2009年03月の日記 |
2009年3月31日(火)
もう毎日朝から夜中まで、『インタレスト』の原稿と割付の嵐である。3月中旬には全部終える予定だったのについに4月に突入して、授業開始まであと10日なのに、インタレストのあとに予定していた前期授業の準備も手付かずだ。今日も朝8時半に研究室に入ってずーっと作業。途中で学生編集スタッフの本田と編集長の下村が来たので数時間手伝わせて、時を忘れて仕事に没頭していたら4時からの会議も忘れてて10分遅刻で出席。1時間ほどで会議が終わったが、夜は『うどラヂ』の録音があるから、ギリギリ6時15分まで仕事をして、7時からの録音に合わせて善通寺から車で高松のFM香川に向かった。で、到着したら6時50分だったのである。
薄暗いロビーに入ったら、まだごんも長谷川君も来ていない。久しぶりにちゃんと5分前に着いて一番乗りしたので、私はロビーのイスに座って、わずかな待ち時間にも仕事を進めないかんのでパソコンを開いて仕事を始めた。しばらくして時計を見ると、7時を過ぎている。あれー? いくら何でも7時に誰も来ないのはおかしいぞ。まさかと思った私は、ごんに電話をした。
田尾「今日、録音やろ?」 ごん「明日ですよ」
何とかー! また水曜日に変更になってたんか! とほほ…。何回同じ目に遭うんや。仕方なくパソコンを閉じて帰ろうとしたら、階段の上から誰かが下りてくるのが見えた。細身の女の人だ。ディレクターのかっしーかもしれん! と思った私は息をひそめて気配を消して…その人が階段を下りてドアを開けて向こうに入っていくのを確かめて(薄暗いところで後ろ姿しか見てないから、かっしーだったかどうかは不明)、そっとロビーから外に出た。俺はドロボウかい! そのまま家に帰って仕事しながら、今、夜の12時50分。先週の土曜日は福田社長の息子の結婚披露宴で冒頭から私と勝谷さんが連続スピーチをするという大ネタがあったのだが、私のスピーチ(タイトル「披露宴とうどん」)も含めてまだ一本ネタにまとまってないので書く暇がない。勝谷さんに「田尾さん、僕がメールマガジンで時々団長日記を引用するもんだから、ハードル上がってしまって書くの苦労してると見た(笑)」と痛いところを指摘されたし(笑)。「無理しないで、オチのない話、書いてもいいですから(笑)」と慰められたけど、そういうわけにもいかんしなあ(笑)。とりあえず、仕事片づけな。ふー、あと6ページ。
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2009年3月27日(金)
「KSBスーパーJチャンネル」の私と岩井さんの最終回、出てまいりました。いつもは番組のエンディング前、18:50頃にある清水さんの天気予報が5分くらい早く始まったので「え? 短縮放送か?」と思ったら、天気予報の後に「田尾さんと岩井さんは今回で終了です」という時間を取ってくれていて、しかもVTRで関係者の私らへのメッセージまで用意してくれていました。メッセージをくれたのは、岩井さんには「新潮45」の前編集長の中瀬ゆかりさんと文化放送(だったか)の人気パーソナリティの方。私にはがもうの大将と白川の大将の山下君とはまんどの大将。岩井さんの「編集者、パーソナリティ」に対して、私は「うどん屋、うどん屋、ラーメン屋」だ(笑)。いやいや、楽しい最終回でした。番組終了後はスタジオでおみやげまでもらって、そのままみんなで韓国料理の店に行ってごちそうになりまして、ほんま、最後までありがとうございました。
打ち上げにまで来てくれたのは、アナウンサー組が多賀さん、中村君、本庄さん、岡さん。偉いさん組(笑)は知らん間に役員になられていた溝内さん(あの鉄板ネタ「家庭における父親の役割と讃岐うどん」のタイトルを付けた張本人)、黒田さん、山西さん(多賀さん曰く「1日にポマード3本使う男」)、加えて岩井さんと岩井さんの長男とお友達。私は打ち上げなのに溝内さんたちと放送ビジネスの話ばっかりしてました。みんな30代、40代のビジネスの担い手ばかり(あ、山西さんは超えちゃったけど)。 30代、40代のみんなが頑張って知恵と汗を出したら、きっと古い価値観から脱却した新しい可能性が生まれると私は確信しています。5年か、遅くとも10年のうちに、何かすごいもの生み出しましょう。
