2012年08月の日記 |
2012年8月31日(金)
午後12時45分。朝から集中力に満ちあふれて仕事をしていたのだが、さすがに頭が疲れてきたので気分転換に水槽の魚にエサをやったのである。
熱帯魚のくせにやつらも学習していて、私が水槽の前に立つと100匹近くの熱帯魚軍団が水面近くに集まって、激しく動きながらエサをねだり始める。そこへ、細かく砕いてふりかけ状態になった熱帯魚のエサを少量投入すると、水面にパッと散って浮かんだエサに100匹が群がってぱくぱく食べ始め、その勢いでエサが水中にも沈み始め、それにも魚が群がり始めて、水槽の中は上から下まで全軍躍動となるのである。
強いやつはどんどんエサを食べるのでどんどん大きくなる。けど、ちっちゃいやつはなかなかエサにありつけなくて、従ってなかなか大きくならない。買ってきた時はみんな同じような大きさなのに、1ヵ月くらい経つと、明らかに大きいやつと小さいやつに分かれてくるのである。厳しいのー。
しかし、その激しいエサ争奪戦が繰り広げられる水槽の中で、コリドラスは我が道を行くかのように底でじっとしたままで、時々底まで落ちてきたエサを食べるだけ。あと、オトシンクルスも底や葉っぱの上でいつも通りのペースでコケを食べたりじっとしてたりする。よしよし、こいつら、ちゃんと自分の仕事をわかっとる。どんどんコケを取ってくれよ。まだまだコケのついた水草はよっけあるぞ…と思いながら、私はオトシンクルスの数を数えていたのである。その時、事件は起こった。
オトシンクルスは30匹ぐらいいるはずだが、例によって奥の方の水草や流木の後ろとかの底にいるやつは見えんから、まあ10〜15匹ぐらい確認できたらその倍はおるだろうということで、水槽の右側からゆっくり数を数えていた…その時であった。
水槽の真ん中奥にどんと控える、一番古くて大きい水草の密集した根っこ、ルパン三世のマモーの最後に宇宙に飛んでいく脳ミソの下の部分みたいな、ラピュタの最後に空に飛んでいく巨木の根っこのような、鬱蒼とした水草の根っこの密集地帯に、オトシンクルスだと思われる1匹が止まっている。そいつが根っこに付いているコケをせわしなくかじっているのが見えたのだが、どうもオトシンクルスにしては色が透き通っている感じがするのである。しかし、コケを食べているところからしても他の熱帯魚であるはずがないから、あれはオトシンクルスやろ…大きさもそんなもんやし…
私は目を懲らしてさらによーく確認した。うーむ、やっぱりちょっと透き通ってる。オトシンクルスでないのか? ん? あれ? なんか変な動きをしたぞ。あ、こっち側に回ってきた。あれ? 頭とんがってる…足がよっけあって…ヒゲがあって……え…え…
エビが出たああああーー!!!!!!
エビが出てきました! 絶滅したものとばかり思っていたエビが1匹、発見されました! やっぱり、森の裏に潜んでいたのか! それが、やっと慣れてきて表に出て来たのか! プーキーのにいちゃんの予測的中! しかし、1匹だけということは、やっぱり他のは食われて、こいつだけ生き残ったのか? いや、まだ潜んでるやつがいるかもしれん。
私はさらに、目を皿のようにして水槽の中を隅から隅まで凝視しました。ものすごく凝視しました。けど、あの1匹だけしか見つかりませんでした。
それでも、このエビの出現は2012年最大の感動であった(ちっちゃいなー)。あまりの感動に、もう1時半にもなろうかというのに全身「はりやの口」になってはりやに突撃したら「本日終了」の看板が出てた。直ちに「全身一福の口」に切り替えて国分寺に走ったら「本日終了」の看板が出てた。しかし、あまりの感動を抱えているのでヘコむことなく「全身あたりやの口」になって突撃したら、あたりやは定休日だった。
結局、宮武でうどん食って帰って、仕事部屋に入ってパソコン開ける前にもう一度水槽を確認したら、奥の方のさっきの根っこの密集地帯にはもうエビはいなかった…と思ったら、水槽の左の側面に密集しているちょっと背の高い草原地帯の葉っぱの一部が、不自然にかすかに揺れていた。凝視すると…エビが…3匹もおるやないかああー!!! おおーっ! エビ蔵! エビちゃん! エビ夫人!
失礼しました。ちょっと片山先生が入ってしまいましたが、とりあえず、そういうわけです。最初にエビを20匹投入してから1ヵ月にもわたって影も形もなかったエビが、3匹出てきました(というか、どんだけ小心者やったんや)。それから、「これはもしかしたら全部生きているのではないか?」という期待と、「けど全部生きてたら40匹以上おるっちゅうことか?」という驚愕にちょっとおののきながら、夜、ピッコロジジに行ってスパゲティと具だくさんのスープとサラダを食べて、アップタウンで2時間ぐらいくだを巻いて、夜の11時前に家に帰って水槽を見てひっくり返りました!(ひっくり返ってはないけど)。
エビが…エビが…1、2、3、4、5、6、7、8、9、10……じ…じゅうさんびきも出てきとるでないかああーー!!!! しかも、ふと気づいて全体を眺めてみると、コケで薄黒かった水草の森と草原が、明らかに緑になってきているではないか! こいつら、めちゃめちゃええやつやんかー!(笑)
頭の中に一瞬、香川県漁連のお魚アイス「いとしのエビー」が浮かんだが、グッと飲み込んで私は風呂に入った。風呂から出て来てまた水槽を見て必死で数えたら、エビは15匹になっていた。しかも、その中に1匹、巨大になっとるエビがおる! お前、1ヵ月の間に森の後ろで何を食いよったんや! というか、何回脱皮したんや! というか、その大きさ、魚食いよったんちゃうか!
