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2008年03月の日記
2008年3月31日(月)

 あんまり地図のことばかり書いていたら地図好きかと思われたらいかんのだが、続報。勝谷さんから「兵庫あたりの“Muro”は、あきらかに今の“室津”、当時の“室の津”です」という情報を頂いた。さらにペンネーム葦原瑞穂からはこんな情報が来た。

(1)Lequei grandeは「大琉球」だそうです。当時、ヨーロッパ人はインドから東南アジア、台湾を経て琉球入りするケースが多く、琉球=日本と思われていた節もあるとのこと。

(2)Minas de plataとIsla de Plataについて
「plata」はスペイン語で銀のこと。「Minas de plata」は銀鉱山で、石見銀山を指すらしいです。「Isla de Plata」は銀の島ですが、当時のヨーロッパでは「黄金の国ジパング」幻想が根強く、極東に金銀財宝の島があると信じられていたため、未踏の地である北海道がそれではないかと思われていたらしい。

(3)Muroは「室の津」(現在の兵庫県揖保郡室津)だと思います。播磨室明神社という歴史の古い神社があり、にぎわっていたようです。

(4)ちなみに「四国」という呼び名は「平家物語」にも出てきますので、遅くとも鎌倉時代には定着していたものと思われます。伊予・讃岐・阿波・土佐の国名は平安時代に成立しているので、もう少し早いかもしれません。

 以上、無断転載(笑)。しかしこんなところで石見銀山が出てくるのか! 「Minas」は鉱山の「マイン」か。すると『ロード・オブ・ザ・リング』のあの岩山の城「ミナスティリス」は、鉱山か? いかんいかん、この非常事態にこれ以上深入りはできん(笑)。ちなみにその1589年に描かれた地図の英語解説を読むと、「この地図はマゼランの情報をもとに描かれた」とありました。じゃ、今日の活動報告。

7:00 起床
8:30 家を出発。
9:00 大学に入る前に宮川に行って、朝から大と天ぷら2つ。黒っぽい三角の見慣れない天ぷらがあったので「これ何?」と聞くと、コンニャクに味付けをして衣付けて揚げたと言うので、ここはチャレンジせないかんやろ。うどんに載せて、うどんをすすりながらまずはちくわ天から食べてたら、ダシに浸かったコンニャク天の衣が剥がれてきて、結局「うどん大とちくわ天と味付けコンニャク」を食べた(笑)。ええ味付けしててうまかったです。

9:30 雑務をした後、今日が締め切りの四国新聞のコラム原稿に取りかかる。途中、学生の履修登録の相談が2件、来客1名。昼飯も食わずに仕事して、15:30に原稿アップ。

15:30 大学を出発。

16:20 松本君ちにインタレストのデザイン出力を取りに行く。松本君の仕事場が牟礼町に移ったため、えらい遠くなった。迷いながら到着して、仕事場に上げてもらう。
松本「すんません、遠いとこまで」
田尾「かまんかまん、来る回数減らすけん」
松本「そんな、さみしいじゃないですか(笑)」
田尾「しかも部屋こんなに片づいて。ちっともワクワクせんぞ」

 あーあ、しばらく「松本君の仕事場の片づけ」という大きな楽しみが失われることになってしまった。ま、たぶん「しばらく」やろけど(笑)。インタレスト、ついに追い込み最終週になってしまった。取材旅行前に全部上げる計画だったのが、結局まだ10ページも残すという非常事態。しかも明後日は入学式。授業まで迫ってくる。どうしよ。ま、頑張るしかないんやけど。
2008年3月28日(金)

 もう日が変わって29日の午前2時過ぎなのであるが、仕事の手を休めてふとメールをチェックすると、本名しか書いてないのではあるがペンネーム葦原瑞穂(笑)から、

<買って帰られた地図に書かれていた「Iapan ins」という表記について。おそらくラテン語系のスペイン・ポルトガル・イタリア諸国語だと思います。ちなみに発音をカタカナ表記すると「ヤポン」あるいは「ハポン」に近いかと。スコットランド古語のゲール語でも「Iapan」と表記するらしいですが、時代的に合わないような気がするので。四国を「Jon sa」と書いてあるのは「Tonsa(=土佐)」の誤記かと思われます。>

という早速の情報があった。食いついてきたな(笑)。おかげで例の本をまた見るハメになったやないかー。

 さてと、1589年に書かれた世界地図をよーく見ると、確かに「Tonsa」のようでもある。何せ小さい字がさらに少々かすれていて、断言はできない…と思ってふと気がついた。他の地図を見てみたらええんや。というわけで、こんな時間にあの224ページの本の「日本」が載っている地図だけを念入りに見ていった結果、以下のようなことになっていた。

 まず、1589年に描かれた世界地図の中の日本のところには、日本全体を指す位置に「Iapan ins,nuper ad Fi dem Christianam conversa」と書かれている。続いて地図上に書かれている地名で判別できるのは、

Lequei grande…「琉球」だと思われる。
y de fogo…琉球の北の島。
Tanaxima…さらに北の島。位置から「種子島」ではないかと思われる。
Tenora…種子島と九州の間の島。
Minate…同じく種子島と九州の間の島。
Tonsa…確かに「土佐」のようだ。
Minas de plata…本州は広島県あたりに書かれている。
Amangueba…岡山県あたりに書かれている。
Muro…兵庫県あたりに書かれている。
Meaco…位置から「都」すなわち「京都」のことではないか。
Isla de Plata…北海道と思われる島に大きく書かれている。「Isla」は「島」のことか? 「de plata」はさっきも出てきたけど。

という感じである。では、その他の地図から判別できる地名を拾ってみる。年号は地図が書かれた年で、上記の地名はどの地図にもだいたい入っているので、初出の地名だけを書くと、

