2006年04月の日記 |
2006年4月30日(日)
土曜日の午後、福岡麺通団入り。17:00からレセプションが始まった。福岡のスタッフは経営陣が知人の弓削さんや江月さんたち数人、店長は東京麺通団で修業を積んだ勝木君、以下、社員スタッフ数人とアルバイトたち。そこにこっちから福田社長と麺通団ブランドのプロデューサーである私と勝谷さんと東京麺通団の山中店長とパロマスが助っ人に入るという、東京でもめったに見られない豪華ラインナップで、300人くらい来て頂いた地元のマスコミやミニコミや友人知人やたまたま通りかかったその辺の人たちに無料でうどんや酒や肴を振る舞うという、大にぎわいの4時間を過ごした。
勝谷さんの日記にも紹介されていますが、勝谷さん、厨房に入ってカウンター越しに客をいじりながら自ら注文を聞いては酒を注いで出し、すっかり居酒屋のオヤジです(笑)。私は天ぷら場とうどん場を行ったり来たりして、客をいじりながらうどんの打ち手が代わるたびにうどんを食ってチェックして、何杯うどん食ったかわからん。
レセプションが終わって深夜、打ち上げで「うまうま」という店に連れて行かれてめちゃめちゃうまい料理を食べてとんでもなくうまいラーメンで締めて、ホテルに帰って3:30まで仕事して、今日は10:00から地元の雑誌の取材を受けて、朝食も昼食も食べずに夕方高松に帰って、それでも腹が減らんので17:30からサウナスーツを着て峰山に上がってきた。
日が長くなってきたとはいえ時間が遅いので、帰りに日暮れのお墓の横を通るのを避けようと(笑)ショートカットの急な山道をハヒハヒ言いながら40分で展望台まで上がって、5分休んで直ちに下りにかかって、まだ明るいうちにお墓ゾーンに差しかかってもう抜けると思ったその時、お墓から人影が出てきた。
人影「上がってきたんな?」
ギョッとして振り向くと、紺の作業服っぽいツナギを着た坊主頭の小柄なおっちゃん。どこかで見たことが…と思ったら、あ! 去年の9月、私がねんざをする原因になった、世相おじさんを凌駕する「ものすごく世相を斬るおっちゃん」や! おっちゃんはスーパーの袋みたいなのに何かを入れてさげている。その袋をこっちに差し出して、おっちゃんは言った。
おっ「タケノコいる?」 田尾「あ、いや、ちょっとヘトヘトなんで持って帰れんので…」
タケノコもろたらまた長話聞かないかんがな(笑)。峰山はいろんな人がいつまでも生息しとります。帰ってシャワー浴びて体重測ったら、先週から1キロ増えてました。うどんのせいじゃ。
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2006年4月24日(月)
朝、FM高松(81.5MHz)に生出演。実は4月から毎週月曜、8:15から15分くらい、カルチュラル・マネジメント学科の情報発信のツールとして、学生が集めたデータをもとに佐野さんとバカ話してて、そのうち学生を準レギュラーにして経験を積ましてやるか、という魂胆である。中讃地域はFMサン(76.1MHz)でネットしています。 佐野「田尾さんにお便りが来てます」 田尾「なんとですか」 佐野「4月から田尾さんのコーナーが始まりましたが、8時15分から30分までというのは朝の連続ドラマと同じ時間帯なので、ラジオをつけながらテレビを見るのは集中できなくて困っていますって」 田尾「このコーナー、NHKの朝ドラマと勝負できてるんですか!」
ありがたいというか恥ずかしいというか(笑)。で、放送を終わって大学に向かって高速道路を走っていたのである。そしたら、ふとバックミラーを見たら私の後ろに4台ついていて、そのさらに後ろから追い越し車線を猛スピードで車が走ってきた…と思ったら私の3台後ろの車が猛スピードの車に追い越された瞬間、グインと追い越し車線に入って猛スピードの車の後ろについて猛スピードで2台連なって私の横をぶっ飛ばしていった。
お前ら、朝から大変やのー(笑)。カーチェイスして、何かええことあったか?
さて先週は久しぶりに「はまんど」に行って、大将と極秘会議。夏にちょっと、小ネタではありますがたくらみ中。
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2006年4月20日(木)
授業を終え、夜7時頃、私とごんとH谷川君と白川の山下君がFM香川に集合。録音です。
映画「UDON」の制作発表があったので、これを盛り上げるために4月末(だったと思う)に特番があって、その後、8月のたぶん終わり頃に映画公開を記念してもう一回特番があって、しかしその間3カ月半くらい、中だるみしたらいかんので「田尾さん、間つないで〜」という依頼があったのである。中継ぎ番組じゃ(笑)。5月から始まるらしい。で、今日はその2回分くらいの収録。
ごん「で、何分番組なんですか?」 田尾「今日確認する」 ごん「まだ確認しとらんのですか! 今から録音ですよ!」 H谷川「週一ですか? 月一ですか?」 田尾「週一のような気がする」 H谷川「何曜日の何時からですか?」 田尾「そんな、局の人間も数人しか知らんような極秘情報を俺が知っとるわけないやるが」 ごん「どこが極秘情報ですか!」
などと言っていると、プロデューサーの中井さん登場。まずそこで、15分番組であることが発表された。続いて5月6日から毎週土曜日、18:15〜18:30という放送時間が発表された。
ごん「発表されたんじゃないでしょ。あんたが覚えてなかっただけ」
スタジオに入ったら、進行表を渡された。最初、いきなりオープニングトークで始まって、数分後にトークを一旦締めてタイトルコール。タイトルコールは私が振って、みんなでタイトルコールをする。すぐさまCMに入って、CM明けからメイントーク、それからCMがもう一本入ってエンディングトーク。エンディングトークの中でインフォメーションを入れて最後に短いトークで締める、となっていた。そこで録音に入る前にいきなり詰まっちゃったわけです。20分ぐらい、ああでもない、こうでもないという議論になった。議論を出したのは私。すんません、予定外の時間を取ってしまって。
