちゃんと話をして、KSBに出て、「ミッキーやしの実」君のやっているマーチャンに行ってラーメンとおでんを食べて、山ほど迫り来る仕事にかかる前の気分転換にアップタウンに行ったら、ごんと牛乳屋さんがいたのである。
ごん「トリノのね、開会式の聖火をどうやって点けるか話しよったんですけどね」 田尾「相変わらず生産性のない話をしよるのー」 ごん「あなたに言われたくないですけど」 田尾「聖火がどう点こうがどうでもええやん」 ごん「いやそれがね、夏のオリンピックでジェット噴射で人間が飛ぶとか火の点いた矢を放って点火するとかやったでしょ? あれをやったのと同じ人が演出するらしいんですよ。ということは、また何か度肝を抜くようなことをやるに違いないと」 田尾「なるほど、そういうことか」 ごん「でね、ジャンプの選手が頭に火を点けて飛ぶんではないかという案は出たんですけど」 田尾「こういうのはな、ミーシーに、論理的に考えないかん。まず、その演出家は“飛ぶ”っちゅうのが好きなことが予想できる」 ごん「できますわな」 田尾「すると、自ずと答が出てくるがな。まず、人間が飛んだんやろ?」 ごん「はいな」 田尾「その次に火が飛んだんやろ?」 ごん「さよです」 田尾「そしたら次はお前、聖火台が飛んでくるしかないやんか」 ごん「あー! それ、いただきましょ!」
ま、いただけんとは思うけど(笑)。明日は朝からミーティングで昼から東京。用事を済ませて一泊して翌朝一番にとんぼ返り。バカ話inアップタウンは延々と続いたが、再現しとる暇がない。
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2006年2月9日(木)
昼飯にちょっと遠征してなかむらに行って、セイロに上がっているうどんを2玉もらってテボで釜の湯につけて温めて熱いかけダシをかけてちくわとゲソの天ぷらを載せて壁に向かって座って食べていたら、県外かららしき若いカップルが入って来た。
男性「かまたま2つ下さい」 おば「丼にタマゴ割って待っといてな」
私は背を向けて座っていたので様子はわからなかったのだが、おそらくなかむらは初めてだと思われるカップルで、しばらくしたら丼に溶いた卵の上に熱い釜揚げ麺を入れてもらったのだろう、二人は私の左右に分かれて壁に向かって座って、すぐにうどんを食べ始めた。私はちょっと「え?」と思ったのだが、確認もせずに一心不乱に自分のうどんを食べていて、途中でカップルたちが1玉だったのだろう、先に食べ終えたのでチラッと丼を確認したら、やっぱりそうや。この2人、かまたまに醤油をかけずにそのまま食べとる!
あー、言うてあげたらよかったなあ。2人とも、何か満足してなさそうな様子で(当たり前じゃ)無口のまま店を出て行きました。あいつらたぶん、かまたま嫌いになってるぞ(笑)。
大学から帰りに車のガソリンが底をつきかけていたので、例の「ルソルソ気分」になれるガソリンスタンドにわざわざ行ったら、何とスタッフはこないだのじいちゃんでなくて若い兄ちゃんが2人。「ルソルソ気分」の手書きの貼り紙も別の物に変わっていた。あーあ、もうあのスタンドに行く理由がなくなったがな。
家に帰って明日の打ち合わせのための企画書を作っていたら、夜も10時半になったというのに上村さんから電話がかかってきて、何事かと思ったら、
上村「最近さあ、一人旅にはまってて、旅先ですることもないという所在のなさに浸るという楽しみを発見したんだけどさあ」 田尾「わー、なかなかええ感じですね」 上村「でさ、今、遊(割烹)で一人の所在のなさに浸りながら飲んでるんだけど、寂しいから出てこいよ」 田尾「なんじゃそら!」
行ってきました。私はお茶を飲みながら午前1時半くらいまで、アカデミックな話とバカデミックな話をして、帰って3時半頃まで仕事の残りをして寝ました。お互い一緒に大学で教え始めて3年。モチベーションは全然下がってない、というか、どんどん上がっています。
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2006年2月8日(水)
