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2007年12月の日記
2007年12月25日(火)

 ふー、今年最後の怒濤の仕事ラッシュが一段落ついた。年末まで、あと27日から始まる小さな山が一つだ。今日は「KSBスーパーJチャンネル」が年末特番で「2007年香川岡山の重大ニュース」をやるからコメンテイターで来てくれということで、夕方3時半頃に仕事ラッシュを片づけて行ってきた。

 テレビのニュースのコメントは苦手なんよなあ。私はリハーサルもないから、本番中にモニターに映るニュースを見ながら言うことを急いで頭の中で考えてしゃべらないといけないし、しかもわずかな時間に短く言い切らないといけない。しかしそれより何より、私はニュースを情緒的でなくてシンプルな原理原則から見るタチなので、テレビのニュース報道が「報道」なのにほとんど野次馬ワイドショーに見えてしまうから、考えていることをヘタにストレートにしゃべるとキャスターを混乱させてしまうと思ってコメントしづらいのである。

 例えば、重大ニュースで倉敷チボリ公園の存続問題が上がった時、映像で県知事が「県としてはこれ以上支援できない」みたいなことを言って、続いて倉敷市長が「倉敷市も受け入れられない」と言って、そのあとチボリの社長の「県と市が醜い争いをしているから現場は混乱する」みたいなコメントが流れた。こういう並びでコメントを紹介されると、普通誰でも「県と市が悪い」と思うでしょ? けど、シンプルに考えたらチボリは第三セクターとはいえ株式会社なんだから、普通に原理原則で考えたら株式会社の赤字の責任は基本的に社長にあるわけで、県と市は「株主」だから原則的に株式会社に対する経営責任はないわけで、「社長が株主に責任を押しつける」ということが私にはにわかに理解できなかった。株主が経営責任を負うみたいな密約があったのかとさえ思った。密約がないのなら、株式会社の原理原則を無視した情緒的な話に終始しているように見える。単に「県が関わっているのだから県に責任がある」というのは、やっぱり情緒的な話だと思う。

 ちなみに倉敷チボリ公園は開業以来一度も黒字を出したことがなくて、10年間で累積140億円くらいの赤字になるらしい。その間に県からの財政支援(税金投入)は300億円を超えるそうで、普通、会社ならとっくに「閉園」の判断をして、この事業を決めた人と社長はとっくに辞めさせられているんじゃないですか? 普通に考えたら、こんな状態の会社に県や市が税金投入を打ち切るのは当たり前のことだと思います。確か夕張も過大な投資と赤字続きのテーマパークみたいなのを早く「損切り」せずに税金を投入し続けて破綻したんじゃなかったっけ。ま、破綻した方が身の丈の財政改革には早いかもしれませんけど。いずれにしてもこんなことは短いコメントでは無理だし、短くまとめられても番組の進行上あまりよろしくないみたいなので(笑)言いませんでしたけど。

 重大ニュースの1位は坂出の殺人事件でしたが、これも振られてコメントに困った。私がいつも思っているのは、「マスコミの事件報道は私ら関係のない第三者が知らなくてもいいことばかり流している」ということです。加害者や被害者の背景をほじくり出して知らされても、あるいは「動機の解明が待たれます」などと言われても、冷静に考えると「それを私らが知って何になる」みたいなところが私にはある。思い起こしてみても、去年や一昨年や3年前や5年前のいろんな事件の時にマスコミがほじくり出して報道していた内容は、今の私には何のためにもなってないような気がする。たぶん「当事者の報道被害」と「第三者の井戸端会議のネタ」になっただけです。ま、百歩譲って「気をつけないかんなあ」というメッセージにはなったかもしれんけど、それなら結果だけ知らせてくれれば十分なわけで。

 そんな観点なので、私はああいう類の事件のニュースはほとんど見ない。報道の姿勢がイヤだし、被害者が気の毒だから日常でもほとんど話題にしないんです。とりあえず番組では「悲しい事件ですけど、マスコミが私らの知らなくてもいいことを流しすぎますね」とだけ言いました。2007年、暗いニュースが多かったと言われるけど、私は暗いニュースが多かったのではなく、マスコミが「暗いニュースを多く流した」ということだと思っています。ま、ちょっと多かったかもしれんけど、ほとんどの人にとって、マスコミに流れないことは「なかった」ことと同じですから。
2007年12月19日(水)

