2016年12月の日記 |
2016年12月31日(土)
29日、30日と、2日にわたってものすごく掃除をした。デスクワークと待機ものがあって外出するわけにいかなかったので、しばらく部屋に籠もっていたのだが、原稿が進まなくなったので水槽とか部屋の中を見回していたら、スイッチが入ってしまったのだ(笑)。
「よし、本箱と収納棚の一大整理をして、部屋の半分を模様替えしよう」
本箱を動かすには、中の本やいろんな物体をほとんど引っ張り出さないと、一人では重すぎて動かない。家内は他の部屋の片付けや掃除をしているし、腰と膝が悪いので重い物は持てない。ということで、まず模様替えの完成予想図の構想を練り、大物の配置予想図が概ね決まったところで、本箱と収納棚の中身を半分くらい引っ張り出した。
その時点で、部屋の床はもう足の踏み場が70%くらい失われ、ほとんどゴミ屋敷状態になった。それから大物の箱(といってもDIYレベルの三段ボックスや五段ボックスがほとんどなのだが)を少しずつ動かして再配置し、丁寧に拭き掃除をしたあと、引っ張り出して積み上げた本や物品を整理しながら収納していく。併せて、一つ一つ「これは残された人生において本当に必要なものなのか?」を吟味しながら、「否」と判断したものを思い切って捨て…夜中までかかって模様替えが完了した。
部屋の中の「物」が6割くらいに減って、部屋の空間が4割くらい増えて、めちゃめちゃスッキリと明るくなりました。
翌30日、朝起きたらめちゃめちゃ部屋に入りたくなって(笑)、入ったらまたスイッチが入って、今度は部屋全体の拭き掃除を開始。ボックス関連は昨日拭いたので、今度はドアから窓、壁、柱、小物から配線のコード1本1本まで、洗剤と雑巾で徹底的に拭き掃除をした結果、もう二分の隙もない(一分くらいは隙がある)ような、近年希に見る快適な仕事環境が出来上がりました。もうあまりに快適すぎて、部屋を眺めるばかりで仕事が手につかないという有様です(笑)。
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それにしても、片付け中にいっぱい出てきた昔の資料や仕事の成果物を見ていると、改めて「よう働いてきたなあ」と自分で思うのである。22歳〜25歳までの広告代理店時代は、月〜土は毎日遅くまで仕事をし(週休2日制なんてなかった時代だし)、日曜日は先輩たちの担当するイベントや企業、商店の売り出しの手伝いに奔走し、2年目からはスーパーのチラシを担当するようになって、完全に休日がなくなった(おかげで新婚旅行にも行っていない)。
それから1982年に26歳でタウン誌創刊の編集長をやることになり、泥のように働く日々がスタート。少人数の月刊誌だから、取材と原稿に追われ、袋詰め作業や配本といった単純な連続作業も加わって、休日はほとんどなし。毎月締切時期になると、1週間〜10日ぐらい徹夜状態の作業が続き、車で10分もかからない自宅にすら帰れない日もたびたび。帰っても風呂に入ってソファで仮眠してすぐに会社に出かける(ふとんに入ったら熟睡して仕事に間に合わなくなるから)。締切時期は毎月5日〜15日あたりだから、お盆休みは一度も取れていない。
それでも、発行後の読者の反応に支えられた達成感と、単純な連続作業にも楽しさと何かの達成感を求め続けながら(私は「何にでも楽しさと達成感を持ちたい」という性格だし、「同じ成果を挙げるのなら楽しくやった方がいい」と思っているので)、まあよう働いてきました。その結果、1990年代に入ると業績もよくなって社員の数も増えて、“泥沼”にちょっと“陸地”ができたような仕事環境になってきたのである。
ところが、90年代の中盤あたりに突然、労働基準法の適用が厳しくなって、「夕方5時(だったか6時だったか)以降は、残業代をつけない労働をしてはならない」みたいなお達しがどこからともなくやってきた。「どこからともなく」というのは、当時のタウン情報全国ネットワークの会合で「会社を辞めた元社員がどこかで“在職中の超過勤務の残業代を支払え”という裁判を起こした」という報告があり、そういう動きが全国で出始めているということで、各社も労働基準の改善に努めようという、ちょっと情緒的なきっかけだったからである。
その結果、当時のタウン誌業界(私の知る限り)に何が起こったか?
