2014年06月の日記 |
2014年6月25日(水)
宣言通り、月曜日に3時間くらいumieに籠もって、書き直し原稿を1本完了した。かつて愛用していた隅っこのちっちゃい一人掛けテーブルがなくなって、しばらく「原稿を書く席」が迷走していたのだが、4人掛けの丸テーブルが広さも高さも室内の位置的にもなかなかいい感じであることが判明して、今のところ、私の「原稿が進む場所ランキング」第1位はここです。
そこで一気に、月曜日の夜と火曜日の授業や会合の合間を縫って、脅威のスピードで残り3本のうちの2本のテープ起こしも終えた。このペースで行くと、7月中旬には一瞬だが、ここ10年来一日たりともなかった「重い原稿の“残”ゼロ」が達成されるのではないか! という好調な週のスタートだったのだが、本日朝、研究室に着いたら、ドアの表にくっつけてあったお気に入りのマグネット(メモ等を挟む用)が消えていました。
7年前にラスベガスに行った時、ウィンラスベガスからストラトスフィアに向かう途中のチープなスーベニアショップで見つけた、ブルークリスタル風(プラスチックだけど)のサイコロ型のマグネット。一辺3センチの角を取った立方体で、めちゃめちゃお気に入りだったのだが、誰かに盗られたみたいだ。
1000円もしないマグネットだけど、やっぱ、お気に入りを盗まれるとヘコむなあ。まあ、奥まったところにある研究室とはいえ、いつもドアの表にくっつけてるから無防備ではあるし、無防備ということは、盗られるリスクは私がわかってて負っているのだが、盗るかあ。
そんなに欲しかったのなら、「一目見てこのマグネットが欲しくて欲しくてたまらなくなりました。こんなに僕の心を捉えたマグネットは初めてです。僕は人生に希望を見出せない毎日を送っていますが、このマグネットがあれば、必ず立ち直れます…」とかいう熱い手紙でも書いて挟んでおいてくれたら、こっちもその手紙を読んで、目頭を熱くしながら「やらん」って言うてやるのに(笑)。
それにしても、今さら私が言うまでもないのですが、人として、というか世界には自分の利益しか考えない国民の方が圧倒的に多いらしいから「日本人として」、基本的な躾ができていない人が、ほんまに増えて来ていますね。今日の昼、中村でうどん食ってたら、子供連れの若い夫婦がうどんを2つ持って客席に入ってきて、テーブルにうどんを置いてそのまま水を汲みに行ったのだが、見ると、うどん2つとも、うどんに箸を突き立てて置いていた。あの若い夫婦の親は、何を躾けてきたんですかねえ。
みたいなちっちゃいことが立て続けにあったけど、気を取り直して今日の夕方、3本目のテープ起こしも一気に終えて、アップタウンにまで行ってきました。メンタルというのは誰しも波があるけど、今はまあいい波。人は周りからのいろんな誤解や悪意やプレッシャーなんかに囚われてメンタルを乱すものだけど、自分をしっかり作って行けば(「探しに行く」んじゃなくて「作って行く」方がいいと思いますけど・笑)波も小さくなる。さ、やるべき仕事をやろう。
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2014年6月22日(日)
タウン情報誌の社長をやっていた頃、あの伝説の投稿企画「笑いの文化人講座」で投稿作品が掲載された読者(「文化人」と呼ばれていた)に「文化人ステッカー」を進呈していたのである。文化人ステッカーは数年に一度のペースでデザインを刷新していて、ステッカーを獲得するために必死で投稿していた分別のついていない「文化人」たち(笑)の多くは、本誌に「新ステッカー制作中」のアナウンスが掲載されると、ワクワクしながら投稿に一層力が入っていたという、そんなある年のある号のこと。「新文化人ステッカー制作開始!」の記事を作成した三代目編集長の笹木(仮名)が、あろうことか、「ステッカー」の文字を大きく「スッテカー」と誤植して掲載してしまったのである。
本誌発売後、「『ステッカー』が『スッテカー』になっている!」というツッコミが読者から嵐のように寄せられたのを見て、笹木が「社長、どうしましょう」と泣きついてきた。そこで小考ののち、私は前代未聞の解決策をひねり出したのである。
田尾「『文化人スッテカー』を作れ」 笹木「へ?」 田尾「『ステッカー』でなくて『スッテカー』を作って、“あれは誤植ではない”と言い張るんじゃ」 笹木「でも、『スッテカー』って、どんなものを作ったらいいのか誰もわかりませんよ」 田尾「誰も知らんのやから、何を作っても“これが『スッテカー』だ”と言い張れる」
まあそんなやりとりが読者にも大笑いで受け入れられる、「文化人講座」とはそんなコミュニティだったのである。
という前振りをしておいてと。昨日の日記で「前編集長」と書くところを「全編集長」と誤植していることを発見した“鬼のような校正をするおじさん”から、「ところで、インタレストは編集長の上に「全」編集長がいるんですね。更に「超編集長」もいたりして。ええ、ええ、嫌なおっさんです。どはははは。」というメールが来たので、ここに宣言しておく。
河井、昨日からきみを『全編集長』に任命する。
どこまで開き直るんや(笑)。
というわけで、今日(月曜日)は早朝から全米女子オープンでミシェル・ウィーが初メジャータイトルを手にするという快哉を生中継で見ることができて、重い書き直し原稿を「絶対今日中に上げるぞ!」という気合いが入った午前7時55分です。日曜日の日記だけど、私基準で編集者の「今日中」は「明日の朝8時まで」と同義だからセーフ。
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2014年6月21日(土)
刺されたらいかんので、もうサッカーのことは知っている人に任せて、触れるのはやめとこう(笑)。
今日は大学のオープンキャンパス。私の担当は午前11時半頃からだけど、もう1週間以上苦しんでいる重い原稿(テープ起こし2万字くらいのやつを1万〜1万5000字くらいに構築する)を抱えているので、朝7時半頃研究室に入って仕事を始めた。けど、3時間くらいパソコンに向かって頑張っても頭の中でロジックツリーが堂々巡りして、超強力な便秘を押し出そうとしているくらい原稿が動かない(すみません、さわやかな例えが浮かばなかったもので)。ほんま、歳とともに頭が鈍ってきたのを実感するわ。
で、そのままパソコンを持って、11時過ぎに所定の会場に入って待機をしていた。
