2006年12月の日記 |
2006年12月31日(日)
ファンクの帝王ジェームス・ブラウンが亡くなって、現存するJBが神野先生だけになってしまった年の瀬である。昨日、船長のHさんから電話があって「明日は良さそう」と言うので、大晦日の今日は朝からボートに乗って海。6時間乗ってて、途中、逆光を避けるための時間待ちでイイダコをよっけ釣って午後2時半に帰港。海は凪いでるのに空気中のガスは飛んで絶好のコンディションで、ギリギリ年内に取材を終えて、あとは編集スタッフと松本君の気の遠くなるような作業が待っているぞ、松本君。
夕方家に帰ったらS原と長男の連れのタカオが来てて、家内と長男と長女と合わせて5人が狭い部屋の中でごった返していた。夕方6時過ぎ、睡眠不足で仮眠を取っていたら、S原とタカオが帰って、家内と子ども2人は家内の実家に行って、「父ちゃんは仮眠して、起きたらあとで実家に来たらええ」ということになって、そのまま寝たら目が覚めたのは夜の11時。服を着たままベッドで目を覚ましたら家の中は真っ暗で、一瞬事態が把握できなかったが、1分後に事態を把握。11時半に家内の実家に行って、じいちゃんとばあちゃんとうちの一家と家内の弟とその長男のヤスユキと8人で、みんなはすっかりくつろいでるけど遅れて行った私だけそば食って巻きずし食ってタコ食ってメバル食ってアイス食ってコーヒー飲んで、夜中の1時に解散して帰宅。まあそういう大晦日でした。
1日は仕事します。2日も仕事の予定だったけど、太田浩介が帰ってきて「ゴルフ行こう」と言うのでしょうがないなあ(笑)、セルヒオ松村(ミケルソンと同い年)と知将A藤と4人で行ってきます。3日は家族全員で着物着て写真館で写真を撮って詫間の実家に行って、4日は東京で5日は東京から帰ってきてテレビに出て、6日から8日までは授業準備や研究やいろんな仕事に没頭して、9日から後期の残りの授業開始。まあそういう年の初めの予定です。
毎年別に年頭の抱負は考えたこともないのだが、今年は品のある人に憧れてみようかな、と。自分は大して品がないし、あれはなろうと思ってなれるもんでもないような気がするので、とりあえず憧れてみようかな、と。変な人選かと思われるであろうが、テレビで見たり実際に合ったりした全ての人の中で、私の中で 品があるなあと感じる人ランキングは、
<男性部門> 同率1位…武豊、羽生善治 2位以下なし
<女性部門> 同率1位…ジュディ・オング 2位以下なし
あと、香川県内の知人では生け花の竹田豊靖先生と人形作家の後藤朝子さん。何がどうだと言われても言葉では説明しにくい、たぶんみんな笑いもするし怒りもするしイヤな人に対しては意地悪な気持ちにもなるだろうし欲もあるだろうしトイレにも行くだろうけど、そういうのじゃなくて立ち振る舞いの芯にある「品」ですねえ。
などということを思いながら、まあそういう穏やかな気持ちで1月1日の午前3時半に、まだ起きております。今年もよろしくお願いします。
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2006年12月26日(火)
12月の10日頃の予定では23日から取材旅行に行くつもりだったのだが、優先順位でそれを上回る企画が浮上したため、まだ行けてない。その「海の上の秘密の取材」は23日(土)と24日(日)に決行。土曜日は波と水蒸気のせいで不調に終わったが、日曜日は朝から7時間近い海上取材で一気の計画の半分近くが終了。なかなかの成果を挙げました。しかし改めて思ったのは、香川県は海が北にあるということ。これ、要するに日本海側と条件が同じなんですね。とりあえず天候を見ながらあと半分。成果の発表は来年の4月頃になる予定です。
そういうわけで今日は曇りのち雨でぽっかり1日空いて、朝から峰山に行って、山頂で世相おじさんに捕まって30分ぐらい世相を斬って(笑)、昼からものすごく久しぶりにレンタルDVDを借りに行きました。10本も借りた。で、「KSBスーパーJチャンネル」に臨時出演したあと、まずは遅ればせながら映画館で見てなかった「ダヴィンチ・コード」を見まして。
