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2011年10月の日記
2011年10月29日(土)

 筋トレをやめて早1週間だ(笑)。あの後、月曜日には松本君から「あの日記見て、これは注意しておかないといけないとすぐに思ったんですけど、和田さんからチェックが入ってたみたいなんで一安心して…」と言われながら筋トレレクチャーを受けた。続いて火曜日には残念イケメン(笑)片山先生から「筋肉の性質と筋トレ」の立ち話講義を受けた。そしたら続いて勝谷さんから「筋トレに関してすごく心配になったので(笑)」というタイトルで、素人筋トレやメディアのいいかげんな筋トレ情報の危険性の説明と正しい筋トレスタイルのレクチャーメールが来た。和田も松本君も片山先生も勝谷さんもその方面のマニアックな実践者(笑)で、しかもみんな同じようなことを言うので、私はただちに「素人筋トレ」バージョンからこれまでの「有酸素運動」バージョンに戻すことにしました。

 えー、フィフティ・ショルダーは少し様相が変わってきまして、腕を後ろに引くと痛かったのが少し和らいできて、その代わり今までと違う動きの時にちょっと痛いという、よくなってきているのか痛みの個所が移動しているだけなのかよくわからない局面に入っています。血糖値はほぼ平常に戻って安定中…って、何の報告や(笑)。あと、『インタレスト』は締切前の追い込み中で、昨日の深夜の時点で全24ページ中14ページの原稿、割り付けを終えた(と松本君にちっちゃいパンチを出しておいてと)。月曜日は朝から補足取材で直島に行ってくる。11月第1週は、いつもの授業と『インタレスト』の締切と、あと大物2本の企画ものと原稿ものが締切を迎える。頑張るぞ−。あ、水槽に放ったオトシンクルス、メチャメチャ働いて水草のコケを全部食べ尽くしました。あれから数週間経つのに、全然コケが生えてこん。今、あいつら、水槽の奥側のアクリルガラス面にこびりついた頑強なコケをかじっています。お前も頑張れよ(笑)。
2011年10月21日(金)

 昨日の夜は、家でこの秋初めての水炊きをした(正確には水炊きを家内が作った、と書いとかないかん)。二人しかいないのでちっちゃい鉄鍋みたいなので作って食卓の上に置いて、その周りににぎわいでレンコンのきんぴらみたいなのとコロッケ1個とツボ漬けと、あと何か3品くらいを配して、ご飯をつけて食べ始めたのである。水炊きの具材は、豚肉と白菜、シイタケ、エノキ、あ、えのき君とこ(プーキー)何か今セールやってたな、あと、何かのツミレと絹ごし豆腐。で、うまいうまい言うて食べてて、特に豆腐が非常にうまかったのでそれを中心に攻めていたらあっという間に豆腐だけ先になくなって、仕方なく他の具材を攻めていたら、底の方から最後の豆腐の塊が出現した。

 こういうのは特に喜びが大きいですね。さか枝でうどん食って店を出て帰っている途中に歯の間からゴマが一粒出てきてプチッと噛んだ時のお得感みたいなのがある(例えが難解だが)。私は嬉々としてその豆腐をすくい出し、ポン酢の入った器に入れてさあ食べよう! としたその時、隣の仕事部屋で携帯が鳴ったのである。

 私は携帯電話をあまり使わないタイプの人間である。頻繁に電話をかけたり受けたりする仕事ではないし、電話でヨタ話をするような友達もほとんどいないから(笑)。さっき履歴を確認してみたら、ここ1週間の発信回数は4回だけ(そのうち家内に1回)、着信回数は11回(そのうち家内からが5回)という有様だ。しかも、全く携帯が鳴りもしない、かけもしないという日がこの1週間で3日もあるぞ。もちろん携帯メールなんかほとんどしないからゼロ。携帯電話とかタブレットを持っていなければ生きていけない、みたいな方々から見れば信じられないかもしれないが、実際そんな有様でもコミュニケーションに何不自由なく、楽しく充実した毎日を送ってまして(笑)、だから、こんな時間に家内以外から電話がかかってくると、「何事か?」と思ってしまうのである。

 食事を中断して仕事部屋に行くと、着信音が止まった。見ると、和Dからだ。何があったのだ? こないだ長々とした面倒な話の責任を全部振ったことで、何か大変なことが起こってしまったのか? 私はちょっと心配しながら、直ちにリダイヤルを押した。

田尾「何があった? 何かまずいことでも起こったか?」
和D「いやいや、そうじゃないんです」
田尾「何や、安心したわ。で、何?」
和D「田尾さん、筋トレ、毎日やったらいかんですよ」
田尾「え? いかんのか?」
和D「ダメですよ。筋肉は間を空けて休ませながら鍛えてやらないと身につきませんよ」
田尾「ほんまかー」
和D「というか田尾さん、目的は何なんですか。脂肪を取ってやせることですか? あるいはマッチョな身体を作ることですか?」
田尾「うわ、えーと…やせることではないような…けどマッチョな身体を作るつもりは全然ないし、何か“鎧”をな…例えばイスに座った時に背筋がピッと伸びるように…それには腹回りに鎧がいるやんか…」
和D「それ、目的をはっきり決めないと、ただ闇雲にやったら身体を壊すだけですよ」

 うわ、いつも俺がえらそうに言っている「目的と手段の整合性」、具体的な目的を決めないと、それを達成するための具体的な手段は絶対出てこない、いうのを和Dに指摘されたがー! おっしゃる通りです和D先生、ワタクシ、目的を見失っておりました(笑)。

和D「ちなみにですね、腹筋つけても腹回りの脂肪はそのまま外に押し出されるだけですからね。物理的に考えたら、ウエスト太くなりますよ」
田尾「やっぱりそうか!」

 実は和Dは、筋肉や脂肪のメカニズムにめっぽう強いらしい。彼は何と、ああ見えても(笑)フルマラソンは完走するし、ジョギングなんか「気がついたら10km走ってた」みたいなやつであることをすっかり忘れていた。すいませんでした先生、目的を整理して一から出直します(笑)。
2011年10月20日(木)

 今日の2コマ目の授業は「発想力開発論」の後期3回目の授業。私は今朝、その授業のためにいつもの3倍くらい時間をかけて「今日着ていく服」を選んでいたのである。ま、いつも5分で着替えてしまうところ、15分くらいかかっただけですけど。

 伏線は、先週の授業の最後の10分間にあった。その日、いつものように冒頭から全力で授業をやっていた私は、いつものように時間配分なんかあまり考えずにその場の様子を見ながら授業を進めていたところ、残り10分くらいになって一つ目のテーマの講義が終わってしまい、このまま次のテーマに入ったら10分では絶対に終わらないから途中で翌週に持ち越しになる、という場面を迎えたのである。そこで私は学生に振ることにした。

田尾「あと10分残しで次のテーマになったがー。どうするかー? 第一案、切りのいいここで止めて、今日は10分早く授業を終わる。第二案、このまま続けて次のテーマに入って、いけるところまで行く。ほな、採決するぞー。第一案がいいと思う人ー」

 そんなもん、学生はみんな10分早く終わる方がいいに決まってる(笑)。案の定、70〜80人くらいいる学生のうち20〜30人がニコニコしながらあちこちで手を挙げた。手を挙げてない学生はこういう場合、ほぼ間違いなくどっちにも手を挙げないから、まあ満場一致で「10分早く終わる方がいい」ということである。けどまあ一応聞いとくか。

田尾「じゃ、第二案がいいと思う人」

 すると、何と、前の方の席に座っている学生10人くらいが一斉に手を挙げたのである(!)。

田尾「ほんまかおい!(笑)」

 私は担当しているすべての授業について、最終レポートの一項目に必ず「授業の感想」を書かせている。「採点には関係ないけど、俺の授業改善の材料にするから好きなことを書いてよし」と言うと、結構みんないろんなことを書いてくれる。それらを参考にして、今年は本編に入る前のオリエンテーション的前振り部分で「本編はかなりおもしろそうだぞ」というニオイを例年以上に振りまいたのである。そのせいもあったのか、何と、残り10分だというのに「次の項目に早く入りたい」という学生が出てきたのである。そこで、先週は残り10分で全力で二つ目のテーマに入って、案の定、すごくオイシイ内容の途中で終わった。その続きが今日の授業であった。

 今日の授業は、私が編み出したアイデアを生み出す道具の一つ目、「分解して、類似品を並べて、組み替える」という手法の解説の続きである。サービス精神の塊である私としては、今日は先週のあの手を挙げた学生たちの期待以上に何としても応えてやらなければならない。そのためには、黒板に書きながらの講義だけではなく、ここは一つ、プロの実践例を現物で紹介しながら意識をさらに高めてやろう…。そう考えた私は、現物の恰好の材料として、私の持っているただでさえ突飛なテイスト(笑)のイッセイ・ミヤケの服の中でも「そこまでやるか!」みたいなのを選んで、自らそれを着て行って授業をしてやろうと考えたのである。

 けどなあ、さすがにこれはいかんわなあ(笑)…とか迷いながら、ま、そんなに迷うほどは持ってないのだが、とりあえず最強に突飛なのは避けて、しかしビジネスマンとしてはあり得ないデザインのジーンズと、色は黒だが首回りと裾がいびつにズレたデザインの「どう見てもカジュアル」の薄手のサマーセーターみたいなやつと、色は黒っぽく落ち着いてはいるが全面的にクシャクシャにシワだらけの、ビジネスマンとしてはあり得ないデザインのジャケットを選んで、それを着て学校に行って、午前11時10分、70〜80人の待つ教室に入っていったのである。

 今日はちょっと学生の数が少ないようにも感じたが、私は授業の冒頭から着ていった服をネタに説明を始めた。

田尾「今日はちょっとふざけた服を着てきたけどな(笑)、これはな、きみらには10年早い値段のイッセイ・ミヤケというブランドの服や(笑)。えー、先週から“分解して、類似品を並べて、組み替える”という手法の紹介に入りました。それを、今日はこの服を実例に解説するよ」

