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2017年01月の日記
2017年1月29日(日)

 午前中に一仕事して、昼になったのでソファに横になってテレビをつけたら、大阪国際女子マラソンがスタートしていました。そのまま見ていたら、報道者の解説に増田明美さんと高橋尚子さんが並んでいました。

 マラソンファンならご存じのように、増田さんはとにかく選手のプライベートなんかをものすごく集めていて、それを解説の中にうっとうしいほど(失礼)並べ立ててくることで知られているわけですが、その解説の大先輩の増田さんの横で、高橋さんはどう解説で割り込んでいくのだろうと思ってちょっと注目していたら、あちゃー、増田さんに負けじと選手情報を繰り出しているじゃありませんか。同じ土俵に上がって「知ってる合戦」をするというのは、マーケティング屋の私に言わせれば、解説のライバルとの差別化の方向が間違ってると思うんだけどなあ。

 などと思いながら見ていたら、CMに入る直前、何か変なSE風の声が聞こえた。今、何て言ったんだろうと気になって次のCM前まで見ていたら、実況アナウンサーが「先頭集団は○キロ付近に差しかかっています」みたいな振りをして次のCMに入る直前、女性の声で「待ってろ、東京」という一言が入りました。

 私、ああいう演出が恥ずかしくて見られんのです(笑)。よって、そこでマラソン中継を見るのをやめましたが、何ですかねえ。オリンピックは「感動、感動」ばかりの演出になってしまったし、何だか何もかもが薄っぺらで浅くて幼稚な「見せ方」になってしまって、ああいうのをずっと見てたらこっちまで薄っぺらで幼稚な人間になっていきそうで…。歳のせいですかねえ(笑)。

***

 もう一つ、こっちは「歳のせいでついて行けない演出」じゃなくて、「プロの情報発信屋のせいで引っかかった記事」の話。ちょっと前の四国新聞のコラムに、こんな文章が載っていました。

(前略)
 里山として親しまれる六ツ目山は山麓の地名にちなんで御厩(みまや)富士とも呼ばれる。香川にはこの「御厩」を含め富士の名を冠する山が七つあり、総称して讃岐七富士という。丸亀市と坂出市にまたがる讃岐富士(飯野山)は知っているが、それ以外となると心もとない。県観光協会のうどん県旅ネットに頼ると、三木町の白山が三木富士、綾川町の高鉢山が綾上富士、丸亀市と綾川町の境の堤(つつま)山が羽床(はゆか)富士、三豊市の爺神(とかみ)山が高瀬富士、観音寺市の江甫草(つくも)山が有明富士。標高こそ本家の富士山の足元にも及ばないが、その淡麗な姿は負けていない。風化浸食で生まれたとされる香川のおむすび山を象徴する山々だ。
(中略)
 香川には均整のとれたミニ富士が50もあると聞かされた。さながら富士天国。その楽しみ方はまだまだありそうだ。

***

 とりあえず修正しておくと、まず、讃岐七富士は確かに「標高こそ本家の富士山の足元にも及ばない」が、「その淡麗な姿は負けていない」どころか、かなりひどいことになっている。

 例えば、七富士のうちの白山(三木富士)は「横っ腹を桜の木に植え替えて香川県内随一の桜の名所を創り出す」というプロジェクトが決まって発表されたのだが(おそらく、というか当然議会で予算も承認されていたはず)、いざ、既存樹木の伐採工事が始まった途端、桜の名所への途中経過なのに「景観が汚い」といって地元マスコミも巻き込んだ猛バッシングが始まり、土砂崩れに危険性まで今さら持ち出されてとうとう工事は中断され、以来、とても汚い山肌の景観を残したまま現在に至っている。

 江甫草山(有明富士)は、もう昭和30年代から土砂の需要で削られ始め、横っ腹が大きくえぐられたまま、現在も醜い姿を晒している。唯一、角度を変えて後方の山の中腹あたりから見ると美しいピラミッド型の山に見えるが、こちらは地元観音寺市も景観スポットとしては全く無視したような扱いで、PRもしないし眺望スポットも全く整備されていないから、ほとんどの県民があの場所からだけ見える美しい姿を知らない。

 爺神山(高瀬富士)に至っては山の3分の1くらいが大きく削り取られて、かつての美しい独立円錐山の姿はほとんど面影もなく、「富士」でも何でもない、ただの削られた山に成り下がってしまっている。

