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2015年06月の日記
2015年6月30日(火)

 今晩、『うどラヂ』収録に行ったらこんなお便りが来ていたけど、番組で紹介するのも流れに合わないので、この日記開始以来初の、FM香川『うどラヂ』に来たメールの全文無断転載である(笑)。

***

団長日記訂正のコーナー

麺通団のみなさん、こんばんわ。埼玉在住、団長マニアの雪面の飛び魚です。
団長日記に間違いがあったので、報告申し上げます。私も団長と同じくボーンシリーズのファンなので、DVDは3巻持っています。団長が書いていたシーンは『ボーン・スプレマシー』ではなく、『ボーン・アルティメイタム』です。さらにボーンが飛び込んだのは川なので、海中ではありません。
団長マニアの私が間違いを指摘するのは大変心苦しいのですが、どうかお気になさらないでください。多分団長は心身ともにお疲れだったのだと思います。お体に気を付けてこれからも楽しい放送を期待しております。

***

 そんなコーナーを開設した覚えはないが、あちゃー、『アルティメイタム』で川に飛び込んでたのか。すると、WOWWOWの『ボーン・スプレマシー』を見逃して悔しがってたのは、あれはちゃんと見てた方が最後のシーンで「ありゃ?」みたいなことになってたわけか。よしよし、結果よし。まだまだツキは持ってるぞ(どこまでもいいように考える性格の私・笑)。

 ただし、「心身ともにお疲れ」ではあるが、それ以前に歳のせいで近年、物忘れと確認ミスがずいぶん増えちゃったせいである(笑)。ついこないだの土曜日なんか、前日の金曜日にわざわざRNCラジオのディレクターから「明日の朝の生放送、よろしく」という電話までもらってたのに、当日の朝、すっかり忘れて大学に行って研究室で仕事をしていたら電話がかかってきて、「もう始まりますが、間に合いますか?」って言われて「あ! ラジオ!」って気がついて、そのまま電話を切らずに電話出演でクリアしたという有様だぞ。

 しかし思い出せば20年も前、同じRNCラジオで午後1時からの生放送ワイドをすっかり忘れて、ラーメン屋でラーメンを食いながら店内に流れていたラジオで「今日は田尾さんがまだ来ていませんが…」という放送を聞いたことがあるから、これは歳のせいではないかもしれない。あと、「団長マニアの私が間違いを指摘するのは大変心苦しい」とあるが、心苦しさを微塵も感じずに団長に直接ダメ出しできるようになったら、マニアを卒業して「失礼な麺通団員」の仲間入りだが、お勧めはしない(笑)…といったところで今日は短く。昨日の続きを書こうと思ったけど、論理的にまとめる時間がないのですみません。
2015年6月28日(日)

 火、水と2日連続日記を更新した後、大方の予想を覆して1ヵ月ぐらい連続更新してやろうと思っていたのだが、大方の予想を覆したのは私ではなくてゴールドシップだったみたいです(笑)。

 というわけで今日、3日ぐらいかかった一つの仕事をやり終えて久しぶりにプチプチ油断モードが入ったので、夜、WOWWOWでスティービー・ワンダーの特別ショーみたいなライブと、引き続きビヨンセのライブをちょこちょこと見ました。やっぱり海外のトップアーチストのステージは桁違いですね。それに比べて、日本のエンタテインメントは私にはステージもドラマも映画もどんどん幼稚化していくばかりに見えて、ほんと、もう見なくなりました。でも幼稚化を確認しないといけないので、時々チラ見はするのですが、まあ好みの問題でしょうからあまり言いません。

 それから、数日読む暇もなくて溜まっていた新聞も見たら、土、日と2日連続、四国新聞の一面トップに「言論封じ」の大きな見出しが躍っていました(踊ってはないけど)。共同通信の記事ですね。読んでみると、どうやら自民党勉強会みたいな席で、百田尚樹さんとか議員さんとかがマスコミの偏向報道に対して堪忍袋の緒が切れたみたいに批判をしていたのを、「言論封じだ」と非難しているという内容のようです。

 何だかなあ。これまで自分の意に沿わない言論を実際にずーっと封じ続けて来たマスコミが(気に入らない人物の言論は取り上げなかったりとか、番組を降ろしたりとか、ずーっとやってますからね)、「何ぼ言うても偏向報道をやめないメディアは懲らしめないといけない」と「言論」しただけの人の言論を「封じるべきだ」と主張している姿は、私に言わせれば「何のこっちゃ」ですが(笑)。

