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2011年08月の日記
2011年8月28日(日)

 何かうまい例えはないかといろいろ考えてみたんだけど、どうにもピタッとはまるのが思いつかないので、微妙に例えがずれているような気もするけど、何とか意をくみ取っていただければ幸いです。

 2年前にM家のH氏と結婚したわけです。私じゃないですよ。例えですから(笑)。結婚相手のH氏の人柄はまあ普通に見えたし、何より相手の家柄が良さそうだったので、まあH氏個人というより相手の家と結婚したみたいなもんだったわけです。で、M家の皆さんも「我が家はとても優しいですよ。うちに嫁いでくれたらこんなこともしてあげます、あんなこともしてあげます、あれもこれも買ってあげます」と約束してくれた。

 ところが、いざ結婚生活を始めてみるとH氏がどうにもマヌケで、親戚やらそこいら中に迷惑をかけまわってどうにもならん。とうとう我慢の限界に来て「離婚させてくれ」と言ったら、H氏が「離婚はしない。ただ、そこまで言うなら私は身を引いて、誰か替わりをお前の新しいダンナにあてがってやる。ただし、新しいダンナは当然うちの家族の誰かであり、誰にするかはM家の家族会議で決める。お前に決める権限はない」と言われた。

 家族会議の結果、K氏という新しいダンナをあてがわれた。ところがこのK氏がH氏に輪をかけてむちゃくちゃな人間で、家のことは何もしない、家のお金でよその家のお友達の世話をする、よその家のお友達をうちの家に上げようとする、家が壊れてもほったらかし…あまりにひどくて「いいかげんにしろ!」と怒ったら、「そこまで言うなら私は身を引いて、誰か替わりをお前の新しいダンナにあてがってやる。ただし、新しいダンナは当然うちの家族の誰かであり、誰にするかはM家の家族会議で決める。お前に決める権限はない」と。

 さらにM家は、最初に約束してくれたことをちっともしてくれない。家族のみんなが言っていることが違ってて、あてがわれたダンナの好き嫌い一つでやることがコロコロ変わる。「うちにはお金があるからあれもこれも買ってあげます」と言ってたのに、実はお金がなくて、買ってくれた物は全部借金だったり…。

 2年前の結婚は衆議院選挙で政権交代させたことですね。M家は民主党ですね。H氏は鳩山さんで、K氏は菅さんですね。M家の家族会議は民主党の代表選挙で、次々に勝手に新しいダンナを決められてあてがわれるのは国民ですね。こんなことが現実にあったら、たぶん「人権問題だ!」とか言ってM家は訴えられますよね。でも、今の日本の政治のルールは、こんなことがオッケーになっていますね。

 文句を言うだけでは何も解決しないので、解決策を探るためにまず問題点を抽出してみよう。
(問題点1)M家は「我が家はこんな家です。こんなことをやります」と約束したけど、それはその時の代表のH氏だけの意見で、実は家族みんな意見がバラバラ。つまり、「家の方針」がない。誰が代表になるかによって「家の方針」がコロコロ変わる。
→民主党が政党の体を成してない。基本政策を明示し、それに賛同する者が集まったグループが政党であり、そうでない集団は政党として認めるべきではないのではないか?
(問題点2)「家」と結婚したようなものだから、せめて「家の方針」がぶれなければ、あてがわれるダンナも「想定内」の違いで我慢できるだろうけど、最初の約束とあまりに違うひどいダンナが仕切り始めると、それはもう「別の家」だ。しかしM家は同じ家だと言い張り、誰が代表になるかはM家が自分ちの都合で勝手に決める。我々は「自分のダンナ」を自分で決められない。
→政権政党は代表が替わると少なからず政策が変わることになるので、代表が替わる時は解散総選挙を行って私たちが自分のダンナを決める、という原則を作るべきではないか?
(問題点3)そもそも、そんな家であることを調べもせずに結婚した「私」が悪いのであるが、自分一人では調べきれないので興信所に調査を頼んだら、的外れな調査報告ばかりが上がってきて判断を間違ってしまった。
→マスコミや評論家は、「政党政治」の原理原則をもう少し勉強して、国民の投票活動に本当に必要な情報を提示すべきではないか?

