2012年10月の日記 |
2012年10月29日(月)
金、土、日で第1特集の残り4ページを仕上げる計画は、日曜日の深夜までかかって3ページと3分の2で沈没した。
月曜日の今日は、午後1時〜3時頃まで会議等があり、6時からはFM香川の収録3本。しかし、朝から1時の会議までに第1特集の残り3分の1を仕上げ、3時〜5時の間に第2特集の構想を練れば、「O西と吉田が作った鬼のようなガントチャート」に追いつける。朝9時半頃に研究室に入った私は、さっそく仕事の準備を整えて原稿に取りかかった。
6〜7ページしか持たない恐れのあった第1特集は、予想通り基本データページは7ページで終わってしまったのだが、8ページ目に「まとめ」を入れることで、きっちり8ページに収められることになった。しかし、8ページ特集のまとめということで構想に手間取り、11時近くになっても最後の3分の1が1行も進まない。
「まいったな。この調子では絶対に午前中には終わらない。ヘタしたら晩までかかるかもしれん…」
思考の袋小路に入りつつあるのを感じた私は、キャンパス内を散歩することにした。そこで考えながら歩いていたら、突然何かが降りてきて、あわてて研究室に帰って、そこからどんどん原稿が進み始めた時、O西が研究室のドアをノックした。
O西「編集室の鍵を開けてくれませんか?」 田尾「オッケ」
鍵を開けながら、O西に原稿の状況を説明する。
田尾「さっきまで原稿が詰まって1行も進まんかったんやけど、頭の中で突然、ちっちゃい十河と吉田とO西がしゃべり始めて、原稿がどんどん進みよんや」 O西「どういうことですか!(笑)」 田尾「大丈夫や。こないだみんなで話しよった内容がベースになってるから(笑)」
…と言いながら私は一旦研究室に戻り、すぐに会議に向かったのである。
2時間後、会議を終えた私が編集室に行くと、O西、十河、文野の3人がいた。
O西「あ、田尾先生が来た。何してたんですか。あれから2時間もいなくなったから、みんなで『長い昼ご飯やなあ。どこまでうどん食べに行ったんやろ…』とか言ってたんですよ」 田尾「会議じゃ! 俺がおらんようになったらまずうどんを疑う、という、その先入観を改めなさい」
ほんまにもー。どこで教育を間違ったのか(笑)。
それから文野が用事で出かけたので、O西と十河と3人でパソコンを囲んで、私が原稿を書いていくのを見せながら作業を進めた。同時に、O西がネットで原稿に必要なデータを探す係、十河が割り付け係を担当。会話文を作成していたらどんどんバカ話が展開して行って…
田尾「だいぶ原稿進んだぞ。スペースはあと何行ぐらい?」 十河「あと3行しかありません」 田尾「えーっ! まだ最後の1ブロック書かないかんのに! あかん、20行ぐらい削らないかんわ」 十河「もう5時が来ますよ。FM、間に合わなくなりますよ」 田尾「仕方がない。あとは持って帰って仕上げる」
そういうわけで、FMの収録を終えて夜10時半頃、第1特集の原稿が終わりました。とりあえず、ページ数だけは目標に追いついた。明日の朝から、第2特集に突入する。さっき、担当の文野から送られてきた第2特集のデータ集計をちょっと見たら、うーむ、何か大変そうなニオイがする…
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2012年10月25日(木)
今朝、パソコンを開けたら、松本君から先に出した5ページ分のデザインがもう送られて来ていた。いつになく早い対応に並々ならぬ決意が感じられるが、何か早く上げなければならない理由でもあるのだろうか(あるのは知っている・笑)。
そういうわけで、編集部も負けてはいられないので頑張って、授業の合間を縫って昨日と今日の2日間で、第1特集8ページのうち4ページを上げた。
一応整理しておくと(読者のためにではなくて私のために)、「O西と吉田が作った鬼のようなガントチャート」はこうなっている。
26(金)…第1特集(1ページ仕上げ) 27(土)…第1特集(1ページ仕上げ) 28(日)…第1特集(2ページ仕上げ) 29(月)…第2特集(全体構想) 30(火)…第2特集(2ページ仕上げ) 31(水)…第2特集(2ページ仕上げ) 1(木)…第4特集(全体構想) 2(金)…第4特集(1ページ仕上げ) 3(土)…第4特集(2ページ仕上げ) 4(日)…第4特集(2ページ仕上げ)
で、木曜日終了時点で今、ガントチャートにピッタリ追いついているという状況である。しかし、問題山積。
まず、第1特集の8ページがここにきて、どうも6ページか7ページしか持たない…という可能性が出て来た。水増ししてページ数を稼ぐなどということは『インタレスト』には許されないので、もし第1特集が短くなれば急遽代わりを用意しなくてはならない。さらに、第1特集の全体構想にも修正箇所が出てきて、「気象」の特集ということで、この日の夜、急遽勝谷さんに電話で助けを求めることに(笑)。
続いて第2特集は、素材は全部揃ったのだが、それらの素材を最大限に生かすために不可欠なお笑い座談会(またかい)がまだ開催されていないという大ピンチ。
