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2009年11月の日記
2009年11月30日(月)

 昼12時半、今日は朝から電話連絡や折衝事が集中して「こら今日も昼飯抜きか」と思いながら研究室でうなっている時に限って、隣のインタレストの編集室から学生が出てくる物音がしたかと思ったら「コンコン」とノックの音。

多田「あの、お昼ご飯に行こうとしてるんですけど…」

 あわよくばおごってもらおうというお誘いだ(笑)。多田の後ろにザキオ(尾崎)もいる。

田尾「今日はあかんわ。緊急の用事があと30分はかかる。その後なら出られるかもしれんけど、3コマ目の授業(13:30から)は?」
多田「私はないんですけど尾崎がある」
田尾「ほなあかんな」

 学生の誘いを断って急ぎの仕事に没頭していたら「コンコン」とノックがあって、Sさんが入ってきた。私の大学の後輩で、警察の偉い人。

S「せんぱーい、お忙しいところ、いいですか?…と言いながらもう座ってるんですけど(笑)」

 Sさん、昼飯を食った後、食後の一服代わりに時々研究室にやってきてヨタ話をして「ほな」言うて帰る(笑)。私は「手が離せんのやー」言いながら、こっちの机でパソコンに向かったまま話の相手をする。こないだうちからよく出る話題は、最近テレビに時々出る「元刑事」とかいう人たちの話だ。Sさん曰く、「元刑事いうのはほとんど現役時代は警察組織の中では下の方の人で、自分が見た事実について話をするのは別にいいんだけど、下で経験した事実だけで警察組織全体のことを決めつけてしゃべるのが的外れなことばっかりでひどい。あんなん視聴者が見たら絶対間違った認識をする」と言う。今日もその話になった。

 私は警察組織のことは全くわからないのだが、組織内での「社員の組織に対する認識度」については、会社の社長をやっていたので何となくわかる。大ざっぱに言えば、社員は会社からやらされていることの「意味」、つまり「なぜそれをやらなければいけないか」について、表面的には理解できても本質的にはわからない、実際にトップに立ってみなければわからないことが非常に多いということだ。

 例えが小さいが、私が大学を卒業して広告代理店に営業で入社した時、個人目標として「売上」「粗利」「回収率」という3つの数字を与えられた。そのうち売上目標と粗利目標はすぐに何となく意味も理由もわかったのだが(それも後になって「会社は利益が必要だから売上を伸ばさないと粗利が増えない」という単純な話ではないことがわかってきたが)、回収率だけが最初どうにもよくわからなかった。回収率というのは、その月に売り上げたお金を翌月末までに何%回収(入金)できたかという数字なのだが、そんなもん、踏み倒されなかったら1ヵ月後でなくて2ヵ月後とか3ヵ月後にお金が入ってきても同じやないか、と思っていたのである。で、先輩に聞いたら「そんなもん、早よお金が入ってきた方がええに決まっとるやんか」みたいな答で、その時は「まあそらそうやな」ぐらいで納得したのだが、その後、子会社に出向になって10数年経って社長になった時、初めて「回収率」の「資金繰りに強烈に関わってくる」という真の意味がわかったのである。

 経営に真剣に携わっている方々には「何を今さら」という話だが、それも単純な資金繰りではなく、借入金の額や、ボーナス時期や、税金の支払時期や、事業を拡大する時や、会社の運営上に起こる本当にいろんな事が全部、「回収」を前提としたキャッシュフローに強烈に関わってくるのである。あれは絶対、トップに立ってみないとわからない。いや、トップに立って会社の借入金の保証人としてハンコを押してみないとわからない。もっと言えば、キャッシュフローを経理に任せきりの役員や社長には絶対にわからない。

 私はあれ以来、よその企業の事業展開の見方が変わった。例えば、どんどん店舗展開をする店や企業を見ると普通の人は「伸びているなあ」「儲かってるんだろうなあ」と思うのだろうが、私は店が1軒増えるたびに「あの会社、キャッシュが5000万減った(あるいは借金が5000万増えた)、大型商業施設ができるたびに、あるいはマンションが増えるたびに、「あの会社、借金が何十億増えた、何百億増えた」「頑張って回収せないかんでー」…と思うのである。派手に事業展開する時ほど、会社はキャッシュがどんどん減り、借金がどんどん増えているのである。だから、どんどん事業拡大している会社や店を見ると、他人事ながら私はヒヤヒヤする。

