2014年01月の日記 |
2014年1月31日(金)
10数年前、あるうどん屋に行ったらアルバイトの女の子に「こちら、おダシのほうになります」と言われて以来、「ほう」と「なります」嫌いになって早10数年である。
文頭の「10数年」で文末の「10数年」は不要になるので、書き直すとすれば、 (1)「嫌いになった」で止める。 (2)文頭の「10数年」を「かつて」とかに変える。 (3)文末の「早10数年である」を「今日に至る」とかに変える。 などとすべきであるが、行数を稼ぐために思考を文章に垂れ流してみたのである。書き直し文から始めます。
私がタウン情報誌の編集長から社長になった頃だから、1990年代後半のある日のこと、数人でうどん屋に行ったら、アルバイトの女の子が「こちら、おダシのほうになります」と言ったのである。「それ、何かおかしいだろ?」…というわけで、その日以来、私は「ほう」と「なります」嫌いになりました。
そこで私は直ちに、「『ほう』と『なります』撲滅機動隊」(笑)を結成したのである。意を同じくする同志を募った結果、隊長は私、隊員はS原となった(2人かい)。ちなみに、その主な活動は、隊員S原と私が坂出の某うどん屋に行って湯だめうどんを注文した時、店員の若い女の子が湯だめを持って来て「こちら、湯だめになります」と言ったのを聞いて、すかさずS原が「今は何なんですか?」と返したという、その1回だけであるが(笑)。
説明するまでもないと思うけど、「こちらが湯だめになる」ということは、今のこれは湯だめではなくて、しばらく待ってたら湯だめになっていくんですか? すると、今のこれは何なんですか? という実にタチの悪いツッコミでしたが(笑)、女の子は問われた意味がわからず、もう一回「湯だめになります」と言って向こうに行きました。
しかし以来、我々の必死の活動もむなしく(1回だけだけど)、「ほう」も「なります」も猛烈な勢いで普及してしまいましたねえ。あ、あと「的」も。こっちは野球やゴルフの解説者が主役で、「距離的には十分届いていましたが…」「コース的にはよかったんですけどねえ」…等々。「距離は十分届いていた」「コースはよかった」でええやん、みたいな。
でも、実は私はこの10数年にわたって、ずっと抵抗していたんです。特に「なります」については、「○○になります」と言う店員がいる店には行かない、「○○になります」と言うタレントとかレポーターが出る番組は見ない、とかいうふうに。まあ大人げないと言われるかもしれんが、うちは夫婦二人とも「○○になります」を聞いたら嫌な気持ちになるので、「金を払ってまで嫌な思いをしたくない」という、個人的にとても重要な基準だから放っといてください(笑)。
ところがこないだ、我々夫婦の大のお気に入りの焼き肉店に行ったら、たぶん最近入ったと思われる若い女の子の店員が「こちら、野菜盛りになります」と言って野菜盛りを持って来たのです。続いて次々に、「ロースとカルビになります」「ハラミになります」「卵スープになります」「ごはんになります」…。しまいに氷の入った水のジョッキまで「水になります」言うて持って来たけど、まあ中の氷がそのうち「水になりました」から、それは半分勘弁してやる(笑)。
あの日の夜、「今後もあの焼き肉店に行くかどうか」でわが家は葛藤しました。そして、苦しみ抜いて導き出された出た結論は「焼肉がうまいから引き続き行く」(笑)。
でも、どこかでタメのコミュニケーションがとれるようになったら、「『なります』言うな」ってアドバイスしてやりたいなあ。けど、余計なお世話なんだろうなあ。
|
2014年1月26日(日)
朝9時から、今年初めての「麺通団讃岐うどん巡り」に行ってきた。参加者は、私とごんとH谷川君の3人。新鮮味に欠けるメンバーだ。
今回のテーマは「○○と△△を食べ比べる」という、関係者注目(笑)のコースだったのだが、いきなり1軒目からテーマを外れて予定になかった店に突撃するハメになった。しかも、1軒目で「先日お電話いただいたので早速やってきました事件」、2軒目で「カレーうどん殺人事件(笑)」、3軒目と4軒目で「片や○○、片や××事件」、5軒目で「キス天ぷら事件」が起こるという、何かネタの神が土砂降りみたいな一日になりました。