明日の朝、水槽を見るのがちょっと怖いような(笑)。
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2012年8月30日(木)
こないだのオープンキャンパスの日、大学のいろんな説明ブースが30くらい配置されたちょっと広い室内会場で「情報加工学」コーナーを担当していたら、向こうでK山先生(四国学院大学で2番目に男前)が、高校生を相手に器械を使って何やら計測を行っていたのである。
その器械は、裸足になって計測盤に乗って左右の手で何かの器具を握ったら、体脂肪率やら筋肉量やらのデータが細かく出てくるという、かなり高額な器械である。数年前、こいつが大学にやってきた時、私はスポーツ科学の漆原先生の研究室でデータを測ってもらって、「体全体の筋肉量は年齢平均より多い。腕も足も体の左より右の方が筋肉量が多い。体脂肪率は年齢平均よりちょっと多い」などとという結果が出たことがある。その器械を使ってK山先生(四国学院大学でダントツ1番にすべるダジャレを連発)が、オープンキャンパスに来た高校生と遊んで…いや、スポーツ科学の体験説明をしていた。
で、客…でなくて高校生が別会場の模擬授業とかに行ってしばらく途切れているのを見計らって、こっちも当然途切れているので、ちょっといじりに行ったのである。
田尾「これ、何の器械ですか?(知ってるけど)」 K山「あ、これはですね、田尾先生の性格がどれだけ歪んでいるかがすぐにデータで出てくる器械です」 田尾「ほな、僕が乗っても無反応?」 K山「いや、器械が壊れたらいけないんで、勘弁してください」
いつものお約束の、軽いジャブの応酬(笑)。仕方がない、そこまで言われたら測ってみないかんということで、私は靴を脱いで、靴下を脱ぎ始めた。
K山「田尾先生、オシャレな靴下はいてますね」 田尾「これな、新宿の伊勢丹メンズのイッセイミヤケで買うた。1足3000円」 K山「えーっ! 3000円の靴下ですか!」 田尾「それを、“こっからここまでちょうだい”言うて、9足いっぺんに買うた」 K山「えーっ! そしたら………………………2万7000円!」 田尾「計算に時間かかり過ぎや!」 K山「すごい大人買いですね。でも、なんで中途半端な9足なんですか?」 田尾「説明したら長なるで」 K山「あ、じゃ、いいです」 田尾「言わせて(笑)」 それから、イッセイミヤケでこれを見て、この歳になって初めて靴下にオシャレがあることを知ったこと、それで舞い上がって金銭感覚がどうかしていたこと、そこには20足くらい並んでいたけど、さすがに3万円を超えたら何かがいけないような気がして9足で踏みとどまったこと、靴下はもうこれで100年ぐらい履くつもりでいつも洗濯ネットに入れて大事に洗っていること…などを、K山先生の顔に「もういいです」オーラが出るまでしゃべって、器械に乗ったのである。
しばらくして、器械のサブパーツからカラーコピーみたいなのが出てきた。それを取って眺めていたK山先生が軽く笑って、
K山「肥満型って出てますよ(笑)」
私は6〜7年前の「峰山式ダイエット(笑)」成功以来、以前の私を知る会う人会う人に「スマートになったなあ!」と言われているのだが(170センチで68〜70キロ)、データは正直だ。体脂肪率がなかなか充実しているのである。
K山「あと、筋肉量は多いんですけど、バランス的には右に偏っていますね」 田尾「脂肪を落とすのはどうしたらええん? 腹筋とか筋トレは違う言うてたでしょ?」 K山「まあ、筋肉は基礎代謝量を上げるから、ないよりはあった方がいいんですけど、あれは基本的に体型を締め上げる鎧みたいなものなんで、引き続き峰山に行ってたらいいんじゃないかと」 田尾「わかった。じゃあ峰山の回数を増やして、あと、左の筋肉が少ないから、左に傾いて歩いてみる」 K山「さすが田尾先生。常に論理的で合理的な考え方をしますね。それはどうかと思いますけど(笑)」
などと言いながらしばらく運動と体質の話をしていて、帰り際に思い出したように「ほんで、性格はどう出てた?」と振ってみた。すると、間髪を入れずにK山先生、さっきのデータの紙を上にかざして透かして見た(笑)。横にいた漆原先生が言いました。
漆原「田尾先生、あんまり相手しない方がいいですよ」 田尾「いや、ちょっとレベル上がって来てるかもしれん(笑)」
などという話を、「コスモ石油、来年7月に坂出精油所を閉鎖。地元に衝撃と懸念」というニュースを見てて思い出したのである。こういう話はたいてい、倒産とか撤退とかいう現象が見えて初めて一般の人は驚くのであるが、企業というのは(お店もそうですが)そういうことが起きるかなり前から中でいろんなことが起こっていて、それに対していろんな手を打ったり考えたりして、ものすごく動いているのである。しかし、それらが「閾値」を超えて表面化しない限り、一般の人は「何も起こってない」と見てしまう。
でもね、表面化した時にはたいてい手遅れなんです。会社も、店も、私の体脂肪率も(笑)。で、体脂肪率は「閾値」を超えるまでに「これまでどういう経過をたどっていて、今どういう状況にあるか」を自分で知ることができるから、事前に手が打てるし、多くの人は事前に手を打って「閾値」を超えるのを防いでいるわけで、病気関係はみんなそうですね。
でも、企業の「病気」については、企業内の経営者は自分で知って手を打っているけど、地域行政とかは、倒産や撤退が起こるとすぐに雇用や税収で被害を受けるという「一心同体」的な存在なのに、表面化するまで無策なのは何なの? マスコミなんか、表面化した時だけ騒ぐけど、表面化していないうちは「大企業は悪だ」みたいなメンタリティさえ持って見ているのは何なの。
コスモ石油坂出の閉鎖に至る「表面化するまでの経緯」については、単純に市場環境の変化もあるだろうけど、最近決まった、精油所に関する企業にかなりの負担を強いる一本の規制の影響が大きいと言われています。出光も再来年3月に山口の精油所を閉鎖する方針を出したし。すると、地元行政が閉鎖で「衝撃と懸念」を表面するのなら、その規制が決まった時点か、導入されようとしている時点でちゃんと事前に「閾値」を超える手を打たないと。結果、残念ながら同じことになったとしても、手を打たないと。
結局、地元行政は「地域を豊かにする」というのなら「経営者の視点」で地域の素材や事象を見ていないといけないのに、みんな、「表面化したことだけに反応する」という、「一般の人と同じメンタリティ」なのではないかと疑ってしまう。
例えば「四国電力は原発なしでも停電も起こらずに夏を越えた」というのは、表面化したことだけに対する反応であって、「閾値の水面下で何が起こっているのか? 閾値を超えないためには何の手を打たなければならないのか?」という経営者の視点ではない。先日、四国電力の経常赤字予測が発表されたが、決算書を分析するなり聞き取りするなりすれば、水面下で何事が起こっているのかがもっと具体的にわかるはずだし、そこを分析してこそ、「大丈夫だ」とか「大丈夫でない」とかの判断に理屈が通ってくると思うのである。
私なんか喫煙者であるが、「吸ってても別に肺ガンになってないし、私の周りで私の副流煙のために肺ガンになった人もいない」などと言おうものなら、「表面的にはそうかもしれないけど、体内では悪いことが起こっている!」と猛抗議されるのは目に見えているじゃないですか。でも、企業に対しては、企業が最も気をつけなければいけない「病気」である「財務体質、財務状況」について、副流煙以上に露骨に影響を被るはずの「地元行政」が無関心というのはどうなの。体内(管轄地域内)の分析に無関心を続けて、豊かさを生み出す者から金を取って豊かさを生み出さない人に配り続けてたら、すぐに閾値を超えて手遅れになりますよ。
…と無理やりK山先生を社会問題にまでつなげてみました(笑)。こないだから、水槽の中の黒くてシッポだけが赤いサメみたいな形をしたやつとエメラルドのコリドラス2匹が、異常に大きくなっていることに気がつきました。あいつらが3匹でエビ30匹を食ってしまったと考えれば、すべてが腑に落ちる。水草の森の裏はまだ確認していませんが、エビは依然、影も形もありません。
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2012年8月27日(月)
そういうわけで、2日連続プーキーの熱帯魚コーナーに行ったのである。それで、例のにいちゃんに昨夜から今朝にかけての状況を事細かく説明して、「エビが全部消えた」と言ったのである。
にい「死骸もないんですか?」 田尾「きれいさっぱり、跡形もないんよ。魚が全部食べたとしても、殻ぐらいどっかに落ちてそうなもんやろ?」 にい「魚はどんなのが入ってます?」 田尾「えーと、大きいのは平べったくて背びれの縁が赤い…あ、そこにおるやつがでっかくなったやつ」 にい「これは、大きくなってもエビは食べませんね」 田尾「あと、こっちにおる黄色くて黒い斑点があるやつが2匹、巨大になってる」 にい「これもエビは食べませんね。まあ殻もないということは、たぶん魚に食べられたんじゃないですね」
