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2010年03月の日記
2010年3月29日(月)

 朝9時から『インタレスト』のミーティングと取材。学生は春休み中なので、来られる者だけでよしということにしたら、編集長の松野、副編集長の松田、ヒラ編集員の池田と満岡、それと源成の多田の5人が集合した。

多田「何ですか、その『源成の多田』って。どっちも人名じゃないですか」
田尾「『源成』は役職名じゃ(笑)」

 『インタレスト』は私の授業の一環(ゼミみたいなもの)で、2年生、3年生、4年生が履修できることになっていて、メンバーは毎年だいたい20〜30人。1学年につき少ない年で5人くらい、多い時で15人くらいが希望して入ってくる。発行は毎年5月1日と11月1日の2回。つまり、半年かけて1冊の情報誌を作るわけだ。作業は企画提案から取材、編集、制作、印刷手配、配本まで(フリーペーパーなので販売収入の「回収」の作業はない)が半年のサイクルで、各号に学生編集長、副編集長、特集リーダー等の役職が任命される。

 1年に2回発行なので、学生編集長(毎号変わる)は原則として1学年から2人出る。まず5月に出る「early号」は前年の11月頃から企画がスタートするのだが、編集長はその11月時点の3年生から選ばれる。で、半年頑張って翌年5月に発行した時には彼らは4年生になっている。続いて6月から、その年の11月に発行する「latter号」の企画がスタートするが、この編集長は4年生から選ばれる。つまり同じ学年から2人目の編集長が出るわけです。で、11月に発行したら4年生の作業は終了して、次の翌年5月発行のやつを3年生が引っぱっていく。4年はそれを温かく見守りながら(笑)、半年後の卒業〜社会人のスタートに向けて、一段上の準備期間に入るわけだ。

 そういうサイクルの中で、数年前、異例の3年生の前期に2代目編集長を務めた池田源成(げんせい)は、編集長を退いた後、3年の後期に3代目編集長を補佐する副編集長になって、それから1年休学してフィリピンに行って、1年後にフィリピン人みたいになって帰ってきてまたインタレストスタッフになって、もうさすがに編集長や副編集長にはなれんので(後輩のポストを奪うわけにはいかない)特別に「助監督」という役職を作って就任したという、「必要な業務に応じたポストありき」の組織でなくて「人ありきでポストを作る」という役人の世界のようなことになったのである(笑)。そしたら今度、多田が「編集長をやった後も長い間大学にいる(笑)」という源成みたいなことになったので、先駆者の偉業を後世に伝えるため、編集長を退いたのに陰の実力者として君臨する役職名として「源成」を創設することにしたという、お遊びの話です。

 さて今日は、『超麺通団4』のせいで遅れに遅れている『インタレスト2010early号』の追い込みを開始。学生たちに1時間半くらい「情報収集の進行管理」のレクチャーをしてから、西の方の山の撮影に出かけた。香川県はお椀を伏せたような山がポコポコとたくさんあるという全国的にも珍しい地域なのだが、ではどの山が? と聞かれると県民の多くは飯野山(讃岐富士)と自分ちの周りの山くらいしか思い浮かばない。そこで、「絶景の三角山を徹底的に調べよう」という大作戦が進行中なのである。結構すごいのが見つかっております。しかし、『インタレスト』次号は創刊以来初めて、1ヵ月遅れになることが確定しました。あーあ、とうとうやっちゃった。でもおかげでちょっと緑になった山の写真が撮れそうで、さらに4月下旬でないと撮れないお宝写真も掲載できそうで、プチ・ケガの功名。
2010年3月28日(日)

 地球温暖化のせいでなかなか暖かくならんなあ(笑)。長生塾Q&Aで都村さんが地球温暖化とCO2の問題に答えてくれたので(http://www.choseijyuku.jp/)、文科系の疑問がちょっと理科系で理解することができました。「CO2のせいで地球が温暖化している」と言っている人の名前、全部控えとこう(笑)。