(1)仕事を家に持って帰る社員が続出した。
当たり前ですよね。仕事の量が変わらないのに会社で仕事をする時間を短くしたら、当面はそうするしかない。そうじゃないと月刊誌が発行できないもの(笑)。
(2)雑誌の編集ページがどんどん「カタログ化」し始めた。
当然そうなりますよね。短時間で情報量とページ数を維持するためには、レイアウトをパターン化して、パターン化した記事を流し込むというオートメーション化に向かうしかない。その結果、取材内容も必要最小限になり、デザインも記事も「手作り感」がどんどんなくなって、情報部分(店情報、物情報、催し物情報等)がカタログ化してくるわけです。
そのうち、ワープロやパソコンが出てきて、タウン誌業界は編集〜制作〜印刷作業がDTP(デスクトップ・プリンティング)化していったのですが、DTP化で作業が合理化されたのは制作(デザイン)と印刷が主で、ざっと言えば、編集は「手書き」が「ワープロ」に変わっただけ、みたいな感じ(笑)。結局、編集作業の合理化は「クオリティを落として手を抜く」という、何とも稚拙な話で今日まで至っている…というのが私の実感です。ま、「私の知る限りのタウン誌業界」だけの話ですが(本当はそれだけじゃないと思っているけど・笑)。
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ま、「労働時間は短く、クオリティは落とさず、雇用も給料も落とさず」というのが理想なのでしょうが、原理原則で考えれば、普通、労働時間を短くしたら「クオリティを落とす」か「雇用か給料を落とす」かしないと、それまで会社が出していた付加価値は維持できないのは当然です。それを何とか解消して理想の形に持って行こうと思えば、「短い労働時間でも高い付加価値を出す」という新しいビジネスモデル、あるいは新しいビジネス自体を生み出すしかない。そのビジョンがないまま労働時間を短縮すれば、先のタウン誌業界に起こったような歪みや本末転倒の事態が必ず起こると思います。
ちなみに、年間の休日数(1年365日として)を数えてみたら、その変遷は以下のようになっていました。
●1980年代頃 休日……66日(日曜、祝祭日) 仕事日…299日
●1990年代頃 休日……92日(日曜、祝祭日と「隔週週休二日制」の導入) 仕事日…273日
●2000年代以降 休日……118日(日曜、祝祭日と「完全週休二日制」の導入) 仕事日…247日
これに「有給休暇取得率のアップ」を加えると、たぶんこの30年くらいで日本人の平均労働日数は、年間60日くらい減っていると思われる。およそ20%減です。しかし、「短時間労働で高い付加価値を生み出す」という新しいビジネスモデルや新しいビジネス自体(少々の合理化策とかのレベルの話じゃないですよ)は、日本のビジネス全体の20%どころか、1%も生まれていないという感じがします。
すると、基本的に「そら過労になるわ」というのが理屈でしょう。
「企業の労働時間と出した付加価値の比率(指数的な数字)」のデータがあればわかるんですが、30年前のデータがたぶんないから推測に過ぎませんが。
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ま、そういうわけで、
・今までのビジネスを続けながら労働時間を短くしたいのなら、成果物のクオリティや手作り感を落とすか、雇用か給料を落とすしかないのではないか? ・「労働時間は短く、クオリティは落とさず、雇用も給料も落とさず」という社会を目指すのなら、「短時間労働で高い付加価値を生み出す」という新しいビジネスモデルや新しいビジネス自体を生み出すしかないのではないか? ・「短時間労働で高い付加価値を生み出す」という新しいビジネスモデルや新しいビジネス自体を生み出さないまま、「労働時間は短く、クオリティは落とさず、雇用も給料も落とさない」というのは根本的に矛盾しているので、闇雲に進めると何かの破綻を迎えるのではないか?
などということを、掃除と片付けと模様替えをしながらちょっとだけ考えていました。とりあえず、私の職場は新しいビジネスモデルのビジョンがないみたいなので(「そんなことはしたくない」という既得権者がたくさんおられるので・笑)、来年も時間を気にせず働いて達成感と充実感のあるレベルの付加価値を出すか、あまりに疲れたらクオリティを落とすかします(笑)。
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2016年12月22日(木)
年内の授業が今日で終了。1月5日の授業再開まで、約2週間の「授業以外の仕事を一気に片付けるデー」に突入した。とりあえず、貯め込んである延べ500人分ぐらいの岩石土砂混淆(「玉」がないやん・笑)の授業の中間レポートを全部読んでチェックせないかん。
ちなみに、「岩石土砂混淆(「玉」がないやん・笑)」という元ネタをちょっと変えたおバカな書き方は私の習性であるが、昨日の「校閲」つながりで一つ。前にどこかで書いたかな?
