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2011年01月の日記
2011年1月29日(土)

 先日の朝、高速に乗って大学に向かってたら、坂出の手前あたりで追いついた大型トラックが、屋根の上に積んだ雪の塊を落としながら走っていた。時々大きな塊が落ちてくるので気をつけて避けながら追い抜きをかけて、瀬戸大橋側から来る高架の下をくぐったその瞬間、フロントガラスに「カンッ!」という大きな音がして何が当たったのである。

 ちょっと今までに経験したことのない音だったのでよく見たら、フロントガラスに何か付いている。試しにワイパーを動かしてみても、全然取れない。大学の駐車場に着いて確認したら、直径2ミリ、深さ1ミリくらいのヘコミができていた。あれ、何が当たったんやろ? フロントガラスがへこむほどの衝撃…ようガラスが割れんかったもんやと思うけど、今度同じところに何かが当たったらドカンいうて割れへんのかな。ゴルゴ13が防弾ガラスの一点に10数発の弾丸を集中させて防弾ガラスをぶち破ったことがあるけど(笑)。

 さて、昨日の晩から徳島に入って、今日は朝から四国学院大学の入試の徳島会場の進行を担当してきた。午後3時に試験を終えて、3時半頃の特急に乗って高松経由、午後5時半頃大学に帰って、それから高松にとって返して6時半頃家に帰って、午後7時からの会食に出ないかんので急いでのどの渇きだけでもいやそうと思って冷蔵庫を開けたらボトルにお茶が入っていたので、グラスに注いで一気に飲んだら、

田尾「何じゃこりゃー!」
家内「何飲んだん?」
田尾「このお茶、何か腐ってるんちゃう?」
家内「それ、シイタケのダシやで」

 ボトルに入っていたのはお茶ではなくて、干し椎茸を水に浸けてあるだけの茶色い液体!

田尾「飲んでしもたわ!」
家内「上から醤油飲んだら、ええダシの味になるんちゃう?(笑)」

 都村さんと知将A藤と3人の会食。私だけ、シイタケのダシの利いたうまさ倍増の料理を食べた…ことになるんか(笑)。
2011年1月24日(月)

 昨日は赤坂麺通団と東京麺通団(新宿)で、勝谷さんとトークショーという大惨事(笑)になってしまいました。朝10時過ぎに高松空港を出て11時半頃羽田に着いて、そこから赤坂麺通団に直行して1時から1回目のトークショー。ステージも何もなく、店内の客席にお客さんが座って、私と勝谷さんは席と席の間の壁際に立って、お客さんとの距離1mでしゃべるという、チープな会場(笑)。

 というより、私は何をしゃべっていいのかもわからないまま、まあとりあえず勝谷さんの暴走列車にしがみついてたらいいか…と、いい加減な気持ちで臨んだのだが、前の方のお客さんがとてもノリが良くて、調子こいて『うどラヂ』の勢いで話すことができました。お客さん、ありがとう。助けられました。

 漫才みたいだったそうです(笑)。勝谷さん、トークの途中で「ちょっと…」とか言って何やらまじめな顔で客席の後ろの方に行くもんだから、何か緊急の事態か?! と思いながら座をつないでたら、自分が飲む酒を取りに行ってるだけやんか! みたいな(笑)。

 4時からの新宿・東京麺通団のトークショーでは何かウェブカメラみたいなのも入って、私が調子に乗ってローカルの行政やメディアのぬるま湯メンタリティの話をぶっ飛ばしていたら、横から勝谷さんが「ほうほう!」「なるほど!」「はいな!」とか合いの手を繰り出してきて、私が裏拳で「漫才やがな!」って、ほんまに漫才やがな。返す返すも、勝谷さんと温かいお客さんに救われました。すいません、あんなのでよかったんでしょうか(笑)。

 トークショーを2回終えて、勝谷さんにおしゃれな和食の店に案内されて、酒を飲まされてホテルに帰って倒れ込む。ごんに「あの原稿、今晩ホテルで一気に仕上げるから元のラフを持ってこい」言うて持ってこさせたんやけど、カバンから出しもせずに寝たぞ(笑)。