ここは四国学院大学の「メジャー(専攻)」を紹介する会場で、広いフロアに、文学、哲学、歴史学・地理学、英語、平和学、学校教育、社会福祉学、心理学・カウンセリング、地域社会と福祉実践、こころとからだの福祉、子ども福祉、スクールソーシャルワーク、社会学、メディア&サブカルチャー研究、観光学、身体表現と舞台芸術マネジメント、国際文化マネジメント、情報加工学、ベースボール科学、健康・スポーツ科学というメジャー(専攻)とマイナー(副専攻)のブースが並んでいて、オープンキャンパスに来た高校生や親御さんが興味のあるブースに来ていろいろ相談したり情報提供を受けるという段取りになっている。
その中の「情報加工学」が私の担当メジャーなのであるが、まあご覧の通り、他のメジャーは名称を見ただけで何となく何をするのか想像がつくのだが、情報加工学だけは名称を見ても今ひとつピンと来ない。だから、いつもオープンキャンパスでは人気がないの(笑)。
時々、案内係の職員や学生が、どこへ行こうか迷っているような高校生に「あそこ、おもしろいよ」とか言って連れてきたり、あと、親御さんの方が私のことを知っていて子供(高校生)と一緒に来たり、そこいら中を回っている高校生がついでに来たりするくらいである。たまに「インタレストがおもしろいので」とか言ってやってくる高校生もいないではないが、まあそんな子はほとんどいない。全編集長の河井とか現副編集長の五百蔵とかは「インタレストをやりたいと思って四国学院に入学してきた」らしいが、まあ、あいつらは稀な人材である。
何せ、高校の先生でも、私のやっていることを理解してくれている先生は四国中でまだ2人しか確認できていないので(笑)、たぶん生徒にあまりお勧めされてないんでしょうね。けど、入学してきた1年生は、1年次はいろんな授業を受けて、2年からメジャーを専攻するというシステムになっているのだが、情報加工学メジャーはオープンキャンパスではあまり人気がないけど、2年で情報加工学を専攻してくる学生の数は、上記20種類あるメジャー・マイナーの中で、スポーツ系を除くとダントツらしい(野球とサッカーで入学してくる学生が多いので)。まあ、学生内で「田尾さんの授業、楽勝」とかいう間違った情報が回ってるのかもしれんが(笑)。
などと呑気に書いている場合ではなくなりました。1週間以上も苦しんでいた原稿について、今日になって「最初に構成したロジックツリーが、どうもうまくないのではないか?」という結論に達して、ひえ〜、一から書き直しじゃ!
そういうわけで、なんかうまいものを食べて気合いを入れ直そうと思って、午後6時半頃、夫婦で割烹「遊」に行きました。カウンターに座ったら、奥の部屋が満員になっていて、女将さんも板さんも大忙し状態になっている。
田尾「めちゃめちゃ忙しそうやなあ」 女将「20人くらいのグループで讃岐うどん巡りに来たんやって。東京とかあちこちから来とるらしいで。今日はがもうと山越とどっかに行って来た言いよった」
うどん巡りの夜に「遊」か。ここは地場産の野菜や魚が揃ってるから、ええ感じの讃岐三昧を体験できてる気がします。皆さん、お気を付けて楽しんで帰ってください。私は、気付け薬でも飲んで原稿書きます(笑)。
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2014年6月20日(金) 授業で使っている教室のAV機器の一つが壊れて「おそらくもう直らない」というので、授業計画の一部を作り直ししないといけないという大惨事に見舞われている。その対応策に追われていることもあって、今日は朝5時半頃大学に行って、研究室で授業準備をしていたのである。今日の1本目の授業は午前11時10分からなので、まあ今日の分の時間は十分ある。
というわけで、いつものようにインスタントコーヒーの王者「ハマヤ・ブルーマウンテンno.1」を飲みながら、今日は朝からリズム感を高めるためにローズマリー・クルーニーの『カモナマイハウス』のチャカポコしたサウンドをかけながら、2時間ぐらい頑張って仕事をしていたら、午前8時を回りました。そこで、ちょっとその辺に軽い朝食でもと食べ行くか…と思ったわけです。
ここで世間様から「またサッカーの日本戦、見とらんやないか!」という非難の嵐が来るのだろうが、まあ待ちなさい(笑)。私はちゃんと、この時点で今朝は何やら大事なサッカーの試合があることに気付いたのだ(遅いのか)。
しかし、研究室にテレビなんか置いてないし、スマホも持ってないし、パソコンでもサッカーの生中継の見方なんか全然わからないから(見られるのかどうかも知らない)どうにもならない。ま、どうにかしようとも思ってなかったんですけど(笑)。ところが、そこで妙案を思いついたのです。
「宮川へうどん食いに行こう」。
宮川は大学から車で5分足らず。この時間はもう開いているし、今日は定休日でないことはH谷川君に確認しなくとも断言できる。しかも、宮川にはちゃんと客席に向いたテレビがある。朝食と、サッカーを見たというアリバイ、一石二鳥だ(笑)。私は勇んで宮川に出かけた。
午前8時30分頃、宮川に行くと、もうお客さんが4人もいました。こんな田舎の製麺屋でも、サッカーがあるとなるとテレビのあるうどん屋に集まってくるのか! 恐るべし、ワールドカップ! と思ってテレビを見たら、『キムチ』とかいう韓国ドラマがかかっていました(笑)。しかも、誰もテレビ見てませんし。
いつものように、朝からかけ大とちくわ天と半熟卵天を食べていると、奥さんが話しかけてきました。
奥「こないだの5000円のお接待の話なあ」 田「うん」 奥「続編があったんよ」 田「何ですか」
「5000円のお接待」の話は、先週金曜日の朝にここでうどん食いながら奥さんから聞かされたのだが、概ねこういう内容だ。
宮川は四国霊場八十八カ所第75番札所・総本山善通寺のすぐ近くにあるため、お遍路さんがよくうどんを食べに来るのだが、数年前のある日、大阪から巡礼に来たというおっちゃんが宮川でうどんを食べて、300円かそこらのお勘定に千円札を出して、「おつりはいいですから、どなたか巡礼をしてここに来たお遍路さんにお接待してあげてください」と言って帰られたそうだ。
それで奥さんはそのおっちゃんのご厚意をありがたくいただいて、その後に巡礼の途中で店に来てくれたお客さんに「こうこうこういうわけで大阪のおっちゃんがお金を置いて行ったから、ここからもろとくからお代はいらんで」と言って、2〜3人に大阪のおっちゃんのおつりでお接待をした。それで、おっちゃんのお釣り分のお接待は無事に完了した。
