2007年10月の日記 |
2007年10月25日(木)
先日の四国新聞の記事によりますと…いや、私は新聞やテレビのニュースにはあまり突っ込まないタイプではありますが、久しぶりに住民をバカにした内容が載ってましたので。えーと、新聞が住民をバカにしてたのではないので、そこんとこはご心配なく(笑)。
先日の四国新聞の記事によりますと、何でも高松市で「まちづくり」に関するセミナーがあって、他県の商店街振興組合の理事の方が講演をされたそうだが、そこで「郊外の大型店は『消費者』を相手にしているが、商店街では『生活者』を相手にしている」と強調されたそうだ。おそらく「郊外店はよくない、商店街の方が大事だ」という主張の講演だと思われる。
こういう「言葉遊び」みたいな、「うまいこと言うた」みたいな言い回しに幻惑される人がいるのではないかと思うが、もし本当にそう強調されたのなら、この方の頭の中には、「住民」とか「お客様」の視点が根本的に欠落しているとしか思えない。「郊外の大型店は『消費者』を相手にしているが、商店街では『生活者』を相手にしている」という考え方は、直訳すれば「郊外の大型店に買い物に行っている人は、生活者ではなくてただの消費者だ」ということですか? 言うとくけど、私も郊外の大型店に買い物に行くが、生活者ですよ。客をバカにしちゃいけません。住民はどこに買い物に行こうがみんな生活者であり、買い物をする人はどこで何を買おうがみんな消費者ですよ。
余談だが、中心街と郊外の関係だって、考え方によっては単に相対的なものに過ぎないという見方もできる。例えば、大型店の周辺の住民にとってみれば、その大型店が地元にとっては「中心街」で、今中心街と言っているところにある商店街は「郊外」とも言うべき距離になる。
いずれにしろ、住民(客)は、商店街だろうが郊外店だろうが、自分で選んで好きな店に行っているのである。無理やり郊外店に買い物に行かされているのではない。郊外店が流行っているのなら、それは郊外店が多くの住民(客)にとって便利で買いたい物がたくさんあって快適だからである。それ以外の理由はないと言ってもいい。それを、郊外店の客をただの「消費者だ」とかいうまやかしみたいな言い回しや規制で潰して買い物の場を中心街だけに集めようというのは、それこそ住民(客)を「無理やり」中心街に買いに行かせようとする、住民(客)を無視した方策である。
記事中の救いは、地元高松の方のコメントが「自分たちの街は自分たちで運営すること」となっていたことである。「郊外の大型店は『消費者』を相手にしている」などという客を無視したような言い方(こういう言い回しは住民に結構見透かされていますよ)を掲げると、おそらく圧倒的多くの「お客様」を敵に回すことになりますから、高松の商店街はそんなことを言わない方がいいと思います。
私ももちろん高松やその他県内の商店街が売上を伸ばして元気になってくれることを期待しているが、その元気になるための戦略は情緒的な「まやかしの論理」ではなく、ぜひ「便利で快適で買いたい物がたくさんある」という、「お客様」の満足度を満たすための正攻法で取り組んでほしいと思っている。「まちづくり」や「商店街活性化」については、関係者のいろんな意見や主張や企画書やコンセプト資料を目にしてきたが、そのほとんどの内容において、主語が「街」や「地域」や「私たち(商店街)」であって、そこに「住民」や「お客様」がほとんど見当たらない。普通に考えれば、住民やお客様が主語になっていない戦略が住民やお客様のためになるはずがないのである。あー、こんなこと書いてるとまた和Dがハラハラする(笑)。
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2007年10月24日(水)
そういうわけでこないだの月曜日、オーストラリア放送協会(ABC)の取材でがもうに行ってきたのである。お伴は団員S原。
朝9時に坂出グランドホテルに集合ということで、「5分前」が社会人の常識であるから余裕を持って8時20分に篠原がうちに来て私を拾って坂出へ、というスケジュールだったのだが、自信満々に「了解」と言っていたS原が自分ちからうちまでの時間を読み違えて(通勤ラッシュにぶち当たって)20分も遅れてうちに来て、結局9時ちょっと遅れで坂出グランドホテルに到着。着いたらオーストラリア放送のスタッフと、それをさらに取材するKSBの本庄さんとカメラの樋口さんが待っていた。
名刺交換でいきなり名刺を忘れてきたことに気づく私(笑)。オーストラリア放送のスタッフは、北東アジア支局長のシェーン氏とプロデューサーの女性の浅田さん、カメラマンの松園さん。なんでも松園さんは以前からの『恐るべきさぬきうどん』ファンで、今回がもうの取材というのを聞いて小躍りしたらしい。
で、簡単な打ち合わせが始まった。一応今日は、私は讃岐うどんブームについてインタビューされて、あと、がもうを案内するという役目だと認識しておりました。するとですね、もうこのパターンのお約束の事態が待っておりまして(笑)。
浅田「最初に坂出駅で、田尾さんが駅から出てきて表で待ってるシェーンと出会うというシーンから撮りたいんですけど」 田尾「えー! 小芝居から入るんですか!」 本庄「わー、田尾さんの小芝居が見られる(笑)」 S原「あっはっは! やっぱりや! これは今日、おもろいもんが見られそう(笑)」 田尾「………」 浅田「それからうどんタクシーを呼んでますので、シェーンとそれに乗って頂いてがもうに乗り付ける」 S原「あっはっは!」 田尾「絶対ごんに言うなよ! オーストラリアでしか流れんのやからな」
「あの…一応私、大学教授なんで…」という力弱い反論も流されて、駅で出会いのシーンを撮って、うどんタクシーに乗ってがもうに行きました。店へのアプローチはより怪しい方がいいとのことで、最もマイナーな店の南側から田んぼの間を通ってがもうの真横に出てくる道に決定。表で食べているお客さんの真横にうどんタクシーがぬっと出てくるという状況だ。で、タクシーが着いたら、すでにたくさんいたお客さんがこっちを見て、何人もが指を指して写メールを取り始めた。うわっちゃー! めちゃめちゃハズカシイ!