 戻って「売上」と「粗利」も、平社員の時と社長になった時ではその意味の認識がずいぶん変わった。簡単なところでは「売上が増えると仕入れの支払も大きくなるからキャッシュフロー的には手放しで喜べない」とか、「何で営業は自分の給料の3倍も5倍も、あるいは10倍も粗利を稼がないといけないのか」とか、平社員の時は説明を受けると表面的には理解できるが、真の意味は社長にならないとわからないことばかりだ。だから「下」でいる時には上の方針について何かと文句が出るのである。「上」の説明不足だという側面もあるかもしれないが、会社のキャッシュフローの現実までいちいち全社員に伝えるのはリスクが大きすぎる。

 ま、Sさんの話からそんなことを考えていました。Sさんが帰ってまた電話でいろんな折衝事をしていると、「コンコン」とノックがあってやんちゃな水Kら7人の学生軍団が来た。

田尾「何や」
M渕「B級グルメの画像データ持ってきたんですけど」

 授業の一つで、日本では見たことのない世界のB級グルメのデータをインターネットの外国のサイトに入っていって大量に集めてデータベースにするという作業を数十人の学生たちに課しているのだが、締め切りが年内なのでみんなバタバタと持ってくる時期なのだ(これも集める意味は説明して表面的に理解はされていると思うが、ビジネスの現場に出たことのない学生には一体何に使おうとしているのか、真の意味は理解できてないだろう・笑)。

田尾「どれ、どんなん集めてきたんや」

 と言いながら私のパソコンにデータを移して確認する。

田尾「なるほど、これはまあ、おもしろいな…。これは普通じゃ…。おー! これすごいぞ! これは日本語で検索しても出てこんやろ!」
M渕「オッケーですか?」
田尾「オッケーオッケー。みんな、これ見てみ? こういうのを目指して集めてくるんぞ」
水K「先生、俺、ヨウカンの写真集めてきたんですけど、ダメですか?」
田尾「あかんわ! どこが世界のグルメじゃ!」
水K「日本も世界ということで」
田尾「卒業したいか?」
水K「日本は世界じゃないですね」

 頑張れよ(笑)。
2009年11月29日(日)

 ある企画で学生たちと「日の出」の調査(怪しいな)を始めてるので、今朝はまだ明け切ってない6時台から峰山に登った。昨日の晩からちょっと頭痛気味なんよね。そやからいつもよりゆっくり目に、といっても牛乳屋さんはついて来られんぐらいの速さで、明けゆく空を見ながら、『超麺通団4』の構想とか抱えている企画物の構想を練りながら、2時間ぐらい歩いて、展望台で一服して山道を下りていたら、峰山中に何度かすれ違って挨拶をしたことのあるおばさんが上がってきた。いつものように「おはようございます」言うたら、おばさんが初めて話しかけてきた。

おば「おはようございます。あら、あれ見ましたよ。八十八カ所の…あれ…」
田尾「え? 空海の顔の分ですか?」
おば「そうそう。いやあ、おうどんだけでなくてすごいことに取り組んでいらっしゃるんですねえ!」

 取り組んでいるわけではないけど(笑)。

おば「あんなにいろんな顔があるとはねえ」
田尾「あんなん(インタレスト)売ってないのに、どこで手に入れたんですか?」
おば「ちょうど○○センターに置いてあって、もろたんよ」

 どこのセンターだか知らんが、なんかあちこちに出回ってるみたいだ。

おば「あれもう毎晩見ながら寝よんよ」
田尾「あれ見ながら寝よんですか!」

 そうかー、そんな使い方する人がおったんか。「夜一人で見よったら怖い」言う学生もいたのだが、年配の方の中にはひょっとしたら拝む気持ちで見てる人がいるのかもしれない。『インタレスト』8号の「空海の顔190面」、かなり衝撃の企画だったみたいです。ちょっとちっちゃなガッツポーズ(笑)。