すると、1年くらいして、再び大阪のおっちゃんが宮川に来て、今度は自分の食べたお代の上に1000円を置いて、また「これで巡礼のお客さんにお接待してあげてください」と言って帰った。それから半年くらいしてまたおっちゃんがやってきて、今度は2000円置いて帰った。そして数カ月前、またやってきた大阪のおっちゃんが今度は5000円を置いて帰ったと。
お勘定場の壁を見ると、そこには、その5000円からお接待した金額を引いていって残がいくらあるかのメモが貼られていました。というのが先週の話であったが、この1週間の間に、その続編が起こったというのである。
奥「そしたらついこないだ、東京から歩き遍路に来たいう若い兄ちゃんが食べに来たんよ。20代かなあ、30ぐらいかもしらんけど。ほんでな、お勘定言うから、『あの大阪のおっちゃんの5000円からのお接待やから、お代はいらんで』言うたら、その兄ちゃんが『いや、自分で払います』言うて」 田「遠慮したんかな」 奥「それがな、その子が言うには『自分は一人で歩いて巡礼すると決めて回っているから、お接待を受けないことにしている』んだって。そう言われたらなあ、その子の信念やから無理強いしてもいかんから、お金もろたんよ」 田「まあ、しょうがないわなあ」 奥「ほんだら、その子が次の日にまた来たんよ。ほんで、うどん食べて、今度はあの大阪のおっちゃんの5000円のお接待を受ける言うた。どしたんかわかる?」 田「お金がなくなった?(笑)」 奥「そう思うやろ。ここからがええ話なんよ。ええ話かどうかわからんけど。その子があの後、次のお寺に行くのに道を歩いてたら、車で通りかかった知らんおっちゃんに、初老のおっちゃんって言いよったからおじいさんかもわからんな、その初老のおっちゃんに『どこまで行くんや?』って声をかけられて、行き先を言うたら、そのおっちゃんに『乗っていくか?』って言われた」 田「まあ親切なおっちゃんやな。けどその子、断ったんやろ?」 奥「うん。うちで言うてたのと同じように、『接待は受けずに回っているから』言うて断った。そしたら、そのおっちゃんが何て言うたと思う? 『私はあなたをお接待するんでない。お大師さんをお接待したいんや』って言うたんやって」 田「うわー! そんなことが言えるおっちゃんがおるんや!」
八十八カ所巡礼をする方々には常識だろうけど、四国巡礼は「同行二人(どうぎょうににん)」といって、「巡礼者にはいつもお大師さん(空海=弘法大師)が一緒について回ってくれているから、一人で歩いていても常にお大師さんと二人だ」というふうに伝えられているわけです。もちろん、その歩き遍路の青年も、「車に乗っていくか?」と声をかけたおっちゃんも、当然それを知っているわけです。
奥「ほんでな、その子が言うには、『その一言を聞いて、自分は目から鱗が落ちたと。今まで自分は四国八十八箇所巡礼の意味を全く取り違えていた』と。それで一晩考えて、あの大阪のおっちゃんのお接待を受けに(宮川に)帰って来たんだって」 田「ほー!」
いや、いろいろ考えてみると、この話には四国巡礼の「お接待」の心について、いろんな要素が含まれていますねえ。5000円の大阪のおっちゃんは「巡礼者をお接待する」という心から出た行為だろうと思われるし、車のおっちゃんは「巡礼者でなくお大師さんに対するお接待」という心から出た行為のように見えるし、巡礼者をお接待しようと申し出たら断られたので腹いせに「お前でないわ、お大師さんじゃ」と屁理屈をカマしたのかもしれんし(笑)。
でも、高野山では今でも毎日お大師さんに朝食を持って行っているそうだから、「お大師さんへのお接待」という心の持ちようはちょっと大切にしたいと、私も初めて知って思わされました。ちなみに、八十八カ所巡礼の深い思想はよくわからないけど、とりあえず宮川の奥さんが最後に言った一言には、激しく賛同しておきます。
奥「けどな、『お接待』と『おもてなし』は全然違うからな。そんなもんと『讃岐のお接待』を一緒にされたら困るで」
いやー、朝から刺激的なええ話を聞いた、と思って研究室に帰ってパソコンを開けたら、ニュースサイトで日本が引き分けていました(笑)。すんません、私の後ろにいる同行二人のお大師さんがちゃんとテレビ見てたということにしといて(笑)。
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2014年6月18日(水)
再生可能エネルギーの電気料金上乗せ額が、えらいことになってきているようである。新聞によると、上乗せ額の推移は、 (2012年度)1971億円 (2013年度)3586億円 (2014年度)6520億円(見通し) だって。
説明するまでもないけど、「上乗せ額」というのは要するにメガソーラー業者や家庭で太陽光発電を売電している人たちが電力会社に売った電気料金(今、1kwhあたり32円)の総額で、それはそのまま電気料金の上乗せとなって個人や事業所の電気料金の負担増になるのだが、その総額がたった2年で3.3倍に跳ね上がっているという数字である。
どこまで行くんだ。
6520億円を1kwhあたり32円で割ると、アバウト200億kwhである。日本の年間総電力消費量がアバウト1兆kwhだから、200億kwhはその約2%である。「原発分を再生可能エネルギーで代替すべきだ」という話で計算すると、震災前の原発は総電力消費量の30%を超えていたから、再生可能エネルギーは今の15倍以上まで伸ばそうというつもりなんだろうか。
すると、今の買い取り制度のまま再生可能エネルギー比率が30%になったら、電気代の上乗せ額(国民の負担増)が毎年「10兆円(!)」になりますよ。まあ、そうなったら日本のほとんどの産業(特に電気をたくさん使う産業)が死んだようになるだろうけど(ならないという人は、それでどうやってビジネスを成立させるのか計算して教えてください)、5%になっただけでも年間1.5兆円、10%になったら年間3兆円が電気代で吹っ飛んでいくことになる。
その私ら個人や企業から吹っ飛んでいくお金は、メガソーラー会社と太陽光発電で売電している人たちのところに入って行くわけです。それも、私ら個人や企業は欲しくてそんな高い電気を買っているわけではなくて、今までと同じだけ、いや、今までより節電して我慢しているのに、否応なしに上乗せでメガソーラー会社等にお金を払わされていることになる。何でそんな目に遭わないといけないのか?