 しかし地球温暖化説みたいな全国ネットの話は新聞やテレビが全国ネットでデマを流しまくるけど、一方では全国ネットで単行本や雑誌や書籍や、あるいはテレビでも専門家や勝谷さんみたいなコメンテイターが斬りまくってくれるから、両論を聞けて少しは洗脳されなくてすむけど、ローカルはそうはいかん。例えば香川県には、香川県の問題を斬る雑誌がない。書籍がない。テレビの番組がない。激しく正論を吐くコメンテイターがいない。香川県の問題をきちんと分析し、問題点を論理的に指摘するメディアがないのである。だから今、誰の批判にもさらされずいくつものとんでもないことがあちこちで進行している。こないだ佐伯に「書いてくださいよ」と言われたが、書くとなったらまずは事実とデータを集めて、意見を論理的に構築せないかんのぞ。しかも洗脳された人たちにも「なるほど」と思わせる「見せ方」まで考え抜かないといけない。こんなん片手間ではなかなかできんわ。かといって、それに全力を注ぎ込むと仕事にならない。全力を注ぎ込む価値はすごくあるのだが、全国ネットじゃないからそれではローカルではメシを食っていけない。勢い仕方なくジャブしか繰り出せないのだが、ジャブでは倒せん…。ポンサクレックはすごいわ(笑)。

 最近、我が身にも降りかかってくるローカルのとんでもないことまで進行し始めて、周りで怒っている人たちが何人もいるのだが、どうするかなあ。苦悩の日々。でも目の前の苦悩は1ヵ月遅れになりそうな『インタレスト』をどうするか。とりあえず優先順位は目の前の仕事か。あと1ヵ月、5月になれば…って2回連続同じ終わり方をする日記(笑)。
2010年3月22日(月)

 佐伯から校正の第2弾が届く。そいつを校正していてふと、今後のスケジュールを確認してみたら、なかなか大変なことになってるぞ(笑)。あと10日か、最悪2週間で『インタレスト』を上げないかん。毎回取材等に数カ月、原稿仕上げに1ヵ月はかかっている作業を、まだ取材が残ってる上に原稿は1行も進んでない状態で原稿締め切りまであと2週間、印刷発注まで3週間ぐらいしかないという、「どうすりゃこれ」状態にいつの間になったんや! あー、書いててまた重〜いものが降りてきた(笑)。その上に授業準備と、大学の事務から回ってくる提出物が3つも(そのうち1つはもう締め切りを過ぎた・笑)。3月末か4月に東京に行こうと思っていたのに、もう絶対無理。たぶん来週あたりからは、物も言えん状態になること確実。5月だ。5月になればものすごく、ものすごくいろんなものから解放されるはずだ。とりあえず今日はまだ、「くるちい」(笑)。
2010年3月21日(日)

 今日は朝からひどい黄砂で、そろそろインタレストの屋外撮影に行かないとほんまにえらいことになるのにどうなることやら…と思いながら、四国新聞天気予報欄を確認したのである。黄砂が来ることは昨日の晩からテレビの天気予報でやっていたので知っていたのだが、テレビの天気予報は全国の天気(せいぜい関西の天気)の予報なので、香川の天気は香川のローカル紙の四国新聞だろうと思って「こいつは今日中に収まるのかどうか」を確認しようとしたのである。すると、そこにはこう書いてあった。

「21日は低気圧が発達しながら北海道付近を通過。強い寒気が流れ込む。北日本は荒れた天気。雨から次第に雪に変わりふぶく所も。東日本や西日本は初めのうちは雨や雷雨だが昼前からは晴れてくる。全国的に強風や高波に警戒が必要。最高気温は20日よりも低い所が多く東海から西では平年並みか低くなる」

 黄砂のことが一言も書かれてない! しかも、四国新聞は香川のローカル紙で読者のほとんどが香川県民であるにも拘わらず、香川県の天気概況が一言も書かれてない! 香川の天気に関する情報は、四国全体の地図の中に「高松」と書かれたアイコンみたいなのが1コあって、そこに晴れマークと小さい雨マークが1コと、「13/9」の文字(最高気温予測13度、最低気温予測9度)だけ。以前から四国新聞の天気欄はそういうことしか書いてないのは薄々知ってはいたのだが、あのページかコーナーの担当者か責任者の人、何であんな天気予報のまま放っておくんだろう。

