2018年12月の日記 |
2018年12月31日(月)
残念ながらサイトの不具合が解消したみたいだ(笑)。でも、私には不具合になった原因も直った原因もわからないし、原因を突き止める術もないので、今後同じようなことが起こらないようにするために何に気をつけたらいいのかが全くわからないという体たらくである。問題が起こった時に「原因を特定し(それが正解かどうかわからずとも、最も確率が高いと思われる原因を特定し)、それに対して手を打たずに再開する」というのはマネジメントをする者として最悪の選択である。にも拘わらず日記を再開しているのは、この日記については、私はマネジメントするつもりがないからである(笑)。
だいたい、この日記を始めた理由は前の会社を辞めた時に勝谷さんに「何か書いてないと文章力が落ちるから、ブログでも始めた方がいいよ」と言われたからで、だからこれまで勝谷さんと私の周りの気心の知れた仲間たちと数少ない私のファンのたぶん数十人だけを意識して書いてきたわけで、「広く社会に物申す」などという意図もなく、勝谷さんと私の周りの気心の知れた仲間たちと数少ない私のファンのたぶん数十人がおもしろがってくれて、時には何かのお役に立てていただければ、それで私は十分なわけである。すると、そんなものは「マネジメント」の範疇にあるとはとても言えないのである。
私が常に全力でマネジメントしているのは、仕事と家庭である。常によりよい成果を上げてハッピーになるために、問題が起これば全力で原因を特定して「最も合理的だと思われる解決策」を絞り出し、それを実行している。その結果、うまくいけばよし。うまくいかなくても、「合理的に考えた解決策」を実行していれば「何が間違っていたのか?」も合理的に見つかる可能性が高いからである。
念を押しておくが、「最も合理的な解決策」ではない。「最も合理的だと思われる解決策」である。なぜなら、たいていのことは「正解などない」、「やってみないとわからないことが半分以上ある」からである。その「やってみないとわからないこと」の割合を少しでも少なくするために、「合理的に必死で考える」のである。でも、世の中には「最初に答えありき」という宗教みたいなイデオロギーの方々をはじめとして、合理的な道筋をすっ飛ばして「これが正解だ」と主張する人がめちゃめちゃたくさんいますね(笑)。
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で、仕事と家庭に加えて、私は水槽の魚もマネジメントしているのであるが(ちっちゃいマネジメントやなー・笑)、30日の昼、問題が発生した。年末につきいつもより念入りに水槽のそうじをしたところ、ネオンテトラとカージナルテトラとグリーンテトラとラミーノーズテトラが合わせて十数匹、死んじゃったのである。とりあえず「やったこと」を整理すると、
(1)砂や小石を一緒に吸い上げて細かいゴミと水だけを吸い出す手動のポンプで、底に数センチの厚さに敷き詰められた砂のような小石をいつもより念入りにクリーニングした。 (2)水槽全体の3分の1ぐらいを占めるまでに増えたウイローモス(細い毛糸の塊みたいなやつ)を半分ぐらいに減らし、併せてゴチャゴチャしてきたその他の水草をまとめ直して、水槽内の水草や石や木のレイアウトを一新した。 (3)その間、水槽の水は一時的に3分の1から4分の1くらいに減り、途中、砂の中に埋もれていた細かいゴミのようなものが何度も水槽内に巻き上がった。
