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2007年11月の日記
2007年11月29日(木)

 漆原先生の話によると、大学のおなじみ吉田チンペイ(仮名)が手術で頭にチタンが入ったことで、最近チンペイに「チタンヘッドか。よう飛ぶぞー」というお見舞いの言葉がかけられているらしい(笑)。ゴルフファンにしかわからんギャグですが。

 さて、今日はアイデア開発の授業の後、やんちゃな1年軍団60数人を相手にワークショップ。日本人の基礎能力としてせめて「国語」の読み書きは一段階上がってくれ、ということで、後期のこの授業はもう毎週のように文章を書かしては全部読んでチェックして修正箇所をレクチャーし、また書かせては修正レクチャーし…というのをやっている。最初は雑誌から探してきた「上手な原稿」を「とにかく一字一句間違わずに丸写しせー」言うて、できたら続いて「もっかい、丸写しせー」「えー?」「ええからもっかい丸写し! ただし、今度は自分がその文章を書いているかのような気持ちになって写す!」言うて写させて、さらに続いて「次にー、もう一回丸写しじゃ」「えー!」「丸写ししたら、その文章に自分で考えて見出しをつける!」。

 そんなことをやりながら、次の段階は雑誌から「ちょっと出来の悪い文章」を探してきて(何の雑誌から取ったかは口が耳まで裂けても言えん・笑)、どこが悪いかをレクチャーして「良い文章に作り直せー!」言うてやらして、全員が作り直したやつを全部チェックしてポイントを整理して、笑いどころを混ぜながら全員の原稿を一つずつ解説して直していく…。と書いたらすごく建設的な授業が進んでいるみたいに見えるかもしれんが、何せやんちゃ軍団やから、しゃべるやつもいれば聞いとらんやつもいれば適当に済ますやつもいれば基本を守らずに笑いに走るやつもいれば、ほんまに大変なんぞ。しかもとにかく最初のうちはあまりにレベルが低くて(ま、こっちはプロのレベルでチェックするからハードルが高すぎることもあるが)、こらどうにもならんなー、と思いながら、とりあえず進まないかんので3週前からオリジナル原稿を書かせたのである。

田尾「ではいよいよ、オリジナル原稿を書く。テーマは新しくなったキャンパスの芝生広場の紹介。まず、広場に出かけて取材をする。概要を調べる、利用の仕方を調べる、お勧めポイントを探す、とにかく原稿になりそうないろんなネタを集める。しかるのちに、原稿を書く。原稿作成のポイントを言うぞ。よっけ言うてもできんやろから、ポイントは5つ。まず、読む人が行ってみたくなるような見出しを作る。次に、行ってみたくなるような内容を2つ以上見つける。次に、内容を2つか3つのブロックに分けて文章を構成する。次に、文末で文章のリズムを作る。最後に、文法間違いと誤字をしない。来週までに原稿を仕上げること。以上」

 で、上がってきた原稿を全部チェックして今日の修正レクチャーとなったのである。結果、ちょっと驚きました。事前にレクチャーはしてあったのだが、予想以上に「文末でリズムが取れている」学生がおるやないの。見出しも数人、「それ、行けるやんか」みたいなコピーをひねり出しとる子がおる。出会い頭かもしれんが「めっちゃ、芝生。」とか、ポスターのコピーに使えるんちゃうか? みたいなのもあるし。

 ま、別に文章のプロを目指さんでもええんじゃ。けど、文末のちょっとしたイジリだけで急にリズムが生まれて来るのに気づいたやろ? 「お?」と思ってくれただけで、1年の段階はオッケーじゃ。授業を終えて夕方、ある懇談会に出席したが、いつどこで何に関わってくるかわからんので、どんな方々が同席していたかは記憶にありません(笑)。
2007年11月28日(水)

 数年前、ある市の中期の地域づくり計画を策定するみたいな委員会に呼ばれて行ったら、将来の地域づくりの前提として「コーホート要因法で算出した当市の10年後の人口は、○万人に減少する」という数字が出されたので、私は「それはこのまま何もしなかったらそうなるという予測ですが、市として10年後とか20年後の人口の目標は立てないんですか?」と尋ねたら、出席者から「そんなのできないでしょう」一笑に付されたのである。昨年、高松市のある会で議員の方が「高松市の人口は、コーホート要因法で算出されたところによると20年後に○万人、30年後に○万人に減ってしまう。高齢化と人口減を見据えた政策を進めるべきだ」という発言をしたので「人口が減るのが問題なら、人口を維持するとか増やすとかいう政策を考えたらいいんじゃないですか?」と言ったら、「そんなのできるわけがない」と言われたのである。

 で、昨日のことである。また別の市の中期計画を策定する会合に呼ばれて行ったら、市から「コーホート要因法の算出によると、当市は人口が20年後に○万人、30年後に○万人に減ってしまうので、それを見据えた将来計画が必要だ」という報告があったので「30年後の人口の目標は立てないんですか?」と聞いたら、出席者から「無理でしょう」と言われたのである。