情報発信の基本(1)。ターゲットは誰なのか? 目的(そのターゲットをどうしたいのか)は何なのか?
 四国新聞の情報発信のターゲットは明らかに「香川県民」である。では、四国新聞の天気予報欄は「誰をどうしたいのか?」。 そんなもの「香川県民の読者に役立ててもらいたい」に決まってます。

情報発信の基本(2)。ライバルとの差別化はできているか?
 民間企業(四国新聞)の情報発信は当然マーケティングの一環であるから、ライバルと差別化をして読者に「よその新聞より四国新聞の方がいい」と思って買ってもらわないといけない。そのためには、よその新聞や他のメディアにはない付加価値のある情報を発信しないといけない。

 以上基本の2つだけを考えても、「黄砂の情報はない、香川の情報もない」というお天気コーナーでいいはずがない。私が編集長なら、あんな原稿を持ってきたらボツどころか、持ってきたやつは説教部屋行きである。説教してもう1回同じようなことをやったら配置換えかクビである。こういうのは小さな1コーナーの話ではない。そういう「うちの媒体のターゲットは誰か」「そのターゲットのニーズは何か」「自分たちの目的は何か(自分たちはそのターゲットに何をお知らせして、彼らをどうしたいのか)」という情報発信の基本を考えてない記事が1つでもあって、それを誰もチェックできてないということは、そういう記事があちこちにいっぱいあってすべてチェックされてないということである。1匹見つけたら30匹はいるということである。みんな、情報発信をナメとるなあ。

 とまあ別によそのことだからお怒りでも何でもないのだが、「地元の大手企業だから頑張って沈まないで下さい」とお願いします。ただでさえ穴吹があんなことになって地域経済が落ちこんでるんだから。「埋めることが目的」でやってると、「使うことが目的」の行政と同じことになりますよ。

 金曜日に小さい山を一つ越えて、週末は『超麺通団4』の校正期間に突入した。今日は晩に居酒屋で酒をかっ食らっているH谷川君を捕獲して、居酒屋の隅の席で出力した数十ページを広げて「文字部分は俺が校正したから写真とか基本情報の間違いをチェックしてくれ」言うたのに、原稿読んで笑いまくりよる(笑)。けどおもろいやろ?(笑)
2010年3月17日(水)

 そういうわけで今日は朝6時過ぎに寝て10時半頃起きて、夕方までずっと仕事に取り組んでいたのだが、何か体調が変な感じで腹が減らない。「何だったら食えるか?」と思いつく限りのうまいものを思い浮かべたのだがどれも今ひとつで、途中で「雑煮なら食えるぞ」と思ったのだが餅がない。で、結局夜の8時になって「王将で餃子なら食えるか」ということで家内とレインボー通りの王将に行って、カウンターに座ったら兄ちゃんが来たので注文したのである。

田尾「餃子2人前と」
にい「餃子2人前」
田尾「天津飯と」
にい「天津飯」
家内「揚げそば」
にい「揚げそば」
田尾「以上」
にい「以上ですね」

 と言って兄ちゃんは厨房に注文を告げに行った。

家内「復唱せんのがええなあ(笑)」

 うちの家族は注文を復唱されるのが嫌いなのである。家族4人とかで食べ物屋に行くと、さらに面倒くさい。
田尾「ロースカツ定食の中」
店員「はい、ロースカツ定食。ご飯は白ご飯と麦ご飯がありますが」
田尾「白ご飯」
店員「はい、白ご飯がお一つ。お汁は赤だしと豚汁がありますが」
田尾「豚汁」
店員「はい豚汁ですね」
家内「レディース膳」
店員「はい、レディース膳ですね。こちらヒレカツとチーズロール、ヒレカツと海老カツ、ヒレカツとメンチカツのいずれかの組み合わせが選べますが」
家内「じゃあヒレカツと海老カツで」
店員「ヒレカツと海老カツですね。ご飯は白ご飯と麦ご飯がありますが」
家内「麦ご飯」
店員「はい、麦ご飯がお一つ。お汁は赤だしと豚汁がありますが」
家内「豚汁」
店員「はい豚汁ですね」
長男「ヒレカツ定食、中」
店員「はい、ヒレカツ定食の中。ご飯は白ご飯と麦ご飯がありますが」
長男「白ご飯で豚汁」
店員「はい、白ご飯と豚汁」
長女「ロースカツ定食中、白ご飯で豚汁」
店員「はい、ロースカツ定食の中で、白ご飯で豚汁ですね」
家内「それと大根サラダ下さい」
店員「大根サラダですね」
田尾「以上」
店員「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
田尾「はい(以上、言うたやないか)」
店員「ではご注文を繰り返させていただきます…」