(1606年)
Nagato…山口県の「長門」だと思われる。
(1626年)
Cavachi…大阪あたりに書かれている。「河内」か?
(1660年)
Cikoko…九州のところにこの表記が登場。「四国」ではないかと思うのだが。
Tokcefy…しかし四国の上にはこう書かれている。何じゃこれは?
Iedo…東京のあたりに。「江戸」だ、絶対。
(1662年)
Sando…位置から「佐渡」だと思われる。
(1675年)
Oqui…これも位置から明らかに「隠岐」だ。
Nangasaki…「長崎」がここに初登場。「ナンガサキ」だけど(笑)、「長崎」に間違いない。
(1830年)
NIPHON…ここから「日本」の表記がこういう風に変わる。
Nambu…東北の東海岸にこの表記が登場。「南部」ではないか。
(1851年)
JAPAN SEA…日本海は1851年にはすでに「日本海」だ。韓国に歴史的事実を突きつけるか?(笑)
Kiusiu…「九州」にこの表現が登場。
Sikoke…「四国」の上にこう書かれている。四国はこの頃からもう「四国」だったのか! 「シコケ」だけど(笑)。
Matsmai…北海道の南の半島にこの地名が。「松前」と思われる。
ESSO…北海道に大きくこの表示。「蝦夷」だろうか。
Kunashir、Iturup、Uroup、Marikan…地図に北海道からカムチャツカにつながる島が4つ登場。「クナシリ」「エトロフ」「ウルップ」の3つはわかるけど、あと一つがわからん。

 ざっとこんな感じである。とりあえずの感想は、

・京都は江戸末期までずっと「都」と呼ばれていたのか?
・ご当地で言えばこんなに早くから「四国」が知られていたのも驚くが、「土佐」はもっとすごいんだ。
・琉球、佐渡、隠岐と、島の方が本土内陸より早く知られているのは、ヨーロッパ人が舟でやってくるせいだろうが、ということは、佐渡や隠岐に1600年代のヨーロッパ(特にスペインやポルトガル)の痕跡が結構残ってたりしないのだろうか?

 などと書いていたら、いかんいかん、もう午前3時半が来る! こんなことやっとる場合でないんや!
2008年3月27日(木)

23:00 帰宅。6日間ほど、取材と資料収集で外国の某有名観光地に行っておりました。資料館とか書店巡りをしてたら、今回の取材テーマとは関係ないけど、1400年代後半の大航海時代にヨーロッパで描かれた世界地図やエリア地図から1800年代後半までに描かれた地図までが解説付きで100枚ぐらい載ったでかい本を見つけて、買ってきた。定価50ドルが、バーゲンで19ドルになってた。『ロード・オブ・ザ・リング』に出てきた地図みたいなのがいっぱい載ってます。周りを神々に囲まれた地図や、海に帆船がいっぱい描かれた地図や、かなり適当な日本が描かれた地図や。

 まだ全部をよく見てないのですが、とりあえず1482年に描かれた世界地図には、アメリカとオーストラリアがない(笑)。当然日本もない。ヨーロッパで描かれた地図らしいのでヨーロッパはそれなりに、イベリア半島らしきものやイタリアの「長靴」もわかる地図になってるけど、アフリカは南の方がうやむやにワーっと東に延びてアジアの東とつながって、インド洋が「内海」になってる。ちなみにこの地図の周りは、女神が10人、口から風を吹いています(笑)。

 日本が出てくるのは、1589年に描かれた世界地図。本州よりデカイ北海道らしき島(縦長の菱形になってる)があって、その下に分度器の右下に巨大な房総半島らしき出っ張りがついた本州があって、分度器の左下に割とリアルな九州があって、その間に意外とリアルな四国があるぞ。さらに九州らしき島から南に、ちゃんと沖縄あたりまで、諸島が描かれている。なるほどー、こっちから来たから南の地図がリアルなんやな…みたいな。ちなみにこの1589年の世界地図の日本のところには「Iapan ins」、四国のところには「Jon sa」と書かれている。何語? 沖縄のところに「Lequei」とあるのは「琉球」のこと? 暇な時に文字と合わせてじっくり見たら、かなりおもろいかも。しかしこの本、縦43センチ、横35センチ、厚さ3,2センチ、本文224ページ、重さ3.5キロ。持って帰るん大変なんじゃ! 

 本来の目的の取材結果は次々号のインタレストで。それより先に、とりあえず「次号」を早よ上げないかん。
2008年3月20日(木)

1:30 就寝。

7:30 起床。FM香川の『うどラヂ』は「いつもいつもおもろい番組はせんぞ」というのがモットーだが、私の日常もいつもいつも忙しいわけではない。今日は久しぶりに「仕事以外は何もない」という一日だ。ま、普通そうだけど(笑)、原稿以外何もないという意味で。よって、その辺にあったパンをかじりながら新聞を読んで、ソファに寝転がってディスカバリーチャンネルを見ていたら、二度寝してしまった。

9:30 再び起床。もっかい顔を洗って目を覚まして、インタレストに取りかかる。仕上げないかん特集はあと2本。そのうちの1本の、イナゴ三野と蓮井が苦労して集めたデータと、彼らが作った原稿と割付を前に、午前中ずーっと「見せ方」の修正に頭を悩ます。データ自体はそれほど目新しいものではないのだが、集めて一覧にすることで少し違ったメッセージが出てくる。けど、その程度ではインタレストの切り口としては甘いので、もうひとひねり、新しいメッセージを生み出そうと欲張ってたら、本文が1行も進まないまま数時間が経過した。いつもそんなの。もっとおもしろいメッセージは出ないかと欲張って1行も進まないまま1カ月とか、構想2年いうのもあったけど(笑)、結局できあがったら大したことないんですけどね。