17年ほど前、「新潮OH!文庫」から『恐るべきさぬきうどん』が発刊される直前の最終校正で、私の書いた
●A藤からのFAXにハチの巣を見つけたような騒ぎとなった我々は、ま、ちょっと騒いだということですが…
という原稿が、
●A藤からのFAXにハチの巣をつついたような騒ぎとなった我々は、ま、ちょっと騒いだということですが…
と直されて帰ってきました。そこで私は、「『ハチの巣を見つけたような』に戻してください。ハチの巣をつついたほどの騒ぎではない、という意味のギャグですから」と返したのです。
ところが、次の最終校正でも「ハチの巣をつついた」になっている。チェックの見落としかなあ…と思ってもう一度「『ハチの巣を見つけたような』に戻してください」と書いて校正が終了したら、全然言うことを聞いてくれんで、「ハチの巣をつついた」で出版されてしまいました(笑)。お手持ちの方がいらっしゃいましたら、新潮OH!文庫『恐るべきさぬきうどん/麺地創造の巻』の108ページの最後から6行目です。
後で関係者の方に聞いたら、校閲が「『ハチの巣を見つけた』などという言い回しはない。ここは『ハチの巣をつついた』の間違いだ」と言って聞かなかったんじゃないかと。でもなあ、それじゃ、あとに続く「ま、ちょっと騒いだということですが…」の説明がマヌケになるだろ?(笑) ちなみに、その後に出版された「新潮文庫」版では、ちゃんと「ハチの巣を見つけた」になっています。
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さて次は、頭の体操というか何というか。『インタレスト』申し込みメールとか『うどラヂ』へのお便りの中に「栗林公園の鯉」の続編ネタがいくつか来ていたので、一応その後のニュースを紹介しておきますね。
あの後、「栗林公園にぎわいづくり委員会」というところ(後述の新聞記事によると県が運営母体らしい)が、インターネットのクラウドファンディングで「鯉の購入資金の寄付」を呼びかけて、250万円が集まって、それで錦鯉を購入して、11月末に栗林公園の池に200匹が放流されました。四国新聞や日経新聞、産経新聞等でも記事になりましたので、いくつか紹介しますと、
●産経 (見出し) 栗林公園の池のコイ激減→ネットで資金調達→ニシキゴイ200匹放流
(本文) 野鳥による捕食などで池のコイが激減していた国の特別名勝、栗林公園(高松市)で、インターネットで資金を募る「クラウドファンディング」を活用し、新たに購入したニシキゴイ200匹が放流された。
資金は7月下旬〜9月上旬に9都府県と台湾の計82人から250万円が集まった。
園内には、江戸時代からニシキゴイやマゴイが生息。平成3年度までは愛護団体の寄付で放流を続け、最も多い時で約3千匹のコイがいたが、高齢で死ぬ数や近年の捕食被害の増加により、現在は約700匹(いずれも推計)にまで減少。色鮮やかで鳥に狙われやすいニシキゴイが少なくなっているという。
今回は、鳥に食べられにくい体長40センチ程度のコイを新潟県の業者から購入した。当初は目標額60万円で約80匹購入予定だったが、想定以上に資金が集まったため、来年も購入して放流するという。
●日経 (見出し) 善意次々、コイも次々 栗林公園に350匹放流へ、ネットで資金調達
(本文) 国の特別名勝、栗林公園(高松市)で激減していたニシキゴイを増やすため、香川県などが今夏募ったインターネットによる資金調達が目標の4倍に当たる250万円となった。350匹を購入する予定で、まず23日に200匹を放流する。
不特定多数から小口資金を集めるクラウドファンディングを活用。3千〜50万円の支援コースを設け、和船乗船券など、実際に訪れてもらいやすい返礼品も用意した。県栗林公園観光事務所によると、7〜9月の募集で82人から250万円(目標60万円)が集まったという。
まず200匹を23日に放流する。残り約150匹は来年購入する予定だ。ニシキゴイの減少は高齢化や野鳥による捕食が一因。適正生育数の半分以下の約700匹に減っていると見られる。捕食されにくい体長40センチほどのニシキゴイを購入する。
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新聞によって微妙に内容が違いますが、とりあえずそういう経緯を辿っています。で、私の知る限り、この経緯に、誰も、何の疑問も持っていないようなので、私の素朴な疑問を一つ。
「今、放流して大丈夫なの?」(笑)
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何か事故や不具合が起こったら、 @原因を徹底的に究明する。 Aその原因に対策を打ち、再び同じ事故や不具合が起こらないように状況を整えてから、再始動する。 というのが当たり前のプロセスですね。そして、マスコミや世論も今まで当然のようにそれを徹底的に指摘してきました。
例えば、豊洲は原因究明と対策が完了するまで移転を止めているし、原発だろうがオスプレイだろうが食中毒を出した店だろうが、みんな「原因を究明して徹底的な安全対策を打つまで再始動してはならない!」と声を挙げるでしょう。原発なんか、原因を究明して徹底的な安全対策を打っても「何が起こるかわからない」といって止めようとしているし(笑)。
その原則にあてはめると、まず、栗林公園の鯉の「突然の激減」は、原因が究明できていない。次に、百歩譲って関係行政やマスコミが主張しているように「鵜が捕食した」のが主原因だとすると、それを防ぐ対策をどう打ったのか? 対策は完了したのか? がわからない。そんな無防備な状態で、また放流していいの? というのが私の疑問です。
さらに細かいことをいうと、
・「色鮮やかで鳥に狙われやすいニシキゴイ」と言っているのに、わざわざそのニシキゴイを新たに放流するって、鵜のエサを放流しているみたいなことにならないの? ・「捕食されにくい体長40センチほどのニシキゴイ」とあるけど、栗林公園の池で突然激減したコイのほとんどが「体長50センチ以上級の見事なニシキゴイ」ばっかりやん(笑)。
