麺通団公式ウェブサイト
麺通団トップへ 団長日記へ リンクへ 募集一覧ページへ
麺通団公式ウェブサイト
2010年05月の日記
2010年5月31日(月)

 唐突であるが、口蹄疫はどうなってるんですかね。つまり、今、どこまで広がっているのか、あるいは止まっているのか。処分された牛や豚は今、何頭に増えているのか。あれ、ウイルスでしょう? 牛や豚の移動を止めても、ハエや鳥や、あるいは消毒せずに入っていった報道陣も含めたいろんな媒介がウイルスをあちこちに運んでいるとしたら、日々の発症情報って結構重要なニュースのような気がするんですが(天気予報みたいに毎日「口蹄疫発症情報」があってもいいくらいの)。あまりテレビを見てないもんで、ちゃんと報道されているのかもしれませんが、全国の畜産農家には「日本海から低気圧が進んできている」というニュースより「ウイルスが○○県まで来ている」という情報の方が気になるのではないか、あるいは大事なのではないか…と、ふと思ったわけです。

 もし毎日「口蹄疫発症情報」を流してないのなら、マスコミの今やってる口蹄疫報道の目的は何なんですかね。行政の目的はどう考えても「被害を最小限に食い止める」ことなのに、種牛がどうしたとか誰それが会談したとか、責任がどうだとかいう報道ばかりが目について、報道は「被害を最小限に食い止めるために注意を喚起する」という目的ではないのかと思ったりするわけです。

 まあ、報道が目的を見失っているのは今に始まったことではないので驚くことではないのだが(情けない話ですが)、以前も書いたけど、景気が悪い時には消費を拡大するというのがセオリーなのに、麻生さんがホテルのバーで飲んでたら「この景気が悪い時に贅沢だ」と責める。目的の錯乱である。普天間問題でも、国の目的は「防衛力の強化」なのに、辺野古案に戻ったら「それによって防衛力はどうなるのか?」という報道をせずに、「過程」を責めることばかりする。あるいは普天間基地周辺の住民の安全を確保することが目的であるのに、「辺野古案によって普天間基地周辺の住民の安全がどうなるのか?」という報道をせずに、また政治的な過程うんぬんばかりを責める。

 最近は特に、あまりにも目的をないがしろにした報道が目に余るので、気分が悪くなるからニュースも2秒くらいで見るのをやめるし、新聞も見出しだけで「またか」と思って、将棋欄とか見ながらメシ食ってます(笑)。最近のマスコミ報道、あんまり見過ぎていたら、社会の原理原則がわからなくなりますよ。たぶん、論理的思考力もどんどん蝕まれていく。そんな気がしています。マスコミのニュース見んと、良質の評論だけ拾い読みしながら仕事しよ。
2010年5月27日(木)

 6月1日発行予定と豪語しながら、ほとんど不可能なくらい原稿や割り付け(私担当・学生手伝い)やデザイン(松本担当)や地図制作(S原担当)が遅れていたインタレストは、4コーナーを回って絶対届かないと思われた位置から怒濤の追い込みを見せて、ゴール板で鼻差、差し切ったぞ。今朝、2時30分、松本君ちでついに最終校正と最終修正を完了しました。

 では、4コーナー手前からVTRで振り返ってみましょう(笑)。

<5月24日(月)>
 助監督の多田、編集長の松野と一緒に「できるまで帰らんぞ!」という強い意志で編集室にこもり、夜10時半までかかって最後の6ページの原稿と割付と写真の整理を完了。そのデータと割付用紙を持って11時半に家に帰る。11時40分頃、S原と松本君がそれを我が家に取りに来た。ついでにS原が私に、コマ地図の元原稿の細部の確認をする。お前、今日、この時間に元原稿の確認ということは、まだ全然取りかかってなかったんやんか!(笑)

 結局、打ち合わせは夜中の1時を回った。この時点で、私は原稿終了。松本君は今日渡した6ページと表紙と今まで渡してある分の残り、合わせてたぶん10ページくらいのデザインを残しているが、それを明日の夕方までに全部完了すると豪語している。S原はコマ地図30コくらいの制作をたぶん今から全部(笑)。

<5月25日(火)>
 私は朝から、チャペルトーク、授業、授業。その間に松本君から、できあがったページのPDFがメールで送られてくる。朝9時20分に4ページ、昼12時45分に1ページ、午後2時50分に2ページ。うおー! 猛ペースで働いてるぞ! 

