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2006年09月の日記
2006年9月30日(土)

 夜6時半頃帰宅したら、阪神が負けとった。ふー、実質6ゲーム差に戻ったか。阪神が残り7試合を7連勝して、中日が残り12試合を6勝6敗なら、逆転優勝。奇跡を起こさなどうにもならんけど、7連勝で終わって欲しいなあ。残りの先発予想は、安藤(中日)、井川(ヤクルト)、杉山(ヤクルト)、下柳(ヤクルト)、福原(巨人)、安藤(巨人)、井川(広島)です。たぶん。ヤクルト戦の3戦目あたりに出てきそうな石井一(今季阪神が一回も勝ってない)と、巨人戦の頭に出てきそうな内海(今季阪神がいかさま打てん)で負ける恐れあり。あと、井川が2回のうち1回でポカスカ打たれる恐れあり。ま、今季はええっす。

 今日はオープンキャンパスの学科紹介ステージの進行。カルチュラル・マネジメント学科の学科紹介は、何とステージショー仕立てである。全体の演出は劇団銀河鉄道主宰の上村先生が学生たちに照明や音響や演出を指導して臨み、オープニングはこれまたプロの今井先生が学生たちを動員して編集制作した紹介ビデオの上映、司会進行はアシスタントに3年生の木戸を従えて私がやるという、学生が現場の主体ながら、プロの本格仕込みの紹介イベントにしてある。カルチュラル・マネジメントの名にかけて、「学生たちが手作りで一生懸命やりました」などという学芸会にするわけにはいかんのである。

 ちなみに、司会進行アシスタントの木戸彩は去年からずっとオープンキャンパスで私のアシスタントをやっているのだが、今やテレビにも出演し、ラジオにも出演し、イベントの司会もこなすという成長ぶりである。どこかで見かけたら応援してやってください。

 午後4時、ステージ終了。残務をやって、昼飯も食ってなかったので腹ぺこで学科事務室に行ったら、今日のオープンキャンパス担当教員用の弁当が4つ余っていた。まだ取りに来てない先生がいるのだ。その中の一つはきっと私の分なので、取って広げて食べようとしたら、そこにいた眞鍋と学生の今田と森と中西と野添こと自称ステファニーが物欲しそうにこっちを見る。

田尾「何や、腹減っとんか」
ステ「めちゃめちゃ」
田尾「弁当3つ余っとるぞ」
眞鍋「それ、先生方のですよ」
田尾「もう5時やぞ。絶対取りに来んわ。もったいないけんみんなで食え」
今田「ほんまにええんですか?」
田尾「お前なー、学生に弁当を食われてキレるような先生がうちの学科に……」
今田「いや、そこで止まったら、誰か思い当たるんやないですか!」
田尾「かまん。俺が責任持つから食え」

 みんなが喜んで食べ始めた時、部屋の外で足音がした。あわててカーテンの隙間から外をのぞく私。

今田「めちゃめちゃビビッてますやん!」

 6時前、「腹一杯になったけん帰る」言うて、大学を後にして冒頭に戻る。ふー、今晩は明日の講演の準備じゃ。こう見えて私は、人前で一人でしゃべるのはものすごく苦手なのです。テレビもラジオもイベントの司会も、今までたぶんすべてごんや出竿やいろんな相方を連れてやってきたのはそういう理由である。授業はオッケーやけど、一般の人を前にしての講演は本当に憂鬱で重荷になる。講演を頼んでくる人は1時間とか2時間とかだけの拘束やと思ってるかもしれんが、講演前の1日は準備と憂鬱で仕事にならんのです。何とか頑張りますけど、デキが悪かったらご勘弁ください(笑)。
2006年9月29日(金)

 夜9時半頃、帰宅したら阪神が勝っとった。ふー、最後の中日3連戦、頭取ったか。表面上は2ゲーム差やけど、実質はこれでやっと5ゲーム差やから、遠いわなあ。

 今日は朝から「インタレスト」イナゴ軍団を招集して臨時編集会議。いつまでも集計作業みたいなのばかりやらせているわけにはいかないので、今日から原稿制作やタイトル・見出し制作、簡単なレイアウトなどの役割を振り分ける。