議論してたのは、タイトルコールの位置。「何だそんなもの」と思われるでしょう。わずか15分のトーク番組で、オープニングトークとメイントークとエンディングトークに分かれてるだけで、それをタイトルコールとCMで分けてるだけで、しかも手の内のしれた私とごんが好き勝手にしゃべるのだから何の問題があるのかと皆さん思われていたようなのだが、ここ、つっかえるんですよ。
要するに、オープニングトークとタイトルコールは、私の中ではトークの「レーン」が違うのである。レーンというのは車線みたいなもので、例えばほのぼのとしたきれいなトークならタイトルコールと同じレーンの、例えば第1レーンのトークなのだが(インフォメーションも第1レーン)、私のしゃべるトークは、内容とかテンポとかすべてが第2レーンにいるのである。すると、私はオープニングから第2レーンでしゃべり始めて、その後すぐさま第1レーンに車線変更してタイトルコールを振らなければいけない。とすると、唐突に車線変更したら変なので、車線変更する前にウインカーを出さないかん。このウインカーが、短く勢いをつけたトークの後で非常に出しにくく、一瞬変な調子になるのである。しかもタイトルコールで第1レーンに車線変更した後、CM明けにいきなり第2レーンでしゃべり始めるわけで、さらにエンディングでは第2レーンで話しながら、流れの中で第1レーンのインフォメーションに戻ってすぐさま第2レーンのトークでエンディングという、わずか正味10分くらいの間に何回も車線変更しないといけないという、私にとっては非常にギクシャクしたテンポのつかみにくい構成になっていて、これを解決するために議論しながら解決策を探っていたのである。
結局、こうすることにしました。私は最初から最後までずーっと第2レーンでしゃべる。で、ごんを第1レーンに置く(笑)。第1レーンのタイトルコールは私は振らない。第1レーンのインフォメーションは私が第2レーンのしゃべりのまま、ごんに振る。これでとにかくつっかえが取れて全体が流れれば、あとは何とかなる、と。
ゲストで呼ばれた時はそこに第1レーンのパーソナリティがいるから「一人車線変更」の心配がないんだけど、自分でやる番組の時は、私の中で一番重要なのは「自分が車線変更せずに流せるかどうか」ということなんです。俺、車線変更、すごい苦手。で、いつも相方がいる番組しかようせんというわけですわ(笑)。
田尾「きみ、車線変更得意やからなあ。ちょっと隙間あったらブイブイ入って抜きまくる」 ごん「それ、ほんまの車の運転の話やないですか。というか、私、安全運転ですし!」
録音が終わった後、H谷川君が言いました。
H谷川「なんか真剣にやってるんですねえ! 僕、団長のラジオは全部適当にしゃべってるんやとばっかり思ってました」 田尾「白鳥はの、水面の下で必死で足かきよんや」 ごん「白鳥でなくて牛ですけどね」
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2006年4月18日(火)
昨日の昼、眞鍋と西村を連れて香川県内で一番うまいと評判のそば屋「日月庵」に行って、ご主人がそばを売っているところを見せてもらって、そばを2枚ずつ食べていたら、団員D々から携帯電話にメールが入った。
「D々です。日月庵で居てるそうやないですか(笑)」
どんな情報網や!
眞鍋「田尾先生、そこら中で監視されてるんじゃないですか?」 田尾「何か、その辺の客が全部D々の放った諜報員に見えてきたが(笑)」
たぶん真相は、厨房にいるご主人の弟子らしき人物がD々の友達で、俺が店に入った時に発見されてメールで通報されたというところである。ちなみにD々は以前から、いついかなる時間にメールを送っても直ちに返事が返ってくるという007みたいな能力を持っていることから、ここ10年ぐらいずーっと起きているのではないかと私はにらんでいる。
田尾「ほんまに、夜中の2時頃メールを送っても瞬時に返事が返ってくるんぞ。ひどい時はまだメール送ってないのに返事が返ってきたことがある」 S原「それ、ただ向こうからメールが来ただけです」
S原曰く、インターネットのホームページというのは普通、更新頻度が少ないと見放されるが、D々のホームページは更新頻度が多すぎてうっとうしがられる(爆笑)というシロモノらしい。
本日はインタレストの色校正と、夜はごんとH谷川君にお集まり頂いてFM香川の番組の打ち合わせ。5月頃からうどん関連の週一の5分か10分か15分か20分か、それくらいの番組が始まる。出演は私とごんとH谷川君たち。
ごん「というか、何分番組かもわからんのですか!」 田尾「30分より短いということは間違いない。よし、とりあえず20分ということで考えて、行ってみて5分番組やったら4回に分ける。10分番組やったら2回に分ける」 ごん「そんなええかげんなことでええんですか!」 田尾「待てよ、15分番組やったらうまいこと分けられんが。ということは、あらゆる事態に対応するためには最大公約数をとると…60分番組のつもりで考えたら5分でも10分でも15分でも20分でも割り切れるぞ」 ごん「あんた、何かが間違ってます」
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2006年4月17日(月)
昨日、毎日新聞の地方版に、学生たちとの編集作業の写真とともに「インタレスト」の紹介記事が載りました。見出しは、
「香川の方言 勢力分布図に異変」 「四国学院大 田尾ゼミ生が調査」 「県内の名字も調べる」 「ゼミ編集雑誌に調査結果を掲載」
半7段もの記事だ。ありがたいことです…と思ってふと隣の記事を見たら、
「国民投票の是非討論」 「パネリストに5党議員ら」 「香川大法学部学生企画」
あっはっは! 見事な対比(笑)。同じ香川県内の大学生の活動で、方や方言と名字のお笑い調査分析。方や議員を集めて社会派の討論会。署名記事の署名を見ると、どっちも田畑くんやないか(笑)。
私ら、地域に対するアプローチの方向と視点が違うからいいんだ。賢そうなことは賢い人に任せて、これは役割分担じゃ。いろんな大学で地域に対してそれぞれ違うアプローチをする。とても楽しいことです。「インタレスト」は間もなく世に出るが、出たら直ちに第2号の企画会議のスタート。また誰もアプローチしなかった新しいネタをひねり出す。
