2016年03月の日記 |
2016年3月26日(土)
だいたい1本1週間から10日ぐらいかかっている原稿が、先週は2本、今週は3本も上がるという、奇跡的な進捗ぶりを続行中である。しかもその間、峰山は2回も登ったし、和Dとほぼ丸一日撮影取材にも行ったし、家内と半日うどんツアーにも行ったというのに(笑)。
何か普段と違うことがあったら必ず原因を探り、なるべく原因を特定しておくことが、仕事でも日常でもいろんな改善につながるのであるが、何か「集中力の調子がよかった」ぐらいしか思いつかん。何で集中力が戻ってきたのかなあ。この2週間調子がいいということは、2週間ぐらい前に何かいつもと違うことがあったということか?
えーと、 (1)3月10日に家内と久しぶりに鳥源に行って鳥の足を食べていたら、鳥源の女将さんに初めて声を掛けられてうれしかった。 (2)3月12日に3ヵ月ぶりに病院に行ったら、検査データがかなり改善していて、いつも怒られる担当医の石D先生(私のCTスキャン写真の胃にうどんが映っているのをプリントアウトして「うどんが胃の中にいっぱい」というフキダシまで付けて持っている)に「やったらできるやん、えらいえらい」と褒められてうれしかった。 (3)その日の晩、家内と外食をしてからアップタウンに行ったら牛乳屋さんに「何食べて来たん」と聞かれたので「巷で『キング』と呼ばれている中華料理店です」と言ったら一発で「王将か」と当てられて、改めて牛乳屋さんの暗号解読能力に感服して「私も頑張らないかん」と決意した。
どれや? どれでもない気がするが。
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それで、その鳥源のカウンターで鳥の足を食っていた時のことである。これまで何回も行っているのにほとんど話もしてなかった女将さんからいきなり掛けられた一言は、「玉藻城の天守閣、何かするんな?」だった(鳥源は玉藻公園のすぐ近くにある)。女将さん、あのテレビを見て私が玉藻公園の中にある高松城(玉藻城とも呼ばれている)の天守閣復元運動の一員だと思っていたらしい。やっぱりなあ。あんな編集されたらそう思う人が出てきてもおかしくないわなあ。私はそこで「全く逆です。私は何もしないです」と言って、経緯を説明したんだけど…。
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去年の12月にKSBの多賀さんから電話がかかってきて、「高松城の天守閣復元についてのトーク番組をやるんですが、出てくれませんか?」と言われたのである。聞くと、高松城の天守閣の復元運動をやっている人たちを呼んで、多賀さんが全国の天守閣があるお城に行って観光客にインタビューしたVTRを挟みながら、いろいろ話を聞くという構成の番組らしい。しかし、推進派だけを集めたのではプロパガンダ番組みたいになるから、「ぜひ田尾さんに出てもらって…」と言う。
私、完全に悪者の位置づけ(笑)。でもまあ、多賀さんからの頼みだからと思って、仕方なく出ることにしたわけです。 収録は、寒い12月末の玉藻公園の桜馬場(屋外)。桜馬場にいつも置いてあるプラスチックのチープなベンチをL字型に並べて座布団を敷いただけのゲスト席を見て、私は「タモリ倶楽部ですか(笑)」と突っ込みましたが、そんな感じの設営でした。で、集まったのは、推進派側に運動を進めている会の会長(丸亀町商店街理事長の古川さん)と弁護士の方と香川大学で都市計画みたいなのを教えているらしい先生。対抗側に私と、お城マニアの小学生が1人と、城郭ライターの女性の方。司会は多賀さんで、コメンテーターは水道橋博士というラインナップで、寒風吹きすさぶ中(それほどではなかったけど、みんなに携帯カイロが配られました・笑)、2時間ぐらいの収録が始まりました。
最初に、挨拶代わりに出演者が一人ずつ意見を述べていきました。推進派の方々が、「天守閣がないのは寂しい」「天守閣ができれば玉藻公園のシンボルになる」「観光客も増える」「市民も満足する」…みたいな話を次々に披露しました。城郭ライターの方は、確か「天守閣はあってもいいけど、なくなったというのが高松城の歴史だから、ないままでもいいのではないか?」みたいな、穏便な発言をされていました。
そこで私の番になったので、私はいつもの「悪者」になって「天守閣復元にかかるお金が50億円とか200億円とかいう話がありましたけど、天守閣を復元したいと思う人たちが自分たちでお金を集めてやろうとするのは全然構わないと思うけど、税金を使うのはどう考えてもリターンがとれるとは思えないからいかがなものかと思います。お金が余ってるのならまだしも、このご時世に子孫に借金を残してまでやる事業としては、優先順位が低すぎる。税金はもっと地域や住民が豊かになる可能性の高いものに使わないといけないと思います。大体、そんなことばっかり何十年もやってきたから、借金は膨れ上がるのに地域はちっとも豊かにならずにこんなことになっているんだから、いい加減に気がつかないとダメですよ」みたいな話を、番組の構成を考えていつもより多めに「悪者寄り」に発言しました(笑)。