 そこから、これを買った時のエピソードを余談ではさみながら20分くらいツカミのトークをやって、いよいよ本題に入ろうとしたその時、10数人の学生がぞろぞろと遅刻して教室に入ってきたのである。

田尾「どしたんや、みんなえらい遅いやないか」
学生「え? 11時半からじゃないんですか?」
田尾「何でや?」
学生「今日はロングチャペルだから、短縮授業になって11時半からのはずですよ」
田尾「えーっ! 11時半からか!」

 11時10分から座っていた学生たちに聞いてみる。

田尾「今日の2コマ目、11時半からか?」

 10数人の学生がこっちを見ながらニコニコして「うんうん」とうなずく。

田尾「早よ言えよ!(笑)。というか、何で今日、ロングチャペルなんや。まだキリスト教強調週間でないやろ」
学生「何か、創立60何周年とかで…学外からスーツ着てネクタイ締めた人もたくさん来てましたよ」
田尾「ほんまかー」

 と言った瞬間、私は大変なことを思い出した! そうだ、今日は午後、評議員会だ! そのネクタイ締めてスーツ着た人たちは、学外から評議員会のために来た評議員の方々だ。午前中は創立記念礼拝に出て、午後、評議員会に出られる方々だ。そして、私も評議員だ。評議員会に出なければならない。しかし…しかし…何と今日に限って、こんなふざけた服着て来とるやないかああああー!!!!





 大学の理事長をはじめ、学長、副学長、その他学内外のえらい方々合わせて30人くらいが出席する今日の評議員会は、新任の方々も数名いらっしゃるということで、会議室において全員が一人ずつ立ち上がって自己紹介するという、私にとって大惨事になりました(笑)。私の自己紹介の番が来ました。私は立ち上がって、

田尾「社会学部の田尾と申します。今日は、直前の授業の関係でふざけた格好で来て申し訳ありません。次回からはちゃんとネクタイして来ますので、よろしくお願いします」

 で、会場の爆笑をいただきました(笑)。よし、ツカミはオッケーじゃ。オッケーやないわ!(笑) すんませんでした皆さん。
2011年10月19日(水)

 夏休み期間中は授業がなかったためか、9月下旬頃になるとずいぶん身体がなまってきて、身体全体を脂肪が覆ってきた感があった。授業がある期間は研究室から教室まで毎日何往復もするし、何しろ全力でしゃべって書くから、結構日常的にカロリーを多めに消費しているのではないかと思っているのだが、さすがにちょっと引き締めないかんかな…と思って、3週間ほど前から腕立てと腹筋をやり始めたのである。

 以前、うちの大学のスポーツ科学の片山先生(雑誌『TARZAN』の表紙に十分いける長身イケメン細マッチョなのに低レベルのオヤジダジャレを連発する、“残念カッコイイ”先生・笑)に聞いたところによると、「身体の脂肪を取ろうと思ったら、脂肪燃焼運動を中心にやること。筋肉は、体型を引き締める“鎧”だと思ってください」とのことで、しかし脂肪燃焼運動は効果が出るのにちょっと時間と期間がかかるから、とりあえず“鎧”で外枠だけ引き締めにかかろうと思ったのである。

 腹筋は床に仰向けに寝て、ベッドの下の隙間に足の先を入れて引っかけてやる。腕立ては、もう歳なので床に手をついてやるとすぐに限界が来るので、ベッドの縁とかイスとかに手をついて、まあちょっと斜めになった感じで負担を減らしてやる。最初は夜、風呂に入る前とか寝る前に腹筋と腕立てをせいぜい50回ずつくらいから始めた。で、継続するために、毎日スケジュール帳に「腹筋50回、腕立て50回」とか記録を付けていく。記録していくというのはすごい効果がありますね。「今日はしんどいから、明日、2倍やることにして寝るか」とか思っても、記録欄に「0」と記入するのが情けなくて無理してでもやってしまうようになるんですねえ(笑)。

 やり始めて数日で、「もうちょっといけるかな?」という感じになってきた。「1日腹筋50回・腕立て50回」でスタートしたのだが、3日後に「80回・80回」くらいになり、2週間目からは「100回・100回」、そして4週間目に入った今は毎日「200回・200回」を超えるまでになっている。鏡で見ると、胸の垂れていた肉が明らかに少し上がってきた。腹回りは胸ほどではないが、こちらも少し引き締まってきた感が確かにある。よしよし、これを3ヵ月ぐらい続けたら俺もいよいよ『TARZAN』の表紙か(笑)…とか思いながら、朝、着替えをしていてふと気がついたのである。

「何か、ベルトがちょっときつくなってきたんちゃうか?」

 指で腹を押してみると、表面は今まで通り脂肪でぽよぽよしてるが、その奥に、確かに数週間前より明らかに固い筋肉ができつつある。間違いなく筋トレ効果が出ている。なのに、ウエストが減ってないどころか、逆にふくれ気味とはどういうことなんだ? 絶対腹の奥の方に筋肉ができつつあるのは間違いないのに。奥の方に…奥の方に? え? これってまさか、脂肪の内側に“鎧”つけてるんか? その鎧が、腹回り表面の脂肪を押し出してるんやろか。どうなっとん、片山さん!(笑)

 ま、いずれどないかうまいことなるだろう。筋トレ効果の初期不良だということにしておこう。とりあえず、今のまま3ヵ月やってみる。時々峰山に登って脂肪燃焼運動もしながら。

 今日は夕方、あたりが真っ暗になるまで研究室でインタレストやいろんな原稿に取り組んでいて、気分転換に「あとは家に帰ってやろう」と思って片付けをして帰ろうとしたら、1階の玄関で多田(インタレスト8号編集長。みんなの1.75倍くらい大学にいて、大学に「すんません、もうこれ以上教えることがないのでこれくらいで勘弁して下さい」と言われて仕方なく出てやった、というくらいの勉強好き・笑)に出くわした。

田尾「どしたんや。単位が足りんのか(笑)」
多田「何でですか! もうとっくに働いてますよ」
田尾「すまんすまん、ベタなボケしてしもたわ」
多田「あ、今日、源成に“田尾さんがあんたのネタ、アップしとるで”言うたら、源成が“見たけど長すぎて途中で断念した”言うてましたよ」
田尾「よしよし、懲らしめられたな(笑)」

 まあみんな、先は長いから楽しくうまいことやっていってくれ。けどの、一生に最低10年くらいは死ぬほど働くんぞ。それも闇雲に働くんでなくて、ちゃんと知恵を出しながら死ぬほど働くんじゃ。それをやったやつは、10人中8人くらいが「やってきてよかった」と思うから。残りの2人は、どうしても不運なやつが出てくるので。けど、やらんかったやつは10人中9人が「やっとけばよかった」と思うぞ。あとの1人は、一生ラッキーで終われるやつね(笑)。
2011年10月18日(火)

 2日続けて長い文章を載せたら、勝谷さんから「何か辛いことでもあったんですか?」というメールが来た(笑)。見ろ、きみらが立て続けに妙なコメント依頼してくるから無理して書いたら、変なニュアンスが出ちゃったじゃないか(笑)。さらに今日は大学で阪本先生に「“うどん県”ですかー。田尾先生もいよいよ政界に進出するんですか?」と言われて目が点になりました(笑)。だから私は関係ないって(笑)。しかもあれは架空の県だし(うどん県も副知事も架空だけど知事だけは本人だ・笑)。みんな勝手にいろんなこと思い込んでるなあ(笑)…と、全部の文に(笑)つけて逃げたわ。

 今日の疑問。ニューヨークから始まったデモは日本の報道によると「収入格差是正」を叫んでいるそうだが、すると彼らは、今世界が賞賛しているスティーブ・ジョブズもバッシングしているのだろうか。ビル・ゲイツもマイケル・ジャクソンもマドンナも、よく知らないがサッカーのスター選手も、イチローも、石川遼もAKB48もダウンタウンもみんな「許すまじ!」なんかなあ。いや、彼らは高給を取ってもかまわない、ウォール街のマネーゲーム富豪だけに抗議しているんだ、というなら、「格差に抗議している」というのは「地域活性化」ぐらいアバウトで具体性のない見出しになるし…。ま、いいか。屁理屈だ。私の中じゃ屁理屈じゃないけど(笑)。

 今朝、学生のOが背中を丸めて肩を落として歩いていたので、

田尾「背筋をピッと伸ばして胸張って歩け」
O「いいんです。いつもこんな歩き方ですし、胸張って歩ける人間じゃありませんから」
田尾「アホ、こんなんは形から入るんじゃ」

 と言いながらすれ違いました。ま、今日は短くこんなところで。
2011年10月17日(月)

 ふう…3年か。長かったな。やっと真弓が阪神の監督を辞めるらしい。真弓が阪神の監督になる前、私はラジオで何度か真弓の野球解説を聞いて、その野球頭の悪さと勘の鈍さと気が滅入るような話しぶりにとてつもなく幻滅した。ところが、その真弓が阪神の監督になるという大惨事になったので、以来3年近く、阪神ファンを半分やめていたのである。こんな気持ちになったことは最下位続きの泥沼の時代にもなかった。だから、あれほど阪神ネタを繰り出していたこの日記に、この3年間、たぶん一度も阪神の話題を出してないはずである。ふう…今シーズンが終わったら、3年ぶりに阪神ネタ解禁だ(笑)。