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いずれにしろ、鵜の対策がないまま放流して、本当に鵜の捕食が原因ならまたあっという間にいなくなるだろうし、もしそのまま鯉が減らなければ、今度は「鵜の捕食が原因」というのが間違いだという話になって「鵜の冤罪」が晴れるかもしれん。ま、「第一ボタンを掛け違えると、裾でいろんなものが合わなくなる」という話かもしれませんが、どうなることやら(笑)。
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2016年12月21日(水)
朝起きたら、上原から「今日、ヘンテコなベレー帽をかぶった谷編集長が『また田尾先生、更新サボってますね』と文句を言うてましたのでご報告です」というメールが来ていた。…と書き出したら、大昔(たぶん1970年代)に聞いた「♪朝起きたら〜、男の態度が変わってた〜!」という大阪のおねえちゃんのブルースのフレーズが頭の中で回り始めたやんか。
しょうがない、雑文を書こう。いつも雑文だけど。
こないだの土曜日、朝からクラフトマンズファクトリーに行って追い詰められた原稿に取り組もうと思って時間を見たら、9時半だった。クラフトマンは10時からなので、家の近くのTSUTAYAに寄って、「海外ミステリー」のコーナーで本を見ていたのである。
海外ミステリーは中学か高校時代に「怪盗ルパンシリーズ」と「シャーロック・ホームズシリーズ」にはまって全部読んだのだが、その後手を出した「エラリー・クィーン」のシリーズが当時の私には文章がしんどくて、途中で読むのをやめて、以来、海外ミステリーには全く手を出していなかった。さらに、それから時は過ぎて30年後の2003年に『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』の日本語訳が出ていたのを出張途中の駅の売店で見つけて、新幹線の中で暇つぶしに読み始めたら、これがまあプロの翻訳とは思えないリズムの悪い日本語で、「海外本は翻訳者の腕で読みやすくも読みにくくもなる」という、考えてみれば当たり前のことに気がついて、それ以来、今年A藤に「ジェフリー・ディーヴァー(下唇を噛んで・笑)」を紹介されるまでまた10年以上、海外本には一切手を出してなかったのである。まあ、元々ろくに本は読んできてないんだけど。
で、「ジェフリー・ディーヴァー(下唇を噛んで)」で再び海外ミステリーを見直した私は、TSUTAYAの海外ミステリーコーナーに行って、文庫を8冊も買ってしまいました。ほとんど読む暇もないのに(笑)。
とりあえず、『ダヴィンチ・コード(下唇を噛んで。もうええか・笑)』のシリーズだから、まあ大きなハズレはないかと思って、平積みにしてあった『ロスト・シンボル』と『インフェルノ』の上・中・下の6冊。それと、ネットで「ジェフリー・ディーヴァーのファンならぜひこれも」と書いてあったので、ある海外ミステリー作家のある作品の日本語訳文庫の上下巻2冊。
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で、その日の夜から、一番短そうな「ある海外ミステリー作家のある作品」の方から寝る前にふとんの中でちょっと読み始めたわけです。ところが、この「ある作家」の皆さんにはごめんなさいね、単に私の好き嫌いの話ですから「アホか」の一言で一蹴してくれて全然構いませんけど、読み始めたら文章のリズムが私に合わなくて、ストーリーを追う前にストレスが次々に襲ってきて進みやしない(笑)。
まず、単調な文末が延々続いて非常にリズムが悪く、私の頭の中で文章が「流れない」。一例を挙げると、
……ため息をつきそうになった。……わかっていた。……経過していた。……慣れた。……ではなかった。……いきはしない。……なかった。……しかなかった。……仕事だった。……いうことだった。……傾向があった。……ならなかった。……大きかった。……気づいた。……しなかった。……なぞらえていた。……きまり悪くなった。……表われた。……ほしかった。……必要だった。……必要があった。……瞬間だ。……欲していた。……渡した。……捜査官だった。……不満もなかった。……置かれた。……不在だった。……航空機機長だった。……寄せようとした。
これ、あるブロックの文章ですが、文が30続いている中で、「いきはしない。」と「瞬間だ。」の2つ以外、延々と「何とかだった」という文末が続くのである。これが、「文末でリズムをとるタイプ」の私にとっては、文章が流れなくてとても読みづらいんです(翻訳者の方か校閲者の方、すみません)。
次に、私が習ったり書いたり読んだりしてきた時代に漢字表記だったものがいくつもひらがな表記になっていて、そこでも私の頭の中でリズムが崩れて読みづらくなる(翻訳者の方か校閲者の方、すみません)。一例を挙げますと、
●月の第一週のあいだはけっして休みを取らず…(私は「月の第一週の間は決して休みを取らず」の方がストレスなく読める) ●「あなたたち、ちょっときてもらえる?」(同じく、「あなたたち、ちょっと来てもらえる?」の方が…) ●あのふたりがふたつの事件をごちゃ混ぜにした…(同じく、「あの二人が二つの事件を」の方が…) ●いったいこれはなんなのか…(同じく、「一体これは何なのか」の方が…) ●そのふたつの年のなかでふたりが…(同じく、「その二つの年の中で二人が」の方が…) ●手を打つまえにわたしに相談…(同じく、「手を打つ前に私に相談」の方が…)
他にも「開く」が全部「ひらく」、「その方が」は全部「そのほうが」、「時」は全部「とき」、「他」は全部「ほか」、「誰」は全部「だれ」、「俺」は全部「おれ」、「後」は全部「あと」、「今朝」は全部「けさ」、「新たに」が「あらたに」、「行く」が「いく」、「〜した通り」が「〜したとおり」…等々。
これが単品でポツポツ出てくるだけでなく、例えば「おれがけさ、あらたにひらいたときにはほかにだれもいなかった…」みたいな感じに塊で出てきたら、もうそこで先に読み進める気力がなくなるの(笑)。
さらに、原文に忠実すぎるのか何なのか、パッと頭に入って来ない一文がかなり頻繁に登場する。その一例。
●ポケットから○○(刑事名)は○○ホテルの駐車係から手に入れて、○○の車とともに押収した鍵束を取り出した。
まず、「、」の位置がおかしいので何がどれに掛かっているのかがパッとわからない。刑事がホテルの駐車係から手に入れたものは何? 鍵束? それなら、鍵束は「駐車係から手に入れた」のに「車とともに押収した」の?