「香川県内に当たり前のようにあるものを、切り口を変えておもしろく見せる」。これがインタレストの編集方針の柱の一つ。おもしろく見せてどうするのか? 県民の皆さんに楽しみを一つ増やしてあげる。学生たちに視点と切り口を見つける手法を身につけてもらう。「私もやってみたい」という高校生を四国学院大学に呼ぶ。これが、「誰を、どうしたいのか」という「具体的な目的」です。さて、ちょっとだけ休憩して、行くぞ。S原君、また六角レンチ借りに来なさい。
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2006年4月15日(土)
朝5:30起床。6:30に家を出て、マリンライナーで瀬戸大橋を渡って8:30に岡山のRSK山陽放送ラジオに到着。9:10から14:00までの生放送にずーっと出てきた。番組の担当はトメちゃん。「VOICE21」のうどん特集で知り合ってからもう10年以上になるが、実は私、トメちゃんとサシで番組するのは初めてである。
田尾「最初ね、みんなが奥富さんのことを“トメちゃん”って呼んでるのを聞いて、奥富トメとかいう名前かと思ってたんですよ」 トメ「どんな名前よ!(笑)濱家さん(RSKのベテランアナウンサー)が“奥富(おくとみ)”を“おくとめ”だと思っていて“トメちゃん”って呼んだから、ずっとそう呼ばれてきたんです」 田尾「若い女の子やのに“トメちゃん”って、かわいそうやなあと思ってたんですけど、だんだんしっくり来るようになってきましたね」 トメ「なってきてません!」
あれから10年、トメちゃんもすっかり私の年に近づいてきた。
トメ「近づいてませんって!」
みたいな調子で5時間、ゲストだというのにすっかりトメちゃんの相方みたいにずーっと番組でしょーもない話をしてきました。お騒がせしました。
夕方岡山から帰ってきて一服して晩飯を食って、三たび松本君ちへ。モノクロページの校正とカラーページの修正にかかっていたら、S原が来た。
田尾「何しに来たんや?」 S原「いや、松本さんに六角レンチ借りに来たんですけど」 田尾「ちょうどええ。今から校正と修正や。とりあえずこの16ページ、校正しよってくれ」
などと言っていると、和田が到着。さらに深夜近くになって笹木もやってきて、首脳陣が勢揃いした。松本君は一心不乱にmacに向かって修正作業をしているのだが、我々が横でバカ話を始めるとすぐに手が止まって話に入ってくる。
田尾「松本君が入ってきたら作業が進まんやないか」 松本「でも皆さんの会話、めちゃめちゃおもろいし…」 田尾「ダメ、今度手を止めたら、部屋片づけるぞ」 松本「仕事します!」
それからというもの、ちょっと手が止まると、
田尾「あの台の上のケースにいっぱい入っとる使いかけの綿棒と爪楊枝(たぶんプラモデル作成用の小道具)、綿棒と爪楊枝に分けて入れ直したいなあ」 松本「勘弁してください…」
田尾「あそこのプラスチックケースに塗料の瓶が山ほど入っとるのが見えるなあ。あれは全部きちんと立てて並べ直さないかんなあ」 松本「か…勘弁してください…」
おもろいなあ(笑)。ま、冗談はさておき、4人で校正と修正の指示をしながら最後に表紙を一から作り直して全ての作業を終えたら、何と朝の5時半になっていた。
徹夜じゃ。今年初徹夜。というか、50になってまだ徹夜するとは思ってもなかったわ。松本君はこのまま朝からソフトボールの試合に駆り出されるらしい。私は日曜日中にやらないかん学科の仕事が待っている。しかし、疲れより何より、ついに苦節数カ月をかけたフリーマガジンの作業が山を越えて全てのページがビジュアルになったという達成感が、我々の全身を包んでいた。
田尾「できたが」 笹木「ええ感じになりましたねえ!」 和田「いや、これほんまにおもろい本ですよ!」 松本「ほんま、僕こんなおもしろい仕事したの初めてです。めちゃめちゃ充実した数日でした!」
口々に感動の言葉が出る中、S原が言った。
S原「というか僕、六角レンチ借りに来ただけやのに」
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2006年4月14日(金)
3時間弱の睡眠で朝から授業を2つ終え、夕方KSBスーパーJチャンネルに出演。先週は殿堂入りの表彰と大学のオリエンテーションで休んだので、2週間ぶりです。番組の冒頭でキャスターの中村君に、それを振られた。
中村「殿堂入りの田尾さんです」 田尾「すみません、ちょっと先週殿堂に入ってまして、休みました(笑)」
留置場に入ってたんやないっちゅうに。
テレビを終えてそのまま、カラーページの残りの素材を持って松本君ちへ。素材を渡して説明して、今後の段取りは明日の夕方までに松本君がカラーページを全部上げて、夕方からまた私と和田と笹木が松本君ちへ集合して張り付きの最終修正作業をするという予定で、しかし“片づけの虫”を抑えながらいろいろ話しているうちに夜の10時を越えてしまって急いで帰った。明日、朝8時半には岡山のRSKに入らないかんのじゃ。石原Dに捕獲されて、奥富亮子アナことトメちゃん…逆や、トメちゃんこと奥富亮子アナと5時間の生放送に出ないかん。ふー、また睡眠不足。
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2006年4月13日(木)
13日の木曜日だ。何ちゃでないけどフリーマガジン「インタレスト」、怒濤の“入れ”の始まり。12:40にマーケティング論の講義を終えてあたりやであつあつの大とこんぶ天とゲソ天で気合いを入れて、13:30、松本君ちの物置…いや、作業場に入った。いよいよ今日はモノクロ16ページの最終修正。これからデザインをする松本君に張り付いて、文字や配置やデザインのあしらいを一つ一つ確定していくという作業が延々と続くことになる。パターンが決まっていれば張り付いて指示することもないのだが、何しろ一発目(創刊号)であるから、試行錯誤なのである。
松本君ちの2階の仕事場に入ると、そこは予想外にすっきりしていた。