 ちなみに今晩は、松本君が夕方までにデザインを全部上げる言うので学生数人と松本君ちに行って、全ページの第1回大校正大会をやることになっている。午後3時に2つ目の授業を終えた私は、残務整理をして、昼飯を食う時間がなかったので一度家に帰ってカップヌードル1コ食って着替えて、夕方5時半頃、松本君ちに到着。学生組は多田、松野、池田の3人も来て、夜の10時頃までかかってとりあえず全ページの第1回校正を終えた。

 ただ、心配事が一つ。S原担当のコマ地図が、この時点でまだ1コも上がってきてない。S原が私と同じ「尻に火がついてもまだ動かない。背中が燃えだしたら目を覚まして、後頭部がチリチリ言い始めてやっと動き出す」というタイプであることを知っている私は、心の中で「もうチリチリ言うとるやろが!」とツッコミを入れるが、私も昨日までチリチリ言うとったから強く言えない(笑)。

 いずれにしろ、今晩の時点で私と学生軍団と松本君のたちまちの仕事は片づいた。あとは明日、「校正の鬼」こと和田画伯と笹木も参加して最後の大校正大会。最悪、S原の地図だけを残して明日の夜中にはすべて完了…という段取りとなった。ちなみに印刷の鵜川君は、当初25日(本日)入稿の予定だったのだが、27日の朝入稿で何とか6月1日納品にこぎ着ける手配をしてくれた。疲れた体で夜10時半、みんなで「とり伝」で遅い晩飯を食って、家に帰ったら日付が変わっていた。

<5月26日(水)>
 朝7時半に大学に行って研究室でパソコンを開けてメールを見たら、松本君から「地図が上がってきました」の連絡が入っていた。何とかー! 恐るべしS原! というか、それなら早よやっとけよ(笑)。天にツバすることになるので笑いながらしか突っ込めない私(笑)。

 メールを確認したあと、今日も昼飯の食えない授業、会議、授業の連続ラインナップ。それを終えて午後3時半に岸井でうどん食って、4時半に松本君ちに着いた。遅れて学生組の多田助監督、松野編集長、松田副編集長が到着。S原が来てないので聞くと、何やら地図の縦横比が合わなくなったとかで、自宅事務所でまた作り直しているらしい。この非常事態に、またトラブルか。

 笹木と和田は夜の9時以降に参戦するので、我々はそれまでにもう一回、より綿密に校正、修正し、最新のデザインを出力してから和田と笹木を迎えて最終校正に入ろうということで作業をしていたら、えらいことが起こった。夜7時頃、プリンターが故障!

 松本君がメチャメチャ焦りよる! これが直らなければ校正用の出力ができない。すると、今晩の最終校正大会はアウトになる! なのに、何をどないやってもプリンターがまるで反応しないのである。サポートセンターみたいな所に電話やメールでコンタクトを取ろうとしても、営業時間が終わってて連絡不能。万策尽きた松本君は、最後の望みを賭けて、ツイッターでこの窮状をつぶやいたのである。そしたら、S原から返事があった(というか、この非常事態にツイッター見るか!)。しかし、もはや素人ではどうにもならないと思われる故障ぶりに一体どうするのか…と思っていたら、事態はそこから急展開を見せたのである。

 まず、プリンターのメーカーである富士ゼロックスは営業時間終了につき、電話も通じないのだが、事務所に誰かが残っていることを期待して、松本君ちから車で20分ぐらいかかる高松の中心街にある富士ゼロックスの事務所にS原が直接行って、誰かいたらそこで交渉することとなった。さらに、もし誰もいなかったら、S原の知り合いのデザイナーに事務所を開けてもらって、データを全部そこに持ち込んで作業をさせてもらうことまで段取りして、とりあえずS原が富士ゼロックスに行ったのである。そしたら、社員の方が残っていた。しかし、それで解決したわけではなかった。状況を伝えたところ、残っていた富士ゼロックスの社員2名はいずれも営業の方で、メンテナンスの専門ではないからおそらく直せないというのである。

 さて問題です。このあと、我々はある方法でこの窮地を脱することになるのですが、それは「知り合いのデザイン事務所で作業をした」のではありません。さらに、富士ゼロックスの営業の方が直してくれたのでもない。また、メンテナンスの方が来てくれたのでもありません。もちろん自力で直したわけでもないし、ほっといたら自然に直ったのでもない。では一体、何がどうなって解決したのか?

