2010年08月の日記 |
2010年8月28日(土)
昨日は学生たちの夏休みのまっただ中、編集長の集合がかかってインタレストの編集会議。今日は高校生も夏休みの終盤の中、四国学院大学はオープンキャンパスで、たくさんの生徒が来てくれてありがとう。わけあって私のパソコンは明日から来週の日曜まで「ただの箱」になってしまうため、日記はしばらく更新できない。パソコンが生き返ったら「もう勘弁してください」いうぐらい頑張るので、勘弁してください(笑)。
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2010年8月25日(水)
昨日の朝、名前は明かせないがあるうどん屋に行ったら息子が出てきて(笑)言うのである。
G息「何か群馬の方で『冷やし釜玉うどん』の早食い競争をやってたそうですよ」 田尾「何じゃそら」 G息「何かもう、よそでは根本的にうどん用語が違うんじゃないですかねえ」
もう今までいろんなところで何回も言ったり書いたりしてきたから今さらではあるが、本場香川では(というより香川の山越で発祥したメニューだし)「釜たま」は正式名称「釜あげ卵うどん」であるから、麺は水で締めていない熱々の「釜あげ麺」であることが大前提である。だから「冷たい釜玉」は本来あり得ないのであって、百歩譲って釜あげ麺を水で締めずにそのまま冷やして卵を入れたのであれば、それは食えたもんではないだろう(笑)。
ガモムスが「ネットで引っかかりますよ」と言うので見てみたら、よくわからんが早食い大会に使用された「冷やし釜玉」なる「用語としてどうなの?」という珍妙なネーミングのそのうどんは、「うどん3玉に半熟卵3玉と天カスなどが入っている」そうで、「市内のうどん業者などで作る主催者側は『売り出し中の冷やし釜玉で有名になりたい』」と書かれていました(笑)。すごいことになってきたなあ。群馬の「釜玉」、中国のミッキーマウス状態みたい(笑)。麺通団は、微笑みの傍観者です(笑)。
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2010年8月23日(月)
「9月末まで」という20くらいある仕事のうちの1つだけに集中してサル状態で情報収集を続けていたら、土曜日にふと「9月末までに他の分も終えることができるのだろうか…」という黒い雲が広がってきて、いかんとは思いつつ、サル状態の情報収集を一旦中断して、つい別の仕事に取りかかったのである。そしたら案の定、すぐに詰まってしまって土日は苦悩ばかりでちっとも仕事が進まないという、相変わらず学習しない「反省ザル」。反省して、本日、再び第一の仕事の情報収集に戻りました。
そのうちの一つ、わけあってハワイの観光開発の情報をいろいろ集めていたら、1980年代後半に「ワイキキのホテルの何と9割もが日系企業の所有になっていた」ということを再確認した。ま、私ごときの、しかもネットを中心とした大ざっぱな情報収集ですが、何かちょっと考えました。バブル崩壊後、今度は逆に日本の大きな企業がいくつも外資系に買収され、さらに近年は中国資本がどんどん入ってきて、何だかジワジワとイヤな感じがなきにしもあらずだけど、あの頃のハワイの人たちはハワイの精神の象徴とも言えるホテルまで日本資本にほとんど買われて、どうだったんだろうと。
でも、数字をいろいろ拾っていると、日本資本の参入によってかどうかわからんけど、発表数字によると80年代のハワイの観光客数は年間400万人くらいからわずか10年で600万人を突破するまでに伸びているから、おそらく気分は最悪だっただろうけど経済は急成長で、雇用も所得も増えて豊かになっていたという…。何がよくて何が悪いんだろう…とか、考えますねえ。実際のところは現地取材してみないとわからないけど。