 みたいなことを悶々と考えながら、仕事がなかなか進まない毎日です(笑)。土曜日は大学のオープンキャンパスで出動。高校生がたくさん大学に来て、こちらはいろんな教室に分かれて大学の概要や授業の内容や大学生活等々について、高校生たちの質問に応対する。在学生も出てきて、高校生にサークル活動のPRをしたりしている。休憩時間にちょっとうろうろしていたら、将棋部のPRをしている教室に高校生が数人いて将棋部の在学生たちと何かやりとりをしていたのだが、その高校生が教室を出て来た時のあいさつを聞いて目が覚めた。

将棋部「じゃあ、よい将棋を!」
高校生「よい将棋を!」

 Have a good day! みたいなもんか?(笑)
2011年8月25日(木)

 「再生エネルギー特別措置法案」、ほんとに通すんですか? 誰も反対する人いないんですか?

 というわけで、私は文科系だから大ざっぱだけど、また計算してみよう。要するにあれはほとんど太陽光発電促進が目的だから、太陽光発電だけの計算ですけど、まずは基礎数値の確認から(何回も計算してたらもう覚えたわ)。

●太陽光発電の発電電力量…太陽光発電パネル1uあたり、年間「150kwh」
(計算根拠)シリコンパネルの出力平均1uあたり150wに、日照時間のピーク時換算で年間1000時間をかけると150kwhになる。
●太陽光発電パネルの設置費用…太陽光発電パネル1uあたり、「約10万円」
(計算根拠)市販のパネルの定価が1uあたり6〜8万円で、工事費とかを足してアバウト10万円くらい。
●初年度発電コスト…1kwhあたり、「667円」
(計算根拠)10万円÷150kwh(設置費用を全額原価に入れて計算)

 これをもって原子力発電に置き換えていこうという話だから、今度は原子力発電の初年度コスト計算をしてみる。

●原子力発電の発電電力量…1基あたり、年間「約80億kwh」
(計算根拠)関西電力の原発の年間発電電力量を見ると、稼働中の各基が70〜90億kwhなので、だいたいの平均で80億kwhとした。
●原子力発電の建設費用…1基あたり、「約3000億円」
(計算根拠)いろんなところの原子力発電所の建設費用がだいたい3000億円前後と書かれていたから。
●初年度発電コスト…1kwhあたり、「38円」
(計算根拠)3000億円÷80億kwh(建設費用を全額原価に入れて計算)

 なるほど、太陽光発電のコストは原子力発電の20倍近く高いのか。あと、原子力発電は核廃棄物処理費用が上乗せになるけど、太陽光発電も蓄電設備と送電設備が上乗せになる。それと、原子力発電は事故が起こった時に周辺に人が住めなくなるというリスクと補償金額が発生するとよく言われるけど、太陽光発電も広大な土地をパネルで埋め尽くすのだから事故が起こらなくてももともと恒久的に人が住めないし、恒久的に巨大な自然破壊になるから、原発のリスクだけを挙げるのも不公平でしょう。

 ちなみにどれだけの土地をパネルで埋め尽くさないといけないのかというと、これもアバウトな計算だけど、

*日本の総発電電力量=年間約1兆kwh
*原発の総発電電力量=年間約3000億kwh(全体の30%と言われているので)

 という基礎数値を信用して、原発の発電電力量を全部太陽光発電に置き換えるとすると、太陽光発電の1uあたり年間150kwhで3000億kwhをまかなうためには、何と「2000ku」が必要になる。これがどれくらいの広さかというと、香川県の面積が1876kuだぞ(笑)。ちなみに大阪府が1897kuで東京都が2187kuだ。もちろん、平地でなくて建物や家屋に屋根にパネルを載せると土地はつぶさなくてもいいけど、今度の法案は明らかに「売電ビジネス」推進の意図だから、個人宅の普及が飛躍的に増えるとはとても思えないし。

