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2006年06月の日記
2006年6月27日(火)

 月に一回のRNCラジオに出て、小つるさんと伊達典子さんとヨタ話をしてたら、

小つる「さっき番組で四国学院の橋本先生と話してたんですよ」
田尾「え? 来てたんですか?」
小つる「いや、丸亀町のACTで今、展覧会をやってるって。“今日はこの後田尾さんがスタジオに来るんですよ”言うたら、“すぐ近くやから寄ってね”って言うてましたよ」

 そんなん言われたら行かないかんがな(笑)。ラジオ終わって歩いて会場に行ったら、川田やコン・ジニョンら学生も来てて、ACT事務局の西原も出てきて、早よ大学に行かないかんのに1時間近くしゃべってきた。

 大学に行ったら、こないだやった健康診断の結果が届いていました。見ると、肝臓のいろんな数値や血糖値が劇的に下がってました。1年にわたってウォーキングを続けた成果だ。相変わらずまだ「脂肪肝」とか書かれていたが、まあ見ときなさい。この夏できれいさっぱり、解消したるから(笑)。でも代わりに「胃の精密検査をしなさい」って。わっちゃー、胃カメラ飲むんかー。また「ちょっと太いうどん飲む思ったらええですから」とか言われるんか?(過去2回胃カメラ飲んだ時、2回とも同じこと言われた。香川の医者のマニュアルトークか?)今度言われたら「ほな、めんつゆにつけてくれ」言うたろ。

 夜は学生の新延、大平、川口、横山のいかさま働かんメンバー(笑)を連れて、はまんどの大将んとこ行って、7月末の「世界のB級グルメ屋台」の調理修正会。我々チームの出し物は、どこの国の何かはまだ書かないが「Papa Rellena」という怪しい料理だ。前回大学内で行った試作会でうまくいかなかった部分を、はまんどの大将の指導で修正。かなりおもしろくてうまいのができそうな感じになってきた。不安一杯だった学生4人もそれなりに動き出して、ちょっと安心。これで安心できんのは原稿と胃カメラだけになったぞ(笑)。
2006年6月24日(土)

 ごんとD々君が「最近、団長日記が説教臭くなってきていかん」と責めるのである。

田尾「最初はなこんなん身内しか読まんやろと思て、ピンポイントで身内に向けてバカ話を中心に書いとったわけや。ところが、次第に君ら以外のインテリジェンスをお持ちの方々も何人か読んでいらっしゃることが判明してきたけん、ちょっと対象設定が乱れとんじゃ」
ごん「何か、心外ですなあ。まるで私らにインテリジェンスが欠けているような発言ですが」
D々「心外ですよね。言うときますけど、僕ら通信環境知識に関しては田尾さんよりはるかかなたに行ってますよ」
田尾「えらい限定されたジャンルやないか」
D々「Wikipediaって知ってます?」
田尾「失礼な。ネットの中の辞書みたいなやつやろ? 世界遺産のデータ探してたら見つけたがな」
D々「ま、その程度やと思いますけど。その中に田尾さんが出てて、えらい詳しいに書かれてますよ」
田尾「何で俺が辞書に載っとんや」
ごん「あれ、いろんな人が書き込んで作っていくんですよ。だからたぶん、おっさんの身近な人か誰かが情報を書き込んでる。インタレストのことまで書かれてますよ」
田尾「何とか!」
D々「編集牛と呼ばれてて、それが専牛になって社牛になって吉牛で教牛になったって」
田尾「そこまでか?」
D々「そこまでです」
田尾「まだまだやな。社牛の後、社長辞めてただの株主になった時に“株牛(かぶうし)”があったんやけどな」

 とにかく一回見てみろと言われたので見てみたら、なるほどー、私がラジオでしゃべったことまで書かれとる。けど一つ、経歴にミスがあるな。「2002年、四国学院大学に教授として招聘される。同時にホットカプセルを退社。」と書かれているが、2002年にホットカプセルを退社して、四国学院大学の教授になったのは翌2003年じゃ。教授になったからホットカプセルを辞めたんでなくて、ホットカプセルを辞めた後で、辞めたのを聞いて大学から教授の話が来たんじゃ。