ちなみに、3軒目と4軒目の「片や○○、片や××事件」は、讃岐うどん界にとって、ある種「竹島問題に決着がつく」ぐらいの発見と再確認があったのだが(笑)、政権が吹っ飛ぶかもしれんので発表できない(笑)。素人さんならツイッターとかで嬉々として垂れ流すんだろうけど、プロの情報発信の現場を経験してきた私は、「ぐっと飲み込む」トレーニングができているので、『うどラヂ』の本放送でちょっと触れるくらいで止められるのである。
ごん「止められてないじゃないですか!」
大丈夫だ、ちゃんと寸止めする(笑)。とりあえず、アメリカで石川が頑張っているので気持ちの良い日々です。私も頑張ります。
|
2014年1月25日(土)
よし、これで沈んだ(笑)。
というわけで、今朝は2週連続で峰山に登ってきました。3時間くらい歩いて帰ってきて体重を量ったら、69.8キロ。身長170センチで、確か8年くらい前に78キロまで増えてたのをハードウォーキングで2年で67〜68キロまで落として。以来6年くらい、70キロ前後でずーっと来ています。身長170センチなら理想体重は64キロくらいだとか言われたけど、私はもう70キロで十分です。
今朝のウォーキング中は、ずーっと次のインタレストの企画を考えていました。
今、編集長の河井と副編の坂本と大西が特集企画の「産みの苦しみ」の真っ最中で、来週の火曜日に臨時企画会議をしたいというので、私もそれまでに自分なりの企画案を考えていかないといけない。いつも「企画会議の席で考え始めるのは時間のムダだ。会議までに自分の案をまとめて、それを持ち寄って会議で検討するという習慣をつけろ」と言っている手前、自分も実践しないと示しがつかんからである。
というわけで、とりあえず闇雲に考えても効率が悪いので、歩いている途中に目に入るものを全部、頭の中でいじってみることにした。
家を出発する。「マンション」か…ちょっと企画にはなりそうにないな。道路に出る。「道路」、「舗道」、「街路樹」、「植え込み」、「中央分離帯」、「信号機」、「横断歩道」、「マンホールのフタ」、「看板」……。花樹海の坂を登る。「坂」、「木」、「鳥」……。小さい公園に差しかかる。「公園」、「遊具」……。高徳線のガード下をくぐる。落書きか…ヤンキーの落書きは昔、タウン情報時代にやったなあ。
1980〜90年代のヤンキーの落書きはおもしろかった。彼らが日本語がちょっと不自由なのは今も昔も同じだけど、あいつら、昔はそれを落書きで晒してくれていたからなあ。あのころ発見した落書き集をいくつか紹介すると、
(採集場所)高松市香西の防波堤 (作品)「打倒香川県驚!」(驚いてどうする・笑)
(採集場所)綾南町の民家のブロック塀 (作品)「西讃連合三代目! ヨロツク!」(カタカナの「シ」と「ツ」が書き分けられていない。よろついてどうする・笑)
(採集場所)丸亀市の路上 (作品)「幼」(バイクと原チャリの珍走団の最後尾のやつが立てていた旗。「幻」というグループだったらしい)
(採集場所)高松市峰山の公衆トイレの壁 (作品)「天下無てき」(壁の左側に大きく「天下無」の下に「敵」の左上の二画だけを書いていて、壁の右側に大きく「天下無てき」と書いていた。「敵」の漢字がわからなかったようだ)
(採集場所)西讃の某中学校の教室の柱 (作品)「祝ってやる」(「呪ってやる」と書きたかったようだ)
……等々、30以上の物件を採集したのだが、2000年代に入ると何やらアート文字みたいなのが流行り出して、おもしろい落書きがすっかりなくなってしまった。ヤンキー諸君、ダメだぞ。おじさんたちは期待してるんだぞ(笑)。
などとネタ探しをしながら山道に入ったのだが、その直前で「電柱」を見た途端、頭の中に「電柱でござる」というタイトルが浮かんでしまって、それから2時間近く、山中と帰りの道中ずーっと頭の中を「電柱でござる」がぐるぐる回って、「電柱特集で何かできんか?」ばっかり考えながら帰ってきました(笑)。「タイトルありき」で思考回路に入っちゃうと、もうおかしくなってしまって(笑)。