ふーむ、だんだんミステリーの選択肢が狭まっていくぞ。
にい「もしかしたら、死んでないかもしれませんね」 田尾「え?」 にい「水草の陰にはいませんか?」 田尾「ものすごく見たけど、どこにもおらん」 にい「90cm水槽ですよね。水草はかなりたくさん入ってます?」 田尾「手前は草原で、半分から後ろは森になってる」 にい「結構多いですね。死角はあります?」 田尾「奥の方の森の裏とかは見えんけど…あと、5cm×10cmくらいの木に水草を縛り付けたみたいなやつがあるやろ? あれを4〜5枚、森の裏の一番奥のガラス面に並べて立てかけてある」 にい「なるほど。その板の裏とか、怪しいですね。ヌマエビは結構臆病なんで、人がいると陰に隠れてたりするんです」 田尾「それ、もし生きてても全然仕事してないやん」 にい「夜になったら出てきたりしますから」
何と、全部生きているという可能性が出てきた! しかし、30匹やぞ。いや、最初に入れた10数匹も生きてるとしたら、あの板の裏に40匹も隠れとんか! しかも、これまでただの一度も、チラとも私に見られることなく。ほんまかおい…。
とりあえずオトシンクルスの空腹そうなやつを一気に20匹買って、家に帰って水槽に投入しました。今、やつらがメチャメチャ働いています。明らかに、葉っぱのコケが徐々にクリーニングされつつあります。けど、エビの姿は依然、どこにもなし。手を入れて奥の板付き水草を動かして裏を確認したいけど、水槽の上は濾過器と蛍光灯で半分くらいフタされているから、奥まで手は入れにくいし、水草の森の裏だから、いたとしても手前の森まで動かさないと見えない可能性がある。濾過器と蛍光灯を外すのも面倒だし…。
というわけで、エビの安否は確認できないまま、しばらく捜索は打ち切ることにしました。森の裏にうじゃうじゃ生きているかもしれん。あるいは、森の裏がエビの墓場になってるかもしれん。あるいは溶けたのかもしれんし、私がエビを買った夢を見てたのかもしれん。依然、謎は残されたまま、午前3時前。最近ずっとプーキーにえのき君の姿が見えんのがちょっとだけ気になりつつ、もう寝る。
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2012年8月26日(日)
この1週間が、今年の夏の私の正念場である。仏教の悟りを開くための過程である「八正道」の、「正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」の中の「正念」の場である。ま、「あらゆるものに注意を払いながら、しかも雑念を除いて、優先的にやるべきことに集中する」みたいなことだと私は解釈して、この1週間、並々ならぬ決意でものすごく働くことにした。土曜日は終日オープンキャンパスで学内行事に専念していたのだが、日曜日から10日間くらい、学内行事がなく、講演やら何やらの学外行事もない日が続くのである。よって、ここが今年の夏の授業準備も含めた研究の正念場というわけである。
そういうわけで、並々ならぬ決意の初日の今日、プーキーにヌマエビを買いに行きました。いきなり雑念から入っとるやないの(笑)。我が家の水槽の状況は、どこまでお伝えしたかな。ま、別にお伝えするほどのことではないが、大まかな経過をまとめると、
(だいぶ前)90cm水槽の中の水草の森にコケがいっぱい生えてきてどうにもならんので、プーキーのえのき君のアドバイスに従ってコケを食べるオトシンクルスを15匹投入したら、こいつらがメチャメチャ働いてあっという間にコケがほとんどなくなった。
(数カ月前)オトシンクルスが5匹ぐらいに減ってきたのと同時に、また水草の葉っぱにコケが出始め、しかも残ったオトシンクルスが怠慢になってちっとも働かず、水槽の中は「だいぶ前」と同じような状況になってきた。しかも、よく見ると今度のコケは黒っぽくて頑丈で、どうやらオトシンクルスは食べてないみたいだ。
(7月29日)ついに私は決心した。コケまみれの水草は捨てて、新しい水草を大量に投入して一新する! というわけでまずアミーゴに行って水草を買い、その足でさらにプーキーに行って水草を追加購入した上で、えのき君がいなかったので別の兄ちゃんに状況を説明したところ、「そのコケならヌマエビが食べますよ」と言うので、ヌマエビを20匹買った。
兄ちゃんによると、ヌマエビは水の変化に弱いので、水槽に入れる前に、ヌマエビが入っているプーキーの水にちょっとずつうちの水槽の水を加えて行って、2時間くらいかけてうちの水槽の水に慣らしてから入れた方がいいと言うので、私は使ってないちっちゃい水槽に買ってきたヌマエビとプーキーの水を入れ、そこにうちの水槽の水をちょっと足した。その時、ふと「コケだらけになっている水草をここに入れたらヌマエビが食べるんでないか?」と思った私は、90cm水槽から数株のコケ付き水草をヌマエビ水槽に入れてみた。すると、おおっ! ヌマエビがコケを食いよるではないか!
これは、2時間の水合わせでなく、ヌマエビはしばらくこのちっちゃい水槽に入れたままで、それを「水草のコケ取りランドリー」にして、そこに90cm水槽からコケ付き水草を次々に入れながらヌマエビにコケを食べさせたらいいのではないか? その間、90cm水槽は新しい水草で埋めておくと、メイン水槽は美しいわ、小水槽の中ではヌマエビが古い水草を洗濯しよるわで一石二鳥!
で、2日くらいそういう状態にしていたら、古い水草を入れすぎて水質が変わってしまったのか、「ヌマエビランドリー」の中のヌマエビが5〜6匹死んで、さらに数匹が「出水自殺」してた。そこで、私は考えた。ヌマエビが半分近くに減ったのは残念だが、今残っているやつらは90cm水槽の水に適応した強いやつに違いない。よし、もう90cm水槽に投入しよう。
そういうわけで残ったヌマエビを90cm水槽に入れたら、翌朝、1匹もいなくなっていた。意味がわからん。全部死んだのか? しかし死骸がどこにも見当たらない。魚に全部食われたのか? あるいは、水槽の奥の木の陰に全部隠れてるのか?(それはそれでちっとも働いてないから投入した意味がないぞ)
(で、今日)夕方、プーキーに行って来ました。またこないだの兄ちゃんがいたので、状況を説明。「ヌマエビランドリー」をやってた時にはやつらは確実にコケを食っていたので、役に立つことは間違いない。結局、水合わせが十分でなくて新しい環境に適応できなかったのではないか、ということで、今度はさらに慎重に水合わせをしてから入れることにして、今度はヌマエビ30匹を購入。さらに万全を期すため、腹を減らしたオトシンクルスも5匹買って帰ったのである。
90cm水槽の中は、1ヵ月前に刷新した水草にまでもうコケが生えかけているので、早いうちに手を打たなければならない。私はまず、ヌマエビをプーキーの水と一緒にちっちゃい水槽に移した。そこにほんの少し、うちの水槽の水を垂らす。それから、仕事をしながら30分ごとにちょっとずつ90cm水槽の水を垂らしながら、前回の倍、4時間くらいかけて水合わせをしていった。その間、90cm水槽の中を見ると、先に投入したオトシンクルスが必死で水草のコケを食べている。よしよし、こいつらはよう働く。ここにエビ30匹が投入されたら、もうあっという間に水草はピカピカじゃ!
夜の10時過ぎ、ほとんど大水槽と同じ水質になっているであろう小水槽の水の中で元気に生きているヌマエビ30匹を、大水槽に投入しました。エビたちはワーッと沈んでいって、水草の森にたどり着きました。ある者は葉っぱの上に、ある者は葉っぱの間に、ある者は砂の上に…。散り散りになったところを見届けて、私は風呂に入ったのです。で、風呂から出て来て一服して、もう夜も遅いので水槽の電気を消して、午前1時頃まで仕事をして寝ました。
これを書いているのは月曜日の朝です。朝、仕事部屋に入って水槽を見てみました。目をこすってもう一度見ました。さらに、目薬を差して両頬を叩いてものすごく見ました…エビが1匹もおらんやないかああー!!!!
真夏の夜のミステリーだ。もうええわ。今日、もっかいプーキーに行って、オトシンクルスを増量する! 今週は、今年の夏の私の正念場である(もうええっちゅうに)。
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2012年8月23日(木)
キャッチボールもままならないようなおっさんでも、野球場に行ってプロの試合を見てたら十分おもしろいでしょ? プロの解説者の「ここは手堅く行くならバントですが、1球目はエンドランもあるぞ、と見せておいた方が…」とかいう解説を聞きながら見てたら、もっとおもしろいでしょ? みたいなことである。それが、プロの解説も「えっ!」と驚く一手が出るから、羽生の将棋は特におもしろいのである。果たして今日、私は「羽生マジック」の瞬間に出会えるのでしょうか!