田尾「宮崎、原稿書けるか?」
宮崎「……ちょっとなら…」
田尾「よし、ほなこれ担当や。ここに、俺が片山先生にインタビューしたテープを源成が死ぬ思いでテープ起こしした原稿があるから、これをまとめてくれ」
宮崎「まとめるいうのは、どうやるんですか?」
田尾「前号の山本先生のページみたいに仕上げるんや。見てみ? まず前回の誌面を見ると、本文が3つのブロックに分かれて、全部で200行ぐらいにまとめとるやろ? そやからこの源成のテープ起こし原稿を読んで、うまいこと内容をブロックに分けて、200行ぐらいにまとめ直す。源成の原稿を、こやって1行17文字に設定して行番号表示したら……ほら、行数が出てきたやろ? えーと、700行か。これをうまいこと、200行ぐらいにせえ」

 宮崎、途方に暮れて笑うしかない(笑)。がんばれよ。これができたら即戦力じゃ。

田尾「大西と堀川はこれじゃ。こいつをこっちにある元の資料と一つ一つ付き合わせて、こっちの星野尾が打ち込んだデータを全部校正して修正してジャンル別に並べ替える。よっけあるぞ。間違うなよ」
大西「了解しました」
 
 大西(おもろい方)と堀川は4年生。1年の時はどうなるかと思ったが、2人とも上場企業に就職が内定して、ここ半年ぐらいでグッとあか抜けて新人社会人の風格が出てきとる(ま、下級生に比べてだけど)。

 編集長の源成にはこないだ、学科の授業でタイに行ったチームに同行させてテーマを絞った取材をさせてきたのだが、集めてきたネタを小特集にするのに星野尾たちと徹夜で必死で考えて袋小路に入ってたので、私が30分ぐらいで切り口を見つけてパタパタと企画に仕立て上げるというのを見せてやったら目を丸くしていた。

源成「なんか一気にプロの編集作業みたいになってきました!」
田尾「当たり前じゃ。プロの仕事しよんじゃ」

 木村が担当の短い原稿を書いては「見てください」いうて持ってくる。ほとんどの学生がこれまで学校で「自分の気持ちを書く」みたいな作文しかやってきてないので、「読者に向かって書く」という根本的な心構えがまったく理解できてない。もう文章の書き方以前に、書き手のスタンスからの指導である。イナゴ軍団、30人近く。レベル、EからZまで(笑)。プロとして通用するAからDまではいない。ま、学生だから当然ですが。学内の原稿収集折衝から電話取材まで、いろんな指示をして、自分の原稿には1行もかかれずにテレビの時間が近づいてきたので、午後3時頃、私は編集室を出た。

 夜7時、KSBでテレビを終えてそのまま隣のFM香川で「続・麺通団のうどラヂ」の収録。8月でいったん終わってたのが、10月から復活することになりました。とりあえず1発目はごんとH谷川君の3人で、爆弾情報を交えて9時過ぎまで。で、冒頭に戻る。明日は大学のオープンキャンパス。また司会進行せないかん。日、月の講演準備もできてない。来週からの授業準備も、1週間あったら楽勝じゃ! とか言うてたんやけど…。あと、手つかずでほったらかしの仕事が3つ。
 
2006年9月25日(月)

 授業準備に専念するといったのにいきなり今日は、朝9時半から学生を招集して「インタレスト編集会議」だ。以前から決めとったから仕方がない。

 朝7時40分に丸山でうどんを食って、8時15分からFM高松で15分ぐらいしゃべって、直ちに大学に。夏休み中のイナゴ軍団20数名が集合して、9時半からミーティングを開始した。途中、伊藤先生と漆原先生との打ち合わせを挟んで、昼2時頃に池田ゲンセー、アニキ福田、ちっちゃい小野、おもろい方の大西、堀川アネゴ、木村ねえさん、リュック瀬尾の学生7人を連れて香の香でうどん食って、さらにもう一つ別の打ち合わせを挟んで夕方5時半頃までかかった。