続いて第4特集は、リーダーの文野が「大量の集計作業が全部やり直しになりました」言うて、現在も悪戦苦闘中。
という状況に加え、「O西と吉田が作った鬼のようなガントチャート」によると、土日は当然休みなしという計画に加え、平日は授業があるというのに「1日2ページ」という無茶な計画が2日もある…。
そういう今日この頃です。とりあえず、今晩は松本君に次の5ページ(第3特集の最後の1ページと、第1特集4ページ)を渡すことになりました。夜、私が家に帰った後、松本君がうちまで取りに来るという。そこで私は大学での作業を早めに切り上げ、家に帰って続きをやっていたら、夜の7時半頃、松本君から電話があった。
松本「もうおうちに帰られてます?」 田尾「帰った」 松本「じゃあ、もう少ししたらこっち出ますので、たぶん9時頃には田尾さんちに着くと思います」 田尾「え? そんなにかからんやろ。車で20分くらいちゃうん」 松本「いや、ちょっと…」
何か事情があるのかよくわからんけど、まあ途中でどこか寄るところでもあるんだろうと思って電話を切って仕事をしていたら、8時50分に「到着しました」という電話があった。すぐにマンションの8階からエレベーターに乗って降りたら、エントランスでスポーツウェアを着て屈伸運動をしている不審な男がいた。
田尾「何や、その格好は」 松本「あ、ちょっと走ってきたもんで」 田尾「牟礼からか!」 松本「うちからここまで、ちょうど10kmなんですよ。平地なんで、1時間ちょっとで着きました」
聞くと、今、「油断して太りすぎたのでランニングで1ヵ月で8キロ落とす月間」に突入していて、すでに4キロ落としたそうだ。ええけん、その元気を何か他のものに使う…前に俺にくれ(笑)。
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2012年10月23日(火)
O西と吉田が作った鬼のようなガントチャートに、1日遅れで食らいついている。もういちいち「O西と吉田が作った鬼のようなガントチャート」と書かなくても「ガントチャート」でいいじゃないか、という声が私から挙がったが、あれは世間一般の言う「ガントチャート」とは別物の「O西と吉田が作った鬼のようなガントチャート」が正式名称である。加えて、そっちの方が行数が稼げるし。
ま、日記で行数を稼ぐ必要はないのだが、中学時代に読書感想文の課題で、「文字数を稼げる」というただ一点の理由で主人公の名前が「ジャン・ヴァルジャン」と10文字もある『ああ無情(レ・ミゼラブル)』を選んで、感想文中に主人公のフルネームを20回以上使って原稿用紙1枚以上分を稼いだことのある私は、長い固有名詞を繰り返し使っても全然気にならないのである。どうでもいい話ですけど(笑)。
そういうわけで、昨日の月曜日、たまたま編集室に来た(実は昼飯をおごってもらいに来た)8代目編集長の多田を捕獲し、さらに昼から来た十河も捕獲して、1ページ遅れの計6ページ目をアップ。これで何とか、第3特集(4ページ)と第5特集(2ページ)がデザイン発注にまで漕ぎ着けられた。そしていよいよ、今日から第1特集(8ページ)に取りかかることになったのである。目標は、授業の合間を縫いながら週末日曜中にアップ。まだ6日あるが、事はそう簡単ではない。
すでに担当学生たちが多くのデータを集めているのだが、まずはそのデータの内容をもとに、特集8ページの全体構成、すなわち特集全体で読者にどういうメッセージを出すかを決めなければならない。しかるのち、データを再度精査し、メッセージをサポートするために必要と思われる不足データをその場で集めながら、一つ一つ見せ方を考えていかなければならない。そして、そこまで決まってから、やっと原稿と割り付け作業に取りかかれるのである。「作ること」が目的ではなく、「読者に満足していただくこと」あるいは「社会にメッセージを出すこと」が目的だから、そういう過程が非常に重要になる。情報加工(情報収集、情報編集、情報発信)のキモである。
第1特集チームは、夏休み中に必死でデータを集めて整理をし、10月に入ってから「全体構成」「メッセージ」「見せ方」という、「キモ」の中の一番難しいところに取り組んでいる。しかし、私はここのところ第3、第5特集チームの最終編集作業に付きっ切りであるため、第1特集チームには「とりあえず自分らで考えよれ」という指示を出しているのだが、どうも様子をうかがうと、ここ数週間、答が見つからないで壁に当たっているようである。
そういう状況の中、今日からいよいよ私が第1特集チームに張り付いて、お手本を見せながら一緒に最終原稿、割り付けまでを一気に仕上げるというスペクタクル週間に突入するのである。彼らは数週間自分たちで悩んだ後だから、「私が考えていく過程」と「それまで自分たちが考えて悩んでいた切り口」とを比べることができる。ま、その方が、いきなり一緒にやるよりは能力アップに役に立つだろうということで。