…と、実際の気持ちより30倍くらい大げさに書き出してみましたが(笑)…ま、そういうわけで行ってきました。
ネット内の情報によると、徳島県の渭水苑で行われる大盤解説会は、午後2時から入場券の発売開始で、午後3時から始まるらしい(もちろん、対局は渭水苑のどこかの部屋で行われている)。ということで、私は午後1時過ぎ高松発のJRに乗って2時過ぎに徳島駅に着き、そこからタクシーで渭水苑に向かい、2時半頃に会場に入るという予定を立てたのである。
この日は対局の2日目。ま、最終日です。昨日の夜、羽生が大方の予想を裏切る「1六角」という新手を打って、そのまま藤井の封じ手となって、今朝からその続きが行われている。私は午前中に家でネットで途中経過を確認し、「まさか行ったら終わってたということはないだろうなあ」と、ちょっとだけ不安を抱えながら、午後1時前、高松駅に行った。そこで徳島行き特急の指定席券を買おうとしたら、平日の昼間の高徳線なのに、何事があったのか残席がほとんどなくて、1号車2番C席の通路側しか空いてない。横に人がいるとパソコン開けて仕事がしにくいけど、まあ仕方がない。私は切符を買って、車内に乗り込んだ。
よく乗っている岡山行きマリンライナーはホームの手前側が1号車なので、一番手前の車両に乗り込んで2番C席に行くと、隣のD席(窓側)にサラリーマン風の人が座っていた。その人の大きなキャリーバッグが私の座るC席の前にあって、そのままでは私が座れないので、「すみません、この席なんで」と言うと、その人は自分の大きなキャリーバッグをどうしたものかと、ちょっと困った顔をしている。私も気の毒になって「荷物、置くところがないですねえ」と言って棚の上とか車両の前の方に置き場所はないかと見回していたら、その人が、大方の予想を裏切る一言を発した。
男性「ここ、指定席ですか?」 田尾「え?」
前方上部の電光掲示板を見ると……「自由席」って書いてるやんか!
田尾「あ、自由席ですね。すんません、指定席かと思ってました」
高徳線はホームの手前側でなくて、先の方が1号車なんか(牛乳屋さんから「またやったんかい!」のツッコミが入るわ)。そこで直ちに名誉ある撤退(不名誉だけど)を決意した私は、1号車に行って、大声を立てる子供とおばさんたちに囲まれてろくに仕事もできないまま、2時過ぎに徳島に着いたのであった。
そこからタクシーで渭水苑に到着。会場の祥雲閣のロビーに入ると、係のおねえさんがすぐに「大盤解説ですか?」と言って、2階に上がるように案内してくれた。
2階に上がると、すでにファンがたくさん来ていた。大半がおじさん。中に女性と利発そうな子供も交じっている。通路(2階ロビー)にたくさん並んでいるソファとテーブルの上では、おそらく自分で持ち込んでいるのだろう簡易将棋盤を拡げて、ipadかスマートフォンみたいなのを見ながら棋譜を再現してああでもない、こうでもない、とやっているファンがたくさんいる。ザッと数えてみると、通路スペースに50人くらい、その奥の大盤解説会場の広間には70〜80人くらいいた。私は受付のテーブルで2000円を払って、ドリンク券を1枚もらって、会場の広間に入った。
広間は正面に低いステージが設けられていて、そこに2m四方くらいの大きな将棋盤が立てかけられている。それに向かって広間全体にイスが100席くらい並べられていて、まだ解説開始20分くらい前なので70〜80人くらいが座っていたけど、あとの人は何かイスの上に紙を置いたりして席取りをしたまま、通路ロビーに出てドリンクをもらって飲んだり将棋盤を囲んだりしているようだ。私は空いているイスを探して、前から7列目の右から4番目のイスに座って、パソコンを出して仕事をしながら始まるのを待っていた。
3時になった。解説の武市六段と長谷川女流二段(女子高校生棋士だ)が入ってきて、大判で駒を動かしながら解説が始まった。まずは昨日の初手から今現在までの経過を解説しながら駒を動かしていって、そこから、実際の対局の進行に合わせて、ああでもない、こうでもない、と差し手や展開の予想をしていく。気がつくと、会場内は全席が埋まってイスが追加され、それでも足りなくて立ち見客も取り巻いている。といってもそんなに広い部屋じゃないから、観客は150人くらい。その全員が、盤面と解説に食い入るように注目している。その様子を見て、子供も入れてここにいる全員の中で、私が一番将棋はヘタだろうと確信した(笑)。
午後4時半頃になって、局面は終盤戦の様相を呈してきた。解説を聞いていると、形勢はまだ不明。そこで「次の一手」の第1回予想投票が行われた(3回行われるらしい)。難解な局面で、解説者二人が次の一手を「A」「B」の2種類予想し、そのどちらでもない場合を「C」として、会場のみんなが先に配られた予想の紙に「A、B、C」の三択と自分の名前を書いて投票箱に入れるのである。携帯等で生情報を確認しながら聞いているファンがたくさんいるので、投票中に次の指し手がわかったらいけないということで、全部電源を切らせてから投票が始まる。
1回目は藤井の手番だった。周りを見ると、みんな「やっぱりAだろう…」「Bはこう来られてこう行った時に、こう来られたら絶対苦しくなる…」とか検討しながら決めて投票していたが、甘いな。天下の藤井やぞ。そんな、大盤でちょっと解説したような予想が当たると思う方がおかしいわ。しかも、その他の手は全部Cなんやから、確率からしても圧倒的にCじゃ。
私は紙に「C」と書いて、当たったときに名前を呼ばれるからどうするかな、「和田」で行くか…「松村」で行くか…いやいや、ここは徳島やから「田尾」でも誰も知らんやろ…と思って本名で出したら、藤井が「A」の手を指した。藤井〜(笑)。
続いて数手進んだあと、今度は羽生の手番で「次の一手」が来た。解説者がいろいろ解説をしながら「A」の手と「B」の手を提示し、それ以外は「C」となった。また周りのみんながああでもない、こうでもない、と検討していたが、甘いな。藤井はさっき予想通りの手を指したけど、今度は羽生やぞ。「羽生マジック」やぞ。そんなもん、こんなところで誰かが思いつくような手を指すはずがないやんか。私は自信満々に「C」と書いて出した。
みんなの投票が終わって数分後、羽生が「A」の手を指しました。羽生〜(笑)。
続いて局面は、いよいよ一手を争う緊迫の終盤に突入した。そこへ、別室で検討していたプロ棋士たちの中から若手の杉本七段と里見香奈女流名人が大盤解説会場に入ってきた。素人目に見ると羽生の苦しそうな局面で、3回目の「次の一手」。
今度はプロ棋士4人が寄ってたかって検討をしながら予想を「A、B、C」の3つ出して、それ以外が「D」という選択肢となった。なるほど、プロ棋士は基本的にそんなに突飛な手ばかり指すわけじゃないのだ。わずかな選択肢の中で、どれを選ぶか、その判断と決断が勝敗を分けるのだ。私は心を改めて、オーソドックスに考えることにした。考えて、考えて、「B」と書いて出したら、羽生が誰も指摘しなかった手を指した。「3一飛」!