ちなみに別のデータでは、ラスベガスが90年代にあのスティーブ・ウィンの「ミラージュ」に始まるエンタテインメント・テーマホテルの時代を迎えて、これも発表データによると10年間で観光客が2000万人くらいから3500万人にまで急増、急成長している。どちらにも共通しているのは、地域外からの巨大資本と強烈な意欲を持った経営者が成長の原動力になっているということ。これを見てて、日本全国の地方で取り組まれている「まちおこし」なるものが、確かにやらないよりはやった方がいいのだろうけど、たぶんそんなものでは街や県は「起きない」んだろうなあとつくづく思いました。
国全体の「成長戦略」なるものも、福祉や環境じゃないんだろうなあと思うし、ちまちました補助金政策でもないんだろうと。日本は何かねたみややっかみや異常な平等主義からか、大企業や強烈な意欲と能力を持った経営者を悪意を持って見る傾向が根強くあって、その結果、彼らがどんどん日本から出て行っているようですが、その上、外国の巨大資本も嫌って排除しようとすると、一体誰が日本の経済を成長させ、富(それが福祉の財源でもある)を生み出すんだろうと思う。外国資本や地域外の大資本は嫌いだし、金持ちや大企業も嫌いだけど、富は欲しい、福祉は欲しい…。その矛盾した葛藤に、ハワイやラスベガスの街や人はどう折り合いをつけているのかと、ちょっと思ってみたりしたのです。他に悩みがいっぱいあるのに(笑)。
今日は午前中病院に行って、インシュリン分泌不全が順調に正常値に向かっていることを確認し(笑)、午後は香川大学で理科系の研究会の場に講演で呼ばれて、ベタベタ文科系の私が恐れ多くも東大や慶応大の若手の先生たちもいる前で、恥ずかしながら話をしてきた。香川大からの参加者の中に「うどラヂ、聴いてますよ!」いう先生がいて、一瞬お笑い路線で話をしようかと思ったけど、気を取り直してバカ話はグッと抑えて(笑)。あー、絶対場違いだった気がする(笑)。
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2010年8月19日(木)
サル状態継続中。今日は授業内容の作成の途中で外国の情報(データ)が必要になり、というか、なくても授業は進められるのだがあった方がよりわかりやすく、おもしろく、比較によってさらに新しいメッセージが出てくると思われたので、インターネットで探しにかかったのである。
それらしい言葉を英語で打ち込んで検索を開始するのだが、英語がダメな私は、出てきたページに何が書かれているのか判読するのが大変。いちいち全文を辞書を引きながら解読するのはあまりに効率が悪いので、タイトルや見出しを手がかりに「このホームページは探しているデータがなさそう」とか大ざっぱに判別しながら、どんどんページを探していく。たまに「ここにあるか?」と思われるページに出くわすと、文章を斜め読みしてキーワードや知ってる単語を拾いながら、結局欲しいデータに行き着かなくてがっかりしてまた次のページへ…というのを延々繰り返していると、すごいもんですねえ、4時間、5時間とやってると英語が何か「読めないけど見えてくる」! で、ついに「ハワイの観光客数の過去100年間の推移」とか「ラスベガスの過去50年間の観光客数の推移、ホテルの総客室数の推移」「カジノ収入額推移」「アイルランドのGNPの推移」「デンマークの国家予算の費目別推移」…といった基礎情報にたどり着くわけです。
そこまでがいわゆる「情報収集」。ま、多くの人は趣味や学習でそうやって情報を集めているんだろうから、別に偉そうな作業じゃないんですけど。で、次に、集めた情報を「どう見せればどういうメッセージがよりわかりやすく発信できるか」という「情報編集」の作業に入るわけです。私の付加価値はそこからでして、毎年こうやって、新しい担当科目が増えたら授業計画を作り、また毎年やっている同じ科目の授業内容も、改善、改良、充実させようと努力しているわけです。
従って、同じ科目でも5〜6年前の授業と今の授業では内容と「見せ方」の充実度が違ってくることになる。すまんのー、源成。きみらにやってた授業は、今の70点ぐらいのレベルじゃ(笑)。けど、学校で100点の授業を受けても、社会に出たらそれは10点くらいの基礎の基礎に過ぎないと思うから、それは「10点」か「7点」の違いに過ぎん。あとの90点以上は社会の実践で勉強することになるから、あとは自分で頑張ってくれ(笑)。