 今まで自分たちはずっと好きなように言論してきたんだから、他の人にも好きなように言論させてあげたらどうですか。もっと言えば、マスコミはこれまで、自分の主張と相容れない人を黙殺どころか、実際に何人も何人も政界や経済界やいろんな分野で「潰してきた」のだから、「懲らしめなければならない、潰すべきだ」と言われたくらいで火が付いたようにバッシングの大合唱をするのは、幼稚で大人げない。マスコミの「言論封殺」体質は全然変わってないなあ…という感想でした。

 あと1つ2つ、ツッコミどころ満載の記事を見つけましたが、もう午前1時を回ってしまいましたので、上原にはもの足りないだろうけど今日はこのへんで。
2015年6月24日(水)

 毎週水曜午後の怒濤のインタレスト編集会議を終えて、家に帰ったら疲労からか急に睡魔が襲ってきて、ウト…として夜の8時半頃目が覚めてテーブルの上にあった新聞のテレビ欄をボーッと眺めていたら、WOWWOWの18:00〜20:00に『ボーン・スプレマシー』って書いてるやないの! 

 ま、ビックリマークを付けるほどのことではないが、昨日書いたばっかりのネタが今日って、しかも見逃してるし(笑)。しょうがないから、またユーチューブで4回も見てしまった。あの曲、エンディングあたりでいN尾上用水の、あれ? 「いのうえようすい」と打って変換したら突然「井上陽水」が一発で出なくなった! 今度はどこからの攻撃だ! というか、私のパソコンに何が起こっているのだ? 

 えーと、井上陽水の『氷の世界』のエンディングあたりのスーパー女性コーラスと同じようなコーラスが出てくるところも好きです、というだけの話です。

 などとやりながらメールを見たら、上原から「田尾教授様 あれだけ書けるなら、今晩こそ笑える一本ネタを提供してくれるに違いない。なぜなら、クライアントの期待をほんの少しでも上回ることに喜びを感じるプロのライターなのだから。私は寝ます。」というメールが来ていた(無断転載)。

 もちろんだ。クライアントの依頼に対して、常に相手の期待のちょっと上を返してこそのプロだ。というわけでプロの私は全力で検討した結果、「上原はクライアントではない」という結論に達したので、私ももう寝る。
2015年6月23日(火)

 一本ネタを書いている余裕がないのに上原から催促されたので、とりあえずただの日記でお茶を濁すことにしよう。

 朝6時半頃起床。あんまり食欲がないので、そのまま準備して7時前に家を出て、7時半頃大学に着いて研究室に入る。

 机の上にパソコンと資料を並べて、仕事の態勢を整える。今日はハマヤのインスタントコーヒーではなくて、UCCの簡易なドリップ式のコーヒーを入れ、ラジカセのスイッチを入れ、入れっぱなしにしているCDのウィントン・ケリーの「ピアノ」を軽い音量でかける。続いて、窓際に置いてある小さい植木「レオン」と、白玖とF田が卒業記念にくれた一旦死にかけた鉢植えの木(名前はまだない)に水をやる。

 あ、白玖とF田、あれをくれた時「これ、水やらんでも平気なんですよ」言うたからほっといたら“枯れ木”になったのに、ダメモトで水をやり始めたら生き返ったやないか!(笑)

 8時前から、今日の授業2本の直前準備にとりかかる。1本目は「文章表現論」。「論」といっても全15回中の半分くらいはワークショップのような、みんなに書かせてスクリーンに映してその場で私が解説しながら添削するというプログラムであるが、今年はどこで何の情報が流れたのか70人も履修してきて、もう毎週大変な作業を強いられている。けど、例年以上に食いついてくる学生が多いので、こっちも全力である。

 私は文学には素養がないので、基本的に商業文章を教えている。すなわち、「場所」や「物」や「人」や「事」を文章で第三者に伝えて、その情報を発信する「目的」を達成するという、世の中のビジネスシーンの大半で使われている文章である。こういう文章の基本的なスタートラインは、「主語が『私』でない」ということである。これまで主語が「僕は」、「私は」という作文ばかり書いて来た学生たちは、そこでいきなり面食らう。

 けど、商業文章のスタンスに気がつくと、突然何かが輝き出す学生がかなりいる。そりゃそうである。「僕は、私は」という文章は基本的に自分の中にあるものしか書けないから、経験の乏しい学生はすぐに「僕」や「私」が尽きてしまって「作文が苦しい」だけになってしまうのだが、主語が世の中の「場所、物、人、事」となると、もう無限の素材があり、その素材を効果的に情報発信するための手法もほとんど無限にあるから、向上心のある学生にしてみれば広い広い別世界にパッと入ったようになるからである。そこで私は、私の持っているあらん限りの文章表現技術を駆使して…あ、余裕がないのに一本ネタにしようとしている…ただの日記に戻らないと(笑)。

