2015年07月の日記 |
2015年7月24日(金)
前期の授業もあと2週になりました。というか、最終週は試験の週なので、授業は実質あと1週。でも金曜の授業は先週台風で一回飛んだので、あと2回。
四国学院大には黒板の教室とホワイトボードの教室があって、今期の私の座学の授業は全部黒板の教室でやっています。そのうち、木曜日と金曜日の授業は私の前に別の授業が入っていて、たいてい教室に入ると前の授業の先生が黒板に書いた字を消しているのですが、前の授業の先生の黒板の消し方が少々甘いのか(笑)、あるいはここのところ梅雨で湿気が多いこともあって消しにくいのか、結構文字が薄く読める状態のままになっているわけです。
たぶん、私の前の授業の先生は黒板にびっしり書いていくタイプの先生ではないようで、いつも黒板の数カ所にランダムに単語だけが薄く残っている。その単語がいつも、「愛」「信頼」「家族」「後悔」「罪」「憎悪」…みたいな(笑)。たぶん、キリスト教関係の授業だと思います。
で、最近の私の授業のオープニング…
田尾「おー、今日は“家族”と“信頼”か。こっちは“罪”と…何やこれは、“丼”か? 家族で丼……親子丼の話か?」 学生「先生、それ、“丼”でなくてたぶん“母”ですよ」 田尾「あ、“母”か。それなら話がつながりそうや(笑)」
とか言いながら、私は黒板消しでそれらの文字を丁寧に消していくのであるが、湿気のせいで結構ゴシゴシやらないときれいに消えない。
田尾「消すのに結構力がいるがー。湿気が強いんかのー。特にこれ、“罪”と“憎悪”がなかなか消えん。相当力を入れて書いたんやろな(笑)」
とか言いながら客席…でなくて学生たちの席を見ると、前の方の学生がニヤニヤしている。私は少考の後、その意味を察知した。
田尾「なるほど、そういうことか。これは黒板の文字が消えんのではなくて、俺の中の罪と憎悪がなかなか消えんということか。キリスト教の精神は深いのー」
学生、笑う(笑)。
みたいなツカミを駆使しながら、悩める学生たちに夢と希望としょうもない小ネタを与えながら、全力の授業を続けています。あと、こないだから「わたし」と打ったら1発目に「綿氏」と変換されるようになりました。そんな知り合い、おらんのですけど。
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2015年7月23日(木)
授業と各種原稿や企画物に追われながら、何やら悩ましい相談事や考え事までいくつも降りかかってきて、それらを裁いていくためにしょっちゅうプチリフレッシュをしているという毎日なのだが(遊んでいるのか?・笑)、どうにも安保法制の「100時間以上も議論したのに平行線なので採決を取ります」という民主的ルールに従った採決以来(ヤらしい言い方をしますが・笑)、レフトウイング系の“宗教的ヒステリー”が全然収まらないみたいですねえ。
私は感情論に付き合うほどのエネルギーがなくなってきた年頃なので、テレビのニュース解説や報道番組はなるべく見ないようにしているのですが、毎朝届く新聞は目覚ましのルーティーンで見てしまうので、時々いらんことに引っかかってしまう。既報の通り、ここ数年は四国新聞(共同通信記事)と産経新聞を読み比べて一生懸命自分の考えのバランスを取ろうとしているのですが、やっぱりあれ以降、公平に見ても共同通信記事(ま、四国新聞が選んで載せたということでしょうが)がかなりおかしい感じがする…。どうなんでしょう。7月22日に四国新聞一面に載った、「共同通信社が行った戦後70年・世論調査」。
内容は、まあいつものように、
<憲法について> ・このまま存続すべきだ…60% ・変えるべきだ…32%
<戦後の歩みの中で良かったこと(複数回答)> ・国が復興し経済的に発展した…55% ・他国と戦争せず平和だった…54%
等々、回答者になるべくものを考えさせないような、あるいは設問の仕方と選択肢の挙げ方でどうにでも変わるようなものが並んでいましたが(後者なんか「憲法のおかげ」というニュアンスで書かれていましたが、日米安保を評価しているとも分析できるのですが・笑)、設問項目の中に一つすごいのを見つけました。