 で、今日は朝一で高松にとって返して働きました。月曜日の朝のJAL羽田〜高松便、満席。以前はしょっちゅうガラガラだったのに、去年あたりから機体が小ぶりになって、行きも帰りも搭乗率は一気にアップしてるような気がする。早よからそうしとけばよかったのに…とは、経営者的な視点ですか(笑)。バブリーな体制が続いてると、会社更生みたいな大事件でも起こらない限り抜本的な改革は絶対できないという原則を、ちょっと見た気がします。ローカルのぬるま湯も、地域が崩壊でもしない限りどうにも改革できないんだろうなあ。ぬるま湯の温度はだんだん下がってきてるのに。勝谷さん曰く、「ゆでガエルの逆ですな」。
2011年1月21日(金)

 朝、研究室で授業の直前準備をしていて、ふとあるところに電話をする必要が出てきたので携帯電話を探したら、携帯してないことに気がついた。ん? と思ってポケットを探ったら、あちゃー、携帯電話どころか、財布も時計も持たずに出て来とる。待てよ、たちまち今からの授業で、時間経過がわからんが…。

 とりあえず授業の教室に行ったら、前の方に大平ロンと溝渕が座っていたので、これを利用しようと(笑)。

田尾「大平、今日、俺、時計持ってないけん、授業時間を見ながら“30分経過”、“1時間経過”、その後10分ごとに合図してくれ」
大平「というか先生、そのパソコンに時間が出てるんじゃないですか?」
田尾「え? どこや」
大平「どっか上の方に出てないですか?」
田尾「……おー! こんなとこに時間が出てるやんか!」
大平「まあたいてい出てますけど(笑)」

 自分のパソコンに時間が表示されていることを、今日発見(笑)。それから安心して授業を進めていて、だいぶ時間が経過したので、大平に時間を確認。

田尾「大平、あと何分ぐらいある?」
大平「パソコンに出てるでしょ!」
田尾「あ、そうか」

 ま、さっき確認したことも忘れるほど全力で授業に集中していたということだ(笑)。

 というわけで、今日は一日、無一文であった。夕方、大学から帰りにあまりに腹が減ったので一瞬、がもうに行って「おなかすいた…」いうてタダでうどん食べさせてもらおうかと思ったのだが(笑)、さすがにこんな時間はもう釜の火が落ちてしまっているし、まだ団長のプライドもあるからそんなことをするわけにはいかん。私はグッと我慢して、高速に乗って高松西インターを降り、産業道路を自宅に向かって走った。

 しばらくすると、車はコンビニに近づいた。そうだ、社内に常備しているガムが今日、切れたとこだ。私はコンビニに車を止め、店内に入っていつも食べているボトルガムを発見。手を出そうとして、ハッとして手を引っ込めた。無一文だ(笑)。

 ま、いかに常時、全力で思索を巡らしているか、ということにしておこう。何やってんだか。

 さて、今日は昼、勝谷さんが高松に講演に来てて、整理券が当たった家内がそれを聞きに行っていた。私は授業があるので行けなかったのだが、昨日の晩に高松入りした勝谷さんから「晩飯でも行きませんか?」というお誘いがあって、勝谷さんとマネージャーの田井地(私のマネージャーも兼任)と吉本からもうお一方と、勝谷さんの高松の世話人の高崎さんと私と家内の6人で「遊」で団らんして、それからこんぴらうどんに行って来た。食事代は全部勝谷さんが出してくれるというので、お言葉に甘えてごちそうさん、で解散したのだが、家内によると勝谷さん、今日の講演のツカミで「昨日の晩、田尾さんたちとうどん屋に行ったんですけど、田尾さん、全然お金を払うそぶりも見せないので私が払った(笑)」というネタを繰り出したらしい。もー、ただでさえ最近新聞等で毒を吐いて嫌われ者になってるというのに(笑)。
2011年1月19日(水)

 5年使ってきたノートパソコンの機嫌がすこぶる悪くなって、授業中に突然画面が真っ暗になったり、バッテリーを変えたのに30分で「予備電源で作動しています」になったりして言うことをきかなくなったので、昨年末、新しいMacBook Airに買い換えたのである。それからしばらく快調なMacであったのだが(1回落としたけど・笑)、一昨日からマウスの機嫌が悪くなって、どないしても反応しない。古いMacにつないだらちゃんと働くのに、AirMacで急に反応しなくなった。で、どうしようもないので高松桜井高校のそばのケーズデンキに行ったのである。

