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2007年08月の日記
2007年8月28日(火)

 昨日、今日と大学の研究室と編集室にこもって、連日、小学生の夏休みの宿題状態の追い込みです(笑)。そんな中で今朝出くわした小ネタ事件を一つ。朝10時頃、大学の交換を通じて連絡メールが一件あった。その内容が、これだ。ワンツースリー(失笑)。

(交換からの伝言)
○○○○パスポート更新事務局○○様より、
『パスポートの期限が9/1で切れますので、契約更新の御案内です。○○ー○○○○ー○○○○のパスポートセンターまでお願いします。別途書面を学校の住所にお送りしております。』
とのことです。電話連絡をお願いします。

 ちなみに電話番号は、大阪局番であった。それを見た瞬間、うーむ、新手の詐欺のニオイがプンプンするぞ(笑)。私は直ちに家に電話をして家内にパスポートの期限を確認してもらったら、やっぱり、2009年までになっとる。しかもパスポートは香川で発行してくれるのに、何で大阪局番なんだ。「パスポート更新事務局」いうのも聞いたことがないし、何より、パスポートの期限切れを向こうから知らせてくれるなどという話も聞いたことがない。

 香川県のパスポートセンターに電話してみた。

田尾「かくかくしかじかで、とても怪しいんですけど」
担当「しばらくお待ちください(上司か誰かと相談してる様子)……お待たせしました。パスポート更新事務局というのは、存在しないみたいです」
田尾「やっぱり。というか、パスポートの期限切れは普通連絡してきませんよね」
担当「はい。連絡しません」
田尾「新手の詐欺かなんかの可能性がプンプンしますよね(笑)」
担当「においますねえ(笑)」
田尾「了解です。ありがとうございました」

 という事件です。とりあえず、書かれた電話番号には電話していません。そのうち配達されるであろう「別途書面」とやらを楽しみに待っています(笑)。

 夕方、仕事が一段落して帰途につく。善通寺の工事中の道で、片側一車線に工事の車が1台止まって工事をしていて、交通整理のおっちゃんが車通りが少ないのに油断してたスキに向こうから車が入ってきて、こっちも入りかけて立ち往生したら、おっちゃんがあわてて出てきて整理を始めた。向こうから来た車の運転手、おっちゃんをにらみつけて車内で何か怒鳴ってたが、私は無駄に不機嫌にならないことにしてるので穏やかだ(笑)。

 高速を下りて高松市街地に向かう片側2車線の産業道路に入る。センター寄りの車線を走ってたら、前の方で右折車が止まったらしく、こっちの車線は車が連なって動かなくなった。左横の車線はスイスイ車が流れている。よくある光景ですね。で、私と同じ車線の前方の方の車が1台、また1台と左の車線に無理して割り込んで行きよる。クラクション鳴らされてまで行きよる。私は右折車が右折するのを待って、穏やかです(笑)。

 産業道路を進んでGEOの交差点で、右折車線に止まって右折信号を待っていたら、前の車が急に左にウインカーを出した。見ると、徳島ナンバーだ。たぶん慣れない道で、直進するところを右折車線に入ってしまって困ったのだろう。左に出ようとしてるけど、車が次々に来て入るに入れない様子。県外の車が車線を間違ってるんだから、1台ぐらい入れてやってもええだろうに、誰も入れてやらない。私もちょっと心配してバックミラーで左車線の車が切れるのを見ていたら、ちょっと入れそうな車間が開いた。それを見て徳島ナンバーが左に入りかけた瞬間、ちょっと開いた後方からの車がパアーーーーーー!!!いうてロングクラクションを鳴らして猛スピードで突っ込んできて、徳島ナンバーの車の頭が半分ぐらい入っていたので急ブレーキを踏んでスピードを落として、徳島ナンバーが入って交差点を直進したらバオンバオンいうてあおりながらビターッとあとをつけて追い回して行った。

 1台くらい入れてやったら穏やかなのになあ(笑)。クラクション鳴らして追い回したら、何かええことあるんか。ちょっと我慢して入れてあげたら向こうもうれしいだろうし、お辞儀でもしてくれてこっちも手を挙げてやったらみんな気持ちがええやん。ま、人それぞれだろうけど。けどパスポート詐欺(詐欺だったらやけど)は、つけ上がってきたら戦うぞ(笑)。
2007年8月26日(日)

 先日、ある若いビジネスマンから相談を受けたのである。彼はすでにある会社を経営しているのだが、その業種はいわば現時点では構造不況業種ともいうべき厳しい状況に置かれていて(といってもすぐに倒産の危機を迎えるというほどではないような感じ)、状況打開を図るために新しいビジネスをいろいろ考えている。その中で一つ、ある加工食品のアイデアを思いついた。その食品は「地産地消」の一環として地元の食材と地元の調味料を使ったもので、考えているうちにうどんのトッピングとしてもおいしいのではないかということで、私に「いけるかどうか試食してくれないだろうか」と言うのである。ま、私は「うどんの人」ということらしいので(笑)。

