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2014年03月の日記
2014年3月31日(月)

 新聞によりますと、と書き始めると『ウィークエンダー』を思い出す人もずいぶん少なくなったであろう。で、新聞によりますと、3月21日に北海道の帯広市で「讃岐うどんVS十勝豚丼」とかいうトークバトルがあったそうな。四国新聞に、こんな記事が載っていました。

(見出し)
十勝・豚丼VS讃岐うどん 帯広で魅力発信イベント 
「改名」先輩県がノウハウを伝授

(リード)
 うどんと豚丼、どっちの勝ち?―。「うどん県」への“改名”で知られる香川県の観光関係者が21日、北海道帯広市で開かれた交流イベント「香川VS十勝トークバトル」に参加し、互いの地域の「お国自慢」の舌戦を展開した。

(本文)
 
 帯広市を中心とする十勝地方を管轄する北海道十勝総合振興局の主催。同局は昨年6月から地元名物・豚丼にちなみ、「とかち豚丼振興局」を名乗った魅力発信事業を展開している。


 イベントは「改名」の先輩の香川県のノウハウを学ぼうと企画。同県観光協会の小坂吉邦次長と同県観光交流局観光振興課の宮武智仁主任が「うどん県」プロジェクトを紹介した後、地元・十勝代表とのバトルに挑んだ。


 十勝側の「このあたりのうどんと何が違うの」という“口撃”に、小坂次長は「讃岐うどん以外はうどんじゃない」と応戦。十勝側も「十勝の面積は香川の6倍」「小豆の生産量が日本一」などと自慢し返したが、来場者の判定の結果、香川の圧勝となった。


 会場には「豚丼振興局」の“係長”として活動する豚丼のゆるキャラ「ぶたどんまん」も登場。約130人の来場者に本場の讃岐うどんも振る舞われ、小坂次長が「ぜひ一度香川へ。互いに遠いですが、また交流しましょう」と呼び掛けた。


 とかち帯広香川県人会会長で、丸亀市からの移住4代目という帯広市の香川俊雄さん(68)は「うどん県はたいしたもの。豚丼ももっとPRしなくては」と話した。家族で讃岐うどんを味わった同市の松本敏さん(65)は「普段食べているうどんと歯応えとこしが違う」と感心していた。

 ということがあったそうです。

 ちなみに、四国新聞にはかなり大きな囲み記事でカラー写真まで載せていたので、記者がわざわざこのイベントに取材に行って書いたのかと思ったのだが、十勝毎日新聞社にも全く同じ文章の記事が載っていた。何だ、あっちの書いた記事と写真をそのままもらって載せたのか? 

 で、とりあえず感想が2つです。

 1つ目。「讃岐うどん以外はうどんじゃない」は、あまりに不用意で無神経なセリフですよ。全国には当然、讃岐うどん以外にもそれぞれ歴史と文化を持ったうどんがたくさんあるわけで、いかに讃岐うどんが有名になったとはいえ、いくらイベントのトークバトルとはいえ、各地の文化に対する敬意に欠けた、あるいは欠けていると取られるようなその一言は、讃岐うどんのPRコメントとしては「言っちゃイケナイ」。近年風に言うなら「炎上コメント」だと思います。

 ちなみに、本文は全く同じだけど十勝毎日新聞の記事に付けられた見出しは、

「讃岐うどん以外はうどんじゃない」 うどんと豚丼、勝者は?
香川と十勝トークバトル

 ほら、「讃岐うどん以外はうどんじゃない」が、きっちり表に出されてるじゃないですか。見出しに大きく出されると、この言葉だけが読者の頭に残ってしまうじゃないですか。

 讃岐うどんのPRはどんどんやってもらったらいいと思います。けど、讃岐うどん巡りブームの本質である「楽しい、怪しい、おもしろい」をキーワードとした「若者文化のレジャー」という視点と感覚を外したプロモーションをやると、逆効果になって客が引きますよ。

 行政や組合といった、古いマーケティング感覚しか持っていない、あるいはマーケティング感覚自体が「ない」ところが「自分で」何かやろうとすると、必ずこういうことが起きるのである。ではどうすればいいのか?

 自分でやろうとせずに、できる人に任せればいいのです。

 ちなみに、私事で恐縮ですが(ま、日記だから私事なんだけど)、讃岐うどん巡りブーム真っ只中の2003年に、静岡県富士宮市で「静岡未来づくりネットワーク交流会議」というイベントが開催されたことがある。そこで、「地域活性化のDNAが騒ぐ〜恐るべきさぬきうどんVS底知れぬ富士宮やきそば」というトークバトルが行われた。

 「未来づくり」やら「地域活性化」やら、私の嫌いな単語が並んだ行政イベント(だったと思う)だったのだが、そのトークバトルの出演陣は、一体誰が企画をしてセッティングしたのか知らないけど、

(讃岐うどん側)麺通団団長の私
(富士宮やきそば側)富士宮やきそば学会会長のダジャレオヤジ・渡辺英彦
(コーディネーター)恐怖のコラムニスト・勝谷誠彦

という、今なら100万円払っても実現するかどうかという(そのうち99万円が勝谷さん・笑)メンバー。それが何と、全員ノーギャラで集合して(ダマされたのか?・笑)、1時間半にわたってアカデミックかつ笑いどころ満載のトークバトルをやったのである。

 あれ、たぶん行政かどこかの企画担当者がプランニングを「できる人(渡辺さん)」に投げて、渡辺さんは「とにかく客を喜ばせたい」というメンタリティに満ちあふれているから勝谷さんに話を持って行って、これまた客を喜ばせるプロである勝谷さんが私に持って来た、ということだろうと思う。

 で、私も客を喜ばせることと、讃岐うどんの凄さをとにかく一人でも多くの県外人に伝えたいという一心で、今は亡きスナックトークの王者、「いきいきうどん」の福田社長に頼んで、材料と麺打ち台とカッターを現地に持ち込んで、打ち立ての飛びきりのうどんをお客さんに振る舞うという大サービスまでやってきたのである。

 何でいきいきの福田社長に頼みに行ったのかというと、福田社長はこういうものを意気に感じてノーギャラで協力してくれるからである(笑)。加えて、「いきいきうどん」はいろんな讃岐うどんランキングみたいなのにはほとんど顔を覗かせない店だけど、福田社長自身は相当な腕を持つうどん職人で、間違いなく飛びきりうまいうどんを出してくれる。さらに社長のトークはムチャクチャおもろいこともあって、私は「社長が来てうどんを打つこと」という無理な条件までつけて一緒に行ってもらったのである。

 やるのなら全力で、できる限り「最高のもの」をやる、というのが、マーケティング屋の私のモットーである。そうしないと、「やっても大してプラスにならなかった」あるいは「やったせいで逆にイメージが悪くなってしまった」などという、マーケティングの世界ではもってのほかの結果になる恐れがあるからである。誰でも、ビジネス感覚のある人なら当たり前の話である。

 次に、感想の2つ目は、「まだそんなことをやっているのか?」である。讃岐うどん界の直面している現在の状況と、今後讃岐うどん界はどういう姿を目指すのか? という完成予想図を考えると、やるべき事の優先項目は、そんな10年も前にやったような「これまでの延長線上にあるPR活動」ではない、と私は思っている。

 では、讃岐うどん界の目指すべき完成予想図とはどういうものか?