 夏休み前に計画していた第2号の企画内容は、取材やデータ分析をしていくうちに「あんまりおもろないなあ」とかいう理由でいくつか縮小になったりボツになったりで、最初は「これは創刊号を超えたぞ!」とテンションが高かったのに、予想外に苦しんでいる。正直、インタレストの編集は私が一人でやった方がはるかに早いのだが、ゼミ活動の一環なので学生指導の意味が重要で、おかげで3倍以上時間がかかるのである。今日は学生編集部隊の体勢を「緊急バージョン(笑)」に立て直して全員に役割をふり直し、結局今週の金曜日に再度臨時編集会議を持つことになった。今日を入れて「最後の1週間」の2日がつぶれることになりました。しかも明後日は学科の会議で半日つぶれ、日曜日はイベントと講演が入ってて、月曜日も講演が一つあるのに講演準備もまだできていない。昨日の朝のすがすがしさは何だったんだ。もうトンカツ食いに行っとる場合でないぞ。
2006年9月24日(日)

 昨日の夜、2週間ぶりにアップタウンに行ったら牛乳屋さんがいたのである。いつもおるけど。

牛乳「何しよったん」
田尾「もうねー、追い詰められとんですよ。大物の仕事2つが終わらんまま、授業開始まであと1週間しかない。それでね、どっちを先にやったらええか整理がつかんで、どっちつかずのまま日にちだけが経っていく…」
牛乳「何を抱えとんや」
田尾「説明しますとですね、抱えとる大物は、後期の授業の準備(7科目分!)とインタレストの編集。ちょっとここからパズルみたいな話になりますから、よーに聞いてくださいね。まず、授業の準備は、最悪全部できんかっても、授業が始まってから毎週末に翌週の準備をやるとか前日にやるとかして、やっていけんことはないと思うんですよ。いわゆるバイシクル・オペレーションで」
牛乳「自転車操業やないかい」
田尾「ま、そうとも言いますけどね。でね、インタレストの編集企画と原稿は、10月中旬か、遅くとも20日過ぎまでには全部上げないかんけど、かなり量があるわけです。で、9月末までの残りの1週間で、授業準備とインタレストを平行して一緒にやると、おそらく10月に入った時、授業準備も全部できてないしインタレストも終わってないという、一番中途半端な状態になることが予想できるわけです。この状態は何としても避けたい」
牛乳「中途半端はいかんな」
田尾「でね、この最後の1週間の、仕事の優先順位を整理したいわけですよ。これが非常に難しいて、頭の中で整理がつかんのです。最初はね、授業の自転車操業を覚悟でインタレストに専念しようかと思ったんですけど、インタレストの仕事は1週間でとても終わらん量があるから、10月に入っても仕事は残る。平日の昼間は授業があるから、インタレストの残りは夕方とか夜とか土日をフルに使って仕上げないかん。するとですね、授業の自転車操業をする時間もなくなることに気がついたんです。なんぼなんでもそんな準備もなしに行き当たりの授業をするわけにはいかん」
牛乳「授業の準備は1週間あったらできるん?」
田尾「あと1週間あったら、授業準備だけは仕舞いがつく」
牛乳「ほな授業準備に専念して、そっちをカタつけてからインタレストにかかるしかないな」

 なるほどー、ミーシーに整理したら解決するんや。最後の1週間、選択肢は「授業準備とインタレストの両方をやる」「インタレストに専念する」「授業準備に専念する」の3つ。まず、両方やると、両方が中途半端になるのでボツ。次に、インタレストに専念すると、インタレストも終わらないし授業の自転車操業の時間もなくなるからボツ。すると、答は「授業準備に専念」になる。1週間あれば授業準備は終わる。これやがな!

田尾「いやー、やっぱり相談してみるもんですねえ。これで明日からすっきりと仕事に集中できる」

 というわけで、日曜日は久しぶりにすがすがしい気持ちで朝を迎えたのである。1週間あれば、授業準備はちょっと余裕で仕上げられる。私は朝、すがすがしい気持ちで久しぶりに峰山に上がって、帰ってシャワーを浴びて昼から授業準備にかかって、あまりにすがすがしいので夜6時過ぎに牛乳屋さんとごんに電話をして、みんなで山かつにトンカツを食いに行ったのである。

牛乳「何かえらい余裕かましとるやんか」
田尾「いやー、1週間で授業準備に専念すると決まったら、こんなもん余裕ですよ」
ごん「いや、それちょっとおかしい」

 私も薄々、何かちょっとおかしいと思っているのだが…。絶対余裕ができるはずのない量の仕事を抱えているのは変わらないのに、1週間で授業準備を終えると決めた途端、「それならできる」とちょっと余裕が出てきた。さて問題です。これ、何がおかしいのでしょう?