 相談を受けた私は、まず最初にいつものように「目的は何ですか?」と尋ねた。つまり、地産地消の食品を作ることが目的なのか、あるいはそれを作ってマスコミに紹介されて名前を売るのが目的なのか、あるいは事業化して会社の一つの柱としたいのか…みたいなことである。そしたら彼は「もちろんいずれは事業化できればいいが、まずは地元の素材を使っていいものができると思うので、うどんと合わせてみたい」という意味のことを熱心に語った。ただ、「しかしこれからどうすればいいのか整理がつかず悩んでいる」と。

 これを聞いただけで、混乱の原因がすぐわかった。混乱の最大の原因は、目的が具体的になってない(目的の優先順位もついていない)ことである。目的を具体的に整理すると、対策の方向性も具体的に整理される。

(1)一番の目的が「地産地消の食品を作ること」なら、何も迷うことはない。地元の食材を使って作ればいいだけのことである。
(2)目的が「マスコミに紹介されて名前を売ること」なら、どういうものならマスコミが紹介してくれるかを調べて、それに合ったものを作って、プレスリリースして、念押しのためにマスコミを訪問して紹介をお願いするという手順を踏めばいいことである。それで紹介してくれなければ、何が足りなくて紹介してくれないかを聞いて、それを改善してまたマスコミにアプローチする…という手順である。
(3)目的が「事業化」なら、「ものを作って売る」という基本的なマーケティングの過程を踏んでいけばいいだけのことである。

 こうやって目的を具体化して、複数の目的がある時はその優先順位をつける。優先順位をつけるということは、「場合によっては優先順位下位の目的は捨てる」ということである。例えば「事業化」が最優先の目的であれば、戦略を煮詰めていくうちに「地元の食材を使っていてはビジネスにならない」となれば「地産地消の食品を作る」ことをあきらめなければならないし、「事業化はできそうだがマスコミが紹介してくれるような話題性はないかもしれない」となれば、パブリシティ(無料記事紹介)はあきらめなければならない。あるいは「地産地消の食品を作る」ことを最優先の目的とするなら、「しかし原価が高くついたり競合との差別化がたいしたことなくて、もうからないかもしれない」となれば事業化をあきらめても作らなければならない。

 もちろん全ての目的が同時に達成できることもあるが、そうそうすべてがうまく行くことは希であるから、考え方の原理原則としてはそういうことである。で、改めて「目的を整理してください。そうしないと私もどの方向に向かってアドバイスしたらいいのかわからないので」と言ったら、しばらく考えて彼は「やっぱり事業化して利益を上げるのが最優先の目的ですかね」と言った。

 そう決まると、私も意見の出し方が決まってくる。事業化して利益を上げることが目的なら、「ものを作って売る」というマーケティングの基本的な過程を踏んでいけばいいのである。「作る」ことと「売る」ことについてのそれぞれの手順は、

<作る>
(1)目的を決める(この場合の目的は「利益を上げる」)
(2)対象(メインターゲット)を決める
(3)発想する(アイデアを並べる)
(4)企画する(どのアイデアが目的達成=利益を上げることに最も有効かを決める)
(5)商品を製造する
<売る>
(1)販路を確保する(ネット等の無店舗販売も含む)
(2)宣伝する
(3)営業する

というのが、基本的なものである。これを説明すると彼はすぐに理解した。ま、すごく簡単な基本ですからね。けど、手順の理解と実践が頭の中で結びつかない人がとても多いんです。私はこう続けた。

田尾 でね、今回の依頼ですけど、その「地元の食材を使った加工食品がうどんに合うかどうかを確かめる」というのは、この「マーケティングの基本的な過程」のどこの部分になります?

 ほら、どこにも当てはまらないでしょ?(笑) 一見、<作る>の(4)の「企画する」という部分のように思うかもしれないけど、そのはるか前段階の「(2)メインターゲットを決める」のところがないから、それが利益を上げるために最も有効かどうかの判断ができないじゃないですか。

田尾 その商品は、クオリティの高いもの?
彼 地元の最高級の食材を使いますから、品質は絶対いいと思います。
田尾 値段は?
彼 たぶん少し高くなるでしょうねえ。
田尾 すると、例えば販路のイメージはスーパーじゃなくてデパートの食料品売り場か、進物用か、通販か、そんな感じですよね。で、買ってくれる人のイメージは、少し裕福でいいものなら多少高くてもいいという感じの人たちかなあ。
彼 そうですね。
田尾 ほな、うどんのトッピングに合うかどうかなんて、関係ないやん。
彼 あ…。

 マーケティングの過程の<作る>の(1)〜(3)。順番は同時進行でも前後してもいいけど、ここを先に決めないと、あとの(4)の決めようがない。(4)まで決めないと、(5)の製造をしても(1)の目的が達成できない。私がしょっちゅう「目的、目的」言いよんは別に難しいことではない。初歩的な、単純にそういうことである。

 もう一つ、数週間前のことである。ある若い人たちがある商品を作ることになって、その周りで大人たちがそれを応援するという企画があって、同席した私らに協力してくれという話が出た。「何か質問はありませんか?」と言われたので手を挙げて「目的は何ですか?」と聞いたら、担当の若い人がちょっと戸惑ったので、

田尾 例えば簡単なところで、まず「作ること」が目的なのか、「作ったものが話題になる」ことが目的なのか、あるいは「作ったものが売れること」が目的なのか、その辺だけでも教えてくれませんか?