 で、おばさんと別れてさらに下りて山道を抜けて市民病院の前あたりまで帰ってきたら、向こうからまた久しぶりの「峰山で挨拶するおじさん」がやって来た。

田尾「おはようございます」
おじ「おはようございます」

と挨拶を交わしたあと、おじさんから衝撃の情報がもたらされた。

おじ「世相じいさん、生きとるで」
田尾「えーっ!」

 あの毎日峰山に上がっていた「峰山名物」の「世相を斬るおじさん(笑)」。峰山に登る人は100人中99人が絶対出くわしたことのあるあの「世相おじさん(じいさん)」が峰山に現れなくなってもう2年以上。その99人中98人が「世相おじさんはたぶん死んだ」と思っていたのだが、生きてたんか!

おじ「こないだ街で会うたんや。医者から『もう峰山に登るな』言われたらしいで」
田尾「いやー、ほんまですか! そらよかった。ほなコープあたりでうろうろしよったら出くわすかもしれんですね(笑)」
おじ「たぶん出くわす(笑)。ほな」

 言うておじさんは早足で峰山に登っていきました。いやー、爽やかな朝ですなあ。今日は朝9時頃からずーっとパソコンに向かって仕事。爽やかでないなあ。途中、休憩して横峰が逆転優勝したのと石川が2位に入ったのを見た。爽やかやなあ。
2009年11月24日(火)

 怒濤と波乱の日々がずーっと続いているのだが、いろんなものを一本ネタにする余裕がない。とりあえず、日付の更新だけ。すんません。
2009年11月15日(日)

 今日は夜、リーマン予想に挑戦しました(笑)。解けるわけないけど。半年くらい前だったか、NHKで「ポアンカレ予想に挑戦する数学者たち」のドキュメントを見て、ポアンカレ予想に興味を持ったのではなく「俺は大学教授として何をやっているのか…」と考えさせられてものすごく刺激になって、以来ある種のモチベーションをアップさせることができて今日に至っているのだが、たぶんあれの第二弾みたいな「リーマン予想に挑戦する数学者たち」のドキュメントが放送されて、見てしまったのである。

 リーマン予想って、名前だけはマンガで知ってたんだけど、素数の並びを解明するみたいな話だったんですね(笑)。ちょっとびっくりした。理由はワタクシ、小学生の時に「素数」というのを知って、中学生くらいまで、あの並びの法則を解明しようとものすごく考えていた時期があるからです。しかし「数学の問題を国語で解く男」と一部で言われてきたように、私のアプローチは「数学」ではない(笑)。最初は数学っぽい入り口からいろいろ考えて試行錯誤をしていたのだが、数学的才能の欠如に気がついて途中で入り方を変えて、まずは生物学的アプローチから素数を「昆虫的」に見たり(笑)、続いて植物の法則的に見たり化学的に見たりして、そののち生物学と化学の才能の欠如にも気がついて最後に「美術的」アプローチを試みているうちに他のものに興味が出て研究が終了した(笑)。あの時の私の結論は「何か美術的なアプローチが一番おもしろそう」でした。それで夜の10時過ぎから深夜0時頃まで、素数の並びを図形やら変な絵やら、いろいろビジュアル化していたので、「今週中に上げるわ」言うてた依頼事が手につかんかったんや、佐伯(笑)。
2009年11月14日(土)

 怒濤の一週間、学内授業7本と出張講義2本と、会議3つと録音2本と企画物4つが終わった。終わるものだなあ。週の初め、始まる前には想像しただけで卒倒しそうな気になるのだが、一つずつ、一日ずつ、頑張って取り組んでいたら、終わってみたら終わるものだなあ(笑)。頭の中を山口百恵の『秋桜』の「苦労をしても 笑い話に時が変えるよ 心配いらないと 笑った」いうフレーズがメロディー付きで巡りました。関係ないけど。