答は簡単。再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度を作ったからですよ。だから、私はあの制度ができてからずっと、「太陽光発電はクリーンで安全だから、自分で使う電気を太陽光発電に転換するのは大賛成だけど、買い取り制度に乗っかった売電はやめろ」と主張しているのです。あれは、私ら国民から無理やりお金を奪っているに等しいからです。
もし太陽光発電で作った電力を売るのなら、自分たちで価格を設定して、個人宅や工場や事業所に「高い電気ですけど、こういう意義があるのでぜひ買ってください」と言って営業に行って、「いる」という人がいれば売る、「いらない」という人には売らない、という健全なビジネスをするべきだと思うのですが。
百歩譲って「再生可能エネルギーの拡大はビジネスではない。国として進むべき国策だ」というのなら、あの「上乗せ額」は「電気料金」ではなくて「税金」みたいなものでしょう。すると、何で特定の民間業者(メガソーラー会社)と個人(売電者)だけが税金を着服するの? とにかく、あの制度は、シンプルなビジネスの原理原則から言えば、どう考えても「屁理屈を付けないと説明できない」という制度だと思います…という日記を今、「4日連続更新するぞ」というだけの目的で書きました(笑)。
今日はインタレストの編集会議と、その後、第2回「インタレストの就職内定者などを対象としたプチ・マーケティング講座」を行いました。講座名に「など」を付けたのは、内定していない学生とか3年生も一緒に聞いていたからです(笑)。
みんな、内定してもなるべく弛むなよ。大学生は就職が決まったら入社するまでの間に弛んでいくやつが断然多いけど、例えば、プロテストに合格したプロゴルファーに、「来年の開幕戦まで自由だー! 思いっきり遊ぼう!」などというやつはおらんだろ? すぐに稼がないといけないプロスポーツ選手と、入社してからだんだん成長すればいい会社人とは全く同じではないだろうけど、これからビジネスのプロになるんだから、まあ心構えは同じようなもんだと思っておいて損はないから。
あ、昨日、就職1年目の元インタレスト名物編集長O西が「銘菓観音寺」を持って研究室にやってきました。1ヵ月ほど前、O西の会社の上司の方がうちの大学に来て、就職担当の職員に「素晴らしい人材を送り込んでいただいてありがとうございます」言うて帰られた、という話を職員から聞いたが、社交辞令を割り引いてもうれしい限りです。O西によると、十河もタケちゃんも元気で頑張っているみたいです。
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2014年6月17日(火)
今日は授業2本と来客2名と学生への企画指導が一つ一つなかなか充実していて、自分なりのアウトプットをしっかり出せたという充実感があって、割といい感じの1日でした。
そのうちの一つ、2コマ目の授業の「文章表現論」は、こないだの日曜日に必死で整理した学生数十人分の原稿は(出してないやつと原稿のレベルに達してないやつのを引いて、約70人分)、何とか授業に間に合いました。
この授業は、去年まではパソコンが40台くらい並んだ教室でワークショップ形式を取り入れながらやっていたのだが、今年は履修者が例年の2倍以上もいて、パソコンの揃った教室に入りきらないため、パソコンのない一般教室でやらざるを得ないという大惨事になっているのである。そこで仕方なく、全15回の授業のうち前半7回を使って「商業文章の基本的手法」のレクチャーをすることにした。
あ、私の「文章表現論」は、いわゆる「作文能力」や論文作成能力」ではなく、ビジネスやマーケティングに直結する情報発信手段という意味での「商業文章」を教えています。
例えば、「その文章によって、誰を、どうしたいのか?」という「目的の設定」から始まって、その「目的」を達成するために最も有効だと思われる要素を並べて優先順位をつけてシンプルなロジックツリーに構成する。これが基本。しかるのち、文章の全体のリズムをとる手法、いろんな表記ルール、言い回しのパターン、いきいきとした会話文の作り方(笑)…等々のテクニックの解説に入っていって「レクチャーの部」を終了。
で、先々週から後半の「練習の部」に入って、共通テーマを出して全員にとりあえず1本目の文章を書かせてみたのである。本当なら向上心のある少人数だけに対してプロを養成するぐらいの授業をやりたいところなのであるが、大人数の一般授業なのでとてもそれはできない相談なのだ(とりあえず「本気でやりたいやつは授業時間以外で特別レッスンしてやるぞ」ということにしてある)。
さて、1本目の原稿の条件は、「見出し15〜20文字、本文20字×20行」。そして、テーマは、「私が今している腕時計、『オメガ・シーマスター・007カジノロワイヤル限定モデル』を紹介する文章を書け」(笑)である。
書く文章の目的は、 (1)この時計を知ってもらいたい。 (2)この時計を買ってもらいたい。 のどちらでもよい。ターゲットは、「マニア」ではなく一般的な「ファン」という設定で書くこと。
まず、先々週の授業の終わりに私が「オメガ・007モデル」の誕生の経緯と魅力の全てを熱く語り(笑)、その後、学生から質問を受けた。要するに記者会見ですな(笑)。あと、「時計の機能等の基礎情報が必要なら、ネット等でデータを引っ張って来い」と。そして、原稿の提出は次週のこの授業までにテキストデータで私にメールで送ってくるか、次週の授業時にフラッシュメモリで提出するかのどちらか、ということで、その日はとりあえず解散した。
その原稿が、先週の水曜日までに70本くらい提出されてきて、それをこないだの日曜日に整理をしていたのである。