 たぶん「1週間」が間違いなんやろなあ(笑)。授業準備、たぶん3日ぐらいでやらないかんのやろなあ。あー、また何かがのしかかってきた。

 「何がおかしいのでしょう?」と書いたら、昔どっかで聞いた話を思い出したので。ヒマな人は考えてみてください。

 3人のお客さんが、1泊1万円の旅館に行って泊まりました。翌朝、3人は一人1万円ずつ出して合計3万円を仲居さんに渡しました。仲居さんはその3万円を持って女将さんに渡したら、女将さんは「5000円まけてあげるからお客様に返してあげなさい」と言って、仲居さんに5000円を渡しました。仲居さんは魔が差して、その5000円から2000円を抜いて、残りの3000円をお客さんに1000円ずつ渡しました。

 さて問題です。3人のお客さんは、最初1万円ずつ合計3万円出しました。で、1000円ずつ帰ってきたので、1人9000円を出したことになって、3人で合計27000円出したことになりますね。で、仲居さんが抜いちゃったのは2000円。足すと、29000円。あれ? 残りの1000円はどこ行っちゃったんだろう?(笑)

 こんな問題出してる場合じゃないんだけど。
2006年9月19日(火)

 大学で雑務をして夕方帰ってきたら、訃報が入ってきた。中北の大将が亡くなった。あの「ゲリラうどん通ごっこ」を始めるきっかけとなった中北の大将、映画『UDON』にも出ている中北の大将。64歳。体調が悪くて店を休んでいるとは聞いていたのだが、何とも残念なこととなった。

 S原から今晩お通夜があると聞いて、会場のベルモニー会館へ2人で行ってきました。ちょっと遅くなったのでお通夜のセレモニーは終わっていて、私ら2人は別室で集まっているご親族の方々の所へ行って、焼香をさせてもらって、奥さんにあいさつをして帰った。ただただご冥福を祈るばかりである。今日は無念につき、ここまで。
2006年9月18日(月)

 いつの間に18日! まだ大物の「後期授業準備」と「インタレスト編集」のメドも立っていないというのに、授業開始までもうあと2週間しかないでないか。もう待ったなしだ。けど朝青龍でも待ったするからな。

 朝、台風一過でスコーンと空気が抜けていた。実はインタレスト用の撮影で女木島の山の上から海越しに高松市街の遠景を撮るために空気が抜けるのを1カ月以上待っていたのだが、ついにその日が来た。朝8時、FM高松にまた準備なしで行き当たり生しゃべりに出演したあと、松下で朝食代わりのうどんを食べて、私はインタレスト手伝い部隊に集合をかけた。集まったのはデザインの松本君と朝から吉野家に並んで牛丼を食ってきたS原と、ここに書いていいかどうかわからないので伏せ字にもできない男1名。

 もう10年以上ぶりに雌雄島海運のフェリーに乗って、女木島の山に上がって来ました。中腹の小さいお土産屋さんのところから、左に行くともはや「パラダイス(「探偵ナイトスクープ」参照)」の様相を呈してきた鬼ヶ島の洞窟。我々は「洞窟はこっちよー!」と言うお土産屋のおばちゃんの声を振り切って右に上がって、展望台で写真を撮って、下りてきてお土産屋でキビダンゴを食べながら一服していたら、洞窟に行ってきたらしい観光客の若者4人組が、あまり冴えない感じで帰ってきた。「パラダイスやからなあ(笑)」と思って見ていたら、おばちゃんが「また来てくださいね」みたいなことを言った時、若者のうちの一人が素で言いました。

若者「え? ここ2回来る人いるんですか?」

 俺、キビダンゴとお茶、噴きそうになったがな(笑)。観光客のこういう正直な意見、ちゃんとくみ上げて「素材力」を考えた観光プロモーションしましょうね(笑)。

 午後2時前に高松港に帰って、わら家でうどん食って解散。S原情報によると、この3連休、人気うどん店は軒並みゴールデンウィークのような行列ぶりだったそうだ。明らかに映画の影響のようです。そういえば朝行った松下も、朝の8時半だというのにガイドブックみたいなのを持った若い子が次々に来ていました。何か、うれしいなあ。