出たー! 羽生マジック! 正解「D」! 「次の一手」全敗!(笑) 何やってんだか(笑)。いや、マジックだったかどうかわからないけど、あの2一の竜の横に打った3一飛、その2枚飛車が最後の決め手になったのだから、やっぱりすごい手だったんだろう。
それから、局面は素人目にはまだハラハラだったのだが、強固そうに見えた藤井の守りがあっという間に崩され始めた。壇上で解説している武市六段の前にはモニターがあって、対局の様子が生中継されている。それを見ながらしゃべっている武市六段に、会場から質問が飛んだ。
会場「羽生さんの手は震えてますか?」 武市「いや、まだです」
会場が笑いに包まれる。10年くらい前から始まったと言われる、「羽生の震える手」だ。勝利を確信した一手を指す時、駒を打ち付けた羽生の手が震えるのである。それがまだ出ていないということは、まだ勝利を確信しているわけではない、ということか。しかし、それから数手のあと、形勢は大きく羽生に傾き、解説の武市六段が「これはもう決まりましたね。あと10分で藤井さん、投了しますよ」と言った。
局面は、確かに私でもわかるくらいの「羽生の勝ち」の状態になっていた。私は、ふとポケットに手を入れると最初にもらったドリンク券があったので、席を立って会場の入り口の横に設けられたドリンクコーナーに行った。
給仕係のおっちゃんは、黒のスーツにネクタイを締めてちゃんとした格好をしていたのだが、どうも手つきがたどたどしい。私が「ホットコーヒーください」と言うと、そのおっちゃんはコーヒーの入ったあの透明のガラスポットを持ち上げたのだが、手がぷるぷる震えてるやん! コーヒーカップにコーヒーを注ぎ始めたら、ポットの先が震えてカップに当たってカチカチカチ…って、震えてるやん! 私は一瞬、「おっちゃん、何か勝利を確信したのか?」と思ったが、よく見るとそのおっちゃんはおっちゃんではなくてヨボヨボのおじいさんで、コーヒーポットの重みに耐えきれずに震えていたのだった。
コーヒーを飲み終えて会場に入って席に着いたら、もう終局間近だった。午後6時になっていた。その時、解説の武市六段が信じられないアナウンスをした。
武市「終局後、羽生さんと藤井さんがこの会場に来てくれるそうです」 会場「おおーっ!」 武市「たぶん、あと10分くらいでお見えになりますよ」
何ということだ! あの、有馬温泉の大浴場で見たまがい物の羽生ではなく(ま、その兄ちゃんには何の罪もないのだが)、本物の羽生がここに来るのか! 私は、心臓がバクンと一つ打った。そして、ついに羽生が入ってきました! 会場、大拍手!
武市「羽生さんと藤井さんです。お疲れのところですので、一言ずつ」
まず、羽生にマイクが渡された。羽生は、まだ心ここにあらずといった印象で「局面はよくわからなかった。3二竜と成って勝てるかなと…」みたいなことを短くコメントした。次に藤井にマイクが渡された。藤井は冷静に振り返って何かコメントしていたが、私はその間、ずっと羽生を見ていた。藤井がコメントをしている間、羽生は目は中空を見たまま、何と口は半開きになって、放心状態のようになっていた。びっくりした。壊れた人形のようだった。酷使しすぎて煙を噴いたコンピューターみたいだった(見たことないけど)。
天才が全身全霊で戦うと、ああなるのか。あるいはただの羽生の癖なのか、よくわからないけど、最後の最後にすごいものを見た気がしました。帰りのタクシーの中で、運転手に「将棋ですか?」と言われて(渭水苑から出たので)、何か高揚してたのかもしれないが、私はずーっと運転手にしゃべっていました。いやー、見に行ってよかったです(笑)。
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2012年8月22日(水)
慌ただしいが、いろんな仕事が着々と、今年の夏はここ10年で初めて「8月31日の小学生状態」にならなくて済みそうなくらい着々と、進んでいる。昨日、仕事のはかどり具合の再確認をしたところ、「このまま休みなく仕事を片付けていったら、9月末までにやっておかないといけないことが8月31日までにほぼ完了する」という、超前倒しで進んでいることが判明したので、昨日の夜、約2年ぶりにレンタルCDを6本も借りてきました。さらに23日(木)は、今度は日時もちゃんと確認した上で、徳島の渭水苑に「王位戦第5局」の大盤解説会を観に行ってくる(笑)。
何か、プチ油断モードの危険なニオイがしてくるが、徳島へは車ではなく、パソコン持ってJRで仕事しながら行くというところに、なみなみならぬ決意をうかがい知ってね。
ちなみに、大盤解説を見に行くのは、生まれて初めてです。私は将棋ファンというより「タイトルマッチファン」みたいなところがあるのと、あと、こないだのリベンジで(笑)。パソコン持ってるから、長考で局面が動かなくなっても、その間こっちも長考しながら原稿書けるし。書けるのか? よくわからんけど、とりあえず大盤解説を初体験してきますわ。
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2012年8月16日(木)
私は社会で起こるいろんな物事について、よく「行政・企業・個人」という分類で考えることがある。結構よく使う「考え方の切り口」である。
例えば、何かのビジネスやイベントを考える時に「行政からお金をもらうか、企業からお金をもらうか、個人からお金をもらうか」と考えると、戦略の「入り口」が整理できることがよくある。
例えばGDPも、その大半が「個人消費・企業投資・行政投資」の合計である。
例えば、経済の活性化について考える時も、「行政、企業、個人」の誰にお金を回したら一番有効か? その三者の誰が一番、経済の活性化にお金を使うか? と考えると、「お金の回し方」の一つの原理原則が見えてきたりする。例えば、
(1)企業に100億円渡すと(減税等)、企業は基本的に貯金が目的ではないから、まあそのうちの80億円は投資して、工場を拡大したり営業拠点を拡大したり新商品の開発に回したりする。そのうちの半分はうまく行かなくても、残り半分は成功して投資の2倍以上の新しいビジネスが生まれるとすると、まず最初の投資80億円がそのまま経済効果になり、加えて、成功する40億円が倍の80億円の経済効果を生み出すとして、合わせて「160億円」の経済効果を生み出す。
(2)個人に100億円渡す(ばらまく)と、まあ半分貯金して半分消費に回るとして、「50億円」くらいの経済効果を生み出す。
(3)行政に100億円渡すと(増税等)、行政も貯金が目的でないから100億円全部使うので、そのまま100億円の経済効果がありそうだが、行政の投資の半分は社会保障費等で個人に回るだけだし(ということは、その半分は個人消費、残りの半分は貯金)、それ以外の投資は大半が後々にかけて赤字を生み続けるから(膨大なハコモノしかり、瀬戸大橋みたいなインフラ投資しかり、事例は山のようにありますよね)、ヘタしたらトータルで「マイナス」の経済効果になるかもしれない。
…みたいに、「行政・企業・個人」という分類は、物事を考える時に結構いろんなところで使えるのである。
お金に関係ない物事を考える時も、こいつはちょっと視点の違う切り口として使える。例えば、今回の韓国の振る舞い。
(1)韓国の「行政(政治)」は、大統領が暴走してあんなことになっちゃった。もちろん、大統領以外の政治家や官僚も、これまでずーっと同じようなメンタリティで日本に対して理不尽な言動を繰り返してきた。
(2)韓国の「個人」は、オリンピックのサッカー選手やサポーターや、竹島に泳いで行ったという歌手たちや、韓国の日本大使館前でむちゃくちゃする市民や、ニュージャージー州パリセイズバーグ市でむちゃくちゃする団体や、とにかく日本人なら絶対やらないようなことをする個人や団体がいっぱいいる。
(3)でも、韓国の「企業」は、そういう話をあんまり聞かんなあ。
…みたいなことを考えたりするのである。ニュースで流れてこないから知らないだけなのかもしれないけど、何か、行政と個人は「感情」で動くけど企業(ビジネス)は基本的に「理屈」で動くからかなあ…とか思ったりする。
感情で動けば「ケンカ」になるけど、理屈で動けば「競争」になる。私は「超合理主義者」だから、90%以上「理屈」で動いていると自分では思っている。だからあまり感情的なケンカをしないのかもしれないけど、理屈屋が理屈でものを言うと、なぜか感情屋に嫌われるんですよねえ(笑)。理屈とかビジネスの世界は競争だから厳しいけど、「勝ち負けがはっきりしてて潔い」という点で、私は結構好きなんですけど。
今日も早朝、そんなことを考えながら峰山を歩いてきました。ちょっと曇ってたから決行したんだけど、降りてくる頃にはすっかり晴れ渡って夏の日差しが戻ってきてしまいました。6日連続の峰山。8月はこれぐらいにしといてやろう(笑)。
