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2014年02月の日記
2014年2月26日(水)

 朝からがもう。いつものように、がもうへ車で行く時の3つのアプローチのうち一番マイナーな南側からの「裏の田んぼの間の車が対抗できない細い農道」に入って行こうとしたら、その道を向こうから車が一台来てたので待っていたら、がもうの常連のコピーライターのT山だった。

T山「今からですか?」
田尾「うん。うどん食って、それから仕事ができる喫茶を探しに行く(笑)」

 という会話を交わして農道に入ったら、また向こうから車が一台やってきた。すると、こっちの車に気づいた向こうの車が、途中の極細の脇道にバックで入れて道を譲ってくれたので、進んで行ってお礼を言おうとしたら、またもう1台、向こうから車がやって来た。

 そこで、私が先の車がバックで入っている側道にちょっとハンドルを切ったら、側道で待ってた最初の車が事情を飲み込んでさらにバック。そこへ私は頭を突っ込んで、2台目の車を通らせた。それから私がバックで農道に戻って蒲生に向かい、最後に、最初に道を空けてくれた車が側道から農道に出て行ったと。

 がもうへの車でのアプローチのメインである東側からの曲がり角のところに、昨年の終わり頃、坂出市がコンクリートで角のスペースを広げたように見せかけて嫌がらせのようなポールを立てて逆に車で曲がりにくくなって以来(詳細は『うどラヂ』のポッドキャストをお聞きください・笑)、何か、南側の私専用(じゃないけど)の道を通る車が増えてるんじゃないかい? まいったなあ。

 というわけで、また数日間原稿に苦しんでいるため、今日は朝から高松〜坂出間の幹線道路沿いの仕事条件が揃っていそうな喫茶を探しました。ま、蒲生から帰りの道沿いをチェックしていただけですが。

 でも、朝9時台に開いている喫茶がほとんどない。かといって、あちこち走って探す時間もないので、今日のところは朝から開いている「くつわDo」に入ることにして、禁煙になった例のベストの高さのテーブルを横目に、喫煙スペースのエリアの、4人掛けの大きめのテーブルに座りました。

 喫煙エリアは、4人掛けテーブルが5つぐらい、2人掛けテーブルが3つか4つくらいあって、禁煙エリアと同じくらいの広さがある。その4人掛けの一番奥に一組お客さんがいるだけだったので、私は一番手前の4人掛けに座って、コーヒーを頼んでパソコン開けて仕事をし始めたわけです。すると、こないだ座った2人掛けテーブルに比べると、ちょっと仕事がしやすいことが判明。客が少なかったこともあって、原稿が調子よく進み始め、コーヒーも進んで2杯目を頼んで、ええ調子だったのです。

 ところが、仕事をし始めて20分後、おばちゃんグループが入ってきて、私の席をのぞき込んで「うわ、おるわ」と言って向こうの席に座った。続けざまにまた4人のおばちゃんグループが入ってきて、4人掛けテーブルを一つと衝立を挟んだ向こうの席に座った。数分後、じいさん3人組が入ってきて、向かいの角の席に座った。続けておじさん3人組が、私の隣の4人掛けテーブルに座った。

 そこから、雑談の嵐です(笑)。いや、隣のおじさんグループは落ち着いた声で仕事か何かの話をしていて、私にはBGM程度の音だったのですが、おばちゃん軍団がなかなかパワフルで、「真央ちゃんがどうした、森はいかん」から始まって、「仲間由紀恵がどうした、さんまちゃんがどうした、ダウンタウンがこないだどうだった、きゃりーちゃん(ぱみゅぱみゅだと思われる)がなにしてた」「○○、もう31になっとるらしいで」「ほんまな! あの子はぞっと貧乏やったんやろ?(誰の話なのかよくわからなかったが)」

 ……もう延々と芸能界とテレビの話が飛び交い始めたので、私は2杯目のコーヒーを一気飲みして帰りました(笑)。滞在時間、1時間弱。原稿は最初に一気に進んだ1000字くらい。ちなみに「くつわDo」、コーヒーを2杯頼んだら、2杯目は半額以下の200円になります。あ、この「なります」はOKのやつね(笑)。

 でも、あの1000字で勢いがついて、午前2時半、原稿1本上がりました。最近、ぬるい日記ばっかりですが、真面目ネタも連日あることはあるんです。四国新聞の共同通信記事がしょっちゅうイデオロギー暴走してて(笑)、こないだは「それ、塀に突っ込んだんちゃう?」みたいな暴走があったけど、ちょっと内容がしんどくて書く気にならんのです。その手の話は、穏やかに整理できたら、いずれまた。テトラ、依然として35匹ぐらい生存中。もう大丈夫だと思います。緑の水草の森をバックに、とっても美しい(笑)。
2014年2月23日(日)

 木曜日の夜に大きいの20匹、中くらいの20匹を投入したカージナルテトラは、3日経った本日夜の時点で、約35匹が確認されている。確認ったって、あいつら動き回るから下一桁まで数が確定できないのだが、死んだ魚が見えないので、たぶん中くらいの20匹の中の、より小さい5匹くらいが他のでかい魚の餌になってしまったものと思われる。

 しかし、3日で50匹が消滅した以前の大惨事に比べると、よく踏ん張っている…などと言っていると、何かの愛護団体とかから非難を浴びるのだろうか(笑)。ネオンテトラやメダカを大型魚の餌として大量に買っていく人もいるけど、そんなんダメなら水族館も動物園も存在自体がアウトだしなあ。とりあえず、この件に関しては自分の中でロジカルな線を引いておくことにしよう。そんなロジックを考えてる暇はないけど。

