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2010年10月の日記
2010年10月31日(日)

 昨日の土曜日は、宮武うどんの大将と奥さんと一緒に東京麺通団に行って、午後3時過ぎから東京麺通団で大将から麺通団スタッフにうどんのご指導をしてもらうため、12:45高松空港発羽田行きの飛行機で東京に行くことになっていたのである。そしたら、台風接近やないの。

 土曜の朝、台風はすでに四国沖を通過していて、紀伊半島沖から東海地方に向かっていた。ごんに確認をしてもらったら「12:45発の飛行機は、高松空港からはとにかく飛ぶらしい。ただし、羽田の方が天気が怪しいので、羽田に降りられなかったら名古屋か関空か高松に引き返す可能性がある」とのことであった。

 この時点(朝9時頃)で、選択肢は、
(1)飛行機はあきらめて早々に新幹線で東京に向かい、午後3時頃東京麺通団に入る。
(2)一縷の望みにかけて飛行機で羽田に向かい、着陸できればラッキー。引き返すことになれば、引き返したところから新幹線に乗り換えて東京麺通団に行き、ご指導開始時間を数時間遅らせる。
の2つに絞られた。時間厳守であればもちろんリスクを避けて新幹線に切り換えるところだが、まあどうせ向こうで一泊するのだし、引き返したら引き返したでネタになるから(笑)ということで「よっしゃ、飛行機じゃ」と即決。余裕を持って11時半に、私と大将と奥さんと、大将夫婦を車で送ってきた大将の娘さんと見送りのごんの5人が高松空港に集合したのである。

 空港でお茶を飲みながら(コーヒーだけど)ひとしきり話をして、私と大将夫婦の3人はごんと娘さんに別れを告げ、荷物検査のゲートに向かった。大将は飛行機に慣れてないのか初めてなのか、そう聞いていたので、私が一応ガイドする。

田尾「財布とかケータイとかはトレイに入れといてくださいね」
大将「時計はどうするんな」
田尾「時計は大丈夫やと思うんですけど、まあ念のために」
大将「ベルトものけないかんな」
田尾「どんなベルトですか? あー、それは大丈夫や」
大将「のけんでもかまんのな?」
田尾「ま、ピーいうたら外して通り直したらええだけやから」
大将「そやな」

 とか言いながら、まず私がゲートを通過。続いて大将と奥さんも無事通過。

大将「何ちゃ言わなんだな」
田尾「大丈夫でしたね」

と言って荷物を取っていたら、大将が係の人に止められた。

係「バッグの中にカミソリはお持ちじゃないですか?」
大将「カミソリ? そななもん持ってないで。お母さん、カミソリや入れとらんがな」
奥さん「カミソリは入れてないと思うけどな」
大将「カミソリや入れとらんで」
係「すみませんがバッグの中を見させて頂いてよろしいですか?」
大将「かまんで」

 係の人が大将のバッグから小さい袋を取り出した。すると、中からカミソリのように細長い柄が付いてカミソリのような刃の付いた、まるでカミソリのようなものが出てきた。

大将「カミソリやな」

 入っとるがな!(笑)という小ネタをいきなりかまして、我々は飛行機に乗り込んだのである。

 ゴォーンと離陸して、雲の中をドッカンドッカン揺れながら上昇して雲の上に出て、飛行機は快適に羽田に向かっていった。台風の上を飛び越しているのである。しかし、機内アナウンスではまだどこかに引き返す可能性があると言っている。けど、もう乗ったからあとは文字通り運を天に任すしかない…と思っていたら、30分か40分後、機長が「何とか着陸できそうだ」という内容のアナウンスをした。よし、とりあえず一安心。

 しばらくすると飛行機はドッカンドッカン揺れながら雲の中を下降し始めた。「当機はあと5分で羽田空港に着陸します」というアナウンスがあったので窓の外を見ていたら、飛行機はどんどん下がっているのにいつまで経っても雲から出ない。大丈夫か? と思っていたら、雲が切れた瞬間、今まで見たことないくらいすぐ下に海が見えて、さらに新しい国際線の滑走路が「イタチが走ってもわかるぞ!」いうくらいすぐそこに見えて、あっという間に着陸した。ひえー、これ機長、勝負したんちゃうか?(笑)

