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2014年07月の日記
2014年7月31日(木)

 とりあえずまだ、頑張っています。1週間日記を休むと、ものすごく「頑張ってる感」が出てると思いますが、たぶん皆さんが思っているよりちょっと少なめに頑張っています(笑)。昨日の夕方、上村さんから「仕事ばかりしないで天下国家を語ろうぜ」という、人生の優先順位が混乱するような電話がかかってきたのですが、すんません、もうちょっと待ってください。

 というか、私が天下国家を語るには、いや、そんな大きな話は語れんので目先の事象レベルの話を語るには、事前準備に人一倍時間がかかるのである。何しろ私は本をあまり読まないから、人間としての思想的な厚みがまるでない。従って、誰かと語ったり何かを書こうとすると、情緒的な厚みがないのをカバーするために、代わりに数字とロジックで自分の意見を構築していくしかないのである。でも、数字を集めて分析するのは面倒で大変で時間がかかる。で、調べる時間がないから意見が構築できなくて、日記も止まると。どうだ、このスキのない言い訳(笑)。

 例えば、今日の産経新聞に出ていた記事です。

<見出し>
●関電 最終赤字290億円
●4〜6月期 社長、再値上げ示唆
●高卒採用中止

<本文の中に出てくる数字>
●4〜6月期連結決算が前年同期比10.3%増の7912億円
●最終損益が290億円の赤字(前年同期は334億円の赤字)
●火力燃料費は大飯原発3、4号機が稼働していた前年同期より386億円増の2902億円
●関電は平成28年春に計画していた360人の採用を250人に減らすと発表した。これにより、8億円の人件費減になるという。

 この見出しだけを見て、数字の部分を流して自分の意見をまとめようとすると、「赤字で値上げ? もっと経費削減すべきではないか。役員の給料を下げるべきではないか」とか「高卒採用中止? そんなことをして若者の未来を閉ざすべきではない」とか、そういう情緒的な話になってしまう。

 すると、思想的厚みのない私は情緒的議論ではまるで無力になってしまうので、代わりに私は「この数字が何を意味するのか?」を調べてから、数字とロジックで自分の意見を作ろうとするわけである。

 例えば、この数字を見ると、私はまず直感的に「これ、関電は経営的に相当ヤバイんじゃないか?」と思うわけです。私的には、このニュースの本質はそこなのである。でも、何か数字の裏付けがないと判断できないので、まず一番に「関電は経営的にいつまで持つのか?」、つまり、管理会計ではなくキャッシュフローがいつまで持つのか? という推測計算をする。そこから、「現状から収支がいくら改善したら経営が成り立つのか?」を推測する。

 「赤字が290億円なんだから、収支が290億円改善したらトントンになってオッケー」じゃないですよ。決算がトントンになっても、例えば借入金の返済は決算書に出て来ないんだから何の安心もできない。すると、関電の有利子負債額を調べないと全く判断できないという話になるわけです。

 でも、新聞はそんなこと書いてくれないから、自分で調べないといけない。で、調べたら今、関電の有利子負債は4兆4000億円もあるそうです。あかん、時間がないのに調べよる(笑)。

 すると、これがもし10年返済なら毎年4000億円以上(四半期で1000億円以上)、20年返済なら毎年2000億円以上(同500億円以上)の返済資金をキャッシュで捻出しないといけない。それをキャッシュフローベースで計算するためには、まず減価償却費(キャッシュの出ていかない経費項目)を差し引いて…とか計算していくためには、関電の決算書の詳細を探してきて読まないかんやないか。

 すんませんが、今日はさすがにもう、そんな時間は取れませんので、ちゃんと計算してないので突っ込まれることを承知で直感的な推測で書くと、たぶん、四半期決算(3ヵ月)で何となく、最低でも500億円くらいの収支改善をしないと、関電は危ないような気がしますが…(ちなみに関電の有利子負債は前年同期比で1800億円も増えている。要するに、上乗せ借金でキャッシュを回している状態ですね)。

 大ざっぱにまとめると、「3ヵ月単位で収支を現状から500億円改善しないと、近い将来、関電は破綻する恐れが大きい」。これが、私がこのニュースの私的な本質を考え始める時の出発点になるわけです。結論じゃないですよ。仮説ですから、これが出発点です。