それからしばらく、お金の話のやり取りがありました。途中、古川さんからも「確かにリターンをとるのは難しいだろう」という、さすがビジネスマンはちゃんとわかってるという発言がありましたが、そこに「丸亀町商店街も税金を投入したけど、その結果、商店街が納める税金が9倍に増えた」という丸亀町弁護をスルッと入れてきた(笑)。私は「いや、それは倍率でなくて実数で言わないと。例えば、リターンが10億円必要な時に、『今まで1000円だったのが9000円になりました』でも9倍だけど、それじゃダメでしょう」と言いかけたが、話が別の方向に行ってしまうのでグッと飲み込んで(笑)。
すると、多賀さんが「お金の話はこの辺で置いておいて、ここからはお金の話抜きで『もしやるとしたらどうすればいいか?』というテーマで進めて行きましょう」と言って、VTRに振りました。
VTRを見ていると、熊本城とか金沢城(ここは天守閣がない)で多賀さんが観光客にインタビューをしていたのですが、その内容がほとんど「天守閣はあった方がいいですか?」みたいな質問ばっかり。そらあかんでしょう。お金の話抜きに「あった方がいいですか? ない方がいいですか?」と聞かれたら、私でも「あった方がいい」と答えますよ。でも、話はもう「お金の話抜き」になってるから、そんなところに食いついても蒸し返しになって番組の進行を妨げてしまうので、黙ってました。
で、再び「お金の話抜き」のトークに戻りました。私は、「お金の話を抜きで何でもやっていいと言うなら、高松城の改造は天守閣復元が最優先ではない。高松城及び玉藻公園に注目を集めるなら、競合(他のお城)と差別化された高松城ならではの付加価値を一番に打ち出すべきだ。すると、高松城は日本三大水城の一つに挙げられているのだから、『水城』をメインコンセプトに改造するのが一番効果的だと思う」という意見を述べました。
実は、私がその意見を言う直前に、お城マニアの小学生が多賀さんに「どうすればいいと思う?」と聞かれて、いきなり「高松城は海城(水城)が一番の魅力だと思うので、海城をもっとアピールしたらいいと思います」と発言して、私は思わず「素晴らしい! 君はマーケティングの基本がわかっとる!」と褒めてしまいました。
それから収録の終わりまで、皆さんが「ああしたらいい、こうしたらいい」という当たり障りのない意見を述べて、タモリ倶楽部…でなくてKSB『報・働・力』の番組収録が終了したわけです。
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番組の放送は1月の中頃の深夜でした。私は遅くまで仕事をして起きていたので、30分番組のオンエアをそのまま見ました。すると…
前半のお金の話はほとんどカットされて、全体的に「市民の期待が集まれば、天守閣復元はした方がいい」という感じのやりとりに編集され、VTRの「天守閣があった方がいい」というインタビューはたっぷり使われ、その後に私と小学生の「海城(水城)をもっと打ち出せばいい」という意見がくっつけられていた! そんな並べ方したら、そら私、「推進派」の一味だと思われるわ(笑)。
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そこでさっきの、鳥源の女将さんの言葉につながるわけです。実は鳥源だけではありません。くつわDoの店主のおじさんにも同じようなことを言われました。ふみやの大将と女将さんにも「天守閣、何かするんな」と言われました。さらに、私のことをよく知る数人のお友達(和Dとか岡Tとか、うちの母ちゃんにまで)からは「テレビ見たけど、何? あの中途半端な終わり方」とまで言われました。放送してから1ヵ月も2カ月も経って、まだ時々言われる。そりゃそうでしょう。あんな編集されたら、誰が見ても私は「天守閣復元を含めた高松城の活性化に動いている人だ」と思われますよ(笑)。
鳥源の女将さんに言ったことを再掲しておきます。 「全く逆です。私は何もしないです」 でも、こんなところで書いてもダメなんだろうなあ。和Dさんに「もう田尾さん、ああいうのに出ちゃダメですよ!」と何回も怒られました(笑)。「でも、誰かが言わないと孫子の時代に大変なことになる」と思って出たんだけど、全く逆の推進派みたいに編集されちゃった。