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2009年3月26日(木)
日記の曜日は一応つながっているが、日にちはつながってない。近年希に見る仕事に追い込まれ状態で、もう創刊以来最大のピンチ(笑)。たぶん今、香川県内で松本君の次に追い込まれているのが私だ。松本君の上に誰がおるのか知らんけど。
そういうわけで研究室とインタレスト編集室にこもって半徹状態でヘトヘトになって夕方家に帰ったら、ドアの内側にバーがかかっていたのでピンポン鳴らしたら、家内ではなくて昨日帰省してきた長男が出てきた。
田尾「かーちゃんは?」 長男「ソファでお太りになられよる」
あっはっは! そのフレーズ、使わしてもらうわ(笑)。中に入ると、そのやり取りを聞いていた家内がソファに横になってテレビを見ながらお菓子を食いながら「失礼な!」と言いました。説得力ゼロ(笑)。
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2009年3月18日(水)
朝、大学の駐車場に車を止めて研究室に向かって歩いていたら、いつもゴミ収集をやってくれているおっちゃんに会ったので挨拶をした。
田尾「おはようございまーす」 おっ「あ、センセおはようございます。ぬくなったなー」 田尾「ほんま、上着がいらんがな」 おっ「やっぱりぬくいんがええなあ」
ぬくいんがええですよね(笑)。みんなハワイも大好きだし。「常夏の国」は世界中の多くの人の憧れだし。世界中の人を集めて、いますんでいるところへの愛着とかしがらみを全部白紙にして「みんな、住みたいところへ行け」と言ったら、圧倒的多くの人が暖かいところへ行くんちゃうか? まあそれくらい、みんな寒いよりは暖かいのが好きなんじゃないかと思う。でも、地球の温暖化は防止しなければいけないらしい。ちょっと温暖化した方がみんな住みやすくなるような気もするが、多くの識者やマスコミや関係者によると、防止しなければいけないらしい。
でもね、もし温暖化を防止しようとするなら、あるいはCO2の排出量を削減しようとするなら、戦略の優先順位を考えた方がいいと思う。つまり、原因の「大きいところ」から攻めるのが戦略の常識というか、原理原則であり、CO2排出量増大の最大の原因は「人間が多すぎること」と「石油を使うこと」なんだから、最優先にキャンペーンを張るべきは
(1)少子化を推進しよう (2)原子力発電を推進しよう
の2つですよ。ガソリン車を減らして電気自動車にシフトするにしても、電気を生み出すのに圧倒的に石油を使う火力発電が川上にいるんだし、水力や風力は太陽光発電は現状では量的にとても火力発電の代替にならないんだから、CO2削減の最優先策はこれも「大きいところから」の原理原則に従うと原子力発電になる。どう考えてもそれが筋でしょう。
だから、「温暖化防止」「CO2削減」を主張しながら同時に「少子化対策推進」「原発反対」を言うマスコミや団体や個人は、「頭が悪い」か「別の意図を持っている」かのどちらかだと私は思っています。「温暖化防止、CO2削減」「少子化対策反対、原発推進」とセットで主張する人がいたら、私は「本当にCO2削減を考えている人なんだな」と思います。ただ、温暖化防止のための一番「大きいところ」が「CO2削減」なのかどうかはよく知らないので何とも言えないけど。おっちゃんの「ぬくいんがええなあ」から、そんなことを考えてみました(笑)。
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2009年3月15日(日)