「刑事が駐車係から車と鍵束を押収して、そのうちの鍵束だけを自分のポケットに入れていて、それを取り出した」の? それなら、せめて「○○(刑事)は、○○ホテルの駐車係から○○の車とともに押収していた鍵束を自分のポケットから取り出した」とかいう流れで書いてくれたら、ストレスなしに読み進められるんだけど…
そういう文が、これまたあちこちに出てくる。この「文末のリズムの悪さ」と「ひらがな表記の多さ」と「直訳風の平易にわかりやすくない文章」の乱射攻撃に耐えられず、「ジェフリー・ディーヴァー」ならとっくに上下巻を読破しているくらいの時間をかけているのに、まだ上巻の4分の3くらいしか読めてないという有様である。
などということがあって、また洋書の翻訳不審にちょっと陥った感のある今日この頃でした。まあ、古い人間の文章の読み方の習性の問題なんですかね。あるいは、個人的な私の読解力の問題なのか。いずれにしろ、今度から海外の翻訳本はもうちょっと立ち読みしてから買うことにしよう(笑)。
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2016年12月12日(月)
2週間ほど前、韓国のKTVという国営ケーブルテレビから大学経由で「讃岐うどんを紹介する番組を作るので、インタビューを受けてくれないか」という依頼が来たのですが、メールに添付されてきたwordの文書が、なかなか初めて見る書式で(笑)。
ちゃんと「word」の文書になっていて、なかなか達者な日本語で「田尾先生へのインタビューの内容」が9項目書かれていたのですが、よーく見ていると、ところどころ微妙に漢字がこっちと違うの。
(1)まず、「交通 連携 放送」とかの「しんにょう」が全部、最初のテンが2つあるやつになっている(コピペしたら文字化けしたから、以下、現物を紹介できません)。
(2)次に、「情報誌 要請」とかの「青」という漢字の下が、全部「円」になっている。
(3)そして、「おいしい、している、ならない」等々のひらがなの「い」が、全部小さい「ぃ」になっている。
で、試しにその文書にいろいろ文章を書いてみたら、全部そういうふうに変換されるの(笑)。何なんだろうと思ってフォントを確認したら、「Batang」という聞いたことのないフォントになっていました。200種類以上入っているmacの書体リストの中にもそんな書体はないので、ちょっとこの添付文書、保存しておこうっと(笑)。
ちなみに、Q8の質問項目に、
Q8. 食べ物のコンテンツを利用して観光活性化するときに重要な要素 (例えば体験型観光商品開発、連携商品ギェバルなど)があったら、ご紹介してください。
というのがあったのですが、この中の「連携商品ギェバル」が、何をどう想像してもわからん。一体何のことなんでしょう(笑)。
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蛇足ながら、Q8の私の回答は、
・食べ物のコンテンツ(グルメ)は、観光による地域活性化策において、基本的に観光客を呼ぶためのメイン素材にはならない。 ・グルメは基本的に「圧倒的な集客力を有するメイン素材」の周辺でそれをサポートする「サブ素材」である。 ・唯一、グルメが観光のメイン素材になるためには「集合」しかないが、差別化された魅力的な付加価値のある「グルメの集合(エリア)」というものは、新たにそう簡単に作れるものではない。
というものです。「あれを食べるためだけに、あの県に旅行に行こう」という動機付けって、よっぽどのマニアか旅に行き尽くした「通」以外に、そんなにいないでしょ? だから、やらないよりはやった方がいいのだろうけど、「観光で地域を活性化しよう」とか「観光立県」とかを本気で目指すのなら、「地域の特産物を売り出そう、特産品で新しいメニューやおみやげ商品を開発しよう」などというグルメから入るのは圧倒的に優先順位が低い。年間1億円の経費節減目標を掲げた対策に「コピー用紙の裏も使おう」とか「新聞を5紙とっているのを2紙にしよう」とか言ってるようなものだと思います。
とりあえず、観光立県などというものを本気で目指すのなら、目指すべき完成予想図の「サイズ」と、やろうとしている戦略一つ一つの「サイズ」をちゃんと見極めるという、マーケティングの初歩の初歩ぐらい認識しておかないと話にならないと思うのですが。
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2016年12月11日(日)
チンペイに「日記なんですから好きなように気楽にやったらいいんですよ」と言われたので、お言葉に甘えてちょっとボーッとしてたら、もう1週間経ってたのか。それにしても、日記の更新を一番催促してくるチンペイがそんなことを言うとは、学内で見る私がよっぽど追い込まれて疲れている感じがしたのであろうか。ま、「ただ言うてみただけ」の可能性の方が高いが(笑)。