 私はね、あんな解決法が行われるとは、夢にも思いませんでした。何と、富士ゼロックスの営業の方が、営業時間も終わっているし自分たちに修理する技術もないということで、松本君ちの故障したプリンターと同じプリンターを社内で探し出し、それを事務所から持ち出して「とりあえずこれを使って下さい」と言って松本君ちに持ってきたのです! 簡易プリンターじゃないですよ。業務用の、とても一人では動かせない、大きい重いプリンター。それを、夜の9時も過ぎた時間に会社から運び出して車に積んで、20分近くかけて松本君ちまで持ってきた! 松本君の仕事場は家の2階にあるので、とても持ち上げられないということで1階の玄関にプリンターを置いて、2階のパソコンから長いケーブルを階段に降ろしてつないで、2階で作業をして1階で出力するという体制にセッティング。夜の10時を回って、ついにプリンター作業が復活したのです。

 専門でない営業の人がここまでやるんだ。S原や松本君曰く、富士ゼロックスはアフターサービスというかお客様のフォロー体制が他社に比べてダントツに素晴らしいそうです(全国的にか高松だけかは聞いてないが)。いやー、素晴らしいものを見せてもらいました。

 アクシデントを乗り越え、笹木と和田とS原も合流し、日付が変わって午前2時半、ついにすべての校正と修正が完了しました。その間、「カントリーマアム・パッケージ事件」をはじめとする爆笑トークがいくつも繰り広げられたが、それを書いてたら特集が1本できるので割愛する。家に帰って、寝たのが3時半。明日も朝一から授業があるというのに…。

 そういうわけでとりあえず、6月1日に発行できることになりました。『インタレスト第9号』をご希望の方は、またメールかハガキでご応募下さい。いつものように申込先は、

・Eメール…interest@sg-u.ac.jp
・ハガキ…765-8505 香川県善通寺市文京町3-2-1 四国学院大学カルチュラル・マネジメント学科「インタレスト編集部」宛

*いずれも送り先の郵便番号、住所、氏名、年齢(詐称可)を明記し、余裕があれば気の利いた一言やメッセージをお添え下さい。
*冊子は無料ですが、送料は「着払い」なのでご了承ください。

 今回の大特集は「香川の三角山大集合」で、県民も目を見張る珠玉の写真をたくさん集めてありますが、さらに自信作は、巻頭のチャレンジ企画の「高松市街地の屋根に色を塗ったら世界遺産の町みたいになるのか大企画」。おそらく世界初の、驚愕の画像がご覧頂けるものと確信しております(笑)。和田画伯曰く、

和田「これはすごいですわ! 切り口に田尾さん臭がプンプンしますよ!」

 何か「オヤジ臭」みたいで褒められた気がせんのやけど(笑)。
2010年5月23日(日)

 「インタレスト今週末で一気に終わらす大作戦」は、土曜日はオープンキャンパスで半日近く潰れ、今朝は早朝から頑張っていたら、ちっちゃな写真のキャプション部分で情報の不足が見つかってたった2行くらいのキャプション原稿に詰まってしまって、気分転換に1時間半もかけて水槽の水替えと水草のレイアウト替えをやってしまうという大惨事。タウン誌時代に、締め切りの真っ最中に本棚に本を一冊取りに行っただけなのに本のちょっとした傾きを見てスイッチが入って、本棚の1000冊以上の本を全部並べ替えてしまうという、あの習性。たぶん一生治らない(笑)。

 そういうわけで状況を説明すると(誰にや)、再編スケジュールでは20日に原稿を全部上げて松本君にデザイン発注して、「25日に印刷発注するからそれまでに全部デザインせよ」と指令を出して、もし「原稿が遅れたから25日には間に合いません」と言われたら「済んだことにこだわっていては何事も前に進まん!」と開き直る準備までしていたのに、今日23日午後1時現在、上がった原稿は32ページ中、表紙を除いて23ページという体たらくだ。ちなみにそのうち21ページを、すでに松本君に渡してある。で、手元に昨日書いた2ページがある。でも残りの原稿全部は絶対に今日中には終わらない、という状況。