田尾「あれ? 足の踏み場があるやんか」 松本「いやー、すみません、片づいてなくて」
と言いながらふと横を見ると、どうやら本来は押し入れと床の間であるらしきスペースにびっしりと、山のようにフィギュアやらプラモデルの箱やら本やら私にはガラクタとしか見えない物体やらが積み上げられている。それを見た瞬間、私の中に意欲が沸々と沸き上がり始めた。
田尾「この一角を、片づけたい」 松本「いや、勘弁してください…」 田尾「松本君、俺、片づけ魔なんや」 松本「そうなんですか! いや、勘弁してください…」
タウン情報時代、締め切りの真っ最中の夜中に原稿を書いていてちょっと調べたい物があって本棚に行って本を探そうとして、本が数冊倒れているのを見てそれを起こしていたら沸々と意欲がわき上がってきてその棚の本を全部並べ替え初めて、止まらなくなってそのまま2時間ぐらいかけて棚一段どころか本棚4つ分くらい全部、1000冊ぐらいの本を全部引っ張り出してジャンル別に大きさ別に号数別に並べ直すということを何度も見てきた当時の編集スタッフがこの状態を見ていたら、「いかん! 来た! 誰か編集長(私)を止めろ!」となるのだが、免疫のない松本君はただただ「勘弁してください」と繰り返すばかり。仕方がない、勘弁してやるか。
松本「こないだ日記に始球式のこと書いてましたやん」 田尾「おー、松本君のおかげでストライクが行ったが」 松本「あれ、振りかぶって一瞬セットポジションに戻したら、ストライクの前にボークですけど…」 田尾「あれボークかい!」 松本「完璧に。僕、日記読みながら声出してツッコミましたもん(笑)」
殿堂入りはそんなことは気にしないのである。夕方、和Dも修正作業に来る。ま、私が呼んだのだが。 和D「お久しぶりです、殿堂入り」 田尾「恥ずかしいけん言うな!」 和D「何か“八丁堀”みたいな(笑)。いやそれはええんですけどね、田尾さん以前、仕事のつきあいとかで外食しても、家に帰って奥さんが晩ご飯作ってたら食べてきてないふりをして食べる言うてましたよね」 田尾「せっかくご飯作ってくれた家内に対する感謝の気持ちじゃ。それが夫婦円満につながる」 和D「でね、こないだみんなでイベリコ豚を食べに行った時」 田尾「こらこら、正確に言わないかんがな。きみらはロースカツ定食。イベリコ豚は俺。きみらは俺がやったイベリコ一切れを3人でかじり合っただけ」 和D「ま、そうですけどね。でね、あの日帰ったら晩ご飯があったんですよ」 田尾「おー、実践の時が来たんか」 和D「そうなんですよ。でね、僕はここや! と思ってね、トンカツ食べて帰ったのに“食べてないんや”言うて晩ご飯食べたんですよ」 田尾「ええがなええがな。心遣いや」 和D「そしたら田尾さん、日記にトンカツ食うたって書いたでしょ。嫁さんあれ読んで“あんたトンカツ食べて来とるやないの!”って、めちゃめちゃ怒られましたよ!」 田尾「それでも“食べてない”って言うんじゃ」 和D「けど僕がロースカツ注文したって書いてますやん!」 田尾「“注文して出てきたけど、眺めて帰った”って言うんじゃ」 和D「誰が信用しますか!」
あの時の「和D」と書いてるのは「和田」ではなくて、私の友達の「和出」いうやつです(笑)。
などと言っているうちに真剣な修正作業は延々と続き、結局終わったのが午前3時。家に帰って風呂入って4時前に寝て、朝6時半に起きて大学に行った。まだカラーページの作業が待っている。
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2006年4月12日(水)
朝、1コマ目から「観光マネジメント概論」、2コマ目「放送メディア論」と連続講義のあと、直ちに学科事務室に「インタレスト」編集学生イナゴ軍団を集めて、昼飯も食わずにミーティング。今日は13:00から映画「UDON」のロケが四国学院大学に来て、カルチュラル・マネジメント学科の学生全員、大教室に集合がかかっていたのだが、それより前に「インタレスト」軍団は13:30から毎日新聞の取材を受ける約束をしていたので、映画ロケに出ずに取材受けを兼ねたミーティングを行った。
松本君のがんばりで32ページのうちの20ページ以上が上がってきて、学生たちに制作工程のレクチャーをしながらデザインの確認と校正。取材やデータ集めに訳もわからず奔走してきた学生たちは、自分たちの集めたデータがプロの仕事で見違える成果物になって上がってきたのを見て、言葉を失っている。これだ。学生が手作りで仕上げて「みんなでがんばって力を合わせて作りました」という「過程」に満足するような活動は、私の中では「学芸会」と呼んでいる。学芸会は高校生まで。大学ともなれば学芸会をやっていたのでは話にならない、というのが私のプラクティカムの趣旨なので、今回の作業はいきなりプロの仕事を見せることが必須条件なのである。創刊号はプロの力でもう詰めの作業に入ったが、来週からは休む間もなく第2号の企画に入る。イナゴ軍団、次はもう一段階、プロの仕事に関わっていくぞ。
ミーティングを終えて慌ただしい昼飯を食って文化学会の会議に参加して、学科研究室に帰って校正や写真の手配をしていたら学科長の伊藤先生が来て、
伊藤「なんかすごく疲れてる様子ですね…」
心配させたらいかんと思って元気に振る舞ってるつもりだったのだが、ちょっと油断すると出てしまうみたい(笑)。しばらくすると漆原先生と今年から新任の片山先生が来て、続いて学長とJB神野先生が来て、そこで上がっている20ページほどを広げて見てもらったら大好評でした。疲れも吹っ飛びます。松本君、ここまでええ感じやぞ。
授業は予想通り、のっけからバイシクルオペレーションに入っている。今晩は明日の授業計画を整理して、明日は1コマ目から「マーケティング論」。終えてそのまま高松にとって返して、松本君の事務所(今、物置と化しているらしい)で張り付きの校正と修正作業をして16ページを印刷発注せないかん。神野先生、午後からの「プラクティカム入門」のオリエンテーション、そういうわけで出られませんのですんません、よろしくお願いします。
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2006年4月9日(日)