 ……等々。こんなのは、見に行けばすぐにわかるわけです。ちなみに、県観光協会の「うどん県旅ネット」のサイトに載っている讃岐七富士の写真も、いずれもとても「淡麗な姿」とは言えないような、何の変哲もない山の写真ばかりです。ちゃんと自分で現地に行って、「見た人が興味を持つような、できれば行きたくなるような写真を載せよう」という目的意識をちゃんと持って写真を撮ってくれば、絶対あんな写真の羅列にはならないと思います。

 さらにもう一点、筆者は「香川には均整のとれたミニ富士が50もあると聞かされた」らしいけど、「均整のとれたミニ富士」は、私が2010年にインタレストの学生スタッフも動員してかなり県内の隅から隅まで探した結果、20も見つかりませんでした。ある一方向からだけ二等辺三角形に見える山まで入れても、30くらいしかなかった。香川には、均整のとれたミニ富士は絶対に50もありませんよ。

 ま、重箱の隅をつつくような小さい話だと思うかもしれないけど、こういうところ、情報発信ビジネスとしては根幹の基本だと思うけど。チェックが入らんかったんやろか。

***

 もう15年以上前の話だから時効だということで書きますが、私はタウン誌を辞める2〜3年前から、「『TJ-Kagawa』と『NICE TOWN』と『リビング高松』と、県内の小さなフリーペーパーやクーポン誌、ブライダル情報誌、中古車情報誌等々を全部合併して、県下に四国新聞、西日本放送に次ぐ第三の情報発信企業を作ろう」という構想を持っていて、信頼できる数人の関係者にその構想を話していました。ライバル誌『NICE TOWN』の若き日の営業マンN切君にも話した(笑)。

 そういう構想に至った理由はいくつかあるが、そのうちの大きな理由の一つは、「地域の情報を一番たくさん持っていて、しかもそれをリアルタイムでメンテナンスしているのは、新聞社や放送局ではなくて我々だ」という確信があったからである。

 例えば、タウン誌お得意のグルメ、レジャー、ファッション、文化に関する情報、スケジュールガイド、生活情報等々は放送局や新聞社から情報提供依頼が頻繁に来ていたことからもわかるように、特に若者文化の現場に関しては、当時から「読者や視聴者とともにスタッフも編集内容も歳をとっていっている」ように見えていた老舗の新聞社や放送局に我々が負けるわけがない。

 また、地元の政治や経済、社会に関する情報量や人脈は新聞や放送に負けるけど、それは要するに我々サブカルチャーメディアが地元の「記者クラブ」に入れてくれないから入って来ないだけの話であり、仮に入ってきたとしても、そもそも記者クラブで提供される情報は「大本営発表」がほとんどだから、そんなものを流しても何の差別化にもならない。我々が地元の政治、経済、社会を扱うなら、おそらく我々は公表された、あるいは自分で集めたデータ(数字)とファクト(事実)を客観的にロジカルに分析して情報発信することになるから、記者クラブに入れてもらう必要もない。

 ……等々。あと、広告ビジネスや出版、デジタルビジネス、商品開発、ネットワーク販売をはじめとするいろんなビジネスモデルの可能性もかなり検討していたのですが(デジタル関連は私には荷が重いので、しかるべき人脈に打診して)、検討段階で会社を辞めざるを得なくなったので、構想は構想のまま消えました(笑)。

 その後、もうええ歳になってエネルギーの量が減ってきたので、「誰か意欲と知恵とエネルギーに満ちあふれた若者が出てきて何かをやってくれるか、出てこないのならせめて四国新聞の若い力に頑張ってもらうしかない」ということにしたわけです(放送局はビジネス構造上なのか、残念ながら企画・取材・編集部門が手薄すぎるので)。でも、もし経営陣が古い価値観に固まっていたら、大きな組織の中では若手は無力になってしまうからなあ。私なんか、古い価値観に抑え込まれるどころか、切られちゃったもの(笑)。とにかく、このまま香川が“ゆでガエル”になっていくのを見たくないから、『リビング』でもいいから、古い価値観を切り替えて何かやってくれんかなあ…と、とりあえず他人に押しつけてみる私(笑)。
2017年1月22日(日)

 早朝から一仕事を済ませた後、今日は珍しく日曜日の朝の10時から『うどラヂ』の3本録り。11時半頃収録を終えて、私とごんとH谷川君と谷本姉さんの4人で牟礼へ行こうということになった。「石の民俗博物館」で、GABOMIが写真展をやっているというので「見に行ってやろう」という話になったのである(何で上から目線や・笑)。