さて、今週はサルの作業の合間に、月曜日の夜は笹木と和田と学生の多田、松野、松田、池田が集合してインタレストの特集座談会。火曜日の夜はごんと「ともくん(笑)」と『うどラヂ』の3本録り。水曜日は上村さんとRNCラジオの収録。で、今日は「全国国立大学附属学校連盟校園長会研究会」なる大会に、講演に行ってきた。
講演後に行われた懇親会のオープニングに、「サヌカイトの演奏」というアトラクションがありました。サヌカイトというのは香川の坂出の山の一部から産出する、叩くと美しい金属音がする世界的にも珍しい石で、これを、より音が響くように中を薄くくり抜いた丸い棒状に加工し、長さの違うそのサヌカイトの棒をずらっと吊して「宙ぶらりんの石琴」みたいな楽器にして、それを叩いて曲を演奏するのである。
この日はサヌカイトの演奏者という二人組の女性が出てきて数曲演奏し、「CDも出していますのでよろしく(笑)」というPRもされていた。全国から集まった100数十人の校園長会の皆さんから暖かい拍手が沸き起こったが、私は「情報発信屋」なので、ちょっと他のことを考えながら見ていました。
すなわち、せっかくの珍しい素材なのであるが、この演奏は「差別化が不十分だなあ…」と。まず、今日聞いたサヌカイトの音はとてもまろやかで「ヒーリング」という点では優れているのだろうが、結局多くの一般的なリスナーには電子音で聞く音とそれほどの変わりがないと思われる。次に、演奏された曲目が「上を向いて歩こう」「里の秋」「浜辺の唄」「アメイジンググレイス」「少年時代」で、全て同じゆっくりしたテンポで、メロディーラインをていねいに追っていっただけのような編曲。
要するに、ちょっと「眠い」わけです(笑)。MCで「眠気を誘う音です」とアナウンスがあったが、音ではなく、演出が「眠い」。ミルト・ジャクソンのビブラフォンと並べて聴いたら惨敗する(笑)。巨匠と比べるのは酷だが、私ら圧倒的多数の素人は、客(購買者)になると必ず、トッププロと比べて判断するものだ。老婆心ながら「サヌカイト」という素材は優れものなのであるから、誰かきちんとプロの演出か技術指導をつけてあげたら、ちょっとは化ける可能性も出てくるのでは…と思ったわけです。
たぶん、あれをミルト・ジャクソンに叩かせたらすごい演奏をすると思う。あるいは、坂出が生んだ天才ドラマー・ファンキー末吉君に叩かせても、すごいことになると思う。あるいは世界の大道芸人に叩かせてもすごいパフォーマンスをすると思う。つまり、叩く人によってパフォーマンスのレベルが変わるだろうということは、付加価値は演奏技術と演出センスにあるということに他ならないわけです。ま、ヒーリング路線で行くのなら「音質」という付加価値だけに頼ってもいいと思いますが。
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2010年8月15日(日)
こないだからある科目の授業計画にスイッチが入って、今日も朝の7時過ぎからずーっと、腰がどうにかなりそうなくらいパソコンに向かってサルのように仕事をしている。サルがパソコンしてるところは見たことないけど。夜の9時頃、家内の弟と弟の長男がうちに来て、深夜0時まで話をして帰ったが、そのロスの3時間を取り返して午前3時まで仕事をするという集中ぶりで、あまりの集中ぶりに、ふと携帯電話を見たら昨日の深夜に上村さんからの着信が入っていたが、深夜0時に電話があってその後丸一日何もないということは、飲み屋からの呼び出しに違いないと見て放っておこう(笑)。
明日の夜は久しぶりに笹木さんと和田画伯を迎えて『インタレスト』のオバカ座談会だというのに、さらに翌火曜日は『うどラヂ』の収録だというのに、こんなに真面目な仕事が続いていると「お笑いテンション」を忘れてしまいそうだ。本番に向けて、今日はもう日記でネタを出さない。人生の本番を間違ってる気もするが(笑)。
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2010年8月14日(土)
