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2013年03月の日記
2013年3月28日(木)

 風邪は、ちょっとマシになった。たぶん、何とか大きくこじらさないうちに回復しそうな気配ではある。唯一の不安は、土曜日に迷惑なねっくのせいでゴルフに行かなくてはならないことだ。それまでに完治すればいいけど、完治してなければ、またぶり返すきっかけになってしまうかもしれない。けど、行くからには、全力を挙げてキャディさんを笑わさなければならない(どんなゴルフや)。悲しい性だ。

 さて、今日も栄養ドリンクを飲んで、朝から研究室にやってくる学生の履修指導をやっていて、昼前、来訪学生が途切れた時間を見計らって、用事を済ますために研究室から出て本部棟に向かっていたら、いきなりチンペイに出くわした。

チン「あ、先生。尖閣と竹島が何で日本の領土なのかを調べてから会おうと思っていたんですけど、ちょっと会うのが早すぎました(笑)」
田尾「俺も調べる前にチンペイに会うたらどうしようかと思いよったんや(笑)」

 ま、私ら、根本的には同じようなレベルであることがバレてしまったわけでして(笑)。でも、要は「情緒でなくて、なるべく事実をベースに考える習慣を付ける」という考え方の問題だ、と開き直っておこう。今日はチンペイに休む間もなく次の課題を提供しようと思っていたのだが、私が休んで風邪を治したいので、これぐらいにしといてやる。とか言いながら、もう午前0時半。じゃ、おやすみ。
2013年3月27日(水)

 うー……風邪じゃ。「風邪」を「かぜじゃ」と読んだやつがいる、という文化人講座のネタを思い出したが、テレビで「どう読む、湾岸危機」というタイトルを見て「“わんがんきき”だよね」と言ったやつがいる、というネタも思い出した。文化人講座は、チェーン思い出しするなあ(笑)。

 とりあえず私は、風邪は引き始めの時にユンケルかゼナの高いやつ1本で治すタイプなので、今日も1本飲んで、トローチをなめながら、朝から大学でひっきりなしにやってくる学生の履修指導とインタレストの編集作業指導と自分の原稿の、トリプルブッキング状態で頑張りました。

 昼から夕方、夜にかけてくしゃみ、鼻水、鼻づまりがだんだんひどくなってきたが、これはいつものパターン。体内でユンケルが風邪と闘っているせいだ、ということで、まあ明日にはユンケルが勝利を収めていることだろう、というオプティミストではある。

 今日はマスコミで、高校の教科書検定の話題がいっぱい出ていたようで、またいつものように「尖閣と竹島と北方領土をどう記述しているか」とかいうのが問題にされていたようであるが、「尖閣諸島」という記述を「沖縄県に所属する尖閣諸島」と書き直すのもいいけど、そういう「答」の書き方じゃなくて、「根拠」となる確定した事実を淡々と、そしてきちんと教えてくれた方が、我々は賢くなっていけると思うのである。

 日本の、あるいは世界の先進国の歴史学や歴史認識というものは、事実に基づいた「社会科学」であるから、今出ている答(例えば教科書の記述など)は全て、「事実(とされているもの)」から導き出されたものである。さらに、新しく事実関係がいろいろ判明してくれば、その都度、歴史認識は改められていく。社会科学とはそういうものである。だから、「なぜ尖閣諸島が日本領土なのか? なぜ竹島が日本領土なのか? なぜ北方領土が日本の領土なのか?」という根拠となる事実(過去の条約の内容等)をきちんと知る、あるいは教える方が、「答をどう記述するか」よりずっと大事で、そうすることによって我々は賢くなれると思うのである。

 ちなみに、韓国と中国の歴史認識とやらは、まず事実ではなくて自分たちの感情をベースにした「答」があって、その「答」にそぐわない事実は検証もされずに抹殺されたり、都合のいい「偽実」を捏造したりしているとしか思えないので、あれは事実をベースにした「社会科学」とはとても言えない(韓国や中国の歴史観が「宗教だ」と言われる所以です)。チンペイ、尖閣諸島は何で日本の領土なんや? 竹島は何で日本の領土なんや?(笑)

 みんながそこのところを事実をベースにして答えられるようにならないと、俺らも中国人や韓国人と同じになるぞ(笑)。向こうは「宗教」、こっちは「社会科学」なんだから、こっちまで事実を認識せずに「日本の領土だ」と主張してたら、こっちも宗教になって、永遠にすり合わない宗教論争になる。ただし、こっちがちゃんと事実ベースの社会科学になると、「宗教」対「社会科学」になって、これも絶対すり合わないけど(笑)。ま、中国や韓国に対しては、「おたくの宗教には口出しはしませんので、ご自由に主張してください。ただし、うちと論争するなら、すみませんが、事実ベースの社会科学になってから言ってきてください。それが世界の歴史学の常識ですから」としか言いようがないわなあ。
2013年3月25日(月)

