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2009年10月の日記
2009年10月29日(木)

 「最近日記の日付がしばらく2003年になっているんですけど、何か意図があるんですか?」というご指摘が各所から来ているのだが、あるわけないやろ(笑)。ボーッとしてて見直しせずにアップしたに決まってるやん(笑)。あわてて直しました。すんません。

 でも、うっかりミス以外の「あれ?」と思われるところは、こっちもプロですからたいてい意図があるわけで。ここんところ「ハードルを上げる」話が出たのでついでにバラしておくと、こないだの金曜の夕方、松本君ちに私とS原と和D画伯とスシ子と松野が集合して最終校正大会を行っていた時、和Dから「田尾さんが自分から『爆弾みたいなデキ』って言うの、今までほとんどなかったでしょ? あんなの、何か意図がなかったら絶対やらないですよね」という鋭い指摘を受けたので、「そこに気づかれたらしょうがないな」ということで、W田も情報発信のプロだから(雑誌制作のプロとは意味合いが違う)私もあえてそう書いたプロの裏の意図を説明したのである。「裏の」と言ってももちろん悪意のある意図ではなく、またそれほど大した意図ではないんですけど、

田尾「な? そういう意図やから、例えば麺通団の本とか書いた時には絶対冗談でも豪語せんやろ?」
和田「なるほどなるほど、納得です」

 というわけで、まあ情報発信に携わらない方々にはあまり関係ない話なんで詳しく説明はしません。お申し込みいただいた方はインタレストが届いたら「爆弾って書いてたのに大したことないやん」とか思っていただいても全然かまいませんので(笑)。ついでに申し込みメールの中で、前号の表紙にあった『橋の欄干がおもしろすぎる』というタイトルに「『おもしろい』というのは個人の主観の話なのでタイトルに使うのはどうか…自分で先に『おもしろい』と言うメンタリティはどうなのか…」という視点から「大風呂敷を広げてしまう昔の世代と控え目に出る若い世代」みたいな世代間論に展開して指摘をしていただいた読者の方がおられましたが、なるほど、そういう考え方をする人もいるのか、と勉強になりました。ちなみにあれは本文の中でいきなり自らタイトルを否定していますので(笑)単純な大風呂敷ではございませんで、ま、わかりにくい二段落ちになっておりまして(笑)。「おもしろい」というのも本文を考えながら読んでいただきますと、「興味深い」とか「それでいいのか」とかいうかなり複雑で多岐にわたる意図を含んだメッセージを奥歯に物を挟んだようにわかりにくく発しておりまして(笑)。ま、そういうことを全部包んだ「おもしろい」のつもりだったんですけど、これもまた情報発信に携わる人以外には関係のない話で、わかりにくくてすみません。流してください(笑)。

 そういうわけで、インタレストは授業なので教育の一環として、有料で販売するビジネスとしての出版物でないから表紙の意味合いや狙いも変わってくるとか、表現も変わってくるとか、いろいろその場で学生にレクチャーしながらやっております。お手元に届きましたらぜひ感想やご意見や批評や気の利いた小ネタ(笑)などをお寄せ下さい。

田尾「読者から寄せられたメッセージの一つ一つが勉強になるんぞ」
松野「勉強になってます」
尾崎「『おもしろかった』とか書いてくれるとうれしいですしね」
田尾「うれしいよなあ。けど『うれしい』だけでは勉強にならん。例えばこういうふうに考える。褒められたらうれしいということは、自分が何かについてコメントする時に相手を褒めてあげると、相手もうれしいに違いない、と思うことや」
尾崎「確かにそうですね」
田尾「自分がされてうれしいことは、相手にしてあげると相手も喜んでくれる。逆に自分がされて、あるいは言われてイヤな思いをすることは、自分が相手にしても相手がイヤな思いになる。情報発信のプロになろうと思う人は、それをいつも強く意識しておく。すると例え相手を批判する時でも、そこに『愛』が伝わるんじゃ」