 世の中から冷遇されているMacであるが(笑)、S原に教えてもらったあそこのケーズデンキはMacのコーナーがあって、どこに行っても会員になんかなったことのない私が会員カードを作っている唯一の家電量販店である。で、Macのコーナーでマウスを探したら、ケーブルのついていない、歪んだケータイみたいなマウスだけしか置いてなかった。危険な香りがしたので(笑)係の兄ちゃんを呼んで、私にも使えることを確認して、ついでに私のAirMacを出してその場で設定もしてもらって、今、なかなかええ感じです。

 今日はインタレストの編集会議。朝日新聞の記者が会議を取材に来てたのに、学生たちが持ってきた企画案に「切り口が平凡すぎる。それでは普通のマスコミがやるレベルやんか」とかダメ出しをしたりして(笑)。とりあえず、7〜8本の特集案が出そろいました。これからみんなで手分けして仮取材等をしてみて、最終的に5本くらいに絞っていくことになる。既報の通り、次号は編集長、トミー・サマンサ・ジライヤ富永、副編集長、タムタム田村とエイミー溝渕のアマゾネストリオ。ぼちぼちレベル上げていくぞ。

 今日の雑談は独り言です。夜の11時前頃、ちょっと休憩でテレビをつけたら、NHKで「シリーズ世界遺産」という番組をやっていた。わずか10分の番組だけど、去年行ってきたアルハンブラ宮殿が映っていたので見た。以前から思っていたんだけど、旅行番組って、行ったことのある場所が映った時の方が見入ってしまうんですね。歳のせいかもしれんけど。

 ちょっと違うけど、私は歌にもそんな感じ(1回体験したものを体験した時と同じ感覚で見たい)を持っている。昔のヒット曲を、懐メロ番組なんかで妙にアレンジして歌う歌手がいるけど、リアルタイムで聴いてた私には、あれがとてもキモチワルイ(笑)。昔のままのバージョンで聴きたいのに、妙に延ばしたり粘ったりして歌うんよなあ。マイケル・ジャクソンもマドンナも、いつのコンサートでも、かつてのヒット曲を演出は進化するけど曲はほとんどオリジナルのままで歌うからとても気持ちがいいのに。ま、歳のせいだということにしておこう。

 ちなみにもう一つ歳のせいだということにしておくが、NHKの「シリーズ世界遺産」を見てしまったのは、行ったことのあるアルハンブラ宮殿だったことと、ナレーションが江守徹だったことの2つの理由がある。実は、世界遺産番組は以前から結構よく見ていたのだが、TBSの「THE世界遺産」はナレーションが抑揚のないくぐもったような声の若い女性に変わってから一切見なくなった。去年あった「ルーブル美術館」のシリーズ番組も、予約までして第1回を見たのだが、ナレーションがまた抑揚のないくぐもったような声の別の若い女性で、声を聴くとイライラするので音量をゼロにして見ていたのだが、今度は説明がわからんので、結局見るのをやめた。

 あとで聞いたら、どっちのナレーションも人気女優さんですってね。すんません。申し訳ないけど、おじさん、あの声のナレーションはダメです。しつこいけど、歳のせいということでご勘弁を(笑)。けど、ほんまにみんな、あれでオッケーなんかなあ。好き嫌いは別にして、「技術」という点ではかなり厳しいと思うんだけど。何か、歌(歌唱力も歌詞も)も演技もナレーションも、あるいはグルメも、あるいは文章表現も、いろんな分野で「いいもの」の基準がずれて来とんやろか。
2011年1月17日(月)

 朝、研究室に行くと、隣のインタレスト編集室の電気がついている。見ると、トミーとジェシカが徹夜で寝ていた。

トミ「作業しよったんですよ!」

 今週末は、1年間のプラクティカム(ゼミ活動みたいなもの)の発表会がある。毎年20数チームが発表するのだが、その発表物の制作締め切りが今日ということで、彼女らは昨日のセンター試験が終わった後から編集室に入って、延々今朝まで、徹夜で寝ていたようだ。

トミ「だからちょっとしか寝てませんって!」

 私の担当プラクティカムは4つある。しょうがない、担当なので最後の仕上げを見てやるか、ということで、私は研究室に帰ってコーヒーを入れて再び編集室に入って、徹夜作業の作品のチェックをすることにした。