シェーンは日本語がたどたどしいので、浅田さんが通訳をしてくれるのだが、うどん屋を案内する場面になると狭い店内で通訳がついて来られないので、仕方がない。ハワイの通のリピーターとして鍛えた英語で案内だ。店内に入るとすぐに釜場。
田尾「あー、オーダー、アットヒア」 シェ「フンフン?」 田尾「ザッツメニュー。ベリーシンプル。スモール、ビッグ、アーンド、ベリービッグ」 シェ「オー」 S原「ほとんど単語だけですやん!」
通じたらええんだ(笑)。さらに調子に乗ってきていらん解説まで入れる。大将を指さして、
田尾「ゼイアーファミリー。ヒーズファーザー、アンドヒズワイフ、アーンド(ガモムスを指して)ファニーサン」 ガモ「誰がファニーですか!」
あ、そうか。「おもしろくない」って説明せないかんかったか(笑)。
S原「注文は大小だけでなくて、熱いのかそのままかも言わないかんですよ」 田尾「あ、そやそや。えーと、ホット、オア…何や?」 S原「そのままは英語で何ですかね」 浅田「どう言えばいいんでしょうねえ…」 田尾「ステイ」 浅田「あっはっは!」 田尾「だって、ポーカーでもうカードいらん言う時に“ステイ”って言うやん。あれ“そのまま”やろ?」 浅田「あっはっは! すごい発想!」
何で“ステイ”に大受けしたんかよくわからんまま、とりあえずシェーンに段取りを説明して、汁を飛ばさないうどんのすすり方も伝授して、あと、インタビューを受けて撮影は無事終了しました。聞くと、がもうにはついこないだも台湾からテレビクルーが来て取材を受けたらしい。
大将「あの時やな、通訳もおらんのやがな。ほんでレポーターのお姉ちゃんがうどん食べもって“ハット(HOT)! ハット!”言うきん、“うちのうどん、ハトや入れとらんで!”言うたがな」
さすが大将、『dancyu(ダンチュー)』の取材アポをホワイトボードに「らんちゅう」って書いてただけある(笑)。帰りに車内でS原が言った。
S原「うどんタクシーで乗り付けた時に、お客さんが“田尾さんや。やっぱりうどんタクシーで来よんや”言うてましたよ(笑)」 田尾「とんだ誤解じゃ! ちゃんと否定してくれたやろな」 S原「“そら団長ですからね”とか言うときましたけど」 田尾「こらー!」
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2007年10月21日(日)
朝8時、スズメバチ明け第一戦の峰山に突撃した。そんなもん、1回ぐらい不覚を取ったからといってビビっているようでは、真のスズメバチ被害者の会会員とは言えん。こないだ医者に「2回目刺されたらアウトですか?」と聞いたら「はっはっは」と笑われたぞ。ハチの毒のアレルギー体質の人は過去に刺された時にできた抗体が過敏に反応して血圧が下がったりすることがあるそうだが、ハチ毒アレルギーの人はほんのわずかしかいないらしい。というか、それ以前にハチを蹴ったりせんかったら刺されへん、ということだ。
そういうわけで、いつもより丈夫な服を着て、タンスの奥からもう20年も着ていない上下白のテニスのウインドブレーカーを引っ張り出して、白装束に白の帽子に白の靴をはいて、山道を避けて舗装された車道を上ってきた(めちゃめちゃビビリやん!)。ちなみにハチは姿も形も見えませんでした。口ほどにもないやつじゃ(もうええっちゅうに)。
さわやかな汗をかいて昼前からデスクワークに没頭。夜6時頃、家内が「晩ご飯、何にする?」と言うので考えていたら、ふと、昨日ごんが柳川のかけうどんのダシを買って持ってきてくれてたのを思い出した。COOPで買った冷凍うどん(メーカーは日清冷凍食品。日本で一番うまい冷凍うどんじゃ)があったので、これを柳川のダシとネギと七味だけで食べて、ごんに電話。
田尾「むちゃくちゃうまいがー」 ごん「いや、それはよかったです」 田尾「我が家の今晩のディナー、冷凍うどんの素うどんやが。おかずはスーパーで買うてあったツボ漬けだけやぞ」 ごん「ええやないですか」 田尾「これで、コシヒカリや時計やいうてバブリーなイメージがあったの、払拭できたやろ」 ごん「もう何か、明らかに偽善者っぽい行動ですな。金持ちに限って必要以上に質素なイメージをアピールするっちゅうやつですな。選挙に出るんちゃいます?」 田尾「何でやねん。そんな取られ方するんか? ほな、幼稚園とか行ってしゃがんで子どもを抱き上げてにっこり笑うとかもしよか?」 ごん「あっはっは! ますます選挙に出る議員っぽい(笑)」
ほんまになあ、選挙に出る人って、ほとんどの人に「偽善」って見抜かれてるのに何であんなの平気でやるんやろなあ(笑)。豪華なディナーのあと、今日は石清尾八幡の秋祭りの最終日なのでデザートに夜店のベビーカステラを食べようと思って、散歩がてらに出かけました。途中、松本君にインタレストの校正を届けて、いよいよ明日の夜、笹木や和田やS原らが集合して最終の校正大会をやって火曜日に印刷発注の予定です。怒濤の追い込みで、何とか月末に発行できそうになってきた。明後日の昼、小つるさんのラジオの番組で特集内容をばらすかもしれん(笑)。
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2007年10月19日(金)
昨日は学生の請川と尾崎から「田尾先生、スズメバチはもう治ったんですか?」と言われ、吉田チンペイから「大変だったみたいですねー」と言われ、豊浜のG田さんからは「ハチの回復具合はどうですか?」とメールが来て、今日は学内でバッタリ会った学長から「ハチはもう大丈夫なん?」と聞かれて、「もうハチの話はせん」と言ったのであるがここに改めて「完治宣言」をしておきます。直径5ミリぐらいの赤黒い刺され痕は残っているが(完治とは言わんか)、もう日常生活に全く支障はありません。ま、スズメバチも口ほどにないやつじゃ。すんません、2日ぐらいは恐ろしいやつです。