 飛行機を降りて、羽田からモノレール経由新宿までの切符を買って、大将と奥さんに渡す。モノレールに乗って浜松町に到着。

田尾「切符入れたら出てきますから、取ってくださいね」

 改札を出てエスカレーターを降りて、すぐエスカレーターを上がって山手線の改札に入る。

田尾「もう一回入れますからね。また出てきますから取ってくださいね」

 山手線に乗って新宿に到着。ホームを端の方まで歩いて西口の改札へ。

田尾「切符入れますからね。もう出てきませんからね(笑)」

 それから新宿西口の改札を出て、外は雨が降っていたので地下をまっすぐ行ったり曲がったりエスカレータを降りたり上ったりしながら東京麺通団のすぐ近くまで行って地上に出て、午後3時半、我々は店に入ったのである。

 店内は台風直前だというのに20人近いお客さんが入っていた。その中に、明らかに様子がおかしい客が4〜5人(笑)。聞くと、団長が宮武の大将を連れて来るというので台風の中、飛んできたと言うではないか。私はまるで長年の知り合いかのように彼らとバカ話をしながら、大将たちの準備を待った。集合した「生徒たち」は、パロマス、店長の宮前、社員の桑名、赤坂から駆けつけた知久平店長と中村。さっそく大将の奥さんに東京麺通団のダシを飲んでもらったら(宮武のダシは奥さん担当)、

奥さん「おいしいやないの」
田尾「うわ、よかった。けどそこをさらにご指導頂いて、さらにグッと(笑)」

 事前に大将から指示された通りの材料を揃え、昨日からくみ置きした水を使って、大将と奥さんのダシ作りが始まった。それを食い入るように見つめ、質問をしながら一言一句聞き逃すまい、見逃すまいとメモを取るスタッフ。

 ダシができるまでの間、今度は大将に麺を見てもらう。すると、大将が生地を取って自らうどんを打ち始めた! 大将を見に来たファンたちも私も釜場に集まる。

田尾「待てよ、今大将が打ちよる麺をゆでて、大将が作ってるダシをかけたら、宮武のうどんが食えるぞ!」
ファン「おー!」

 しばらくすると、大将の麺が釜に入った。8〜9分して宮前が釜の中の麺を持ち上げて指でつまんだら、

宮前「うわ! 全然違うわ! フワッフワや!」

 それを取って水でピシッと締めたら、ツルッツルッピカッピカッの麺が出現! 粉と仕込んだ生地の状態が違うので「宮武のうどん」にはならないが、ダシがまだできてないのに辛抱できずに醤油うどんで食べたら、

田尾「ほー! これは今まで食べたことのない『宮武のうどん』や!」

 約20分後、ダシが完成して、「東京の宮武のあつあつ」もおいしくいただきました(笑)。大将曰く、

大将「(東京麺通団の)麺もダシもおいしいで。わしはわしのうどんやから、まあやり方で参考になるところがあったら取り入れて、この店の味にしていったらええんや。香川の人と東京の人はまた好みが違うきんな。讃岐うどんと違ううどんでもおいしいおいしい言うて食べよるきんな(笑)」

 まあ詳しい内容は書くわけにはいかないが、そういうわけで東京麺通団と赤坂麺通団のうどん、これからもう一段上の「讃岐うどん」になっていきます。いくはずです(笑)。

 というわけで、午後6時過ぎに大作戦は終了。それから7時過ぎまで、テーブルを囲んで大将たちとヨタ話をしてきました。

田尾「大将、明日から奥さんと温泉ですか」
大将「せっかく東京まで来たきんな(笑)」
田尾「海外旅行とかは行かんのですか?」
大将「こないだハワイに行こうと準備しとったんやけど、直前にうちのがほら、ケガしてキャンセルになったんやがな」