「仮に外国が日本を攻撃してきたら、あなたはどうしますか?」 ・非暴力で抵抗する…41% ・武器を取って戦う…29% ・逃げる…16% ・降伏する…7% (その他)話し合う、何もしない、その時の状況による…等々。
私が答えるなら、外国が日本を攻撃してきたら、どう考えても「自衛隊に撃退してもらう」なんですが(笑)。まあ普通どこの国でもまずそれで、それをするために世界中の国には軍隊がいるわけですが、それが設問の選択肢にも入ってないというのはどういうことなんかな。そこ、大事な前提でしょう。
つまり、この設問は選択肢に「自衛隊に撃退してもらう(守ってもらう)」という設問を入れるか、それを入れないのなら設問を「もし自衛隊がいないとして、外国が日本を攻撃してきたら、あなたはどうしますか?」にするか、「外国が日本を攻撃してきて、敵が自衛隊を全滅させてあなたに迫ってきたら、あなたはどうしますか?」にしないといけないと思うのですが。
すると、そんな敵は私には「非暴力で抵抗できる」相手ではないということが現実的に想像できるので、これはナシ。「逃げ」てもそんな敵には絶対捕まるだろうし、「降伏」しても悲惨な結末が想像できるから(特に敵が中国や北朝鮮やISLだったら、私ならそこまで追い詰められたら家族もろとも自爆するかもしれない)。また、そんな時に「話し合い」で解決するならそもそも攻めてこないだろうから、「話し合う」もナシ。「その時の状況による」なんてのは答にもなってないからボツ。
結局、こんな設問は「非常時」が何事であるかという前提(想像)がまるで欠落しているのだと思います。私は戦争経験者ではないけど、戦争という非常時に対する想像力ぐらいは必死で働かせて回答するので、「他国が日本を攻撃してくる」という非常時には、まず当然、「自衛隊に撃退してもらう」と答えますよ。
さらにそれで、「もし自衛隊がやられて敵が自分に迫ってきたら?」という設問が来ると、当然、「武器を持って戦う(相手も武器を持っているのだから)」と答える。さらに「それでもやられそうになったら?」と質問されると、敵のメンタリティによっては「かなりの確率で自爆する」と答える。
もちろん皆さんそれぞれ答は違ってくるだろうけど、アンケートの設問としてはそれが正当なやり方でしょう。まあ、レフトウイング系の世論調査なるものの常套手段だとは思いますが、なるべくそういうのを見分けられるように、そして“ヒステリー”に巻き込まれないように、「考える力」をつけていきたいと思って努力している日々です。
水槽の中では今、「ちっちゃいやつ」が2匹、「ものすごくちっちゃいやつ」が1匹消えて2匹、頑張っています。何だか「テレビでは我が国の将来の問題を、誰かが深刻な顔をしてしゃべってる。だけども問題は今日の雨、傘がない…」みたいな終わり方になっちゃいましたけど(笑)。
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2015年7月16日(木)
授業を一部手伝ってもらっている松本君が研究室にやってきて、「昨日のあれ、田尾さんが何て書くかと思っていたんですけど」とか言うので何のことかと思ったら、「安保法案の採決」の話だった。あんなの、よう書かんわ(笑)。
いや、時間をかけたら原理原則論から何とかシンプルに意見をまとめられるとは思うけど、あの大半の新聞の感情的な論調から、野党のプラカードや喚き絶叫から、新聞が載せる「街の声」から左翼デモから、もう理屈は無茶苦茶だし、今まで自分たちが民主党政権時代にやってきたことや書いて来たことを全部棚に上げた二枚舌みたいな主張ばっかりだし、あの理不尽で感情的で宗教的な剣幕を見てたら、「もうええわ。誰が何を言ってたかだけ覚えとこう」という心境ですわ(笑)。
あと、あれを「強行採決」とか「強行可決」という表現をしているメディアや個人だけは、ロジカルシンキングとプロブレムソルビングをするつもりのない人たちだということも肝に銘じておこうと。まあこの騒動については特に、朝日新聞や毎日新聞や共同通信配信記事を載せている地方紙の記事を読まずに、自分で事実を集めてロジカルシンキングして自分の意見を整理するのがよさそうな気がしますが、「最初に答えありき」の人たちには馬の耳に念仏だと思いますので、もういいや(笑)。