 と質問した。すると、「どれも目的です」と言う。「すみませんが、どれが目的かによってどう協力したらいいかが変わってきて、私の力で協力できるかどうかも変わってくる。せめて目的の優先順位だけでもつきませんか?」と言ったら、明快な答が返ってこない。まあ「うっとうしいおっさんやな」と思われてたかもしれんが(笑)。

 かつて私は「いいものを作ってみんな(客)に喜んでもらうために協力してくれ」と頼まれて、プロとして必死で成果を挙げるために協力してかなり成果を挙げたと思っていたら、あとで「みんなで力を合わせて作り上げることが目的なのに、田尾さんは自分でやりすぎだ」と批判されたことがある。露骨に批判されなくても似たような体験が何度もある。優先順位を決めずに複数の目的を持って進める企画(それも個人によって思ってる目的が違う)の落とし穴である。

 そういうわけで「まず目的とその優先順位を合意してから物事を進める」ことの大事さを痛感しているから、そこ(目的は何か)を確認していたのである。そしたら何と、“周りの大人たち”の一人が、私の質問に立ち往生している若者にこう言ったのである。

「気にせんでええから。おっさんのたわごとやから(笑)。やりたいようにやったらええんや」

 その一言で、私は退散しました(笑)。

 若い人がいろんなことにチャレンジするのは、私はいつでも応援します。けど「協力」となったら、目的を提示してくれないとできない。「みんなで作り上げること」が目的でも全然かまわない。それなら「作り上げること」に対して有効な協力(許す範囲の技術や時間やお金)はします。けどその時は「みんなで作り上げることが一番の目的です」と最初に合意してくれないと、今度はさっきの事例と逆のことが起こる。つまり、作り上げたあとで「できたけどあまり良いできばえではなかった」とか「あまり評判にならなかった」とかいうことになった時に、「プロの協力があったのにこんなものか」とかいう話になって妙な責任意識が発生することがよくあるのである。さらに周りから「田尾さんが協力してこんなものか…」という評判まで出たりする。「いいものを作る」というのが最優先の目的でなかったはずなのに、できてみてあまりいいものでなかったら「何だ」という話になるのは、どう考えても理不尽である。だから「最初に目的を掲げてみんなで合意してくれ」と言うのである。

 最初に「いいものを作る」というのを目的に掲げていれば、協力の仕方は全然違ってくるのである。例えば「みんなで作るけど、ここはいいものを作るために絶対欠かせないポイントだからみんな手伝わないでくれ」ということにもなる。「めんどいことをグダグダ言わんと協力してやったらええやないか」と言われるかもしれんが、あとで理不尽なことが起こる可能性が明らかに予見されているものに対しては、事前に合意処理しておくに越したことはないのである。

 さらに言えば、私がその分野で素人なら他人の評判なんか気にしないし、多少出来が悪くても「みんなで作ることが目的なんだ。みんないい体験をした」で十分満足できるけど、私は今、「いいものを作る」というのが本業なのである。そこで私が関わってつまらんものを作ったら、目的がどうであれ本業の評価につながることは避けられない。誰だってそうだろう。自分の本業の分野で何かに協力をして出来の悪いものができあがって平気でいられるとしたら、それはプロとしてどうかと思う。「あれはこういう事情ですから…」という逃げ道は用意するが(笑)、精神的にはとても平気ではいられないですよ。

 あー、夜中に書くと長くなる(笑)。「目的」というのはかように、いろんなものに影響してくる。自分の仕事も、他者への協力ごとも、あるいは社会で起こっているいろんなことに対する評論も、「目的は何か」という根本に立ち返ると、こんがらがって「言い合い」になっていることがほぐれてきたりする。最近よくそんなことを思っているわけです。
2007年8月25日(土)

 ふー。ちょっと仕事が進んだ。

 月曜日、熱中症の松本君に「歳を考えて運動せえ」言うて帰ったら、その日の晩から体が火照って頭が痛くなって、半日遅れの熱中症やがな。こっちの方が歳のせいじゃ。で、翌火曜日に気分がすぐれないままRNCラジオに行って、夜はFM香川で録音2本とイベントの打ち合わせをやって(9月23日にサンポートで「うどラヂ」の公開録音をやることになるらしい)、原稿がちっとも進まないまま水曜日が過ぎて木曜日の夕方になった。で、苦悩を打開すべく、曇り空を確認してまた峰山に登ったのである。

