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2012年04月の日記
2012年4月30日(月)

 「ゴールデンウィークの授業がないうちにインタレストの最終原稿をかなり仕上げる大作戦ガントチャート」は、第一関門の「土・日・月の用事が入っている3日間の合間を縫ってまずは2ページを仕上げる」をクリアした。しかも、何と土曜日の午前中に2ページを上げて、その夕方に松本君にデザイン発注するという、3日間の初日にクリアするという好調な滑り出しである。

 しかし、日、月は全くダメでした。火曜日から「1日3ページ目標」という過酷なスケジュールが始まるので、ちょっとでも先に進めておこうと頑張ったのだが、土曜日の昼からの用事が予定外に困難を極めた上、その日の夜から翌朝にかけて、関係者以外は松本君だけが知っている想定外の過酷なイベント(笑)が入ってしまって、そいつが祟ったのと構成を考えるのにかなり手間取ったこともあって、2日間でたった1ページしか進まなかった。けどまあ、とりあえず最初の3日間を終えて、ガントチャートの計画に対して1ページ先行中。

 今回のインタレストは特集4本の予定であるが、
・ありきたりの素材であるが、切り口を変えて編集することによって斬新な企画にする。
・ただの素材情報であるが、いじり方を変えて編集することによって無理やりおもしろい企画にする。
・多くの人がほとんど意識していない現象であるが、あえて注目することによって興味深い企画にする。
という、授業としては、あるいは編集技術としてはなかなか高度な過程を踏んでいると言える。「言える」というか、私が言っているだけなんだけど(笑)。

 で、学生たちが頑張って取材をして分類、分析作業をして、その素材を素人なりに編集に取り組んで苦しんでいるやつを、最後に私が出て行ってプロの情報加工の仕上げをして、平凡な素材がおもしろく化けるところを見せる。その「プロの仕上げ」段階が、今なのである。でも、「いかに高度な「過程」を踏んでも、でき上がったものがお客さん(読者)に受け入れられなければ0点」というのがマーケティングの世界なので、情報加工の教育の最後のプログラムは、「でき上がったものを発行した後、読者の反応を集めてマーケティングの実践の成果を確認する」という作業になる。

 まあそんな感じの授業です。それで学生がどれくらい成長するかについては、私にはギャランティーできない。私は与えられた条件下で私のできる限りのプログラムを組んでいるつもりだから、あとは本人の意識と能力次第である。さらに言えば、多くの学生が社会人として伸びるのは、社会人になってからの意識と努力次第であるから、私は学生には「社会に出て伸びようとする時に役に立つ道具」を教えてやって、ちょっとだけその道具の使い方を教えてやっているだけなのである。

 昨日の朝、上村さんとファミレス(笑)で話していたら、上村さんが言いました。

上村「田尾さんの日記をずっと読んでると、田尾さん、例えば俺とかごんとかH谷川君とか、勝谷さんとか、あと何人か出てくるいわゆる“仲間”に対しては、いろいろネタ扱いしながらも何か優しいというか、優しいと言うんじゃないかもしれないけど基本的に何かそういうものが感じられるんだけど、学生に対しては何か、かわいがってるのはわかるんだけど、根本的なところでは突き放してるみたいな感じがするんだよ。あれ、何?」

 やっぱ上村さん、鋭いわ。そうやって具体的に言われてみて初めて意識したけど、たぶん私の根っこには、学生は社会に出てからが人生の本番だから、「使えそうな道具と使い方は教えてやる。あとはお前の人生じゃ。行ってこい」みたいな考えがある。俺らと「大人の仲間」になるのはそれからだ、みたいな。それが「突き放しているような」ニュアンスに、敏感な人には感じられるのかもしれない。ま、学生には将来「いい仲間」になれるように、授業ではできる限りのプログラムと、あの手この手のコミュニケーション(笑)を用意してるつもりなので。難しくてなかなかうまくできてないけど、なにかと頑張ります(笑)。
2012年4月27日(金)

 インタレストの授業が佳境に入ってきた。具体的には「次号の締切が迫ってきた」ということであるが、毎年4月〜5月中旬はてんてこ舞いだ。「てんてこ舞い」の「てんてこ」って何だ。太鼓の音か? と思って調べたら、ほんとに太鼓の音だった(笑)。お囃子の太鼓の音に合わせて忙しく舞を舞うことから来ている言葉だそうだ。

 ちなみに、香川県下にたくさんある獅子舞のうち、たぶん私の出身地の詫間町とか隣の三野町の獅子舞のお囃子には、「鐘」が使われない。衣装を着けて化粧をした子供が叩く和太鼓と、大人が竹のバチで激しく叩く平べったい太鼓(鼓笛隊の小太鼓のちょっとしっかりしたみたいなやつ)の、2種類の太鼓だけ。ほとんどの地区の獅子舞のお囃子には「鐘」が入ってカンカンと賑やかでうるさいが、詫間や三野のは、何か素朴かつ激しい、原始の“神”みたいなのを感じるのである。えーと、何を言おうとしたんだっけ…あ、そういうわけで香川の獅子舞の中で「太鼓だけ」の詫間や三野の獅子舞だけが真の「てんてこ舞い」だ、という、大したことないオチでした(笑)。

 で、何で4〜5月がてんてこ舞いなのかというと、この締切の真っ最中に毎年、新しいメンバーが入ってくるからである。毎年6月1日発行の「インタレストearly号」は、前年の12月1日に「インタレストlatter号」が発行されてすぐに企画編集作業に入る。で、そのメンバーが作業をしながら年度をまたいで4〜5月に締切を迎える、というサイクルなのだが、インタレストは授業なので、毎年4月に新しい履修学生が入って来るため、毎年4月〜5月は「前年度メンバーによる締切」と「新メンバーの指導」が重なるのである。

 しかも、今年は新2年生が24人もインタレストを履修登録してきた。3年前までは、インタレストは学科指定の実践演習授業だったため、1学年せいぜい6〜7人、2年生から4年生まで合わせて総勢20人くらいの少数編集部だったのだが、去年からカリキュラムの制度が変わって全学部から誰でも履修できることになってしまって、人数がどんどん増えてきているのだ。去年はガイダンスで「学芸会じゃないから、意識の高いやつ以外はなるべく履修してこないように」と言ったのに10人が履修してきて、それが今年は3年生がさらに6人増え、2年生に至っては何と24人も履修登録してきたのである。いったい何の噂が流れたんだ?

