2010年12月の日記 |
2010年12月31日(金)
朝10時からインタビュー取材。私は毎月1回くらいのペースで、ボランティアである方のインタビュー取材をやっているのだが、取材場所はいつもリーガホテル高松の喫茶で、テーブルに録音機を置いてコーヒーを飲みながら1時間くらい聞き取りをしている。話の内容は、政治、経済から文化まで多岐にわたる。いつも私には目から鱗が落ちるような話ばかりで、下手なニュースや評論を読むよりはるかにためになる。ボランティアとは言え、私が毎回勉強させてもらっているようなものである。
しかし、そのあとが大変なのである。聞き取り後、私は仕事の合間を縫って何時間もかけてテープ起こしをし、それを自分なりに構成して文章に起こし(能力不足の私には、これがテープ起こしの数倍の時間がかかる)、相手の方に構成をお願いする。すると、あちこちに修正や追加原稿が入って返ってきて、それを修正して再び返すと、推敲ののちもう一度修正が入って返ってくる…。しかしこの苦行のような課程もまた、ものすごく私自身の思考の訓練になるのである。
昼からさっそくテープ起こし。リーガはインタビュー相手の方の自宅から場所が近く、午前中は客も少ないこともあっていつも使っているのだが、あそこは喫茶やロビーで結構無神経に業務用の音をたてるホテルなんで(笑)喫茶のコーヒー豆を挽く大きな音がガーーーーと続いたり、何やら金属製の器に氷を入れる大きな音がガラガラガラガラガラ! ガラガラガラガラガラ! と何度も入ったり、年末のせいかロビーのフロアを掃除する業務用掃除機の音が延々と入っていたりして、テープ起こしはいつもヒヤヒヤする。けどまあ慣れているので、雑音の奥の小さな声も何とか聞き取りながら、夕方までに半分くらいのテープ起こしを終えた。
午後6時前、小休止。年末は毎年、家族で香西の家内の実家に言ってうどん食べてそば食べてグダグダしながら帰ってくることになっている。今年もそろそろ行くか…と思っていたら、長男が「走っていく」と言い出した。家から香西の実家まで約4キロ。寒風吹きすさぶ中、しかし体がなまってきたから走って行くと言うので、仕方がない、私も歩いて(笑)行くか、ということで、4キロの道のりを長男はランニング、私は徒歩、家内と長女は車で出発した。
家を出て長男は20分、私は40分で香西に到着。ええ運動になった。それから我が家4人と、家内の両親2人と、あとから家内の弟親子も来て8人で、うどん食ってそば食って巻き寿司食っていろんなおかず食ってコーヒー飲んでテレビ見ながら、私はパソコンを持って行って(車に積んでいってもらって)合間にテープ起こしをする。そのうち夜の11時半頃になって、そろそろ帰るか、ということになった。
長男「どうしようかなあ、また走って帰るかなあ…」 田尾「しょうがない、そこまで言うなら俺も歩いて帰るか(笑)」
というわけで、私はダウンジャケットのフードをかぶって手袋もつけて完全装備で、先に表に出て家に向かって歩き始めたのである。おそらく、しばらくしたら長男が走ってきて私に追いつくはずだ。あいつは「歩きの父ちゃんなんかすぐに追いつける」と思っているに違いない。よし、驚くべき距離を引き離しておいてやれ。
というわけで、私は実家を出て寒風の中、徒歩から小走りのジョギングに切り替えた。300メートルくらいでジョギング、限界(笑)。そこから300メートルくらい歩いて、再びジョギング。300メートルで再び徒歩に(笑)。道を挟んで左手にイオン高松が見える。もう1キロは来た。
ふと見ると、来る時には気づかなかったのだが、イオンに渡る歩道橋の横に側道のようなものがある。このあたりは道が緩く右にカーブしているのだが、それをショートカットするような200メートルくらいの側道だ。私はさらに距離を稼いでおこうと、側道に入った。軽いジョギングで200メートル先の本線にくっつくところまで来たら、うわ! フェンスで仕切られてる! 本線に出られんやんか! えー? 引き返さないかんのか? フェンスをまたいで乗り越えるか? けどこんな夜中にそんなことしてるところに車が通りかかったら、絶対俺、不審者やで。
私は躊躇した。しかし、途中ジョギングを3回も挟んだから長男はまだずっと後ろのはずだから、これくらいのロスは何でもない。誠実・正直をモットーとする私は小考の末、フェンスをまたぐのをやめて引き返すことを決断した。で、早足で引き返し始めたその時、道を挟んだ向こう側の歩道を白いジャージをはいて軽やかに走っていく男の姿が…。
30分後、家に帰ったら家内と長男がびっくりしたような顔でこっちを見た。
長男「父ちゃん、どこでおったんや」 家内「こいつが父ちゃんどこにもおらんかった′セうから、川に落ちたんかと思ったやん」
イオンの横の歩道橋の陰にいたところを追い抜かれた、という説明をして笑われる私。年の初めから私は何をやっとるんだ。あ、帰りの浜街道の馬場病院のナナメ向かいのお好みハウス「くろんぼ」の前を歩いている時、年が明けました(笑)。
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2010年12月29日(水)
数年ぶりに温泉に行ってきました。山陰。なぜ山陰になったのかを説明するには、悲しいお話をしなければいけない。
あれは1週間くらい前のこと。家族で温泉旅行など一度もしたことがなかった我が家は、仕事で行けない長女をほっといて私と家内と長男の3人で、どうせ行くなら有名なところということで、あんまり寒いのもいやだから伊豆あたりにするかという話になったのである。27日の夜、一泊だけの予定。私は旅行の段取りをするのが面倒なので、時々お世話になっているJTBのおねえさんに頼んで全部段取りしてもらおうと思っていたのだが、ネットで安いのが予約できるという強い声に押されて仕方なく、慣れないネット予約に悪戦苦闘することになった。
それで、やっとのことで伊豆高原とやらにあるよさそうな温泉宿が空いているのを見つけて、それから面倒な記入やらクリックやらを繰り返しながら、最後に「予約」をクリックした途端、「帰りの交通機関は取れるのか?」ということに気がついたのである。帰省ラッシュだ。慌ててJRに電話したら、とても親切な担当の方が直ちに調べてくれた結果、「帰りの『伊豆の踊子号』はもう満席ですねえ」という返事が返ってきた。どないかして帰れるだろうとは思うが、ものすごく面倒なことになるようで、しかも何とか熱海までたどり着いても、そこからの新幹線の予約がまた取れないという。ダメだ。29日からは次の仕事がある。さらに翌30日も朝から仕事。そんな不安な状況ではキャンセルするしかない。
