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2009年05月の日記
2009年5月31日(日)

 昼飯に家内と一福に行ったら、カウンターの中から大将が店内の閲覧用の雑誌を指さして言ったのである。

大将「こないだの本、送ってきました」

 『カーサ・ブルータス』の最新号だ。10年近く前に勝谷さんたちとの「東京の讃岐うどん」の食べ歩き猛ツアーで2回ほど掲載されたことがある、うどんなんか敷居が高くておいそれと扱ってくれそうにないような高級雑誌。その時にお世話になった編集のN村さんから久しぶりに電話がかかってきて5月11日に一福で取材したやつが、もう本になって出たらしい。厳しい日程の仕事しよるなー(笑)。ちなみにカーサには一福とともに、田村で修業した大将の「斉賀製麺所」と山越で修業した大将の「正家(まさや)」と香川で二番目にイケメン大将の「橙家」が載っている。ほんまは一番だと思うのだが、一番と書いたらガモムスの弟が私だけ天ぷらの値段を20円ぐらい余計に取りそうなので、二番としておく。

 さて、そのN村さんと10年近くぶりに一福でお会いした時に「大学教授はどうですか?」と聞かれて、私は「前の社長時代から給料は半分近くに減ったけど、精神的にものすごく健康になった」と言ったのを思い出したので、そこからちょっと、無理やり話を展開することにしよう。

 何が健康的になったのかというと、わざとわかりにくく書くが「私の名刺を持って動く人数が40数人からゼロになった」ということである。前の会社では社員が40数人いたのだが、もちろんみんな自分の名刺で仕事をしていて、仕事先で私の名刺を出すわけではない。けど会社というのは責任者がはっきりしていて、最終責任者は社長であるから、社員が大きなミスをしたり不祥事を起こしたりして他人に迷惑や損害を与えると、最後は必ず社長が出て行って責任を取るのである。

 テレビや新聞を見ていると誰でもわかるが、現場の不祥事だろうが何だろうが問題を起こしたら問題を起こした当人ではなくて社長がマスコミにされされて世間に謝罪をする。私もかつて、社員が校正ミスでメニューの値段を間違って「社長を呼んでこい!」と言われて、当時編集長だったが出て行って店の土間に1時間も座らされたことがあるし、クライアントのクレームのみならず、ヤクザのチンピラにも呼ばれたことがあるしエセ同和もエセ右翼もお相手したことがある。幸い社員スタッフが優秀で謝罪や言いがかりに対してよく協力してくれたし、社長になってからは二代目、三代目編集長がしっかりしていて話が社長に上がる前に編集長のところで食い止めてくれたりしてとても助かったが、それでもいつも「何かあれば私が出て行く」という覚悟は持っていた。つまり、社長というのは社員全員が社長の名刺を持って動いているような精神的プレッシャーを毎日背負っている、という話である(何でも社員のせいにする社長や上司もいるが)。

 すると、社員に対する教育も目配りもとてもおろそかにできるものではないのはおわかりですね。もう毎日のように「あいつはうちの会社の名刺を持って外に出しても大丈夫か…」「こういうミスをする恐れはないか…」「これはみんなに言うとかないかん」「教育しとかないかん」…と、毎日気を抜く余裕のない日々を送ることになる(まあ、トップの当たり前のメンタリティです)。で、そういう精神的プレッシャーがなくなったと。ま、精神的不健康な要因は他にもいっぱいあったけど(笑)。

 そこで雑感。以前からずーっと思っているんですが、例えば大阪の橋下知事と文部科学省の役人の方とのやり取りを、マスコミは「橋下知事は……」「それに対し文科省は……」と報道するでしょ。片方は個人名なのに、もう片方は個人名でなくて「文科省」あるいは「国」といった「概念」のようなもので報道する。でも、概念が物を言ったり決めたりするわけではない。人が物を言い、人が決めるのである。だから、省だろうが国だろうがそこには必ず責任を取るべき個人がいるはずなのだが(物事の決定の原理原則は「決めた人が責任を取る」である)、ああ書くと、国や省庁の責任者はすごい逃げ道に利用できるだろうなあ…と、社長経験者としてはとても思っているわけです。「国の責任」と言われても、国のトップの総理大臣はまた「○○省がなっとらん。解体すべきだ」とか他人事のように言ったりするから企業の社長と同じような責任感は持ってないないみたいだし、「○○省の不祥事」といっても○○省の責任者は滅多なことでは名前も顔も国民に報道されないから内々で仕舞いできるだろうし。トップが責任の逃げ道を持ってたら、そら部下の教育も目配りもテキトーになるわなあ…と、1週間も日記飛んでたので一福のうどんから無理やり引っぱってみました。