 自分では「愛の鞭だ」と言っても、それが相手にとって「愛の鞭」に感じられるかただの「鞭」に感じられるか、分かれ目はそのあたりにあるような気がする…と書いたら読者から「褒めなしゃーないやんけ!」というツッコミの嵐になるわ(笑)。すんません、愛のある批判、全面的にオッケーですので(笑)。さ、明日の夕方、冊子が来たら発送作業じゃ。
2009年10月26日(月)

 朝、研究室で慣れないパワーポイントで明日の授業に使うデータ表や写真のページを苦しみながら作っていたのである。どうせ口頭で解説しながら進めるので写真なんか順番さえ間違えずにペタペタ並べてたらいいようなものなのだが、そこはそれ、手抜きのできないスイッチが入ってしまって、文字や写真の微妙な配置や大きさをいじり、さらに渾身のキャプションを付けながらの作業にのめりこんでしまって(笑)。でも学生たちにはたぶんそんなことはわからない。写真とキャプションの間隔が全部統一されているとか、文節を壊さないように改行するためキャプションの言葉を選んでいるとか、あるいは進めていくリズムからトントンと送っていくところは短くてオチの利いたキャプションにしてあるとか…。絶対いらんところに手間を掛けてるよなあ。松本君がいらんところに手間を掛けて締め切りが遅れるのと同じだ(笑)。

 などと頑張っていたら、インタレスト編集長のスシ子がノックして入ってきた。

スシ「あの…」
田尾「どしたんや」
スシ「えらいよっけメールが来てるんですが…」
田尾「迷惑メールか?」
スシ「いや、インタレスト希望の…。何か勝谷さんがメールマガジンに書かれたみたいで、そっちから今日大量に…」

 あわててメールマガジンをチェックしたら、勝谷さん、めちゃめちゃハードル上げてるやんか!(笑)ブブカでも1センチずつしか上げんのに5メートルぐらいいっぺんに上げて、どんだけおもろい冊子かと思われるような(笑)。

田尾「パソコンからはみ出るぐらい来てるんか」
スシ「もうはみ出て床を抜いて、1階のノトススタジオの天井からぶら下がってます」
田尾「なんとかー!」

 メールを見に行くと、その数はすでに過去の号の希望メール数を抜いて、新記録を達成していた。「気の利いたメッセージ」を付けてくれている人もたくさんいる。とりあえず今日までに来てる分、全部読みました。

<福岡県・田中さん>「今回アゴマットの準備ができましたので初インタレスト希望します」
S原がデザインを見てアゴを落としたから準備したんか。落としてないけど(笑)。

<丸亀市・西原君・7歳>「生まれた時から読んでます」
うそをつけ!

<東京都・西山さん>「広辞苑より。『日記』日々の出来事や感想などの記録。なるほど、日記は日々の出来事や感想を記録しておけば、別に毎日書くことは必須条件ではないんだ。ということは団長日記もタイトル詐称で訴えられる心配はないですね」
日記更新の催促かい!

<堺市・川口さん>「ダッズさんには『お疲れ様でした。安らかにお眠り下さい』とお伝え下さい」

 金曜日の晩、最終校正と修正作業をやっていたら松本君とS原が言うのである。

松本「僕に仕事を出してくる人らね、田尾さんのブログをめちゃめちゃチェックしてるんですよ。何でチェックしてるかというとね、田尾さんのブログで僕の仕事の進行具合を確認してて、インタレストが終わりそうになったらすぐに仕事のメールが来る」
S原「僕もですよ! あれ、奇跡的なタイミングで来ますよね(笑)。ほんまに、インタレストの作業がやっと終わって、今終わった、いう瞬間に『そろそろインタレスト終わったみたいなのでこないだの分、早よしてください』いうて。部屋にカメラついとんかと思って探しましたよ(笑)」