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2012年8月15日(水)
えーと、一部のインタレストファンの方々にお知らせです。前号の案内の時に「インタレストのアンケートに協力してくれる方」を募集したら、何と150人くらいの有志の方々が名乗り出てくれて、編集部ではうれし泣きで企画会議が1週飛ぶほど感謝しておりますが(1.5倍ぐらい大げさ)、その企画会議で私の話の脱線防止隊長のO西ゆりこが「さっそく使いましょう」という安易な企画を出して(笑)採用されたため、間もなくアンケートのお願いメールが行きます。
アンケート内容は、O西の発案です(とO西に責任を振っておいてと)。笑いどころはあまりありません(笑)。しかも、「できれば周りの人からもアンケート採ってください」というあつかましいお願いが行きます。たぶん、O西と富永サキとダメ出し隊長吉Dらから、それぞれのオリジナルお願い文付きでメールが行くと思いますので、もし対応可能であれば、ご協力いただければ幸いです。あ、面倒だったら無理しなくても全然オッケーですので、「今回は無理」いうて返信してやってください。
さてと、こんな時にいつも通りの日記書いてたら「こんなひどいことをされているのに興味もないのか!」と思われたらいかんので、一応表明だけはしとくけど、私はもうずーっと、中国と韓国と北朝鮮の振る舞いに対しては、個人的に重大なる信念と決意を持って日々過ごしておりますが、オリンピックのサッカーからのこの1週間ぐらい、しまいに天皇を侮辱されるに至っては、私の中で一線を越えました。これぐらいでええかな(笑)。
とりあえず、今朝も汗だくの峰山ウォーキング。5日続けたら、ベースで2キロぐらい体重が落ちて、腹回りもかなり楽になりました。明日から曇り空が晴れて日差しが戻ってくるみたいなので、たぶん山はお休み。しばらく、引きこもりで仕事します。
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2012年8月14日(火)
朝、勝谷さんのメールマガジンを読んでたら、こないだの「シモネタ」が天下に晒されていた(笑)。この日記書き始めて初めての、それもちっちゃいちっちゃいシモネタなのに、上原のせいだ(笑)。私のせいだけど。(ナンシー関風に書いてみました)
さて、有馬温泉から帰ってきた土曜日から、4日続けて峰山に登ってきました。土曜日は朝8時頃から3時間、日曜日は朝8時半頃から2時間半、月曜日は夕方5時頃から2時間、火曜日は朝9時頃から2時間。その結果、体重は0.5kgしか減ってないけど、腹回りの脂肪を掴んだら確実に厚さ2センチは減った。ま、厚さ4センチが2センチになったのか、20センチが18センチになったのかわからんだろうけど(笑)。
ここ数年、もうええ歳になってきたので、日差しの強い夏場はほとんど峰山に登ってなくて、従って毎年夏を過ぎると腹回りがだぶついていたのであるが、ここ数日、曇りや小雨が続いていたので気持ちを奮い立たせて行ってきたのである。3日目の昨日は、午前中ちょっと日差しがあったので「今日はやめとこう」と思って家で仕事をしていたのだが、夕方になって空を雲がびっしり覆ってきたので、意を決して(何せ2時間の山登りコースだから、意を決さないとくじけるんです)出発したのである。
今度スズメバチに刺されたら2回目でアレルギー反応を起こして死んだらいかんので、白のジーンズみたいなのをはいて、体にぴったりの長袖のスポーツウェアを着て、その上に白のTシャツを着て、白のキャップをかぶって、捻挫防止のためのいつもの足首まである登山ブーツみたいなのをはいて、500mlのペットボトルにスポーツドリンクを半分入れてそいつを水で2倍に薄めてボトルいっぱいにして、進化したビークオーターを飲んで、夕方5時に出発。平地を200mほど歩いて最初の難関、「花樹海」に向かう急坂を登り、そこから峰山の裾を横に1kmくらい歩いて、そこから峰山の横っ腹をクネクネと曲がりながら1時間くらいかけて山上に到着しました。
峰山は正式名称「石清尾山」なのだが、山上の町名は「峰山町」で、そこにある公園も「峰山公園」なので、もうみんな「峰山」でいいのである。峰山の山上は横に長くて、北の端が高松市街から屋島、瀬戸内海を一望する展望台。南の端が桜並木のある休憩所である。展望台から休憩所までは、山上を徒歩で20分くらいかかる。で、この日はまず、南の休憩所に登ったのである。
午後6時過ぎ、休憩所でハアハアいいながら息を整えていたら、70歳は過ぎていると思われるおっちゃんが2人やってきた。見ると、首にごっつい高そうなカメラをぶら下げて、峰山の平面図が描かれた看板を見ながら何やら話している。しばらくして、私が北の展望台に向かおうと立ち上がったら、おっちゃんが声をかけてきた。
おっ「あんた、どっちから上がって来たんな」 田尾「あっちからです」 おっ「こっちの方で、市街地を見下ろせるとこ、どっかにあるかい?」 田尾「市街地を見下ろすんなら、あっちの展望台の方がええですよ」 おっ「展望台はみんな行っとるけんなあ」 田尾「何があるんですか」 おっ「花火の写真撮るんや」 田尾「あ、今日、花火大会ですか」
そうだ、今日(13日)は高松まつりの2日目で、夜の8時から花火大会があるんだ。峰山山上は花火の打ち上げ場所から距離は離れているけど、高松市の夜景と花火が一望できる絶好の場所であることは間違いない。なるほど、アマチュアカメラマンが峰山から花火の写真を撮ってるのか。
おっ「みんなが撮りよるところはおもっしょないけんな」 田尾「展望台から岩場を降りていったら、2カ所ぐらい前が開けとるとこがありますよ」 おっ「あそこはちょいちょい四国新聞が撮りに来よる」 田尾「よう知ってますねえ」 おっ「あっち(峰山の隣の紫雲山)はないかい?」 田尾「あっちは山頂に行っても木が茂ってるから、たぶんないですね。あるとしたら、ちょっと低いけど栗林トンネルの上あたりにちょっと開けたとこがある」 おっ「やっぱりそこしかないか」
何か、すごいな(笑)。みんな展望スポットをよう知ってるし、花火大会が始まるまでまだ2時間近くあるのに、みんなもう山に上がって来て場所を探してるんや。
それから数分おっちゃんらと話をして、私は北の展望台に向かった。20分後、いつもの展望台に着いて2階に上がったら、うわー! 10人ぐらいおる! みんな三脚立てて、すごい望遠のカメラをセットして待機してる。上からも声がするので3階に上がったら、こっちも10人ぐらいがカメラをセットして待機してる! うーむ、2階はベテランっぽいおっちゃんばかりだけど、3階は若手がいるぞ。たまたま展望台に来たらしい若い女の子3人と、その連れの男の子らしいグループもいて、カメラ組の兄ちゃんが、その女の子らにいろいろ話をしている。
カメ「8時からあのあたりに花火が上がり始めるんや」 女子「えー! やばーい!」 カメ「ここはな、今日は花火やけど、高松の一番の夜景スポットなんや。それが今日は一緒に見られるで」 女子「やばーい!」 カメ「向こうの屋島の上から撮りよる人もようけおるけど、穴場はあそこ。あそこに島があるやろ? あれ女木島。あっちに渡って向こうから撮るんや」 女子「えー! 島に渡ってー? やばーい!」
何か、いろんなものがやばいらしい(笑)。私は、「これは高松まつり、予算難で花火大会をやめたりしたらマニアからクレーム来るやろなあ」とか思いながら、展望台をあとにして下山したのです。
で、花火大会を終えた本日14日の午前9時、昨晩の雷と豪雨を開けた峰山に登って展望台に行ったら、2階はきれいさっぱりしてたけど、3階はカメラの兄ちゃんがいたあたりと、連れの男の子がいたあたりにたばこの吸い殻とメガネ吹きの布みたいなのが落ちていました(笑)。ま、そういうことで。
今晩は高松まつりの最終日、総踊りの学生ボランティアの引率に行ってきます。参加3年目の岡田と佐々木と則包がしっかりしとるから大丈夫だろうけど、事前連絡会に来てなかった学生が2人。岡田が連絡してくれているらしいが、ボランティアとは言え、四国学院の看板背負ってるんだから、たのむぞ。
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2012年8月10日(金)
あたふた…。何だか日にちと曜日が混乱して、私は直前まですっかり勘違いをしていた。まず、「中の坊瑞苑」で8日(水)9日(木)の2日間、王位戦の第4局が行われる。これは正しい情報。で、私は木、金の日程で「中の坊瑞苑」に行くことになっていたのだが、それは「9日・10日」なのにすっかり「8日・9日」だと思っていて、「王位戦の日程と同じだ!」と喜んでいたのである。1日ずれてるやん!