 私は以前から、パロマスが言った一世一代のキャッチコピー「香川は讃岐うどんのテーマパークである」というのが、一つの有力な完成予想図だと思っているのだが、恥ずかしながら「うどん県」を掲げたということは、県もある程度同じような完成予想図をイメージしているのではないかと思う。いや、正直に言えば完成予想図など描かずにやったプロモーションではないかと思っているのだが(笑)、まあ同じようなものだとすると、その完成予想図を実現するための具体的な戦略は「テーマパークビジネスを継続的に維持するために、何をしなければならないか?」から入って行かなければならないでしょう。

 すると、例えば東京ディズニーランドやUSJの経営戦略が、讃岐うどんの今後の戦略のお手本になるのである。TDLやUSJの経営戦略室的な部署が、毎日、毎月、毎年、どういうテーマでどういう会議をしているか、調べてみたらすぐにわかると思いますが、今、香川県やうどん組合の類がやっていることのほとんどは、たぶん会議の議題にも上がらないと思いますよ。

 一つだけ言わせてもらえれば、今、「讃岐うどんテーマパーク」は、アトラクションが金属疲労を起こしつつあります。人気アトラクションをさらにブラッシュアップし、さらに新しい人気アトラクションを継続的に生み出していかなければならないのに、テーマパークの最大の原動力であるアトラクションの現状に、まるで目が行っていないのではないですか?

 あるいは、ビジネスではなく、「讃岐うどんの文化財産としての意義を守り、確立する」という目的を考えた場合でも、例えば「讃岐うどんの過去の編纂」一つとってもあまりにお粗末な現状ではないですか? 

 とにかく、10年後、20年後に目指すべき具体的な完成予想図を作っていないことが、「とりあえず何か話題になりそうなことをやろう」という行き当たりばったりのプロモーションをなし崩しに作り出してしまっているのだと思う。具体的な完成予想図を作れば、「それを実現するために何をやるべきか?」という戦略が、具体的に決まってくるのだから。

 そういうわけで、もう私はビジネスやマーケティングの実践の世界から半分以上身を引いているけど、とりあえず私は私でできることをやっていきます。だから、県も組合も、そして個々の店も、古いセンスをオールクリアにして、若い世代を中心に必死で考えて讃岐うどんマーケティングと讃岐うどんの文化財産の確立をやって欲しい、というのが私の願いです。
2014年3月29日(土)

 何でも「はいはい」と言っていたら、どんどん仕事が増えてきた。あまりに増えてきたので、最後に来た1つを断るために「それは事業として、やらない方がいいと思いますよ」と言ったら、「代わりにどんな方法が考えられるか?」と返されて、いくつか代案を挙げていたら「じゃあ、それをやってくれないか」というとんでもないヤブヘビになってしまって、また1つ上乗せになる始末だ。

 それでも、せめて建設的な仕事だったら何とか頑張れるのだが、「そんなことやってどうするの」という仕事がどんどん回ってくるものだから、気が重くなるばかり…。もう、意見を出すのもやめて「ろくにアウトプットも出さない従業員」に成り下がってやろうか…と思うことさえあります(笑)。何か、「やってもやらなくても給料は同じで解雇もされない」という公務員みたいな組織が堕落していくのはこういうことか、と実感しました(笑)。

 でも、私は堕落したくないから頑張るけど、はあ〜……それにしても最近、ため息ばかり。緊急時頑張り用に先週買い込んだゼナ5本が、昨日でなくなった。授業開始まであと9日。ファイルの作り直しで余計な1週間を費やしたし、こんなに追い詰められた3月末は初めてです。

 そんな一昨日の木曜日、新聞のテレビ欄の一項目に目が止まりました。

カンブリア宮殿
高松市の奇跡商店街! 行政に頼らず完全復活 
集客3倍! 住民7倍! 転入殺到の再生術とは

田尾「これ、どこの商店街なんやろ?」
家内「また丸亀町商店街の話?」
田尾「けど、『行政に頼らず完全復活』って書いてるから、丸亀町ではないわ」
家内「あ、そうか。じゃあどこ? 郊外かな。レインボー通りとか」
田尾「税金使わずに大ヒットしたところやから、ゆめタウン? あれは商店街でないしなあ」
 
 いくら考えても、高松市には該当しそうな商店街がないので、首をひねりながら大学に行きました。で、夜、帰って来てテレビを見たら、「丸亀町商店街」でした。「うそやろ」と思いながら見ていたら、番組は丸亀町商店街の再開発に巨額(たぶん100億円オーダー以上)の税金(補助金等)が入っていることには一切触れず、何やらコンセプトとか仕組みとか関係者の努力で開発が実現したという話に終始していました。

 村上龍さんも小池栄子さんも、唯一肝心のポイントである「で、その開発のお金はどうやって集めたんですか?」という質問が出て来ないようでは、失礼ながら経済番組のインタビュアーとしてダメですよ。いや、番組制作者の方がダメなのかもしれないけど。

 もちろん、丸亀町はコンセプトや仕組みや関係者の努力があっての再開発実現であることには違いないと思いますし、すごい苦労があったのも事実だと思います。でも、あれが「成功例」だというのなら(何を持って「成功した」とするのかも曖昧ですが)、丸亀町商店街の開発計画は最初、一旦スタートしたあと、補助金が出なくなってしばらく計画停止になっていて、補助金が復活したら再び計画が動き出したんだから、あの再開発の一番の原動力は、明らかに「補助金」でしょう。それを「行政に頼らず完全復活」と打つようでは、『カンブリア宮殿』も相当おかしくなっているとしか思えないのですが。

 あと、丸亀町商店街が再開発したせいで、周辺の商店街やショップが歯抜けのようになっていることや(丸亀町にショップを移して元の場所が空き家になったりして)、少なからずあの再開発の影響で天満屋が撤退することになったことも一切触れられていなかったけど、高松市や香川県としては「右のものを左に移しただけ」みたいな話を「成功例」だとしていいのか? もっと言えば、自由競争のビジネスの世界で片方だけに税金を投入するのは、地域行政としていいのか?

……みたいな話が、こうやっていろんなメディアのせいで「なかったこと」にされていくんだろうなあ。そして、都村さんや勝谷さんのせいで(笑)こんなことを書くようになった私も、地域で「なかったこと」にされていくんだろうなあ(笑)。

 ま、いいか。私はいつも、まずわが家がよくなること、次に自分の勤め先である四国学院大学がよくなること、次に私が住んでいる高松市がよくなること、そして香川県全体がよくなることを願っているので(日本がよくなることはもっとエライ人に任せる・笑)、行政に対しても商店街に対しても、非建設的にただ非難しているつもりはありません。ただし、理屈に合わないことに対して盲目的に「応援する」ということは、決していいことではないと思っているわけです。だから、悪者になっても正直ベースの正論を吐いていくやつが、一人くらいいてもいいでしょう? 誰もついてきてくれないけど(笑)。
2014年3月23日(日)

 ふー、壊れたファイルの作り直しが完了した。

 素人考えで分析するところによると、どうもこういうことだったのではないかと思う。まず、5年くらい前に作っていた50ページくらいのファイルを引っ張り出してきて、それをベースにして修正や追加を加えながら100ページくらいの新しいプログラムのファイルに仕上げようとしていたら、80ページくらいできたところでクラッシュした。途方に暮れながらも再び5年前に作った50ページのファイルを引っ張り出して一から作り直していたら、またクラッシュした。もう一回同じようにやり直していたら、またクラッシュした…というのが最初の経緯。

 いくらメカに弱い私でも、さすがに考えました。同じ失敗を3度も繰り返したのにまた同じやり方をやっていたのでは、入社試験に100回続けて落ちる学生と同じになってしまうから(笑)、どう考えても、もう同じやり方をしてはいけないと(ま、普通誰でもそう考えるわな)。そこで、ちょっと気が遠くなるやり方ではあるが、5年前に作った50ページのファイルをベースにするのをやめて、新しいパワーポイントのページを開いて、一から新規ファイルを作り始めたら、うまいこといきました。何だ、たぶんあの5年前のファイルがおかしくなってたんだ。

 そこで、また考えました。

(1)あのファイルが、なぜおかしくなってしまったのか?
・ファイルの中にデータを入れすぎたのか? (検証)→もっと大きいデータの入っているファイルをちょっといじってみたが、どうも壊れる様子はないので、この仮説は違うような気がする。
・ファイルの中に、イケナイ写真とかが入っていたのか? (検証)→入れている写真は全部私のカメラで撮ってきた写真ばかりで、写真の内容もすべて健全であり、松村のベッドの下に隠しているような写真は一切ない(そんなもん授業で使えるか!)。