昨日の晩から岡山入りして、今日は朝からKSBの岡山本社で特番の収録。ゲストは私と浅草キッドの水道橋博士だった。ワタクシ初めて明かしますが、「東の水道橋博士、西のまるむし商店(いそべっち)」というくらいの水道橋博士のファンでございまして(笑)。土曜日の晩の事前打ち合わせ食事会の席では「最近のバラエティ番組は水道橋博士の才能をまるで活かせてない!(「タモリ倶楽部」を除く)」と力説をして来ました。ちなみにいそべっちは数年前に別の番組の讃岐うどん巡りですでにお会いして、ロケの合間に大好きな「校長先生」のネタをやってもらって大満足してるので、もう思い残すことはない(笑)。
ちなみに今日の収録、スタジオに入ってADが「とりあえず一回全体を流してから…」とか言っていたのを聞いたので、「まずは練習か…」と思って適当に流しながらコメントしてたら、全体の3分の2くらい進んだ時にもう1時間半も経ったので「あれ?」と思って司会の多賀さんに聞いたら、
田尾「これ、練習ですよね?」 多賀「いやいや本番ですよ」 田尾「えーっ!」
という目が点になるような事件があったが、もう後の祭り(笑)。果たして編集でどうなることやら。
KSBがらみでもう1コ。「スーパーJチャンネル」の私のゲスト出演はこの3月いっぱいで終わります。前身の「ステーションEYE」に出始めたのが確か1999年10月だから、9年半も出てたんだ。その間、メインキャスターが何人も変わったのにゲストの私と岩井さんだけが変わらずずっと出てたわけで、近年は毎年、局の担当者に「もうそろそろ私、替えた方がええんちゃいます?」と言っていたのだが、やっと終わりました(笑)。長い間、ほんま、すんません。
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2009年3月13日(金)
今日は四国学院大学の卒業式。1時間ほどの式典を終えて会場を出たら、卒業生の源成が近づいて来て言った。
源成「田尾さんが前に日記で“学長の話が素晴らしい”と書いてたんで、今日、真剣に聞いたんですよ。めちゃめちゃおもしろかった!」 田尾「そやろ? 今日のはまた、ツカミで引きつけられたがな」
四国学院大学はキリスト教系大学で、学長のあいさつはいつも聖書の数節を引いて始まるのだが、今日は「わたしがあなたがたを愛したように 互いに愛し合いなさい これがわたしの掟である (中略) 互いに愛し合いなさい これが私の命令である」という、「愛する」という言葉が何度も出てくる部分の引用で始まって、「ここから話がどこへ行くのかな? 平凡に愛を説くのか?」と思っていたら、目からウロコが落ちるような話が続いたのである。
学長「16世紀にキリスト教が日本に伝えられた時、そこに出てくる『LOVE』という言葉を、日本人は最初、『愛』と訳したのではありません。『大切』と訳したのです」
源成「僕ね、あれを聞いて何か、すべてのものが腑に落ちたんですよ」 田尾「俺もや。いやー、あの話はためになった」
あんな話を聞いたら、もう型にはまった祝辞も答辞も魂が抜けた言葉に聞こえてしまう。学長、今日の話、心ある数人の中で絶賛です。
さて、今日はもう一つ、ぜひお伝えしなければいけない急展開がある。それは、卒業式や雑用を終えた午後のことであった。広報室の森Tから一本の電話が入った。
田尾「田尾でーす」 森T「今ちょっといいですか?」 田尾「ええよ」 森T「実は鳴門警察署から田尾先生に電話が入ってですね」 田尾「何や。俺、鳴門で悪事を働いてないぞ」 森T「それがですね、田尾先生、去年、寸借詐欺にあったでしょ?」 田尾「おー、あのメロン事件」 森T「その詐欺が捕まったそうなんですよ」 田尾「何とかー! けどそいつが捕まって、何で俺のとこに警察から電話がかかってくるん? そいつが俺のことも吐いたんか?」 森T「たぶん…そうなんじゃないですかね。でですね、警察の人が田尾先生に電話して欲しいと言ってるんですけど」 田尾「いやー、物語、急展開や! 了解。電話するわ」
私はさっそく鳴門警察署の担当刑事に電話をしたら留守だったのだが、こちらの電話番号を教えたらすぐに連絡を取ってくれて、担当刑事の方から電話がかかってきた(以下、会話は整理して内容を簡潔にまとめてあります)。