 今日は怒濤の締めくくりで、岡山芳泉高校で出張講義。当初は高校生が対象の出張授業という話で聞いていたのだが、昨日もらった直前文書を見たら「オープン講義」みたいなタイトルになっていて、PTAの方々や先生も一緒に聞くということで、あわててしゃべる内容を組み立て直すことになった。さらに高校の場所を確認するとJRの駅からちょっと離れているようで、「マリンライナーで岡山まで行って、その車中で話を組み立て直したらええか」と思っていたのに急遽自分の車で行くことになって、ゆっくり構成を考えることもできない状態で朝の9時過ぎに車で高松を出発。瀬戸大橋を渡って岡山に入った時、そういや山陽放送ラジオで土曜日の午前中はトメちゃんが番組やってたな(何年か前に一度呼ばれて出たことがある)」と思ってラジオをつけたら、あれ? 浜家さんがしゃべってるぞ? と思ったらサッカーの話になって麺通団岡山支部長の石原Dが入ってきて何やえらい勢いでファジアーノ岡山の話をしよる(笑)。結局、ちっとも講義準備ができないまま10時半に岡山芳泉高に到着。講義は11時からなのでその間に急いで構成を立て直して…と思っていたら教頭先生と担当の先生が来て、応接でいろいろ話をしていたら講義の時間になりました(笑)。

 とりあえず、息つく暇もないくらい1時間半、ぶっ飛ばしてきました。前半はPTAの方と先生をちょっと意識してマーケティングの話を少し。後半はマーケティングの基本的過程の流れで生徒向けに発想力開発のプログラムをいくつか紹介して、時間が足りなくなって最後をタイトルだけ挙げて内容を端折って終わったら、帰りに生徒が応接室にまで来て「最後に端折ったところがとても気になるので簡単に解説して欲しい」と言ってきた。食いついてくれてたみたいです(笑)。みんな、先は長いけど頑張れよ。

 車で帰りに児島側から瀬戸大橋を渡りながら景色を見ていると、今日はまた空気がスコーンと抜けていて、飯野山をはじめとするポコポコした香川の山々がむちゃくちゃ美しい、というかおもしろいというか、何か「異国への上陸感」あふれる見事な風景が広がっていた。うーむ、観光情報発信の視点は、ひょっとしたらあっちからの写真かもしれん。県外客は、あっちからあの景色を見ながらやってくる。こっちから情報発信する者には、今まであっちからの視点が欠けていたのではないか? とか思いながら午後2時半頃高松に帰って、一福でうどん食って、大将から「お疲れのようで」とか言われて栄養ドリンクを一本恵んでもらって家に帰った。

 そういうわけで夜、一時の休息で飯食ってテレビをつけたら、NHKのBSで、もう15年以上消えたままの「ちあきなおみ」の特集をやっていた。もう最後の30分くらいだったけど、『かもめの街』とかいう歌を歌っている映像が流れた。今さらであるがちあきなおみ、むちゃくちゃうまい。私の中で、日本人の歌手の中でぶっちぎりの一番です。あまり聴いたことない歌だったけどイントロの「気持ちを入れていく」ところからもう釘付けになって、ソファに寝っ転がっていたのに起きて座り直して画面と歌と歌詞の字幕を息を殺してじっと見ていた。

 金子由香利のシャンソンの銀巴里ライブのレコードで聴いた「いつ帰ってくるの」みたいな語り歌みたいな感じで始まった歌に聴き入っていたら、1フレーズの最後の歌詞の字幕に「…ドンブラコ」って出た。うわ…この素晴らしい歌の流れで「ドンブラコ」って、どう歌うんや…と心配していたら、濁音を消すような「ド」で入って、口は開いてるけど歯をとじたままで唇の端をスッと横に引いて「ラ」を流して歌った。すげえ…。あれはちあきなおみの「ラ」の発音の特徴だと思うけど、すんません、素人ごときが一瞬とはいえ心配なんぞしてしまって申し訳ありませんでした(笑)。いやー、しかし週末にいいもの聴きました。去年だったか、アップタウンでマスターがかけてくれた青江三奈のジャズボーカルを聴いた時以上の感動。ちょっと涙が出た。来週第二部の放送があるそうです。

 さて、夜の10時を回って、今晩から今年度最大の「山」に取りかかるか…とパソコンを開けてあちこち見ていたら、マングース佐伯がとんでもない連載を開始しとるやないの! 