 今日は昼からH谷川君を呼び出して、「超麺通団3」の取材で丸亀の「夢う」と「やす坊」で立て続けにうどんを食って、苦しくなって腹ごなしに丸亀城に登ろうと思って、お城の道をはさんで北側に広い無料駐車場があったので車を止めて歩いてお城に向かっていたら、こないだテレビで取材に行ったばかりの岩崎のわらびもちの屋台が出てるのに出くわした。屋台を見たら、こないだ取材に行った時に記念撮影した写真を大きく貼ってあるでないの。

田尾「うわ! 俺や!」
岩崎「あらー、田尾さん!」
田尾「いつもの商店街でなくて、ここに出てるんですか?」
岩崎「今日はちょっとな(笑)」

 偶然の出会いに「やっぱり街には出てみるもんやなあ」とか言って、わらびもちを買ってハアハア言いながらお城に登ってきて、車に帰って丸亀オークラホテルに行く。17:00からここで麺通団の株主総会があるので、16:00過ぎにホテルの喫茶に行って、H谷川君とイラストの校正をやっていたら、何やら聞いたことのある大きな声のおっちゃんが喫茶に入ってきた。まさか…と思って顔を上げたら、やっぱり、四国学院のジェームス・ブラウンこと神野先生やがな!

田尾「何でこんなとこにおるんですか」
神野「四国学院の同窓会の会合や」
田尾「あ、これ、麺通団のH谷川君です」
H谷川「あ、どうも」
神野「長谷川や! ホームページでしか見てないけど、H(エイチ)谷川いうたら長谷川しかないやんけ!」

 神野先生、お仲間の方々が向こうから「じんちゃーん!」とかさかんに呼んでるのにこっちでよっけしゃべって、お酒入ってて壊れる寸前です(笑)。

田尾「H谷川君、あれが神野先生」
H谷川「僕も日記で知ってるだけですけど、来た瞬間にわかりました(笑)。何か、初めてお会いしたというより、“出くわした!”いう感じですね(笑)」

 山で熊に出くわしたんやないねんから(笑)。
2006年6月23日(金)

 授業を終えていろんな打ち合わせを終えてテレビがあるので高松に帰ったら、15:30だったのである。

 「KSBスーパーJチャンネル」は16:55からちょっとだけ番組予告で出て、17:00から本番という生放送で、私はいつも余裕を持ってだいたい16:45〜50分くらいにスタジオに入る。ビジネスマンなら約束の時間の5分前はマナーだ。

H谷川「いやいやいや、どこが余裕ですか! 本番5分前じゃないですか!」
田尾「だって俺、リハーサルないし(笑)」

 で、今日は大学でいろいろ動いて汗をかいたので、家に帰って着替えて、まだ16:00前だったので連日の睡眠不足をちょっと気休めに解消しようと思って、16:30に目覚ましをかけて仮眠をしたのである。家からKSBまでは徒歩で5分かからないくらいの距離なので、16:30に起きて10分で整えて歩いて行ったら楽勝と思って、ちょっと仮眠したのである。そしたら、さすが元ビジネスマンの緊張感からか、目覚ましが鳴る前の16:15頃に目が覚めたのである。

 悪魔がささやいた。

「まだ16:30まで15分もあるでー」

 私はソファのクッションに突っ伏したまま、「あと15分だけ…」。

 ガバッと起きた時、時計は16:45を指していた! どどど、どっしぇー! 私はあわてて飛び起きて顔を洗って着替えて、髪を整える間もなく家を飛び出して走ってKSBに飛び込んだ。飛び込んではないけど。KSBの手前20mくらいからは息を整えるために歩いて、スタジオに入ったらもう全員がテーブルに着いていて、ADが「30秒前…あ! 田尾さん来ました」って。

 何食わぬ顔で16:55からの15秒の番組予告を済ませて、番組スタートまでの数分の間に事情を白状した。

田尾「すんません、仮眠してたら寝過ごしました」
本庄「それで! 何か田尾さん今日は声が低いと思ったら、寝起きの声だったんだ(笑)」

 番組の初めのへん、絶対寝起きの顔をしてたと思う。顔にクッションの筋が付いてたかもしれん(笑)。
2006年6月22日(木)