 土曜の夕食は、焼き栗20コ。昨日の夕食も焼き栗20コ。今晩の夕食は、焼き栗15コ。俺は縄文人か(笑)。

 去年の暮れ、天橋立に行った時に丹波の焼き栗を買ったらあまりにうまくて、その日の宿で買ったやつを全部食べてしまって、翌日、京都の錦市場に行ったらまた焼き栗屋さんがあって、1000円分買ったらあまりにうまくてまた宿で全部食べてしまったという事件があったのだが、いくらうまかったとは言え、こないだはどうかしてた。山中温泉から帰りに京都で途中下車して、全身栗の口になって錦市場に突撃して、5000円分も買って帰ってしまったのだ。袋2つ、100コぐらいの栗を提げて新幹線で帰ってきた。焼き栗屋の兄さんに「常温なら3日ですね」と言われたのに、まだ40コぐらいあるぞ(笑)。

 さて、今日は朝から研究室にこもって「行政は大学運営にどこまで関わるべきか」とかいう大きなテーマの原稿に取り組んでいたのですが、昼過ぎに思考が袋小路に入ったので、書斎を変えようと高松に帰りました。2時頃、瓦町に車を停めて、カメラマンの安藤君が変な情報をくれたもんだから南地食堂に行ってうどんと巻き寿司を食べて、久しぶりにこの辺に来たもんだからアップタウンで原稿を書こうと思ってトキワ街を歩いていたら、「田尾さん」と声をかけられた。見ると、外国人じゃないか。

ジャ「ジャンです」
田尾「うわー、久しぶりやなー」
ジャ「田尾さんも元気そうで」

 もうどこで会ったのかも忘れたが、たぶん10年も前に一度か二度会ったことのあるフランス人のジャンクリストフ。ジャン・クリストフじゃなくて、「ジャンクリストフ」っていっぺんに書くんだ(笑)。聞くと、今は国分寺に住んでて、フランス語の翻訳をする会社を立ち上げているそうだ。

 で、ちょっと立ち話をして、「じゃあ」言うて別れてアップタウンに行ったら、入り口に鍵がかかっていた。マスター、どっか行ってるみたいで、帰ってくる気配がない。仕方なく駐車場に帰って、そこからumieに行って、1時間ちょっと原稿に取り組んでたら構成がスッとまとまり始めたので、家に帰って仕事部屋にこもって頑張りました。それから焼き栗を15コ食べて、冒頭の「俺は縄文人か」に戻る、と。

 来週は大学の入学式です。それからオリエンテーション期間があって、4月8日から授業開始。今年は、授業の上に昨年をはるかに上回る量の学生指導やら何やらの担当がのしかかってくることになってしまいました。大学というのはどこも同じなのかもしれないが、一旦決めたことをなかなか撤回できないというメンタリティがあるのか、業務が上乗せ、上乗せで増えていくのである。一応、業務に目的は付いているのだが、会社をやってきた私に言わせれば「その目的なら有効な手段はそれじゃないだろう」というものがいくつもあって、でもなかなか意見が通じなくて、結局、自分の中で目的が整理できないまま業務が増えていくという悪循環である。

 でも、組織の中にいるから、勝手なことをやるわけにもいかない。また1年、しんどい年度が始まります。
2013年3月24日(日)

 別に隠す必要もなかったのであるが、石川県に行って来ました。大学2年か3年の時のゼミ仲間の旅行で行って以来、約35年ぶり。あの時は、仲間の1人の徳野さんの実家が金沢にあって、5〜6人で徳野さんちに泊めてもらって、そこから兼六園〜永平寺〜東尋坊とドライブしたのを覚えている。あと、徳野さんちのお母さんが夕食に大皿に盛られた山のような甘エビや刺身を出してくれて、みんなで歓声を上げていたら、徳野さんがみんなをお母さんに紹介してくれて、私が香川県出身だと聞いたお母さんが私に「ごめんなさいね、おうどんがなくて」と言ったのを今も鮮明に覚えている(笑)。