 私の日記はいろんなところで役に立っているようだ(笑)。そういうわけで松本君もS原も、安らかには眠れんみたいです。ちなみに改めて書いておきますが、インタレスト最新号はまだできてません。印刷が上がってくるのは今週の金曜日の夕方なんで、すみませんがお手元に届くのは来週中くらいになりそうです。うち、土曜日から大学祭なんですが、学生イナゴ軍団に「必死で宛名書けー」言うとりますから。「シールで宛名をプリントしたらええやん」という声が毎年ありますが、まあそこはナニで(笑)。
2009年10月22日(木)

 チンペイが団長日記の月別の更新回数データを突きつけてきて(何のデータを出っしょんじゃ)、「9月になって一桁回数しか更新してない」と指摘するのである。

チン「先生、夏前から忙しい忙しい言いながら月に10回以上は更新してたのに、9月になって回数がガタ落ちじゃないですか」
田尾「あのな、ほんまに忙しい時は更新どころでなくなるんじゃ」

 バイシクルオペレーション全開。銀行なら融資を躊躇するほどの自転車操業。手抜きのできない悲しい性が(自分で言うけど)、さらに私を追い詰める。追い詰められてしかし今日、ついに8月から抱えていた大きい3つの山の1つ目のインタレストが手を離れる直前まで来た。水曜日に松本君から全ページのデザインが上がってきて、授業の合い間と夜を使って校正を済ませ、本日午後6時半、松本君ちに修正原稿を届けた。明日の午後、最終の校正と修正をして印刷発注だ。発行予定は来週金曜日の10月30日。当初予定から3日ぐらい遅れたが、理由は松本君が締め切りを1週間間違えていたからだ(笑)。

 しかし今号はこれまでの7号を凌ぐ、爆弾みたいなデキです。4大特集は、

●香川県民の永遠の疑問を解く!「2009年香川県下あん餅雑煮分布調査」
●オバカ取材企画の真骨頂!「スシ太郎の大冒険」
●世界初の渾身取材企画!「空海の顔190面」
●2万人データ集計企画!「名前の変遷大調査」

 S原が、上がってきた「空海の顔190面」のデザインを見てアゴを床に落とした。世が世なれば他の3本の特集も第一特集を張れるくらいの内容なのだが、空海特集のインパクトがすごすぎる(笑)。

 というわけで、本日より「インタレスト希望」の受付を開始します。お申し込みはいつものようにメールかハガキで。冊子は無料ですが、いつものように「送料着払い」なのでご了承下さい。

■Eメールの申込先…interest@sg-u.ac.jp
■ハガキの申込先…765-8505香川県善通寺市文京町3-2-1 四国学院大学 カルチュラル・マネジメント学科「インタレスト編集部」宛

*いずれも送り先の郵便番号、住所、氏名、年齢(詐称可)を明記しておいてください。気の利いた一言やメッセージがあれば、なおうれしい。
*冊子は送料着払いにてお送りさせて頂きますので、ご了承ください。
*こちらから郵送する際の宛名は学生が直筆で手書きしますので、がんばりますけど誤字脱字ヘタ字は何とぞご容赦下さい。
*ご要望があればお一人様数冊は対応できると思います。事情があって10冊以上欲しいという方は、事情によって対応できるかもしれません。
*バックナンバーは4、6、7号のみ送付可能です。

 さてと、バイシクルオペレーションの合間を縫って今週末から2つ目の山に取りかかるか…。
2009年10月18日(日)

 夜、家内と食事に出て、帰りに車のガソリンが底をつきかけていたので浜街道沿いの茜町の宮脇書店の向こうのセルフのガソリンスタンドに入ったら、家内が「ここや」と言ったのである。