 6月22日と言えば、何で覚えとんかわからんけど小西君の誕生日だ(笑)。えーと、小西君は私と同い年で、タウン情報かがわ創刊の年に中途で入社してきて、実は私が辞めるまでの21年間ずーっと一緒に仕事をしたただ一人のスタッフで、私と同じ年に辞めて、今は豊浜の11号線沿いの「さぬき秀芸」の向かいにある「iltカフェ」というたぶん豊浜で一番オシャレなカフェでマスターをやっとります。タウン情報時代に何かのきっかけで誕生日が6月22日であることを知って以来、何でかわからんけど6月22日になるたびに「あ、小西君の誕生日や」とか言っていたら、覚えてしまったらしい。ちなみに小西君と言えば、麻雀の時の口癖が有名だ。我々の仲間内だけで(太田とかねっくとか出竿とかごんとか)。

小西「リーチ」
出竿「小西さん、これ通ります?」
小西「通る通る、トール・モーリア」

小西「リーチ」
太田「勝負!」
小西「通し。通しイトウとハッピーアンドブルー」

太田「リーチ」
小西「まいったなあ。これ行けるか? いや、行けん行けん、違憲立法審査権」

 みたいな。あと10ぐらいはあったが、しょーもないので忘れた(笑)。 

 さて、本日は授業と研究室の引っ越しの準備で夕方までかかって、午後4時前に打ち合わせで車で丸亀方面に向かったら、ものすごい雨に見舞われた。尋常ではない量の雨が車にたたきつけてくる。豪雨だ。これを音で表現するなら「ゴオオォォォーウ!」以外にはない。

H谷川「さすが団長、表現がひと味違いますね」
ごん「違う違うH谷川君、“豪雨”をカタカナにしとるだけや」

 表現力も鈍るほどの豪雨の中を走って丸亀で打ち合わせを終えて、高松に戻って夜、「超麺通団3」のイラスト制作のためにS原、ごん、D々、H谷川を呼んでアップタウンに集合した。団員S原は似顔絵描きの特技を持つ。というか、仕事にもしてるんだけど。で、我々がバカ話をしている横でスラスラと全員の似顔絵イラストで仕上げていって、あっという間に我々の最新の似顔絵ができあがりました。ごんの似顔絵に内面からにじみ出てくる邪悪さが欠けていたので私が改善命令を出したが、矢印のついた黒い尻尾をつけたら見事にそれが解消されて全員が納得。

 描き終えてみんなでこんぴらうどんに行って、「今日は私のおごりじゃ」言うたら、5人で4550円食うたがな。大将に取材のお願いをしたら快諾をいただきました。おおきにおおきに、おおきに金太郎(これも小西ネタ)。

2006年6月19日(月)
 昨日の夜、疲れて10時半に寝て、2時半に起きて全米オープンゴルフの最終日のテレビをつけたまま原稿に取りかかる。またサッカーの試合中だけ寝てたみたいになって、サッカーファンから「ケンカ売っとんか!」と言われても仕方がない。仕事があるし全米オープンの最終日だしちょっとは寝ないかんし、という状況を総合したら、寝るのはあの時間帯しかないという結論に達したのだが、ま、テレビを見て応援しなかったら怒られるというのも変な話だから(笑)。

 先週の金曜日にKSBスーパーJチャンネルに出てたら、もうみんなワールドカップモードで、街の話題ではサッカーの応援ばっかり流れるしキャスターの中村君は「NAKAMURA」と書かれたユニフォームを着てるし(笑)、で、オンエアでいきなり「どうですか、ニッポンは」とか振られたもんだから「すんません、僕、サッカーにあんまり興味ないんでようわからん」と言ってしまって、番組終わったら多賀さんが出てきて「あの状況で“サッカーに興味ない”って言えるの、田尾さんやっぱすごいわ」って、ぜったい「すごい」の意味が違うぞ(笑)。

 ちなみに番組の途中、全国ネットの時間にモニターにワールドカップのニュースが流れてて、私はモニターを見ずに同じくサッカーに興味のない岩井さんと雑談してたら、テレビからアナウンサーがさかんに「クラウチ、クラウチ」とか言うのが聞こえてきて、「え? 日本の試合やっりょん?」と言ってしまった。「倉内」ちゃうんかい!