 「コーホート要因法」って、内容は知らんけど行政で流行ってるのか?(笑)という話は本題ではないのでほっといて、私が思ったのはこっちの話。すなわち、県内だけでなく全国の市、町、県単位で見れば、人口は減っているところもあれば横ばいのところもあれば増えているところもある。国単位とかいう広域で見れば日本は人口減の方向に向かっているのかもしれないが、県や市や町単位の人口は出生率と死亡率の関係というより「移動」でかなり増減するのである。ということは、自然現象以外の要素でかなり動くのだから、県や市町単位の人口は20年も30年もの中長期計画においては増やすにしろ維持するにしろ減らすにしろ、「目指す」ことのできる項目だと思うのである。目指すための手段はいくつもある。企業や学校といった人を伴う組織による人口移動から、商業環境による人口移動、住環境による人口移動、あるいは税制による人口移動の手段もある。事実、マンションを建てて人口を増やそうとしている商店街もあるし、住民税が隣の町より高いために隣の町に人が動いた町もある。

 別に「人口を必ず増やすべきだ」という話ではない。「人口をこれくらいに減らしてゆったりと時間の流れる地球環境に優しい(人間の活動の少ない)町を目指そう」という目標に住民が合意するなら、そういう町を目指すのも選択肢だと思う(お金が回っていかんと思うけど)。ただ、いずれにしろその町や市の20年後、30年後の将来構想を考えるなら、コーホートか何か知らんが「何も手を打たないことを前提としたような予測」をもとに「人口が減るから」という前提で話を進めるのは、根本的な努力目標を捨てた議論ではないですかねえ。例えばどこかの会社の経営会議で、「10年後、我が社の売上はここまで下がると予測されているので、これから売上が減り続けることを前提としてやっていく」と言ったら、経営者失格、クビですよ。で、そんなことを考えていて、「どこかの人口減予測」を前提にした地域づくりの話が出るたびにちょっと質問しているのである。だって、来年の話でなくて、10年20年30年先を見据えた構想でしょ?

 ちなみに将来構想でついでに言えば、高齢社会に向けた高齢者対策の多くは(というか私が聞いてきた高齢者対策は全て)、今の高齢者に対する対策である。それを借金でやろうとしている。借金で今の高齢者対策をやっていると、10年後、20年後に高齢者になる人の対策はお金の不足が恐ろしいことになる。断言しとくけど、今のまま行くと私らが高齢者になった時、行政の高齢者対策は打つ手がなくなって悲惨なことになると思います。でもみんな(行政も議員も議員を選ぶ住民も)、依然として目先の自分のことしか考えてないみたいです。私はとりあえず、仲間を集めて「老後の自己防衛サークル」作ろうかと思ってますけど(笑)。
2007年11月25日(日)

 木曜日の朝8時半、大学のすぐ近くのガソリンスタンドに入ったら兄ちゃんが声を掛けてきた。

店員「今日はどこのうどん屋行くんですか?」
田尾「今から授業じゃ!」

 世間ではいつまで経っても私は「うどんの人」だ(笑)。この3連休はほとんど休みなし。昨日の夜、抱えてた緊急の原稿が3本完了した。講演とラジオ2本も終わった。今週は緊急の原稿があと1本、会合は先週3つ終わったけど今週4つ増えて、企画ものと本の構想は残ったまま。まだまだ予断は許さない。このまま1つずつこなす計画でガントチャート作ったら、明日の授業の準備が来年の春ぐらいになりそうだ。

 今日は朝6時半に起きてずーっと働きっぱなし。ウソでした。昼1時間半ぐらい、考え事をしながら峰山ウォーキング(ちょっとランニング)に行ってきました。実は峰山ウォーキングに関してちょっと心配事がある。スズメバチではない。あ、昨日の夕方、マンションのベランダに巨大なスズメバチが飛んできた。こないだのキウイどころでない、パイナップルかと思うようなデカイやつだ。ま、こないだのもキウイではないが、こないだのをキウイとしたら今日のはパイナップルくらいデカイということで、要するにちっとも実物の大きさを表現してないわけであるが、私も何を言ってるのかよくわからん。何の話やったっけ、あ、心配事である。実は、あの峰山の主こと「世相おじさん」の姿を峰山でもう7カ月以上見てないのである。大丈夫かなあ。絶対何かあったに違いないんだけど。

 夜、さすがに集中力が切れてきたのでBSの番組を見てたら、「超人」という番組でそば打ちの神様と呼ばれているらしい高橋さんという人のドキュメントをやっていた。何となく見ていたら、手切りをするシーンで「うわ!」。体の角度から頭のかしげ方からアゴの引き方から、宮武の大将の手切り姿とピッタリ、全く、ほんまに全く同じだ! うどんとそばで切る物は違うが、名人というのは同じ形になるんかーと思いました。今日のテレビの小さな収穫です。以上。今日もこれぐらいで勘弁してくれチンペイ。
2007年11月21日(水)