 大将、H谷川君に「オクラを食べてハワイに行こう」言うてたのに、自分で行こうとしてたのか(笑)。ヨタ話は続く。

田尾「大将、選挙に出たら通るんちゃいます? たぶんポスター貼らんでも通りますよ(笑)」
大将「選挙は田尾さんが知事にならないかんがな」
パロ「そやなあ、田尾さんが出ないかんやろ」
大将「田尾さんが知事になったら、わしが幹事長するで」
田尾「何するんですか」
大将「後ろで糸引っぱってあげるがな(笑)」

田尾「けど、なかむらやがもうや山越の大将もみんな、出たら通るんちゃう?」
パロ「ええなあ(笑)、香川の県会議員、全員がうどん屋の大将(笑)」
田尾「あ、やまうちの大将も」
大将「あれは町会議員やな(笑)」

 これ以上は書けん(笑)。そういうわけで、夜の7時半、私は山のような原稿を抱えてパソコン持ってきてたので、ホテルに帰って夜中の2時まで仕事をして、今日の昼過ぎに高松に帰ってきました。高松空港に着いたら、同じ飛行機でKSBの中村君が帰ってきてた。何はともあれ、宮武の大将、ありがとうございました。
2010年10月26日(火)

 「インタレスト」の大どんでん返しを必死で挽回してたので日記が止まっていた、とチンペイに言い訳しておこう。日頃から「何かが起こっても言い訳を先にするな。優先すべきは“今から何をするか”であって、言い訳はあとだ」と言っている私であるが、ちゃんと「必死で挽回する」という「今から何をするか」をやっていたからこそ言い訳を今出しても何ら言い訳を先にしていることにはならない…という言い訳を今しているのだよ。と、これぐらいこんがらがった言い訳をしたらチンペイもわけがわからなくなるだろう(笑)。

 で、昨日、松本君ちに6ページ、この前持って行った6ページと合わせて計12ページが入りました。あと20ページ。当初の目標は「10月30日に原稿を全部上げる」であったが、たぶん、ものすごく苦労しそうな特集2本分(10ページ)は間に合わない。あのどんでん返しのせいだ、と先に言い訳をしておこう(笑)。10月末と11月初めに県外に出る仕事が入っているのだが、こんなことがあるから、講演とかの依頼を早くから受けるのをいつも躊躇しているのである。あー、受けるんでなかった。もし講演のデキが悪かったらこれのせいです、と先に言い訳をしておいてと(笑)。

 私の持っている原理原則の一つ。

「言い訳をしても、事態は何も解決しない」

 言い訳をして何かが解決されたと思っているのは、たいていの場合、言い訳をした本人だけです(笑)。

 さて今日は授業2つと、インタレストの挽回作業の合間に年末のイベントの学生企画会議(授業の一つ)。イベントに出すプレゼントのケーキのアイデアを決めるミーティングだ。学生に会議を進行させ、私が横からアドバイスをするという定番のパターン。しかし、私がアドバイスを飛ばすたびに、学生たちの思考が私の意見に引きずられてしまう。

田中「先生、ケーキは1種類だけにするんですか?」
田尾「それをみんなで考えるんや。客の立場になって、1種類がいいか2種類がいいか、あるいはそれ以上がいいか考える。それから経費も考えて、進行の段取りも考えて、どこかで妥協して最終何種類にするか決める」

山地「星は五角形だけですか?」
田尾「それをみんなで考えるんや。ええか? 授業やいうても、俺は答えを持ってないと思え」

 学生だけの会議なら、稚拙ながらも「自分たちで考えて答えを出す」という練習は小中高校までの間に何度もやってきているのだろう。しかし、そこに「先生」とかが入った途端、「答え教えて症候群」が突然彼らの頭の中を支配する。彼らが社会に出るまでに、ちょっとでも「答え教えて症候群」を治療してやりたいと思ったミーティングでした。
2010年10月20日(水)

 朝、大学の教員ボックスにハガキが1枚。見ると、年配らしき方からの「あるところでふと『インタレスト』の最新号(三角山大特集)を見たら非常に面白かったので、バックナンバーもあれば一緒に購入したい」という内容のハガキだった。