 さて、予告通り源成を懲らしめるために(笑)「讃岐うどん巡りブームのプロモーション」について7年前(映画『UDON』の公開より前)に某所に書いた原稿を載せることにする。別に特別な意図もないのだが、昨日松本君ちにインタレストの原稿4ページ分を持っていった時に、松本君に「この讃岐うどんブームって、田尾さんが起こしたんでしょ? なのに今や、県も業界団体もまるで自分らの手柄みたいに吹聴してるじゃないですか。しかもやってることが、田尾さんたちがやってきたことの意味をまったくわかってないとしか思えんようなことばっかりじゃないですか」と言われたので、まあ20年も前に私らが何をやったのか、全部は載せられんけど端折って載せとくか…ということで。じゃ、長いけど行きます。というか、ここに全部入るんやろか。

空前の讃岐うどんブームの仕掛け
それは若者文化のマーケティングから始まった

 さて、自分で言うのも何ですが、私がここ10年来の空前の讃岐うどんブームの仕掛け人と言われるのは、私が1989年に当時の『月刊タウン情報かがわ』に連載を開始したコラム「ゲリラうどん通ごっこ」が今のブームの発端とされているからです。でも、じゃ、一体何をどう仕掛けたのかと言われると、ほとんどの人は知らないと思いますので、そのあたりの手法のさわりをちょっと紹介して、大げさに言えば「地域文化のマーケッティングとマネジメントの一例の一部分」を示したいと思うわけです。たぶん全部書いてたら一冊の本になりますから。
 本題に入る前に、今の讃岐うどんブームの大まかな経過を紹介しておきます。
 まず、1989年に私が連載を開始した「ゲリラうどん通ごっこ」は、それまでいろんなメディアで讃岐うどんが紹介される時の「郷土の名産」「歴史と伝統」「生活に密着した食文化」といった視点ではなく、「おもしろい」「楽しい」「怪しい」という全く違った視点で讃岐うどんを捉えた連載です。この新しい視点が、まず香川県内の若者の遊び心を捉え、1990年頃から、彼らが週末を中心に香川県内の「おもしろくも怪しいうどん屋巡り」というそれまでになかった動きを始めました。これが今の讃岐うどんブームの最初です。
 その連載が4年続いた1993年、今度は「ゲリラうどん通ごっこ」を加筆再編集した『恐るべきさぬきうどん』というタイトルの単行本を発行しました。これがどこかから全国ネットのマスコミに流れ、おもしろがった全国の雑誌やテレビが、かつてない紙面量と時間と頻度で全国に讃岐うどんを紹介し始めました。それによって全国の人が「おもしろそうな讃岐うどん巡り」を知ることになり、全国から“香川のうどんを食べ歩く”客が劇的に増え始めました。これが1995年頃からの、2つ目のブームのうねりです。人気穴場店の行列は、この頃からすでに始まっていました。
 その後、2000年に入ってもマスコミの讃岐うどん紹介はますます増え、それに伴って県外からのうどん巡り客も増え続けて、今日に至るわけです。こうした状況を背景に、県内のうどん店や製麺企業の多くはかなり売上を伸ばしています。さらに県内の旅行関連企業の間では讃岐うどん巡りのバスツアーや旅行パッケージツアーがいくつも始まり、レンタカー業界や宿泊業界も特需的に利用客が増えているようです。また2002年秋からは東京を皮切りに讃岐うどんのセルフチェーン店がこれまた大きなうねりとなって出店を始め、その勢いはまだ続いているようです。
 全国的には2002年秋からの東京を中心とする讃岐うどんの店の「出店ブーム」を指して「讃岐うどんブーム」と称する識者も多くいますが、それは正しくは、大きな捉え方としての「讃岐うどんブーム」の中の「出店ブーム」という一面ですね。その前に1990年頃から「香川県内の若者が讃岐うどんの店を巡るブーム」が起こっており、続いて全国のメディアの影響によって1995年頃から「全国の人が讃岐うどんを巡るブーム」が起こり、出店ブームはその大きな流れの上にあるというのが正しい認識だと思います。
 と、以上が今日までの讃岐うどんブームの、すごく大ざっぱなあらましです。
 では私は当時、何を考え、何を目的に新しい視点で讃岐うどんにアプローチしたのか、という本題に入ります。

ビジネスとしての目的

 1989年、「ゲリラうどん通ごっこ」の連載を始めた時、私は33歳で香川県内の若者を対象としたタウン情報誌『月刊タウン情報かがわ』の編集長をやっていました。編集長といっても、同時に全社の事業計画を立て、利益目標を持ち、その達成度によって評価されるという、マネジメントの現場責任者でした。会社の主な収入源は、月刊誌及び別冊等の出版に伴う販売収入と、同じく出版に伴う広告収入、そして編集ノウハウを生かした各種セールスプロモーションビジネスの収入の3本柱。これらの数字を伸ばすために、既存商品のボリュームアップと新しい商品の企画投入をやっていくというのが私の役割でしたから、編集長ではあるけれど、ただおもしろい本、売れる本を作ればいいという立場ではなかったことを先に述べておきます。これ、私の当時の行動動機においては一つの重要なポイントなので。
 余談ですが、ローカルの出版ビジネスでは「売れる本を作ったらビジネスとして成立する」という当たり前のような話が成立しないことが多いのです。というか、成立しないことの方が圧倒的に多い。「なぜだ?」と思うかもしれませんが、理由は簡単です。販売収入だけではやっていけない場合がほとんどだからです。
 例えば、1冊300円の月刊情報誌が3万部売れたとすると、流通マージンを差し引いて1冊当たり定価の70%程度が出版元に入ってくるとして、約600万円の販売収入になりますね。ところが通常のタウン情報誌の場合、製造原価は例えばカラーページを使って200ページくらいの本にして、返本率を考慮して3万5000部くらい印刷製本すると、デザイン制作費と印刷製本代だけですぐに販売収入分の600万円は飛んでしまうわけです。これでは人件費どころか、事務所経費も出ません。しかし、たいていの地方情報誌はこういう構造です。
 ちなみに全国誌の場合は、同じような体裁の雑誌でも一桁違う数十万部の販売部数がありますから(ま、それくらい売れる雑誌だけが生き残っているわけですが)、販売収入も桁違いで、対して印刷費や制作費はスケールメリットが出て部数比ほどは増大しませんから、販売収入だけでも大きな粗利益が出るわけです。けれど、ローカル出版では絶対的な人口が足りませんから、そういうわけにはいかないのです。
 では、こういう地方出版物の構造において、採算を取るにはどういう考え方があるか。
 まず一つ目は、今どこの地方出版社もやっている「広告収入でカバーする」という方法です。広告収入は、1冊200円、300円という販売収入に比べると桁違いの収入が獲得できるので、地方の出版事業で採算を取るために最も有効な手段であり、不可欠の手段なです(ただし広告収入を優先するとデメリットも発生しますが、それはまた別の長い話になりますからここでは触れません)。
 二つ目は、先の数字を見ればすぐに気づくと思いますが、「印刷製本費の安い本を作る」という方法です。わかりやすく言えば、例えば印刷費のかかる「カラーページ」を使わない、制作費のかかる「デザインレベルの高いページ」を作らない…といった方法。しかし売れなければ何にもなりませんから、要するに内容で勝負する読み物系の本を作るということです。
 このうち、私のやっていた本体の『月刊タウン情報かがわ』は情報誌という雑誌の性格上、また競合や読者ニーズの環境上、モノクロの安上がりの本にするわけにはいかなかったので、前者の「広告収入でカバーする」という方法を推し進めるしかありませんでした。ただ、多分に付加価値型の商品である情報ビジネスにおいて、広告収入に頼り切るような収益構造はいずれ閉塞感と体力勝負による疲弊を生み出すという直感があった私は、これを柱にしながらも、平行して二つ目の「印刷製本費の安い読み物系の出版」をすでに試みていました。それが、『月刊タウン情報かがわ』で創刊から連載していた「笑いの文化人講座」という読者投稿コーナーの単行本化です。
 「笑いの文化人講座」という投稿企画は『月刊タウン情報かがわ』創刊号から私が満を持して開始した人気コーナーで、私が同社を退職した1年後まで、21年間にわたって連載を続け、単行本はこれまでに24巻を数えています。地方出版界では異例の「単行本としての大成功」を収めた別冊シリーズです。「笑いの文化人講座」の企画戦略については、これも一つの大きなテーマになるので紹介の機会を改めますが、収益構造を簡単に言えば、「600万円くらいの販売収入を上げられる本が、100万円くらいの原価(印刷製本費とデザイン制作費)でできる」という感じですね。しかも内容は本誌に連載したものの再編集ですから、原稿を新たに書く必要もない。多少の修正、加筆で簡単に単行本ができるわけです。ただし、販売収入の600万円は、「一冊200円の収入で2万5000部」のような構成ではなく、「一冊600円の収入で1万部」という感じです。そのあたりの戦略感覚についても、長くなるので別の機会にします。
 この形のローカル出版物の成功のポイントは、当たり前のことですが、ただ一つです。
「素材(内容)に、1000円前後の高い値段でも1万部くらい売れるだけの魅力があるかどうか」
 これに尽きるわけです。「PRしないと売れないじゃないか」と思うかもしれませんが、そこもうまくできているんですね。これ、本誌で連載をしてからの単行本化ですから、連載を通じてしかるべき人たちには十分すぎるほどPRができているわけで、単行本発売時には最小限の告知で十分なんです。
 「笑いの文化人講座」は1982年の創刊時から本誌に連載を開始し、1987年に単行本の第1巻を発刊、翌88年に第2巻を発刊。当初は定価680円で、すぐには販売1万部に達しませんでしたが(最終的には長期販売で1万5000部くらいまで売れた)、「これは定番化できる」との手応えは十分ありました(実際、現在出ている24巻まですべて高収益の本になった)。そこで私はその頃から、これに続く読み物系の「本誌連載〜単行本化」の、第2弾、第3弾のネタをかなり真剣に探していたのです。さらに言えば、いずれ将来、5本、10本のコンテンツを擁して安価な製造原価の出版シリーズを事業化したいという展望を、漠然と持っていました。そんな時に偶然出会ったのが、「怪しいうどん屋」という素材だったのです。