(2)おかしくなったのはあのファイルだけなのか? 
(検証)→何十もあるパワーポイントのファイルを全部いじって検証するのはとてもできないので、まだわからない。とりあえず3つだけいじってみたが、今のところ異常はない。

<対策>
・大事なファイルの大幅なブラッシュアップをする時は、以前作ったファイルをベースにして作り直すのをやめ、一から新しいファイルで作る。
・ファイルの保存場所を、デスクトップ+内臓ハードディスク内+外付けハードディスク内、別のパソコンの4カ所に分散しておく。
・修正するたびに数カ所に保存するのは大変なので(しょっちゅう追加とか修正を入れるから)、つなぐだけで自動保存してくれるソフトを使う。

 …等々。という対策は、普通にパソコンを使っている人にはおそらく「何を今さらそんなことを言っているのか。そんなん当たり前じゃないか」という話ですね。何かやってみて、結果を検証して、うまく行かなければ別の方法を考えてやってみて、また検証して、うまく行けばもっと成果の上がるいい方法を考えて、うまく行かなければまた別の方法を考えて…そうやってだんだんいいものが出来上がる。ほんま、当たり前の話です。

 じゃあ、何で成果の上がらないことを何十年もずーっとやり続けているんですか? あ、行政の「地域活性化方策」と「観光振興政策」のことです(笑)。あと、成果が上がらないけどまだ潰れてない会社の「事業計画」も。この1ヵ月くらいの間にいくつか典型的な話が四国新聞に載っていましたが、今、精根尽き果てているので一本ネタに仕上げる気力がない。すんません。
2014年3月16日(日)

 はあ〜〜〜〜〜〜〜 1週間前から作っている、4月から新しく担当させられることになった授業のパワーポイント80ページのデータが消えた……

 小まめに保存しながら作っていたのに、あと10ページくらいで1本完成…というところで、 写真を1枚貼り付けて上から文字を押さえてすぐに保存したら、PP画面が突然消えて、復旧ファイルとかいうのが出て来て開けたら、80ページ分の写真約150枚とグラフが全部飛んで、文字だけになっていた。

 ものすごい気力を絞り出して、アリが壊された巣を修復するが如く、また1ページ目から、写真を1枚ずつ探し出しては貼り付け、トリミングして位置を合わせ…というのをやり始めたら、12ページ目でまた画面が消えて、復旧したらまた写真が消えていた。

 とりあえず落ち着け。落ち着いて、どうすべきかゆっくり考えよう。

 そういうわけでさっきから脱力モードに入っているので、流れで脱力ネタを一つ。LPGA(日本女子プロゴルフ協会)のステップアップツアー(ま、レギュラーツアーの下部ツアーです)の一つが、今年の7月に香川県の満濃ヒルズC.C.で開催されることが決まったのですが、その大会名が、

「うどん県レディース金陵杯」

ですって。ああ…恥ずかしい(泣)。

選手A「来週、試合?」
選手B「うん、うどん県レディース」

 選手も口に出すのが恥ずかしいやろ。絶対みんな「金陵杯」って言うと思う。「金陵杯」はスポンサーがたぶんお酒の金陵だろうからわかるけど、「うどん県」の名称を押し込んだのは、たぶん行政かその関連団体がらみじゃないか? ほんと、選手のみなさんすみません。大会名に動揺せずに、がんばってくださいね。ちなみに私は「うどん県プロモーション」には当初より一切関わっておりませんので、恨まないで下さい(笑)。
2014年3月15日(土)

 空がスコーンと抜ける日がない。私の家の仕事場はすぐ横の窓から瀬戸内海が眺望できるから、ほぼ毎日、海や島をチラチラ眺めているのだが、向こうの小豆島がちゃんとした色でくっきり見える日が毎年5〜10日くらいはあったのに、ここ1年以上前から、私の見る限り、1日もない(!)。

 「雨上がりや雪上がりの風が適度に吹いている秋冬」という絶好のシチュエーションの日でも、島は見えるけど薄くグレーになっていて、間違いなく空気に薄〜く“アミ”がかかっている。四国電力の火力発電所がフル稼働し始めてからだ。まあ、あんなに毎日モクモクと煙が出て上空数百メートルで横に広がってたら、そら香川の空もちょっとは霞むだろう。ま、「我慢しろ」ということですか…。

 さて、土曜日だけど木曜日の話。こないだの木曜日の夜、急にポッカリと時間が空いたので(もう一日が終わるやん)、数少ない気の抜けない…でなくて気の置けない(笑)お友達の上村さんに電話して「どっかにクダ巻きに行きましょう」言うたら、「今からスポーツジムに行こうと思ってたけど、まあええわ」ということで、夜の9時も過ぎたのにバーに出かけることになったのである。

 で、会うたらいきなり「こないだの日記に、井上陽水の番組を見て『みんないいコメントをしていた』って書いてたけど、あんなのはいいコメントじゃない」と言われた。ひえ〜、バレてる(笑)。

 あれ、まあちょっと私の知らなかったエピソードとかがコメントされてたのでおもしろかった、くらいの話だったのだが、具体的にどんなコメントだったのか思い出せない程度の内容だったので書かなくてもよかったのに、流れで文章を垂れ流してしまったのである。だから、いつもなら「こんなコメントがあった。それに対し、こんなにいいコメントだと思った」みたいに具体的に書いて、そこから一ネタ展開でもするところ、何も展開せずに終わっていたのである。そこを突かれてしまったとは、やっぱ、レベルの高い人の前では垂れ流したらいかんなあ(笑)。

 というわけで、その夜は、私と家内と上村さんの3人で、9時半頃から翌日午前1時半頃まで、バーで4時間ぐらい、教育問題、組織の危機管理問題、原発問題、STAP細胞問題(笑)、ウクライナ問題等についてクダ巻いて帰りました。

 家に帰って一息ついていたら、地震が来ました。グラグラ来ている間、私はまず火の気が大丈夫であることを確認し、それから落ち着いて水槽を押さえ(笑)、家内は棚の上の落ちてきたらまずい大きな物を下に降ろしたりしていたら、そのうち地震が収まりました。その後、家の中のどこの何が落ちたか、倒れたかをチェックして、いつかまた地震が来た時にちょっとでも物が落ちたり倒れたりしないように、そいつらの置き場所を変えたりしてみました。

 何でそんなに落ち着いていられるのかというと、わが家では天災や不慮の事故等について、リアリズムに基づいたある合意と、それについてのメンタルトレーニングをしているからなのですが、それは書いたら正論を許さない世論というやつに「空理空論の正義」で叩かれるから書かない(笑)。ま、人それぞれでいいじゃないですか、と流しておこう。
2014年3月14日(金)

 テレビを買いました。

 思い起こせば2005年の春、家内がどうしても行けというもんだから娘の入学式に関学まで行って、スターウォーズのクローン兵士トルーパー軍団の出陣前のような会場に入って1時間ぐらい耐え、昼頃終わってまだこれから何やらいろいろあるらしかったのだが、親なんか別におらんでもええやろと思って娘に「父ちゃん、先帰るわ」言うて関学を出て甲東園の駅に着いたら、1つ隣に仁川という駅があるらしいことがわかって、どんな駅だろうと思って阪急電車に乗って行って仁川駅で降りてみたら何やら地下道があって、「これは、この先に高松にはない商業施設とかあるんちゃうか? 情報発信に携わる者として、これは確認しておかねばならんのではないか?」という使命感からどんどん地下道を進んでいったら「阪神競馬場」とかいう見たこともない施設に着いて、「これは高松にはない施設だ! 何事なのか体験しておかねばならない!」と思って、よくわからないまま見よう見まねで5000円買ったら万馬券…いや、何か知らないけど買った券を機械に入れたら58万円もお金が出てきて、そのお金で42インチのプラズマテレビを買って以来のテレビ購入である(もうええっちゅうに)。