 机上で苦悩してると、ほんま、袋小路に入ってどうしようもなくなって、熱中症の恐れよりもこのまま思考の泥沼に入る方が恐ろしくなるんよ。で、ペットボトルに水を入れて、長袖のシャツと帽子とタオルとウォーキングシューズを装備して、原稿の構成を考えながら1時間かけて山頂展望台に到着した。汗だくで息を整えながら眼下の高松市街地と瀬戸内海から屋島、女木島、その向こうに広がる多くの島、行き交う船たちを見ていたら、突然頭の中がスッと整理されて、インタレスト第一特集8ページの構成がカタカタカタとパズルみたいにはまった。もう、忘れないうちに仕事に取りかからないかんと思って、すぐさま下山したね。で、帰ってシャワー浴びて怒濤のように、久しぶりに「ゴー!」と音を立てるぐらい進みました(笑)。翌金曜日の2時半ぐらいまでで、一気に8ページ仕上げて松本君ちに持って行ったら、松本君はまだ苦悩してた。

松本「すんませんー、あとちょっとできれいな体になりますから(進行中の仕事が終わるという意味)」

 私ら、向上心を持ってB級のクリエイティブな仕事をしてる連中(笑)はみんな同じような苦しみをずーっと抱えているようです。「向上心を持って」やってる人だけね。あと、「B級の」というところは、A級の人はこの程度のことなら朝飯前にやっちゃうかもしれないと思うから。今日から第二特集の仕上げに取りかかる。構成を考えるのに1時間。早いがな。とりあえず8月中にあと11ページの計画、達成の可能性が出てきたぞ。
2007年8月20日(月)

 インタレストの第一特集の原稿(7ページ分)が、2日前から10行しか進んでない。それも金曜日に15行くらい書いて、修正して修正して、どうにも決まらんで全部ボツにして書き直して、やっぱり何かうまいこといかんので他の仕事に手を出しては戻ってみて…という、何か20年くらい前からずっと同じことをやってるような苦悩にはまってしもた。7ページ分の珠玉のネタは全部揃ってるのに、その流し方というか、怒濤のように読者に迫っていく「形」が決まらんで、苦悩中である。

 で、朝5時頃に起きたら何か気温が猛暑でなさそうな感じだったので、苦悩を打開するために8日ぶりに早朝峰山に行ったら、直射日光に当たってないのに顔がえらい日焼けした。どないなっとんや。勝谷さんが言いよったけど、やっぱ空から紫外線か何か、異常に降って来よんや。11時にお客さんと会って2時間話をして、13時に松本君ちに他の原稿のデザイン発注に行ったら、松本君は炎天下でソフトの試合をやって熱中症寸前になってフヌケ状態になってた。恐ろしい。紫外線も恐ろしいけど、お互い年を取るといろいろと恐ろしい(笑)。無理はできん。

 とりあえずしかし、2時間くらいの峰山中にいろいろ思索しながら歩いて、特集の流し方を何とか整理できた。けど気がつくと8月がもうあと10日ぐらいしかない。ガントチャートはすでにとっくの昔に崩壊している(笑)。明日からものすごい追い込みに入る。あー、明日はラジオが2本ある。別件打ち合わせも入っとる。仕方ない、明後日からものすごい追い込みに入る。あー、8月中に東京行かないかん。9月1日はオープンキャンパスがある。終わったらすぐ、1週間ぐらい取材に行かないかん。大学の会議が3回ある。イベントとシンポジウムとロケが1本ずつある。その上に後期の授業準備があと7科目分ある。あー! とか書き出しながら現実逃避してたりして(笑)。真面目な大ネタ1本あるけど、今日は寝よっと。
2007年8月17日(金)

 お盆の間は地元に走り慣れてない車がいっぱい出てくる。県外からのドライブ客だけでなく、帰省してきた人が実家の車で外に出たり、普段あまり車を運転しない人が帰省で帰ってきた家族を乗せて外に出たりするからのようで、なーんか危ないのである。

 うちのマンションの前は小さい川があって、コンクリートの堤に沿って車がまあ楽にすれ違えるくらいのセンターラインのない道が1本あるのだが、こないだその道を通っていたら、向こうから軽自動車が1台やってきた。運転してるのは若いおねえちゃんで、軽自動車いっぱいに家族が乗っている。で、すれ違わないかんのでちょっとスピードを落として左に寄ったら、向こうもスピードを落として右に寄りかけて、運転席のねえちゃん、堤との間隔がわからんでジワ…と寄っては止まり、ジワ…と寄っては止まり…。で、もうこれ以上は寄れん、と言わんばかりにビタと止まってこっちの動きを待っている。こらー、それほとんどまだ道の真ん中やんか! すれ違えるか! 反対側、森公美子が2人通れるぐらい開いとるやんか!