トミ「あれ? どしたんですか、そのコーヒーカップ。いつものあれと違うじゃないですか」
田尾「それがや。先週の金曜日の朝、研究室でコーヒーを入れようとしたと思いな」
トミ「何か話が長そうやな」
ジェ「スイッチ押してしまった?」
田尾「あの、私が今までに出会ったコーヒーカップの中で最高にすばらしいフォルムのコーヒーカップでいつものようにコーヒーを飲もうとして、コーヒーを置いてある棚の所に行ったわけや」
トミ「はいはい」
田尾「その時、左手に何か持ってた。で、右手でコーヒーの瓶、ハマヤのブルーマウンテンN.o1の瓶を取ろうとしたら、その横に置いてあったコーヒーカップに瓶がコンと当たって、カップが手前に落ちかけたんや」
トミ「ほうほう」
田尾「一生モノのコーヒーカップやぞ。こんなん落として割ったら、1ヵ月はヘコむやんか。けど、左手はふさがっとる。そこで俺は驚くべき反射神経を発揮して、素早く右手に持ったコーヒーの瓶でカップを押さえた瞬間、コーヒーカップが瓶と棚のスチールの戸に挟まれてガチャンいうて割れた」
トミ「何やってるんですか!」

 あー、1ヵ月ヘコむ。あと、同じカップが家に2つ。そのうちの一つを学校に持ってこないかん。そういうわけで失意の中、部屋にもう1個あったデザイン性と機能性に劣る砥部焼のカップでコーヒーを飲みながら発表作品の修正をやっていたら、続いてエイミー溝渕と西森ハチがやってきた。溝渕が私のカップを見るなり、

溝渕「いつものカップはどうしたんですか?」
田尾「それがや」
トミ「あー、スイッチ押したらいかん!」

 「悲しきコーヒーカップ」物語、2回目。次、誰か来たらトミー、お前がやってくれ。もう覚えたやろ(笑)。それから間にうどんタイムを挟んで、夜の6時半まで修正指導をやった。作業中、1年間のプラクティカム活動の中でいろんなチームリーダーを体験した学生数人から「誰それはメチャメチャ頑張ったけど、誰それは全然動かない。勝手に動くやつがいる。連絡がない…」等々、いろんな不満話が出てきた。

 今日の雑談、その1。

田尾「組織の運営いうのはな、組織の目的いうのが一番上にあるんや。チームにはチームの目的が一番上にある。目的のない組織いうのはチームというよりただの“寄り合い”やからな。ほんで、リーダーの目的は『チームの目的を達成する』いうのが一番上にある。けどな、学生とかのチーム活動は、リーダーが目的を忘れて“感情(好き嫌い)”の部分で悩んだり怒ったり派閥を作ったりすることが多い」
西森「わかるわかる!」
田尾「リーダーはな、常に目的を達成するための原理原則に帰って物事を判断するクセをつける方がええ。すると、例えば『みんなで平等に役割を分担してやらせる』より『できるやつにできる役割を与える』方が、目的を達成するのに有効であることがわかる」
トミ「それ、すごく思った」
西森「でも、感情は絶対出てきますよ」
田尾「それはな、土の中に埋めるんや(笑)。目的のあるチームでリーダーをやる時は、何か問題に直面するたびに必ず目的に帰る。ほんで問題の内容と自分の考えを整理して、そこから原理原則部分だけを抽出して、それ以外は土の中に埋める。たぶん溝渕は、土の中に埋めよると思う」
溝渕「埋めてますね」
トミ「うちの土、メチャメチャ固いから埋められん(笑)」
田尾「耕せ(笑)」

 今日の雑談、その2。

トミ「こないだお母さんに“あんた、最近ちゃんと学校に行っとんな!”いうて怒られたんですよ。“行っとるわ”言うたら、“先生の日記に出てこんやん”って」
田尾「俺の日記は所在報告か!」
2011年1月16日(日)

 センター試験、何とかノートラブルで終了。メチャメチャ寒かった。土、日ともに朝7時半頃から夜の6時半頃まで、膝にサポーターを装着して、立って、歩いて、ちょっと座って、どうにかクリアしました。

 で、土曜日の試験を2科目終えた昼休み。弁当が支給されて、担当の教職員数十人があちこちで弁当を食べていたのだが、私はふと企画課に高校のいろんな教科書を置いてあったのを思い出して、一人で弁当を持って企画課に行って、書棚の中から高校世界史の教科書を取り出して、それを読みながら弁当を食べ始めたのである。そしたら、もう冒頭から釘付け(笑)。

 いや、世界史が好きだから釘付けになったのではなくて。第一章の人類の誕生みたいなブロックから読み始めたら、いきなり新石器時代の「肥沃な三日月地帯(今のイラクの北の辺り)」の紹介文に、