ふえー、高松まつり終了。休めないお盆が終わった。
1982年に『タウン情報かがわ』を創刊して以来、月の半ばが雑誌制作の〆切だったため、私は会社を辞めるまで21年間、盆休みが一度もなかったのである。ま、当時うちにいたタウン誌編集部と営業部のスタッフはみんなそうだったけど。で、その後、大学に来て初めて「盆休み」が取れていたのであるが、3年前から大学の授業の一環で「高松まつりの学生ボランティア」の引率という役回りを頼まれて、再び盆休みのない夏が始まったのである。
12日から3日間、中央公園に出動。「働いても働かなくても給料は同じようなもの」という、公務員のような大学の給与体系ではあるが、よう働くなあ(笑)。このモチベーションがどこから来るのか、「平等主義」の人々には絶対にわからないでしょうが(笑)、わかろうとしない人に説明するつもりはない。
さて、祭り最終日の今日は学生ボランティア総出で、総踊り等のサポートに入ることになっていた。うちから出る21人の学生は、事前の数回の会議で、踊り連の誘導警備、踊りの一元連の一般審査員、自由連の一般審査員、会場アンケート係、会場クリーン作戦係等に振り分けられ、いずれもいろんなところから集まったボランティアの人たちと一緒に働くことになっていた。あと、私が直接指揮を執る祭りの調査担当が4人。ところが、午後4時から市役所の大会議室で始まった「直前全体ミーティング」に、来てないやつがおるやないか。中でも自由連審査担当の2人が、2人とも来ていない。急遽、調査担当の2人に指示。
田尾「佐々木、緊急事態じゃ。仲間の牧と2人で自由連の審査員に変わってくれ」 佐々木「わかりました」 坂本「田尾先生、今、工藤君から連絡があって、熱が出たから欠席するって」 柴原「あいつ、去年はゲリで休みましたよ(笑)」 田尾「祭りに何かイヤな思い出でもあるんか! 工藤はどこの担当や」 柴原「アンケート」 田尾「アンケートか。しゃーない、他のやつでアンケート枚数をカバーしてくれ」
この期に及んでは、来てないやつを来させる労力を費やしている場合ではない。とにかくバタバタ修正しながら、5時を過ぎて、みんながそれぞれ会場の担当場所に散っていった。そしたら今度は村井が、
村井「先生、俺、一元審査なんですけど、誰か替わってもらえんですか?」 田尾「何でや」 村井「今、内容を聞いたら、僕だけ集計から発表まで担当で、終わるんが9時半過ぎるらしいんです」 田尾「どしたんや、時間がまずいんか?」 村井「9時に終わると聞いてたんで、後ろに用事を入れてしまったんです」 田尾「それまいったのー。もうみんな会場に行ったから、代わりがおらんがー」
必死で解決策を考えていたら、自由連審査担当で来てなかった夛田から電話。
田尾「どこでおるんや! 早よ来い」 夛田「もう来てるんですけど」 田尾「どこに来てるんや」 夛田「会場の本部テント。まだ誰も来てませんけど」 田尾「アホー。4時に市役所の大会議室集合じゃ! まあええわ。村井、代わりの候補が来たぞ」 村井「ほんまですか!」 田尾「夛田、審査員はもう代わりのやつに振ったから、審査の集計の手伝いに回ってくれ。今からそっち行くから、合流して説明する」 夛田「わかりました」
それから夛田と合流して説明して、集計担当リーダーの人に顔合わせをしてメンバー変更を伝えて…。何とか無事に体制が整って祭り最終日が始まり、私は会場をウロウロしながら学生が働いているのを確認したり写真を撮ったりして、ヘトヘトになって帰宅したのである。
今年の高松まつりの人出は、主催者発表で昨年を上回る58万人。以前、何かで読んだのだが、どこの祭りだったか忘れたが、人出を発表するのにいちいち数えているわけではないので適当に「○万人」と発表していたら、毎年「去年より減ったと発表するわけにいかん」ということでどんどん増えていって、しまいに「誰が見てもそんな数は来てないだろう」という数字になってきて、しかし戻るに戻れず困っている…という話を思い出した(笑)。高松まつりの「58万人」どうなの?(笑)