|
2014年1月24日(金)
恒例の日記放置状態にちょっと焦ってサイトを開いてみたら、いかんいかん、原発ネタが2本上がりっぱなしになってるではないか! こないだ笹木に「昔の田尾さんはこんなんじゃなかった」と言われたところなのに…原発ネタ好きかと思われたらいかんので、急いで沈めないかん(笑)。
|
2014年1月19日(日)
久しぶりに本を6冊も買ったが、その中に『ゴルゴ13』が1冊入っているから大きなことは言えない。
昨日、家内とピッコロジジに行ってスパゲティとピザと野菜スープとサラダを食べて、近くの宮脇書店本店が開いていたので覗きに行ったのである。で、反原発と親中国と親韓国の本を探しました(笑)。反原発と親中国と親韓国論者は、「まず反対ありきのほとんど宗教だ」と言われているけど、原発推進と反中国と反韓国論者も絶対に譲らない「宗教」になってるきらいがあるので、両方の意見をよく読んで、ファクトベースのロジックをきちんと考えよう、というのが私のスタンスなので。
で、探したら、反原発の本はたまにあるけど、親中国と親韓国の本はなかなかないですねえ。ネットで探したらあるんだろうけど、書店の平積みクラスになるとほとんどない。仕方なく、反原発らしき本を何冊かめくってみたのですが、私の期待する内容のものがないですねえ。たいてい「原発がいかに危険か」とか「原発関係者がいかにいい加減か」とか「原発容認派の意見や数字はウソばかりだ」といった主張をまくしたてるばかりで、「原発を停止することによって生じるリスクをどう解決するか」を主張しているものが全然ない。
「原発を稼働することによって生じる最大のリスク」は、「メルトダウン〜水素爆発〜放射性物質拡散」ですね。それに対し、原発容認論は「非常時の電源確保と冷却水注入システムを再整備し、福島級の地震と津波が来てもメルトダウンは避ける」という解決策を提示している。
しかし、またまたそれに対して、原発反対論は「それでも絶対安全とは言えない」と言って、ありとあらゆるネタを繰り出して詰め寄っている。世の中に「絶対安全」などないのだが、私の見る限り「そんなことはお構いなし」という勢いです(笑)。
一方、「原発を停止することによって生じる最大のリスク」は、一言で言えば「経済が大きなダメージを受ける」ということですね。それに対し、原発反対論は、私が読む限り「電気は足りている、経済はダメージを受けていない、電力会社が努力をすれば何も起こらない」…という主張ばかり。つまり、「リスクは起こっていない」と言っているんです。
相手に対しては「これはどうするのだ、あれはどうするのだ、こんなにひどいじゃないか、回答を出せ」と詰め寄っておいて、「じゃあそっちは、これはどうするのだ、回答を示せ」という質問に対して「そんなことは起こってない」では、それは、議論としてダメでしょう。
しかも、現実に電気代は上がっているし、電力会社の決算は赤字だし、決算の詳細を見ると巨額の燃料費増が計上されているし、その経費は大半が国外に流出していることも事実だし。そのせいで国内企業や店は大きな経費増になって人員削減は起こっているし廃業する事業所も出ているし、海外生産へのシフトも加速しているし、仕事の発注額も減ってこれまで取引していた業者や下請けの売上も下がっているし、当然企業メセナ活動もどんどん廃止されているし…。
それをどう解決するか、というロジックを探しているんだけど、ないのである。私の探し方が足りないのか? そこの納得いく解決策が提示されていれば、私も原発よりはクリーンエネルギーの方が当然好きだから(誰だってそうでしょう)納得済みで「脱原発」論者になるんだけど、見つからないんだもの。誰か、その「今そこにある危機」でなくて「今そこに起こっているリスク」を回避する方法を教えてくださいな。
とりあえず、 (1)原発稼働のリスク (2)原発稼働のリスクに対する「解」 (3)原発停止のリスク はさんざん聞かされてきましたので(判断は自分でします)、あと知りたいのは (4)原発停止のリスクに対する「解」 だけです。「原発停止のリスクに対する解」じゃない話はもういいですから、しばらく無視です。