 どこの店かバレるが(笑)、もう繰り返さんでええけん。今、注文聞くたびに「はい、ロースカツ定食」っていちいち確認しよったんちゃうんか。ほんで店員が一つ一つ読み上げていくのにいちいち「はい、はい」とか返事せないかんのである。途中で面度くさくなって返事をしなかったら読み上げるのを止めてこっちを見たりするから、うかうか油断もできない(笑)。バイトの店員さんとか、マニュアル通りにやらんと怒られるんやろなあ。モンスター客とかもおるからそうやってマニュアルが増えていくんやろけど。私はいつも店員が「復唱します」言うたら「いや、せんでええけん。少々間違ってもええから(笑)」と言ってるけど。ま、復唱しても間違う居酒屋とかいっぱいあるし。

 で、今日は復唱されなかったことでとても気持ちのいいディナーをとることができた(笑)。ま、天津飯と餃子やけど。

 気持ちがよかったと言えば昨日の卒業式。お決まりの式次第が進行していく中、例によってうちの学長の祝辞はいつもオリジナルのユニークな内容で「ここからどう展開していくのか?」と思いながら退屈しないのであるが、学生代表の答辞がこれまたマニュアル通りのありきたりの言葉が延々と続いて、それがまた長くて、長いのに自前の言葉や内容が一つも出てこなくて「まいったなあ…」と思いながら式次第の紙を見ていたら、このあとまだ来賓の祝辞がある。こらまだ辛抱せないかん…と思っていたら答辞が終わって、司会の人が進行原稿を読み始めた。

司会「続きましてご来賓の祝辞ですが、善通寺市長、宮下裕様からご祝辞をいただく予定でございましたが、急用のため…」

と言い始めたので「あー、またよくある代理の人が来て原稿を読むだけ、いうやつか」と思っていたら、

司会「急用のため、祝辞は割愛させていただきます」

 おー! 私はこれまで数多の式典に出席してきたが、祝辞が割愛されたのは初めての経験だ! いやー、あんなに気持ちのいい進行は初めてだ(笑)。すみません。不謹慎な気持ちでいたことをお詫びします(笑)。けどなあ、みんな祝辞や答辞はやっぱり人に聞いてもらうものだから、聞く人のことを考えて工夫した方がいいと思うんだけどなあ。工夫できないのならせめて、聞く人のことを考えて短くするとかね。「相手の立場に立って考えよう」とかいつもみんな言ってるんだから。

 などと言っていたら、もう『超麺通団4』の校正が上がって来始めた。忘れていた。苦しみながら書いていたから推敲が十分でないんだ。夜中に書いたラブレターを朝読み直して赤面するみたいなことになって(書いたことないけど)、「書き直し」みたいな原稿がボロボロ出てきたらどうしよう。また大変な日々が始まるかもしれん。
2010年3月16日(火)

 勝谷さんから「日記を見てわがことのように嬉しいです」とメールをいただいた。学校に行くと漆原先生から「終わったそうですね、ご苦労様です」と言われた。S原からも「その解放感、メチャメチャわかります」とか、何人かから『超麺通団4』の原稿終了に慰労の言葉をいただいた。こんなことは今までほとんどなかったということは、自分ではそれほど気がついてなかったのだが、相当苦しそうな日記が続いていたんだろうなあ(笑)。本当に他人事なのに皆さんにご心配をおかけしてしまった…と申し訳なく思ってメールを開いたら、受信トレイにこんな表示が見えてひっくり返った。

[楽天]トラベルニ…
田尾和俊様 本日終了!! <こ…

 楽天が何で俺の原稿の終了を知ってるんや! しかも個人的にそんなメッセージまで送ってくるか! 恐るべし、楽天の顧客フォロー!