そういえば10年近く前、讃岐うどんブーム真っ盛りの中で、食糧庁だったかが発表している「都道府県別うどん用小麦粉使用量」というデータを見ていて、これってどうやって調べているんだろうと思って問い合わせたことがある。すると、「製麺業者にアンケート用紙を送付して、小麦粉の年間使用量を記入して返送してもらっている」という内容の返事が返ってきた。それって、業者が適当な数字を書いてきてもそのまま集計してることになるんでないか?…と思って、今度は人気うどん店にどうやって数字を書いて出しているのか聞いてみた。すると、超人気うどん店数軒から、予想もしない答が返ってきた。
店「え? そんなアンケート、来たことないで」
あれ以来、私は「お上」の発表する数字の中で「どうやって調べたのか想像できないもの」は信用しないことにしています(笑)。
ちなみにこっちは、どうやって調べたかが明らかにされたために、逆に疑問が出てきてしまったという数字。今、香川県では瀬戸内海の島々に現代アートなる作品を作って展示する「瀬戸内国際芸術祭」というイベントが行政主導で行われているのだが(7月19日〜10月31日まで)、こないだ新聞に「来場者10万人突破 23日目 見込み上回るペース」という記事が出た。会期105日間で延べ30万人の来場を目標に掲げていたらしく、5分の1くらいの日数でもう目標の3分の1を達成したということらしいが、その集計方法が「芸術祭総合ディレクターの北川フラムさんが選んだ基準となる作品設置場所に訪れた人を積み上げた人数」だそうで。それって、どういう意味の数字なの(笑)。
発表によると、会場別では、
直島…………3万9942人 豊島…………1万5529人 女木島………1万1805人 犬島…………1万 970人 男木島………1万 281人 高松港周辺… 8651人 小豆島………… 8320人 大島………… 506人
と書かれている。ふーん。「延べ」でなくて「実数」はどうなんだろう。芸術祭を目当てに来る人はたぶんメインの直島にはみんな行くだろうから、直島の「約4万人」が実数に近いんだろうか。でも直島は芸術祭がなくても年間40万人くらいの観光客が来ているそうだから、月割りにして3万人くらいを差し引くと「芸術祭効果」は1万人くらいなんだろうか。「延べ10万人」の10分の1か。とすると、目標「延べ30万人」ということは「実数3万人」くらいを見込んだイベントということになる。なるほど、それに数億円を投入したわけですね。というか、瀬戸内国際芸術祭には、県の芸術祭名目の予算措置として準備期間から2億円くらいが計上されているが、関係者の話を積み上げると、どうも1桁上のお金が使われているのではないかとも言われているんだけど。
また、そのお金がどういうルートでどこに流れているのかは、表には出ていないがちょっと問題も含んでいるという話も聞いている。今回の主要アート作品は、作家に1つ1000万円とか2000万円以上のお金を渡しているとか、そのお金を配っているのは誰だとか、投入した税金の大半が県外の懐に入っているとか、まあいろんな話が入ってくるわけです。入ってくると言っても、私は別に調べに回っているわけでもない。ここ1ヵ月くらい、私が会う人の中で、瀬戸内国際芸術祭の話を切り出してくる人のほとんどが、こういう類の話をしてくるのである。私は自分で直接調べたわけではないのでどうだとは言えないが、税金の使い途のチェックは明らかに県会議員の仕事である。議員の皆さん、ちゃんと働いてね。
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2010年8月12日(木)
1週間も日記を休んで何をやっていたかというと、スイッチが入ってものすごく仕事をしていたのである。先週末あたりから、後期の授業と来期増える新しい担当科目の授業の構想に苦しんでいたところ、日曜日の夕方、EYE EYE ISUZUに行ったら飯間社長がアイスコーヒーを出してくれて、家内と3人で2時間近くいろんな話をしていたら、話の中の何かがヒントになって突然、頭の中に一つの授業科目の構想が浮かび上がった。それから帰りにアミーゴで魚と水草を買う間も、ゆめタウンの中の回転寿司「函館市場」で寿司食ってる間も、浮かび上がった構想を忘れまいと必死(笑)。脳から離れて散っていきそうな構想を必死で脳のシワに押し込みながら(笑)、夜の7時頃家に着いて、夜中までずーっとパソコンに向かったのである。