という作業を2時間ほどかけてやったところ、
(1)数年前から泳いでいるその他の数十匹の魚は異常なしで元気に泳いでいる。その中の、古参のカージナルテトラとネオンテトラも異常なし。 (2)最近水槽内で産まれた全長数ミリの稚魚約10匹も異常なく生きている。 (3)しかし、11月17日に投入したネオンテトラとカージナルテトラとグリーンテトラとラミーノーズテトラと尻びれの長い何とかソード(いずれも前日まで元気に泳いでいた)のうち、ネオンテトラとカージナルテトラとグリーンテトラとラミーノーズテトラだけが突然ほぼ全滅した。
さあどうする。我が家の水槽は私が「マネジメントしている」のである。すなわち、常にクオリティの高い癒やしの風景を私たちに(ま、主に私だけに・笑)提供してくれる状態を保たねばならないため、減った魚の分、新しい魚を投入しなければならない。しかし、あの10数匹が死んだ原因を特定しない限り、このままの状態の水槽に直ちに新規投入していいのかどうかの判断ができない。なのにこのまま次の魚を買ってきて入れたのでは、「会社で社員が次々に辞めていくのに、辞めていく原因を特定しないまま求人を打って頭数の穴埋めをして、また社員が辞める…」ということを繰り返すような無能な社長になってしまう…と、無理やり会社のマネジメントに例えてみたがどうか(笑)。
とりあえず、考えて何かやってみる。うまくいけばそれでよし。もしうまくいかなくても、「合理的に考えていれば」失敗が必ず糧になる。
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2018年12月27日(木)
長期休養明け(ま、日記が長期休養してたということだが)はやっぱり馬も人も今ひとつピリッとせんということで訂正のコーナー。こないだ年末の「読んでしまった本をごっそり捨てる大作戦」をやっていたところ、昨日触れた『イケ麺!』とその関連本が発見されたので見てみたところ、昨日の日記に大きな記憶違いがあったことが判明した。私が寄稿したのは2006年に出版された勝谷さんの『イケ麺!』ではなく、その3年後の2009年に出た『イケ麺!』を抜粋再編してタイトルを変えて文庫化した『麺道一直線』という本で、さらに「あとがき」ではなくて「解説」で寄稿していた。まあ日記の内容の大勢に影響はないが、「人はこうやって衰えていくのだなあ」と改めて実感していたら、25日になってコピーライターのT山からこんなメールが来た。
「おや? 一旦アップした日記を即消去とは珍しい…何があったんっすか?(笑)」
何のことだかさっぱり身に覚えがないので日記のサイトを見てみると、あれ? 一旦アップされていたはずの12月22日の日記が知らん間に消えている。「バックナンバー」に行ってみると、あれ? こっちには22日の日記が載っている。そういえば、以前にも同じようなことがあったぞ。
というわけで、私には原因がわからないので、とりあえずあのサイトの責任者である東京麺通団のパロマスに聞いてみるが、以前、何人かの読者から「日記がバックナンバーの中にはあるのにトップに表示されなくなっている」という指摘があった時、マスターから「こっちでは見えるんですけど。そっちがどないかなっとんちゃいます?」と言われたので、また同じこと言われるかもしれん。もし「直せん」言われたら、これ幸いにと日記をやめるか(笑)、あるいはどっか別のところで日記を始めるかするので、少々お待ちください…という日記をもう一回上げてみるけど、どうなるかな?