 で、その2000kuをパネルで埋める設置費用が、さっきの定価を単純にかけると「200兆円」! つまり、原子力発電を太陽光発電に置き換えようというビジョンは、
(1)200兆円を投入して、
(2)香川県全部を未来永劫人が住めなくして、自然も全部つぶしてパネルで埋め尽くして、
(3)日本の総発電電力量の30%だけをまかなおう
という姿を目指していることになる。それは、子孫に残すべき日本の姿なのか? しかもその200兆円は、税金なのか電気代アップなのか知らんけど、どっちにしても私らと子孫が被ることになる。菅直人首相や神奈川の黒岩知事はお金のことを言わんが、絶対私らと子孫が200兆円を被ることになる。

 太陽光発電の電力を電力会社に買い取らせることを法律で決めたら、
(1)太陽光発電業者は、作りだした電力はコストに見合う金額で必ず買ってくれるのだから、絶対に損をしない。仮に買い取り金額を低く抑えても、事業者が赤字になるのでは普及しないから、必ず税金か何かで補填することになる。
(2)電力会社は、買い取った電力を買い値に見合う値上げでカバーしてもよいという法律があるから、絶対に損をしない。

 原子力発電の20倍も高い電力を作り出して、「当事者である業者も電力会社も損をしない」となると、電気を使う国民と企業が損をするのは明らかじゃないですか。その総額は200兆円! 仮にコストダウンして設置費用が半分になっても100兆円! さらに原発の半分だけをまかなうことにしても50兆円! そんな「破綻の将来」に向かって後戻りできないようにする法律ではないかと思うのですが。

 ちなみに、電力の買い取り金額は政府が決めるのか第三者機関が決めるのか知りませんが、どっちにしても市場の需給で決まるのではなくて「お上」が決めることになるんでしょう。「お上が定価を決めるビジネス」は、介護保険と同じで必ず歪むと思います(税金投入で歪み、労働条件で歪み、競合の民間ビジネスを歪め、ひいては自由経済自体を歪める)。「買い取り料金の設定が難しい。高くすれば電気料金が大きく上がって国民生活を圧迫し、企業の国外流出を加速させる。低くすれば太陽光発電の旨味がなくなり、普及が遅れる」とか言われ始めていますが、そもそもこんなことをやること自体が歪んでいるんだから、最初からやらなければよかったんじゃないですか? 太陽光発電自体はいいことだと思うから普及するに越したことはないけど、こんな法律でビジネスを歪めるのは根本的に間違っていると思う。何か、崖に向かって突っ走り始めたような気がするなあ。私は崖に落ちる前に寿命が来て逃げ切れそうだけど。
2011年8月23日(火)

 手つかずの仕事を抱えたまま「計画ではまだ2週間ある…こっちはまだ1ヵ月ある…」とか思いながらプチ油断モードに入っていたら、もう月末だ。月日の経つのは速いなあ。今、「光陰矢のごとし」と書こうとして、頭にかつての文化人講座の名作、

●工員矢野、強盗し。

が浮かんだが、矢野も相当切羽詰まっていたのだろう。どこの矢野か知らんけど(笑)。ま、こっちもいずれ切羽詰まってくるのはわかっている。30年も学習してるからな。30年かけて「プチ油断したら切羽詰まってくることがわかった」ところまでしか学習してないとも言えるけど。そういうわけでこないだの日曜日、ねっくが東京から帰ってくるという迷惑な事件があって、仕方なく「ねっくの帰省による被害者の会」の会員・松村と3人で今年初めてのゴルフに行くことになってしまったのである。