翌月曜日は、用事があって朝から観音寺方面へ。ついでに上戸にうどんを食べに行き(そこで出くわした「トモくん事件(笑)」はいずれ『うどラヂ』で)、続いて仁尾のオシャレなカフェ「フロ」で高校時代からの悪友0船とススムに会うて、1時間半くらい、日本の社会を語り合う(笑)。それから詫間の実家に寄って、母は100歳を超えてないがきちんと生存確認をして(笑)、お盆の数日前ではあるが墓参りをした。
そこで、先祖代々3つ並んでいるお墓の墓石に柄杓で水をかけていたら、母からチェックが入る。
母「こういうのはな、全部逆にせないかんので。死んだ時に着物を左前にするんと一緒や」 私「知っとるで」 母「水かけるんもそやで」 私「え? これも?」 母「そや。裏返しにかける(右手で柄杓を持ったら、柄杓を右に返して逆手に水をかける)んやがな」 私「ほんまな」
この歳になるまで、墓参りで水かけ係(?)をほとんどやったことがなかったので、知らんかった。帰省してきていた長男(米100キロ当選者)が線香を立てていたので、さっそく指示を飛ばす。
私「こういうもんは逆にするんや。線香は火のついた方を砂に差し込む」 長男「おじさんおじさん」
我が家はボケツッコミ家系だ。墓参りを終えて実家で一服。3時間くらい、家内と長男と母と日本の社会について語る(笑)。その間もパソコンでスイッチの入った仕事をやりながら。途中で母から「あんた、選挙に出たらいかんで」と言われた。以前からずーっと、知事選や市長選があるたびに言われる(笑)。出んわ。
けど今回の知事選は、今までで一番いろんな人から「田尾さん出てよ」と言われたなあ。12年前の知事選の時はタウン誌の社長をやっていたのだが、前任の知事が勇退するというので某団体から打診が来た。8年前の知事選の時は、私がちょうど会社を辞めた時だったので、「田尾さんが出馬する」という噂が結構出ていたらしい。その年、8月に知事選があったのだが、私が3月に会社を辞めて、その6月頃、ある大きな立食パーティーに出席していたら、二選目に望む真鍋知事も来てて、途中で真鍋さんが寄ってきて、
真鍋「田尾さん、会社辞められたそうですね」 田尾「はい」 真鍋「それで何をされるんですか?」 田尾「まあ、1年ぐらい休養して、その間に何か考えようかと」 真鍋「そうですか。で、本当は何をされるんですか?(笑)」
とかいう、探りを入れられているような会話があったりもしたけど(笑)。で、また別の団体から打診もあったのだが私には全くその気がないので断ったら、さすがに4年前の知事選ではほとんど噂も出なかったようで、以後、私は向上心を持って大学の仕事に没頭していたのである。途中、某市の市長選に担ぎ上げられそうになったことが1回(生々しいので書けない)、また別の市長選の時に「出馬するらしい」という噂が出て、学長から「田尾さん、出るん?」と聞かれたことが1回(笑)。
で、この8月の知事選。真鍋さんが勇退するというので、またまた名前が挙がっていたらしい。『四国タイムズ』という私設新聞みたいなのに知事選候補者として私の名が挙がっていたという情報を数人の知人から聞いたが、私は読んでないのでどう書かれていたのか知らないけど。で、その後、県議の渡辺さんが出馬を表明し、県出身の官僚の浜田さんが出馬を表明し、共産党の松原さんが出馬を表明し、3人の候補がこれから選挙戦に入ることになった。
そんな4月のある日、私が四国新聞に書いたコラムに激しく賛同したという渡辺さんが「ぜひお話を伺いたい」と言って研究室に訪ねてこられて、1時間ほど話をして、しかし私は中立なので応援するとも何とも言わずに別れた。