 インタレストは無料なので郵送してあげるか…けど料金着払いなので、まずその説明の返信を出してからにした方がいいのか…とか考えながら研究室で仕事をしていたら、ノックがあって見たことあるやつが入ってきた。去年卒業したステファニーだ。

ステ「ちわー」
田尾「どしたんや。単位が足りんのか」
ステ「違いますよ!」
田尾「何や、仕事休みか?」
ステ「はい。ほんでちょっと相談があって」

 聞くと、何やら仕事で今、数分の映像作品を作ることになっているらしいのだが、その構成で行き詰まっているとのこと。しょーがないのー。

田尾「どういう案件や」
ステ「実はかくかくしかじかで…」
田尾「求められてることは何や?」
ステ「特に…何か丸投げされてて…」
田尾「丸投げされても、まずはそこを確認せないかんが。まあええわ、だいたいわかるから。行くぞ。今の話を聞いたら、お前、頭の中がこんがらがってる。MECEに整理していくぞ」
ステ「わ、久しぶりにMECEを聞きました(笑)」
田尾「授業でボーッと聞いてるからMECEという単語しか覚えてないんじゃ。言葉でなくて“使い方”を身につけろ言うてたやろが」

 そこで紙と鉛筆(私はほんまに鉛筆を使う)を出して、ステファニーの目の前で「MECEの箱」を作り始める。縦軸に映像に入れる素材を3つ書いて、横軸に素材の内容の分類を書いて、マス目になった箱を作る。その箱のマス目の中を一つずつ確認しながら、素材で埋めていく。

田尾「ほら、最初に言うてた内容の素材をこの箱に分類していったら、この枠の中がないだろ。逆にここの枠の中は素材が多すぎる。ということは、こんな素材のまま作品を作ったらバランスが悪い上に、全体のタイトルがつかんだろ」
ステ「はー、めちゃめちゃわかりやすい!」

 ま、インタレストメンバーは社会に出ても、仕事のことならなるべくいろいろサポートしてやるから。ただし、仕事以外の悩みはあんまり持ってくるな(笑)。などと言っていたら、昼が近づいてきた。そこへ、何かをかぎつけたかのようにトミーとナンシーがやってきた(ほんまに、どこの国のメンバーじゃ)。勢いで昼飯軍団結成。そこでふと思いついた。

田尾「今朝、インタレスト希望のハガキが来たんやけど、坂出の人で住所も名前も書いてあるんや。どうせなら家探して昼飯ついでに持って行ってあげるか」
トミ「行きましょう」
田尾「けど、坂出の住宅地図がないのー」
ステ「八阪がたぶん、今日休みですよ」

 同じくインタレスト卒業生の八阪は坂出の八阪精肉店のお嬢さん(笑)だ。

田尾「よし、まず八阪んちに行ってめちゃめちゃうまい『お肉屋さんのビーフカレー』を買うて、届け先の場所を調べてもらおう」

 そういうわけで急遽結成した昼飯軍団は、八阪精肉店に行って庶民派レトルトカレーの王者『お肉屋さんのビーフカレー』を10袋も買って(私の分だけ)、それから八阪も合流してインタレストの配達を完了。それから近くでうどん食べようと思って、ハッと思い出して「彦江」に行ったのである。

 讃岐うどん巡りブームの牽引店の一つ「彦江」は、すでにマニアの間では情報が流れていると思うが、この10月一杯で閉店する。去年の「宮武閉店」に続く、人気製麺所の閉店だ。午後1時頃行くと、もう天ぷら類は完売で、我々は全員「かけ小」の素うどんを食べて、ちょうど大将が出てきたので挨拶をしてちょっと立ち話をして店をあとにした。

 それからナンシーが(コテコテの日本人の松井やけど)「全然お腹が一杯にならん!」と暴れるので「麺豪山下」にハシゴして、大学に帰ってインタレスト編集会議に合流。そこで私は、昨日の日記に書いた「緊急どんでん返し」を発表したのである。というか、午前中にトミーに先に話してたらもう首脳陣数人には伝わっていたのであるが。