 とにかくその結果、今年4月からのインタレスト編集部は、

4年生… 8人(旧カリキュラム)
3年生…16人(新カリキュラム)
2年生…24人(新カリキュラム)

合計48人にもなった。このペースで毎年20〜25人も入ってくると、2年後には70人を超える大所帯になる。しかも全員、当然素人ばかりで(笑)、その中には「単位だけもらえればいい」という“使えない”学生も絶対にいるから、普通に考えたら私一人でまともにマネジメントできる状態ではない、という事態になってきたのである。

 ふー、編集部、2つに分けるかな…。けど、「組織を変えてもスタッフの能力が同じなら結果も同じことになる」というのはマネジメントのセオリーだから、分けても根本的な問題は解決しないしなあ…結局、マネジメントできそうなやつの能力アップ作戦を強化して、使えるやつを増やしていくしかないか…とか悩みながらの締切である。

 けど悩んでいても何も前へ進まないので、とりあえず目の前の締切に集中である。でも、集中しようにも金曜日までは授業がいっぱいあってインタレストに集中できないし、土曜日はオープンキャンパスに出ずっぱりだし、日曜日は内山さんが勝谷さんとの対談本の再取材に来るし、月曜日はインタビュー取材が入っていて、その原稿もたぶん1週間くらいで上げないといけないのである。

 よし、ガントチャートを作ろう。土曜から月曜までのいろんな用事が入っている合間を縫って、最低2ページを仕上げる。火曜から日曜までは、インタビュー原稿をはさみながら1日2ページずつ上げる。インタレストは全24ページだから、連休全部使って…連休明け時点で14ページか…。あかん、それでは間に合わん。連休中、1日3ページペースで行かないかん…などと計画していたら、2日が経過した。ダメ出し担当のO西に、「田尾先生の場合、“計画を立てる”という計画を入れておかないとダメですね」とチェック入れられたわ(笑)。ここんとこ連日、ツッコミどころ満載のニュースやニュース解説が次々に出てくるのだが、絡んでいる時間もないわ。
2012年4月24日(火)

 やったわ! 夜11時30分、土曜日から苦しんでいた原稿を1本、ついに上げた! 

 誰かが私の座右の銘の一つ「明日できることを今日するな」を実践してえらい目に遭った、というお便りを『うどラヂ』に送ってきていたが、私にはもう一つ、「今日しなければならないことを明日するな」というまともなのもあるんだぞ。えーと、あと「今日しなければならないことを、本当に今日しなければならないのかどうか考えよ」というのもあるけど(笑)。

 そういうわけで、ビビリの和Dのためにここしばらくヨタ話で日記を埋めていたのだが、そろそろW田をヒヤヒヤさせるネタを繰り出してやるか、と思ったら日付が変わった。今日はもう寝る。松本君、明日からインタレストの仕上げ原稿にかかるぞ。
2012年4月23日(月)

 今日は朝から研究室にこもって仕事をしていて、久しぶりに昼食をとる時間が空いていたので、ちょっと思い切ったのである。最近運動不足につき、1.5kmくらい離れた岸井まで歩いてうどん食いに行こうと。実は先週の火曜日、岸井の近くのガソリンスタンドにガソリンを入れに行って、「洗車もしといて。ちょっと岸井までうどん食いに行ってくるけん」言うて(こないだの2日しか持たんかったやつ)歩いて行ったら、定休日だったのである。岸井の定休日は火曜日、と。で、今日は月曜日、と。

 午前11時35分、私は研究室を出て歩き始めた。大学の隣の商工会議所の前を通って、信号を善通寺駅の方へ右折。途中で脇道に入り、「おしゃべり広場」の中を通って向こうの道に出る。「おしゃべり広場」はたぶん行政が作った憩いの場みたいな施設なのだが、何とかならんのか、そのネーミング(泣)。しかも閑散として誰もおしゃべりしてないし。

 などと思いながら、とりあえずそのあたりの路地を歩いてちょっと広い本郷通りに出て、そこから東へ東へどんどん歩く。高徳線をくぐる地下道に入り、向こう側に出てちょっと進むと、あのガソリンスタンドのある交差点に出た。ここで信号待ち。研究室を出てもう15分くらい歩いてきたのだが、ポカポカ陽気で軽く汗ばんで、なかなか運動した感があるぞ。しばらくすると信号が変わったので、道路を渡って左に進路を取る。岸井はもうすぐそこだ。私は先週食べそびれたことを思い出しながら全身「岸井の口」になって店に着いたら、看板が出ていた。

「本日臨時休業」

 H谷川君、ちゃんと言うとってくれよ! 

 岸井の前の道は、結構車通りが多い。私は前から次々に来る車に「最初から岸井に行くつもりなんか全然ないんだもんねオーラ」を発しながら何事もなかったように岸井の前を歩いて通り過ぎ、車が途切れたところを見計らって脇の田んぼ道みたいなところに入って、大学方面に向かって名誉ある撤退を開始した。しかし、このまま大学に帰って車でどこかに出かけるのも何だかなあ…。よし、今日はウォーキングじゃ。このまま宮川まで歩いて行ってやる。

 宮川は岸井から2kmくらい離れている。私のウォーキングスピードなら、たぶん20分くらいだ。田んぼ道で外国人のお遍路さんに出会い、「ハロー」言うてすれ違って、高徳線を越え、また本郷通りに出た。そこから一路、総本山善通寺に向かう。赤門筋を通って境内に入り、境内の中ほどを右折して路地に入る。熊岡のかたパンの前を通ってさらに進むと、三村のパンのある交差点に出た。三村のパンは2階のガラス窓に大きく「三村のパン」と書かれた下に、ローマ字で「MIMURA NO PAN」と書かれている。日本人には意味のない表記だが、残念ながら外国人にも意味がわかるまいという、ターゲットが難解な表記だ(笑)。

 で、そこの歩道橋を渡って道の向こう側に下り、善通寺国立病院の横を歩いて、ついに宮川に到着した。12時15分。店の中はお客さんでいっぱいで、表の床机に座って食べている人もいる。店のおねえさんが私を見つけた。

ねえ「いらっしゃい」
田尾「今日は歩いてきたけん、えらい汗かいてる(笑)」

 奥で大将がうどん打ってる。客がいっぱいでどんどん回転しているので、ゆでたて、締めたてのうどん玉がセイロに載っている。奥さんが「大な?」と言って2玉をつかんで持ち上げた。その持ち上がり方を見た瞬間、「これ、絶対うまいぞ!」。

 いや、すごいのが出てました。一言で言うなら、「あたりやの麺が背筋を伸ばした」みたいな麺です(笑)。いつもよりほんの少し「伸び」を抑えた田舎麺が、いつにも増して鋭いエッジを立てている。それでいて、軽くてしなやか。そういやこないだの朝は「早よゆでないかんきん、ちょっと細めにしたで」とか言いながら、細いだけでなくいつもよりちょっと軽い麺を出してきた。「朝と昼はちょっと変えとるきんな」とも言っていた。宮川の大将、たぶん意識していろんな麺を打ち分けているんだ。それも軽々と、徹夜で釣りに行って帰って来ても、眠そうな顔で飄々と何でもないように打ち分けている。ひょっとしたら大将、天才入ってるか?