若者文化の視点

 1989年のある日、私は知人に昼食に誘われて高松市郊外の中北という怪しい(笑)製麺所に連れて行かれました。これがことの発端です。
 その店は、家の横にある納屋のような建物の中でうどんを作っており、おそらく作ったうどん玉の卸しが主な生業だったのだろうと思いますが、昼頃になると近所の人とか仕事で通りかかる常連の人とかが、間に合わせのダシと薬味と天ぷらなんかでついでに食べさせてもらっていたんですね。そこでは何というか、仮にも飲食店であるのに、あるがままの、あまりにも日常的な“緩い”コミュニケーションが営まれていました。このあたりの店の雰囲気はもうみなさん、このブームですから説明の必要はないでしょう。
 実はそれまで、私はうどん屋といえば普通のうどん屋さん(席に着いたら注文を取りに来てくれて、待ってたらできあがりを持ってきてくれる店)か、普通のセルフの店にしか行ったことがありませんでした。だからこのスタイルのうどん屋さんには、この日初めて出会ったわけです。確か店内には(というか、納屋の中には)2、3人の先客が、まるで我が家のように自然に、うどんをもらってダシや薬味を入れて…と動いていました。私も同じようにしてうどんを食べたわけですが、感想はですね、「うまい」とか「ここちよい」とか「安い」とか「怪しい」とか「おもしろい」とか、感じたことはいっぱいあったんですが、何より一番の感想は「これはいけるかもしれん!」でした。
 実はこの「いける!」という感覚を持った理由をわかってもらうために、冒頭から長々と私の関わってきたビジネスの説明をしてきたのです。それでもわかりにくいかもしれませんが(笑)。しかしここは、一つの大きなポイントです。最低限、冒頭から書いてきたこれくらいの背景がないと、普通の人は「新しい素材を発見」できたりしないと思います。よく成功した人の話を本やテレビで見ていて「偶然見つけた」とか「ハッとひらめいた」とか紹介されていますが、あれはたいていの場合「ものすごい問題意識やテーマを持っていつも探していた」から見つけたのであり、発見できたのだと私は思っています。
 では、どう「いける」と思ったのか。
 ここまでの流れを読めば、私が「これは“讃岐うどんブーム”にできる」と感じたのではない、ということはおわかりでしょう。私は「これは『月刊タウン情報かがわ』で連載できる。連載しながらいずれ採算の取れる単行本にできる可能性がある」という意味で、「いけるかも」と思ったわけです。
 ここでもう一つの重要なポイントが出てきます。
 「『月刊タウン情報かがわ』で連載し、その読者に興味を持ってもらって、単行本化した時にはその読者を中心に売れることを期待する」ということは、企画のターゲット、商品のターゲットは『月刊タウン情報かがわ』の読者、すなわち10代中盤から20代後半の「若者」であり、あるいは30代以降でも若者の感覚やライフスタイルを持つ人たちであり、さらに『月刊タウン情報かがわ』は香川県内でしか発売していませんから「香川県内の若者」であるということです。
 このあたりまで来ると、「うどん屋」という素材と「香川県内の若者」というターゲットが出ましたから、ビジネスマンならこの後の戦略を組み立てられる人が出てきますね。でももう私がやっちゃったから、ごめんなさい(笑)。
 では「この後の戦略」の私が採った方法をなぞっていきます。
 まず、連載〜単行本化を目的にすると、素材の数が揃わないと話になりませんから、素材集めを開始しました。と言ってもそんなたいそうなことではない。最初は簡単な聞き込みです。知り合いとか、いろんな所を移動していそうなタクシーの運転手や郵便配達の人やおまわりさんや車で走る営業マンの人に「こんなうどん屋ない?」とか聞いて回る。すると、パラパラとその手のうどん屋さんの情報が出てきました。これで第一段階はオッケーです。たぶん無理すれば1年間の連載、12回分は何とかなる。あとは戦術の一つとして、本誌で連載しながら読者からも情報が集まってくるような仕掛けをすれば(これは得意分野なので)、うまくいけばかなり先まで連載が可能で、単行本化も見えてくると判断しました。
 次は、集まってきた素材の取捨選択です。実はこれが非常に重要で、今回のブームにまで発展した最大の要因がこれだと、私は断言します。
 取捨選択の基準は、
「ターゲットである香川県内の若者(特に『月刊タウン情報かがわ』の読者)は、何におもしろがるか」
の1点です。これについては、創刊以来7年間の誌面やイベント等を通じた読者との2WAYコミュニケーションで、彼らの指向はかなり掴んでいたつもりです。すなわち、大きく捉えると彼らは讃岐うどんに関して、「歴史」「伝統」「格式」「豪華さ」あるいは「郷土の名産」「生活に密着した食文化」といった切り口では動かない。それより「おもしろそう」「楽しそう」「何か怪しそうだぞ」「発見がある」といった要素に動く、といった感じです。そこで私は、今回の企画のコンセプトを「おもしろい」「楽しい」「怪しい」という3つのキーワードに絞り、讃岐うどんを「食事」ではなく「レジャー」の視点からアプローチすることにしたのです。
 繰り返しますが、これはまったく「若者文化」の視点です。たぶんそれまで、讃岐うどんをそっちの方向からアプローチした例はなかったと思います。その結果、必然的にそれまでマスコミによく登場していた有名店や豪華な店、格式のある(あるいは格式を標榜する)店などは連載の選外になりました。意図的にではありません。コンセプトとターゲットを決めたら“必然的に”そうなるのです。戦略とはそういうものです。
 ちなみに連載が話題になり始めると、いろんなところから「あの店を紹介してくれ」という、明らかにつきあいがらみ、仕事がらみの依頼が来るようになりました。読者や仲間から来る情報はかなり企画意図を正しく捉えた“上ネタ”ばかりだったのですが、主に年輩のちょっとした肩書きの着いている方々から来る紹介依頼は、この企画のコンセプトからすればことごとく「選外」の店ばかり(笑)。こういう物に関しては、読者の方がはるかに物事がわかっていますね。断るのに苦労しましたが、これはかなりおもしろい現象でした。

誰を、どうしたいのか

 さて、戦略上最も重要なポイントは「素材の取捨選択」、すなわち店選びですが、戦術上の最重要ポイントは「誰を、どうしたいのか」という目的を具体的に決め、それをイヤと言うほど頭にたたき込んでおくことです。これを決めておかないと、効果的戦術など決められるはずがない、というか、それ以前に効果的な戦略も出てこないというのが私の経験則です。
 例が適切でないかもしれませんが、私の守備範囲の例を一つ挙げると、例えば雑誌や新聞やテレビでレストランを紹介する時のキャッチコピーに、
「白で統一した明るい雰囲気の店内」
とかいう感じのコピーをよく見ます。こういうのを、「誰を、どうしたいか」を決めていない、魂の抜けたコピーと呼びます(笑)。こういうコピーで読者(視聴者)に情報をお伝えする人は、一体どんな読者を、どうしたいのでしょうか?
 お店の情報を第三者に伝える場合、たいていの場合は突き詰めていくと「読者にそのお店に行ってもらいたい」という目的に集約されますね。その目的をしっかり決めておくと、どう書くのが一番効果的かが決まってきます。例えばこういうふうに考えていきます。
 あなたが自分の友だちに、そのレストランにいってもらいたいという目的で、対面でお勧めするとしましょう。あなたが「あそこのレストランはいいから行ってみて」と言うと、友だちから「何がいいの?」と返ってくる。その時にあなたはまず、「あのレストランは、店内が白で統一された明るい雰囲気なのよ」と言いますか? それで友だちに「じゃ、行ってみよう!」という気を起こさせることができるか、という話です。
 たぶん違いますよね。常識で考えればレストランをお勧めする時はメニューでしょうし、雰囲気で引っぱりたいのなら、魂を込めれば「白で統一した明るい雰囲気の店内」みたいな腑抜けたコピーには絶対ならない(笑)。でも、あなたは文章でお勧めすると、そう書いている(笑)。
 いずれにしろ、誰かを動かしたいという目的でプロモーションする場合は、「自分なら」「目の前にいるこの人に言うなら」とかいった“人間”を想定したところから戦術を練ることです。そうでないと「見てくれはいいけど全然響いてこない」という結果になる。情報を伝えるメディアを見ると、そういう紹介の仕方ばかりです。今は、周りにそうした“魂の抜けたプロモーション”がいっぱいありすぎるから、一つ一つが目立たないだけですね。
 うどんの話に戻ります。店選びのコンセプトが決まったら、次に「どう見せるか、どう紹介するか」という戦術の検討に入ります。ポイントは、「私が初めて中北と出会った時に感じた驚きをいかに読者に伝えるか」です。あの驚きが十分伝えられたら、私が動いたのだから私の感覚についてきてくれている読者は必ず動いてくれる、というわけですね。すると、この狭い香川県だからこそできる、驚きの最高の伝え方があることに気がつきます。それは、「実際に彼らに、私と同じ目に遭ってもらう」という方法です。
 通常の店紹介(紙媒体)は、キャッチコピーがあって、店名があって、写真があって地図があって住所や営業時間や定休日といったスペックがあって、10行とか20行の紹介文をつけるというスタイルです。その紹介文も、店内の雰囲気、お勧めメニュー、店の歴史、店主のこだわり…といった内容です。でも感動を伝えて動いてもらうために「彼らに私と同じ目に遭ってもらおう」という目的を決めて、その目的を実現できそうな手段を並べてみると、必然的に、
・写真は載せない(私は店の前に立って初めてその納屋みたいなたたずまいにびっくりしたのだから、彼らに先に写真を見せてはいけない)
・詳細地図は載せない(その後の私の探検では、迷いながら探して探して、見つけた時の喜びが楽しさを倍増させてくれたから。ただし、全く地図を載せないと最初から行く気をそいでしまう恐れがあるので)
という見せ方が有効になってくるのです。
 これは、最初の方に言った「コンセプトを決めると必然的に有名店が選外になった」という話と全く同じです。大げさに言えば「それまでの慣例を打ち破った視点」ということになりますが、なに、戦略をたどっていけば単に「目的を決めて、ゼロベースで有効な手段を並べたらそうなった」というだけの話です。というか、世の中のたいていの事柄は、目的を決めてゼロベースで有効な手段を並べてそれに優先順位をつけて実行していけば、いい慣例は残るし悪い慣例は廃棄するという形になります。それができないのは、エゴやしがらみといった「感情」を優先するから。たぶんそれだけでしょう。
 さて、これに加えて、驚きや感動というのはそこに至る経過があってさらに増幅されるので、これは10行や20行の紹介文でいわゆる「結果」だけを書いたのではダメということで、結局私や仲間たちの「お笑いと驚きの“針の穴場”探訪記」という形にすることが決まりました。
 かなり端折りましたが、以上が今の讃岐うどんブームの発端となった「ゲリラうどん通ごっこ」およびその加筆再編集単行本『恐るべきさぬきうどん』の、あのスタイルを決めるまでの主な手法です。ポイントは、
(1)誰を、どうしたいのかを決める。
(2)そのための最も効果的と思われる手段を、ゼロベースで考える。
という2点に集約されると思います。繰り返しますが、香川の若者をターゲットとするタウン情報誌で、香川の若者をおもしろがらせてうどん屋に行かせるために戦略を立てて仕掛けた、というのが、私が最初にやったことです。