 すると、例えば、記事にあるような8億円の人件費削減などは、やらないよりはやった方がいいんだろうけど、焼け石に水だということがわかるわけです。役員の給料を半分にしたって、ほとんど何の根本的改善策にもならないことがわかってきます。あるいは、資産売却も進めると書いてあったけど、そんなものは経営構造の改革でも何でもないので一時しのぎに過ぎない、自分の身を切り売りしていっても何の改善策にもならない、ということもわかる。

 そういう数字ベースのロジックから、次は「自分が関電の社長ならどうするか?」と考えてみるわけです。

 例えば、社長としての現状認識は、

・「3ヵ月で500億円」の収支を一時的ではなく恒常的に改善するのは、既存経費の削減では不可能である。
・原発を全基稼働すれば全ての問題はいっぺんに解決するが、そんなことは世間が許してくれない。
・すると、頼みの綱は「大幅(いずれ100%以上の)値上げ」か、「税金投入」しかないが、小刻みに値上げすると次第にバッシングが強くなるだろうし、いっぺんに上げると極悪人のように叩かれるだろう。
・しかしこのままでは間違いなく倒産する。

 といったところでしょう。では、この状態で皆さんが関電の社長ならどうしますか?

 正直、この状態で社長になったら、たいていの人は「どうやって逃げるか」を考えますよ(笑)。「正義感に満ちあふれているけど社長をやったことのない人」には想像できないかもしれませんが、本当にその立場になったら、「逃げる」ことを絶対に考えると思います。

 「逃げる」というのは、さっさと会社をやめて責任を逃れることだけではありません。バッシングを最小限に抑えながら小出しに値上げ申請をして、自分の任期中だけ大事が起こらないようにつなぐ…というのも「逃げ」です。

 なぜなら、この状況で「逃げない」というのは、開き直って「みんなで原発を止めたんだから、みんなで負担するのが当然の筋です」と言って、真っ向から正論を主張して電気料金の「大幅値上げ」を申請すること以外にないと思うからです(私ならこれをやるかもしれない)。

 すると、もし関電の社長がある日突然自ら辞職しても、あるいは自分の任期の間だけ持てばいいと考えて保身に走っても、小出しの値上げ申請で「当面の赤字減らす」という手段に出ても、私たちはそれを責めてはいけません。自分もそうするであろうことを他人がした時に責めるのは卑怯だからです。

 ……とかいうのが、私の「数字をベースにしたロジック」の組み立て方です。だから、必要な数字がわからないとロジックが組み立てられない、というのが私の限界なのです。従って、上記の「逃げることを考える」というのも、もし「3ヵ月で500億円の収支改善が必要」という数字が正しければの話ですから、数字をちゃんと検証して違うデータが出て来れば、違うロジックになるかもしれません。

 それと、こっちは数字から見た「事象」だけを話していて「人間」には言及していないのに、必ず「人間は数字とロジックで判断すべきものではない!」という情緒とロジックを一緒にした非難を浴びせられるのも、ロジカルシンキング派が常に抱えているリスクであることはよくわかっています(笑)。

 でも、何か大変なことが起こりつつあるようなニュースに思えて仕方がない。もし、関電が倒産すると、関西の経済、社会、市民生活は間違いなくアウトになりますから(倒産しても誰かが引き継いで電気は供給されると思っている人は、会社更生法とかが適用されると何事が起こるかを調べてみてください。たぶん、間違いなくにアウトになりますよ)、いずれ電気代の大幅アップか税金投入で生命維持するしかないと思いますが、すると近い将来、関電エリアに何が起こるのか…地震予知より遙かに予測可能な「前触れ」が起こっていると思うんですが…。

 とか書いただけで1時間以上も費やしてしまいました。今晩は断固たる決意で、仕事を1本上げるまで寝んぞ! あ、誤字がありました。仕事をある程度上げるまで寝んぞ!
2014年7月23日(水)

 土日が原因の筋肉痛がやっと取れてきた。土曜日のお寺巡りに続き、日曜は海辺に行ったのだが、ゴツゴツした石に覆われて足元が不安定な海岸を歩き回ったせいで、どうもこっちの方が足の筋肉に来たようだ。

 この日の取材メンバーは、副編吉本ラミレスと(高校時代に自分の名前を「菜見です」言うたら「ラミレス」と聞き間違えられて以来「ラミレス」に改名。改名はしてないけど)、2年新人の横ZとO野の爆竹コンビ。黒一点の新人本条こと「ガンジー」(逆か)がバイト疲れで自宅のトイレで寝てしまった結果、海辺の力仕事があるというのにイナゴレディースしかいない、という大惨事となってしまった。