田尾「ここが何?」
家内「こないだここでガソリン入れて、車がドロドロだったから洗車もしようと思って、あそこの自動洗車機に入ったんよ」
田尾「ほう」
家内「ほんでな、プリペイドカードを持ってたからそれを入れて、まあとりあえずきれいになったらええから一番安い水洗いのボタンを押して、運転席に帰ってちょっと車を進めて所定の位置で止まってたら、後ろに次の洗車の車が止まったんよ」
田尾「まあ、こっちの洗車が終わるまで待っとかないかんわな」
家内「ほんで機械の枠が動き始めて洗車が始まったんやけど、ふとバックミラーで後ろを見たら、後ろの車の人が運転席から下りて、洗車の種類を指定するところで何かやってるのが見えたんよ」
田尾「まあそこでお金入れていろいろボタン押さないかんからな」
家内「ところがや、それを見た瞬間に私、プリペイドカードを差したまま取り忘れてるのに気がついた」
田尾「まあ、後ろの人、気がついて取り出して機械の上に置いてくれるか、あとで渡してくれるかするやろ」
家内「私もそう思って、こっちはもう洗車が始まって車に水とブラシがバーッてかかってる最中やから車から出られへんし、まああとから取りに行こうと思って。ほんで車の上を水とブラシがバーッて後ろに行って、また前に戻ってくる時にバックミラーで後ろが見えるやん。それで後ろを見たら、何が起こった思う?」
田尾「何?」
家内「後ろの車、バックし始めたんよ。洗車するつもりで並んでたはずやのに、洗車せんと向きを変えて出て行きよん。ほんでな、道路に車がいっぱい走りよったからその車、ガソリンスタンドから道路に出るところで止まってたんやけど、こっちの洗車が終わって車を出してそこに止めて、プリペイドカード取りに車から降りたらその車、ブワーッて道路に入って走って行った。私が機械の所に行ったら、プリペイドカード、ないん!」
田尾「そいつ、カード取って逃げたんか!」
家内「逃げたわ!」
田尾「カード、なんぼぐらい残っとったん?」
家内「1000円のカードで350円の水洗い2回使たから、たぶんまだ300円は残っとったと思う。あれたぶん、機械のとこでゴソゴソやっとったん、プリペイドカードを入れ直してまだ残ってたから取って逃げたんや」
田尾「なんちゅうやつがおるんや。たった300円で洗車するのやめてまでして取って逃げるか?」
家内「ほんまに情けないわ! そんなことやったら水洗いでなくてワックス洗車しとくんやった!」

 そんなオチか。
2009年10月17日(土)

 朝9時から、第2回「『超麺通団4』をもし書くならどういう内容にするかを検討するためのヒントを探るうどん屋ツアー」を敢行することに急に決めて、ごんに電話をしたのである。

ごん「というか、『超麺通団4』を書くための取材でしょ?」
田尾「ニュアンスが違うがな。ここ、大事なとこ。『超麺通団4』を書くかどうかを決めるための、いわゆる一つの様子を見るツアーやぞ」
ごん「内山さん(出版社の親分)暴れますよ!」

 まあとにかく2年以上前から逃げに逃げていた案件だから(笑)。で、長谷川君にも連絡をとってもらったら長谷川君は今日は無理だということで、道中人数がいた方がネタが増えるので代わりにダメモトでイデザオに電話をしたら、いたのである。

 今でこそ私のラジオや雑誌やいろんな情報発信のメインパートナーはごんと長谷川君であるが(本人たちが望んでいるかどうかは社会的にも国際的にも重要ではない)、かつての『タウン情報かがわ』『笑いの文化人講座』、ラジオ番組『そんなわけ、ねーだろ!』、その他私がやっていた数々のイベントやオバカ活動のメインパートナーだったのが「天野JACK」こと「猿人J」こと「イデちゃん」こと、イデザオである。本名は「出竿(イデザオ)なのに中学校に入った時、もらった体育のジャージに「出芋」と刺繍されていて、以来「イデイモくん」とも呼ばれる。小学生の時、バレンタインデーに女の先生がクラスのみんなにチョコレートを一つずつ配ってくれたのだが、彼だけ「イデザオ君はこれね」と言ってギョウ虫下しのドロップをもらったというイデザオである。文化人講座の代表作品は回文「ギニアのライオンおいらのアニキ」「ドゴール氏はホンダバイク、得意は田んぼ走ること」など。とにかく思わぬ方向から矢を飛ばす「野性の発想力」を持った猿…でなくて男だ。主食はバナナ。