確かに「いつ書くか」は、別にお金をもらって書く定期刊行物や納期のある仕事じゃないから自由なんだけど、「何をどう書くか」はそういうわけにはいかんのよね。ネットやSNSという不特定多数の人が見る「メディア」で情報を発信した瞬間、それはもう、ただの個人の「自分だけが見る日記」じゃないんだから、少なくとも「メディア」で発信したら、やっぱり「メディアの情報発信ルール」に従わないといけないと思っているので。
私の思っている「メディアの情報発信ルール」というのは、各メディアが決めている表記のルールであったり表現のルールであったり、情報発信という行為に関わるモラルであったりするのだが、そういうのをテレビや新聞や雑誌といった既存のメディアは「情報発信のプロ」として何重ものチェック機能を持って、さらにそれらの修正も繰り返しながら、それなりに守り続けているのである。けど、ネットやSNSは「情報発信の素人さん」が大量におられるので、今のところまだ「表記も表現もモラルも無茶苦茶なメディア」という状態にある。
理由はたぶん、「ネットやSNSの個人発信には、発信する前にちゃんとチェックをしてくれる(教育してくれる)情報発信のプロの編集長がいない」からでしょうね。プロの編集長がいるメディアでさえ、しょっちゅう表記ミスや不適切な表現やモラルを欠いた記事が出るんだから(近年、確実にプロも劣化していると思います)、編集長がいなくて「素人さんもみんなご自由にどうぞ」となれば、そら無茶苦茶になるわ(笑)。
でも、そういう時代になってきたんですかねえ。電車の中で化粧をするのにも「賛否両論」が出てくる時代だから、古いおっさんの抵抗もいずれかき消されていくんでしょうね。まあ、10年後、20年後のルールやモラルは、若い人たちが作っていってくれればいいし、いつの時代もそういうものです。それでうまくいけばそれでよし。ただし、困ったことが起きれば、決めた人の責任でどないかせないかんよ。
何の話やったっけ? あ、そういうわけで、「いつ書くか」は「頑張るけど私の都合でお気楽に」、「何をどう書くか」は、おっさんの古いルールとモラルで「自分だけ、自分の持って来た矜持をもって書く」、「そこまでして何で書く?」という疑問には、「数人でもいる読者におもしろがって欲しい」という、私個人の性(さが)ということで(笑)。
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というわけで、インタレストお申し込みメールで、さっそくチェックが入りました。「こないだ、『ジェフリー・ディーバー』と書いていましたが、『ジェフリー・ディーヴァー』です」というご指摘。すんません、最初は(2月頃)「ジェフリー・ディーヴァー」って書いてたんですけど(本の表記がそうなってるんで)、何か昔は「バー」を「ヴァー」とか書くと「何カッコつけてんねん」と言われるという時代があって、ついその頃のメンタリティが頭をもたげてきて、「ヴァー」…「バー」…まあええか、と思って、わかってて「バー」と書いてしまいました(笑)。
ま、どっちを書かれてもJeffery Deaverさんは怒らないだろうけど、最初に日本でDeaverさんの翻訳本を出した方が「ディーヴァー」と書いて、以後ずっと日本では「ディーヴァー」で通っているから、なんぼ自分が照れくさいと言っても「ディーヴァー」と書くようにした方がええんでしょうね。「あづま」のうどん屋にも「セルフサーヴィス」って書いてあるし(笑)。
でも、インターネットの「サーバー(server)」はほとんどのメディアも個人も「サーヴァー」と書かないし、「ヴェジタブル(vegetable)」もあまり見ないし「ヴィタミン(vitamin)C」とも書かないし、たぶん同じ「V」でも最初にどっちのカタカナで書いたかが基準になっているんでしょうね。
ちなみに、関係あるようでないかもしれんけど、あのビッグアーチストの「Simon&Garfunkel」は、最初日本では「サイモンとガーファンクル」と表記されていたのに(レコードジャケットも「サイモンとガーファンクル」だったと思う)、いつのまにか全て「サイモン&ガーファンクル」に変わってしまいました。でも、「サイモン&ガーファンクル」と書かれていても、たいていみんな「サイモンとガーファンクル」って言っている(笑)。「ジョンソン&ジョンソン」を「ジョンソンとジョンソン」とは読まないのになあ。「スミスとウェッソン」とも言わないし(笑)。でも「Bjorn&Benny」(アバの旦那同士のデュオ)は日本では「ビョルンとベニー」だったなあ。
などというどうでもいい話で、のんびりしながらもジワジワと次の締切がやってきている本日を終了します。
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2016年12月5日(月)
日曜日の午前中が最終リミットだった「残り6連山の1つ目」が、何と午前11時48分に完了する! というあまりに見事なスケジュールに軽く酔ってしまって(ま、最初は金曜日アップ予定だったのだが)、久しぶりの峰山ウオーキングに3時間も費やしてしまった。