高校で世界史をちゃんと履修した私であるが、高校で習った内容は何の役にも立たなかったが社会人になってもちょっと勉強していたことがかなり役に立って、見入ってしまいました。謎解きとかサスペンス部分より、裏の知らないところで死人が出てないかと心配になるようなあの爆弾脚本に。遅ればせながら、すごいなあ、欧米は(笑)。あと、冒頭の何か学会発表みたいなシーンで、大学教授としてガツンとモチベーションをかき立てられて、今、すごくやる気が出ています。
深夜、テレビのチャンネルをあちこち変えてたらBSで何かの再放送だったか、わずか10年足らずで年商3000億円を上げるまでになったインドのIT企業「インフォシス」の戦略みたいなのをやっていて、チャンネルを止めた。いくつもの世界のトップ企業をクライアントに持つ最先端企業のトップが「日本は眼中にない」みたいなことを言っていた。事実、インフォシスとビジネスをやっている日本企業はアメリカの10分の1以下とか。私の第一感は「英語の壁」である。ビジネスの現場にいる日本人と日本の企業のトップの「英語の壁」が、世界のビジネスから日本をどんどん置いてけぼりにしているのではないかと、強く思わされた。
子どもに英語を教えるより日本語を教えろ、という意見をよく聞くが、人や文化の交流レベルではそうだと思うが、ことビジネスの世界に関しては英語力抜きでは日本のビジネスは滅びていくのだろうと思う。中国も韓国も東南アジア諸国もみんな、日本よりはるかに英語力があるからなあ。このままだと「日本人の多くが日本語と英語の二カ国語を普通にしゃべれる」という時代は来ないだろうから、日本のビジネスはたぶんこれからかなりしばらくの間、一握りの英語力のある若いビジネスマンに託すしかないという状態になると思う。いや、そういう人たちは日本から出て行く可能性の方が高いかもしれん。ビジネスをやったことのない人たちの情緒的な主張に流されていたら、知らんでー。文化の交流ではメシ食えんでー。
もう一つ、インフォシスの日本人マネージャーみたいな人が日本での営業戦略で新聞広告の提案をしたら、インドのマネージャーみたいな人から直ちに却下されていた。その理由が「きみは昨日の新聞の広告内容を覚えているか?」って。詳しく再現できんけど、日本のビジネスマンが持っているマスコミ広告に対するメンタリティの、何か根本的な錯覚みたいなのをものすごく感じました。いや、今日はDVDとテレビでえらい考えさせられました。勉強になりました。さ、明日からまた働こう。
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2006年12月20日(水)
暮れも押し詰まって、もうこれ以上押し詰まったら何かが出そうなくらい押し詰まったこないだ、インタレストlatter2006(第2号)がついにできて、先週の金曜日から学生たちが発送作業を続けております。今回の特集は、
「香川県下ほぼ全高校の修学旅行の行き先の変遷大調査」 香川県下45校中43校に取材をかけ、過去数十年に遡って修学旅行の行き先の変遷を大一覧表にまとめました。一番古い情報を頂いた高松商は、1900年の修学旅行から。ちなみに高松商は、1932年には「東京へ修学旅行中に5.15事件起こる」とか、1937年からは満州・朝鮮へ修学旅行に行くとか、小ネタもいただいております。
「申請書類の記入例大検証」 お役所などにある各種申請書類の「記入例」に書かれた「仮名」(「香川太郎」とか「高松一郎」とかいうやつ)を徹底的に収集し、そこに隠されたドラマを読み取るという、みうらじゅん氏もおそらく気づいてない遊びを発見(笑)。「公衆浴場営業許可申請書」の記入例に書かれた、脱力感あふれる「井伊湯太郎」から、幸せな家庭が崩壊していくドラマが見える「丸亀太郎一家」の物語まで、珠玉の分析が6ページにわたって繰り広げられています。バカです私ら(笑)。
「お札(さつ)にしたい香川県人・香川の風景」 「もし香川県で地域通貨を発行するとしたら、肖像画の人物は誰がいいと思いますか? また裏面に載せる風景や建物は何がいいと思いますか?」というアンケートを老若男女から集め、それぞれランキングにしてみました。
「2006年・私の好きなうどん店ランキング」 讃岐うどんの店を200軒以上食べ歩いた強者ばかり50人を集めて「自分の好きな店」を順位をつけて50軒挙げてもらい、それを大集計して出した、本邦初の筋金入りの讃岐うどん人気ランキング。もちろん私も50人に入っております。