「香川のガイド・カルチェ」http://www.quartier.jp/

の中の連載企画「超麺通団4のできるまで」。ひえー! 追い詰められるがー! しかも見ると「田尾さんが2年もほったらかしにしてるらしい。内山さんがあまりにもかわいそうなので、この仕事、受けることにした」とある。誰がどう読んでも「弱い内山さんをいじめる悪者田尾を成敗するために立ち上がった佐伯」という図式ではないか(笑)。うー…15年ほど前の悪夢がよみがえる。私がタウン誌の編集長を引退して社長になって佐伯が二代目の編集長になったのだが、私は社長になっても「笑いの文化人講座」「ゲリラうどん通ごっこ」等の原稿を書いていた。すると、編集作業においては私は佐伯編集長の下っ端の原稿担当者ということになって、佐伯からいつも「早よ原稿書いてくださいよ!」と追い詰められるか弱い一編集者の立場なのである。あまりにお代官様の取り立てが厳しいと、私はその場で大魔神のように突然社長に変身して「佐伯君、田尾君をいじめるな」と指示をしたりしていたのだが(笑)、今回は社長じゃないからなあ。しゃーない、あまりに追い詰められたら「カッシー、寒ない?事件」とかいろいろバラすことにするか(笑)。
2009年11月9日(月)

 ふー…くるちい…。小学生の時、学校から帰ったあと毎日のように段々畑の横の柿の木に登って景色を見ながら柿をちぎっては食いちぎっては食いしていたら突然腹が強烈な鈍痛に襲われて、のたうちながら病院に運び込まれたら腹の中に柿の渋が詰まっていたことが判明した時ぐらい苦しい。昨日の深夜、柿の渋の塊みたいに詰まっていた仕事を一つ、一週間ぐらいのたうち回ってやっと片づけて、今朝は朝早くから研究室でその柿の渋の塊のせいでどんどん後ろにたまっていたちっちゃい仕事を5つも片づけたのに、まだ後ろから数えるのも恐ろしい数の仕事が押し寄せて来とる。今週は学内授業に出張授業に、いわば準備の必要な1時間半の講演が9本あるみたいな感じなのに、その合間を縫って今週中に絶対片づけないかん大学関連と授業関連の企画物がその上に6つもある。小学生の時、給食に出た白身魚のフライに入っていた魚の骨がのどに刺さって、「パンを飲み込め」言われてパンをちぎっては飲み込み、ちぎっては飲み込みしていたらとうとうパンがなくなったのに骨が取れず、クラスメイトが心配して「僕のパンも飲み込め」「私のパンも」とみんながパンをくれて必死で飲み込んでもどうしても骨が取れず、とうとう涙目で「先生…もう…腹一杯です…」言うた時ぐらい苦しい。というか俺、小学生の時何しよったんや。

 ま、そういうわけで今、間違いなくここ10年ぐらいで最多の数の仕事を抱えて押しつぶされそうになっています。朝、遅れていた文書を提出するために急いで作って入試課に持って行こうとキャンパスを横切っていたら、向こうからマスクをした山神(学生)が来る。

田尾「どしたんや。新型インフルか」
山神「いえ、予防です」

 提出して研究室に帰っていたら、和泉(学生)に出くわす。

和泉「おはようございます」
田尾「おー、いろんなこと順調か?」
和泉「順調です」
田尾「オッケーオッケー」

 向こうに宮井、野田軍団(学生)がおる…と思ったら、

野田「田尾さーん!」
田尾「何やー、どしたんや、今日はいつもと違う服着てるやんか」
野田「そやろ? ちょっと気合い入れたん」
田尾「宮井は相変わらずジャージか(笑)。たまにはちゃんとした服着よらんかったら早よ大人になれんぞ」
宮井「田尾さん、俺、内定もらいましたよ」
田尾「ほんまかー! やっぱりお前の人柄が認められたんやな」
野田「宮井君、人柄しかないもんな」
田尾「人柄以外はジャージやもんな」