 そのプラズマが、当時40万円も出して買ったのにあっという間に安くなってきて、しばらくすると上戸の大将が43インチのテレビを買ったことが発覚し、続いて私の周りで42インチより大きいテレビを買うやつがいっぱい出て来て…いや、そんなのが理由じゃなくて、その42インチのプラズマに2年くらい前から画面に白い斑点が出るようになって、去年からはとうとう画面の左の方に上から下まで青いボワーッとしたのが走り始めたので、ついに意を決して買い換えたのである。

 別にどこの店で買ってもよかったのだが、知人がいること、大学の教え子がいること、Macの商品が割と充実しているから注いでに見られること、の3つのポイントから、ケーズデンキの高松店に行きました。

 広いフロアの一番奥にあるテレビのコーナーに行ってみると、壁に沿って並んでいる一番目立つエリアには、70インチだったか80インチだったか、まあでっかいテレビばっかり並んでいる。そこから右の方に行くとだんだん小さくなっていって、一番右端が50インチ! 42インチなんか、後ろの「その他のテレビ」みたいな一角に並べられているではないか。ま、家電屋さんによく行っている多くの人にとっては当たり前の光景なんだろうけど、私は全く状況がつかめてない。何か42インチはもう「ちっちゃい組」に入れられているみたいだ。

 しかし、狭いながらもせせこましいわが家は、昔、松村に買わされた家具のせいで(笑)、大幅な模様替えをしない限り、ギリギリ52インチまでしか入らないことになっている。けど、まあいいや。何年前だったか、デジタル放送が始まった時に、わが家で一番最初に見たデジタル画面にいきなり塩沢トキのドアップが映って、「大画面テレビはえらいものを見せられる」ということを思い知らされたから、50インチでもう十分だ。

 というわけで、家電に疎い我々夫婦は、フロアでとても感じのいい店員の兄ちゃんを見つけてレクチャーしてもらいました。購入のポイントは、
(1)まあ50インチくらい。
(2)いい音。
(3)ブルーレイも見られる。
 要するに、テレビの番組はあまり見ないので「映ればいい」くらいだけど、音楽ライブや映画のDVDはなるべくいい音と映像で見たいので、内蔵でも外付けでもいいからそういう環境にしたい、というのが優先ポイントである。

 その結果、
(A)52インチで20万円弱くらいのテレビ。
(B)50インチでブルーレイも内蔵、結構いいスピーカーも内蔵、画面も(A)より鮮やか、けど30万円以上するテレビ。
の2つに絞り込まれた。そこからさらに吟味に吟味を重ね、結局、(A)は外付けでそれなりのスピーカーとブルーレイの機器を付けると30万円近くになる上、それらの周辺機器でごちゃごちゃするということで、(B)に決めた。

 ところが、意を決して決めたのに、手続きのためにテレビのコーナーから移動していたら、テレビコーナーの入り口あたりに何かムチャクチャええ感じのテレビが置かれているのを発見!

田尾「あ、ちょっと待って、これ、何かええんちゃうん」
店員「あ、それ、今決めたやつです」

 買うのを決めた(B)のやつ、今売り出しているテレビの中で目玉商品らしく、デモンストレーションで入り口にデカデカとディスプレイされていたのであった。ま、私の家電に関する目はその程度です(笑)。

 で、あと、仕事用のコピー用紙を3束買って、研究室で壊れたままになっているラジカセも買って、結構な出費をして帰りました。何か今頃は混んでいて、家に持って来てセッティングしてもらうのが1週間後くらいになるそうです。セッティングが終わって最初に見る画面に、韓国の大統領のアップとか出てきませんように(笑)。
2014年3月11日(火)

 月末から4月の頭にかけて何とか5〜6日動けそうなことが判明したので、観光開発の取材とデータ収集でハワイに行こうと思ってJTBに行った。そしたら、希望日の出発便が満席で、アウト。そうかー、春休みの旅行ラッシュはそんなことになってるらしい。現地の知人に通訳を頼んで州観光局とかいろいろ回ろうと思っていたのだが、ま、またにしよう。

 今日は午前中、大学でミーティングが一つあって、午後は高松に帰って、umieで3時間ぐらい仕事をした。例の仕事に最適な席が消滅した後、奥の方にある1段上がって壁に向かって座るテーブルに目一杯イスを前に詰めて座ったら、何か背筋が伸びて、ええ感じでパソコン作業ができることが判明したのだ。

 店内は20〜30代くらいのお客さんが結構たくさんいて、私が居座っていた3時間くらいの間も入れ替わり立ち替わりお客さんが来ていたようなのだが、何しろ私は壁に向かって一心不乱に原稿書いてるから、後ろに広がる客席がどんな状態になっているのか全然わからん。

 けど、umieの店内空間は天井も高い上に、雑多に置かれたテーブルやインテリアグッズが(それがこの店のデザインなのだが)お客さんのざわめきをダラダラと吸収して、BGMみたいに全然気にならない。今日はかなり集中できて、原稿が一気に進みました。とりあえず、書斎の1つが復活。

 で、原稿が一段落した午後4時半頃、パソコンをしまって店を出て駐車場に行ったら、何か若い兄ちゃんが後を追ってきて声をかけてきた。

青年「あの、田尾さんですか?」
田尾「はい」
青年「すいません、こんなところで会えると思ってなかったので。あの…写メ撮らしてもらってもいいでしょうか」
田尾「俺? おっさんの写真なんか撮ってもええことないぞ」
青年「いえ、もう僕らうどんファンにとっては、田尾さんは神みたいな人なんで…」

 ま、みんなに便所のカミみたいにもてあそばれてるけど(笑)。

田尾「ええよ。どやって撮る?」

と言ったら、彼は私の横に来て、左手に持ったケータイみたいなのを前に差し出してこっちを向けてカシャ。あのな、カップルが遊園地で写真撮ってるんとちゃうぞ(笑)。みたいなことがあった、よく働いたけどほのぼのとした一日でした。
2014年3月10日(月)

 『インタレスト』の次号編集作業は、「情報収集→情報編集→情報発信」のまだ「情報収集」段階なのだが、春休みにも拘わらず、編集長河井以下、大変よく働いている。けど、3月に入ってちょっとペースダウン気味で、そろそろ尻に火がつき始める感じが無きにしも非ず。ま、尻に火がついたくらいであわてるような私ではないが、いつもなら尻に火がついた後、背中が燃え始めてやっと動き始め、後頭部がチリチリ言い出したら腰を上げる…というところ(それがいかんのやっちゅうに)、「今年こそは早めに動くぞ」という気持ちだけはしっかり持っている。気持ちだけでは「しっかりしてる」とは言えないような気もするが。

 そのペースダウンしている理由は、3年生がどうも就職活動でかなり動き回っているらしいからだ。というか、3年生は2月からもう動いているんですか? 実は私はインタレストメンバー以外の学生からも時々、就職活動についての相談を受けるのであるが、こないだ、「もう10社近く落ちた」いう学生がいた。大変やなあとは思うけど、みんな、どんな動き方してるんやろ。

 毎年、4年の夏とか秋頃になると「50社受けて全部落ちて、まだ就職が決まってない」とかいう学生がいる。それで、相談に来た学生に「どこどこ受けたんや」と聞くと、私が贔屓目に見ても「それは無理やろ」という有名企業、人気企業、採用レベルの高そうな企業ばっかり受けていたりするのである。

田尾「あのな、企業の採用いうのは、受けに来た学生の絶対能力は当然期待するけど、学生なんて仕事をやらせてみないと使えるかどうかわからんのやから、あるレベル以上の学生だったら、あとは相対的な評価で採用を決めるしかないんや。すると、お前が採用されるかどうかは、最終的にはライバルの学生との相対的評価にかかっとるということや。お前が受けてきた会社、見てみい。カマタマーレがワールドカップに挑戦しよるみたいな会社ばっかりやないか」
学生「………」

 ま、中にはJ1やJ2の上位クラスの会社もあったが、それでもかなり無理がある。どうも根本的に「分相応」というのがよくわかってない学生が、かなりいるみたいなのである。またそういう学生に限って、「エントリーシートはどう書けばいいのか?」、「履歴書の自己紹介欄はどう書けば評価されるのか?」、「面接の時の服装はどういうものがいいのか?」、「面接ではどういう話し方をすれば評価されるのか?」…等々、小手先のテクニックをいろいろ聞いてくるんだ(笑)。君らなあ、10年くらい新卒採用と新卒採用ビジネスに関わっていた者として言わせてもらえば、会社の将来を担う新入社員を、面接官がそんなものを決め手に選ぶと思うか?