 全米オープン、近年まれに見るすごい展開でした。結果が出てるので経過を書いても仕方がないけど、タイガー・ウッズがメジャー初の予選落ちをして、3日目を終えて全米の期待を背負ったミケルソンが+2でトップタイで、日本人は一人予選を通過した今田が+8で最終日をスタートしたの。そしたら終盤、今田が2つ縮めて+6にした頃に上位がばたばたスコアを落として、トップが+4まで落ちてきて、これは! と思ったら今田が終盤3連続ボギーで+9で終了。この時点でホールアウトした選手のトップはオギルビーの+5。で、優勝争いは17番を終えて+4のモンゴメリーと16番を終えて同じく+4のミケルソンの2人になって、パーを取るのが精一杯の上がり3ホールをまだ2つ残してるミケルソンの方がこれは不利だぞ…という最後の最後で、時間が来て私は朝8時15分からのラジオの生放送に出かけたのである。

 で、帰ってきて、当然番組は終わっているのでインターネットで結果を見たら「オギルビー優勝!」って。何じゃそれは! 確認すると、何と最終ホールでまずモンゴメリーがダブルボギーで+6になっておしまい。続いてミケルソンが最終ホールでこれまたダブルボギーで+6になってた。

 みたいな、たぶん私は一つ一つ状況が確認されながら進んでいくスポーツが好きなのである。野球とか、アメフットとか。頭の回転が遅いんかな。ちなみにスコットランドの人気者コリン・モンゴメリーは「Montgomerie」と書いて、日本では「t」を抜いて「モンゴメリー」と書いたり読んだりされているが、現地での愛称は「モンティ」で、「t」が入ってる。昔、全英オープンの中継で青木功だけが「モントゴメリー」って言ってたのを覚えてるけど、ま、大した問題ではないけど。さ、仕事しよ。
2006年6月13日(火)

 朝から大学で用事を済ませて、夜7時からFM香川でうどんのラジオの録音。集合したごんとH谷川君と清水屋の大将に「超麺通団3の原稿はどないなっとんや」と責められるが、この物を作る時の「誰をどうしたいのか」という一番大事なコンセプトが固まらない苦しみは、なかなか他人に説明できるものではない。

 要するに、讃岐うどん巡りブームが10年以上経過して、讃岐うどん情報が雑誌やネットの中にあふれかえっている中で、今さら麺通団が誰に何のメッセージを発信してどうしたいのか、を決めるのに、なかなか答が出ないのである。そんなめんどいこと考えずに原稿を書くだけなら楽なのだが、長年「人を動かす」目的で情報誌をやって来た私には、「本を出すことが目的」という原稿を書くことに対しては意識が抵抗するのである。今、とりあえずの答を頭に置いて書き始めているのだが、とりあえずの答だから書いてるうちに答が揺れ始めて何度も何度も手が止まる。苦しいなあ。

 こないだは麺聖森村に、ネタの確認のついでに局面打開のきっかけにでもなればと思って、久しぶりに電話。話の中で森村が「ここにきて県外からのうどん巡り客が特定の人気店に集中し始めた感じがありますね」とか言っていたが、おっしゃる通り。そういう現象は、マーケティングの実践感覚から言えば「ブームが去りつつある」という現象ではなくて、「ブームの局面変化」のパターンの一つである。

 何年か前、驚くことに外国の新聞だったか雑誌だったかが「一冊の本から起こったブーム」ということで讃岐うどんブームのことを取り上げて記事にしているのをファンが見つけて知らせてくれたことがあったが、その中で、同じ一冊の本から観光ブームが起こった事例として、「讃岐うどんブームは南仏プロヴァンスがブームになったのと似ている」という分析をしていた。