 12時40分、文章表現論の授業が終わって研究室に帰る。次の授業は13時30分からだけど、さっきの授業の整理と次の授業の直前準備をしていたら昼飯を食う時間がないので、こんにゃくゼリーを2個食べてコーヒーを1杯飲んで、2つ目の授業に行く。

 15時、2つ目の授業終了。研究室に帰って今日の授業の整理と改善点チェックをして、それからいくつかの大学の雑務をやって、別の研究テーマの原稿と企画作業に取りかかる。

 16時、大学のPR映像を作るための聞き取りがあるということで、仕事をしながら制作スタッフが来るのを待っていたら、制作スタッフと一緒に本広克之監督が巴行ってきた。あ、入ってきた(昨日から突然、「はいってきた」と打つと「巴行ってきた」と変換されるようになった。どうなってるんだ、今度はパリから攻撃を受けているのか?)。

田尾「うわ! 御大自ら!」
本広「いやー、お久しぶりです。体、大丈夫ですか?」
田尾「大丈夫ですけど、何で?」
本広「田尾さんから『讃岐うどんの過去の編纂プロジェクトをやりましょう』って話が来たじゃないですか。それを聞いて、田尾さん、ガンになったんじゃないかと心配してたんですよ(笑)。だいたい、何かをやり遂げた人が過去の編纂を始めると…」
田尾「人生の末期(笑)」

 現在進行中の「さぬきうどん未来遺産プロジェクト」(大げさなネーミング・笑)のエグゼクティブ・ディレクターは、私と本広監督と元宮武の大将の「映画UDON・三バカトリオ(失礼)」です。あと、香川県内のプロのライターとかフリーランサーが20人近く一緒に動いています。麺聖森村も引きずり込みました。7月末に東京で記者発表する予定です。あ、いかんいかん、ただの日記に戻してと。

 で、本広監督と制作スタッフの方々と1時間近くいろんな話をして、本広監督に「さぬきうどん未来遺産プロジェクト」が私の人生の末期仕事じゃない斬新なコンセプトのプロジェクトであることも改めて理解してもらって(笑)、それからしばらく仕事をして、19時頃家に帰りました。

 家に帰って、熱帯魚にエサをやって(私は「エサをあげる」などとは絶対に言わない)、今日は晩飯も食わずにピーナッツ30粒くらいとコーヒーだけで夜の23時30分頃まで仕事をした。途中、いつものように何度も思考が堂々巡りして進まなくなったが、今日は新しい「思考の堂々巡り打開ツール」として、DVDで映画『ボーン・スプレマシー』のラストシーンからエンディングテーマに入ってテーマ曲が終わるまでを5分くらい見るというのをやったら、これが実に気分がいい。

 あの場面、ベタですが大好きなんです。最後の最後にニッキー(ジュリア・スタイルズ)が「ボーンが行方不明(つまり死んでない)」というニュースを見て、抜群の表情で薄〜く笑った…その瞬間、海中で死んでいるように見えたボーンが泳ぎはじめ、そこにエンディングテーマが入ってくる。わかりやすくカッコイイ音楽が好きな私には、あのシーンがたまりませんで(笑)。

 で、そこを3〜4回繰り返し見て仕事に戻ると、詰まってた原稿がちょっと進み始めると。そんなことを連日やっています。な、上原、日記の一本ネタを1時間以上かけて書く余裕が見当たらんやろ? これ書くのに1時間近くかかったけど(笑)
2015年6月21日(日)

 わけあって、コラムニストの勝谷誠彦さんを囲んで8人で中華料理店に入ったのである。別に高級料理店でもない、店内はそこそこ広いけど、一見すると造りも値段もファミレスのちょっと上ぐらいの中華。そこで、8人もいるから単品メニューを一杯頼んでみんなでつつこうということになったら、勝谷さんがメニューを開いて吟味し始めて、注文をとりに来たねえさんに3〜4種類発注したのである。それが全部、私ら凡人がとりあえずホイホイと注文するような酢豚や麻婆豆腐や牛肉のピーマン炒めやらとは全然違う、聞いたことも食べたこともないものばかり。

 近年、食い物に対するチャレンジ精神が失われつつある私であるが(笑)、しかし「勝谷チョイス」に対抗できるセンスもないので、「今日はチャレンジかぁ…」と覚悟してメニューを待っていたのである。だって、豆腐で作った麺のなんたらとか、なんとかのなんとかしたものとか(名前も覚えてないわ・笑)、姿も味も想像すらできんのだから。ところが、出てきたそのなんとかというのを勧められるままに食べたら、うまいやないの!