 一福から帰ってきて一服していたら、宅配便が来た。家内が出て行って、

家内「どうもご苦労様ですー」

 我が家は宅配便の人にとても愛想がいい。たとえダービーの最後の直線に入ったところでピンポン鳴らされても、愛想よく応対する(笑)。理由は、自分が宅配便の兄ちゃんだったら(おっさんやけど)、配達先で愛想よく応対されたら気持ちがいいからである。さ、今日は『タモリ倶楽部』見て寝よ。
2009年5月24日(日)

 世襲議員のことについて、「でもやっぱり世襲議員は有利だから不公平ではある」という意見が親しい友人2名から(笑)。それはなあ、たぶん議論の目的が違うんだ。

 私の前回の話の目的は「資質のある候補者を選ぶこと」で、それを達成する手段としては、「世襲候補者かどうか」は関係ない、という意見。それに対し「でも世襲議員は有利だから不公平だ」というのは、目的が「立候補者の有利不利をなくする」に変わっている。目的が変わったら、そら手段も変わるから議論も変わってくる。前回の話は、

(目的)資質のある候補者を選ぶ→(手段)より資質があると思う候補者に投票する=世襲候補かどうかは関係ない

という話であって、「立候補者の有利不利をなくする」という目的に対しては、私は言及していないのである(何かその前の話と同じやなあ)。

 なので今から言及する(笑)。

 まず、私は世襲かどうかによる立候補者の有利不利については「別にそれぐらいはええんちゃう?」というスタンスです。だって選ぶのはこっちなんだから、立候補者の持っている「地盤(後援会組織など)看板(知名度)カバン(資金)」の不公平、あるいは不公平感なんて、「より資質のある候補者を選ぶ」とか「より良い政治が行われるような政党を選ぶ」といった自分の投票の意志決定には何の関係もないからです。それは「立候補者間にかかってくる不公平」であって、私ら「投票者間にかかってくる不公平」じゃないもの。

 次に、立候補者間の不公平は、「なくしようとしたらきりがないんちゃうん?」というスタンスです。世襲でない候補者にも地盤(後援会組織)はあるし、不公平なほど知名度のある人もいるし、資金が無茶苦茶ある人もいる。「自分で築いたものならいいが、親からもらったものはいけない」と言うなら、例えば世襲でない大会社の社長の息子が立候補したら、たぶん親の会社とその関連会社すべてを使って「地盤(後援会組織)」を作ってそれを利用するんだから、同じようなものである。

 知名度だって(あるいは情緒的な思い入れだって)同じようなものだ。小渕優子さんに「小渕元総理の娘というだけで当選していいのか」と言うなら、川田さんに「薬害エイズの被害者というだけで当選していいのか」というのと同じようなものだ。というより「当選していいのか」という言い方は、「当選するかどうかは有権者が決める」という基本的なことが抜けている。そこは「小渕元総理の娘というだけで立候補していいのか」「薬害エイズの被害者というだけで立候補していいのか」と問わなければいけない。すると、どう考えてもいいに決まっているじゃないですか。

 それでもまだ「いや、川田氏はその生い立ち環境から庶民の感覚がわかる」と言う人がいるだろうが、それなら「小渕氏はその生い立ち環境から政治のことがよりわかる」という話になるし、さらにどちらも自分に足りない分野のことは勉強して補おうとするのだからこれも同じようなものだ。あといくら例を出してもいいが、とにかく候補者間の不公平は、世襲か世襲でないかに関係なく存在する。だから世襲候補だけを制限しても根本的に不公平は解消しない。だいたいそんなものを全部平等的に公平にしようとしたら「会社の社長とその親族は本社のある選挙区から立候補してはいけない」だとか「マスコミに何回以上出た人は立候補してはいけない」だとか「親の財産も合わせていくら以上ある人は立候補してはいけない」だとか「自分や身内に不幸があった人は同情を買って不公平だから立候補してはいけない」だとか、きりがなくなるぞ、というのが私のスタンスである。

 繰り返すが、基本的には私は「立候補者の有利不利は別にあってもええんちゃうん」という考えである。理由はまた繰り返すが、「だって何らかの有利不利は絶対あるんだし、その上で選ぶのはこっちなんだから」である。だから選ぶ側の私からすれば、世襲を禁止されて選択肢が減ることの方が困るのである。
2009年5月21日(木)

 テレビのチャンネルをあちこち変えていたら、自民党が世襲議員の公認をやめるとかなんとかいうニュースが流れていたのでちょっとうんざりして(もうええか)、今日はチャンネルを変えた。こないだも別の番組で同じ世襲議員うんぬんの討論をやっていたが、聞いててもまったく目的がわからんのでチャンネルを変えた。