 3時半頃家に帰って、一服して仕事に取りかかろうとしたら、CSで何とディープパープルのライブがかかって、つい見てしまって「いかんいかん、仕事が待ったなしや」と思って番組が終わって仕事に取りかかろうとしたら続いて何とローリングストーンズのライブが始まって、どしたんぞ今日は。また見てしもたやないの。いかんいかん、今週は絶対、死ぬほど仕事するぞ。明日から。
2006年9月14日(木)

 北海道5日間の旅から帰ってまいりました。手帳数ページに渡ってネタのメモがいっぱい(笑)。さらに収集した観光関係の資料やパンフレット類がいっぱい。で、これを整理して組み立てて、授業に使うわけです。なかなか興味深い切り口が見つかって、いずれ観光マネジメント分野で新しい提案ができそうです。

 北海道はレンタカーで自由に走るのがいいとみんなから聞いているのだが、私は目的あって、ツアーに乗っかってずっと観光バスで移動していた。バスガイドが「JTB」を「ジェーテービー」と発音する超ベテランのおばさんで、酒で焼けたみたいな声で文法のおもしろい日本語を使っていたことは長くなるので別の機会に紹介しようと思ったが、前ふりとしてちょっとイメージしてもらうために、ジェーテービーおばさんのガイドをいくつか再現しておく。

ガイド「北海道には今、若い子に超人気のお菓子があります。ジャガボックル。一口食べると、最後まで止まりません。コンビニで売っていますが、すぐに売り切れます。コンビニにあったならば、ぜひ挑戦してみてください。コンビニに売り切れていたならば、ホテルの売店にも、ありがちです」

ガイド「このあたりには、タンチョウが飛んでまいります。今は夏ですから見られませんが、冬になるとすぐ近くで、見られがちです」

ガイド「これからしばらくは、山道を走ってまいります。周りは一面緑に覆われていますが、ちらほらと秋の紅葉も、見られがちかと思います。前の方に、大きなトラックが走っています。北海道の道は信号が少なく、居眠り運転、大きな事故に、結んでまいります。冬になると、さらに大変です。雪が積もりますからね。吹雪になると、前が見えません。ぶつかって初めて、車がいたことがわかります。二重三重の衝突、ありがちです」

 なんかものすごくしょっちゅう、何かが「ありがち」で「見られがち」らしい(笑)。

ガイド「左手前方に連なるのが、十勝の山です。十勝の山、夏になると、登山のお客様も増えてまいります。冬になると登山はもっと厳しくなります。遭難もあります。今でも語り継がれる有名な遭難は、北大からの12人のパーテーの遭難です。帰りの時刻になっても戻って参りません。遭難でございますね。救助。救助隊が出ましたが、冬山で救助は大変な困難となりました。悪天候の雪山です。救助の人はみんな、パーテーの全員が亡くなったものと思いつつ、救助に向かったのです。……バスは今、千歳に向かっています。今日、千歳から飛行機でお帰りになるお客様が何人かおられますね? 千歳からお帰りのお客様はこの後……」

 おーい! 遭難した「パーテー」はどないなったんや! 結局遭難の話はそこで終わり、二度と顛末が話されることはなかった。そんなガイドさんが2日目、知床の羅臼峠に差しかかった時に、突然熱く語り出したのである。何の話かというと、「北方領土」の話である。羅臼峠からすぐ先に、国後(クナシリ)島が見える。その国後島のことを最初から最後まで「ロシアに不法占拠されている我が国の領土、国後島でございます」と言うのである。そして、国後島をはじめとする北方領土の歴史から、先日のロシアに船員を射殺され船長が拘留されたあの事件のことを熱く語り始めたのである。

ガイド「北方領土は150年前に、ロシアと調印して、日本の領土であると決まっているのです。それを、大東亜戦争の終わりにロシアがどさくさに紛れて軍隊を出して、北方領土にいる日本人を追い出して、不法占拠したまま、今日に至るのです……」