月、火の2日間で怒濤のように「待ったなし」の仕事が増えた(もちろん大学関係の)。今抱えている他の仕事と、今息を潜めて延ばしている(笑)ある仕事を合わせると、物理的に不可能ライン寸前です。
頭を抱えながら大学に行って雑務をしていて郵便物が2つできてしまったのだが、今日は学科助手の真鍋が休みなので自分で郵便局に行って手配せないかん…と思ってハッと思い出した。すぐそこの郵便局に米男がおるやんか。
かつてのタウン誌の読者だったペンネーム「米男」が善通寺の郵便局に勤めていることを思い出した私は、米男の携帯に電話をした。
田尾「田尾でーす。今郵便局におるんか」 米男「“ゴッコ(大学のそばの喫茶)で昼飯食ってます”」 田尾「今から行くけんそこでおれ」
ゴッコで米男捕獲。角形封筒の郵便物2つと1000円を渡して、
田尾「これで切手買うて貼って出しとってくれ。ほな」
なんちゅう客じゃ。私やけど。で、ゴッコのおねえさんに「今日はメシ食っとる暇がないけん」言うて、その足で観音寺中央高校の進路指導講話に出かけて、体育館に集まった1年生270人くらいと先生方を前に50分ぐらい「アイデアの素」の講話をして、そのまま高松に帰って2時間くらい“本広組”の皆さんに捕獲されて映画の小ネタ集め会議をやってきました。
帰ってメールをチェックしたら、東京の爆弾・大西桂(フルネーム)から「2月4日の日記の喫茶“コンピーラ”、何ですか、この名前。香川県はセンスの悪い名前が多い。地名も丸亀、宇多津、満濃…。一方東京はハイセンスだわ。成城、白金、代官山」という挑戦的なメールが来てた。言うとくけど俺らも「コンピーラやて!」言うて、おもろいから入ったんじゃ。ま、確かに大西「桂(かつら)」も名前はハイセンスやけどな(笑)。
「こんぴらさん(金刀比羅宮)」の「こんぴら」の語源は、インドのガンジス川に棲むワニが神格化された「クンビ(ピ)ーラ」から来ているとされている。たぶん喫茶「コンピーラ」はこれをもじっているのではないかと。ちなみに「コンピーラ」の英語表記は「KONPHIRA」やぞ。「PIRA」やない。「PHIRA」やぞ。下唇を上の歯で軽く噛むんやぞ。言うててちょっとむなしいけど…。今日の喫茶は「ゴッコ」やしなあ(笑)。
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2006年2月5日(日)
極寒の朝5時起床。「讃岐うどんワールド」のロケで6時半に高松駅集合ということで、昭和町駅6時12分発の電車に乗ろうと歩いて家を出たら、家の時計が数分遅れていて駅の手前の踏切に差しかかったところで、乗るはずだった電車が私の目の前を通過していった。仕方なく高松駅まで一駅分、極寒の中を歩いて行く。2日連続、朝からアクシデントだ。
今回のロケは東かがわ市を攻める。引田の海岸からスタートして、標高3.6mの「日本一低い山」と言い張る地点へ行って「さすがに山頂はちょっと空気が薄いな」とかアホなことを言いながら、東讃名物のぶどう餅を食って(ネーミングは果物のブドウだとばっかり思っていたら、「武道」の餅だって)、井筒屋敷へ行って郵便局の喫茶に行ってとらまる公園へ行って、うどんはかめびし屋と権平うどん。かめびしで岡田さんとよっけ話して、10年近くぶりの権平では大将と息子さん夫婦といっぱい話して、勘弁してください言うくらいうどんとおでん食って死にそうになってロケを終えた。
この日、東讃の11号線沿いの店でいろいろお話を聞いたのだが、高速道路ができて3割近く売上が減っているそうだ。数年前、このあたりの高速道路が開通する時にテレビで特番があって、地元の有力者や識者の方々が「東讃の活性化に期待している」みたいなコメントをしている中、私は「高速道路が開通したら11号線沿いの店はたちまち売り上げが落ちますよ。東讃の商業経済の活性化には、直接的なマイナスになりますよ」とコメントした。こんなのは予言的中でも何でもない。誰が考えても当たり前の話ですがな。