ちなみに、番組では私が言った「差別化された付加価値」という言葉がテロップでバンと出されていたのですが、その文末に「?!」みたいな記号が付いていた。そこ、「?!」じゃなくて、マーケティングの原理原則ですよ。あと、古川さんの「丸亀町商店街も税金を投入したけど、その結果、商店街が納める税金が9倍に増えた」というコメントもきっちり使われていました(笑)。今さらですが、「編集というのは恐ろしいなあ」と思いました、と。
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2016年3月17日(木)
10日ぐらい前から微妙に体調が悪くて、「これはそのうち、腎臓結石の石が動くぞ…」という感じがしていたのである。結石持ち友の会「ストーンサークル」の間ではこれを「落石注意」と呼ぶが、呼んでいるのは私だけである。で、そいつが先週の木曜日、朝8時頃から研究室で仕事をしていたら、9時過ぎからついに動き始めて、私は机に突っ伏して2時間近くうずくまっていたのである。
まあ、慣れたもんだから、痛みの感じで石の大きさまで何となく「これはかなり小さいな」とわかる。たぶん今、ちっちゃいやつが腎臓から尿管を通って膀胱に向かっている…私はポットの白湯を覚ましながら何杯も飲んで石の後押しをしながら、鈍い痛みに耐えていたら、午前11時過ぎ、スーッと痛みが引いていった。たぶん、落石完了(笑)。
と同時に、本日の卒業式も終了。あちゃー。ま、式典の後の学部別の卒業生と教員の集まりには頑張って出たのですが。
かつての「笑いの文化人講座」の回分の名作、
「何だ?」「スダチだす、旦那」(なんだすだちだすだんな)
をもじって、
「何だ?」「巣立ちだす、旦那」
というのを今思いついたが、まあ、彼らもようやく成鳥になって何とか飛べるようになって、とりあえず社会への巣立ちである。
マーケティングの世界の私の知る限りの原理原則の10分の1ぐらいは授業でやったつもりだけど、あとは「基本を詰めればうまく行く確率が高くなるが、半分以上はやってみないとわからない」というのが現実の社会である。とりあえず、うまくいかないことがあっても、問題解決の正攻法を捨てて「売上伸びない、日本死ね」などという捨て鉢で醜悪なことを言わない大人になってくれれば60点(笑)。
授業とかで時々、「私は『自分の身に起きたことの92%は、自分が起こしたことだ(残りの8%は消費税・笑)』と考えるようにしている、と言っているが、まあみんな、人間が崩れていかんように頑張ってくれ。「『頑張れ』と声を掛けるのはどうやっても頑張れない人には苦痛だ」という意見をどこかで聞いたが、そういう人もいるかもしれないが、そんなのを普遍化して全員に適用したらいかんのは当たり前である。
何事も「当たり前」と「例外」があるのは認めないといけないが、「例外」の方を普遍化するというあまりよくない風潮がかなり増殖していると思う。だから、私は「何が当たり前か?」を時々俯瞰して考える習慣をつけているのである(なかなかうまいこといかんけど)。「当たり前」というのは時代とともに少しずつ変わって行くものであるが、変わっていくと言っても、いきなり「例外」が「当たり前」に取って代わるのは、アバウトな言い方で好きではないが「いかがなものか?」であろう。それと、古い「当たり前」にいつまでもしがみついているというのも「いかがなものか?」であろう。タイムフライズライクアンアロウ…とか。
あ、「光陰矢のごとし」で、「工員矢野、強盗し」という文化人講座の名作を思い出した(もうええか)。
とりあえず「さじ加減」。私的には「もっと『当たり前』寄りのさじ加減」といったところですか。
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先週の土曜日は、約3カ月に1回の「病院に行って定期検査をして薬をもらう」日だった。憂鬱だった。いや、病院に行くのは全然憂鬱でないのだが、そこで出してくれた処方箋を持って調剤薬局へ行くのが嫌でたまらないのである。
病院で血液検査と尿検査をして、そのデータを見ながら顔なじみの担当医のおじさんといろいろ話をして、「じゃあ、薬は今まで通りにしといても大丈夫やな。他に薬は飲んでないな? オッケー。ほな、とりあえず3カ月、これをいつものように飲みながら、食事はあれをなるべく避けて、これをなるべく摂って、運動はこれぐらいで…」とか説明を受けて、わからないところがあったら「この薬、何にどう効くんですか? 飲み忘れたらどうなるんですか?」とか質問して、説明を受けて納得して、出された処方箋を持って調剤薬局に行ったら、そこでまた「あの数値はどうでしたか? 体重はどうですか? 他に薬は飲んでいますか?…」等々と根掘り葉掘り聞かれる。
いらんやろ。そんなことは全部担当医と確認し合って、それで納得済みの処方箋を出してもらっているのだから。