そんな7月のある日、知将A藤から電話がかかってきた。内容は「知事選に出る浜田さんの選挙事務所開きに招集がかかっとんやけど、来られる?」というものであった。何でも浜田さんは観音寺一高のOB(私の4年か5年上)で、高松では人脈が薄いので観一OBに声をかけるように、A藤も先輩から依頼されていたらしい。私は中立でいたいし、加えてその日は大学で仕事があったので、「行けない」と伝えてくれるようにA藤に頼んだのである。
田尾「そういうわけで、行けんわ。けど、もし大学の用事がなくても、やっぱり行けんわなあ」 A藤「そやなあ」 田尾「先輩からどうしても来いって言われるかなあ」 A藤「それはないやろ」 田尾「事務所開きって、マスコミが来るんやろが?」 A藤「来るんちゃう?」 田尾「今、一世一代のギャグを思いついたんやけど」 A藤「何? 何?」 田尾「俺が行くやんか」 A藤「うん」 田尾「ほんで、そこにテレビのカメラが来たら、カメラに向かって俺が出馬表明する」 A藤「あっはっは!(爆笑)それ、めちゃめちゃおもろい!(爆笑)」 田尾「できるか!(爆笑)」
すんません、関係者の皆さん、冗談ですからね!(笑)お笑い人生を送ってきた私の生涯最高のギャグかもしれんけど(笑)、そんなことしたら全国ニュースで非難囂々じゃ(笑)。とりあえず私は、行政ではなく民間で、まず家族のために、次に職場のために、次に友達のために、その次に香川県のために頑張ります。そっちの方が性に向いているので。
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2010年8月4日(水)
こないだ観光マネジメントの資料整理をしていたら、「ニューカレドニアの透き通った海に浮かぶ白砂のビーチ、アメデ島」という広告が出てきて、思わず「おめでとう、アメデ島」というコピーが浮かんだのだが、たまたまやってきたインタレスト2代目編集長の源成に披露したら、反応が鈍かった。昔、タウン情報誌時代に思いついた「ありがとう、オリゴ糖」に続く、久しぶりのヒット脱力フレーズだと思ったんやけどなあ(笑)。当時、イデちゃんが発表した「さもないとアンモナイト」「必ずしもイナリズシも」よりええと思うんやけどなあ(笑)。ま、同じようなもんか。
さて、今日は午前中、インタレストの編集会議。学生は夏休みに入っているが、インタレストは12月1日発行(第10号)に向けて休んどる場合でない。でも休んでる学生もいて(笑)、今日は10数人の集合で、夏休み中の作業の段取りをすることになった。中でも大変そうな特集は、内容はまだ明かせないが、県内230カ所以上の取材を必要とする、イナゴ軍団お得意のパワープレイ企画だ。そこで、チームリーダーのサマンサことトミーことインタレストの地雷こと富永が、約230カ所の取材先の担当を10人近くの学生に振り分けるという作業に入ったのである。
振り分け作業中、私は中座をして他の仕事をやっていた。そしたらしばらくして、トミーが助けを求めてきた。
トミ「もー、うまく分けられん」 田尾「何でや」 トミ「地域ごとに担当を分けようとしてるんですけど、数がうまく合わないんですよ」
要するにこういうことだ。効率よく取材に回るために、1つのチームが担当する地域はなるべく同じエリアにするのは大前提。ところが、香川県の東から、Aチームは東かがわ市とさぬき市と三木町、Bチームは高松市の半分、Cチームは高松市のもう半分…と分けていくと、取材先は「○○市は何軒」と市町ごとに数が決まっているので、チームごとに担当取材軒数がちょっとずつばらつくというのである。
トミ「どうしたらいいですか?」 田尾「多少のばらつきはかまん」 トミ「いいんですか」 田尾「ええか? 目的は『9月末までに取材を全部終わらせること』や。『みんなが均等に平等に取材数を担当すること』ではない。そやから、とりあえず担当数にばらつきがあってもええから取材をスタートする。で、途中で何回か中間チェックをして、遅れているところが出たらそのつど担当修正をして、早いところが遅いところのカバーに入れ。取材軒数が多くなったやつから『不公平や』という声が出たら、まあうちのメンバーはそんなアホなこと言うやつはおらんと思うけど、それは『不平等』ではあるけど、成果に応じて評価されるんやから『公平』や、と説明しておけ」 トミ「了解」