 あれは2013年の夏のこと、四国の旅マガジン『GajA』の特集で私と本広監督とH谷川君の3人がうどん店巡りをすることになった時、カメラ担当でGABOMIという女の子が付いてきた。私は初対面だったのだが、そこでちょっと話しているうちに私もGABOMIもダイドーの自販機のマニアであることが判明して、二人で「ダイドー芸人」を宣言したという、私とGABOMIはそういう仲になったのである。ま、それ以後『うどラヂ』では何回か話題にしたものの、別に連絡をとるでもなく(連絡方法もわからんし)会うわけでもなく今日に至っているのであるが。

H谷 要するに「3年前に1回会うた」というだけの仲ですね。
田尾 そういう言い方もできんことはない。
ごん それ以上の何者でもないような気がしますが。

 仕方ない。そこまで言うならそういうことにしておこう。そのGABOMIが、風の噂によると、近年フォトグラファーとして有名になってきているというのである。何でも去年、資生堂が新進アーティスト発掘のために開催している「資生堂アートエッグ」という企画で370組の応募者の中から最終の3人に選ばれて、銀座の資生堂ギャラリーで個展を開いたというではないか。

田尾 そういうわけで、GABOMIを見に行ってやろうと思う。
谷本 GABOちゃん、私、昔取材したことありますよ。
田尾 おー、ほな、なおさら行ってやらないかんやないか。まあ、おるかどうかわからんけど、今日は日曜日やから、日曜日ぐらいは本人が来て店番しよんちゃうか?
H谷 アートで「店番」って。
ごん けど、もう3年以上も前に一回会ったきりでしょ? それから向こうは全国から世界に羽ばたこうとし始めてるんだったら、たぶん忘れてますよ。
H谷 団長ぐらいなら覚えてるかもしれませんけどね。
ごん あるいは、覚えてても、こんなおっさんらと一緒にうどん屋巡りをしたことなんか、忘れたい過去になってますよ。
田尾 確かに。けどまあええやん。とりあえず行ってみようで。

***

 ということで、とりあえずみんなでうどんを食って(ディレクターのK米君はうどん屋まで同行)、午後1時前に石の民俗博物館に到着した。私が4人分の入館料800円を払って(一応記録しとかんとな・笑)、個展スペースに入ってぐるっと見たけど、GABOMIはおらん。そこで、「ここの人は知ってる」と言う谷本姉さんが事務所に聞きに行って、「今日は2時からGABOちゃんがアーチストトークみたいなのをやるそうです。それで、1時45分ぐらいに会場入りするらしい」という情報を持って帰ってきた。

ごん まだ1時ですよ。
田尾 見たところ、ここには灰皿のあるおしゃれなカフェもないから、1時45分まで持たんな。
H谷 持ちませんね。
ごん 帰りますか。
谷本 えー、ここまで来て。

 とりあえず、「帰る」が9、「待つ」が1ぐらいの気分になって、それから何をするともなく、展示してある石のグッズとかを見ながら時間を潰していたら、お客さんがパラパラと来始めた。

田尾 あれ、みんなGABOMIを見に来とんか?
ごん きっとそうでしょう。ほら、牟礼には似合わんみたいな意識高い系のファッションの人とかいますもん。
田尾 ほんまや。
H谷 あ、RSKが来ましたよ。国司さんがおる。

 見ると、カメラクルーを連れた国司アナが受付の所に行って……取材交渉しよる。ぶっつけかい(笑)。

田尾 まだ1時20分か。
ごん 帰りますか(笑)。
田尾 そやのー。とりあえず表に出るか。

 表に出て、景色を眺める。ここはちょっと高台にあるから、向こうに仏生山あたりの山の密集と六ツ目山まで見えるなかなかの眺望。しかし、眺望だけでは時間が持たないので、私とごんが着ている服や靴の自慢合戦を始めた。

H谷 どんな時間の潰し方ですか!

 一通り自慢合戦が終わって時計を見ると、まだ1時35分だ。その間にも下から階段を上がって何人ものお客さんがやってくる。それをチラチラと見るのだが、何せ3年以上も前に1回会うた切りだから、GABOMIかどうかを判別するのに一拍置かないかん。というか、ひょっとしたら目の前を通過されてもわからんかもしれん……と思いながら、しまいにベルトまで抜いて「このベルトはな、あれ? ブランドも何も書いてないぞ。どこで買うたんやろ…」などと言っていたら、意識高い系の服を着た女性が数人の取り巻きと一緒に階段を上がってきた。そして、我々と目が合った瞬間、