 う〜〜〜さぶ。明日、38度の猛暑が来ても喜んでしまうぐらい寒いぞ。しかも私の研究室は北側にあるから底冷えがする。昼はたまらず岸井うどんに行った。寒い時は岸井の釜かけか白川の釜ぬき(釜かけ)かがもうの釜かけかなかむらの釜かけに限る。ま、要するに釜かけが一番熱いということだけど、時間がなかったので一番近い岸井で釜かけの大をかき込んで、すぐさま研究室に帰って仕事、授業、仕事。今朝、チンペイにまた日記の更新を催促されたが、こないだの金曜日からものすごい仕事ラッシュでネタを書く余裕がないんじゃ。授業がいっぱい。緊急の原稿が4本。その間に講演1つ、ラジオ2つ、テレビ1つ、打ち合わせ事が3つ、持ちかけられた相談事が3つ。それから頼まれた次の本の構想と原稿も2本、手つかず。しかしそれ以上に、構想から入らないかん大学の急ぎの企画ものが4つも一気に重〜くのしかかっている。これがまた、机に向かってうなってもうなっても構想がまとまらん。

 頭の中で複数の案件がぐるぐる回っているという状態を今まで何度経験したかわからんが、とりあえず「一つずつ片づける」という解決方法しかないことを学習していても、やっぱりぐるぐる回るんよなあ。今、ここ2カ月くらいで最大のピンチじゃ。そのうち現実逃避で何かネタ一つ書くから勘弁してくれ、チンペイ。
2007年11月15日(木)

 朝、がもうに突撃。家内の名誉のために、ちゃんと家内は朝ご飯を作る体勢にはあったのだが睡眠不足の寝起きでご飯もパンも何かのどを通りそうになくて、しかしうどんは食えるという、讃岐人にはよくある気分であったため、朝からがもうに行ったのである。なかむらはまだ開いてないし。そしたら開店直後だというのにもう行列ができていて。

 今日は朝からガモムスが釜に立っていた。わけを聞くと、大将が肩がどうしたとかいって入院してるらしくて、しばらくガモムス兄弟と奥さんが切り盛りするらしい。

ガモ「それでですね、ちょっとしんどいんでしばらく定休日を増やして、土日祝日を休みにするんですけど、それをブログに書いてくれたらうれしいんですけど」
田尾「まかさんかい」
ガモ「間違わんといてくださいよ。何か田尾さん、曜日関係に弱そうなんで…」

 くそー、いつの間にそんな評判が立っとんや(笑)。昨日もインタレストを届けにはまんどに行ったら上戸うどんの大将が用事で来てたのに出くわしたのだが、いきなり上戸君が

上戸「田尾さん、今日ははまんど定休日ですよ」

 わかっとるわい! 大将が仕込みで店におる言うから持ってきたんじゃ。えーと、再確認しとこ。はまんどは水曜休み、白川は月曜休み、香の香は木曜休み、なかむらは火曜休み、宮武とやまうちとあたりやは…水木金がどっか1軒ずつ休み。覚えてないがな! えーと、がもうはしばらく、土日祝休みになります。大と小エビのかき揚げ天を食べて店を出ようとしたら、若い兄ちゃんのグループから

客「田尾さん、やっぱりがもう好きなんやなー」
田尾「うん。というか、この時間から開いとるとこあんまりないけんな(笑)」

 車に乗ろうとしたら別のおっちゃんのグループから

客「今から仕事な?」
田尾「はいー、働くでー(笑)」

 気持ちのいい朝です。さて今日は大学で講義を2本終えたら、内線で電話がかかってきた。聞くと、NHKの国際なんとかいう放送部署からで、海外向けのテレビ番組で外国人のレポーターが坂出周辺をレポートするのに一緒に回ってくれないかという依頼。ところが、土日なら動けるかもしれんと返事して話がまとまりかけた時、先方がとんでもないことを言い出した。

先方「それでですね、英語でやり取りしながらいろいろ紹介して頂ければ…」
田尾「英語でやり取りするんですか!」
先方「はい。海外向けの番組なので」
田尾「すんません、この話はなかったことに…(笑)」

 坂出やったらまたがもうに行くやろ。がもうで2回も「ホット! アーンド、ステイ!」とか言えるかい! 