「灌漑農法が進むにつれて生産が増加し、人口が増え、集落規模が大きくなって…」

ほうほう、なるほど…と思っていたら、そこからいきなり、

「生産がふえ、分業が進むと、その内部に貧富や強弱の差がうまれた」

って、新石器時代をそんなまとめ方するんか(笑)。さらにすぐ次の紀元前3500年頃のオリエントの紹介では、

「そして生産にたずさわらない神官や戦士が貴族階級となり、そのなかから王がでて一般の平民を支配した」

「また征服された人びとは奴隷とされ、こうして階級と国家がうまれた」

続く紀元前3000年頃のエジプトでも、

「神の子として民族のうえにたつファラオ(王)の支配が続いた」

 何か、厚い教科書の最初の5〜6ページで、まだ新石器時代から古代エジプトのさわりだけなのに「貧富の差」に「階級」に「支配」がすごく強調されている。王も神官も戦士までも「生産にたずさわらない者」で「支配だけしている者」扱いだ(笑)。このあと二百ページ、どんな表現が続いているのか釘付けになりたかったけど、3科目目の時間が迫って来たので急いで弁当を食べて試験監督に戻りました。

 昔のことは事実関係がよくわからんが、「支配する者」には支配される者にはない巨大な役割と、支配されるものにはない巨大なリスクがあると思うのだが、それはあまり語られないのである。現代で言えば、経営者には経営者でない者にはない巨大な役割と巨大なリスクがあるのだが、それはあまり語られない。商品やサービスを提供する者には、商品やサービスを受けるだけの人にはない役割とリスクと苦労があるのだが、それもあまり語られない。だから、商品やサービスを提供する側に回ったことのない人や、商品やサービスを提供する側にいるのに「提供する側である」という意識を持たない人はそれがわからないから、提供する側に文句を言うだけの人になる。あるいは何でも「提供しろ」と言うだけの人になる。

 この話は、現代の社会の風潮の話だけでなく、若者の貧弱な仕事観の話にも展開するので、センター試験疲れの今は長文にまとめる気力がありません(笑)。ま、受験生の皆さん、ご苦労様でした。ちなみに私の担当教室は100人くらいの受験生がいましたが、そのうち20人くらいが「滝宮天満宮」の鉛筆を使ってた。無神論者も神頼みするぞ、センター試験(笑)。
2011年1月12日(水)

 膝を痛めちゃいました。去年の12月頃から違和感はあったのだが、先週あたりから明らかに悪くなってきて、小走りができない。階段を下りるのもスムーズにできない。体重がかかると、右のヒザの内側がちょっと痛い。

 というわけで、意を決して病院に行って来た。レントゲンを撮って、診察室に呼ばれて入ったら、医者のおじさんが「骨に異常はないなあ」と言った。

田尾「異常なしですか」
医者「骨に異常なし、が厄介なんや」
田尾「いかんのですか!」
医者「ちょっとそこに寝て」

 言われるままに診察台に乗ったら、医者が私の膝をあちこち押し始めた。

田尾「あ、ちょっと痛い」
医者「痛いやろ。水がちょっとたまっとる。これはな、膝のお皿の裏のヒダのところに、まあ言うてみたらいらんもんがある。それがたぶん炎症起こしとる」
田尾「えー、どないしたらええんですか」
医者「とりあえず、筋肉つけるか、サポーターでいらん動きを抑えとくか、シップで冷やすか…」
田尾「冷やすんですか!」
医者「ぬくめたら炎症が治まらんやろ」
田尾「えー! 去年の暮れに温泉に行って、具合が悪いからいつもより多めにぬくめましたけど」
医者「温泉でぬくめるんは、血行が悪くなった年寄りやがな」

 もう、何やってんだか私(笑)。ま、そういうわけで今日は一日、膝にサポーターをつけて動いておりました。というか、しばらくサポーター生活を続けるわけですが。峰山はしばらくお預け。仕事は、いろいろつっかえながらも何とか一つずつ乗り切っております。

 今日の3コマ目はインタレストの編集会議。企画出しの壁に当たった学生たちに、アイデアを出す魔法の「MECEの箱」の使い方をレクチャーして、彼らのこんがらがった頭の中をちょっと整理してみた。

田尾「この箱の中から、来週の会議までに一人最低一つ、企画案をひねり出せ。ええか? 会議の前日に考え初めても出てこんぞ。毎日毎日、睡眠で意識を失っとる時間以外はいつも考えるんじゃ。いつもいつも必死で考えとるやつだけが、ひらめくんぞ」