 私は北方領土の歴史を恥ずかしながらほとんど知らなかったのであるが、その話を聞いて、羅臼峠でみんなが記念写真を撮ったりしている間、何かがこみ上げてきて国後島をずっとにらみつけていたのである。私のすぐ近くで、同じバスの中でガイドのおばさんの話を聞いたおっちゃんが2人、同じく国後島を見ながら「あんなに近いんだ。日本の領土だ。返せっつうの」と言っていた。

 何か、日本は北も南も、島から侵略されているみたいだ。みんなが無関心でいたら、そのうち本土も侵略が始まるのか? というか、もう精神の侵略はとっくに始まっているのかもしれないが。ガイドのおばちゃんは、最後に「みなさんもいろいろご意見があろうかと思いますが、ぜひ関心だけは持ってお帰りいただければ幸いでございます」と締めた。遅ればせながら、少し北方領土のことを勉強しよう。
2006年9月7日(木)

 朝7時半頃、サンライズ瀬戸で高松駅到着。家に帰って産経新聞を読んでさわやかになって(笑)、もう寝てる場合ではないのでパソコンを開けて仕事にかかる。ところが、頭の奥でまだ何かが渦巻いているのである。しかも今抱えているのがよりによってものすごく集中力を要する仕事で、必死で頭をクリアにしようと頑張るのだが、どうにもならないのである。策に窮して、私はごんに電話をした。

田尾「朝早くからお伺いします」
ごん「は?」
田尾「あ、ごめんごめん、省略しすぎた。朝早くから恐縮ですが、つかぬ事をお伺いします」
ごん「何ですか?」
田尾「いや、この質問はな、俺の周りにおるやつを見渡してもきみしか聞くやつがおらん!っちゅう質問なんやけど」
ごん「そうでしょうそうでしょう。何でもどうぞ」
田尾「二日酔いって、どうやって治すんや」
ごん「へ?」
田尾「いや、かくかくしかじかで“これが二日酔いかー”と思うんやけど、普段酒飲まんから二日酔いかどうかさえわからんのやけど」
ごん「何じゃそら。まあ二日酔いだったら、コンビニで液キャベとかソルマックとか何か買うて飲んだらたぶん直りますけど。あとは汗をかくか、水分を取るならミネラルが入った、ま、スポーツドリンクとか飲んで…」
田尾「了解」

 汗をかくと聞いたら、もうあれしかない。私は直ちにビークオーターを飲んで着替えて「峰山体勢」を整え、松本君に電話をした。

田尾「峰山行くぞ」
松本「了解しました」

 朝9時、家を出て、コンビニで生まれて初めてソルマックを買うて飲んで、スポーツドリンクを買うて腰に下げて、松本君と合流して1時間かけて汗だくで峰山山頂の展望台に到着した。展望台には先客がいた。何度か見かけたことのあるハイキング奥さん2人だ。あいさつをすると、そのうちの1人がタッパーに入ったちょっと楕円形のプチトマトを「いかがですか?」と出してくれる。私はトマトダメなんで、

…という木曜日の日記を今、日曜日の朝書いています。あと、トマト事件と徹夜事件が続くのだが時間が来たのでおしまい。今から北海道に行ってきます。
2006年9月6日(水)

 昨日から緊急の仕事を抱え込んで、今朝3時過ぎまで仕事に取り組んで、4時間ぐらい寝て朝からパソコン持って新幹線で仕事しながら東京へ。私のマーケティングの実践現場の一つ、麺通団P&Mのミーティングである。

 会場はいつもは新宿なんだけど今日は渋谷の貸し会議室。夕方、福田社長と勝谷さんと私と東京麺通団の店長の山中とパロマスという、濃いけど軽いメンバー、けど実は東京の讃岐うどん業界では奇跡的な快進撃を続けるカリスマ首脳陣(笑)が集まって、奇跡的な快進撃の冷静な分析と今後の展望を語り合った。

田尾「ほんま、東京麺通団、すごいなあ」
山中「これはやっぱりマスターのおかげですよ」
パロ「なんしんな。そら山中のおかげやで」
山中「いやほんま、マスターおらなんだらここまではできてないで」
パロ「なんよんかいの。なんとて山中がごっついがな」
田尾「きみら、腹ん中で“俺のおかげや”いうのがミエミエやで(笑)」
山中「ほんますんません(笑)」
パロ「ほんますんません(笑)」
田尾「ええか、これはな、山中一人のおかげでもマスター一人のおかげでもない」
福田「そうや、その通り!」
田尾「強いて言えば、俺のおかげや」
全員「おっさんおっさん!」