 などという事件がありまして今日昼頃、大学から丸亀方面に向けて車で走っていたのである。そしたら急に2台前の車が急ブレーキを踏んで、後続と私の車もあわててブレーキを踏んだのである。何事かと思ってその前を見たら、初心者マークと紅葉マークの両方をつけた軽四に乗ったじいさんが左右も見ずに横の眼科から出てきてた! 免許取り立てで、老人で、しかも眼科! トリプル恐ろしいやんけ!(笑)。

 まあいろんなことがあります。でも私の中で救いは、どちらも「怒鳴り声」がなかったこと。「まあ事故にならなくてよかったやんか」てなもんで、すぐ何事もなかったように流れたことです。怒鳴っても何が解決するというわけではない。腹が立ってもちょっと我慢したら何でもない、ということは身の回りにいっぱいある。こないだBSのインタビュー番組で阿久悠が言ってたことを思い出した。

阿久「何か最近、国民みんなが不機嫌になってるんじゃないですかね」

 ポンと膝を打ちました。解決すべき問題について主張すべきは主張する、けど、“無駄に”不機嫌になるのは、あんまり何の解決にもなってないんだよなあ。割り込まれたり追い抜かれたり運転もたつかれたりくらいでは不機嫌にならない。そう決めたらすごく穏やかになれるんですね。ここんとこむちゃくちゃ暑いし仕事には追われるしもたつく車には出くわすし、けど精神的には穏やかです、私。墓参りにも行ったし(笑)。
2007年8月13日(月)

 世間の盆休みを利用して、日清冷凍食品の有志会のコンペに参加。この暑いのに今年3回目のゴルフじゃ。行ったことのないゴルフ場なんで(ゴルフ自体あんまり行かんので)カーナビに案内してもらったら、朝の7時過ぎ、山越の横を通った。うわ! 駐車場に県外からの車がもう数台止まって、人が何人も乗っとる。店が開くのを待っちょんや!

 ゴルフは無事終わりました(笑)。昨日までカンカン照りだったので今日は顔が焦げるかと思ったけど、適当に雲が出て途中でパラッと雨も来て救われた。

 さすがに「いやんバンカー」は聞かなくなったが、おっさんゴルフは未だにオヤジギャグの宝庫である。今日は「ヘビの鳴き声のマネ」を持ちネタとする上田社長が欠席で爆笑度は多少落ちたが、新人も発掘された。ゴルフ場の担当課長がかつての「笑いの文化人講座」の愛読者で、しょーもない小ネタを連発してくれました。

田尾「ルールはワンクラブ・リプレース、オーケーって書いてますけど(プレー中、クラブ1本分の長さだけボールを置き直してもよいというルール)、ワンクラブで行きますか?」
市川「ノータッチ(置き直し不可)でもかまんで。田尾さんが幹事やから決めてくれたらええで」
田尾「んーと、じゃ、ワンクラブで行きますか」

 とか言ってたら、横から課長が

課長「あ、コースはワンクラブでええですけど、クラブハウスではウェイトレス・ノータッチでお願いします」
田尾「すんません、それ、使わせていただきます(笑)」

 みたいな。スコアはさんざんでしたが、「大波賞」をもらって帰りました。いきなり「7、12、7」(パー4、5,3)というボウリングのスコアのような出だしで、前半は「57」というおバカスコア。ところが後半はいきなり「パー、バーディー、パー、パー」という出だしで、一瞬そのまま全米プロに出ようかと思ったが終わってみれば「42」。前後半の差が15打というぶっちぎりの大波賞だ(笑)。ま、ゴルフしない人には何のことだかわからんと思うけど。

 午後4時前、プレーと表彰式を終えて高松に帰っていたらサーッと雨が来て、午後4時15分、高松方面に巨大な半円形の虹がくっきりはっきりと出現した。それを眺めながら車を走らせていたら、何か様子がおかしい。あれ? あれ? と思っていたら、何とその虹の上にもう一つ、二重に虹が出始めた! うわー! こんなん初めて見たぞ!

 二重の虹は5分ぐらいで消えた。これは何かあるんちゃうか? と思いながら家に着いて車を駐車場に入れて家のドアを開けたら、中でただならぬ声がしよる。

「ワン! ツー! ワン! ツー! サイクル!サイクル!サイクル!サイクル!」

 帰省中の息子が友達のヤスユキと一緒に「ビリーズ・ブート・キャンプ」しよるやないか!
 