 これらは、私の言う「集合としてのポテンシャルアップ」の典型的な例である。讃岐うどんもプロヴァンスも。すなわち、例えば富士山とかディズニーランドとか万里の長城とかいう単体で遠くから人を集めるポテンシャルの高い素材ではなく、一つ一つの素材は圧倒的ではないが、それが数多く「集合」することによって、固まりとして遠くから人を呼ぶことのできるポテンシャルに昇格するという例で、こういう類の素材は最初、エリアとしてワーッと人を集めた後、個々の素材の情報が伝わり始めると、次に集合している素材の一部に「集中」が始まるのである。で、集中した素材は客がもう一段増え、集中から外れた素材はかなり目に見えて集客が落ちる、という第二局面に移る。この場合の第二局面は、マーケティング戦略の視点から見ると、まだプロモーション素材として十分なポテンシャルを有している、すなわち依然として「ブーム」の中にあるのである。

 ではブームの第二局面におけるプロモーションの切り口は何か? という課題について、私の中で答が揺れているまま、今、苦しんどるわけです。そういうわけで「超麺通団3」は、プロモーションツールとしてはたぶん大きな成果は挙げられないような気がする…と、今からクレジット入れときます(笑)。オールカラーで写真がたくさん入った、情報誌っぽいMOOK本になるそうです。けど、そんじょそこらのうどん情報誌みたいなものには、私のプライドとして、なりません。例によって笑いどころも満載で(笑)。ふー、日記書いてる暇があったら原稿書けって。
2006年6月12日(月)

 朝4時頃から必死で頭を起こして仕事してて、5時になってテレビつけて全米女子プロゴルフの最終ラウンドを見ようとした途端、グラグラッと地震が来たのである。テレビの上に置いてあったビデオテープ4本とDVDが全部落ちた。本箱の中の「ゴルゴ13」は125巻の「人質」まではグッと踏ん張っていたのだが、126巻の「スフィンクスの微笑」から後が倒れて、その下の段の「風の大地」はダダ崩れだ。あれ? 何で「風の大地」があるんや? あ、ごんから借りたやつ、2年ぐらい返してないんか。

 ま、2年も経ったら「風の大地」も帰りたくないだろう。それにしても昨日の夜、仕事をしながらふと外を見たら異様に茶色い月が出ていて、「何か大王が降って来るんちゃうか?」とか冗談で思っていたのだが、朝8時15分、FM高松の生放送でそんな話をしたら相方の佐野さんが「私も昨日の夜、みたらしダンゴみたいな色の月を見て“何かあるんじゃないの?”と思った」って。

 ラジオを終えて朝9時前に家に帰って、今日は仕事部屋にこもって昼飯も食わずにめちゃめちゃ苦しみながら延々と原稿を書く。晩飯食って風呂に入って、また原稿に取りかかって夜10時40分、ついに力尽きて、しかし朝まで寝てしまうわけにはいかないので朝2時半頃に目覚ましをセットして、何とか2時半に起きてまた仕事にかかっていたら5時頃に新聞が来て、一面を見て知りました。俺、ワールドカップの日本の試合の中継中だけ寝てたんやね(笑)。
 
2006年6月11日(日)

 朝というか、夜と朝の間頃から原稿に取り組んでいて、5時になったので原稿を書きながらテレビをつけて全米女子プロゴルフの3日目を見る。何か、すごいことになってきた。宮里とパワフルなハーストが首位タイで最終日へ。1打差にミッシェル・ウィーと韓国勢2人がいて、2打差にオチョアと久しぶりの朴セリともう一人いて、3打差にカリー・ウェブがいて、5打差に不動が居て6打差にアニカ・ソレンスタムがいる。明日、最終日、また朝5時から見ないかん。あ、原稿書きながら(笑)。

 以前にも書いたが、今、私の中でわざわざ見ようと思うスポーツ中継のダントツ1位が、世界の女子プロゴルフ中継です。第2位が世界の男子プロゴルフ中継、次が阪神の試合で、あと、アメリカンフットボールのスーパーボウルと甲子園ボウル、最近出て来んけどエフレン・レイズとブスタマンテとストリックランドが出てきた時のビリヤード中継、最近全然やってくれんけどヨットのアメリカズ・カップ。ま、ただの個人的な趣味の問題なんですけどね。