 その出竿がここ数年仕事の休みが不定期でいろいろ忙しすぎる上に携帯電話もパソコンも持ってないので(野性だから)連絡を取るのもままならず、家に電話してもいつも不在なのでずっと野放し…でなくてご無沙汰していたのである。そしたら今日、突然の捕獲。そういうわけで、田尾、出竿、ごんという、かつてのファンならおわかりであろうローカルサブカルチャーメディア史に燦然と輝く爆弾オバカトリオ(笑)で回ってきました。オープンしたばかりの「豪麺山下(あのアームレスリング元チャンピオンの善通寺白川の大将をやっていた山下君が独立して、以前の『やす坊』のあった店舗で始めた店)」、「ゆり(みそ汁うどんで知られた「まり」を引き継いだ店)、仁尾の「長兵衛」、三野町の「かつや(喝屋)」の4軒。

 長兵衛、行ってきたぞ。あのレンガの釜場、セメントで補強してあったけどまだ健在。もう10年以上行ってないのにおばちゃん、私を覚えてて、私と出竿でかけうどんといなりを食べて懐かしいオレンジジュース「Hi-C」を飲んできた。ごんは腹パンパンで車で待機。後から入ってきた4人組が食べてた中華そばがめちゃめちゃうまそうやった。なんか、昭和30年代そのままだ。麺やダシを語らない讃岐うどんの風景がそのままだ。ええなあ、長兵衛。

 爆笑道中記は長くなるので書かない。夕方3時頃帰ってきて、4軒も食べたので晩飯は抜きで仕事してたら夜11時に上村さんから呼び出し電話がかかってきて、いつものように夜中のファミレスに集合。今日は「うどんガイドブックの形」「リクルートの恐るべきマーケティング」「大学教員の資質」「熱帯魚と水草論」の4本立てで、ええ年したおっさん2人が2時まで居座って時間をつぶしてきた。でも結局呼び出された理由はどうも上村さんが来月やる劇団「銀河鉄道」の公演のパンフレットに原稿を書いてくれということで、ギャラは今日のドリンクバー(200円)で、断ることは許されず(笑)、「書くことがない」言うたら「いつも俺に呼び出されるって書いたらいい」「そんなんでええんですか!」みたいな。人と会うたびに仕事が増える私(笑)。
2009年10月11日(日)

 早朝峰山から帰ってきて朝9時半、仕事を始めていたらマンションの外を廃品回収の車がぐるぐる回り始めたのだが、女の人のテープの声が「毎度おさがわせいたしております」と言っている。何度聞き直しても「おさわがせ」でなくて「おさがわせ」と言っているぞ。もう気になって仕方がない(笑)。そのうち廃品回収車がどっかに行ったかと思ったら、今度はどこかで犬が吠え始めた。それがもう延々と、信じられんかもしれんが、朝10時前から午後1時半まで、3時間半も吠えっぱなし。『そこまで言って委員会』が始まったら吠え止んだから時間は間違いない(テレビ見に行ったんか?)。しかし3時間半もあの犬、一体何を訴えよったんやろか。とにかく今日は朝から何かマンションの外が小うるさかったなー、とか言いながら夜8時頃、家内と居酒屋風の某店に食事に行ったら、衝立を挟んだ隣にいたカップルの女性の方が、濱田マリを早送りしたみたいな猛烈な早口でずーっとしゃべりっぱなし。何か今日は疲れた。1週間振りの日記がこんなことですけど(笑)。
2009年10月3日(土)

 朝6時半、2週間ぶりに峰山に登る。もう活動時間がじいさんだ、という指摘が私から挙がったが、確かに若い頃に比べると目覚めの時間が早くなったけど、ここんところ土日もずっと家で仕事で体がなまっちゃって、今日はあえてその予定で早起きしたの。言うとくが、じいさんばあさんは朝5時頃から峰山行ってるぞ(笑)。