その他、源成のタイ旅行崖っぷち取材(旅行中にクーデターに遭遇!)による「タイの若者雑誌を集めてきました」企画やいろんなレギュラーコーナーも含めてA4判のびっしり32ページです。すでにお申込頂いた方には、イナゴ軍団渾身の宛名書きでたぶんお手元に届いていると思いますが、まだ少々お分けできそうなので、希望者はハガキまたは封書に郵便番号、住所、氏名、年齢と「インタレスト第2号希望」と書いて、
765-8505 香川県善通寺市文京町3-2-1 四国学院大学カルチュラル・マネジメント学科「インタレスト編集部」
まで。読んだら感想とか送ってくれると、学生たちの励みと私の楽しみになります。冊子は無料ですが、郵送料は着払いですのでよろしく。
さて、今日は授業と教授会のあと、もう次のインタレストの編集会議だ。しかも明日は編集のプロ組も交えた特集企画会議。一応、爆弾企画を一コ用意してるのだが、うまくいくかどうかは週末の海の上の秘密の取材にかかっている。有馬記念どころではないぞ(笑)。
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2006年12月14日(木)
さてと、油断しとる場合でないのはわかっていても大物が終わるとちょっと油断モードに入ってしまうのは私だけの常ではあるまい。パソコンに向かっていたら、ちょっと手遊びモードに入ってしまいまして、30年くらい前にスポニチでバイトしてた時から始めていたサラブレッドの血統のデータベースをちょっといじりにかかってしまいまして。
こんなんありますけど。1970年以来の、種牡馬別G1獲得数ランキング。
1位 65勝 サンデーサイレンス 2位 22勝 ブライアンズタイム 3位 16勝 テスコボーイ 4位 13勝 トニービン 4位 13勝 パーソロン 6位 10勝 トウショウボーイ 6位 10勝 ノーザンテースト 8位 9勝 オペラハウス 9位 6勝 イエローゴッド、サクラユタカオー、シーホーク、ダンシングブレーヴ、メジロライアン、モガミ 15位 5勝 エンドスウィープ、カーリアン、キングマンボ、サッカーボーイ、ニホンピロウイナー、マグニテュード、マルゼンスキー、ミルジョージ、リマンド 24位 4勝 アローエクスプレス、クリスエス、シルヴァーホーク、シンザン、シンボリルドルフ、デヴィルズバッグ、ハイセイコー、ブレイヴェストローマン、メジロティターン、リアルシャダイ
サンデーがバケモノなのはこの数字を見ても一目瞭然だけど、オールドファンにはテスコボーイのすごさが思い出されるでしょ? トウショウボーイもサクラユタカオーもテスコボーイの仔だし。競馬マニアはそれぞれの種牡馬のG1を勝った「仔」を思い出して見てください。私、とりあえずまだ8割くらいは思い出せます(笑)。
さて、ご心配をおかけしておりました(誰にや)ボルボ13号が本日、10日ぶりに復活しまして帰ってまいりました。ヘタしたら42インチのプラズマが買えるくらいの修理代を食いやがったドラ息子じゃ。もう10年を超えて12万キロ以上走ってて、ディーラーが買い換えを迫っているのだが、今日、牛乳屋さんから「Hさん(アップタウンの客)な、43万キロ走ってまだ車検受けて乗っりょるで。快調に走りよるらしいで」という話を聞いて意を強くした。ほな、まだ30年ぐらいいけるがい。というか、車より先に私が死んどるわ。
一昨日はアス(「タウン情報おかやま」を発行している会社)の永井さんが大学に来て、久しぶりに会いました。1時間ぐらい話をしたのですが、その中で永井さんが「マーケットリサーチとか顧客のニーズ調査って、新しいものを生み出すのに一体何の意味があるんかと最近思うんよ」みたいなことを言い出して、私は激しく同意。永井さん、相変わらずセンス鋭いおっちゃんやわ(すんません、私より年上なもんで)。
永井さんの論旨は正確に再現できんので割愛するが、私はアイデア開発論やマーケティング論やマネジメント関係の講義で、まさにその視点からのアプローチを試みているのである。私は現在のマーケティングの理論や手法は、枝葉の部分では多少は進化しているのだろうが、根本的な部分が「顧客のニーズを調べて戦略を立てる」というところから数十年進化していないと思っている。その結果、いろんな既存のビジネスにおいて、日銭を追う手法についてはもう研究も実践もし尽くされてしまって、袋小路に入っているように見える。そりゃ何十年も同じ炭坑を掘っていたら行き場がなくなるというもので、その枝葉は違って見えても根本が同じマーケティングの手法にそこいら中のビジネスがたかって行ってるもんだから、近年特に顕著な「ヒットしたものにみんなが群がっていく」という現象が起こるのではないかと思っている。