13:30 何となく「こんな感じで行くか」というのが見えてきて、軽く油断モードに入って。帰省中、もとい、寄生虫の長男がいたので水槽の掃除をすることにした。一人ではできんからな。

長男「俺、帰ってきたらいつも水槽の掃除しよるような気がする」
田尾「気のせいや」
長男「最近いつ掃除したん?」
田尾「うーん。去年お前が帰ってきた時やな」
長男「はいはい」

 仕事部屋の隅に置いてある水槽は、90センチ×45センチ×45センチで、中には細かい石が7センチぐらい敷き詰められていて、高さ20センチぐらいのオブジェみたいな流木に藻みたいな水草が巻き付いたやつがドンとあって、その他水草が3株あって、ネオンテトラ等の熱帯魚が50匹ぐらいおる。ところがこいつが、もう1年くらい掃除してないもんだから、大変なことになっているのである。

田尾「とりあえずこういう状態で、魚たちはたくましく生きておる」
長男「悪意があるとしか思えんぐらい汚れとるやん!」
田尾「これぐらい汚れとったら、見違えるように美しくなった時の達成感がめちゃめちゃ大きいんぞ」
長男「うーん…何か論理が違うような…」

 そういうわけで、大きな達成感を目指してまずは水抜きからスタートだ。水槽からホースをベランダの排水溝まで引いて、シュポシュポやって水を抜きながら、水を循環させる道具類を外し、長男が風呂場に持っていって洗い始める。続いて水槽から流木や水草を取り出すと、もう水槽の中はヘドロが舞い上がったようにワヤになった。風呂場から長男の声がする。

長男「うわー! 持っただけで手が真っ黒や!」
田尾「それ、道具が汚れとんちゃうかー?」
長男「わかっとるわ!」

 水槽の水が半分くらいになった頃、私はバケツに水槽の水をくんで、網で魚をすくいにかかった。汚れに汚れた水の中を魚が逃げ回る。ここまで生き延びた連中だから実にしぶとい。掃除してやろうとしとんのがわからんのか? それでも苦労しながら数十匹をすくってバケツに移し、水も魚も少なくなってきたのを見計らって作戦変更。水槽の底の小石を真ん中に寄せて堰を作り、魚を水槽の左半分に閉じこめた。そこから小石の堰をじわじわと左に寄せて狭めていって魚を左隅に追い込む。そこで網ですくいにかかってたら、やんちゃな1匹が堰を飛び越えて右の広い水たまりに飛び込んだ。こらこら…と思ってそいつをすくいにかかろうとしたら、シュポ…。うわっちゃー! ホースの先に吸い込まれた! あわててベランダに出てホースの先を見ていたら…わ! 出てきた! あ! 排水溝に入った!

 やつはマンションの下の摺鉢谷川から、瀬戸内海に旅立っていきました。行ってないと思うけど。

16:30 途中、風呂場で水槽を洗っている時に蛇口のレバーをうっかり上にやって頭からシャワーを浴びるというお約束の失態もあったが、何とか水槽の刷新を終了。一服して再び仕事をして、本日終了。
2008年3月19日(水)

2:00 仕事を終えて、明日の段取りを確認する。明日は15:00から岡山で講演とディスカッションがあるので、イナゴ軍団の三野に「10:00から編集作業をする。私は13:00頃の善通寺の駅からJRで岡山に出発して、19:00にはまた大学の編集室に帰ってくる」と伝えてある。加えて昼間用事のあるイナゴ蓮井には「19:00からの作業に合流せえ」と伝えてある。で、善通寺から岡山に行くのは初めてなので、普通に行ったら途中乗り継ぎが2回もあるけど何時のに乗ったらいいのか、あるいは直行列車があるのかどうか、時刻表で調べようと思ったのである。ところが、善通寺から多度津までは土讃線、多度津から坂出までは予讃線、坂出から岡山までは瀬戸大橋線なもんだから、時刻表の素人にはもうわけがわからん。昨日の晩、ごんから「ネットで調べたら全部出てきますよ」と言われたのだが、ネット時刻表の素人にはそれもままならん。よし、私の「生き時刻表」のD々に電話…と思ったが、さすがに夜中の2時に電話はいかんやろ。

 私は一瞬、JRをやめて車で行くか…と思って、確か主催者が送ってきたメールの中に地図が添付されていたはずだったのでメールを開いたのである。まず開催要項の内容が出てきた。その本文の中にある会場のメールアドレスのところをクリックして…と思った時、ふと不審な時間が目に入った。
「講演30分前の12:40までに会場にお入りください」

 おいおい、時間間違ってるがな。講演30分前は14:30でしょうが。ははーん、「2時」のところを「12時」と間違ってるんやな…と思って、しかし念のためにずっと前に来たメールに添付されていた「開催概要」をチェックしてみたところ、
「13:00開会、第一部 13:10講演 田尾和俊様…」
13時10分?! 3時10分でないんか! 自分の手帳を見たら、15:00(午後3時)のところに丸をして「岡山講演」と書いてある。しかしこの私が私自身の手でしっかりと記入した時間と、たかが他人が作った資料と、どっちが信用できるんじゃ。