 実は、ある場所の海際で、おそらく日本全国でここ40年間以上誰も作っていないであろう(というか、ほとんどの人はその存在すら知らないであろう)あるものを作ってきたのであるが、その作ったものの成果が確認できるのは数日後であるというロケであった。「もうそこまで伏せるのなら書かん方がええやんか」という意見が私から挙がったので、今日はこれぐらいにしとくか(笑)。

 しかしそれにしても、歴代イナゴ軍団は近年どうも「レディースの方が強い」という傾向があるなあ。振り返ってみたら、インタレストの歴代編集長18人の男女別ラインナップは最初の5号こそ「男・男・女・男・男」と、男の4勝1敗であったのだが(ま、勝ち負けというのも変だけど)、そこから「女・女・女・男・男・女・女・女・男・女・女・男・女」と男が4勝9敗になって(ま、勝ち負けというのも変だが)、トータル男8人、女10人である。

 別に、男女比を意識して編集長を選んでいるのではない。毎回、いい本を出すために「できそうなやつを選ぶ」というのと、教育するために「伸ばしたいやつを選ぶ」という2つの目的で選んでいたら、結果としてそうなったということである。

 いつも言っているように、「目的が手段を決める(手段の選考基準になる)」という話である。目的が「男女平等にする」であれば、男女交代で編集長を決めればいいけど、インタレストは「いい本を出す」と「教育する」という2つの目的を持っているので、必然的に「目標を達成するのに最も有効な手段」で選考することになるのである。

 当たり前の話である。でも、偉い方々でもそんな当たり前のことをねじ曲げていろんなことを主張する人がたくさんいる。例えば近年、「(日本の経済)成長には女性の登用が不可欠だ」という意見をよく聞くが、「経済成長をさせること」が目的であれば、それを達成するために有効な手段は、男も女も関係なく、「成長させる能力のある者を登用する」となるのが当たり前の話である。

 ということは「女性を(管理職に)何%登用すべきだ」とかいうのは、「成長戦略」ではなくて男女平等を目的とした「福祉政策」だと思うのである。「男女平等社会を目指すために女性を登用すべきだ」という主張はよくわかる。「経済成長を目指すために、成長させる能力のあるビジネスや人に投資すべきだ」というのもよくわかる。でも、「経済成長させるために女性を登用すべきだ」というのは、目的と手段の整合性がとれていないと思う。

 それは、男女平等を訴えるために、「そうすれば経済成長にもつながる」という理屈を後から無理やり付けているだけのように私には見えるのである。もちろん、「女性の登用」が経済成長にプラスになる部分も多少はあるだろうが(マイナスに働く要素も確実にありますよ)、「経済成長」を目的に掲げるなら、それを達成するための手段は、「女性登用」より遙かに優先順位の高いものがたくさんあるからである。

 行政が「地域活性化=地域の経済的豊かさのアップ」を掲げて「イベント」をやるのも同じ話である。「イベント」はそもそも「経済活性化事業」ではなくて、「レクリエーション事業」なのである。これも同様に経済成長にプラスになる部分も多少はあるだろうが(税金を使ってマイナスに働く要素も確実にある)、「経済成長」を目的に掲げるなら、それを達成するための手段は、「イベント」より遙かに優先順位の高いものがたくさんあるからである。

 結局これも、とにかくイベントをやるために「そうすれば経済活性化にもつながる」という理屈を後から無理やり付けているだけのように私には見えるのである。

 などという話に無理やり展開して行数を稼いでみました(笑)。今日は大学で、他人の不始末を私が無償でカバーするという、お人好しにも程があるような話を受けてしまって、無用の仕事がドカンと増えてしまいました。「無用の仕事」というのは、概要を聞いて私は「そんなことやらなくても問題は解決できるじゃないですか(これは普通の「じゃないですか」の使い方・笑)」と思ったからです。

 まあ、世の中は何かと理不尽なことに満ちあふれているものではありますが、大学というところは社会の理不尽さや普通の民間企業の理不尽さと全然違う理不尽さがある所なんだと、改めて思いました。さて、私はいつまで頑張れることやら(笑)。
2014年7月20日(日)