 世襲議員を禁止する目的は何なんですか? 「資質のある議員を揃える」というのが一番正当な目的なんだろうと思うけど、それなら目的を達成するための最も有効な手段は、絶対に「世襲議員を禁止する」じゃないですよ。

 議員の候補者は、

(1)資質のある世襲議員…○
(2)資質のない世襲議員…×
(3)資質のある非世襲議員…○
(4)資質のない非世襲議員…×

の4種類ですね。これ、漏れもダブリもないから100%MECE。ということは、資質のある議員を選ぶためには、より「資質のある候補者」(上記の分類の「○」の人)に我々が投票すればいいだけで、世襲か世襲でないかは関係ないじゃないですか。世襲を禁止したら(1)と(2)の人が候補者からいなくなるだけで、結果、候補者は

(3)資質のある非世襲議員…○
(4)資質のない非世襲議員…×

の2種類になる(世襲を禁止にして政党が世襲以外の人を担ぎ出しても、その人たちは必ず「資質のある人」と「資質のない人」が含まれる。実際今も、世襲でないけどまるで資質のない議員がたくさんいるじゃないですか)。ということは、私らの選択肢から(1)の「○」の人が消えるので、確実に「資質のある候補者」は減る。じゃあ「資質のある議員を揃える」という目的を達成する手段としては、ダメじゃないですか。おそらく世襲議員禁止を主張する人は、「資質のある議員を揃える」という目的ではない何か違う目的を持っているか、頭の中で目的と手段の整合性がとれてないか、のどちらかだと思います。

 「世襲議員は庶民の生活を知らない」とか「いや、世襲議員は非世襲議員より政治的資質が高い」とかいう議論は、目的と手段の整合性からすると全く枝葉の話です。庶民の生活を知っている世襲議員もいるし、世襲議員より政治的資質の高い非世襲議員もいるんだから、そんな議論はいくらやっても「いや、そうではない人もいる」という言い合いになって何の答も出ない。

 「世襲候補が非世襲候補の出馬を阻害している」という意見も、調べたわけではないが、非世襲の人が立候補しない一番の理由は「世襲候補がいるから立候補しない」じゃないでしょう。立候補する人は世襲候補がいても立候補してるし、私が立候補しないのもそんな理由じゃないし(笑)。だから、世襲でない人を立候補しやすくするためには「世襲禁止」より有効な手段がいくつもあるはずです。

 「世襲候補は地盤・看板・カバンがあるから有利であり、それは不公平である」という意見も聞くが、それは「支持者がいる」ということなんだから、支持者が多い人が当選するという民主主義のルールに則った、全く正当な条件だと思う。結局、世襲候補だろうがそうでなかろうが、有権者が投票で「議員にするかどうか」を決めるのである。

 有権者としての私たちは、目的が「資質のある議員を揃える」なら、世襲か非世襲かに関係なく「より資質があると思う方」に投票すればいいだけだし、目的が「政権交代させる」なら、世襲か非世襲かに関係なく「野党」に投票すればいいだけだし、目的が「現状維持」なら、世襲か非世襲かに関係なく「与党」に投票すればいいだけだし、目的が「とにかくあいつを当選させたくない」だったら、世襲か非世襲かに関係なく「あいつ以外」に投票すればいいだけだし…あといくつも目的例を挙げてもいいけど、ほとんどが「世襲かそうでないか」に関係ないことばかりだと思う。「そんなことでは何も変わらない」と言うなら、独裁国に行った方がいい。民主主義はものを変えるのに時間がかかるシステムなんだから。

 とにかく目的を具体的に整理して、それを達成するためには何がより有効な手段かの優先順位をつければ、こんな話はシンプルに整理がつくことだ、というのが私の意見です、と都村さん風に締めてみました(笑)。
2009年5月20日(水)

 こないだテレビのチャンネルをあちこち変えていたら、NHKの討論番組みたいなので若者がたくさん出ていて、何か夢がどうしたとか話していたのでちょっとうんざりして(笑)変えようとしたら、大人側の識者らしき出演者の一人が若者たちに向かって「最後に今、夢を実現しうる社会になってるのかどうか聞かせて」と言った。それを受けた若者が、何かよくわからない理屈を並べて「……だから今の自分たちには答えようがない」と言ったら、会場から拍手が沸き起こって、番組は終了した。