それに、私は自分の体のデータを担当医以外にやたら知ってもらいたくない。しかも、調剤薬局では何度も、どこの調剤薬局に変えても、しょっちゅう「あ、うどんの田尾さんですね!」とか言われて、プライバシーダダ漏れの危惧があるし。大学の健康診断でも問診であまりにうどんのこととかプライベートなことばかり聞かれるので、もう大学で検診を受けるのはやめたし。
ま、「結石持ち情報」は自らダダ漏らししてますが(笑)。流れて困るような大したプライバシーは持ってませんけど。
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2016年3月9日(水)
この1週間は、「外へ出て移動するたびにえらい目に遭うという散々な事態が連続して襲ってきたウィーク」であった。
まず3月3日のひな祭り&私の娘の誕生日&O船の奥さんの誕生日というめでたい日のこと。
O船から電話がかかってきて、「今、膝の手術をして香川大学病院に入院しとって、明日退院するんやけど、暇でしょうがないんや。ちょっと病院から外に出て(たばこを)一服しながら話でもせんか?」と言うので、仕方なく昼から家内と2人で三木町にある香大病院に行って、O船を拾って車で「灰皿のあるオシャレな喫茶」を探しに出たのである。
三木町で「灰皿のあるオシャレな喫茶」といえば、私は、世界から三木町までの地名が同居する希有な喫茶「南米珈琲三木・ギャラリー鎌倉」しか知らん(笑)。そこで、病院から10分ほど走って「南米三木鎌倉」に行ったら、休みやないの! うどん屋の定休日は「データベースH谷川」があるので完璧なのだが、まさかの喫茶の定休日にまでぶち当たるとは。
そこで今度は家内が三木町周辺評論家のU原に情報提供の連絡を取ったら、仕事中なのか返事が返ってこない。仕方なく、今度は遠い記憶で、東バイパス沿いの「珈琲哲学」が昔、喫煙可で原稿を書きに入ったことがあったのを思い出して、そこから20分近く走って高松市に入って珈琲哲学を見つけて入ったら、「全面禁煙」になっていた。
途方に暮れた我々はまた三木町の方に帰りながら、車内から家内とO船がネットで探した近辺の喫茶&カフェに数軒電話をするが、ことごとく「禁煙です」の返事。「オシャレな名前のカフェはあかん、昭和のニオイのする店名にかけてみなあかんぞ」とか言いながら、1軒だけ「たばこ吸えますよ」という返事の喫茶があったので、そっちへ向かうことにした。途中、別の何か行けそうな店を見つけたので車を停めて入り口に向かうと、店自体が閉店していた。
結局、三木町周辺を1時間以上も彷徨って、見つけた「喫煙可」の喫茶に入ったのは、病院を出てから1時間半後という大惨事となった。これが序章である。
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続いて翌3月4日。
朝、パソコンを開けたら、U原から「昨日はお役に立てずにすみませんでした」というメールが来ていた。同時に、最近何か手に腫瘍ができて手術をしたらしく、除去した腫瘍のホルマリン漬けの写真を添付してくるという迷惑行為があって、何やら不吉な一日を予感させたのであるが、何だかんだ言いながら仕事が順調に進んだので、夜、夫婦で「映画を見に行くか。『スター・ウォーズ』がそろそろ終わるかもしれんから行っとくか」という話になったのである。そこで、私は早速、上映時間を確認することにした。
「データベースH谷川」には「映画の上映時間データが入っていない」という不備があるので、ネットで調べてみると、「9:25〜11:55」とあった。なるほど、封切りからもう2カ月以上経つのでナイトショーしかやってないみたいだ。けどまあ、明日は土曜日だからええか…と思って、私は準備を万端整えたのである。
近年、歳のせいで物忘れが多くなってきたので、改めて財布を持ったことを確認し、帰りにトイレに行くかもしれんからハンカチをポケットに入れ、席に着いてから上映開始までの間に暇つぶしに読む「ジェフリー・ディーバー」の文庫本もポケットに入れた。仕事部屋の足下の電気ストーブも切った。熱帯魚の水槽の電気も消した。帰って来た時に家が真っ暗だったら何となく何なので、台所の小さい電気だけをつけて後は消した。帰って来た時に部屋が寒かったら何となく何なので、緩く暖房だけ切らずに、火の元は大丈夫、玄関の鍵は掛けた。よし、準備は完璧。
というわけで、夜の9時10分、開演15分前に私と家内はイオンシネマ高松に到着したのである。そこでチケット売場に向かっていたら、家内が、
家内 あー、財布を忘れた! 田尾 えー……っと、ちょっと待ってよ。こっちの財布の中には……おー、何とか5000円札があるわ。 家内 けど私の財布にここで使えるカードが入ってるんや。 田尾 まあええやん。どうせ俺ら年寄り割引で安いんやから、現金で買おうで。 家内 ほんまになあ、出る前にカードがあるから財布を持っていこうとちゃんと思とったのに、すぐに忘れるんや。 田尾 お互い歳とったら衰えるのう(笑)。