…とか言いながら、さっき風呂に入って『ゴルゴ13』を読み終えた私(笑)。次は東野圭吾だけど、読んでる暇がなさそう。
|
2014年1月14日(火)
朝、今年の「初がもう」に行く途中、番の州工業団地の高い煙突からモクモクと、ものすごい量の煙が上がっているのを見た。四国電力火力発電所の煙です。こんな朝からテンションマックスのフル稼働か。しょうがないわなあ、原発止められたままだもの。
25年くらい前、空撮でセスナに乗って香川県上空を飛んでいた時に見た光景を、今もかなり鮮明に覚えている。雲一つない晴れた日だったのだが(ま、空撮だから晴れた日を選んで飛ぶんだけど)、上空500メートルだったか700メートルだったか、そのあたりで空気が見事に二層に分かれていたのを見てびっくりしたのである。
下の層は霞がかかったように白く、上の層は霞など微塵もなくスコーンと抜けていた。つまり、我々はその霞の中で生活していたのである。地上から見た時は、そんな霞の中にいるなんて全く気がつかなかった。
セスナの中で「何で地上はこんな霞の中なんだろう」と思ってよく見たら、番の州の四国電力の火力発電所の煙突からモクモクと上がる煙が、上空500だったか700だったか、そこでワーッと横に広がっていた。さらに、はるか向こうを見ると、川之江、三島あたりで大王製紙の工場の複数の煙突からモクモクと上がっている煙が、これまた上空500か700かのあたりでワーッと横に広がっていた。そして、四国電力の火力発電所と大王製紙から上がる煙が上空で横に広がってつながり、香川県の大半をすっぽり覆っていたのである。
そういえばあの頃、遠くの山を撮影するのにガスがスコーンと抜けた日がなかなかなくて、雨上がりとか台風一過を待って撮影によく行っていた。それがその後、だんだんガスの抜けた撮影日和の日が増えてきて、『インタレスト』を始めた8年前頃から一昨年あたりまでは「晴れた日ならたいていオッケー」というくらいにまで空気が澄んできていたのである。
ところが、去年は全然ダメだった。晴れているのに向こうの山が霞んでいたりする日が多く、瀬戸内海の対岸の岡山の山がくっきり見える日も滅多になかった。その結果、前号は撮影がうまくできなくて、写真特集の企画が1本飛んだのである。
実は次号も写真特集企画が1本、ピンチに陥っている。12月の編集会議で「岡山県から見た香川の写真特集」という企画が上がっているのだが、去年の12月からロケハンに行っている新編集長の河井(岡山出身)が今日、「いつ行っても霞んでてダメです」と言ってきた。
火力発電所フル稼働のせいかなあ(笑)。この20年の香川の空気の澄み具合と火力発電所の稼働のペース、かなり連動しているような気がするんだけど。
ついでにもう一つ、こないだの日曜日に行われた都道府県対抗女子駅伝で、香川県は初めて全国最下位の47位になりました。その最大の原因は、それまで香川県チームの有力選手をたくさん出していた四国電力陸上部が去年の3月に廃部になって、選手が県外に散っていったからだそうです。
四国電力、原発止められちゃった上に「コストダウンしろ!」とさんざん叩かれていたから、陸上部をやってる場合ではないわなあ。以前にも書いたけど、四国電力の決算書を見る限り、原発を止められてから燃料費が年間800億円くらいアップしているからなあ。
ちなみに、その800億円は、それまでなら人件費だろうが広告宣伝費だろうが業者への発注費だろうが、大半は県内に落ちていたものである。それが今は、その大半が国外に出て行っているんだから、そりゃあいろんなところで貧しくなっていくのは当たり前である。
香川県のGDPが3兆円くらいということは、そのうちの800億円というと…3%近くもあるのか! そういえば、全国規模で毎年発電の燃料費が3兆円ぐらい国外に流出していると言われているけど、日本のGDPが一時400兆円くらいにまで落ち込んでいたのが500兆円とか600兆円とかに回復しているらしいので、こっちはGDPの0.5%くらいか。