 何でそうひねくれてこねくり回すかなあ。今の日本で、例えば医者になりたいという夢を社会が阻止してるか? 先生になりたいという夢を社会が阻んでるか? プロ野球選手になりたい、サッカー選手になりたい、会社の社長になりたい、お笑い芸人になりたい、公務員になりたい、芸術家になりたい、職人になりたい…たいていの夢は、努力してライバルに勝ち抜くという関門やコネなどの人間関係の関門はあるだろうけど、その実現を「社会が阻む」なんてのは、独裁国じゃあるまいし、今の日本であるんですか。そんな質問をする方もどうかと思うし、「答えようがない」と答える若者もどういう思考回路をしてるんだろう。

 我々のいろんな夢の実現を阻んでいるのは「社会」などという言っている自分だけに都合のいい概念のようなものではなく、ましてや日本の体制でもなく、ほとんどが具体的に努力不足だったり能力不足だったり、それに伴うお金や時間の不足だったり人脈不足だったり、あるいは病気や体力の不足だったり、あるいは親の面倒を見ないといけない、子どもの面倒を見ないといけない、とかいう個人的な身の回りの問題だったり、そういうものが要因のほとんどではないですか? 私もこれまで多くのやりたいこと(夢?)をあきらめてきたが、理由はすべて、目指すには自分の能力が足りないとかお金が足りないとか、「長男だから親元で、あるいはせめて香川県で住む」という自分なりの制約(また誤解する人が必ずいるから「自分なりの」というところを強調しておく)のせいである。間違っても「社会のせい」ではない。

 昨日、別の仕事の関係でイギリスのサッチャー元首相の語録を調べていたら、こんなのが出てきた。

「社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです」
「乳幼児にミルクを与えるのは母親の仕事であって、国家の仕事ではありません」

 痛快に言い切るなあ。こいつをいただけば、

「夢を実現するのはあなたの努力であって、社会があなたの夢を実現するのではありません」

 おお、何かかっこええぞ。あの番組もこれで締めればかっこよかったのになあ。パクリやけど(笑)。
2009年5月18日(月)

 朝、高松でインタビュー取材を一件終えたら11時半になったので、そこから善通寺の大学に行く途中でうどん食べようと思って山越に行ったのである。そしたら、月曜だというのに駐車場はいっぱいで、大阪ナンバーの観光バスまで来てるやないの。一瞬帰ろうかと思ったけど、ええい、行列に突入じゃ。

 列の最後尾に並んだら前にいた知らないおっちゃんが声を掛けてきた。

おっ「あ、田尾さんや」
田尾「ちわ」
おっ「あんたのせいでこなに並ばないかんようになったんや(笑)」
田尾「すんません(笑)」
おっ「谷川や、近所に迷惑がかかるいうてゴールデンウィーク休んどったがな」
田尾「らしいですねえ。がもうも宮武も休んでたらしいですよ。がもうなんか去年も休んでたせいか、県の観光課かどっかから『開けてくれんやろか』いうて電話がかかってきた言うてた」
おっ「まあそらなあ、わざわざ県外からうどん食いに来て閉まっとったらつらいわな」
田尾「けど県に頼まれて開けたら、県から警察も来て取り締まるらしい(笑)」
おっ「マッチポンプかいな(笑)」

 みたいな話をしながら、何年か前に大将が「行列の途中の電柱から20分かな」と言ってたのをふと思い出して時間を計ってみたら、電柱からうどんを受け取るまで13分! 大将の計り間違いでなくて、明らかに客をさばくスピードが速くなってます。奥さん、10人近く向こうまで注文を聞くだけでなく、出てくるうどんもむちゃくちゃ段取りがいい。店に入った途端に注文を聞かれて、ジワジワと進んで奥さんのところに着いたらもううどんが出てる。ゴールデンウィークの5月4日に6000玉を売り切ったと新聞に出てたけど、釜の生産能力もさることながら、「頭の中を注文のトロッコが走りよんや」と言う奥さんの処理能力はもうギネスものです。ギネスにそんな項目はないと思うけど。

 前後のお客さんの注文を聞いていたら、釜玉関連メニューばかり。私はいつものようにかけ大(2玉)にちくわ天と半熟卵天を取って、食べ終わってお土産コーナーのお姉ちゃんにあいさつして大学に行きました。5時まで猛仕事して、5時から会議に出て、引き続きバイシクルオペレーション(ちゃんと進みよるぞ・笑)。今週末も土日休みなしだ。
2009年5月17日(日)

 3週間ぐらい前に大阪の番組制作会社の人から電話がかかってきて、「麺の特番で讃岐うどんを紹介するので、2軒ほど一緒に回ってくれないか」という依頼がありました。ロケは5月16日(土)で、2軒だからせいぜい3時間くらいの拘束ということで、麺通団は讃岐うどんの応援団だから「いいですよ」と返事をしたのである。そしたら「紹介する店を推薦して欲しい」と頼まれて、コンセプトを聞くと「讃岐うどんを代表する店がいい」と言うので有名どころの、しかし2軒だけなので余裕を見て3軒、特に特徴のある店として「がもう」と「谷川米穀店」と「なかむら」を紹介して、あとは先方に店の決定とアポ取りをお任せしたのである。