 就職戦線というのは「自分」という商品が売れるかどうかというマーケティングの世界なのに、マーケティングの戦略立案の基本である「市場(採用情勢や企業動向)・競合(ライバルの学生)・自社(自分の能力)」という観点が、たぶん彼らの頭にはないんですね。マスコミ等で「100社も受けて全部落ちた」という学生を取材して「厳しい就職戦線」レポートをしているのを時々見るが、10年くらい新卒採用ビジネスに関わっていた者として言わせてもらえば(もうええか・笑)、普通、20社も落ちたあたりで「何か戦略が間違っているのでは?」と思わなければいけない。ビジネスなら、3回失敗したら絶対やり方を変えるぞ。

 で、就職戦線で連敗を続けているたいていの学生の場合、その戦略の間違いは「受かりそうもないところばかり受けている」ということが一番多いのではないかと思う。だって、100社も受けて全部落ちるということは、理由はそれ以外に考えられないもの。競合に勝てないようなマーケットに100回ぶつかっていったら、そら100連敗してもちっともおかしくないわ。就職戦線が厳しいなら、厳しいなりの作戦を立てることである。その作戦の基本は、「市場・競合・自社」というマーケティングの原理原則から考えることである。

 ちなみに、何でそんなところばかり受けるのかと聞くと、どうも理由は大きく2つあるみたいである。1つは「ほとんどの学生が新卒採用メディア(雑誌、ネット、企業説明会等のイベント、大学への求人リスト等)に載っている企業に集中して受けに行っていること」。2つ目は、「親(特に母親)や親戚、周りの学生が、名の知れた会社に就職することをかなり促していること(見栄みたいなのがかなり強い)」。まあ、いろいろ気の毒な環境にプレッシャーをかけられているみたいです。就職戦線の勝ち負けは、決して「人生戦線」の決め手ではないと思うんだけど、「自分の人生は会社とかが与えてくれるものだ」と思っている人には、そんな意見は空論に聞こえるんだろうなあ(笑)。

 余談ですが、就職活動について今年2月の始め頃から私にいろいろ質問してきていた学生(3年)がいまして、最初はどうなることかと思うような学生だったけど、私が話しているうちにだんだん自分の就職活動の的が絞れてきたみたいで、こないだ、就活1社目で「第一志望の○○から内定もらいました」いうて電話してきました。な、勝算のある戦略を立てたら、勝負になるやろ。ただし、人生を充実させるには、これからが勝負の本番やからな。
2014年3月9日(日)

 今日は1時間15分、テレビを見ました。井上陽水ドキュメント「氷の世界40年」。日本で初めて100万枚を売り上げたアルバム『氷の世界』の誕生の経緯を、井上陽水と制作スタッフが発掘されたマルチテープを聴きながら誕生秘話を語っていた。別映像のコメント陣は、小室等、谷村新司、伊集院静、中沢新一、声だけの出演で当時のプロデューサーの多賀さんたちが、みんないいコメントをしていた。

 あと、勝手に歌詞解説みたいな設定でみうらじゅん、リリー・フランキー、サンボマスターの山口隆がコメントしていたが、こっちはたぶん年齢とかリアルタイムの思い入れでハンデがあったみたいでちょっと気の毒だったけど、いやー、いい番組でした、私には。

 『氷の世界』が発売された時、私は18歳だったのですが、番組を見てて、「あの頃、井上陽水の曲を聴いて、歌詞を読んで、青春時代を過ごしてきてよかったなあ」と改めて思いました。

 何か、「反射神経で言葉を垂れ流すのに抵抗がある」という今の自分は、井上陽水の歌の歌詞で培われてきたんだ、と再確認しました。たぶん私は一生、例えば「いいね!」のワンクリックで何かの意思表示をするなどということができないと思いますが(笑)、そんな自分で一生を終えることに、結構満足しています。

 さて、このあとどうするかな…。今、午前2時過ぎ。パソコン画面に石川の出ているプエルトリコ・オープンと松山の出ているキャデラック選手権のリアルタイムリーダーボードを開いて、仕事をしながら刻々と変わるスコアを見ているんだけど、両方が終わるの、朝だもの。徹夜はできんのに、今、石川がスコアを3つ伸ばして16位タイまで上がってきてる!

 あかん…今日はやっぱりもう寝る。
2014年3月6日(木)

 山越に行って、いつものようにかけ2玉と半熟卵天とチクワ天を食べて、お店も私もゆっくりしていたので奥さんとしばらく話をしていたら、あることが判明して私と奥さんはある同盟を結んだのである。ただし、奥さんが「こんなんブログに書いたらいかんで」と言うので、詳細は『うどラヂ』を待ってもらうしかない(笑)。

 さて、昨日の大学での会議の件を考えていたのであるが、今日も一件会議に出て発言していた時、私の中である仮説が浮上しました。それは、「私の説明が通じない相手の人は、私の話を全て“対決姿勢”で受け取っているのではないか?」という仮説です。

 私は今までのビジネス人生において、会議というものはほぼ全て「目的を達成するのに何が有効か?」というスタンスで取り組んで来た。編集会議だろうが企画会議だろうが経営会議だろうが、あるいは何かの委員会みたいな会議に出席した時だろうが、まず「目的」を確認し、会議参加者全員がその目的を共有し、みんなでよりよい「手段」を導き出そうと議論をする。すると、「私はこういう手段がいいと思う」「いや、その手段にはこういう問題点がある。それよりこうする方が、目的達成にはより有効だと思う」…というふうに議論が進んで、よりよい手段が絞り込まれてくる。そういう会議をずっとやってきたので(そうしないと会社が成果を上げられないので)、その習慣で今も常に、「目的に対する善し悪し」で発言をしているわけである。

 ところが、かみ合わない議論をする人の多くは、「目的に対する善し悪し」ではなく、全身が「自分のやっていることを否定されたくない」というメンタリティで固まっているのではないか? ということに、ふと気づいた。

 例えば、会議主催者とかが何かを報告したり発表したりする。それに対し、私が質問すると、私は「目的を達成するのに有効かどうか」で質問しているのに、相手は最初から「自分の報告のあら探しをされている。自分の報告にイチャモンをつけられている」というメンタリティで構えているから、何を言っても自己保身的な反応しかしないのではないかと。

 つまり、そういう人には「この報告や資料を基に、みんなで一緒に考えてよりよい手段を導き出そう」という考えではなく、「自分を否定されたくない」という思いしかないため、意識が「目的」の方向ではなく、「自分に対する発言者」に向いている。みんなで同じ方向を向いて議論するのではなく、「相手対自分」というふうに、内部に向かって対峙しているのである。

 これは、自己保身を最優先としている人の議論の典型的な特徴だと思う。私は今まで、目的のある会議で「誰かを攻撃することが目的の議論」なんかほとんどやったことがないのだが、それを「攻撃されている」と捉える人がかなりたくさんいることを、ちょっと再確認した気がする。

 仮説だからまだ断定はできないが、もしそうなら、ちょっと意見の述べ方を修正していかないかんなあ。面倒だけど、
(1)「まず、目的はこれです」
(2)「その目的を達成するためには、こういう理由で、今のやり方はあまり有効ではないと思います」
(3)「この意見は、目的を達成するために有効な手段を導き出すための意見であって、あなたを攻撃しようという意図ではありません」
この3つのポイントを、最初にわかりやすく提示するような意見の述べ方をしないとダメなんだろうと思う。