 みたいな、いつものように笑いどころ満載のミーティングではあったが、とにかくスタッフもむちゃくちゃ頑張っとりますが、もちろん常連さんや一見さんや、あるいはいろんなところで応援してくれる皆さんや批評してくれる皆さんや、東京麺通団をいじってくれるたくさんのお客さんのおかげです。引き続きご愛顧の程、腰をかかとまで低くしてお願い申し上げます。

 思い起こせば東京麺通団がオープンしてまずまず好調に1年を経過した頃、あるフランチャイズビジネスのコンサルタントみたいな人が来て、東京麺通団の経営状況を分析してフランチャイズビジネスの提案をしてきたのである。こちらは経営方針や店作りのコンセプトを説明したのであるが、それらを分析したコンサルタントがデータを提示しながら「東京麺通団の一番の問題点は、人件費比率が高すぎることだ」と指摘した瞬間、私は「このコンサルタントはダメだ」と確信して、やんわりと話を却下した。我々が目指している「人の生み出す付加価値」の意味を、全くわかってないのである。

 人件費比率が高いなどということは私には最初からわかっているのである。「労働分配率」とか専門用語を出してコンサルティングのプロっぽさを見せようとしていたが、労働分配率の用語の意味も経営判断材料としての意味もこっちはちゃんと知っている。知った上で我々は、旧来のビジネスとしての飲食店経営とは違うコンセプトに取り組んでいるのである。だいたい、なんであの店に「社員」が多くて、さらに山中とパロマスがいてあの2人が何を生み出しているのかがわからないようでは、麺通団ブランドの経営は絶対できん。

 ちなみにマスターも山中も自分らが何を生み出しているのか言葉で説明できんかもしれんが(笑)、まあ彼らは無意識のうちになんとなく「体感」してるはずだから、あとはそれを表現する国語力だけの問題じゃ(笑)。

 ミーティング後、勝谷さんの引率で四谷の「萬屋おかげさん」という小さな居酒屋か小料理屋みたいな店に行く。途中、勝谷さんとマスターと山中の乗ったタクシーの運転手が渋谷から四谷に行くのに「初心者なので道がわからない」と言ってアブナイ空気が流れる(笑)という事件があったが、全員無事到着した。ほんまに、勝谷さんやマスターの言う通り、「寿司屋に入って大将が“初心者なんでまだ寿司が握れません”言うか!」「うどん屋に入ったら大将が“すんません、まだちょっとうどんが打てなくて”言うか!」っちゅう話である。勝谷さん曰く、最近東京のタクシーの半分もがこんな状態だそうである。

 で、この「おかげさん」であるが、私は近年記憶にないくらいの感動的な店でした。酒と肴と接客に魂が入ると、ここまですばらしいことになるのか! というくらいレベルが高い。私は勝谷さんに勧められるまま、生涯最多量と種類の日本酒を飲んでしまいました。この日の夜の予定は、緊急の仕事を抱えているため夜10時発の寝台列車サンライズ瀬戸で高松に向かって、寝台列車の中で徹夜になろうかという勢いで仕事をするという計画なのに、私ゃ目まで真っ赤になって、夜の9時に四谷の駅から電車に乗って東京駅に着いて、寝台列車の個室に入って、テーブルにパソコンを出して仕事体制に入って、気分が悪くなって10時半に寝た(笑)。

 翌朝4時に列車の中で起きて、シャワー室に行ってシャワーを浴びて目を覚まして、再びパソコンに向かったら頭の奥で何かが渦巻いていて、結局また寝ました。何としても木曜日中に仕事を上げないかん。さあどうする(笑)。笑ってる場合じゃないんだけど。
2006年9月3日(日)

 昨日の晩、遊ゼミが終わってアップタウンで牛乳屋さんとしんちゃんと長居をしてしまったので、ちょっと朝寝をして午前10時半からビークオーター飲んで峰山に上がる。険しい方の山道から上がっていたら、中腹で一服しているおっちゃんとおばちゃんがいて、「ちわー」言うてあいさつしたらおばちゃんの方に「あら、田尾さん?」言われて、ちょっと立ち話してからまたハヒハヒ言いながら山頂の展望台に到着した。