オペレーションの開始

 連載を開始すると、さっそく読者からの反応が来ました。最初の半年くらいは「紹介された店にさっそく行ってきました」「おもしろかった」「うまかった」というハガキが大半でしたが、半年を過ぎた頃からハガキの内容が目に見えて変わってきました。「私の家の近所に、こんな店があります」「先日どこそこで何やら怪しいうどん屋を発見しました」という情報が寄せられ始めたのです。なぜそういうハガキや封書が増え始めたのか?
 それは、自分で言うのも何ですが、私が情報が集まるように仕掛けたからです。その手法は、企画を立てる時の手法とは比べものにならないくらい緻密で繊細なものなので、うまく説明できないかもしれませんが、例えばこんなことをやるのです。
 店の探訪記の書き出しを、時々「だれそれからどんな情報が入ってきて、それをほったらかしていたらまた別のだれそれから同じ店を指す情報が入ってきて、ついに探検に出かけることにした」みたいな経緯から始める。そこでついにその店にたどり着いた我々が、めちゃめちゃ驚き、おもしろい体験をしてレポートする。すると、読者は「自分も情報を送ったらああいうふうに扱ってくれて名前も載せてくれる」とわかって、情報を探して送ってくる。
 探訪記に固有名詞をバンバン載せながら紹介する。するとその近くに住んでいる人はすごく親近感を持って読んでくれ、また自分の近所がネタになって欲しいと思って情報を探して送ってくる。
 つまんない情報を送って来た読者の中で、「こいつはいじってもオッケー」と思われる読者はわざと「つまんないぞ」とツッコミを入れながら載せると、いじられたい読者が一層投稿意欲をかき立てられる。
 たまに、情報を寄せてきた読者を編集部に呼んで、一緒に探検に出かけてその模様を連載に載せ、他の読者からちょっと「うらやましい」と思わせる。
 こういうことを連載の中で、直接「情報をお寄せ下さい」と呼びかけるのではなく、ほのめかしながら、うらやましがらせながら、ちょっと突っついてみたり、無視してみたり…何か、どこかの本に書いてある恋愛の指南みたいになってきたけど(笑)、そういうことをあの手この手で連載の中にちりばめて、投稿意欲をそそるわけです。実際はここに書いたほど簡単な仕掛けではありませんが。
 いずれにしろ、これが功を奏して連載は読者の興味をガツンと捉え、情報が集まり始め、実際に人が動き始めたわけです。こうなると後は、連載の文章力と構成力の世界に入ってきます。地域性やうどんのジャンルにバリエーションを持たせながら、掲載順を考えたり、前編・後編にまたがる大ネタを入れてみたりしながら、マンネリ化しないように、読者を飽きさせないように、あらゆる可能な手段を駆使して引っぱっていくわけです。
 こうした読者との2wayコミュニケーションが成功したため、連載が2年目に入る頃には読者や仲間からの情報があふれ始めて、「ゲリラうどん通ごっこ」はもはや長期連載になるのが決定的になりました。そして連載4年目の1993年、待望の単行本『ゲリラうどん通ごっこ』の発刊が実現したわけです。

タレントの発掘とプロモーション

 連載が3年目頃になると、オペレーションは第二段階に入りました。テーマは「タレントの発掘」です。簡単に言うと、連載を通じてにぎやかになってきた「讃岐うどんを楽しむムーブメント」の中に、地元のいろんな讃岐うどんに関するキャラクター、人材を登場させるということです。
 この手法は、「笑いの文化人講座」の成功の過程においても試みたものです。「笑いの文化人講座」では名物投稿者を何人も、いや何十人も生み出しました。彼らはただの中学生だったり高校生だったり大学生だったり、あるいは社会人だったりしたのですが、誌面でこれまた緻密な戦術を駆使しながら人気者に仕立て、「『月刊タウン情報かがわ』の読者」という狭いコミュニティの中ではありますが(それでも回読率を換算すると10万人近いコミュニティではあった)、イベントやラジオ番組、テレビ番組にも出演してファンがつくまでになりました。自分のサインを持ってるやつもいたし(笑)。
 これと同じやり方で、「ゲリラうどん通ごっこ」および『恐るべきさぬきうどん』の読者の間に人気と知名度のある“うどんタレント”を作ろうとしたのです。その結果、連載やうどんイベントを通じて「麺通団メンバー」「麺聖」「うどん王グループ」「高高(高松高校)うどん部」をはじめ、多くのローカルうどん有名人が次々に登場しました。彼らはただのサラリーマンだったり、公務員だったり、居酒屋やラーメン屋の大将だったり、テレビのディレクターだったり、学生だったり、あるいはおもろいうどん屋のおっちゃんやおばちゃんだったり、ただの客だったり…と、「笑いの文化人講座」の時と同じ、何の権威も重い肩書きもない人たちばかりです。なぜそういう人たちばかりがピックアップされるかというと、これも先述した、「誰を、どうしたいか」という目的から入ると必然的にそうなるという話です。すなわち、「レジャーとしての讃岐うどんをおもしろがる人たちを、もっとおもしろがらせたい」という目的で、「どんなキャラクターがおもしろがらせることができるか」というのをゼロベースでピックアップしたら、それまでの讃岐うどんの世界で権威や肩書きのある方々は我々のプロモーションの必要条件である“おもしろキャラクター”としては適していなかったというだけのことです。
 もう一つ、オペレーションの第二段階としてなぜ「タレントの発掘とプロモーション」をやったかという話です。これは、企業活動でもあてはまることですが、一人の人間が仕掛けて一人の人間が引っぱっていくというのは、初期段階では「決断が早い」とか「強烈な個性が出せる」とか、立ち上げに不可欠のメリットがいくつもあるので有効なのですが、一旦軌道に乗り始めると、今度は一人におんぶしているとその一人のキャパシティ(物理的にも頭脳的にも)以上にプロモーションや事業が大きくならないのです。
 考えてみれば当たり前のことです。一人でやるより、大きなくくりで同じ方向(この場合は「讃岐うどんをもっともっとおもしろがる」という方向)を向いた
多くの人が動く方が、プロモーションは何倍にも広がっていきます。私はそれを狙ったわけです。

讃岐うどんを「おもしろがる」視点

 こうして仕掛ける側に多くの「人」も取り込みながら、私はさらに細かい戦術を繰り出し続けました。我々が何をおもしろがっているのかを象徴的に示すために「怪しい」というキーワードを意識して使い始め、また、私の意図する「怪しい」の意味をよりイメージさせるために、うどん店を3つに分類して「一般店」「大衆セルフ店」「製麺所型店」というカテゴリー名を付け、そのうちの「製麺所型店」を「怪しくもおもしろいうどん店」の象徴として集中的に取り上げ続けました。もちろん一般店や大衆セルフ店の中にもおもしろさを持ったうどん店はあったのですが、最初からそういう店もちりばめてしまうと焦点がぼけて、プロモーションのインパクトが大きく損なわれてしまう。それでは大ヒット企画に育たないことが多いのです。
 案の定、というか予想以上に、この「製麺所型店集中プロモーション」は見事に全国のマスコミの注目を集めることに成功しました。1990年代に、「ゲリラうどん通ごっこ」および『恐るべきさぬきうどん』を見て私に連絡があり、麺通団団長の私や麺通団メンバーが出演したりアドバイスをして「穴場讃岐うどん巡り」の大きな特集を組んだ雑誌、テレビ番組はこんなにあります。

1992年
・柴田書店「そば・うどん」に麺通団団長(私)が寄稿。(6P)
・JTB「旅ノート四国」に団長が寄稿。(カラー2P)
・テレビ東京のグルメ番組で麺通団が武田鉄矢とうどん屋を巡る。

1993年
*「ゲリラうどん通ごっこ」をまとめた『恐るべきさぬきうどん』第1巻発売。
・JAL機内誌「ウインズ」が穴場讃岐うどんと麺通団を紹介。(カラー4P)
・日テレのグルメ番組で麺通団が吉村明宏とうどん屋を巡る。

1994年
*『恐るべきさぬきうどん』第2巻発売。
・RSKの情報番組「VOICE21」が穴場讃岐うどん番組(1時間)を放送。
・日本創芸教育「そば・うどんの知識」に団長が寄稿。(4P)
・フジテレビの全国リレーグルメ番組で団長が穴場うどんを紹介。