 今まで、健全なビジネスの世界の会議では(3)なんか言わなくても当たり前だったんだけど、大学とか、自己保身主義者の多い会議はそこから入らないとダメなんだ…とか思っています。正直、ほんとにめんどくさい話ですが、組織に所属している限り、所属している組織が少しでも良くなって欲しいといつも思っているものですから。ただし、あんまりひどいと、私もそこまでお人好しじゃないから投げるかもしれんけど(笑)。
2014年3月5日(水)

 今日は会議が2つと『インタレスト』のミーティングの日であったが、午前10時頃大学に入る予定だったので、朝、うどん屋に行くことにしたのである。そして、頭に浮かんだいくつかの選択肢の中から選ばれたのが、上戸(笑)。

 12年くらい前、珠玉の田舎太麺を引っ提げて香川県の西の端に彗星のように現れた、太っ腹大将がうどん場を仕切るプレハブの名店。荒川静香と藤原紀香を足して3…でなくて2で割ったような讃岐うどん界随一の「前へ前へ出てくる美人女将」が客を仕切る職人型セルフの名店。

 しかし近年、大将が体を痛めて「臨時営業」状態になって、私はここ3年、高松から1時間かけて行っては臨時休業、行っては臨時休業、去年はH谷川君から「今週は開けるそうですよ」という機密情報をもらって翌日行ったら臨時休業、もう一回行ったらまた臨時休業に出くわして、その場でH谷川君に電話して名乗りもせずに「上戸休みやんか!」と叱りつけて切ったという、H谷川君にしてみたらとんだとばっちりのえらい迷惑な電話を受けてしまったという、そんな上戸であった。

 高松から高速に乗って上戸に向かう途中、H谷川君に前もって上戸が今日開いているかどうか確かめようと思ったのだが、というか、何でH谷川君が上戸が開いているかどうかを毎日知っているのかというと、H谷川君のお父さんが上戸の近くに住んでいて、しかも上戸の常連で、毎日H谷川君に「今日は上戸、開いとる。閉まっとる」という情報をメールで送ってくるからだ。

 近年、ありとあらゆる讃岐うどん情報が世の中に出回って「知ったつもり」になっている讃岐うどんマニアがたくさんいるようだが、讃岐うどんの世界をなめてはいけない。こういう親子がいるのが、讃岐うどん界の「真の深さ」だぞ。そこまで潜りたくないか(笑)。

 というわけでH谷川君に事前確認しようと思ったけど、まあ行って開いてたらラッキー、また臨時休業だったらそれはそれでネタになるということで(悲しい性・笑)、そのまま突撃したのである。そしたら…上戸手前の最後のカーブを曲がって前方を見ると、黄色いパトライトが回っていた! 

大将「あ、団長」
田尾「宝くじに当たった気分やわ(笑)」

 かけ2玉とゆで卵天とレンコン天と、天ぷら取った人にサービスで付いてくるイリコ天を取って、臨時営業状態になっている事情などを中心に世間話をしました。

田尾「奥さんは?」
大将「嫁はいつも11時からです」
田尾「あ、そうか。大名出勤やからな」
大将「大名というより、将軍出勤(笑)」

 奥さんを見られなかったのは残念だが、代わりに若い美しい女性が1人、店を手伝っていた。

大将「あ、これ、娘ですわ」
田尾「えー! こんなに大きなったん!」

 美人女将ジュニアです。まだ、前へ前へは出て来ませんが(笑)、上戸の新看板となって、4月頃から毎日店に出るらしいです。詳しくは次の『うどラヂ』で、ちっちゃい話を5万倍にしてレポートさせていただきます。

 今日の1つ目の会議で、私は質問を一つしたのですが、それに対して質問のポイントとズレた答が返ってきて、「いや、問題はそこではなくて…」と発言してもまたポイントと違う話が展開されて、そのうち他の人も発言してきたのですが、どれ私の質問のポイントと違う話をしてきて、かなりやりとりをしたのですが結局すり合わないまま引き下がりました。

 「何でこの問題がわからんのやろ?」と思いましたが、私のモットーは「自分の身に起こることの95%は自分が起こしたことだ」であるから、帰ってから「自分の説明力不足である。何が相手にわかりにくかったのか? どういうロジックでどういう言い方をすればもっとシンプルに問題提起のポイントをわかってもらえるのか?」について、ずいぶん考えました。ま、また何かの機会があればもうちょっとうまく説明しよう。組織や個人の危機管理という点で、ちっちゃい話だけどあの問題は絶対、原理原則を外していると思うんだもの。
2014年3月4日(火)

 月曜日の朝、200円持って石清尾八幡の正面の鳥居を出て左斜め前にある自販機群の中のダイドーの自販機で130円のスピードアスリートを買って帰ったら、ポケットに20円しかない。釣り銭口に、50円忘れてきた。誰かが「50円、ラッキー!」となっているはずだが、まあダイドーファンに渡ったのなら良しとしよう。もしGABOMIがゲットしてたら、さらに良しとしよう(笑)。

 本日朝7時20分、自宅を出て徒歩でJR高徳線昭和町駅へ。無人駅なので、高松までの切符を買って電車に乗って高松駅に着いて、そのまま構内を歩いてマリンライナーに乗り込んで、電車の中で新神戸までの切符を買った。

 10時前に新神戸到着。そこから地下鉄に乗って三宮に出て、ポートライナーに乗り換えて、10時20分頃、市民広場駅に到着。すぐ目の前のビルの上の方の階にあるサンテレビに「11時に来てください」と言われていたのであるが、30分も早く行くとガッついているように見られても何なんで(笑)、市民が誰もいない「市民広場」なるエリアを見ていたら(ま、平日の10時半頃に人で溢れている広場もどうかと思うが)、喫茶があった。

 入ると、西日本出版社の内山さんと手下の松田さんがいました。

田尾「どしたんですか、こんなところで」
内山「いや、田尾さんの収録を見ようと」

 ま、そういうわけでした。サンテレビの『カツヤマサヒコSHOW』という、勝谷さんが知り合いを呼んでスタジオで酒を飲みながらダダ話をするという、人のことを「タダの学生を使って好きなことをやって『インタレスト』を作っている」と責めておきながら、サンテレビの金を使って自分の趣味を楽しんでいるみたいな番組だ(笑)。

 しかし、趣味ったって、これまでのゲストは敬称を略して百田尚樹、長谷川穂積、掛布雅之、宮嶋茂樹、等という全国区の著名人から、メッセンジャー黒田、遙洋子、明和電機、野々村直通、花房観音、バッキー井上等々、これまたクセ者強者ばかり。私なんか迷ってはないけど田舎の子羊だから、小さくなって収録してきました。

 ところが、私は酒がほとんど飲めないので「ジンジャーエール」言うたのに、どうも中にアルコールを入れられていたらしく、途中から大きくなってしまったみたいです(笑)。最初に「ジンジャーエール」と頼んだ時、勝谷さんが「じゃあそれベースでカクテルにして」と言ったのに私があやふやに頷いたらしい。「日本人の曖昧さが悲劇を招く」という教訓の実例である。皆さんも気をつけてください。

 「気をつけてください」といえば、昔、「笑いの文化人講座」で

●うちの学校のK田校長が朝礼で「昨日イスラエルの首相が暗殺されました。みなさんも気をつけてください」と言った。何に気をつけるんじゃ!