 他人の資料の方が信用できる(笑)。どっしぇー! 講演は13:10からだ。明日の編集作業スケジュール、大変更せないかん。

2:30 などということがあって就寝。
7:00 起きたら外は雨がザンザン降っていた。頭の中で岡山行きの手段の選択肢がぐるぐる回る。
(1)当初の予定通り車で大学に行って10:00から11:00頃まで編集作業をして、大学に車を置いて善通寺からJRで岡山に行って、帰りは岡山から善通寺までJRで帰って大学に行く。
(2)当初の予定通り車で大学に行って10:00から11:00頃まで編集作業をして、乗り継ぎが不安なので車で坂出駅まで行ってそこに車を止めてマリンライナーで乗り継ぎなしで岡山に行く。
(3)三野に「午前中は一人でやっとけ」と伝言して、午前中は私は家で作業をして、高松からマリンライナーで岡山に直行する。帰りは高松まで帰って、そこから車で大学に行く。
(4)三野に「午前中は一人でやっとけ」と伝言して、午前中は私は家で作業をして、家から車で坂出まで行ってマリンライナーで岡山に直行。帰りは坂出で下りて、車で大学に行く(高松から大学に行くよりたぶん15分ぐらい早い)。

8:00 結局、編集作業の効率を優先しようと決めてとりあえず大学に行って10:00に三野に指示だけはしようと、家を出発した。車を出すと、雨が結構ひどい。んー、大学から善通寺の駅まで雨の中をカバン持って徒歩かー…んー…。高松から行こ。高速に乗る手前で、「名誉ある撤退」じゃ(笑)。

11:09 家で仕事をした後、高松駅からマリンライナーで岡山に行く。
12:40 会場到着。
13:20 講演開始。
14:15 パネルディスカッション開始。ディスカッションに出演していたウェブ関係の会社の社長の青年が、かつて「笑いの文化人講座」の熱心な投稿者であったことが発覚!(笑)主催者の方々が「彼がこんなに緊張している姿を初めて見た」と言っていたが、その緊張の理由が「かつて文化人講座の中で中高生のカリスマ的存在だった田尾さんと同じ壇上に上がるからだ」と言われた。カリスマだったんかー(笑)。その割りには当時、中高生から「おっさん」呼ばわりされてたけど(笑)。しょっちゅう中高生から編集部に電話がかかってきて、「あ、編集長? ○○(ペンネーム)やけど」とか友達みたいに扱われてたぞ。

15:40 パネルディスカッションを終えて岡山駅に帰って、瀬戸大橋線のホームの立ち食い店で遅い昼食の天ぷらうどんを食べる。
17:00 高松駅に到着。直ちに車で大学へ。
18:00 大学到着。編集作業の前に、新入生オリエンテーションの準備をしている学生の超個性派斎藤とさわやかな加藤(笑)が企画のアドバイスを求めに来て、30分ほど一緒に企画を考える。それからイナゴの三野、蓮井、中西とインタレスト作業にかかったが、かなり疲れてたので今日は早々に切り上げた。
20:30 帰宅。何か今日はヘトヘト。でも頑張って1:00まで仕事した。
2008年3月18日(火)

1:00 就寝。
6:30 起床。
7:00 家で仕事する。仕事の資料やらデータが家の仕事場と大学の研究室に二元化されているので、というか量が多くて一元化できてないので(笑)、いつも家と大学の両方で仕事をしている。
9:30 大学に行く途中でがもうに寄る。

大将「大学はまだ休みな」
田尾「学生は休みやけどなー」
大将「2月と3月は授業がないんやろ? その間に10日ぐらい学校行くんな」
田尾「逆や。10日ぐらい学校に行かん日がある」

 大学の先生の日常は一般の方にはかなり「楽勝」みたいに映ってるようだ(笑)。ま、先生によっていろいろだろうけど。

10:20 大学で事務作業とインタレスト編集。
11:00 教授会に出席。
11:50 作業再開。イナゴ軍団のステファニーと三野に「特集2つの見せ方のたたき台を作れ」という、学生には難解な課題を与えたのち「16:00頃まで帰ってこん」と言い残して編集室を出る。
12:30 3月で任期が切れる先生方の送別会に出席。
13:30 評議員会に出席。
16:00 編集作業再開。
19:00 FM香川で「うどラヂ」の収録2本と番組宣伝の収録1本。
21:00 帰宅。編集作業再開。

 特集みたいな原稿を書いていてずっと思っているのだが、新聞記事でもそうだけど、ちょっと大きめのスペースで記事を書く時のパターンとして
(1)見出し…記事全体のテーマを一言で見せるキャッチコピーみたいなもの
(2)リードコピー…記事全体のテーマを数行で見せる導入文みたいなもの
(3)本文
という構成で書くのが定番のスタイルになって久しいが、というか100年前から同じ構成だと思うが、その中で「リードコピー」って、ほとんど読まれてないんじゃないかと思ってるんです。私だけかもしれんが、記事を読む時はたいてい大見出しを見たあとすぐに本文を読みにかかるわけで、しかるのち、記憶に残るのもたいてい本文の内容であり、するとリードコピーは読まれもしないし記憶にも残らないシロモノではないかと。とすると、リードコピーはひょっとしたら「なくてもいい」程度のものではないかと。

 でもリードコピーって、書く人はみんな記事の導入として重要なブロックだと思って、頭をひねってテーマの内容を要約して作るんよなあ。で、なぜそんなにしてまでリードコピーをつけるのかという理由をあれこれ考えた結果、私の答は「見出しと本文の間の“中ぐらい”の級数の文字のブロックがあった方が、デザインする時に格好がつくからではないか」ということにしてますが(笑)。実際のところ、どうなんでしょう。どうなんでしょうと聞かれても誰もそんなこと考えてないだろうから正解は出てこないと思うけど。私のモットーである「魂の情報発信」からすると、ほとんど読まれない文章を慣例で載せるのはどうにも苦しい。何か「新しいリードコピーの在り方」を考えようっと。
2008年3月17日(月)