ガボ「あ!」
田尾「ちわ」
谷本「久しぶりですー!」

***

 双方、一撃でお互いを確認し合いました。いや、私は3年前に会ったサトイモの子イモみたいな女の子(失礼・笑)が微妙に都会の女性みたいに垢抜けていたので、頭の中で0.5秒くらい確認作業をしましたが(笑)。で、玄関前で1〜2分立ち話をして、GABOMIは「ちょっと遅れて来ちゃったんで」と言って会場に入っていった。

H谷 覚えてましたね。
谷本 ほんとですね!
田尾 いやー、よかったよかった。ほな、帰るか。
谷本 帰るんですか! 2時からアーチストトークですよ。
田尾 あのな、客層見たか? あの意識高い系軍団の中に、香川の意識低い系の最高峰に君臨する麺通団が入っていったら、場が壊れるだろ。
ごん 確かに。
田尾 ここはそっとしといて、俺らは「子イモ」が「白鳥」になって羽ばたいていくのを陰から見守るだけでええんじゃ。
H谷 子イモが白鳥になるんですか!
田尾 生物の進化というものはな、神秘なんじゃ。

 などと言いながら、我々は帰ったのでした。最低の客じゃ(笑)。
2017年1月18日(水)


 まだダメだ。日記に手をつける余裕がない。
2017年1月9日(月)

 昨日の晩、「明日の仕事の準備」を万全に整えていたら、家内から「明日は3連休の最終日である」ということを告げられた。ダメですね、成人の日が15日だと思っているようでは時代に全くついて行けてない。というか、「第二月曜」とか「第二、第四月曜」とかいうやつが基本的に覚えられないから、まだ年に一回ぐらい、第何月曜の定休日にがもうに行って、駐車場で途方に暮れている県外客(君らもや)を横目に「俺、がもうじゃなくて全然違うところに行くためにここを通ってるんだもんねオーラ」を出しながら店の前を通過しないといけない羽目になるのよね(笑)。

 あと、平成の大合併(香川県は2002年の「さぬき市」に始まって2006年の「まんのう町、小豆島町、綾川町」で終了)のあとの市町も、2002年の46歳まで「旧市町名」で情報発信ビジネスをやっていた私にはなかなかなじめなくて、今も、

誰か「三豊市にあるんですよ」
田尾「三豊市のどこ? 詫間? 三野? 高瀬? 財田? 豊中?」
誰か「高瀬」
田尾「高瀬か」

となって初めて位置関係が具体的になってくるという有様です。しかしこれ、合併が終わった2006年以降に物心のついた若い子たちは、

誰か「三豊市にあるんですよ」
若者「三豊市のどこ?」
誰か「高瀬」
若者「高瀬ってどこ?」

とかいうふうになるんでしょうね。店名だろうが場所名だろうが事件が起こった時だろうが、合併前までメディアで「詫間町、三野町、高瀬町、財田町、豊中町」と耳にしていたのが(「三豊郡」なんてほとんどアナウンスしなかった)、ほとんど「三豊市」だけしか耳に入って来なくなるんだから。

 それでおそらくそのうち、香川県民が県内の「旧市町名とその位置」をほとんど意識できなくなっていくんでしょうねえ。まあ、私らの世代も廃藩置県の前の地域区分なんか日常の意識からきれいさっぱり消え去ってるし、若い世代はそれなりにうまいことなじんでいくんだろうけど。

 でも、あえておっさんの希望を言わせていただくなら、「根無し草」みたいな国にならないために、祝日の第二月曜日化とか名称変更とか平成の大合併とか、政治家の票集めや役人の金(補助金)目当てとかいう卑しい理由で日本の伝統文化が無理矢理壊されるようなことが、今後これ以上起こらないことを願いますわ(笑)。

***
 
 さて、前回の続報ですが、信頼できるある筋からの報告によると、ま、情報源を明かすわけにはいかないので御堂筋かおでんのスジということにしておくけど(数十年前の月亭八方のネタ)、前回の「正月三が日の人出」のデータ中、栗林公園の三が日の入園者数が2009年から2013年にかけて半分くらいに減っているのは、「2010年まで、栗林公園は嘘八百の数字を出していて、その後、心を改めてちゃんと入場券でカウントした数字を入れるようになったから」だそうです(笑)。でも、「元日は入園無料なので正確にカウントできてないと思う」とのこと。

 それでも、正直な数字を発表するのは当然のこととは言え、いいことだと思います。「正しい数字を元にして初めて、正しい分析ができ、正しい対策が検討できる」というのは学問の常識。元の数字がいい加減なのに、そんな数字を評論しても「雰囲気」しか伝わらないし、そんな数字を分析しても何の意味もないどころか、ミスリードの元になるからです。