 産みの苦しみを何十回でも体験しなさい。私なんか30年以上苦しみ続けてるんだから。あ、「海の苦しみ…水質汚染」いうのを思い出した(笑)。
2011年1月8日(土)

 正月から抱えていた10日締め切りの中物の仕事4つのうち3つが昨日の夜に終わり、今日は最後の一つを抱えて、朝から大学の研究室で原稿制作に取りかかっていたのである。通常ならまあ2日か3日はかかる原稿であるため、今晩の遊ゼミを欠席することにして幹事に連絡を入れ、まずは全体構成を考え始めた。そしたら午前11時頃、突然何かが降りてきて、頭の中でグニャグニャしていた全体構成がニュワニュワーっと動いてガシャンとはまったのである。えーと、ビジュアルイメージで言うなら『ウルトラQ』のオープニングタイトルみたいな感じ(笑)。

 それでもう、時を忘れて一気に原稿に没頭していたら、ほんまに時間を忘れてて12時30分からの大学の演習に15分も遅刻した(笑)。午後4時に演習が終わって、それから原稿を推敲して、何とわずか実働5時間で原稿を仕上げる! あまりのスピードに、毎晩私の苦悩する姿を見ていた家内に電話をしてしまいました。

田尾「○○の原稿、今終わったわ」
家内「えー! そしたら心置きなく遊ゼミ行けるやん」
田尾「いや、遊ゼミは朝、欠席の連絡入れた」
家内「行けるのに欠席? ほんだら家で息を潜めとかないかんやん」

 家に帰ってしばらく息を潜めてて(笑)、息苦しくなってきたので本でも買いに行こうと思って、イオン高松に行きました。本屋は3階。文庫を3冊買って帰ろうとしたら、2階のスポーツ用品の店が目に入った。ふーむ。

 実は近々、またゴルフに行かないかんのである。ゴルフは一昨年は0回、去年は2回、というペースなのだが、今年は1月早々、第1回目である。で、ボール買うとくか…と思って店に入って、ふとパターのことを思い出したのである。私が使っているパターは今から32年前、就職した時に会社でゴルフコンペがあって、その時に上司からもらったものである。それを32年間ずーっと使っている。別にこだわっているわけでもなく、ただ滅多にゴルフに行かんから道具なんて全然気にならないので買い換えてないだけだ。しかし、こないだゴルフ練習場で会った友人が私のパターを見て、

友人「それ、何? パター?」
田尾「パターやんか」
友人「どっかの骨董屋でもろたん?」
田尾「ちゃうわ!」
友人「それ、何の金属でできとん。舐めたら死ぬんちゃう?」

 とまで言われたのを思い出して、仕事の山を越えた解放感でどうかしてたのだろう、新しいパターを買っちゃいました。ま、スコアにはなんの関係もないだろうけど(笑)。さてと、今晩は本でも読むか。
2011年1月4日(火)

 今年は出だしからダラダラと来てしまった。「でだし」いうのは広辞苑では「出出し」と書いてるけど「出だし」が先に変換されるんよなあ…などというぬるい話で行を埋めてしまうほど、今年はここまでダラダラと来ています。授業準備と書き物の、大物でなくて中物が4つ同時に数日後の締め切りにばく進していて、いや、ばく進しているのは原稿でなくて日にちだけで(笑)。ん? 「ひにち」も広辞苑では「日日」だぞ。でも、「ひび」も「日日」だ。正式には「日々」じゃないのか…などというくらい、何かがダラダラしているのである、今年は出出しが。

 だって原稿が進まないんだもの。年明けから今日までほぼ毎日、パソコンに向かって苦しみ、ベランダから海を見て、またパソコンに向かい、水槽を眺めて、またパソコンに向かい、テレビは見る物が何もないからほとんど見てないし。2日の昼から詫間の実家に帰ったのと、今日の昼、卒業生の真鍋が仕事の相談があるというので2時間ばかり喫茶で話したのが、この4日間の外出のすべてだ。

 ま、仕事を抱えた連休にはよくあることである。正月だと思うから、何か特別にダラダラ時間が過ぎてしまった気がするだけだ、ということにしておこう。今日は、仕事を2つ上げるまで寝ない! という気持ちはある(笑)。みなさん、明けましておめでとうございます。そのうち日記もエンジンかけていきますので。
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