ヤス「あ、おっちゃん、こんちわー。しんどいわーこれ!」

 ええけん、暑苦しいわお前ら!
2007年8月11日(土)

 ここ数日かなり空気が澄んできたので、今日は「県内くまなく探検企画」の最後に残った小豆島に突撃だ。同行メンバーはS原と松本君。朝7時20分に集合してフェリーで小豆島の土庄に上陸し、午後2時半頃まで島内をクネクネと酔うほど走った。ま、S原の運転やけど。小豆島は私は3年ぶり、S原はついこないだ仕事で小豆島の醤油屋さんの取材に来たばかりらしい。今日はめったに行かない北側の海岸線の方まで走ったら、大迫力の石切場が次々と現れた。

田尾「おー! すごいのー! これは小豆島一番の見所ちゃうか?」
松本「ここから大阪城に石を運んだんですよね」
田尾「そうかー。そんな昔から石掘りよんや。ほんで石掘りよったら、醤油を掘り当てたんか」
篠原「そうそう、石掘りよったら突然黒い水が噴き出して、うおー! 醤油やー! いうて…ちゃいますって!」

 そうなんよなあ。小豆島と言えば寒霞渓と銚子渓と二十四の瞳映画村と海水浴場と、オリーブと醤油と佃煮とそうめんと、農村歌舞伎と…。一応タウン情報誌に携わってきた私とS原であるが、そんなラインナップが頭に浮かぶ中、石の印象は全然なかった。大阪城の石垣の石を小豆島から切り出したという話は聞いたことはあるのだが、ビジュアルとしては全く頭になかった。けど、あの石切場の景観はすごいなあ。

 とりあえず今日はほとんど島を一周して、寒霞渓にも上がって大物の巨大な魔神を一匹発見して(詳しいことは言えん)カメラに収めて帰ってきました。これにて、インタレスト次号の第一特集の取材は完了。あとは見せ方を考えるのと原稿を書くのと。世間は盆休みかー。俺は仕事しよるぞ。
2007年8月9日(木)

 8月6日にスタートした「ガントチャートによる仕事スケジュール管理」は、驚くべき成果を挙げた。まず計画の皮切りの仕事である「ラスベガスの増殖」の原稿を6、7,8日の3日で上げるという線を引いていたのだが、何と、のっけから3日の予定を2日で上げるという快挙! で、7日の夕方、油断しきっていた松本君にいきなり原稿を送ってデザインを発注するという、超快調な滑り出しを見せたのである。

松本「もう4ページも上がったんですか!」
田尾「実はな、チャートの計画の線を引いてて、あることに気がついたんや。だいたいこういう計画は、出足でつまずいたら後がダダ崩れになるということがよくある」
松本「ありますね」
田尾「そこで俺は考えて、ついに“絶対に最初につまずかない作戦”を発見した」
松本「何ですか」
田尾「まず最初に、1日でできる量の仕事を3日でやるという計画を立てる! これやがな。その結果、見てみい。計画より1日早い2日でできたがな。さっそくスケジュールを余裕で達成や」
松本「んーと…何かが間違ってるような…」

 何かが間違ってても「気分良くスタートする」という目的は達成じゃ。ん…と、目的が間違ってるか? まあええ、おかげで昨日はポッカリ空いた1日を使って、ロケハンとインタレストの学生指導と前期のレポート読みまでやれたがな。絶対何かがあとで押し寄せてくると思うけど(笑)。

 さて今日は朝から大学で県会議員の方々8名と県の偉い方々合わせて20数名をお迎えして、1時間くらいお話をした。何でも議員さん方の「地域活性化と人材育成に関する視察」のプログラムの中に「四国学院に行って田尾さんの話を聞く」というのが組み込まれることになったらしくて、何だか何を話したらいいのかよくわからんまま、恐れ多くもとりあえず、私の「地域活性化」についての考え方と立ち位置と、それを踏まえて私がこれまでやって来たことや今やってることやこれからやろうとしていることをかいつまんでお話をした。

 話し終えての印象。話しながら議員さん方の反応を見ていたのだが、若手の議員の方はメモを取ったりしながら聞いておられました。年配の議員の方(男性ばかり)は、お一方はふんぞり返ってたぶん話を聞いておられませんでした。あとの年配の方は、たぶん聞いておられましたが何となく「政治の世界を知らない若造の話だ」みたいな空気を発しておられました(笑)。終わったら、若手議員の都村尚志さんと27歳の最年少議員の宮本ひろみさんと渡辺さと子さんが質問に来られましたので、立ち話で少し雑談をしました。年配の男性議員の方々はさっさとお食事に向かわれました。たぶん私ら若造にはわからない政治の世界の難しいことをお考えなのだろうとお察しします。私もまだまだです。勉強します(笑)。
2007年8月6日(月)

 などという厳しいスケジュールの中、昨日の夜は家内と映画を見に行ったりして(すんません。誰に謝ってるのかわからんけど)、映画館のあるSATYに車を止めてるところをごんに目撃されて携帯に通報されたりして。

 今週はガントチャートに従って、インタレストを一気に7割方上げることにした。10割ちゃうんかい! というツッコミには、取材が全部終わらんと言っておこう(誰に言ってるのかわからんが)。

 今回のインタレスト編集作業は、ちょっと違うやり方をしている。これまでは学生と一緒にいろいろレクチャーしながら1本の記事を作り上げていたのだが、今回は一部、こういう教育の仕方をすることにした。