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2018年12月22日(土)
富士宮やきそば学会会長のダジャレ親父こと(といっても私が呼んでいただけだが)、「B-1グランプリ」の仕掛け人こと、渡辺英彦会長が12月19日に亡くなったという小さな新聞記事を見つけた。享年59歳。うそやろ。
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あれは忘れもしない2002年のいつだったか(皆さん一斉に、「忘れとるやないの!」)、勝谷誠彦さんから「田尾さんの讃岐うどんブームの仕掛けに刺激されて、富士宮やきそばをブレイクさせようと変なことを仕掛けている人がいるんだけど、ぜひ田尾さんと会わせたい」という連絡が来たのが、私と渡辺さんの出会いの発端であった。で、そこからあれよあれよと話が進んで、翌2003年の1月に富士宮市で「恐るべき讃岐うどんvs底知れぬ富士宮やきそば」という大げさなタイトル(渡辺さん命名)のイベントが開催されることになったのである。
イベント当日のプログラムは、勝谷さんの司会進行で私と渡辺さんのトークバトル(タイトルは渡辺さんが付けた「麺'Sトーク」)と、讃岐うどんと富士宮やきそばの実演試食大会で、讃岐うどんの実演は香川から私と一緒に乗り込んだ宮武讃岐製麺所の福田社長。ちなみに、福田社長はのちにオープンする「東京麺通団」の実質的オーナーである。多くの人が間違っていると思うが、東京麺通団は私の店ではない。福田社長から「東京にうどん店を出したいのでアドバイザーになってくれんか?」という依頼を受けたので、どうせならということで「麺通団」の名前を使ってもらったというのがオープンの経緯で、東京麺通団はその後、2009年に福田社長が亡くなり、紆余曲折あって勝谷さんが実質オーナーに代わり、先般、勝谷さんが亡くなったため、たぶん次はパロマスがオーナーになるんじゃないかという、そういう店である。さらに言えば、私はアドバイザーからもとっくに身を引いてただの客になっているのだが、オーナーが「麺通団」の看板を下ろしてくれんのである(笑)。
さてそういうわけで、以来、渡辺さんとは毎年年賀状が来る程度のお付き合いをしていたのだが、突然の訃報に、私は一瞬、呆然としてしまった。お気づきのように、あの「恐るべき讃岐うどんvs底知れぬ富士宮やきそば」のイベントの主役を張った4人のうち、私以外の3人が亡くなったからである。しかも、3人とも60歳を目前にして亡くなるという、誰かがツタンカーメンの墓を掘ったのかと思うような巡り合わせである。深読みするとおかしな世界に行っちゃったらいかんので、これぐらいにしておく。2006年に出版された勝谷誠彦著『イケ麺!』というグルメ紀行本に、勝谷さんから「あとがき」を頼まれたのだが、そこに渡辺さんのネタを盛り込んで書いた私のオバカ文章を再掲して、私なりの追悼とさせていただきます。
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『イケ麺!』あとがき
ほんの後書きなのに4000字も書けと言われると、かつて中学校の夏休みの宿題の読書感想文で文字数を稼ぐために「主人公の名前が長い」というただ一点の理由から題材に『ああ無情』を選んで感想文中に「ジャン・バルジャン」をフルネームで数十回登場させたことのある私としては、無駄話から始めるしかない。
それは忘れもしない何年前のいつだったか(完璧に忘れてるやん!)…という讃岐うどんマニアの間では定番のフレーズで、本当に無駄話は始まってしまった。空には雲一つしかないという見事な曇天のその日、ま、その一つの雲が空全体を覆っているという一面の曇り空のことであるが、勝谷さんが「地麺紀行」という連載の取材と称して香川入りするというので、私は麺通団員のツッコミ大将ごんと一緒について行ったのである。で、何軒かうどん屋を巡って「おもろかったなー」と言って帰って、1カ月くらい経ったある日、それが載った雑誌が出たので「あっはっはー」とか言いながら読んで、それから月日は経って「地麺紀行」が単行本になったというのでさっそく「買いに行こうと思ってた」のに(ここ強調)出版社の人がどうしても一冊くれるというので、くれるもんは何でももらってお礼の代わりにもらったことを何かで公開するタイプの私は(これを麺通団用語で「くれるもんの公会議」というが、こないだ勝谷さんにウケたのでもっかい使ってみた。実はクレルモンで行われたのは「公会議」でなくて「教会会議」だということらしいが、私が習った時は公会議だったし、もとよりダジャレには解釈はあまり意味がないから流す)、とりあえずもらった本の目次を見て肩すかしを食らった。「讃岐うどん」の巻が収録から落っこちていたのである。