今日、「KSBスーパーJチャンネル」でお天気の清水さんに「スズメバチに刺された」言うたら、「ハチは今頃が一番危ない季節ですからね」と言われた。もー、お天気情報より先にハチ情報を出してよ(笑)。
さて、先日珍しいところからうどんの取材依頼を受けて、今度の月曜日に「がもう」で撮影取材をすることになりました。取材に来るのは何と、オーストラリアの公共放送「ABC」(日本のNHKみたいなところ)です。聞くと、「讃岐うどんがブームになっている。その讃岐うどんのほとんどはオーストラリア産の小麦粉で作られているらしい。しかしオーストラリアでは、自分とこで作った小麦が日本の香川でそんなブームを起こしていることなんか全く知られてない」ということで、今回讃岐うどんの取材をしてミニ特集でオーストラリアに流すらしい。オーストラリアの公共放送にがもうが流れるらしいぞ。
あと、谷川米穀店にも取材に行くと言ってた。担当の方に聞くと、谷川に取材のアポを入れたらおばちゃんが「テレビに出たらお客さんが来すぎるきん取材は断りよんやけど、オーストラリアからはお客さん来んやろきんかまんで」って言われたらしい(笑)。おばちゃん、ええコメントするなあ(笑)。けど知らんでー。年末頃から外人さんが押し寄せてくるでー(笑)。英語しゃべれんかったら、パロットのマスター派遣しよか?
ちなみに当日は、がもうを取材するオーストラリアのスタッフをKSBがさらに取材することになっております。インタレストで、がもうを取材するオーストラリア取材班を取材するKSBを取材するか?(笑)
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2007年10月16日(火)
朝から授業を2つ終え、昼飯も食わずデスクワークをしていて午後3時過ぎ、一段落したら腹が減ってきて、ふと「柳川のかけうどん」が食いたくなって久しぶりに遠征したのである。白状するが、柳川のかけは私の中で「昔の食堂のかけうどん」系の最高峰にある。もう何年も食べに行ってなかったのだが、数カ月前に「讃岐うどんワールド」のロケでトメちゃんらと久しぶりに行った後、あの味が改めて脳に焼き付いてしまっていて、今日、急に行きたくなったのである。
柳川は観音寺の細い道が入り組んだ古い町並みの中。場所はわかっているのだが、ロケで行った時はロケバスに乗っていたので、今日はあの入り組んだ道を間違わずにちゃんと入れるか…とちょっとだけ心配しながら、三架橋(さんかばし)の横から細い道に入った。確かこの先、裁判所の横を曲がって入っていったはずだと思って裁判所を探していたら、それらしき建物に差しかかった時、数人の男の人がその建物に入っていくのに出くわした。見ると、真ん中の男の人は両手を前に出して合わせて、手のところにタオルみたいなのをかけて、そこから何かヒモみたいなのが出ていて、そのヒモの先をもう一人の男の人が持っている…手錠をかけられた犯人やがな! 裁判所や!
ごんが聞いたら「またまたー。誰も見てないと思って“ない話”をして」とか言うに違いないが(笑)、10月16日の午後3時半頃、あそこの裁判所に手錠をかけられて連行されていった犯人が絶対おるけん。ま、そんなことはどうでもええんです。柳川に入ったら客席に客らしいばあちゃんが一人いました。ガラスケースを見たらいなりが残っとる。柳川のいなりはこれまたうまい。うーむ、かけは大を食える勢いなのだが、いなりも取るとなるとかけは中にしておくべきか…。腹が減ってる時はなんぼでも食べられると思って取り過ぎて後で苦しい思いをするというのは、これまで数限りなくやってきた失敗だ。年も取って新陳代謝量が減ってきたここは、いなりとかけ中が無難かと思って、私は厨房のおばちゃんに「かけ中」と告げた。そしたら客席のばあちゃんが「ほな私はかけうどんの大くれるな?」と言ったのである。
田尾「すんません、やっぱり僕も大にして」 ばあ「ここのかけうどんは大食べなんだらなあ」 田尾「ばあちゃんが大やのに、僕が中では許されんがな(笑)」
いなりを2個食べてたら、かけ大が来ました。あの細い麺に薄く透き通ったダシに、ちっちゃいアゲと薄く切った簀巻きと赤板とネギ。もう見るからにうまい。一口食べたら、あの昔の食堂のうどんの最高峰の味と香りが、口から脳天にパアッと抜けていくがな! 食べてたら大将が出てきて、目前に迫った祭りのちょうさの話をいろいろされて(笑)。けど柳川のかけは、麺は細いのに、時間をかけて話ながら食べてても熱いかけダシの中で腰が抜けて行かんのです。ズル…ズル…、ズル…ズル…と、何かいつまででも食べ続けられそうなうどんじゃ、あそこのは。
いやー、久しぶりにものすごく満足の安いもんを食べました。あ、昨日の昼はごんと「はまんど」に行ったから、2日続けて満足の安いもんを食った。小さな幸せ。世間ではいろんな事が起こっていろんな人たちが他人事まで国民的な大事のように騒いでおられますが、庶民はそんな話にはただの野次馬をしながら、目の前の小さな幸せをかき集めてそれなりに生活をしております。ごんから「庶民は毎日コシヒカリを食わん!」とツッコミが入ったが、お前な、コシヒカリはうまいんぞ。冷やご飯になってもうまいんぞ! 反論になっとらんけど(笑)。
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2007年10月15日(月)