 で、日々の仕事の効率を上げるために、昨日、喫茶を探しに行ったのである。例の条件(無料駐車場、喫煙、パソコン作業に最適なテーブルの高さ、静かさ、コーヒーがうまいこと)の5つを満たすためには、たぶんおしゃれなカフェはダメだろうと思って、昭和の匂いのする客の少なそうな喫茶店を狙って入ってみたら、何といきなり1軒目で、5つの条件のうち4つが揃った喫茶店に当たった。

 でも、その喫茶がどこなのか、口が裂けても言えません。だって、コーヒーがまずいんだもの。まずいというか、アメリカンコーヒーを湯で割ったみたいに薄いんだもの(笑)。でも、あとの4つは完璧なの。とりあえずその店で2時間ぐらい仕事をしてたら、やっぱり仕事はずいぶんはかどった。

 帰って家内に報告したら、「コーラとか頼んだらええやん」と言われたが、コーラはタバコに合わんのよ。どうするかなあ。何度か通ってお店の人と仲良くなって、「ちょっと濃いめにして」って言えるように頑張ってみようかなあ(笑)。

 などという、普通の人にはどうでもいいような話ではあるが、こんな仕事をしているのに頭の回転が鈍くなってきた私には、かなり大事なことなのである。格は全然違うが、えらい作家さんがお気に入りの温泉旅館とかで執筆していたとかいう話と同じようなことである。まだまだ頑張って仕事せないかんので、そのために、私にとって仕事環境はとても大事。家の仕事場の熱帯魚の水槽も、同じような役目を負っているのです…と、無理やり頭とつなげてみましたが、あまり出来のいい日記ではないな(笑)。
2014年2月20日(木)

 今週は、観光マーケティングの実地取材の一環として(ここ強調)、ある理由があってここ3年ほど定点観測的に訪れている有馬温泉に行って来た。今年は1泊2食付き2万円をちょっと切るくらいの温泉ホテルに泊まったのだが、結構な部屋数があるホテルなのに、中国人と韓国人に1人も出くわさなかった。

 ここ10年で、全国の有名処20数カ所の温泉に行ったのだが、ホテルの人にいろいろ聞き取りしてきた限りで言えば、中国人と韓国人の温泉客は、1泊2食付き1万円台の温泉宿にはあまり来ていない感じがする。3万円台の宿に行った時は、ほぼ全てのところで中国人と韓国人のグループや団体客に出くわした。部屋数の少ない4万円台の宿に行った時は(3回だけですけど)、いずれもいなかった。

 ま、サンプル数が少ないので、これでどうだという結論は出せないが、そんな感触です。日本に旅行に来る中国人と韓国人の属性とニーズと、旅行代理店の特性をよく知っておかないと、観光マーケティングにムダ打ちが多くなる。そんなことは普通のビジネスマンには常識ですが、普通以下のビジネスマンやビジネスマンでない人が観光マーケティングをやっている場面をよく見聞きするので(笑)。

 で、一泊した翌朝、部屋で朝食を用意してくれている仲居さんと話をしていたら…

田尾「温泉に入ってたら、昨日の夜も今朝も、若い男の子がいっぱい入ってましたよ。今までどこに行っても、たいていおっさんとじいさんが大半やったのに、こんなに若い子ばっかりおったのは初めてや」
仲居「そうですか。今は大学生のグループがたくさん来るシーズンですからね」
田尾「あー、春休みか。大学生って、温泉にそんなに行くんや」
仲居「昨日お泊まりの大学生グループは、今日は香川におうどんを食べに行くそうですよ」
田尾「あらー、そうですか」
仲居「“どこ(店)に行くんですか?”って聞いたら、1軒目は誰かのお父さんのお友達がおうどん屋さんをやっていて、そこに行くとか言ってましたよ。その後は、どこに行くか決めてないとかおっしゃってましたけど」

 彼らがあの若者たちなら、まさか麺通団の団長と一緒に温泉に浸かっていたとは夢にも思うまい(笑)。言うたら何でも教えてやったのに…というか、若者はもう麺通団なんか知らんか。

 今日は夜、水槽の蛍光灯がチカチカし始めたのでプーキーに買い換えに行って、蛍光灯を2本だけ買うつもりが、魚を60匹も買ってしまいました。カージナルテトラを大小40匹と、プラティを10匹と、白黒のマダラの何とか言うやつを10匹。さらに水草も増量。家の水槽に投入して蛍光灯をつけると、いやー、久しぶりにめちゃめちゃ鮮やかな水槽になった。

 唯一の懸念は、でっかくなってしまった既存の魚がカージナルテトラを食ってしまわないか…という恐れだ。1年ほど前、ネオンテトラを50匹増量したら3日で消えてしまったという大惨事に見舞われて以来、魚の新規投入は止まっていたのだが、今回はちょっと大きめのカージナルだから、何とか踏みとどまってくれるのではないかと思っているのだが…などという、ちょっとゆるい日々を送っています。
2014年2月16日(日)

 残り2本の原稿のテープ起こしを終えてプチ油断モードに入った瞬間をどこかで見ていたかのように、午後1時半頃、O船から電話がかかってきた。

O船「今日のー、初孫の祝いで高松に来とんやけど、終わったら時間あるか? 3時頃終わるんやけど」
田尾「今日か。まいったのー、時間があるが」
O船「ほな、どっかで会うか。田尾の奥さんも長い間会うてないし」