次の授業で、教室のスクリーンに一人ずつ原稿を映して、その場で私がちょっと原稿をいじりながら解説をする。その解説を聞きながら、それぞれもう一回自分の原稿を修正して再提出するという計画である。
スクリーンに1人ずつの原稿を映していくとなると、1画面に1人の原稿全体が一辺に入るような形に整理しないといけない。そうしないと、原稿の全体構成が一覧しにくくなる。しかし、あまり小さい文字だと後ろの方の学生に見えにくくなる。原稿は見出し1行と本文20字×20行だけど、スクリーンは横位置なので全体を入れようとすると「縦書き」で見せないと文字を最大限に入れられない。
そこで、第1段階の作業は、全員から出されたいろんな書式の原稿を全部、縦書きにして、ポイント数も書体も統一して、パワーポイントの1画面に1人分ずつ、入れ直すことになった。これが、何か相性の悪いデータがいっぱいあって、かなり手こずった。
続いて第2段階は、全部の原稿を読んで、原稿レベルで5段階くらいに分類し、さらによく似た修正テーマを含む原稿を並べてみたりしながら、授業当日にいじっていく原稿の順番を決めて、パワーポイント作成を終了した。
それで昨日の授業。
田尾「今から一人ずつ、ここでスクリーンに原稿を映して、修正ポイントを解説していくぞ。今日中に絶対全員分は終わらんから、他人の原稿の解説の時にはポイントを聞いて考えよれ。授業2回か3回で全部解説するからな」 学生「うわー、自分の原稿がみんなに晒されるんや!」 田尾「そういう意見がこないだちょっと聞こえてきたから、原稿を書いた人の名前は伏せ字にして整理してきた。ほんまに、何という心配りや。ほな、1人目から行くぞ。K山の原稿(スクリーンに文章と「K山」の文字が出る)」 学生「ほとんど丸わかりじゃないですか!」
私が「丸わかり伏せ字」のパイオニアであることを、みんなもう知らない世代になってるようだ(笑)。
田尾「この原稿はオーソドックスなロジックツリーがきちんとできているが、ちょっと揺らいでいる部分がある。原稿を段落ごとに分けていくぞ」
パソコンでK山の原稿をいじって、段落ごとに1行ずつ開けていく。その様子は、当然スクリーンに映っている。
田尾「最初のブロックは、導入で007カジノロワイヤルとオメガのコラボの説明。次のブロックは、007ファンにとっての魅力のパーツの説明。次のブロックは時計自体の機能の説明。で、最後のブロックが読者への呼びかけ。オーソドックスなロジックツリーができてるね。ただし、この3番目のブロックのこの1行。これ、第2ブロックと関わる内容だろ? オーソドックスで行くのなら、この1文は第2ブロックの中に入れて文章を作り直せ」
みたいな解説を矢継ぎ早にしゃべりながら、スクリーンに映った原稿をその場でいろいろいじっていく。事前にランク付けのために下読みはしてあるが、ほぼ全部、その場の出たとこ勝負のライブの解説である。
田尾「次、長Oの原稿」 学生「長尾やん(笑)」 田尾「長岡かもわからんやないか。(解説を挟んで)次、宮T」 学生「宮田、お前のやろ(笑)」 田尾「次は佐T」
以下、O西、松Zと続いてみんなが少々慣れ始めたところで、
田尾「次、S」 学生「何でそれだけSなんですか。他の全部丸わかりやのに」 田尾「これ、関やからSに一文字付けられんのや」 学生「あー! フル名字言うてしもた!(笑)」
わーわー言うておりますおなじみのバカ話ですが(笑)、ま、そんな感じで90分を終えました。授業後に数人から「自分の原稿の修正ポイントをもうちょっと詳しく教えてください」という申し出があって、対応していたらまた昼飯を食う時間がなくなった。蒟蒻畑2コで、次の授業に突入しました。
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2014年6月16日(月)
私の校正能力は節穴なので、この日記にも誤字脱字とか表現の間違いが当然あったりするわけで、そういうのが発見されると、私のメールアドレスを知っているたぶん100人くらいの人たちの中でも特に私を心配してくれる数人から、「訂正せよ」というありがたいツッコミが入ったりするわけです。
が、しかし、滅多にメールなんかしてこない某氏から今日、昨日の日記の内容について思いも寄らぬ指摘を受けて、いやー、勉強になりました。まあ半分(笑)付きの指摘ではありましたが、何と、昨日の日記の「昨日から今朝にかけて、訳あって徹夜してしまったので、さっき起きたらもう昼だ(笑)」という1行に引っかかったというのである。
彼曰く、あの1行で、(A)私がワールドカップの日本戦を見てなかったということが判明するとのこと。しかも、(B)何やら全国ネットのニュースワイドの番組で「ワールドカップの日本戦を見ないやつはどうかしてる」みたいな話になってたらしくて、よって(A)と(B)から、(C)「私はどうかしてる」という解が導き出されることになると(笑)。
ひえ〜、すんません、私は愛国者なので勘弁してください…って、誰に謝ればいいのかよくわからんけど。あと、何を謝っとかないかんのかさえよくわからんので、とりあえず、すんません、AKBの選挙とかも行ってません。スマホ、持ってません。ミクシィとかツイッターとかフェイスブックもやってません。「あまちゃん」とかいうのも見てません。え? そんなのもう古いんですか? 申し訳ございません。あと、何があるのかよくわかりませんが…あ、ふなっしーは知ってます。
というか、もうええ歳だから、最近の価値観について行けんものがいっぱいあるのは勘弁してください。人生、残りそんなに多くないので、他にやりたいこととか、やらないかんことがあるんです…とかいう言い訳をするのも火に油を注ぐことになるのか?(笑)