 私は忘年会があまり好きでなくて、ここ10年くらい思い起こしてみても忘年会はせいぜい年に1回、忘年会なしで年を越した時も数回あるというのに、今年は珍しく2回も予定がある。そのうちの1回がこないだの土曜日。風邪を引いているというのに団員Dが車で迎えに来たので、「風邪うつるぞ」と言いながら行ってきた。何でもタウン情報時代の元社員たちが20人ぐらい集まるのでぜひ来てくれということで、行って久しぶりに顔を合わせたらみんなそれなりに表面上は(笑)元気に第二か第三の人生を歩んでいて、ちょっと安心した。懐かしい顔もたくさんいたが、みんな年は食ったけどキャラは全然変わってない。超天然山下(女)も健在だ。山下は私が社長時代に入社してきて、営業に配属されたために私と違うフロアで仕事をしていたのだが、入社1カ月も経った頃、「仕事はわかってきたか?」と声を掛けたら、

山下「はい、社長さんにいろいろ教えてもらってますから」
田尾「誰が社長や!」

 という伝説のエピソードを持つやつだ。あと、松村の腹筋攣るぐらい笑うシモ…でなくて新ネタも入手したが、とても文字にできる内容でないのでラジオで紹介することにしよう。昨日Dから「田尾さんの風邪がうつってワヤです」という電話があった。おかげで私は風邪が全快。いやー、忘年会に行ってよかったよかった。

 さて、今日はどうしても報告しておかなければならないことが一つ。昼、清水屋に行っていつも「かけ」なのに何かちょっと違う気分だったので初めて「温玉肉ぶっかけ」を食べたら、むちゃくちゃうまい! しかも、麺が何か違う。

田尾「麺のテイスト、変えた?」
清水「ドキ…」

 えー、清水屋が今、創業以来最高に私好みの麺を出しとります(笑)。報告以上。

 今日は授業3つと会議2つと、締め切りの原稿を一本仕上げました。ここ数日、ノドの調子が悪いけど仕事の調子はええ。うちの学科に非常に無口で人と話すのが苦手そうな学生(彼が学内で友達と話しているのを一度も見たことがない)がいるのだが、授業の中で意外と文章が書けてデータを表にまとめたりするのができそうなことがわかって、こないだから簡単な仕事をさせていたら、最近ちょっと話をするようになってきた。

田尾「お前はな、文章書けるし、文字も今どきの学生に珍しい大人の字を書くんや。こないだ作ってきた表も、配置も余白のバランスも完璧や。あとはの、しゃべれ。人としゃべれるようになったら、世界が開けるぞ」
学生「はい」

 今日はゼミの一つのプロジェクトのとりまとめ係をやらせた。終わって研究室に帰って、用事でキャンパスを歩いて本部棟に向かっていたら、彼がもう一人の学生と談笑をしていた! しかも、私が通りかかったら声を掛けてきた! 

 昨日は学科事務室で助手の柘野が言った。

柘野「私、田尾先生に頼まれたコピーとか持って行ったらいつも何か足りないところを指摘されてたんで、田尾先生にオッケー言ってもらうのを目標にしてたんですけど、この間からコピーとか持って行ったら田尾先生がオッケー出して“ありがとう”って言ってくれるようになった。ちょっとうれしい」

 横で聞いてた木戸が、

木戸「何かいい話聞いた(笑)」
田尾「柘野はな、以前俺が“コピー一つから、相手が望んでることのちょっと上を返すようにせえ”言うてから、すごい向上心を持って仕事しよんや」

 そんなことが続いて、ここ数日こっちもちょっと、忙しいけど調子がええわけです。さて、そろそろもう一段レベルを上げていくぞ。
2007年12月16日(日)

 金曜日にチンペイから

チン「しゃっくりを治す方法がもう一つありました」
田尾「何や、もう治ったぞ」
チン「じゃ、今度なったらやってください。絶対治りますから」
田尾「わかった、何や」
チン「あのね、腹筋がねじ切れるぐらい腹筋するんです」
田尾「できるか!」