何でみんな同じものに群がっていくのかというと、斬新なものを生み出す「新しいマーケティングの手法」が世に出てこないからである。一部の優秀な企業だけがその手法を試みて新しいものを生み出すのだが、他の大多数の企業はその知恵がないから、先発の成功例に群がることになる。で、私はその斬新なものを生み出す新しいマーケティングの手法らしきものの一つを見つけたので、それを授業でやりながら、自分の中でも整理したり肉付けしたりして体系づけを試みているところなのである。まだ世に発表するほどに整理ができてないが、授業ではかなりおもしろい手法が紹介できていると自分では思っているのだが、ビジネスの現場に出たこともない学生にはどれだけ実感として理解されているか。みんな「すごく簡単でわかりやすい」とか「目からウロコです」とか言うてくれるのだが。ま、講義や机上の理論だけでなくて、いずれどこかで実践の成功例を出せたらな、と思っとります。実は東京麺通団のプランも、ちょっとその手法でコンセプトを出してみたんですが(笑)。
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2006年12月13日(水)
午前中の授業を終え、清水屋でうどん食って午後1時半からの「フィールドプラクティカム」の授業は、いつものようにインタレストの編集会議である。何回か言ったが、インタレストの編集発行は私の情報発信ワークショップの授業の一環である。その履修学生たちがいわゆる「イナゴ軍団」なのである。
本日の授業は、つい昨日発注を終えたばかりの第2号の総括講義と、直ちに取りかからなければならない第3号の体制作りである。中でも学生たちの注目は、「誰が第3号の編集長になるのか?」の1点に集中していた。集中してないやつもおるけど(笑)。
田尾「そういうわけで、第1号(early2006=春号)は当時3年の星野尾が編集長をやったので(ま、4年がおらんかったからやけど)、第2号(latter2006=秋冬号)も3年の源成が編集長をやった。その送りで行くと次は今の2年が編集長以下中心メンバーで行くことになるけど、次の第3号(early2007=春号)からは体制を整備し直すことにする。すなわち、第3号は引き続き今の3年主体の体制を組む。年度明けて第4号(latter2007=秋冬号)は4年主体でいく。ということは、今の3年は次のearly2007を担当して、4年になったらさらに次のlatter2007も担当するというわけや。で、それの発行を卒業プロジェクトとする。今の2年はその2本のサブについて、その次のearly2008とlatter2008をメイン担当して卒業プロジェクトにする」
実は今日までみんな、次の編集長は2年から出ると思っていたのである。で、源成は自分のあとを2年の誰に継がせたらいいのか、1カ月も前からいろいろ考えて悩んでいたのである。
田尾「源成とも相談したけど、最終的には私が決めることにする。今までの仕事ぶりや、こないだやった校正の出来や、こないだみんなが書いた原稿の内容や、いろんなものを総合判断して、次の編集長は小野、お前じゃ」 小野「えーっ!」
編集室内に拍手が起こりました。インタレスト第3号の新編集長は小野悠梨、通称「ちっちゃい小野」(私が呼んでるだけだけど)。初の女性編集長です。
田尾「源成は参謀につけ。それから副編集長は、3年の残りの今田、濱谷。壽野と松浦は特集チーフ、馬場は引き続き記録係」
主体となる3年は、実は女子は小野だけであとは6人全員男だ。ところが2年は男が2人で女が9人もいる。
田尾「で、小野の部下が男ばっかりなんで、2年の女の子をさらに小野のサポートにつける。中西と川真田と松井の3人は小野のサポートチーム。イナゴレディースじゃ」
とりあえず第3号の編集部体制が決まりました。来週からさっそく企画会議です。次は正味、今回の半分くらいしか編集期間がない。しかも間に冬休みと春休みがある。松本君、来週から徹夜態勢に入るか?(笑)
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2006年12月12日(火)