何かの開通とかオープンとかいうめでたい話の時、特にローカルのマスコミでは情緒が先に立ってとにかくめでたいという論調で盛り上げようとするが、事実ベースで分析しただけで「めでたくないぞ」ということがわかるものって結構あるのである。私がそれを思い知らされたのは、高松の瓦町にコトデンそごうがオープンした時のことである。かつて香川県中が「悲願が叶った!」と浮かれていた瀬戸大橋開通の時に識者の中ではただ一人、計算を根拠に「これは大変なお荷物になる」と断言していた都村さんが、その私塾「長生塾」で再び、あまりに見事な予言をしたのである。
ちょっと私のあいまいな記憶ですごく大ざっぱに説明すると、こういうことである。1997年、高松で2番目のデパートのコトデンそごうがオープンした。県も市も地域もマスコミも、高松の経済的活性化の起爆剤だとしてこぞって祝い、近年で一番のビッグニュースとして大騒ぎをした。マスコミでは、「240億円の投資でオープンした」「社長は年間300億円(ライバルの高松三越の売り上げとほぼ同じ数字らしい)の売上目標を掲げた」という2つの数字が報道された。ところが長生塾において、たったこれだけの数字で、都村さんは「コトデンそごうは経営破綻する」と言ったのである。
「簡単な計算ですよ。240億円の投資のリターンを取るとすると、だいたいこういうのは10年でペイアウトの計画を立てますから、1年に24億円のキャッシュを生み出さないといけませんね。24億円のキャッシュを出すためには、ざっと言って24億円の経常利益を出さないといけませんね(法人税と減価償却を相殺して)。では、百貨店ビジネスの売上に対する経常利益率を出してみましょう。全国でもトップクラスの経営をしている伊勢丹で、売上に対する経常利益率は2.5%くらいでしょう。とすると、コトデンそごうが伊勢丹並みの経営をしたとして、24億円の経常利益を出すためにはいくらの売上がいりますか?」
中学生でも計算できますがな。1000億円です。1000億円の売上で2.5%の経常利益で25億円です。
「売上目標はいくらと言っていますか?」
300億円。全然足りんがな!
「売上300億円というのは、“借金は返さない”と言っているのと同じです。そんな経営は持ちません。皆さん(塾生)の中にコトデンそごうと取引している方がいましたら、直ちに現金取引にすることをおすすめします」
コトデンそごう、4年で破綻しました。私たちは日頃、いかに「情緒」の情報に洗脳されているかということです。
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2006年2月4日(土)
佐伯と西日本出版社の内山さんと編集者とイラストレーターの4人が「超麺通団3」の打ち合わせに来るというので、私はごんとH谷川君を連行して待ち合わせ場所のクレメントのロビーに、待ち合わせ時間ぴったりに行ったのである。
田尾「まだ誰も来てないんか」 H谷川「来てませんね」 田尾「ビジネスマンたるもの、待ち合わせ時間の5分前には常に着いてなかったらいかん。いつまでも“高松時間”とか言いよるようでは世界に通用せんぞ」 ごん「ま、世界に通用せないかんような仕事はしてないですけどね」 田尾「しょうがない、かつての部下だった佐伯に小言の一つでも言うてやるか」
と言っていたら、その佐伯から電話がかかってきたのである。
田尾「何しよんや。俺らもう着いとるぞ」 佐伯「どこにですか?」 田尾「クレメントのロビーにおるが」 佐伯「リーガの喫茶言うたでしょ!」
リーガとクレメント、実にまぎらわしい。
ごん「どこがですか!」
えーと、3時間ほど打ち合わせをして、それからやまうち行って山下行って、ちょっとコンセプトに揺らぎが出たので夕方4時頃、灸まん美術館の喫茶「コンピーラ」でぜんざい食いながら再打ち合わせをしていたら雪が襲ってきたのであわてて解散した。解散したらすぐ、雪がやんで日が差してきてやんの。今日の収穫、ごんが私の車のカーナビについているCDデッキに無理やり「中村屋」を録音して帰った。収穫か?