 そこで私は考えた。今から頑張って何ページか上げても、松本君はまだ渡してある21ページをやっている途中だから、それが終わらない限り、急いで次の原稿を持って行ってもデザインにかかれない。よし、松本君が今、どれくらい進んでいるかを確認して、それに合わせて私の原稿の締め切りを決めよう(「傷のナメ合い」という、もう最低の作戦・笑)。というわけで夕方6時半、私は松本君に探りを入れたのである。

田尾「今、どの辺まで進んでる?」
松本「うわ…。いや、一応ですね…」

 歯切れが悪いぞ。よし、まだあんまり進んでないに違いない。ということは、私の原稿ももうちょっと引っぱれる(もう最低)。と思っていたら、松本君が続けた。

松本「いやー、実はですね、明日の朝までに今もらってるやつを全部上げて出力して、早朝に田尾さんちの郵便受けに耳を揃えてお届けしておいて、田尾さんを仰天させようと思ってたんですけど」
田尾「何とかー! 絶対まだ終わらんと思って、残りの原稿、あと2日は引っぱれる思ってたのに。ふえー、危うく油断するとこやったわ。よう電話したもんや」
松本「あーあ、せっかく驚ろかそうと思ってたのに、全部バラしてしもた。ほんま、田尾さんの危険察知能力には感服しますわ」

 そういうことであった(笑)。しかしそうなると、何としても今晩中に次の原稿を上げないかんことになったぞ。とりあえず手元の2ページだけでも先に渡して時間稼ぎするか…と思ってその旨を伝えたら、松本君は今、一緒に作業をしているS原と車で移動中で、そのまま我が家にこの2ページの原稿データを取りに来るという。で、夜の7時過ぎ、松本君とS原が我が家に来たのである。

 せっかくだからと部屋に上げて、私の狭い仕事部屋に入れる。ゆっくりしている暇はないので、まずは水槽の解説だ(笑)。
田尾「今日の昼、スイッチが入って水替えしたとこや」
松本「へえー、これは大変やわ!」

 松本君が90センチ水槽の大きさを見て驚く。S原は何度もうちに来ているので、中の魚を確認して、前に来た時から増えている新しい魚をチェックしよる。それからデータを移して割付用紙を渡して、家内がコーヒーとお菓子を出して4人で談笑。ああだこうだと世間話をして、気がついたら夜の10時になっていた。

田尾「いかんいかん、これ以上しゃべっとったら松本君が朝までに全部上げられんようになるわ」
松本「もう絶対に無理です!」
田尾「よしよし、俺の原稿締め切りを後ろに延ばす大作戦、成功じゃ」
S原「最低の作戦ですね(笑)」
松本「でもね、25日印刷発注で6月1日に印刷上がりは、絶対印刷スケジュールに余裕がありますよ。1日2日遅れても間に合うんじゃないですか?」
田尾「そうよな。間に合うよな(笑)」

 そういうわけで印刷の鵜川君。事態はそっちに行ったぞ(笑)。
2010年5月21日(金)

 ふー、インタレスト、やっとあと8ページまでこぎつけた。ヘトヘトになりながら今朝、松本君ちに原稿と写真と割付を持って行って、「さあ、今週末で一気に終わらすぞ!」と気力を奮い立たせようと思っていたら、帰り際に松本君が「日記もしばらく更新してないですよね…」って。その一言で、また私の悪いクセ、複数の抱えている仕事の優先順位が乱れてきたが(笑)。

 イメージするなら、水面に「浮き草」みたいにいくつもの仕事が固まって浮かんでいるわけです。で、ランダムに固まっていてはどれから手をつけたらいいかわからんので、急ぎの度合いや大きさや重要度などのいろんな要素を総合してとりあえず優先順位をつけて、その浮かんでいる水草をそーっと動かして優先順位の高い順に1列に並べるわけです。全部でなくて、先頭から5つぐらいを1列に並べて、残りは固まりのままその後続に浮かべておく。しかるのち、列の先頭の仕事から取りかかる。

 でも、先頭から5つぐらいはとりあえずつけた優先順位であって、どれもここ数日〜1週間以内にはカタをつけないかんという、いつも気になって焦りの原因になっている仕事ではある。それを、心を鬼にして「いかんいかん、絶対この先頭のやつを片づけてから2番目にかかるんじゃ!」と何度も自分に言い聞かせながら、1番目のやつに取り組んでいたのである。