勝谷さんに加えて山中(東京麺通団店長)の奥さんにまで「日記が更新されとらん!」と言われては書かざるを得ない(笑)。事件はそこいら中で起こっているのであるが、例によって書いてる暇がなかったのである。原因はインタレストの締め切りだ。では怒濤の追い込みを再現する(「追い込み」って、何を追い込むことなんやろ?)。
・12月6日(水)…授業と会議を終えて、夜8時からミーティングが1本。9時半に松本君ちに行って、上がったページの校正と修正指示とまだできてないページの指示をしながら、途中で源成も来て一緒にデザイン作業に張り付いてたら、朝の6時になってしまった。この年でまた徹夜やがな。
・12月7日(木)…朝6時過ぎに家に帰って1時間半寝て、大学に行って授業と会議を終えて、家に帰ってメシ食って松本君に状況を聞いたら「深夜から未明にかけてページが上がり始めますので、それまでは校正するものがありません」とのことで、仮眠を取って、深夜から未明にかけてということは間を取って午前3時に松本君ちに行く。源成と星野尾も集合してまた張り付いて校正や修正指示をやっていたら、朝の9時になってしまった。
・12月8日(金)…微眠微休明けの朝9時になってもカタがつかんので、ここは一つ気合いを入れないかんということで、同じく徹夜した源成と星野尾と3人でがもうに突撃して「朝うどん」して、引き続き校正作業。夕方テレビに出て、引き続き校正&修正作業。
・12月9日(土)…朝からミーティングを1件終えて、昼から引き続き校正作業。夜は取材でごんと源成と佐柳と木戸を連れてバスケットのbjリーグの観戦。夜11時過ぎに家に帰ったら、松本君とS原が来てて、残ったデザインの最終ページの打ち合わせ。明日は朝早いので1時頃寝る。
・12月10日(日)…5時半に起きて6時半に出発。7時から某所で生涯でも1、2を争う恥ずかしい仕事をやるハメになって、それで昼下がりまで時間を取られて、終わったあと、今夜は松本君ちに源成、S原、笹木、和田も集合して、いよいよ最終の校正修正作業。そしてついに深夜1時30分、インタレストは全ての修正を終えて、印刷発注にこぎ着けたのである。
・12月11日(月)…で、家に帰って2時半頃に寝て、朝6時半に起きて7時半に家を出て、歩いてFM高松に行ってラジオに出て来た。
田尾「ついにインタレストの編集作業がほぼ終わりました」 佐野「よかったですねえ」 田尾「今ね、もう脱力感が全身にみなぎっとる。あれ、何か言い方おかしいな、全身に脱力感がね…」 佐野「脱力感に…包まれてる?」 田尾「違う。包まれてる言うたら、脱力感が体の周りにあるみたいやん。違うんや。もう脱力感が体の表面でなくて奥底から全部…何というか、みなぎっとる…おかしいな(笑)」 佐野「脱力感に覆われてる?」 田尾「違う。覆われてるんでは体の表面やがな。もう体の中の芯までしみ込んどんやがな。あえて言うなら、脱力感が全身に…みなぎっとる。違う違う!」
もう、脱力感で何を言うてるのかわからん。ラジオを終えて、もういつ以来なのか思い出せもしない開放感に浸っていたら、大学にいる源成から電話がかかってきた。
源成「あの、入試課の原稿で曜日と日にちが合わんのがあったやつを確認に行ったらですね、新たに修正と変更が出てきてしまいましてですね、どうしたらいいかと…」
あかんがな。もう印刷に発注したがな。あわてて松本君と印刷の加地さんに連絡して追加の修正作業に取りかかって、終わったと思ったらまたまた大きな変更事項が出てきて、結局全ての片が付いたのは午前3時頃(だったらしい。最後の修正作業は松本君とS原に任せて私は寝ていた)。
えー、インタレスト第2号は今、印刷製本作業に入っています。できあがりは12月15日(金)の午後です。すでにハガキでお申込頂いた皆さん、お待たせしております。アクシデントがなければ金曜日の午後、我がイナゴ軍団が総出で発送作業を行います。総出ですから、字の下手なスタッフも宛名書きをする恐れがあります。源成が手書きした宛名は、届くかどうかも不安ですが(笑)、そんなものを補って余りある内容になっている! と思いますので、あと数日、お待ちください。
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2006年12月5日(火)
駐車場物語は新たな展開を見せたのである。