相変わらず仕事が“大山祇神”なので、松本君、とりあえず以上。水槽の中で、1ヵ月ほど前に6匹ぐらい確認されていたちっちゃいやつが今2匹に減って、代わりにもっとちっちゃいやつが3匹現れて、いつ食われるかとハラハラしながら仕事をしています。体調もイマイチ。ただ、『インタレスト』のメンバーが今回は全員、かつてない働きぶりを見せていまして、まさか五百蔵が出してくると思わなかったオバカ企画(笑)もことのほか視点がよろしくて、こっちはかなり充実の進行中。「仕事が充実していることが何よりの健康」という私のモットーが今、体現されております。何とかまだ頑張れそうです。
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2015年7月8日(水)
6月27日の四国新聞の一面下コラム「一日一言」に、こんな内容の文章が掲載されていたのですが、忙しくて放置していました。
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▼先日、県外で開かれた会合の後、東京からの出席者に「お昼はうどんが多いんですか」と尋ねられた。香川と言えば讃岐うどんのイメージ定着がうれしくて、思わず「まあ、ほぼ毎日ですね。飽きませんよ」と自慢してしまった。 ▼思い返すと、47都道府県の中で香川県の知名度は高くなかった。いや、低かった。そのせいで、悔しい思いをしたこともある。車のナンバー表記がまだ「香」だった1987年頃のこと。長野県の観光地で「あの車は『香港』から来たの」と母親に聞いた小学生には閉口した。 ▼嘆かわしい経験はまだある。東京に出張中、四国から来たと答えると「高知県ですか」の打ち返しが大半だった。平賀源内さんも菊池寛さんも、知名度では坂本龍馬さんにポジションを譲っていたようだ。 ▼裏付けるデータがあった。民間会社が行った都道府県の好印象度調査で1998年の香川はなんと「全国47位」の最下位。情けない思いをした長野の経験から10年以上たってもこのありさまだったのだ。 ▼だが、2011年秋に県が打ち出したご存じの「うどん県。それだけじゃない香川県」プロジェクトで汚名を返上。「香川県はうどん県に改名します」の宣言は全国に響き渡った。このアイデアには奇才の源内さんも驚いているはずだ。 ▼県内では来年、海外からも熱い視線が注がれるであろう3回目の瀬戸内国際芸術祭が開かれる。流れは来ている。この際、頂点を目指そうではないか。
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車のナンバーの「香」を見てすぐに「香港」を思い浮かべる長野県の小学生には、閉口以前にその知性に驚いてしまうが(笑)、まあ香川の「香」を「香港ナンバーか?」と言うのは、当時ずーっと使われていた(もちろん大人の間で)香川県民の定番の自虐ネタだったんですけど、それはさておき、どうもこのコラムによると、香川県の知名度は2010年までずーっと最低だったのが、2011年度の「うどん県プロジェクト」で一気に最下位返上になったということらしい。
これを読むと、どうも「ゲリラうどん通ごっこ」(1989年〜)や『恐るべきさぬきうどん』(1993年第一巻発行)に端を発し、RSK『VOICE21』の讃岐うどん番組連発(1994年〜)から、全国の雑誌やテレビによる一大情報発信ブーム(1995年頃〜)が巻き起こり全国から讃岐うどん巡りの客が殺到し始めた、いわゆる「讃岐うどんブーム」(1990年代後半〜)は、なかったことになっているようです(笑)。さらに、2006年に公開されてブームを二段ロケットで爆発させた映画『UDON』の功績も、なかったことになっているようです。
ちなみに、「民間会社が行った都道府県の好印象度調査で1998年の香川はなんと全国47位の最下位」とありますが、どこのどんな調査なんかな。コラムでは最初に「知名度は高くなかった」とあって、この民間会社の調査とやらは知名度ではなくて「好印象度調査」とあるところが怪しいロジックではありますが(笑)、いずれにしろ、1998年はブームの真っ只中です(1990年代終盤〜2002年にはなまるが渋谷にオープンした頃が第一次ピーク。2006年の映画『UDON』公開から2009年の瀬戸大橋土日1000円あたりが第二次ピーク)。その時点で最下位?