仕方なくキャンセルしようとしたら、何と、キャンセル料が50%もかかるという規約になっていた。予約のクリックをしてから10分しか経ってないので、私はダメモトで直ちに温泉宿に電話をして、「10分前にネットで予約したんですけど、キャンセル料は発生しますか?」と聞いたら、けんもほろろに「ダメですね」と言われた。「そうですか。10分でもダメですか…」と言ったら、「規約はちゃんとお読みになりましたか?」と突き放された。
キャンセルすると、キャンセル料は3人分6万9000円の50%、3万4500円にもなる。無理して行って帰りは行き当たりでどうにかする…という選択肢もあったが、同じダメでも言いようがあるだろう、あんな言い方をされる宿には泊まりたくない、という気持ちが強くて、私は心を鬼にしてたった10分で3万4500円を捨てたのである。で、伊豆より3万4500円以上交通費の安いところに変えることにして、以前から出雲大社に行きたかったこともあって、JTBに頼んで山陰の温泉を取ってもらったというわけです。
鳥取の三朝温泉。まあ普通によい温泉だったのだが、望外の収穫があった。風呂上がりの館内の茶屋でお茶を飲みながら店のおねえさんに「明日、出雲大社に行こうと思うんですけど、どんなんですか?」と尋ねたら、おねえさんが「ちょっと待ってくださいね」と言って、奥からおじさんを一人呼んできたのである。そのおじさんが、出雲大社のプロ(笑)。神話から始まって、もうイキイキとして出雲大社を語り始めるの(笑)。しかも、私がどんな質問をしても全部答えてくれる。
田尾「大社と神社って、何がどう違うんですか?」 おじ「それはですね、かくかくしかじかで…」 田尾「出雲大社の復元図がありますよね。あの柱に支えられた長い長い階段みたいなのを上がっていったら本殿みたいなのがある絵」 おじ「あれはですね、平面図が出てきてそこから…」 田尾「出雲大社って、神社の王者みたいなところでしょ? そしたら、あの復元図が本当だとしたら、あれと同じ形の神社が日本中に残っててもおかしくないと思うんですけど、あの図と同じような形の神社がないのは何でなんですか?」 おじ「おもしろい発想しますねえ。それはおそらく…」
20分近くいろいろ話を聞いていて、私はちょっと異説の方に話を振ってみた。
田尾「出雲大社って、オオクニヌシノミコトを幽界に封じ込めているみたいな話がありますよね。それで注連縄の締め方が逆になっているとか、祀られているオオクニヌシノミコトの向きがおかしいとかいう…」
という話を振った途端、イキイキと話してたおじさんがちょっとマジになって、薄笑いを浮かべながら首を振って、それをやんわりと否定し始めたのである。曰く「それはトンデモ話に近い異説だ」と。私はちょっとまずいところを突いたのかな…と思って、話題を変えて会話を終えた。
天気予報によると山陰は大雪が予想されていたのだが、翌日は朝から雨だった。三朝温泉から電車で出雲市駅に出ると風雨はさらに強くなり、出雲大社に着いたら、冷たい雨風に加えて雷鳴まで轟き始めた。ビカビカと稲妻が走り、ゴロゴロ…ドーン! 田尾「これ絶対、昨日変な話を持ち出したから神が怒ってるんやで!」 家内「お賽銭、ようけ目に入れとこ」
いつもの2倍、200円入れて拝んで来ました(笑)。
帰り、駅までタクシーに乗りました。運転手のおっちゃんが「どこから来たんですか?」とか話しかけてきたので、ついでにまたこっちもいろいろ質問をしました。そしたら、こっちが振った質問の一つに、おっちゃんのスイッチが入った。
田尾「今朝、倉吉の駅で観光パンフレットを見てたら、日本語パンフレットの横に英語、中国語、韓国語のパンフレットがあったんですけど、そこまでは高松にもあったりするんですけど、その横にロシア語のパンフレットまでありましたよ。こっちはロシア人が来るんですか?」 おっ「はい、境港にロシアの船が入ってきますから、ロシア人の船員や観光客やいろんなのが来ますよ。それがまた、いろいろ悪いことするんですよ。昼間、町中をうろついて物色してアタリをつけておくんですわ。それで夜になったら片っ端から盗んでいくんですよ。ロシア人、体大きいから50ccのバイクなんか1人で2台も担いで持って行きますわ」 田尾「そんなことするんですか!」 おっ「北朝鮮や韓国からも来ますよ」 田尾「以前こっちに来た時、海岸に何か『不審な船や人物を見かけたら警察に…』いう看板が立ってるの見ましたけど」 おっ「そんな看板、そこいら中にありますよ。何しろ…」
それからおっちゃんは、日本海の不審船の話から拉致被害の話から泥棒の話から、生々しい話をいっぱいしてくれました。20分くらいで駅に着いたけど、話はとても終わらない。
田尾「いやー、おもしろい話を聞きました。何ならそこら辺、あと2周ぐらい走ってくれてもええぐらい(笑)」 おっ「メーター倒して走りますか?(笑)」
旅先でご当地の人と会話するの、おもしろいですねえ。あと、米子の駅で30〜40代の女性に声をかけられて、
女性「あの…おうどんの…」 田尾「はい…」 女性「やっぱり! ○井○子ってご存じですか?」 田尾「え? 小学校の時の同級生にいましたけど」 女性「私、○井○子の弟の嫁なんです」 田尾「えー!」 女性「今、境港に住んでるんです」
何か昔、ケアンズの熱帯雨林の中で「田尾さんですか?」言うて高松から来たという2組もの人から声をかけられた時を思い出しました(笑)。
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2010年12月24日(金) 昨日の朝、1ヵ月振りに仕事の山でなくて峰山に登ってきた。サウナスーツを着て汗をかいて、ちょっとなまった体にカツが入った感じ。2時間少々歩いて10時頃帰宅すると、爆睡中だった家内が起きてきた。
田尾「よう寝るなあ」 家内「なんぼでも寝られる(笑)」 田尾「平均睡眠時間、(私と)2時間は違うんちゃう?」 家内「うーん、もうちょっと違うかもしれん(笑)」 田尾「仮に1日2時間ようけ寝てるとしたら、1年間で…730時間もようけ寝とることになるやんか!」 家内「1日24時間やから…30日ぐらい?」 田尾「まるまる1ヶ月も余計に寝てるんか!」 家内「ふとんのいいの買わんといかんね」 田尾「そこに行くか!」
みたいな話があって、今日は昼前にKSBに行って、あんまり出たくない収録(笑)が1本。何かというと、年末に香川の1年を振り返るみたいな報道特番を生放送でやるらしいのだが、最初「出演してくれ」という依頼がディレクターのK君から来て、「その日は温泉に行くかもしれんので出られん」と言ったら、一旦は「残念ですが」ということで終わっていたのに、また連絡が来て「こないだの田尾さんの瀬戸内芸術祭のブログを見て、VTR出演でいいからぜひあの内容をしゃべってもらいたい」と言われたのである。