 みたいな話になって、午後3時過ぎから、私ら夫婦とO船夫婦の4人で会うことになったのである。出かける前のわが家の会話。

家内「初孫の祝いのあとということは、O船さん、ちゃんとした服着て来とんちゃう? そしたらちゃんとした喫茶とか行かんかったら、雑な店に行ったら浮くで」
田尾「そうかー。そこは気い使てやらないかんな。よし、あいつがモーニング着て蝶ネクタイしとると仮定して、セルフのうどん屋で会うか」
家内「嫌がらせやん!」

 みたいな企みも一瞬頭をよぎったが(笑)、私ら夫婦はいい人なので、結局、灰皿のあるおしゃれなクレメントの喫茶でお茶を飲むことになったのである。ホッとコーヒーとカフェオレとアイスコーヒーだけど。

 私とO船とO船の奥さんは、高校時代の同級生である。以来、私とO船は数年に1回くらいのペースで、会合や仕事で会ったり電話やメールがあったりしていたのであるが、私の家内も入れて4人で会うのは、たぶん20年以上ぶりである。いや、もう30年になるかもしれん。記憶にもないくらい大昔、私と家内が何かの用事で観音寺に行った時、何かのついでにどこかの喫茶でチラッと会って以来のことである。

 そういうわけで、ここには書けないような話で午後5時過ぎまで盛り上がって、そろそろ帰ろうということになった。そこで私ら夫婦が立ち上がるのにもたついていたら、O船の奥さんが先にレジに行ってお金を払おうとしていたので、うちの家内が後から追いかけて行って「うちの分は払いますから」と言ったら、O船の奥さんが「いいです、うちが出しときますから」と言ったらしく、結局お茶代をおごってもらって解散したのである。けど、あの後、ちょっとしたオチがあったのをO船夫婦は知らないだろう(笑)。

 その日の夜7時半、我々夫婦は急に思い立って、木場さんとこ(ボワ・エ・デュポン)にフランス料理を食べに行ったのである。遅い時間だったので、食べ終わると我々は最後の客になっていた。で、レジで家内が執事の生田さんにお金を払おうとしたら、

家内「あ! 財布がない!」
生田「ツケときましょうか?」
田尾「いや、僕が持ってるから大丈夫」

 と言ってお金を払って家に帰ったら、家内の財布は家の別のところにあった。

家内「うわ、こんなところにあったわ」
田尾「よかったやん」
家内「ん? ということは、クレメントに行った時も財布持ってなかったんや!」

 あの時、危うくこんなことになりかねない状態だったのだ。

家内「うちの分は払いますから」
O奥「いいです、うちが払いますから」
家内「いやいや、それは申し訳ないですから」
O奥「いやいや、うちが呼び出してわざわざ来てもらったんだからここはうちが」
家内「そんな気を遣ってもらったら恐縮しますから、ここは割り勘で」
O奥「そうですか? じゃあそこまで言うなら割り勘にしましょうか」
家内「そうしましょうそうしましょう。じゃあ……あ、財布忘れてきました」

 くそー、おいしいオチを逃した(笑)…という、ちっちゃな話を無理やり伸ばした日記でした。
2014年2月14日(金)

 あれは忘れもしない何年前のいつだったか(忘れとるやないの)、というフレーズ自体を忘れそうになったので久しぶりに使ってみたが、日記を繰ってみると、それは2004年8月21日のことであった。

 その日、家内とグアム旅行に出発したら、グアムに着いたその日の夕方から雲行きが怪しくなり、翌朝から猛烈な台風がグアムに大接近。暴風雨で外出もままならず、仕方なく1日中ホテルの中で過ごしたら、その翌日、台風上陸。2日目もホテルの中だけで過ごし、3日目も台風が抜けずにホテルの中で過ごす。翌日、やっと台風が抜けたと思ったら、昼の便で帰国しないといけないという最低のグアム旅行から帰ってきた次の日、その台風が四国に上陸してまた直撃を受けた、という大惨事があったのであるが、昨日はあの10年前の不運を取り返すような好判断であった。

 昼の2時から東京でミーティングがあったため、午前11時半、高松発の飛行機で東京に行ったのである。で、ミーティングが盛り上がって1時間延長し、さらに場所を変えていろいろ話をしていたら、6時になってしまった。一応日帰りするつもりで7時25分発の飛行機を予約していたのだが、大丈夫か? ええい、とりあえず羽田に行け。もし遅れたら、その時に別の方法を考えよう。最悪どこかで泊まって明日の朝帰ってもええか……とか思いながらモノレールの羽田空港第1ターミナル駅に着いたのが7時5分。

 荷物検査が混んでいたらアウト…と思いながら突撃したら、列の3人くらい前にもたついているおじさんがいたけど、7時15分に検査を抜けた。7時22分、搭乗ゲートに到着すると、既に搭乗が始まっていて、滑り込みセーフで離陸。夜の9時前に高松空港に着いて、9時半頃家に帰って、午前1時頃まで仕事をして寝て今朝起きたら、外が真っ白だった。

 情報によりますと、今朝の羽田発高松行き第1便、羽田を離陸したものの、雪で高松空港に下りられず、羽田に引き返したそうです。で、以降の便は全て欠航だそうで、いやー、好判断というか、ラッキー! おかげで今日の午後3時半頃、1週間にわたって難航していた原稿を1本仕上げることができました。ふー、あと2本で、抱えている原稿がなくなるという、夢のような日がやってくる…。