あんまりスズメバチのことばかり書いてたら「スズメバチに刺されたんか」と思われても心外なので(もうええっちゅうに)今日で最後にするが、医者っちゅうのはやっぱりすごいなあ。「2日は痛いでー」と言われた3日目の今日の朝、ほんまに痛みがほとんどなくなりました。あとはかゆみと、太ももの後ろ一面がほんのり桜色に赤い(そんなきれいなもんではないが)だけになったがな。早朝、勝谷さんから「ハチ刺されお見舞い」と題して「こんな珍しいお見舞いを送るとは、いい経験させてもらってます(笑)」とのメールをいただいたが、今や「小ネタが提供できて光栄です」と返せるほどの余裕だ(笑)。
さて、インタレストの第4号の編集制作作業がいよいよ大詰めを迎え、今週中にも概ねカタがつきそうな情勢になってきた。何と、「6カ月サイクルで年2回」という当初計画した発刊スケジュール通り、10月末頃に発刊予定である。というわけで、例によってまた郵送希望者の募集を開始します。希望者はハガキか封書で、住所、氏名、年齢(詐称可)と、できれば気の利いたメッセージとか感想とかをがんばって書いて、
765-8505 香川県善通寺市文京町3-2-1 四国学院大学社会学部カルチュラル・マネジメント学科 インタレスト編集部
までお送りください。ちなみに冊子は無料ですが、例によって郵送料は原則として着払いになります。本当は毎回募集みたいな面倒くさいことをせずに「定期購読」みたいなことをやってもいいんですが、毎回ハガキなどで読者の皆さんの声を聞かせて頂くと私も学生もとても励みになるので、まあ年に2回のことですのでどうかよろしくお願いします。あと、いつかインタレストのホームページを始めてeメールでお申し込みできるようにしようとは考えていますが、お金や人手の都合でもうちょっと待ってください。
さて、第4号は特集4本、そのうち1本は「タモリ倶楽部」もまだ気づいてないオバカ視点の企画であることだけを予告して、あとは内緒である。今回もイナゴ軍団は「力業」の突撃調査に駆り出されてよくがんばった。がんばってないやつもいるが、概ねよくがんばったのでみんななるべく単位を出してやるぞ(笑)。
インタレスト発刊は情報発信の実践授業の一環であるが、私が重視しているのは平凡な原稿を書く力やデザイン、レイアウトをする力を身に付けさせることではなく、斬新な視点や切り口の「感覚」を体感させることである。編集の専門学校じゃないんだし。いずれにしろインタレストメンバーはみんな卒業して情報発信関連の仕事に就くわけではないので、企画会議やミーティングを通じて、どんどんダメ出しをしながら、手本を見せながら、どんな仕事に就いてもいずれ必要になると思う「レベルの高い感覚」にちょっと触れておいてもらおうとしているのである。
加えて、彼らとの日常会話のちょっとしたやり取りでも私はありきたりではない言葉をしょっちゅう投げかける。そのうち彼らは釣られて返答一つに何か工夫を考えるようになってくる。そういう「感覚」の体験の積み重ねを、私は狙っていたりするのである。だから私のゼミは、書き物の巧拙より「出席(=コミュニケーションの量)」を重視する。ちょっと原稿が上手になったやつもいるし、ちょっとレイアウトができるようになったやつもいるけど、どっちもできんけど明るく前向きにいろんなことを考えるようになったやつも何人もいる。それでオッケーじゃ。レベルの高い技術を教わりたいと思ったやつは、言うてきたらいつでも教えてやる。で、いつも学生に言っているように社会に出てから気がついて教わりたくなったやつも、電話してきたらいつでも教えてやる。人間誰しも、勉強したくなる時がいつか来る。それが絶対今(学生時代)である必要はない、と、経験上私は思っているわけです。
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2007年10月14日(日)
スズメバチ評論家の田尾です。本日の経過。背中はそれほど痛くなくなってきたが、今度はかゆみが出てきた。太ももは裏全体が赤くなってパンパンに腫れたまま。押さえると痛いので、イスの先の方に尻だけを乗せて仕事中。キャスター付きのイスだったらイスが後ろに走って尻餅をつくという体勢だ。しかし私はメンタルトレーニングをしているので(もうええっちゅうに)、痛い、熱い、いうのは「体の中でええもんが悪もんと戦っている」と思って割と平気でいられる。頑張って私も戦って原稿を2ページ上げた。
夕方はちょっと安静にしようと思って、秋華賞と女子プロゴルフを見る。秋華賞、今日の日曜洋画劇場は「アルマゲドン」だ。金曜日にKSBのまっちゃんが暗号解読で苦しんでたが、秋華賞は牝馬のレースだからまずアルマゲドンの「牝馬」に焦点を当てて物語を見ると、グレース(リブ・タイラー)の父ハリー(ブルース・ウィリス)が大仕事をして死ぬという話である。大仕事をして死んだ父と言えば、これはサンデーサイレンスじゃ。で、暗号は「サンデーサイレンスの子ども」に来ると解読。サンデーの直仔はいないので「父サンデーサイレンス」の種牡馬を探すと、うえーん、8頭もおる。けど三つ巴人気の有力馬、ウオッカ、ベッラレイア、ダイワスカーレットのうち、父がサンデー産駒でないウオッカとベッラレイアは消せるぞ…と思っていたら、残り1頭のダイワスカーレットがほんまに勝っちゃいました。しかも、2着レインダンスも父はサンデー産駒やん。
夜、家内に送ってもらって松本君ちで仕事の打ち合わせをして、帰りは松本君に送ってもらって、スズメバチ事件に「ネタの神が降りて来とるとしか思えん」とか言いながら解散。夜になると、太もももだんだんかゆみに変わってきた。でも押さえたり足を曲げたりしたらまだ痛い。ちなみに阪神はまた1回に昨日よりデカいハチに刺されて一巻の終わりです。2日続けて刺されてるようではプロのスズメバチ評論家とは言えん。違うけど。