その間違いに気づいたのが9日の朝という体たらく。高松を出発する前に新聞を読んでいて、「あれ? 今日が9日か?」ということに気がついて、私はいきなりテンションがうなぎ下がりになったのである。私が「中の坊瑞苑」に入るのは今日(9日)の夕方5時頃。9日は王位戦の2日目だから、行ったらもう対局が終わっている可能性があるではないか。
けど、もうどうしようもないので仕方なく、私は予定通り昼過ぎに三田のアウトレットモールに着いて、夕方4時過ぎまでいろんな情報を仕入れて、写真を撮って、ちょっと買い物もして、そこから車で有馬温泉に向かって、夕方5時過ぎ、宿泊先の「中の坊瑞苑」に到着したのである。
玄関前に車を停めると、正面玄関にいきなり「王位戦第4局 羽生善治王位VS藤井猛九段」という立て看板が立っていた。まだ看板を片付けてないのか…と思っていると、案内係のおじさんが出てきた。
おじ「ご宿泊の方ですか?」 田尾「はい。田尾です」 おじ「いらっしゃいませ、お疲れ様です。お荷物をお運びします」
荷物ったってバッグ一つなんだけど、一応持ってもらって、私は尋ねた。
田尾「王位戦、もう終わったんですか?」 おじ「いえ、まだ対局なさってますよ」 田尾「えー! まだやってるんですか!」 おじ「はい。もう終盤で、藤井さんが少し優勢のようですよ」 田尾「大盤解説、やってないですよね」 おじ「はい、解説はやってないんですけど、インターネットで中継をやっているようで」 田尾「館内のどこかで見られるんですか?」 おじ「残念ながら、見られるところはございませんで」
何とかー、今まさに最大の佳境の場面に出くわしたのか! 1日ずれてたのが幸いしたんや。けど、パソコンは持ってきてるけどネットにつなげんし…。ま、仕方がない。観戦はあきらめて、棋譜は明日帰ってから見よ。
というわけで、今日10日、家に帰ってネットで棋譜を確認したので、9日の夜の私の行動と合わせて同時中継をしてみましょう。
<午後5時過ぎ> 終盤、攻め合いに突入すると思われた羽生が誰も予想しなかった5二金で自陣に手を入れて、控え室で検討中の多くのプロ棋士の方々が「羽生はこのあと、何を考えているのか!」と色めき立った頃、私は正面玄関でさっきの会話をしていた。
<午後6時半頃> 「5八金(羽生)は4一角(藤井)で藤井の勝ち」と予想されていたのに羽生が「5八金」と打って、控え室が「おー、打った!」と言って騒然となり、「羽生さんだから何かあるのではないか!」と再検討に入った頃、私は夕食前の一風呂で福井から来たというおっちゃんと湯船に浸かって世間話をしていた。
<午後7時前> 最後の最後、どっちが一手勝っているのか、控え室でも答が出ないギリギリの攻防が続いている時、私は風呂から出て部屋に帰って、夕食の準備をしている仲居さん(マジックナポレオンズのちっちゃい方がちょっと入っている)をバカ話で笑わしていた。
<午後7時13分> 夕食で出てきた椀物の上に乗っていたちっちゃい緑の葉っぱを見て、 田尾「この葉っぱは何ですか?」 仲居「蓼(たで)の葉です」 田尾「“蓼食う虫も好き好き”の蓼?」 仲居「そうです」 田尾「虫もほとんど食べんやつじゃないですか。人間が食べてもいいんですか?」 仲居「好き好きですからどうぞ(笑)」 田尾「ほな食べるで。……あれ? 何ともないわ……ガジガジ…ガジ…うわーっ! 苦い! 苦いわー! あ、いたたた! 舌が痛い!」 とか言いながら強烈な蓼の一撃にお茶をがぶ飲みしていた時、羽生の怒濤の分厚い守りで藤井が投了。
ま、そういうことだったようです。けど、同じ宿にいても終局の時間もわからないので、私は夕食を終えてパソコンを開けて仕事を始め、夜の9時頃、また温泉に浸かりに行きました。
エレベーターを降りて、カラオケバー「仙宙里(センチュリー・笑)」の看板を横目に浴場へ。まずは大浴場で体を洗って、それから露天風呂に入って、それからまた大浴場に入ってくつろいでいた時、ふと「羽生が対局を終えて風呂に入って来たりせんかなあ」と思って、私は大浴場の大きな浴槽の隅で湯に浸かったまま、入り口と洗い場付近をぼんやり見ていたのです。
風呂に入る時はメガネを外しているので、入り口付近にいる人は一応見えるんだけど、顔はピントが合わなくてはっきりわからない。けど、入って来たのがじいさんかおっさんか若者かぐらいはわかるので見ていたら、明らかに体型の違うおっさんばかりが入って来る。途中、30〜40代くらいのちょっと華奢な兄さんが入ってきて、おっ! と思ったが、洗い場でこっちに背を向けて体を洗い始めた時、爆音を立てて手鼻をかんだので「これは違うわ」と(笑)。
結局、15分くらい大浴場で粘っていたけど、それらしい人は入って来なかった。まあそうやわなあ。羽生先生ともあろうお方が、こんな庶民の中に入ってこられるはずがない。というわけで、その日は夜1時過ぎまで部屋で仕事をして寝たのである。
翌朝、6時半頃目を覚ました私は、7時頃、朝風呂に浸かりに行った。夜中に男湯と女湯が入れ替わっていたので、違う風呂にも入っておこうということで行くと、おっちゃんが一人だけ先に入っていた。私は有馬温泉特有の茶色い湯の開放風呂とやらに浸かって、それから大浴場に戻って湯船でゆっくりしていた。すると、そこへ兄ちゃんが一人入ってきた。見ると、華奢で、ストレートの短髪で…えっ! 羽生か?! いや、まさか…えーっ! 羽生か?! 私は目を懲らした。けどメガネなしで顔にピントが合わない。かといって、近づいて確認するのも何だし。
私は、彼が体を洗い終えて湯船に入ってくるのを待つことにした。湯船に入ってくれば、さすがに私でも顔が確認できる。もし本当に羽生だったら、何と声をかけるか?