 数日後、再び電話がかかってきた。聞くと、がもうと谷川米穀店に断られて、なかむらだけ受けてくれたので、もう1軒挙げてくれないかと言う。がもうと谷川は今年のゴールデンウィークに「あまりの混雑で近所に迷惑をかける」という理由で店を休んだので、こらもうテレビは勘弁して欲しいということなんだろうな…と思いながら、電話のやり取りの中でふとロケの時間を聞いてみたのである。そしたら何と、「タレントの入りの都合で、午後3時半からになるんですが」と言った!

 そらあかんわ。そんな時間から取材に行っても、谷川は1時まで、がもうもせいぜい2時頃まで。営業時間がとっくに終わっとる。というか、讃岐うどんの取材にそんな時間に来る方が間違ってる。けどなかむらは受けてくれたのか。土曜日やから3時半頃まで引っぱるんかなあ…と思いながら、とりあえず5時まで開いてて王者のダシを出す香の香を追加で推薦して、それから1週間ほど経った今週の月曜日の朝、がもうに行ったらガモムスが「田尾さんすんません」と言ってきたのである。

田尾「何?」
ガモ「いや、こないだ大阪のテレビから取材させてくれいうて電話があったんですけど、3時半頃や言うきん断ったら、田尾さんのお勧めで田尾さんも来る言うてきたんやけど、やっぱりいっぺん火を落としたらちょっと無理なんで断ったんですわ」
田尾「かまんかまん。俺もロケがそんな時間やいうの知っとったら最初からがもうはピックアップしてなかったんやけど、あとからわかったんや。というか、俺の名前出して押してきたんか…」

 私はなかむらのことがちょっと気になり始めた。翌日火曜日、打ち合わせで制作会社のディレクターが研究室に来たので、ほんまになかむらが受けたのか聞いたら、受けてくれたと言う。続いて、当日私は何時にどこへ行けばいいのか聞いたら、

D「3時半に香の香へ来て頂ければ」
田尾「え! ほな、なかむらはそのあと?」
D「はい。なかむらが4時半の予定です」

 4時半! 驚いた私はすぐさま、なかむらのけんちゃんの携帯番号を知ってる長谷川君に電話した。

田尾「そういうわけで4時半いうたらなかむら、絶対営業時間が終わって一回火を落とした釜をもう一回沸かし直すんや。それ、取材依頼の時に俺の名前を出されて受けた可能性が高いわ。ちょっと長谷川君、すまんけど今からけんちゃんに電話して事情聞いて、もしそうやったら俺がメチャメチャ申し訳ないことしたいうて謝っとってくれるか? 俺も行って謝るけん」
長谷川「了解しました。すぐ電話します」

 その日の夜、長谷川君の報告によると、やっぱりそうやった。

長谷川「やっぱり団長の名前が出たから受けた言うてました」
田尾「うわっちゃー。メチャメチャ悪いことしたわー」

 などという困った事件がありましたが、昨日、ロケを無事終えました。西川ヘレンさんと月亭八光さんが来ました。二人ともさすがにプロで、特にヘレンさん、麺やダシやネギについて素直で感性豊かなコメントを連発して、メチャメチャ素敵でした。しかもおもろい。私もテンション上がってちょっとしゃべりすぎたけど、いっぱいカットしといてください(笑)。あと、けんちゃん、すまんかった。今度からちゃんと時間を聞いて店を選ぶ。都合が悪かったらいつでも断ってくれてええからな。
2009年5月15日(金)

 授業を終えて午後3時頃、日が傾くまでの時間を使って、授業の小ネタ集めにカメラを持って大野原の豊稔池に突撃した。大したことではないが、わけあって先月から香川県の重要文化財建造物を確認に行っておりまして。香川の重要文化財建造物は国宝2物件を含めて確か26物件(だったと思う)ありまして、これくらいの数なら「全物件制覇」は割と簡単にできるので、興味のある方とか、もうヒマでヒマですることのない方とか、どうですか?(笑)