2:00 就寝。

7:30 起床。今朝は5:00からアーノルド・パーマー・インビテーショナルの最終日の生中継で、去年の9月から出場試合6試合連続優勝というゴルフでは奇跡的な連勝を続けているタイガー・ウッズが3日目を終えてトップタイという注目の最終日なので何としても見ようと思っていたのだが、さすがに連日の仕事と2:00就寝で、沈没した。7:30に起きたが、ニュースで結果が出たらいかんのでテレビはつけない。今晩の再放送を見るまで結果を知るわけにはいかない(笑)。

8:30 大学に出発。ご飯がノドを通りそうにないので、体調の悪いときでも食べられるなかむらのうどんを食べていこうと思って、今日は高速をやめて一般道をなかむらに向かった。そしたら飯山の「飯山町美人多し 脇見運転注意」の看板のあたりで突然渋滞になって、車が20台くらい連なって動かなくなった。こんな所でこんな時間に西行きが渋滞するのは普通ではない。事故か? 工事か? 対向車は結構来てるのだが、こっちから向こう行きはビタと止まって動かない。私の前の車の若い兄ちゃんらしき運転手の後ろ姿が、明らかにいらついている。ここがメンタルトレーニングの機会だ(笑)。私は周りの風景を見ながら、「あの建物は何やろ?」とか「飯野山はこっちから見たらきれいな円錐形でないなあ」とか心の平穏を保ちながら、ジリ、ジリ、と渋滞の進むのに身を任せていた。結局、道路工事だった。その先の信号の所で工事のおっちゃんが手旗で車をさばいていたのだが、明らかにさばき方が悪くて、向こうからの車を20台通してこっちからの車を5台通すみたいなことになっていた。前の車の兄ちゃんは工事の交通整理のおっちゃんが赤い旗を出したのに突っ切って、通り抜けざま横を向いて何か怒鳴っていたが、私はそんな無駄な怒りは発しない(笑)。信号の前で停止。

9:20 飯山の桃の直売所の手前で、横から私の直前に軽が突然割り込んできた。私は急ブレーキを掛けて難を逃れる。むちゃくちゃするのー、と思いながらその車の後ろについて数十メートル進んだら、今度はその軽が突然左ウインカーを出してすぐさま左に曲がって、歩道との境のブロックの縁石の切れ目でもないところに乗り上げて、左前輪が縁石を乗り越えて「ガン!」と音を立てて縁石をまたいだまま止まった。また急ブレーキを踏んで、ソロソロと横を通り抜けながらチラッと見たら、じいさんだ。もうー、田舎の一般道はとんでもない車が走っとる。
9:30 なかむら到着。こんな時間からもう京都ナンバーの車が止まってる。大とちくわ天とゲソ天を食べてたら、4人組のお客さんが入ってきた。会話やふるまいから、どうも県外からの初めてのお客さんみたい。まだまだ「初めての讃岐うどん巡り」のお客さん、いっぱいいるみたいです。

10:00 大学到着。インタレストの編集室に行ったらイナゴの三野がいたので、レクチャーしながら編集作業。

13:00 昼飯も食わずに学科協議会。終わったら学生が履修の相談に来たので指導。続いて伊藤先生と打ち合わせ。続いて神野先生と打ち合わせ。続いて神野先生が「印刷会社の人が来るから会ってくれ」と言うので待ってたら、やって来た印刷会社の人は何と、かつての『タウン情報かがわ』の印刷をやっていた会社の担当者の息子さん! 中学時代に編集室に来たこともあり、「文化人講座」の投稿者でもあった。世間はほんまに狭いのか、タウン情報かがわと文化人講座がすごかったのか(笑)。

15:30 大学の事務作業。続いて再び編集作業。

18:20 高松に帰って松本君ちに行って、一気に8ページ分をデザイン発注する。

20:10 メシ食って、いよいよアーノルド・パーマー・インビテーショナルの最終日の録画放送を見た。トップタイで迎えた最終ホール、タイガーが7mくらいのバーディーパットを打って入った瞬間、家族で「うおー!」言いました(笑)。ようあんな劇的な優勝するわ!

21:00 再び仕事に取りかかる。

22:00 一服してテレビをつけたら「報道ステーション」が映ったので久しぶりに見たら、チベットの蜂起(勝谷さんにならって「暴動」とは言わない)の事件をやってたのだが、解説の朝日新聞の人がうんざりするような中国擁護のコメントをしていたので気分が悪くなって風呂に入った。

24:00 などと書いてたら日付が変わったので、もうちょっと仕事して寝る。インタレストはだいぶ進んだが、気がつくと4月からの授業の準備がさっぱりできとらんぞ。
2008年3月16日(日)