 この2週間、もう生きた心地のしないくらい追い込まれていた原稿が、本日午後5時53分、ようやく終了して、夜中の1時半頃就寝するまでの7時間くらい、かつて記憶にないほどの「大きなプチ解放感」に浸りました(笑)。

 しかしまあ、今週は「日曜日中に死んでも上げないといけない原稿(死んだら上げんでもええと思うけど)」を抱えながら、通常授業の上に20数人の卒業研究指導が次々に入り、しかも週末は土日連続で朝8時からインタレストの企画絞り込みのためのロケハンが決行されるという、大阪万博のアメリカ館の「月の石」の前状態の大渋滞が発生していたのである。例えがわかりにくいので言い換えると、要するに小学生の8月31日状態が1週間続いていたのだ。何か違うな。

 というわけで、この週末はまず土曜日の朝8時、インタレスト編集室に私と編集長西畑、副編五百蔵(いおろい)、ヒラ編集員藤原、“黒一点”の新人大林の5人が集合して(藤原は30分遅刻)、そこから四国霊場第六十六番札所「雲辺寺(うんぺんじ)」に行くことになったのである。

 実は6月の企画会議で、学生から「今年は四国霊場開創立1200年なので、四国八十八箇所の企画をしましょう」という安易な案が出たので、いつものように私が「内容はどうするんや。雑誌やネットやそこいら中に出ている八十八箇所特集やお寺紹介なんかやってもあかんぞ」とハードルを上げたのである。

田尾「やるんなら、未だかつてどこのメディアも誰も取り上げたことのないような八十八箇所紹介の切り口を考えなあかんぞ
学生「……」
田尾「例えば、4年前にひねり出した『空海の顔190面』みたいなやつや」
学生「……」
田尾「まあ、あそこまで斬新な切り口はもう八十八箇所ネタでは出てこんと思うけど、とにかく、本が出たらみんなから“うわ、インタレスト、こんなことやりよった!”と言われるような切り口が見つかったら、企画に採用してもええわ」
学生「……」

 前号首脳陣の河井、F田、白玖あたりならいちいちツッコミが入ってくるところだが、やつらはすっかり「仕事をやり遂げた男」感を振りまいて余裕をカマしていて、新首脳陣はまだツッコミに慣れてないこともあって(慣れんでもええけど・笑)、とにかく一生懸命私の話を聞いている。

 しかし、やることはちゃんとやる。勝手知ったる五百蔵たちは私の話を聞いて、「情報加工学概論」と「発想力開発論」の授業で教えた手法を使って、まず「お寺」のありとあらゆる「素材」をMECEに並べる。そこから、網羅、集合、セレクト、対決、比較、推移、ランキング、クイズ、インタビュー、対談、座談会、文章、写真、図表、絵、性別、年齢別、季節別、時間別、値段別、形容詞別……等々、あらゆる見せ方の道具を使って、頭の中で妄想(笑)を始めて……

 それで、10数個のプチ企画案がひねり出された。けど、どうも何か一つ足りない。それなりにどの案も一般雑誌やテレビ番組の「四国八十八箇所特集」なら一発採用されるレベルにはあるのだが、「インタレスト的」には何か足りない。そこで、私が企画チーム首脳陣を引き連れて実際にお寺に行って、現地で何かヒントを探そうということになったのである。

 まず、五百蔵が現地視察コースの叩き台を作ってきた。

イオ「事前にチームで手分けして香川県内の八十八箇所のお寺のいくつかを回って来たんですけど、まだ行っていないお寺がこれだけあります。で、どうせならこの中のいくつかを回ったらいいと思うんですけど、1日で全部は行けないと思うので…どれどれ行きましょうか」
田尾「そやのー、よし、まず雲辺寺にいこう」
イオ「何かあるんですか?」
田尾「ロープウェイに載りたい」
イオ「ロケハンじゃなくてレジャーじゃないですか!」

 讃岐うどん巡りがレジャーなんだから、ロケハンもレジャーだ。何を言っているのかわからんが。

田尾「続いて、白峰寺と根香寺に行く」
西畑「五色台ですね」

 学生たちには「崇徳上皇の怨霊(白峰寺)と牛鬼伝説(根香寺)というテーマロケハンだ」と説明したが、本音のところは、

田尾「途中に『がもう』があるからな」
イオ「レジャーじゃないですか!」
田尾「同じ目的を達成するなら、楽しく達成した方がええんじゃ」

 わーわー言うておりますおなじみのインタレスト一部架空会話があって、冒頭に戻る。車で迷いながら午前9時半頃、雲辺寺ロープウェイに到着し、そこからロープウェイで雲辺寺山の山頂に上がって、雲辺寺の敷地内に入った。