 という、超久しぶりの石川県であったのだが、初日に泊まった和倉温泉の某大ホテルでいきなりヘコんじゃって…。

 昼の2時頃、和倉温泉に着いて、チェックインしてからちょっと表に出て、タクシーの運転手や喫茶店のおねえさんやお土産屋のおばさんたちにいろいろ現地聞き取りをして、夕方6時前に再び部屋に帰ったのである。それから、部屋に夕食が運ばれてきたのだが、汁物とか椀物とか煮物とか鍋物とかが、ことごとく、何か野卑な、私のバカ舌にはちょっと下品にさえ感じるヤな味がするの。ホテルの売店で日本三大魚醤の一つの「いしる」(あと2つは秋田の「しょっつる」と香川の「いかなご醤油」)を売っていたのを見かけたのだが、あれが隠し味に入っていたんだろうか。魚醤は私、臭くてダメなんですけど、どうなんだろ。

 でも、本当にヘコんだのはその後。夕食後、温泉に入りに行った時である。今回は家内と2人だったので、まあ30分くらいで出てこようと言って(部屋のカギが一つしかないので)、男湯と女湯に分かれて入ったのである。そしたら、まず、大浴場で体を洗っていたら大声の騒がしい中年(30〜40代か)グループ5人が入ってきた。これが、大浴場でエコーがかかってマルチサラウンドでほんまにうるさいの。私はたまらず、露天風呂に逃げました。そしたら、5分後、そのグループが露天風呂にやってきて、ザップンザップンいうて湯船に入ってきた。そして、のべつ幕なしに大声でしゃべりながら、湯船の中を動き回る。湯の波は来るし、とにかくうるさくて嫌でも声が耳に殴りかかってくるのだが、何をしゃべっているのか全くわからない。だって、韓国語なんだもの(笑)。

 私はたまらず、15分くらいで温泉から出ました。そしたら、外で家内がもう待っていた。

田尾「もう出たん!」
家内「ゆっくり中でおれんかったわ。韓国人と中国人がいっぱい来てて、あんまりうるさいから出てきた」
田尾「こっちもや」
家内「ひどいんで。中国人の3人組なんか、ちゃんと脱衣所に脱衣カゴが並んでるのに、化粧ルームに入り込んで、そこで脱ぎ散らして着替えよんや。体を洗いもせんとそのまま湯船にザブザブ入ってくるし」

 という、今まで話には聞いたけど実際に見たことはなかったので黙っていたけど、実際に体験したので言うてもええやろ。

 小松空港は上海とソウルの直行便が飛んでるので、中国人と韓国人はかなり旅行に来ているそうだ。日中、日韓関係が悪化して以降、客足は10〜20%減っているそうだが、それでもこの有様である。翌朝、我々はとっとと帰りました。「中国人も韓国人も、みんながそうじゃない」と言われるでしょうが、少なくともあの温泉であの時、そんなことをする日本人は1人もいなかったのですから、「みんながそうじゃない」などという反論は私には無意味です。とりあえず、中国と韓国からの直行便のある県の彼らが行きそうな大型ホテルは、申し訳ありませんが、私はもう行かない(笑)。

 翌日は金沢に出て、兼六園に行って「栗林公園は美しい庭園風景が随所に見られるけど、兼六園には“切り取って美しい絵”がないなあ」と言うことを再確認した。それから街中を散策して新進工芸作家のギャラリーやショップをたくさん見て、そこでいろいろ話を聞いて、「文化を育てる手法」が瀬戸内国際芸術祭と根本的に違うことを確認しました(笑)。

 2日目の夜は、山中温泉の20数室しかないおしゃれな温泉宿で一泊。ここは日本人客だけで、料理もおいしくてとても心地よい時間を過ごしました。で、翌日は帰りに京都で途中下車して、錦市場でおかきと焼き栗をしこたま買い込んで、夜の7時前に帰宅。小ネタはいろいろ拾ってきましたが、それはまたの機会に。
2013年3月20日(水)

 「会社の売上が落ちて大変な時に、会社は何をすべきか? 社長は何をすべきか? 役員は何をすべきか? 部長は何をすべきか?」「会社の売上が伸びて好調な時に、会社は何をすべきか? 社長は何をすべきか? 役員は何をすべきか? 部長は何をすべきか?」という、目的を持った組織のマネジメントのことを考えながら(マネジメントであるから「社員は何をすべきか?」はあまり考えない)、35年ぶりに行く国内の某県に、取材旅行に行ってきますわ。行き先は、上村さんしか知らない(笑)。
2013年3月18日(月)

 そういうわけで原稿締切が5日延びて晴れ晴れとした気持ちになった金曜日の夜、余裕に満ちあふれて原稿に取り組んでいたら、11時も過ぎた頃に上村さんから電話がかかってきたのである。

上村「なーにしてる」
田尾「仕事…あ、いや、仕事ばっかりしてる言うたらいかんのですよね(笑)」
上村「行こうよ」
田尾「どこへですか?」
上村「ジョイフル」

 というわけで、うちのマンションのすぐそばのジョイフルに、夜の11時半にまたおっさん2人が集合。午前1時頃にうちの家内もやってきて、3人で朝の4時まで、日本の経済、政治、宗教、世代間の価値観から「たばこや蒲鉾店」の天ぷらまで幅広く語り合いました(笑)。