再掲はしないが、あの内容の本質は「芸術祭批判」というより「行政の事業報告のやり方に対する批判」であり、併せて「マスコミの行政プロパガンダに近い報道に対する批判」である。しかし、収録であの内容をしゃべっても、おそらく数十秒か数分に編集されることを考えるとまず真意は伝わらないだろうし、感情的にしか捉えないであろう視聴者の多くが私の主張を誤解するだろうことは想像に難くない…ということで出たくなかったのに、ちょっと親愛なるK君が頼み込んできたので、出ちゃいました(笑)。
あーあ、どうなるかなあ。もう開き直って、残りの人生、正論を吐いて敵をいっぱい作る「香川のカツヤ(笑)」で歩くかなあ。でも私は、本質はお笑いだからなあ。でも、もういいかげんに誰かが嫌われ者になっても正論を吐かないといけないご時世だしなあ。でも正論が吐けないという風潮は、全国ネットよりローカルマスコミの方が強いからなあ(理由はたぶん、ローカルの方が行政や経済人とマスコミの距離がかなり近いからだと思う)。どうなんやろ。K君は私の意見に激しく同意してくれたけど、上から止められるんちゃうか? ま、止められたらボツにしてもええからね(笑)。
KSBから帰って、12時にS原がうちに来て新しいパソコンの設定やら何やらをしてくれて、1時半に中央公園に行って、夕方からの「高松冬のまつり」の学生たちが出るイベントの直前準備とリハーサルを仕切って、5時半からと7時からの本番に私も出て、夜の8時過ぎに帰ってきました。タニシ、3匹発見。明日も忙しいから、今晩は見逃してやる(笑)。
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2010年12月22日(水)
今年最後の山を登っている。峰山でなくて仕事の山であるが、タニシの妨害に遭いながらも先週末から昨日まででずいぶん登って、今日は今年最後のインタレストの編集会議で次号の特集候補が2つ決まって、いよいよ頂上が目前になった。しかし、まだ下山に向かってないというところが恐ろしい(笑)。
12月24日と25日は、中央公園の「高松冬のまつり」に行って、うちの学生軍団の活躍の記録と、出演を少々。24日は17:00からと19:00から、たぶん石の広場でごんと一緒に何かしゃべってます。25日は20:30頃からだったっけ。それが終わるとデスクワークモードに戻って、30日は朝から学生と一緒に上原んちに行って、その日のうちに終わるかどうかわからない制作作業。それが終わると、いよいよ再びデスクワーク体制に入る。
この間、温泉にでも行こうか作戦も含まれているのだが、もし行けたとしてもパソコン携帯旅行になる。4月からの「担当科目倍増」年度が控えているため、3月までに来期の授業計画をものすごく作らないといけないからだ。とりあえず、今晩はタニシを7匹捕獲したのでもう寝る。
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2010年12月21日(火)
この忙しいのに、ここ数日、熱帯魚の水槽に振り回されているとは何たるちあサンタルチア(by出竿。出竿は「さもないとアンモナイト」「必ずしもイナリズシも」等のフレーズを生み出した猿人Jことイデちゃん)。
事の発端は、もうどこが発端かわからん。数年前、買ってきた水草についていたらしい丸いちっちゃいタニシが我が家の90センチ水槽の中で大量発生して、水槽の中に手を突っ込んで一つずつ捕獲してはカップヌードルの空きカップの中にカツンと入れ、捕獲してはカツンと入れ…200匹近くを駆除してすっかりきれいになっていたのだが、半年くらい前から今度は三角の尖ったちっちゃい、シャープな超ミニのコルネパンみたいなタニシが出てきたのである。
最初はこいつも駆除しようかと思ったのだが、面倒だし、まあビジュアル的にも丸いタニシよりはアートな感じ(笑)なので、「小石の間のゴミでも食べてるんだったらいいか」と思ってそのまま生息させてやっていたのである。こいつらはどうも夜行性のようで、明るいうちは小石の中に潜んでいて、暗くなると小石の間からもぞもぞと出てくる。出てくるところは見ていないのだが、例えば朝、明るくなって水槽を見てもタニシはいないのだが、夜帰ってきて真っ暗な仕事部屋の電気をつけたら、タニ公が10匹くらい小石や水草の上に出ているのである。で、電気がつくとやつらはまたジワジワと小石の中に潜ろうとするわけだ。
うちの水槽の底は、2〜3ミリ角くらいの小石が低いところは厚さ5センチ、高いところは厚さ20センチくらいにうねって敷き詰められていて、その中に潜るとタニシは全く見えなくなる。で、そういう状態が半年くらい続いているうちに、シャープな超ミニコルネパンタニシ(長いな)は次第に増殖を始め、現在は何となく20〜30匹はいるのではないかという状態になってきた。けどまあ、丸いタニシよりはええか…と思いながら、こないだ、気分転換に久しぶりに家内と熱帯魚の店に行ったのである。「3割引」とかいうチラシが入っていたので。
店に入っていつもの店員の兄ちゃんに「これはどう? あれは一緒に入れてもええの?」とか聞きながら魚や水草を選んでいたら、ふと、店の水槽に丸いタニシがいっぱいいることに気がついたので、私は話題をタニシに振った。
田尾「タニシがいっぱいおるで」 店員「あ、こいつはコケとか食べてくれるんで」 田尾「えー、ほなこいつはええタニシなんや」 店員「まあ、そうですね」 田尾「今、うちの水槽に三角のシャープなコルネパンみたいなタニシがいっぱいおるんやけど、あいつは?」 店員「あ、あいつはダメです。水草まで食べますから」 田尾「えーっ! あいつ悪者か!」 店員「ダメですね」 田尾「それでか! あのモワーッとした水草にしょっちゅうコルネのタニシがたかってるんやけど、あの水草、しょっちゅう切れてダメになってたんや! あいつ、善人ぶって実は極悪タニシか!」
何ということ! あろうことか、私は善玉タニシを駆除して極悪タニ公を保護してたのだ。
私は決意した。夜の8時頃、家に帰って部屋の電気をつけると、おお、コルネタニシが余裕で出てきとる。私は腕まくりをして水槽に手を突っ込み、ガラス面に上ってきているコルネタニシ、小石の上で余裕ぶっこいているコルネタニシ、流木の上で油断しているコルネタニシ、水草の上でたわむれていると思わせて実は水草を食べているコルネタニシを次々に捕獲し始めた。突然の捕獲作戦に一瞬戸惑っていたタニ公も、やがてただならぬ事態に気づいたのか、ジワジワと小石の中に全軍退却を始めるが、そうはいくものか。並々ならぬ決意を持った私は、直ちに指先で掘り返してそいつを捕獲する。大きいやつだけではない。小石と同じくらいの大きさの数ミリのちっちゃいタニ公まで徹底捕獲だ。なめとったらあかんぞ。
闘うこと30分、ついに水槽の中からコルネタニシの姿は一掃された。大きな達成感に包まれた私は部屋の電気を消して、飯食って風呂入って一服した。ところが、夜の10時過ぎ、仕事をしようと部屋に入って電気をつけてふと水槽を見ると、コルネタニシが出て来とるやないか! まだおったんか!