田尾「いや、英語しゃべれませんのでダメです」
先方「そうですかー。いや、田尾さんのご本を読ませて頂いて、きっと楽しいレポートになるだろうと思ってたんですが」
田尾「すんませんねー。楽しいレポートになるかもしれませんけど、英語でやると違った楽しいレポートになってしまいそうで(笑)」
先方「じゃあ、どなたか麺通団の方で英語ができる方はいらっしゃいませんか?」
田尾「すんません、麺通団アホばっかりなんでしゃべれるやついませんわ(一瞬パロマスが頭をよぎったが、振り払った・笑)」
先方「あの、本に出てくる“ベッピー”さんは京都大学の…」
田尾「別府君や(笑)。別府君京都大学やけど、どうやろー?(すまん別Pくん、かってにしゃべれんことにしてしもた)」
先方「そうですかー」
田尾「あのー、うちの大学の他の先生なら英語しゃべれる人よっけおりますけど」
先方「テレビのレポート的にはどうですか?」
田尾「J先生いうて、顔がジェームス・ブラウンと松崎しげるを足して2で割ったみたいな先生がいるんですけど…」

 そういうわけで神野先生に話を振ったら、先方は「電話してみます」言うてた。どうなったんやろ? しかしこないだから、外国人とのレポート依頼が続いとる。まいったなー、そろそろ本気出すか? ま、本気出しても入管で「サイトシーイング」ぐらいしか言えんけど(笑)。ブレンダ・トーマスさんに習いに行くかなー。あ、6年〜7年前にやってた「讃岐うどん巡礼88カ所」企画で唯一の外国人達成者だったブレンダ・トーマスさん(女性)が何と今、四国学院の英語の非常勤講師で来てまして、私ゃそれを知ってひっくり返っております。ひっくり返ってはないけど。
2007年11月13日(火)

 こないだの夜、家内と焼き肉屋に行ったら、奥の方にいた7〜8人の男ばっかりのグループ客が焼き肉を食べながら(ま、焼き肉屋やから)話してたのである。もれ聞こえてくる内容は、どうも彼らは何かの工場の従業員のグループのようで、若い社員が工場長のやり方や指示に不満があるらしくて、中間管理職らしい人が若い社員たちの不満を聞いてやっているような雰囲気であった。その中間管理職らしい人の受け答えがなかなか上手で。内容はよくわからんのだが、要するに若い社員の言い分を遮らずによく聞いて、答える時はしょっちゅう「顧客」という言葉が聞こえてくる。若い社員の不満に対して、「それは工場長もちょっと言い方がきついかもしれん」みたいに受けながら、「けど顧客のことを考えると工場長の指示は正しいと思う」みたいな、話の背骨が常に「顧客の満足度を上げるのが最優先の目的で、それを達成するために何が有効か」という一点に定まっている。たぶんあの中間管理職の人は、なかなかの人物だと思う。

 ということがあった昨日、某所でちょっと遅い昼ごはんを食べていたら、通路を挟んだ横の席で郵便局の職員らしい2人の男の人が何か話し込んでいた。これまた片方は若い職員、片方はその上司らしく、若い社員が職場の別の上司のやり方や同僚の仕事ぶりに対する不満を言っていて、それに対して上司らしい人がいろいろ答えている。その上司がしょっちゅう「お客様」という言葉を使っていた。この人もたぶん、「お客様の満足」というのが仕事における最優先課題であるという一点から、いろんな話をしているようだった。なんだかここ数日の間に、私もすごく勉強になるいいビジネスマンに2回も出くわしました。

 私は「社会人になるということはどういうことか」という学生からの質問に対して、よくこういうふうに答える。「社会に出るまでは、サービスを受ける側である。社会に出ると、サービスを提供する側に行く。きみらはカウンターの向こう側にいる客だ。社会に出ると、カウンターのこっち側に立つことになる。向こうに客がいる。その客をいかに満足させるかをいつも考えて努力するのが社会人だ」と。

 だいたい、不平不満を言うのはたいてい「サービスを受ける人」である。会社の中でも不平不満を言う時はたいてい、自分が「会社からサービス(給料や待遇)を受ける人」という考えになった時である。本来、会社で働く時は「顧客に満足いくサービスを提供する」という目的が最優先であるはずが、それを忘れて自分の環境や待遇のことばかり考えていると、必要以上に不平不満を口にするようになるような気がする。しかも近年そういう人がすごく多くなってきている状況の中であるから、なおさらさっきの工場の中間管理職の人や郵便局の上司の人がすごく気持ちよく感じたわけです。いろいろ苦しいことが多いだろうそれぞれの職場で、健全にがんばっているサラリーマンがちゃんとおる。みなさん、それぞれの職場で成果が上がることを期待しています。もちろん、私も自分の職場で「サービスを提供する者」として、きちんとユーザーに向いてがんばります。

 ちなみに、焼き肉屋ですぐ横の席にいたOLらしき女性4人のグループは、大声で同僚や先輩の悪口を言い合っておりました(笑)。もちろん、「お客様」の話なんか一切なしで。
2007年11月10日(土)

 こないだ峰山に行ったら、スズメバチに刺されたまさにその地点に差しかかった時、細い山道の上の低空をデカイスズメバチが2匹、ブンブンとホバリングしているのが見えた。あそこ、巣があるんか! 刺された時は一瞬しか見てなかったのだが、今日は5〜6m手前から凝視したところ、明らかにこないだより大きくなっている。こないだはドングリを蹴ったみたいな感触だったが、今日のはまるでキウイが飛んでるみたいな大きさだ。すんません、誇大表現です(笑)。