 朝帰りになった土曜日は、そのままソファでうつらうつらしながら石川の出てるアメリカ男子ツアーと宮里の出てるアメリカ女子ツアーを見て、9時頃から布団に入って仮眠。昼過ぎに起きて、冷凍ピラフを食ってたら、奥歯の詰め物がポロッと取れた。舌で探ると、奥歯に穴が空いている。まいったな、木曜日から取材で二泊の旅に出ないといけないのに、うまいもんが食えなくなるではないか。

 すると、家内が亀井歯科に電話をしてくれた。亀井歯科は家内の行きつけの歯医者なのだが、私は行ったことがない。聞くと、亀井歯科の先生は私のマニアらしく(笑)、待合室には『恐るべきさぬきうどん』から『超麺通団』シリーズまで全部並んでいて、以前は家内を通じて私が昔やっていたラジオ番組のCDまで「貸してくれ」と言われたほどの強者だそうである。何の強者だ(ナンシー関風に書いてみました・笑)。で、「ちょうどキャンセルが入ったので4時頃来てくれたら」と言われたので(無理やり空けたんじゃないだろうな・笑)、行ってきました。

 待合室で待ってたら呼ばれて、治療室に入って、美容院のシャンプー台みたいなのに仰向けに寝て待ってたら、亀井先生が嬉々として(いたように見えた)やって来た。口を開けさせられて、何かを噛まされて口が閉じないようにされた状態で、先生が説明を始めた。

亀井「田尾さんの取れたのは金属の詰め物ですけど…」
田尾「あー(口が開いたままなので「あー」しか言えない)」
亀井「今はもうセラミックを使うので、セラミックでやりますね」
田尾「あー」
亀井「セラミックはね、金属の詰め物より軽い」
田尾「あー」
亀井「さらに金属より柔らかくて優しい」
田尾「あー」
亀井「しかも値段も安い」
田尾「あー」
亀井「いいことずくめみたいですけど、良くないこともあるんです」
田尾「あー」
亀井「歯医者の経営的には儲からなくて良くない」
田尾「あー」

 何か一作業が終わって「うがいをしてください」と言われて、口の噛ませものを取られたので、私は言いました。

田尾「先生、口を開けたままでボケられてもツッコめんのですけど」

 フロアで軽い笑いを頂きました(笑)。

 みたいなことがあって、その日のうちに奥歯は復活しました。それから日、月とものすごく頑張って、5日間の猶予を頂いた原稿が今日、仕上がった。予定より2日も早いけど本来の予定より3日も遅いという、評価の分かれる結果だ(普通、評価できんやろ・笑)。ちなみに、次は、25日までに2本。休ませてくれんなあ。
2013年3月15日(金)

 やっと日記を書く余裕ができました。理由は、苦しんでいた原稿が今日! ついに! 5日間待ってもらえることになったからです(笑)。ほんまに、峰山ウォーキングの代わりにタイトロープウォーキング中。

 そういうわけで、この1週間、いろんなことがあって1本ネタもいくつかできたのだが、何書くかなあ。6時から宇多津の居酒屋で卒業式の謝恩会があるのに、会場に向かっていて宇多津町に入った瞬間、誘惑に駆られて5時過ぎにおか泉でうどんを食ってしまった事件とか、これはうどラヂに取っておくか。じゃあ、チンペイを懲らしめるためにまた数字を入れてやろ(笑)。

 何か、だんだん困ったことになってきてますよ。こないだ、四国電力から「値上げ申請についてご説明させていただきます」という印刷物が届いたので、ついでに滅多に見ないうちの「電気ご使用量のお知らせ」の明細を見てみたら、通常の電気料金の他に、

再生エネ発電賦課金
太陽光発電付加金

の2項目の請求がついていた。これ、家内に聞いたら去年の6月頃からついているそうです。このお金は、一旦四国電力を通るけど、構造からすればそのままメガソーラー会社に行くお金ですよ。つまり、以前から言っているように「四国電力への売電」を目的としたメガソーラー会社は、1kwhあたり43円という法外な値段の電気料金の通常料金との差額を、私らから強制的に取っているわけです。それが今、どんな感じになっているのか。

 こんな大事で注目のテーマなのに新聞が単発情報しか載せないので、仕方なく新聞の過去記事を探してまとめてみると、香川県内で、

2012年12月までに稼働しているメガソーラー…5カ所
2013年3月中に稼働予定のメガソーラー ………5カ所
2013年12月までに稼働予定のメガソーラー……3カ所