それにしてもしかし、ここ10数年、私の周りで、私のライフスタイルや考え方がどんどん否定されていく感がありますねえ。まあ、ライフスタイルについては否定されても別に自分の生き方だから、気にせず続けるなりその場から退場するなり、自分の意志で動けばいいだけだけど(あ、先日、長年にわたって参加していた食事歓談会みたいなのを、会場の店が全面禁煙になったので、退会しました・笑)、「考え方」については「おいそれと退場できない」という場面があって、少々憂鬱になることが近年増えて来ているわけです。
特に、一番大きいのが「ビジネス的な考え方」が、おいそれと退場できない「日本」や「香川県」や「職場」で否定される時である。
行政だろうが教育現場であろうが、現場はともかく、マネジメントにおいては本体が破綻したのでは元も子もない。ということは、結局そこにはビジネスの原理原則が絶対に働くわけで、ということはビジネスの原理原則を戦略に落とし込むことが絶対に必要になると思うんだけど、それを言うと必ず「行政にビジネスの原理を持ち込むのはよくない」「教育(大学)にビジネスの原理を持ち込むのはいかがなものか」という反論が返ってくるのである。
ところが、それなら「本体がたとえ破綻しても、信念を貫き通す」と言うのなら百歩譲って整合性はとれるが、実際はそう言いながら、同じ口で「経費を削減しなければならない」「地域を活性化させなければいけない」等々と言うのである。経費削減も地域活性化(利益確保、本体維持)も、ムダを省き、自分の商品やサービスの質を高め、市場と競合の動向を分析しながら成果を上げていこうとするのだから、その手法は基本的にビジネスの手法と同じだと思うのですが。
とりあえず、もうちょっとだけ抵抗してみようとは思うのだが、だんだん「もういいです。好きなようにやってください」という気持ちが自分の中で大きくなってきているのが自分でわかるのである。かといって、あきらめて一緒に沈んでいくのも嫌だし、どうするかなあ、退場して別のフィールドでもうひと頑張りするという選択肢もあるけど…みたいなこともちょっと頭をもたげたりする、夜中のひとときでした(笑)。さ、明日も授業は頑張ろう。
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2014年6月15日(日)
開いても何とか1週間、という目安を一応持ってはいたのであるが、10日も開いてしまいました。
だいたい、何かでずーっと踏ん張っていてものが「切れる」と、今度はそれが自分の中の基準になって、例えばこの日記であれば今度また1週間近く開いた時に「前に10日開いたこともあるから、まあ何とか10日以内に更新しよう」みたいになるのがテキトーな人間の性(さが)である。
実際、これまでも「かなり毎日」と言って始めておきながら、いつの間にか「開いても何とか1週間」と自分の中で基準が甘くなっていたのに今気がついたので、今回10日開いたことを機に、私は「人間の性」に抵抗して「今日から開いても5日間」と自己基準を厳しくすることを決意したのである。はあ〜、いらんことを決意した気がする(笑)。
今日の仕事は、急ぐ順に、 (1)「文章表現論」で先週出した課題の文章、1人400字くらい×約90人分の原稿を添削する(来週火曜日の授業で使う)。 (2)先週から始めた「インタレストメンバーの就職内定が決まった学生を対象にした就職前ビジネス&マーケティング講座」の第2回のプログラムを作る(来週水曜日のインタレスト編集会議後に開催)。 (3)卒業研究指導の7月分日程を、私が指導担当している約30人と調整するため準備を整える(来週中に調整完了予定)。 (4)貯まりに貯まった授業7本分の出席カード5週分、述べ2500枚くらいをパソコンの出席管理表に全部付ける(まあ、なるべく早く)。 の4本立ての計画であるが、昨日から今朝にかけて、訳あって徹夜してしまったので、さっき起きたらもう昼だ(笑)。
とりあえず、今日中に何とか(2)までは終わらせないと(私の「今日中」は「明日の朝8時まで」と同義)。何しろ、別に抱えている「インタレストの単行本化の編集」と「まだ発表できない大型プロジェクトの準備」と「いつもの重い原稿」が止まったままなの。
さて、そういうわけで先週のインタレスト編集会議の後、別の会議を1本挟んで夕方4時半頃から約1時間半、イナゴ軍団の4年生の就職先が内定したやつを対象に「第1回プチ・マーケティング講座」を開催しました。といっても編集室でホワイトボードを使って立ち話みたいなのをしただけだけど。
実はこれ、何年も前からやりたいと思っていたのであるが、今まで躊躇していた理由は、 (1)学生がそんなものを望んでないかもしれないこと。私は「就職試験に受かるためのサポート」よりは「仕事に就いてからのためのサポート」の方が学生の人生の役に立つと思っているのだが、まあ、就職が内定してから卒業するまでの学生生活を「大きな解放感」を持って過ごしたいという学生が多いだろうから、私が無理強いしてもなあ…という気持ちがちょっとありまして。 (2)私の持っているビジネスやマーケティングのノウハウが、彼らのこれから行くビジネスに通用するのかどうか…という懸念。ビジネスは時代と共にどんどん変わっているから、私の手法が陳腐なものになっている恐れもあるし。 の2点である。
けど、まあ動いてみないと何も始まらないし、ちょっと打診してみたら2人の学生(私が匿名希望・笑)がえらい食いついてきたので、始めることにしました。第1回の講義(?)は、私の「マーケティング論」の授業のオリエンテーション部分の、2人用のカスタムメイドプログラム。
彼ら2人、授業の時より真剣に聞いておりました(笑)。加えて、編集室にいた他の学生もえらい聞いていたので、これは気をつけないと。白紙の状態で真剣に聞く真面目な学生というのは、何でも真に受けて疑いなく吸収するという習性があるから、特に真面目な学生に対しては、こないだ広島大学で発覚した「戦時中の兵士をメインターゲットにした売春業」の一方的解釈による授業みたいなのをやるわけにはいかん、と私個人は気をつけているからである。