 丼に入れてもらった2玉をテボで温めてあつあつのダシをひしゃくですくってかけて、イチオシはコロモがしがみついて離れないコンニャクの天ぷらだがいつものチクワ天と半熟卵天を載せて(笑)、空いている席を見つけて座って食べていたら、隣で食べ終わったおっちゃんが声を掛けてきた。

おっ「田尾さん? 田尾さんやな?」
田尾「あ、はい」
おっ「やっぱりな。そうやないかと思とったんや。ここ来るんな」
田尾「あ、時々。今日は40分も歩いてきました」
おっ「そうなー、大変やなー。ほな、がんばってな」
田尾「どうも。お疲れさんです−」

 何を頑張るのか、誰が疲れているのか、よくわからんが、讃岐のうどん屋のゆるーい会話だ(笑)。

 食べ終わって、大学に向かってまた歩き始める。途中でさっき通り過ぎた熊岡のかたパンに寄って、もう平べったいやつしか残ってなかったのでそれを20枚とピーナッツせんべいを200g買う。

奥さん「今日は大学ですか?」
田尾「はい。まあいつも大学なんですけど、今日は今、宮川まで歩いてうどん食べに行ってたんで寄りました」
奥さん「そうですかー。がんばってください」

 みなさん、ほんますんません、なにかとがんばります(笑)。
2012年4月19日(木)

 火曜日の夕方、あまりに天気がよかったので洗車をしたら今日の昼過ぎ、雨が降ってきた。ふ−、洗車して2日か。だいぶ運が上向きになってきたのか(泣)。

 昨日は死ぬかと思った。

 昨日のスケジュールは、

8:30〜11:00 研究室で授業の直前準備や雑務。
11:10〜12:40 文章表現論の授業。
13:30〜15:00 インタレストの編集会議(授業)。
15:30〜16:30 高校招待説明会。
18:00 RNCラジオ収録。

というものであった。で、順調に授業と説明会を終え、4時40分に大学を出て、RNCラジオの収録のため高松に向かったのである。高速で帰ると5時15分頃には高松に着く。それだと録音にはちょっと早いので、私は高松に着いたらRNCまであと5分くらいのところにある浜街道の喫茶「くつわDo」に入ってちょっと仕事をして、それから録音に行こうと考えた。で、とりあえず善通寺インターから高速に乗ったのである。

 ラジオをつけて走っていたのだが、あんまりおもしろくなかったので音楽に切り替えて高速を走っていたら、ふと、久しぶりにマイク・オールドフィールドの『オマドーン』が聴きたくなった。マイク・オールドフィールドは映画『エクソシスト』のテーマ曲を作ったアーチストであるが、私の中では暗黒舞踏・大駱駝艦の大作『海印の馬』の中の「安産祈願」という、私の大好きな一幕のBGMに使われた『オマドーン』の印象があまりに強烈で、『オマドーン』を聴くたびに大駱駝艦のあのシーンが甦ってきて“魂が震える”のである。

 夕方5時過ぎ、私は高速を走りながらカーステレオで『オマドーン』を聴き始めた。『オマドーン』はインストゥルメンタルの19分もある長い曲だ。前半は少し軽めのポップな曲調があったりするのだが、最後の7分あたりから次第に怪しくなってきて、そこからゴン! ゴン! ゴン! と盛り上がって一気に魂の震え上がるエンディングに突入! そのすごいエンディングが数分続いて突然終わる、という構成である。私は『オマドーン』の前半の曲に包まれ、大駱駝艦の暗黒舞踏のシーンを思い浮かべながら高速を7〜8分走って、高松西インターで高速を下りて一般道に入った。

 午後5時10分過ぎ、『オマドーン』の「最後の7分」が始まった。私はカーステレオの音量を上げた。あのエンディングは、大音量で聴かなければならない。私はボリューム「8」で聴いていたのを、一気に「13」まで上げた。私がカーステレオで大音量で聴く時は、たいていボリューム13である。なぜなら、ボリューム表示に「VOL.13」(ボルボ・サーティーン)と出るからだ(笑)。たちまち、大音量のエンディングが次第にゴン! ゴン! とさらに盛り上がり始めた! ……時に、くつわDoに到着してしまいました。

 曲はあと3分もある。うーむ、喫茶の駐車場に車を止めて3分も聴くというのもなあ…。というわけで、私は曲の途中でエンジンを止めてカバンを持って車を降りて、喫茶に入ったのです。

 くつわDoは、タウン情報誌時代には時々、気分を変えて原稿を書くために来ていた喫茶である。私の「気分を変えて原稿を書く社外書斎」は、当時は「アップタウン」と「くつわDo」。今はそれに「umie」が加わっている。美術館の近くの「城の眼」で書いてた時もある。すべての喫茶に共通するのは、灰皿があることである(笑)。

 くつわDoは、夕方のこんな時間ということで広い店内にはお客さんが3人だけ。しばらくするとその3人も帰って、店内は私だけになった。私はコーヒーとタバコをお供に、パソコンを開けて原稿を書き始めた。場所を変えて気分が変わった途端、昨日まで苦しんでいた原稿がぱたぱたと進んでいく。あっという間に5時50分が来て、私は原稿の手を止めてパソコンをカバンにしまった。そして、お金を払って表に出て車に乗り込んでエンジンを掛けた途端、

「ドカーン!」

 大音量で『オマドーン』のエンディングがかかった! 死ぬかと思たわ!

 いやほんと、心臓が止まりかけました。あれでほんまに心臓が止まってたら、おそらく1〜2時間後に不審に思った誰かが気づいてくれるとして、『オマドーン』の次のマーパの『リリックストーン』の次にマドンナのアルバムが4枚続いているから、たぶん大音量のマドンナがかかった車の中で昇天している私が発見されることになる。しかし、検死の結果、死亡推定時刻からして私はマドンナではない、違う曲を聴いている時に死んだと推定されるであろう。検死官の人、頼むから死亡推定時刻を正確に割り出してくれよ。ちょっと後ろにずれて『オマドーン』の一つ前の曲の時に死んだことにされたら、

「麺通団団長、田尾氏が車の中で死亡。大音量で『中村屋』を聴きながら心臓発作を起こす?」

とか書かれて、「あのおっさん、笑い死にしたんちゃうか?」とか絶対言われるからな。

 しばらく日記が空いたので小ネタを一つ。こないだ、テレビの海外観光地紀行番組でローマとバチカンが紹介されていた時、それを見ていた家内が言いました。

家内「今、ナレーションがおかしなこと言うたわ」
田尾「何?」
家内「『ここはキリスト教芸術のメッカです』って。メッカはいかんやろメッカは。それ、イスラムの聖地やん!(笑)」

 ああいう番組の最後のスタッフロールに「ナレーション」の名前は出るけど、ナレーション原稿を書いたライターの名前は出んのよなあ。ナレーション原稿、結構大事なポジションだと思うんですけど。
2012年4月15日(日)

 大学の授業が始まると、平日は朝から研究室に入って授業の直前準備をするというサイクルが始まる。「何年もやってきて今さら何の準備をするのか?」とよく言われるが、ま、性格ですわ。授業の基本的なプログラムは当然できているのであるが、毎年学生の顔ぶれが違い、彼らの性格も違い、履修人数も違うから、授業もそれに合わせてテンポとテイストをアレンジして、よりよいパフォーマンスを提供しなければならない。まあ、モダンジャズみたいなもんである。テーマの曲は決まっているけど、ライブの客に合わせて「今日はこんな感じで行ってみよう」みたいな。

 それで、特に1科目全15回の授業の最初の数回は、客…でなくて履修学生の“感じ”がわからないままの授業になるから、何種類かのタマを打ちながら「どれに反応するか?」を探ることになる。で、授業直前にもう一回シミュレーションして、教室に出かけていくのである。シミュレーションしているうちに、授業に挟む余談(笑)に「このニュースの話を入れるか…あのデータを入れたらちょっと目からウロコを落とせるかもしれん…」とか思いついて、大急ぎでネット等でデータを集めたり、時には授業前の1時間くらいで大急ぎでパワーポイントで数ページの資料を作ったりする。