 H谷川君から「阪神の話題が全然出ませんね」と言われたが、まだ6月やからな。小ネタも藤川の防御率と片岡の打率の争いぐらいしかないし(笑)。けど岡田はええなあ。原なんかと比べたら、ベンチワークやインタビューでの立ち振る舞いや言動が、カッコもせずにものすごく「素」で、ええなあ(笑)。

岡田=藤山寛美(松竹新喜劇)
安藤=辻本茂雄(吉本新喜劇)
鳥谷=安田大サーカスの団長(松竹芸能)
野口=馬

 伝統的関西お笑い系ビジュアル選手も充実しています。さ、がんばって仕事しよ。
2006年6月9日(金)

 今日もさわやかに原稿に取り組もうと、朝7時頃に峰山散歩に出かけてすぐ、ふと「こんな朝から起きてないやろなあ」と思いながら松本君に電話したら、ツーコールで電話に出たのである。

田尾「何でこんな早よから起きとんや」
松本「いや、寝てないんですけど」
田尾「徹夜かい。ほなしゃーないなあ。今、峰山に出かけよんやけど、ええからもう寝え」
松本「お供させて頂きます」

 で、松本君の家の前で合流して2人で峰山に向かって、麓のごんのマンションの前を通りかかったら、今まさに出勤しようとしているごんに出くわしたのである。ほんま、ちょっとそこまで車で行くのに信号に全部引っかかったようなもんや。

 ところが、信号はこれだけではなかった。ハアハア言いながら1時間、山の上の尾根を大回りしてやっと峰山の展望台の直前のアスレチック場に到着したその時、「おう!」という大きな声がしたのである。世相おじさんや!(笑)

 松本君、日記でさんざん妄想をしてきた世相おじさんとついに初対面。一緒に展望台に上がって、約30分にわたって団らんしてきた。今日は主にエルニーニョ現象について斬っていただきました(笑)。途中、去年私がねんざをして数カ月峰山に来なかった時の話題になって、

世相「田尾さん急に見んようになったけんどしたんかと思いよったら、別の人が“ねんざしとるらしいで”いうて教えてくれたんじゃ。“何で知っとんぞ”言うたら“インターネットで書いとった”いうての」

 その話は以前にも聞いたので、この日記を見ている方が峰山に来て世相おじさんと話をしていることは判明していたのだが、私はさらにちょっと探りを入れてみた。

田尾「おじさんインターネットは見よらんですよね」
世相「おう。わっしゃそななもん見んが」
田尾「そらよかった(笑)」
世相「何ぞわしのこと書いとんか」
田尾「ちょっと(笑)」
世相「そういやこないだわしが腰やってしばらく(峰山に)来なんだ時があったやろ? そいで(腰が)ようなってまた来始めたら、遭う人が“おっさん腰痛めとったんな”言うけん“何で知っとんや”言うたら、“田尾さんがインターネットで書いとった。あれはどう見てもおっさんのことじゃ”言うてのー」

 うわっちゃー、おじさんはこの日記見よらんらしいけど、かなり筒抜け状態やぞ(笑)。過去にさかのぼって表現を書き換えとかないかんか?(笑)。ちなみに初対面の松本君、おじさんのエルニーニョ現象斬りに腹筋つるほどウケてました。

松本「田尾さんよう相づち打って話しますねえ。僕、たぶんダメですわ。10分持たん(笑)」
田尾「松本君もまだまだ、人生で乗り越えなあかんもんがあるな(笑)」

 夜、アップタウンで佐伯とカメラマンの安藤君と中村君と、「超麺通団3」の撮影の緊急ミーティング。もう、いろんなものが超タイトなスケジュールになってきて、またまた大ピンチ。私も乗り越えないかんもんがなんぼでも出てくるが。
2006年6月6日(火)

 苦しみ中やけどちょっとだけ仕事が進んだので気分転換。夜の10時半頃、インタレスト2代目学生編集長のゲンセーがうちのマンションに届け物を持ってきたので部屋に上げたら、福田と柘野とおもろい方の大西までくっついてきてて、ちょっとだけ編集のレクチャーをして帰した。