田尾「ここから、目に入る素材を全部くまなくチェックして、企画の可能性を必死で考えるんぞ」
イオ「あ、五百羅漢の石像が並んでいます」
西畑「わー、一つ一つ全部違うんだ」
田尾「これを見て考えろ。まず、網羅。八十八箇所のお寺にある五百羅漢像を、全部集めたとする。どれくらいある?」
イオ「あるお寺とないお寺があります」
田尾「善通寺にはあったよな。善通寺の五百羅漢とここの雲辺寺の五百羅漢は、全部同じポーズか?」
イオ「たぶん違うと思います。よその県のお寺に全然違う形の五百羅漢が並んでるのを何かで見たことがありますから」
田尾「すると、全部集めたら『一万羅漢』みたいになるんか」
西畑「すごいことになりますよ」
イオ「分類してもおもしろそうだし、ランキングとかもできそうです。『四国八十八箇所・一万羅漢男前ランキング』とか(笑)」
西畑「でも絶対誌面に収まらない(笑)」

 みたいな調子で、お寺の中にある像や手水鉢の造作、香炉、山門の阿吽像、ご神木、御利益、お土産…等々のあらゆる素材をチェックしながら、企画作りの実地訓練をやりました。その結果、5〜6項目の「行けそうな企画」が発見されましたが、その中で一つ、発表すると八十八箇所のお寺界が蜂の巣を見つけたような騒ぎになるかもしれない(蜂の巣をつついた時ほどの騒ぎではない、という意味)小爆弾企画が浮上しております(笑)。

イオ「事前予告、できませんね(笑)」
田尾「今、企画を明かしたら、撤去するお寺が出てくるかもしれん」
イオ「“撤去”も言っちゃダメですよ!」

 さて、夏休みの間に学生編集部員たちがどれだけ情報を集めてくるか。取材テーマは大体決まったが、4年ぶりにまた八十八箇所巡礼をするハメになったぞ。

(追伸)
 雲辺寺ロケハンを終えて昼前にロープウェイを降りてきた我々は、そこで合流した中津を加えて6人で2台の車に分乗し、一路「がもう」に向かいました。土曜日ということもあって行列は覚悟の上。初めて行く学生ばかりだけど、みんなインタレストのバックナンバーでがもうが「強者55人が白状した私の好きなうどん店ランキング1位」の店であることは知っている。加えて、私が約1時間の道中、車の中でがもうの魅力をこれでもかと語り倒したため、全員、はちきれんばかりに「全身がもうの口」になって店に到着したら、人っ子一人いないではないか! 貼り紙を見たら、

「本日、丸亀ボートのイベント出店のため、臨時休業」

 何でよりによって10年に1回あるかないかのそんな日にぶち当たる!
2014年7月14日(月)

 ラスベガス土産のお気に入り、ブルークリスタル風ダイス型マグネット(プラスチックだけど)が盗難にあった後、今度は超お気に入りのNOBUのコーヒーカップを落として割ってしまった。これで、数年前に3つ買ったうちの2つが割れてしまったため、ネットで探して新たに3つ注文してしまいました。

 そしたら、「在庫がないので7月末まで納品を待ってください」という返信メールが来ました。待ちますよ。私はもう一生あのコーヒーカップでコーヒーを飲む計画なのですが、残りの1コが今日割れて月末までに私が死ななければ、何とかつなげますから(笑)。

 まあちっちゃいことではあるが、私はそんなちっちゃいことで仕事の集中力がちょっと左右されたりするタイプのようなので、水槽の水を替えたり、海の見える仕事部屋を確保したり、テーブルの高さが最適で灰皿のあるおしゃれなカフェを探したり、勝谷さんに倣って早朝型の仕事サイクルにしてみたり、あれこれ必死で最適環境を求めながら仕事をしているのである。

 同様に、いや、レベルは同様ではないがおそらく私より遙かにレベルの高い人たちは、私より遙かに高いレベルで自分の最適の仕事環境を探しながら、モノやビジネスを生み出しているのだと思う。そういう人たちを実際に何人か存じ上げているのだが、その人たちは明らかに私ら一般人とは「モノやビジネスを生み出すための時間の使い方(集中力の生み出し方)」が違うのである。