刑事「鳴門警察署の○○です」 田尾「話は聞きました。捕まったんですか!」 刑事「はい。それで余罪を追及したら、四国学院大学の田尾先生からも寸借したと供述したんです。で、田尾先生に確認しないといけないと思っていたら、うちの若い署員が田尾先生のブログを見ていて“たぶんこれですよ”と言うんで見たら、調書みたいに詳しく状況を書かれていたんで間違いないと思って(笑)」
あっはっは! あれ、「調書」みたいなんか! 刑事さん、よかったらコピペで使ってもらってもいいですよ(笑)。
刑事「こいつ、偽名で小林幸二と名乗って詐欺をやって、こっちで捕まえたんです」 田尾「え? ちょっと待ってくださいよ…」
実は私はあの時、メロンを送るからと言われたので私の住所と名前を書いてそのおっちゃんに渡したんだけど(それでおっちゃん、私の名前を供述したんだ)、その時おっちゃんから「私の住所も書いておきます」と言われて渡されたメモをずっと持っていたのである。それを出してきて見ると、
田尾「えーと、渡されたメモに小林幸二と書いてあります」 刑事「間違いない(笑)」
かくしてあのメロン事件(ただの寸借詐欺やけど)は、おっちゃんの逮捕という急転直下の結末を迎えたのである。ちなみに今回の事件で判明したこと。鳴門警察署に私の日記を見ている署員がいる(笑)。
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2009年3月12日(木)
夕方6時過ぎ。日曜日の昼から東京に行っていた家内が最終の飛行機で帰ってくるので、夜の8字半頃に空港に迎えに行かないかん…と思っていて、ふと気がついたのである。先月も一度同じようなことがあって、家内を空港で拾って帰りに何か食べに行こうと思って腹が減っているのを我慢して夜の8時45分頃に空港で家内に会ったら、東京で長男とうまいもんを食ってきたと言われてガックシと肩をカカトまで落としたことがあった。そこで、また同じ目に遭ったらいかんと思って東京の家内に連絡をした。そしたら、「夜は食べてないけど、あんまりお腹がすいてないから食べに行っても行かんでもいい」という返事。私も今日の昼は日本で2番目にうまい一膳飯屋の一富士で腹一杯食べてたので、どっちでもええか…と思っていたのだが、実は4日間も一人で家で悲惨な夕食を続けていたので(昨日なんか、昼に福田社長が「これはうまい」いうて大学に持ってきてくれたいなり寿司の残りを3つ食っただけだ)、「よし、何か外食してから空港に行こう」と決めて、7時半頃、早めに家を出たのである。
ところが、車を走らせているうちに、今晩、長谷川穂積の世界戦があることを思い出したのである。これはメシを食ってたらテレビが見られない。走行中にももちろん見られない。見るには早めに空港に着いて車を止めて、車内でテレビを見るしかない。そういうわけで私はそのまま空港に行って、8時過ぎからボクシングを見ながら家内を待っていたのである。
8時45分頃、長谷川穂積が1回KO勝ちした時に家内が空港から出てきたので、車に乗せて家に向かう途中、やっぱり食べに行こうという話になって、我々はゆめタウン内の函館市場(回転寿司)に行った。食べ終わって9時半、家内がお勘定をすませて「ニトリに寄る」と言うので、私は「その間に本屋に行ってる」と言って(どちらもゆめタウンの中にある)、閉店の10時に車で落ち合うことにしてそれぞれの店に別れた。私は本屋でいろいろ物色しながら、9時50分頃に文庫本を2冊選んでレジに行って、本を出してポケットを探った時、「あっ!」と声が出た。
田尾「財布忘れた!」
レジの人に「財布忘れた」言うて、すぐに家内に電話をして本屋に来てもらって、お金を払って帰った。いや、長々とオチのない話を書いて何が言いたいかというと、私、運転中にボクシングの中継があることを思い出さなかったら、確実にどこかの飲食店で無銭飲食してました(笑)。ふー! あぶねえあぶねえ!