で、この狭い香川県で、今年中に全部で13カ所が稼働することになるらしい。で、その13カ所の規模を合計してみようと思ったのだが、新聞記事では、単発で掲載されている計画や稼働開始の記事中に、それぞれのメガソーラーの年間発電電力量が載っていたり載ってなかったり、敷地面積もパネル枚数も投資額も年商も、規模を知るために必要な項目全てについて、載ってたり載ってなかったり。全部合わせてもデータが歯抜けだらけで全く資料にならない。たぶん、記事を書く時に目的意識が全くないのだろう。なので、いろんな歯抜けの数字から私が推測して合計した数字をいくつか並べてみます(いずれも13カ所の合計です)。

総敷地面積 約30万平方メートル(香川県営球場グラウンド21個分!)
年間発電量 約2000万kwh(香川県の年間電力消費量の100〜150分の1)
年商    約9億円(=2000万kwh×43円)

 「そんなに広い土地を使って、こんなにちょっとしか発電できないのか?」という話は今回は置いておいて、この年商9億円の大半は、我々県民がメガソーラー会社に払うのである。それも20年間にわたって。それが、これから売電を目的としたメガソーラー会社ができるたびにどんどん増えていくことになる。困ったなあ。

 例えば、メガソーラー会社が発電する「43円/kwh」の電気を四国電力でなくて一般の事業所や家庭に直接売ったら、誰も買いませんよね。だって、普通の電気料金の倍以上もするんだから。じゃあ、一般の事業所や家庭が絶対買わないような商品(電気)を四国電力に買わせて、しかし四国電力は法律に則ってそれを電気料金に上乗せして一般の事業所や家庭から徴収するという今のシステムは、どう考えても、メガソーラー会社が私らに有無を言わさず「強制的押し売り」をしているのと同じでしょう。絶対買いたくない物を「四国電力」をかませて買わされているんだもの(これって、ある種のマネーロンダリングみたいな構図じゃないですか?)

 今、「電力事業の自由化を推進すべきだ」と主張している人がたくさんいます。つまり、「いろんな事業者が発電事業に自由に参入して競争を始めるべきだ」という意見ですが、それなら、メガソーラー会社はその先駆者として「自由競争」をやるべきでしょう。自由競争とは、ユーザーが自由に商品を選べることが大前提です。つまり、我々ユーザーが「四国電力の電気を買うか、メガソーラー会社の電気を買うか」あるいは「火力発電の電気を買うか、風力発電の電気を買うか、水力発電の電気を買うか」まで選べるようになるのが自由競争の基本です。

 でも、私らは選べない。それも、今の「単品なら絶対買わない43円/kwhの超高額の電気」が「四国電力」というパッケージ商品の中に紛れ込んで売られていて(これって、ある種のサブプライムローンみたいな構図じゃないですか?)、ユーザーはそれを買わざるを得ないというシステムになっている。これは、消費者側から見れば、電力事業の自由化に完全に逆行していますね。電力事業の自由化を主張している人たちは、当然「再生可能エネルギーの買い取り制度は廃止すべきだ」「メガソーラー会社は電気を直接ユーザーに売るべきだ」と声を上げるはずなのですが、全然聞こえてこないのはどういうこと?

 ……と、ロジックをパタパタとダイジェストで並べてみたので説明不足であることは覚悟の上の意見であるが、チンペイは睡眠中であろう。とりあえず、高い電気を強制的に無力な県民に売りつけられ続けることに誰も疑問を呈さないのは、何か困ったなあ…という話です。
2013年3月8日(金)

 私の仕事部屋はマンションの8階にあって、机の左側はすぐガラス戸。仕事をしながら左を向くと、窓の外は高松市街地と、その向こうに屋島と瀬戸内海が見えるという、まあええ感じのロケーションである。狭いけど。

 17年前のある日、タウン誌で泥のように働いていた時に都村さんと仕事をすることになったのだが、物理的にとても締切に間に合わない状況になってしまって(200ページくらいの本を一から原稿起こしするのに3日くらいしかない、という感じ)、ガントチャートを1週間くらい先延ばしするしかないと思っていたら、都村さんから「集中して一気にやりましょう」と言われたのである。

 集中ったって、私はいつも集中してやっているつもりで、それでも間に合わないスケジュールだと思っていたのだが、都村さんが「一泊二日くらいでホテルか何か、どこかの部屋を借りてください。そこでやりましょう」と言った。その時に出された部屋の条件が、ある程度広い部屋で、食事は部屋に持って来てくれるところ。そこまではわかるけど、3つ目の条件の「海が見えること」というのが、理由が全くわからなかった。