 勝谷さんも初めての店だから味を知っているはずがないんだけど、あれはうまいものを探し出す嗅覚の賜ですね。それも、ただ食べるのではなく意識を持って食べ続けてきた者だけが持っている、レベルの高い経験に裏打ちされた嗅覚。もともとの才能ももちろん影響するのだろうが、努力の積み重ねこそが本物の実力になる、という当たり前のことを改めて思い知らされました。

 それにしても、「努力の積み重ねのない評論やコメント」がテレビやネットや日常の中にこんなに溢れている時代は、私の知る限りの過去にはなかったような気がしています。ニュース解説だろうがスポーツ解説だろうがグルメ評論であろうが、たった数年とかの「勉強」で「いかにも」というコメントをされても、コメントが薄っぺらすぎて私には聞き流すしかない。聞き流すのも時間のムダだから、テレビもほとんど見なくなってしまった。

 私は、評論やコメントというものを「状況解説」と「原理原則解説」の2つに分けて捉えている。で、テレビ新聞や本やネットの中での評論家やコメンテーターは、
(1)「状況解説」のプロ
(2)「原理原則解説」のプロ
(3)状況と原理原則から解を出す「問題解決」のプロ
の三者だけがユーザーに対して付加価値を出せるものだと思っている。

 けれども今、テレビの中では(1)は池上彰さんとかがいるけど、(2)は、たまに呼ばれる専門家がその分野の原理原則を解説するだけ(原理原則解説のできない専門家もたくさんいる)。(3)に至っては、ほとんど皆無。たぶん世の中には(1)も(2)も(3)のプロの方々はたくさんいるはずなのに、テレビはそういう人を全く使わないから、状況解説のプロでもない、原理原則解説のプロでもない、だから当然問題解決のプロでもない、好き嫌いと情緒でしかコメントできないコメンテーターばかりが出てくるのだと思う。

 すると、そんなテレビばっかり見ているユーザーはちゃんとした「状況理解」ができずに、それならできないなりに黙っていればいいけど、みんなしゃべりたいから(笑)表面的な「誰かの言ったこと」レベルの曖昧な話を事実みたいに日常やネットに飛び交わせることになる。加えて「原理原則」の話なんかテレビでほとんど出てこないから考えることもなくなって、物事を自分で判断する物差しが作れなくなってくる。従って当然「問題解決」もできないから、「ではどうすればいいのか?」というふうに考える習慣もなくなって、いろんなものがどんどん幼稚になっていく…みたいな感じを近年かなり私は持っているのである。

 というわけで、「では私はどうするのか?」というと、大きなことはできませんので、とりあえず「私の関わっている学生だけは、幼稚さから必死で脱出してくれることを願って指導している」という程度です。みんな、周りがこんなに幼稚化の嵐だから、「必死で脱出する」という決意を持ってないと脱出できんぞ。

 とか言いながら、帰りに本屋に寄ってタイトルとパラパラ読みで本を2冊買って、帰って呼んだら2冊とも何かハズレでした。とにかく40代までほとんど本を読んでこなかったので、私には経験に裏打ちされた「本の嗅覚」がゼロ(笑)。
2015年6月19日(金)

 横Zから授業中に「いい加減に日記更新してくださいよ」と怒られる始末である。ま、確かにこのまま死んだら「田尾さん、魚の話で一生終わったんか」と言われることになるが、それもまた人生だ。

 とりあえず、3ヵ月くらい前から突然、「…というはなしである」とか打って変換すると、私のパソコンがほぼ100%「…という話である」でなくて「…という華氏である」と変換されるようになってしまっているのだが、「華氏」なんて単語はこれまでただの一度も打った記憶がないのである。中華の国からの何かの攻撃か? という疑惑の小ネタを一つお送りした上に、「5ミリ組の魚は今、7ミリ組になって5匹生き延びていることが確認されている」というどうでもいい情報も足しておくので、今日は勘弁してくれ。
2015年6月7日(日)