まあ、よくあることだ。そのために、行動する時には昔以上に「指差し確認をちゃんとやらないかん」ということだ。私はさらに念を押して、窓口の後ろの上に出ている大きな電光掲示板を見て、ちゃんと「スター・ウォーズ 9:25」と出ているのを確認し、財布を出しながら、チケット売場のおねえさんに「スター・ウォーズ、年寄り2枚」と、いつものように軽く小ネタを挟みながら告げた。すると、一瞬戸惑ったような顔を見せた担当のお姉さんがちょっとパソコンをカタカタとやったあと、こう告げてきた。
担当 あの、スター・ウォーズは今日の分はもう終わりましたが… 田尾 え? 9時25分からじゃないんですか? 担当 朝の9時25分です。 家内 お父さんお父さん(冷笑)。
***
ふー、もう一本ある。
続いて3月8日。
この日は午後1時30分から東京の新宿で会議があるので、余裕を持って高松空港を午前9時45分発の羽田行きの飛行機に乗ったのである。日帰りする予定だったので、帰りの午後6時羽田発高松行きの乗車券の搭乗手続きも高松空港で済ませて、定刻に飛行機に乗り込んだ。すると、機内で「しばらくお待ちください」のアナウンスが流れた。
説明によると、羽田空港が濃霧で離着陸がものすごく混雑しているので、羽田の管制塔から「まだ飛び立つな」という指示が来ているらしい。我々乗客は、高松空港の機内で待機することになった。私はどうせ機内でパソコンで仕事をするつもりだったので、パソコンを開けて原稿に取りかかった。時間を忘れて、途中の機内アナウンスも気にならないぐらい一心不乱に原稿に取り組んだ。その結果、だいぶ原稿が進んだので時計を見たら、ジャスト、10時45分! ピッタリ1時間経過ー! まるで体内時計ー! 1時間も何しょんじゃー!
結局、高松空港を離陸したのが、定刻から1時間以上経った11時頃でした。しかし、会議は1時30分からだから、ここから1時間で羽田に着いて、そこから1時間で新宿に着いたらまだ30分前。途中でもたついても十分間に合う。常に早め早めに動くというビジネスマンの基本を守っていれば少々のアクシデントにも対応できるという、教科書のような実践例である。私は上空で再びパソコンを開け、余裕のよっちゃん(死語)で仕事を開始した。
飛行機は順調に飛び続け、12時前には東京上空あたりに来ていたと思う。私は、そろそろ着陸態勢に入るから「パソコンをしまえ」というアナウンスが来るな、と思いながら、引き続きええ感じで原稿が進んでいたのでそのまま書いていたら、機内アナウンスが来た。
「当機は空港の近くまで来たけど、管制塔が『上空でぐるぐる回りよれ』言うからしばらくぐるぐる回ります」
言い方は少し違うかもしれないが(全然違うわ)、そういうことであった。とにかく、羽田空港は濃霧でにっちもさっちもいかなくなっているらしい。結局、それから1時間近くも上空でぐるぐる回った。次のアナウンスが来たのは午後1時前。その内容は、
「管制塔から『そろそろ降ろしてやるけん、準備しとけ』という連絡が入りました」
言い方は少し違うかもしれないが、やっと来たか。
「当機は27番目の着陸となります」
上空で何匹回りよんじゃ!
興奮のあまり単位がおかしくなってしまったが、そういうことであった。結局、9時45分高松発の飛行機が11時に高松空港を離陸して、12時頃東京上空に来て、上空で1時間以上ぐるぐる回って、1時20分頃に羽田空港に着陸して、滑走路の上で30分ぐらい待たされて、2時前に羽田空港を出て、出発から4時間もかかって3時頃に新宿の会議室に到着しました。
しかし、話はそれだけでは終わらなかった。午後4時30分頃、会議の主題がほぼまとまったので、私は18:00羽田発の飛行機で帰ろうと思ったのだが、朝、2時間半も遅れていた飛行機がちゃんと定刻に飛ぶのか? ひょっとしたら18:00発の便も2時間遅れぐらいで飛ぶんちゃうか? と思った私は、一緒に会議に出ていたごんにスマホで調べてもらったら、
「18:00発高松行き 遅延または欠航」
という表示が出た! あかんやん。どうする? ダメモトで空港に行ってみるか? あるいは、もう飛行機を捨ててとっとと新幹線で帰るか? そこへ、一緒に会議に出ていた勝谷さんから「新幹線が一番確実!」との一声が挙がり、新幹線で帰ることに決定。東京麺通団で勝谷さんとうどんを食った後、私はごんと二人で新宿駅に行ったのである。
そこで再び葛藤した。私は来る時に高松空港に車を停めている。新幹線で帰ったら、空港まで何らかの手段で40分ぐらいかけて車を取りに行かないかん。しかし、もし飛行機が飛んでいたら、その手間が省ける。どうする?