 ちなみに先月は白峰寺の十三重塔を見に行ったのだが、『雨月物語』の「キング・オブ・怨霊」崇徳上皇が流されて住んでいた建物があって、その前には日本八代天狗の一匹(単位が違うと思うが)の相模坊が霊を鎮めるために立っている。この像、私の中で「香川県内のインパクトのある像ランキング」第2位です。1位は根香寺の牛鬼ですけど。ちなみに、白峰寺のある坂出市ではこの天狗にちなんで「天狗まつり」に「天狗マラソン」に「天狗うどん」まであるが、天狗うどんは具が10種類で「テン(10)具」という、腰が抜けるような由来のネーミングらしい(笑)。

 そういうわけで豊稔池に行くのは20年以上ぶり。まだ重文に指定されていない頃に取材に行って以来で、私のカーナビに出てこないので念のために大野原の役場に行って道順を聞こうとしたら、カウンターの中にいた職員さんたち5〜6人が一斉にこっちを見て

職員A「あ、うどんの人や」
職員B「え?」
職員C「ほら、あのうどんの人」
田尾「すんません(笑)、豊稔池に行く道順教えてください」

 えー、女性の方がすぐにイラストマップを出して説明してくれて、無事たどり着くことができました。香川で最も最近認定された重要文化財・豊稔池堰堤。中世ヨーロッパの城壁みたいな石積みの、小さいアーチがいくつも連なったダムみたいな建造物です。真下まで行って見上げると、あれは迫力があります。さらに、どこの国に来たのかと思うような異国情緒がある。あれはね、初めて行った人は絶対写真に撮りたくなります。近くには萩の名所があり、ロープウェイで雲辺寺山頂にも上がれる。大野原は意外と、ちょいレジャーの穴場ですよ。
2009年5月14日(木)

 一昨日の夜11時半頃、上村さんから仕事の真っ最中の私に電話がかかって来たので何事かと思ったら、「田尾さんのマンションのすぐ近くのファミレスで焼酎かっくらってるので出てきなさい」って。自他共に認める上村さんの介護担当(笑)の私としては、出て行かないかん。午前1時半まで、よっけしゃべってきました。その中で一つ、こないだの日記で私が「子供2人育てるのに9000万円ぐらいかかったことになるけど、浅ましく何でも自分のために、という性格ではない私としてはまあよかったと満足している」と書いたのが「子どもがいなくても、自分のためでなく他人のためにお金を使っている人がいるけど、その人たちから誤解される恐れがある」と指摘されて、「あー、やっぱりそうなんだろうなあ」とちょっと反省しました。「自分のこととして言う」と書いてても、そんなクレジットを読み飛ばして短絡的に「子どもを育てたやつの方が偉いのか」と反論する人がいるんだろうなあ。

 上村さんは「俺は田尾さんの言ってることの真意はわかってるけど」と言ってくれたが、念のために補足しておくと、私の頭の中では、子どもがいる人と子どもがいない人は、こういう感じで分類されている。

(A)子どもがいて、子どもをまあ普通に育てた人
(B)子どもがいて、子どもをいい加減に育てた人、あるいは虐待したり捨てたりして育てなかった人
(C)子どもがいなくて、その分できたお金と時間を他人や社会に振り向けて貢献した人
(D)子どもがいなくて、その分できたお金と時間を(浅ましく)自分の快楽のためだけに費やしてきた人

 以上、ほぼMECEな分類。で、私は(D)の性格ではないし、(B)にもならなかったから9000万円かかってもまあ満足しているというわけで、つまり、(C)の人には言及してないわけです。だから「(C)より(A)の方が偉いのか」という反論に対しては、「え? そこの話はしてないですよ」と言うしかない。そこは、こないだ書いた「個人の価値観というか生き方の話だから自分のこととして言うしかない」というクレジットの部分です。

 もちろん、(D)の人に対しては少しは構造的な不公平感は持っている。それは私の人生のことではなく、私が育てた子どもたちのことである。彼らが社会人になって働いて、現世御利益をむさぼる人たちのせいでどんどん高くなっていく税金を払って、その税金で現世御利益をむさぼってきた(D)の人たちの老後の面倒まで見るという、二世代スパンで見た時の高齢者福祉の構造的不公平感である。たぶん、今の高額納税者の多くが持っているのではないかと思う「私らがいくら税金を払っていると思ってるんだ」みたいな不公平感と、スパンは違うけど微妙に似てるかもしれません。違うかなあ(笑)。

 今日は学生の宮Eと野Dと滝Mを連れて、豚珍館で何と、ソフトクリームを食べずに中華を食べてきました(中華の店やっちゅうねん)。みんな悩み多き明るい学生じゃ(笑)。先は長いけど、幸せになれよ。明日も朝一からやのに、もう0時半を過ぎた。ふー、まだ1時間は寝られん。
2009年5月7日(木)