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2006年2月3日(金)
それは1990年の春のことであった。週末に皐月賞を控えたその日、週刊競馬ブックで過去の皐月賞と皐月賞戦線の主なレースのデータを見ていた私は、妙なことに気がついた。
当時、皐月賞に向かう馬のオーソドックスな臨戦過程は、1月の京成杯、2月の共同通信杯、3月の弥生賞とスプリングステークス。これのいくつかを使って皐月賞へというのが基本パターンであった。その過去の成績を見ていたら、こんなことになっていたのである。
<京成杯> 1989年勝ち馬 スピークリーズン 1990年勝ち馬 ノーモアスピーディ <共同通信杯> 1989年勝ち馬 マイネルブレーブ 1990年勝ち馬 アイネスフウジン <弥生賞> 1989年勝ち馬 レインボーアンバー 1990年勝ち馬 メジロライアン
馬の名前を口に出して読んでみてください。何か妙な感じが残りませんか? 私は何かに引っかかってその馬名をしばらく眺めていて、ついにその妙な感じの正体を突き止めたのである。すなわち、今年の勝ち馬の名前が、前年の勝ち馬の名前の2文字を引っぱっているのである。「スピ」ークリーズンとノーモア「スピ」ーディで「スピ、スピ」、マ「イネ」ルブレーブとア「イネ」スフウジンで「イネ、イネ」、レインボー「アン」バーとメジロライ「アン」で「アン、アン」。
スプリングステークスは2文字を引っぱってなかったが、出走馬を調べてみたら該当馬がいなかった。にわかにときめいた私は、すぐさま皐月賞の出走馬を確認したのである。皐月賞の前年の勝ち馬はドクタースパート。この名前の2文字を引っぱっている出走予定馬を探すと、うわ! 一頭だけおった! ハクタイセイ。ド「クタ」ースパートとハ「クタ」イセイで「クタ、クタ」。(やったぞ!)
私は直ちに編集部の部下にこの大発見を伝えた(仕事せえよ!)。
田尾「これはもう、ハクタイセイが勝ついうて書いとるみたいなもんやが!」 D々「行きましょう行きましょう!」
生まれて初めて馬券を買うというD々まで乗っかって、我々はハクタイセイの単勝1点に腰が抜けるほど行った(D々は100円で腰を抜かした)のである。そしたらあーた、ほんまに1着ですがな!
我々はこの秘密を誰にも漏らさずに、密かに日本ダービーを迎えた。予想のポイントはただ一点だ(笑)。前年の勝ち馬はウイナーズサークル。我々は全部の出走馬の名前をチェックした。そしたら、2文字を引っぱってる該当馬がいないのである。仕方なく馬券を買わずにレースを見ていたら、アイネスフウジンが逃げ切って勝った…のを見てハッと気がついた。ウイナーズサークルとアイネスフウジン、「イナ、イネ」で“ちょいズレ”で来てるのではないか? けどなあ、まあこじつけやろなあ…と思いながら、夏のローカル競馬に移って7月、8月と、競馬のことは忘れていたのである(私はローカル場所は競馬をしない)。ところが、秋になって暗号は再び我々の前に現れたのである。
菊花賞の前哨戦第一弾である神戸新聞杯で、センターショウカツという馬が勝った。そういえば…と思い出して前年の勝ち馬を調べたら、オサイチジョージが勝っている…。あーっ! 「ショ」と「ジョ」でちょいズレやないか!
もはや疑う余地はなかった。ダービー以降、暗号は「ちょいズレ」パターンに突入しているのだ。続く京都新聞杯では暗号該当馬がいなかったが、迎えた三冠最後の菊花賞、ついにその馬は現れた。前年菊花賞の勝ち馬、バンブービギン。そして今年の出走馬の中に、まさにちょいズレのただ一頭、「レツゴーターキン」号が燦然と輝いていたのである。「ギン」と「キン」。これ以上の暗号がかつてあっただろうか! しかも単勝予想オッズを見ると、何と30倍! うっしゃー!
このあまりに見事な暗号解読を編集部で披露したら、皐月賞の時は「また編集長がアホなこと言いよる」いうて乗ってこなかった連中まで「ほな500円だけ乗る」とか「1000円」とか「5000円!」とか言って乗っかってきて、とうとう5万円も集まった。そして菊花賞の日、私はごん(すでのその頃から一緒に遊んでいた)を連れて、みんなの夢と欲のかたまりの5万円を持って何と京都競馬場に出陣したのである。
田尾「5万円が30倍で150万円持って帰らないかんから、ポケットがよっけある服着てきたが」
京都競馬場は雨が降っていた。ごんはカメラ担当。ゴール前ではなく、我々は傘を差して一番迫力がある写真が撮れそうな4コーナーあたりに陣取って、馬が来るのを待った。直前のレツゴーターキンの単勝オッズは予想通り30倍ついていた。菊花賞がスタートした。1周目の4コーナーを曲がってくる馬群の写真を撮って、馬群は2周目の1コーナーから2コーナーを曲がって向こう正面へ。3コーナーを曲がって、ついに馬群が4コーナーに向かってきた。レツゴーターキンは4枠8番。4枠に3頭いる青い帽子だけを見ていた我々の前に、大外を回ってぐんぐん追い上げて先頭集団に並びかけようとする1頭の青い帽子が飛び込んできた。目の前をすごい勢いで駆け抜けていくその馬のゼッケンは、8番!