1995年
・女性向け情報誌「レタスクラブ」で穴場讃岐うどん紹介。(カラー4P)
・柴田書店「そばうどん」で穴場讃岐うどん大特集を掲載。(カラー&モノクロ41P)
・JAS機内誌「ARCAS」が穴場讃岐うどんを紹介。(カラー4P)
・マニアックな若者向け趣味雑誌「FANGORIA」が「恐るべきさぬきうどん」を紹介。(1P)
・テレビ東京グルメ番組で団長が志垣太郎とうどん屋を巡る。
・NHKハイビジョン放送で団長が讃岐うどんを語る。

1996年
・『恐るべきさぬきうどん』第3巻発売。
・RSK「VOICE21」が第2回穴場讃岐うどん番組を放送。

1997年
・トレンド情報誌「DIME」が穴場讃岐うどんを紹介。(カラー3P)
・女性向け情報誌「Hanako−WEST」が穴場讃岐うどんを紹介。(カラー2P)
・料理雑誌「dancyu」が穴場讃岐うどんを紹介。(カラー6P)
・RSK「VOICE21」が第3回穴場讃岐うどん番組を放送。

1998年
・第1回「讃岐うどん王選手権」開催。
・RSK「VOICE21」が第4回穴場讃岐うどん番組を放送。
・NHK「ひるどき日本列島」で団長が白井貴子と山越に行く。
・テレビ東京「そば対うどん」に麺通団らが出演。
・「讃岐うどん全店制覇攻略本」発売。
・J−WAVEで団長が穴場うどんを紹介。

1999年
・RSK「VOICE21」が第5回穴場讃岐うどん番組を放送。
・第2回「讃岐うどん王選手権」開催。
・RSK「VOICE21」が第6回穴場讃岐うどん番組を放送。
・京阪神エルマガジン社「シティマニュアル四国」が穴場讃岐うどんを紹介。(カラー2P)
・「AERA」が麺通団と穴場讃岐うどんを紹介。(カラー4P)
・TBS「おはようクジラ」に麺通団らが出演。
・NHK−BS「おーい日本」が穴場讃岐うどんを紹介。
・北海道新聞が穴場讃岐うどん巡りブームを紹介。
・四国新聞が穴場讃岐うどん巡りブームを紹介。
・「サライ」が穴場讃岐うどんを紹介。(カラー2P)
・「るるぶ」が穴場讃岐うどん特集を掲載。

 2000年代に入ると、もう書ききれないほど多くの雑誌、新聞、テレビ、ラジオが、讃岐うどんの紹介を始めました。そして改めて注目すべきは、そのほとんどすべてが、「穴場讃岐うどん巡り」をテーマに、製麺所型のおもしろくも怪しいうどん屋の紹介ばかりだということです。もちろん、私がそうアドバイスしたこともありますが、彼ら全国のメディアも最初から怪しさとおもしろさに情報価値を見出してそれを求めて来るのですから、全く「讃岐うどんをおもしろがる」というコンセプトに共感したということでしょう。
 もう一つ注目すべきは、こうしたメディアによる「穴場讃岐うどん巡り」の情報発信によって全国から押し寄せ始めた人たちが、圧倒的に20代、30代の若者層であるということです。田舎の納屋のようなうどん屋に並んでいる行列を見れば、若い女の子同士のグループやカップルといった、それまでそんなうどん屋には全く見られなかった客層の人たちがとても多いのがすぐわかります。これは、今のブームが「若者文化」をベースにしていることの証明です。
 この他、私のやってきたプロモーションは情報発信だけでなく、「讃岐うどん王選手権」や「讃岐うどん巡礼88カ所」をはじめとするイベントもたくさんやってきましたが、いずれも遊び感覚が前面に出た「おもしろがる」イベントばかりです。今回の讃岐うどんブームの出発点および以後の仕掛けについて、私は一貫して「若者文化」の視点と「讃岐うどんをおもしろがる」という視点で進めてきたのが、少しわかってもらえたかと思います。この間、私は讃岐うどんの「歴史」「文化」「技術」といった要素には、全くと言っていいほど触れませんでした。理由は、何度も言いますが「若者をおもしろがらせて動かしたい」という目的に対し、彼らがそれまで「歴史」や「文化」や「技術」ではあまり動かなかったからです。
 近年は我々麺通団をはじめとする“讃岐うどんをおもしろがるセグメント”以外の、行政や企業や学者の方々も「讃岐うどんプロモーション」に乗り出してきています。ますますにぎやかになってうれしい限りですが、「誰が、何をおもしろがっているのか」という今のブームの根本を理解してプロモーションしないと外れてしまいますし、ヘタすると人気に水を差してしまうことにもなりかねません。そんな心配がちょっとあります。ちょっとだけですけどね。
2011年10月16日(日)

 こないだの水曜日の午後1時半前、インタレストの編集会議が始まる前に、編集長の重責から解放されて余裕の助監督にあぐらをかいているトミーが報告してきた。

トミ「田尾先生、香川県が『うどん県』になったの知ってます?」
田尾「おー。今朝、東京の日経新聞の人から電話がかかってきて、何かチラッとそんなこと言いよったわ(笑)」
トミ「でね、県の観光のホームページを見たら何か変なことになってるんですけど、絡んでないですよね」
田尾「絡んでない」
トミ「やっぱり。どこ探しても田尾先生の名前がなかったんで、ちょっと安心しましたけどね(笑)」

 とかいう話でお茶を濁そうと思っていたのに、翌日木曜の夕方、インタレスト2代目編集長の源成が久しぶりに研究室にやってきて言うのである。

源成「田尾さん、あの『うどん県』のやつ、見ました?」
田尾「またその話か」
源成「何かコメントせんのですか?」
田尾「うーん、あんまりないけどな」
源成「ダメですよ、こういうニュースに団長がコメントしないと、団長の面目丸つぶれですよ」
田尾「もともと面目ないからええわ(笑)」
源成「でも今、ツイッターであの話題に田尾さんが何てコメントするか、いうて盛り上がってますよ」
田尾「そんなもんで盛り上がるか!」
源成「ほんまですよ。今、ネットやツイッターの話題で『田尾』いうたら、元楽天の田尾が阪神の監督になるかどうかと『うどん県』に田尾さんが何てコメントするかの2つしかないですよ」
田尾「ウソつけ(笑)」

 ま、「そんなわけねーだろ」であろうが、しょうがないなあ。日経新聞の方とトミーと源成には話したけど、私の基本的な視点ぐらいは書いとかないかんのかなあ…とか思っていた金曜日、またトミーが編集室にいたので「源成に“ツイッターで俺のコメント出せ”いうて盛り上がっとる言われたが−」と言うと、トミー曰く「それ、源成さんの周りだけじゃないですか?(笑)」と言われたので、「やっぱりな、無理して日記に書くまでもないわ(笑)」という結論に達して、それから締切迫るインタレストの仕上げに没頭していたのである。

 土曜日の夜、和Dから着信が入っていた。いつものようにケータイを携帯せずに仕事をしていたので、着信に気づいた日曜日の朝、和Dに電話した。そしたら、「田尾さん、『うどん県』についてどうお考えですか?」って(笑)。どないなっとんじゃ。一つの話題でこんなに短期間にあちこちからコメントを求められたの、近年記憶にないわ。あれ、そんなにみんなの注目の話題なんか(笑)。

 トミーも源成も和Dも、さらには一番最初にかかってきた日経新聞の方も、全員に共通して感じられたのは「なんかえらい話題をまいたようだけど、あれは行政のやることとしてどうなの?」というニュアンスである。でも、せっかく話題をまいたのにそんなことを言ったら「話題をまいたからいいじゃないか。なぜそんなうがった見方をして水を差すんだ」と言われてしまう(実際に言われたらしい)。だからここは一つ、行政に批判的な田尾さんにガツンと、みたいな期待らしい。君らなあ、俺を矢面に立てて溜飲を下げようという魂胆か!(笑)ただし、言うとくけど私は行政に対して「まず反対ありき」みたいな、イデオロギー団体とか“好き嫌い”で意見を言う人と同じようなメンタリティではないから、ひょっとしたら褒めちぎるかもしれんぞ(笑)。

 さてと、行政が何かをやることに対する私らの見方のスタンスは「私らの税金を使って何をする?」であり、評価のスタンスは「それをやることによって私らにどれだけの豊かさがもたらされるのか?」である。極論すれば、行政の施策に対する私ら住民のスタンスはそれ以外にはない。もしあれを「おもろいやん」とか「つまらんわ」とかいうふうに、例えればauとかグリコとかが作って流したCMを好き嫌いで評価するのと同じメンタリティで見るなら、それは「我々の税金を使って我々が豊かになるような施策を行う」という行政の基本的役割を認識していない、行政の施策を「自分たちと関係ない所がやっていること」と思っているということだ。それがオッケーになる場面は、お金が余って「何かおもろいことやろうぜ!」と言えるような時ぐらいでしょう。企業で言えば、auやグリコが(ま、他のあらゆる企業全部同じですが)お金が余っている時に企業メセナみたいな感じでお金を使う…みたいな時ですね。でも今は、明らかにそんな状態ではないことは、今さら私が言うまでもありません。

 さて、企業経営では、作ったCMが例えどんなに話題をまいても、その結果売上が上がらなければ(会社や社員が豊かにならなければ)0点である。あるいはCMに使った以上のお金を回収できなければ0点、というよりほとんどマイナスである。一方、行政が行うべき「地域経営」も、税金を使ってやったことがどんなに話題をまいても、その結果、使ったお金以上に地域の企業や店や住民が豊かにならなければ0点である(今回いくらお金を使ったかは報道されてないですね)。ただし、地域経営の場合は「豊かさ」を回収するスパンが企業より長くてもいいと思うので、例えば「うどん県」のプロモーションを行ったことによる「豊かさのリターン」を、わずか数日のホームページアクセス数やツイッターの盛り上がりで評価するのは、根本的に評価基準が違うでしょう。