朝起きておそるおそる、肩を回してみたのである。あ、痛っ…。
金曜日の夕方、恥ずかしながら四国観光殿堂の授賞式に出て17:30に解放されて、そのままレオマに車を飛ばして19:30からオリエンテーションの司会進行をして、翌日の準備やら何やらで夜中の2時頃、そのままレオマのホテルで就寝。翌土曜日の朝7:30に起きて朝食を食べてオリエンテーションの2日目の司会進行をして、昼前に解散。そのまま車を飛ばしてがもうでうどん食って瀬戸大橋記念公園のマリンドームに入って、映画「UDON」のロケにちょっとだけ参加して15:30頃、1日ぶりに家に帰ってインタレストの残りの仕事に取りかかって、17:00頃、デザインの松本君に電話をしたのである。
インタレストの原稿は今、そのほとんどがデザインの作業に入っている。つまりこれが予定通り発行できるかどうかは松本君の作業にかかっていると言っても過言ではない局面に突入していて、今、松本君は私が発注した山のようなデザインの仕事を抱えて苦しんでいるはず。しかし、制作総指揮の私は心を鬼にして、遅れ気味の作業に矢の催促をしなければならないという、そういう状況で電話をしたのである。
田尾「あ、松本君?」 松本「はい、今がんばってやってるんですけど…まだちょっと…」 田尾「キャッチボールしよ」 松本「へ?」
始球式、明日やのに、こないだボールまで買うてきたのに、まだ袋に入ったままやがな。五十肩で投げられるかどうかわからんまま明日行くわけにいかんがな。私は松本君を無理やり呼び出して、香東川の河川敷に行った。松本君は野球少年だ。いや、だった。今は野球おじさんになってソフトボールチームでもレギュラーを張っているらしいから、キャッチボールの相手として不足はない。というか、こっちが不足だ。とにかく10年以上ぶりに野球の球(硬球は初めてだ)を投げるとあって、私は大きな不安を抱えたまま、松本君に御指南を仰ぐことにしたのである。
田尾「フォーム忘れたが。とりあえず、ヒジから行ったらええな?」 松本「そうですね。ヒジが出て手首ですね。最初は短い距離でゆっくり行きましょう」
私はゆるく1球投げてみた。ちょっと肩に違和感があるけど、何とか投げられる。
「パスン」 「パシ!」 「パスン」 「パシ!」
「パスン」は私の投げた球。「パシ!」は松本君から返ってくる球(笑)。投げながら、松本君はだんだん離れていく。距離が離れていくとついつい力が入って肩が一緒に出てしまって、ちょっと肩に無理が来る。球も伸びない。いかんいかん。腰を回してヒジと手首や。
松本「ええ感じですよー。はいナイスボール。ええですよー。っしゃー! ナイスボール!」
お、行けるかな。何かちょっと、投げられそう。結局松本君に乗せられて、調子に乗って知らん間に50球近く投げて、キャッチボールは終了した。
松本「十分行けますよ」 田尾「届くかな」 松本「届く届く。ただ、マウンドに上がったら結構遠いですからね。特に景色が違うから余計に遠く感じますから、キャッチャーのプロテクター全部がミットや思って、それでちょっと高めに投げるつもりで投げたら、失速してちょうど届くぐらいになると思いますよ(笑)」 田尾「行けるか」 松本「行けます行けます。いや、正直僕の予想以上に投げられてますよ」 田尾「うっしゃー。あとは明日の朝、肩が壊れてなかったらオッケーじゃ(笑)」
我々は高笑いをしながら、解散したのである。
夕方18:00、キャッチボールを終えて家に帰ったらKSBの多賀さんから電話がかかってきて、何か社長賞をもらったのでセンチュリーホテルの3階でみんなで祝いの会をしているので来てくれと言われて出かける。ホテルに着いてフロントの前を通ってエレベーターで3階に上がったら、電気もついてなくて誰もいない。あれー? と思いながらフロアをうろうろしていたら、ハッと気が付いた。ここ、フロンティアホテルやんか!
直ちにエレベーターで1階に下りて、怪訝そうな顔でこっちを見ているフロントの人の前を「ちょっと会場確認の用事があったんや」という顔をして通過して、センチュリーホテルに行ったらみんなおりました。当たり前や。で、スタッフからアナウンサーから勢揃いの会場で「殿堂入りの田尾です」言うて大笑いを頂きまして、で、8時前に抜けさせて頂いて、神戸から帰ってくる家内を高松駅に迎えに行って、そのままアップタウンに行って夜12時過ぎに帰って2時前に寝て、朝8時頃起きて肩を回したら、あ、痛っ…で、冒頭に戻るのである。ここから日曜日の話である。
あちゃー…肩が回らん…。昨日突然50球も投げたのが完璧に裏目に出た! どうすりゃこれ。夕方17:30までに、どうやって回復させたらええんや。とりあえず湿布を貼って、私は考えた。ふーむ、峰山に上がるか。
ごん「いやいやいや! それ、何の因果関係ですか!」 田尾「意識が肩に行っとるから痛いんじゃ。峰山に上がって意識を足腰と心肺機能に散らして、肩を油断させる」 ごん「言うてる意味がわかりませんが」
久しぶりに峰山に上がる。上がったら、峰山は花見客でごった返していた。途中、向こうから下りてくる世相おじさんに遭遇。
世相「上、一杯じゃ」
それだけ言って、世相おじさんは下りていった。世相おじさんが一言で済んだのは今日が初めてだ(笑)。上がってみると、アスレチック周辺の桜の下に弁当を広げた家族連れや何やらが約300人(だいたい数えた)。その上のキャンプ場あたりに約100人。その間を一人で黙々と歩くのはなかなか厳しい。なるほど、世相おじさん一言で帰るはずじゃ。
で、昼過ぎに山から帰ってシャワーを浴びて、また仕事をしてたら家内の友達の入船さんの奥さんが家に遊びに来て、しばらくしたら香西のじいちゃん(家内の父ちゃん)が「殿堂入りの祝いじゃ」いうて来て、そうこうしているうちについにオリーブスタジアムへの出発の時間が来たのである。
とりあえず、家内と2人で球場に入りました。招待だけどささやかながらアイランドリーグを応援するために入場券を買って球場に入ったら、担当の人が来て本部席に案内されて、段取りの説明を受けた。