 押しつぶされそうでも人に会うたら苦しいそぶりは見せられん。苦しくても不機嫌にしてたら相手まで不機嫌な気持ちにさせてしまうからな。けどくるちい(笑)。来年の2月頃までずーっと、終わりが見えん。
2009年11月3日(火)

 早朝、仕事の前に、こないだ田町のたばこ屋のおばちゃんに「ちょっと太ったん違うな?」と微妙に1.5キロぐらい戻ったのを指摘されたこともあって峰山に行こうとしてベランダから外を見たら、珍しくスコーンと空気が抜けて岡山側がくっきり見えていたので、急遽カメラを持って山に出かけたのである。

 マンションを出て栗林トンネルの上がり口あたりから山に入り、急坂の山道をハヒハヒ言いながら約1時間で山頂の尾根に上がり、まずは以前から見つけていた南側の撮影ポイントから仏生山の向こうの奇妙な山の塊を撮影。そこは地下に隕石が落ちたクレーターがあると噂された一帯で、無理やり言えば真ん中にドンと何かが落ちて周りに溶岩の塊が盛り上がったような三角の山が6つも7つも固まっているという、想像していただくなら、マッコウクジラが6頭も7頭も固まって海面にグワッと頭を出してくる映像を見たことがあるかもしれませんが、あんな感じに山が固まってるんです。ま、クジラの頭ほどとんがってはいませんけど(笑)。

 それからさらに1時間くらいかけて、私の好きな国分寺から西に向けて林立する三角山の群れを写真に撮りながら尾根を峰山の展望台まで歩き、展望台から瀬戸内海と島と高松市街と屋島あたりの写真をたくさん撮って、北側の急斜面(スズメバチに刺されたコース)を上がってきたおっちゃんに「ハチ、いませんでした?」と聞いたら「おらんかったで」と言ったので、久しぶりにそっちから降りてみた。おっちゃんの言った通り、ハチは現れず。どこ行ったんかな。神野先生んとこへ出張してるのか?

 ま、そういうわけで2時間半くらいで帰ってきてシャワー浴びて一服してから仕事に突入したわけです。近年、集中力が確実に落ちてきたなあ。午前11時から2時半まで仕事したら、もう休憩を入れないといけない。ところが、ちょっと休憩するつもりが、こないだアマゾンで買ってまだ見てなかったマドンナの「コンフェッションズ・ツアー」のライブを見始めたら一気に2時間見てしまった。あれはいかんわ。メチャメチャかっこよくて途中で止められん(笑)。そういや確かこの前もBSでマドンナのライブを見て、1時間半だったか2時間だったか全部見てしまった。

 ちなみに途中でダンサーたちが並んで直立前傾で前進しているのを見て、あれ? このダンスどこかで見たことがあるぞ…と必死で思い出したら、あれだ。白虎社の暗黒舞踏の大作『ひばりと寝ジャカ』のオープニングで佐東さんと乃木鳥男さん(だったか)がトリ歩きしながら出てくる時のウォーキングだ(誰も知らんか)。と思ってみていたら最後の方のダンスミュージックで、マドンナを真ん中に10数人のダンサーが床にひざまづいて顔を上げて這いながら前に出てくるダンス。うわ、『ひばりと寝ジャカ』の最後の方のライオンダンスだ。白虎社の高松公演の時、「ライオンダンスの頭に付ける新芽の30センチ以上のツタの葉っぱが大量にいる」と言われて私が高松中の山を走って必死でかき集めてきたという、あのダンスだ(誰も知らんけど『恐るべきさぬきうどん』2巻参照)。マドンナ、白虎社のファンか?(笑)