(1)学生をみんなで取材したデータや素材を、2セットにコピーする。
(2)学生を特集の数だけチームに分ける。
(3)学生チームは担当コーナーをそれぞれ自分たちでページに仕上げる(見せ方も原稿もレイアウトも学生チームで作る)。
(4)私は別に一人で(プロの笹木や和田をちょっと使って)全ページを作る。
(5)できあがりを比べて、学生とプロの違いを見せつけてやる(笑)。

 これ、教えながら作るのとまた違った教育になると思ってるんですが。一応最初は作り方のポイントや注意点をレクチャーしたけど、途中はなるべく見ないことにしている。で、最後に合わせて両方のええとこを取って仕上げる、と。負けへんぞ。というか、負けるわけがないと思ってるけど(笑)。教育効果が上がったら、次々号はさらにこの方式を徹底する。けどおかげで仕事量が5割増じゃ。

 今晩は忙しい中、『カンブリア宮殿』と『ワールドビジネスサテライト』の「大学倒産時代」というミニ特集を見た。後者、元経営者の私に言わせれば、「学生数の減少」、それに対する「大学PR対策」という組み立てではちょっと突っ込みが甘いですな(笑)。けどテレビ東京のこの手の番組は、人をとても前向きな気持ちにさせてくれる。働くこと、新しいものを生み出すこと、という、人や地域や国の活力の「基盤」を築くためには、こんな時こそ「人を前向きな気持ちにする番組」がもっと増えた方がいいと思うのだが、何か「後ろ向きな気持ちにさせる番組」や報道が多すぎるような気がして仕方がない。日本を潰したくないという心あるマスコミの皆さん、よろしくお願いします。
2007年8月5日(日)

 昨日、今日と朝から水蒸気がいっぱい上がって、まるで霧が出た日みたいになっている。今週末は台風一過で撮影びよりを見込んでいたのだが、今週はあきらめた。「夏の台風一過は空気が抜けない」ということを学習しました。

 おかげでこの週末はデスクワークの時間がたっぷり取れたので、ごんの指摘によってガントチャート(縦軸に仕事の内容、横軸に日にちをとって、それぞれの仕事のスケジュールを線を引いて計画してみるやつ)を作ってみることにした。一昨日のごんとの会話。

田尾「よっけ仕事抱えとるけど、ま、全部9月末までにやったらええからな」
ごん「そうやって油断して、いつも最後に全部たまって苦しんどるやないですか」
田尾「今な、大物としては後期の授業準備が7本と、ゼミの進行準備が2本と、あと企画物が2つあるわけや」
ごん「はいはい」
田尾「でな、どれも本気で集中してやったら1週間か2週間で片づける自信がある」
ごん「ま、あなたが本気で1週間いうたらそれなりの大物でしょうけどね」
田尾「で、今、8月の最初やろ? とりあえず今1つめに取りかかってて、途中でちょっと詰まったら気分転換に別のやつに取りかかって、また途中で別のに変えたりしとる。まあその気になったら1週間でカタつくから」
ごん「それで今まで何回もえらい目に遭ってるんでしょ? ちゃんとガントチャート作って管理しましょうよ! それ、そのままガントチャートにしたら、最後の1週間に10本ぐらい線が重なるでしょ!」
田尾「わかった。作るがな。けどな、例えばチャート作って“最初の1週間はこの仕事”とかいうて決めるやん。けど仕事いうのは計画しててもやってみたらなかなかスケジュール通りにいかんことの方が多い。これは世の常や」
ごん「ま、確かにね」
田尾「で、最初の1週間の終わり頃に“こら徹夜せなチャート通りに終わらん”とかなった時に、ふと思うわけや。9月末までにできたらええ仕事を、何で8月の今、徹夜して上げないかんのやって」
ごん「それをやるためにチャート作るんですって!」
田尾「わかっとるがな。けどそうはうまいこといかんがな。で、途中になったままやけどチャート通りに次の仕事にかかるとするやん。そしたらそれもまた途中になったままチャートの最終日が来て、ちょっと残したまま次の仕事にかかって…とかやってたら、結局最後の1週間に全部の途中の残りがいっぺんに来るぞ」
ごん「だからそれはチャートの意味がないですやん!」
田尾「ほな、最初の仕事が1週間を超えてもできるまでやってしまうとするやん。例えば1週間の計画が10日かかるわな。それでどんどんスケジュールが後ろ倒しになっていったら、9月末の時点で手つかずの仕事がなんぼもできるぞ。最後まで行ってないけど一応全部手をつけて10月を迎えるんと、完成したのと手つかずのがある状態で10月を迎えるんと、どっちがええ? そら全部手をつけとる方がええやろ」
ごん「どっちもダメでしょう! というか、それ、どっちにしても全部できんいう前提ですやん」

 チャートを作ってみると、改めて確認できた。11項目の仕事をそれぞれ1週間ずつとして11週間。今から9月末まで…8週間やんか! どっちにしても全部できん計画じゃ!(チャート作らんでもわかるがな)しかもそのうち1週間ぐらいは取材旅行に行かないかんが。わかったわ、去年も一昨年もその前も、最初から無理な量の仕事抱えてたんや。今年の夏休みの宿題(仕事じゃ)、とりあえず、どうするかなあ。めちゃめちゃ頑張るか。ほんでどうにもならんかったら、去年作った工作をもっかい提出するか(笑)。
2007年8月3日(金)