 私は驚いてメールの中身を見たら、

田尾和俊様 本日終了!! <これが最後のご案内です>

 で始まって、

「本日は、イーバンク銀行のカードローンのご紹介をさせていただきます」

と続いておりました。楽天の顧客フォローは普通です(笑)。ま、そらそやわな。

 さて今日は朝10時から四国学院大学の卒業式。私は8時半頃大学に行って研究室で仕事を開始。日曜日の夜からもう次の山に取りかかっているのだが、あの995枚の鉛が取れた後だから、いつもはそれなりに苦しむ仕事が全く苦にならないぞ(笑)。10時になったので卒業式に出席し、11:30からは学科別の卒業証書授与式と合同撮影会に出て、13:30から15:30まで研究室で仕事。16:00から教授会に出て、16:30から17:30までまた仕事。そこから宇多津のセントカテリーナに行って、学科の卒業謝恩会に出て、20:30頃家に帰ってちょっと一服して、それから夜の仕事に備えて風呂に入って22:00に風呂から上がった途端、家内が私の携帯電話を風呂上がりの私に持ってきたのである。

家内「上村のおじさんから(笑)」

 携帯を受け取ると電話がつながったままだ。私の携帯にかかってきたのを「上村さんや」ということで家内が取って、私が風呂から出るまでつないでいたらしい。

上村「いやー、仕事が終わったらしいから慰労してやろうと思って(笑)。風呂から上がったら出てこいよ」
田尾「どこにおるんですか」
上村「Joyful(笑)」

 いつもの私のマンションのすぐ近くのファミレス。一人で酒をかっ食らっているようだ(笑)。風呂から上がって着替えていたら家内も「行く」言うので、22:30頃、Joyfulで合流した。3人で、今日はよっけしゃべった。本日俎上に上がった雑談テーマは「地球温暖化問題」「大学の在り方問題」「私がいかに付加価値に対してリターンを取ってないか問題(上村さんと家内にさんざん責められた・笑)」「コミュニケーションにおける『上から目線』の功罪に関する考察」「石川遼と国母と浅田真央と朝青龍に関する考察」「支配者と被支配者の行動原理に関する考察」「組織のルールと個人のパフォーマンスに関する考察」……あといっぱいあったけど忘れた。このボリュームだから当然話しているうちに日付が変わったのだが、「もう帰ろ」言うて解散したの、何時やと思います? 朝の5時50分! 何が「慰労してやろうと思って」や!(笑)

 ええ年したおっさん2人とおばさんの3人が、ファミレスで徹夜した(笑)。帰りにレジで上村さんがお金を払っていたら、レジのにいちゃんが言った。

にい「あの、田尾さんこないだテレビに出てませんでした?」

 最近は全然出てないので何かと見間違ったのか、あるいは私の知らないところで何かの再放送とかがあったのかと思っていたら、

にい「たけしの授賞式のニュースの時に後ろに映ってたの、田尾さんですよね」

 誰がそんな式に出るか!(笑)
2010年3月13日(土)

 午後6時21分、深夜を待たずして最後の原稿を佐伯に送り、ついに、去年の夏から体中に張り付いていた1000枚の鉛のうちの995枚が剥がれた。厳密に言えば原稿部分以外の仕事がまだちょっと残ってはいるのだが、そんなものはもう羽毛のようなものだ。いや、実際はそんなに軽くないのだが、今や全く何も気にならない。あまりの解放感に腹も減らないのでそれから2時間ぐらい、テレビで『刑事コロンボ』をつけたままボーッとして、9時前に何かうまいものを食べに行こうとなって、家内と二人で何を食べるか迷いに迷ったあげく、ココイチにカレー食いに行きました(笑)。