 教室に入ると、数十人とか、科目によっては100人以上の学生が座っている。シーズン最初の授業では、入った瞬間、騒がしさの感じをつかむ(笑)。それから教壇に着くまでの数秒でさっと学生を見渡して、見たことがあるやつがいれば「うわ、厳しいメンバーが来とるのー」とか声を掛けたり、知らない学生が前の方に固まっていれば「これ、マーケティング論やの?」とか授業の確認をする声を掛けたりして、どんな授業が始まるのかちょっと不安になっているかもしれない学生たちをほんのちょっとほぐしてから教壇に上がる。

 それから出席カードを配る。教室を回りながら、一人ずつではなくて、一列に3人座っていたら通路側の学生に3枚渡して、そいつに同列の2人に渡してもらう。通路から離れた学生に手が届かないこともあるが、学生同士で手渡しするというちっちゃなちっちゃな「他人とのコミュニケーション」をさせる(笑)。前列の学生に出席カードの束を渡してどんどん後ろに回させてもいいのだが、そうすると1人で何枚も取って、来てない友達の名前まで書かれたらいかんし。あと、自分で配りながら学生に「単位、ちゃんと取れよるか?」「おー、おもろい髪型しとるやないか(笑)」「この辺、うるさそうやのー。静かにしとけよ」とか声を掛けるのが私の性格なので。

 で、配り終えたら授業開始。「では、始めます」とか言って、そこまでで感じた学生の反応をもとに、余談から入るか、いきなり授業プログラムを始めるか、あるいは何か事例からウォーミングアップするか…等々をその場で決めて、授業に入るわけである。授業中は、基本プログラムに沿って進めながら、随時、事例や余談やデータ等のタマを打って反応を見ながら、素の時間を作れない性格なので全力で90分近くぶっ飛ばす。基本コードだけ守って客の反応を見ながらアドリブでぶっ飛ばす、やっぱりジャズみたいな感じかもしれん。

 1コマ目と2コマ目の間は、チャペルの時間を挟んでいるので30分。2コマ目と3コマ目の間は、昼食時間を挟んでいるので50分。3コマ目、4コマ目、5コマ目の間はそれぞれ10分だけ。授業を終えて片付けして研究室に帰っていたらすぐに10分経つので、2、3コマ連続で授業のある日は昼飯を食ってる時間がない。今年は週のうち3日が昼飯抜きだ。最初は週4日昼飯抜きの時間割だったのだが、あまりに辛いので1つ減らしてもらった。

 まあそんな感じである。で、夕方、授業を終えてから家に帰ってメシ食って風呂入って、夜から深夜までが「その他の研究ものや企画ものやよそからの依頼ものをやる時間」になる。インタレストの仕上げ作業も、大半がこの時間帯。それをやってて夜中の1時、2時になって「あかんあかん、このままでは明日の授業に差し支える」となって寝るか、「よし、明日の朝早く起きてやることにして今日は早く寝よう」と決めて日付が変わる前に早めに寝て、慢性睡眠不足から爆睡してしまってえらい目に遭う、というのを繰り返しながら、学習しないまま今日に至っている。

 従って、私にとって土日はものすごく意欲に満ちあふれる曜日なのである。「休めるぞ!」という意欲ではなくて、「丸々2日も授業以外の時間に使えるぞ!」という意欲である。そんな平日の日々を過ごしていると、土日の丸々2日もあれば何でもできそうな気がするのである。金曜日の夜はいつも、土日で本一冊仕上げられそうな気がする勢いである。だから、日曜日の夜になってほとんど仕事が進んでなかったりすると、その落差が大きすぎてものすごく焦るのである。

 というわけで本日、めちゃめちゃ焦っています(笑)。今日の日記は、実は本題はこの1行だけなのだが、無理やり伸ばしてみました(笑)。
2012年4月12日(木)

 さぬき市の佐Tさんをはじめ数人の方から洗車お見舞いのようなメッセージをいただきまして、誠に申し訳ありません。ちなみに、「天気予報をちゃんと見る」と言ったばかりであるが、こないだの月曜日は天気予報を見ると「晴れのち曇り」なのに夜の座談会中に雨に降られて、翌日火曜日は「一日中雨」の予報であったが、朝、車で大学に向かって走っている間、全く雨は降ってこなかった上、昼前から降り出した雨が夜には上がり、大学からの帰りにも全く雨に遭わず。嫌がらせか!

 さて、ふと気がつくと、今週から来月中旬まで、創刊以来最大の忙しさ(何の創刊や)ではないかと思われるような大ピンチを迎えていることが判明した。今週から大学に来て以来最もハードな授業スケジュールが始まった上、いつの間にかインタレストの締切が迫っているではないか。しかも、仕上げを先延ばしにして学生の取材、編集指導ばかりしていたら、発刊を1カ月半後に控えた今日現在、まだ仕上げの本文が1行も進んでいないぞ。

 さらに、あと1週間で上げないといけない難解なインタビュー原稿3本もまだ手つかずだ。さらに、来週は企画ものが2つ、大学行事が1つ、ラジオの録音が3本、会合が1つ。やっとマスターズの時差ボケが回復してきたと思ったら、それどころではない事態が襲来しているではないか。

 あー、のどが痛い。授業で1時間半しゃべるたびに、声がほとんど出なくなる。今日は2コマ目の授業中に何度か咳き込んでしまった。3コマ目の授業は40人くらいの教室で、普段はマイクを使わないのだが「のどの調子が悪いけん、ちょっとマイク使うわ」言うて、マイクでしゃべり始めたら、

吉田「何かエコーがかかってますよ」
田尾「ほんまか。この教室のAV機器、使たことないけん、エコーの消し方がわからんが。そなにエコーかかっとるか?」
大西「めちゃめちゃかかってますよ」
田尾「しゃーないのー。ほな一曲歌うか(笑)」

 ま、アカペラで歌えるほどうまくないので、結局マイクをやめてまた地声で1時間半しゃべる。

 ふー、しんどいわ。ここ4日連続、睡眠時間4時間ぐらい。明日は何や? フェスタ・プラクティカムと印刷メディア論と情報収集ワークショップとオフィスアワーか…。9時から5時までびっしり。その後で、インタレストとインタビュー原稿にかからないかんのか…。片山先生から「最近峰山の話題が出ないから心配してるんですよ」と言われたが、今週の土日も山どころでないわ。
2012年4月10日(火)

 危うく忘れかけるところであったが、今年は「言ったら店が閉まっていた」の連続で始まったのであった。その陰に隠れて、去年再三被害に遭った「洗車したら雨が降る」のジンクスはすっかり影を潜めていたため、「あれはもう去年で終わったのだ」と思っていたのである。ところが…

 実は、事は先週から始まっていた。けど、まあ報告するほどのことではあるまいと思って書かずにいたのだが、昨日、閾値を超えた(笑)ので書くことにする。

(第一の事件)4月2日(月)の朝。
 既報の通り、前日1日(日)の夜に軽井沢の勝谷邸から一旦高松に帰って来た私は、朝、入学式に出るためにマンションの駐車場から車を出したら車がめちゃめちゃ汚れていた。しばらく洗車していなかった上に、空港の駐車場に2日間、野ざらしにしていたからだ。前日は夜に帰って来たため、車の汚れに気がつかなかったのである。