というわけで、2コマ目の授業を終えて午後1時。編集室に行くと、何か食っている吉田とO西と、パソコンの前で壊れている(笑)十河がいた。
田尾「今日から第1特集行くぞ」 吉田「十河さんが疲れてるみたいなんですけど」 十河「元気ですよ〜」 吉田「ね」 田尾「なるほど、元気ではないな。しょうがない、宮川に行ってうどん食ってくるわ」 O西「行ってらっしゃい」 吉田「コロッケ食べてくださいね」
支離滅裂の会話をちょっとして、私はとりあえず宮川へ。うどん食べてたら大将がサンマをさばき始めたので「何してるんですか?」と聞くと、パートのおばさんたちに持って帰ってもらうという。うどんを食べ終えた私は、調理場に近づいて大将の作業を見ていた。大将は骨から外した細長い片身を6枚作って、そいつをフライパンに並べて炒め始めた。しばらく炒めた後、計量カップに入った醤油っぽい色をしたものをかけると、ジャーッという音とともに、うまそうなにおいが立ち上ってきた。
田尾「今かけたん、何ですか? うどんのダシ?」 大将「これな? みりんとうどんのダシを合わせただけ。簡単やでー」 田尾「うまそー!」 大将「食べる?」 田尾「ええんですか!」
一切れもらって食べたら、メチャメチャうまい! 宮川の大将、小料理するんや。というか、パートのおばさんたちの取り分が1枚減ったんですけど(笑)。
2時前に編集室に帰り、それから仕事の体制作りに入りました。
田尾「よし、デカマック(大きいMac)とビッグマック(さらに大きい最新Mac)を近づけて置いて、その間を割り付けスペースにする。ビッグマックは十河担当で、データとグラフを画面に出しとけ。割り付けはO西、デカマックはテキストを書いていくから、吉田担当。俺はその横で指示を出していくことにする」 吉田「じゃあ、コーヒーとチョコボールを置くスペースがいりますね」
昨日、吉田がアーモンドチョコの失敗を挽回して買ってきたチョコボールピーナッツが2箱ある。それをお皿に全部あけて、コーヒーを入れてきて、体制完了、スタートしました!
すぐに吉田が用事で席を外したが、そこからO西の爆笑作業が始まりました。どれくらい爆笑作業だったかというと、しばらくして吉田が帰ってきた第一声が、
吉田「あーっ! 十河ちゃんが元気になってる!」
そういうわけで今日は腹筋攣るぐらいテンションが上がって、全員が昼間なのに深夜ハイ状態になって、全体構成から頭2ページ分のメドが立つまで一気に進みました。経験豊富な私は「一気に進んだけど、こういうのはたぶん、家に持って帰って冷静になったら修正箇所がいっぱい出てくるぞ…」と思いながらも、とにかく予想外に早く構想と見せ方が決まりました。
夜の6時過ぎ、ハイテンションでさすがに疲れてきたので、
田尾「よし、今日はこれぐらいにしといてやろう。あとは、俺が持って帰ってちょっと整理するわ。今までのデータ、USBメモリに全部入れといてくれ」
と言って、我々は解散した。私は「家で夜中までかかってもこの2ページは仕上げてしまうぞ!」という強い意志を持って7時過ぎに家に帰り、パソコンを開けて、仕事の前にとりあえずメールチェックをした。すると、「インタレスト編集部」からメールが1本入っていた。
「田尾先生、USBメモリをお忘れです」
今日は早めに寝て、明日の朝早くから大学に行って仕事しよう。
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201210月21日(日)
現実逃避日記バージョンに入った途端、日記の回数が増えてきたとはどういうことだ。忙しい時ほどいらんことをする、ということか? 会社から近いやつほど遅刻する、というやつか? ちょっとズレたか。
金曜日にO西と吉田が作った鬼のようなガントチャートによると、この土日で2ページを仕上げる計画になっているのだが、昨日は朝から研究室で仕事を始めたものの、11時から12時まで大学祭プログラムの情報加工学メジャー模擬授業が入っていて、それを済ませたら直ちに午後は松山に行って辛いけど楽しい会合に出て、高松に帰って来たのが夜の11時。結局昨日は1ページも進まず、今日、朝から頑張って1ページ仕上げて、計5ページ分を松本君に渡して、もう1ページに取りかかりながら、もう日付が変わろうとしている。今日はもう寝て、明日、朝早く起きてやるかな(典型的な失敗するパターン・笑)。
とりあえず、最大の山は来週である。O西と吉田が作った鬼のようなガントチャートによると(もうええっちゅうに)、来週は第一特集の大物8ページを一気に仕上げる週間になっている。第一特集は担当チームの学生たちがすでに数々のデータと情報を収集してきているのだが、こいつをどう見せるか? という編集の山場というかキモの部分が、まだ雲をつかむような状態なのである。つかんだことないから、具体的にどういう感じかわからずに表現しているが、とにかくこいつをカタつけない限り、本にならんのだ。