田尾「そういうわけで、今まで作業してきた○○と○○の特集(予定で約10ページ分)は、こうこう、こういう理由でボツにする」

 そういうわけなの。インタレストは学芸会じゃないから、プロの目から見て避けがたい問題や不安要素が発覚したら、きちんと止める。創刊以来初の、締切1ヵ月前になっての10ページ差し替え。ま、これも一つの体験だ。さてと、必死でやり直すぞ。

トミ「先生のいいところはな、追い込まれても全然“追い込まれた感”を人に見せんところや」
田尾「どしたんや。珍しく褒めるやんか」
トミ「まあ、まだまだ至らんところは多いけどな」

 すんません、頑張ります(笑)…って、何でやねん!
2010年10月19日(火)

 うわ、危うく1週間も空くとこやった。チンペイに怒られるわ(笑)。この1週間くらい、仕事がらみで結構な勢いでいろんな文章を書いているのだが、その勢いが日記にまで回らなくて。夜中にその日の仕事が終わったあと、午前0時とか1時にパソコンに向かって日記を書こうとするのだが、最近どうも「お怒りもの」のテーマが多くて(笑)、疲れた頭では短くピシとまとめられんで書くのをやめてしまうという状態なのである。

 で、「いかんいかん、私の本質はお笑いとオバカなんだから」と思い直して、昨日は気分転換にテレビでも…と思ってスイッチ入れたら「TVタックル」で金なんとかいう先生がまくしたてててまたお怒りモードが沸き上がってきて、勝谷さんは出てないし、原口さんが原理原則をわきまえて必死で反撃してたら三宅さんが「もうやめなさい」って止めるし(笑)。10分くらいでテレビ消しました。

 ちなみに今日、授業を2つ終えてゼミのミーティングでイベントの企画会議をやってたら、学生が「田尾先生、テレビって何を見てるんですか?」と聞いてきたけど、すまんけど、そういうわけでほとんど見てないわ(笑)。ニュースも自分の思考に害になることがわかってきたので、数年前からほとんど見るのをやめたし、ネイチャーものも、イワシの大群を見過ぎたからちょっとテンション下がってきた(笑)。

 良質のドキュメンタリーとかあったら見るかなあ。あと注目のスポーツ中継とかがあったら。あ、最近BSフジの「プライムニュース」を時々見る。あれ、ゲストのしゃべる内容はつまんない時が多いんだけど、司会のおじさんとアシスタントのおねえさんが、いつもかゆいところに手が届く質問をしながら進行するんで何か気持ちがいいんです。あのおじさん、見てくれは悪いけど(失礼)、今、私のツボをちょっと突いてます(笑)。

 さ、明日は毎週恒例のインタレストの編集会議。ちょっと緊急どんでん返しがあるかも(笑)。
2010年10月13日(水)

 廊下で顔を合わせた学長から「田尾さん、中国にずいぶんお怒りのようで(笑)」と言われたので、昨日の日記を早よ沈めないかん(笑)。とりあえず「大丈夫ですよ。イデオロギー闘争はしませんから(笑)」と返したら笑ってましたけど。

 うちの学長は、私が言うのもおこがましいが、いろんなことをきちんと論理的に考えて実行するので、私は信頼しています。でも、どうも大学というところは、「論理」と称して明らかに破綻した論理で無知な学生にイデオロギーを吹き込む人がかなり生き残っているところなんだとだんだんわかってきたので、どこから矢が飛んでくるかわからんから気をつけないかん(笑)。

 今なら言ってもいいと思うが、矢が飛んできた話を一つ。7年前だったか8年前だったか、私が四国学院大学に来て間もない頃、大学の学術講演会に勝谷さんを呼ぶことになって、私は20年近く前にうどんが縁で勝谷さんとお友達になってたので、連絡係になって段取りをしていたのである。そしたら何と、学内のある教授の一派が「今度学術講演会に来る勝谷は右翼だから気をつけろ。田尾もその一味だ」みたいな怪文書メールを流して、一時、水面下でちょっともめるというバカな事件があったのである。ただのうどん仲間なのに(笑)。