 改めて状況説明をしましょう。
(1)90センチの水槽の左奥の下から伸びた20本くらいの細い水草が水面にまで達して、そこでモワッと広がって水面の左奥あたりを覆っている。
(2)その中に、体長5ミリぐらいのちっちゃいちっちゃい何かの魚の子が、現時点で6匹確認されている。
(3)水槽の中には、体長3センチから7〜8センチまでのいろんな魚が60〜70匹泳いでいる。けど、やつらは広い水槽内の真ん中から下あたりを泳ぎ回っていて、水槽左奥の水面近くの細い水草がモワッとしたところにはほとんど行かない。
(4)水槽の右奥あたりから、中央手前に向けて水の循環パイプが絶え間なく水を吐き出している。従って、水面では水が時計回りに回っている。

 という状況で、1日に2〜3回、細かく砕いたエサをやるわけです。するとどうなるか?

 スプーンでエサを少量採って、そーっとうつ伏せに水中に入れて揺らすと、「七味」ぐらいの大きさのエサ片の大半は水中を漂い、それを体長3センチから7〜8センチまでの60〜70匹がバフバフ食うわけです。一部、水面に浮いた七味大のエサもそいつらがパクパク食うわけです。

 一方、さらに細かい「一味」ぐらいのエサの粒は、水面の水の流れに乗ってぐるーっと回って、左奥の水草のモワーッと密集したあたりに流れていきます。それを、体長5ミリぐらいのちっちゃいちっちゃい何かの魚の子たちが必死で食べるわけです。偶然とは言え、実にうまくエサの配分ができているではありませんか…と思っていたら…

 体長5ミリ組が必死で食べている一味大のエサのところに、時々七味大のエサが流れていくわけです。そいつを追って、体長5センチ組が水草密集地帯に突入していくではありませんか! 危ない! 5ミリ組が食われる! お! うまいこと逃げた! あー! またでかいやつが来た! 逃げた! うわ、今度は2匹来たぞ! あかんあかん、次のエサを投入してでかい組を水槽の真ん中に寄せないかん! 

 で、新しいエサを投入するとでかい組が一旦そっちに大集合するのだが、そのうちまた、浮いたエサを追いかけて水草密集地帯に突進! 危ない! 5ミリ組が食われる! お! うまいこと逃げた! あー! またでかいやつが来た! 逃げた! うわ、今度は2匹来たぞ! あかんあかん、次のエサを投入してでかい組を水槽の真ん中に寄せないかん!(あと、コピペ3回)

 一通りエサの時間が終わると、テンションが収まりきらないちっちゃい組が、まだエサがどこかにあるに違いないと思って水草密集地帯からちょっと外に出てくるのである。そこででかい組に遭遇すると、あわてて水草密集地帯に逃げ込む! あいつら、一味の一粒のために命を張っとる(笑)。

 というわけで、毎朝、ちっちゃいやつが何匹生き延びているか確認してから仕事に出かける毎日です。楽しそうでしょ(笑)。こんな楽しみでも持っておかないと倒れそうな毎日なんじゃ。
2015年6月6日(土)

 4ヵ月ぶりに「土曜日の午前中に油断できる」という日が来たので、朝の5時40分から4ヵ月ぶりに峰山に上がって来た。10年近く前、捻挫した時の半年くらいのブランクに次ぐ長欠であったが、滞りなく3時間歩けたという、ちっちゃな満足感の1つ目。

 帰ってシャワーを浴びて、9時半から2週間ぶりの水槽の水替えをやって、水草の葉についたコケも取って美しくなった水槽を眺めていたら、水面の5分の1くらいをモワッと覆っている水草の中に、数年ぶりにちっちゃいやつが5〜6匹発見された。何かが子を産んだという、ちっちゃな満足感が朝から2つも連続したのに、新聞を見ていたら「ブルース・ウィリス氏、中国抗日映画に」という見出しを見つけてしまって(笑)。まあ、しょうがないわな。ファクトベースで紡いでいく社会科学としての歴史をちゃんと学んでいる人って、日本にも世界にも信じられないほど少ないから。

 ちなみに、大学で学生の知識や反応を窺っていても、学生たちはどうも「ファクトを紡いでいく」というトレーニングを受けてないみたいで、自分の意見を「自分でファクトを紡いだ結果」じゃなくて、ほとんど「誰かに教わった考え方」で決め込んでいるという気がするのである。そういうのを見ていると、選挙権が18歳からになって彼らが投票に行くようになると、何だか社民党と民主党が票を伸ばすような気がして仕方がないんですけど(笑)。

 まあ、いろんなことがなるようにしかならないように動いていくようです。じゃ、今からちょっとお出かけ。
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