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2009年3月11日(水)
この1週間は苦しみながらも、中小の案件を4つ仕上げることができた。苦しんだなあ。例えばある資料の作成。データや記入項目がたくさんあるものを一覧表にするという作業なのだが、どういう表にしたら一番わかりやすく使いやすいかという構想を練るのに、歳のせいか集中力の持続時間が短くなってきていて、途中で他の仕事に手を出したりしながら2日くらい一文字も書けないという状態が続いて、やっとのことで3日目に丸一日かけて仕上げたり、続いて数千字の原稿を書く案件の構想を練っていたらまた丸2日ぐらい1行も出てこずに、かなり焦りながら夜の11時頃にベランダから夜の高松市外を眺めていたら突然何かが降臨してきて(笑)そこから3時間ぐらいで一気に書き上げたり…。
苦しみの原因はたぶん「オチが決まってから、いや、全体構想が固まってから書き始める」という私の癖のせいだ。私の周りの優秀な方々の中に数人、とにかく書き始めてから考えるとか、まず粗く書いてしまって推敲修正しながら仕上げるという人がいて、いつもうらやましく思いながら私も何度かやってみたのだが、結局うまくできなかって自分のスタイルに戻ってしまっている。でも一応今でも、いろんな人のやり方を聞きながらいろいろやり方を試しているわけです。「自分のスタイルを貫け」とよく言われるが、自分より素晴らしい人は山ほどいるわけで、自分の今のスタイルよりいいスタイルは絶対あるといつも思っているからです。
ちなみにその間、テレビや新聞で刺激的な番組や記事にいくつか出くわして、だいぶ気合いが入りました。外国で活躍している日本人を紹介するテレビ東京の「世界を変える100人の日本人」でものすごいバイタリティのある大学教授が紹介されていたり、以前BSで見たドキュメントの再編集番組で「ポアンカレ予想」を解いた数学者が紹介されていたりしたのを見て、同じ大学教授として「あかん、俺ももっと頑張ってやらないかん」という気持ちをかき立てられたわけです。もちろん私はポアンカレ予想に挑戦するようなレベルでもないしジャンルも違うけど、まあ気持ちの問題で刺激的だったということ。また、日曜日の四国新聞では伝承料理研究家の奥村先生が「うどんのルーツは中世の京都の禅寺ではないか」という論文を発表した記事が紹介されていて、奥村先生の「仮説に至るまでの論理的な検証・研究」のアプローチに、また大学教授として刺激を受けた。
私はまだ、大学教授として「研究」と「教育」と「社会還元」の重心さえ定まっていないレベルなのだが、こういうのを見ていると、中でも「研究」の分野で少し焦りに似た向上心がかき立てられる。研究テーマはいくつか頭にあるのだが、何しろいろんな仕事がたくさんあって、しかしそれぞれ自分ではやるべきことばかりであって、研究に没頭する環境がいつになっても整わないわけで、かといって研究はやってみたいし、やれば絶対社会に多少なりとも貢献できると思っているし、けど日々の仕事に追われるし…都村さんに聞いたらたぶん一言でスパンと切られるだろうことはわかっているけど、切られるのがちょっと怖いし(笑)。60超えたら研究するかな。でもそれまで生きてないかもしれんし、その頃には私ごときの研究は陳腐化してる恐れもあるし…。などとモヤモヤしながらも、とりあえず目の前のことにつたない優先順位をつけながら全力です。
それにしても、テレビ東京の番組を見ると、頑張って活路を切り開いたり成果を挙げている人はほんとにたくさんいるんだと改めて気づかせてくれる。私の周りにも努力して成果を挙げている人はたくさんいる。そういう人たちを見ていると、派遣村に行っても、一時的にお金をもらっても、個人の根本的な問題は何も解決しないんだろうなあと思います。とりあえず、尻切れでおしまい。
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2009年3月4日(水)
朝、教学課に行ったら、数人が異動したためチンペイ一人が座っていたので声を掛ける。
田尾「寂しそうやんか」 チン「田尾先生、それは上から目線の発言じゃないですか?」 田尾「あ、ごめんごめん(笑)。言い直す。寂しそうではございませんか?(笑)」