ということは、このコラムは「讃岐うどんブームの真っ只中にあった香川県は知名度とか好印象度が最低で、2011年にうどん県宣言をしたためにその汚名がいっぺんに返上された」と言っていることになるわけですが、それは全然認識違いでしょう。「うどん県プロジェクト」が始まって「第三次のピークが来た」という話も聞いたことがないし。
何だか近年、県や讃岐うどんの組合、協議会等からのコメントや関連本から、1990年代〜2000年代初頭の空前の讃岐うどんブームの原動力になった人たちの活動が黙殺されようとしているみたいな印象がありますね(特に「麺通団」の活動なんか抹殺状態・笑)。「今日の讃岐うどんブームは、讃岐うどん業界の人たちの数十年にわたるたゆまぬ努力の成果だ」というコメントをテレビや刊行物で何度か目にしたし、つい最近香川経済レポート社から発行された本にも、麺通団は「麺通団もブームに影響した」という書かれ方をしていました(笑)。
(笑)の連発でおわかりのように、別に「麺通団を歴史に残せ」と言っているわけではありません。私らはもともとゲリラですし、きっかけを作っただけで歴史の塵みたいなものですから、別にどんなに扱われても、扱われなくてもいいんですけど、「いつ、何が起こってどうなったか」という事実はきちんと押さえて認識していかないと、どこかの国みたいに「誰かに都合のいい歴史」が定着することになってしまうと思うのですが(それが目的ならわかりますが・笑)。
というわけで今、「讃岐うどんの過去の事実の発掘と客観的羅列」という数年がかりのプロジェクトに取り組んでいます。その主旨と志に激しく賛同してくれた「株式会社はなまる」さんが予算面から制作スタッフまで全面バックアップしてくれて、取材、執筆、情報収集等の実働部隊は県内のプロの有志20人くらいが動いています。7月末頃に第一弾の発表をする予定なので、興味のある方はぜひご覧下さい。という活動報告で今日のところは。
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2015年7月7日(火)
昔、タウン誌の編集長をやっていた初期の頃、編集室に毎日のように読者の高校生が遊びに来ていた。彼らは遊びに来るだけでなく、手伝いやら何やらしてくれていて、時にはお客さんにお茶まで出してくれたりして、すっかり我々編集部の一味となっていた。さらに、高校で文化祭があったら部外者の我々を招待してくれたり、修学旅行に行ったらお土産を買ってきてくれたりと、まあそういうええやつがたくさんいた頃のことである。
ある日、高松高校の手伝い一味が修学旅行から帰ってきて、次々に編集室にお土産を持って編集室にやって来た。ところが、その中の奇才T田H之が手ぶらで来とる。そこで声をかけたら、T田のタウン誌史上に残る名言が返ってきたのである。
田尾「T田、お土産はどうした」 T田「は、わたくしの健康な体が何よりの土産かと」
さあ、この話をどこへ持って行く(笑)。
例えば、何かあっても健康な体があれば、最悪でも何とかなるみたいに、海外旅行に行って何か困ったことが起こっても最悪、パスポートさえあれば何とかなるみたいに、たいていのものには「最低限これだけあれば、最悪の事態は回避できる」みたいなものがある。
よし、かなり無理やり感はあるが、本題にこじつけつつあるぞ(笑)。
しかし、ここからまさか「原発報道」に話が展開するとは、さすがの上原も想像できなかったであろう。
さて、原発事故から4年が経って、あれ以来マスコミでは、東電バッシングから菅直人バッシング、民主党バッシングが続き、続いて捏造や曲解まで駆使した原発バッシング、冷却水漏れバッシングがずいぶん展開されました。それからマスコミでは、原子力規制委員会のやり方がつつかれ、さらに近年は天変地異の危険性がこれでもかと指摘され、最近は「再稼働バッシング」が頻繁にマスコミに取り上げられ、もう原発報道はありとあらゆることが情報発信されてきたように見えます。
でも、とうとう今日まで、私の知りたいことは全く報道されてきませんでした。まあ、新聞2〜3紙とたまに見るテレビぐらいしか見てないので、どこかで大々的に報道してたらごめんなさいですが。
私が何を知りたいかというと、原子力発電所の「最低限これだけあれば、最悪の事態は回避できる」という部分が一体どう改善されたのか? という、問題解決の一番肝心の部分です。