 という情報が入ったが、しゃっくり情報はもうええぞ(笑)。

 土曜日、FAXのメーカーに電話をした。自宅のFAXが数カ月前から調子が悪くて、騙し騙し使ってたのが最近は連続でFAXが来たりコピーしたりしたら4枚目くらいからだんだん黒くなり始めて、10枚目あたりには「黒い紙入れとんか!」みたいな状態になるので電話したのである。そしたら、お客様サービス係か苦情係か知らんけど若い兄ちゃんが電話に出た。ていねいに応対をしてくれたのだが、その丁寧な応対の声や言葉から「お客様を怒らせてはいけない」みたいなマニュアルに沿った無機質な緊張感がわずかに窺えたので、私は必要以上に「ええ客」であることをお伝えしようと「楽しい会話」を心がけたら、緊張の解けたらしい兄ちゃんがこっちの小ボケに笑ってくれるまでになりました(笑)。

 私は長い間取材や営業をやって来たこともあって、さらにクレームや言いがかりみたいなの(暴力団もエセ右翼もエセ同和も)にも何度も何度も応対してきたこともあって、この兄ちゃんの気持ちが痛いほどわかる。だから1秒でも早く安心させてあげたいと思ってしまうわけです。サービスを提供する側でお客さんから嫌な目に遭わされた人が逆に客側になった時、「今までやられてきたから、今度はこっちがやってやる」となるタイプと、「今まだやられて嫌だったから、自分は相手に嫌な思いをさせないようにしよう」となるタイプがいる。私は後者です。体育会系サークルで、下級生の時に先輩に理不尽なシゴキでえらい目に遭わされたやつが上級生になった時、下級生にやり返すやつと、あんな思いはさせないようにしようと思うやつがいる。私は後者。

 クライアントには下手に出るのに外注業者には高飛車に出るビジネスマンがたくさんいるが、私は外注業者につらく当たったことはない。客商売ではしょっちゅう「相手(お客様)の立場に立って考えろ」と言うのに、相手が外注業者になった途端に「相手(外注業者)のこと」をまるで考えなくなるのでは、言うてることとやってることが違うやないの、と思うからである。

 昔、広告の営業に行ってた時に、名乗った途端に「いらん。帰れ」みたいに追い払われるお客さんと、一応話を聞いてくれてなごやかに断られるお客さんがいた。結果は同じやけど、前者は嫌な思いが残る。後者はいい思いが残る。同じ断るんなら、お互い和やかな方がええやないか、と思うわけで。阿久悠が言ってた「最近の日本人はみんなが不機嫌になってきてるんじゃないですか?」という言葉をまた思い出した。結果が同じなら和やかで楽しい方がいいじゃないですか。私はさらに、結果が同じではなくて、人から「甘い」と言われても「自分がちょっと損をしても、和やかで楽しい方がいい」という生き方をしたいと思っています。しかし仕事は絶対“なあなあ”では流さない。「和やかに厳しく仕事をする」という、一見相反するようなことは絶対できると信じているわけで。最近CMで「先生のこと、嫌いでした。だから僕も嫌われる教師になろうと思います」みたいなのがありますが、あれ、嫌いです(笑)。
2007年12月13日(木)

 今朝の四国新聞によると、上村さん(劇団銀河鉄道主宰で私の大学の同僚)が一晩で風邪を治したらしい。ま、四国新聞がそんなことを記事にするわけなくて、上村さんが連載コラムの中で書いてたんだけど。私はもう1週間以上風邪気味で、今日はノドの奥がヒリヒリして全然ダメ。さらに日曜日の晩から火曜日の朝まで、ええ年して猛烈な「しゃっくり」に襲われた。

 今まで私はしゃっくりが出始めたら思いっきり息を吸って、ものすごく息を吸って、もうこれ以上1ccも吸えん! いうところで息を止めて………死ぬ直前まで息を止めたらしゃっくりが止まってたのだが、こんかいはそれでも止まらん。福田社長に聞いたら「水を入れたコップの上に割り箸を十字に置いて、4カ所できた隙間から水を飲んだら治る」言われてやったけど治らん。「コップの手前でなくて向こう側から水を飲んだら治る」いうのも聞いたのでやってみたら、一回止まったのだがまたすぐに出始めて、ほんま、月曜日の夜はもう死ぬかと思いました。

 火曜日の朝、しゃっくりが止まってたのでホッとして学校に行って、教学課に教室のAVラックのカギを取りに行ってたらまた出始めた。チタンヘッドのチンペイが出てきたので、