私は腕まくりをして再び水槽に手を突っ込んで捕獲を開始した。7匹、徹底捕獲。それから12時くらいまで仕事をして、今日はこの辺で寝るか、と思って電気を消して、居間でちょっとテレビを見て、寝室に入る前にちょっと仕事部屋の電気をつけてのぞいたら、おるやないか!
私は意地になった。また出てきていたタニシを4匹捕獲した後、私は再び仕事をすることにした。しかし今度は部屋の電気を消して、机の上の小さい電気だけつけて、水槽のあたりは真っ暗な状態で30分くらい仕事をして、パッと部屋の電気をつけたら…おるやないか!
タニシを捕獲し、部屋の電気を消して30分くらい仕事をして電気をつけたらまた出てきているのでそいつを捕獲して、再び部屋の電気を消して仕事して、電気をつけたらまた出てきているので捕獲して…。
夜中の3時までやってました。アホです(笑)。翌日の今日、家に帰って部屋の電気をつけたら、また出てきていた。なんぼおるんや。水槽の底に敷き詰められた俺がずっと小石やと思ってたの、全部タニシか?
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2010年12月14日(火)
数週間前、ねっくから「高松に帰る」という迷惑な電話があった(笑)。ねっくは私がタウン誌の編集長をやっていた頃の読者(当時高校生)で、今は東京で放送作家みたいなのをやっているのだが、時々、まあ1〜2年に1回とか高松に帰って来て、そのたびに電話があって「ゴルフ行こー」とか言うてくるのである。ちなみに私がゴルフに行くのは、KSBの多賀さんに呼ばれた時か、ねっくが帰ってきた時か、同じく東京で役者をやっている太田が帰ってきた時、ほぼそれだけだから、年に1〜2回。去年は1回も行かなかった。そういうわけなので「田尾さんゴルフが趣味なんか」と思って誘ってこないように。
それで一昨日の日曜日、私とねっくと、名は明かせないがおなじみのお笑い仲間2名の4人でゴルフに行ってきたのである。
ねっくのゴルフは、一言で言うと「立ち方がおかしい」。構えた時の手と足の形が昆虫みたいだ(笑)。さらに打つ前に変な上下運動をするので、後ろから見てたら立ちションしよんかと思うのである。昔、ねっくが林の手前のラフで、向こう向きでまたそのポーズで2打目を打とうとしていたので、フェアウェイにいた私らが「相変わらず立ちションしよるみたいやなー(笑)」とか言いながら見ていたら、ほんまに立ちションしていたことがある。するな!
とかいうねっくであるから、「今日もまたあれを見ながら回るんかー」と思いながら、我々はスタートホールのティーグラウンドに立ったのである。そしたら、ねっくのフォームが昆虫でなくなっているではないか!
田尾「どしたんや! 立ち姿が変わってるやんか!」 ねく「元女子プロの○○さんに教わったんですよ」 田尾「えー、めちゃめちゃ有名な人やんか」 ねく「そしたら、アドバイスの一言目が“根本的にゴルフを間違ってる”って(笑)」 田尾「ほらー、俺が前からずーっと言いよるやんか。昆虫は絶対に間違ってるって」
それにしても女子プロから教わったとなると、これは侮れんぞ。我々は固唾をのんでねっくのティーショットを待った。確かに両肘を張った昆虫スタイルは消え、何かスムーズに構えている。そこから…あーっ、いつもの上下動が始まった! しかも、何かつぶやいてるぞ。
ねく「私はあやつり人形…私はあやつり人形…」 田尾「お前、何を教わったんや(笑)」
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ハーフを終わってクラブハウスで、「ゴルフの指導における過剰なるイメージの強要に関する考察会議」を開催しました(笑)。
ねく「○○さん(元女子プロ)が言うにはね、天に神様がいて、自分は神様から頭をつり下げられたあやつり人形だと思えって。どんだけ想像力がいるんや!(笑)」 田尾「ええなええな(笑)」 ねく「ゴルフを教える人って、絶対何かイメージを言いますよね。バンカーショットはね、ボールから砂の中にまっすぐ根が生えていて、その根を丸ごと削り取るイメージで打てって言われましたよ(笑)」 田尾「俺はな、構えた時に頭のてっぺんから背骨を通って太い鉄筋が入ってて、その鉄筋が尻から抜けて地面に突き刺さってると思って振れ、言われたことがある(笑)」 ねく「どんなイメージや!」 田尾「あと、ダウンスイングからフォローにかけて、右の肩が抜けて飛球方向に肩が飛んでいくイメージで…とか(笑)。ほんで言われるままにスイングしたら、“あかん、今のは肩が左のすぐそこに落ちた。10ヤードしか飛んでない”って」 ねく「あっはっは! 肩が10ヤードしか飛んでない!(笑)」 田尾「ボールを打つと思うな、直径5センチ、長さ30センチの木の棒をクラブヘッドで前に押し出すイメージで打て、とか」 ねく「言いますねえ(笑)。左のほっぺたのところに壁があると思えとか。これ、ゴルフを教える人が使うあり得ないイメージを全部集めたら、絶対おもろいですよ(笑)。というか、ゴルフって、どんだけ想像力がいるスポーツなんや(笑)」 田尾「言われる想像が全部できるようになったら、何か違う世界で成功できるんちゃうか(笑)」
会議を終えて後半のハーフ、私たちは打つたびに、
「私はあやつり人形…」 「これはボールではない。木の棒だ…木の棒だ…」 「ボールの下に根っこが生えている…根っこが生えている…あかん、根っこは見えんのにボールの上から芽が出てきた…」
俺ら、何のレジャーやっとんや(笑)。しかしこの日、私は生まれて初めて「連続バーディー」を取りました。
仲間G「ちゃんとスコアも報告しとかないかんでしょ!」