 結局、喜代美山荘花樹海の和室一室を借りることになった。朝の8時にチェックインさせてもらって、広い畳の部屋の真ん中に座卓を2つ入れてもらった。そこに、まだパソコンなんて使ってない時代だったから(今書いててびっくりしたけど、たった17年前にはパソコンなんてほとんどなかったんだ)「文豪ミニ」という、ミニなのに結構でかいワープロを持ち込んで、お茶を一杯飲んで8時半頃から作業を始めたのである。

 作業は、都村さんがあちこちで講義、レクチャーをした時のテープ起こし原稿がA4の紙にびっしりと百数十枚あって、それを私が必死で構成し直してワープロで原稿に仕上げていく。それを都村さんが徹底的に精査して、構成し直したり加筆したりしていくというもの。もう、二人ともモノも言わず、私はテープ起こし原稿をにらみながら必死で頭を回転させてワープロに向かい、都村さんは手書きでものすごい量を加筆したり、文章構成を修正したり…。

 事前に「徹夜になりますよ」と言われていたので、私はユンケルとゼナの高いやつを5本も買い込んで、結局一睡もせずに、翌日の夜9時頃、全部仕上がった!

 あの時、私は「集中力」というもののレベルが、もう一段というか、二段くらい上にあることを知りました。私が集中した以上に、都村さんが集中している時の姿を見せてもらったからです。机に向かって集中している都村さんから、何かが出てるの。その出てる何かを私が吸って、こっちにも集中力が湧き出てくるの。

 で、集中していた都村さんは、数時間に1回くらいのペースでベランダに出て、じーっと海を見ていたのである。あとで聞いたら、それは頭の中をオールクリアにして整理する時間だったそうだ。花樹海は、高松市街地と屋島と瀬戸内海を見渡す絶好のロケーションにある。その部屋で何時間も無言で集中して原稿に向かい、そして無言でベランダに出て海を見ながら考え、また机に向かう…都村さんはそれを繰り返していた。

 その時の印象があまりに強烈で、私は自分の仕事部屋をあの環境に近い状態にしたいと思ったのである。今、私のマンションの仕事部屋は、花樹海の下あたりにある。峰山の中腹にある花樹海より目線はかなり低いが、机のすぐ左の窓からは同じような視野が開けている。その視野の先にある屋島が、数日前からすっかり霞んでしまって、顔を左に向けて見るたびに気分がどんよりするわ!

 というわけで、中国から降ってくるもんに腹が立っているというだけのことを書くのに、必要以上に行数を使ってみました。併せて、集中力を欠いて仕事が進まないことの言い訳にもしてみました(笑)。

 あ、今思い出した。あの花樹海で徹夜した日、12月24日やった。夜、私もベランダに出て下を見おろしたら、すぐそこに見えるうちのマンションの部屋に電気がついていた。家内と小学生の子供2人がケーキでも食べているのか…。その時父ちゃんはすぐ上の花樹海でユンケル飲んで徹夜してた。そんなクリスマスイブでした。真言宗だけど。
2013年3月7日(木)

 オスプレイが四国上空を低空飛行訓練したことについて、地元メディアは懸念するばかりである。「街の声」も懸念の声ばかり集めて載せている。でも、オスプレイって、緊急時に人とか物資とかを運んでくる輸送機でしょ? その輸送の性能が、今までの輸送ヘリより速く、多く、長距離運べるんでしょ?

 すると、自分とこで大災害があったり大事故があった時、例えば今騒いでいる大地震による大津波で町が壊滅したり、北朝鮮が東京を狙ったミサイルが四国に落ちたりした時(笑)、オスプレイが迅速に大量に救援物資や人員を運んで来てくれれば、今まで以上に被害を最小限に抑えることができるわけですね。でも、きちんと訓練してないと、実際の現場で何のアクシデントがあるかもしれないわけですね。

 となると、例えば香川なら、

・香川にもぜひ飛んできて、香川の地形や気象のデータを把握しておいてください。
・できれば香川の何カ所かで着陸訓練をして、いかなる状態でも、どこにでも、確実に着陸できるようにしておいてください。
・災害や事故はいつ何時起こるかわからないので、深夜でも着陸できるように訓練しておいてください。
・それも、できれば毎年やってください。

 というのが、地域の安全確保のためにやっておくべきことになるんじゃないですか? 防災訓練って、そういうものでしょう。町内会でも「毎年防災訓練をやっているのに出てこない人がいる」って問題視してるんだから。また、そういうのをやっておかなかったから、福島の原発が緊急時対応に遅れて、過酷事故を起こしてしまったんだから。