 本日は気候もよろしい上に風でガスも飛んで、今年一番の絶景です。瀬戸内海の島から岡山までスコーンと抜けて、手すりにもたれてしばらく景色を眺めていたら、知事が犬を連れて上がってきた。

田尾「あ、眞鍋さん」
知事「あら田尾さん」

 20分ぐらい一緒に景色を見ながら話して、男木島にあるという穴場の店を教えてもらったりして、「ほなお先ですー」言うて下山。昼から昼食がてら、家内とサンポートのシンボルタワーに行って、模型の展示会みたいなのをやっている松本君をてがいに行った(笑)。松本君の作った模型の横に、その模型が載った模型雑誌のページを開いて置いてある。

田尾「これ、松本君が書いた記事か?」
松本「はい」
田尾「どれどれ、ちょっと見てやるか」
松本「うわー、恥ずかしいなあ」
田尾「赤ペンあるか?」
松本「勘弁してくださいよ!」

 松本君、文章上手になっとるがな。…って、私が偉そうに言うもんでもないけど(笑)。で、30分ぐらい会場にいて、それから3階に上がってラーメン食って帰った。それから仕事して、晩飯食って、BSで秋田県の大曲の花火大会を見て、それからまた仕事にかかって夜12時前、現在に至る。何かのんびりしとるみたいに見えるやろ?(誰に問いかけとんや)けど今、迫り来る大物が4つ。そのうち大学の仕事が2つ。本の仕事が2つ。9月中に仕上げないかん中物と小物が、吉本がらみで1件、大学の仕事が2件、原稿が2本、企画ものが3件。いつの間にたまったんじゃ。
2006年9月2日(土)

 いつの間に9月、しかも2日。油断してたらだんだんいろんなものが迫り始めたぞ(20年ぐらい同じパターンを繰り返してるけど)。

 この1週間、フジテレビのロケが1本ありました。FM高松とKSBに出てきました。東京へ行って吉本興業とタウン情報全国ネット本部と東京麺通団で仕事をしてきました。講義計画を作っていました。その間、峰山に5回登りました。アップタウンに4回行きました。どや、忙しいんかヒマなんかわからんやろ。

 あ、もう一つ、家で取ってる新聞を毎日新聞から産経新聞に変えました。私の家で取ってる新聞歴は、大学時代にスポニチで長い間バイトしてたこともあって卒業後もずーっと家でスポニチを取ってて、恥ずかしながら一般紙は40歳頃まで家になくて、会社でもほとんど読んでなかったという体たらく。それからスポニチをやめて系列の毎日新聞に変えて、それから3年くらい前に追加で四国新聞を取り始めた。

 業界の方々はご存じのように、地方紙の全国ニュース記事はほとんど共同通信の記事です。従って、我が家の新聞から入ってくる全国ニュースや全国ネット記事は「毎日新聞」と「共同通信」のみ、という状態が3年くらい続いていたわけです。するとどうなるか? 事情通の方はご存じのように、頭がずーっと傾いていくんですね(笑)。

 私は幸運なことに5年くらい前に「頭が傾かないための本」に出会って(きっかけは空港でたまたま買った井沢元彦の『逆説の日本史』シリーズ)、そこから関連本に手を出していって、山本七平、石原慎太郎、猪瀬直樹、曽野綾子(大好き)とかの、小説以外のノンフィクションを読むあたりまで何とか来た。あと、勝谷さんがおりますが(笑)。読書量はたぶん多くの皆さんのまだ10分の1もありませんが、そうするとですね、事情通の方はご存じのように「毎日新聞」と「共同通信」を読んでたらだんだん腹が立ってくるんですね(笑)。朝日新聞を読んでたら体まで立ち上がってたかもしれんけど(笑)。

 で、産経新聞にしたわけです。何か、毎朝さわやかです(笑)。(笑)が連発なのは、笑って逃げてるわけです。私は闘うつもりはちっともない思想的チキン野郎なので、深い意図はちっともありません。なるべくさわやかな毎日を送りたいだけです。さ、明日も峰山に登って、下りてきてシャワー浴びて働くぞ。
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