私のつたない認識によると、4年前の原発過酷事故の原因は、「水が入らなかったこと」にあるんですよね。すごく大ざっぱにまとめると、 (1)マグニチュード9.0の大地震が起きた。けど、地震を感知して原子炉は停止し、燃料棒の冷却水も回っていて、この時点では過酷事故(水素爆発)は起こらなかった。つまり、マグニチュード9.0の大地震が来ても、冷却水が回っている限り、あの原発は過酷事故を起こさなかったということですね。 (2)大きな津波が来て、原子力発電所が水をかぶった。でも、水をかぶっても、冷却水が回っている限り水素爆発は起こらなかったわけですね。 (3)ところが、水をかぶったせいで、原子炉ではなく、冷却水を回すための「電源」が全部止まって、冷却水が燃料棒のところに入らなくなって、燃料棒の高熱で水が蒸発して、燃料棒がむき出しになって、燃料棒を覆っているジルコニウムが溶け出して、そいつが水と反応して水素が発生して、水素が充満して何かで引火してドカンと水素爆発を起こして、高濃度の放射性物質もろとも飛び散ったと。
私は典型的な文系の頭なので細かい反応の段取りは間違っているかもしれませんが、要するに「冷却水が回らなくなったから、水素が大量に発生して爆発した」ということでよろしかったでしょうか(頼まれても使いたくない日本語の“よろしかったでしょうか”を頼まれてないのに使ってみました・笑)。すると、「最低限、冷却水さえ回っていれば、マグニチュード9.0の大地震が来ても、津波で発電所が水をかぶっても、福島原発は過酷事故(水素爆発)を起こさなかった」ということでよろし…いんですよね。チェルノブイリだって、何かオペレーターが妙なことをしたと聞いてるけど、最後は冷却水喪失で水素爆発を起こしたんですよね。
ということで、原発再稼働うんぬんについて、私が一番に知りたいことは「冷却水が回るかどうか」の一点なのです。一番だから当然一点ですが。
配管の強度がどうしたとか、避難経路の設定が十分でないとか、想定する地震の大きさが適当でないとか、防潮堤の高さが足りないとか、そんなのはもちろんないよりあった方がいいのに決まっていますが、それ以前に、そんなのを全部クリアしても「冷却水が回らなくなる恐れ」があったらアウトでしょう。
従って、全国の全ての原発について「何があっても冷却水が回るためのシステムを、こういうふうに改善した」、あるいは「ここの原発はこういう部分で冷却水が回らなくなる危険性がある」という報道を、私はずーっと待っていたのです。
例えば、福島で水素爆発が起こるまで冷却水が入らなかった理由は、私の認識では、
(1)電源が水をかぶって止まってしまった。 (2)緊急措置で海水を入れようとしたら、たぶん菅直人首相と東電社長が躊躇して海水注入が遅れた。
の2つだから、何はさておき一番に知りたいのは、
(1)津波が来ても電源喪失しないために、どういう改善策をとったのか? (2)緊急事態の判断遅れをなくするために、どういう改善策をとったのか? (3)その他の「冷却水喪失リスク」に何を想定し、それに対してどういう改善策をとったのか?
の3つ。「問題が起こったら、その最大で根本的な原因を特定し、その最大で根本的な原因に対して手を打つ」というセオリーからすると、原発の過酷事故についての問題解決の出発点は、どう考えてもそこでしょう。
でも、この再稼働騒ぎに至っても、この「最低限これだけあれば、最悪の事態は回避できる」という部分である「冷却水が回るかどうか」を一番に取り上げている大マスコミは、私の見る限りまだありません。従って、そこを指摘しない原発報道については、私はかなり傍観しているのです。併せて、いろんな原発リスクについての報道を見ると、一つ一つ、まず「それが起こると冷却水が回らなくなるのか? それがないと冷却水が回らなくなるのか?」と考えることから出発しています。でも、報道がないから回るかどうかわからない。
まあ常識で考えれば、あれだけの事故を起こしたのだから、どこの原発も電源喪失リスクだけは回避する対策を講じていると思うのですが…。ちなみに、私は「冷却水喪失リスク」については、 ・マグニチュード9.0の大地震が来ても冷却水が失われないような対策はできる(福島でもそうだったのだから)。 ・津波で発電所が水をかぶっても冷却水が失われないような対策はできる(電源確保のやり方と、最悪主導注入のやり方を備えれば)。 と思っているけど、そうすると最大の敵は「人間」のミスや錯乱やテロではないかと。特にそこの対策を知りたいですね。
それにしても、何でマスコミはそんな根本のところを報道しないんだろう。最初から「反対ありき」で、安全対策が進んでいるような印象を与えたくないんですかねえ。進んでいればですけど。うーむ、冒頭の例え話がバカみたいな文章になったぞ(笑)。
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