 狭い山道なので、通り抜けるにはどないしてもやつらをまたいで行かないかん。2分ぐらい躊躇した結果、私は戦わずして敗北を認め、引き返しました。あの道を上っている人のために、場所を言うときます。市民病院を越えて老人ホームから右に入って登山道を登り始めて、頂上まで3分の1あたり行ったところに、約20mぐらいの「尾根の左(東)側を通る道」がありますね(ま、ほとんどの人はわからんけど)。東側がすぐ崖の狭い山道。あそこの真ん中あたりです。東側は崖、西側は急斜面で迂回のしようがない道。突っ切っていったらたぶん、かなりの確率でやられます。こないだ四国新聞のコラムで山登りをする方が「蛇やハチを理由に野山歩きを止める年輩者がいかに多いことか」「蛇もハチも一生懸命生きている」と書いているのを見たが、人間も生きたいわ(笑)。あそこは今、絶対通らん方がええと思います。

 さてと、1カ月ぐらい前だったか、RSKの石原Dから電話がかかってきて、高松一高の同窓会総会みたいなのにゲストで出てうどんのトークショーみたいなのをやってくれと言われたのである。石原Dと私と、あとH谷川君も入れて3人で対談をするというので、絶対場違いな出席だとわかっていながら今日、行ってきました。会場は丸テーブルがたくさん並んでいて、OBの方々が100人近く来られていた。時間が来て呼び出されて、とりあえず3人で行き当たりばったりのヨタ話を40分ぐらいして、歓談タイムに入ったら、市会議員の香川洋二さんや岡下勝彦君や、タダノの会長さんや琴電の真鍋社長が来て名刺交換。しかし何と言っても私とH谷川君だけ一高OBでないので実に居心地が悪い(笑)。しかもプレゼントの抽選会のくじ引き係までやってくれと言われて、もう安もんの芸人やがな(笑)。

 結局3時間ぐらい、それでも周りの人と歓談しながら何とか過ごしていよいよエンディングでホッとしていたら、最後に全員起立して校歌の合唱が待っていた。私とH谷川君も起立して盛大に校歌を…歌えんがな(笑)。けどもうこうなったら勢いで、最後に全員で拳を突き上げて、私もH谷川君も拳を突き上げて「高松一高、ガンバロー! オーッ!」(笑)。

 ちなみに校歌で思い出したが、昔、私の母校の観音寺一高の文化祭の「クラス対抗歌合戦」で、徳島の池田高校の校歌を歌って先生に怒られたクラスがいたらしいことを報告しておきます。
2007年11月7日(水)

 昨日は授業と会議を終えて家に帰ったら午後6時半を過ぎていて、7時からFM香川の録音があるので着替えもせずに家を出て、途中で「あ、インタレストを持って行ってあげないかん」と思ってあわてて引き返して、本を持って出て7時ちょっと過ぎに息を切らせてFM香川に到着したら、録音日は翌日だった、という大惨事がありまして(笑)。録音日間違ったの、今年2回目じゃ。「隔週火曜」が定番の録音日なのに、今週はごんがマンションの理事会があるということで水曜日に変更になってた。冷静に分析すると、ごんのせいやな。

 という事件があった翌日の今日である。授業を終えて昼休み、インタレスト学生イナゴレディースのステファニーロットマン(ピザの注文が得意)が「おなかすいたー」と言うので「しょうがないのー、どっか行くか」と言ったら、ステが「わー! 田尾さんと昼ごはんやー!」言うて仲間を集め始めた。しかも、今日は授業がなくて家におる今田にまで電話しよるでないか!

ステ「どこ行くんですかー?」
田尾「そやのー、こないだは谷川行ったけんのー。何人おるんや?」
ステ「たぶん6人か7人行きますよ」
田尾「ほな、山内行くか」
ステ「わー! 山内ー!」

 と言ったところで、ふと不安がよぎった。山内、今日開いとんか? 宮武、山内、あたりや、松岡の「宮武ファミリー」は、水、木、金と一軒ずつ定休日がずれている(松岡は確か無休)ことは知っている。あたりやは金曜定休だ。ということは、山内は水、木のどちらかが休みだ。一瞬H谷川君に電話しようと思ったが、団長たる者、いつまでも定休日を手下に聞くわけにはいかないということで、必死で思い出す私。まてよ、確か以前、木曜日に香の香に行って定休日で、続けてもう一軒行ったらまた定休日やったことがある。香の香の次に行く店は、位置からして絶対山内ではない。どう考えても宮武だ。ということは、宮武は木曜休み! よし! 今日(水)は山内休みじゃ!