 洗車するか? けど今日の午後からまた東京行きで、翌3日(火)の夜までまた空港の駐車場に野ざらしにしないといけない。バスで空港に行けばいいのだけど、入学式を終えて午後の飛行機便まであまり時間がないので、バスは時間的に不安があるからやっぱり車で行かないといけない。けど、まあ今回は野ざらしといっても1日だけだから大丈夫やろ。やっぱり入学式はドロドロの車でなく、スカッと洗車した車で行かんと気分が悪いわ。

 ということで、2日の朝、洗車をして大学に行きました。で、昼から車で空港に行って、屋外駐車場に車を止めて東京に行ったら、あれですわ。嵐。4日(水)に帰って来たら、空港の駐車場で車が土色になっていました。結局、洗車して1日半で雨。

(第二の事件)4月5日(木)。
 朝、昨日ドロンコになっていた車を洗車して大学に行く。天気は晴れだ。午前中デスクワークをして、昼から偕行社カフェで多田さんたちに会って、それからインタレストの作業をして夕方6時に帰宅。6時半からFM香川で打ち合わせと録音の予定だったので、6時20分に家を出て歩いてFM香川に行くことにした。

 すると、家内が「車の調子が悪くて修理に出したから、ちょっと車貸して」と言ってきた。私がFM香川に行っている間に、私の車で買い物に行くというわけだ。私は「ええよ」と言って、そのままFM香川に行って、夜の9時頃、家に帰ってきた。家内も買い物から帰ってきていて、その日は何事もなくメシ食って風呂入って仕事をして寝た。

 翌朝6日(金)、大学に行くために車を出したら、めちゃめちゃ汚れとるやないか! 何があったんや! えー、昨日、家内が買い物に出ていたその間だけ、ピンポイントで雨が降ったそうです。しかも、何か黄砂っぽいやつが。結局、洗車して半日で雨。この日は意地になって、また朝、洗車して大学に行きました。

(第三の事件)4月7日(土)。
 金曜日の朝に洗車してからずっと晴れ。この日、土曜もよく晴れていた。日中は家でずっと仕事していて、昼は一福でうどん食って、家に帰ってまた仕事をしていたら、午後3時頃、睡魔が襲ってきた。マスターズのせいだ(笑)。そこで私は仮眠することにした。この日は午後7時から遊ゼミがあるので、6時までは寝られる。で、3時間くらい寝て6時頃起きたら、家内がどこかに出かけて家には誰もいなかった。ま、今晩は遊ゼミで私が出かけるのを知っているから、買い物かコナミか友達のところか、どっかに行ってるんだろう。私は最近運動不足であるため、6時半頃家を出て30分近く歩いて遊ゼミに行くことにした。

 家を出て東に向かって5分くらい歩いたところで、ポツンと何かが顔にかかった。雨か? 空を見ると、西の方は日没後の雲のない空。東の方は真っ黒い雲が空を覆い尽くしている。ふーむ…引き返して傘を取ってくるか? いや、天気は西から来るから、西の空に雲がないということは、雨はたぶん強くならない。徒歩で東の雨雲に追いつくはずがないから、大丈夫だろう。私はそのまま、東に向かって歩き続けた。そしたら、たちまち雨が強くなってきた! 雨雲に追いついたんかい! しかし目的地の割烹遊までは、まだ20分も歩かないといけない。私は家内に電話をした。

田尾「…というわけで途中で雨宿りしよんやけど、今どこでおるん?」
家内「○○の100円ショップでおる。何ならそっちまで行って車で送ろか?」
田尾「うん。ほな待っちょるわ」

 家内の車はあまり洗車しないから、雨の中を走ってきても別にどうってことない。私はしばらく扇町の民家の軒先で雨宿りをしながら待っていた。10数分後、雨の中を向こうからウインカーを出しながら一台の車が近づいてきた。その車を見て、息が止まりました。

田尾「僕の車やん!」
家内「だって私の車、まだ修理ができてないのに」

 洗車して1日半で雨。

(第四の事件)4月10日(火)。
 今日から私の前期の授業が始まる。まだいろんな仕事を抱えたままで心は重いが、気分を一新してテンションを上げるために朝から洗車をした。空は晴れている。きれいになった車で大学に行って、授業を1本終え、久しぶりに1時間半全力でしゃべって声が枯れながら、午後は学生からの就職相談を受け、夕方、高松に向かった。

 今日は午後6時から花樹海の喫茶でインタレストのオバカ特集座談会がある。私は一旦家に帰り、最近運動不足なので花樹海まで歩いて行こうと思っていた。歩いて15分くらいだから、5時45分に家を出ればいいと思ってちょっと仕事をしていたら、5時半頃、家内が帰ってきた。

家内「何か食べて行く? どうせ遅くなるんやろ?」
田尾「けど、今から食べよったら歩いて行く時間がなくなる」
家内「車で行ったらええやん」
田尾「そやのー、ほなちょっとだけ何か食べよか」

 家内が取り急ぎ、焼サンドを作ってくれたので、それを食べて車で6時に花樹海に到着した。久しぶりの座談会メンバー和Dと笹木も集合。学生組は編集長溝渕と、特集担当の天然武政とサックス吹き山地。それから、もう社会人になったのに超速口述筆記女の下村と多田が特別参加。それから2時間半くらいのお笑い座談会を無事終了し、「お疲れさんでしたー」言うて外に出たら、雨が降っていた! 何でやねん! 洗車して半日で雨じゃ!

 そういうわけで今日、私は閾値を超えてしまったのです。この8日間で洗車4回、その4回すべて、洗車後1日半以内に雨! 私は今日から、ものすごく天気予報を見て洗車することにする。「今頃かい!」というツッコミの嵐が私から挙がりましたけど。
2012年4月8日(日)

 仕事が山ほど残っているというのに、マスターズのせいで睡眠時間がおかしくなって体調がすぐれない。具体的にどうすぐれないのかを冷静に分析してみると、眠いだけだということが判明したんだけど(笑)。あと、精神的なものもある。具体的にどう精神的なものがあるのかというと、大学のオリエンテーション期間が終わって月曜日からいよいよ前期の授業が始まるというのにたくさんの宿題を抱えたままの「8月31日の小学生」状態にあることが原因であることが判明した。ほんまに学習せんなあ。

 しかし、こんなことを書かなければ、いつも外面がヘラヘラしている私が中で何を抱えて苦しんでいるのかなど、誰にもわからないのである(書いても大してわからんけど)。というか、私に限らず誰でも、他人の内面なんかたいていわからない。で、たぶんみんな、内面にいろんなものがだんだんたまってきてもそれが表面に出るまでは他人には気づかれず、たまってきたものがある閾値を超えると初めて表面化して周りが気づくという、何か花粉症みたいなものを抱えているんでしょうね。よくわからないけど。

 ただ、精神状態とか花粉症の閾値は人間の体のことなので「どこで閾値を超えて発症するか」がよくわからないけど、経済や社会の中にある閾値は、経済や社会のかなりの部分が原理原則で動いているから、予測できるものが結構多いと思う。例えば、「会社の倒産」という“発症”は、キャッシュフローをよく見ていれば「だんだん閾値に近づいてきている」という経過が見えるから、ある程度自分で予測できる。でも、閾値に達するまでは症状(倒産)が出ないから、キャッシュフローを見ることができない他人には“発症”するまでわからない…みたいな。