 とすると、そこから先はマーケティングの話になる。行政はマーケティングの世界に馴染まない、という人がたくさんいるが、お金(税金)を使って成果を上げるのだから、行政にはマーケティングの手法が絶対に必要である。お金が潤沢な時代は「お金を使って、成果はまあええか」でよかったかもしれないが(よくはないけど)、そんなことをやり続けてきたから地域が停滞してきたのである。以前にも書いたが、お金を使って成果を上げるマーケティングの基本的工程としては、例えば企業なら、

(1)「利益を上げる」という具体的な目的を掲げる。
(2)プロモーションの対象(エリア、お客さんの属性等)を決める。
(3)プロモーションのプランを並べる。
(4)対象のニーズを分析し、どのプロモーションプランが最も目的(利益を上げる)に対して有効かを判断する。
(5)プロモーションを実行する(販路の確保、宣伝、営業等)。

 という感じで進めていく。行政の地域経営も成果を上げようと思えば、基本的には同じ工程でプロモーションをやらなければならないと思う。そこで、これに従って今回のプロモーションを見ていくと、まず、目的は何だろう。まさか「話題になればそれで成功とする」といった金持ちの道楽みたいな目的ではないだろうから(ほんまにないだろうな)、基本的には「地域を豊かにする」という目的であると信じておくことにしよう。具体的には、今回の場合は「うどんを食べに来る県外客を増やす」「県内のうどん関連企業や店の売り上げが伸びる」みたいなことですかね。で、ああいう形の発表ですから、ターゲットは「全国」の老若男女、属性は特に絞ってないと思われる。それで、全国から「うどん」で人を呼んでお金を使ってもらうために、「うどん県宣言」というプランを採用し、香川県出身のタレントを使ってプロモーション映像を作り、それをツカミに讃岐うどん情報を発信するホームページを作ったと。

 となると、こいつが成果を上げるかどうかは、その内容にあるわけです。すなわち、「うどん県宣言」は話題をまいて「ツカミはメチャメチャオッケー!」でスタートしました。で、ホームページの中に入ってみたら「うどんを食べに行きたくなる情報、香川に行きたくなる情報が満載!」とつながっていれば、これは成果が出て来ますよね。今回の投資額は報道されてないけど、県の予算からすればおそらく微々たるものだと思うから、少々でも観光客が増えれば十分リターンはとれるような気がする…と思って「うどん県」のホームページを見たら、行きたくなるようなワクワクする讃岐うどん情報じゃなくて、内容が「組合ニュース」だ(笑)。

 私の意見。ツカミはオッケーだけど内容がちょっと残念、という感じですね。内容が「行政と組合と讃岐うどん研究会」といういわゆるブーム以前の旧勢力の情報発信になっています。旧勢力の方々は讃岐うどんの歴史において非常に多大な貢献をされ、讃岐うどん界の基盤を築いて来られているのだが、言っちゃったら身もフタもないが、1990年来の空前の讃岐うどん巡りブームは、その旧勢力以外から起こったのである。ブームのプロモーション期における両勢力を乱暴に対比すれば、

<仕掛け人の主体>
(旧勢力)県の所轄部署、讃岐うどんの組合(組合に加盟しているうどん店は今、全900軒くらいのうちの100軒以下)、さぬきうどん研究会
(ブーム勢力)麺通団、県内外の讃岐うどんファン

<両勢力の店の基本的な構成>
(旧勢力)有名一般店、組合における力関係上位のうどん店等
(ブーム勢力)それまで讃岐うどん界からほとんど無視されていたような製麺所型店、一般店や大衆セルフ店のうち「おもしろい素材」を持った店

<ブームのプロモーション期において行った情報発信の内容>
(旧勢力)特になし。それまで通り、既存予算の中で讃岐うどんの文化、歴史、技術と、行政や組合の取り組みを紹介(「さぬきの夢2000・2009」、「世界麺フェスタ」「年明けうどん」、各種讃岐うどん普及活動報告、イベント等)
(ブーム勢力)「おもしろい、楽しい、怪しい」をキーワードに、組合に加盟しているかいないかに関係なく、そういうポテンシャルを持った店の「行きたくなる情報」を紹介。讃岐うどんを「郷土料理、讃岐の食文化」としてではなく、「レジャー」として紹介。

<プロモーション費用の主な出所>
(旧勢力)税金、組合等のお金
(ブーム勢力)TJ-Kagawa(麺通団団長がやっていた会社)のお金(使ったのは本の制作費くらいで、すべて本の販売収入で回収しました・笑)、全国のメディアのお金(ほぼすべてパブリシティで紹介してくれた)、讃岐うどんファンやブーム勢力のお店の自費による数々のPR協力

 という感じである。ま、本題に関係ない対比も勢いで書いてしまったけど(笑)、要するに「人を呼びたい」のなら、「讃岐うどん巡りに来てくれている全国の人が何をおもしろがって来ているのか」というマーケティングの基本を意識してないと、プロモーションの成果が上がらないと思うのである。けど、あのホームページは「人を呼んでお金を使ってもらう」というマーケティング戦略で成果を上げていない手法のまま情報発信をしている…というのが私の印象ですねえ。ちょっと前、旧勢力関係の讃岐うどんの大きな会合で知事が「この讃岐うどんの盛り上がりは業界関係者の努力の賜です…」みたいな挨拶をしていたと新聞に載っていたが、もちろんそういう会合ではそういう挨拶をしなければならなかったのかもしれないが、もし本気でそう思っているなら根本的に讃岐うどんマーケティングの本質を間違っているし、これからも間違うと思います。

 繰り返すけど、今回の「うどん県」のプロモーションは、話題をまいたから「ツカミはオッケー」だと思う。けど、それに連動すべき後ろのプロモーションがない、という感想である。かつて、高松競輪が「ごめんなさいねー、ごめんなさいねー、あなたの予想に添えなくて〜」というCMを作って全国ネットでおもしろCM第1位に選ばれて話題をまいたのと同じ、「ひこにゃん」や「カツオ人間」みたいなキャラクター戦略も同じ、数々の「イベント」も同じ。「話題をまく」ことと「地域が経済的に豊かになる」ことは連動しているように錯覚するけど、後ろのプロモーションがしっかり構築されていないと連動しません。機関車は動いたけど連結器が紙でできているみたいなもんです。

 もちろん、「地域を豊かにする」という目的を掲げないのなら整合性はとれるから文句を言うつもりは全然ないし、「話題になればいい」というだけの目的なら大成功、というか中成功したから(すぐに忘れられるだろうから)オッケーだと思います。でも、全国の地方県はもうバブルの頃からずっと「話題づくりだ」「地域の知名度アップだ」という同じようなことを20年もやっていて、結果この20年でGDPを伸ばしたのは東京と神奈川と愛知と三重と沖縄くらいしかなく、その他の県は軒並み貧しくなっていることを思うと、根本的に行政はマーケティングを勉強し直して「地域経営」の戦略を考え直した方がいいのではないかと、かように思うわけです。

 すいません、数人の読者の期待に応えて心にもない意見を書いてしまいましたが、これでええか? 和Dー(笑)。よし、最後の一行で責任は全部和Dに振ったぞ(笑)。あと、源成が「最近日記が飛びすぎる」と文句を言ってきたので、こらしめるために明日、7年前に私が別のところで書いた「讃岐うどんブームのプロモーション」の原稿のダイジェストを載せてやろう。1週間分の文字数あるぞ(笑)。
2011年10月11日(火)

 「年金支給開始を68〜70歳に引き上げ」案が出ているというニュースを聞いて「もう年金なんか払わない方がいい」と思った人が全国5000万人くらいいたと思われるが(笑)、あまり長生きをしたくないという主義の私も一瞬そう思いましたよ。しかし、ニュースを情緒でなくて原理原則や数字で判断するように心がけている私はそれから冷静になって、ちょっと計算してみましたね。つまり、今、年金の納付を拒否して、その代わり「もらえなくてもいい」としたら、いくら払わなくていいか、いくらもらえないか、それを計算してどっちが多いか比べてみる。そしたら、単純計算でどっちがどうなのかが何となくわかるだろうということで。

 ま、自分個人にとって損か得かは計算である程度予測がつくけど、そうすることが日本の社会にとっていいのかよくないのかは、社会の原理原則に照らし合わせてよく考えないとわからない。で、とりあえず「いいかわるいか」の考察は難しそうなので置いておいて、一つ思ったのは、年金給付額の計算ってメチャメチャ面倒ですねえ。条件を記入してクリックしたら計算してくれるサイトがあるけど、自分で計算根拠を確認しようとしたら、複雑すぎて心が折れる。

 「複雑なものはたいてい原理原則から外れて何かが歪んでいる」というのは、都村さんがよくおっしゃる原理原則。かつて、IPCCがCO2を悪者にしたデータを発表した時、「スーパーコンピューターを使って11万ステップのプログラムを持つ巨大なシミュレーションモデルを計算した」という発表を聞いて「こういうモデルは数千ステップを超えると、コンピューターの中で何が起こっているのか誰にもわからなくなる。そんな誰も説明できない“人知を超えた”プロセスから出て来た結果を信じるなどというのは、もはや宗教の世界だ」と言われて、私は目からウロコが落ちたのだが、まあ年金計算はそれほどバカなレベルではないけど、いろんな思惑が入って複雑になって(歪んで)きたんだろうなあ…と思いました。それで何となく、今回のニュースもあまりよくない方向に進んでいるんだろうと。広義の「増税」みたいなもんですよね。