 さてそういうわけで、今日は2週間分を取り返そうと少し厳しい急なコースを登ることにしたのである。急な山道コースはうちから最短で展望台に登る西側コースがあるが、このコースは途中で例の「帰ってきたスズメバチ」がいる道なのでもう行かない。今日は栗林トンネルに向かう道の一番下から東に入って、遠回りで山頂に向かった。イメージとしては、こんぴらさんの階段を1000段くらい登り続ける…という感じのコースだ。

 登り始めるとしばらくして、たぶん60歳くらいの一人のおじさんが上から下りてきた。1mくらいの木の枝を持って顔の高さあたりでくるくる回しながら歩いている。何かゴキゲンなんかなあ…と思いながら「おはようございます」と挨拶をしてすれ違って、約20分後、ハアハア言いながら山頂に到着。そこから二またに分かれた道を西に歩き始めたら、うわっ! クモの巣に引っかかった!

 そうです。この時期、クモは冬に備えて最後の食糧を貯め込むためか、もうそこいら中にパシパシと巣を張っているんです。しかもこの時期のクモは夏頃より確実にでかくなっている。さっきのおっちゃん、木の枝をくるくる回しながら目の前のクモの巣を取っていたんだ。私はその辺の1mくらいの笹を一本取って下の方の枝葉を取り、先にちょっと葉を残した状態にしてくるくる回しながら歩き始めた。おっちゃんと一緒やがな(笑)。しかし冬を生き延びるために必死のクモの巣をバリバリ壊すのは気の毒なので、なるべく巣を全壊しないように腰をかがめて先に葉のついた笹の細い枝をくるくる回しながら…人が見たらチョウチンアンコウみたいな格好で山の中を歩いていたのである。

 そう言えば聞くところによると勝谷さんはつい数日前、フィリピンの小島でパソコンがつながりにくいので夜になると上半身裸で頭に小さい電灯をくくりつけてパソコン持って海辺に出てメール原稿を書いていたらしい。麺通団のプロデューサー2人、何やっとんじゃ(笑)。

 尾根づたいに山をちょっと下って次のさらに急な山道を登っていたら、上から今度はおばさん2人が下りてきた。2人とも手に小枝を持っていました(笑)。それから2つ目の山頂にたどり着いて、一服して約2時間の峰山ウォーキング終了。帰ってシャワー浴びて9時過ぎから仕事開始。今晩は「遊ゼミ」があるのだが、仕事に追い込まれているので欠席と返事をしてある。唯一の心配は遊ゼミを終えたある劇団主宰のおじさんから深夜に呼び出し電話がかかってくることだが(笑)、夜中の2時頃まで仕事してたけどかかって来なかった。気を遣ってくれたのか、あるいは公演を控えて自分も尻に火がついているのか(笑)。ま、今日はそんな感じでした。
2009年10月2日(金)

 ふー、後期開始の第1週。しんどかった。授業は1科目につき15回(1回90分)で、後期の私の担当科目は実習科目を入れて9科目もあるのだが、何せ「山」を越えられずに後期に突入したものだからどの科目も15回分全部の準備ができてなくて、とりあえず大まかな全体構成は想定した後、各科目とも最初の数回分だけきちんとプログラムして今週スタートしたのである。ところが、毎回前日の夜に授業の直前確認をしていると「待てよ、ここはこういう事例を入れた方が学生がもっと実感できるかもしれん」とか「この項目、順番から言うたら5〜6回目のところやけど、1回目の頭に持ってきた方がグッとつかめるかもしれん」とか、当初想定した全体構成を変える別案が出てきて、あわてて適当な事例を探し出したり構成を変更したり…。そんな毎日に例によって雑務や会議や来客や学生からの相談事や学外からの依頼事が加わって、しんどかったわけです。ま、いつものことですが。