 ただ、懸念材料もないわけではない。私が原稿等の仕事をする場所は、基本形が大学の研究室と自宅の仕事部屋で、原稿に行き詰まった時に気分を変えるために「喫茶くつわDo」「カフェumie」等の第三、第四「書斎」に行くのであるが、1ヵ月くらい前、パソコン抱えて久しぶりに「umie」に行ったら、いつも私が座って仕事をしていた店内の隅っこの1人用のテーブルがなくなっていたのだ。

 失意の数日後、今度は「くつわDo」に行ったら、いつも座って仕事をしていた大きなテーブル(パソコンで仕事をするのにちょうどいい高さの)のあるフロアが、全面禁煙になっていた。仕方なく一角に設けられた喫煙席に行ったら、テーブルが低くてまことに仕事がしにくい。

 そう言えば、花樹海の喫茶も数年前に禁煙になってから行けなくなった。何だか、次々に私の「書斎」が消えていっている。もう、私らタバコを吸いながら仕事をするようなやつは「人間のくず(笑)」なんでしょうねえ。どなたか、よい「書斎」を知ってたら教えてください。条件は、
・喫煙できること。
・ある程度静かであること(音楽がかかっているのは可。でもJ-POPやアイドル系の耳障りなのはダメ。無神経にペチャペチャしゃべるような客が来る店もダメ)。
・無料駐車場があること。
・パソコンで仕事するのにストレスのない高さのテーブルがあること。
・コーヒーがまずくないこと。

 結構ハードル高いか(笑)。
2014年2月10日(月)

 こないだの土曜日、朝から一人で雪山に登ってきた。ま、いつも一人だし、雪山は雪の積もった峰山ですけど。ちなみに、雪が降ったから行ったのではなくて、体がなまっていたので土曜日は朝から行くと決めていたら、雪が降ってしまったのである。

 でも、決めたら行く、ということで、フードの付いたウェアを着て、朝7時半に家を出た。外はしんしんと雪が降っている。普通の道路には雪は積もっていなかったが、30分ほど歩いて山道に入る頃にはウェアの前面に雪が貼り付き、山に入ると周りは雪だらけになっていた。

 山道のあちこちで、雪の重みで木の枝が垂れ下がっている。その垂れ下がった枝が狭い山道に覆い被さって、行く手を阻んでいる。私は途中で木の棒を拾って、覆い被さっている枝を下から叩いた。すると、雪が落ちて枝がバーッと上に上がって道が開ける。うわ、これ、おもしろいな(笑)。

 みたいなことをやりながら、さらに30分ぐらいかかって山上に到着すると、そこには、足跡一つない新雪に覆われた尾根伝いの道が広がっていた。何と美しい光景だ。しばらく新雪を踏みながら歩いて、振り返ると、後方には私の足跡だけ。当たり前だ。足跡が2つあってそのうちの一つが途中で横に消えていたら、誰かが私をつけているに違いないのだが、そんな怪しい場面にはそうそう出くわすものではない。

 雪が降り続く中をしばらく歩いていたら……ん? 何かあるぞ。近づいて見ると、四本指の足跡が木立の中から山道に出て来て、ずーっと向こうに向かっている。何だ、鳥人(とりじん)か? 鳥や。そう言えば1年くらい前、このあたりでキジを見たことがある。いやー、風流やなあ。朝の山の中でこんな風景を一人で見たら、そら誰でも「ここで一句」という気持ちになるわ。

……………
……………

 一句も出て来なかった。

 情緒で生きていた20代、30代頃なら何か言葉が出て来てたような気がするが、原理原則とロジックで物を考える訓練をし始めてから、そういう能力が退化してしまったようだ(笑)。

 3時間くらい歩いて10時半頃、帰宅。それから原稿等に取りかかって、夕方6時過ぎから、カラオケに突入した。数年前から、2ヵ月に1回くらいのペースでカラオケに行くようになっております。メンバーは基本的にいつも同じ、私と家内と上村さん(男)とジャズシンガーの岡谷(女)の4人で、平均年齢55歳オーバーという不良中高年グループです(笑)。

 カラオケったって、滞在時間の半分は会話と議論である。議論はたいてい、私と上村さんがどんどん引っ張って行く。そこに家内と岡谷がちょっとずつ入ってきて、そのうちBGMで岡谷のジャズボーカルが入るという、何ともぜいたくな時間である。この日は、6時過ぎから11時半頃まで、政治問題、社会問題を中心に5時間も議論をしました。で、息抜きに歌を挟むから、私らの不良中年レジャーにはカラオケボックスがかなりいい環境だというわけです。

 で、終わったら朝の5時でした(笑)。帰って4時間くらい寝て、昼過ぎ、家内と清水屋に行ったら定休日でした。その足で竹清に行ったら、ちょうどのれんが入ったところで、仕方なく一福に行くことにした。

 行ったら一福の店頭に「3月1日から金曜日も営業します。不定休で頑張りますので引き続きご愛顧ください」みたいな貼り紙がしてありました。要するに、今まで定休日だった金曜日も営業するということだけど、「不定休で頑張ります」という表現は、客に「いつ休むかわからない」という不安を与える恐れがあるので、注文する所でいきなり大将に、貼り紙のダメ出しをしてきた(笑)。

 それから家に帰ったら再び睡魔が襲ってきて、沈没しました。生涯ちょっと記憶にないくらい、そこから何と16時間も爆睡しました。高松市内で時差ボケです(笑)。
2014年2月7日(金)

 1990年代に、テレビのCMやバラエティー番組なんかのタイトルバック、コーナーバック、ジングルなどに、やたらと1970年代の洋楽が使われていたのを覚えています。タモリの出ていた番組なんか、やたらとディープ・パープルの曲が使われていたような記憶がある。

 なぜそんなことになっていたのかについて、当時の私ら情報業界の分析は、

→制作現場で選曲の決定権を持っている年代が、だいたい40代である。
→40代の人が決定権を持って「自分の好きな曲」を選ぶと、たいてい自分の青春時代の曲を引っ張り出してくる。
→40代の人の青春時代は、20〜25年くらい前になる。
→従って、1990年代には1970年代の曲が出てくるのではないか?