たぶんどこの大学でも、「教授陣が学生に対して何を教えているか?」については「教授の自由」になっていると思うので、いかにビジネスの原理原則とはいえ、余計にバランス感覚を持って気をつけなくては、と思っているわけです…と、日々真面目にやっているアピールをしてみました(笑)。
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2014年6月5日(木)
昨日の日記を見て、「全身をアンテナにするのはわかったが、どうやって嗅ぎ取るのか? 嗅ぎ取った後、どうやって修正するのか?」という質問をしてきた人がいました(日記書いた当日やぞ)。まあ確かに、実際にやろうと思ってもやり方がわからなかったらできないけど、あれは私のやり方だから、みんなにいいかどうかわからんぞ。一応ちょっとだけ書いてみるけど。
やり方は、当然のことながら「人と人のこと」だから正解がないのだが、大きな戦略レベルでは何となく「こういう入り方が有効だろうなあ」というのが私なりにある。ただし、細かい戦術レベルの話になると、相手のパーソナリティによっても、教える(指導する)人のパーソナリティによっても全く変わってくるので、そこで一辺に正解がなくなる。
順番に行くと、まず私の「嗅ぎ取り方」の基本は、例えば雑談中でも会議中でも、誰かがしゃべっている時に、しゃべっている本人のことを観察するのではなく、しゃべっている者以外の学生の反応を観察することである。
ただし、しゃべっている学生の話を黙って聞きながら周りに目配りをしてはいけない。そんなことをすると、しゃべっている本人は「先生は私の話を全身で聞いていない」ということが敏感にわかるし、周りの学生は「先生が観察している」ということが敏感にわかって身構えるからである。とにかく、彼らの察知力を侮ってはいけない。
どうするかというと、まず、しゃべっている学生に全力で対面して、全身で意見を聞きにかかる。でも、この時もちょっとは周りを見ているけど(笑)、とにかく目線と体の向きはしゃべっている学生に全力で対面する。この時、私の意識は、「しゃべっているやつ:周りのやつ」=「9:1」ぐらい。
で、しかるのち、私が彼の発表に口を挟む。 学生「……とかいうのはどうですかね」 私「『どうですかね』はやめろ。まずお前はどう思う。行けると思うか、もう一つだと思うか」 学生「まあ、結構おもしろいんじゃないかと」 私「理由は?」
とか、たたみ込むように突っ込んでいったら、全力で向かっているように見えるでしょ? いや、実際、全力で向かっているのですが、実はこの時、私がしゃべっている瞬間の「対面している本人:周りの学生」の比率が「5:5」なの(笑)。黙っている時に観察せずに、しゃべっている時に観察する。なぜかというと、そういう「自分以外が話題の中心になっている」と思っている時の周りのやつが一番、何かの「芽」を見せる瞬間だからである。いや、断定したらいかんな。経験上、私はそう感じているのである。
えーと、ここから先は来週からの会議に支障が出たらいかんので、あんまり手の内を明かすのはやめとこ(笑)。
次、大きな戦略レベルの私の入り方。まず、「自分の話をちゃんと聞いてくれるような関係を作る」。ここが出発点である。授業だろうが何だろうが、学生が30人いたら、最初は「田尾先生の話はとりあえず前を向いて聞こう」と思っていない学生が10人はいる。その10人は、私が全体に向かって話をしていてもほぼ内容を理解しようとしていないし、「これをやれ」と命令しても動かないか、動いても魂の抜けた作業をしてくる。
だから、「田尾先生の話はとりあえず前を向いて聞こう」と思うようにするための「意識づけ」に全力を投入するわけである。そこができてないと、その後の指導プログラムが何をやってもほぼ無力になってしまう。何をやらせても、そいつはただ「やらせられている」としか思わないからである。
とにかく、私の指導の全ての出発点はそこにあるのだが、ここから先は来週からの会議に支障が出たらいかんので、あんまり手の内を明かすのはやめとこ(笑)。で、最後の先述レベルの話になると、一般的な答はなくなりますので言っても仕方がないのですが、とりあえず私のケースの一例。
戦略レベルになると、言葉遣い一つを取ってみても、自分のパーソナリティと相手のパーソナリティによって有効なやり方が全然変わってくる。例えば、 (1)「ここはF田さんの案で行きましょう」と言うのと、 (2)「ここはF田君の案で行きましょう」と言うのと、 (3)「ここはF田の案で行こう」と言うのと、 どれが一番いいかは、F田(架空の人物)のパーソナリティによってどれが有効かが変わってくるし、それを言う先生のパーソナリティによっても変わってくる。
私はたいてい(3)を使っているが、それはF田(架空の人物)がそういうパーソナリティであって、さらに私がF田にとってそういうパーソナリティとして認識されていると思っているので、(1)や(2)より(3)が有効だと思って使っているのである。ただし、F田と1対1ならほぼ100%(3)を使うが、大勢の中ではたまに(1)と(2)を使う。それは、別の意図がある時である。
何となくわかりますよね。いつも(3)を使っている私が突然(1)を使ったのを聞いたF田さん(笑)は、当然違う反応をします。「ここはF田の案で行こう」と言うと、F田は「よし」と思う。「ここはF田さんの案で行きましょう」と言うと、F田は「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ」と反応する(笑)。それを聞いて、周りがちょっと笑う。ちょっと笑うけど、ついでにちょっと考える…そういう効果を狙う時に(1)や(2)を使う…みたいな。