 結局どうなったかというと、講演会当日、明らかに怪文書一派と思われる教授たちが険しい顔で客席に構えている前で、勝谷さんが「旨い日本酒の話」とかをやり始めて(笑)、肩すかしを食らわせて何事もなく拍手の中講演を終えたというオチがつきまして(笑)。

 あのおじさん(勝谷さん・失礼)、実はサヨクからは「右翼だ!」と言われ、右翼からは「サヨクだ!」と言われているらしいのだが(笑)、何で両翼(?)からそんなことを言われるのかというと、私が思うに、勝谷さんは発言こそ過激にどちらかに偏っているように見えるけど、実はよく読み聞きすると、イデオロギーではなくて「原理原則」を論理の基準に評論しているからだと思う。私が勝谷さんの評論をよく読んだり聞いたりするのは、私も「原理原則」を基準にすることを心がけているため、意見の好き嫌いだけでなく、考え方の勉強になるからである。

 私の授業を受けている学生は知っていると思うが、発想力開発論だろうがマーケティング論だろうが観光開発論だろうが讃岐文化論だろうが、私は何の授業の中でもしょっちゅう、

「『論理』と『感情(好き嫌い)』をごっちゃにしてはいけない。また、『原理原則』と『応用』は違う。私は原理原則は教えるが、きみらの時代にどういう価値観の社会になっているかわからないので、今、私が考える『応用』の答に導くようなことはしない。応用の例はいくらでも挙げるが、それは今応用するならこういう答があるという話で、その答はきみらが社会に出て問題解決をする時には使えるかどうかわからないものだ。ただし、原理原則は、それこそ社会体制が変わらない限り使えるからマスターしておいた方がいい。論理も同じ。論理の基本は教えるが、私は自分の好き嫌いには誰も導かない」

という話をしているのである。もちろん「私はほしぶどうが嫌いだ」とは教えるが、それは「みんなもほしぶどうを嫌いになれ」と促しているのではなく、「どうしても私におみやげを買ってきたい時は、ほしぶどうの入ってないお菓子にしてね」と言っているだけなのだ。というか、どうなのそれ(笑)。

 話が変な方向に曲がってしまいました。あと、私がよく読む評論は、このサイトからもリンクしている「長生塾」の都村さん。私がお会いした数多くの人たち、私が読んだり聞いたりした数多くの人たちの中でも、図抜けて頭がいいおじさん(怒られるわ)です。考え方に好き嫌いはあるだろうけど、それは文字通り「好き嫌い」の話。あの内容はものすごく「論理」と「原理原則」の勉強になります。年間たった1000円で読んで勉強できます。勝谷さんのメールマガジンの10分の1ぐらいの値段です(笑)。でも、勝谷さんの10分の1くらいの更新しかありません(笑)。
 
 あー、もう夜中だというのに、昨日の授業のあと教室で佐々木が言った一言が消えん。

佐々木「マツコ・デラックスってCGなん?」
2010年10月9日(土)

 金曜日、朝から大学で雑務と授業を1本こなして、昼の2時前に岸井でうどん食べて、3時に高松でインタビュー取材を1件終えて、午後5時半頃高松を出てマリンライナーと新幹線を乗り継いで夜の10時半頃、品川に到着。そこから新宿に出て夜11時過ぎに東京麺通団に行ってうどん食べて、麺とダシと接客等に指示をして、そこから深夜0時過ぎに赤坂麺通団に行ってうどん食べて指示をして、夜中1時半頃ホテルに入って3時頃まで仕事をして、今朝、ホテルを出て都内でいろいろ収集活動をやって昼12時にまた東京麺通団に行ってうどん食べて指示をして、それから情報収集をして紀伊國屋書店に行って本を数冊買って、ISSEI MIYAKEに寄って、表参道のカフェに行って、夕方4時過ぎにまた赤坂麺通団に行って店長の「細麺の天才(笑)」知久平をいじって、最終の飛行機で高松に帰って夜の9時過ぎにアップタウンに寄って牛乳屋さんたちとバカ話をして11時前に家に帰って新聞見たら、昨日巨人が負けて阪神が2位になっていた。ふー、怒濤の2日。