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2007年10月13日(土)
今日は、皆さん誰でも聞いたことはあるけどそうそう体験はしていないと思われる珍しい体験のご報告ができること、うれしく思います。ウソです。ちっともうれしくないぞ。
授業と会議と原稿と撮影の怒濤の一週間を終え、さらに月曜日までに仕上げる予定のインタレストの最後の原稿を抱えていたため、リフレッシュと気合いを入れるつもりで朝から久しぶりに峰山に登ったのである。8時に家を出て、今日はいつもより遠回りをして1時間半かけて山頂展望台に到着し、一服したあと、行きに時間をかけたぶん帰りは早く下りようと思って、近道の急な下り坂の山道を下り始めた。
下から登ってくるおっちゃんと2回すれ違って「おはようございますー」とか言いながら、秋晴れの山道をねんざしないように慎重に下りる。途中、あまりに景色が良いので岩場に腰掛けて海を見ながら一服して、また下り始めたら、後ろから若者が2人下りてきた。私より軽快な足取りなのでちょっと脇に寄って待ってたら、若者は元気な声で「おはようございます!」と言いながら私を追い越して下に下りていった。山登りの格好をして背負っていたリュックか何かに「高松一高」と書いていたので、高校の山岳部の子かもしれん。で、私も再び下り始めたのである。
この時期、何か知らんけど春や夏よりちょっと強めのクモの巣が所々に出ていて油断してるとバッと頭や顔に直撃するのだが、高校生2人が先に下りていったので巣があってもあいつらが先にかぶってくれるか(笑)…とか思いながら、残り4分の1くらいのところまで下りてきた時である。思いも寄らぬアクシデントが私を待っていた。下り坂が少し緩やかになった時、靴が何かを「パツン」と蹴ったのである。どんぐりを蹴ったのかと思って足下に視線をやったら、黄色と黒の縦縞の入った丸い物が見えた…瞬間! 右太ももと右背中に「ジク! ジク!」という激痛が走った。
「あ! 蜂に刺された!」
とっさに「払ったらいかん!」と思って、そのままゆっくり歩き続けてその場を離れて、振り返って刺されたところを見たら、蜂はもういない。一瞬しか目に入ってないが、あの丸々とした形や大きさはクマンバチのようだった。しかし色はスズメバチみたいだった。どっちにしろ、これ、やばいんちゃうか? えーと、蜂に刺された時はどないしたらええんやったっけ。山を下りながら家に電話したら、出ん。家内たぶん爆睡中。よし、こういう時はごんだ。
田尾「そういうわけでたぶん蜂に刺されたんやけど、応急処置はどないしたらええんや?」 ごん「ちょっと待ってくださいよ。えーと、水で洗い流して、毒を絞り出す」
けど水がない。電話しながら刺された太ももの後ろをつまんでみたら、激痛が走った!
ごん「黒っぽい服着とったんちゃいます?」 田尾「そこはちゃんとナニしとるが。薄いグレーのジャージ。けどな、蜂を蹴ってしもたらしい」 ごん「そら攻撃してきますよ」 田尾「地面におったんぞ。あれたぶん、一家団欒で地面の何かを食事しよったところへ亀田が殴り込んできたみたいなもんやろな」
と言って、ふと、それなら私が亀田になってしまうのでいかんと思って、「一家団欒で食事をしているところへ突然ヨネスケが訪問したら亀田一家だって、ボコボコにやられた」というシチュエーションを考えたのだが、私がヨネスケいうのもどうも不本意なので言い直しを躊躇していたら、刺されたところがさらにものすごく痛くなってきた。「とりあえず帰って病院行くわ」と言って電話を切って、どんどん痛くなる背中と足を引きずりながら家に向かった。正直、間もなく毒が回って死ぬかもしれんと思いました(笑)。「このまま行ったら、松本君ちの前あたりでパッタリ行き倒れか? ま、しゃーないか」とか。
余談であるが、私は数年前、声帯ポリープの手術をする時に全身麻酔で「一旦死んで」から、自分が死ぬことを平穏に受け入れられるように自分でいろいろメンタルトレーニングをしていて(どうせどないしても人間の死亡率は100%なので)、体のアクシデントや不慮の事故で自分が死ぬことについて、それを運命だと受け入れるのに割と平気なんです。で、「ま、死んだらしゃーないか」と思いながら家に向かって歩いた。
何とか家にたどりつきました。で、汗くさいまま病院に行くのも気の毒なので、けど温めたらいかんと思って水でシャワーを浴びた(むちゃくちゃ冷たいがな。こないだまでの猛暑はどこ行ったんや)。その間、家内が病院に電話して「主人がクマンバチかスズメバチに刺されたみたい」と言ったら、「呼吸はありますか?」とか聞かれてびっくりしてたが、とにかく運転席に座るのも痛いので家内の運転で、以前ねんざした時にお世話になった五番丁病院に行きました。
田尾「すんません、蜂に刺されました」 先生「ちょっと見せてくれるな? おー! これはスズメバチや。またがいに刺されとるなー。真っ赤に腫れとる真ん中に黒い刺し痕がはっきりあるわ。これはオオスズメバチかもしれんな。しかしこれは、“刺す”いうより“かみついた”いうぐらいやっとるな」 田尾「何か、地面におったのを蹴ったんです」 先生「そら怒るわ」 田尾「毒、吸い出した方がええんですか?」 先生「無理。もう手遅れ。全部回っとる。けどまあ、山場は越えとるけんな」
結局、注射して薬塗って湿布して、「2日は痛いでー」と言われて帰ってきた。もうずーっと、ずーっと痛い。今夜中の12時やけど、ずーっと痛い。しかも熱がある。何か指された右の太ももがさらに腫れてきたので巻き尺で測ったら、左より2センチ太くなってる。
家内「おー、背中も右だけ盛り上がっとる」