 完璧な推理でやまうちの定休日を看破した私は、直ちに学生に行き先変更を告げた。

田尾「山内は今日休みや。行き先をはまんどに変えるぞ。はまんどはこないだ新装オープンしたばっかりやからな」
ステ「あのー、今田さんに電話したら、山内は家から近いから現地集合するって言ってましたよ」
田尾「そこからはまんどに向かえ言うとけ」

 今田に電話したステが言った。

ステ「田尾さん、今田さんもう山内に着いた言うてますよ」
田尾「休みやったやろが」
ステ「人が並んでるって言ってます」
田尾「何でや。臨時休業いうのは聞いたことあるけど、臨時開店したんか? いかん、もうはまんどの口になってるからはまんどに行く言え」
ステ「了解です」

 で、結局私はステファニーロットマン(だからロットマンって何や!)と宮田モエを乗せてはまんどに行ったのである。そしたらはまんど、定休日! 肩をガックリとカカトまで落として、我々ははまんどを後にして車を引き返しかけた…その時、向こうから来た車がすれ違いざまにクラクションを鳴らして止まった。見ると、はまんどの大将と奥さんやがな! 私はもう、ネタの神が降りて来とります(笑)。

田尾「今日、休みだったんな」
大将「はいー。今からメシ食いに行くとこですわ」
田尾「一緒に行きます(笑)」

 えー、大将らとはなや食堂に行ってきました。ちなみに夜、FM香川でこの話をしたら、

H谷川「団長、前に木曜日に定休日2連発やったやつね、最初はまんどに行って定休日で、次に香の香に行って定休日だったんですよ」
団長「あーっ! 思い出した! そうやったんや。あの時、宮武も山内も行ってないんや」
H谷川「ちなみにはまんどはあの時、水木が定休日でしたけど、ニューはまんどは水曜日だけが休みですからね」
団長「ピンポイントで定休日に突っ込んだんか!」

 みなさん、水曜ははまんどと宮武が休みです。木曜は香の香とやまうちが休みです。ついでに、月曜は谷川米穀店と白川が休みで、火曜はなかむらが休みです。というか、ええかげんに覚えないかんの俺だけ?
2007年11月6日(火)

 うー、昨日の晩、家内と一鶴に行って熱々の「ひな」を食ったら上の歯茎の裏をヤケドして、今日一日、熱いもん食ったらめちゃめちゃ痛い。昼は清水屋で「熱いかけ、ダシぬる目」でクリアしたが、晩に家でみそ汁が出て、みそ汁がヤケド跡に当たらんように恐る恐る飲んでクリアした…と思った瞬間、具の熱いトウフで飛び上がった。何やってんだか(笑)。

 さて、今日は朝から「仕掛け人」続々登場(笑)である。昨日の日記で怪しい「讃岐うどんブームの仕掛け人」のことを書いたら、団員S原からさっそく調べをつけてメールが来た。続いて佐伯からもさらに詳しく調べをつけてメールが来た。さらに別Pくんからも情報を頂いて、すっかりわかったぞ「仕掛け人」(笑)。

 リンク先からサイトを拝見したら、どうもその仕掛け人とやらは、自称「讃岐うどんの店を全国のマスコミに紹介してブームを仕掛けた」方(会社)だそうである。どう仕掛けたかというと、この会社が讃岐うどん情報のプレスリリースと一緒に「地元タウン誌」を配ったら、複数の全国メディアが一斉に『恐るべき讃岐うどん!なんと100円で、この旨さ!』と報道してブームが起こったらしい。さらに「このタイトルが地元タウン誌の連載タイトルだったことは言うまでもない」とある。

 うーむ、私らの本の連載タイトルを間違ってるぞ(笑)。というか、時系列がちょっと怪しいぞ(笑)。前段を読むと、この仕掛けをした時期はバブル崩壊直後のようで、どうもこの讃岐うどんのPRをこの会社に依頼したのは「香川県」らしいのだが、県はそんな時期にはこの手の讃岐うどんのPRには全然動いてなかったはずだし、というか県に関わる権威の方々は私らの動きを批判していた時期(笑)だし、さらにその頃は『恐るべきさぬきうどん』がまだ出てないはずだから『恐るべき讃岐うどん』というコピーが全国で報道されるはずがないし…。すんません、その会社の方、何かを仕掛けたのかもしれませんが、ちょっと時系列を整理し直した方がいいみたいですよ(笑)。

 ま、表現をぼかすが、そういう類のことのようだ。ちなみに佐伯曰く、

最初、田尾さんが『恐るべきさぬきうどん』をタイトルにするのをなぜか躊躇してたんで、「いいじゃないですか! これでいきましょうよ!」と言ったのを思い出しました。ということは、僕は『恐るべき…』の仕掛け人です(笑)。

って。そうなんよ。あのタイトルを思いついた時、周りの何人かの人に感触を確かめたら「グルメの本に“恐”はいかんやろ」とかいう意見がいっぱい出てきて、けど自分ではグルメ本だと思ってなかったので「ええんちゃうかなあ…」と思いながらも躊躇してたのである。で、当時たぶん二代目編集長になったばかりの佐伯に聞いたら「いきましょう」と言ったので、いった。何で佐伯の意見を採用したのかというと、長くなるけどええか?(誰に聞っきょんや)