朝から講義2本と会議を済ませて夜8時前に家に帰った私は、用事があってごんに電話をした。用件を済ませて電話を切ろうとしたら、昨日の日記を見たらしいごんが言ったのである。
ごん「あの駐車場の件ですけどね、たぶんそのままにしといたら、駐車場の機械は“車が1台、まだ出ていない”と認識してますよね」 田尾「なるほど」 ごん「するとですね、例えば昼間にどんどん車が入ってきた時に、駐車スペースがまだ1つ空いてるのに、機械はおそらく“満車”の表示を出すことになりますよね」 田尾「おお、なるほど」 ごん「ということは、駐車場とすればいわゆる機会喪失ということで、売上を損することになる。その損害を与えたのはあなたということになる」 田尾「俺か! 損害賠償せないかんのか! それはいかん。駐車場の会社に電話して事情を説明せないかんが」 ごん「というか、駐車券で精算してきたら何ちゃでないんじゃないですか」 田尾「あ、ほんまや。ちゃんと精算したら全て正常に戻るんやが。ほな、明日大学に行く前にでも精算してくるか」 ごん「というか、早よ行かないとどんどん料金が加算されてますよ」 田尾「あーっ! ほんまや。というか、今から行っても昨日入れてから36時間も経っとるが! 1時間300円としたら…1万円超えとるやんか!」
そんなアホな…である。昨日止めてたのは2時間半だ。しかも本来ならたった30分で出るところだったのだ。ごんの電話を切って、私は直ちに決心した。電話して事情を話して2時間半分だけお金を払って無罪放免にしてもらう! 私は電話帳を繰りました。けど、くだんの駐車場は無人で電話番号もないし、管理会社がどこかもわからない。
家内「駐車場に行ったら、管理会社と直通の電話が置いてあるんちゃうん?」 田尾「よし、今から駐車場に行く」
夜8時半、私は家内の車で昨日止めた駐車場まで行きました。ゲートの所に行ったら電話があったので受話器を取ったら、しばらくして管理会社の若そうな兄ちゃんが出た。私は事情を説明した。
田尾「すんません、今からちょっと込み入った話をしますけど、ええですか?」 管理「はあ…」 田尾「昨日の朝8時、ここの駐車場に車を入れたんです。ところが30分後に出そうと思ったらエンジンがかからなくて、レッカー呼んで……というわけで、どないしたらええですか? 今精算したら1万円超えるかもしれんのですけど」 管理「そうですねえ」 田尾「このままだとそちらも台数が合わないはずなんで、迷惑がかかると思いますし、けど精算したら1万円は勘弁してもらいたいし…」 管理「わかりました。とりあえず台数が合わないのはこちらで台数調整をして合わせますので…」 田尾「ほな2時間半分のお金払いますんで、どこに払ったらいいですか?」 管理「そうですねえ…じゃあ…もういいですわ」 田尾「ええんですか!」
そういうわけで、駐車場事件はハッピーエンドを迎えたのである。
牛乳「ハッピーなんはあんただけや!」
ちなみにその時の駐車券は今、手元にある。これ、例えばずーっと持ってて来年の今頃あの駐車場のゲートの精算機に入れたら、「200万円」とか出るんやろか(笑)。
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2006年12月4日(月)
朝7時30分、今日はFM高松まで歩いて行こうと思って(徒歩約30分)、ちょっと早めに家を出たのである。そしたら寒さと準備運動不足で、5分ほど歩いたところで古傷の右ふくらはぎの肉離れが、ちょっと痛み出したのである。ま、古傷といってもつい先週の話やけど。で、あわてて家に引き返して、車で出直してFM高松に着いて、青空の24時間パーキングに車を止めてラジオに出て「柿ピー」を熱く語って8時半に生放送を終えて、パーキングに帰って車に乗ってエンジンキーを回したら、カシュカシュ…どころか、ウィ…とも言わないのである。
うわっちゃー、車まで脚部不安かい。ラジオのあとデザインの上がったページを取りに行くことになっていた松本君に「バッテリー上がったけん、何十分か遅れる」いうて電話して、続いて家に電話をしたら、20分後に家内が車で来てくれた。ボンネットを開けてブースターケーブルをつないで、家内の車をブイブイ噴かしながらこっちの車のエンジンキーを回したら、あれ? ウィ…とも言わんぞ。何回やってもうんともすんとも言わん。おかしい。