 それで今日。1つ目の「山」だったインタレストは、あと表紙を除いて最後の5ページになっていた。残りは「教授紹介」が2ページ、「取材レポート」が1ページ、「編集後記と奥付け等」が1ページ、「大学からのインフォメーション」が1ページという予定で、まあこれまでの特集ページに比べたら楽勝…という感じで構えていたのである。しかも「教授紹介」は担当学生が7月中にとっくに先生に取材を済ませ、テープ起こしも終わってあとはリライトと割付をするだけになっていた(と報告を受けていた)。だから安心して9月中旬までほったらかしにして、先に大物の特集に全力を注いでいたのである。ところが、9月中旬に「そろそろ全体の進行状況を再チェックするか」と思ってデカマックに保存されたテープ起こしのテキストデータを初めて確認した私は、その場で気を失った(失ってないけど)。

田尾「多田、教授紹介のテープ起こし原稿見たか?」
多田「いえ、まだ見てませんけど」
田尾「教授紹介の原稿、何行ぐらいいるんや」
多田「見開き2ページにタイトルと写真パターンですから、大体200行前後ですか」
田尾「見てみ?」
多田「…………えーっ!」

 テープ起こし原稿はきちんとリライトするとたいてい行数が大幅に減りますね。それが、テープ起こし状態で全部で78行! もう笑うしかないがな(笑)。ま、インタレストは授業なのでいろんなレベルのいろんなモチベーションの学生がおりまして、担当先生の私としてはこういうのは「いい勉強だ」ということで織り込み済みではありますが(笑)。

田尾「どうする、編集長」
多田「ここはもう“架空対談原稿の魔術師”と言われた田尾さんのコレ(腕)しかないですね」
田尾「できるか! 再取材じゃ! 担当を呼べ。ほんでチェレシネーシ先生(今回取材する先生)にアポ取ってすぐに再取材の段取りせえ。9月中に絶対仕上げるように」
多田「あの…今夏休みなんで、チェレシネーシ先生、実家に帰ってると思うんですけど」
田尾「実家に帰ってたら実家に行って取材して来い! それが編集者の責任じゃ! チェレシネーシ先生の実家どこや」
多田「ハンガリーですけど」

 松田スシ太郎が「取材経費出るんなら俺が行ってきましょうか?」と名乗り出たが、取材経費が出るんなら俺が行くわ(笑)。などという騒動が9月にあって、後日チェレシネーシ先生にアポが取れて今日、再取材の日を迎えたのである。取材は学内で午後1時半から。私は所用で行けないので、編集長多田、口述筆記の天才下村、何でも屋松田の3人が行くことになった。もう失敗は許されないということで、事前に彼らに取材のポイントを入念に指示をして、私は午後1時頃から所用に取りかかり、それからはまんどでラーメンを食って帰ってきてまた仕事をしていた。

 午後3時半、電話が鳴った。見ると編集長の多田からだ。

田尾「何?」
多田「あのー、今取材してるんですけどまだ全体の3分の2くらいで…。残りは別の日にした方がいいですかね…」
田尾「何時間取材しよんや!」

 入念な指示が裏目に出たか(笑)。何せ78行の失敗取材を見てたもんだから、あいつら真面目やからメチャメチャていねいに取材しよんちゃうか?

田尾「ええからあと粗筋を追いながら30分くらいで終わらせ。200行の原稿やぞ。3時間も4時間も取材する量でない」
多田「わかりました」

 午後4時半、来客があって研究室で応対していたら隣の編集室に取材班が帰ってくる気配がした(あいつら、結局3時間も取材にかけてきとる)。午後5時半、来客が帰って編集室に行ったら、3人がテープ起こし原稿を整理していた。

田尾「締め切りが迫っとるけど、それ、休み明けまでにできるか?」
下村「え? 今日できますよ」
田尾「今日!」

 普通なら3時間ものテープ起こしはぶっ通しで丸一日以上かかるところ、下村が取材のその場で恐るべきスピードでパソコンに同時筆記しているため、今、テープを聴きながら修正しているところだという。ほんま、感心するわ。しかし…

田尾「で、大体何行ぐらいある? 1行17文字に設定して行数見てみ」
下村「えー、2300行です」

 どんだけ要約せないかんのや!
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