恐るべし、スズメバチ。今、私は「スズメバチに刺された痛さを最もよく知る麺通団員」だ。ちっともうれしくないけど。そういうわけで今日はちっとも原稿が進んでないぞ松本君。明日も痛くて進まん予定やぞ。ま、こっちが進んでなくてもそっちはいっぱいいっぱいやろけど(笑)。そういや今日、阪神大敗。1回に3点、6回に4点取られて0-7。2回大きく「刺されて」負けとる。俺のせいか?(笑)
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2007年10月8日(月)
腕時計の電池が切れた。家の千葉産の落花生が切れた。この2つの問題を一気に解決するために夕方、家内と三越に行って、何の流れか、新しい時計を買っちゃいました(笑)。
実は私、腕時計は今までたった1回しか買ったことがないんです。初めて腕時計をしたのは高校1年の時。入学祝いに父ちゃんが買ってくれたのだが、すぐにするのをやめた。それが変な理由で。
中学の時から軟式テニスをやっていたのだが、高校に入って腕時計をしてテニスをやっていたらどうも調子がおかしい。で、いろいろ原因を探っていたら、パッと構えた時に前に出す左手が腕時計の重さで微妙にバランスが取れないことに気がついて、腕時計をするのをやめたのである。最初はテニスの時だけ外していたのだが、どこかに置いてたら不用心だし、付けたり外したりがだんだんめんどくさくなって、とうとう腕時計をしなくなって、大学時代も会社員になっても、いろんなところに時計があるから腕時計なしでずーっと過ごしていたのである。社会人になって腕時計をしたのは今から15年くらい前、旧のレオマワールドが1周年記念で作った腕時計をもらって、それからしばらく文字盤に「レオマワールド・アニバーサリー」なんとか…とか書かれたのをしてた(笑)。
初めて自分で時計を買ったのは10年くらい前、研修でウィーンからスイスに行った時、ウィーンの「カジノ・ド・ウィーン」とかいうひねりのないネーミングのカジノで5千円だけチップを買ってルーレットの「赤黒」の2倍のところだけで遊んでたら8万円ぐらいになって、帰りの集合がかかったので「もともと5千円やし」と思って全部「赤」に置いたら倍になって、これは物に換えないかんと思って生まれて初めて、ペアの時計を買った(翌日からスイスだったので時計やろと思って)。ちなみに帰って家内にペアの片方をプレゼントしたのだが、翌日私がその時計をして会社に行ったら、若手女子社員の池田コリスが何と、私が家内にプレゼントしたのと同じ時計をしてて、社内でペアウォッチになってしまって、
田尾「池田ー、それみんなに自分で買うた言えよ! みんな、よーに言うとくけど俺はスイスで買うてきた! 池田は自分で高松で買うた!」 笹木「わかってますよ。そういうことにしときますから」 田尾「偶然じゃ!」
という事件があったことを報告しておく。以来、今日までずーっとその時計をしていたのである。あ、去年1回行きつけの服屋の展示会で安い時計を買わされてアップタウンにして行ったら牛乳屋さんに「似合わん」言われて置きっぱなしにしとるのが一つあるのを思い出した。で、三越に行って電池を入れ替えてもらうついでに時計をいろいろ見ていたのである。店員の兄ちゃんが、時計を見ている私を観察しているのがわかる。ここで大きな勘違い発生。私は時計なんかちゃんと買ったことがないから、100万円や200万円の高いやつを「ほー!」とか思いながら見ている。それを見た店員の兄ちゃんは、きっと私が100万円ぐらいの時計を探しているとたぶん勘違いして(笑)、こっちの様子を窺いながら近づいてきて、そろりと時計の紹介をし始めた。高いやつばっかり(笑)。ふっふっふ、まだまだ客を見る目が青いな。この客はカジノで買った10年ものの電池を入れ替えて一生それで過ごそうという、時計にまるでこだわりのない客じゃ。
と、買うつもりゼロの余裕で私は時計のお勧めをあしらっていたのである。そしたら、兄ちゃんがついでの小ネタみたいに紹介してきた1本の時計に引っかかっちゃった。すんません、「007」の『カジノロワイヤル』でダニエル・クレイグのボンドがしてた時計の限定モデル、買っちゃいました(笑)。秒針の付け根に「007」のデザインが付いてて、文字盤の裏に「CASINO ROYALE」と刻印されてて、何かプレミアっぽいケースにプレミアっぽいカタログが付いてて、しかも今日は1割引だそうです。
店員「世界で5007本製造されていて、これは○○○○番のナンバーが付いています」 田尾「へー」 店員「ちなみにここについている突起はヘリウム・エスケイプバルブと言いまして、時計の中にヘリウム濃度の高い空気が溜まった時にこのバルブで抜かないと、時計ガラスを割ることがあります」 田尾「ヘリウムが溜まるんですか?」 店員「そうですね、数日間の深海作業をやった時にはどうしても溜まりますね」
誰がそんな作業するんじゃ! えー、ボンドはどうもプロ用のダイバーズウォッチをしてたらしいです。
店員「あと、これは電池ではなくて自動巻なので、1日半くらい置きっぱなしにしてると止まります」 田尾「え? 1時間半で止まるん?」 家内「1日半言うたやん!」 田尾「あ、1日半か。びっくりした。僕、90分の講義中に時計を教卓の上に置いて時間見ながらやるんやけど、1時間半で止まるんやったら、ヘタしたら終了5分前とかに止まって、いつまで経っても“あと5分”で授業が終われんのちゃうか思て(笑)。1時間目がしまいに夕方になって、学生が“先生、もう勘弁してください”って(笑)」 家内「“ない話”はええけん」
ちなみに何で今日は1割引なのかと尋ねたら、巨人の優勝記念だそうだ。そういや館内にずーっと「闘魂込めて」が流れよる。