 幹事の松村からは、事前に「直前の練習禁止。田尾さんは直前の洗車も禁止」というお達しが回ってきていた。しかし、私の車はあれから取材や何かで海から山から走り回って泥だらけになっていて、運転席側のドアの取っ手の横には鳥の糞まで付いている。さらに後部座席のマットには、こないだ学生たちと津島ノ宮大祭の取材に行った時に田んぼをつぶして白線を引いただけみたいな臨時駐車場を歩き回ったトミーの妹のサキが、石灰できっちり靴跡をつけとる。しかも日曜日のゴルフは私がこの車でねっくを拾って行くことになっているのである。

 ねっくごときだから汚い車のままでも全く問題ないのであるが、しかしできることなら私も晴れ晴れとした気分でゴルフに行きたいので、できればどこかのタイミングで洗車したい…と思っていたのが火曜日頃。で、週間予報を見ると「木曜日あたりから天気が崩れる」みたいなことを書いていたので、とりあえず車を洗わずにグッと我慢していたら、木曜日は天気が崩れそうで雨は降らず。その日も洗車を我慢したら金曜日も今にも崩れそうな天気が持って雨が降らず。「土曜日は雨」と予報されていたのに、また洗車を我慢したら雨は降らず。

 で、土曜日の夜、さすがに半年ぶりのゴルフで何の準備もなしに行ってブルーな結果になってもいかん…と思って打ちっ放しに行って160球も打ったら、左手の人差し指の付け根と右手の中指の付け根にマメができて、クラブも握れんぐらい痛くなって、翌朝、ねっくを迎えに行って「トランクは俺のゴルフバッグが入ってて窮屈やから、ねっくのゴルフバッグは後部座席に入れろ」と言いながら運転席で身体をひねって左手で後部座席を指さしたら、肩の筋を違えた。で、ゴルフ場に着いて時間が来てティーグラウンドに立ったら、雨が降ってきました。

 なんでやねん。洗車我慢したのに、セットで禁止された「前日の練習」まで雨を呼ぶんか。しかも前半の8番ホールの2打目地点で雷が鳴り始め、そこでコース内に大きなホーンの音が鳴って、生まれて初めて「避雷による中断」まで体験した。で、翌日月曜日はずーっと曇り。『うどラヂ』の収録を終えたら雨がぱらついてきたが、一晩越して今日の朝は雨も上がって雲がかなり高かったので、たまりにたまった汚れを落とすべく給油と洗車をしてがもうにうどん食いに行ったら、がもうの駐車場に着いた途端に雨が降ってきた。

田尾「今さっき洗車してきたら、雨が降ってきたわ」
ガモムス「もうー、今日の朝、表の客席にテント出すかどうか悩んでて、大丈夫やろということで出すのをやめたとこですよ。洗車する時は事前に連絡して下さいよ」
田尾「すまんすまん…って、何で俺が謝らないかんのや!」

 えー、がもうの店内、おっちゃんにうどんもらうところにカウンターができてます。さらに、奥の麺打ち機の前の席のところに引き戸が付きました。当局のお達しにより、創業以来の大改装(笑)を余儀なくされたそうです。
2011年8月17日(水)

 日付も変わった夜中の0時46分、夜更かし中らしいM岡からメールが来た。

*団長ブログにありました古地図の件ですが、「SEPTENTRIONALE」はフランス語で「北」とのこと。で、「ORIENTALE」は「東」なので、「MER ORIENTALE DE LA CHINE et SEPTENTRIONALE DU JAPON」は「中国の東、もしくは日本の北にある海」ってことになり、単に位置を説明してるだけか! みたいな表記でしょうか。