 カウンターに座ったらメニューにチキンカツカレーみたいなのが「今、イチオシでっせー」みたいに載っていたので、カツ系のカレーは絶対食べないのに気分がおかしくなっていたせいで注文してしまった。案の定、食べている途中で「これは絶対にあかんぞ」と気がついたのだがすでに手遅れ。ルーが足りなくなってご飯を残して終わった。カツはいかんのじゃ。まず皿にご飯を盛って、その端の方にざくざくと切ったチキンカツを載せて、その上からカレーをかけてある。何でそうするんじゃ。カツを取ったら、その下、ご飯だけになるだろ? 俺はご飯とカツとルーのバランスが取れんからカツ系のカレーは嫌いなんじゃ。

 ちょっとヘコんだが、しかしこの解放感がすべてを許してくれる。ココイチを出て9時半、近くのアップタウンに「原稿終了」の報告に行くと、牛乳屋さんと細川がいたけど、マスターはイスで寝ていた(笑)。

牛乳「おっさんたぶん起きへんで」
田尾「しゃーないなー。ほなコーラ取ってラッパ飲みしますわ」

 クーラーケースからコーラを取って、栓を抜いて飲んでたら、勝手知ったる牛乳屋さんが厨房に入ってグラスと氷を出してくれた。それから1時間ぐらい、まあしんどかったこの数カ月を思い出しながらバカ話をしていたら、別のお客さんが入ってきたので、さすがにコーラを瓶のまま飲んでもらうわけにもいかないと言うことでマスターを揺すり起こして、結局11時45分までアップタウンで過ごした。鉛の取れた夜は、そういうことでした。明日は早朝、久しぶりに峰山に登る。それから、冷静になって次の仕事のガントチャートでも作ろう。『インタレスト』も創刊以来最大の遅れであるが、とりあえず明日だけはゆっくりしたい。
2010年3月12日(金)

 連日大学で会議や打ち合わせが続く合間を縫って…ではなくて合間を全部埋めて苦節3ヵ月、『超麺通団4』の原稿の終わりがついに見えてきた。今日金曜日にコラム2本と店原稿4本、明日土曜日にコラム5本を上げれば、昨年の夏前から私をどんよりと覆い、12月からは全身に鉛のように張り付いてきた(張り付けたことないけど)重い重い苦しい原稿がついに終わるのだ。

 今日は早朝3時頃から8時頃までかかって短い1000字くらいのコラム1本と2100字の店原稿1本を上げ、9時過ぎに大学に行って、来期の担当科目のシラバスの修正とかいろんな緊急の雑務をやって10時半頃から次の1000字くらいの店原稿に取りかかる。

 12時半頃中断。今日は午後2時から大学案内の100ページぐらいの冊子の校正ミーティングがあって、外注の制作スタッフに修正箇所を伝えないといけないのに、まだ校正が全く手付かずなのだ。そこで直前の12時半頃から2時前までかかって100ページくらいの出力されたページを必死で校正。チェックを入れた元原稿を持って、2時から3時過ぎまで、修正のミーティングを行いました。

 で、3時半、今日は朝にパン1コ食べただけだったので清水屋に行って、天ぷらが1コも残ってなかったので「メガ肉ぶっかけ」を力強く注文して食べて帰って、4時前から5時過ぎまでかかって店原稿1軒を上げて、トイレに行こうとしてたら、途中にある学科事務室に助手の柘野とオヤジダジャレでおなじみの片山先生と、卒業して働いているインタレスト2代目編集長の源成がいたのである。トイレを済ませてちょっと立ち寄り。

田尾「……というわけで、今日と明日でおそらく原稿が終わるわけよ。計画ではおそらく土曜日の深夜に原稿が終わる。すると、この日曜日の朝、もう半年ぐらい1日もなかった“今日は仕事せんでもええかもしれない日”がくるわけや。もうその解放感を想像したらなあ、気がおかしくなるぐらい頭が沸騰してきて、さっきから“日曜の朝をどう迎えたらいいのか”を考えてたら、もう仕事が手につかんのや(笑)」
柘野「とりあえず峰山に上がって(笑)」
源成「というか、そんなこと考えずに早よ原稿書いた方がいいんじゃないですか?」