連続バーディーを取って、何で108やねん(笑)。途中の長いミドルホール、右ドッグレッグで右斜面の向こうがベストポジションという難しいティーショットを打つ時、後ろから次の組が来て我々のティーショットを見ているという場面があった。みんなが「見られている」という緊張感から変なティーショットを打つ中、ギャラリーがいると実力以上の力を発揮するタイプの私は、目の覚めるようなナイスショットを放って後ろのおじさんたちの度肝を抜き、第2打もグリーン手前わずか5ヤードの花道にピタリと運んだのだが、あのおじさんたち、まさかあのホールで私が「10打」を叩いたとは夢にも思うまい(笑)。
あー、筋肉痛がまだ抜けん。筋肉痛がひどくて無理な歩き方をしていたら、昨日からはとうとう右膝までおかしくなってきた。
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2010年12月13日(月)
今日は愛媛県に出張。今治北高校の「大学出張講義」で、50分授業を2回やってきました。今治北高校は地図で確かめるとJR今治駅から徒歩10分くらい。雨が降っていたので、JRで行くと駅から傘をさして歩かないといけない。けど、車で行くとたぶん学校までそのまま車で入れる。一瞬車にしようかとも思ったのだが、JRで行きました。
私は、さすがに東京とかになると飛行機で行くことが多いが、四国内や中国地方、京阪神あたりへは、たいていJRで行く。車の方が何かと動きやすいし時間もそんなに変わらないのだが、JRは何と言っても道中、仕事もできるし本も読めるし寝ることもできるから。
今日は行き帰り、家にあった高校の世界史の教科書みたいな冊子を持って行って読んでました(笑)。こないだ世界史オタク仲間の安Zと話してて、
田尾「こないだ、たまたまテレビで『Qさま』見よったら、高校生チーム対抗のクイズ大会の決勝で世界史の問題が2問出たんやけどな」 安Z「見ましたよ」 田尾「一般正解率10%以下とかの問題やったけど、一撃でわかったが」 安Z「シャンポリオン」 田尾「おー、それそれ。あんなん、“フランスのエジプト学者で…”言うた瞬間、秒殺よな(笑)」 安Z「初歩問題ですよね」 田尾「もう一個の『カタコンベ』も」 安Z「サービス問題です(笑)」
みたいな会話があったところなので、つい、そんなものを持って特急に乗って読んでました。けど、大人になって読んでみると、教科書の世界史は大ざっぱやなあ(笑)。一見、きちんと歴史を追っているように見えるけど、物語としても、歴史の考察書としても、ちっとも面白くない。ま、教科書なんてそういうものだと言われれば「そうですか」としか言いようがないんだけど。
で、「ルネサンス」の所を見ていたら、『ルネサンス』は14〜16世紀にかけてヨーロッパで展開した新しい文化創造の運動で、『再生・復興』を意味するフランス語だと書いてある。はいはい、知ってますよ(笑)。で、一体何を再生・復興するのかというと、古代ギリシャと古代ローマの古典文化の再生・復興がテーマになっていて、だから古代ローマの遺跡がいっぱい残っているイタリアで起こった、と書いてある。知ってますよ(笑)。
で、高校の時はそれを覚えて次の項目に進んでいたんだけど、大人になって読み返したら、いろいろ引っかかることが出てくるわけです。「じゃ、なぜギリシャでもルネサンスが起こらなかったの?」とか。しょうがないから家に帰って、「イタリアでルネサンスが起こった頃、ギリシャは何をしてたのか」をネットでいろいろ調べました。
まあ仕事にはほとんど役に立たない作業ですが、私の「脱線癖」は日常的にもそんな感じです。中世あたりのヨーロッパの貿易品にしょっちゅう「綿花」と「胡椒」が出てきて、高校の時は「ヨーロッパが輸入していたのは綿花と胡椒」と覚えれば終わりだったんだけど、「何で綿花と胡椒なんだ?」とか引っかかって調べたら、「おー! そんな理由があったんか!」みたいなのが見つかって小さな幸せを感じたり(笑)。ささやかな息抜きというか、趣味というか、今日はちょっと仕事以外で時間を費やしました。明日は仕事がギュウギュウ。もう寝よ。
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2010年12月11日(土)
久しぶりにこんなに長いのを書くハメになったのはU原のせいだ(笑)。えーと、どのあたりから書いたらええのかな。新聞見てない人がたくさんいると思うから、あの再掲から行かないかんのか。
私は2ヵ月に1回くらいのローテーションで四国新聞の「論点香川」というコラムに原稿を書いているのだが、猿、失礼、去る11月14日付けのコラムにこんなことを書いたのである。確か勝谷さんが丸亀に来てた日(笑)。
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瀬戸国際芸術祭の決算 県民に投資額と内訳の報告を