 今年は監督が真弓になったから、ずーっと沈黙してました。ま、40年にわたってあらゆる状況を体験してきた筋金入りの阪神ファンは、たいていのことにはぬか喜びもしなければ落ちこんだりもしない(笑)。だから、監督が真弓でなければ優勝してたに違いないと思ってても、悔やんだりはしてない。

 けど、中国にはめちゃめちゃ怒っています。家内なんか、尖閣の領海侵犯事件が起こってからずっとイライラが募ってるところへ「船長釈放」のニュースを聞いて体調崩しちゃったし(笑)、上村さんは怒りのあまり遊ゼミで尖閣問題の議論をふっかけるし、こないだはチンペイがわざわざ研究室に来て怒りを訴えてくるし、今日は牛乳屋さんまで「中国は勘弁ならん」言うてくるし、私の周りは私の聞いた限り、マスコミと文化関係のスカした何人かを除いて全員が怒ってる。

 とにかくマスコミから流れてくる論調の100倍くらい、庶民は怒っているように感じます。だってこんなに私の周りのみんなが同じことで怒ってるの、私の経験の中で初めてだもの。でもねえ、まだ何か「穏便に」とか言うのが大人の態度だ…みたいなメンタリティの人がいるんですねえ。中に「中国は独裁政権じゃない」と言う人にも出くわしてひっくり返りましたけど。

 今回はいろんな人の話を聞いてて、マスコミ報道だけで自分の意見を作るのは恐ろしいことだと痛感しました。「歴史を勉強して知ること」と「事実関係を勉強して知ること」と「良質の評論(勝谷さんのメールマガジンとか)を読み聞きして考えること」の大事さを、改めて痛感しました。それと、わかろうとしない人と議論することのムダも(笑)。

 あ、それと東京麺通団と赤坂麺通団のうどん、新しなやかバージョンで「本場讃岐テイスト」がジワッと強くなってきました。「麺が固くない」とおっしゃるお客さんもいるそうですが、すみません、「固腰」は讃岐うどんの本流じゃなくて、伸びと弾力と軟らかいしなやかさが本場テイストなもんで。両店とも、年末にかけて無料サービスやら新メニューやらいろいろやりますので、またのぞいてやって下さい。東京麺通団は「永遠のおっさん」パロマスと「お調子者店長」宮前と「ソフトな切れ者」桑名が個性的なバイトスタッフと一緒に回しています。赤坂はおなじみ「細麺の天才(笑)」知久平店長と「団長が行ったら手が震える逸材」中村とすてきなバイトスタッフ陣が回してます(笑)。
2010年10月4日(月)

 朝から研究テーマの調べものをしていたら、ふとしたことから脇道に入っていって「都道府県別・県民所得の推移」なるデータ(出典・内閣府)に行き当たった。で、1996年から2007年までのデータが一覧表で並んでいたのを眺めていて、ふと、都道府県別の県民所得の「伸び率」を計算してみようと思い立ったわけです。つまり、1996年から2007年までの11年間で、どこの県民の所得がどれくらい増えて、どこがどれくらい減っているのかをランキングで並べてみようと。ついでに同期間における「県内総生産」の伸び率も合わせてみたら、以下のような結果になりました。

*最初の数字は1996年を100とした時の2007年の「一人あたり県民所得」の指数。
*カッコ内は同じ要領で「県内総生産」の指数。
*ランキングは「県民所得の伸び率」の高い順。