 という前振りをして、1週間くらい前の四国新聞に、「ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)」(高賃金で専門性の高いホワイトカラーの労働時間の上限規制を免除する制度)について、若者の労働問題に取り組むNPO法人の代表の男性と、労働社会学のジャーナリスト兼大学教授の女性のお二人のご意見がミニ特集で載っていました(共同通信の記事だと思われる)。

 見出しは、
「働く人のためになる?」
「長時間労働助長の恐れも」
とある。

 本文記事内の主張は、
「WEは長時間労働が増えるだけ」
「ブラック企業と同じことをする企業が増える」
「評価が成果だけになると、成果が上がるまで仕事を終えられない」
「WEで過労死増加が予想される。フレックスタイムなどの現行制度で労働時間を柔軟にすることができるではないか」

等々が並べられ、加えて、
「飲食店の店長がもう一店任されて、過労うつになる」
「プロジェクトを抱えさせられて、いくら残業しても終わらず、能力がないと自己責任にされる」
「女性が出産で在宅勤務を命じられても、自宅で歯止めなく働くことになる」
等々の例が挙げられ、最後に、
「自分の職場でWEが導入されたらどうなるかを想像することが、制度の是非を判断する第一歩だろう」
と結ばれていた。

 うーむ、何かそれは、議論のそもそもの段階で「ビジネスに携わる人の分類」が違うのではないか?

 つまり、こういう意見は「ビジネスに携わる人」を「経営者と労働者」というふうに2つに分類して、その対決姿勢で反論しているのだと思うが、この制度は、その「労働者」をさらに「誰か(会社等)から指示された仕事をただこなす人」と「会社や社会の中で自らモノやビジネスを生み出そうとする人」に分類した話だと思うのですが。

 で、さっきの話に戻って、後者の「会社や社会の中で自らモノやビジネスを生み出そうとする人」は、私ら「誰かから指示された仕事をただこなす人」とは根本的に時間の使い方と発想の仕方が違うわけで(私も半分くらいは「指示された仕事をこなす人」なので)、そういう前提の上で、この「ホワイトカラー・エグゼンプション」というのは、おそらく「誰かから指示された仕事をただこなす人」ではなくて、「自らモノやビジネスを生み出そうとする人」の仕事環境を改善しようという話でしょう。

 すると、それに対して「誰かから指示された仕事をただこなす人」の視点で反論しても、ロジックとして無理筋ですよ。だって、「あなた方のことには言及してない」んだから。

 私が「ホワイトカラー・エグゼンプション」に反論するなら、視点はそこではなくて、「『高賃金で専門性の高いホワイトカラー』という条件がおかしい」というところから入りたいと思います。つまり、「低賃金の人」や「ブルーカラーの人」の中にも、「自らモノやビジネスを生み出そうとする人」がたくさんいるのだから、「私はモノやビジネスを生み出したいから、成果で評価して欲しい」と思う人なら誰でも、妙な労働時間規制を外して成果を出せるような環境を整えてやる、という方向が本筋だと思うからです。

 ビジネスにおいて、「経営者」と「労働者」がその役割が違うように、「指示された仕事をこなす人」と「新しいモノやビジネスを生み出す人」も役割が全く違う。役割が違うというのは、時間の使い方も発想の仕方も、負っているリスクも、生み出す付加価値も、全部違うということである。

 そして今、成長が欠乏している日本経済においては、「新しいモノやビジネスを生み出す人」に新しいモノやビジネスを生み出してもらわないといけないのである。従って、こんな制度ができたら、私なら、対象となる「高賃金で専門性の高いホワイトカラー」の皆さんに「あなた方のためにこんな制度ができたんだから、必死で時間を使って、絶対に新しいモノやビジネスを生み出してくれよ。あんた方がビジネスを生み出してくれなかったら、私らが豊かにならないんだから」とハッパをかけますね。

 で、彼らが新しいビジネスを生み出してくれたら、私たちはそこで一生懸命働いて成果を上げて豊かさを享受する。それが「生み出す人」と「こなす人」の役割分担の原理原則、というか、ビジネス自体の原理原則だと思うのである。