というものでした。アイドル歌手が昔の曲のカバーをするというブームも、あるいはファッション業界の流行も、この「決定権を持つ40代が、自分の青春時代の思い出を持ち出してくる」という法則が少なからず影響している、だから、流行は20年サイクルで巡ってくる…とかいう分析をしていたのです。

 なのに、何で、いや、誰がマクドナルドのCMに『ザッツ・ザ・ウェイ』を引っ張り出したんかなあ(笑)。中高年をターゲットにしているのでは? とかいうマーケティングの話ではなくて、誰が決定権を持ってあの曲を引っ張り出したのかと思って。

 そういえば、2000年代、2010年代に入っても、キッスやクイーンをはじめ70年代のアーチストの曲がまだあちこちで引っ張り出されているというのは、どういうメカニズムなんだろう。「それほど70年代の音楽がインパクトがある」か、「50代〜60代がまだ現場で決定権を持っている」か、どちらかですかねえ。

 『ザッツ・ザ・ウェイ』を聞くと(シングルレコード持ってます・笑)、大学時代によく行っていた梅田の「アストロメカニクール」や宗右衛門町の「B&B」を思い出します。大学1年の頃は、アストロメカニクールで、フィリピンバンドが演奏するディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』でみんなステップを踏んでたんだぞ(笑)。

 もちろん、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』にダンスのステップなんかあるわけがないんだけど、あの頃、アストロメカニクールにかっこいい女性4人組のユニット(素人の客ですけど)がいて、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』の曲に合わせたステップをたぶん考えて練習してきて、バンドが演奏し始めるとその4人がフロアのセンターの真ん前に出て行って、何と、ドレスにハイヒール姿でステップを踏み始めるわけです。それが、めちゃめちゃかっこいい!

 すると、他の客ほとんど全員が後ろについて、必死でそのステップを真似して一緒に踊り始め、しまいにフロア全体が同じステップを踏んで踊り始める。今で言うなら、街で突然みんながマイケル・ジャクソンの『ビート・イット』を踊り始めるやつ。あれみたいなのが、ディスコのフロアで毎日のように繰り広げられていたわけです。

 それから何か新しい曲が出ると、またその曲用のステップをどこかのグループが必死で考えてきて(1人ではなくて、必ず2人以上のグループ)、完成したらそのステップをフロアで披露する。それをみんながまた真似する…みたいなことが繰り返されていました。ちなみに、私も5種類くらいのステップは覚えていますが(もちろん、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のステップも)、とても恥ずかしくて披露できるものではありません(笑)。

 そんな光景が1〜2年続いた頃、アストロメカニクールにKC&サンシャインバンドの『ザッツ・ザ・ウェイ』が出てきたわけです。ところが…

 『ザッツ・ザ・ウェイ』には基本のステップが最初から付いていたのです。従って、『ザッツ・ザ・ウェイ』は誰かグループがステップを考えてみんながそれを真似るというスタイルではなく、みんなどこかで基本ステップを練習してきて、ディスコのフロアで『ザッツ・ザ・ウェイ』がかかると、いきなりみんなが同じステップを踏んでいた(今、マクドナルドのCMで流れているダンスとは全然違うステップです)。

 だから、あの曲は私の中では、「ディスコのフロアのスタイルを変えた曲」なんです。以後、シルバー・コンベンションの『フライ・ロビン・フライ』が流行り、さらに『バンプ』、『ハッスル』と続いたけど、全部、曲ごとに基本ステップが最初から付いていたと記憶しています。

 で、私は『ハッスル』が出てきた頃に大学を卒業して高松に帰って、真面目なサラリーマンになりました。よって、その後に流行った『サタデー・ナイト・フィーバー』から後は、踊ってない。というわけで、私はプロレスはマスカラス、ディスコはバンプでやめました(笑)。何じゃ、今日の日記は。
2014年2月6日(木)

 数日前、四国新聞にこんなニュースが載っていた。

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 香川県議会は31日、「瀬戸内国際芸術祭2013」の運営のあり方について調査を行うため、経済委員会(大山一郎委員長)を2月12日に開くことを決めた。委員会には芸術祭の実行委員会長として、浜田知事の出席を求める。また、21日には総合ディレクターの北川フラム氏を呼び、委員らとの意見交換会を開く。

 同芸術祭をめぐっては昨年11月定例議会の経済委員会で、総合ディレクターが全事業の采配を振る仕組みや、重複カウントした延べ人数を総来場者数とすることなどへの問題提起があり、委員会は理事者側の答弁では不十分と判断。実行委の責任者から事情を聞く必要があるとして、閉会中の継続調査としていた。


 12日の経済委員会では、実行委や事務局の運営体制、県の権限・責任のほか、全体の運営方針やイベント内容の決定方法などについて質疑を行う予定。知事はこれまでの会見で「議会側の疑問や論点については、実行委会長としてきちんと答えていく。改善が必要な点についても方策を考え、議会の協力をお願いしながら、次回も芸術祭を開催したい」と述べている。
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 もう瀬戸内国際芸術祭のことを書くのはしんどいんですけど(笑)、どういう会をやるのかなあ。「意見交換会」か。この記事だけを読むと、県は「次回も開催する」という前提で臨むみたいだし、委員会側はどうも大きな戦略部分の是非ではなく、細かい戦術部分を問い正すみたいだし、ちゃんと「県民の豊かさを実現するために何に税金を投入すべきか? それはなぜか?」という本質の議論になるんだろうか。これはまず、委員会の能力が問われることになるなあ。