 さて、3連休はずっと仕事をしていました。ま、いつものことですが。で、日曜日の夕方6時半頃、たまにはええもん食べに行こうと、家内と車に乗ってマンションを出たのである。出てすぐに「木場さんとこ(フランス料理のボワ・エ・デュポン)行くか」と思いついて、家内が木場さんとこに「今から行こうとしてるんやけど」と電話をしたら、執事(笑)のおじさんに「お客さんが一杯で木場さんてんてこまいやから、1時間半ぐらいあとにして」と言われた。しょうがない、「じゃあ、行く時にもう一回電話します」と言って、そのあの辺で時間をつぶすために、7時前にペットショップのプーキーに突撃したのである。熱帯魚コーナーに行くと、いつものエノキみたいな「えのき君」(笑)がいました。

 熱帯魚と水草はアミーゴの方が店が大きくて種類も豊富なのだが、あそこは店員がよく替わるので、店員といろいろ話しながら情報ももらいながら時間を過ごすには、私的にちょっとよそよそしい感じになる。でもプーキーに行くといつもえのき君がいる(笑)。ということで、何となく今、プーキー7割、アミーゴ3割くらいの感じで行っているわけです(マスター、知久平、こういう客の意識をよーくつかまえとけよ・笑)。

 で、この日はとても大きな収穫がありました。かつて、水槽の中のタニシと数ヵ月にわたる戦いを繰り広げてこれに勝利した私であったが、その後、水槽のライトを1本足したせいで今度はコケとの戦いになっていたのである。光量が増えるとコケがどんどん増えるのである。それをこまめに拭き取っても拭き取っても、コケ公はすぐに復活してくる。ガラス面のコケは激落ちスポンジで拭き取り、90センチ水槽の中で森状にレイアウトされている各種水草も時々取り出して葉っぱに付いているコケを一枚一枚ていねいに落とし、水槽の水もそれなりに定期的に半分ずつくらい替えているのだが、あいつらほんまに際限なく復活してくる。コケを抑える薬だとかマットも使ったのだが、ほとんど効き目なし。光量を落とせばいいと言われたが、落とすと今度は美しいけど体力のない水草の方が衰えて枯れていく(そもそも水草を元気にするためにライトを1本増やしたのだ)。その窮状をえのき君に訴えたら、

えの「こいつ入れたらコケを食べますよ」

 と言って、超ミニナマズみたいな魚を勧められた。オトシンクルスとかいうやつらしい。

えの「90センチ水槽で水草がいっぱいなら、20匹ぐらい入れたらかなりコケを食べてくれますよ。どんなコケですか?」
田尾「何か、茶色い細かいのがワーッと。あと、黒いヒゲみたいなのも少々」
えの「茶色いコケはこいつが食べます。緑色のコケだったらたぶん食べないですけど」
田尾「好き嫌いがあるんか」

 ま、私も緑色の春菊と三つ葉とピーマンと中国野菜は食べんが。

田尾「ほな、とりあえず試しに15匹買うわ」

 ということで、見てくれは美しくないがそいつを15匹。ついでにしばらく魚を増量してなかったので物色していたらスイッチが入って、結局5〜6種類、合わせて40匹ぐらい、さらに水草も買ってしまった。これは今晩、うちの水槽が化けるぞ! 我々は早く帰って水槽作業を開始すべく、近くの山かつでサクッとトンカツ食ってる時に…

田尾「あ! 木場さんとこ、電話する言うてほったらかしや!」

 ま、ええか。また今度、店が暇そうな時に行こ。気を取り直して魚と水草にワクワクしながら家に帰って、夜だというのに水槽の水を一気に3分の2くらい替えて、水草も半分くらい洗ってレイアウトをし直して、魚の入ったビニール袋をしばらく水槽の水に馴染ませてから40匹を広い水槽に放った。すると、最初は軽く戸惑っていたオトシンクルスが葉っぱに付いたコケに気がついて、さっそくあちこちでせわしなく食べ始めたではないか! よーく見ていると、薄く茶色になった葉っぱが、オトシンクルスがせわしなく動く端から緑色になっていってるではないか!

 あいつら、ほんまにええやつです(笑)。メチャメチャ働きます(エサ食ってるだけだけど)。今や、ほとんどの水草の葉っぱのコケがなくなりました。やつらは今、水槽の角にこびりついたわずかなコケまで食っています。うーむ、それも食べ尽くしたらどうするんやろ。えのき君がちらっと「普通のエサも食べますけど、しまいに葉っぱもちょっと食いますよ」とか言ってたような気がするが…。
2011年10月7日(金)

 先週末に授業準備に怒濤の追い込みをかけて差し切れず(笑)、今週の月曜日からバイシクル・オペレーション状態で後期の授業に突入しました。ほんまに、毎年毎年何回同じことをやってるんだろうと思って記憶をたどってみたら、どうも9年連続だ。大学に来始めて9年目ですが(笑)。

 「9年もやってたら授業の準備なんかしなくても行けるでしょう」とよく言われるのである。確かに教科書をなぞって行くだけような授業とか、その場限りのフリートークみたいな授業とか、「授業をやること」が目的の授業をやってれば、慣れさえすればほとんど準備なんかいらないのだろうけど、私はどうもいかん。「お客さんに興味を持ってもらわなければ成果が上がらない、会社が倒れる」というビジネスの世界に25年もいた性(さが)で、毎年「去年と同じように流す」いうのが何かキモチワルくてできんのよなあ。カウンターの向こう側(商品やサービスを受ける側)で20年やってきた学生たちに、「社会に出た途端カウンターのこっち側(商品やサービスを作って提供して、それに納得してお客さんにお金を払ってもらう側)に来る」という意識を教えたくて、そこで成果を上げて自分が成長してやりがいとリターンを得ていくために役に立つ道具(手法)を教えたくて、授業でどういう内容をどういうテイストで提供すればよりよい成果が上がるのか…みたいなのを毎回修正してしまう。ま、言ってみれば私も大学で学生(お客さん)を相手にマーケティングをやっているようなものであるから、「これでよし」という毎年通用するような正解のないマーケティングの世界では、努力の種が尽きないのである。ちょっとええように言い過ぎたか(笑)。

 で、とりあえず今週、何とか無事に後期第一回目の授業を滑り出しました。講義型の授業が5本(うち2本はオリエンテーションだけちょっとやって、本編は非常勤講師としてマングース佐伯が担当することになった)、演習型の授業が4本。来期からこの上に演習型授業が4本も増えるので、授業と平行してその新規科目のプログラム作成と準備が加わってくる。うーむ、来期から週10〜12本の授業体制か…何とか早めに手を打たなければ。

 さてと、このところ新聞やテレビが小沢さんの裁判で紙面と時間をずいぶん費やしていますが、何かキモチワルイ感じに満ちあふれているなあ。ストレートに言えば、報道側に悪意が満ちあふれているという感じである。普通に法治国家日本の司法制度から言えば、一回、検察が証拠不十分で起訴を断念した段階で被告は法的に無罪になったはずなのだが、その後、検察審査会という司法の素人の「やってねえわけねえんだ」という「庶民感情」とやらの部分で強制起訴され、そこでまた証拠はないが「やってねえわけねえんだ」という感情で裁かれ、さらに大マスコミがこれまた「やってねえわけねえんだ」という感情で一人の個人を抹殺しようとしているように見えて仕方がない。

 昔、立川談志が免田事件の元死刑囚について「証拠はないけど、やってねえわけねえんだ」という趣旨の発言をしてマスコミや世間から袋叩きにあったのを覚えている人もいると思うけど、今度は、司法当局とメディアと世論が「証拠はないけど、やってねえわけねえんだ」と言う方に回っているように見えるんですが。対象が一般人なら許されないけど小沢さんなら「証拠はないけど、やってねえわけねえんだ」がオッケーになるのか? 「疑わしきは罰せず」という日本の司法の大原則は、小沢さんだけ例外なのか? あるいは政治の世界だけは例外なのか? 私は法治国家でそんな例外が認められるという話は習ったことがないのだけれど。

 私らが井戸端会議で「絶対やってるよな」とか会話するのは自由なんだろうけど、この状況は法治国家ではなくて人治国家、「人民裁判」とか「魔女狩り」の領域に入ってしまってないですかね。私は別に小沢さん支持じゃないけど、法治国家に所属する一国民として、原理原則は守りたい。だから冷静に司法制度の原理原則に返って、裁判で判決が出て確定するまで、「疑わしきは罰せず」の原則を踏み外した報道は無視することにしている。立川談志の発言の時に「人権問題だ!」と言って立川談志を糾弾していた「人権派」やメディアの方々は、今回も「人権問題だ!」と言って小沢叩きしているメディアや個人を糾弾しないんですかねえ。

 などと言いながら報道を見ていた家内が、さっき、ベランダで育てていた細ネギをちぎってきて、洗って刻んでいました。聞くところによると、家の中でネギを育てている家庭は香川県内に結構あるそうなのだが、香川県以外ではそんな習慣はほとんどないらしい。で、我が家ではそうやって育てて収穫して刻んだネギをタッパーに入れて冷蔵庫に保管しておいて、味噌汁やめんつゆの薬味にその都度利用しているわけですが、そのネギが底をついてきたので今日、家内が再収穫してタッパー1杯分ザクザクと切っていたわけです。そしたら、しばらくして「あーっ!」という声が聞こえてきた。見ると、まな板の上に山盛りになったネギを前に、家内が呆然と立っている。

田尾「何?」
家内「この刻んだネギの山の中のどこかに、私の爪が入っとる…細かすぎて何ぼ探しても見つからん」

 長く伸ばしていた爪の先が細かく数回、ネギと一緒に刻み込まれたらしい(笑)。刻んだネギを一旦全部水につけて、沈んだ爪は取り除いたらしいのだが、どうも刻まれた爪の全部ではなさそうな気がするらしい。我が家はこれからしばらく、緊張感のある味噌汁が出てくることになるようで(笑)。
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