例え話から入るが、100万円で買った壺を「なんでも鑑定団」に持って行った人が「予想金額30万円」と出したら、鑑定の結果、90万円と出ました。「おおー、3倍にもなった!」と大喜び…していいのかどうか、という話である。つまり、実質的には100万円で買ったものが90万円になったのだから10万円のロスが出たことになるのに、「3倍になった」と喜んでいいのか? という…。私が瀬戸内国際芸術祭のこの3カ月の報道を見ていて違和感をずっと持っていたことの一つは、それである。 瀬戸内国際芸術祭に関する「数字の報道」を振り返ると、「早くも10万人突破」「会期半ばで目標の30万人突破」「50万人突破」…そして「最終94万人。当初予測の3倍を達成!」という、来場者数の報道がほとんどであった(ちなみに、いずれも8会場の合計数字であるから実数ではない)。そして、その報道の基準とされていた数字はすべて、当初の来場者数予想の「30万人」である。しかし、その「30万人」という数字は、先の例で言えば「壺を持って行った人の予想金額」であって、壺を買った値段、つまり「投資」に対するリターンとして妥当な数字(来場者数)であるかどうかの基準ではない。そこで、瀬戸内国際芸術祭が数字的に成功したのかどうかを判断するためには、「いくらお金を使ったのか」という数字が絶対に必要となるのである。 ところが、報道だけを見ていると、これが全くわからないんですね。先日取材に来たある新聞記者に尋ねたら、「使ったお金は1億3000万円です」と言ったが、それは今年度に予算計上された金額だけで、まず、前年度までに使ったお金が入ってない。さらに、あの70を超える作品群(既存の作品や施設も含まれるが)の中には一つ数百万円、数千万円、もしかすると億単位のお金がかかっていそうなものがいくつもあり、加えてあれだけの広告宣伝やインフラ整備、各種の行政からの補助等も合わせると、これが1億円や2億円で開催できたとはとても思えない。でも、実際に使った投資額が私たちにはわからないのである。行政が税金をいくら使ったのか、あるいはベネッセ関連財団をはじめとする民間が巨額のお金を出してくれたのか(もしそうなら、これは県のイベントではなくてベネッセのイベントみたいな話になるけど)…。民間企業なら、投資額を気にせずに「予想の3倍も反応があったから大成功」などと言えるのは、お金が余って仕方がない時だけである。いずれにしろ、我々一般人には情緒的には「大成功」でいいのかもしれないが、行政と議会は、こういう税金を使った事業については投資額と内訳とリターンを数字できちんと押さえて県民に報告するべきだと思う。
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要するに、言いたかったことは、 (1)行政は税金を使ってこういうイベントをやると、来場者数とかいった情緒的なことを中心に経過や結果を発表し、恣意的な数字を使って成功したように見せる傾向がある。 (2)行政の成果はイベントに限らず、「投資とリターン」によって測られるべきだから、行政と議会は瀬戸内国際芸術祭の行政としての成果を「投資(税金投入額)」と「リターン(県民にもたらした豊かさ)」で報告すべきだ。 の2点であった。
そしたら、掲載後間もなく、これを読んだらしい県の担当の方から私に「ご説明したい」ということで、資料が送られてきたのである。見ると、それは「実行委員会の収支報告」でした。うーん、「実行委員会の収支報告」は私の知りたい「行政の投資とリターンの説明書」じゃないんだけどなあ(笑)。しかも行政の投資とリターンは「県民に報告すべきだ」と書いたように、私に説明されてもしょうがないし…ということで、私はそれをそのままにしていたのである。そしたら一昨日、その「実行委員会の収支報告」の要約が四国新聞の一面に載りました。それを見た私の友人数人から直ちに、「あの発表は根本的に考え方が間違ってないですか?」とか「あの新聞の見出しは県民を騙すわ」とかいったメールが飛んできたのです。
さて、新聞に載った内容は、私に送られてきた資料の内容と同じ、瀬戸内国際芸術祭の「実行委員会の収支見込み」である(数字が出てくるのでチンペイは寝てよし)。そこには
・収入…7億9300万円 ・支出…6億8900万円 ・剰余金…1億400万円
*関連予算 ・緊急雇用創出基金事業…3億3500万円 ・関連事業(県分)…1億1400万円
という数字が出ていて、その報告に対して四国新聞が 「瀬戸内芸術祭 黒字1億円余(実行委、収支見込み)」 という見出しをつけて紹介していた。U原が「あの新聞の見出しは県民を騙すわ」と言ったのはこれだ。この見出しを見ると、たいていの人が「おー、芸術祭は1億円も利益を出したのか。大成功やんか」とか思いますよね。さらに、普通、「収入7億円」と書かれると、瀬戸内国際芸術祭が何かの販売収入や広告収入で7億円の売上を上げたと思いますね。ところが、私の友人たちは、記事中にあった次の1行を見逃さなかったのである(私もですけど)。
「…収入のうち、県の負担金は約1億5千万円。…」
へ? 何それ。収入に「県の負担金(税金)」が入ってるって、どういうこと? で、改めて見て、この収支は「実行委員会の収支」であって、「行政の収支」ではないことに気づくわけです。もう少し詳しい内容を見てみると、こういうことらしい。数字がさらに増えるのでチンペイは爆睡してよし。
<収入の7億9300万円の内訳> (1)芸術祭に対する香川県の負担金…1億5100万円 (2)同じく関係市町が出した負担金…1億 700万円 (3)補助金・助成金…2800万円 (4)福武財団の負担金や寄付・協賛金…2億5200万円 (5)チケット・グッズ販売収入他…2億5500万円
<支出の6億8900万円の内訳> (1)作品制作関連費…3億9700万円 (2)イベント開催経費…5700万円 (3)運営活動費等(広報費、事務局・サポーター運営費他)…2億3500万円
この内容はどういうことかというと、「実行委員会は差し引き1億400万円の剰余金(黒字)を出したが、そこには2億8600万円の税金(収入の内訳の1と2と3の合計)が入っている」ということである。言うまでもなく、これは「実行委員会の収支報告」であって「行政の収支報告」ではない。だから、見出しをつけるなら「実行委員会 1億円の黒字」となるべきところを、大きく「瀬戸内芸術祭 黒字1億円余」と書くから、多くの読者が「大成功だ」錯覚するのである。言葉による意味のすり替えである。そして、繰り返すけど「実行委員会の収支」は、県民に知らせるべき「行政の投資とリターン」の報告ではないのである。