1:30 就寝。
7:00 起床。今日は昼から国土交通省四国地方整備局と香川県の共催の「さぬきの海辺・防災と風景」というシンポジウムに出ないかんのやけど、「夢ある海辺づくりに向けて」という題の基調講演が国土交通副大臣の平井卓也さんで、そのあと「安全で美しく、いきいきとした海辺を考える」という題のパネルディスカッションに出るのが私とJR四国の会長の梅原さんと香川大学の井原先生と同じく香川大学の工学部の長谷川先生。これだけで、私をよく知るごんとか和田とか篠原とかは“危険なニオイ”をかぎつけるだろう(笑)。表題の内容につき、全メンバーのうち私だけ「このお金のない時に税金を使っていらんことせん方がええ」派だもん(笑)。で、事前に頂いた進行表によると3回ほど発言機会が回ってくるらしく、これはどうしたものかと考えるため、峰山に登ることにした。というか、当日の朝に発言内容を考えるのもどうかと思うが。
7:50 ビークオーター飲んでサウナスーツを着て峰山に出発。
9:10 峰山山上の展望台に到着。
10:30 帰宅。結局考えまとまらず(笑)。まともに話して場を壊してもいかんし、かといって迎合するのはあとで自己嫌悪に陥るし…ま、ええか。出たとこでその場で空気を読みながらしゃべろ。というわけで、シャワーを浴びて昼前まで仕事をする。
12:00 出発。
12:15 会場のクレメントに到着。パネルディスカッションは15:00からなのに、パネラーの打ち合わせ等をやるということで3時間近く早く集合を掛けられてたから仕方がない。私は原稿が非常事態なので、パソコンを持って行って合間に仕事をしていた。卓也さんと梅原さんと井原先生は久しぶり。長谷川先生は初対面。
14:00 卓也さんの基調講演開始。私らも会場に入れられて講演を聴く。
15:00 四国新聞の中野さんのコーディネートでパネルディスカッション開始。私はパネラーが順番に発言していくパネルディスカッションはどうも苦手で、フリートークの“撃ち合い(笑)”が得意なのだが、今日は苦手な方の進行。壇上に梅原、井原、長谷川、田尾の順に並んで座って、1巡目は自己紹介と自分と海辺との関わりをちょっと話すということで、まず梅原さんがいつものように瀬戸内海を熱く語って(笑)、井原先生がパワーポイントで拠点都市としての高松のまちづくり構想を語って、長谷川先生が屋島からの景観なんかをパワーポイントで語って、私に回ってきた。

田尾「さっき打ち合わせをしてたら、梅原さんがこの4月から香川大学で客員教授をやることになったそうで、梅原さんと“今日は4人とも教授やな。ま、両端は出来の悪い教授やけど”とか話してたんですが(笑)…」

 とかいうテイストで入ってみました(笑)。2巡目、「香川の海辺についての課題や期待や提言を話してください」ということで、今度は私から当てられた。私はちょっと行けるかな? と読んで、最初に「海辺をいじるとしたら目的は防災、海上交通のインフラ整備、県外から客を呼ぶ観光素材としての海辺の創出、県民の憩いの場としての海辺の創出、後世に何を残すかも含めた地球環境の保護、の5つぐらいかなと思いますが」と私の考え方の枠組みを紹介して、このうちの観光素材整備については「香川の海辺は人を呼ぶという観点からすればせいぜいB、C級の素材で、県外の競合との素材力関係から現状ではあまり大きな期待はできない、圧倒的な人工の自然の創出をするなら可能性は出てくるかもしれないけど、それもお金がない今は優先順位の高い話ではない」。県民の憩いの場については、「海水浴場も砂浜も眺めの良い場所も現状でそれなりにあるからそこへ行けばいいだけの話だけど、みんながあまり行かないということは、ニーズが大してないんじゃないですか? ニーズがないなら余計なものを整備したり造ったりしなくてもいいような気がする」と言っちゃった(笑)。

 そしたら、次の長谷川先生は専門の防災の話をパワーポイントで紹介されたのだが、井原先生が「田尾さんがB、C級とおっしゃいましたが、それをさらに魅力あるものにしないといけない」みたいな主旨のことをおっしゃって(結局現状がB、C級であるという認識は同じなんですけど)、続いて梅原さんが「瀬戸内海は十分A級だ」と力説されて、それも私は「海辺がB、C級だ」と言ったのに「瀬戸内海」で反撃(笑)されて…、「よし、3巡目に反撃しよう」と思って構えていたら、時間が来てパネルディスカッションは3巡目カットで終了した(笑)。ま、私はいつもそういう役回りですが。

 終了後、軽い立食の懇親会がありました。

中野「梅原さんと田尾さんのバトルが始まる前に時間が来てしまいまして(笑)」
田尾「パンチ打たれて終わりましたよ(笑)」
梅原「田尾君の持っていき方は僕はよくわかってるから(笑)。話をおもしろくしようとしてわざとああいう振り方をするんよ、この人は(笑)。だから僕も田尾君が海辺だけの話をしてたのはわかっててわざと一回海(瀬戸内海)の話で混ぜ返して、3巡目で二人とも同じ話をしてることを言おうと思ったら、時間切れで終わった(笑)」

 いや、なごやかでまあまあ楽しい「ショー」でした。

18:00 帰宅。メシ食って風呂入って、さ、仕事しよ。
2008年3月14日(金)