 という動きが起こっていることに関連して、実は半年くらい前から私は、ある新聞広告を手にしたまま「これをどうしたものか…」と悩みながら今日に至っているのである。その新聞広告とは、瀬戸内芸術祭真っ只中の昨年8月13日に、四国新聞見開き2ページを使ってドッカンとカラーで掲載された「瀬戸内海2025年新聞」という企画広告。

 この広告紙面は、瀬戸内国際芸術祭の会場となった12の島と宇野、高松が「12年後、こうなっている」という話を、全面イラストと手書き文字で展開しているものである。全面手書きなので、たぶんネット上ではどこにも詳細が載ってないと思うので(画像検索すると1〜2枚くらい写真が出てきたが、文字は全く読めない)、私が書き写してここに残しておきます。

 文字量がかなり多いので、今日はものすごく長い日記になりますが、暇な時にじっくり読んでみてください。とにかく変なんです。何が変なのか、うまく説明するための整理ができなかったので、ずーっと新聞の現物を持ったまま今日まで来てしまったのですが、まだうまく整理できなくて、私が何に疑問を持っているのか、その真意が誤解される恐れもありますが、誤解を恐れながら書いてみます(笑)。

 まず、その新聞広告の頭の部分。

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(タイトル)「瀬戸内2025年新聞」…「こえび新聞」号外
編集:こえび新聞編集部
構成:北川フラム
海底の絵:ソコソコはまちゃん
島の絵:こえびのyukkoさん
題字:日比野克彦
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 「こえび新聞」というのは、瀬戸内国際芸術祭サポーター「こえび隊」という組織が出していた瀬戸内国際芸術祭のPRペーパーで、その「号外」という形でこの見開き2ページの新聞広告を出したということのようです。

 しかし、四国新聞カラー2ページの広告は、たぶん掲載料だけで500万円くらい、その上に制作費が乗ってきますから、とてもサポーターが自分たちで出せるお金ではない。ということは、実行委員会の予算から出たのではないかと思います。あるいは別の部署から出たのかもしれない。いずれにしろ、実行委員会は県と一心同体ですから、この広告は実質的には「県が出したもの」だという前提で、以下の話を進めていきます。

 ちなみに、制作関係で題字と絵を描いた人は載っていますが、文章を誰が書いたかは載っていません。しかし、私が「とにかく変」と思ったのは、その「文章」なのです。

 まず、題字下にあった文章は、

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瀬戸内国際芸術祭の未来を描こうと、同芸術祭総合ディレクターの北川フラムさん、参加アーティストの日比野克彦さん、ボランティアサポーター「こえび隊」が紙面づくりをしました。できあがった新聞はいわば、瀬戸内海の未来航海図。今日は家族や友達、ご近所さんと瀬戸内の未来について話し合ってみてください。話し合うことは自らの手で、未来を切り開く第一歩。さあ、大航海が始まります。
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 つまり、この広告は「瀬戸内海の未来を描いたもの」で、県民の皆さんに「これを見て話し合ってください」と呼びかけているわけです。話し合ってもらいたいのだから、ここに再掲してみんなに読んでもらうのはとてもいいことですよね(笑)。で、これは瀬戸内国際芸術祭の会場となった島や場所だけの未来図を描いているわけですから、当然、この広告には「瀬戸内国際芸術祭を開催することによって、瀬戸内海(の島々)はこうなります(あるいはこうなることを目指します)」というメッセージがあるわけですね。

 では、本編の再掲です。

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(キャッチコピー)
12年後の瀬戸内ってどうなっているの?

(リードコピー)
12年後の瀬戸内海は、第6回目を迎えた芸術祭が地域と深く関わり、外国の人たちとの協働する新しいイベントとして評価されるに従い、国際的なものとして広まり、協力的、友好的な場所のモデルとなっているでしょう。ここでは各地の固有性こそが世界をつなぐものとして理解され、人生や社会に疑問をもったり、疲れたりする人にとっても元気になる場所として、世界中の人から愛される場所になっています。瀬戸内は、アートを通して遊び、学び、理解し合える場所になっているのです。2025年瀬戸内海新聞は、未来の瀬戸内の島や地域のようすをお伝えします。
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 ほら、いきなり何か変でしょ? 文章が変なのはさておいて、内容の意味が何か変というかおかしいというか、意味不明というか、一つ一つ細かく突っ込んでいたら切りがないくらい、怪しい。とりあえず、唐突に「人生や社会に疑問をもったり、疲れたりする人に…」から入ってくるのはとても怪しいし、「…疲れたりする人にとっても」なのか「…疲れたりする人に、とっても元気になる」なのかもよくわからんし。

 で、ここからいよいよ、各島の12年後の未来図の本文を再掲します。長いよ。

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(小豆島)小豆島のヒ(シ)シオと言えば最高級の調味料として大人気。集落のオジサン達が熱中するシシガキは100km近くに延伸され、ギネスブックに。一集落としてアジアの美術関係者を通してつながった福武ハウスは食とアートを楽しむ人でいっぱい福武カルチャーセンターもシーシー(c.c.)と呼ばれている。思えば小豆島もシーシーだね。