 森田公一とトップギャランのヒット曲「青春時代」が私の嫌いな歌のかなり上位に入っている理由は、阿久悠の歌詞を森田公一があんな曲にしちゃって自分で歌ったからである。あの曲が出た当時、阿久悠の「青春時代」という歌詞をたとえば平尾昌晃が作曲したらどんな歌になったのか、大野克夫が作曲したら、都倉俊一が作曲したら、加瀬邦彦が作曲したら、どんな歌になっていただろうと考えたことを覚えている。で、友人たちと「一つの歌詞を何人もの作曲家が違う曲をつけて全部発売したらおもろいんちゃうか?」とか言っていたことがある。同じ曲を違う歌手が歌うというのはよくあるが、同じ歌詞を違う作曲家が違う曲をつけて同時発売、そんなんどうですかねえ(笑)。

 阿久悠の歌詞について、私は「形容詞がとても少ない」という印象を持っている。空に雲がある様子を書くのに、「空に雲がある」と書くのである。そうでない多くの人たちは、空に雲がある様子を書くのに「抜けるように青い空にひとりぼっちの雲が…」とか書くのである。私は当時から、そんな独りよがりの情感を「説明してしまう」みたいな形容詞が何か嫌いで、でも私も何か書こうとするとそんな頭の悪そうな形容詞しか出てこなくて、いろいろな人の詩とか歌詞とかを見て表現力の袋小路から抜け出そうとしていた時に、阿久悠の歌詞に当たって何かすごい「入り口」を見つけた、そんな記憶がある。

 もう一つ、雨がものすごく降っている様子を表現するのに、これまた頭の悪い形容で「どしゃ降り」だとか「バケツをひっくり返したような」だとか「たたきつける」だとか、あるいは「前が見えない」だとか「かき分けてもかき分けても向こうに出られないカーテン」だとか無数の何とかが下りてくるだとか、とにかく激しい雨を形容する言葉を探して探して袋小路に入ってしまった時に出会った、井上陽水の『夕立』の中の「空の水が全部落ちてくる」という表現にも、大きな入り口を見つけたような衝撃を受けた記憶がある。

 何かを表現する時に必死で形容する言葉を探すのは、何か日本語の力が足りない人がやることではないかと思ったりする。阿久悠に限らずだと思うが、日本語の力がある人って、それを形容する言葉を探すのではなくて、うまく言えんが「物を語りながらそれを表現している」という気がするのである。私はすごくそれを意識しているつもりだが、なんぼにもうまいことできん。

 で、ちょっと懐古モードに入って、今日はインタレストのネタ撮影の帰り、ごんとCDショップに行って沢田研二の昔の曲が入ったCDを買っちゃいました(笑)。そしたら周りに懐古モードをかき立てるCDがいっぱいあって、ペドロ&カプリシャスとアン・ルイスとアリスのCDまで買うてしもたがな。アン・ルイスのベストを改めて見ると、やっぱ作詞、作曲メンバーがすごいなあ。『六本木心中』や『ああ無情』は湯川れい子とNOBODYのめちゃめちゃカッコいいコンビだし、『ラ・セゾン』は三浦百恵(作詞)と沢田研二(作曲)だし、『グッバイ・マイ・ラブ』はなかにし礼と平尾昌晃だし『シャンプー』は康珍化と山下達郎だし『リンダ』は竹内まりやだし、『女はそれを我慢できない』は加瀬邦彦だし。

 ペドロ&カプリシャスのベストは、ジャケットの裏に高橋まり(今の高橋真梨子)の前にボーカルをやっていた前野燿子の写真が載っていて、前野燿子ファンだった私にはそれだけでオッケー(笑)。前野燿子が亡くなって今は高橋真梨子ファンですが。ちなみに高橋真梨子は今、「絶対言われんけど付き合ってくれと言われたら断れない女性ランキング」第一位です(笑)。

 懐古ついでに、こないだアップタウンで牛乳屋さんと時代劇の話をしてた時の話題。松方弘樹が「素浪人月影兵庫」をやったのをチラッと見て「太刀さばきが軽い」いうて見るのをやめたという話から、「太刀さばきが重い(重量感がある)役者は誰か」という話になった。高橋英樹も軽い、松平健も北大路欣也も軽い、中村(萬屋)錦之助も勝新太郎もまだまだ軽い、最近の時代劇に出てくる役者はそれ以前の問題で全滅…ということで満場一致で(2人やけど)選出されたのは、近衛十四郎(松方弘樹の父ちゃんで昔の月影兵庫の役者)、藤田まこと、三船俊郎の3人になりました。ま、私らの勝手な感想ですけど。さ、雑談はこれぐらいにして、前野燿子の写真見ながら仕事しよ。
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