この比率の差は、GDP全体に占める電力会社のサイズの差でしょう。何しろ、四国電力は年商5000億円を上回る香川県の売上最大企業で(2位はマルナカの2000億円だからぶっちぎり)、四国電力1社で香川県のGDPの17%も占めているのである。そこが原発停止で大打撃を受けているのだから、たぶん水面下では「空気の霞み」や「駅伝」どころの話ではない大変なことが進行していると思う。
四国電力の原発を止めているのは、原子力規制委員会と愛媛県知事だと思うけど、止めたことによって起こる(既に起こっている)明らかなリスクに対する「解」を提示しないまま止めているから、香川県はお先真っ暗です(笑)。
四国電力以外の年商1000億円企業があと5つくらい出てくれば持ちこたえられると思うけど、観光や文化や100年に一度の防災や社会福祉ばっかりやっているようでは、まず企業は出て来ないと思います。ちょっと無理ですね。
とりあえず、無力な私は自分にできる仕事を一生懸命やるしかないか、ということで、今日はゼナを1本飲んでたくさん仕事をしました。
|
2014年1月13日(月)
毎回毎回、日記を書くたびに「よし、今日から毎日更新してチンペイの度肝を抜いてやろう」と思うのだが、あかんなあ、ほんまに次から次へと更新を阻む何かがやってくる。今回の数日間は、仕事に追われている上に、何かせわしない用事が連日あったのと体調不良のダブルブッキングである。体調不良はブッキングしてなかったけど。
何か、1週間ぐらい前に病院で処方してもらった糖…でなくてインシュリン分泌不全の新しい薬を飲み始めたら、ちょっときついのか飲むたびに頭が重くて、書き物をしていると集中力がすぐに切れる。だから、短い書き物でも構想がなかなかまとまらないのである。今までに何回か白状した記憶があるが、私はたかが1文でも、文に書かない部分も含めて頭の中でちゃんとロジックがつながってまとまらないと書けないタイプなので、集中力が途切れるととても苦しい。
近年、NHKを中心に、テレビの番組中に何かツイッターみたいな投稿文が流れ始めているが(年末の紅白にまで流れていたらしい)、私はツイッターとかフェイスブックとかしたことがないのでよくわからんが、みんな、ようあんな反射神経で書いたような文を人前に出せるなあ…と感心しています(「感心」でないのはわかっている・笑)。
私は、反射神経は「思考回路」を通ってないと思っているので、「思考回路」を通ってない文章はとても人前に出せない。それと、編集者としても、読者や視聴者が反射神経で書いてくるものをそのまま発信して「2WAYコミュニケーションだ」と胸を張る度胸はない。ああいうのを見ていると、時代は進化しているのか退化しているのか、一昔前の価値観しか持っていない私にはわかりませんわ。
そういうわけでここ数日、ちょっと不調です。でも、人と話してたら少し体調が良くなる。
昨日は朝から親戚の法事に行きました。従兄弟の家の法事で、これまでは私の実家の母ちゃんが行っていたのだが、母ちゃんが「お前が行ったら向こうも喜ぶやろし、私もいつまでも生きとらへんから、お前一人で行ってこい」とか言われて、行ってきた。
行ったら、従兄弟は久しぶりながらお互い知っているんだけど、寄ってきている向こうの親戚や近所の人は全然知らない人ばかりで、私はおとなしくしたまま家の仏壇にお参りして、お坊さんが来て(知ってるお坊さんでした)、お経を上げて、昼前に法要が終わりました。それから昼の食事でみんなで仁尾の「はやしや」に行って、食事をしながら、だんだんうち解けてきて、いっぱいしゃべってきました。
従兄弟の娘さんの旦那さんが、昔、私が編集長をしていたタウン情報誌の「笑いの文化人講座」の熱狂的なファンだったり、従兄弟の知人で出席していた人が「はまんど」の盛の大将の小学校時代からのお友達だったり、「うちの息子が田尾さんとこの娘さんと小学校の時に同級生やったんで」とかいうおばさんがいたり、そのうちその辺のおじいさんたちが絡んできて、いやー、達者なじいさんたちの話はめちゃめちゃおもろいです。ちょっと元気になった。