というわけでした。とりあえず「中国海」じゃなくてよかった(笑)。

 さて、今日は朝から大学に行って七転八倒しながら分厚い英語の本を解読してて、英語力の欠如から遅々として進まないまま、午後から夏休みに入って第1回目のインタレストの編集会議に突入した。夏休みに入る直前の8月3日以来、2週間ぶりのミーティング。今号は7月中旬に5本の特集それぞれの概要が決まって、すでに5チームに分かれて情報収集が始まっている。その後、毎週の編集会議で、編集長が各特集チームリーダーからの状況報告を受け、状況をもとに編集長が各リーダーに新しい指示を出し、各リーダーはその指示を元に各スタッフに指示をする…ということを繰り返しながら、特集の完成に向かって行く、その真っ最中である。

 ところが、何年もやっていてわかってきたのだが、学生の会議というのは「最初に決めたことを最後まで守ろうとする」という習性があって、何か根本的なところでうまくいかない、具体的に言えば「目的がすり替わってしまう」傾向があるのである。

 例えば、まず最初に、
(1)「読者を驚かせる」「読者に興味を持ってもらう」…等の目的を掲げる。
 いつも言っているように、目的というのは「誰(読者)をどうしたいのか」であり、編集作業はすべてそこに収斂される。迷った時は必ず「どっちがより読者に興味を持ってもらえるか?」を判断基準にして答を出す。つまり、「目的」というのは「作業の判断基準」なのである。で、次に、
(2)「どういう特集内容、および見せ方をすれば読者に驚いてもらえるか、興味を持ってもらえるか」の仮説を立てる。
 要するに、「先に掲げた目的を達成するのに有効な手段は何か」を考えて、「こういう見せ方にしたらいいのではないか」というのを決める。で、とりあえずその見せ方を実現するために必要な素材を集めにかかる。すなわち、
(3)「誰が、いつまでに、何の素材を集めるか」を決めて、みんなで取材活動を始める。
 ここまで、進め方としてはええ感じでしょ(笑)。ところがその後、さっきの問題が出てくるのである。どういうことかというと、毎週の会議が「進行状況の確認」に終始するのである。

「では進行状況の確認を始めます。○○チームから」
「えーと、目標は今週までにここまでやる予定だったのですが、ちょっと遅れて今、ここまでしかできてません」
「来週までにできますか?」
「がんばります」
「じゃ、次。○○チーム」
………

 実際はもっとやりとりが濃いのであるが、まあ概ねそういう進行になる。で、今日の会議もそういう流れになる恐れがあったので、私が頭から修正にかかったのである。

田尾「ええか? みんな、目的は何や?」
学生「読者をおもしろがらせることです」
田尾「そやろ? それで、どういう内容と見せ方にしたら読者がよりおもしろがってくれるかについて、仮説を立てて取材を始めたわけや。ええか? 仮説を立てたんやぞ。絶対的な答を立てたんでない。すると、毎週のミーティングでは、集めてきた情報が本当に読者をおもしろがらせることができるかどうかの判断をしていかないかん。集めてきた事実(情報)をもとに、仮説を修正していくんや。修正を繰り返して、最終の完成形を最初の仮説よりもっといいものに作り上げるんや。今、毎週の編集会議で何をやっているか? スケジュールの状況確認ばっかりやっとるやろが。目的が『読者をおもしろがらせること』でなくて『スケジュール通り取材を進めること』にすり替わっとるやないか」

 仕事というのは、まず目的を掲げることから始まる。「どうなったら目的が達成されたとするのか?」というところまでを詰めた具体的な目的を掲げることから始まる。次に、その目的を達成するための有効な手段をいくつか決める。しかし、たいていの場合、最初に決めた「手段」というのは「仮説」なのである。だから、やっているうちにもっといい手段が見つかったり、あるいは最初に決めた手段の良くない点が見つかったりして、そのつどそれを修正しながらよりよい結果を目指して行くものなのである。映画や演劇の脚本だってやり始めてからどんどん修正が入っていくし、完璧な設計図に基づいて始まった建設工事だって工事中に修正が入る。そうやってみんな、「よりよい結果」を求めていくのである。