あんまり手の内を明かさんとこ(笑)。でも、繰り返しますが、こういうのは自分と相手のパーソナリティによって、あるいは組織の性質や環境によって、どの言い方がいいかが違ってくるわけですから、自分で相手と最適の関係性を作った上で、試行錯誤しながら自分なりの戦術を確立していくしかないと思います。この日記で時々、学生とのオバカなやり取りを再現していますが、あれはとりあえず「田尾のやり方」に過ぎないということで、まあ何かの参考になれば幸いですけど。
で、これだけ気を配って、これだけ考えて、これだけ試行錯誤をして、うまくいくのが半分か、3分の1くらい(笑)。はあ〜、めんどいなあ。
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2014年6月4日(水)
今朝、どこかが梅雨入りしたとかいう話を聞いて「5月に梅雨入りか」と言ったら「おっさんおっさん!」というツッコミが入って、気がつきました(笑)。いつの間に6月になったんだ! ほんまにまるで意識が飛んでいた。
そう言えば、タウン誌の編集をやっていた頃は、月刊誌だったから「月」の意識はいつもあった代わりに、土日も祝日もほとんど関係かったので「曜日」の感覚のない仕事をずっとしていた。それが今は「月」の感覚がなくなって、仕事は相変わらず土日も関係ないけど授業がないということで「曜日」の感覚だけはある、という日々である。
そういうわけで、毎週水曜日は『インタレスト』の編集会議(授業)である。3週ほど前から、新2年生13人を含めた西畑編集長体制になって、企画出しの産みの苦しみが始まっている。新2年生は、まだ勝手がわからない学生がたくさんいるが、まあぼちぼちこれからである。
学生は、単位だけ欲しいやつもいれば、向上心が出てきて頑張って考えようとするやつもいる。私は、会議を進めながら、みんなのバランス感覚を見ている。学生はほぼ全員、バランスが偏っている。大人も偏っている人がたくさんいるが(笑)、学生はまだ直るから、私は全身をアンテナにして見ている。
「全員、最低一つは企画を考えてこい」と課題を出すと、会議で自分の企画案の発表が終わったら、自分の役目は終わったと思っている学生がたくさんいる。彼らは、宿題をやって来て発表することが自分の仕事だと思っている。ここは編集部だ。編集部という組織の目的は、次号の『インタレスト』をおもしろい本にすることである。
その「組織の目的」をきちんと持っていれば、他者の企画案を他人事のように傍観できるはずがない。傍観する学生は、組織の一員でありながら、自分が所属する組織の目的が頭にない。バランス感覚以前に、バランスを取るべき「支点」がない。そこで、私はまず、丹念に彼らに「支点」を作ってやるという作業をやっている。
会議の席で、「対決姿勢」と「防御姿勢」の2択しか持っていない大人がたくさんいる。「対決姿勢」と「防御姿勢」からは、よりよい「解」は絶対に出て来ない。学生にはそうなって欲しくないので、第3の選択肢、「組織の目的を達成するためには、どうするのが最も有効か」という基準を持って考える姿勢を持つように、あの手この手で導いている。
『インタレスト』は授業だけど、私にとっては大人数の学生を相手にした講義ではなく30人くらいのチームだから、一人ひとりのパーソナリティが見えるので「技術的なバランス」だけでなく「人間的なバランス」まで気にかけている。大学は本来、高等学問や高等技術を取得する場であるから、「人間的なバランス」まで見てやる必要はないのだが、私は余計なお世話焼きだから、「編集部員」であるイナゴ軍団にはそこまで肩入れするのである。
まず最低限、犯罪者にはなってほしくない(笑)と思っている。だから、ちょっとでも犯罪者になる可能性がある「芽」というか、芽が出るかもしれない一瞬の兆候でも嗅ぎ取ると、それが取り越し苦労であっても気になって気になって、「あいつのああいう性格、振る舞い、ものの言い方、身のこなしをどうやったら直せるか…」と、何日も考えることがよくある。それで、次の日からちょっとずつ球を投げて見ては反応を探り、投げては探る。それでうまくいかなければ、別の球を投げるべく、また考える。
よく、社会で通り魔とか殺人とか強盗とか麻薬所持とか、はたまた窃盗、万引き、暴力行為、いじめから盗撮、痴漢まで、いろんな事件が起こるたびに、「わが子が被害に遭わないように気をつけよう」とかいう議論が起こるが、私ももちろんわが子やわがイナゴ軍団が被害に遭わないように願うけれど、それ以上にいつも「わが子が加害者にならないように」と強く思うのである。
本当に昔から、自分の子供が小さい時から、私は社会で事件が起こるたびに「うちの子が加害者になる可能性はないか? 加害者になる『芽』は出てないか?」と、全身をアンテナにして嗅ぎ取ろうとしていたのである。評論家は「こういう犯罪者を生んだ社会的背景は…」とか言っていればいいのだろうが、子供を持つ親の現実としては、「わが子が被害者にならないようにするにはどうすればいいか」と同じくらい、いや、それ以上に「わが子が加害者にならないようにするにはどうすればいいか」に全力を尽くす方が大事だと思っていたからである。
幸い、今のところF田は大丈夫だ(笑)。わが子でないけど。
最近、大人の会議の席で「組織の目的を達成するために何が最も有効か? どうすれば最もうまくいくか?」という最優先の「支点」をないがしろにして、「対決姿勢」と「防御姿勢」の2拓しか持たず、自分の意見を正当化することが目的のようなやり取りを何度も目の当たりにしたこともあって、とりとめもなく雑文を並べてしまいました。チンペイから怒られる前に更新しとかないかんと思って(笑)。とりあえず、夜、外食に行く時間も惜しいくらい仕事が押し寄せ続けています…と言い訳だけしておこう。
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