 ちなみに、メディアリテラシー(情報の信義を見抜くみたいなこと)として、私は「主催者が言っているだけのもの」と「カウントの仕方がおかしいもの」と「どうやってカウントしたのかわからないもの」は、例えそれがお国の発表数字だろうが信用しないことにしています。

 例えば、「主催者が言っているだけのもの」は、その「正月三が日の人出」とか、「高松まつりの人出数」とか、レフトウイングの方々がよくやっているデモや集会の主催者発表の参加者数とか。

 そういえば、ついこないだ産経新聞のコラムに載っていたけど、文化庁が出している『宗教年鑑』にある各宗派の国内信者数は各宗派からの申告人数をそのまま掲載しているそうですが、全部を合計すると「2億人」になるそうです(笑)。それに対し、「基準もなく申告された数字を並べても統計として成り立っておらず、研究や学術目的では使えない。現在の方法で文化庁が信者数を集計すること自体、あまり意味がない」という主旨のコメントが出ていましたが、「文化庁」のところを「四国新聞」に入れ替えても同じですよ。

 次に、「カウントの仕方がおかしいもの」は、以前から指摘しているダブルカウント、トリプルカウントが入り交じった「瀬戸内国際芸術祭の観客数」とか、公共事業や政治的政策を進めるために役人や御用学者が出した「交通量予測数値」や「地球温暖化の二酸化炭素主犯説」みたいないろんな作為的データとか。

 こういうのはたいてい、行政なら「数を大きく見せて成果が上がっているように見せたい。それで、また同じことを続けるための根拠にしたい」、あるいは「数を多く見せて『これをやると成果が上がる』というように見せて、やろうとしている事業を通すための根拠にしたい」という意図が強くある。つまり、「どういう状況にあるかを分析し、その結果を見てやるかどうかを決める」という正攻法ではなく、「とにかくこれをやりたいから、みんなが『やるべきだ』と思うような都合のいいデータに仕立て上げる」という、本末転倒のカウント方法(時には怪しいパラメーター=補助変数をいっぱい使った捏造データまで作る)を、意図的に使ったりするわけです。

 もちろん、民間でも「数を多く見せて権威を示したい」とか、「数を多く見せてビジネスを有利に運びたい」とかいう例はたくさんあります。新聞の発行部数の発表数字に含まれている「押し紙」なんかは有名ですし(発行部数が多いと媒体価値が上がって、広告営業の大きな武器になる。テレビの視聴率と同じです)、企業決算の数字を低めにいじって法人税の納税額を抑えたり(中小零細企業や商店クラスに多い)、逆に利益を高めにいじって株価や銀行への信用を維持したりとか。

 で、私はこういうのを見抜くために、何かの数字が発表されると必ず「それはどうやってカウントしたのか?」を考えるようにしているわけです。そこで「どうやってカウントしたのかわからないもの」は、基本的に信用しないことにしている。例えば、高松まつりの人出。どうやって数えたかわからんでしょう。実際、ちょっと昔、関係者から「あちゃー」みたいな発表数字の決め方をしていることを聞きましたが(笑)。

 あるいは、琴平の年間観光客数。毎年香川県観光協会から発表されていますが、あれ、365日毎日、あらゆる入り口から何人入ったかなんて数えられんでしょう。さらに言えば、同時に発表されている香川県全体の「観光客入り込み数」も、空港と港と高速道路の通過者数は調べたらかなり正確に出てくると思うけど、愛媛や徳島や高知から下の一般道路で入ってくる観光客は絶対にカウントできない。さらに、空港と港と高速道路の通過者数のうち、観光客とビジネス客と帰省客と通勤通学客とその他の生活移動客の別も絶対にわからない。

 そう考えると、香川県の観光客入り込み数は、数字自体にはほとんど意味がない。ゆいいつ、毎年同じ方法でカウントしているのだとすれば「経年推移」の傾向だけはある程度信用できるという話になるわけです。

 いずれにしろ、いろんなところで発表された数字は「それはどうやってカウントしたのか?」を考えると、少し数字の見方が上手になってくると思います。もちろん日常生活にはどうでもいい話ですが(笑)、私がやっている「ものの見方のトレーニング」の一つとして聞き流してください。ただ、情報発信に携わっている方々にはぜひ、いい加減な大本営発表をそのまま垂れ流したり、いい加減な数字を真面目に分析して読者をミスリードするのはやめていただきたい。私の実体験から言えば、ルーティンワークばっかりしてたら、能力はみるみるうちに落ちていきますよ。
2017年1月5日(木)