以前にもよく似たことがあった。10人で1ヵ月で写真を100枚撮ってくることになった時、学生リーダーがまず「1人10枚ずつ撮ってくる」と決めたのだが、残り1週間になって2人ほど、ちっとも動かない上に連絡も取れないやつが出た。そしたら学生たちが「あと1週間でどうやってあの2人に10枚撮らせるか」と悩み始めたのである。どういうことかというと、その時点ですでに目的が「10人で1ヵ月で100枚の写真を撮る」から「10人が平等に10枚ずつ写真を撮る」にすり替わっているのである。
「何でも平等に」というのは、たぶん小学校から高校までの間に学校で刷り込まれているのだと思う。確かに「平等」は美しいかもしれないが、「誰がどう担当するか」というのは「手段」であって、社会に出ると「手段」を使って達成すべき「目的」が常にあるのである。
よく「平等社会」と「競争社会」が対比的に扱われる場面(主に議論の場で)があるが、私はその対比にはかなり違和感を感じている。「競争社会」を語る時には、たいていの場合「競争」という手段によって達成すべき「目的」が一緒に語られる。あるいは語らずとも意識の中で合意されている。けど、「平等社会」を語る時はたいていの場合、それが何かを達成する手段ではなく、「平等であること」自体が目的になっているのである。そこに違和感がある。平等になることによって一体何が達成されるのか? 「社会」とかいう「概念」みたいなものではなく、個々の「人」として何が達成されるのか? そこに納得のいく「目的」が提示されないことが、「平等社会」について私が何かスッキリしない違和感を持っている一番の理由なのである。
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2010年8月3日(火)
もう1ヵ月以上前の6月のある日、千葉で大学院に行っている長男が用事で帰省してきたのである。で、1日目に用事を済ませて、2日目に私が大学に行っている間に家内と買い物に行ったりして、3日目にまた千葉に帰ったのである。
で、今日の夜。家に帰ったら家内が大笑いしながらハガキを1枚見せてきた。
田尾「何?」 家内「読むで。田尾○○様(長男の名前)」 田尾「何や、あいつに来たハガキか。誰からや」 家内「ゆめタウンからや。『サマードリームフェスタ2010。ご当選おめでとうございます。また、この度はサマードリームフェスタ2010に参加頂きまして、本当にありがとうございました』」 田尾「何に当たったんや。というか、あいつ、いつの間にゆめタウンに行ってきたんや?」 家内「こないだあいつ帰って来たやろ? あの時に一緒にゆめタウンに行ったんやけど、何か買い物したら応募できるキャンペーンみたいなのやってたから、あいつに『せっかくやからレシート持って行って名前だけでも書いてこい』言うて行かしたんや」 田尾「そんなたまたまみたいなんに当たったんか!」 家内「それがな、何が当たったと思う?『厳選なる抽選の結果(「厳正なる」の間違いやと思うけど・笑)、Dコース・新米魚沼産こしひかり100kgが当選されましたのでご案内いたします』(爆笑)」 田尾「100キロ!」 家内「『お米は、25kgずつ今年11月〜翌年2月の4回に分けて、応募用紙にご記入頂いたご住所へ直接お送り致します』って(笑)」 田尾「ちょっと待て。うち、1ヵ月に何キロぐらい食べるんや」 家内「さあー、5キロ買うても1ヵ月以上持つからなあ。3キロか4キロぐらい…」 田尾「2年半持つやんか!」
ほんまにもー。年に2回ぐらいしか帰って来んのに、たまに帰ってきてついでに行ったゆめタウンで米100キロ当てるか?(笑)というか、来年の2月になったら、我が家に魚沼産コシヒカリの新米が90キロぐらい積み上がってることになるぞ(笑)。多賀さん、KSBのゴルフコンペの賞品に米50キロぐらい出そか?(笑)
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