 原理原則は、運用してみると必ず、いろんな枝葉の問題が出て来る。そこには、上記新聞記事でお二人が述べていたような「指示された仕事をこなす人」に対する悪影響も出てくるかもしれない。でも、枝葉はその都度修正すべきもので、枝葉の問題で原理原則をつぶすのはあまりうまくない話だと思うのですが。

 以上、圧倒的に言葉足らずの日記につき、10人に5人は曲解すること請け合い(笑)。こんな状態でアップするのは、日記更新に無言の圧力をかけてくるチンペイと横Zと勝谷さんのせいだ(笑)。
2014年7月8日(火)

 またこういうニュースが載っていたので、余計なお世話ですが素人解説をします。

***

<7月3日・四国新聞>
 善通寺市が同市与北町の買田池上池グラウンド(約1万9千平方メートル)に建設していた市最大規模の「ぜんつうじ太陽光発電所」(メガソーラー・最大発電出力1320キロワット)が完成し、2日、平岡市長ら関係者約100人が参加して完成式典が行われた。既に1日午前から運転を開始している。

 同発電所は、市有地を貸し出す方式ではなく、市が実施主体となって、施設建設や維持管理などを担う事業者とリース契約を結ぶ四国初の方式を採用していることで注目されている。

 敷地内には約8千枚(1枚は縦97センチ程度、横125センチ程度)の太陽電池パネルを設置。推定年間発電量は約147万キロワット時で、一般家庭約400世帯分の消費電力を賄える。

 市は再生可能エネルギー固定買い取り制度に基づき四国電力へ売電する。年間売電額としては約5700万円を見込んでおり、年間リース料4200万円余との差額が収益となり、市は防犯灯の整備費用などに充てて住民に還元していく方針。

 式典で平岡市長は「再生可能エネルギーが注目される中、市としてもクリーンエネルギーを導入した。継続的な収益は市民の皆さんに還元し、地域のために役立てていきたい」とあいさつした。

***

 ニュースの表面的なニュアンスを整理すると、

(1)善通寺市が買田池のそばに建設していた約1万9000uの太陽光発電施設が完成し、運転が始まりました。
(2)施設の運営主体は善通寺市ですが、施設の建設と維持管理は民間の事業者が行うという、四国初の方式です。
(3)発電した電気は、再生可能エネルギー固定買い取り制度に基づいて四国電力へ売電します。
(4)売電金額(市の収入)は、毎年約5700万円の見込みです。
(5)事業者に払うリース料(市の支出)は、毎年4200万円余です。
(6)その差額の毎年1500万円見込み(市の利益)は、防犯灯の整備などで住民に還元していきます。

という感じです。例によって、いいことばかりのように見えます。

 けど、何度も書いてきたように「電力会社は再生可能エネルギーの買い取り価格は電気料金に上乗せできる」のだから、要するに善通寺市は、
(1)四国4県の電気を使っている家庭や事業所から毎年5700万円を強制的に取り上げ、
(2)そのうち4200万円を事業者に配り、
(3)残り1500万円を善通寺市民だけに配る
という事業を開始したわけですよ。

 いつも言っているように、それはいいことなのかなあ、と。「高額の売電」は「住民負担増」と同義なんだから、どう考えてもよくないことだと思うのですが。それとも、「四国中から取り上げたお金を善通寺だけで使うから、善通寺にとってはいいことだ」という身勝手なロジック? 市長の「継続的な収益は市民の皆さんに還元し、地域のために役立てていきたい」というのは、そういう主張なんですかね。

 四国電力に売電せずに、太陽光発電で作った電気を自分たちで使うだけなら市民に負担もかけずに済むからいいと思うんだけど、「それは採算がとれないからできない」というのなら、「電気料金アップで市民からお金を取り上げれば成立する」などというビジネスはやるべきでないと思うんですが。

 もう一点。民間の事業者とリース契約するという方式は、新聞によると「四国初の方式で注目されている」そうですが、この記事を見る限り、この方式は「毎年約5700万円見込んでいる売電収入(太陽光発電電力量)が見込みより減っても、市は毎年4200万円を事業者に固定で支払わないといけない」というシステムです。

 何が「注目」なんだか。こんなの、ただの「民間事業者がリスクを最小限にするシステム」じゃないですか。「リース料4200万円/年」で契約が成立したということは、民間業者側は当然この金額で投資が回収できるから契約したのであって、しかもそれが発電電力量に関係なく(天候不順とかトラブル等で市の売電金額が減っても)市から固定でリース料が入ってくるのなら、業者にとっては「ノーリスク」のビジネスですよ。