落っこちた理由は、勝谷さんの前書きなどから想像するに、讃岐うどんはもはやポピュラーすぎて、「マニアックでけったいな麺」ばかりを収録する本にはふさわしくないと判断されたのではないかと。勝谷さんも前書きでそんなことを書いていた。仕方がない、讃岐うどんがいかにマニアックでけったいな世界か、その底力をもう少し見せておかないといけないようだ。
今から30年近く前、まだ讃岐うどん巡りがブームになっていなかった頃の話である。香川県に、おそらく香川県にしかなかったであろう珍しい自動販売機が出現した。それは何とも緩い、パラダイスのような「うどんの自動販売機」である。
そいつはお金を入れてボタンを押すと、縦に5段階ほど並んだランプのまず一番上のランプが点く。それは出来上がりまでの過程を知らせるランプで、待っているとランプはゆっくりと一つ一つ下に下りていき、一番下に到達すると取り出し口が開いて発泡スチロールの器に入った熱々のかけうどんが出てくるというものである。その動きは実にスローで、私たちは自動販売機の中におばちゃんがいて、コインが入ってくると狭い販売機の中でうどんのビニールパックを破って麺を出し、テボに入れてゆがいて器に入れてダシをかけているのではないかと疑っていたものである。そのうどん自動販売機はジャンボフェリーの乗り場に設置されていたのだが、そのうち国道沿いとかの屋外にも数台設置され始めた。事件はその時起こったのである。当時私が編集長をやっていたタウン情報誌の読者から届いたレポート。
「先日、国道沿いのうどんの自動販売機が壊れて次々に出てくるうどんを道に並べていきよるおっさんを目撃しました」
どうだ。讃岐うどんの世界にしかないであろう、スローフードを20年も先取りしたうどんの自動販売機(ま、動きがスローということだが)。コインを入れたはずみにエンドレスのスイッチが入ってしまうという、讃岐うどんの心地よい緩さに通じるメカの緩さ。そして、いかに故障といえど「うどん様」がダダ漏れするのを放っておけない讃岐人のうどん魂。これが讃岐うどんの世界の奥深さだ。どうだ。いや、どうか? エピソードの選択を間違ったか? 間違ったような気もするが、無駄話であるからいいではないか、という声が私から上がったのでよしとする。では、行数も十分稼いだところで本題の解説に入ることにする。
この文庫本は先の「地麺紀行」を単行本化した『イケ麺!』という本を文庫化したものである。ところがある筋から、情報源は明かせないので「御堂筋」か「おでんのスジ」としておくが、ある筋から入った情報によると、勝谷さんから「『イケ麺!』はもう死語だからタイトルを変える」という申し出があったというのである。聞いた私は「なるほど。それは好判断かもしれんな…」と思っていたら、決定した新タイトルがこれ、『麺道一直線』。その瞬間、私はハッと気がついた。 「勝谷さん、ダジャレ好きなんちゃうか?」 仮説はすぐにファクトベースで検証するのがビジネスマンの鉄則だ。大学教授だけど。そこで私は直ちに『イケ麺!』のデューデリジェンスを開始した。すると、出てくる出てくる!(笑) ・著者の「麺前」でなされし謀略… ・頼むから「麺倒」もとい面倒な…(2回登場) ・(冷たい麺のくだりで)「冷え〜〜〜」 ・(山梨のほうとうのくだりで)あっ、「ほうとう息子」 ・(同じくだりで)伝家の宝刀ならぬ「天下のほうとう」であった。 ・私の「麺俗学」的な… ・「麺と線」いや、麺はもともと線なので「点と線」でしょう… ・(大阪のくだりで)「ナニワともあれ」麺はうどん… ・これにて「全麺幸福」! ・微笑みの貴公子は「微笑みの奇行子」から…
このダジャレ攻撃につられて『イケ麺!』の後書きを担当した筋鉄Iさんまでも、文中で「ご対麺叶わなかった…」とダジャレを筆にしてしまっているではないか。それでかー、勝谷さんが「くれるもんの公会議」にウケたのは(笑)。
しかし、4年前に発表した小説「連絡船のうどん」が某大学の国語の入試問題に採用されたほどの勝谷さんも、まさか名著『イケ麺!』改め『麺道一直線』がこんな切り口から解説されようとは予想もできなかったに違いない(笑)。しかも、ここからさらに予想もできない展開が待っている。すなわち、今からダジャレにダメ出しをされるのである。一介の私ごときに(笑)。