担当「17:40にセレモニーが始まります。まず両チームの選手がグラウンドに並びますので、そこで田尾さんが出て行って、3分くらいあいさつをしていただいて…」 田尾「え? しゃべるん? 投げるんちゃうんですか?」 担当「はい、ちょっとしゃべって頂いて、それから一旦こちらに帰って頂いて、その後、審判の案内でマウンドに行って投げてもらうということになります」
聞いてないがな(笑)。しゃべらないかんのか。何しゃべるか考えないかんがな。というより、投げられるんか? 早めに来て誰かとキャッチボールしてみよか思ってたのに、これ、肩を壊したかもわからんままぶっつけ本番かい! などと言っているうちに時間は刻々と迫ってきた。
担当「じゃ、お願いします」
案内されるまま、ダグアウトの横に出る。担当の人と話してたらすぐに時間が来て、私は押し出されるようにグラウンドに出て、ホームベースの所へ行って、整列した選手たちをバックにマイクを持たされて観客に向かってしゃべろうとしたら、ネット裏席にH谷川君と亀ちゃんが陣取っとるやないか! H谷川君を意識しながら軽く「ガイナーズ」と「カマタマーレ」ネタを一つしゃべって、あとは観客の皆さんにさらなる動員のお願いをしてダグアウト横に帰った。しばらくして石毛が、あ、いや、石毛さん(笑)が来た。
石毛「ちわーっす」 田尾「ちわっす。昨日50球投げて、肩壊しました」 石毛「じゃ、うどんでも投げますか?(笑)」 田尾「キャッチャーにどんぶり持たして」(このネタ、授賞式の時に石毛さんに言うてしもたもんで)
とか言ってたら審判のおっちゃんが呼びに来た。うわ、心の準備も肩の確認もできてないがな! ええわ、行ったれ。えーと、腰から行ってヒジと手首じゃ…。
私はマウンドに行きました。しばらくしたら、キャッチャーとバッターがボックスに入ってきました。審判のおっちゃんが言いました。
審判「プレイボール!」
俺、本番に強いなあ。プレートを踏んだら急に冷静になって、一回振りかぶってからセットポジションに一瞬もどして、足を上げた時に自分の中で重心を確認する余裕があったがな。で、球速70km/hはあったかと思うような直球が右バッターの内角に、ストライクです!
いや、自分でも想像以上のストライクに帽子を取って一礼するのも忘れて、スタンドに手を挙げてダグアウト横に走って帰って石毛さんに
田尾「ストライク投げました!(笑)」 石毛「いや、見事見事!」
松本君、むちゃくちゃええ球投げた(笑)。松本君のおかげや。ほんまありがとう。あの時の50球。あれ投げんかったらもっとええ球行っとったんちゃうか?
松本「感謝してないやないですか!」
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2006年4月6日(水) 最後の1ページ、学生に担当させた写真素材が遅れて取りかかれんが(笑)。でもこの(笑)に、先が見えた余裕を読み取ってね。余裕ないけど。
さてその間に予想外のオファーが2つ。まず一つは四国運輸局から電話があって、何でも四国の観光振興に大きな役割を果たした人をたたえる独自の新制度「四国観光殿堂」なるものを新設するのだそうで、その第一号として四国アイランドリーグを立ち上げた石毛宏典氏と、何と私が殿堂入りだそうです。徳島新聞ではもう掲載されたらしいけど、授賞式が明日の夕方です。また誰かに「体制になびいた」いうて怒られそうだけど、何をもらっても俺、全然変わらんけんええやん。
もう一つは今日、その四国アイランドリーグから電話がかかってきて、何事かと思ったら「この日曜日にオリーブスタジアムで香川オリーブガイナーズの試合があるんですが、そこで始球式をしてくれませんか?」って(笑)。
そういうわけでとりあえず、ごんに電話をしたのである。
田尾「あー、殿堂入りの田尾だが」 ごん「いきなり変わってますやん!」 田尾「ごめんごめん(笑)。昼飯食いに行こうぜ」 ごん「ええっすよ。どこ行くんですか?」 田尾「どこでもええけど、スポーツショップの近く」 ごん「何ですかそれ」 田尾「実はかくかくしかじかで、始球式に出るかどうか返事せないかんのやけど、球投げられるかどうかわからんけん、硬式のボール買いに行こうと思って。ほんで投げてみて行けるようだったら始球式に出よと思って」 ごん「あんたアホですな」 田尾「この大事な時期に肩抜けたらどないすんじゃ。お前、来週から授業が始まるのに肩抜けたら、腕が上がらんで黒板の下半分しか使えんでないか」
私ゃ今まで軟式のボールしか投げたことがないし、何より5年くらい前から海で石投げるんもままならんくらい肩が上がらん、腕が振れん。40代から五十肩である。
田尾「昔は結構ええカーブ投げよったんやけどのー。とりあえず初球はまっすぐで行かないかんか」 ごん「1球だけでしょ! というか、やる気満々ですやん」 田尾「いかんいかん、ほんま、箸より重いもん持ったら肩が抜けそうなんや」 ごん「けどおっさんを始球式に引っ張り出すんやったら、そらボールでなくてうどん玉投げささないかんでしょ」 田尾「おー、それええな!」 ごん「それをキャッチャーがどんぶりで受けて」 田尾「すかさず審判が醤油をチャッとかけて、バットでなくて箸持って立っとったバッターがズッと食べる…って、イヤじゃそんなん!」
とりあえずボールを買って感触を確かめた後、私はアイランドリーグに電話をして「ゴロ投げてもええですか?」言うたら「いいですよ(笑)」と言われて出ることにしました。4月9日(日)、始球式の後、18:00試合開始。何か一人で行くん恥ずかしいのー。H谷川君、行くか?
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2006年4月5日(水) 夜11時頃、家内が近くのスーパー(深夜0時まで営業)に買い物に行こうと言うので、気分転換に一緒に行ったのである。ま、晩飯食べた後やし、総菜はすっかりなくなってる時間やし、ええか。
「腹が減ってる時にスーパーへ行ってはいけない」というのは、ごんも激しく同意する「お父さんの鉄則」だ。ただでさえスーパーへ行ったらいらんもんを買うお父さんが、腹減った状態でしかもお総菜が充実した夕方なんかに行った日にゃ、あんた間違いなく満腹時の5倍はいらんもん買いまっせ。俺とごんだけでないやろ?