 例えば、今度の防災の日にオスプレイに5機ぐらい飛んできてもらって、県庁の屋上のヘリポートと中央公園とサンポートの空き地と屋島の陸上競技場とレインボー通りあたりの空き地に一斉に着陸してもらって、ダミーの物資と人員を大量に下ろして、大量の被災者役の県民を一挙に乗せて飛び去るとか(笑)、高松市、さぬき市、坂出市、丸亀市、観音寺市に一機ずつ下りて同じような訓練をするとか、善通寺の自衛隊と合同訓練するとか。

 すると、「なるほど、これくらいの救援能力があるのか」とか、「すると、緊急時には地元対応としてこの程度は自分たちでカバーしないといけない」とか、いろんな現実的な安全防災対策ができるようになる。そんなんやってくれたら、私は住民としてかなり大きな安心感を得ることができるんですけど。

 ま、オスプレイの詳しい性能や安全性はよく知りませんが、導入の大きな目的はそういうことですよね。もちろん、メインは有事の際の輸送だろうけど、日本国内の大災害時にも使ってもらえるんですよね。

 すると、今はアメリカ軍のオスプレイだけだけど、日本の自衛隊にも何十機も導入したら、日本の非常時救援能力はさらに飛躍的にアップするんじゃないですか? だって、あれ、最新の救援機でしょ? だったら、導入に反対する意味がわからない。さらに、それが安全に機能するための訓練に反対する意味がわからない。

 「防災」に反対してるんですかねえ(違うのは知ってるけど・笑)。じゃあ、とりあえず、「訓練をするな」「我が県の上を飛ぶな」と言っているところには、「オスプレイの管轄外」ということで、緊急時や非常時に救援に行かなくてもいいと思いますが。

***

 さて、今日は生まれて3回目の証券会社に行って来ました。実は20年くらい前に仕事の関係である会社の株を買わされて持っていたのであるが、その会社が5〜6年くらい前に株式を上場することになって、私は株なんか持っていたくないので売ってもらいに行ったのである。それが証券会社に行った1回目。

 その証券会社は地元の大手で、中に入ると、かなり広いフロアがカウンターで仕切られていて、カウンターの内側では社員がたくさんパソコンに向かっていた。その後ろの上の方に、例の数字がいっぱい並んだ電光掲示板みたいなのがドーンと掲示されていた。カウンターのこっち側はテーブルとソファがいくつか並んだサロンみたいになっていて、そこで何人かのおっちゃんがカウンターの中の人と何やら軽口を叩きながらたむろしている。

 そこで、私がカウンターに行って用件を告げていると、担当の兄ちゃんが「あれ? 田尾さんですよね」と言ってきたのである。私は、証券会社にウインズ(場外馬券売場)みたいなイメージを持っていたので、いや、「こんなギャンブル場みたいなところで従業員が客個人を特定して話題に出したらまずいでしょ」と思ったのだが、話題を遮る間もなく、その声を聞いた他の従業員からも「田尾さんや」という声が聞こえて、あろうことか奥の衝立の向こうからも女性従業員が顔を出してこっちを見る始末。私はもう帰ろうかと思ったのだが、どこに行ってもこんな感じだったら一緒なので、我慢して手続きを済ませて帰った。

 それから1週間くらい経って、何やら「口座ができました」みたいな連絡があったので、またその証券会社に出向いた。これが私が証券会社に行った2回目。私はそこで、「じゃあ、これ、全部売ってください」と言ったら、担当が「いや、これくらいになるまで待ったらどうですか?」と言ったので、「私は株のことなんか全然わからんし、売買をやったこともないけど、普通に考えたらこういう業界は株式を公開して大きな資金を集めても、工場を建てて増産するとか新規事業を展開するとかいう類のものじゃないから、大きな成長はないでしょう。しかも今は上場直後のご祝儀相場なんだから、たぶん上がりませんよ。全部売ってください」と言ったのである。

 で、全部売ってもらっておしまい。それからしばらく、平穏な日々を送っていたわけです。ところが、翌年の初夏、その会社から決算資料と株主総会の案内が送られてきたのである。ん? 俺、株なんか全部売って株主でも何でもないのに、何で送られてくるんだ? 何かのミスか?