秋冬の里山はええねえ。スズメバチはおらんし、クモも巣を撤収してるし、木の葉が落ちて眺望が開けてきたし。
そういえば10年くらい前、峰山でオオスズメバチに刺されて太ももが1.2倍に腫れ上がっていた頃、地元の里山ウォーキングの権威の方が四国新聞に「最近、ハチやヘビが出るからといって里山ウォーキングを避ける人がいるが、ハチやヘビも一生懸命生きているのだ」みたいな無茶苦茶なコラムを書いていたのを読んだことがあるが、すまんけど私も一生懸命生きているので、「ハチとヘビと自分」の三択なら「自分」を優先させていただきたい(笑)。
ちなみに、今日は峰山山中のメインルートを外れて獣道みたいな所をいくつか歩いてみたのですが、どんぐりがいっぱい落ちている数カ所の道で、人の手とは思えないような土をほじくった跡を見かけました。峰山、イノシシがおるんちゃいますか? もしおったら、あいつらどんぐりばっかり食ってる「イベリコイノシシ」かもしれんですよ(笑)。
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というわけで、この忙しかった2ヵ月くらいの間にちょこちょこメモだけしていたネタの中から、チンペイを懲らしめるために数字がいっぱい出てくるやつを一つ(ま、懲らしめる理由は何もないんだけど・笑)。
今年の4月頃、毎日新聞の地方版にこんな記事が出た。
▲四国電力は8日、今夏の電力需給について、7月下旬の再稼働を目指す伊方原発3号機(愛媛県伊方町、89万キロワット)が再稼働せず、2010年並みの猛暑となっても予備率は8月で5・8%を確保できるとの見通しを示した。安定供給に最低限必要な3%を上回る。
この時にも「あれ?」と思ったのだが、今度は10月の終わり頃、四国新聞にこんな記事が出た。
▲四国電力は28日、今冬の電力の需給見通しを発表した。伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の再稼働により、新電力を含めた四国の供給余力(予備率)は昨冬を上回る9.2%を確保できる見通し。 (中略) ▲需要面は、11年度並みの厳冬となった場合の最大電力を491万キロワットと想定。予備率は12月が9.3%、1月が10.4%、2月が9.2%と見込んでいた。安定供給には3%が最低限必要とされる。
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何が「あれ?」かというと、「安定供給に最低限必要とされる予備率の3%って何? そんなに低くていいの?」という第一感があったからである。石油化学プラントのエネルギー等の予備率というか安全係数は15〜20%くらいだと教えてもらったし、早明浦ダムは最大利水容量が2億トンぐらいなのに有効貯水量が3億トンもあるし(予備率で言うと30%以上?)、石油の備蓄なんか国と民間に義務づけられたものだけで日本の全需要の5ヵ月分もあるし。
まあ、早明浦ダムや石油備蓄は電力と直接比較できる対象じゃないかもしれないけど、何となく、「3%」というのはあまりにギリギリの数字で、とても万が一の時に安定供給ができるレベルの話に思えなかったからである。
そこで調べてみると、経済産業省のホームページの中に「予備率は、通常8%以上、最低でも3%以上は必要とされる」という表記が見つかった。そこでさらに「通常8%以上」と「最低でも3%」の2つの数字の根拠を探してみたら、電力広域的運営推進機関のホームページの中に、「LOLP解析により得られた偶発的受給変動対応分7%(連系線期待分3%を除く)に、EPA方により算出された持続的需要変動対応分1〜3%を加えた8〜10%を供給予備力(率)とする」という、ややこしい計算式のついた記述が見つかった。
ふーむ。フ、フーム、フーム(上原にウケたのでもっかい使ってみた)。経産省HPの「通常8%以上」というのはこれのことか。しかし、「最低でも3%以上」という数字の根拠が見つからんぞ…。
そこで、「3%」の根拠探しを一旦やめて、今度は実績のデータを探してみることにした。すると、電気事業連合会のホームページの中に「実績供給予備率」の過去データがありました。その数字は以下の通り。
<国内電力10社の冬期平均予備率(カッコ内は四国電力)> 2001年 26.5%(24.9) 2002年 18.5%(20.9) 2003年 21.3%(27.6) 2004年 18.0%(18.4) 2005年 13.2%(10.6) 2006年 20.7%(26.7) 2007年 11.6%(15.1) 2008年 21.4%(18.6) 2009年 18.6%(15.7) 2010年 17.3%(22.2)
これ、2010年ですから震災前まで、つまり原発が稼働していた時の数字ですけど、予備率はずーっと10〜20%で来てるじゃないですか。ということは、たぶん原発を止めたら途端に予備率が一桁台に落ち込んだということじゃないですか?