ちなみに昨日の朝、勝谷さんから「学生のためにはようないんでしょうけど、ホンマに白紙になりそうになったら、私が6ページなら3時間で埋めますんで。わはははは。」という、涙の出そうなありがたい迷惑メール…じゃなくてお助けメールを頂いたが(笑)、ええこと聞いた。今度、24ページ全部白紙にして、勝谷さんに12時間で「勝谷本」1冊タダで書いてもらおう(笑)。発禁になるかもしれんけど(笑)。
うー…、眠たくなってきた。よし、アーモンドチョコがまだ1箱あるから、それで十河つかまえて、明日頑張ることにしよう。
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2012年10月19日(金)
第2回、現実逃避日記(笑)。
今日のスケジュールは、 10:45〜11:20 学内行事出席。 11:30〜12:50 授業(1) 13:30〜15:00 授業(2) 15:10〜17:10 学生相談タイムと『インタレスト』編集作業 17:10〜 引き続き『インタレスト』編集作業 という予定であった。
今日の授業(1)は、先週出した課題レポートを教室で集めて、そのままスクリーンに映しながらリアルタイムで私が次々に解説しながら修正していくという予定で、その後、次の課題を与えて「来週までにやってきてね。来週またその場で修正、解説するから」ということになっている。で、今朝は次の課題を大急ぎで作って人数分コピーするという作業が控えていたので、早めに大学に行って段取りをしていて、ふと気がついたのである。512教室にOHP、あったっけ? ちょっと不安になって大学の事務に聞いたら、
担当「512にはないですね」 田尾「えーっ!」
学生から集めたペーパーレポートをスクリーンに映すためには、OHPがいる。去年のこの授業はちゃんとOHPのある教室だったので、今年もまあ大丈夫だろうと思っていたら、OHPのない教室をあてがわれていたのだ。以前は教室を決める前に各先生にAV設備等の希望の確認があったのだが、数年前からそれがなくなって授業が始まってみないとわからないという状態になっている。そういえば、去年も一昨年も授業に必要な機器がない教室がいくつかあてがわれていて、途中で教室変更をしてもらったことを忘れていた。
私はあわてて、教室変更を願い出た。
担当「人数は何人ですか?」 田尾「履修学生は80人です」
担当職員が台帳みたいなのを繰って、「514にOHPがありますね。514なら80人も大丈夫です」というので確認に行って見たら、そこのOHPは透明のシートのやつは映るけどペーパーを置いたのでは映らない、というOHPで、全然ダメだ。
担当「あと、712にOHPがあるんですけど、7号館は空調が不調で、授業には使えないことになっているんです」 田尾「今の時期だったら空調なんかいらんやん」 担当「はい、確かに。でも使えないというルールになったんで…」 田尾「けど、空調が悪いだけやろ? 授業には使えるやん。暑かったら窓開けるし、寒かったら腕立てでもさせるわ」
緊急事態でもしょーもない一言を常に忘れないのが私のモットーだ。すると、学生全員に腕立てさせるわけにはいかんと思った担当職員が(違うと思うけど)しかるべき上司に相談してくれて、
担当「712、修繕工事が入るまでは特別に使ってもいいことになりました」
という返事を頂いた。そこで、担当と一緒に712に行って確認をした。ところが、今度は機械が言うことをきかん。この教室のOHPは近年ほとんど使ったことがないらしく、いろんなところの接続が切れていて、どうにもつなぎ方がわからないのだ。そうこうしているうちに、10時30分を過ぎた。課題の用意を考えると、これはもう、大学行事に出席している場合ではない。私は直前欠席を連絡し、再びOHPと格闘した(ま、職員が格闘しているのを見ていただけですが・笑)。でも、ダメでした。
結局、最後の手段を選択することになりました。
担当「あとは525教室だけです。あそこは確実に教材提示機が機能してますけど、最大75人しか入れないんです」 田尾「けど仕方がないわ。どうせ80人全員は来んだろうし、ギュウギュウでやるわ」
えー、今日の1つ目の授業は、80人くらい来ました。席はぎっしり埋まり、数人が教室の外にあふれた状態でやりました(笑)。あふれていたのはO西たち。
田尾「O西ー、聞こえよるか−?」 O西「聞こえてますー」
何ちゅう授業や(笑)。
続いて昼飯も食えずに2つ目の授業を終え、『インタレスト』の4年の別働部隊に指示をした後、「学生の相談をいつでも受けるぞ体制」をとりながら『インタレスト』14号の編集作業に突入した。アシスタントは脱線防止隊長O西と貞野。途中、外出中の吉田からO西に電話が入ったので、ついでに「コンビニでチョコボール・ピーナッツを2箱買うて来てくれ」と指示をしたら、吉田がチョコボール・ピーナッツでなくてアーモンドチョコを2箱買ってくるという大惨事があったが、それにもめげずとても頑張って、夜の9時過ぎまでかかって2ページを仕上げた(と松本君にプレッシャー)。とりあえず、合計4ページ上がったぞ。松本君、いつ渡そか?