 朝、今年初「がもう」に行ってうどんをもらって会計の所に行ったら、財布を車の中に忘れていることに気がついた。

田尾「あ、財布を車の中に忘れた。取ってくるわ」
G息「いいですよ後からで。うどん延びるし」
田尾「けど、そのまま忘れて帰ったら、正月から食い逃げスタートになるが」
G弟「どうせなら、食べたことも忘れたらどうですか?」
田尾「どんな正月や!(笑)」

 などという事件があって、今日は無事、授業とRNCラジオの収録を終えて(来客はインフルエンザでキャンセルになった)、夫婦でピッコロジジに行っていつものように野菜スープとサラダとスパゲティとピザを食べて帰りました。

***

 さて、今朝の四国新聞に毎年恒例の「正月三が日の県内社寺・観光地の人出」のニュースが載っていましたので、ちょっといじってみたいと思います(笑)。

(見出し)
ぽかぽか陽気 140万人超
県内三が日人出 2年連続で増

(リード)
 正月三が日の県内の主な神社や寺院、行楽地の人出は、前年より約6万2千人多い約140万7千人となり、2年連続で増加したことが4日、四国新聞のまとめで分かった。3日間とも春先を思わせる陽気に恵まれた上、曜日配列から連休が短めだったこともあって、御利益を求める家族連れらが集中。県外から訪れる参拝客や、観光地では外国人客の姿も目立った。

(本文)
 前年との比較が可能な県内の主要13社寺と観光地2カ所を対象に聞き取りを行った。(中略)

 最も多い人出となったのは、県内屈指の知名度を誇る金刀比羅宮(琴平町)の50万8千人で前年比3万8千人のプラス。担当者は「瀬戸内国際芸術祭などで香川の認知度が高まり、県外からの参拝客も少なくないのでは」と話す。同1万人増の郷照寺(宇多津町)も「愛媛や岡山、徳島から訪れる人が増えている印象」とした。

 好天の予報を受けて、初日の出を拝もうとした人も多く、屋島寺(高松市)では「山上の元旦イベントは例年にないほど大勢の人が訪れた」。休暇が短かったために三が日に人出が集中する傾向もみられ、「家族連れや地元で厄除けをしようという帰省客が多く、熊手や福俵が3日午前中には売り切れた」(東かがわ市・与田寺)との声も聞かれた。

 大窪寺(さぬき市)は前年比3千人の減少。御利益がより大きいとされる「逆打ち」効果で大幅増となった前年の反動とみられる。

 一方、観光地では、栗林公園(高松市)が園を無料開放した元日を中心に来園者が増加。同公園事務所は「高松空港からの直行便がある台湾、香港の観光客も見られた」とした。ニューレオマワールド(丸亀市)は夜間の新イベント効果もあり、前年を約2千人上回った。

……という記事で、四国新聞がまとめた三が日の人出(社寺分)は以下の通りとなっていました。(単位:人)

金刀比羅宮  508000
総本山善通寺 235000
郷照寺    165000
八栗寺    140000
与田寺     94000
滝宮天満宮   55000
白峯寺     52000
田ノ口薬師   28000
白鳥神社    23000
大窪寺     22000
雲辺寺     20000
冠纓神社    18000
屋島寺     14000
小計     1374000

ニューレオマ  20784
栗林公園    12416
小計      33200

***

 さて、いきましょうか(笑)。

 実は、私は過去の四国新聞に掲載された「三が日の人出」のデータを持っておりまして(どんなやつや・笑)、そいつを並べると、こんなことになっています(全部並べると大変なので、4年ごとに抜粋)。

      (2017年) (2013年) (2009年) (2005年) (05年比)
金刀比羅宮  508000  352000  230000  192000 (265%)
総本山善通寺 235000  220000  190000  170000 (138%)
郷照寺    165000  133000  127500  108500 (152%)
八栗寺    140000  125000  120000  121000 (116%)
与田寺     94000   85000   63000   51000 (184%)
滝宮天満宮   55000   52000   48000   35500 (155%)
白峯寺     52000   44000   36000   33000 (158%)
田ノ口薬師   28000   25000   26000   23200 (121%)
白鳥神社    23000   17000   11500   11500 (200%)
大窪寺     22000   23000   28200   17150 (128%)
雲辺寺     20000   12000   10500   11500 (174%)
冠纓神社    18000   18000   20000   18000 (100%)
屋島寺     14000   21000   16200   14600 ( 96%)

●小計    1374000  1127000  926900  807000 (170%)

ニューレオマ  20784   13835   14500   11865 (175%)
栗林公園    12416   12644   21250   32800 ( 38%)

 これに素直に見たままの見出しを付けるとすれば、こうなりますか。

●香川県内主要13社寺の正月三が日の人出、この12年間で170%に激増!
●金刀比羅宮は265%に、その他の5社寺も150%を超える!
●その間、県の人口は4万人近く減っているのに、一体何事が起こっているのか!