 それから夜の7時頃まで研究室で雑務をこなして家に帰ってメシ食って風呂入って9時。今日上げる予定の残り店原稿1軒とコラム1本に取りかかったのだが、頭の中で1000字の構想をいろいろ組み立てていても「日曜の朝の解放感の想像」が出てきてどうにもうまくまとまらない(笑)。いかんいかん、こんなに集中力を欠いてしまっては原稿にならん。私は「漂いながら書ける」タイプではないのだ。頭の中でツカミから本題、オチまで大体構成が決まってから初めて書き始められるという、まあめんどくさいタイプなのだ。気を引き締め直して出した、今最も有効だと思われる結論。

「今日のところはとりあえず寝よう」

 あー、源成の懸念が現実に…。
2010年3月10日(水)

 『超麺通団4』、今日までに原稿全部上げるつもりであったが、ずいぶん残して午前2時過ぎ、沈没。あー! 絶対週末には終わらせるぞー! と一発吠えとこ。週末に東京からねっくが帰ってくるいうて電話かかってきたけど、遊んでやらない(笑)。あー! これ終わってインタレスト終わって授業準備終わったら「もう勘弁して下さい!」いうぐらい日記更新するけん、今は勘弁して下さい(笑)。
2010年3月7日(日)

 現実逃避して苦しみを吐露したら、佐伯からは「大丈夫ですか」言われるし勝谷さんからはアドバイスが飛んでくるし(笑)、おかげで今日はちょっとだけ気が晴れてちょっとだけ仕事が進んだ。すんませんなあ、皆さん(笑)。

 今日は久しぶりにテレビまでちょっと見ました。「そこまで言って委員会」の後半30分ぐらいと、NHK-BSの何か文化大革命のドキュメントみたいなのを30分ぐらいと、ダイキンオーキッドの最終日を1時間ぐらい。ダイキンオーキッドで宮里藍と一緒に回っていた綾田紘子という選手、実は香川県の高松出身なんです。たぶんプロデビュー戦だと思うけど、2日目を終わって首位と2打差の6位タイにいて、「おっ」と思っていたら最終日に崩れた。同組のもう一人の青山がスコアを伸ばしていたので、テレビ中継は宮里と青山ばっかり映って、綾田はほとんど映してくれんかったなあ(笑)。けど先は長いし、あいつ強いですよ。たぶんいつかツアー優勝すると思う。と、気分転換はここまで。あと1週間。1週間で一つ目の巨大な山、越えられるかもしれないというところまでこぎつけた。けどそれを阻む細かい仕事が来週は5つぐらいある。ふー、まだ苦しい。
2010年3月5日(金)

 ちょっと30分くらい現実逃避しよ(笑)。うー、苦しい…。もう「くるちい」レベルを超えたぞ佐伯。1行でもええから日記を更新しようという気持ちも失せるほど精神が重苦しい。理由はあまりにも明白だ。仕事の抱えすぎ(笑)。解決策はあまりにも明白な答を以前、都村さんにもらってある。「仕事を受けないことですよ」(笑)。

 しかし大学の仕事は本業なんだから受けないわけにいかない。というより、組織(大学)に所属する限り、所属する組織の目的のために全力を尽くすのは組織人の最低限の責務だから、受けるし、やる。けどキャパシティに限界があるからなあ。今、迫り来る本業の巨大な山は3つ。『インタレスト』の締め切り、4月からの授業準備、そして実質的に1年後から始まる新しいカリキュラムの準備。これがえらいことになってまして、来年の4月からワタクシ、このまま行きますと一人で25科目ぐらい担当せないかんことになってしまうのです(笑)。1科目は半期90分の15回講義。それが25科目。そのうち約20科目が新カリキュラムだから一から授業計画を作らないかんやつ(ま、その他の科目も毎年修正してるから準備はいるけど)。で、授業が始まったらまとまった準備時間が取れなくなるから、まともにかかれるのはこの春休み(もう1ヵ月しかない)と次の夏休みとその次の春休みの3回しかない。