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2012年10月18日(木)
第1回、現実逃避日記(笑)。『インタレスト』の締切が、創刊以来最大のピンチを迎えているのである。
吉田「スケジュール、ほんとにヤバイんじゃないです?」 田尾「何とかする。まだ月末まで13日ある」 吉田「13日しかない、ですよ。だって、今上がってる2ページに1週間かかったんですよ」 田尾「わかっとるわい。とりあえず、ガントチャート作って計画を立て直す。まず、今日と明日はガントチャートを作る日じゃ」 大西「原稿書きましょうよ!」
とにかく、この期に及んでまだ2ページしか上がってない。しかも、第一特集と第三特集に、この期に及んでまだメドが立ってない。さらに恐ろしいことに、今号はわけあって、いつもより1週間ぐらい早く仕上げないといけないのである。理由は詳しくはかけないが、ハワイである(笑)。今月中に原稿と割り付けを全部上げて松本君にたたきつけるつもりでいるのだが、今月あと13日あるとはいえ、そのうち8日間は授業がびっしり。さらに今週土曜日は丸1日別の仕事があり、さらに松山行きとイベント1件がはさまっている。
いやー、この追い込まれ感、わくわくするなあ(笑)。松本君、週明けに4ページは渡すからな。あと、月末までにかなり渡すつもりだけど、最終は11月1週くらいまで食い込むかもしれんぞ。と、先に予防線を張っておいてと。
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2010年10月15日(月)
久しぶりに1週間開いてしまいました。理由は、いろんなものがぎっしり詰まった毎日が続いてて日記どころではなかった、と。今、何か嵐が接近中みたいな、西の空を見たらもうそこまで黒い雲が三層になってモワーッと来ているような状況です。黒い雲の正体は、一番下の一層目が、毎週の授業7本と年内に成果物を出さないといけない不定期授業3本。その上の二層目が、継続的学生指導もの数件と会議や委員会や雑用等の学内担当業務がいっぱい。そして、一番上から「インタレストの締切」がズーンとのしかかってきている(笑)。
というわけで、あと1ヵ月、下半期最大の「重い日々」が続くことが明白になっています。先週あった「渡辺ファミリー大宴会潜入レポ」と「今年初、麺通団の讃岐うどん巡りwith幸せな松村夫妻」という爆弾ネタも、一本ネタにまとめる余裕がないので、『うどラヂ』に回すことにする。次回の日記は、忙しすぎて現実逃避状態になった時に(笑)。
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2010年10月8日(月)
誰とはいわないが、海外旅行にはとんとご無沙汰のはずの私の知人(わけあって匿名・笑)が「11月下旬にハワイに10日間行く」と言うので、ハワイの通のリピーター(笑)の私は、「何で10日なんや?」という質問をしたのである。だって、旅行代理店に頼むようなハワイ旅行は、たいてい4泊6日か3泊5日、せいぜい5泊7日が中心なのに。そしたら、
知人「僕も向こうで2〜3日もあったら十分なんで、すぐ帰ってこようと思ってたんですけど、旅行代理店に頼んだら3泊とか4泊の日程が全然取れないって言うんですよ」 田尾「何で? まだ2ヵ月以上先やん」 知人「それがですね、中国の反日デモで中国旅行のキャンセルがいっぱい出てるってニュースとかで言うてるでしょ? あれのせいで、みんながハワイに殺到してるらしいんですよ」 田尾「ほんまかー」 知人「それで、行くのは行けるんですけど、帰りの便がうまく取れないとかホテルがどうしたとかで、結局そんな長い日程にならざるを得ないことになって…」
とりあえず「おみやげはいらんぞ」と言って電話を切ったのであるが、どうもよくわからんがそういうことらしい。テレビや新聞のニュースだけ見てたら「旅行代理店は大被害」みたいな報道ばかりされているけれど、実際はどうなの? マスコミは日本のマイナス部分ばかりを流すことによって、日本人に「日本はこんなに大変な目に遭っている。だから、中国を刺激するようなことはやめるべきだ」と思わせようとしているんじゃないか? とか思ってしまいましたけど。
あー、ハワイ、行かないかんなあ。ハワイの州政府と観光局に行っていろいろ話を聞いたり資料をもらったりしたいのだけど、英語力がないのでアポ取りと通訳してくれる人がいるなあ…と思っていたところ、東京麺通団の店の設計をやってくれた小野さんが数年前にハワイに移住したため、これ幸いと去年「今度そっち行くから通訳して」と言ってOKをもらったのだが、去年は結局忙しくて行けなかった。
いろんなところでいろんな研究をして成果を上げている大学教授を見るたびに、何か刺激されて「精力的に動いて研究したいなあ」と思うのであるが、時間をどう使ったらいいのかがよくわからない。研究テーマも、その期待成果も、一応自分なりのビジョンはあるのだが、担当授業の数が多いし、授業以外の大学業務もいろいろあるし…。しばらくは「全方位体制」で行くしかないのかもしれんけど、全部が中途半端になったのでは意味がないしなあ…みたいなことを時々思いながら、今日もエビを見て寝る私(笑)。
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2012年10月7日(日)
久しぶりにテレビを見ていて声が出てしまいました(笑)。凱旋門賞の生中継。家内と2人で見ていたのですが、最後の直線に入ってオルフェーブルが外から持ったまま(まだ馬にゴーサインを出してない状態)で先頭に並びかけたところから、
田尾「持ったままや、持ったままや、まだ持ったままや!」
残り300mでゴーサインが出て追い出したら、一気に伸びてきた。
田尾「勝つぞ、勝つぞ!」
残り200mで、あっという間に2馬身ぐらい抜けた!