 もし、発電電力量に連動してリース料が変わるような契約なら、民間事業者と市がリスク分担することになるけど、そんなこと新聞には書いてないので(そういうポイントを書かないと「行政の監視」の役目が果たせないと思うんだけど)、この新聞記事だと「民間事業者はノーリスク(利益も増えないけど)、発電電力量が目論見より落ちたら市が全部被ることになる」という話だとしか読み取れない。

 ま、いいか。よくないと思うけど(笑)。このままこんなことがどんどん進んでいったら、5年か10年したら、たぶん何かの大問題が表面化すると思うけど、「考えない人」は表面化しないと動かないから。あ、「言うだけの人」は表面化しても言うだけで動かないか…みたいな話を、横Zがうるさいから無理やり書いてみました(笑)。
2014年7月3日(木)

 水曜日の次が木曜日になっているから一瞬日記が続いているように見える、という高度な技を久しぶりに使ってみたがどうか。

 というナンシー関風の文末で誤魔化してみたが、2コマ目の情報加工学概論の授業前に、いつも最前列席で隙あらばツッコミを入れてやろうと構えている学生の横Zにまで「日記が止まってますけど」と指摘されるようでは、私もいよいよだ(笑)。

横Z「今朝、熱が38度もあって大変だったんですよ」
田尾「ええからもう帰れ」
横Z「でも田尾先生の授業受けたら気力が湧いてくるから来ました」
田尾「俺はユンケルか」

 まあ、元気が失われていくような授業よりはええかとは思うが、この科目の今年の履修学生は、前の方に積極的な横ZとO野のコンビがいて助かるのだが、後ろの方に基本的な躾のできていない野球部の軍団がいて、実にもどかしい。

 「腹が立つ」ではなくて「もどかしい」というのは、そういうやつらでも今のうちならまだ何とか、1年ぐらいかけたらまともにできるような気がするのだが、100人を超える授業で週に1回顔を見る程度では如何ともし難いからである。

 そいつらにはとにかく最低限、他の学生に迷惑をかけないように何度か注意はしたのだが、その程度ではどうにもならん。インタレストにでも来たらちょっとは構ってやれるのだが、インタレストは他の授業以上に、いい加減な心構えで来たら他のメンバーの迷惑になるし、レベルの高い成果物を作るのに邪魔になるから、来んでええぞ(笑)。申し訳ないが、人生の早いうちにどこかでいい大人に出会って心を入れ替えることを期待しとくわ。

 そういうわけで、ある種「いい社会人になるための躾の場」でもあるインタレストでは今、「じゃないですか禁止令」を発布しております。とにかく近年、日常会話をしていても何か意見を出させてもしょっちゅう「じゃないですか」という物の言い方をする学生が増えて来て、いい歳をした私らには何とも耳障りで仕方がないからである。

「学生って、あんまりお金持ってないじゃないですか」
「3コマ目って、お昼ご飯の後だから眠くなるじゃないですか」
「今年、お遍路さんが結構来てるじゃないですか」

 それは決めつけとんか。俺に同意を求めて来とんか。

「私って、パソコン苦手じゃないですか」

 知るか! みたいな。

 30年後か50年後か、私らの世代がこの世から消えた後は「じゃないですか」を気にしない世代で溢れてるのかもしれんが、私らが健在である社会に入って行くのなら、そこには「じゃないですか」にイラッとする先輩や上司が相当数いるのだから、日本語としてまともな言い回しを訓練しといた方がええと思って、先月、インタレストの中だけで「禁止令」を出したのである。もちろん、正しい使い方としての「じゃないですか」もあるので、それはOKだけど、とにかく口癖みたいな不要な「じゃないですか」をやめてみようという訓練である。

田尾「この企画、行けそうか?」
イオ「チームで手分けしてロケハンに行ってみたんですけど、お寺に行ったらご神木ってあるじゃないですか」
田尾「じゃないですか」
イオ「あ、えーと、ご神木ってありますよね…ご神木というのがあるんですが…ご神木というのがあるんです…」
田尾「おー、いろいろ言い回しを考えよ(笑)」

 みんな、なかなか直りませんけど(笑)。ま、余計なお世話をしてるのかもしれんけど、何かのトレーニングとしてはマイナスにはならんだろうと思って。
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