 ビックリマークをいっぱい付けたが、ほんまにびっくりするわ。

***

 たぶんこれは、「四国新聞が聞き取りをした社寺が、参拝客数を毎年水増しして適当に答えているのではないか?」というのが私の第一感である。それも、過去の発表数字を覚えてないまま「去年は何人で発表した? じゃあ、今年はそれよりちょっと多めにしとこか」みたいなことをやってたら、ほとんどあり得ない数字にまで膨れ上がってしまったのではないか?

……という疑念を裏付けるような調査結果もある。実は2013年に、私の担当学生が卒業研究の中で「八栗寺の正月三が日の参拝客数の試算」をやってきたのである。それによると、

●八栗寺は正月三が日は車両通行止めになり、ケーブルカーと徒歩しか参拝手段がなくなる。しかも、徒歩で寺まで登るのはかなり過酷なアプローチであるため(普段の日でもほとんどいない)、ほぼ大半の参拝客がケーブルカーを利用していると考えられる。
●三が日の八栗ケーブルは特別に6分間隔で運行しており(通常は15分間隔)、三が日の営業時間をフルに6分間隔で運行すると、447本が運行できることになる。
●八栗ケーブルの定員は127人だが、これは全員が荷物を持たずに立って乗った場合の数であり、駅員への取材によると「通常は90人程度が乗車すれば発車する」とのことである。
●すると、正月三が日の八栗ケーブルは、仮に100人を乗せて450本を運行したとしても4万5000人しか運べないことになる。
●しかし、四国新聞では「12万5000人が参拝した(2013年)」と発表されている。じゃあ、あと8万人はどうやって八栗寺まで登ったのか? ケーブルカーの上にバングラデシュの汽車ぐらい客を乗せても絶対無理だし、八栗寺上空に輸送ヘリが100機ぐらい飛んでいたという情報もないが…。

……とリポートされていた(笑)。

***

 もういい加減にこんな数字の発表、やめませんか?(笑) そのうち、絶対、どうしようもなく辻褄が合わなくなりますよ(もう合ってないと思うけど)。

 ちなみに、2005年の時には田村神社と石清尾八幡宮の数字も発表されていましたが、今年は消えていました。もしアホらしくなって発表をやめたのであれば、英断だと思います。あと、レオマと栗林公園だけは、かなり正直にカウントされた入場者数を出しているように思いますけど。

 どうしても発表したいのなら、アルバイトか野鳥の会の方にでも頼んで、何かの基準を決めてちゃんと数えて発表すべきでしょう。あるいは「そんなものはとても数えられない」というのなら、四国新聞はジャーナリズムとしてとして、明らかにおかしいと思われる「主催者発表」の数字を検証もせずに載せるのはよくないことだと思いますが。まあ、そんなに目くじらを立てるほど大事なニュースじゃないんだけど(笑)。
2017年1月4日(水)

 終わらない方に100円賭けた仕事が、23時15分、終わりました。やればできる男の面目躍如、ならなぜこんなになるまでできなかった(笑)。という一人ボケツッコミをもう30年以上やっていますが。

 さて、明日は木曜だけど、水曜の振り替え授業で「インタレスト」の編集会議。年末の編集会議で次号の計画が8割方決まって、谷編集長以下、意欲に満ちあふれた面々が情報収集作業を開始したのだが、無断欠勤(授業だけど会社の体でやっているので)する2年生も何人かいるので、会社をなめてたらクビにしよう(笑)。

 今年の日記は不本意にも面倒くさい話題に言葉足らずで突っ込んで始めてしまったが、とにかく教え子たちには努力もせずにうまく行かなかったら国や社会や他人のせいにするような人間になって欲しくない、自分の人生は自分でしっかり切り開いて行って、少しでも充実した人生を送って欲しい、という気持ちがちょっと空回りして(笑)「夜中の文章」みたいになってしまいました。すみません。気を取り直して、明日の朝はがもうでうどん食って、言葉足らずの部分を埋めるべく授業をやって、それから研究室に客人を迎えて、すぐさまRNCラジオに行って1本収録して、家に帰って一気に次の原稿に取りかかります。