東京  113(108)
三重  108(112)
沖縄  106(108)
愛知  103(107)
静岡  103(105)
鹿児島  98(103)
京都   98(101)
千葉   97(103)
滋賀   97(101)
広島   97(101)
福岡   97(101)
岡山   97( 99)
神奈川  97( 98)
茨城   96(101)
佐賀   96(101)
栃木   96(100)
山口   96(100)
熊本   96( 99)
大分   95(103)
徳島   95(100)
和歌山  95( 99)
埼玉   94(103)
石川   94( 97)
福井   94( 97)
群馬   94( 95)
福島   93( 95)
宮城   93( 95)
岐阜   92( 97)
北海道  83( 88)
山形   91( 99)
長野   91( 95)
青森   91( 97)
島根   90(101)
山梨   90( 99)
宮崎   90( 99)
秋田   90( 95)
新潟   90( 92)
富山   89( 94)
香川   89( 94)
岩手   88( 94)
長崎   88( 93)
大阪   87( 94)
奈良   87( 93)
兵庫   87( 86)
鳥取   86( 92)
愛媛   86( 91)
高知   82( 91)
全県合計 96(100)

 内閣府のデータが実情を表しているという前提でこれを見てみると、なるほどー、1990年のバブル崩壊後、「空白の10年」の真ん中あたりになる1996年からの11年間で、県民所得は全県の合計で「指数96」。4%下がり。その中で伸びた都道府県(指数100以上)は、東京、三重、沖縄、愛知、静岡の5つしかないのか。この5つはGDPの伸び率(カッコ内の指数)も105以上でトップ5。

 東京はまあさすがです。それから三重、愛知、静岡と並んだ東海地方が伸びている。そこに食い込んだのが沖縄だ(笑)。いや、(笑)をつけるところかどうかわからんが、この伸びはどう考えても「観光収入」だけじゃないだろう。よくわからんが、基地問題の見返りとか、相当行ってるんだろうか。マスコミで数字を見たことがないけど。

 ちなみに、県民所得が80%台に落ちこんだワースト10の都道府県の中に、大阪と兵庫が入っているのも象徴的です。あと、これは都道府県別だけど、政令市単位では千葉市、川崎市、福岡市も所得が伸びているというデータがある。大阪市と神戸市は市単位でも落ちていますが。それにしても、四国の落ち込みはひどいなあ。

 県民所得の指数が100以上の都道府県はさっきの5つしかないけど、GDP指数が100以上の都道府県は19もある。加えて、東京と兵庫を除く45都道府県すべて、GDP指数より県民所得指数の方が低い。これを単純にみると、短絡的な人から「企業の業績の伸びたぶんが(ほとんど伸びてないけど)県民所得に回ってきてない」という話が出てくるだろうが、バブルのツケ(借金返済も、過剰に抱えた人員のやりくりも)を払うためには、こういう数字になるのは、企業経営を知ってればまあ当然かなと。

 県民所得やGDPの数字はもちろん「企業のトップ」が直接的に担っているわけだが、ここまで経済が停滞すると、その企業活動の基盤となるインフラ政策(税制、法律=規制緩和等)の改革なくしてはどうにもならない。つまり「政治・行政」の責任が重大であることは疑いないでしょう。

 そういう視点でこのデータを俯瞰してみると、この10年以上、ほとんどの都道府県の行政は、県民の経済的豊かさを実現するのに「全く成果の上がらない政策」ばかりにお金を使ってきたことが一目瞭然ですね。おそらく全国の地方でマスコミ等に取り上げられてきたであろう「まちづくり」やら「まちおこし」やら、大きな予算を使った「イベント」やら「PR」やら、「産官学共同事業」やら…無数の取り組みのほとんど全てが、まあ、やらないよりはやった方がいいのかもしれないが「地域の根本的な浮上策」としては全く無力であったし、これからも無力であることを思い知った方がいい、と思いました。

 そういえば、最近「地方債の発行規制の緩和」と「ひも付き補助金の削減」を目指すみたいな方針が出そうとのニュースを見たが、個人的に方向は賛成。しかしそうなるとますます、地方自治体の首長と議員の能力が重要になってくる。今まで10年以上ずーっと地域を沈めてきた首長と議員(あるいは顔ぶれはは変わっても同じメンタリティの首長や議員)にそのまま地域を託している都道府県民の皆さん、たぶん、これからもずーっと沈んでいきますよ。
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