で、とりあえず和歌山産のネーブルを8コ買った私は(いらんもん買うとるがな!)いつまでもお子様の味覚を持つ男ではないのでたくあんや梅干しや豆腐や漬け物が並んだコーナーに行って物色していたのである。そしたら家内がこう言った。
家内「ちゃんと裏に書いとる原材料の生産場所、見ないかんで。中国産の加工食品は絶対買うたらいかん」
わかっとるがな。何の罪もない普通の中国の方には申し訳ないが、うちは中国の野菜や魚や加工食品は、確認できるものは全て食べない。毒性の強い農薬を未だに使っていることももちろん理由だが、それ以上に、あのおどろおどろしい工業廃水垂れ流しの川の水である。かつて日本で大惨事を起こした重金属を含んだ工業廃水がおそらく桁違いの規模で垂れ流されて、それが魚だけでなく田畑に広がっていると思うと、悪いけど普通の神経をしてたらあそこから来る食品は食べられません。
重金属は体内に蓄積されて10年以上経って表面化するとしたら、私らはそのうち寿命が来るけど、子供らはきっと人生の最盛期に大変なことになるから、子供らにも「絶対食べるな」言うとります。たぶんアメリカの牛肉どころの話じゃないと思います。しかも一党独裁政権の国で民主主義がないから、根本的な自浄作用はないと思った方がいい。
たぶん中国の公害の実態は、中国政府からも出てこないし中国のマスコミからも出てこないし(一党独裁だから)、日本のマスコミにも正確には出てこない(ほとんどが中国寄りだから)。新聞やテレビばっかり見てたら実態がわからんですよ。雑誌や書籍やインターネットや実際に行って見てきた人の話からいろいろ情報を集めた方がいいですよ。
ちなみに今思い出したイタリア小ネタ第3弾。ミラノで小さい陶器やアクセサリーを売っている店に入った時のこと。ちょっと買いそうな雰囲気で商品を物色していたら、その気配を察したらしい店のおっちゃんが寄ってきて「キャンユースピークイングリッシュ?」と言うので「ア、リトル」言うたら、いきなり英語でこう言った。
店主「うちの店のオーナーは中国人じゃない。だから信用できる店だ(和訳)」
この話には続きがある。数日後、ベネチアの仮面やアクセサリーを売っている店に入ったら、店主が寄ってきて、いきなりこう言ったのだ。
店主「うちの店のオーナーは中国人じゃないよ(和訳)」
世界はどうも、日本人と違う価値観で動いとるぞ。テレビと新聞だけで自分の価値観を作ってたら、知らん間に洗脳されて現実がわからんようになるぞ。
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2006年4月4日(火)
朝から大学で「インタレスト」の担当学生を研究室に集めて、いよいよ佳境に入って上がってきた10数ページの校正をしているところに、RNCのテレビが取材に来る。遊ゼミで披露した特集の一つ「香川の名字勢力図」に小野さん(RNCキャスター)がいたく興味を示して、「取材に行けー」となったらしい。
集合したスタッフは、助手の眞鍋、学生組の阿B、木村、池田、おもろい方のO西、中尾ねえさん、ちっちゃい小野。コメントを求められた助手の眞鍋と寝坊の阿Bが、ま、それなりのコメントをして、いつ流れるか聞いたら、何と今日の夕方6時半頃のニュースの中でもう放送されるとのこと。インタレストの発行は4月25日の予定です。特集は「方言の乱」「香川の名字勢力図」と未だ秘密のベールをかぶったままの「魂の地図」の3本。実はこの3本目が、「文化人講座」並みにおもろいっすから(笑)。
今日の昼飯は眞鍋と「白川」に行ってきました。行く途中、郵便屋さんバイクで走っている米男にバッタリ遭遇して、「白川にうどん食いに行く」言うて別れたら、数分後に追いかけてきた。久しぶりの白川で緊張して、コップひっくり返してテーブルとイスと床を水浸しにしたがな(笑)。帰りに「今度は水まかんように練習してくるけん」言うて店を出ようとしたら、抜群のタイミングでウォータークーラーを確認に行ったおばちゃんが「水ががいに減っとるで」って。俺のせいかい!
今日は2日ほどビタ1行も進まなかった原稿がグッと進んで、ついにあと1ページ。絶対明日、原稿終わらす。
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2006年4月3日(月)
朝8時過ぎ、天然佐野さんのやってるFM高松の生放送に寄ってきて、 佐野「白髪、出てきましたね」 田尾「昨日ホセ・メンドーサとボクシングやってきたもんで」 という霞むような小ボケかましてその足で大学行って、夜、帰ってきたらナビスコ選手権の結果がとんでもないことになっていた。
昨日書きましたけど、3日目終了時点で、
-9 オチョア -6 ウィー -4 ガルビス -4 アン -4 リー -2 アルフレッドソン -2 ウェブ -1 プレッセル 0 ソレンスタム
そしたら最終結果、こんなことになってました。
-9 ウェブ(プレーオフで優勝) -9 オチョア -8 ガルビス -8 ウィー
ウソやろ! しかも経過を見たら、4人が7アンダーで並んだ後、ウィーが-8にしてトップに立ったらウェブが最終18番で116ヤードを直接カップインして-9で先に上がって、オチョアがこれまたイーグルで追いついてウィーがバーディーパットを外してプレーオフだって。生放送で見てたら、間違いなくプロスポーツ今季一番のエキサイティングな試合だったに違いない。
再放送はないし、一体最後はどうだったんだと思ってネットでいろいろ記事を引っ張り出して、頭の中でプレーオフ前の最終ホールの状況を組み立ててみる。ウェブは-7で18番ロングを迎えたわけだ。そこで奇跡的なショットでイーグルを奪って-9で上がって待っている。最終ロングに、まずガルビスの組がやってくる。ガルビスはスコアいくつで最終ホールを迎えたんだ? どこにも出てないけど、途中で-7で4人並んでたらしいから、たぶん-7で最終ホールを迎えて、イーグルが獲れずにバーディーで-8。続いて最終組のオチョアとウィーが18番に来る。オチョアは-7で、プレーオフに残るにはウェブと同じ、奇跡のイーグルが絶対条件。ウィーは-8で最終ホール。イーグルで逆転優勝、バーディーでもプレーオフ。