2017年1月3日(火)
 12月31日に恒例の家内の実家へ行って、じいちゃんとばあちゃんとうちの家族と甥が2人集まって、うどん食って赤飯食って、スイッチが入って息子の嫁と二人でばあちゃんの台所周辺の徹底片付けをやって(笑)、じいちゃんらが紅白を見ているそばでパソコン開けて仕事をしながら、一息ついてじいちゃんと二人で表に出てタバコを吸いながら話をして(喫煙者は私とじいちゃんと甥の一人だけなので)、それから甥の仕事の話なんかを聞いてやったりしながら年が明けました。

 2日は恒例の私の実家に行って、うちの家族とばあちゃん(私の母)と弟が集まって、私はまたパソコンを開けて仕事をしながら、一息ついて息子夫婦と孫と私の4人で私が子どもの頃遊んでいた家の周辺の畑やため池や小学校の運動場あたりを散歩して、帰りに10年ぶりぐらいに幼なじみの“まあちゃん”(といっても私より2つ上のおじさんだけど)にばったり出くわしてちょっと立ち話をして(相変わらずちょっと会話を交わしただけでもめちゃめちゃおもろい! 私は小学校時代から“まあちゃん”が大好きです・笑)、夜は息子の嫁が作ってきたバラエティでおしゃれな寿司やおかずを並べてみんなで食べて帰りました。

 この年末年始も、平和でございました。

 平和でなかったのは仕事だけ(笑)。年末から年始にかけて、岩盤のような壁にぶち当たって1行も進まないという塗炭の苦しみを味わい続けていましたが、ようやく今日の昼過ぎに岩盤が砕けて前に掘り進み始めて、このまま切るわけにはいかないと思って頑張りながら、先ほど日付が変わりました。

***

 当たり前の話ですが、頑張って成果を上げたら、達成感と併せて必ず何らかのリターンが得られるというものです。頑張っても成果が上がらない時は、頑張り方が足りないか、頑張る方向が間違っているかのどっちかだと思って、考えてまた頑張る、というのが私のやってきた方法です。

 年末年始はテレビもチラチラ見ていたのですが、スポーツ選手や、職人や、ビジネスマン等々、頑張っている人々をたくさん見ました。頑張って成果を挙げて大きなリターンを得ている人や、これから5年後、10年後、20年後にリターンを得るために今頑張り中の人や。

 そういう人たちをたくさん見ていると、その頑張った結果を「格差」という否定的な言葉で語るのは、頑張って成果を挙げた人にあまりに酷ではないかと思いました。「格差をなくしよう」というのは要するに「頑張っても頑張らなくても結果を同じにしよう」という話につながるわけだけど、それはどう考えても「努力が報われない社会」だと思うんだけど。そもそも、イチローと阪神の二軍選手の年俸格差はダメなの?

 まあ、「それは極論だ」と言うのかもしれないけど、私は原則として、自由主義競争社会の日本では、成果を上げた人と上げなかった人にはそれなりのリターンの差があってしかるべきだと思う(社会主義や共産主義の国ではそうではないのかもしれないけど)。大学に来て改めて思ったけど、「あいつとあいつには結果に差が付いて当然だと思うなあ」という、努力をしている学生とそうでない学生が明らかにいるもの。

 ま、私は学生時代の差なんかは社会に出て頑張ればいずれ必ずひっくり返せると思っているから、みんな、今でなくてもいいから、人生のいつかどこかで一回か二回は死ぬほど頑張ってみることをお勧めするぞ。

 あと、「何が一億総活躍社会だよ。私、活躍できないじゃん」と言う人もいたようですが、私は「誰かが自分を活躍させてくれる」のではなくて「自分が頑張って活躍するものだ」と思っているので、単純な連続作業であろうが何だろうが、何とかモチベーションを自分で作り出してやっています。「自分の身に起こったことの92%は“自分が起こしたこと”だ(残りの8%は消費税)」という私の人生訓をもう一回自分に言い聞かせて(そのうち90%と10%になるけど)、ま、あと数年ぐらいは(笑)。

 といったところで、1時半が来過ぎました。岩盤を抜けた仕事、「終わるまで寝んぞ」と思っていたけど、寝てから明日終わらせることにしよう。んー、終わらない方に100円(笑)。
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