もー、一昨日あんなこと書いたらやりにくくてしゃーない(笑)。上から目線の方が効果的なコミュニケーションもあるという「コミュニケーション手法の上級応用編」を解説しようと思ったけど(屁理屈の言い訳と言い換えることもできるが)、お互い忙しそうだったので今日はこれぐらいにしといてやった。
今日は会議一つと、インタレストの原稿と締め切りが過ぎた原稿一本の作業に明け暮れる。夜は『うどラヂ』の収録2本。忙しくてネタも考えずにスタジオに入って(ま、いつもだけど)「何の話するかなー」とか言っていたら、かっしーが言った。
かし「ネットの中でネタの参考になりそうなものを見つけたんですけど」 田尾「何?」 かし「これ自体がネタになるというわけではないんですけど…」
と言いながら出してきたコピーを見ると…
田尾「俺の昨日の日記やんか!」
もー、昨日あんなこと書いたらやりにくくてしゃーない(笑)。ちなみに昨日のは発想の入り口やからな。実際にやる時には「取材」という作業からスタートするわけで、『うどラヂ』はみんな本業のある忙しいメンバーばかりだから、いきなりそこからつまずく。もちろん『うどラヂ』が本職になるんだったら全力で取り組めるけど(笑)。
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2009年3月3日(火)
今日は高松でみっちり仕事をしていたので、昼は「はりや」、夜は「鶴丸」という、珠玉の一般店で1日2回うどんを食べるという日になった。麺通団新聞があれば一面トップに「団長、うどんのダブルヘッダー」と見出しが出るところだ(笑)。ないけど。
麺通団新聞はないけど、正直なところ、かなりおもしろい「日刊讃岐うどん新聞」ぐらいは作れると思っております。なにしろ毎日800軒ぐらいが営業してるのだから「現在情報」の話題には事欠かないし、「過去情報」としての史実編纂もインタビュー取材や資料発掘でかなり膨大な量のお宝情報が埋もれているし(埋もれている場所は「お年寄りの頭の中」です)、「未来情報」だって単純にオープン情報、閉店情報、新メニューやサービス情報など、お店にとっていち早くお知らせしたい情報はかなりたくさんある。これに「見せ方」のバリエーションを掛けると、まあネタ切れの可能性はほぼゼロだと思う。ちょっと並べてみますか?
「現在情報」 (1)うどん屋の「人」 ・大将…生い立ち、歴史、技術、ビジネス感、趣味、語録… ・奥さん、家族等 ・息子、二代目、三代目等 ・うどん屋の客 ・うどん屋に来る業者さん (2)うどん屋の「モノ」 ・うどんメニュー、サイドメニュー、ダシ、醤油、ネギ、その他薬味類 ・原材料…粉、水、塩等 ・看板、のれん、各種店内掲示物、展示物等 ・丼、器、箸、テーブル、イス、厨房、各種道具類 (3)うどん屋の「事」 ・イベント、キャンペーン、サービス、技術、事件、エピソード等 (4)うどん屋の「店(場所)」 ・よくある「うどん店紹介」等
「過去情報」 ・普通のお年寄りの取材から、昭和初期からの「客」としてのうどんのシーンを発掘する。 ・うどん屋のお年寄りの取材から、昭和初期からの「業者」としてのうどんのシーンを発掘する。 ・取材ドキュメントとして、「うどん屋におでんを置き始めたルーツを追う」「セルフスタイルのルーツを追う」「テボのルーツを追う」「粉の物語」など、連載でどんどん新事実が出てくる可能性がある。天候不順で香川の小麦が全滅状態になった時に、オーストラリアのASWを導入したプロジェクトなんかは、私はあるうどん関係者1人から聞いただけだが、あの話が事実なら「讃岐の夢2000」よりはるかに意義と成果の大きい「プロジェクトX」ですよ。まあそんな話も、あるいは「うちがセルフサービス発祥の店だ」といううどん屋が数軒あるという話も、「新築の家ができたら一番風呂で湯船に浸かってうどんを食べる」という風習がどこで聞いてもほとんど「やったことない」という返事が返ってくる謎も(笑)、きちんと取材を進めていけば事実が浮かび上がってくるはずだ。
…みたいに、相当の種類と量の記事が考えられる。上記の「現在情報は」、字面の数千倍、数万倍の素材数があるし、もちろん見せ方も文字と写真だけでなく、マンガ、絵、図表、グラフ等のバリエーションはあるし、2WAYコミュニケーションの手法としても、アンケート、ランキング、クイズ、プレゼント、投稿、イベント展開…など、おもしろく見せ、おもしろく拡大再生産していく方法はたくさんある。