改めて、その辺にいっぱいいる普通のおじいさん、おばあさんの頭の中にある「昔の日常話」を、毎日毎日、10年ぐらいかけて全部引っ張り出して一大アーカイブに残したいと思いました。「悲惨な戦争体験」とかいうのばっかりが「残すべき話」として価値があるように言われているけど、私がおじいさんやおばあさんに話を聞いていると、昔の日常はそうじゃない部分の方が分厚くて、バラエティで、いろんな真実が山のように出てくる。でも、それらは全部、おじいさんやおばあさんの頭の中にあるだけで、どこにも残ってなくて、どんどん消えて行っているんですね。有志編集者を集めて「じいちゃんばあちゃんの頭の中発掘調査隊」を結成して、10年計画で取材を始めるかな(笑)。
|
2014年1月8日(水)
午後1時半から、今年最初の『インタレスト編集会議』。去年の12月から次の号の企画出しが始まっているのだが、回を重ねるごとにネタ切れ度が増していく、いつもの「生みの苦しみ」の真っ最中である。「海の苦しみ…海洋汚染」というネタを思い出したが。
企画出しの段取りは、 (1)メンバー20数人を5〜6チームに分ける。 (2)1人が最低1つずつ考えた案を持ち寄って、チームごとに検討会議をする。 (3)チームでまとめた企画案(各チーム3〜5案)を全体会議で発表する。 (4)私も入って、企画案を検討しながら4〜5本を決定する。
という、まあよくある感じの進め方である。以前は初歩的授業として、みんなが案を持ち寄っていきなり全体会議で個人別に発表して一つずつ検討していたのだが、そうすると、まあ箸にも棒にもかからないような企画案というよりただの思いつきレベルのものがいっぱい出てくる。で、近年は上級生たちが「企画案にまとめ上げる」という手法についてだいぶ上手になってきたので、「一回チームで精査してから出す」という方法を採り始めたのである。
そういうわけで、今、編集室のホワイトボードに各チームから出てきた30本くらいの企画案が並べられています。これを一つずつ検討しながら、まだ絞り込んでいくのではなくて、もう一回広げて行くのである。例えばこんな感じ。
田尾「一つずつ行くぞー。まず、この『市町のキャッチコピー』いうのは…F田チームか。どんなんがあるんや?」 F田「例えば高松市だったら『文化の風かおり、光りかがやく瀬戸の都・高松』とかなってますけど」 田尾「丸亀は?」 F田「いや、まだ他の市は全然集めてないんですけど、たいてい全部の市町にそんなのがついてるから集めたら何かできんかなあと思って」 田尾「香川の市町だけ集めるんか? 四国か? 全国か?」 F田「全国は勘弁してください(笑)。3500ぐらいあって、神様と同じぐらい死ぬ思いしないといけないんで…」 田尾「そんなにあるか? 合併して減ったやろが。パソコンの前に座っとるやつ、ちょっとネットで調べてみい」 ノース「えーと、ウィキペディアには2013年1月1日時点で全国の市町村数が1719と書いています」 田尾「香川の神様の数(延べ数)の半分になったやないか」 F田「そんなご無体な…」
とかいういつもの「田尾・F田漫才」をやっていたら、ノース(「野生須」と書いて「のおす」と読む学生)が何かを見つけた。
ノース「あの、全国の市町村のスローガンを全部まとめたサイトがありました」 F田「やりましょう」 田尾「できとるやないか!」
とか言いながら、F田もこれで、この「集めて並べるだけ」という企画案がボツになることがわかっている。『インタレスト』は、いかにマニアックなサイトと言えど、誰かが既にやっていることはやらないからである。ただし、同じ素材でも見せ方を変えて新たな付加価値やメッセージが出せるとなれば、企画として成立する可能性が出てくる。
田尾「というわけで、市町村のキャッチフレーズとかスローガンはサイトに網羅されているので、別の付加価値を付けないと特集にならない。何かあるか?」 O西「はい」 田尾「うわ、早いやんか」 O西「じゃあ、全国の市町村のスローガンを全部集めて、そこに使われている言葉を全部分類して用語のランキングを作る」 田尾「おー、来たねえ(笑)。発想の方向はそういうことだ」