 あるいは、電力会社の「値上げ要請」も、初期症状の“発症”であるが、原発を止めて火力等にシフトすると発電コストが上がるのは原理原則だから(原発のコストが火力のコストに置き換わるというコストアップ計算ではなく、原発のコストの上に火力のコストが積み上がるのではないですか? だって原発の原料費って全コストのうちの微々たるものでしょう)、止めた途端に内面でコストが閾値に向かって上昇していってて、あとはいつ閾値を超えるかだけの局面にあると思うんだけど、周りで聞いたら「停電してないんだから原発なしでもやれてるんじゃないか」という意見がほとんどだった。

 内面で閾値に向かってどんどん進んでいるものがあるのは明らかなのに、“症状”が出るまで「行けてるじゃないか」と思ってしまう人がたくさんいるのは、社会の「医者」がわかっていることの告知義務を怠っているからだ。政府か? マスコミか? 識者か? 私は「自分のことだけ」を考えるなら原発は止めても稼働してもどっちでもいいけど(自分だけなら電気代が2倍になっても寿命まで逃げ切れると思うから)、社会全体を考える人(政府やマスコミ)は、閾値に向かっている過程をきちんとみんなに知らせて判断材料を提供しないといけないと思う。閾値に向かっているのがわかっているのに、症状が出て初めて「値上げはまかりならん」と言うのは、どう考えても筋が通らん。

 といったところで、言葉は全然足りないけど、チンペイが数字もカタカナも出てきていないのに寝てしまいそうだから、この辺で切ることにします(笑)。こないだの土曜日、あるところで、ある組織が閾値を超え始めて“症状”が表面化してきた、という話を2件も聞きました。もちろん、行政やマスコミから県民にはまだ知らされていませんけど、どちらも原理原則に照らし合わせたら当然のことばかりです。ローカルにはジャーナリズムが見当たりません。
2012年4月5日(木)

 嵐による半日のロスを取り戻すべく、朝から大学の研究室にこもって原稿と授業準備に没頭する。昼過ぎ、同郷の多田さんから電話があってすぐ近くの偕行社カフェに行くと、多田さんと日月庵(めちゃめちゃうまいそば屋)の大将(下の名前が私と同じ「和俊」・笑)がいて、1時間ぐらいいろんな話をして研究室に帰ったら、隣のインタレスト編集室で6人が作業をしていた。4年の大津あっくんと、この4月から最終年度なのに志願してタコ部屋…でなくて楽しい編集部に入ってきた同じく4年の大浦チカ、そして3年の吉田まさよ、大西ゆりこ、天然武政舞、おとなしい男子学生の中でもひときわおとなしいけど授業には遅刻する西井尚吾。

 新編集部もだいぶメンバーが落ち着いてきて、キャラも整い始めました。毎年編集部で編集長以上に重要なポジションを占める「私に面と向かってダメ出しをするキャラ」には、吉田と大西が就任することが確定しました(笑)。今日は大量のカラープリント出力作業が待っている。担当は武政。

武政「先生、A4の紙が足りません」
田尾「しゃーないのー。買うて来るか?」
武政「いくらぐらい買いましょう」
田尾「どうせ使うんやから、大量に買うとけ。一包み何枚入っとんや」
吉田「500枚です」
田尾「ほな、5包み買うて来るか。俺がお金出しとくわ」
吉田「ほんとですか!」
田尾「それぐらい出すが。なんぼぐらいするんや」
吉田「それなら2万円くらい」
田尾「“それなら”って何や!」
武政「タイヤキも買いましょう!」
田尾「何でやねん!」

 ほんまにもー、お前ら、先輩から何を教わったんや! インタレストは、厳しいプロの世界の体験学習やぞ!

武政「先生、何がいいですか?」
田尾「カスタードクリーム」
大西「食べるんじゃないですか!」

 結局、武政がみんなの注文を取って、コピー用紙とタイヤキを買いに行くことになった。

武政「えーと、カスタードクリームが1つとアンコが6つですね」
田尾「ちょっと待て、お前ら全員アンコか!」
吉田「カスタードクリームなんか、女子供のチョイスですよ」
田尾「女子供はお前らやないか!」

 わけのわからんダメ出しをされながら、武政が買い物に出かけて行った。それからしばらく作業をしていた時、吉田が何かを見つけた。

吉田「あの子、みんなの注文を書いたメモ、忘れて行ってる…」

 天然武政、面目躍如(笑)。けどあんな簡単な注文だから大丈夫だろうということで連絡もせずに作業をしていたら、1時間後、武政が袋を抱えて帰ってきた。コピー用紙の包みが5つ、アンコのタイヤキが6つ、カスタードクリームのタイヤキが…何で3つもあるんや! 

 そういうわけでとりあえず、今年も楽しいインタレストレポートがお届けできそうです(笑)。
2012年4月4日(水)

 そういうわけで4月1日(日)、軽井沢の対談を終えて、羽田からの最終便が遅れたために夜の10時頃に高松の家に帰った私は、翌4月2日(月)の朝、老人性早起き症のせいで6時頃起床して7時半頃大学に行き、10時から入学式に出席して、午後3時高松発の便で再び東京に行ったのである。

<4月2日(月)>

 会合は夜7時から、会場は新宿の歌舞伎町のそばの会議室で、とても有意義で建設的な会議が行われ、夜の10時頃に解散した。ところが、そこで「明日、嵐になるそうですよ」と聞いたのである。私は天気予報をほとんど見ないので、「ほんまか?」と何度も尋ねたのだが、ほんまらしい。そこで10時半頃ホテルに帰ってテレビをつけたら、ほんまに「嵐が来る」みたいなことを言っていた。さて、どうするか…。

 当初の予定では、翌3日(火)は、せっかく東京に来たので他の情報収集をいくつかして、夜7時40分羽田発の最終の飛行機で高松に帰ることになっていて、飛行機のチケットも当然最終便で取っている。しかし、予報によると、3日はまず西から嵐が始まり、その低気圧がどんどん東にやってきて午後から東京は大荒れになるというのである。しかし、私は何とか3日のうちに高松に帰りたい。選択肢はいくつだ?

(1)まず、予定通り飛行機の最終便で帰る段取りで、昼間は東京で情報収集をし、夕方、羽田空港に行く。そこでめちゃめちゃラッキーな場合、最終便の時間には嵐がまだ中部地方にいて、飛行機は嵐のまだ来ていない羽田を飛び立って、中部地方の嵐の上を飛び越えて、嵐の去った高松空港に着陸する。おー、これがベストや!