(男木島)おむすび山いっぱいにはりついて見える、細い迷路のような小路と空家はガルダイヤの集落と並んで有名な世界風景となった。空家にアート作品をつくれることは誇り高いこと。交流館での結婚式も大人気で、男木島での出会いは幸福を呼ぶとの話は絶えない。

(女木島)男木島に対して、女木島からの女性の旅立ちは吉兆で、昔あった方違えのように、まず女性は女木に行ってから島巡りをするようになった。愛知県立大学はおかげで、優秀なアーティスト、女性音楽家の大切なデビュー場になりつつある。大竹伸朗の「めこん」の熱帯植物も熱帯林のように繁茂している。

(大島)居住者の住まいだったハンセン病療養所での人々の記憶の記念館と青空水族館ができ、大島は子ども達の明るい声があふれる最高のキャンプ場となって、世界の子ども達にはユートピアの島になった。

(高松)高松港は、3年に1度の世界の工房が大人気で、ついに毎年開催になり、昔のシシリアやアレキサンドリアのような人間往来の国際港として21世紀的芸術を愛する家族が海辺で朝食をとる風景はヴェニスを彷彿させるようになる。「ヴェニスに死す」ではなく「高松に生きる」という流行語が生まれたぐらいだ。

(表記はないけど屋島のことだと思われる)アーティストやこえび隊のOBたちが宿泊できる国際的なセミナーハウスができ、シーズンを通して国際的に元気な文化村として世界的に名前が知られている。10月の現代源平屋島合戦絵巻は、みんな工夫を凝らして集まる場になり、ケーブルカー山頂駅を中心とした世界おもしろ乗りもの展示は大にぎわいだ。

(直島)ルーブル美術館に代わって21世紀を代表する美術の聖地として世界的な名所となっている。アートは地域の資源と深くかかわりだしたのだ。著名なアーティストが自前で、自薦順番待ちをしている状態。まちには環境日本一課とともにアート設置場所課ができていて、大忙し。

(豊島)自給自足の島、独立国家のモデルとして世界からの視察が多く、数十軒ある民宿には外国語が飛び交う。棚田が完全復活し、“TESHIMA”は農園の島・環境の島としても有名に。

(犬島)精錬所美術館は旧い施設のエコロジカルな再建の好例として、その人気は不動のものとなり、犬島は妹尾和代の家プロジェクトと相まって、島民と外部の人々の共同の店や施設が集積し、もともとの関係者も島に戻り始めた。「犬島の休日」はぜいたくの代名詞にもなるほど、散策コースも充実。

(本島)シーボルト庭園はあじさいを中心に色とりどりの日本の山野草の宝庫となり、シーボルトが見た200年前の日本の美しく、ささやかな家の周りの庭のように整備されている。この庭園は、日本とヨーロッパ(オランダ)を繋ぐ協働運営になった。塩飽大工衆やアジアの土文化の共通性と差異がわかる家が散見される。

(粟島)旧海員学校は瀬戸内全体の海の記念館として、多くの船が寄港するようになった。日比野克彦さんの海底考古学の探査と展示は、海洋少年たちの憧れになり、高松アート工房で作られた船の展示も魅力的である。五色台の瀬戸内海歴史民俗資料館と合わせて、瀬戸内海の生活のすばらしい集積となっている。ふるさと劇団はさらにレベルを上げ、最高齢劇団としてテレビや舞台に引っ張りだこ。

(沙弥島)そらあみで集結した櫃石島、岩黒島、瀬居島、沙弥島の旧5島の漁師たちは共同でさまざまな事業をやるようになり、古代の海や旅につながる名所になりはじめた。また、陸地にできたターニャ・プレミンガーの島が少しずつ増えだし、箱海のような公園として人気のお散歩コースとなっている。

(高見島)かつての除虫菊の島は、再び除虫菊が蘇り、高級な香り文化の島になった。折々の島の行事を中心に、高見島での1日は格好の島巡りになり、高見島ピクニックは京都精華大学の学生・OBたちのガイドが売りものとなっている。

(伊吹島)イリコ漁の最盛期には、漁を見学する屋台船観光が人気で、“IRIKO”は国際語となり、イリコ出汁は世界の食通のあいだでは料理の基本になる。伊吹ラボを中心とした島づくりも好調で、島再興のモデルケースとして評価され入島希望者がひきもきらなくなっている。

(宇野)島と島をつなぐ連絡船にまつわる写真・映画のメッカになり、人生の出会いと別れに関する旅情溢れる場所として、特にカップルの落ち着いた旅行先になった。三井造船も船の博物館を工場内につくり、船を愛する人々が年中、造船見学にくるようになっている。
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 これ、ワープロで打ち直していて、頭がおかしくなりそうでした(笑)。

 句点の位置がおかしかったり、漢字とひらがなの書き分けがおかしかったりして、打っていてすごくストレスが溜まる(読んだら流してしまうかもしれんけど、打ってたらあちこちで引っかかる・笑)。子どものふりをしているのか、ご愛敬なのか…でも難解な表現や単語が一杯で、「子供の振りをした大人」にしては無理がある。どういう「書き手像」なのかが全く見えない。

 そんな技術的なことより気持ち悪いのは、内容からメッセージ(書き手の意図)がよく見えないことです。

・男木島の小路と空家をガルダイヤと同じにということは、世界遺産を目指すのか? そんなむちゃな(笑)。
・直島がルーブル美術館に取って代わろうというのか? そんなむちゃな(笑)。
・豊島を自給自足で民宿と棚田と農園の島にして、それが「独立国家のモデル」か? そんなむちゃな(笑)。
・「高松に生きる」? 「犬島の休日」? そんなむちゃな(笑)。