まず、「麺」のダジャレはいかん。短い「メン」の一言だから、何ぼでもできる。加えてそのジャンルは、富士宮やきそば学会の渡辺会長がオヤジダジャレを「これでもか!」と先行連発している。渡辺ダジャレを記憶のままに列挙すると、「ミッション麺ポッシブル」「天下分け麺の戦い」「やきそばG麺」「天下ご麺」「お役ご麺」「三者麺談」「三国同麺」「麺許皆伝」「麺地創造」「麺財符」「最終麺談」「麺税店」「学麺のすすめ」「麺は人の上に人を作らず」「麺は異なもの」……しまいには元ネタも難解な「円ロール麺ト」なるダジャレまで動員して、もう大変なことになっている(笑)。つまり、マーケティング的に言えば「麺」を使ったダジャレは「競合が激しい業界」なのである(何の業界や)。競合の激しい業界に新規参入して勝つためには、圧倒的な体力を要して参入するか、競合が手を出さない、あるいは気づいていない隙間に参入するか、どちらかにしか勝機はないのである。勝ちたいかどうかという問題もあるが。
ではここで一つ、隙間参入の方向性を私が提示してみよう。例えば、勝谷ダジャレに「天下のほうとう」があり、渡辺ダジャレに「天下分け麺の戦い」があるので、「天下」をキーワードにダジャレの新規路線を考えてみる。私が長いダジャレ人生の中で(私もダジャレかい)「天下」を使った珠玉のダジャレと評価しているものは、これもタウン情報時代に読者が投稿してきた作品の、これである。
「姉は天下の回りもの」
真面目な私には意味することがわからないが、思わぬ方向から矢が飛んできて思わずうなったものである。もう一つ、「ほうとう息子」で思い出したが、キーワード「息子」でも珠玉のダジャレがある。
「のちは餅屋…跡取り息子」
どうだ。いや、どうなの? ネタの持って行き方、間違ったかな(笑)。ちなみに勝谷ダジャレ「冷え〜〜〜」も、「冷え〜〜〜稗田阿礼」とくっつけてみるとダジャレに歴史的な重みが増してくるが、もう自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。こんな解説でいいのか。
私の専攻は「情報加工学」と「マーケティング」と「観光マネジメント」であるから、本書に収録された数々の貴重な「勝谷麺食情報」から「食」を題材にした地域マーケティングに関する考察を展開しようと思っていたのだが、意図的に誌面が尽きた。最後に本書の感想をもう一つ。ハムを「火腿」と書くの、この本で初めて知りました。「麺」強になります。ほんと、ご麺なさい。
四国学院大学教授・麺通団団長 田尾和俊
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(笑)だらけで恐縮であるが、私ら4人みんな、人一倍「(笑)を忘れない人生」を心がけてきたのだからこれでいいはずだ、と思っているのは一人残っている私だけかもしれんが(笑)。
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2018年12月4日(火)
紆余曲折である。「紆余曲折」はたいていの人が読めるし「うよきょくせつ」と聞いたらたいていの人が「ああ、何かああいうことだな」ぐらいに意味もわかるが、何も見ずに「書け」と言われたら「紆」がまず出てこないので、これを機に「糸偏にアレか」と覚えておこう(忘れる方に100円)。
そういうわけで、先週の水曜日の時点で『インタレスト』は12月5日にできる予定だったのである。理由は、毎回インタレストは印刷発注してから「5営業日」、すなわちビジネスマンなら皆さんご存じの「土日祝日を除いて5日間」で上がってくるのだが、今回発注が数日遅れそうだったので編集長の岩瀬に印刷会社に確認をさせたら「データの受け取りが1日遅れたら納品が1日遅れる。2日遅れたら2日遅れる」と言われたらしいので、それから行くと11月29日(木)に印刷発注したから12月5日(水)に上がってくるという計算になったからである。
でも、私にはちょっと不安があった。すなわち、印刷発注が当初予定から遅れると、後ろの方で先に入っている仕事に被ってしまう恐れがあるから、そう簡単に「入稿が1日遅れると納品も1日遅れる」にはならんのではないか? 特に12月は「年末進行」で仕事が混み合っているから、入稿が遅れたやつは後回しになるのではないか? という懸念があったのである。そこで、先週末に私は御大自ら確認のために印刷会社の担当に電話を入れてみたら、やっぱり!