 ところが、その手段を実行し始めた途端、その手段が仮説ではなくて絶対的な「目的」になってしまう人たちがいるのである。典型的な例として、国や地域をよりよくするという目的に対する手段であるはずの「憲法」や「行政の予算消化」の絶対目的化がよく挙げられるが、そこに「学級会(学生の会議)」も入れることにしよう(笑)。それにしても学生たちのこういう会議進行、どこで誰に教わってきてるんでしょうね。

 そういうわけで、今日の夕食はピッコロジジのスパゲティとピザとサラダと野菜スープでした。どうでもいい報告ですけど(笑)。
2011年8月16日(火)

 朝6時に身体が起きて、30分くらいかけてゆっくり頭を起こして、「今日は一日、仕事をせんとこ」と決めたらとてもすがすがしくなって二度寝をする(笑)。「安心して二度寝」は今年初めてかもしれん。

 8時半頃、二度目の起床をしました。パンを1枚食べて、9時頃からガントチャートの作成にかかる。仕事っぽいけど、「追われてない」という一点で、私の中ではこんなのは仕事ではない。9月末までの1カ月半のガントチャートを1時間くらいかけて作って、大まかな仕事のスケジュールを整理した。

 それから新聞を見てたら、韓国の何たらいう政治家が「日本海という名前は日本の植民地時代に押しつけられた名称で…」とか主張しているという記事があったので、本を読み返して自分なりに名称の歴史を確認。ついでに、数年前にハワイで見つけて買ってきた「世界の古い地図の本」を引っ張り出してきてめくってみる。一応確認できたのは、

・1600年代の世界地図には、日本海のところに名称の表記がない。
・1700年にフランスで書かれた世界地図に「MER DE JAPON」と書かれている。
・1720年にオランダで書かれた世界地図に「MER ORIENTALE DE LA CHINE et SEPTENTRIONALE DU JAPON」と書かれている。
・1740年にフランスで書かれた世界地図に「MER DU JAPON」と書かれている。
・1830年にドイツで書かれた世界地図に「COREANISCHE MEER」と書かれている。
・1840年にヨーロッパで作られたカード型地図の中に「SEA OF JAPAN」と書かれている。
・1851年にイギリスで書かれた世界地図に「JAPAN SEA」と書かれている。
・1860年にイギリスで書かれた世界地図に「Sea of Japan」と書かれている。

 ま、こんなもの確認しなくても日本海は昔から世界的に「日本海」なのだと思うが、少数意見も尊重すれば1830年にドイツだけが「韓国海」みたいなことを書いてますね(笑)。あと、1720年のオランダの表記に「中国」が見えるけど、後半の「SEPTENTRIONALE DU JAPON」の意味がわからん。

 みたいなことをやってて、昼は家内とはりやに行ったら大行列で、一福に行っても行列で、そこでうどんをあきらめて魚竹でウナギ食って来ました。それから授業準備の一環でネットでハワイのいろんな資料を集めて、夜は家でメシ食って、仕事部屋の片付けをしてたら古いレコードの箱が出てきて、何かスイッチが入ってユーチューブを見てしまいました(笑)。スージー・クアトロ、オリジナル・キャスト、チェイス、サンタナ、ショッキング・ブルー、マッシュ・マッカーン、メッセンジャーズ、クリスティー…そこからアン・ルイス、高田渡、バズ、ピンキーとキラーズ、石川セリ、ちあきなおみ、青江美奈、園まり…(笑)

 夜更かししたわ。さ、ぐっすり寝て明日から仕事モードに切り替えよ。
2011年8月15日(月)

 ふー…というかもう一発「ふー!」じゃ。久しぶりに原稿が「ドツボ」にはまった(笑)。

 その原稿に取りかかったのが8月8日(月)の夜。締切は14日(日)の昼なのだが、大学が夏休みに入って授業がないので毎日丸々1日使えるというわけで、まあ何とかなるだろうと思って、その日の夕方、西日本出版のU山さんが高松に来て打ち合わせを兼ねて家内と3人で「丸恵」に焼き肉を食べに行って、それから家に帰ってその原稿に取りかかったのである。とりあえず8日の夜は構想を練るだけで寝た。