 ちなみに今、並べている仕事の1番目は「大学のインタレスト、あと8ページ(20日に上げる予定がすでに遅れている)」、2番目が「大学のオープンキャンパスの模擬授業の準備(22日昼まで)」、3番目が「四国新聞のコラムの原稿(24日まで)」、4番目が「大学のチャペルトークの内容整理(24日まで)」、5番目が「大学の来週の授業のうち5科目分の準備(24日まで)」。その後ろに「今月中」とか「今年度中」とかいった仕事が30コぐらい固まって浮いていて、その中に「随時」の日記更新もいるという、そういう浮き草がワーッと浮かんでいるところに、松本君が「日記更新」の浮き草に小石をトプンと投げ込んだものだから、水面が波立って浮き草がもう入り乱れて何が何だか(笑)。

 よし、これでいろんなものが松本君のせいにできた(笑)。

 ではここで浮き草情報を一つ。数年前に見た話なので今はどうか知らないが、JR土讃線財田駅の近くに、夏になると水面の半分以上が浮き草に覆われる小さな池があるのだが、ある雨の日、別件の取材で財田駅に行って、待ち時間の間にふとその池を見ていたら、目が釘付けになるようなシーンを目撃した。すなわち、密集した浮き草の上から大粒の雨が降り注いでいたのだが、雨粒で浮き草が動くのである。それもかなりダイナミックに。

 よーく見ていると、雨粒が1粒落ちるとそこの浮き草が脇に寄って小さな「水面の穴」ができる。そのせいで右に寄った浮き草も、一瞬後にはその右に落ちた雨粒でまた左により…と、文字で書いたらゆっくりした動きに思えてしまうが、ハイスピードカメラで捉えたらそういう感じで動いていると思って下さい。

 ところが、雨粒はまんべんなく均等に水面に落ちてくるのではなくて、例えばあるポイントにパパパッと3粒、4粒が集中して落ちたりします。すると、そのポイントには周りより大きな「水面の穴」ができる。その穴の大きさには何か「しきい値」のようなものがあって、ある大きさを超えると、もう元には戻らなくてどんどん大きくなっていくのです。例え穴の周りの水草に雨粒が落ちても、穴の中に落ちる数多くの雨粒の総合力の方が強いから、穴はどんどん大きくなっていく。

 でもあまり大きくなると今度は力にスキができて、大きな穴の円周のどこかが破られて、そこから周りの浮き草が少しずつ中に侵入してくるわけです。戦線を拡大しすぎて守りきれなくなった日本軍かドイツ軍みたいに。よく知らないけど(笑)。その一連の動きが、池のあちこちで繰り広げられる。あれは予測不能に動くアートです。一面を覆った浮き草のどこかから2つ、3つと穴が現れて、それが形を変えながら大きくなっていって、穴同士がくっついたり、スキを見つけた「浮き草軍」が侵入してきて穴が分断されたり…。私は取材を忘れて30分ぐらい、釘付けでした。

 あれ、まだあるのかなあ。浮き草の量とか、雨粒の大きさとか降り方とか、いくつかの条件が揃わないとあの光景は出現しないのかもしれない。人工的に再現して、何か新しいアート作品に使えません?
2010年5月13日(木)

 こないだ「インタレスト」に来てるメールを読んでいたら、こんなのが一通来てたので、無断転載しよう(笑)。

田尾先生御侍史

いつも「団長日記」を楽しみに拝見しております。
高松市出身、現在東京在住会社員のN山と申します。今までに「インタレスト希望時のメール」で「東大うどん部ネタ」と「日記の広辞苑での意味ネタ(日記の催促)」で、団長日記にも2回掲載いただきました。さて、先生にお尋ねしたいのは4/29の日記の内容についてです。

■長男が高校3年の時に進路相談会に呼ばれて高校に行って、担任の先生と長男が話しているのを聞いて「お前、理系やったんか!」と言って長男と先生の目を点にしたことがある(笑)。それからいろいろ話ながら先生を笑わせて相談時間を終え、部屋を出たら次の女子高生とお母さんがいたので「中、暖めときましたから(笑)」と言ってまた笑われたという、バカ親である。■