田尾 やっぱり、ダメモトで空港に行ってみるか… ごん そうしますか? じゃあ、空港までの切符を買いましょう。
空港までの切符を買って、新宿から山手線に乗った。電車内でごんと話をしながら何個目かの駅で表示を見たら、「田町」だった。次は浜松町で、そこで乗り換えてモノレールで羽田空港に行くことになる。我々は再び会話を始めた。会話はどんどん進み、電車もどんどん進んで……電車が止まって表示を見たごんが言った。
ごん 新橋に来てますやん! 田尾 引き返せ引き返せ!
我々は急いで降りて、向かいのホームに回って浜松町まで引き返す。そこで降りて改札を2つ通ってモノレール乗り場に上がったら、そこに羽田空港の発着状況の電光掲示板があった。
「18:00発高松行き 欠航」。続いて最終便、「欠航」。
新幹線で帰りました。高松に着いたら夜の11時でした。翌朝、私は家内に高松空港まで送ってもらって、駐車場から車を出して松岡に行ったら開店時間の10分前に着いてしまって、松岡周辺を車でぐるぐる回って時間を潰してから松岡で一番釜のうどんを食って、大学に行きました。おしまい。
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2016年3月3日(木)
四国新聞をウォッチしていたら(もうええか・笑)…と書き始めたら、「スーパー・エキセントリック・シアター」の「ウォッチさん」のネタを思い出した。
これ、覚えている人がいるのだろうか。昔々、「スネークマンショー」が流行っていた頃に、誰かから「スーパーエキセントリックシアター」の出したカセットテープをもらったのである。スーパーエキセントリックシアターは三宅裕司が立ち上げた劇団なのであるが、それが当時、何かスネークマンショーみたいなパターンのシュールなお笑いカセットを発売していたらしく、それを誰かが「これ、おもろいで」言うて私にくれたような記憶がある。その中に入っていた「英語の授業」みたいなネタを思い出した。
三宅裕司が英語の先生役で、一人しゃべりのネタである。記憶だけなので完全再現はできないが、こんな感じ。
(三宅先生) 今日は、和文英訳の練習です。「ウォッチさんは、時計を見る」。これを英文に直してみましょう。簡単ですから先生が英語で言いますので、あとに続いてください。「ミスターウォッチウォッチウォッチ」…と、こうなるわけですね。次に、これを過去形に直してみましょう。皆さん習ったように、「ウォッチ」の過去形は「ウォッチました」ですから、「ミスターウォッチウォッチウォッチました」…と、こうなるわけです。次に、これを過去分詞形にしてみましょう。皆さんご存じの通り、「ウォッチ」の過去分詞形は「シュワッチ」ですから、「ミスターウォッチシュワッチウォッチ」…と、こうなるわけです。では最後に、これを疑問形にしてみましょう。例文は、「ウォッチさんは、どちらの時計を見るか」。難しいようですが、基本を覚えていれば簡単です。「ウィッチミスターウォッチウォッチウォッチましたシュワッチ!」…と、こうなるわけです。
みたいなの、誰か覚えてない?