田尾「うわ! 勝つぞ!」
そこから急に、馬が内に入り始めた!
田尾「よれた、よれた、苦しいわ……うわ! 何であいつが来るんや! ………………」
後は無言。ちょっと涙が出ました。馬が苦しがって内側によれて(斜めに走って)、残り100mくらいで内ラチに張り付いた時には、外から来た馬の脚色が明らかに勝っていた。けど、何であの馬(1着になったソレミア)が来たんだ。残り300mでオルフェーブルが持ったままで先頭に並びかけた時、内の馬は全部必死で追ってた。ソレミアもオルフェーブルより先に追い出した。そいつを一気に交わして一旦2馬身抜け出したのに、先に追い出して必死に手綱をしごいていたソレミアが、ずっと追い通しで、何で後から追い出されて抜け出された2馬身を差し返せるんや…
ディープインパクトの凱旋門賞の時も、ディープは、ほぼ同じ位置取りから50m以上も先に追い出した馬にやられた。何だろうね。ずーっと追い続けてもずーっと伸び続ける(「伸びる」というのは言葉が軽いけど単語が出てこん)ヨーロッパの、馬と、調教技術と、馬場と、メンタリティと、何か全部の総合力の底力(「底力」という平凡な単語しか出てこんが)みたいなものがあるんだろうなあ。
ま、いずれいつか日本の馬が凱旋門賞を勝つ時が来ると思うけど、とりあえず、今日は久しぶりにスポーツ観戦で興奮しました。錦織も勝ったし。
さて、昨日はついに清水屋に行ってきました。午後1時30分。店に入ると、すぐ右で大将がうどんを打っていたので話しかけたら、大将から腰が抜ける事実を聞かされた。
清水「こないだの釜が壊れた原因ですけどね」 田尾「おー」 清水「すぐに業者さんを呼んで見てもらったら、灯油切れでした」 田尾「釜、壊れてないやんか!」 清水「そうなんですよ」 田尾「それ、車が動かんようになってJAF呼んだらガス欠やったいうことかい!」 清水「そういうことです(笑)」
どういうことや(笑)。それから前日に清水屋に来るつもりで丸山に行った話とかをしていたら、横に立ってうどんを待っていたにいちゃんが声をかけてきた。
にい「田尾さんですか?」 田尾「はい」 にい「昔、編集部に手伝いとか行ってたMです」 田尾「おー、Mか! 久しぶりやのー」 にい「ブログ見てますよ。よかったですねえ、やっと食べられて(笑)」 田尾「いや、うどんの入ったどんぶりを渡されるまで、何が起こるかわからん(笑)」
清水屋初体験記の詳細は、『うどラヂ』で。あ、次の日曜日(『うどラヂ』収録日前日)、私とごんとH谷川君に幸せなM村夫婦を加えたお笑い5人衆でうどんツアーに行って来ます。珍道中レポートは『うどラヂ』で。行く前から「珍」がついてるけど(笑)。
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2012年10月5日(金)
清水屋2日連続「行ったのに食べられず」事件の続報である。ここまでの経過は改めて記すまでもないが、
10月1日(月)…清水屋が今日オープンしたことをH谷川君から聞く。 10月2日(火)…3時前に行ったら、営業時間が2時までだった。 10月3日(水)…朝8時過ぎに行ったら、釜が壊れててこの日だけ10時開店になっていた。 10月4日(木)…朝から仕事がびっしりで、営業時間中に行けず。
ということであった。そして10月5日(金)の今朝。
今日の授業は午前11時10分からなので、朝8時に清水屋に立ち寄る時間は十分にあった。今日こそは清水屋に行って、高松で新たな出発をした、次世代の讃岐うどん界を担う若手職人軍団の長老(笑)を激励、祝福しなければならない。その有り余る向上心からまたどこかでうどんの修業をし直したと聞く(笑)大将の、さらに進化したうどんを確認しなければならない。
朝6時半頃起きた私は、いつものように顔を洗ったり歯を磨いたり新聞を読んだり授業の準備確認をしたりしながら、ゆっくりと体と意識を起こした。そして、7時50分、満を持して車を出して、清水屋に向かったのである。
KSBの前を過ぎ、紫雲中学を過ぎて亀阜小学校の角に差しかかった。起きてから1時間半近く経っているので、腹の調子はなかなかええ感じで空いている。まずは「かけ大」に天ぷら2ついくか? いや、最初だから「かけ小」に天ぷら1つにおにぎりかいなりを取って、いろんな素材の状況を確認しといた方がええか…等々、いろいろ頭を巡らせながら亀阜小学校の角を曲がって、栗林トンネルに向かう道に入った。ところが……
ここは片側1車線の狭い道だ。対向車線は朝のラッシュで車が延々と連なっている。それを見ながら走っていると、右斜め前方にうどんの幟が立っているのが見えた。ん? あの幟は、丸山のとこか? 車を進めて近づいていくと……幟が立っているのは丸山の前だ。入り口をチラッと見ると、のれんが出ている…うわ! 丸山が開いた!