 タイムスケジュールを書いてたら日記は割と楽に更新できることに今頃気がついた(笑)。

2:30 就寝。
6:30 起床。顔洗って再びインタレストの次の特集の見せ方を考える。
7:30 家内が雑炊を作ってくれたので食べる。私は食欲のない朝はよく雑炊を食べる。
8:00 家を出発。
8:40 大学到着。すぐさまインタレストの特集企画に取り組む。
10:00 体育館に卒業生や来賓や父兄や教職員が集合して、卒業式開始。いつも期待して聞く学長の祝辞は、今日は前半展開が読めず内容がどこに行くのかとハラハラしたが(笑)、最後、なるほどー、そこに持ってきたか。いつもながら、うちの学長の話は視点がおもしろい。私ごときが「おもしろい」と言うのもおこがましいけど。ちなみに卒業生の女子学生のほとんどが着物にあの袴みたいなのをはいているのだが、その袴姿にブーツを履いている子がいっぱいいる。聞いたら昔、何かのマンガでそんな姿があって、以来なしくずしにオッケーになってるそうなのだが、私の古い感覚ではどう見てもあれは変です(笑)。
11:00 卒業式終了。直ちに編集室に帰って作業にかかる。
11:30 在校生が運営するカルチュラル・マネジメント学科だけの卒業ステージに出席。うちの学科はカリキュラムに各学年の学生の混成によるプラクティカム(現場実践科目)がたくさんあるせいか、何か学科全体に連帯感があって、つたない進行ではあるがその連帯感に感動してちょっと感極まってしまった。今どき「ヨロピク」などと言う片山先生もあいさつで涙ぐむし、今井先生は泣いちゃうし、答辞を読んだ請川も涙で詰まるし、今田は号泣するし(笑)。
12:30 昼飯も食わずに編集作業。
15:00 テレビがあるので大学を出発。
15:40 一旦家に帰って、家内にラーメン作ってもらって遅い昼飯。
16:00 急に眠気が襲ってきたので仮眠。
16:20 仮眠終了。
16:40 KSB到着。
19:00 番組終了。18:30から宇多津のセントカテリーナでやっている学科の卒業パーティーに遅れて出席するため、KSBを出発。
19:45 会場に到着。
20:30 パーティー終了。
21:00 再び大学に行く。編集室に入ったら、イナゴ軍団の2年生と3年生が10数人、卒業式の余韻で集まっていた。しばらくするとセントカテリーナでパーティーをしていたイナゴ4年生らが帰ってくる。ちょっと雑談をして、まだこれから夜遅くまで余韻に浸るというので、あとは若いもんに任せて私は退散。
10:30 帰宅。また編集作業にかかる。

 今日はこんな感じでした。人生をマラソンに例えるやつはたくさんいるが、うちの学科は野球部のやつがたくさんいるから無理やり野球に例えると、卒業生たちよ、4月からが「1回の表」みたいなもんや。今まではキャンプや。けど「1回の表」は2年ぐらいあると思え。ほんで1回の裏がまた2年あって、26歳ぐらいから2回の表や。30歳から3回の表で、34歳から4回で38歳から5回で42歳から6回で、46歳から7回、50歳から8回、54歳からやっと9回に入って、58歳でプレーヤーとしての試合終了。あとは試合を振り返るなり、まだ現役でプレーを楽しみながら続けるなり、グラウンド整備をするなり…みたいな長期戦だ。そやから私はまだ、8回の攻撃中だ。ちなみに私は攻撃型なので(他人を攻撃するんじゃなくて攻撃型の仕事をするという意味)、3年攻撃して1年守備をするという感覚。ま、1回の表、未知の相手を前に監督の指示を守りながら、自分で考えながら、とりあえず前向いてやってみ。
2008年3月13日(木)

 ものすごく働いています(笑)。笑ってる場合じゃないけど。インタレスト、ここ3週間ぐらいで14ページを何とかデザイン発注までこぎ着けたが、21日までの8日間であと17ページを上げないかん。しかしその間、講演とシンポジウムと会議3つとラジオとテレビと卒業式と履修指導で延べ5日くらいつぶれるという大ピンチ。ふー、睡眠時間を削るしかないか。もしくは数ページを後に残して松本君に苦しんでもらうという有力な選択肢もある(笑)。いずれにしろ今、日記で一ネタ書く余裕がないので、今日の出来事を詳細に報告してお茶を濁すことにします。

1:40 就寝。
6:30 起床。体を起こすために昨日の湯を追い焚きして風呂に入り、シャンプーして出て頭を乾かす。
7:00 そうしているうちに家内が起きてきて、昨日の残りで朝食を支度してくれたので食べながら新聞を読む。牛乳屋さんが「メニューは何や?」と絶対聞くので書くと、それほど食欲が旺盛でなかったのでご飯にお茶づけ海苔でなくて普通のお茶をかけた「お茶漬け」と、鮭の切り身を焼いたやつの残りと、スーパーの総菜のなますの残りと、エビ天(讃岐ならではのすり身の赤い短冊状のやつ)と、手作りの切り昆布とコンニャクとかまぼこを一緒に炊いたやつ。
7:30 パソコンに向かってインタレストの原稿と資料整理をやる。
8:40 大学に向かう。
9:20 大学到着。インタレスト編集室に行くと中西(カッター大好き)がいたので、作業を見ながら指示をする。
10:30 会議。
11:10 再び中西と作業。「世界の街角から」のコーナーの写真整理と割付を終え、データを松本君に送る。
12:30 今田とステファニーが来て「昼飯行きませんか?」と言って来たが、昨日も一緒に昼飯食いに行ったし、今日は食欲も今ひとつだったので「俺は仕事するけん、行ってこい」と言って、編集室に一人残って仕事を続ける。
13:00 尾崎(イナゴ軍団)が来る。「次号の企画を考えてみたんですけど」と言うので聞いてやる。「うーん、もう一つやなあ」と言って、企画の視点や切り口をレクチャーする。
13:30 源成が来る。就職先の話や業界の話を質問してきたのでいろいろアドバイスをしていたら、話題が広がって金融の話や政治の話にまで展開する。
14:00 14:00に約束をしていた来客から「15:00にしてくれないでしょうか」との電話が入ったので「いいですよ」と答える。土壇場の時間変更でも、可能なら不機嫌な応対はしないというのが私のモットー(笑)。そしたら相手もホッとする。こっちのできる範囲のちょっとの我慢で相手がハッピーになってくれたら、オールオッケーじゃないですか。で、引き続き源成と話を続ける。
15:00 さっきの客が来て、30分ほど打ち合わせ。
15:30 編集室でインタレストの「ツアーパラダイス特集」の作業再開。
17:20 高松で用事があるので大学を出る。
18:30 長男が帰省してきたので、「海鮮料理でも食いに行くか」と言って、家内と3人でイオンのすし水軍へ行く。ま、回転する海鮮料理やけど(笑)。
19:30 高松の香西で古くから歌い継がれてきた「舟歌」が消滅の危機にあるということで、これをCDに録音して残そうということで、現役で歌える唯一のご老人の家で録音準備の打ち合わせ。というか、その後老人は実は私の家内の父ちゃんなので、家内の実家に行って打ち合わせをしたということ。ちなみに家内の父ちゃんはもう80歳を超えているが、何を隠そう、マスコミには一度も紹介されたことがないが香川県で海苔の養殖を一番最初に始めた人である。
21:00 で、家に帰ってインタレストの原稿を再開、と。