田尾「うわ! ターキンや! 行けー!」
それから数十秒、我々は大歓声の中でゴールに向かって小さくなっていく馬の尻群を見ながら、ゴール板の方に歩き始めた。勝ち馬はまだわからなかったが、しばらくして電光掲示板に、数字が出た。
田尾「8番やろ!」 ごん「2番が出てますよ」 田尾「8番やろ」 ごん「えーと、2番。次が1番、18番…」
1着2番、メジロマックィーン。確定。数分後、全着順が出た。レツゴーターキン、10着。我々はヘタヘタと座り込もうと思ったが雨で濡れているので座り込まなかった。代わりにポケットがペタペタになった。何が起こったんや…。私は掲示板を見ながら、数日前編集部でメチャメチャ盛り上がっていた時に横で一人さめていた佐伯の言っていたのを思い出した。
佐伯「皐月賞で2文字引っぱって、ダービーでちょいズレに変わったんでしょ? そしたら菊花賞では“かなりズレ”に変わるんじゃないですか? ギン、キンよりギン、“クィーン”ぐらいに変わるんじゃないですか? これ、メジロマックィーン…」
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2006年2月2日(木)
朝8時30分に大学に行って、教員ボックスの郵便物をチェックして、研究室に上がる前に温かい缶コーヒーでも買おうと思って久しぶりに例の自販機の前に行ったら、「あったか〜い」の列が何と全部「売切」だったのである。仕方がないから隣の自販機に千円札を入れて、腹いせにちょっとでもでかいの買うてやる! と思って「がぶ飲みミルクコーヒー」いうやつのボタンを押した瞬間、イヤな予感がしたのである。
「チャリン、チャリン、チャリンチャリンチャリンチャリンチャリンチャリン」
うわ! またや! と思ったら「チャリン」が一瞬止まって、お、今度は500円玉と50円玉が入っとんか、と思った瞬間、
「チャリン、チャリン、チャリンチャリンチャリンチャリンチャリンチャリンチャリン」
あお〜〜〜〜う!(心の中で、頭を抱えてひざまずいて天を仰ぐ画) 私は釣り銭口にあふれかえる100円玉8枚と10円玉9枚を取って、しかし気を取り直して缶コーヒーを取ったら、冷たいやんけ! どないなっとんじゃ! と確認したら、明らかに「つめた〜い」のボタンを押していた。うー……今日は朝から冷えるのう。
入試の監督を終えて学科事務室で伊藤先生と来期計画の話をしていたら上村さんが来て、「デクスター・ゴードンかあ。またえらいところから入ったなあ」って。デクスター・ゴードンもえらいとこなんですか!(笑)
言うときますが、私は「極めた趣味」みたいなのは皆無です。ジャズはまだデクスター・ゴードンのかっこよさに到達しておりませんし、阪神タイガースはバッキー、村山、江夏のあたりから見ていましたが暴れたことはありませんし、軟式テニスはインタハイに出ましたが大学2年でピタリとやめましたし、手品は讃岐奇術クラブの伊賀さんに小ネタを2つ教えてもらっただけですし、麻雀はごんと松村にしか勝てんし将棋は出竿とごんにしか勝てんしゴルフはごんと松村と出竿にしか勝てんしビリヤードはごんと阿Bと星野Oにしか勝てんし、ボウリングはごんにしか勝てんし野球はごんよりうまいだけだし英語はごんよりしゃべれるだけだしカラオケはごんよりうまいだけだ。えーと、あとごんよりうまいもんないかな(笑)。
ちなみに大学時代に、尼崎のセンタープール前の近くにあった薄暗いビリヤード場で、おっちゃんが2人四つ玉を始めたら何か人がその台に集まり始めて、私も見に行ったらおっちゃん、ゲーム開始からノーミスでずーっと突き続けているうちに赤玉が2つ、だんだんコーナーに集まり始めて、一つがコーナーギリギリに付いたと思ったら次のショットでもう一つの赤がその横にピタッとはまってついに伝説の「万年玉」が完成したのを見たことがある。誰もが一目置く名人だったらしい。万年玉の完成までの一部始終を見たのはあれきりである。
あ。あと競馬はちょっと詳しい。けど途中でDEKUさんと小田さん(故)と一緒に「暗号解読」に走っちゃったからなあ(笑)。会心作がいくつもあるけど、明日でも書くか。
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