 そういうわけで引き続き白虎社の『ひばりと寝ジャカ』のビデオを引っ張り出して見ようという欲求に駆られたが、グッと我慢して仕事に復帰。今週は大学の推薦入試で授業がないのだが、入試担当の合間を縫って自転車操業の授業準備と企画物がびっしりだ。びっしりなのにこないだ、西日本出版社の内山さんが『超麺通団4』の催促体制を強化するため、高松側のディレクターにマングース佐伯を取り込んで、私を取り囲んで原稿締め切り日を強行採決してしまうという大事件(笑)があったのだが、言うとくけどハブは戦うと負けるかもしれんが、「息をひそめて隠れる」という戦術も持っている(笑)。
2009年11月2日(月)

 先週の木曜日の昼過ぎ、2コマ目の授業を終えて教室から教学課に向かっているとチンペイが珍しい物を発見したというので、案内されるまま本部棟の横の植え込みのあたりに向かったのである。

 四国学院大学は人口3万5000人弱の善通寺市の中心街にある。背景にこんぴらさんに連なる大麻山(おおさやま。大麻を栽培している山ではない)と空海ゆかりの五岳山(ごがくざん。おもしろい形の山が5つ固まっている)を控え、その風景から日々、四季を感じることができるというとても気持ちのいい環境にある。大学構内も芝生の張られたキャンパスの回りを始め至る所に木々が茂り、春は桜が咲き乱れ、新緑の季節から夏を過ぎ、次第に木々は紅葉し、落葉するという、当たり前ではあるが、食べ物から四季を感じることが少なくなってきた近年にあって、落ち着いた気持ちで見れば四季の風流を十分に満喫できる環境にあるという、少し色づきかけたその構内の木々を見ながら、私はチンペイに着いて行った。

チン「ここなんですけどね」

 指を差された植え込みのあたりを見ると、何本か集まった木々の葉は夏の勢いを失いつつあって、おー、秋だ。木の下には落ち葉が重なって、おー、秋だ秋だ。

チン「これ、見てくださいよ」

 チンペイの指の先の土の部分に、数センチの深さの小さな穴が空いていた。よく見るとその中に、茶色い殻を被ったセミの幼虫が横になって足を動かしている。おー、ますます秋だ…何でやねん!

田尾「夏が来るんか!」
チン「まああと8ヵ月くらいで夏は来ますけどね。でもどうしたんでしょうねえ。これ、間違いなく今から地上に這い出そうとしてますよ」
田尾「これは地球温暖化バッシングするマスコミに言うたら喜ぶぞ(笑)」
チン「さっき坂田先生に言うたら四国新聞に電話してましたよ」
田尾「しょーがないなー、ほな俺もKSBの中村君に電話しよ(笑)。けど穴の中で動いてるだけではインパクトがないから、羽化するまでビデオに収めとこうぜ」
チン「でも羽化するの、たぶん明日の朝ですよ」
 
 結局その日は夕方まで大きな動きはなく、しかし徹夜して観察するほど我々も暇ではなかったのでそのまま帰って、翌金曜日を迎えたのである。すると、チンペイから電話。

チン「先生、セミが消えました」
田尾「なんとか!」
チン「穴の中にもいないし、そこら中の木を探しても羽化した抜け殻もありません」
田尾「猫に食われたんやろか」

 まあしょうがないか…と思って授業を終えて夕方、インタレストの納品を待っていたらチンペイから電話。

チン「セミが現れました! 違うところから出てきました」

 セミに翻弄される我々(笑)。しかしもう夕方で、明日、明後日は土日で休み。もう月曜日の朝までほっとくか、ということでほっといて今朝である。朝一から用事を一件済ませて11時頃大学に行ったら、チンペイからメールが入っていた。

「本日11月2日(月)午前8:00、死亡が確認されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。告別式は記念碑裏にて、真言宗威徳院坂田住職をお招きしてとり行います。」

 あのセミ、真言宗やったんか(突っ込むところはそこではないと思うけど)。

 ちなみに昆虫つながりでもう一つお知らせ。神野先生がスズメバチに刺されて人差し指の第二関節から先が2倍くらいに膨れ上がっていました。私の身の回りで初の「スズメバチ仲間」です(笑)。
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