 一昨日は、さっそく使わせて頂くけど原稿が漕いでも漕いでも前に進まないトライシクルオペレーションに陥って(笑)、非常時の第二書斎であるアップタウンにパソコンを持ち込んでなんとか一つ仕上げて、昨日は昼、うどんを食べに街に出たついでにまたアップタウンに行ったら、マスターがコーヒー豆を選別していたのである。何か天ぷらバットみたいなのにコーヒー豆をザーッと入れて、横に大きめの器と灰皿を一つずつ置いて、豆を一つずつ、

「グッドビーンズ、グッドビーンズ、グッドビーンズ……バッドビーンズ」

と言いながら、グッドビーンズは大きめの器に、バッドビーンズは灰皿に入れていくという、アップタウンにおけるお宝の光景でして(笑)。すごいなあ。高い豆買うてきても、そのまま挽いちゃいけないんだ。マスターに聞いたら「当たり前でおます」言われるけど。

 ちなみに我が家は長女がこの春に就職して苦しかった学費と仕送り負担が一人分軽減されたため、贅沢品を一つ増やして、インスタントコーヒーを「ハマヤのブルーマウンテンNO.1(100gが2000数百円)」に切り換えました(笑)。すでに「南京豆は千葉産」と「米は魚沼産コシヒカリ」の2贅沢を実施しているのだが、今年から3贅沢である。チンペイから「もう庶民とは呼びませんからね」と言われそうだが、金額計算すると南京豆は年間1000円ぐらい、コシヒカリは年間3万円ぐらい、で、ハマヤのコーヒーは使用量からして年間1万円弱の贅沢だから、人生も晩年に入ったし、新婚旅行も家族旅行も行けずに30年も無茶苦茶働いて来たんやから、これぐらいええやろが。

 で、ふと思い立って計算してみたのだが、子どもが一人できると、子どもにかかるお金が食費や服代やいろんなあらゆる支出増や、あるいは育児による家内の仕事機会喪失等も全部含めて、ものすごく大ざっぱに1年間に150万円くらいとして大学出るまでの22年間で3300万円。大学の4年間、県外の私立に行って授業料と仕送りで大ざっぱに年間300万円の4年で1200万円。合わせて4500万円。子供2人で9000万円かかったことになるんか。

 けどなあ、子ども作らずにその9000万円を全部自分のために使ったとしても、どっちがええのかといえば、これは個人の価値観というか生き方の話だから自分のこととして言うしかないが、私は自分の生き方として「浅ましく何でも自分のために」という性格ではないからやっぱりこっちだった、と満足している。人類として「一世代つないだ」という大仕事もしたし(人口増で温暖化防止には逆行してるが・笑)。途中経過として今、家は狭いし貯金も大してないけど、このお金は自分のために使うより子どもに使ってよかったんだと。うーん、コーヒーの贅沢を何とか正当化しようと思ったのだが、睡眠不足でうまいこといかん。チンペイ、ハマヤのインスタントはうまいぞ。
2009年5月5日(火)

 何としても連休中に終わらせないといけない仕事がなかなか終わらず、連休明けの授業の準備も手付かずで、昨日の夜は必然的に「徹夜するぞ」モードだったのである。ところが、朝からずーっとやってた仕事が夜の9時頃にとうとう集中力が電池切れになってきたため、私は徹夜をあきらめて「早よ寝て早よ起きて早朝から仕事するぞ大作戦」に切り換えたのである。危険な匂いがプンプン(笑)。

 だがしかし、今朝は気力で3時半に起きた。で、とりあえず顔洗ってハミガキしてコーヒー飲みながら新聞を広げたら、1面のコラムに「連休もあと2日…」と書いていたのである。うわ! こんなとこでいきなり間違ってる! 連休は今日で終わりやんか。そやから俺は最後の1日をこんなに早よ起きて…と思いながら、まさかと思ってカレンダーを見たら、えーっ! 明日も休みか! 振替休日って、どんだけ後ろまで振り替えるんじゃ!

 とりあえず水曜日の授業の準備はしなくていいことになりました(笑)。で、8時半頃まで別の仕事をして、散歩がてらにちょっと外に出ようと思ったわけです。用事は、タバコが切れたので買いに行く。ついでにうどんでも食べてくるか、と。連休中とはいえ、もう5日だし、こんな時間には観光客は中讃あたりの人気店に殺到してるだろうから高松市街地の製麺所は大丈夫だろうということで、この時間に開いていてうちのマンションから散歩がてらに行ける店、さか枝と松下と丸山の3軒をピックアップした。。しかし、連休ということで店が休んでいる可能性がある。