 明日は四国学院大学の卒業式です。カルチュラル・マネジメント学科の卒業生はみんな頑張って、たぶん就職率は100%(やろな)。ちなみに去年も100%。授業と指導の甲斐あって、うちの学科の学生は就職することに対する意識がとても高い。

 私は学生に「社会に出て働くことを恐れるな」と言ってある。就職前からあれこれ想像で悩んでも意味がない。仕事を始めて、先輩や上司や取引先のいろんなプロのビジネスマンに誠実な態度で教わりながら、自分で勉強しながらやっていけば、いろんなものが実践の中からわかってくるし、できるようになっていく。

 「結果をすぐに求めるな」と言ってある。仕事を始めて、先輩や上司や取引先のいろんなプロのビジネスマンに誠実な態度で教わりながら、自分で勉強しながらやっていけば、5年、10年、15年とやっていくうちに結果がじわじわと付いてくる。社会人は、大人は、長期戦である。毎日ちゃんとご飯を食べていると体ができていくようなものだ。アルバイトやフリーターは、毎日ちゃんとご飯を食べずに栄養ドリンクでその場をつないでいるようなものだ。

 「自分に起こることの99%は自分が起こしたことだ、と思っていた方がいい」と言ってある。誰のどんなアドバイスを聞いても、どんな社会情勢にあっても、最後に決めるのは自分である。それを他人や社会のせいにしている限り、自分は絶対成長しないと思っていた方がいい。フリーターとかニートとか非正規社員とかいうものも、「社会」などという概念みたいなものが作り出すものではない。その根本は、自分が作り出してしまうものだと思っていた方が、強くなれる。

 「自分探しなんかするな」と言ってある。「自分」なんて、どこかに本当の自分があってそれを探しに行って見つけるようなものではない。仕事を始めて、先輩や上司や取引先のいろんなプロのビジネスマンに誠実な態度で教わりながら、自分で勉強しながら、真面目に、真剣に仕事に取り組んでいたら、だんだん「自分」ができていくようなものだ。

 「言ってある」と書いたけど直接言うてないやつもいるので、「聞いてないで」と言うイナゴ軍団の学生がいたら、また会うたら言うたる(笑)。
2008年3月4日(火)

 天気予報は朝から雨だと言ってるのに晴れ間が出て気持ちのいい空模様だったので、中国からの黄砂攻撃を受けて近年希に見る汚さになった車を久しぶりに洗車したのである。そしたら、数時間後ににわかに雲行きが怪しくなって雨が降り始めたやないの。

 有人のガソリンスタンドに行くたびに思うのだが、スタンドに入るとまず支払い方法を聞かれる。「現金ですかぁー!」…でなくて「カードですか?」と聞かれて、私は個人事業主みたいなものなのでクレジットカードを出すのだが、ほとんど全てのガソリンスタンドで、店員は私のクレジットカードを持って行ったまま、給油が終わって精算して最後にサインするまでカードを持ってこないのである。給油と同時に洗車も頼むと、洗車が終わるまで数十分、クレジットカードを持って行ったまま返してくれない。

 普通、店で買い物をしてクレジットカードで支払うと、「先にカードをお返しします」と言ってすぐに返してくれるのに、ガソリンスタンドは持っていったまま最後まで返してくれない。以前一度、私のクレジットカードをどこに置いているのか心配になって確かめに行ってみたことがある。すると、何か台紙みたいなのに私のクレジットカードを挟んだまま、他のお客さんの給油カードみたいなのと一緒に店頭の台の上に置いていたのである。私はあわてて店員に「カードを先に返してくれますか?」と言ったら、店員は「え?」と言って怪訝そうに返してくれた。返してくれたということは、先に返してくれても何の問題もないということじゃないですか? あれ、絶対危ないよなあ。もう有人のガソリンスタンドに行くのをやめてセルフにしようかな。

 さて、こないだ「500円で金を買うかな」と書いたら、数人から「金は今高いから買わん方がええですよ」というアドバイスをいただいたが、かように人とは文脈を読まないものなのだ、と改めて思った。目的を読み飛ばしとる。目的は「金で利殖をする」ではない。「ハイパーインフレ対策」だと言っているじゃないか。つまり、1万円のキャッシュがハイパーインフレで例えば「1円」の価値になることへの対策なんだから、1万円の金が仮に半分の5000円になってもものすごい防衛になる、という話である。もう一つ、「国債が行き詰まっても国が徳政令(借金棒引き)を出すという選択肢がある」という意見も聞いたが、それは「徳政令」という言葉を知っているだけの意見である。そのちょっと先を想像すれば、つまり徳政令で借金棒引きしたら郵貯やその他の銀行の資産の半分以上が消えるということを想像すれば、そんなことが選択肢に上がるはずがないと思うけど。

 えーと、あまりこんなことを続けて書いていると何かの評論家を目指していると勘違いされたらいかんので、やめとこ(笑)。すんません、ほんま素人の戯言ですから…と逃げても勝谷さんに「なりすまし」を見破られてしまったけど(笑)。今日は夜の8時頃まで、インタレスト組と別件で小冊子を作っている学生組に実践レクチャーしながら付き合って、忙しさ大爆発。
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