で、ここからいろんなことが想像できるわけです。例えば、 ・本来、予備率の設定はもっと高かったのではないか? もしそうだとしたら、原発を止めた後、どないしても設定予備率に届かないので設定予備率を下げた、つまり、つじつま合わせのために「ゴールを動かした」のではないか? ・もし、震災前から予備率の設定が同じだったとすると、震災前の予備電力(発電能力)は多すぎたのではないか? あるいは、日本の安全意識は押し並べて過剰すぎるんじゃないか? すると、早明浦ダムなんか、香川用水にもっとたくさん流しても問題ないんじゃないか? そうすれば香川の渇水もほとんど解消するんじゃないのか?(私は、早明浦から池田ダム経由の香川用水の取水制限は、利権と感情の絡んだ人災の要素がかなりあると思っていますが)
…等々。ま、素人判断はこれぐらいにしとこう(笑)。
ただし、現在の設定が「予備率は通常8%以上、最低でも3%以上は必要とされる」であるなら、新聞は「通常」の方を書くべきで、百歩譲っても「通常」と「最低限」の両方を書くべきで、「最低限」の方だけを書くというのは「原発なしでも電気は十分足りている」という主張をサポートするという理由が先に立った「不誠実な情報発信」ではないかと思った、という話でした。「データには忠実に、発信は(バイアスを排除して)誠実に」というのが私のモットーなもので。
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2016年12月3日(土)
ふう、「残り6連山の1つ目」を金曜日中に上げて土、日と2日連続で朝から峰山に登ろうと思っていたのに、途中で詰まってしまってまだ終わらん。
今日は朝の7時台から頑張っていて、11時過ぎから気分を変えて第二書斎のクラフトマンズファクトリーに行って原稿の続きに取り組んでいたのだが、そこでマスターと「コーヒーの神」談義が始まり、午後1時過ぎにインタレストを渡すために店に笹木を呼んで、そこで「まあうまいコーヒーを一杯飲んで行けや」と言って(誰の店や・笑)いろいろ情報交換をしていたら、2時半になってしまった。
3時頃家に帰って、再び原稿に取りかかる。取材したテープ起こし原稿を文章に構築するのだが、たぶん1万2000字くらいにまとまるであろう原稿の、だいたい7000字あたりで詰まっている。なるべく早めに…といつも思っているのだが、日曜日の午前中が最終リミット。もう後がなくなったぞ…などと書いている暇もないのだが、パソコンに向かっていても頭の中で文章構成が堂々巡りし始めたので、一度オールクリアするための手遊びで(笑)。
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2016年12月1日(木)
疲労の蓄積のせいか、昨日の晩は10時頃突然睡魔に襲われ、10時半に寝たら、今朝は4時半に起きてしまった。そこで、小考の後、「ええい、このまま大学に行って一気に仕事にかかってしまえ」と思って、5時過ぎに家を出たのである。
家内はあとで聞いたら何やら寝付けなくて、朝の4時頃までテレビを見たりジェフリー・ディーバーの『ウォッチ・メーカー』を読んだりしていたらしく、私が家を出る頃には爆睡状態であったため、久しぶりに「中西」で早朝うどんを食べて行こうと思ってちょっと遠回りして店に行ったら、あちゃー、定休日。
仕方なくそのまま高速に乗って走っていたら、ふと「確か、高瀬の国道沿いのみどり食堂(昔、インタレストで徹夜した時に学生らと早朝に突撃したことのある一膳飯屋)がトラックの運転手仕様で早朝からやってるはずだ」と思い出した。そこで、いつも下りる善通寺インターを通り越して次の鳥坂インターで下りて、国道を走ってみどり食堂に行ったら、あちゃー、早すぎてまだ開いてない! 5時57分に着いたのだが、店内に灯りはついているものの、表は真っ暗でのれんもかかってない。ここで待ってても何時に開くのかわからんので、仕方なく善通寺にとって返し、大学の近くのコンビニでサンドイッチと野菜ジュースを買って、誰もいない真っ暗な校舎に入って研究室に入り、コーヒーを入れてサンドイッチを食いながらネットで調べたら、みどり食堂の営業時間は6時からだった! あと3分で開いたんや!
という「あちゃー」な1日の始まりではあったが、とりあえず今日も全力の授業を2本こなし、夕方は久しぶりにumieに行って、「残り6連山」の1つ目も半分くらいまで進めることができた。umieではこれまた久しぶりにオーナーの柳沢さん(デザイナー)が店に出ているのに出くわして、一昔前に現役バリバリだったおっちゃん同士ではあるが「ちょっとまた何かやろうと思ってて、また何かで手伝ってください」みたいな話もあったりして、少し元気の出たひとときを過ごさせてもらいました。
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それにしても、こないだ笹木から聞いたのと全く同じような話を、今日は柳沢さんから聞いた。詳細はここではうまくまとめられんが、要するに我々の知ってる広告やデザインや編集やマーケティングの業界で、若い子の定着率が異常に低くなっているという話。正社員になっても、我々の世代には考えられないような理由ですぐに辞めるらしい。それも、たかが5年後、10年後の自分ことさえ考えてないような理由で。
大丈夫なんかなあ。もし他の地域や他の業界でも同じようなことが起こっているとすると、今から10年後とか20年後、かなりまずいことになってたりせんのやろか。そういうお子たちがみんな「その日暮らし」みたいな貧しいことになって、そういう人が異常に増えてきて、すると「格差がどうした」とかいう声が今以上にものすごく大きくなり始めて、金がないのに「金を配れ」という声が激しく挙がり始めて…しかし、配る金を誰が生み出すのかは誰も考えずに…国単位でも稼ぐための成長の種を次々に捨てていってるみたいだし…などということを考えさせられました。
けど、私ごときが何を言っても、世の若いもんはおっさんの戯言なんかには聞く耳を持たないし、「それならせめてできるところで何かの改革を」と思っても、既得権にしがみついて自分だけ逃げ切れたらいいと思っている旧勢力の方々には疎まれるばかりだしなあ(笑)。ま、何かが起こる頃にはもう私はこの世にいないかもしれないから、もうええか(笑)。向上心と聞く耳と考える意欲のある身近な人たちとだけで、いろいろやってみることにしよ。それで頑張って稼げるようになった子たちから、努力しなかった者が「格差是正だ」とかいって金をむしり取るなよ。
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