では「行政の投資とリターン」はどうなるのかというと、まず行政の「支出」は、要するに「使った税金」の合計なので、上記の実行委員会収支の内訳の中から税金分を抜き出して、あと新聞に載っていた「関連予算」を足せばいい。すると、
<行政の投資> ・芸術祭に対する香川県の負担金…1億5100万円 ・同じく関係市町が出した負担金…1億700万円 ・補助金・助成金…2800万円 ・緊急雇用創出基金事業…3億3500万円 ・関連事業…1億1400万円 *「緊急雇用創出基金事業」というのは何か別事業をやったのではなく、「緊急雇用創出基金」というお金を県の芸術祭推進室等が使ったということです。
以上、総計「7億3500万円」。あくまで報告書にある数字だけの計算であるが、これが瀬戸内国際芸術祭に対する行政の投資額(税金投入額)である。あと、もし実行委員会が出した剰余金の1億400万円が行政に返されるのなら、投資額はそれだけ減額になる。
「リターン」は、瀬戸内国際芸術祭によって私たちにもたらされた「豊かさ」である。一番わかりやすいのは「経済的な豊かさ」だろうが、それは日銀高松支店が出したというアバウトな「経済効果」とやらが一度新聞に載った以外には、行政からは何も報告されていない。ちなみに、この報告書は議会の委員会で報告されたそうだが、議会は行政の投資とリターンの報告でも何でもない「実行委員会の収支」を見て、何も言わずに納得したんやろか(笑)。
いずれにしろ、今回報告された数字の意味は、概ねそういうことだと思います。これにもし見出しをつけるとすれば、 「行政は7億3500万円の税金を投入」 「行政の投資に対するリターンは明示されず」 「実行委員会は税金を2億8600万円もらって、1億400万円の剰余金を出す」 という3つのポイントでしょう。
あともう一つ。実は今回発表された瀬戸内国際芸術祭の「来場者数」にも、私の周りで疑問を持っている人がたくさんいます。報道では、最初「94万人」という数字が一人歩きしていましたが、この数字は報道の注釈にもあったように、「会場になった7島22カ所の作品と高松の2カ所の作品の合計24カ所の作品がある場所でカウントした人数の合計」という、実数とは関係ない累計数字であることはご存じの通り。最終発表された累計来場者数の内訳は、
直島(4カ所)……29万1728人 豊島(7カ所)……17万5393人 女木島(2カ所)… 9万9759人 男木島(2カ所)… 9万6503人 小豆島(4カ所)…11万3274人 大島(1カ所)…… 4812人 犬島(2カ所)…… 8万4458人 高松(2カ所)…… 7万2319人
ということでした。で、今回初めて「94万人」ではなく、「来場者実人数は25〜30万人」と発表されました。算出の根拠は「アンケートでは1人平均3島を回っているため」とあったので、述べ94万人を3で割って30万人前後の推測をしたようです。でも、その算出にはちょっと無理があると思います。
一つ目の理由は、「1人平均3島」と「巡った島の数」を基準にするなら、ベースになる94万人の数字は「カ所数」で割引をしないといけない。例えば、直島に来た人のほとんどがカウント場所の4カ所全部を回っていたなら、直島の「29万人」は4で割って7万人くらいになる。豊島の「17万人」は7カ所の合計だから、7で割ったら2万5000人くらいになる…というふうに割り引いていくと(おそらく、たいていの人がわざわざその島に行ったらその島内の作品はほとんど見て回るだろうから)、ベースの累計94万人を各島の「カ所数」で割った合計数は30万人以下になる。その3分の1(1人平均3島)となると、実来場者数は「25〜30万人」ではなく、10万人くらいになるのではないか。ちなみにこの数字は、先の直島の推測実来場者数とほぼ同じになる。瀬戸内芸術祭に来る人のほとんどがメイン会場的な直島には行くだろうと考えると、「10万人」というのはいい線だと思うんですが。
二つ目の理由は、「芸術祭効果」を計算するなら、この数字からさらに「芸術祭がなくても来ていた人」を割り引かないといけない。その基準になるのは「直島」だと思う(その他の島は芸術祭がなければあまり人の来ない島だから)。直島って、去年あたり、年間何万人くらいの観光客が来てるんですか? 5年くらい前に「年間15万人」くらいと発表されていたように記憶しているのですが、観光客数の算出は基本的にほぼ不可能なので(交通機関の利用者を数えても、観光で来てるのかビジネスで来てるのか帰省なのか、あるいは日常の通勤通学客なのか判別できないから)よくわからない。アバウトに純粋な観光客数を年間15万人として、直島には芸術祭がなくても毎月1万人ちょっとの観光客が来ているとしましょう。すると、芸術祭開催中の7月末から10月末までの3ヵ月強の間には、観光シーズンであることも加味すると、芸術祭がなくても5万人くらいの観光客が来ていると思われる。これを差し引いたら、直島に限って言えば芸術祭効果は「2〜5万人」とかいう話になるけど…。
どうなんですかねえ。いずれにしても「一人平均3島だから94万人を3で割って25〜30万人」という算出は無理があるような気がする。
長々と書きましたが、私の意見は「今回の芸術祭がどうだったか」という一案件を追求することではなく、何十年も続いている「取りつくろいの地方行政報告」と、それに追随するような地方ジャーナリズムに対する変革の要望にあるわけです。もう、こういう報告はヤメにしませんか?