 『恐るべき…』を出した時に私は37歳だったのだが、26歳からタウン情報誌をやってきて、35歳くらいの頃には何となく「若者文化の今」と微妙なズレを感じ始めていたのである。「笑いの文化人講座」もちょっと“説教系”の傾向が出てきてたし(笑)。で、これは早々に「若者文化の今」をターゲットとしたプロモーションは佐伯らの感覚に任せないかんなあ…ということをかなり考えていて、確か36歳にして、当時30歳くらいだった佐伯を二代目編集長に任命したのである。そんな時期の『恐るべきさぬきうどん』である。

 実はタイトルについて意見を求めた「周りの人」というのは、みんな私と同世代か私より上の人である。何でその世代の人の意見を聞いたかというと、何しろ『恐るべき…』は文字ばっかりの読み物で、内容は文化人講座テイストのお笑い満載なのだが、やっぱり若い層は文字にはついて来んかなあ…とか思っていたからだ。けどしかし、文化人講座は文字ばっかりだけど若い層がついて来てるというのもあって、一体どの層の読者がついてくるのかわからんという感覚的なモヤモヤがあって躊躇していたところへ、佐伯が「いける」言うたもんだから、私は「微妙なズレ」があるかもしれん世代の感覚を捨てて、佐伯の世代の感覚に乗ったのである。あー、後付けの分析はかっこよく書けるなあ(笑)。たぶん正確には「乗ったのである」ではなくて「そんな感じだったかなあ」です。そういうわけで佐伯、「仕掛け人」に認定してやる(笑)。あ、S原も別Pくんも仕掛け人ね。何か仕掛け人、乱発したら安もんになってくるなあ(笑)。というか、俺、仕掛け人の認定者でないし。
2007年11月5日(月)

 こないだ麺聖森村から電話がかかってきて、こんなことを尋ねてきたのである。

麺聖「何か大阪の方で、“讃岐うどんブームを仕掛けたのはうちです”とか言ってる会社があるらしいんですけど、田尾さん知りません?」
田尾「そんな会社があるんか(笑)。知らんなあ」
麺聖「じゃ、いいんですけど。何かテレビでそんなのをチラッと見たんですけど、見た時には番組が終わりかけてたんで詳しくはわからないんですけど」
田尾「ブームになったらいろんなのが出てくるなあ(笑)」

 みたいな話をしてしばらく経った先週の木曜日、東京のNHKラジオの方から「讃岐うどんブームの話をしてくれないか」という電話があって、しばらくやり取りをしていたら先方がこんなことを言ったのである。

先方「大阪の方に讃岐うどんブームを仕掛けた会社があるそうなんですが、ご存じですか?」
田尾「え?」
先方「先日テレビで紹介されていたんですけど」

 いやー、そうだったんですか。讃岐うどんブームは大阪の方が仕掛けてくれたおかげだったんですかー(笑)。すんません、ほんま、ありがとうございます…てゆーか、誰ですか? 何かTBSで放送されたらしいんですけど、石原D、テープない?(笑)いやまあ、私は自分から「讃岐うどんブームの仕掛け人です」などと言って回ったことは一度もないし、讃岐うどんがおもしろくあり続けてくれたらそれで十分なんで、別に誰が仕掛けたことになってもええんですけど。

 ちょっと最初の頃の記憶を書いときますか。私が今で言う「製麺所型」の讃岐うどんの店のおもしろさを知って「ゲリラうどん通ごっこ」の連載を始めたのは、1988年11月25日発行の12月号からである。私は1989年からだとばかり思っていたのだが、実はギリギリ1988年の暮れだった。ま、連載第1回は団員Dが書いて私に「狙っているテイストと違う!」とダメ出しをくらって次号から私が書き始めたので、1989年でもええか。しかし、たぶんほぼ同じ頃に同じように讃岐うどんの店の多様さに気がついて動き始めていたのではないかと思われる人が、私の知る限り、あと2人いたのである。一人は当時西日本放送のディレクターをしていた上原冨士夫さん。もう一人は何を隠そう、何も隠さないが麺聖森村だ。

 何でその2人が「同じ頃に動き始めてた」と思うかというと、2人ともその後、讃岐うどんの多様な店を紹介する本(冊子)を出したからである。森村はまず1990年10月1日付けで、うどん店にコメントと評価点をつけたあの衝撃の『うどんグルメの旅』を発行。さらに掲載店を増やしながら立て続けに1991年1月1日付で改訂版、同年4月1日付で三訂版を発行した。続いて、1991年6月30日付で上原さんが42軒のさぬきうどん店と13軒の県外のうどん店をエッセイ風に紹介した『さぬきうどん・うまい店めぐり』を発行した。ゲリラうどん通ごっこを加筆再編集した『恐るべきさぬきうどん』の発行はそのあと、1993年4月10日である。時系列で並べてみると、