で、四国新聞をウォッチしていたら、「高松市出身の漫画家篠丸のどかさんが『うどんの国の金色蹴鞠』というマンガを書いていて、その中に屋島や高松港、トキワ街といった実在の場所がたくさん出てくる。観音寺市を舞台にしたテレビアニメ『結城友奈は勇者である』の中に観音寺中学や琴弾八幡宮、三架橋、うどん店などの実在する場所や店がたくさん出てくる。そういうご当地作品に出た場所へ“聖地巡り”をする若者ファンが増えている。漫画やアニメの持つ影響力の大きさが見えてきた。日常を磨き、観光につなげていく大切さも見えた」…とかいう内容のコラムが載っていて、それを見て、また昔のエピソードを一つ思い出したのである。
あれは忘れもしない1988年だったか1989年だったか(お約束のツッコミよろしく)、竹下内閣の時に「ふるさと創生事業」という、全国の市区町村に1億円ずつばらまいて「何でも好きなことをやってちょうだい」という無駄使いの極致みたいな事業が決行された時に、私のふるさとの詫間町で、当時の横山町長(現三豊市長)の召集で「1億円を何に使うか意見交換会」みたいなのが開かれたのである。「ふるさと創生事業」は1988年に始まったけど、詫間町の会がいつだったか思い出せないので。それで、そこに私も呼ばれまして(笑)。
ふるさと創生1億円事業は、今みたいに全国の地方自治体がどんどん凋落している時代ではなく、バブルがどんどん膨らんでいるイケイケの時代に「無駄遣いをしよう!」みたいな勢いでお金を配った事業で、だから全国の市区町村も、もらった1億円でアホみたいなことをいっぱいやっていたという、まあ今から思えばうらやましい話ではありました。
年配の方は覚えておられると思いますが、1億円で純金のカツオを作ったり(高知県中土佐町。のちに盗まれる)、純金の鯛を2匹作って1匹盗まれたり(大分県中津江村)、純金のこけしを作ったり(青森県黒石町。ほんまに純金好きの自治体があちこちにいました)、村営キャバレーを作ってのちに倒産したり(秋田県仙南村)、何やら記念館みたいなのを作ったり、温泉を掘ったり、自由の女神像やら世界最長のすべり台やら巨大獅子頭やら、わけのわからないものがあちこちでいっぱい作られたり、何も思いつかなくてそのまま基金にしたり…まあとにかく「知恵のないところに金を配ったらこんなことになる」という見本市みたいな騒動が2年ぐらいにわたって巻き起こったわけです。
でもまあ、「どうせなくなっても痛くもかゆくもない」という触れ込みの予算だったけど、「どうせなら話題をまこう、あわよくば町おこしにでもつなげよう」ということで、詫間町でも「1億円の使い途検討会」が行われたわけです。参加者は、町長以下役場の偉いさん方や、町内でいろんな活動をされている方が10人くらい。そこに「詫間町出身で高松に住んでいるけどタウン誌でおもろいことをやっている田尾さん」も呼ばれまして、そこでまず全国のいくつかの事例が出され(すでに上記のような何かを決めてやっているところがあったのだと思う)、みんながいろいろ意見を出した後、「田尾さん、何かアイデアありますか?」と聞かれたので、私は恐る恐る、次のような提案をしました。
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えーと、何をやってもいいんですよね。まあ詫間のPRになればなおよし、何か儲かればもっとよし、ということみたいなので、こんなんはどうですか? 今、若い者の間で「ファミコン」がめちゃめちゃ売れているんですけど、その中でも100万本も売れている超ヒットファミコンソフトに「ドラゴンクエスト」いうのがあるんです。あ、知ってますよね。あれを作った人、実は丸亀高校出身の中村さんという人なんです。そこで、郷土のよしみで中村さんに頼んで、「ドラゴンクエスト」のスピンオフみたいなソフトを新しく作ってもらうというのはどうですか? 100万本とは言わんけど、50万本ぐらい売れそうなクオリティのやつを作ってもらう。
それでですね、詫間は「浦島太郎の里」でPRしていますから、『ドラゴンクエスト〜黄金の竜宮伝説』みたいなタイトルで、ゲームのストーリーの中に詫間の地名や名産や伝説やいろんな素材をふんだんにちりばめてもらうわけです。すると、「ゲームをクリアしていったら、全国50万人の若者が何か知らんけどみんな詫間のことにメチャメチャ詳しくなっている」という効果が狙える。
あと、もう一つ期待成果がありまして、「ドラゴンクエスト」は1本5500円するんですけど、仮に1本4000円ぐらいに設定しても、50万本売れたら20億円の売上が立つんです。皮算用ですけど、詫間町がリスクを負って制作販売主体になったら、50万本も売れたらたぶん10億円以上の「粗利」が出る。もしドラクエ並みに100万本も売れたら、20億円とか30億円の利益が出る。あるいは、どこかに制作販売主体になってもらって詫間はノーリスクでマージン商売にしたとしても、印税みたいに5〜10%で契約したら数億円の「純利益」が出ることになりますけど……
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という案を出しました。それとあともう1つ、「荘内半島の海から見えるどこかの一角の山肌か畑を、『明治神宮の森』みたいに100年計画で、圧倒的なビジュアルの森と草原に作り上げる。専門家とコンピューター技術を駆使して、最初に設計して植林したら、あとは放っておいても自然の力で勝手にアートが出来上がっていくみたいな。例えば、春になったらあの花とあの花が咲いて、落葉樹が新緑の葉を付けて、それらが全体で何かの絵を浮かび上がらせる。夏になったら今度はこっちの花が咲き始めて、新緑の緑が濃くなって、また違う絵を浮かび上がらせる。秋になったらまた絵が変わり、冬になったらまた違う絵になるみたいなのを緻密な計算でプログラムして草花を植え、植林する。すると、瀬戸内海を航行する船が『おー、荘内半島に龍の絵が出てきたぞー。もうすっかり春やのー』とか言うて(笑)」というプランと、あと小ネタを1つ2つ出しました。まあ、ええ時代に無責任なお金を使えるというか、使わざるを得ないという話なので、好き勝手言うてきたわけです。そしたら何と!