そしたらオチョアが何と2オンに成功して、こいつをねじ込んでイーグルで-9! ウィーも2打目でグリーンそばまで来て、入れに行ったら3mオーバーして、これを外してパーで-8と、そういうことらしい。あー、中継見たかった。
今日は昼、上村さんと「はまんど」でラーメン。久しぶりに盛の大将と会うたがな。大将、最新バージョンアップ版ラーメンを出してきて、はまんど初体験の上村さんが絶賛してました。やっぱうまいわ。私の中で、世界最高のラーメン。ま、世界のラーメン食ったことないけど。
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2006年4月2日(日)
今日は久しぶりの絶不調。今朝3時半に寝て7時に起きて仕事体制に入ったのだが、原稿が1行も進まん。2時間ぐらい、1行も進まん。で、気分転換に違う原稿にかかろうとしたらこっちもなかなか構想がまとまらんで、また違う仕事に変えてみたらこれも頭の中がグッと詰まったまま微動だにしなくて、あかん、ちょっと単純な連続作業を挟もうと思って前期の授業で使う資料の整理に取りかかっていたらあっという間に昼前になって、福田社長から電話がかかってきて11時半に近くのファミレスのJOYFULに行って仕事の打ち合わせを30分ぐらいやる。で、家に帰ってメシ食ってたら、ケーブルテレビで女子プロゴルフメジャー初戦のクラフト・ナビスコ選手権3日目の中継が始まった。
今、私の中で一番注目のプロスポーツは、恥ずかしながら女子プロゴルフです(笑)。私は昔からずーっと岡本綾子のファンなんですが、今の世界の女子プロゴルフ界は私の見てきた限り、ここ20年来で一番おもしろい状況になっています。10年くらい前にカリー・ウェブが出てきた時にはその強さとかっこよさに腰を抜かしたのであるが(抜かしてないけど)、それを上回る強さでソレンスタムが女王に君臨したと思ったら、そこに今、ものすごい韓国若手旋風が吹き荒れてて、さらにそこに16歳のミシェル・ウィー、17歳のモーガン・プレッセル、19歳のポーラ・クリーマー、22歳のナタリー・ガルビス、23歳のロレーナ・オチョア、28歳のクリスティー・カーといった若手の、そろいも揃って実力のある美人選手がドカドカ出てきて、すごいことになっとるんです。
私は競技スポーツとしては、情緒の入る採点競技の体操やフィギュアスケートより、はるかにこっちの方が紛れのないアスリート感と爽快感があって好きなんです。トーナメントは3日目を終えて、トップがオチョア(-9)、2位がウィー(-6)、3位がガルビス(-4)、ウェブが6位(-2)にプレッセルが8位(-1)、ソレンスタム11位(0)、クリーマー23位(+3)。ちなみに不動18位(+1)、宮里23位(+3)。で、仕事する気持ちだけは表明しとこうとテレビを前にパソコンに向かってゴルフを見ていて、コマーシャルの間にチャンネル変えていたらたかじんの番組で勝谷さんが吠えていて(笑)、ちょっとインターネットで脇道に入っていったら阪神がヤクルトとデーゲームをやっていて、それをちらちら確認しながらあっち見たりこっち見たり原稿に立ち向かったりしていたら、とうとう晩飯の時間まで1行も進まずに来てしまった。
時々ある、5匹ぐらいの兎を追ってしまって1匹も獲れないという事態である。1日が終わってみて「こんなことなら最初から一つだけやっとくんだった」いうやつ。ほんまにいつになってもしょっちゅうこれをやってしまう。昨日の晩からちょっと風邪気味。原因はこれだ。こういうちょっとしたことが原因で集中力を欠くと、最初に取りかかった仕事にグッと入り込む前に崩れてしまって、集中力の立て直しがきかないまま5匹ぐらいの兎のあっちを追いかけては逃がし、こっちを追いかけては逃がしするのである。わかっとるんやけど、とりあえず日付が変わるくらいまではもがいてみるか。
阪神勝ったけど、今年はボチボチでええです。総合力は今年、どう見ても中日が一番やろなあ。
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2006年4月1日(土)
朝8時から「讃岐うどんワールド」のロケで善通寺へ。うどん店は宮川製麺所と大釜が取材スポットだったのだが、途中、昼食で立ち寄った善通寺の「日の出」が、店構えも釜も何もかも“骨董品”の味で、スタッフ全員大感激。行ったら今日は観光客が結構来たらしくて何とうどんが切れていたのだが、そばとばら寿司で大変満足しました。途中でご主人が岡持で出前に出たりして、コンパクトな「さらさや(琴平町)」の趣です。いや、本日の大収穫。
夕方6時頃、大釜でロケを終了して高松に帰って、すぐさまアップタウンに学生の阿Bと前Dを集合させてインタレストの打ち合わせと指示。終わってすぐさま割烹遊で遊ゼミに参加して、そのまま上村さんと遊の峰代さんとやっちゃんと4人で大学の仕事や芸術文化のことやいろいろ話をしていたら、深夜2時半やがな。遊の営業時間、「上村さんが帰るまで」かい。
さてと、日記を見たある方から忠告をいただいた。曰く、サヨクの方々は「西尾幹二」氏の本を読んでるというだけで「右」のレッテルを貼るぞ、と。何じゃそりゃ。昔、アップタウンで「ゴルゴ13」を読んでて駐禁のシール貼られたことはあるけど(笑)。
とりあえず何かそういう偏見みたいな世界があるらしい。ま、私は別に誰かの「思想」に傾注してるわけじゃないし、「右」とか「左」とかがあるのを知ったのも最近のことだし、別に本を読んでも、論理的に納得のいく自分の中の“真ん中”を探してるだけだから(別にその気で探してもないけど)、というか、ただおもろい本を読んでるだけだから、誰かにシール貼られても別にいいや(笑)。誰かと思想的な論戦をする気もないし。それより目の前に次々出てくる仕事で成果を出さないかんからな。
本日、遊で豊浜の合田君が日記を見ていることが判明。30人になりました。
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