担当 すみません。やっぱりちょっと工程が厳しいみたいで、12月5日(水)の納品は難しいんです。 田尾 いつぐらいになります? 担当 週末か…もしかしたら週明けの月曜(12月10日)になるかもしれないんですが… 田尾 わかりました。いや、そうなる想定はしてましたんで、大丈夫です。
というわけで、「これは日記で発行予定日の変更をお知らせしとかないかん」と思いつつ、私は「日記なんかより大事な仕事」がいっぱいあるので更新をサボっていたら、昨日、大学の職員から「インタレスト、いつになります?」と聞かれてしまった。そこでとりあえず「10日の月曜日になりそう」と返事をしたのだが、今朝は「がもう」に行ったらガモムスとコピーライターのT山から揃って「インタレスト、まだ?」と言われ、「10日の月曜日になりそう」と言って釜かけの大とアゲを食って大学に行ったら受付から内線で「紀伊國屋書店さんから『インタレストはいつ来るのか?』と電話がありました」という連絡があって(いつも丸亀の紀伊國屋書店のラックに置いてもらっているのだが、ファンから問い合わせがあったらしい)、「申し訳ないけど、来週の月曜日になりそうだと返事しといて」とお願いして、授業を2本終えて雑務をして家に帰って「これはほんまに日記で発行日が遅れることを告知しとかないかん」と思ってパソコンを開けた夜の7時、岩瀬編集長から電話がかかってきたのである。
田尾 はいはい。何? 岩瀬 小松印刷さんから連絡があって、インタレストが明日の夕方上がってくるそうです。 田尾 何とか!(「と」にアクセントね・笑) 岩瀬 何か、いろんなものが奇跡的にうまくいったみたいです。 田尾 了解。ご苦労さん。
そういうわけで、紆余曲折の末、『インタレスト26号』は12月5日(水)の夕方、納品されることになりました。いやー、小松さんももちろんだけど、岩瀬も仕事の気配りがようできるようになって感心感心。
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というわけで、明日の夕方から、お申し込みいただいた方々への発送作業を開始します。それから、木、金、土、日あたりで紀伊國屋書店とか人気うどん店(がもう、山越、なかむら、大島家、清水屋は私が配本担当。あと、中讃、西讃を中心にH谷川君が10軒ぐらい配本予定)等に配本する予定です。
あと、いつものようにメール(interest@sg-u.ac.jp)やハガキ(〒765-8505香川県善通寺市文京町3-2-1四国学院大学「インタレスト編集部」)でのお申し込みも受け付けていますので(郵送料は着払いです)、ご希望の方は「送り先」を明記し、気の利いたコメントなどを添えて(笑)お申し込みいただければ幸いです。あ、告知が遅くなりましたが、今回の大慌てのやっつけ特集は、 ●「野菜ジャパン」(10ページ) ●そうだったのか! 日本の電力(7ページ) ●すし太郎の大冒険リターンズ!(5ページ) の三本立てです。電力特集は日本の10電力会社の過去10年分の決算書のいろんな項目の数字を徹底的に引っ張り出して集計し、比較と推移と分布でいろいろなメッセージをほじくり出しました。その結果、マスコミではほとんど報道されていない事実やデータが出てきたりして、ちょっとちっちゃなガッツポーズです(笑)。
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