今年の6月、あの郷愁のダシの製麺所型店・丸山が突然休業し、そのまま4ヵ月にわたって再開する気配もなく、丸山ファンはみんながとても心配していたのである。大将が入院したとかいう、さらに心配が募る噂も流れてきていて、大将はそれなりに高齢なので、多くのファンは「もうこのまま閉店するのではないか…」とさえ思っていた。その丸山が、開いているのだ! これは行かねばなりません! 私は直ちに次の交差点を右折し、その先をさらに右折し、もう一回右折して、つまりその辺をぐるっと回って丸山に突撃した。
店に入ると、客は私だけだった。大将と奥さんがいた。私は大将に「店、開いたんですか」と聞いたら、真面目で誠実なのに軽く前に出てくるおばちゃんが(笑)、
おば「10月1日から開けた」 田尾「え? 1日からですか。一昨日、この横の道を通ったけど、幟が見えんかった」 おば「ほんまな。出しとったで」
思い出した。一昨日通った時、対向車線にトラックが何台かいて、そいつに隠れて見えなかったのだ。さらに、丸山は閉まっているものと思っていたから、さほど注視してなかったのだ。
大将が口を開いた。
大将「入院しとってな」 田尾「何が悪かったんですか」 大将「まあいろいろと弱っとったけん。病院では何ちゃすることなかったけん、ずーっとゆっくりしとった」
…みたいな話であった。何はともあれ、よかったよかった。
私は「かけ小」と小エビのかきあげ天といなりを注文した。食べていたら、もう一人おじさんの客が入ってきて、そばを注文した。そばがあるんや。私が大将とおばちゃんと話をしていると、そのおっちゃんも話に入ってきた。
おっ「私はもう30年もここで食べよるけんな。ここが閉まってからは中西とかまで行きよったけど、開いてよかったよかった」
などという話を聞きながら、私はうどんといなりを食べ終えて、お金を払って「みんなに丸山開いた言うときます」言うて裏の駐車場に出たら、私の車の横にでっかいバイクが1台停まっていた。うーむ、どう考えてもさっき来たおっちゃんのバイクだとしか思えん。あのおっちゃん、何かツワモノか?(笑)
というわけで、今日は丸山でうどんを食べて大学に行きました。私の周りのいろんなものが、私が清水屋に行くのを阻んでいます(笑)。
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2012年10月3日(水)
9月30日(日)の昼、台風の中を一福にうどん食いに行ったら、大将から「清水屋さんがこそっとオープンしたらしいですよ」という情報をもらったのである。
翌日10月1日(月)の夜、FM香川の『うどラヂ』の録音に行ったら、H谷川君から「今日、清水屋がオープンしました」という情報をもらった。正確には9月末にプレオープンして、10月1日が正式オープンの日だったらしい。そこで、H谷川君から「営業時間は朝8時から午後3時まで」と聞いたような気がしたのである。
10月2日(火)、早朝から大学に行って、授業を終えて午後1時前、研究室に帰った私は、午後からインタレストの写真撮影で高松に出かける予定で準備をしていた。そこで、ふと思い出したのである。「そうだ、清水屋に寄ろう(笑)」。
午後1時過ぎ、私は車で大学を出発した。さて、このまま清水屋に直行すれば、1時40分頃店に到着する。うーん、どうするかな。まだお客さんがたくさんいたらあまり大将と話もできんし、どうせ行くなら閉店間際に行って、店終わってちょっと話でもして帰る方がええか…。今日の撮影ポイントは、事前にロケハンを済ませておいた高松西インターの近くの山。成合にある新清水屋までは車でほんの5分くらいの、すぐ近くだ。ということは、先に写真を撮って店に行っても、たぶん2時過ぎには着いてしまう。そこで、私はついでに他の撮影物件も探しながら時間をつぶすことにしたのである。
1時35分。西インターを降りた私は、まず本題の撮影を1件済ませた。それから1時間くらい周辺をあちこち車で走りながらロケハンをして時間をつぶして、2時55分に清水屋に行った。すると、のれんが中に入ってて、店の中で大将が片付けをしていた。何事だ? 客が来すぎて、閉店1時間前に玉が切れたのか? 私は車を停めて、清水屋の大将のところに行った。
田尾「えー? もう終わったん?」 清水「あ、すんません、2時までなんで」 田尾「2時ぃ〜? 3時までちゃうん?」
と言いながら店の面に大きく掲げられた表示を見たら、「営業時間、8時〜14時」って書いてるやないの! どういうこっちゃ! ということは、俺は営業時間が終わるまで時間をつぶしてたんか!