家内が「車の保険会社に無料の故障サービスがついとったはずや」と言うので、私はFM高松のスタジオに帰って電話帳を借りて保険のカスタマーサービスを探して電話をした。そしたら担当の人がすごく親切に段取りをしてくれて、それから約30分後にサービスの人がトラックでやって来た。
サービスの人が携帯の充電器みたいなのを持ってきてケーブルをつなぐ。エンジンキーを回したら、ありゃー、やっぱり反応なし。
サー「これ、バッテリーじゃなさそうですね」 田尾「どないしたらええですか?」 サー「ディーラーで見てもらった方がいいですね。レッカーで運べますので、持って行きましょうか?」 田尾「はい…あ、いかん、今日ボルボのディーラー休みですわ」 サー「じゃ、とりあえずうちのサービス工場に持って帰って、明日、うちからディーラーに入れておきましょうか」 田尾「すみませんねえ。けどこれ、どやってトラックに積みます?」
駐車場は国道沿いにある。サービスのトラックはその国道の路肩に止めてあるのだが、ボルボは当然動かんので国道に出せないし、トラックがこの駐車場の狭いゲートから入れるかどうか…。
サー「トラックをここに入れてみます」 田尾「これ、入れるんですか!」
サービスの人は駐車場の外のトラックに乗り込んで、後方の信号が赤になって車の流れが止まったのを見計らって、国道の第二車線までふくらんでゲートに直角に向いて、おおっ! ギリギリでゲートの幅をクリアした! 駐車カードを取ってゲートが開いて、トラックが駐車場に入ってきた。私の車の前を通って、トラックは奥に頭から突っ込んで止まった。サービスの人がリモコンを操作すると、トラックの荷台がゆっくりと後ろにずれてきて、ガクンと斜めになったかと思ったら荷台がゆっくり斜めに下りてきて、荷台が車体を出たら今度は水平になり出して、ついに荷台が地べたにペタンと着地。続いてウインチが出てきてボルボにワイヤーをつなげて、サービスの人はウインチを巻き上げながらボルボのハンドルを切って荷台に向けて進め、ジワジワとボルボは荷台に乗り始めた。おー、すごいなー。
時計を見ると10時を回っていた。私がここに車を入れてからすでに2時間半近く。ボルボはついにトラックの荷台に載った。
サー「じゃ、工場に持って帰りますんで」 田尾「すんません、よろしくお願いしますー」
それから私は駐車場を歩いて出た。寒い朝、体はすっかり冷え切って、しかも仕事がたまっとるのに3時間近く予定外の時間を取られて、松本君もほったらかしで、こらえらい一日のスタートや…と思いながらコートのポケットに手を入れたら、ポケットの中で手が何かにさわった。取り出してみると、あれ? 駐車券や。
これ、言うとくけどなかなか体験できまへんで。まず、私が車で駐車場に来て、駐車券を取ってゲートが開いて駐車場に車を入れました。次に別のトラックが駐車場に来て、駐車券を取ってゲートが開いて駐車場に入ってきて、私の車を積んでその駐車券でお金を払って私の車を積んだまま出て行きました。私は歩いて駐車場を出ました。私のポケットには、私が車を入れた時の駐車券があります(笑)。
これ、どないしたらええんや!(笑)駐車場のデータ、たぶん「入ったはずの車が消えた」ことになっとるぞ(笑)。俺、窃盗か? とりあえず来週、FM高松の誰かに1000円預けときますんで、どないかしてください(笑)。
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2006年12月3日(日)
今日は14:00にFM香川に集合をかけられている。集まるのは私とごんと、本広監督とロボットの村上さん。「コメンタリー」だそうである。何じゃそりゃ。憂鬱になるんか? それはメランコリーだ。
行ってみたら、私ら4人の他にFM香川のスタッフや雑誌の取材スタッフやカメラのスタッフやいろんな人が10人以上も来てて、いったい何事かと思ったら「コメンタリー」を知らないのは全員の中で私一人だった。何でも映画「UDON」のDVDを見ながら、私とごんと本広監督と村上さんの4人でいろいろしゃべるのだそうである。しかもその延々しゃべってるのが、3月に発売される「UDON」のDVDの中に入るのだそうである。
説明されてもどんなテイストで何をしゃべったらいいのか飲み込めてない私は、まあ2時間以上の長丁場だからとりあえず流れに身を任せて行くか…と思いながら、VTRが始まった。本広監督と村上さんがオープニングトークを始めた。