【お尋ね事項】
田尾先生は、息子さんの進路相談会に行かれたのは1回だけでしょうか? というのは、実はうちの息子は田尾先生の御子息と高高の同級生でした。我が家では、進路相談には家内が出席しましたが、家内はその折に「上記日記ネタ通り」に田尾先生から「中、暖めておきましたから(笑)」と言われたと、帰宅後に田尾さんに会った興奮とともに報告がありました。その時に面談を待っていたのは「うちだけ」だったということですから、もし田尾先生が進路相談会に行かれたのが1回だけなら、正確には「次の女子高生とお母さん」ではなく「次の男子高生とお母さん」です(笑)。四国新聞の天気予報に比べると、全くなんの影響も無い話ですが、とりあえずご報告まで。

 えーと、私が進路相談会に行ったのはその1回こっきりなので、たぶんそれです(笑)。男子高校生だったのか…。すんません、「お母さんが高校生に見えた」とか報告しといてください(笑)。しかし世間は狭いなー。7年くらい前にオーストラリアのケアンズに行った時、熱帯雨林の中のキュランダで突然知らない人2組もから「田尾さんですか?」言われたのを思い出したわ(『超麺通団2・団長の事件簿』参照)。

 ちなみに「御侍史」いう表現、久しぶりに見たけど、私もこういうのが気持ちいい年頃になりました(笑)。思い出しついでに、かつて国語関係のどこかの団体が「昔の日本語が使われなくなってきた」といって、小学生にアンケート調査をやったデータが発表されたことがあって、その中に「『やんごとなき』を『使う』と答えた小学生がわずか5%しかいなかった」とか書かれていたのを思い出したが、その時の私とごんの会話(onラジオ)。

ごん「けど、その辺に『やんごとなき』を使う小学生が5%もいる方に驚きますよね! 『○○ちゃん、遊ぼ』言われて『いや、今日はやんごとなき理由で遊べん…』とか言われてもどうなのそれ(笑)」
田尾「『俺、なかんずくゲソ天が好きや』とか言われてもなあ(笑)」

 相変わらずバカな番組をやってましたが(笑)。思い出しついでに「失われつつあるニッポン」ネタをもう一つ。こないだの5月3日の憲法記念日に用事で高松の中心街に向かっていたら、古い町並みの細い道、約1kmの間に6本(6軒)、国旗が出ていました。おー、と思いながらそこを通り抜けて比較的新しい住宅街に入ると、2kmくらいの間に国旗は1本も見えませんでした。これぐらいにしとこう(笑)。ちなみに、三木町の人はみんな知ってると思うけど、三木町では祝日ごとに白山(三木富士)と嶽山の山頂にでっかい国旗が立つ。聞いたら、そのつど地元の人たちが(農協の人とか言いよったけど)早朝からでっかい国旗を担いで山に登って立てているらしい。大マスコミの方、取材に行けますか?(笑)
2010年5月12日(水)

 ふー、ほんま、いつも「毎日更新」の気持ちに満ちあふれているのに、ちょっと油断したらすぐに数日が経ってしまう。忙しい、忙しいと言いながら、実は仕事をさばく能力が落ちてきているのを自覚している私(笑)。

 今年のゴールデンウィークのうどん屋の状況をフィールドワークで集めているのだが、相変わらずすごかったみたいです。某店で奥さんに聞いた話。玉切れが近いのに表にすごい行列が続いているので、あと100人くらいで切らないかんと思って行列を数えて、100人ぐらいのところで「申し訳ありませんが、今日はこの方までで終了させて下さい」言うて行列を切ったらしい。それで、切った人までのうどんを出していたら、途中で行列の人がどうも増えていることに気づいて、確認してみたら、行列を数えた時に数人で来てたグループのうちの一人だけが並んでて、車で待機してた仲間があとから行列に入ってきてた。けど仕込んでいた今日の分のうどんはもう切れてしまうのでどうしようもなくなって謝ったら、客の中の一組がぶち切れてオラオラ言いながらしまいに「大阪からわざわざ来たんじゃ! 駐車場代を出せ!」いうて怒鳴り散らしたそうです。