 届け物は、インタレスト編集部に届いたお便りの束。たくさんメッセージを寄せて頂いてありがとうございます。で、その中にこんな質問がありました。高松市の方から「田尾先生は源内さんと仲が悪いのですか?」って(笑)。

 たぶんあれのことですね。うどん店の「源内」のホームページの中に、源内の社長さんだかどなたなのか存じ上げないが日記みたいなのを書かれていて、その中で明らかに私のことを指していると思われる批判的な内容がある(ごんからの指摘で初めて知りました)。「現代では、うどんのことを書けば先生になれる不思議な国“讃岐”です。T・Kさんはうどんの本で大学の先生(教授ではない)になりました。何とも不思議な国です」と書かれている。私はうどんの本で先生になったのではないし(学長、私だけでなく大学までバカにされてるみたいですよ)、「教授ではない」と書かれているけど教授だし、ダブルで間違っているのだが、まあネットの中はデマがいっぱいあるしと思ってほったらかしてたら、そのままの内容で本にまでして書店に並んでいるらしい。

 そしたら今度はまたホームページの中で「自分はさぬきの夢2000の偽装表示事件が起こるのを予言していた」として、さぬきの夢2000を批判した後、「うどんの本のブームで自分はチャッカリ大学教授、今ではテレビでも登場するTさん。この人がただの一度でも“さぬきの夢2000”について警鐘を鳴らしたことがあったでしょうか」と書かれておられました(教授になった経緯も私の担当授業も知らずに何が“チャッカリ”じゃ)。いや、私は予言者じゃないけど、さぬきの夢2000については当初から聞かれたら自分の考えをいろいろお答えしてきましたし、事後はこのホームページにも新聞にもつたない意見をさらしておりますし(笑)。

 たぶんそれらの私に対する批判を読んで、冒頭の「仲が悪いのですか?」という質問になったんでしょうね。

 とりあえず質問にお答えします。仲が悪いも何も、私は源内の社長さんだかどなたなのか存じ上げませんが、一度もお会いしたことがないしお話ししたこともないんです。さらにこれまで源内を批判したこともないし、昔の職場の近くにあったこともあって郷東の源内にはしょっちゅううどんを食べに行ってたし、何が気に障っているのかわけがわからんのです(笑)。

 タウン情報時代に記事で紹介しようと思ってスタッフに取材に行くように指示したら、スタッフから「社長さんから取材拒否の指示があったそうです」という報告があって、それでも郷東の源内は好きだったから「うどん巡礼八十八カ所」企画の時にもスタッフに依頼に行かせたら、また取材拒否に遭って、まあいろんな理由で取材拒否はよくあることだからと断念をしたことがありましたが、とにかく何のことだかわからない。いろいろ必死で心当たりを思い出してみたのだが、なんせ源内のことを書いた記憶がないんで思い出しようがない。私が忘れているのか、何か一般的なことを書いた中で個人的に気に入らないことがあったのか、私の姿形言動すべてが気に入らないのか…(けどそんなものは私もいちいち構っていられない)。

 余談であるが、1カ月ほど前、知人があるうどんの会社に転職したのだが、彼から電話があって、「うちの社員がみんな、田尾さんがうちのうどんを“まずい”と言っているのを気にしている」ということを言われたが、私は「申し訳ないが私はその店にまだ行ったことがないから、うまいもまずいもコメントしたことがない」と返事した。何かあちこちで、しゃべったこともない“私の意見”が一人歩きしてるみたいだ(笑)。

 そういうわけで源内については、私は何とも思ってないのですが先方さんが一方的に何かを思っているようです。これ、「仲が悪い」とは言えんですよね(笑)。とりあえず、わけのわからないものを相手にしても仕方がないので無視していますが、批判はいくらされても別にかまんけど、いわれのないデマや間違いを根拠にした中傷が続くようだと、大学の名誉があるのでいつまでも笑てへんぞ、と(笑)。まだ笑いよるけど。
2006年6月4日(日)

 久しぶりに8日間も日記が飛んだが、今、仕事で生涯でも数本の指に入ろうかという苦しみ中なので小ネタの一つも繰り出せんのです。とりあえず、生きてることだけ報告(誰にや)。
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