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2010年12月7日(火)
朝から怒濤の授業3連戦。そのうち、先週から松本君に手伝ってもらってる3つ目の授業は、50数人の履修学生を7チームに分けて編集作品を作っている。大きな統一テーマに沿って7チームがそれぞれ別々の企画を考え、取材、撮影、原稿制作、割り付けまで作り込んで、最後に松本君に渡してA4見開き2ページのデザインにまで仕上げるというもので、最終的に2ページ×7チーム、14ページの作品に仕上げることになる。
私は7チームの作品を全部指導する。嵐の「7面指し」である。これがもう大変。7チームのうち2チームは「インタレスト」の学生が入っているので、ある程度任せられるのだが、残りのチームは全員素人だから、そこいら中で作業が止まっているのをいちいち1から噛み砕いて説明指導せないかん。しかも、学生一人一人の温度差が違うし、しかし授業だから全員に何かの役割を与えるように進めないかんし。あー、私があと2人ぐらい欲しい。
けど、全力で指導していたら、講義の授業では影の薄い学生が予想外に食いついてきて思わぬ才能を発見したりする。人は、いつ、どんなことがきっかけで目覚めたり伸びたりするのか、本当に難しいし、不思議だし、もっと言えば「何に出会うか、誰に出会うか」とかいう「運」みたいなものが絶対にあるんだろうなあ…と思う。もちろん全員を見るのは物理的に無理なところもあるけど、とにかく一人でも多く、手間暇かけて見てやりたいと、改めて思ったのである。
授業を終え、残務を終えて夜7時、FM香川へ。2週に一度の『うどラヂ』の収録だが、今晩は高松冬のまつりのPRで、四国学院大学のボランティアスタッフ2人が別の番組の収録に出演することになっていた。その2人っちゅうのが、インタレストスタッフの「宇宙人ナンシー松井」と「ジェシカ・アヤカ」(笑)。その付き添いに「トミー・サマンサ・ジライヤ」(笑)。彼女らはインタレストスタッフであるとともに、四国学院大学「冬のまつり」ボランティアチームの首脳陣でもあるのだ。
で、私が「うどラヂ」の収録でごんとH谷川君とゲストの清水屋の大将と天才編集者のK米くんと一緒にスタジオで打ち合わせと称したバカ話をやっていたら、冬のまつりの収録番組の進行担当のつばさっちが、トミーとナンシーとジェシカを連れてやってきた。
田尾「もう収録終わったん?」 つば「いや、今からです」 田尾「誰が出るんや」 トミ「ナンシーとジェシカ」 田尾「富永は何するんや」 トミ「私は付き添い」 田尾「ほな、することないやんか。こっち(「うどラヂ」)に出え」 トミ「えー!」 ごん「ほな、台本書き直さないかんですね」 田尾「そうやのー。俺ら素人やから、一字一句全部台本通りにしゃべってるからな」 トミ「ウソや!」
突然引きずり込まれたトミー、「うどラヂ」初出演(笑)。「めっちゃおもしろかった!」とか言いながら、収録終わったら手に汗びっしょりかいてたらしい(笑)。今週末と来週末の放送です。
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2010年12月6日(月)
朝から「インタレスト」の取材やアンケート調査でお世話になった方々に掲載誌をお届けに回る。まずKSBに行ったら多賀さんや中村君やヘアメイクのあっちゃんや営業スタッフや制作スタッフのみんながいて、あいさつをして本を渡して、それから隣のFM香川にもお届け。続いてH本(エッチ本ではない)酒店に行ってS藤社長に本をお届けしたら、応接に通されて1時間くらいいろいろ話をする。そこからさぬき市役所に遠征。いつもお世話になっている佐Tさんが食事に出かけていたので、受付の人に本を渡して帰ってきた。
夕方、ふと携帯電話を見たらチンペイからの着信履歴があった。何だろうと思って電話したら、
チン「田尾先生、卒業生の宮Eは知ってますか?」 田尾「おー、知っとる」 チン「宮Eから電話がかかってきてですね、田尾先生にどうしても連絡が取りたいと言ってるんです」 田尾「何やろ」 チン「まあ宮Eのことですから大した用事ではないと思うんですけど、あいつの電話番号、メールでそっちに送っときますんで、電話してやってもらえますか?」 田尾「オッケー」
この日記にもかつて何度か登場した宮Eは、授業では大したことないやつだったが(笑)おもろいええやつで、確か野球でチンペイの手下だった。宮Eは今年が社会人1年目。チンペイは「大した用事でない」とは言うものの、緊急で私に連絡を取りたいとは、何かあったのかもしれない。トラブルか? 私は少し不安を覚えながら、電話をした。
田尾「田尾です」 宮E「あ、田尾先生、すみません」 田尾「何があったんや」 宮E「すみません、今日の昼、がもうに行ったんですけど店が閉まってて、近くで他にうまいうどん屋がないかと思ったら、ここは田尾先生に聞くしかないということになって」 田尾「忙しいけん切るぞ」
あいつは心配ないみたいだ(笑)。とりあえず安心して、パソコンに向かって仕事を始めました。明日の授業の再確認をしていたら、夏休みに1週間以上もかけてやっと完成したパワーポイントのファイルが見当たらない。必死で探した。くまなく探した。ものすごく探した。けど消えていた。バックアップもとっていない。ひえー! あれをもう一回作り直しかー!
肩がカカトまで落ちました。最近めっきり動きが鈍くなってきた私のパソコン、買って7年目。宮Eは心配ないけど、今はこいつがとても心配。
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2010年12月5日(日)
数日前から我が家の狭い玄関の一角に、段ボール箱に入った米が25キロ分、積み上げられておりまして(笑)。例の、うちの息子がフラッと帰ってきてゆめタウンで何か書いたら当たった米100キロの、第1回目が送られてきました。魚沼産新米コシヒカリ。あと3回、毎月25キロずつ送られてくるらしい。
段ボール箱には大きく「創業百二十余年の信頼 お米のカツヤ」と書かれておりまして(笑)、家内と「勝谷さんもいろんなことやっとるなー(笑)」とか言うております。これ、「米」と「日本酒」の間に「勝谷」と入れるとちゃんとつながったりしますが。
今週は、授業の他に4つも抱えている担当ゼミのいろんな企画モノがいっぺんに被ってきて、苦悩の日々を送りました。年明けまでに、ゼミ関連のイベントが2つ、活動報告作品の制作が4つ、それと「インタレスト」の次号の企画。指導して、やらせて、チェックして、修正して、その間、指導や修正をするためには自分で企画案も作っておかないといけない。
「学生の自主性を重んじる教育」とかよく言われているそうだが、自主性という名の下、「放置」したのでは教育にならん。社会に出たことのない学生は、放置したら「学芸会」をやってしまうからなあ。
考えさせて、やらせるだけでは、社会で役に立たない経験を積むばかりだ。「自主性」なるものを重んじて学生だけで会議をやらせれば社会で通用しない「学生会議」をやってしまうし、自主性を重んじて学生だけで組織運営をやらせると「組織の目的」より学生同士の「好き嫌い」で揺れまくるし、自主性を重んじて学生だけで物を作らせると、「客のニーズ」をどこかに置いて「自分たちの作りたい物」を作ってしまう。
自主性を重んじる教育というのは、指導する側が普通の講義教育の何倍もしっかりした「答」と、答に至る手法と、それを納得させる論理を持っていないとできないものだ、と痛感しています。
今日は昼から、ゼミ関連のイベントの一つの打ち合わせで学生5人とモンシェール(ケーキ屋さん)に行った。パティシエの住田さん(小麦粉アレルギー・笑)を交えてケーキやクッキーのアイデアを絞り込んでいたのだが、具体的なサンプルを前にしてああだこうだとアイデアを出していると、学生たちはすぐに「自分たちの作りたい物」に思考が流されていく。住田さんも私の意図をよくわかっているので、要所要所で「自分がお客さんになったと思って考えてみて?」とか言いながら、学生をプロのマーケティングの世界に引き戻してくれる。すみませんねえ、助かります(笑)。
そういうわけで、12月18日〜25日の「高松冬のまつり」に、2チームを引率して行きますので、よろしければぜひお越し下さい。私は24日と25日に、学生の自主性を重んじながら、マイク持ってしゃべってるかもしれません(笑)。
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