後日、横山町長から電話がかかってきて、「田尾さんが言いよったあれ、みんなが『おもしろいんちゃうか?』言うて、動いてみるかいう話になったんよ」と言うではありませんか! 「どれですか?」と聞いたら、「ドラゴンクエストのやつ」って(笑)。
決まったら動きが速いのが横山町長。さっそくドラクエを作った「チュンソフト」の中村光一社長にアポをとって、私と横山町長と担当課長だったかどなたか1名の3人で東京へ行くことになりました。
ある日の朝早く、我々3人は新幹線だったか飛行機だったか忘れましたが、午前中に東京に着きました。そこから一目散にチュンソフトの会社に行きました。あの日が1988年なら、当時、横山町長40歳、私32歳、中村社長24歳! みんな若かったなあ。そこでいろいろ話をしたら、中村社長もそれなりに興味を持ってくれたようだったので、私が切り出しました。
田尾「それで、もしそういうソフトを作るとしたら、どれくらいかかりますか?」
すると、しばし考えた中村社長から返ってきた返事は、
中村「そうですねえ、ソフト制作で1億円くらいですか」
私と町長は顔を見合わせて(いや、この辺は記憶だけで雰囲気を再現していますので、顔を見合わせたかどうかは定かでないです。あと、セリフも「再現」ですので正確ではありません・笑)
田尾「ソフトだけで1億円使ってしまうことになるんか」 中村「その上に、ファミコンソフト本体の製作費がかかってきます」 町長「すると1億円をオーバーするなあ」 田尾「けど、売れたら全部回収した上に億単位の利益が出ますよ」 町長「そのソフト本体の製作はどこでやるんですか? それとどれくらいかかるのか」 中村「製作は京セラになりますね。値段は京セラに聞いてみないとわからない」 町長「じゃあ、とりあえず京セラに行ってみますか」
という話になって、チュンソフトで中村社長と1時間くらい話した後、我々3人はその足ですぐに京都に行きました。そこで京セラ本社担当の方にいろいろ話を聞いた結果、ちょっと数字ははっきり覚えてないけど、1本単価800円だったか1000円だったか1500円だったか。たぶんロットによってその前後だったと思うけど、仮に50万本作るとしたら5000万円ぐらいかかるという感じの話まで詰めることができました。
ちなみに、何かどこかで一泊した記憶がないから、東京〜京都を日帰りの強行軍で回ったのかもしれないし、どっちかで一泊したかもしれないけど、若きビジネスマンたち(町長とお付きの方はビジネスマンじゃないけど)はそれぐらいの行動力はいつでもあったわけです。
結局、チュンソフトと京セラの訪問から出た結論は、
(1)ドラクエ並のクオリティの新しいファミコンソフトを50万本作るとすると、1億5000万円はかかる。発売するとなると、宣伝や流通等々であと数千万円かかるかもしれない。 (2)でも50万本売れると(ドラクエの1作目はトータルで150万本ぐらい売れた)、単価4000円としても20億円の売上になって、製作費と販促費等の2億円くらい何でもなくなる。 (3)おそらく損益分岐点は、5万本〜10万本の間だと思われる。
というものでした。そして私は、その後の判断を詫間町(町長と町議会)に預けて、再び自分のタウン誌の仕事に戻ったわけです。
どうなったかって? 聞いて驚いてはいません。
数ヵ月後、詫間町はふるさと創生の1億円を使って、大浜に「竜宮城公衆便所」を作ることを決定しました(笑)。
何か、議会で他に「町がビジネスをするという前例がない」「仮に大きな収入が出ても、それを取り込む受け皿の収入項目がない」等々の「できない理由」がいろいろ並べられたそうで、結局、最終的に「1億円を上回るリスクを負うことはできない」という判断になったそうです。聞いた話なので、何が最大のネックになったのか、正確なところはわかりませんが。
以上、もう30年近く前の、細かい点は不正確ながら大筋は正確な、古き良き時代(?)の思い出話でした。それにしても、あの頃はわけのわからんパワーがあったなあ(笑)。
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