そこから、「全部のスローガンを傾向ごとに分類してみる」、「おもしろスローガンを引っ張り出す」、「しかるべき人を集めて座談会をして全国市町村スローガン大賞を決める」…等々、いくつかの付加価値型企画案が出て来た。
田尾「次にキャッチフレーズを横にもっと広げてみよう。すなわち、世界の市町村のキャッチフレーズにまで拡げる」 F田「それはダメだと思います」 田尾「何でや。調べてみんとわからんやろが」 F田「調べてみなくてもわかります」 田尾「何が?」 F田「数が多すぎること(笑)」
あ、言い忘れていましたが、「めんどくさい大将」F田は、F田の言動がめんどくさいのじゃなくて(それもあるけど・笑)、「何でもすぐにめんどくさがる」というキャラですので(笑)。
田尾「まあええわ。とりあえず誰か軽く調べとけ。ニューヨーク市のキャッチフレーズとか、外国の市はそんなもん付けてないような気もするけど、調べてから判断しよう。じゃあ次に、タテに広げるぞ。市町村のキャッチフレーズの過去からの変遷」 十河「その前に、キャッチフレーズのジャンル自体を拡げたらどうですか?」 田尾「ええとこ突いてきたな。この後でそこへ行こうと思ってたんやけど、例えば?」 十河「小中高校の校訓の徹底調査とか」 河井「会社の社訓」 田尾「企業のキャッチフレーズ、商品のCMキャッチ…この辺はインタレストの扱うテーマではないか…」 F田「県の観光キャッチもありますよ」 田尾「あとな、プロ野球の球団スローガンいうのが毎年作られてる。かなり恥ずかしいコピーがいっぱいあるけど(笑)」
……みたいにどんどん広げて行くわけです。今日はあといくつかのテーマを広げるだけ広げて、時間が来たので「次までに考えてこい」言うて解散した。目標、1月中に特集企画を4〜5本決める。編集長河井、苦しみのスタート。会議の進行だけなら慣れたらできるけど、答を出すには、自分が完成予想図を持ってなかったら絞り込めんぞ。
|
2014年1月6日(月)
今日から後期授業の再開。私は月曜日は担当授業がないので研究室で仕事をしていたら、午後3時頃、O西とタケちゃんと十河が3コマ目の赤井先生の落語みたいな授業(笑)を終えて、インタレスト編集室に行くついでみたいに私の研究室を覗いて年賀のあいさつをしてきた。
O西「明けましておめでとうございます」 タケ「おめでとうございます」 十河「おめでとうございます」 田尾「おめでとうございます。あ、ええもん持ってるやんか」 O西「乾パンですよ」 十河「ラスクですよ」 田尾「今、俺、昼飯も食わんと仕事しよんや…」 O西「しょうがないですね。3コだけですよ」 十河「1枚だけですよ」 田尾「すまんのー」
という授業再開日であった(なんちゅう先生や)。とりあえず、3人とも卒業後の進路が決まっていますので、誰にかわからんけどご報告。
それから5時前までパソコンに向かって苦悩していて、高松に帰って夜6時から今年1回目の『うどラヂ』の収録をしたのであるが、「ちょっとあれについてはオンエアでしゃべれんわなあ」という話について、収録後にちょっと雑談をした。「あれ」というのは、昨日のあれ(笑)。
実は1ヵ月前だったか2ヵ月前だったか、「『シルシルミシルサンデー』の制作をやっている者ですが…」という電話が私にかかってきたのである。聞くと、「讃岐うどんを題材に対決モノを企画しているんですけど…」という話で、内容は「参考のために話を聞かせてくれ」だったか「協力してくれ」だったか「出てくれ」だったか全然覚えてないんだけど、どっちにしても私は授業があって出られないので、話はそれで終わったような気がする。それが昨日、オンエアされていました。
で、見たらご覧になった方はご覧の通り、「人気うどんチェーン対決」ではなまると丸亀製麺が出ていました。ふえ〜、関わらんでよかった(笑)。
辰巳琢郎さんが、なかなか讃岐うどんとはあまり関係のないコメントをしていましたね(笑)。でも、讃岐うどん対決じゃないからいいんだ…と思っていたのですが、何かナレーションで「讃岐うどん」とか言ってましたね(笑)。
ま、何を持って讃岐うどんか? とかは私もよくわからないので何も言えませんが、はなまると丸亀製麺とでは、「人気うどんチェーン」というカテゴリーでは同じ土俵だけど、讃岐うどん界における立ち位置としては基本的に違う、というのが私の意見です。