田尾「3時までやとばっかり思とったわ。H谷川君から時間を聞き間違ってたみたいや」 清水「すんません。わざわざ来てもろたのに」 田尾「かまんかまん。ほな、明日の朝、もっかい寄るわ」
という事件があって、今日の朝のことである。私は6時半に起床した。顔を洗ってから仕事部屋に入り、いつものようにパソコンを開けて今日の授業の直前確認をし、それから新聞を読んでいたら、家内が起きてきて「朝、何食べる?」と言うので「今日は清水屋に行くけん、何もいらんわ」と言って、再び新聞を読む。体が起きてきたらだんだん腹が減ってきたのだが、あまり早く出ても店は8時からだ。うちの家から清水屋までは、初めて行くコースなのでよくわからんが15〜20分ぐらいはかかりそうな気がする。なので私は我慢して我慢して、7時45分になるのを待って、全身「清水屋の口」になって玄関を出たのである。
さて、賢明な読者はこの後、「清水屋でうどん食べて大学に行きました」という展開で終わるはずがないとお思いでしょう。しかし、今年の私は、皆さんの期待の上を行くのです(笑)。さすがのごんもH谷川君も、絶対にこの話のオチは読めまい。読めるもんか(笑)。
駐車場から車を出して、私は7時50分に出発した。KSBの前を通って東に走り、亀阜小学校の手前を右折して、長期休業中の丸山の横を通って、そのまま坂を登って栗林トンネルを抜ける。そこから2つ目か3つ目の信号を右折して、ものすごく久しぶりに旧の32号線に入った。そこからしばらく走って11号線を横切り、西村ジョイを過ぎ、橋を渡って、道の左側をよーく見ながらゆっくり車を進める。
道は既に朝のラッシュで、高松の中心地方面行きは車がズラーッと連なっているが、私は逆方向に走っているのでスイスイ走れる。間もなく左前方の、道路からはちょっと見にくい位置に「清水屋」の看板が見えた。以前と違って広い駐車場があるから、私は余裕で敷地に車を入れた。そして、駐車スペースに車を停めかけてチラッと店を見たら、ん? のれんがまだ中に入ったままやんか。
時計を見ると、8時7分。時間はバッチリやんか……そうか、店を開けたばっかりでのれんをまだ掛けてないんか…と思った瞬間、店から清水屋の大将が飛び出してきた。
清水「すんませーん!」 田尾「ちょっと早すぎた?」 清水「いや…」
と言葉を交わした瞬間、店頭に、昨日はなかった貼り紙が1枚見えた。そこに書かれていたのは、
「本日、営業10時より」
田尾「何で10時なんや!」 清水「すんません、今朝、釜が壊れてしもて」 田尾「何でやねん!」
***
こないだ「臨時休業」に2連発で当たるという奇跡を起こしたばかりなのに、こんな100年に一度の仕打ちにすぐさま出くわすか! しかも、昨日の午後3時に何事もなかったのに、今朝釜が壊れたって! 今、頭の中でちっちゃいごんが「団長に食わしたくないという清水屋さんの気持ちもよーくわかるけど、言い訳が“釜が壊れた”では、まだまだひねりが足りんな」と言っているが、清水さんも、俺の誘いを断るのに「マンションの水道管が破裂して…」とか言うやつに言われたくないだろう。ま、言うてないけど。
しかし、今からとても10時までは待てません。私は全身「清水屋の口」を必死で鎮めながら、そのまま高速に乗って善通寺に着いて、宮川でうどん食って大学に行きました。清水屋の連続肩すかしと、宮川のうどんで腹一杯になったのと、土曜日に3時間半も峰山に行ってた全身疲労が今頃出てきたのとでドーンと疲れが出て、私は「授業が終わったら今日は久しぶりに大学のすぐ近くの『てもみん』で全身マッサージして帰ろ」と思って、パソコンで電話番号を調べて、予約の電話を入れました。そしたら電話の向こうから録音音声が聞こえてきました。
「ありがとうございます。てもみん善通寺です。水曜日はお休みとさせていただいています…」
今年はほんま、ネタの神が降りてきとる…
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