……みたいな話が、全編に展開されている。まあ、これはただの夢物語だから笑って読んだらいいんだろう…と思っていたら、夢物語にしては「愛知県立大学がアーティストのデビュー場を作る」とか「京都精華大学の学生がガイドをする」とか、「三井造船が工場内に博物館を作る」とか、えらい具体的な固有名詞が出てきたりする。

 あるいは、大島に「青空水族館」、屋島に「セミナーハウス」等々、まだハコモノをどんどん作るのかと思わせるような記述もある(屋島ケーブルも復活?)。とにかく、もしこれらの実現を目指すのなら、そもそも無理だろうと思われるものや、どんどん金を注ぎ込み続けないと維持できるはずがないものや、そんなものは目指したらダメだろうと思われるもののオンパレードである。

 さらに、「塩飽大工衆やアジアの土文化の共通性と差異がわかる家が散見される」とか、「生の出会いと別れに関する旅情溢れる場所として、特にカップルの落ち着いた旅行先に」とか、意味がよくわからない表現もあちこちにあるし、「集落のオジサン達が熱中するシシガキは100km近くに延伸され、ギネスブックに」とあるけど、資料によると、「小豆島には延長120キロに及ぶシシガキがある」と紹介されていたりするし(笑)。

 でもまあ、「ただの夢物語だろうからそんな細かい話に突っ込んではいけない、笑って読んだらいいんだろう」と再度気を取り直してみたのだが、すると今度は「では、なぜそんな“小学生が書いた未来の絵”みたいなものを、500万円以上もかけて県が新聞で発表するんだ?」という、根本的な疑問にぶち当たってしまうのである。

 一体、この新聞広告の目的は何なんだ? 瀬戸内芸術祭に疑問の声が挙がり始めたから、花火を打ち上げて目くらましをしようという目的? いや、そんな姑息なこと、しませんよね。

 でもとにかく、細かい内容にいちいち突っ込んでいたら切りがないくらい、この新聞広告は変なのである。ボランティアで絵を描いたサポーターの人たちには何の罪もないけど(よくを言えば疑問を持って欲しかったけど)、この文章を出した主体(誰ですか? 県ですか? 個人のはずはないですよね)の意図が、私にはどうにも怪しいのである。

 何か妙なものを蒸し返されたと思われるかもしれませんが、冒頭で「話し合ってみてください」と呼びかけているから、蒸し返して議論しても全然いいんですよね。「全然いい」というのも、使いたくない日本語ですが(笑)。とりあえずこの広告、私の中では未だかつて記憶にないくらいの研究材料(笑)というか、教材になります。
2014年2月1日(土)

 朝3時半起床。勝谷さんみたいな起床時間になってしまったが、私はここからが違う。朝3時40分、二度寝(笑)。

 しかし5時に起きました。それから原稿に取りかかって、今日は今年初めて、一歩も家から外に出ずに一日を終えた。

 葛藤しました。複数の仕事を抱えて、優先順位がうまくつかずにあっちに手を付けこっちに手を付け、結局一つも完了しないという、ここ10年来全く同じ構図が繰り返されています。はー…。

 この状態は、大学に来てからだ。会社にいた時は「会社の経営」という大きな1つのくくりの中で複数の仕事項目を抱えていたから、たいていは物理的に葛藤していたのだが、大学に来たら「学生の教育」「大学運営に関する業務」「大学人としての研究と社会貢献」という、大きなくくりが3つになって、それぞれのくくりごとに複数の仕事項目がぶら下がっている状態になっていて、しかも、会社時代よりはるかに「書き物」が多くなっているため、精神的な葛藤が数倍増になっているのである。

 図解すると、

A…a.b.c.d.e…

という形から、

A…a1.a2.a3.a4…
B…b1.b2.b3.b4…
C…c1.c2.c3.c4…

という形に変わっているのである。すると、例えば会社時代の「A…a.b.c.d.e…」の形なら「a.b.c.d.e…」の優先順位だけをつけて捌いていけばよかったんだけど、今の形だと、まずA、B、Cの優先順位をつけ、次に「a1.a2.a3.a4…」「b1.b2.b3.b4…」「c1.c2.c3.c4…」のそれぞれの優先順位をつけ、しかも、仮にAを最優先だとしても「Aの中の4番目のa4と、Bの中の最優先のb1のどっちを優先すべきか」という悩ましい問題が発生し…みたいな。

 「そんなもの、つべこべ言わずにa1から順番に行ってまずAを終わらせて、次にBに取りかかればいいじゃないか」と思うかもしれないが、

(1)Aを全部終わらせていたら、Bの1番目のb1の納期に間に合わなくなる。
(2)AもBもCも、次々に仕事項目が増えて行っているから終わることがない。

という不可避の問題を抱えているから、そういうわけにはいかないのだ。そんな状態が10年続いているわけです。どうだチンペイ、わかりにくい説明だろう(笑)。この解をどう求める? 

 私はこの10年、この難問に対する解を求めていろんな人に相談してきた結果、ある方から見事な回答を頂いた。

某氏「(キャパを超える)仕事を受けなければいいんですよ」

 頼まれたことは必ず全力で取り組むことをモットーとしてここまで頑張ってきた私には、目からウロコの一言であった。私は、この人に一生ついていこうと誓いました。ただし、心の中で「○○○ですけど」とツッコミましたが、○○○の内容は、たぶんごんしか知らないし、ここには書けない(笑)。それより、こんな分析してる暇があったら仕事せえよ、という話で。
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