 私は推理をした。まず、さか枝は県庁とかのオフィス客が主体だから、オフィスが休みの時は店を閉めている可能性が一番高い。松下は玉の卸しをやっているから開いている可能性大。しかもあそこは駐車場がほぼないに等しいから、車で来る観光客は止めるところがなくて帰るんではないか。すると、そんなに混んではないかもしれない。丸山も卸しをやってて駐車場が4台だから、松下と同じような条件だ。よし、まずは歩いてさか枝に行って、閉まってたら松下に行って、閉まってたら丸山に行って、その帰りにKSBのそばのコンビニでタバコを買って帰る。

 という作戦で8時45分、小雨がぱらついていたので傘を差して、私は出発した。20分歩いてさか枝に着くと、休業だった。まあ想定の範囲内。店のそばに兵庫と滋賀ナンバーの車が止まってた。次の店を探しているみたいだ。そこから10分くらい歩いて松下に向かう。開いてるような気はするが、閉まってたらもう最後の丸山に賭けるしかない…と思いながら路地の角を曲がった瞬間、うわ! 行列! 何と、こんな時間から店の外に100人以上が並んでいる! 店の周りに違法駐車の車は1台も見当たらない。みんな車はどうしたんだ? そのまま松下を避けて丸山に向かっていたら、向こうの方から明らかに松下に向かっている県外客らしい人が何人も歩いて来る。みんな、マナーを守って周辺の遠い駐車場に車を止めて歩いて行ってるみたいだ。

 それからまた10分くらい歩いて丸山に行ったら、休みだった。ガックシと肩をカカトまで落としてまた10分近く歩いてコンビニに行ったら、「マイルドセブンスペシャルライト」を置いてない。結局、1時間散歩しただけで帰ってきました。何やってんだか(笑)。しかも普通の靴を履いて早足で歩いたためか、足の裏にちっちゃいマメができて痛いがー。今日はもう、ガムでもかみながら仕事する。
2009年5月2日(土)

 朝6時半頃から峰山に上がって、10日振りだったので今日はいつもより多めに歩いて9時過ぎに帰って、11時からインタビュー1件。「中国のITソースコード開示要求」という、言ってみれば「中国による企業の拉致問題」みたいなテーマのインタビューを1時間ほどやって、昼からはこれのテープ起こしをしながら阪神ー巨人戦をチラチラ見てました。岡田が解説してる!

 最初、CSで見てたから気がつかなかったのだが、全国放送やん。以前「岡田の解説はめちゃめちゃリアリティがあっておもろいけど、全国ネット向きではないかも」と書いたのは、私はあの「お笑いに走らない“素”の大阪人」の岡田の大ファンなので、東京文化が支配する全国ネットの野球解説の世界で置いてけぼりにされはしないかという親心みたいな心配があったからなのだが、岡田、やりました!(笑)

 もう一人の解説は中畑。実況アナと中畑が相も変わらず何十年も続く定番の「この1点は大きいですねえ」みたいな、「それは解説か!」みたいなやりとりを繰り出すのに対し、岡田はそんなアホみたいな解説に全然乗って行かん。阪神が2-0でリードした時、解説が「次の1点をどっちが取るかですね」という「当たり前じゃ」みたいな振りをしても乗って行かん。中畑が「このバッターをどう抑えるかですね!」と「当たり前じゃ!」みたいな解説(解説かそれは)をしても、明らかに「そんな何の意味もない話には乗って行かん」みたいに無言で、ひたすら自分がまだ監督をやっているようなリアリティあふれる場面解説をはさんでいく。

 で、何回だったか、不振にあえぐイ・スンヨプがショート前にあまりに詰まった打球を打って内野安打になった時である。岡田がこんなに詰まった打球は見たことがないという驚きで「ものすごいどん詰まりですよね」と言ったら、中畑がまた定番の解説フレーズを繰り出した。

中畑「でも打者というのはこういうものでも『H(ヒット)』のランプが点くと変わってくるんです!」
実況「そういうものなんですねえ」

 と言った後、岡田が一撃を放った。

岡田「こんなので変わりますかね」

 あっはっは! 岡田、やった! それを受けた中畑が、

中畑「いや、変わって欲しいですよ!」

 って、そらお前の気持ちやんか!(笑)。試合は負けたけど解説は岡田の完勝です(笑)。ええなあ、岡田。たぶん「店内は白を基調とした明るい雰囲気で…」とか「新鮮な瀬戸の幸をふんだんに使った料理の数々…」みたいな数十年も進化のない定番フレーズを避けてリアリティのある言葉で説明しようとするタイプの私のメンタリティとどこかでシンクロしてる気がして、私は岡田のファンなんです。私はそれに技巧が入りすぎて、まだまだ岡田の域には達してないけど。
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