 という20世紀最高の訓示があったことがペンネーム「おやじと会長」君から報告されたことがあったが、このネタを引っ張り出していたら、『笑いの文化人講座REMIX〜学校の事件簿』に捕まってしもたやないの。

●中学の時、朝礼で生活指導の先生がえらい剣幕で「最近スカートの丈が長いやつが目立つ! 特に女子!」と怒鳴った。そらそうです。

●T先生は朝礼の時、Y先生に「そこの背の低いやつ! 何でそんなに後ろに行っとんや!」と叱られてどくれて(ふてくされて)いました。

●先日、校長が朝礼でいつになく厳しい顔をして「生徒のみなさん、この前、通学路の途中にある家のビワを勝手に取って食べた人がいますね…」と話し始めたので全員が緊張して聞いていたら、「道端に生えているものを洗わないで食べたらおなかをこわしますよ」と話が展開した。

●先日体育館で朝礼があった時、校長が「うれしい話があります。実は3年1組のA君が陸上競技でインターハイに出場することになりました。A君、ステージの上に上がってください」と言ったが、Aは遅刻してきて体育館の入り口で体育教師にこづかれていた。

……再掲してたら切りがないわ。文化人講座、おもろかったなあ(笑)。
2014年3月2日(日)

 久しぶりに、2時間ぐらいテレビに釘付けになった。LPGA(女子ゴルフ)のHSBC女子選手権(シンガポール)最終日の生中継。昨日の3日目を終わって、

-11 カリー・ウェブ(オーストラリア・39歳)
-10 アンジェラ・スタンフォード(アメリカ・36歳)
- 8 アサハラ・ムニョス(スペイン・26歳)
- 8 テレサ・ルー(台湾・26歳)
- 7 ポーラ・クリーマー(アメリカ・27歳)
- 6 モーガン・プレッセル(アメリカ・25歳)

という順位で最終日を迎えたのである。まあ、よくある最終日のスコアで、ベテランの2人が1打差でトップ争い。ちょっと離れて若手4人が続いていたが、ビッグスコアの出そうなコースではなかったので、まあトップと3打差の上位4人の中から優勝者が出るかなあ…とか思いながら、午後2時くらいまで、仕事しながらパソコンでリーダーボードのスコアをちょこちょこ見ていたのである。

 私がずっと応援している女子プロゴルファーは、最近パッティングスタイルが変になってきたけどミシェル・ウィーと、こないだ婚約したポーラ・クリーマーと、去年までアマチュアだった「のび太」…でなくてリディア・コの3人。けど、今大会はミシェル・ウィーとリディア・コは圏外で、ポーラ・クリーマーもここ数年は健闘はするけど優勝できないというのが続いているから、最終日で4打差をひっくり返すのはちょっと無理かなあ…ということで、WOWWOWで午後から生中継してるけど、まあ仕事をしながら、何か動きがあったらちょっと見るくらいでいいか、くらいに構えていたのである。

 午後3時頃、途中経過を見たらこうなっていた。

(12番終了時)
-12 カリー・ウェブ
-10 ポーラ・クリーマー
- 9 アンジェラ・スタンフォード
- 8 アサハラ・ムニョス
- 6 テレサ・ルー
- 5 モーガン・プレッセル

 こりゃ、ウェブかなあ。今期既に1勝して好調だし。しかも、解説が言うには、百戦錬磨のカリー・ウェブは今日も崩れる気配が全くない安定したゴルフを続けているらしい。ポーラ・クリーマーはいいゴルフをしているが、残りホールで2打か3打伸ばさないと、ウェブに追いつくまでは難しいかもしれない。スタンフォードとムニョスはギリギリ、優勝はかなり厳しい位置になったと。

 そして、その予想通り、ポーラ・クリーマーはその後スコアを伸ばせず、10アンダーのまま17番を終えた。

 ところがその間、まず、ウェブに異変が起きた。13番で短いパーパットを外して、それまで盤石に見えた顔が一瞬、血が上ったみたいに赤くなったのがわかった。続く14番ショートホールはパーで凌いだが、15番でティーショットを曲げてボギー。あっという間にウェブが10アンダーにまで落ちてしまったのだ。

 一方、出だしの連続ボギーで6アンダーまで落ちて万事休すかと思われたアサハラ・ムニョスは、4、5番の連続バーディーでスコアを戻したあと、14番ショートでバーディー。そして17番ショートでも起死回生のバーディーを取った。その結果、17番を終えた時点で、何と、こんなことになってしまったのだ。

(17番終了時)
-10 ポーラ・クリーマー
-10 アサハラ・ムニョス
-10 カリー・ウェブ

 18番最終ホールに、まずポーラ・クリーマーが向かった(ポーラは最終組の1組前、ムニョスとウェブは最終組で回っている)。18番は490ヤードくらいのロングホール。軽く左にドッグレッグしていて、左はグリーンまでずっと池。松村なら3連発で池に入れて、仕方なく7番アイアンでティーショットをしたらまた左に曲がってギリギリ池の横のラフに止まって、ホッとして2打目を打ったらまた池に入れそうなコースレイアウトになっている。

 しかも、池を怖がって右に逃げると、狭いフェアウェイの、ちょうどドライバーでキャリーで落ちるあたりにフェアウェイバンカーが2つ並んでいて、これに入れると2オンは不可能になるというヤらしいことになっていた。さらに、グリーンの左手前には、ここに入れたらピンに寄らないという深い大きなバンカー。グリーンの左はフェアウェイから続く池。

 さらに、グリーンは縦に長く、手前3分の1くらいが下の段、奥3分の2くらいが上の段という2段グリーンになっていて、ピンは下の段の真ん中左寄りの池に近い方。上の段に乗せると順目の下りで、段を下りる時のスピードがちょっとでも速いとグリーンをこぼれるくらい行ってしまう。かといってパットが弱すぎると、段の上で止まってしまう。

 従って、今日の18番の攻め方は、2打目を刻んでバンカーの手前に置き、3打目で下の段にキャリーで落として(バンカーが効いてて手前からピンに寄せられない)、一旦球をピンの向こうにやって、段の斜面を使ってピン方向に玉を戻してくるというのがベストだと解説が言っていた。

 とにかくそういう、ティーショットも2打目も3打目もパットも神経をすり減らすような18番。そして、この18番が、ウェブとムニョスとポーラの3人の、私をテレビに釘付けにした心理ドラマを演出することになったのである。

<シーン1>

 まず、ポーラの18番。ポーラは「後ろの組のウェブとムニョスは、17番か18番のどちらかバーディーを取ってくるだろうから、自分はこの18番でバーディーを取って11アンダーにしておかないと優勝はない。プレーオフにも残れない」と思っていたそうである。今日は左からのアゲンストの風が吹いている。あわよくば2オンも狙いたいため、ティーショットは距離を出してしかもフェアウェイに置いておかないといけないと思って、ポーラはドライバーを抜いた。

 しかし、実はポーラは、18番のティーショットは過去3日間、3回とも右のクロスバンカーに打ち込んでいるのである。おそらくかなり嫌なイメージが残っているに違いないが、しかしトッププロが4回も同じバンカーに打ち込むなどということはないだろう、今日は絶対修正してくるはずだ、と思いながら見ていると、快音を発して球はぐんぐん伸び…4回目のクロスバンカーに入りました。

 厳しい顔でクロスバンカーに向かうポーラ。あ、「ムニョス」で「ウェブ」なのに何で「クリーマー」でなくて「ポーラ」なのかというと、ポーラ・クリーマーはみんな「ポーラ」と呼んでいるからです(笑)。ちなみに「アサハラ・ムニョス」は綴りが「Azahara」なのに何で「アザハラ」でなくて「アサハラ」なのかというと、スペイン語で「Z」は英語の「TH」みたいな発音をするからだそうです。

 さて、ポーラは仕方なくクロスバンカーからの2打目をグリーン手前のバンカー手前に刻んで、3打目に賭けた。ところが、ここから絶対ピンに絡ませてバーディーを取らないといけない、と思って70ヤードくらいの3打目を打った瞬間、ポーラは顔を背けてクラブを落とした。球はピンの右6〜7mに乗ったのだが、解説者が言うには「ほんのわずかでも右に逃げてしまった自分が情けなかったに違いない」と言っていた。結局、そこから2パットで、ポーラ・クリーマーは10アンダーでホールアウトしました。

<シーン2>

 ポーラが18番の3打目にかかっていた頃、最終組が18番に来た。まず、17番でバーディーを取って10アンダーに並んだムニョスがドライバーで放ったティーショットは、何と左の池すれすれに飛び出して、フェアウェイの左、グリーン方向に最短距離のベストポジションに着地した。緊張でやや左に出たのか、あるいは上昇ムードそのままの勢いでベストショットが出たのか。これを見た解説者が、「これはムニョスが勝つかもしれない」みたいなニュアンスの驚嘆の声を挙げた。