「ワタクシ、こういうものを書いた者ですが…」と言って『恐るべきさぬきうどん』の本を5冊出して…それは昔テレビの撮影で鈴木杏樹さんに向かってやらされそうになった恥ずかしい小芝居やないか。
「私、羽生さんの大ファンなんです! 背中にツメでサインひっかいてください」…これも違うな。こんなところで「ファンです」言われても困るやろ。昔、タウン誌で一緒に仕事してた某氏が人間ドックで直腸検査をしてて、肛門に何か差し込まれている時にそこにいた若い看護婦さんから「タウン情報かがわの方ですか! 私、大ファンなんです!」と言われて「そうですか…」としか返せなかったという事件があったが、例えをちょっと間違ったか? 私が10数年前、結石の激痛で生まれて初めて救急車で病院に運ばれていた時、救急車の中でうんうんうなっている私に救急隊員が「田尾さんですよね」「は…い…」「やっぱりそうやったんや。どこのうどん屋が一番うまいんですか?」と言われて、脂汗を流しながら「一番…というのは…好み…なんで…決められ…ん…です…ねえ…」言うたまま気を失ったことがあるが、これも違うな。
などと思いながら、それから数分、私はこっちに背を向けてイスに座って体を洗っているその人物をじっと見ていたのである。そして、じっと見て…じっと見て……見るのをやめました。あいつは羽生じゃない…。
私は湯船から上がって、彼の横を通って外に出る時にちらっと顔を見た。全然別人でした。やっぱりな。羽生先生ともあろうお方が、人前であんなにいつまでも、念入りに念入りに、チ○チ○洗うはずがない。(シモネタ、失礼しました。上原だけに送る私的エンディングですので善良な皆さんは削除してください)
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2012年8月7日(火)
先週の金曜日で、前期の授業が終わった。今週から9月いっぱいまで2ヵ月近く、まとまった情報収集や研究、後期の授業準備、インタレストの集中編集作業等々の期間に入る。「尻に火がついて背中まで燃え出さないと動かない」という編集者の性(さが)で、というか、勢いで一般論みたいに書いてしまったがたぶん私だけの性で(笑)、毎年9月の終盤になって「こんなになるまで何をしよったんや!」という大惨事を繰り返していたのだが、サルでも学習する。私はサル年なので、サル程度には学習する。先週の週末、丸1日かけてガントチャートを作りました(笑)。
その結果、まずはさっそく今週、神戸三田のアウトレットにマーケティングの取材に行くことにしたのです。で、どうせ三田まで行くなら、その足で有馬温泉に行って一泊しようということになりました。有馬温泉はまだ行ったことがないので、家内に「JTBでどこか選んでもらって」と頼んだら、JTBが「中の坊瑞苑」というホテルを勧めてきました。
私は旅行に行く時は(といっても年に1〜2回が精一杯であるが)、たいていJTB高松支店で段取りをしてもらっている。「温泉宿ぐらい自分でネットで探して予約したら、安いのがなんぼでもあるやん」と、みんなによく言われるのであるが、この歳になって、ちょっと違うメンタリティが芽生えてきたからである。
すなわち、1回1回ちょっとでも安いところを自分で探すより、同じ所に頼み続けて「いざという時に頼りになる顔見知りを作りたい」という感じ。いや、いざという時に何か便宜を図ってもらうというより(そんなことは今までほとんどなかったし)、JTBだろうがどこかのお店だろうがうどん屋だろうが、行った先でちょっとでも楽しいやりとりをしたいという感じですか。相手も、こっちが顔見知りだったら気持ちもちょっと入るだろうし(笑)。「一期一会」もいいけど、何かそういう、「刺激のない心地よさ」みたいなのがある場所がいくつもある…というのもいいなあ…という感じで。
ま、そういうわけで先週のある日、家内がJTBからお勧めの宿のパンフレットを持って帰ってきたのである。
日程は、8月8日の晩に一泊して9日の午前中にチェックアウト。最初は「6、7日」か「7、8日」で行こうと思っていたのだが、7日にインタレストの学生編集チームが3チームも集まって編集作業をするというので、私もそこで指導をすることになって、結局「8、9日」に行くことになった。そしたら、その日程ならということで、JTBが勧めてきたのが「中の坊瑞苑」というホテルだった。
家内「ここがええんやって」 田尾「中の坊瑞苑か。ようわからんけど、ええんちゃう?」
とか言いながら、とりあえず宿が決まって一安心していた翌朝、新聞を見ていた私は、思わずメガネを外して目をこすった!(こすってないけど)。新聞の片隅に、こんな記事を見つけてしまったのである。
「羽生善治王位に藤井猛九段が挑戦する王位戦第4局は、8月8,9日に兵庫県神戸市「中の坊瑞苑」で行われる…」
うわ! 俺らが行くとこの、行く日やんか!
何という奇跡! 以前にも書いたが、私の中で“日本人としてのたたずまい”に満ちあふれた若き(私より)第一人者は、イチローでも北島康介でもなくて、羽生と武豊。その羽生が同じ日に同じ宿でいるなんて(笑)。ネットで探したら「大盤解説会」がどうにも見つからなかったので中の坊瑞苑ではやらないのかもしれないけど、なかったらなかったで残念だけどまあええわ。大浴場で羽生に会うこともないだろうけど(笑)。館内でテレビ中継とか、やらんのかな。
そういうわけで、ミーハーなお話でした(笑)。先週末の徹夜が響いて妙な時間に眠気が来る毎日ですが、温泉で体調を取り戻してきます。
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2012年8月1日(水)
今日は朝から風がおかしかった。駐車場に出て空を見ると、雲がいつもと逆方向に、かなりのスピードで流れている。
今朝は何か食欲がなくてご飯もパンも全然欲しくなかったので、とりあえずがもうに行って大と小エビのかきあげ天とげそ天を食べて(もうええっちゅうに)大学に行った。
10:00頃から研究室に引きこもって仕事。13:30からインタレストの編集会議。先週で通常授業が終了して「単位だけ欲しい」という「前期だけ履修組」がいなくなったので、後期も履修する予定のモチベーションの高い学生だけが集まって、授業時間を1時間も超えて4時過ぎまで作業をした。
結局、この4月に新しく履修して来た学生31人のうち、残ったのは15人。これに去年から継続して履修している10人を合わせて、総勢25人でチームを再編成することになった。1つの号の作業の途中(まさに半ば)で半期履修の学生がいなくなって編集部を再編しなければならない、という履修形態になっちゃって、やりにくいことおびただしいけど、ルールだから仕方がない。幸い、残ったみんなは単位に関係のない夏休み中の編集作業にも責任感を持って出てくる意志が固いので、14号も何とかクリアできそうな感じはしてきた。みんな、だんだんええメンバーに育ってきたわ。
17:00過ぎ、善通寺を出て高速に乗って高松(東方面)に向かっていたら、空がおもしろい動きをしていた。西の空は晴れ渡っているのだが、向かう先の東の空の高い雲から、薄い白いカーテンのようなものが降りてきたのである。雲が高いので白いカーテンは途中で消えているのだが(南米ギアナ高地のエンジェルフォールの下みたいな感じ)、それがだんだん下の方に下がってきて、ついに地上にまで着いたかと思ったら、突然、右斜め前方の山裾から空に向かってボワーッ! と虹が出現した! 今までに香川では見たことのないような、ものすごく太くて鮮明で力強い虹が、私の目の前で地上から空に向かって生えたのだ。
その、力強く太い虹に向かって、私は車でどんどん近づいて行く。近づいて行っても、虹はそのまま地上から力強く生えている。で、まさに虹のすぐ横を通過しようとした時、サアーッと消えました。消えたというか、ずっと後方にいる車には見えているんだろうけど、私には角度的に見えなくなったんだろう。
いやー、すごい虹を見ました。これは何かええことあるんちゃうか? 奇跡でも起こるんちゃうか? と思いながら家に帰って仕事部屋に入ったら、こないだ買ったヌマエビが2匹、水槽を飛び出して床に“出水自殺”しとった。何じゃそりゃ。
夕食は、家内が「暑くて何もする気が起こらん」いうので、山かつに行ってトンカツ食べました。それからジャズ屋のアップタウンに行ったら、牛乳屋さんが来て、なおちゃんが来て、新開が来て、ごん夫妻が来て、今日はプチ油断モードで夜の11時頃まで建設的なムダ話をしました。今夜のムダ話の主なテーマは、 ・布の「さらし」の、分類学上の考察 ・宗教と戦争に関する考察 ・「南部せんべい」の形状と食感に関する考察 ・タバコをカートンで買った時にくれる100円ライターに関するマーケティング的考察 ・中国人との麻雀体験から見た国民性の考察 ・対談原稿と会話文作成における技術論
……無理やり書いたら賢そうやなあ(笑)。会話内容はとてもここに書き起こすわけにはいかんけど(笑)。
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