(2)嵐が予報通り午後には東京にやってくると予測して、情報収集は取りやめ、飛行機を朝の便に変更して空港に行く。狙いはさっきと同じ、嵐が中部地方にいる時にその上を飛び越えていく大作戦だ。

(3)飛行機のチケットをキャンセルし、新幹線に切り替えて午前中に東京を出る。この場合も狙いは同じで、嵐が関西を抜けて中部地方にいる時に突っ切って行かないと、瀬戸大橋が渡れないのでは意味がない。

 続いて、最悪の場合も考えた。つまり、「3日のうちに帰れない」という場面だ。

●「ガックシ」レベル1…朝から飛行機も新幹線も止まってしまって、しかし何とかホテルが確保できて東京のホテルでもう一泊して、嵐の去った翌日4日に東京で情報収集してから帰る。

●「ガックシ」レベル2…新幹線で東京を出て岡山までたどり着いたものの、瀬戸大橋線が強風とかで止まってて岡山で一泊する。あるいは途中の名古屋とか大阪で止まってその辺のホテルで一泊する。どうせ一泊するなら東京の方が翌日取材もできてええので、これは次善策。

●「キツイぞ」レベル…飛行機は何とか飛び立ったのに高松空港がまだ悪天で下りられず、羽田に引き返して来たらもうホテルもとれずに、空港のイスの上で一泊するハメになる(一度そういう目に遭った)。

●「ヘトヘト」レベル…新幹線で東京を出たものの、途中であまりの嵐に立ち往生し、新幹線の中で一夜を過ごすハメになる。

●「もはや遭難」レベル…飛行機は何とか飛び立ったのに高松空港がまだ悪天で下りられず、羽田に引き返していたら嵐が猛スピードになって、飛行機を追いかけてきて羽田にも下りられず、嵐の先に行こうとして嵐と飛行機の競争になり、仙台に達しても嵐とデッドヒート、札幌まで必死で飛んでも嵐を抜き去れず、もう飛行機も嵐も意地になってチキンレースを続けているうちに「待てよ、嵐と同じ方向に飛んで競争するからこんなことになるんや」と気がついて右に逃げたらそこはもう荒れ狂うベーリング海で、仕方なく不時着してみんなでカニ漁をするハメになる。

 ここから「ない話」に展開してもええか? いらない? あ、そ(笑)。

<4月3日(火)>

 さてそういうわけで、とにかく会議を終えてホテルに帰った段階では明日の状況がわからないので、私はテレビを付けたままホテルでちょっと仕事をして早めに寝て、翌朝(3日)7時頃、早々にホテルのフロントに行って聞いてみたのである。

田尾「かくかくしかじかで、もし、今日の飛行機の発着状態を確認してから、もしかしたら最終便が飛ばないことがわかってからここに電話しても、このホテルでもう一泊できますか?」
フロ「少々お待ちくださいね………はい、大丈夫です。何とかお部屋が用意できますので、夜になってギリギリにお電話いただいても泊まれますよ」
田尾「了解です。じゃあ、もしそういうことになったら電話しますので、よろしくお願いします。あと、すみませんが、羽田空港の発着状況をネットで見てもらえますか?」
フロ「わかりました………えーと、高松行きですね。朝7時45分発の便は、搭乗手続きをやっているようですねえ……ただし、下りられなければ他の空港に下りるという条件付きのようですね」
田尾「やっぱり、西はもうダメか…」

 私はついでに羽田空港の航空会社の問い合わせ電話番号を控えてもらって、部屋に帰った。テレビからの情報と合わせると、西は嵐が通り過ぎつつあるのではなく、まだこれから来るみたいだ。すると、現時点で「条件付き」ということは、今日の午前〜午後便はほぼ間違いなく高松空港に着陸できないと思われる。ということは、これから新幹線に切り替えても、あまり早い時間に東京を出たら「嵐の瀬戸大橋」に突撃して渡れない可能性が高いぞ。

 思案の末、私は飛行機を捨て、昼過ぎの新幹線で東京を出ることを決めた。おそらくこの感じなら、午後2時とか3時に嵐が中部地方に来る。そいつを新幹線で突っ切って、夜、岡山に着いたら瀬戸大橋が渡れるようになっている可能性がある。よし、これじゃ。私は飛行機便をキャンセルしようと、さっき控えてもらった羽田空港のJALの2種類の問い合わせ電話にかけた。すると、あちゃー、もう電話が殺到してるらしくて全然つながらんぞ。10回以上かけてもつながらないので、私はあきらめて航空券(の料金)を捨てた。

 午前9時前、東京の某社のTさんから電話がかかってきた。Tさんとは大事な話もあったので、幸い私が東京にいるということで「これから会いますか?」と言うと、Tさんが朝の会議を飛ばして出てくるというので、10時頃から東京駅のカフェで会談。ここでもとても有意義な話ができて、昼前に解散した。

 その後、東京駅のみどりの窓口で高松までの乗車券と岡山までの特急券と瀬戸大橋線マリンライナーのグリーン席券(今日はグリーンじゃ)を購入。窓口の若い兄ちゃんがええ感じの子で、メチャメチャ詳しく状況を見てくれたけど、瀬戸大橋線の状況はさすがにここでは断定できないということで、けどまあ夜には何とかなる可能性が高いだろうと判断して、私は切符を買って午後1時10分発の新幹線に乗り込んで東京駅を出発したのである。

 この時点で、東京駅はまだ雨もなく、風も多少強い程度だった。横浜を越えても、外は曇り空くらいの感じ。まあ、ええ調子で私は本を読みながらくつろいでいた。そしたら、静岡あたりから雨が降り出したかと思ったら、あっという間に外は嵐の様相に一変した。車体のどこかから漏れ聞こえる風の音が、すごいことになっている。嵐だ! しかし、新幹線は突っ走っていく。強いぞ新幹線! しかもこれを突っ切ったら、まさに私の思惑通り、中部地方で嵐を突っ切って、嵐の去った岡山から瀬戸大橋を渡るぞ。負けるな新幹線! 行け、新幹線! こんなものでへこたれるお前ではない!

車内アナウンス「強風のため、この列車は次の駅で一旦、運転を見合わせます」

 いきなりへこたれとるやないか。

 列車は名古屋の手前のどこかの駅で停車した。「ドアは開きません」というアナウンスがあった直後、「先ほどドアは開きませんとご案内しましたが、左側のドアを一旦開きます」と言うほどアナウンスも混乱している。これは…ここで30分か? 1時間か? ま、パソコン持ってるし文庫も3冊も買ってるから時間はつぶせるわ…と思っていたら、わずか数分の停車で列車は動き始めた。さらに、名古屋で停車してもすぐ発車した。よし、強いぞ新幹線! 行けー、このまま岡山まで突っ走れ! 

車内アナウンス「岐阜羽島〜京都間で風速30メートルが観測されたため、この列車は岐阜羽島駅で運転を見合わせます」

 うーん…新幹線は強いのか? どうなんだ?

 しかし、岐阜羽島の臨時停車はわずか10分だった! 強いぞ新幹線! 外はもう雨は止んでいる。行け、テンポイント! ムチなどいらぬ、押せ、テンポイント!(杉本清・名実況「菊花賞」より) 続いて岐阜羽島を出た新幹線に、直ちに車内アナウンスが流れた。よーし、力強い勝利宣言だぞ!