ラジオでも何度か言ったように、はなまるは本場香川の讃岐うどんの歴史にちゃんと足跡を残しているうどんチェーンです。しかも「讃岐うどんの難攻不落のターゲットだった『若い女性』を取り込んだ」、「讃岐うどん界でそれまで誰もやらなかった『讃岐うどんフランチャイズビジネス』を企画開発し、リスクを負って全国展開を実践し、それを成功させて新しいビジネスモデルの先駆者となった」という功績まで残してくれたという、特に後者は讃岐うどん界の「野茂」みたいな存在なんです。
最初にやり始めた時に地元うどん業界の旧勢力からいろいろ中傷されたという点でも野茂と同じだし(笑)、しかしその後、県外展開の追随をする地元の若きうどん店がどんどん出てきているのも、構図的には野茂と同じだし。
だから、私らに言わせれば「人気うどんチェーン対決」なら、はなまると丸亀製麺と同じ土俵だけど、「讃岐うどん対決」なら「異種格闘技」ですね。でも、ま、いいか。全国ネットの番組制作者や全国の視聴者には、そんなことは関係ないんだろうし。
ちなみに、途中で辰巳さんが丸亀製麺の「お竈(くど)はん」(釜の周りを漆喰みたいなので囲ったディスプレイ)を褒めていましたが、あれは2002年に私と福田社長が考えて若き設計士の小野さんがデザインした、東京麺通団オリジナルのディスプレイなんですけど(笑)。まさか、東京麺通団に「うちのと紛らわしいから撤去しろ」とか言うて来たりせんやろな(笑)…とかいう、(笑)だらけの半分冗談コメントでした。
で、どっちがうまいかって? そんなん、お客さんの好みですから私にはわかりません(笑)。しかも、丸亀製麺は店で粉からいじっているそうなので、いじる人の腕によって麺には店ごとにかなりばらつきが出るから(私がこれまでに行った5軒だけでも麺の出来は全然違う)、「これが丸亀製麺の麺だ」というのは決まるわけがない。麺線まで工場で一貫生産するはなまるでさえ、麺は「ゆで」のところで腕によって店ごとに少しばらつくんだから。
さらに言えば、讃岐のうどん店だって同じ大将の元で10年修業しても人(の腕)によって違う麺になってしまうんだから、700以上の店で5年も10年も修業していない別々の人が粉からいじって、同じ麺が出せるはずがないでしょう。
だから、「はなまると丸亀製麺のどっちがうまいか?」は私には「わからない」としか言いようがない。総合評価としても、私は丸亀製麺の麺を700数十軒中5軒しか食べてないからわからない。ひょっとしたら天才的なセンスを持った人がいて、めちゃめちゃうまい麺を出している店がどこかにあるかもしれないし。
とりあえず、「はなまるのあの店の麺と、丸亀製麺のあの店の麺のどっちが“讃岐うどんの麺”としてよくできているか?」なら、食べ比べて具体的にコメントできると思いますけど。ただし、麺だけね。という、『うどラヂ』収録語の雑談の中の掲載できる部分だけを書いてみました(笑)。あとは、私には「あることに対して確固たる意見があります」とだけ(笑)。
|
2014年1月2日(木)
今年の初うどんは、昨日の夕方食べた「一福の茹でて1日経ったうどんに一福の作って1日経ったぶっかけだしをかけた冷たいぶっかけうどん」であった。暗雲漂う2014年のスタート(笑)。けど、ちゃんと作ったうどんは1日経っても食えるなあ。お代わりしたわ。
で、今日は年末に一福でもらったそばを茹でて食べる。今年の田尾家は、一福の扶養家族状態でスタートです。
そのおかげかどうか、ものすごい勢いで仕事がはかどっています。年末年始の4日間で原稿一本、テープ起こし3本、1月の授業で使うパワーポイント資料(何と100ページ)の作成が完了しました。
といっても仕事はまだまだあるし、心配事も人並みにたくさんあるけど、まあ、たいていのことは頑張ったりあきらめたりしながらそれなりに過ぎていくものだ…ということを学習してきた私。明日は朝から中井さんの召集令状を受けて、FMに行ってきます。
|
団長日記・バックナンバー一覧へ |
build by HL-imgdiary Ver.1.24
|