ただ、ビジネスとしてたぶん成り立たんのよなあ。一から「新聞ビジネス」あるいは「出版ビジネス」として会社を立ち上げてやろうとすると、販売収入と広告収入ではたぶん投資のリターンがそう簡単に取れないと思う。とすると、リスクを最小限にする方法は「既存の媒体の中にスペースを取って(電波媒体なら時間枠を取って)展開するしかないかもしれん(インターネットでホームページ展開するのはもっとビジネスにならない)。
まあヨタ話のレベルですけど、ネタ切れ感のある情報分野も、ちゃんとMECEに素材や見せ方を分類していくと、発想やアイデアの可能性は山のようにあるというお話でした。「地域活性化」とかいう祝詞みたいなスローガンを掲げてお金を使うのも、お金が余ってるのならやらないよりはやった方がいいと思いますが、やっぱ民間ビジネスのそれぞれの現場で知恵を出して頑張っていくのが一番効果的で本筋じゃないかと思います。
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2009年3月2日(月)
いつの間にか、いろんなものの締め切りが押し寄せてきている。しかもそのうちの3つは、いつの間にか締め切りが過ぎているではないか(笑)。笑ってる場合でないけど。3月に予定していた取材旅行は、行ってる場合でなくなってきたので、すでに中止にしてしまいました。大学に来て6年の中で一番忙しい2月、3月になること確定。とにかく今週だ。今週、一気に仕事を片づける! 先週もそのつもりだったけど。
先週も計画を立てて気合いを入れてスタートしたのだが、何しろ毎日断片的に割り込みの仕事や来客があって、なかなか計画通りに仕事が進まなかった。でも積極的にいろんな人と会って仕事の話をしていると、必ず気づくことや役に立つことがある。先週お会いした人の話の中で改めて自戒したのは、その方が「話をしていて非常にストレスを感じる人がいて困っている」と言ったことである。ものの言い方に不快感のある人と仕事をしていて、イライラすることが多いらしい。私はその話を聞いて、「確かにそういう人、いますねえ」と言いながら、自分のことを考えていた。私のものの言い方、人との接し方は、果たして相手にストレスを与えていないか。
相手の話を遮って自分の話ばかりしてないか、自分の意見を言うばかりで相手の意見との接点を見出そうとしていないことはないか、言葉遣いに上から目線の横柄なニュアンスが出ていないか、不機嫌な表情を出して相手まで不機嫌にさせてないか、自分を正当化することばかり考えてないか…。とにかく相手にストレスを与えてしまう要素はたくさんあるのに、自分ではなかなか気がつかないのでやっかいなのだ。
そんな話を聞いた後のこないだの朝、大学の駐車場に車を止めて降りようとしていたら、何台か向こうに先に着いていたK先生(私より年上)がヘッドライトを消し忘れたままドアを閉めて向こうに歩き始めたので、私は大声で「K先生ー!」と呼んだ後、一瞬の間に頭の中で、「車の電気が点いてますよー!」と言ったら聞こえ方によっては「上から目線」の指摘のニュアンスが出るかもしれん、と思って、違う言い回しをした。
田尾「電気がついとるー!」 K先生「あ、すんませーん」
ちょっと「フトコロに入っていく感」を出そうと思って(笑)。逆に「タメ口かい!」と思われたかもしれんけど(笑)、そこはこれまでのコミュニケーションからオッケーだと判断してのことで。もちろん、ムッとされた時のフォローもちゃんと用意して(K先生はムッとするような先生じゃないと思ってるけど)。
「俺は俺だ」という生き方もそれは一つの生き方だとは思うけど、私は相手にはなるべくストレスを与えたくないという生き方をするつもりだから、いつも「私が相手だったら私の応対はどのように映っているのか」ということを意識するように心がけている…でなくて心がけようと思っている。でもしょっちゅう忘れる。でもしょっちゅう思い出すぞ。気の置けない人にそんな話をすると「それ、自分にストレスがかかってるんちゃう?」と言われることがあるが、自分の生き方の目標に向かって努力するのはストレスにはならない。むしろ相手に喜んでもらえた時の充実感の方が大きいんです。なかなかうまいことできんけど。
などと偉そうに書いてたら「早よ仕事上げてくれんかったらストレスがたまる!」と言われそうなんで、午前1時になったけど頑張って仕事します。
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