 続いてティーグラウンドに立ったウェブは、いかに百戦錬磨のベテランと言えど、「初日からトップを走って今日も途中で3打リードして勝利を半分以上手中にしていたのに、13番のわずかな心の隙から外してしまったパーパットから、自分がスコアを落として2人に並ばれてしまった」という心の揺れが見えるような気がする。はたして、ウェブはティーショットを打った瞬間、クラブから手を離した。球は、右の2つ並んだクロスバンカーの手前のバンカーに入った。

 クロスバンカーに入って行ったたウェブは、最後の賭けに出た。バンカーからアイアンで出すと、アゲンストの風に負けて第3打の距離が残ってしまう。すると、バーディーが難しくなる。ムニョスの球は好位置にあるから、彼女はバーディーを取る可能性が高い。幸い、バンカー内のライはいい。ここは、距離を稼ぎに出るべきところだ。そう判断した(と思う)ウェブは、ウッドを持った。

 それを見た解説の小田美岐が、ラウンドリポーターの羽川豊に呼びかけた。

小田「羽川さん、バンカーのアゴ(バンカーの向こう側のフチ)は大丈夫ですか?」

 海外中継のタイムラグがちょっとあって、

羽川「アゴはそう高くないから大丈夫のようですよ。少し左足上がりですから、球も上がりやすいと思います」
小田「手前のバンカーじゃなくて、奥のバンカーのアゴ……」

 と…二人の解説の声が交錯した時、ウェブがバンカーショットを打った。球はウェブの入っているバンカーのアゴをライナーで超えた瞬間、小田美紀が心配していたすぐ先のバンカーの奥のアゴに当たって、跳ね返ってバンカー内に転がり落ちた。

 ウェブはそこで陥落した。力なく3打目でバンカーから出したが、距離のある第4打もグリーンに乗らず、ボギーを打って9アンダーでホールアウトした。

 一方、ムニョスは第2打をグリーン手前のバンカー手前に刻み、そこからピン奥3〜4mに3オンした。しかし、グリーンの段差にかかったところで球が止まってしまい、下りの早いフックラインと「入れれば優勝」というプレッシャーで手が動かず、バーディーパットを大きく左に外してパー。10アンダーで、ポーラクリーマーとのプレーオフに突入することになった。

 先に上がっていたポーラは、最終組がプレーしている間、練習グリーンの横で携帯で電話をしたりお菓子を食ったりしていました(笑)。そういうやつです(笑)。会うたことないけど。

 さあ、プレーオフ。勝てば、ポーラは4年ぶり、ムニョスの戦績はよく知らないが、アメリカではマッチプレーに勝ったことがあるくらいのはずだ。

<シーン3>

 プレーオフは18番の繰り返しで行われる。ティーショットはポーラから。今大会5度目の18番ティーショットは、右のクロスバンカーの左端ギリギリを抜けてフェアウェイに転がった! ティーグラウンドで笑いながら喜ぶポーラ(笑)。

 一方、ムニョスは何とドライバーを持たず、クロスバンカー手前のちょっと広めのフェアウェイに落とした。今日はアゲンストの風で、ポーラも刻んでお互い3打目勝負になると思われる。どうせ3打目勝負になるのなら、1打で池とバンカーのリスクを冒す必要はない、フェアウェイから2打目を大きめのクラブでフルショットすればいい、という判断をしたようだ。そして、そのマネジメント通り、ムニョスは2打目を残り100ヤード前後のフェアウェイに落とし、3打目の寄せワンバーディーに賭けた。

 続いてポーラの2打目。ティーショットはフェアウェイで距離も出ているため、アゲンストの風の中を思い切って2オン狙いに行くか、刻んで3打目勝負をするか、少し悩んだようである。そして結局、より安全な「刻んで3打目勝負」に賭けた。結果、両者とも3オンながら数m残したバーディーパットを外してパー。プレーオフは2ホール目、再度18番に戻ることとなった。

<シーン4>

 ポーラ・クリーマーは再びティーショットでフェアウェイを捉えた。

 ムニョスは1ホール目でクロスバンカーの手前に刻んだ時、2打目が予想以上に距離を必要としたためか、今度はドライバーを持って、これもフェアウェイを捉えた。しかし、ムニョスはロングヒッターではないため、2打目は再び刻んで、1ホール目よりいいポジションに球を運んだ。

 そして、ポーラの決断の2打目。何と、ポーラはウッドを手にして2オン狙いに出た! 「おおっ!」という声が挙がりました、私から(笑)。

 どうするんだ、ピン方向はウッドでは狙えないぞ。ちょっと引っかかっただけで池に突っ込んでしまうし、真っ直ぐ行ってもバンカーを越えたらすぐピンだから、バンカーに突っ込むか、キャリーでグリーンに乗るとウッドだから絶対に止まらない。

 すると、狙う方向は池とバンカーのないグリーンの右サイドだろうけど、右サイドは2段グリーンの段差がほとんどないから、かなりの確率で段の上に上がってしまう。すると、段の上の奥から、斜めに段差を超えて下ってくるという、とんでもなく難しいパットが残ってしまうぞ。そんなところからパットをすると、松村ならファーストパットをビビって段の上に止めてしまって、弱すぎたと思って打ったセカンドパットがグリーンをオーバーして池の手前のラフまで転がり落ちて、そこからアプローチしたらトップしてまた段の上に上がって、返しのパットが段差の下りでまたグリーンオーバーして、アプローチをトップして、返しをオーバーして、後ろを見たら3組ぐらいがグリーン待ちで溜まってしまって、見かねた支配人が飛んできて「スダチやるけん帰ってくれ」言われるぐらい難しいパットだ。

 しかし、ポーラは2オンに行ったのである。アゲンストを意識してなのか、予定外だったのか、球はかなり低く出た。そいつがワンバウンドしてグリーンに飛び込み、かなりの勢いで転がってグリーン右奥に2オンした…。

 普通はロングホールで2オンしたら「!」をつけるのだが、今回はビックリマークをつけている場合でないことは、先の松村のパットで十分おわかりのことと思う(パットしてないけど)。

 ここから松村でなくてポーラ・クリーマーが、
(1)1パットでイーグル
(2)2パットでバーディー
(3)3パットでパー
(4)4パットでボギー
の4択アンケートを採ったら、10人中(3)が7人、(2)が2人、(4)が1人、そして(1)はゼロであろう。

 一方、3打目勝負のムニョスは予定通り、数mに3オンしてきた。これでイーグルはなくなったが、ここからムニョスがバーディーを取る確率は50%くらい。パーの確率も50%くらい。ボギーを叩く確率はほぼゼロだと思われる。

 すると、ポーラは25mはあろうかという、しかも下りの順目で速いという、しかも途中の段差のところでほぼ直角に曲がって落ちてくるという悪魔のようなラインのファーストパットを何としてもピンに寄せ、うまく行けばバーディー、最低限でもパーを取ってムニョスのパットを待つしかない。

 そして、厳しい状況に追い込まれたポーラの打ったパットは、ピンに向かって大きく右に出て、尾根に達して90度近く左に曲がりながら傾斜を下り始めた。

 球足が速いぞ! カップ方向に向かってはいるが、速い! 速いぞ! これはカップをすり抜けて5m以上オーバーする! 万事休すか! と思った瞬間、球はカップのど真ん中から、カップの奥の壁にゴン! と当たって入りました。

 家内とテレビを見てて、二人揃って声を挙げました。あんな劇的なパットは、ここ10年以上見た記憶がありません。カップインした瞬間、ポーラ・クリーマーが飛び上がってグリーンを走りました。それを見て「グリーンの上を走ったらいかん」とツッコミましたが、そんなことは勘弁してやってください。あんまりすごかったので、夜中の3時になってこんなの書いてる。何てこった。もう、推敲もせずにアップして寝るぞ。
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