本広「本広です」 村上「村上です」 本広「かくかくしかじかで、今日はゲストをお迎えしています。麺通団の田尾さんと、ごんさんです」 田尾「すんません、まだちょっと事態が飲み込めてなくて…。何をしゃべったらええんですか?」 ごん「コメンタリー! だから言うたでしょ? 映画を観ながらそれに合わせて話をするんですって!」 田尾「映画の説明か。えーと、今ニューヨークのシーンで、手前に赤い車が映っています…」 ごん「見たらわかるっちゅうねん! そうじゃなくて!」
えー、始まって数分で、何となくわかってきました。一応、映画に合わせて監督や関係者がいろいろ映画の裏話みたいなのをするということらしいのだが、要するに副音声みたいなもんやから何をしゃべってもええらしい。何か、2時間ちょっと、ぶっ飛ばしてきました。もう映画と関係ない話まで繰り出して、FM香川の「麺通団の続・うどラヂ」(ポッドキャストで配信中)のロングバージョンみたいに、ほとんど素の時間なしにバカ話をしてきました。あれでよかったんやろか。映画、ぶち壊しになってないんやろか?
終了後、本広監督と村上さんとH谷川君と源成も入って「麺通団の続・うどラヂ」の収録を1本やって、それから何か締めの映像をちょっと撮られて、それからDVD情報誌の取材を受けて、すっかり外が真っ暗になった頃、解放されました。帰って締め切りが明日に迫った「論点香川」の原稿に取りかかって、構想を練りながら沈没する。明日は朝からびっしり、原稿とインタレストの校正と明後日からの授業の準備をやる。もうちょっとじゃ。
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2006年12月2日(土)
昨日の夜からインタレストの作業で松本君ちに行って、源成と一緒に張り付いて朝の3時半まで仕事して、帰って4時過ぎに寝て6時半に起きて、迫り来る別の原稿に取りかかっていたのである。途中、机の上で沈没しかかったのだがグッと踏みとどまって、昼の2時に何とか一段落して、さて、このあとのスケジュールをどうするか…と考えたのである。
今朝3時頃までに上がったページは3時半までに全部校正した。今、引き続き松本君が必死でデザインをやっている。それが上がり始めるのは、どうも夕方から夜にかけてらしい。ということは、私は夕方まで、とりあえず追われる仕事はないということになる。ふーむ。
インターネットで確認しますとですね、「007」の次の上映時間が15:40から。終わるのが18:20。このメチャメチャ忙しいインタレストの緊急事態の中で奇跡のようにポッカリ空いた3〜4時間に、まるでジグソーパズルの最後の1ピースのように「007」がピッタリとはまるじゃないですか(笑)。私は直ちに牛乳屋さんに電話した。
田尾「牛乳屋さーん、007が呼びよんですよ」 牛乳「やめんか! そんなことやっとる場合でないやろ」 田尾「ところが、かくかくしかじかで、まるで私の空白の時間を見たかのようにあるんですよ」 牛乳「しょうがないな。どうしてもというなら私もやぶさかではない」
などというとりあえず会話はしましたと。しかしまあ、ポッカリ時間が空いたとはいえ、他の仕事も迫り来る中でそんな映画なんて、いかに007といえども、そんな時間を浪費しとるようではあーた、ね? なんぼなんでもこんな時に007ってね? 人気映画なんだからインタレストの締め切りが終わってもやってるはずだし、そんなにあわてて見に行かなくてもあーた、ね?
さて本日、夜は会合を一つはさんでまた松本君ちへ行って、再び夜中の0時半までびっしり作業をした。途中、ふとメールをチェックしたら、四国新聞の生活文化部の奇才・坂本君からメッセージが入っていた。
(坂本) 昨日、サイトを拝見しまして、「まだまだお忙しいんだな、大変でいらっしゃるんだな」と、心境をお察し申し上げておる次第でございます。かようなわけで、本日18時過ぎ、ワーナーで先生らしき人影をお見かけしましても、「お忙しい先生がこのようなところにいらっしゃるわけがない、見間違いである」とお声がけするのを思い留まりました。カジノ・ロワイヤル、でしょうか?
幻を見たんじゃ(笑)。
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