田尾「2日前からしゃっくりが出始めて全然いかんがー」
チン「しゃっくりですか。それ、思いっきり息を吐くんですよ」
田尾「息吸うんちゃうんか」
チン「いや、息を吐いてですね、もうこれ以上吐けん! いうとこまで吐いて、それからもうこれ以上吸えん! いうとこまで吸って…いうのをやってたら止まりますよ」
田尾「ほんまかー?」

 と言いながら、もうワラより信用できんチンペイにもすがる思いでやってみたら、止まった。それ以来出てない。いかんいかん、チンペイが命の恩人になってしもたが(笑)。

 さて、今日は12時40分に2コマ目の授業を終えて、次の用事までに2時間くらい空いたので、昼飯にちょっと遠征ができることになった。風邪でノドがヒリヒリするので、ここはうまい熱いうどんしかない。しかもめったにない「遠征」のチャンスであるから(こないだごんとやまうちに遠征したばかりやけど)、残念ながら今日は清水屋も白川も宮川も岸井もなかむらもはなや食堂も香の香も宮武も、ラーメン屋やけどはまんども、「近すぎて圏外」だ。とすると、ここは「上戸」やろ! 上戸の定休日は…日曜やがな。言うとくけどここ1カ月で、うどん屋の定休日情報にはめっぽう強くなってるからな(笑)。と思ったが、今日は時間が微妙だった。今から行ったら着くのは2時頃。玉切れ警報の時間帯だ。あそこまで行って玉切れだったら、今日は立ち直れない。さてどうしよう……おお! 柳川じゃ! 柳川は夕方までやっとる!

 私は喜々としてかけうどんのお気に入り、観音寺の柳川に車を飛ばした。もうすっかり「柳川の口」になって、舞い上がって善通寺インターから豊中インターまで高速にまで乗って、それから下の道を走って、母校の観音寺一高の前を通って細い路地に入って旧パロットの前を通って岩田屋の前を通って、裁判所の角を曲がって柳川の駐車場に車を止めて、歩いて路地を曲がって柳川に近づいたら、店から女の人と男の人が並んで出てきた。そしたら、その女の人が声を掛けてきたのである。

女性「あ、田尾さん」
田尾「あ、こんちわ」
女性「今日、定休日や」
田尾「えーっ! 定休日!」
女性「わざわざ来てくれたのにごめんなー」

 店の人が出てきたんや。

田尾「かまんかまん、また来るけん」

 と言って別れたものの、私の肩はガックシとカカトの下…。仕方なく車で善通寺方面に引き返して、はまんどに行ってきました。はまんどの定休日は水曜じゃ。柳川は、木曜日か…。
2007年12月10日(月)

 夕方会議を終えたらチンペイが寄ってきて心配そうに言うのである。

チン「昨日の日記読んだんですけど、田尾先生、何かあったんですか」
田尾「何でや」
チン「いや、いつになく何か、悟りに向かって行ってるみたいな感じだったんで」

 ふーむ、何か誤解されるような表現があったかな。「仕事を絞って集中しようと思っている」のところか? 夜中に書いたから大げさになったのだろうが、ま、そんな深刻な思いではなくて願望みたいなもんや。

 大ざっぱに事例を挙げて補足すると、例えば大学で教えてるいろんな授業科目について、最初の1〜2年はそれまでの自分の経験を体系づけながらやっていたのだが、去年あたりから各科目について、かなり本格的な調べものをしたり研究をして、経験から構築した今の講義プログラムをさらにグレードアップした新しい演習プログラムに仕上げたい、という願望がものすごく強くなってきてるわけ。あるいは新しい切り口のデータベースのプランがいくつも浮かんできて、そいつを作り上げたいという気持ちがものすごく出てきてるわけ。で、今、それらが全部一緒に頭の中を回っていて、どれも集中的に取りかかれないまま今日に至っているのが、何か最近ちょっと「焦り」に変わってきてるという…、ま、そういう話だったことにしといてくれ(笑)。

 さて今日は朝は宮川でうどん食ったのに、昼はごんとやまうちでうどんを食った。うどん新聞があったら「団長、うどんのダブルヘッダー」と見出しが付くところだ。やまうちの大将がその辺を元気に動いてました(笑)。聞くと、こないだやまうちでテレビのドラマの撮影があったらしい。それも、あの建物と店内と厨房をそのまま使いながら、看板をドラマ用の違う名前に付け替えて、店の入り口付近もいろんな物を置いて違う店風に装飾して、俳優さんがその店の大将と従業員に扮して撮影したらしい。やまうちのお客さんが見たら、店名は違うけどすぐに「やまうちや!」とわかるはずです。オンエア、たぶん来年やと思うけど楽しみやなあ(笑)。