 まあいろんな事が起こってるみたいですねえ。すんません皆さん、人生いろいろ思い通りにならないことが身に起こりますが、ぶち切れても事態は何も好転しないことって結構ありますから、お互い精神的に健康な人生を送るためにも、何とぞ穏便に(笑)。

 今日は朝から授業が2本(昼飯を食う時間がないパターン)で、授業が3時に終わって、3時10分から教授会で、3時40分から次の会議だったので「今日はメシ抜きで帰らないかん…」と思いながら教授会の部屋に行ったら鍵がかかってる。あれ? 部屋が変わったんか? と思って教学課に行って確認したら「本日の教授会は、ありません」ということが確認されました(笑)。突然降って湧いた昼食タイム。次の会議までの30分で、こんな時にはここしかないという清水屋へ(笑)。

清水「昨日、ラジオの録音に上戸君が行ってたでしょ?」
田尾「おー。聞いたら、ゴールデンウィークに一福に行列ができてたのをねたんで、こないだ飲み会で斉賀の対象と2人で一福の大将を囲んでさんざんいじめてたらしい(笑)」
清水「あっはっは(笑)」
田尾「そやから“いじめられ役はいつも清水屋だったん違うんか”言うたら、上戸君、“いや、清水さんとこには負けてないと思うきん”言うてたぞ(笑)」

と、告げ口しといて、と(笑)。

清水「今年のゴールデンウィークは去年よりよっけお客さん来ましたよ」
田尾「うわー、よかったよかった」
清水「超麺通団4を持ってきてた人もよっけいましたよ。ありがとうございます」
田尾「原稿、あんなんでよかった?」
清水「いや、うどラヂの感じでメチャメチャ書かれとんかと思ってましたけど、割とおとなしめで(笑)。本が届いた時、読むのに勇気がいりましたけど(笑)」

 紹介したうどん屋の大将が自分とこの店の記事を読むのに「勇気がいる」本って、どんなんや(笑)。
2010年5月8日(土)

 いよいよインタレストのデザイン発注が始まりました。まず5月5日に松本君ちに巻頭の4ページ(おそらく世界初のオバカチャレンジ企画)の原稿と割付と写真を発注。続いて今朝、一気に6ページを発注。松本君を、もう髪の毛が抜けるほど追い込んだ(笑)。取材も追い込みに入ってて、あとは天気のいい日に写真の撮り直しに行くのが10カ所くらい残っているだけだが、なかなか空気が澄んだ日が来ないのよ。

 で、こないだ木曜日。朝は水蒸気が上がって霞んでいたのだが、10時頃から風が出てきて水蒸気が飛んでしまったのか、突然、絶好の天気になった…のに11時10分から授業。全力で授業を終えて午後1時、滅多にない好条件を逃すわけにいかないので一人で写真を撮りに走ろうかと思っていたら、副編集長の松田スシ太郎がやってきた。

松田「先生、メチャメチャいい天気です!」
田尾「行くか」
松田「行きましょう。まずはなかむらですか」
田尾「うどんかい!」

 というわけで、松田と「お腹空いた」言う多田と、多田の後輩らしい宇宙人みたいな女の子と私の4人で、撮影がてら、なかむらに行ったのである。行ったら10人くらいが並んでいたので列の後ろについたら、前にいた知らないおじさんが話しかけてきた。

おじ「お、団長自ら来てるんですか」
田尾「あ、結構しょっちゅう来てますんで(笑)」
おじ「私、○○の弟」
田尾「え? どこの○○さんですか?(全く知らない人だ)」
おじ「これ…」

と言って、おじさんは何か陶芸をするようなジェスチャーをした。陶芸家に知り合いはおらんぞ。

おじ「陶芸の○○の弟ですわ」
田尾「え? いや、そういう方は存じ上げないんで…」
おじ「ほら、日展に出展した時、ラジオで田尾さんに作品をボロンチョ言われた○○の…」
田尾「えー? ラジオで陶芸の話なんか、した覚えないですよ(笑)。日展なんか見たこともないし。誰か違う人がしゃべってたん違いますか?」

と言ったら、それからおじさんは黙って店に入って、丼に生卵を入れてかき混ぜ始めました(笑)。私、美術も陶芸も、日展も県展も全然知らんから、話題にしたこともないがな。何か巷にはわけのわからんデマが結構あるようですねえ。以上、「善通寺市長選に立候補」して「香川県知事選にも立候補」して「参院選にも立候補」して「東京で仕事をして」いて「瀬戸内海放送にも勤めて」いて「時々大学で授業をして」いて「日展の陶芸作品をボロンチョに言う」田尾さんのレポートでした(笑)。全部、今年に入って聞いたデマじゃ。
2010年5月2日(日)