田尾「いかん、アイスのタタリで阪神の優勝を損ねた上にこんなところで巨人の恩恵にあずかるようでは、全国の阪神ファンに申し訳が立たん」 店員「え? 定価でお求めになるんですか?」 田尾「1割引でお願いします」
値引きは受け入れたが、魂は売ってないからな(笑)。
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2007年10月7日(日) 昨日は昼から東京で、東京麺通団のミーティングに出席。「麺通団ビューティー(仮称)」なる極秘爆笑プロジェクト(ま、“ない話”やけど)とか、例によってちゃんとしたミーティングの中にバカ話を織り交ぜてなごやかに会を終え、夕方、後楽園ホールで勝谷さんと合流して東京麺通団でバイトをしているプロボクサーの大北の試合の応援をして、その流れで10人ぐらいで食事をしてホテルに帰って仕事して、朝一番で高松に帰ってきた。
私のミーティングはいつも、ビジネスのミーティングであっても“ない話”とか盛り込んで笑いながら終わることが多い。ごんや長谷川君や笹木や和田らとインタレストやラジオやイベントのミーティングをする時も、仕事でお客さんを迎えて打ち合わせをする時も、あるいは交渉事の時も、学生との編集会議の時も、厳しい状況確認の時も、トラブル処理の時も、とにかくどんなミーティングでもなるべく笑いを入れるようにしている。深刻な時ほど深刻な顔をせずに、ミスの注意をする時ほど相手を追い込まずに、逆に良い状況の時ほど真面目な顔で、というのが私がミーティングの時に気をつけていることである。なかなかいつもうまいことはいかんけど。
ビジネスマン時代の会議を振り返ると、私が今まで数限りなく出てきた会議の多くは、「出る前はちょっと憂鬱。会議中は退屈。あるいは不機嫌で攻撃的。で、終わったらホッとする」という感じのものばかり。結局、会議を招集する本人はそう思ってなくても結果的に会議の目的が「会議をやること」であったり、上の人間が下に報告をさせて、アラを探して追い込んで、追い詰めて、小言と訓辞をたれてその場の自己満足を得るのが目的であったりするからだ。もちろん建設的な会議もたくさんあったが、自戒を込めて振り返るとやっぱり「憂鬱な会議」「終わったらホッとする会議」がずいぶん多かったような気がする。そこで今までのいろんな失敗や反省の末に今心がけているのがこれ。一言で言うと、
「終わったら始める前より元気とやる気が出てくる会議」
である。ええ方針でしょ?(笑)自分がやられてイヤだったことは、やる側に立ったらやらない。「やり返す」んじゃなくて「やらない」。やり返せた時の小さな自己満足より、みんなが気持ちよく前を向いてやる気をみなぎらせた時の充実感の方がずっと大きいことを、ええ歳になってやっと穏やかに受け入れられるようになってきた気がする。戦う(ケンカではなくて)相手は「内」ではなくて「外」ですからね。
大学の授業でマーケティングやマネジメントの概論をやっていると、こういう現場に関わっていることがものすごく役に立つ。マーケティングやマネジメントの問題解決の手法から、経営者や社員のメンタリティの“揺れ”といった情緒的なことまで、机上のマーケティング理論では対応できない実践例がなんぼでも体験できるからです。で、体験のたびに講義のプログラムを修正していくことになる。何年経っても講義準備に手間がかかる理由の一つが、こいつじゃ(笑)。
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2007年10月4日(木)
親愛なるヘビーな日記ウォッチャーの仲間から、こないだの「地域ブランド」の話にチェックが入ったので、ビシッと言うておく。すまん(笑)。説明し切れんで、すっきりせん文章になってた。
私は「ブランド戦略」が嫌いなのではない。具体的な目的から入ってくる必然的な「ブランド戦略」(その目的を達成するのに優先的に必要と判断されたブランド戦略)は非常に重要であり、戦略として全く有効であると思っている。私が思うまでもなく、当たり前の話である。けど、具体的な目的が掲げられてないのに「ブランド戦略」から入っていくのは、それはただの流行にお金を使っているだけで、「ブランド(のようなもの)を作ること」が目的の取り組みに過ぎないのではないかという話である。
民間企業は「利益を上げる」という具体的な目的がある。「利益を上げる」という目的を達成するために、商品を売る。その「商品を売る」という目的を達成するために、売れる商品を作り、販路を確保し、宣伝し、営業する。その中のスタートラインである「売れる商品を作る」というところで、すでに商品の品質向上の段階を突き詰めている企業が「さらに売れる商品へ」という目的を達成するために商品をブランド化するというのは、論理的にも整合性の取れる手段であり、その戦略に疑問を挟む余地はない。つまり、民間企業における「商品のブランド化」は、「利益を上げる」という具体的な目的に直結する有効な戦略である。ただし、「CI」は「利益を上げる」という目的を達成する手段としては「商品のブランド化」よりかなり情緒的な部分が多い「イメージ戦略」であるから、取り組むべき優先順位としてはちょっと低い、お金と時間に余裕がある時とかにやる戦略だろうという話である。
これと同じように、例えば「地域のある農産物の売り上げを伸ばす」という目的であれば、その手段として「いい商品を作る」「販路を確保(拡大)する」「宣伝する」「営業する」という優先的な取り組み項目があり、その中で商品の品質を突き詰めていれば「商品のブランド化」は有効な戦略として取り組むべきテーマの一つになる(品質向上もブランド戦略の一環かもしれないが、ブランド戦略をパッケージデザインやネーミングやキャッチコピーで飾ることだと思っているような取り組みが結構あるので、あえて「品質を突き詰めていれば」と言っておく)。