 あと、書こうと思う真面目なネタがいくつかあるけど、夜中になったのでやめとこ。
2007年12月9日(日)

 金曜日の夜から風邪気味で、薬を飲んで寝たのに土曜の朝起きたらやっぱり調子が悪いので、土日に予定していた県内の取材を中止することにした。そこで、ぽっかりと2日空いた週末をこれ幸いにと、抱えていた企画ものの一つに集中してかかることにしたのである。他事を全て忘れて丸2日も一つのことにかかりきりになるという状態は、近年記憶にない。土曜日の朝はもう、月曜の朝まで途方もない時間が与えられたような気になって、それこそこの48時間で本が一冊書けるのではないかというくらいの気持ちになって、机の上をきれいさっぱり片づけ、心新たにパソコンを立ち上げていつも原稿を書いている「Jedit」の新規ファイルを開けて企画もののタイトルを打ち込み、それから肌寒いベランダに出て海を眺めながら、構想を練り始めたのである。そしたら…。

 その企画はもう1カ月以上前から抱えていて、しかしいろんな仕事の合間合間に断片的に考えてはいたのだがどうにももやもやしてまとまらなかったものであったが、構想を練り始めて10分も経たないうちに頭の中でパタパタと音を立てるようにまとまってきたやないの。よし、この企画を実現するには上原の力がいる。私は直ちに上原に連絡を取って、夜、企画の相談をすることにした。

 何か、一つのことに集中すると考えもすごく広がるし、まとまるし、行動も積極的になるという、考えてみれば当たり前のことを今日は改めて思い知らされた。まったく、あまりの長年にわたる「いつも複数の案件が頭の中を回っている」という状態の連続に、「一つのことに数日間集中する」という回路が錆び付いていたとしか言いようがない。この週末、反省するとともに考えさせられた。私は今、仕事やいろんな案件を自分のキャパシティいっぱいいっぱいに抱えすぎていて、苦しみながらも形の上ではそれなりにこなしてきてはいるが、いつも「こんなものではない。かかりっきりになれればもっといいものができるはずだ」という悔いみたいなのを引きずっている。以前書いたが、今までやって来た仕事について「それについて、ありとあらゆることをしてきたか」と自問すると、いつも「すんません、できてません」と自答するしかないのである。それをいつか解消するために、いずれ自分の残りの人生の目的を定めて、仕事や案件を「その目的を達成するのに有効な順」に優先順位をつけて、上位1つか2つ以外を全部捨てて集中しようと思っているのであるが、その「いずれ」をちょっと早めた方がいいかな…と思い始めた。

 実は私はテレビなんかで一つのことに打ち込んでいる人を見るたびに、何かうまく説明できない「焦り」みたいなのを感じていたのだが、その焦りの正体はたぶんこれだ。1年か2年か、あるいは5年か10年か、何か一つのことに打ち込んでみたいという気持ちがあるんだ、自分の中に。おー、「自分探しの旅」に出んでも何かが見つかったかもしれんぞ(笑)。

 あと、昨日テレビを見てたらイタリアのトレビの泉に投げ込まれた大量のコインを回収して、大きなテーブルの上に盛り上げて分別している人たちが紹介されていたが、ああいうの、ものすごくやりたい(笑)。単純な連続作業で何かが片づいていくという仕事、実は大好きなんです。海岸のゴミを拾ってきれいな砂浜にしていくとか、どこかの荒れた山を丸ごと一つ、一人で何年もかかって下草を刈って枝を落としてきれいな山に仕上げるとか。おー、夢は広がるぞ。あ、松本君の作業部屋の片づけも入れとかないかん(笑)。

 さ、アホなこと言うてんと、明日からまた複数の案件が回り始める怒濤の日々じゃ。
2007年12月3日(月)

 朝、大学に行く途中で飯山あたりに差しかかったら、確か「丸幸」の看板が張り付いていたはずのところに「うどん冨永」の看板が張り付いていた。ん? 丸幸が冨永に変わったんか? H谷川君、確認してきてくれ。というか、俺が行ったらええんやけど。