 昨日の夜、遊ゼミに行ったら、四国新聞のMG君からチェックが入った。

MG「田尾さん、こないだ日記で四国新聞の天気予報欄があかんて書いてたでしょ」
田尾「そうよ、あの日、あんだけ黄砂が来たのに黄砂のことを書いてないし、香川の新聞やのに香川の天気のことがちょっとしか入ってないって」
MG「それ、それ、新聞の終わりの方の情報面に入ってる天気予報じゃないですか?」
田尾「そうそう。最後から1枚めくったところ」
MG「そこでなくて、香川の詳しい天気は1面に載ってるんですけど」
田尾「ほんまか! 早よ言えよ!」

 違う面を見てダメ出ししてたのか(笑)。すんません、「あの天気予報の担当者は説教部屋行きだ」とまで書いたけど、説教部屋へ行って読んだ私が説教されるがな(笑)。で、帰ってさっそく見てみたら、1面の右下にちゃんとあるがな。地域別には高松、引田、内海、多度津に分かれ、時間別では1日を3つに分けて予報が表示されている。もー、長年読んでて一回も目に入らんかったが。

 ちなみにあの日の日記を読んだ数人の友人知人から「僕もそう思ってました」というコメントをもらったのだが、ということは1面の天気予報を見てない人が結構おるぞ。あれ、終面の天気予報欄に「香川の天気の詳細は1面」って書いてた方がええぞ。というか、わずか20数ページの誌面の中で天気予報が2カ所に分散してるのがいかんのか。あと、やっぱり1面の天気予報も文章を含めて60点やわ。競合媒体の天気予報と差別化ができてないからなあ。

 商品もサービスも、マーケティングの世界では競合との「差別化」はいつも念頭に置くべきテーマである。私らはタウン情報誌をやってた時、先発タウン誌の5年後発で創刊したから特にライバル誌との差別化は強く意識していて、特集テーマも「ライバルのやっていないもの」を、季節柄同じテーマを扱う時には「ライバルのやってない切り口」で、レギュラー情報ページも「ライバルと違う分類、レイアウトで」…とやっていた。しまいには差別化のしようがなさそうな「時刻表」のページまで考えに考えて、JRだけでなく飛行機、フェリーから高速バス、夜行バスの香川発時刻表、予約状況まで全部を一覧できるレイアウトを作り出して掲載を始めた。その後、ライバル誌が全く同じようなレイアウトで時刻表ページを真似して載せ始めたので、さらに差別化するために今度は「時刻表を人気ページにするぞ!」と言って、記事までつけようとしたことがある。

 まあそういう感じである。「同じことが長く続いているものには必ず改革のチャンスがある」ということを常に言っていたわけで、まあ年商8〜9億円のちっちゃいビジネスだったけど、それなりにおもしろいパンチをかなり頻繁に打っていたことで、本全体の差別化とローカル情報ビジネスとしての会社の差別化ができていたように思う。

 本日は、昨日千葉に帰った長男と入れ替わりに大阪から長女が帰省。午後3時に遅い昼食でうどん棒へ。夜はゆめタウンの回転寿司「函館市場」へ。贅沢な外食三昧じゃ(笑)。真弓は好かんけど阪神が巨人を3タテ。石川がものすごいスコアで優勝。え? 宮里藍も勝ったんか! レベルが違うが私も頑張ろう(笑)。かつての「笑いの文化人講座」のネタを思い出した。

●うちの学校の校長が朝礼で「昨日イスラエルの首相が暗殺されました。みなさんも気をつけてください」と言った。何に気をつけるんじゃ!

 レベルが違うが、みんな気をつけよう(笑)。
団長日記・バックナンバー一覧へ
build by HL-imgdiary Ver.1.24
トップページへ戻る
 
 

すべてのコンテンツの無断転載を禁じます。すべての著作権は株式会社麺通団プロダクト&マネジメントに 帰属します。Copyright (C) 2003 Mentsudan Product & Management Inc. All Rights Reserved.