あるいは同じく具体的に「地域のある物産の売り上げを伸ばす」とか「ある企業の売上を伸ばす」とか「ある観光地の入場者数を増やす」とかいう目的に対しては、それぞれ状況によって「商品(物産や企業や観光地)のブランド化」は優先的に取り組むテーマになる場合があるだろうと思う。
けどね、「地域ブランド」というのは、対象が具体的な「商品」じゃなくて、いろんなものを含んだ「地域」なんですよ。地域の個々の商品の中には、ブランド化が最優先課題であるものもあれば、ブランド化より先に取り組まなければいけないものがある商品(まず品質向上すべき商品とか、まず販路拡大に取り組むべきものとか、まず生産体制の改革が最優先と思われる商品とか…)もいっぱいある。つまり、優先的に取るべき手段が違うものがいろいろ含まれたのが「地域」であるわけで、そんなものを全部一緒にしてまず「ブランド化」をしようということ自体、どう考えても無理があるじゃないですか。「目的」が具体的に一本化できないものであるのに、「それ(それ自体がないんだけど)を達成する有効な手段」は「地域ブランド」であるという論理が、私の中では理解できんのである。だから、企業で言うと「商品のブランド化」ではなくて「CI」の方のニオイがすると書いたのである。地域ブランドとCIを比べるとCIの方がはるかに理解できるので、CIにちょっと「ごめんなさい」と言っておくけど。
しかもさらに、資料をいろいろ読んでると「地域ブランドというのは地域の何かの商品が売れればいいというものではない。それによって地域のイメージがアップする物でなければ地域ブランドではない」などと書いている物まで出てくる。もう、一体何をしようとしているのかわけがわからない。繰り返すが、地域のいろんな商品や企業や場所をブランド化しようというのは戦略としてわかる。必要なら協力もするし、そこにコンサルタントや広告代理店が強力なブレーンになってくれることも間違いない。けど、地域そのものをブランド化しようというのが、私にはうまく理解できないのである。で、「地域ブランド」の取り組みは結局、地域のマークができてロゴができてキャッチフレーズができて分厚いコンセプト冊子ができて「事業完成」、つまり取り組むこと自体が目的となるのではないか、と心配しているのである。
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2007年10月3日(水)
年間2〜3万円の贅沢で実現する「魚沼産コシヒカリ大作戦」が急展開を見せた、というほどではないが。
魚沼産コシヒカリのあまりのうまさに今ごろ腰を抜かして「今日から我が家は魚沼産コシヒカリしか食べんぞ大作戦」を決意したとたん、お客様から魚沼産でない新米を5キロ頂いてしまって大作戦のスタートが1カ月以上遅れることになった(我が家は家内と2人なので5キロもあったら1カ月以上持つ)のであるが、先日、家内がある作戦を思いついたのである。すなわち、今食べかけているもらった新米を県外の大学に行っている息子に送りつけて、我が家は魚沼産コシヒカリにとっとと切り替えようという素晴らしい作戦。これなら息子も米が降って湧いて大喜び、我が家も魚沼産コシヒカリが食べられて大喜び。エブリワンハッピー! ひどい親じゃ(笑)。
で、食べかけて口の開いた米を息子に送って、満を持してさっそくこないだの朝、魚沼産コシヒカリを炊いて食べたのである。そしたら、あれー?
こないだ食べたむちゃくちゃうまい魚沼産コシヒカリとは似ても似つかない、香りが抜けて腰も抜けたごはんになってるやないの。どないなっとんや。パチもん掴まされたんちゃうか? よく見たら「魚召(うおめし)産」とかなってないか? とか思って袋を改めてみたけど、ちゃんと「魚沼」だ。炊き方も間違ってないし(こないだはむちゃくちゃうまかったんだから)、魚沼市が合併したどさくさで産地名が混乱して今までと違う場所の米まで魚沼産になっとんか? とかいろいろ検討した結果、ハッと気がついた。タイマー炊飯にしたため、昨日の晩から炊飯器の中で米が水に浸かりっぱなしだったせいではないか? きっとそれだ。
と思って、とりあえずそれは食べてしまって次の日、今度は夜、タイマーなしの炊きたての魚沼産コシヒカリを食べたのである。そしたら、んー…タイマー炊飯の時よりはよくなっていたが、やっぱり香りと腰がちょっと飛んでいるぞ。何がどうなっているのか素人の私にはさっぱりわからんのでしかるべき方々(誰や)からいろいろ情報を集めてみると、精米してから日が経つごとにちょっとずつ風味が落ちていくとの意見をいただいた。ふーむ。米とはそんなに深い物だったのか。しかるべき方々に言わせれば今さらではあるだろうが、これからしばらく、「うまいごはん」を探ってみることにする。といっても家内に探ってもらうのだが。
後期の授業がいよいよ始まって、米を探る暇もない日々が続いております。ま、家内が探っているのだが。後期は担当授業が毎週10科目もある。その上、今月はインタレスト第4号の締め切りだ。夏休み中にものすごく準備をしたのに、始まってみると次々に改良すべき点が出てきて、すでにバイシクルオペレーション(自転車操業)が始まった(笑)。今日は授業2本とミーティングと来客と、夜FMの録音3本を取り終えて10時過ぎに家に帰ったのだが、11時前、ちょっとソファに横になったら意識を失ってそのまま朝までソファで寝てしまった。こんなことは最近では初めて。猛暑の頃の何かが今になってドッと出てきてるのかもしれん。歳のせいかもしれんが。
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