 翌日9日(火)は、尼崎市の商工会議所から「何かアドバイスしてくれ」という依頼(笑)を受けてたので、別件の取材を兼ねて昼過ぎに大阪に入って、夜、尼崎商工会議所に行って10時半くらいまでディスカッションをして、その日は梅田で泊まる。翌10日(水)はまた大阪の梅田から灘波までいろいろ見て回って、夜帰宅。そこから本格的な苦しみが始まった。

 11日(木)。まとめる内容、というか素材は揃っているのだが、全体構成をどうするかで結局丸々1日かかっても構想がまとまらなかった。一般人には何のことかわからないと思うが、和Dならこの苦しみがちょっとだけわかるであろう(笑)。大きなブロックを「A・a」「B・b」「C・c」と3部構成で組み立てるか、あるいは「A・B・C」「a・b・c」という2部構成にするかで、脳ミソが袋小路に入ってしまったのである。この構成が決まらないと1行も書けない…というのが私の原稿書きのスタイルである。「書きながら構成を考える」タイプの人がとてもうらやましいが、私にはとてもできない。結局この日、1行も書けず。

 翌日12日(金)、ちょっと焦ってきた。S原から電話がかかってきて、明日の午後、家族で恒例のお盆の挨拶に来るという(私ら夫婦、S原の結婚の仲人をしたもんで・笑)。これはいつまでも構想の袋小路で往生しとる場合ではない、ということで、構想がモヤモヤしたまま「A・B・C」「a・b・c」タイプの組み立てで行くことにして、見切りで原稿を書き始めた。そしたらもう、書いてる途中で頭の中に30分に1回ぐらいの間隔で「3部構成の方がええんちゃうか?」というささやきが聞こえてきて…わかるか? 和D。このずーっと頭の中がザワザワしている感じ。ちょっと書いては頭から読み直して悩んで修正し、また書いては悩んで修正し、どうにもスッキリしないので途中で一から構成をやり直して「A・a」「B・b」「C・c」の3部構成型に変えて原稿を書き直し、やってみたらやっぱりどうもうまくいかなくてまた元に戻し…それが今日の明け方までずーっとやぞ。あ、締切遅れたのがバレた。

 週末の土日、S原家来襲と高松まつりの学生ボランティア軍団引率を間にはさんで、本日月曜日の明け方にやっと構想のモヤモヤが晴れて原稿が進み始め、午後1時半、終わりました。そういうわけです。本日、復活しました。今から実家に行って墓参りして、今日はゆっくり寝て、明日からD々がうっとうしがるぐらい日記更新してやる(笑)。いや、ウソです。明日からU山さんとS々木に頼まれた原稿3本が押し寄せてくる。ふー、また構想に1本3日かかるぞ…。週末にはねっくと松村に連行されて迷惑なイベントせなあかんし(笑)。
2011年8月6日(土)

 ものすごい量の仕事を抱えてもう1週間以上苦しんでいるのだが、日曜の朝までに仕上げないかん仕事が今、日曜の午前1時50分の時点で全然終わる気配がない。今、パソコンの左3分の2くらいのスペースにjeditの原稿ソフトを置いて原稿を書きながら、右3分の1のスペースにアメリカ・プロゴルフツアー「ブリジストン・インビテーショナル」3日目のライブ・リーダーボードを開いて数分ごとに変わるスコアをちらちら見ていますが…ひええー! 17番を終えて石川遼が11アンダー、1打差の単独トップに立った! あ、アダム・スコットが15番でバーディー取って11アンダーに並んだ! その後ろに10アンダーが4人も並んだー!

 あかんあかん、仕事しよ。
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