車内アナウンス「この列車は新大阪で運転を取りやめることになりました」

 敗北宣言でした(笑)。夕方4時頃だったか、新大阪に着いたら、そこから先の山陽新幹線は全面運休になっていました。いつ復旧するか見当もつかない。私はすべてを観念し、直ちに新大阪駅構内にあるJTBに行って、近くのホテルを探してもらいました。幸い、新大阪駅から徒歩5分くらいの所のホテルで部屋が取れました。雨は降ってなかったけど、駅前の大木の並木が根こそぎ持って行かれそうな風が吹いていました。

<4月4日(水)>

 翌朝(今朝)、8時頃新大阪駅のみどりの窓口に行くと、もう大勢のお客さんが並んでいました。20分くらい並んで私の番が来て、昨日買った切符の乗車券はそのまま使えるので特急券とマリンライナーのグリーン券の内容変更をしてもらいました。窓口の若い女性担当者がとてもテキパキとしていて、接続や座席の選択肢を次々に提示してくれるので、

田尾「何かみんな若いのにすごいですねえ。みんな、こういうのにメチャメチャ詳しい人が入ってくるんですか?」

 と言うと、その担当女性がパソコンでいろいろやりながら、

担当「そんなことないですよ」
田尾「けどこんなの、小さい頃からマニアでなかったら絶対できんわ(笑)」
担当「でも私は全然マニアじゃなかったですから(笑)」
田尾「昨日の朝、東京でこの切符買うた時も若い兄ちゃんやったんやけど、メチャメチャ詳しかったで」

 と言った瞬間、彼女はパソコンの手を止めてこっちを向いて言った。

担当「その子は鉄ちゃん、入ってると思います(笑)」

 朝から気持ちのいい一言、聞かせてもらいました(笑)。ちなみに隣の窓口で、イッセー尾形のコントに出てくるような整髪料でオールバックにして不機嫌そうに下唇が出た40代くらいのサラリーマンが、どうやら昨日買ってた指定席が窓側だったのに今日変更すると席が一杯で通路側しか取れないと言われて「それはおたくの都合でしょう! 私は(昨日)窓側を指定して切符を買って乗ったのだから、窓側を取るべきじゃないですか? それができないのなら、それは契約として…うんぬん…」とかもめていた。詳しい事情はよくわからんが、楽しい会話ができるかできんかは、こっち側の態度にも半分原因があるような気がしますね(笑)。

 というわけで、予定の半日遅れで帰ってきました。高松駅から空港まで車を取りに行かないかんかったけど、空港から帰りに久しぶりにマルタニでうどん食ってきたから、ま、ええか。
 
2012年4月1日(日)

 土曜日の朝一の飛行機で東京に行き、そこで西日本出版社の内山さんたちやパロマスと合流。そのまま長野新幹線に乗って軽井沢へ行って、さらに勝谷誠彦さんと合流する。何でこんなことになったのかというと、勝谷さんと私の対談本を作るとかいう、メガネを外して目をこするような企画が進んでしまっていて、とうとうその対談日が来てしまったのである。それも、軽井沢の高級別荘地に構える勝谷邸で一泊して、土曜日の昼から日曜日の夕方までダダしゃべりをして、そいつを延々録音してまとめるんだって。勝谷さんと私は天下国家を語る能力と情報量と人脈に中国の役人と農民の所得くらいの格差があるのに、一体どうしろというのか(笑)。

 ちなみに、天下国家を語る能力と情報量と人脈にアラブの石油王とジャワ原人ぐらい格差のあるパロマスがなぜここにいるのかというと、何とこの日の対談収録スタッフも含めた6人の今日の昼から明日の昼までの食事を全部作る料理人係で来ているのである。何という設定…。そこでまず、軽井沢駅から勝谷さんが絶賛するTSURUYAというスーパーに突撃し、そこで6人の4食分の食材を仕入れにかかった。

 このスーパー、外見は広い駐車場を備えた普通の郊外型スーパーで、店内に入っても一見「まあきれいなスーパーだな」という感じだったのでとりあえず私はみんなの後を付いて歩いていたのだが、商品をよく見ていると、品揃えが何か違うことに気がついた。カットフルーツのカットの形、大きさが違う。野菜の種類が違う。パッケージング、表示の仕方、陳列の仕方が違う。魚も、肉も…何か全部の種類、一つ一つの品、どれもがみんな、客に向かってメッセージを送ってきているのである。気がつくと、私はみんなと離れて一人で品々を一つ一つものすごく吟味していた。中でも圧巻は冷凍食品コーナー。あんなラインナップ、私は見たことがない! 何なんだ、このスーパー…と、情報発信のプロにあるまじきアバウトな情緒的表現で逃げる私(笑)。

 食材をしこたま買い込んだ我々は、カメラマンの車に乗ってそこから勝谷邸を目指し、車で雪の残る山中に向かった。ナビは勝谷さん。

勝谷「そこ、右に入って」
田尾「えらい山道に入りますよ」
勝谷「こっちがね、抜け道なんですよ。ちょっとワイルドな道だけど、みんなあまり知らないから車はほとんど通ってない」

 そこはまるでゴルフ場に行く道、というより「カート道か!」と思うような山道だ。雪の残った山道をくねくね走っていると、三差路に出た。

カメ「これは?」
勝谷「うーん…右だな」

 右に入って、またくねくね行く。

勝谷「違うな…」
田尾「違うんですか」
勝谷「Uターンしよ。名誉ある撤退!」

 元の三差路に戻って今度は左へ。さらに走っているとまた三差路に出て、勝谷ナビに従って今度は左に進路を取り、しばらく走って…名誉ある撤退(笑)。さらにしばらく山道を彷徨って…名誉ある撤退(笑)。結局抜け道とやらに入って約20分後、

勝谷「やっぱりこれだな」
田尾「よかった。やっと広い道に出ましたね」
内山「何か見たことのある感じですね」
勝谷「最初に通ってきた道だからね」
田尾「今まで道に迷ってただけじゃないですか!」

 ま、ちょっと脚色したが、「おもしろい方が事実になる」というのが麺通団テイストだ。とにかく「軽井沢の山中ドライブ」というレジャーを一つはさんで、勝谷さん絶賛の勝谷邸(笑)に到着した。感想は、「何なんだ、この別荘というか邸宅は!」という感じ。詳しい感想文を書くと半日ぐらいかかりそうなので、アバウトな表現でおしまい。とりあえず、私は中長期的ライフスタイルとして「自分の家」なるものに全く興味がなかったのだが、翌日夕方にはちょっと価値観が変わりつつある自分に戸惑っていました。

 …といったところで、日曜日の最終で高松に帰って月曜日の朝、大学の入学式に出てすぐにまた昼から用事で東京に行かないかんので、この「どうかしてた一泊二日(笑)」の顛末は書いてたら2日ぐらいかかりそうなのでカットします。ちなみに、内山さんが本の仮タイトルに『地方から見たこの国のかたち』と書いていたので、すぐさまダメ出し。

田尾「『この国のかたち』なんか、100万人中200万人が司馬遼太郎先生を想像するやないですか! 勝谷さんはともかく、相方、俺ですよ。格が違いすぎて恥かくからやめてくださいよ」
内山「でも勝谷さんの本、『坂の上のバカ』ですよ」
田尾「あれはパロディテイストやし、勝谷さんは“どうかしてる人”やからええんです(笑)」
内山「じゃあ、田尾さん考えてくださいよ」
田尾「えー?! 『この国の二十歳(はたち)』とか?」
内山「同じ路線じゃないですか!」
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