1988年11月25日 「ゲリラうどん通ごっこ」連載開始(田尾)
1990年10月1日 『うどんグルメの旅』発行(森村)
1991年1月1日 『うどんグルメの旅・改訂版』発行(森村)
1991年4月1日 『うどんグルメの旅・三訂版』発行(森村)
1991年6月30日 『さぬきうどん・うまい店めぐり』発行(上原)
1993年4月10日 『恐るべきさぬきうどん』発行(田尾)

 という並びだ。で、森村と上原さんは出版のプロではないので発行までに時間がかかるだろうことを想定して、たぶんみんなよく似た頃に、ま、多少は視点が違っていたと思うが同じように「讃岐うどんの店群」をターゲットに動いていたに違いないと私は思っているのである。それがたまたまこっちは出版が本業だったので、連載する媒体や単行本を発行する資金を持っていたことと、仕事柄「見せ方」がちょっと読者のツボを突いたのか当たって、怪しいうどん屋に人が動き始めたのだと、そういう認識をしている。ちなみにゲリ通連載開始当時、私は上原さんとは知り合いだったが、上原さんがそんな動きをしているとはちっとも知らなかった。森村とはまだ出会ってもいない。おそらく3人とも全く独自に別々に動いていたのである。

 それ以降のことは、多くの人の知るところである。いろんな人やいろんな媒体が一緒に讃岐うどんをおもしろがってくれて、こんなになっちゃったのである。だから、今の讃岐うどんブームはきっと、その場面場面で「仕掛け人」がたくさんいるのである。全国の雑誌もそうだしテレビ局もそうだし、うどんの本を出版したいろんな人も、ネットの中の発信者の方々も、全国に店舗展開を始めたうどん店の人も、みんな仕掛け人である。大阪の誰やらも、たぶんどこかの局面で何かを仕掛けたんでしょう。ただ、「きっかけは?」と問われると、私は僭越ながら私も含めて森村と上原さんの3人ではないかと答えておく。

 いずれにしろ、讃岐うどんブームは一人だけの手柄でここまで来たのでないことは確かだし。繰り返すけど、私は今後も讃岐うどんがおもしろくあり続けてくれたらそれで十分。そのために引き続き、できることをボチボチとやっていきますから。
2007年11月1日(木)

 授業前、教室のAVラックの鍵をもらいに教学課に行ったら吉田チンペイ(仮名)が言うのである。

チン「田尾先生、日記が止まってますよ」
書くヒマもないけどネタもないんじゃ。チタンの話、書いとこか?」

 先月、チンペイは頭が悪くなって(病気で・笑)手術をしたらしいのである。手術は無事成功して、今、チンペイの頭にはチタンが入っているらしい。で、先日のチンペイと奥さんの会話。あるスポーツ用品店に行って、肩こり防止のチタン製のネックレスを見つけたチンペイが「これ、かっこええな。買って」と言ったら、奥さんに言われたそうだ。

奥「あんたは頭にチタンが入っとんのにまだチタンがいるんか?」

 チンペイから「嫁に言い返すことができませんでした。田尾先生ならどのように切り返すかご指導ください」と質問が来たが、そら奥さんの一本勝ちじゃ。

 しばらく休んでたので情報を2つ。閉店情報。高松市錦町の久保田が閉店しました。下町のうどん屋がまた1軒、姿を消しました。続いて開店情報。11月2日に「はまんど」が新装オープンします。今のプレハブの店の裏に建設中だった「目的は何だ」みたいな外観(笑)の店です。けど味はきっと今まで通り、めちゃめちゃうまいはずです。私の大好きだった久保田の腰の弱いうどんと甘めのちらし寿司はなくなったけど、私の好きな県内のラーメン3つ、はまんどと鯉丹後と木蘭(むーらん)は健在。こないだ久しぶりに木蘭行ってきた。目の前でバンバンと手打ちで延ばしていく、ばらつきがあって口の中でおもしろい麺。野菜ラーメンのスープの一口目は、恍惚じゃ。

 あ、それと昨日、インタレスト第4号ができあがりました。たぶん、今までで一番おもしろいような気がする。第一特集は、写真を見せないとおもしろさが伝わらんので説明できん。ご入り用の方は、冊子無料、郵送料着払いでお送りしますので、前にも書いたけどハガキか何かに住所、氏名、年齢(詐称可)を書いて、

765-8505 香川県善通寺市文京町3-2-1 四国学院大学社会学部カルチュラル・マネジメント学科 インタレスト編集部

までお送りください。めんどくさい人は直接大学に取りに来るか、たぶんそのうち清水屋、白川、はまんど、丸亀町壱番街の紀伊國屋書店の前のラック等に置きますので取りに行ってください。チンペイ、今日はとりあえずこれくらいで勘弁してくれ。忙しいんじゃ。
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