 とりあえず、何かのミスだろうと思って放っておいたら、翌年、また決算資料と株主総会の案内が送られてきた。放っておいたら、また翌年も。そこで、私はその会社に電話をしたのである。ところが、「すみません、私、株主でないのに3年も続けて決算資料が送られてきてるんですけど」と言ったら、「調べてみます」と言って数分後に返ってきた話に、私はひっくり返った(ひっくり返ってはないけど)。

担当「田尾様は当社の株式を○○株お持ちですけど」
田尾「えーー! 何ですとーー!」(いや、そんな大声は出してないんですけど)

 いろいろ確認した結果、あの時「全部売ってください」と言ったのに、あの証券会社が半分しか売ってなかったとしか考えられないことがわかった。ちなみに株価を見ると、あの時の3分の1になっていた。額は言えんけど、007仕様のオメガ・シーマスターが5つ買えるぐらいのロスをくらった(笑)。笑ってる場合か。

 でも、「全部売ってください」と言ったあの時からもう3年も経っているので、「言った、聞いてない」となったら泥仕合になるのであきらめた。しかも、あの従業員のメンタリティだから、「田尾さんがクレーム付けてきた」いうのがあっという間に広がりそうで、あの証券会社には行く気がしなかったのである。

 その後、その残っていた株式は特別口座で管理していてそのままでは売買できないというので、どこかの証券会社の一般口座に移さなければいけないということで、今日、やっとのことで別の証券会社に行ってきたのである。これが3回目。今日行ったところは、ちゃんと一人ずつの仕切りがあって、よい応対をしてくれました。でも、株はやらない(笑)。そんな余剰金もないし、お金が足りなくなったら頑張って働くから。

 いかん、チンペイが急かすもんだから、笑いどころのない話になってしまった。
2013年3月6日(水)

 中国から何かが降ってきているせいなのか、山や島がいつも以上に霞んで見える今朝、書類提出のために研究室から出てキャンパスを横切ろうとしていたら、学生支援センターからチンペイが出てきて、切実に訴えるのである。

チン「先生、ここのところ毎日、日記を見るたびに気を失うんで、もうヘトヘトなんですけど」

 暗に「早よ日記更新してくださいよ」というメッセージを発信していることを察した私は(ま、露骨に「更新しろ」と言われているのだが・笑)、仕方なく直ちにこれを書き始めたのだが、あわてて書き始めたらろくなことがない。こんな話はいつもならグッと飲み込んで表には出さないのだが、チンペイのせいだ、ということにしておこう。

 今朝、がもうに行ったら、こないだ私が平日の昼に来た時に行列で食べられなかったことの原因を教えてくれた。ちょうどあの時、県外の某大手うどんチェーン店の研修が香川であったらしく、その御一行が突然、バス3台を連ねて来店していたそうだ。ま、それなら仕方がないわな、と思っていたら、その後、聞き捨てならない情報が。

 その御一行は、讃岐うどん巡りの基本マナーを外した「注文した丼の数より使った箸の数がずいぶん多い」という行為を団体でなさり、さらにたくさん食べ残し、あろうことか、外の用水路にうどんを捨てているのさえ発見されたそうです。

 「研修でそんなことしちゃダメですよー」と、ものすごく自分の気持ちを抑えて抑えて、これぐらいにしときます(笑)。

 この讃岐うどん巡りブームの発端となった私ら麺通団や、麺聖森村や、土着の讃岐うどんファンたちは、「愛」を持って讃岐うどんで遊んでいるのである。それも上っ面の愛ではない、讃岐うどんに対する魂の部分からの愛が根っこにある。もちろん、私はビジネスとしてマーケティングの手法に沿って「ゲリラうどん通ごっこ」から「恐るべきさぬきうどん」「讃岐うどん全店制覇」「讃岐うどん珠玉のメニュー図鑑」「讃岐うどん王選手権」「讃岐うどん巡礼八十八カ所」「超麺通団」「うどラヂ」…等々を仕掛けてきたのだが、それは「儲かるなら何でもやるマーケティング」ではない。「讃岐うどんに対する愛のあるマーケティング」、そこを外れた企画は全部ボツにしてきたつもりである。

 それが近年、「とにかく話題になればよい」という類の上っ面の讃岐うどんキャンペーンやビジネスがあちこちから出てきているように思えてならない。もちろん、企業がビジネスを拡大していくことは地域や日本の活性化のためにはとてもうれしいことであり、行政がキャンペーンを張ることも、やらないよりはやった方がいいとは思う。でもね、愛のないビジネスや、愛のないキャンペーンは、「讃岐うどん」を壊していきますよ。

 とかいう重い話になってきたやないかチンペイ!

 さ、気を取り直して、佳境に入ってきたインタレストの編集会議に臨もう。

 勝谷さん、「そこまで言って委員会」辞めちゃったのかー。勝谷さん、自分で自分のことを「情緒の人だ」とかよく言っているけど、内容の好き嫌いは別にして、あの番組で根っこのところで物事の原理原則を押さえて話していた人は、私の見る限り勝谷さんだけだったからなあ。もうあの番組見るのやめよ(笑)。
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