 ま、讃岐のうどん業界もいろいろ動きがあるみたいですが、新しく店を出したり移転したりする時はぜひしっかりとマーケットリサーチをして、ぜひ成功するように、私はいつも願っています。讃岐うどん巡りの観光客が来てくれるとそれはありがたいのですが、やっぱり地元の客が占める割合の方が断然大きいので、まずはそこをしっかりと。

 マーケットの話で思い出したけど、こないだからちょっと疑問に思っていることを一つ。倉敷のチボリ公園がずっと赤字でどうにもならなくなって、本家のチボリから立て直しのための再投資の要請が来たのを断ったら「チボリ」の名前が使えなくなるらしくて、続けるにも県も市もお金がないということで押し付け合いをして困っているというニュースが何度も流れている。そんな中で、「チボリ」の名前が使えないのは痛い、使えるように再交渉しよう、という話が出ているというニュースを聞いて疑問に思ったわけです。「チボリ」の名前で赤字が出続けているんだったら、何で「チボリ」の名前にこだわるんかなあ。そんなん、赤字を出し続けた名前に戻しても赤字ですよ。本気で再生するつもりなら、戦略のカギはたぶんそこ(名前)じゃないと思うんですが。

 「マーケティングの基本から戦略を立て直す」人がいないのかもしれない。都村さんならどうするんだろう。聞いてみようかな。一言でバッサリ切られそうな気もするけど(笑)。
2007年12月2日(日)

 団員D々が「山の中腹にあるんですけど、雨が降ったら後輪駆動の車ではたぶん上がれん」という怪しさ大爆発のうどん屋情報を持ってきたので、本日探検に行ったのである。ごんに電話したら退っ引きならない用事があるというので、団員S原とツル村…あれ? 「まつむら」で変換したのに「ツル村」になるが。誰が登録したんや。えーと、そういうわけでS原とツル村を捕獲してD々と私の4人で突撃。庵治の、セカチューのロケ地エリアに入る手前を山の方に曲がって、もっかい山の方に曲がって上がったら忽然と現れたのは、その名も「山」いううどん屋だ。アプローチの最終部はベアグラウンドの登り坂。なるほどー、雨が降ったら車輪が空回りする恐れがある。坂を登り切ったら、そこは山を切り開いたような広場風の敷地で、小さい手作り風の建物の外には海を見下ろす野外席もある。その横には手作り風のブランコ、こっち側には土手に的を置いて弓が撃てる場所がある。パラダイスか?(笑)。

D々「ここ、メニューにね、“釜あげざる”いうのがあるんですよ」
田尾「釜あげをざるにするんか! そんなんベチャベチャになるやんか!」

 ますます怪しさ大爆発で店に入ってメニューを見たら、D々が以前来た時にはあったらしい“釜あげざる”はメニューから消えていた。D々が店の人に尋ねる。

D々「釜あげざるってまだあります?」
店の人「あ、ありますよ」
田尾「うわ、ほんまにあるんや(笑)」

 私はもうええ年になっていつまでもチャレンジャーではないため、かけを注文。冒険心を失った松村もかけ。人世守りの局面に差しかかったS原もかけ。引けないD々は“釜あげざる”を注文したのだが、普通のざるが出てきた(笑)。とりあえずササッと食べて表に出て、ご主人らしき人のレクチャーを受けながら弓を撃ってきました。帰り際にD々が質問しました。

D々「釜あげざるってありましたよね」
主人「あったけど、もうやめた」
D々「何でやめたんですか?」
主人「何かあれはベチャッとするからな」

 えー、ちょっとパラダイスですあそこは(笑)。楽しい(笑)をよっけ入れておきます。

 それから高松市内に帰って、香西のイオンに行ってS原がえらい推してくるスープカレーを食って旭屋書店に行ったら、退っ引きならない用事をしていたごんに遭遇(笑)。さらにそこで働いていた二代目うどん王の福田君にまで遭遇。

ごん「さっき、清水屋の大将も来てましたよ。今日の旭屋、めちゃめちゃうどん密度が高い」
田尾「俺らはうどんか!」

 で、3時前に解散してそれから仕事して6時半から上村さんの銀河鉄道の公演に行って晩の10時前に帰って日付が変わるまで仕事をしてと。とりあえず、大物が一つ片づきました。S原に「それは片づいたと言わん!」と突っ込まれたが、何がどうなって片づいたかは口が耳まで裂けても言えん(笑)。
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