 という状況の上に今、『超麺通団4』の原稿がのしかかってきているわけです佐伯(笑)。まあうどんの取材や原稿は私の授業のネタであったり研究テーマであったり、内容によっては論文でもあるから(実は四国学院大学に呼ばれた時、『恐るべきさぬきうどん』5冊と『超麺通団』の(1)が論文扱いになってたらしい・笑)、取材して考察して原稿を書きながら非常に研究にはなっているのだが、いかんせん原稿量が多すぎる。こないだふと文字数を計算してみたら、店紹介(店紹介ったって「店内は白を基調とした明るい雰囲気で…」とか「店主のこだわりは…」とか「おすすめメニューは…」とかいったありきたりの紹介じゃないから大変なんだぞ)やコラムに1本あたり2000字〜2500字、タウン情報時代に書いてた「ゲリラうどん通ごっこ」1本分ある。それが70〜80本分。「ゲリラうどん通ごっこ」は月に1本だったけど、今回は約1ヵ月で70〜80本分、ゲリ通6年分ぐらいあるぞ佐伯! あ、感嘆符をつけてしまいましたが(笑)。けど俺、今、生涯で最大量の原稿書っきょんちゃうか? しかもボランティアみたいな値段で内山さん(笑)。

 と牽制球を投げておいて(牽制ばっかりで打者に投げてない気もするが)、以上合わせて巨大な山が4つ。その上に大学の雑務がアラレのように降ってきて、その他にいろんな所から依頼事がパラパラ来て、学外からの依頼事はこの忙しい時にはたいていはお断りをするのだが、中に「30分でいいですからお話を…」と言われて内容的に大学のPRになるものとか役に立ちそうなものだからと受けたら、やっぱり性格上全力だから30分で「時間が来たので帰って下さい」と言えず、結局2時間近く時間をとられたり…みたいなのが何度も。

 私の座右の銘の一つ。
「自分の身に起こることの95%は、自分が起こしたことだ」(by私)
 ええ言葉やなあ(笑)。笑うしかないわ(笑)。みんな、楽しく頑張ろう! やることが目的じゃない。やった後、いい結果を出すことが目的だ。どうせやるならいい結果が出るように全力じゃ! よし、気合いを入れたところで今日はとりあえず寝るか。
2010年2月28日(日)

 書いた時にアドレスに何か違和感があって「これでよかったんかいな」と付け加えたら、やっぱり違うアドレスやった! すんません、勝谷さんのメールマガジンの申し込みはこっちの方やった。

http://katsuyamasahiko.jp/

忙しいからといって確認のツメを手抜きするとこんなことになるというわかりやすい教訓やなあ(笑)。あまり被害のないミスでよかった。

 思い起こせば若い頃は仕事で何度もミスをして大変な目にあった。スーパーのチラシが刷り上がったら肉の値段が「売価」でなくて「原価」の値段になってたり(社長がいい人で「校正の時にこっちがちゃんと見てなかったこともある」と言って許してくれた)、本が刷り上がってきたら広告枠が一つ真っ白になっていたり(製版の時に判下が剥がれて取れていた。当然広告料はタダで、スポンサーにお詫びと翌月無料掲載)、部下の取材してきた店の料理の値段が間違っていて、責任者の編集長ということで謝りに行ったら店主がキツイ人で店の土間に1時間以上正座させられたり…

 名物投稿ページの「文化人講座」の読者プレゼントで『文化人ステッカー』を作ることになって告知記事を掲載した時、S木が『ステッカー』を『スッテカー』いうて校正ミスしたまま掲載してしまったことがあったな(笑)。直ちに読者から指摘が来たけど、あの時はとっさの機転で「よし、訂正なしでこのまま進めー!」いうて、ステッカーでなくて「新しい商品じゃ」いうてほんまに『文化人スッテカー』なるものを作ってクリアしたこともあったぞ(笑)。

 ま、「いつになっても情報発信は油断してはいけません」という普通のまとめで、終わりの見えない仕事を続けます。『超麺通団4』、あと40ページくらいまでこぎ着けたけど、また緊急の仕事が割り込んできた。もう毎日ずーっと眠いぞ(笑)。
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